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ラベル帰国

 小さなトランクがラベルの人柄をよく現していた。質素な生活を物語って、このアパートを引き払う時にも、ラベルの私物が全て収まってしまったのである。ラベルはその荷造り作業を、メンバーに見守っていてもらうように、テーブルの上の立体写真を荷造りの最後まで残した。出発まで半日を残して、荷造りはほとんど済んでしまった。ラベルは黙って、その立体映像を眺めて残りの時を過ごした。技術開発課の内部でラベルを中心に彼の教え子達が映っていた。
 既に、最後のつもりで、昨日会社を去るときに別れの挨拶を交わしていた。
「何か、やり残したことは無いだろうか?」
 ラベルは映像に語りかけるようにそう呟いた。メンバーの一人一人の姿や癖を思い浮かべた。
 イマムラ、縫いぐるみのクマのような男だった。何より自分が素人だと自覚しているのが良い。本人は気付いていないのだろうが、メンバーがのびのび育っているのは、彼がそれを自覚して、技術的なことを部下に任せているからだ。ただ、気苦労は多いだろう。
 シン、叱りつけたときに最も真剣に食らいついてくるのがこの男だった。
 アサハリ、存在感の薄い男だが、たぶん、メンバーの中で最も忍耐強い。いい技術者に育つだろう
 ムハマド、この男との出会いは衝撃的だった。電車の中で彼の演説を聞いたのである。
 ガーヤン、やや無頓着な性格だがメンバーの中で彼の素直な明るさは棄てがたい長所だ。
 ドノバン、若いくせに私以上に頑固な男だ。とうとう親しい会話も交わさずに終わってしまうらしい。ただ、この頑固な男と娘の表情はずっと記憶に残るに違いない。
 ウォルヒ、彼女に誘われて北公園に出向いたことがある。そこの展望室から見える景色を見て欲しいと語ったのである。彼から見れば荒涼とした光景だが、いまは何故かその景色が懐かしい。
 バレ、ウィリアムス、この二人は仕事より、二人の掛け合い漫才のような楽しい会話が記憶に残っている。
 ひょっとすれば、ラベルよりも彼の妻セリーヌの方がこういうエピソードを記憶しているかもしれない。ラベルは頻繁に、この火星の子供達のことをメールにしたためていた。一方で口に出しては言わなかったが、過去に何度か帰国しようかと考えたことがある。いつだったか具体的な日付は記憶にないが、セリーヌにメールを送った時の記憶が残っていた。
 地球と火星市民の関係が悪化するにつれて、火星行政府が火星に在住する地球市民のメールを盗聴しているのではないかという噂が、火星に住む地球市民の間で囁かれていた。ラベルはアパートの部屋が盗聴されていることを願いつつ、大っぴらに火星市民への不満や悪口をセリーヌへのメールにしたためたのである。
『時折、君と一緒に山の峰で風に吹かれた事、風の香りが懐かしくなる。ここの連中はまるででたらめで、そんなことも理解できないようで話が合わない』
 普段はまめに返事をよこす妻が、このときは3日ばかり間をおいて4日目に返事が返ってきた。
『ご苦労はお察しするわ。がんばって下さいね』
 この短い返事が、セリーヌの笑顔の映像と共に帰ってきたのである。
ラベルは頭を冷やすための時間の後で『まだ、帰って来ちゃだめよ』という宣告を受け取ったのだった。まったく、女って言うのは、世紀末までこうやって男を欺き続けるに違いない。
(ニシダとウルマノフのおかげでいい想い出が出来た)
 20年前、デメテル社から技術調査の目的で火星にやってきたラベルを、大胆にもニシダという中小企業の親父がヘッドハンティングしようとしたのである。会社の規模を考えれば象と蟻の差がある。この男とは妙にウマがあった。そして、ウルマノフという男がラベルの名を記憶して思い出したらしい。
 時計のブザーが鳴った。もう出かけなければならない時間だった。
「教え残したことは山ほどあるが、考えることは教えてある。この老いぼれがいなくても自ら考え、道を切り開くだろう」
 ラベルはその写真を大切に厚手のセーターに包み込んだ。その包みがラベルが荷作りをした最後の荷物である。部屋を見回して荷造りに漏れたものが無いか確認した。この地の思い出と学んだことは心から溢れて、トランクに入りきらない。

 シンカンサイ市の西方のアスクレウス港から定期便で火星軌道上のフォボス宙港に行き、貨客船アトランティックオーシャン号に搭乗して地球に帰国するのである。意外にもフォボス宙港の埠頭に着いてみると、ウルマノフが彼を待っていた。二人は顔を見合わせて黙って並んで歩いた。火星という星が丸みを見せて彼らの眼前に見える。ウルマノフがここまでやってくるとは思わず、別れの挨拶は全て昨日の内に済ませたつもりだった。交わす言葉がない。ウルマノフが重い口を開いた。
「すまない。あんたを守りきれなかった」
 シルチスの火星行政府に出向いたが、彼の在留許可を得ることが出来なかったと言うのである。
「いや。別のことを考えていたよ」
 ラベルは考えをまとめつつ切れ切れに言った。
「今度は、地球の大地の上で、夜風に吹かれながら、空をふり仰いで思うんだ。あの赤い星の連中は、土の香りが染み込んだ風に吹かれることがない。なんて、不幸な連中だ?」
 ラベルの話を黙って聞いていたウルマノフが苦笑いをした。ラベルの表情がお前もその不幸な連中の一人だと語っているのである。
「そのくせ、奴らは荒涼とした赤い砂漠や砂嵐に感動する。なんて変てこな連中だろう。しかし、最後に私は考えるんだ。人類ってのはなんて大きな可能性を持ってるんだ?」
 その言葉を聴くとも無くウルマノフは同じことを繰り返した。
「すまない。あんたを最後まで守りきれなかった」
「おい、おい。何か誤解してやしないか?」
 ラベルは笑って言葉を継いだ。
「私は責任を全うして故郷に帰る。やり残したことは何も無い」
 ラベルは言葉を途切れさせた。イマムラの姿に気付いたのである。地球に向かう貨客船の出発ロビーに技術開発課のメンバーが顔を揃えていた。ウルマノフはラベルに言った。
「最後はあの連中と居てやってくれ」
 ウルマノフの言葉の通りになった。彼らは、ただ一緒に時間を過ごした。別れの挨拶の後だという気恥ずかしさがあったのかもしれない。バレやウィリアムスが何かを口にしようとしたのだが、口ごもってしまうのだった。意を決したようにドノバンがラベルに進み出た。
「先生、随分お世話になりました。感謝しています」
(やっと心を開いてくれたらしい。この日この時まで頑固な男だった)
 ラベルは腕時計を外して時を調節した。
「今日の記念だ。メンバーの人数分、9分ほど時間を遅らせておこう。時計を見る度に、この火星の、のろまな連中の顔を思い出してやる」
 彼の最後の毒舌だった。アナウンスが、出航準備が完了したことを告げた。ラベルが立ち上がってメンバーを見回していった。
「とうとう、飛ぶこともなかったが、みんなで作り上げた船だ。MSB─Xが教えてくれたものを忘れるな」
 搭乗口から振り返って言い加えた。
「『火星市民は信念に祈る』そういう君たちの感性を信じているよ」
 火星の人々が頼るのは神ではなく、自分自身の信念だろうと言うのである。ウルマノフの心にこの言葉が刻まれた。
 遠ざかって行くアトランティックオーシャン号に音がない。静かに闇の中に消えただけである。この後、ドノバンやシンはラベルと会うことはなく終わる。ウォルヒはラベルと再会を果たすのに地球時間で9年という年月を要するのである。

 ウルマノフは、技術開発課メンバーと距離を置いて遠ざかる貨客船を見送っていた。発着する船が宙港の大型スクリーンに拡大して映しだされていた。宇宙船が拡大された姿すら、闇に溶け込んで消えたとき、彼は大きくため息を付いた。ラベルが帰国せざるを得なかった。それは技術開発課のメンバーばかりではなく、ウルマノフにとっても大きな痛手になっていた。
(夢は、破れた)と考えていたのである。
 MSB─Xの開発が不調に終わって、ラベルまで失った。多額の投資はネヤガワ工業に大きな負債としてのしかかっており、次の自社開発には見込みが立たない。現実的に見れば、国産機開発という夢は放棄しなければならないだろう。この時に、目つきの鋭い男がさり気なく一人になったウルマノフに接近した。
「ウルマノフさんですね? 運輸部保安局のリーです。あなた方の新型船について話を伺いたい」
 男は運輸部保安局の局員と名乗った。男が称した局名は略称で、厳密には火星自治州・運輸交通部・軌道空間本部・保安局という長い名称になる。その役割を現代の組織に強引に当てはめれば海上保安庁と言えるだろう。火星近傍の宇宙空間で、捜査や海難救助に当たる。このリーという男の眼光や身のこなしは、そういう任務によるのかもしれない。ウルマノフはもちろんこの男とは初対面だが、この部局については良く知っている。ネヤガワ工業にとって有力な顧客の1つである。通常は、ネヤガワ工業の営業第一課がこの保安局の中の船体整備係という部署に接触していて、この部局からネヤガワ工業のトップのウルマノフに直接接触する例はない。ウルマノフには大きな違和感がある、しかし、このリーという男の出現は、何かの新しい展望も予感させるのである。
 リーはウルマノフを彼のオフィスに案内した。リー個人の話として聞いて欲しいと切り出した。
(提示する能力を持った小型機を造ることが出来るだろうか)というのである。
 リーの提示は文書化されているわけでもなく、日常会話の中のただの冗談にもとれないことはない。おそらく、彼らにとってメーカーに新型船開発を依頼したという事実は、記録には残したくはないのだろう。しかし、単純な理由で、リーの提示はウルマノフにとって魅力に満ちている。MSB─Xはたとえ開発に成功したとしても、売れるかどうかの見込みが立たなかった、むしろ競合他社の船体に対して苦戦したに違いない。リー個人、、、現段階で少なくとも保安局という部局ではない、が提示する条件を満たす船体が開発できれば、導入を検討するかもしれない、つまり、売り上げが期待できるのである。そして、一旦、正式採用されれば、その後のまとまった受注にも繋がるばかりではなく、他の顧客に対してアピールする販売実績にもなるのである。
 日常会話とも取れる面会で、正式な返答をすることは出来ないし、ウルマノフはそれほどお人好しではない。
「返答には1ヶ月、時間を頂きたい」
 ウルマノフは次の接触時期だけ約束した。この1月でリーの提示がネヤガワ工業で実現可能かどうかを探るのである。二人の話題は既に、ネヤガワ工業がフォボス宙港に置いている品質保証部の出先機関に移っている。
「ジーン・フランクリンさんとは再三、」
 ジーン・フランクリンとは、ネヤガワ工業の品質保証部に所属する男で、このフォボス港で製造後のスピカを顧客引き渡し前の試験を担当している。彼らの仕事ぶりを誉めるリーの口振りには、眼光の鋭さを笑顔で隠して、もう先ほどの新型船の話題の片鱗も見られないのである。
 ウルマノフが笑顔で握手をしてリーのオフィスを離れたとき、ウルマノフ個人がこのオフィスで、リーと接触したという事実は残っているものの、その本来の目的は、品質保証部に所属する検査官に付いて会話をしたという事実で覆い隠されていた。
 アスクレウス発着場への連絡機の搭乗時間までの空き時間に、ウルマノフは副社長エバンズと技術部長ストヤンに連絡を付けた。彼がリーに約束した一ヶ月、それは相手がネヤガワ工業から興味を失う限界期間である。その期間内にネヤガワ工業として、技術的な目処をつけて、再びリーと接触しなければならないのである。あまりにも短い期間だろう、余裕は残されていないのである。
 技術部長ストヤンと製造部長カルロスは、N&B社が申し入れてきた予定外の品質監査の対応に忙しく、直接に監査の応対をする設計課などは、従来の作業に加えて、突然の品質監査の準備が加わった。手の空いている人材を回してやりたいところだが、手が空いていそうな技術開発課の連中は、失敗作MSB─Xの破壊試験のためめに慌ただしい。1ヶ月に区切った時間の短さと、そんな約束をしたウルマノフに文句を言う二人の表情が目に浮かぶようだった。

 一方、帰宅するウォルヒも、僅かながら新たな出会いを経験していた。声をかけてきたのは相手の方からである。
「ドノバンじゃないか?」
「ワルデン。どうしてこんな所に」
 そんなやりとりで、ウォルヒは初めて出合った人物がドノバンの友人だと悟った。
「以前、説明したことがあるだろ。都市の外壁を作ってるタイペイ建材ってメーカーの技術者で、ワルデンっていう不良さ」
 ドノバンは不良という言葉で幼なじみの友人をウォルヒに紹介したのである。その表現に相応しく、ワルデンは初対面の人物に対する礼儀を欠いたように率直に、しかし親しげに尋ねた?
「それで、こちらの綺麗なお嬢さんは、お前の彼女?」
「ウォルヒ・パクです。彼女という関係ではありませんが」
 笑顔で応じたウォルヒだが、その笑顔ではなく、「彼女」という関係を否定されたドノバンの残念そうな表情にワルデンは笑った。彼はこの宇宙港の拡張工事に伴う立ち会いでここに居るのだと言った。地表で都市を守る建材は宇宙でも利用されているのである。仕事に戻るワルデンと、地表に戻るドノバンとウォルヒ。僅か数分の出会いだったが、ウォルヒはラベルがちらりと言った絆という言葉を思い出した。彼との出会いが、自分たちの新たな関係や展開に関わってくるのではないかと予感したのである。
 

オスマイル

 遅めの夕食の後、妻のアマリアがイマムラに背を向けたまま言った。
「ねえっ『火星に初めて着陸した船の名』は?」
 妻は突然に妙なことを聞く。イマムラは首を傾げて答えた。
「マリナーかな?」
「ブー。当てはまらないわよ」
「じゃあ『バイキング』だ」
「ピンポーン。正解のご褒美にお煎餅を上げましょう」
アマリアはクイズ番組で正解が出た時の効果音を口まねして返事に代えた。彼女は立ち上がって正解のご褒美の煎餅を取りに台所へ姿を消した。ここ最近、妻のアマリアはクロスワードパズルに凝っているようだ。
(妙な質問を)
 妻の背に視線を転じたイマムラは、ふと、彼女を追って背中から抱きしめたいような思いに囚われた。彼は家庭内で仕事の話をする事がほとんどないのである。まして、仕事が順調とはいえない今は、意識して話を避けている。妻に余計な心配を掛けないようにとの配慮である。イマムラの一方的で押しつけがましい思いやりと言っても良い。疲れて帰宅して、妻との間に会話が少ない。妻との間に一家団欒の片鱗が維持されているのは、妻のクロスワードパズルのおかげだ。彼女はずけずけとイマムラの心に踏み込むことを避けながら夫と会話し、ここに、家庭を作り上げている。もしも、自分に何か功績があったとしたら、その半分は彼女のものだと思った。しかし、残念なことに今の彼には功績らしきものの欠片もないのである。何故かラベルが語った彼の妻の話とダブった。もしも、この二人が出会うことがあったら、気の合ういい友人になったろうとも思うのである。ただ、イマムラは先の初対面の会話以降、アマリアとセリーヌは意気投合して、時々、夫についての不満を慰め合う関係になっていることに気づいていない。
 台所から戻ってきたアマリアと視線が合って、イマムラは戸惑ったように壁のディスプレイに目を転じた。ランプが点滅している。緊急を要するニュースではないが、予め登録してあったキーワードに該当するニュースが録画されているという印だ。イマムラはスイッチを入れた。
 画面に映し出された人物に『運輸交通部 技術担当官オスマイル氏』という補足のテロップが重ねられている。オスマイルにマイクを向けたレポーターが尋ねた。
「いま、火星行政府内で攻撃機に転用しうる小型機を独自で開発するという噂を聞いたのですが、」
 テロ事件が続発して地球との間にきな臭い雰囲気が漂っている。そういう物騒な噂もあるのだろう。
「その問題は同じ運輸交通部でも保安局の管轄でしょう。私どもとしても正確なお答えはしかねます」
 オスマイルは質問をさらりとかわした。浅黒く髭が豊かな顔立ちに温厚そうな微笑を浮かべている。ただし、得てしてこの手の人物はひどく頑固だ。
「知っているけれど話せない?それともご存じ無い?」
「分かりやすい事例を上げてご説明しましょう。最近、一地方企業で新型船開発に取り組みました。運輸交通部側から見て注目していた企業です。販売シェアから言えば火星を代表する企業といえるかもしれない」
「ネヤガワ工業ですね」
 レポーターはそう念を押した。オスマイルはレポーターには直接答えず言葉を続けた。
「しかし、結果は皆さんの方がよくご存じだ。冷静に見て、それが私たちの実力です」
「技術的に見て、攻撃機の自主開発の可能性はないと?」
「私たちはそう判断しています」
 オスマイルは朗らかに笑った。

「いいかしら?クイズ番組でも見ましょうよ」
アマリアが夫を気遣ってさり気なくチャンネルを変えた。イマムラはため息をついた。この前は専門家の評価に叩きのめされた気分だったが、今度は行政側の人物から同じ評価を繰り返し聞いたのである。誰がどんな角度から見ても、彼らはピエロに過ぎないらしい。
 

ムクテイ部長

「妙に、早いな」
 というのがストヤン技術部長の感想だった。N&B社から品質監査の日程を繰り上げたいと打診があったのである。
 宇宙船メーカーとしてのネヤガワ工業の唯一の主力製品は言うまでもなくN&B社のライセンス生産品である。その品質を確保するために、ネヤガワ工業の品質検査に関わる月々の資料はN&B社に送られてチェックを受けている。それ以外に、N&B社の品質保証部は地球時間で4年に一度の割で、ネヤガワ工業の品質監査を実施していた。その製造ラインが、N&B社の定めた条件を満たしているかどうか、作業者がN&B社が定めたマニュアルを遵守しているかなど、事細かくチェックするのである。全ての監査に一週間を割いていた。監査の期間はその製造ラインの一部は止まる。N&B社にとってもネヤガワ工業にとっても大きな手間がかかる。前回の監査が2年ばかり前になる。次回の監査は2年後のはずだ。
 イマムラは品質監査と言うことは聞き知っていてもその経験がない、製造部と品質保証部が対処するはずで、技術開発課には直接には関係はないはずだ。そう思いこんでいただけではなくそれを部下に確認していた。上司のストヤン部長に確認しても、やや冷たい口調で特に君たちの手を煩わす事は無かろうという返事だった。その冷たい口調が、技術開発課解体という噂を思い起こさせる。
 そのストヤン部長から突然の連絡だった。イマムラは首を傾げた。今日までストヤンは監査にかかりっきりのはずで、イマムラは今日までストヤンの顔を見ずにすむはずだった。
「イマムラ君か? MSB─Xの資料を揃えてこっちへ来てくれないか。そうだ。ウォルヒか誰かを連れてくると良いだろう」
 彼がすることはMSB─Xの資料を必要に応じてオープンに出来るようにセキュリティーを調節した。イマムラにとって社内のどの位置でも資料を利用できるはずだ。次にウォルヒに、MSB─Xのガイド役を指示する。イマムラ自身の説明では心許ないと言うことなのだろう。3番目にすることはウォルヒと会議室に向かうことだ。イマムラの選択の余地は全くない。まだまだ、ストヤン部長の信頼は得られていないらしい。
 5分後にイマムラとウォルヒは会議室で紹介を受けていた。キム設計課長の姿も見られる。
来客はN&B社の品質保証部長ムクテイとその部下合わせて3名である。くつろいだ雰囲気が伝わってきた。なにやら笑顔で会話を楽しんでいる感じだ。品質監査は順調に終わったに違いない。
「イマムラ君。N&B社の方々がMSB─Xを見学したいそうだ。案内してくれないか? キム課長を補佐に付ける」
 もちろん、MSB─XはN&B社のライセンス生産品ではなく、ネヤガワ工業の独自の船体である。求められたとしてもN&B社に見せる義務は全くない。むしろライバルとなるかも知れないメーカーには隠すべきだろう。それを求めに応じて見せると言うことは、ネヤガワ工業自身がMXB─Xが失敗作であったと認めて、以降の開発を放棄するということに他ならない。イマムラにとって自らの失敗を責められているような気がするのである。その上、イマムラにとって、ストヤン部長がキム課長を見学の補佐に付けるというのは、次の開発があるにしても、キム課長にその任務を引き継がせようとしているようにもとれるのである。
 MSB─Xは工場の敷地の片隅に放置されている。半ば打ち捨てられていると言ってもいい。ムクテイ部長にとっても監査の途中でシート越しにその姿を見かけているはずだ。
 既にシートが外されて、MSB─Xは久しぶりにその姿を現していた。
「ほぉっ」
 ムクテイ部長は、感嘆ともため息とも判別できない感想をもらした。設計思想というほどの大げさなものではない。宇宙船の設計に技術者の好みといったものが反映されている。その好みは血脈の様に引き継がれて、その好みに技術的なノウハウが蓄積されメーカーの癖として、自然に表面化する。
 この種の小型船の場合、その特徴が最も顕著に現れるのが船体を支えるフレームの構造である。N&B社は前方の居住モジュールと後方の核融合エンジンを一本の太いフレームで接続するという形態に特徴が見られる。構造が単純で、なおかつ、様々な配管やケーブルをこの頑丈で中空のフレームの中に収容する為に、重要なケーブルや配管を保護する意味でも信頼性がある。
 対照的なのがラベルが所属したデメテル社の船体で、フレームが外部に露出しているという点では同じだが、一体化した頑丈なフレームではなく、細い鋼管を幾本も繋ぎ合わせて1つのフレームを構成している。配管やケーブルを集中させずに分散配置していた。
 一長一短があり、どちらの構造が優れているとは言えないが、どちらの基本構造を使うにせよ、船体の強度解析にはそれぞれ異なる経験の積み重ねが必要で、今まで、N&B社の技術の影響を受けているネヤガワ工業が、単独で新たな構造の船体を設計できるはずはないのである。
 そのために、ムクテイ技術部長の目から見て、自分たち以外の技術が入っている、ということが一目瞭然なのである。
「近づいて、触れてみて構わないかね」
「ええ。構いませんよ。質問は私が承りましょう」
 キムがイマムラを制して言った。お前には答えられないだろうと言わんばかりである。
 あくまでもネヤガワ工業として好意で見せている。ムクテイの態度に偵察するという程の不躾な様子はなく、笑顔を浮かべているのだが、目が時折、鋭く光っている。
「リチャード、シルビア、ゆっくり見学させてもらいなさい」
「へぇ。ずいぶんしっかりしたものなのね」
 シルビアと呼ばれた女性が愛犬の頭でも撫でるように船体を撫でた手つきは、その感触で、船体を構成する部品の表面の仕上げを確認しているのである。キムが否定するように言った。
「いえ、やはりスピカにも遠く及びませんよ」
 キムにとって、スピカという船体が物事の良否を判定する材料になっている。ムクテイ部長がMSB─Xの全体像をみて感想をもらした。
「フレームがスピカと違って、随分特徴的ですね」
 さり気なく、何処から得た技術なのか探りを入れているのである。
「ええっ。その通りですね。ご存じの通り、細い鋼管でトラス構造に組んだフレームは構造が複雑で、製造に手間がかかります。私たち設計課で開発を担当していればスピカの構造を引き継いだものにしたでしょう」
 キムが主張したかった点である。
「でも、この構造は軽量化に向いているんだよね」
 リチャードと呼ばれた男は実にうらやましそうに言った。どのメーカーのどの技術者も同じなのだ。強度と軽量化の狭間で頭を悩ませる。彼らは構造が単純化できるというメリットから、筒状のフレームを用いてモジュールを搭載しているのだが、その単純な構造の恩恵に与りながらも、この違った構造が新鮮でうらやましく感じることもあるのだろう。
 トラス構造。橋梁や大型クレーンのアームなどを思い出せばよい。構造材の組み合わせが三角形になっている。その三角形が幾つも組合わさって荷重を支える構造の形式である。MSB─Xの場合、船首のコックピットモジュールから船尾のエンジンモジュールまで5本の鋼管が伸びている。その鋼管を、短い構造材が縦や斜めに走って繋ぎ合わせているのである。
「私たち設計課で作っていれば、、、、」
 キムがその構造について自分の考えを披露した。キムが言うのは、柔軟に大きさの異なる三角形を組み合わせた構造で軽量化するというのである。リチャードが笑って反論した。
「そんなことをしたら、さっきあなたが非難したように、複雑で製造の手間がかかる物になるよ」
 リチャードはキムにも分かるように説明を補足した。
「この船体のいい点はね、バランスが取れてるんだ。軽量化と同時に構造を単純化する工夫が随所に見られる」
「シルビア。あれを見てごらん」
 ムクテイはシルビアと呼んだ部下にフレームを2カ所、指さして見せた。
「なるほど、構造材は同じ形だけれど、接合するモジュールに合わせて素材を変えてあるのね」
 二人の会話にリチャードが参加した。
「あっちはチタン合金だろう。推進剤タンクの当たりはアルミ合金を使ってるんだ」
「接合の仕方も面白いわね」
「エンジンマウントの緩衝構造を見てごらん、エンジンの振動を分散させて逃がしてるんだ」
(技術屋の会話だ)
 少し引きながらイマムラは思った。内容がよく分からない。しかし、リチャードの指摘の通りである。イマムラから見れば同じ形で同じ銀色の構造材である。彼らは、色調か表面の光沢か何か分からないが、構造をその素材まで正確に判別しているのである。生真面目なイマムラは彼らの応対に備えて、船体の全長や総重量やエンジンの出力などについて記憶していた。彼らはそんな物には興味はないらしい。ただ、船体の素材や構造材の隙間の間隔や表面の光沢などを、距離を置いたり、近づいたりしながら、絵画でも見るように鑑賞するのである。
 彼らの会話はよく分からないが、はっきりしているのは、奇妙な物を面白がるということだ。彼らの対応は、キムが言ったようにキムに任せるのが良さそうだった。イマムラはキムを振り返ったが、この同僚も一歩、間をおいていた。技術的な用語が分からないと言うより、価値観が違うのだろう。
 MSB─Xという稚拙な絵画は、N&B社の人々を堪能させたらしい。ムクテイは満足気に言った。
「イマムラさん。私が地球時間で25年前に船の設計に携わり始めた頃は、船の性能というのは、この程度の性能だった。私達にとっても、こういう船が原点なんだ」
 イマムラ達を自分と同列に並べて励ましてくれているのだろう。イマムラを励ますムクテイ部長の手が優しく暖かい。しかし、一方でその言葉がイマムラにショックを与えたのは、彼らが必死に作り上げたものが、25年分の性能の格差があるというのである。もちろん、ラベルの指導が古くさいというわけではない。彼らが入手できる素材が25年分古いというのである。

 品質監査の予定を2年間縮めた。N&B社ではその2年間で、ネヤガワ工業との関係が切れると見ていた。スピカという旧式機のメンテナンスは利益にならない、彼らに与え続けても良い作業だが、新型船アンドロメダのライセンス生産権が得られなかったことに不満を抱いて、N&B社の影響下から離脱しようとするかもしれない。そうなっても、旧式機のメンテナンスを、余った製造ラインでこなせばいいからN&B社にとってネヤガワ工業の動向は影響がない。
 ただ、最近、ネヤガワ工業が独自で小型機開発を試みているらしい。その状況を確認しておく必要がある。今回の品質監査を理由にした実質的な目的だった。
「彼らなら、やるかもしれないね」
 帰社する車内でムクテイが部下のリチャードとシルビアに言った。
「エンジンモジュール周りの補強材は後から追加した物だわ。船体の形状から考えれば、もともと、彼らはタイド社のフェニルⅡを搭載するつもりだったんじゃなくて?」
「もしも、初期に予定していたエンジンを搭載していたら、、」
「俺たちにとっては幸運だったね」
「運不運で片づけるんじゃない。これから私たちは彼らよりも努力するんだ」
(うちの若手にも良い刺激になった)とムクテイは考えた。
 続けて、脅威と言うほどではないが、敬意が入り交じった漠然としていて複雑な感覚を抱いた。ネヤガワ工業が自分たちの影響下にある内は怖くはない。しかし、彼らは何とかその中から羽ばたき、飛び立とうともがいているのである。
 しかし、設計課のキム課長の話によればあの船体も、9日後には破壊試験に供されるはずだ。宇宙を航行するどころか、MSB─Xという略称のまま、正式名称も与えられずにスクラップになるのである。
 ネヤガワ工業の技術開発課のメンバーは、その試験の準備に追われていた。

 数日前から、ひっそりしていたMSB─Xの周りが再び活気づいている。見た目には奇妙な化粧が施されている。新しいエンジンが外されて古びて錆の浮いたエンジンに換装され、塗装が施されたのだが、ガルグレイ一色で塗装されているだけで、スピカのように細かなマーキングもなくのっぺりした外観だ。ただその表面の要所に直径一センチばかりの赤いマークがついており、前後左右、10センチ間隔に線が引かれている。これから受ける衝撃試験で各種モジュールの変形の度合いを確認するための基準になる線と点である。外されたエンジンは既に他社に転売の手続きがされている。
 外観ばかりではない。内部の通信機器、探査機器、他に流用できる機器は全て剥ぎ取られて、今は使い物にならない中古品、或いは鉄や鉛のバラストに置き換えられているのである。破壊するための船体に、新品のモジュールや部品をつけておく余裕はないのである。
 ウォルヒたち技術開発課のメンバーにとって、文字通り心血を注いだ船体に、破壊検査の準備が進められているのである。真っ白な死に装束ではなくて、死刑囚が粗末な囚人服を着ているよう、とウィリアムスは思った。
「でも、惨めで、悔しいよね」
 彼女の言葉に、アサハリが黙って手を止めたのは、ウィリアムスに同意するものがあるのだろう。
 イマムラは試験の立ち会いをドノバンとウォルヒに命じていた。二人にはローウェル大学での性能試験の実績がある、という名目である。自ら望んでいくのは嫌だろう。事実、ウィリアムスやシンなどは性能試験の時には、自分も行かせろと要求したのだが、今回は黙ってイマムラの指示を受け入れた。ウォルヒとドノバンは先にシルチス大学に飛んだ。試験の打ち合わせである。破壊試験のために小型機を大学側に無償で提供する。その代償に大学は分析データーをネヤガワ工業に提供する。ドノバンがそう言う交渉をした。ここでも、余分な資金を使う余裕がない。
 

破壊試験

 試験当日、世の中の騒がしい政治情勢から切り離されるように、MSB─Xの周りは人は気配さえ絶つほどの沈黙で静まりかえっていた。船体は前日から試験台に固定され、幾つものケーブルや配管で外部と繋がってていた。2時間ばかり前からその配管の1つが霜に覆われて白い。推進剤タンクに液体窒素の注入が始まっているのだった。これから、この船体に様々な角度からレールガンで加速した数グラムの小さな弾丸を撃ち込む。その時の衝撃の伝わり具合や各モジュールの破壊状況を確認するのである。もちろん最終的に船体は完全に破壊される。
 推進剤タンクに注入しているのは、本来の推進剤のヘリウムではなく、ヘリウム代わる液体窒素である。化学的に安定な液体を充填して試験を行う。もはや、この船体は推進剤タンクに推進剤が注入され、宇宙を航行することは無いのである。
 ウォルヒはそんなMSB─Xを、試験棟の窓の外から黙ってじっと眺めていた。準備は終了に近づいて居るらしい。ウォルヒは時間をイメージした。時計が彼女の頭に情報を伝えた。午前11時すぎである。昼食時間を挟んで午後1時から試験が始まる予定だった。ブザーが響いて、試験棟の中に残っていた研究員が、最後のチェックを終えて分厚いドアを出てきた。巨大な真空ポンプの音が響きだした。試験が始まるまでに、室内は宇宙空間を再現して、ほぼ真空になる。MSB─Xを見ながら、ウォルヒは耐圧性の窓に手を触れていたのだが、その二重の窓が冷たくなって行く。ウォルヒはその冷たさの中に幼い弟の死の記憶を思い起こして眉をひそめた。ドノバンがウォルヒの肩に手を添えた。
「食事をしておこう。先に課長に連絡を取っておく」
 試験は休日を挟んで12日間に渡って続く予定である。試験に立ち会うために、食事をきちんと取って体調を維持するという冷酷さが必要になる。

 秒読みの完了と共に、レールガンの銃口から溶融した金属が高温のガスになって吹き出すのが見えた。1gのペレットを秒速35Kmという高速に加速してMSB-Xに打ち込んだのである。ウォルヒたちが控えている試験指令室、やや斜め後ろの角度からでは、MSB─Xに外観上の変化は見られない。失敗してくれと言う思いが心のどこかにある。しかし、発射が成功したというのはモニターをのぞき込んでいる研究員たちの会話から分かる。
 ペレットを打ち込む角度を変えながら、この日は、5回の射出で終了した。この日のデーターをもとにして、試験は明日から本格化する。試験棟に空気が送り込まれる。ウォルヒたちが作業に入る番だ。衝撃の伝わり方や振動の数値上のデーターは回線を通じてネヤガワ工業に送られている。ウォルヒたちの作業は自分たちの目でMSB─Xの傷跡を確認することだ。ウォルヒとドノバンはゴーグルをかけた。彼らが見たものが映像として記録される。ドノバンは2mばかりのラッタルを駆け上がり、コックピットモジュール前方の状況を確認した。最初にペレットが打ち込まれた箇所である。ドノバンの人差し指をあてた。
「表面装甲には俺の人差し指の第一関節まで入るほどの凹みが生じているが内部まで貫通している様子はない」
「ペレット衝突による発生した熱のために、塗料は剥がれ、金属層の表面は熱で変色している。まだ、熱い」
 ドノバンはウォルヒに目もくれず、コックピットモジュールの中に入った。ドノバンの気持ちがよく分かる。彼が設計したモジュールである。目の前で破壊されたのだ。落ち着かないのも無理はないのである。平静さを欠いた声だけが伝わってくる。
「現在のところ、外部のモジュールとの接続状況に異常は見られない」
「推進剤タンクを接合するボルトに緩みが見られる。今後一考を要する」
「しかし、居住モジュールは未だ生きている」
 映像を記録しながら10分ばかりドノバンはコックピットにいた。その間、ウォルヒはドノバンをそっと一人にしておいた。
 ウォルヒはMSB─Xの側面に回った。推進剤のタンクには、タンク自体に傷を付けないよう試験用の装甲が追加され、受けた衝撃のみ船体に伝えるようになっていた。MSB-Xを気遣ってと言うわけではない。今回の試験は側面からタンクに受けた衝撃が、船体全体に及ぼす影響を調査する予備的な試験で、衝突したペレットは、この新たに追加した装甲を大きく凹ませていた。推進剤タンクの強度が破壊試験の項目に含まれている。その試験の日まで、タンク自体は無事に温存しておくのである。MSB─Xを保護するのではなく、手順を踏んで効果的な破壊するためのものだった。
 耳に響く音が響き始めた。研究員が音波測定器で船体の状況を調査し始めたのである。測定器が船体に伝える振動をコンピューターで解析して、微細なひび割れや接続の緩みなどの目に見えない破壊状況を調査するのである。
(あの音は、、、)
 ウォルヒは澄んだ音に聞き耳を立てた。ウォルヒたちは既に音で異常を判別する耳を持っていた。ラベルが彼女たちに残した能力の1つである。フレームに歪みはなくモジュール間の連結状態にも問題はないと思った。
 研究員たちの調査は念入りに続いている。研究員たちにとっても滅多に得ることのない貴重なサンプルなのである。ひび割れや接合部の緩みなどを調べ、次の試験の前に、試験に問題が無い程度に補修しておくのである。
 擬人化する、というのは冷静さを欠いて好ましくないかもしれないが、この人々は、MSB─Xを蘇生させながら繰り返し拷問を加え続けるのである。そう考えると、ウォルヒもやりきれない気分だった。

 破壊試験はスケジュールに従って順調に進んだ。その推進剤タンクは既に穴だらけになってしまって、既に本来の用はなさない。他のモジュールも同じだった。よく見ればMSB─Xは穴だらけだが、試験の都度補修されて、その外観は保っていた。しかし、宇宙塵の衝突を想定した微小なペレットを撃ち込む試験が、次の衝突試験に移るとMSB─Xの外見にも影響が現れ始めた。宇宙塵より低速だが大型の物体との衝突を想定して、その船体に機械的に大型のハンマーを叩きつけるのである。船体の外観が目に見えて変化する。変形し、時には小型の探査モジュールなど、船体から剥ぎ取られる。レールガンのペレットの発射音にかわって、MSB─Xの船体自体が軋み、悲鳴を上げるのである。
 試験が続く中で、重苦しい雰囲気が研究員たちにも伝染していた。ネヤガワ工業の技術者たちは、平静さを装う努力はしているが、失望感や悲壮感が滲み出している。そんな彼らを前に、研究員たちは、貴重なデーターがとれる反面、火星市民の手で作り上げたものを破壊する罪悪感にも苛まれるようだ。
 試験棟に意外な人物が姿を表した。タルシスTVのウォーデンである。MSB─Xという船の結末には、もはや報道価値はない。しかし、一人の火星市民として、報道の結末を見ておきたいと思ったのである。
 ウォーデンはドノバンとウォルヒを見つけて会釈で挨拶をしたが無視された。彼らがまだウォーデンに怒りを解いていないか、この試験に集中しているかどちらかだが、ウォーデンにとっても関係がない。彼らはウォーデンにとって、もはや一片の利用価値はないからである。
 ウォーデンの位置から、1Fのフロアーに固定されたMSB─Xが地震にあったように、ガタガタ揺れているのが見える。おそらく、研究員達は、その耐久性を図っているのだろうと、彼は見当をつけた。
(馬鹿馬鹿しい)
 吐き捨てたいほどの思いで、ウォーデンはその光景の愚かさを呪った。研究員の幾人かが何かをぶつぶつ呟いている。何を呟いているのかと考えて耳を澄ませば、
「頑張れ」
「頑張れ」
「負けるな」
 MSB─Xに対して声援を送っているのである。おそらく、本人たちも気付いていないに違いない。ウォーデンは彼らが自ら拷問を加えながら、その拷問の被害者に声援を送るという愚かさについて、心密かに罵ったのである。
 この頑強な船は、その致命的な振動にもよく耐えて、まだ外形を保っており、機能も失っていない。しかし、試験は順調に推移しているようだ。それだけ確認して、ウォーデンは施設を後にした。最後まで見る必要はない、この船は予定通り破壊されるだろう。ただ、あの研究員たちの呟きは、ウォーデンの耳に残って離れない。
「くそっ」
 ウォーデンはうつむき加減に舌打ちをした。それを本人も気付いていない。ふと、ドノバンやウォルヒに別れの挨拶をせずに帰ってきたことに気付いたが、それを後悔する気にはなれなかった。

 そんな馬鹿げた日常も、スケジュールが順調に推移して12日目の最終日を迎えた。驚くべき事に、MSB─Xは未だ生きていた。コックピットモジュールも推進剤タンクも原型を保っていない。しかし、メインスイッチを入れれば、コックピットのコンソールパネルには幾つかの灯がともり、動きはぎごちなくなったが、姿勢制御ノズルが操縦桿に呼応して弱々しく動く。連日の破壊によく耐えて、MSB─Xはその存在を誇示しているのである。
(まるで、自分の運命に抗うよう)と、ウォルヒは思った。
 この船体は、必ずしも全ての人に望まれて生まれて来たわけではないが、本来、破壊するために生まれて来たわけでもないだろう。
 最終日の試験は、MSB─X本体を加速して、前方の金属壁に、船体のフレームが変形するほどの強さで衝突させるものだった。この日、試験指令室にドノバンの姿がない。結果は分かっているのである。壁面との衝突によって、MSB─Xの船首は潰され、船尾のエンジンモジュールから受ける全荷重がフレームをも前方に押し潰す、その強さはフレームを構成する構造材の幾つかを拭き飛ばすだろう。そういうイメージが、正確にドノバンの頭に浮かぶのである。
(試験が終了した)
と言うことを、ウォルヒが彼に伝えに来た。

 実験棟の中で、ウォルヒは足下に転がっていた装甲の破片を見て言った。
「これは居住モジュールの装甲ね」
 その形状や色調や材質からそれ分かるのである。軌道上で小型機の船体を凹ませたものを調査すると、他の船体から剥がれ落ちて漂っていた大きさ数ミリの塗料片だったということも珍しくない。デブリは彼らのイメージを越えた高速で飛翔して、船体に損傷を与えるのである。
「ねえっ。船体が破壊されているって事は、重要部の装甲をもっと頑丈にしなければならないって事?」
 ドノバンはウォルヒの冷静さにやや腹が立った。
「その解決策がラベルさんが言ったフェイルセーフってことさ」
 ドノバンの言葉が不機嫌に短く、ウォルヒは重ねて聞いた。
「装甲だけに頼れないのね」
「例えば、推進剤タンクはその内部が3つに区切られている。デブリに何処かぶち抜かれても、残った部分は大丈夫ってことさ。操縦系統は4系統が独立していて、今朝方まで姿勢制御ノズルが動いたって事は一系統が生き残ってたんだ」
「それを動かすエネルギーは?」
「各モジュール毎にエネルギーコンデンサーがつけられているだろう? 一見、無駄なようだが、仮にコックピットモジュールのコンデンサーが破壊されても残りのコンデンサーからエネルギーを回せるんだ。今朝方まで、居住モジュールにランプが点灯していたが、エンジンのコンデンサーから電力を回していたようだ」
「エンジンには予備はないわよ?」
「エンジンモジュールは1つしかないが、船体の中で最も大きな強度を持っている。万が一破壊されることがあるとすれば、エンジンが破壊される以前に船体は全壊してしまっている」
 MSB─Xの中にはまだラベルから習い足りなかったものが詰まっていたようだった。
 船首の居住モジュールは変形して入り口のハッチが吹き飛んで穴が空いていた。その穴から中に侵入するとコンソールパネルの灯は全て消えて静まり返っていた。どのスイッチに触れても、MSB-Xはもう応答する気配はない。ついに、この船体は宇宙を飛ぶことなく終わったのである。

 会社に残されていたメンバーは、連日、シルチス大学から送られてきていたデーターをまとめるために忙しく費やした。マイペース派のウィリアムスや、おしゃべりなバレでさえ黙って、データーの取りまとめをしている。余計なことを考えることが不安だったのかもしれない。シルチス大学からドノバンとウォルヒが帰社し、彼らの報告をもってデーターの取りまとめは終わった。たった、1枚のデーターディスクである。彼らのこの数年の苦労がこの1枚に集約されてしまった。破壊されたMSB─Xは既に完全に解体され、スクラップになって、この世に存在しない。
 一人になると言うことが、不安であったのかもしれない。技術開発課の部屋には誰も残らなかった。気分が晴れない。MSB─Xが破壊され、試験データーの整理も全て終わって、データーの保管は関係部署に引き継いだ。火星時間で2年半に渡る努力が、今の彼らの手には何も残っていなかった。ラベルという支柱も失って、今後の見込みも立たない。
 メンバーは黙って、ただ並んで歩いていた。気を晴らすためだけに歩いた。突然に、彼らは眉をひそめた。
(耳障りな)と不快に思ったのである。
 選挙が近い。街頭宣伝車が耳障りな声を張り上げてパレードの最中らしい。市民救国戦線という文字が読みとれる。そう言えば、と彼ら達にも記憶がある。シンカンサイ市でアクセ代表がの演説会をするというポスターが数週間前から盛んに街頭で見受けられるのである。街頭宣伝車にその救国市民戦線のアクセ代表が乗っているに違いなかった。
 アサハリが宣伝車に手を振った。アーシャが目をむいて、アサハリの手をつかんで怒りを込めて引き下ろした。何をするのかというのである。アクセ代表と言えばタカ派の先鋒として名高い。愛国心を煽って支持者を増やしている。しかし、一面、その愛国者が鼻をつくのである。個人的な顕示欲を満たすために、火星市民の愛国心を利用されるのは嫌だった。元はと言えば、地球との関係を悪化させ、彼らが使う予定のエンジンが輸入できなかった、その責任もこの男にあるようにも思えたのである。アサハリはその宣伝車に向かって、にこやかに手を振ったのだった。そのアサハリの行為に反感を抱いたのはアーシャばかりではない。
「まあ、まあ」
 アサハリは仲間を制した。最後まで自分の行動をよく見ておけというのである。アサハリは再び宣伝車に笑顔を向けて大きく手を振った。宣伝車に乗る人々もアサハリに気付いたらしく、笑顔を彼に返した。
「市民を喰いモンにする売国奴め。おまえ達にくれてやる議席なんかあるもんか」
 アサハリが叫んだ言葉がにこやかな笑顔と矛盾してすさまじい。
「分かったか? お前らなんか、全員そろって落選だぁ」
しかし、そのアサハリの言葉は彼らがスピーカーでがなり立てる美辞麗句とアサハリの笑顔に隠れて彼らに届かない。アサハリの継いだ言葉には、宣伝車のスピーカーで嬉しそうな言葉が返ってきた。
「暖かいご声援、有り難うございます」
 候補者の意図は別にして、アサハリの言葉と宣伝車の返事は奇妙な会話が成立している。メンバーはアサハリの意図を察した。彼らは飛び跳ねるように全身をふって、笑顔を宣伝車に向けた。そうすれば、熱狂的な支援者に見えるだろう。

「馬鹿野郎。その曲がった根性を叩き直してから来い」
「ご期待に添えるようがんばります」

「がんばって落選するのよ」
「私たちは皆様の期待を実現するために存在しているのです」

「あんたたちなんか、この宇宙から消滅しちゃえばいいのよ」
「皆様の希望は必ず実現させるとお約束します」

 彼らのその一言一句に、宣伝車は深い同意をし、固く約束をし、礼を叫んだ。イマムラたちは街角に宣伝車が過ぎ去るまで、その遊びを続けた。メンバーは腹を抱えて笑った。笑いつつ、彼らの目に涙が浮かんでいる。最初はその遊びが楽しくおかしかった、次にこの2年半の労苦が涙と共に流れ出して止まらなかった。この2年半を無駄に過ごしたのかという思い。敬愛する恩師との別れの悲しみ、これからどうなるのかという不安が溢れ出てくるのである。
 イマムラも目頭を押さえて部下に見られないように涙を拭った。心の底に僅かかも知れなかったが、食いしばった歯の奥に(潰されてたまるか)という思いが残っていた。しかし、具体的に何をすればいいのか見当もつかないのである。
 

試作船MSC─X

 ストヤンは出社後、一杯目のコーヒーも飲み終わらない内に設計課課長のキムの訪問を受けた。
「おはようございます。いま、お時間をいただいてよろしいですか?」
 キムは自分の話を聞けと要求している。断ろうにも、すでに机の前から追い払わなくてはならないほど部屋に入り込んでいる。自信家のこの男らしい。
「朝っぱらから何かトラブルかね」
 ストヤンの言葉には、幾分、皮肉がこもっている。
「ご提案があって来ました」
「いい話ならありがたいが、」
「新型船開発について、話は聞いておられますか?」
「MSB─Xの件だろう? 昨日、破壊試験の最終報告は受け取っている」
「いえ、MSC─Xの件です」
 落ち着いて考えれば推測できたのかもしれないが、この時、ストヤンには新しいコードネームが、ただ耳慣れない響きをもっていて、先のMSB─Xと区別が付かない。ようやくストヤンは怪訝な表情を浮かべた。今一度、新型船開発に取り組むとすれば、その船体のコードネームはMSC─Xと称されるはずだ。
「設計課として、次の新型船開発の仕事を請け負いたいと思います」
 ストヤンは、内々、ウルマノフから打診を受けている。打診と言うより、軽い相談という方が適切かもしれない。技術部として、今後、MSB─Xを上回る性能の船体を開発することが出来るだろうか?と言うのである。彼は返事は保留している。N&B社の品質監査に追われて充分な検討が出来なかった上に、保安局が具体的な要求性能を提示してきたのは昨日のことだ。その話を何処かで聞きつけてきたのだろう。この男の有能さと強引さは、この場に彼らの試作機の原案をデーターにして持参している点だろう。
「このデーターの通りです。MSB─Xを上回る船体を開発する自信があります。私たちにやらせてもらえませんか?」
「まだ、やると決まった話じゃない。関係部署との調整も必要だ」
「製造部のカルロス部長とはすでに話は付けました。営業部を始め、そのほかの部署には副社長から話を付けていただく手はずです。許可を頂ければすぐにプロジェクトの編成に取りかかりたいのですが」
(エバンズ副社長が裏にいるのか?)
 ストヤンはキムの自信の裏付けを推測した。エバンズの直属の部下だった時期があり、彼の人柄については良く知っている。この会社創業当初からの生え抜きで技術者上がりだった。悪人ではないが、技術的な素養より政治的な駆け引きを好む癖があり、今は経営陣に身を置いている。この社の中で副社長派という人脈を形成しているのである。もともと技術者上がりだけに技術部員に顔が利く。ただし、ストヤンという男が極めて中立性を保ちたがる癖があるために、彼を経由すると影響力が失われてしまうのである。そこで、エバンズはキムをはじめとして技術部内に橋頭堡を築いて影響力を拡大しているわけだ。キムは自信に満ちた表情でストヤンの返事を待っていた。あとは、あんたの決断だけだというのだろう。
「キム君。私は君が子供の頃からこの仕事に携わっている。私も肩書きだけじゃない、この仕事については君よりも詳しいつもりだ。決断は私がする。もう下がっていい」
 キムが食い下がった。
「会社の組織から言っても、本来、私たちの仕事だし、私たちがこなす方が効率がいい」
キムの言うとおりだろう。会社の組織という点から見れば、技術部設計課がその任を背負うのが自然だし、日常の仕事と絡めて考えても効率がよい。
「キム君。私の記憶通りなら、新型船開発を設計課から切り離して、独立した部署に任せるというのは君の発案だったはずだ」
 ストヤンには様々な人々の意見を受け入れて熟成させ、自分の判断を生み出して行くという思考癖がある。技術開発課という会社組織から見れば中途半端な部署の設立を命じたのは彼だが、その発案者はキムだった。キムやエバンズの意図は分かる。成果の上がらない仕事から距離を置くのが賢いやり方だ。ただ、MSB─Xの結果を見れば、素人にこの程度のことが出来るのなら、自分達ならもう少しましな物が作れるはずだと考えている。
「俺がこの部署のボスだ。最後の決断は俺自身がする」
 ストヤンはキムに出口を指さした。キムの背を見送りつつ、そのまま設計課には戻るまいと思った。エバンズと次の行動を相談するはずだ。反感ではないが、純粋に技術的な判断に政治色を持ち込まれるのは避けたいと思ったのである。
(政治的なもめ事は俺の判断の後でやってもらいたい。)
 キムが部屋を出ていくのとすれ違いにウルマノフが入ってきた。前もって連絡がない。気の向くままの行動である。
(いつもながら)とストヤンは思った。
 突然に現れるよりも、社長室に呼び出される方が気分が楽なのである。
「新型船の受注の話は?」
 ストヤンはウルマノフが席に座ろうともしないために、やむを得ず席を立って、視線をキムが出ていったばかりのドアに向けて答えた。
「つい先ほど、設計課のキムからも聞きましたが」
 部内の混乱を防ぐために、N&B社の品質監査が終了するまで、部下には何も伝えていない。にも関わらず、キムが試作機のデーターを持ってきたと言うことは、副社長を通じた独自の情報ルートを持っているらしい。優秀な男には違いないのだが、先走る傾向があり、やや不愉快な感じも拭えないのである。
「次の新型船開発を自分に指揮させろというのかね」
「そういったところです」
 キムは設計課で作成したという独自の案をデーターディスクにして持参しており、皮肉にも技術開発課から回ってきたMSB─Xの破壊試験データーと並んでいた。
「あの男ならそう言うだろう」
「それで、具体的な話にまで進んでいるのですか?」
「昨日、提示された要求性能を満たせるかどうかの問題だ」
 それだけ言ったウルマノフは黙りこくった。確かに気楽に決断を下せる問題ではないだろう。MSB─Xで既に多額の回収不可能な損害を出している。次に失敗すれば間違いなく潰れると思った。いや、潰れる以前にエバンズが自分にとって替わるだろう、エバンズやキムは既存の技術力を過信しているらしいが、顧客の要求に取り残された技術力など価値がない。彼の後に残されているのは企業の緩慢だが確実な死である。今は僅かな可能性に賭ける方が良いと思うのである。
「要求性能を満たせば、新型船を導入するという話は本当なのですね」
 ストヤンは再び聞いた。ウルマノフはストヤンにアドバイスを求めて彼に対する返事に代えた。
「君の率直な意見を聞きたい。次の船体は設計課に任せるべきだろうか?」
 今一度、新たな船の開発に挑む、という点でウルマノフの決意は固まっている。しかし、ウルマノフは迷っている。MSB─Xの開発にあたり、各部署から人員を引き抜いて、技術開発課を編成した。しかし、従来の船体に扱い慣れている設計課に任せるかとも思うのである。
 その点、ストヤンも同じである。3日前、MSB─Xの遺産と言っても良い、破壊試験のデーターが技術開発課から回ってきて机の上にあった。莫大な投資をして残ったモノはこのデーターだけなのである。気が重くまだその中身を見る気がしない、イマムラが持参したディスクがそのままの位置に残っている。ストヤンは返事に窮するように黙りこくった。ストヤンはドアに新たな人影を見つけて思った。
(今日はいやに来客の多い日だ)
 製造部長のカルロスである。カルロスはウルマノフの姿を見てやや驚いたようだが、それでも二人を関係づけて尋ねた。
「新型船の内示の話?」
 ストヤンは椅子の背もたれに頭を打ち付けて、やや非難じみた視線をウルマノフに向けた。新型船の話は極秘事項になるはずだ。いったい、この会社のセキュリティはどうなっているのかと問うている。そして椅子を手で示してカルロスに座れと指示した。ストヤンの1年後輩に当たる。ニシダ社長の時代から20年以上もお互いを知り尽くした仲である。
「技術部から、余計なものが回ってきて、生産部が混乱する」
 不満をぶちまけるカルロスの手に、ストヤンの机にあるものと同じデーターディスクがある。ストヤンはこのMSB─Xの破壊試験のデーターの事かと思った。
「高いカネを払ったデーターだ。製造部でも少しくらい有効に使え」
「なんだ、折角持ってきてやったのに。要らないなら棄てるぞ」
 カルロスは手にしたデーターディスクをダスターシュートに投げ込んだ。もとのデーターは技術部のサーバーに残っているので問題はないが、多額の投資をしたデーターをこんな風に廃棄されたら、目の前の社長もいい気分では無かろう。
「うちの課長連中から、今朝方、試作機の試験データーについて相談を受けた」
「製造部の課長連中から?」
 ストヤンはため息をついた。キムという男が製造部長カルロスの頭越しに、自分たちの試作機のデーターを製造部の課長連中に渡して支持を求めたのかと思ったのである。いかにもありそうなことだし、自分の知らない内にそんな相談をされたら、カルロスが腹を立てるのも無理はない。
「キムの話では、新型船の件についてはお前と相談済みだということだったぞ」
「キムの話? 今朝方、俺の所に来たから、もっと現実的な話を持ってこいと伝えておいたんだ。連中にそんな能力があるもんか。奴が持参したデーターを持ってきてやったんだが、いま、お前も要らないって言ったろ」
 カルロスが顎をしゃくってダスターシュートを示した。カルロスが廃棄したのはキムのデーターらしい。
「話をややこしくするな。もっと前向きな話をしよう」
「おいっ。話が噛み合って無いぞ」
 技術開発課が作成したMSB─Xの破壊試験のレポートは極秘にするほどの価値も認められず、ストヤンやカルロスを通じて製造課長や技術部課長にも閲覧可能なのである。カルロスが言う部下の相談事というのは、MSB─Xの破壊試験のレポートのことらしい。
「えらく頑丈な船体だ。これだけの破壊試験をうけて最後まで生きてやがる」
「ラベルさんがいたデメテル社の設計思想が反映されているんだろう。生存性が何より大事なんだ。地球市民の命は火星市民の命より高価だからな」
 別にN&B社のスピカが搭乗員の生命を軽んじているわけではない。ただ、船体を設計するときの重量配分を比較すると、地球や月に販売拠点を置くデメテル社の船体は搭乗員の生命維持にかかわる項目に、その多くの重量を割いているのである。それをストヤンは自虐的に(火星市民の命より高価だ)と称したのである。
「それで、うちの課長連中が言うんだが、もしも、この船体をスピカ並みの船体強度に抑えていたら?」
 カルロスは指摘を続けた。
「エンジンマウント部分の緩衝器だが、今はこんな物を使わなくても、新しい素材があるんだ」
 技術の進歩が早くラベルさえ考えなかった、軽量で、求める用途に適した新素材がある。と言うのである。製造部の担当者のように、日頃、船体に接している人々から見た時に、このMSB─Xという船体や、その設計に携わった連中にも、まだまだ新たな可能性を秘めているというのだった。カルロスは言う。
「親父の言ったことを覚えているか?」
彼らが「親父」という言葉を使う場合は先代のニシダを指した。
「宇宙船っていうのは、頭ん中で造るモンやない。油まみれの腕を使って、こん中で作るモンや」
 カルロスは胸を叩いた。懐かしいニシダの真似をしているらしい。
(まったく、古い技術者って言うのは、)
 ウルマノフはそう思った。中小企業の技術屋の悪い癖から抜け出せない。精神論や根性で経営が成り立つと考えているらしい。
「製造部としては、技術開発課の連中を支持したい。これは製造課長の総意だと考えてもらって良い。俺達はあの連中とやりたい」
 ラテン系の血筋がそうさせるのかもしれないが、カルロスは自分の言葉にわくわくと興奮しているのである。ストヤンはここでラテン音楽でもかけてやれば、彼が踊りだすだろうと思った。
「なんか、こう、久しぶりに胸の中に熱いもんがこみ上がってこないか」
 ウルマノフは二人の会話を聞いていたが、会話の内容に満足したらしい。
「決まったのかね?」
 ウルマノフの問いにストヤンが答えた。
「ええ。もう一度、彼らにやらせましょう」
「では、製造部と技術部は、可能性があると判断するんだな?」
 そんな問いに、二人の部長は頷いて、最後の返答を促すようにウルマノフの顔を眺めた。ウルマノフはため息と共に、決断の言葉を吐き出した。
「ラベルさんによれば、火星市民というのは神ではなく自らの信念に祈るそうだ。火星市民を信じ、自主快活に祈るか」
(早い方が良い)とストヤンは思った。
 時間を置けば、開発反対論者の様々な妨害も入るだろう。
「技術開発課につないでくれ」
 ストヤンはイマムラを呼び出した。
「良かった。責任はお前が取ればいい」
 カルロスはストヤンから見れば無責任なほど大きく笑った。この判断によって、ストヤンは大きく責任を負った。ずっしり彼の背にのし掛かっている。
(ああ、親父の時代は良かった)
 ストヤンはそう思った。ニシダの元で余計な事は何も考えずにモノ造りに専念できたあの時代が懐かしいと思うのである。
 ウルマノフはその表情を見ながらストヤンの胸の内を読みとって、そして、思った。
(お前達のその古き良き時代に、この俺は毎日資金繰りに駆け回っていたことを知っているか?)

 イマムラが部長室に姿を見せたが、入り口で立ち止まってしまった。MSB─Xに関するファイルを持っているところを見れば、3日前、部長に回したデーターの説明を求められているのだと考えていたらしい。それにしては、室内の雰囲気が明るい。その雰囲気の明るさに面食らっているのである。
「これは俺が預かっておいてやる。あとは二人の話を聞け」
カルロスは現場上がりの太い腕でイマムラからファイルを取り上げて部屋の中に押し込んで立ち去った。
「さあ。忙しくなるぞ」
 


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