閉じる


<<最初から読む

24 / 43ページ

ムクテイ部長

「妙に、早いな」
 というのがストヤン技術部長の感想だった。N&B社から品質監査の日程を繰り上げたいと打診があったのである。
 宇宙船メーカーとしてのネヤガワ工業の唯一の主力製品は言うまでもなくN&B社のライセンス生産品である。その品質を確保するために、ネヤガワ工業の品質検査に関わる月々の資料はN&B社に送られてチェックを受けている。それ以外に、N&B社の品質保証部は地球時間で4年に一度の割で、ネヤガワ工業の品質監査を実施していた。その製造ラインが、N&B社の定めた条件を満たしているかどうか、作業者がN&B社が定めたマニュアルを遵守しているかなど、事細かくチェックするのである。全ての監査に一週間を割いていた。監査の期間はその製造ラインの一部は止まる。N&B社にとってもネヤガワ工業にとっても大きな手間がかかる。前回の監査が2年ばかり前になる。次回の監査は2年後のはずだ。
 イマムラは品質監査と言うことは聞き知っていてもその経験がない、製造部と品質保証部が対処するはずで、技術開発課には直接には関係はないはずだ。そう思いこんでいただけではなくそれを部下に確認していた。上司のストヤン部長に確認しても、やや冷たい口調で特に君たちの手を煩わす事は無かろうという返事だった。その冷たい口調が、技術開発課解体という噂を思い起こさせる。
 そのストヤン部長から突然の連絡だった。イマムラは首を傾げた。今日までストヤンは監査にかかりっきりのはずで、イマムラは今日までストヤンの顔を見ずにすむはずだった。
「イマムラ君か? MSB─Xの資料を揃えてこっちへ来てくれないか。そうだ。ウォルヒか誰かを連れてくると良いだろう」
 彼がすることはMSB─Xの資料を必要に応じてオープンに出来るようにセキュリティーを調節した。イマムラにとって社内のどの位置でも資料を利用できるはずだ。次にウォルヒに、MSB─Xのガイド役を指示する。イマムラ自身の説明では心許ないと言うことなのだろう。3番目にすることはウォルヒと会議室に向かうことだ。イマムラの選択の余地は全くない。まだまだ、ストヤン部長の信頼は得られていないらしい。
 5分後にイマムラとウォルヒは会議室で紹介を受けていた。キム設計課長の姿も見られる。
来客はN&B社の品質保証部長ムクテイとその部下合わせて3名である。くつろいだ雰囲気が伝わってきた。なにやら笑顔で会話を楽しんでいる感じだ。品質監査は順調に終わったに違いない。
「イマムラ君。N&B社の方々がMSB─Xを見学したいそうだ。案内してくれないか? キム課長を補佐に付ける」
 もちろん、MSB─XはN&B社のライセンス生産品ではなく、ネヤガワ工業の独自の船体である。求められたとしてもN&B社に見せる義務は全くない。むしろライバルとなるかも知れないメーカーには隠すべきだろう。それを求めに応じて見せると言うことは、ネヤガワ工業自身がMXB─Xが失敗作であったと認めて、以降の開発を放棄するということに他ならない。イマムラにとって自らの失敗を責められているような気がするのである。その上、イマムラにとって、ストヤン部長がキム課長を見学の補佐に付けるというのは、次の開発があるにしても、キム課長にその任務を引き継がせようとしているようにもとれるのである。
 MSB─Xは工場の敷地の片隅に放置されている。半ば打ち捨てられていると言ってもいい。ムクテイ部長にとっても監査の途中でシート越しにその姿を見かけているはずだ。
 既にシートが外されて、MSB─Xは久しぶりにその姿を現していた。
「ほぉっ」
 ムクテイ部長は、感嘆ともため息とも判別できない感想をもらした。設計思想というほどの大げさなものではない。宇宙船の設計に技術者の好みといったものが反映されている。その好みは血脈の様に引き継がれて、その好みに技術的なノウハウが蓄積されメーカーの癖として、自然に表面化する。
 この種の小型船の場合、その特徴が最も顕著に現れるのが船体を支えるフレームの構造である。N&B社は前方の居住モジュールと後方の核融合エンジンを一本の太いフレームで接続するという形態に特徴が見られる。構造が単純で、なおかつ、様々な配管やケーブルをこの頑丈で中空のフレームの中に収容する為に、重要なケーブルや配管を保護する意味でも信頼性がある。
 対照的なのがラベルが所属したデメテル社の船体で、フレームが外部に露出しているという点では同じだが、一体化した頑丈なフレームではなく、細い鋼管を幾本も繋ぎ合わせて1つのフレームを構成している。配管やケーブルを集中させずに分散配置していた。
 一長一短があり、どちらの構造が優れているとは言えないが、どちらの基本構造を使うにせよ、船体の強度解析にはそれぞれ異なる経験の積み重ねが必要で、今まで、N&B社の技術の影響を受けているネヤガワ工業が、単独で新たな構造の船体を設計できるはずはないのである。
 そのために、ムクテイ技術部長の目から見て、自分たち以外の技術が入っている、ということが一目瞭然なのである。
「近づいて、触れてみて構わないかね」
「ええ。構いませんよ。質問は私が承りましょう」
 キムがイマムラを制して言った。お前には答えられないだろうと言わんばかりである。
 あくまでもネヤガワ工業として好意で見せている。ムクテイの態度に偵察するという程の不躾な様子はなく、笑顔を浮かべているのだが、目が時折、鋭く光っている。
「リチャード、シルビア、ゆっくり見学させてもらいなさい」
「へぇ。ずいぶんしっかりしたものなのね」
 シルビアと呼ばれた女性が愛犬の頭でも撫でるように船体を撫でた手つきは、その感触で、船体を構成する部品の表面の仕上げを確認しているのである。キムが否定するように言った。
「いえ、やはりスピカにも遠く及びませんよ」
 キムにとって、スピカという船体が物事の良否を判定する材料になっている。ムクテイ部長がMSB─Xの全体像をみて感想をもらした。
「フレームがスピカと違って、随分特徴的ですね」
 さり気なく、何処から得た技術なのか探りを入れているのである。
「ええっ。その通りですね。ご存じの通り、細い鋼管でトラス構造に組んだフレームは構造が複雑で、製造に手間がかかります。私たち設計課で開発を担当していればスピカの構造を引き継いだものにしたでしょう」
 キムが主張したかった点である。
「でも、この構造は軽量化に向いているんだよね」
 リチャードと呼ばれた男は実にうらやましそうに言った。どのメーカーのどの技術者も同じなのだ。強度と軽量化の狭間で頭を悩ませる。彼らは構造が単純化できるというメリットから、筒状のフレームを用いてモジュールを搭載しているのだが、その単純な構造の恩恵に与りながらも、この違った構造が新鮮でうらやましく感じることもあるのだろう。
 トラス構造。橋梁や大型クレーンのアームなどを思い出せばよい。構造材の組み合わせが三角形になっている。その三角形が幾つも組合わさって荷重を支える構造の形式である。MSB─Xの場合、船首のコックピットモジュールから船尾のエンジンモジュールまで5本の鋼管が伸びている。その鋼管を、短い構造材が縦や斜めに走って繋ぎ合わせているのである。
「私たち設計課で作っていれば、、、、」
 キムがその構造について自分の考えを披露した。キムが言うのは、柔軟に大きさの異なる三角形を組み合わせた構造で軽量化するというのである。リチャードが笑って反論した。
「そんなことをしたら、さっきあなたが非難したように、複雑で製造の手間がかかる物になるよ」
 リチャードはキムにも分かるように説明を補足した。
「この船体のいい点はね、バランスが取れてるんだ。軽量化と同時に構造を単純化する工夫が随所に見られる」
「シルビア。あれを見てごらん」
 ムクテイはシルビアと呼んだ部下にフレームを2カ所、指さして見せた。
「なるほど、構造材は同じ形だけれど、接合するモジュールに合わせて素材を変えてあるのね」
 二人の会話にリチャードが参加した。
「あっちはチタン合金だろう。推進剤タンクの当たりはアルミ合金を使ってるんだ」
「接合の仕方も面白いわね」
「エンジンマウントの緩衝構造を見てごらん、エンジンの振動を分散させて逃がしてるんだ」
(技術屋の会話だ)
 少し引きながらイマムラは思った。内容がよく分からない。しかし、リチャードの指摘の通りである。イマムラから見れば同じ形で同じ銀色の構造材である。彼らは、色調か表面の光沢か何か分からないが、構造をその素材まで正確に判別しているのである。生真面目なイマムラは彼らの応対に備えて、船体の全長や総重量やエンジンの出力などについて記憶していた。彼らはそんな物には興味はないらしい。ただ、船体の素材や構造材の隙間の間隔や表面の光沢などを、距離を置いたり、近づいたりしながら、絵画でも見るように鑑賞するのである。
 彼らの会話はよく分からないが、はっきりしているのは、奇妙な物を面白がるということだ。彼らの対応は、キムが言ったようにキムに任せるのが良さそうだった。イマムラはキムを振り返ったが、この同僚も一歩、間をおいていた。技術的な用語が分からないと言うより、価値観が違うのだろう。
 MSB─Xという稚拙な絵画は、N&B社の人々を堪能させたらしい。ムクテイは満足気に言った。
「イマムラさん。私が地球時間で25年前に船の設計に携わり始めた頃は、船の性能というのは、この程度の性能だった。私達にとっても、こういう船が原点なんだ」
 イマムラ達を自分と同列に並べて励ましてくれているのだろう。イマムラを励ますムクテイ部長の手が優しく暖かい。しかし、一方でその言葉がイマムラにショックを与えたのは、彼らが必死に作り上げたものが、25年分の性能の格差があるというのである。もちろん、ラベルの指導が古くさいというわけではない。彼らが入手できる素材が25年分古いというのである。

 品質監査の予定を2年間縮めた。N&B社ではその2年間で、ネヤガワ工業との関係が切れると見ていた。スピカという旧式機のメンテナンスは利益にならない、彼らに与え続けても良い作業だが、新型船アンドロメダのライセンス生産権が得られなかったことに不満を抱いて、N&B社の影響下から離脱しようとするかもしれない。そうなっても、旧式機のメンテナンスを、余った製造ラインでこなせばいいからN&B社にとってネヤガワ工業の動向は影響がない。
 ただ、最近、ネヤガワ工業が独自で小型機開発を試みているらしい。その状況を確認しておく必要がある。今回の品質監査を理由にした実質的な目的だった。
「彼らなら、やるかもしれないね」
 帰社する車内でムクテイが部下のリチャードとシルビアに言った。
「エンジンモジュール周りの補強材は後から追加した物だわ。船体の形状から考えれば、もともと、彼らはタイド社のフェニルⅡを搭載するつもりだったんじゃなくて?」
「もしも、初期に予定していたエンジンを搭載していたら、、」
「俺たちにとっては幸運だったね」
「運不運で片づけるんじゃない。これから私たちは彼らよりも努力するんだ」
(うちの若手にも良い刺激になった)とムクテイは考えた。
 続けて、脅威と言うほどではないが、敬意が入り交じった漠然としていて複雑な感覚を抱いた。ネヤガワ工業が自分たちの影響下にある内は怖くはない。しかし、彼らは何とかその中から羽ばたき、飛び立とうともがいているのである。
 しかし、設計課のキム課長の話によればあの船体も、9日後には破壊試験に供されるはずだ。宇宙を航行するどころか、MSB─Xという略称のまま、正式名称も与えられずにスクラップになるのである。
 ネヤガワ工業の技術開発課のメンバーは、その試験の準備に追われていた。

 数日前から、ひっそりしていたMSB─Xの周りが再び活気づいている。見た目には奇妙な化粧が施されている。新しいエンジンが外されて古びて錆の浮いたエンジンに換装され、塗装が施されたのだが、ガルグレイ一色で塗装されているだけで、スピカのように細かなマーキングもなくのっぺりした外観だ。ただその表面の要所に直径一センチばかりの赤いマークがついており、前後左右、10センチ間隔に線が引かれている。これから受ける衝撃試験で各種モジュールの変形の度合いを確認するための基準になる線と点である。外されたエンジンは既に他社に転売の手続きがされている。
 外観ばかりではない。内部の通信機器、探査機器、他に流用できる機器は全て剥ぎ取られて、今は使い物にならない中古品、或いは鉄や鉛のバラストに置き換えられているのである。破壊するための船体に、新品のモジュールや部品をつけておく余裕はないのである。
 ウォルヒたち技術開発課のメンバーにとって、文字通り心血を注いだ船体に、破壊検査の準備が進められているのである。真っ白な死に装束ではなくて、死刑囚が粗末な囚人服を着ているよう、とウィリアムスは思った。
「でも、惨めで、悔しいよね」
 彼女の言葉に、アサハリが黙って手を止めたのは、ウィリアムスに同意するものがあるのだろう。
 イマムラは試験の立ち会いをドノバンとウォルヒに命じていた。二人にはローウェル大学での性能試験の実績がある、という名目である。自ら望んでいくのは嫌だろう。事実、ウィリアムスやシンなどは性能試験の時には、自分も行かせろと要求したのだが、今回は黙ってイマムラの指示を受け入れた。ウォルヒとドノバンは先にシルチス大学に飛んだ。試験の打ち合わせである。破壊試験のために小型機を大学側に無償で提供する。その代償に大学は分析データーをネヤガワ工業に提供する。ドノバンがそう言う交渉をした。ここでも、余分な資金を使う余裕がない。
 

破壊試験

 試験当日、世の中の騒がしい政治情勢から切り離されるように、MSB─Xの周りは人は気配さえ絶つほどの沈黙で静まりかえっていた。船体は前日から試験台に固定され、幾つものケーブルや配管で外部と繋がってていた。2時間ばかり前からその配管の1つが霜に覆われて白い。推進剤タンクに液体窒素の注入が始まっているのだった。これから、この船体に様々な角度からレールガンで加速した数グラムの小さな弾丸を撃ち込む。その時の衝撃の伝わり具合や各モジュールの破壊状況を確認するのである。もちろん最終的に船体は完全に破壊される。
 推進剤タンクに注入しているのは、本来の推進剤のヘリウムではなく、ヘリウム代わる液体窒素である。化学的に安定な液体を充填して試験を行う。もはや、この船体は推進剤タンクに推進剤が注入され、宇宙を航行することは無いのである。
 ウォルヒはそんなMSB─Xを、試験棟の窓の外から黙ってじっと眺めていた。準備は終了に近づいて居るらしい。ウォルヒは時間をイメージした。時計が彼女の頭に情報を伝えた。午前11時すぎである。昼食時間を挟んで午後1時から試験が始まる予定だった。ブザーが響いて、試験棟の中に残っていた研究員が、最後のチェックを終えて分厚いドアを出てきた。巨大な真空ポンプの音が響きだした。試験が始まるまでに、室内は宇宙空間を再現して、ほぼ真空になる。MSB─Xを見ながら、ウォルヒは耐圧性の窓に手を触れていたのだが、その二重の窓が冷たくなって行く。ウォルヒはその冷たさの中に幼い弟の死の記憶を思い起こして眉をひそめた。ドノバンがウォルヒの肩に手を添えた。
「食事をしておこう。先に課長に連絡を取っておく」
 試験は休日を挟んで12日間に渡って続く予定である。試験に立ち会うために、食事をきちんと取って体調を維持するという冷酷さが必要になる。

 秒読みの完了と共に、レールガンの銃口から溶融した金属が高温のガスになって吹き出すのが見えた。1gのペレットを秒速35Kmという高速に加速してMSB-Xに打ち込んだのである。ウォルヒたちが控えている試験指令室、やや斜め後ろの角度からでは、MSB─Xに外観上の変化は見られない。失敗してくれと言う思いが心のどこかにある。しかし、発射が成功したというのはモニターをのぞき込んでいる研究員たちの会話から分かる。
 ペレットを打ち込む角度を変えながら、この日は、5回の射出で終了した。この日のデーターをもとにして、試験は明日から本格化する。試験棟に空気が送り込まれる。ウォルヒたちが作業に入る番だ。衝撃の伝わり方や振動の数値上のデーターは回線を通じてネヤガワ工業に送られている。ウォルヒたちの作業は自分たちの目でMSB─Xの傷跡を確認することだ。ウォルヒとドノバンはゴーグルをかけた。彼らが見たものが映像として記録される。ドノバンは2mばかりのラッタルを駆け上がり、コックピットモジュール前方の状況を確認した。最初にペレットが打ち込まれた箇所である。ドノバンの人差し指をあてた。
「表面装甲には俺の人差し指の第一関節まで入るほどの凹みが生じているが内部まで貫通している様子はない」
「ペレット衝突による発生した熱のために、塗料は剥がれ、金属層の表面は熱で変色している。まだ、熱い」
 ドノバンはウォルヒに目もくれず、コックピットモジュールの中に入った。ドノバンの気持ちがよく分かる。彼が設計したモジュールである。目の前で破壊されたのだ。落ち着かないのも無理はないのである。平静さを欠いた声だけが伝わってくる。
「現在のところ、外部のモジュールとの接続状況に異常は見られない」
「推進剤タンクを接合するボルトに緩みが見られる。今後一考を要する」
「しかし、居住モジュールは未だ生きている」
 映像を記録しながら10分ばかりドノバンはコックピットにいた。その間、ウォルヒはドノバンをそっと一人にしておいた。
 ウォルヒはMSB─Xの側面に回った。推進剤のタンクには、タンク自体に傷を付けないよう試験用の装甲が追加され、受けた衝撃のみ船体に伝えるようになっていた。MSB-Xを気遣ってと言うわけではない。今回の試験は側面からタンクに受けた衝撃が、船体全体に及ぼす影響を調査する予備的な試験で、衝突したペレットは、この新たに追加した装甲を大きく凹ませていた。推進剤タンクの強度が破壊試験の項目に含まれている。その試験の日まで、タンク自体は無事に温存しておくのである。MSB─Xを保護するのではなく、手順を踏んで効果的な破壊するためのものだった。
 耳に響く音が響き始めた。研究員が音波測定器で船体の状況を調査し始めたのである。測定器が船体に伝える振動をコンピューターで解析して、微細なひび割れや接続の緩みなどの目に見えない破壊状況を調査するのである。
(あの音は、、、)
 ウォルヒは澄んだ音に聞き耳を立てた。ウォルヒたちは既に音で異常を判別する耳を持っていた。ラベルが彼女たちに残した能力の1つである。フレームに歪みはなくモジュール間の連結状態にも問題はないと思った。
 研究員たちの調査は念入りに続いている。研究員たちにとっても滅多に得ることのない貴重なサンプルなのである。ひび割れや接合部の緩みなどを調べ、次の試験の前に、試験に問題が無い程度に補修しておくのである。
 擬人化する、というのは冷静さを欠いて好ましくないかもしれないが、この人々は、MSB─Xを蘇生させながら繰り返し拷問を加え続けるのである。そう考えると、ウォルヒもやりきれない気分だった。

 破壊試験はスケジュールに従って順調に進んだ。その推進剤タンクは既に穴だらけになってしまって、既に本来の用はなさない。他のモジュールも同じだった。よく見ればMSB─Xは穴だらけだが、試験の都度補修されて、その外観は保っていた。しかし、宇宙塵の衝突を想定した微小なペレットを撃ち込む試験が、次の衝突試験に移るとMSB─Xの外見にも影響が現れ始めた。宇宙塵より低速だが大型の物体との衝突を想定して、その船体に機械的に大型のハンマーを叩きつけるのである。船体の外観が目に見えて変化する。変形し、時には小型の探査モジュールなど、船体から剥ぎ取られる。レールガンのペレットの発射音にかわって、MSB─Xの船体自体が軋み、悲鳴を上げるのである。
 試験が続く中で、重苦しい雰囲気が研究員たちにも伝染していた。ネヤガワ工業の技術者たちは、平静さを装う努力はしているが、失望感や悲壮感が滲み出している。そんな彼らを前に、研究員たちは、貴重なデーターがとれる反面、火星市民の手で作り上げたものを破壊する罪悪感にも苛まれるようだ。
 試験棟に意外な人物が姿を表した。タルシスTVのウォーデンである。MSB─Xという船の結末には、もはや報道価値はない。しかし、一人の火星市民として、報道の結末を見ておきたいと思ったのである。
 ウォーデンはドノバンとウォルヒを見つけて会釈で挨拶をしたが無視された。彼らがまだウォーデンに怒りを解いていないか、この試験に集中しているかどちらかだが、ウォーデンにとっても関係がない。彼らはウォーデンにとって、もはや一片の利用価値はないからである。
 ウォーデンの位置から、1Fのフロアーに固定されたMSB─Xが地震にあったように、ガタガタ揺れているのが見える。おそらく、研究員達は、その耐久性を図っているのだろうと、彼は見当をつけた。
(馬鹿馬鹿しい)
 吐き捨てたいほどの思いで、ウォーデンはその光景の愚かさを呪った。研究員の幾人かが何かをぶつぶつ呟いている。何を呟いているのかと考えて耳を澄ませば、
「頑張れ」
「頑張れ」
「負けるな」
 MSB─Xに対して声援を送っているのである。おそらく、本人たちも気付いていないに違いない。ウォーデンは彼らが自ら拷問を加えながら、その拷問の被害者に声援を送るという愚かさについて、心密かに罵ったのである。
 この頑強な船は、その致命的な振動にもよく耐えて、まだ外形を保っており、機能も失っていない。しかし、試験は順調に推移しているようだ。それだけ確認して、ウォーデンは施設を後にした。最後まで見る必要はない、この船は予定通り破壊されるだろう。ただ、あの研究員たちの呟きは、ウォーデンの耳に残って離れない。
「くそっ」
 ウォーデンはうつむき加減に舌打ちをした。それを本人も気付いていない。ふと、ドノバンやウォルヒに別れの挨拶をせずに帰ってきたことに気付いたが、それを後悔する気にはなれなかった。

 そんな馬鹿げた日常も、スケジュールが順調に推移して12日目の最終日を迎えた。驚くべき事に、MSB─Xは未だ生きていた。コックピットモジュールも推進剤タンクも原型を保っていない。しかし、メインスイッチを入れれば、コックピットのコンソールパネルには幾つかの灯がともり、動きはぎごちなくなったが、姿勢制御ノズルが操縦桿に呼応して弱々しく動く。連日の破壊によく耐えて、MSB─Xはその存在を誇示しているのである。
(まるで、自分の運命に抗うよう)と、ウォルヒは思った。
 この船体は、必ずしも全ての人に望まれて生まれて来たわけではないが、本来、破壊するために生まれて来たわけでもないだろう。
 最終日の試験は、MSB─X本体を加速して、前方の金属壁に、船体のフレームが変形するほどの強さで衝突させるものだった。この日、試験指令室にドノバンの姿がない。結果は分かっているのである。壁面との衝突によって、MSB─Xの船首は潰され、船尾のエンジンモジュールから受ける全荷重がフレームをも前方に押し潰す、その強さはフレームを構成する構造材の幾つかを拭き飛ばすだろう。そういうイメージが、正確にドノバンの頭に浮かぶのである。
(試験が終了した)
と言うことを、ウォルヒが彼に伝えに来た。

 実験棟の中で、ウォルヒは足下に転がっていた装甲の破片を見て言った。
「これは居住モジュールの装甲ね」
 その形状や色調や材質からそれ分かるのである。軌道上で小型機の船体を凹ませたものを調査すると、他の船体から剥がれ落ちて漂っていた大きさ数ミリの塗料片だったということも珍しくない。デブリは彼らのイメージを越えた高速で飛翔して、船体に損傷を与えるのである。
「ねえっ。船体が破壊されているって事は、重要部の装甲をもっと頑丈にしなければならないって事?」
 ドノバンはウォルヒの冷静さにやや腹が立った。
「その解決策がラベルさんが言ったフェイルセーフってことさ」
 ドノバンの言葉が不機嫌に短く、ウォルヒは重ねて聞いた。
「装甲だけに頼れないのね」
「例えば、推進剤タンクはその内部が3つに区切られている。デブリに何処かぶち抜かれても、残った部分は大丈夫ってことさ。操縦系統は4系統が独立していて、今朝方まで姿勢制御ノズルが動いたって事は一系統が生き残ってたんだ」
「それを動かすエネルギーは?」
「各モジュール毎にエネルギーコンデンサーがつけられているだろう? 一見、無駄なようだが、仮にコックピットモジュールのコンデンサーが破壊されても残りのコンデンサーからエネルギーを回せるんだ。今朝方まで、居住モジュールにランプが点灯していたが、エンジンのコンデンサーから電力を回していたようだ」
「エンジンには予備はないわよ?」
「エンジンモジュールは1つしかないが、船体の中で最も大きな強度を持っている。万が一破壊されることがあるとすれば、エンジンが破壊される以前に船体は全壊してしまっている」
 MSB─Xの中にはまだラベルから習い足りなかったものが詰まっていたようだった。
 船首の居住モジュールは変形して入り口のハッチが吹き飛んで穴が空いていた。その穴から中に侵入するとコンソールパネルの灯は全て消えて静まり返っていた。どのスイッチに触れても、MSB-Xはもう応答する気配はない。ついに、この船体は宇宙を飛ぶことなく終わったのである。

 会社に残されていたメンバーは、連日、シルチス大学から送られてきていたデーターをまとめるために忙しく費やした。マイペース派のウィリアムスや、おしゃべりなバレでさえ黙って、データーの取りまとめをしている。余計なことを考えることが不安だったのかもしれない。シルチス大学からドノバンとウォルヒが帰社し、彼らの報告をもってデーターの取りまとめは終わった。たった、1枚のデーターディスクである。彼らのこの数年の苦労がこの1枚に集約されてしまった。破壊されたMSB─Xは既に完全に解体され、スクラップになって、この世に存在しない。
 一人になると言うことが、不安であったのかもしれない。技術開発課の部屋には誰も残らなかった。気分が晴れない。MSB─Xが破壊され、試験データーの整理も全て終わって、データーの保管は関係部署に引き継いだ。火星時間で2年半に渡る努力が、今の彼らの手には何も残っていなかった。ラベルという支柱も失って、今後の見込みも立たない。
 メンバーは黙って、ただ並んで歩いていた。気を晴らすためだけに歩いた。突然に、彼らは眉をひそめた。
(耳障りな)と不快に思ったのである。
 選挙が近い。街頭宣伝車が耳障りな声を張り上げてパレードの最中らしい。市民救国戦線という文字が読みとれる。そう言えば、と彼ら達にも記憶がある。シンカンサイ市でアクセ代表がの演説会をするというポスターが数週間前から盛んに街頭で見受けられるのである。街頭宣伝車にその救国市民戦線のアクセ代表が乗っているに違いなかった。
 アサハリが宣伝車に手を振った。アーシャが目をむいて、アサハリの手をつかんで怒りを込めて引き下ろした。何をするのかというのである。アクセ代表と言えばタカ派の先鋒として名高い。愛国心を煽って支持者を増やしている。しかし、一面、その愛国者が鼻をつくのである。個人的な顕示欲を満たすために、火星市民の愛国心を利用されるのは嫌だった。元はと言えば、地球との関係を悪化させ、彼らが使う予定のエンジンが輸入できなかった、その責任もこの男にあるようにも思えたのである。アサハリはその宣伝車に向かって、にこやかに手を振ったのだった。そのアサハリの行為に反感を抱いたのはアーシャばかりではない。
「まあ、まあ」
 アサハリは仲間を制した。最後まで自分の行動をよく見ておけというのである。アサハリは再び宣伝車に笑顔を向けて大きく手を振った。宣伝車に乗る人々もアサハリに気付いたらしく、笑顔を彼に返した。
「市民を喰いモンにする売国奴め。おまえ達にくれてやる議席なんかあるもんか」
 アサハリが叫んだ言葉がにこやかな笑顔と矛盾してすさまじい。
「分かったか? お前らなんか、全員そろって落選だぁ」
しかし、そのアサハリの言葉は彼らがスピーカーでがなり立てる美辞麗句とアサハリの笑顔に隠れて彼らに届かない。アサハリの継いだ言葉には、宣伝車のスピーカーで嬉しそうな言葉が返ってきた。
「暖かいご声援、有り難うございます」
 候補者の意図は別にして、アサハリの言葉と宣伝車の返事は奇妙な会話が成立している。メンバーはアサハリの意図を察した。彼らは飛び跳ねるように全身をふって、笑顔を宣伝車に向けた。そうすれば、熱狂的な支援者に見えるだろう。

「馬鹿野郎。その曲がった根性を叩き直してから来い」
「ご期待に添えるようがんばります」

「がんばって落選するのよ」
「私たちは皆様の期待を実現するために存在しているのです」

「あんたたちなんか、この宇宙から消滅しちゃえばいいのよ」
「皆様の希望は必ず実現させるとお約束します」

 彼らのその一言一句に、宣伝車は深い同意をし、固く約束をし、礼を叫んだ。イマムラたちは街角に宣伝車が過ぎ去るまで、その遊びを続けた。メンバーは腹を抱えて笑った。笑いつつ、彼らの目に涙が浮かんでいる。最初はその遊びが楽しくおかしかった、次にこの2年半の労苦が涙と共に流れ出して止まらなかった。この2年半を無駄に過ごしたのかという思い。敬愛する恩師との別れの悲しみ、これからどうなるのかという不安が溢れ出てくるのである。
 イマムラも目頭を押さえて部下に見られないように涙を拭った。心の底に僅かかも知れなかったが、食いしばった歯の奥に(潰されてたまるか)という思いが残っていた。しかし、具体的に何をすればいいのか見当もつかないのである。
 

試作船MSC─X

 ストヤンは出社後、一杯目のコーヒーも飲み終わらない内に設計課課長のキムの訪問を受けた。
「おはようございます。いま、お時間をいただいてよろしいですか?」
 キムは自分の話を聞けと要求している。断ろうにも、すでに机の前から追い払わなくてはならないほど部屋に入り込んでいる。自信家のこの男らしい。
「朝っぱらから何かトラブルかね」
 ストヤンの言葉には、幾分、皮肉がこもっている。
「ご提案があって来ました」
「いい話ならありがたいが、」
「新型船開発について、話は聞いておられますか?」
「MSB─Xの件だろう? 昨日、破壊試験の最終報告は受け取っている」
「いえ、MSC─Xの件です」
 落ち着いて考えれば推測できたのかもしれないが、この時、ストヤンには新しいコードネームが、ただ耳慣れない響きをもっていて、先のMSB─Xと区別が付かない。ようやくストヤンは怪訝な表情を浮かべた。今一度、新型船開発に取り組むとすれば、その船体のコードネームはMSC─Xと称されるはずだ。
「設計課として、次の新型船開発の仕事を請け負いたいと思います」
 ストヤンは、内々、ウルマノフから打診を受けている。打診と言うより、軽い相談という方が適切かもしれない。技術部として、今後、MSB─Xを上回る性能の船体を開発することが出来るだろうか?と言うのである。彼は返事は保留している。N&B社の品質監査に追われて充分な検討が出来なかった上に、保安局が具体的な要求性能を提示してきたのは昨日のことだ。その話を何処かで聞きつけてきたのだろう。この男の有能さと強引さは、この場に彼らの試作機の原案をデーターにして持参している点だろう。
「このデーターの通りです。MSB─Xを上回る船体を開発する自信があります。私たちにやらせてもらえませんか?」
「まだ、やると決まった話じゃない。関係部署との調整も必要だ」
「製造部のカルロス部長とはすでに話は付けました。営業部を始め、そのほかの部署には副社長から話を付けていただく手はずです。許可を頂ければすぐにプロジェクトの編成に取りかかりたいのですが」
(エバンズ副社長が裏にいるのか?)
 ストヤンはキムの自信の裏付けを推測した。エバンズの直属の部下だった時期があり、彼の人柄については良く知っている。この会社創業当初からの生え抜きで技術者上がりだった。悪人ではないが、技術的な素養より政治的な駆け引きを好む癖があり、今は経営陣に身を置いている。この社の中で副社長派という人脈を形成しているのである。もともと技術者上がりだけに技術部員に顔が利く。ただし、ストヤンという男が極めて中立性を保ちたがる癖があるために、彼を経由すると影響力が失われてしまうのである。そこで、エバンズはキムをはじめとして技術部内に橋頭堡を築いて影響力を拡大しているわけだ。キムは自信に満ちた表情でストヤンの返事を待っていた。あとは、あんたの決断だけだというのだろう。
「キム君。私は君が子供の頃からこの仕事に携わっている。私も肩書きだけじゃない、この仕事については君よりも詳しいつもりだ。決断は私がする。もう下がっていい」
 キムが食い下がった。
「会社の組織から言っても、本来、私たちの仕事だし、私たちがこなす方が効率がいい」
キムの言うとおりだろう。会社の組織という点から見れば、技術部設計課がその任を背負うのが自然だし、日常の仕事と絡めて考えても効率がよい。
「キム君。私の記憶通りなら、新型船開発を設計課から切り離して、独立した部署に任せるというのは君の発案だったはずだ」
 ストヤンには様々な人々の意見を受け入れて熟成させ、自分の判断を生み出して行くという思考癖がある。技術開発課という会社組織から見れば中途半端な部署の設立を命じたのは彼だが、その発案者はキムだった。キムやエバンズの意図は分かる。成果の上がらない仕事から距離を置くのが賢いやり方だ。ただ、MSB─Xの結果を見れば、素人にこの程度のことが出来るのなら、自分達ならもう少しましな物が作れるはずだと考えている。
「俺がこの部署のボスだ。最後の決断は俺自身がする」
 ストヤンはキムに出口を指さした。キムの背を見送りつつ、そのまま設計課には戻るまいと思った。エバンズと次の行動を相談するはずだ。反感ではないが、純粋に技術的な判断に政治色を持ち込まれるのは避けたいと思ったのである。
(政治的なもめ事は俺の判断の後でやってもらいたい。)
 キムが部屋を出ていくのとすれ違いにウルマノフが入ってきた。前もって連絡がない。気の向くままの行動である。
(いつもながら)とストヤンは思った。
 突然に現れるよりも、社長室に呼び出される方が気分が楽なのである。
「新型船の受注の話は?」
 ストヤンはウルマノフが席に座ろうともしないために、やむを得ず席を立って、視線をキムが出ていったばかりのドアに向けて答えた。
「つい先ほど、設計課のキムからも聞きましたが」
 部内の混乱を防ぐために、N&B社の品質監査が終了するまで、部下には何も伝えていない。にも関わらず、キムが試作機のデーターを持ってきたと言うことは、副社長を通じた独自の情報ルートを持っているらしい。優秀な男には違いないのだが、先走る傾向があり、やや不愉快な感じも拭えないのである。
「次の新型船開発を自分に指揮させろというのかね」
「そういったところです」
 キムは設計課で作成したという独自の案をデーターディスクにして持参しており、皮肉にも技術開発課から回ってきたMSB─Xの破壊試験データーと並んでいた。
「あの男ならそう言うだろう」
「それで、具体的な話にまで進んでいるのですか?」
「昨日、提示された要求性能を満たせるかどうかの問題だ」
 それだけ言ったウルマノフは黙りこくった。確かに気楽に決断を下せる問題ではないだろう。MSB─Xで既に多額の回収不可能な損害を出している。次に失敗すれば間違いなく潰れると思った。いや、潰れる以前にエバンズが自分にとって替わるだろう、エバンズやキムは既存の技術力を過信しているらしいが、顧客の要求に取り残された技術力など価値がない。彼の後に残されているのは企業の緩慢だが確実な死である。今は僅かな可能性に賭ける方が良いと思うのである。
「要求性能を満たせば、新型船を導入するという話は本当なのですね」
 ストヤンは再び聞いた。ウルマノフはストヤンにアドバイスを求めて彼に対する返事に代えた。
「君の率直な意見を聞きたい。次の船体は設計課に任せるべきだろうか?」
 今一度、新たな船の開発に挑む、という点でウルマノフの決意は固まっている。しかし、ウルマノフは迷っている。MSB─Xの開発にあたり、各部署から人員を引き抜いて、技術開発課を編成した。しかし、従来の船体に扱い慣れている設計課に任せるかとも思うのである。
 その点、ストヤンも同じである。3日前、MSB─Xの遺産と言っても良い、破壊試験のデーターが技術開発課から回ってきて机の上にあった。莫大な投資をして残ったモノはこのデーターだけなのである。気が重くまだその中身を見る気がしない、イマムラが持参したディスクがそのままの位置に残っている。ストヤンは返事に窮するように黙りこくった。ストヤンはドアに新たな人影を見つけて思った。
(今日はいやに来客の多い日だ)
 製造部長のカルロスである。カルロスはウルマノフの姿を見てやや驚いたようだが、それでも二人を関係づけて尋ねた。
「新型船の内示の話?」
 ストヤンは椅子の背もたれに頭を打ち付けて、やや非難じみた視線をウルマノフに向けた。新型船の話は極秘事項になるはずだ。いったい、この会社のセキュリティはどうなっているのかと問うている。そして椅子を手で示してカルロスに座れと指示した。ストヤンの1年後輩に当たる。ニシダ社長の時代から20年以上もお互いを知り尽くした仲である。
「技術部から、余計なものが回ってきて、生産部が混乱する」
 不満をぶちまけるカルロスの手に、ストヤンの机にあるものと同じデーターディスクがある。ストヤンはこのMSB─Xの破壊試験のデーターの事かと思った。
「高いカネを払ったデーターだ。製造部でも少しくらい有効に使え」
「なんだ、折角持ってきてやったのに。要らないなら棄てるぞ」
 カルロスは手にしたデーターディスクをダスターシュートに投げ込んだ。もとのデーターは技術部のサーバーに残っているので問題はないが、多額の投資をしたデーターをこんな風に廃棄されたら、目の前の社長もいい気分では無かろう。
「うちの課長連中から、今朝方、試作機の試験データーについて相談を受けた」
「製造部の課長連中から?」
 ストヤンはため息をついた。キムという男が製造部長カルロスの頭越しに、自分たちの試作機のデーターを製造部の課長連中に渡して支持を求めたのかと思ったのである。いかにもありそうなことだし、自分の知らない内にそんな相談をされたら、カルロスが腹を立てるのも無理はない。
「キムの話では、新型船の件についてはお前と相談済みだということだったぞ」
「キムの話? 今朝方、俺の所に来たから、もっと現実的な話を持ってこいと伝えておいたんだ。連中にそんな能力があるもんか。奴が持参したデーターを持ってきてやったんだが、いま、お前も要らないって言ったろ」
 カルロスが顎をしゃくってダスターシュートを示した。カルロスが廃棄したのはキムのデーターらしい。
「話をややこしくするな。もっと前向きな話をしよう」
「おいっ。話が噛み合って無いぞ」
 技術開発課が作成したMSB─Xの破壊試験のレポートは極秘にするほどの価値も認められず、ストヤンやカルロスを通じて製造課長や技術部課長にも閲覧可能なのである。カルロスが言う部下の相談事というのは、MSB─Xの破壊試験のレポートのことらしい。
「えらく頑丈な船体だ。これだけの破壊試験をうけて最後まで生きてやがる」
「ラベルさんがいたデメテル社の設計思想が反映されているんだろう。生存性が何より大事なんだ。地球市民の命は火星市民の命より高価だからな」
 別にN&B社のスピカが搭乗員の生命を軽んじているわけではない。ただ、船体を設計するときの重量配分を比較すると、地球や月に販売拠点を置くデメテル社の船体は搭乗員の生命維持にかかわる項目に、その多くの重量を割いているのである。それをストヤンは自虐的に(火星市民の命より高価だ)と称したのである。
「それで、うちの課長連中が言うんだが、もしも、この船体をスピカ並みの船体強度に抑えていたら?」
 カルロスは指摘を続けた。
「エンジンマウント部分の緩衝器だが、今はこんな物を使わなくても、新しい素材があるんだ」
 技術の進歩が早くラベルさえ考えなかった、軽量で、求める用途に適した新素材がある。と言うのである。製造部の担当者のように、日頃、船体に接している人々から見た時に、このMSB─Xという船体や、その設計に携わった連中にも、まだまだ新たな可能性を秘めているというのだった。カルロスは言う。
「親父の言ったことを覚えているか?」
彼らが「親父」という言葉を使う場合は先代のニシダを指した。
「宇宙船っていうのは、頭ん中で造るモンやない。油まみれの腕を使って、こん中で作るモンや」
 カルロスは胸を叩いた。懐かしいニシダの真似をしているらしい。
(まったく、古い技術者って言うのは、)
 ウルマノフはそう思った。中小企業の技術屋の悪い癖から抜け出せない。精神論や根性で経営が成り立つと考えているらしい。
「製造部としては、技術開発課の連中を支持したい。これは製造課長の総意だと考えてもらって良い。俺達はあの連中とやりたい」
 ラテン系の血筋がそうさせるのかもしれないが、カルロスは自分の言葉にわくわくと興奮しているのである。ストヤンはここでラテン音楽でもかけてやれば、彼が踊りだすだろうと思った。
「なんか、こう、久しぶりに胸の中に熱いもんがこみ上がってこないか」
 ウルマノフは二人の会話を聞いていたが、会話の内容に満足したらしい。
「決まったのかね?」
 ウルマノフの問いにストヤンが答えた。
「ええ。もう一度、彼らにやらせましょう」
「では、製造部と技術部は、可能性があると判断するんだな?」
 そんな問いに、二人の部長は頷いて、最後の返答を促すようにウルマノフの顔を眺めた。ウルマノフはため息と共に、決断の言葉を吐き出した。
「ラベルさんによれば、火星市民というのは神ではなく自らの信念に祈るそうだ。火星市民を信じ、自主快活に祈るか」
(早い方が良い)とストヤンは思った。
 時間を置けば、開発反対論者の様々な妨害も入るだろう。
「技術開発課につないでくれ」
 ストヤンはイマムラを呼び出した。
「良かった。責任はお前が取ればいい」
 カルロスはストヤンから見れば無責任なほど大きく笑った。この判断によって、ストヤンは大きく責任を負った。ずっしり彼の背にのし掛かっている。
(ああ、親父の時代は良かった)
 ストヤンはそう思った。ニシダの元で余計な事は何も考えずにモノ造りに専念できたあの時代が懐かしいと思うのである。
 ウルマノフはその表情を見ながらストヤンの胸の内を読みとって、そして、思った。
(お前達のその古き良き時代に、この俺は毎日資金繰りに駆け回っていたことを知っているか?)

 イマムラが部長室に姿を見せたが、入り口で立ち止まってしまった。MSB─Xに関するファイルを持っているところを見れば、3日前、部長に回したデーターの説明を求められているのだと考えていたらしい。それにしては、室内の雰囲気が明るい。その雰囲気の明るさに面食らっているのである。
「これは俺が預かっておいてやる。あとは二人の話を聞け」
カルロスは現場上がりの太い腕でイマムラからファイルを取り上げて部屋の中に押し込んで立ち去った。
「さあ。忙しくなるぞ」
 

新たな任務

(部下がどういう反応を示すだろう)
 イマムラは彼らの反応に不安を抱いている。MSB─Xでの挫折のあと、新たな仕事に拒否反応を示すのではないかと訝ったのである。
 MSC─Xの開発という新たな任務が、技術開発課に回ってきた。イマムラの口からそれを聞いたメンバーは一様に笑顔を浮かべたのだが、ほっとため息をつきながらだったり、指先でペンを弄びながらだったり、ウォルヒなど僅かに口元を歪めただけで、微笑んだことがようやく分かる程度だった。しかし、どの視線にも落ち着きがあり、その視線はイマムラを通してMSC─Xを捕らえて放さないのである。以前の彼らなら、はしゃぎ回って現実と空想が入り交じった気楽な議論をしていたに違いないだろう。知らず知らずの内に随分たくましく成長しているのである。
「世話になったラベルさんの為にも、いいものが造りたいね」
 イマムラはその任務の説明を閉じた。ムハマドが静かに語った。
「課長。俺、正直に白状するけれど、MSB─Xの仕事が終わったときに、ようやくこれで解放されたんだってほっとしたんだ。みんなは怒るかもしれないけど、MSB─Xが失敗だって判定されたときでも、開放感の方が大きかったんだ。もう二度とこんな苦しいことはゴメンだって思った。でも、最近、、、、これでいいのかな?って。だから、そのMSCの話を聞いて本当に嬉しかった」
 アサハリがムハマドの意志を継ぐように語った。
「俺も嬉しい。ただ、もう一つ正直に言うと、ラベルさんの為じゃないんだ、自分のためにやりたい」
 ドノバンが物思いに耽りながら語った。
「ここの連中に聞きたい。うちのカティアが『えむえすびぃえっくす』って言葉をしゃべるんだ。誰が教えたんだ? 俺の顔を見る度に、あの試作機の名前をしゃべるんだ。オレは『パパ』って人並みに呼ばれたことがない」
(ああ、あの子が、、、、)
 メンバーはそう思った。メンバーの手に抱かれて笑っていた子が、今は自分の足で立ち上がって言葉もしゃべっているのである。メンバーの動機は様々だが、MSC─Xを作り上げるという意志は共有しているようだった。イマムラはメンバーを見回して、ラベルの姿を思い起こした。
(よくここまで、、)
 彼らを育ててくれたと思ったのである。

 先のMSB─Xの場合、目標となる要求性能は技術開発課のメンバーが決めた。競合他社のメーカーの船体の性能をもとに設定したのである。今回の場合は、提示された性能を満たすことが要求される。リーの提案を受け入れると言うウルマノフの言葉への返事として、保安局は具体的な要求項目を提示している。

  ①加速性 巡航加速力1.2G、最大加速力6Gの能力を有する
  ②姿勢制御能力  YPRコントロール0.5秒以下
  ③標準装備で72時間の任務に堪えること
  ④搭乗員は3名以下で、緊急時において180時間の生存を保証すること。
  ⑤流動ペイロード450kg
  ⑥極力、火星で入手可能なモジュールと部品を使用すること
  ⑦要求される項目の優先順位は上記の順である。

 メンバーはデーターの検討に入った。
①の巡航加速力というのは核融合エンジンを最も効率よく安定運転する時の出力に左右される。使用するエンジンの選定がポイントになるだろう。
②の項目、YPRコントロールというのは、船の停止状態から船首を逆方向に向けて再び静止させる能力である。この要求値は一般的な小型機から見れば、極めて高い能力を要求されている。おそらく、緊急時に船体が高速で機動しているほんの一瞬に、大容量の画像データーを光通信で司令部に送信するつもりなのだろう。もちろん、搭載する兵器で敵を補足する攻撃機にも必要とされる能力だが、メンバーは攻撃機という言葉を意図して頭の中から消し去った。
③の要求は、平均的な任務に要求される航続時間である。平たく言えば巡航加速で72時間消費する推進剤を搭載しろということだ。
④の180時間の生存というのは経験的に導かれた時間だろう。宇宙空間で漂流状態に陥ったときに、180時間の猶予があれば仲間の船が救援に赴くことが出来るのである。
⑤は、ユーザーで個別に搭載する積載物を流動ペイロードと称している。ロケットブースターか、小型機の牽引装置か、灯台代わりに使用する標識ポッドなどを任務に応じて搭載するつもりなのだろう。その積載物の重量を450kg見込んでおけということである。
⑥、これはMSB─Xの時にも悩まされた点である。何より、社会情勢を鑑みたときに、技術供与制限法以外の規制も強まることも想定しておかなければならないのである。

「ガーヤン。フレームの担当だ。ウィリアムスはパワーモジュール、シン、通信システムを担当してくれ。バレ、君は運航システム」
「まかせなさい」
 バレが自信満々で言った。明るさという点で、常にこの女性が職場をリードする。
「ムハマド。推進剤タンクを担当してくれ。アサハリ。姿勢制御システム。ドノバン。居住モジュール。ウォルヒは全体のとりまとめ。以上、およそ前回と同じ役割分担で構わないかな?」
 まだまだ技術的な素養には欠けているが、イマムラはメンバーの長所や得意分野は飲み込んでいるらしい。すらすらと役割を分担して、部下から苦情は出なかった。
(よくここまで、、)
 メンバーはイマムラを見て、ラベルを感謝の念と共に思いだした。この素人課長を育ててくれたと感謝したのである。
「まず、エンジンを選定した方が良いんだろうか?」
 イマムラは控えめな調子で、部下に相談を持ちかけた。
「現在、小型機用のエンジンとして候補に上げられるのが、リストの通り、火星でライセンス生産しているものが9種ありますが、今後開発する船体の重量はMSB-Xと同等か、それを上回るものになるでしょう。保安庁の計画要求書では加速性が重視されていますから、MSB─Xに搭載したダブルペガサスよりも推力の大きなものが必要になります。推力から絞り込むと、スニム社のユニコーン、タイド重工のライン89,オムニ社のチンギス11、ハリマ社のサカエ77とフジⅤが候補に上がります」
 国産のモジュールを使用するという項目が挙げられているから、輸入品ではなくライセンス生産しているエンジンを使用することになる。
「このうち、オムニ社のチンギス11は単位重量当たりの推力には魅力がありますが、航空宇宙規格基準外の特殊な推進剤を利用しています。出来上がった船体の汎用性を失うでしょう。残るのは、タイド社のライン89とハリマ社のサカエ77のいずれかになります」
ウィリアムスはモニター上のエンジンを初期の9種類から2種類に絞った。その鮮やかな判断力は、彼女自身の能力が向上していることをうかがわせた。
「ライン89は現在スピカに搭載しているライン82の発展改良型です。信頼性はありますが、今以上の発展性は望みが薄いでしょう。サカエ77は現段階の出力はそれほどでもありませんが、構造を考えれば今後出力の向上が見込めると思います。確実さを取るか、将来の発展性を選ぶかによって決まりますが、現段階では判断できません」
 そういう内容を、ウィリアムスはデーターを表示させながらすらすら淀みなく言った。
 このエンジンの選定によってこの後の基本性能が決まってしまうと言っても過言ではない。彼らに幾つかの選択肢はあるようにも見えるが、どれも、火星でライセンス生産されているいわば一世代前のエンジンである。彼らは開発当初からこういうハンディを背負ってしまっている。
 彼らはそれぞれのエンジンを使用した場合についてそれぞれの船体の能力を計算して比較するところから始まった。

            A案      B案
全幅(メートル)     8.4     8.8
全長(メートル)    33.5       36.3
総重量(地球トン)  54     65
エンジン     ライン89  サカエ77
巡航加速力(G)  1.2           1.35
最大加速力(G)  6.2           1.35

航続時間(時間)     86             74

 核融合炉の出力自体はライン89の方が効率が良く、推進剤の噴射速度が早く推進剤の消費効率がよい。推力は劣るものの長時間の加速が可能で補いがつくように思われる。ただし、限界までと思われるほど出力を絞り尽くしており、このエンジンにこれ以上のパワーアップを望むことが出来ない。試作機の能力は彼らが何処まで船体を軽量化できるかという点にかかっている。
 この段階で既に、彼らを愕然とさせたのは、新たに検討を始めているこの船体の能力が、失敗作と評されたMSB─Xと大差ないことである。当然とも言える。MSB─Xに搭載したダブルユニコーンとライン89は推力に於いて大差はない。ただ、設計時期に2年の差があり、ライン89は新しい分、やや勝っているという程度である。彼らより遥かに高出力のエンジンを搭載する、アンドロメダ等の船体に対して分が悪い。
 誤解を恐れずに一言で言えば、とっかかりは非常に単純な計算になる。エンジンの推力が決まっている。その推力によって、要求される加速性能を満たすために船体の重量が決まってしまう。航続時間の要求を満たすために推進剤の搭載量と推進剤を入れるタンクの重量が決まる。船体の全重量からエンジンと推進剤の重量を差し引いた残りの重量をコックピットに何パーセント、、操縦モジュールに何パーセント、探査機器、通信機器に何パーセント、生命維持関係に何パーセント、それらを支えるフレームに何パーセントと、各担当者に割り振るのである。担当者が自分に割り振られた重量の範囲で仕事を成し遂げて、船体が予定した重量の範囲内に収まれば、MSC-Xは予定した性能を発揮するはずだった。ところがそうやって計算をしてみると、ドノバンに割り当てられる重量は5800kgに過ぎない、MSB-Xの時より更に1割少ないのである。MSB-Xの時でさえ、その居住モジュールは小さく窮屈だった。MSC-Xでは更に削るのである。根本的でまともな解決策は高出力のエンジンに換装することだが、開発の前提で、それが不可能になっていた。
 巨大な風車に挑むドンキホーテのように、第三者から見た滑稽さと、当人に自覚のない無謀さに、彼らの努力は似ているのである。しかも、その努力は始まっていて後戻りはできないのである。彼らの二度目の挑戦が始まった。
 
 最初の10日間は瞬く間に過ぎた。
「イマムラ課長」
 ドノバンが慎重に語りかけた。
「提示された項目に『搭乗員は3名以下』とあります。これは『搭乗者は1名でもかまわない』と解釈してよろしいでしょうか」
 数学的な解釈は正しい、しかし、、、
「みんな、すまないが、ちょっと手を止めて聞いてくれ」
 イマムラ課長のいつもの言葉である。イマムラは自分の中途半端な知ったかぶりを避けて、技術的な判断は部下の議論に任せるという姿勢をとっている。設計課のキム課長などが聞けば笑い出すだろうが、イマムラは自分で判断を下すことが出来ないのである。メンバーは各自、部屋の隅のMSB─Xの映像に、椅子の向きを変えた。ドノバンはそのMSB─Xの映像を、彼が担当するコックピットモジュールの映像に切り換えた。その手慣れた行動に、今の彼らの開発姿勢が現れている。もちろん、最終判断は船体を組み上げているウォルヒがする。MSB─Xの時にラベルがそう指示をしたのである。しかし、各パーツについての判断にはこのような合議制のような形態をとっていた。この形態に問題はあるに違いないが、ラベルという指導者を失って、各自の知恵を集めて判断するしかないのである。ドノバンが映像を見ながら切り出した。
「この間から、コックピットモジュールの軽量化のために予備のシートを廃止する形で検討してきたんだが、」
 スピカの場合、操縦者とナビゲーター担当の人員のシートの他、予備の搭乗員の為のシートが設置してあり、この形態が長く続いて、小型機の標準的な座席配置とされていた。ドノバンは軽量化を図るために、MSC─Xでは予備のシートを削って搭乗者を2名に限定していた。更にドノバンが切り替えた画像にムハマドが相づちを打った。
「そうだね。その後、シートをツインからタンデムに変更したんだね」
 先のMSB─Xの場合、操縦者とナビゲーターの席は横に並んでいて、その中央に搭乗者が身を屈すれば席を交代できる程の通路のスペースがある。開発途上、若い女性パイロットがそれを無駄だと称したことを思い出していた。
 ドノバンはその意見を参考に、席をタンデム型、前後に配置したのである。それを知った設計課の連中は例のごとくあざ笑った。慣例的に小型機のシートの配置は横並びなのである。しかし、調べてみると、宇宙空間を航行しているときに搭乗者が席を替わるという事例はなく、搭乗者が間隔を置いて横に並んでいる必然性は見られないのである。一方で、座席を前後に配置したことによって居住モジュールの外寸を縮めながら、その中の座席の幅には余裕が出来たのである。相次ぐ変更によって、ドノバンはコックピットモジュールの重量を初期の7800Kgから6400Kgにまで減らしていた。ただ、目標値には足らない、ウォルヒは納得しないだろう。
「今度はナビゲーター席を廃止したらどうかと思うんだ」
 ドノバンは思い切った提案をした。
(無茶なことを言う)
 メンバーは顔を見合わせた。一方、ドノバンの言い分もよく分かる。
 ラベルが居た頃に「何故、船は人を乗せて飛ぶんだ?」と聞いたことがある。言外に、無人機なら設計者にとってありがたいんだがという意味も込められているのである。有人機の場合、居住モジュール内を与圧し、呼吸のための空気を供給し、モジュール内を適正な温度に維持する。そう言う装備を余分に要するのである。そして、搭乗者の安全を保証するために、船体の強度を無人機に比べて、安全率で3割も頑丈に設計しなければならないと言う法律上の規定がある。更に、忘れがちなのだが、気密服を身につけた完全装備の搭乗者が3人も乗れば、船体は彼らの重さで300kg近い重量増大になるのである。船は人を乗せるために、随分と余分な重量を要するのである。スピカの場合で言えば、実にその総重量の32%が人を乗せるために要する重量だと言われていた。
 ドノバンはその2名の搭乗員を1名にしようというのである。そして、予備の通信機器を操縦席の後方に配置し、ユーザーにとって必要な場合は、その予備通信機を外して、臨時の座席を設置して、予備の搭乗員が搭乗出来るようにと考えていた。ナビゲーターは量子コンピューターで補いが付く。生命維持装置をはじめ随分軽量化出来るはずだ。
 ウォルヒはラベルに大根役者と罵られたことを思い出した。ウォルヒだけではなく他のメンバーもそうだった。ただ、今はちゃんと演技力を身につけているらしい。彼らはドノバンの提案に意外な問題があるのに気付いている。1つは搭乗者の精神的な負担、もう一つは搭乗員の保護である。
 その精神的負担について考えるなら、この船体に乗るのは、保安局や危機管理部で高度な訓練を受けた、肉体的にも精神的にも非常にタフな連中である。しかも、航行中は通信回線で司令室と直結してバックアップを受けている。しかし、さまざまなストレスを受ける環境で、手の届く距離に信頼できる仲間が居るというのは心理的なストレス軽減になっているはずだ。ドノバンの提案はその仲間を省いてしまうのである。
「量子コンピューターの演算速度を上げて、メモリーも3割ほど増やしてもらえれば、システム内に思考ロボットが転送できるよ」
 アサハリがそう提案した。意外かもしれないが、専門的な訓練を受けた人々にとって、任務を果たすために思考ロボットは必要としない。思考ロボットはこの時代の人々にとって日常生活にとって欠くべからざる存在だが、船体を操るために量子コンピューターで充分だと考えられていたのである。
 その量子コンピューターの能力を向上させる。重量は7kgばかり増えるかもしれない。その代わりに自分が日常接している思考ロボットを搭載して、船体そのものが随分と人間臭くなり、ナビゲーターの代わりが勤まるというのである。
 そして、このコックピットモジュールの小型化と軽量化は、フレームにかかる負担を減らして、ガーヤンが担当するフレームの重量も削減できるはずだ。MSC─Xはエンジンの出力と言う点で、開発当初からおおきなハンディを背負っていた。ドノバンやアサハリの提案も採用する以外に方法はない。
「残る問題は、搭乗員の保護の問題だね」
 アサハリがそう首を傾げた。コックピットの軽量化に目を奪われて小さくすればいいと言うものできなかった。体格のよい搭乗員が分厚い宇宙服を着込んで乗り込む。スムースに乗るためには充分な大きさが必要であり、航行中に掛かる様々な加速によって搭乗員の体がコックピット内のあちこちに押しつけられる。その搭乗員を保護する仕組みが必要になる。従来は搭乗員の体を包み込むような形状のシートに体を固定する構造である。頑丈で重い。イマムラがふと思いついたように尋ねた。
「ドノバン。もしも、コックピット内の搭乗員をスポンジのようなものの中に閉じこめられたらどんな効果が出る?」
「かかる荷重を体全体に分散させることが出来ますから、搭乗員の負担も減る他、シートの軽量化も図れるでしょう」
「そうなのか」
 考え込むイマムラにドノバンが尋ねた。
「何か思い当たることでも?」
 イマムラには名前は思い出せなかったが、朗らかな人柄と仕事を熱く語る口調は覚えていた。ラベルの隣人で友人。ラベルの送迎会のホスト役。あの日、飲み慣れない酒で酔った後、ムーヴァーに押し込んでもらった。あの日、イマムラを家に送り返すよう指示された思考ロボットが、その人物の名を記録していた。ウルド特殊車両のダン・ワイズである。
「ドノバン。ウルド特殊車両で開発している緩衝器を、MSC-Xに使えるかどうか君の意見を聞きたいんだ」
「緩衝器というと、四輪ムーヴァーのバンパーか高速鉄道の連結器ですか?」
 ドノバンの言葉にイマムラは苦笑した、ワイズと出合った時の自分と同じ発想をすると思ったのである。イマムラはワイズの表現を思い出して言った。
「いや、エアバッグ。登乗員の体を保護する必要があるね。現在使われるものは、21世紀の頃から変わりない構造だが、搭乗員をスポンジの中に入れておけば、全体を柔らかく保護できるよね」
「面白そうだ。検討してみましょう」
「またまた、設計課の連中が、」
 アサハリがそう言い、メンバーがそろって苦笑いをした。これらの試みを知った設計課の連中が、哄笑するだろうと言うのである。たしかに、従来の常識から考えれば非常識な試みだろう。彼らの哄笑を苦笑いで受け流すほど、メンバーはラベルの指導で自信をつけていた。ただ、この例は、苦しいながらも、対策が見いだせたという非常に幸運な事例である。
 メンバーは各自の担当するモジュールを設計し、ウォルヒが船体に組み込んで行くのだが、データーを受け取ったウォルヒが首を横に振って拒絶することがほとんどである。ただ、その時に困ったようなすまなそうな表情をすることがあり、彼女をやや人間くさく変えていた
 MSC─Xの概略は固まりつつあった。しかし、軽量化という問題を抱えて、要求性能どころか、加速性能などはスクラップになったMSB─Xにも及ばないのである。

 数週間が経過し、その問題の解決策も見いだせないまま、新たな難問が表面化して、彼らは頭を抱え込んでいた。
「これか?」
 イマムラの言葉に船体の運航システムを担当するバレは頷いた。イマムラがつまみ上げたのは長さが約3センチほど、重量にしてたった8gの黒色のメモリーチップである。裏面には小さく警告表示がされている。
『内容を読み出せば、チップは即座に破壊される』
 このチップから40本ほどの金色の端子が出ている。船体の姿勢を感知するジャイロ、エンジンの制御状態を感知するセンサー、機外の危険物を探知するセンサーなど、様々なセンサーの情報や、操縦者の操縦桿やスロットルの情報を、電気信号にしてこのチップの端子に入力する。すると、別の端子から、入力に対応した姿勢制御やエンジン制御の信号が出力されるのである。最高速度で見ると、彼らの新型船は一秒間に数百キロメートルの空間を移動して目的地に向かう、或いは、時に通信のために数千キロメートルも先の受信アンテナに向かって正確に船体の機首方向を制御する。そんな機動を人間の手で直接操作するというのは不可能であり、この小さなチップに収められた運航システムが船体の運航を支えているのである。運航システムを担当していたバレは彼女のシステムの根幹になるチップが入手できないという問題と直面したのである。
 スピカの場合、彼らが製造した船体に合わせて、N&B社からこのチップを提供してもらっている。MSB─Xの場合はスピカ用のチップを強引に流用していたのである。搭載するエンジンや構造の異なる船体に使用したために推進剤のロスや姿勢制御能力の低下などを招いていた。今後、技術供与制限法が強化されたときに真っ先に輸出制限がかかるはずの部品でもある。MSC─Xの場合は、その根本的な解決が要求されているのである。今まで購入して使用していただけに、運航システムという技術は彼らにとって未経験と言っていい分野の技術だった。
 技術開発課で新たな試作機の設計が行き詰まって、打開策が見いだせないという情報が社内に広がっていった。たしかに、更なる軽量化の必要性と船体の運航システムという未経験の問題が彼らの前に立ちふさがって、全く打開策が見いだせない袋小路に陥った。
 

火星祭り

 技術開発課のメンバーが、課長のイマムラを筆頭に、職場に全員が顔を揃えていた。席が6つしかない部屋に、イマムラ、ドノバン、ウォルヒ、バレ、ウィリアムス、シン、アサハリ、ガーヤンがそろっていて、ドノバンなどは机にあぶれて部屋の隅の計測機器を机の変わりにして個人の端末でデーターを整理していた。自宅で出来るはずの仕事だった。出勤時間が決まっているわけではないから、通勤時間を差し引けば、自宅でゆっくりくつろいでデーターを整理すれば良いはずだ。行き詰まった感じが職場に充満してメンバーの体の中に染み込んでいた。何かしなければと思いつつ、努力するほど混乱が深まって行く。そういう悪循環に陥って、データーの整理を自身への口実にして泊まり込みが続いているのである。他のメンバーも同様だった。しかし、同じデーターをどういじくったところで、船体の性能を向上させる発想は浮かんできそうになかった。
 この数週間の間、あの合議制での新たな提案も尽くされてしまったかのように静まり返っている。
 部署を率いるイマムラもこの点では同じだ、技術的な素養に劣っていることは自覚していた、部下に適切な技術的なアドバイスが下せなかった。
「おいっ。みてみろよ。かわいいから」
 突然にガーヤンがそう言った。
 元旦に生まれた新生児たちがディスプレイに映し出されていた。新年の恒例の番組である。額のあたりの金髪の房がマクガイヤー夫妻の赤ちゃんにそっくりだった。火星市民に火星の暦が必要となった時に、彼らは神の誕生や火星に降り立った時間ではなくて、火星で初めて赤ちゃんが誕生した日を元年としたのである。実験居住都市で人口は僅か88人だったという。その実験都市でマクガイヤー夫妻に娘が生まれた。火星元年である。
 バレが叫んだ。
「ああっ。もう新年じゃない。やだっ。なんで、こんな暗い部屋の中に閉じこもってなきゃならないの。みんな、気分直しに踊りに行くよ」
 この女性はストレスを発散させるために大声でわめき散らすと言う迷惑な癖を持っている。しかしながら、バレは言葉と裏腹に一通りわめき散らすと席に腰を落ち着けてしまった。やはり担当するデーターが気になるのだろう。
 イマムラが部屋の中を見回してドノバンの無精髭を指摘した。
「ドノバン。無精髭を剃れ。町の若い娘に嫌われるぞ」
 彼は席を立って立ち上がって提案した。
「さあっ、みなで広場に繰り出すぞ」

 メンバーは思い思いに席を離れた。このきっかけを求めて、今までじっとしていたのかもしれなかった。そんな上司に抗議をしたのはウォルヒだけだ。
「でも、課長。未だこのデーターの整理が出来ていませんし、第一、今後の方針も何も決まっていません」
「みんなで繰り出すんだ」
 その一言にウォルヒを包み込む迫力がある。このまま居続けても良い結果が出るわけではなかった。何かきっかけを与えてメンバーを自宅に帰らせて休ませるきっかけを作ることが必要だと考えたのである。
 ガーヤンが映し出したディスプレイで、新生児が母親の柔らかな腕に抱かれて幸せそうな寝息をたてている。空調機の風が優しく赤ちゃんの髪をなぶっていた。メンバーは全員そろって部屋を出た。無精髭が伸びていたり、服装や髪が乱れていたり、メンバーが新たな展開を迎えることのないまま、無駄に時間を費やした期間の長さを物語っている。ムハマドは不安げに頬から顎を撫でた。9人のメンバーがイマムラを先頭に社内の通路を歩いている。薄汚れた集団は、他の社員の注目を浴びて、ムハマドに自慢の豊かな髭が長期の泊まり込みの間に台無しになっていることを思い起こさせたのである。
 彼のプライドは、メンバーにまず社内のシャワールームへ向かうことを提案させた。30分後、多少こざっぱりした集団が技術部の入り口に集合した。
「お出かけですか?」
 事務の女性がイマムラに聞いた。ただ、首を傾げたくなるのは彼の髪からリンスの香りが漂っていることである。
「うん。市場調査」
 イマムラは返事を返した。開発のためには顧客の事を良く知らねばならないと言うのである。事務の女性は建物を出て行く9人を背後から眺めて、顔を見合わせて笑い会った。イマムラという男の人柄を反映して、彼女たちの笑顔に悪意がない。
「やっと、冬眠から醒めたのかしら?」
 今までほとんど姿を見せなかった生き物が、目覚めたように穴蔵から出てきたと言うことを話しているらしい。

 シンカンサイ市では、1F中央の官公庁前の中央広場が祭りの会場になる。人々は中央公園前駅から2駅離れた市役所前駅で下車して、会場まで祭りの雰囲気に染まりながらゆっくの歩くのが常だった。幅10メートルばかりの道路の左右に対向する人々の流れがある。公園から帰ってくる人々の流れには開放感の余韻があり、公園に向かう人々の流れは期待感に溢れている。
 その流れの土手にこの祭りの間だけの露店が並んで、売り子が商品の名にリズムをつけて、大声で客を引いている。この雰囲気は、地球昔の祭りと何も変わらないのである。
 こういう場合、メンバーの中でガーヤンの頭の切り替えが早い。子供のようにむき出しにした好奇心を、今は露店の商品に向けている。とくにおもちゃに興味が惹かれるらしく、時折、イマムラが襟首を引っ張って仲間に引き戻さないと迷子になるに違いない。シンは既に赤や青のあめ玉の入った小袋を抱えて、その1つを口の中で転がしている。アサハリはそのシンから青いあめ玉をせしめていた。
 ドノバンがふと、ある露店の前で足を止めた。金や銀、象牙色、透明感のある赤や緑に縁取られたきらびやかな雰囲気がある。イヤリングやペンダント、腕飾りなど手作りの小物を売る露店である。店はやや閑散として店員の愛想の悪さを物語っている。ドノバンは仲間の女性を振り返りつつ少し考えていたが、アクセサリーを3つ、手にとって買い求めた。高価なものではない。日々の小遣い程度のものだ。プレゼントする側もされる側も、大して気を遣う必要はない、ドノバンはそういう細やかな気遣いをする。
 ドノバンはバレに銀色のブレスレットを渡した。バレの褐色の肌に良く映えるアクセサリーだった。ウィリアムスには小さな赤い石のお守りを渡した。質素な作りだがそれがウィリアムスの性格によく似合った。ドノバンはこの種のセンスがよい。そして、青い小さな飾り石が付いたペンダントが彼の手に残った。ウィリアムスやバレの見るところ、露店の商品の列びの中で、二人が受け取ったものより1ランク上の価格のものだ。二人は気付かない振りをした。
「これを、君に」
 ドノバンは戸惑いがちに言った。ぼんやり考え事をしていたウォルヒにとって突然の出来事であったらしく驚いていたが、ウィリアムスとバレが受け取ったアクセサリーを掲げて見せたので成り行きに気付いたらしい、堅い笑顔を浮かべて言った。
「ありがとう」
「君の好きな朝焼けの空の色に似ている」
 ドノバンはペンダントの青紫を評した。その気取った言い回しに、むしろ本人が顔を赤らめた。
「ニブちん」
 ウィリアムスが彼女独特の言い回しで小声でウォルヒの人柄をバレの耳元で評した。
「確かに、あの女、鈍いからね。もっとはっきり言ってやんなきゃ」
 バレがドノバンの気合いの不足を嘆いた。
 ガーヤンはお気に入りのおもちゃを手に入れて機嫌が良く、アサハリはシンからからせしめた2つ目のあめ玉をしゃぶっている。メンバーは様々な思いを馳せつつも広場に近づいて行く。音楽、とりわけドラムの音がリズムを奏でて大きくなって行く。バレやガーヤンは既に腰を揺らしてドラムに合わせて小さくステップを踏んでいる。
 イマムラの妻のアマリアが、結婚前に彼の部屋を訪れたときに、イマムラの顔を不思議そうに首を傾げて見たことがある。
「ニューギニアの少数民族」「高砂族の生活」「古代ケルト人の宗教観」「アフリカ 生活と道具」「アボリジニーと精霊」「日本人の民間信仰」得体の知れない題名の書物が並んでいるのを見つけたのである。イマムラは子供の頃からこの種の学問に興味があり、生まれる時と場所が違えば、土地の古老から古い民話を収集したり、土地の人々と生活を共にしたり、そういう生活を送っていたかもしれなかった。
 そのイマムラが首を傾げた妻を思いだしたのは、目の前の様子を見たからである。官公庁の建物の前に噴水がある。その噴水を中心に、祭りの企画者によって設定された二重の踊りの輪がある。空き地のあちこちにも自然発生した小さな踊りの輪がいくつもできている。特設のステージでは賑やかに音楽が奏でられているが、楽器を奏でるのはロボットではない、笛を吹き、ドラムをたたく人々から汗が飛び散っている。普段は行政のニュースを映し出している5面の大型スクリーンが今日は人々の状況を映し出して、人々を輪に誘っている。神懸かりともいえる熱気があった。人類が太陽系内を飛び回る時代にあって、この踊り狂う人々の姿は、古代、豊漁を神に祈ったり、豊作を神に感謝したり、元始の人類の姿に似ている。人類がその歴史の中で、信仰や民族問題等、様々にまとうてしまった余分な衣服を脱ぎ捨てて、本能の赴くまま踊り狂っているのである。
 気が付けば、ウォルヒとイマムラを除いたメンバーは既に彼らを離れて踊りの輪に加わっている。バレなど黒褐色の肌が輝いて、手足の筋肉が目立つほど躍動し、目をつむって高揚感に浸る表情を含めて、全てが美しい。
「課長は?」
 ウォルヒがイマムラは踊りの輪に加わらないのかと問うている。
イマムラの場合は、周りの目が気になって踊ることが気恥ずかしい。周りの目が気になるという事が彼の行動の規範になるあたり、彼の日本者という血筋を現しているのである。輪に加わる必要はなかった。目の前の情景に無垢に感動し手拍子を打って共感を覚えているのである。イマムラは言った。
「こんなにも、この町と、この町の人々が好きだとは思わなかったよ」
 この数年間、挫折の繰り返しで先の見通しが立たない。何度も投げ出したい思いに駆られたが、その都度、様々な人々に救われた。そんな思いが蘇るのである。
 ウォルヒはいうまでもなく、新型船開発の取りまとめをしている。各部の不具合が、取りまとめをする彼女に大きな矛盾としてかかっていた。彼女はその苦労を硬い表情に隠してはいるが、罪悪感を持ちながら内心でメンバーを罵ってもいる。
 間近で見ると、彼女にその苦労を押しつける総元締めのイマムラの髪に、白髪が目立って増えている。よほど苦労をかけているらしい。ウォルヒはその髪を優しく撫でつけたいほどの思いで、踊りの輪に目を戻した。
「いったい、私たちは何者でしょう?」
 地球を離れ、体格を初め価値観に至るまで地球市民とはかけ離れてしまっている。しかし、目の前に広がる人々の姿は、今の地球市民が失った元始の人類の姿に違いないのである。
 イマムラはそう言う光景を見ながら、心にわき上がってきた考えがあった。
(未だ気がつかないまま、何かやり残しているものがある)
 失意の中に、彼らの新たな可能性を見いだせそうな気がするのである。ウルド特殊車両の技術者ダン・ワイズと出合って、彼らの技術をMSC-Xに取り入れた。その彼にネヤガワ工業として話を持ちかけた時の意外そうな表情も覚えていた。当然である。彼らが市場と考えていた四輪ムーヴァーや高速鉄道に比べれば、宇宙船というのは市場は狭く注目することもなかった。また、事故の衝撃から人員を守るという目的に、技術者らしいこだわりを持っていて、宇宙船のコックピットで乗員を加速や減速から保護するという用途に活用できるということにも気づかなかったのである。偶然の出会いだったが、互いに思いも寄らない技術を持ち合わせていたのである。
「もう一度、自分たちを見直してみよう」
 イマムラはそう呟いた。
 奇妙であり、なおかつ自然なことに、彼らは新型船を火星市民の手で自主開発しようとしながら、使用するモジュールは地球メーカーのライセンス品を中心に探し求めている。信頼性があるという、宇宙船の製造に何より必要な要件を満たすためである。とすれば、火星市民が自主開発するMSC─X自体に信頼性がないはすだ。ところが、彼らは自分たちの手で地球メーカーに匹敵する小型機を作り出すのだと信じて疑わない。イマムラは、もっと火星市民という仲間の実力を信じても良いのではないかと思い立ったのである。今までの検索に漏れているメーカーや製品があるかもしれない。
 


読者登録

塚越広治さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について