閉じる


<<最初から読む

17 / 43ページ

シドニー・ウォーデン

 いったん完成した試作機は、エンジンモジュール部分で再び前後2つに分割されて、2台の運搬用の大型トレーラーに乗せられていた。この工場の敷地から幹線道路に船体を無事に搬出するために、小さく分割しなければならないのである。N&B社の施設が巨大であるばかりではなく、幹線道路沿いに建設されているのが羨ましい。N&B社なら、こんな手間をかけなくても済むはずだった。
 2台の大型トレーラーはローウェル市のローウェル工科大学工業実験センターに向かうのである。ドノバンの出身校である。1号車の助手席にはドノバンの姿が、2号車の助手席にはウォルヒの姿が見える。二人を見送るガーヤンとバレが顔を見合わせた。
「くそっ。N&B社なら自前の試験センターがあるのに」
「銭も設備も無けりゃ汗を流せばいいのよ」
 ガーヤンが悔しそうに地団駄を踏んで、バレが子供をあやすように答えた。新型船開発において、その製造の許認可という点で行政が関わっている。試作段階で安全性を確認し、宇宙空間を航行する許可を出すのである。

 スピカの場合はN&B社のライセンス生産品であり、その母胎となった試作機の段階で、宇宙空間を航行する許可が下りている。この後に製造する全てのFW201や火星仕様のスピカも宇宙空間で試験航行する事が出来る。この試験航行によって、ネヤガワ工業は製造した船体が人を乗せて航行するための様々な安全基準に適合していることを確認するのである。この一隻ごとの確認試験もとに、行政に販売認可の申請を行い、顧客に引き渡すのである。
 今、メンバーの目の前にある船体の場合は、現段階ではメーカーの実験機でしかなく、仮に船体にその能力があったとしても、法律上、宇宙を航行することが出来ない。船体の強度試験。居住モジュールの安全性試験。エンジンの安全性試験。通信機器の信頼性。様々な試験について、一定の基準を満たしたと認定された時に、この試作1号機は宇宙空間を航行する許可を得るのである。この許可が下りなければ、新型船は宇宙空間を航行することがないまま終わる。メーカーにとって重要な試験なのである。そのために、N&B社を始め小型機の開発メーカーは通常は社内にその試験設備を有している。ネヤガワ工業はその設備を持たなかった。試験施設の面積を見ても、ネヤガワ工業の敷地を遙かに上回る面積を要するだろう、一中小企業に過ぎないネヤガワ工業に持てるはずのない施設である。そのため、試験施設を求めて、ドノバンが出身校のローウェル工科大学と掛け合った。大学の実験の合間に割り込んで、試験設備と研究員を2週間ばかり借り受けるのである。もちろん、多額のリース料を支払う。
 トレーラーを見送る人々の中にウルマノフの姿がある。ネヤガワ工業の経営陣にとってこの試験結果が新型船の今後の判定基準になる。この試験において、MSB─Xの能力の概算値が判明する。行政の認可を得ることが出来たとしても、それは宇宙空間を航行しても差し支えないという許可にすぎない。経営者として別の悩みがあった。少なくとも、この試験結果に置いて、競合他社の船体と同等の性能を示すものでなければ、この開発は失敗だったと判断するしかないのである。
 行政の認可がおり、性能も他社の船体と同等だとして、今度は船体を宇宙空間まで運んで、宇宙空間で新型船のテスト航行を行う。その試験航行に同行し、様々な試験データーを計測する試験司令船が必要になる。試験には約3月がかかるものと推測されていた。その期間の試験司令船のチャーター料が850万OSAと見積もられている。ネヤガワ工業の年間売り上げの4%に相当する。苦労して稼ぎ出した純利益の大半を消費することになるのである。ウルマノフにとってまだまだ頭を悩ます問題を残している。
 ウルマノフは経営者らしく、今回の試験結果でMSB─Xの今後を判断するつもりである。多額の費用を要した新型船だが、他社製品に比すべき能力が無いのなら、この段階で計画と試作船を破棄する。というのである。可能性のないものにこのまま深入りすることはネヤガワ工業の企業体力から考えて耐えきれない。
 ウルマノフは出発したトレーラーをじっと見送っていたが、その姿が視界から姿を消すと、暗い表情のまま残った技術開発課メンバーを振り返った。メンバーの表情も暗い。工場で再設計したMSB─Xが完成するのを待つように、ラベルが疲労で倒れたのである。ラベルの元気のいい怒鳴り声で、メンバーは彼の年齢を忘れているが、既に80歳を越えているのである。メンバーに疲れは見せなかったが、不慣れな土地で、疲れを貯め込んでいたに違いない。医者からは、幸い短期の静養ですみそうだという報告を得ており、彼らを多少ほっとさせている。しかし、MSB─Xを送り出すこの場に、開発の支柱になった人物が欠けているのである。
 見送りを受けつつ、2台のトレーラーは出発した。見送る人々の表情は一様に期待より不安が大きいと言っても良い。一方でトレーラーに乗るドノバンやウォルヒにも状況は変わりがない。
「へえっ。火星市民の自主開発船ねぇ。珍しいモンを運んだってカミさんに教えてやらなきゃ」
 1号車の運転席でトレーラーの運転手とドノバンの会話が弾んでいる。先ほどまでむっつり黙りこくっていたドノバンが朗らかに話し始めたのである。黙っていれば不安と責任で気分が落ち込んで行きそうだった。対して、2号車の運転席は静かなものだ。ウォルヒはむっつり黙りこくって考え込んでおり、初老の運転手は、彼女に話しかけられる雰囲気ではない。2台のトレーラーはシンカンサイ市を離れ、9号線を東に走っている。片側2車線、半ば地中に埋まるように建設されていて、丁度、トレーラーの運転席の高さまで壁面があり、壁面に添って転々とライトの光が淡い青に輝いている。空には透明な天井を通して、ほとんど瞬くこともなく星が輝いて見える。9号線はこのままタルシス台地をゆったり下ってルナ平原に向かうのである。
 出発して数十分を経過したのだが、ウォルヒは黙りこくったまま、凍り付いたように身動きもしない。視線は運転席前方を見ているが焦点はおぼろげで、時折、堅い表情の中で瞬きが無ければ彫像と変わりがない。ウォルヒは後からこの時のことを振り返ることがあるのだが、自分が何を考えていたのか、まったく覚えていなかった。
 ただ、彼女が記憶を取り戻すのは、突然に、運転席が暗くなった場面からだ。彼女がふと我に返ると運転席が暗くなって、運転席のパネルの表示ばかりが輝いて見える。息が白い。運転席の空調機も止まったに違いなかった。9号線の内部は外気から遮断されて与圧されてはいるが、トレーラーの外は氷点下の温度に近い。呼吸の度に冷たい空気がのどの奥を冷やしている。ウォルヒは運転席の男を見た。
(こんな所で、故障かしら)と思ったのである。
 男の笑顔がそれを否定した。
「あんたも運がいい。良いものを見せてやろう」
 男はハンドルから手を離して前方を指さした。もちろん、運転は彼の思考ロボットが担当している。そして自分も頭の後ろで手を組んでシートにもたれかかった。まるで、今から始まる映画を待ち受けるような仕草だった。ウォルヒは今度は焦点を定めて、視線を前方に向けた。上空は暗く、瞬くことのない星が輝いているが、地平線の彼方が、ぼんやりと柔らかな薄紫に輝いている。夜明けが近いのである。トレーラーはその夜明けに向かって走り続けている。2人はしばらく黙って前を見続けていた。頭の芯がさえ渡るようで冷たさが心地よい。
 突然に、眩い光が前方から走ってきて、2人を貫いて後方に過ぎ去っていった。ウォルヒは驚いて、思わずその光を追って、トレーラーの後方まで振り向いた。地平線の向こうから、朝日が9号線沿いに道路や壁面を一直線に照らし出したのである。
「綺麗ですね。夢の中みたい」
 まるで光の通路を、朝日に向かって走っているような心地よい感覚に捕らわれる。
「面白かったろう」と運転手は自慢気に言った。
 9号線の、この付近は東西にまっすぐに伸びている、晴れた日の夜明けにここを通過すると、この光の通路に出会うことを知っていたのである。
 運転手は再び車内の環境を彼の思考ロボットに任せた。車内に暖かな空気が戻り、ウィンドグラスが色づいてまぶしさを遮断した。それからじっとウォルヒを見つめていたのだが、不思議そうに言った。
「へえ。やっぱり生きてたんだな」
「えっ?」
「あんたが全然動かないから、人形みたいだって思ってたんだ」
 半ば本気で言ってるのかもしれない。木訥とした笑顔で冗談か本気か判別できない。ただ、一片の悪気も無いらしい。ウォルヒは彼につられるように微笑んだ。メンバーですら知らない柔らかな笑顔である。

 シンカンサイ市とローウェル市を結ぶ9号線は、シンカンサイ市から東に走って500km程の所で、サモア中継所を通過する。ここは町と言うには小さい。しかし、霧で有名な南西のシナイ平原を経由してシャクルトン市に至る118号線、北のビウス市と南のソリス平原にあるアリオン市とを結ぶ98号線など、火星の大動脈が合流して、明るく、荒っぽいという雰囲気に満ちていて、豪快な活気がある。MSB─Xを運搬する大型トレーラーは、予定通りこの中継所で燃料の水素を補充した。同じ大型車でも、宇宙船を運搬するだけに、他のトレーラーに比べて大きく、駐車に場所をとる上に、何か特殊な物を運んでいるのかと人々の興味を引く。しかも、荷台にかぶせたシートに透き間があり、いかにも、中をのぞき込んでみたくなるように、人々の好奇心を刺激しているのである。新型船開発を行うメーカーとして、考えられないほどの迂闊さである。ネヤガワ工業が新型船開発に不慣れだという事実は、こういうセキュリティー感覚の欠如としても現れていた。慣れた人間がシート越しにこの外形を見れば、エンジンや推進剤タンクの大きさを見るだけで、この船体の性能の概略や船体の用途を推測することが出来るのである。
 ウォルヒとドノバン、トレーラーの2人の運転手はトレーラーを離れた。夜明け前に会社を発って、既に5時間が経過しており、昼食の時間でもあった。ドノバンが何か腹に入れておかなければならないと思いながら、さっぱり空腹感を感じていないのは、まだ緊張感から解放されていないからだろう。
 ドノバンが乗るトレーラーが停車した後、ウォルヒの乗る2号車が並んで停車した。全長20メートルはある大型トレーラーである。助手席から降りて見ると、停車する2台の大型トレーラーは平行に停車して、その間隔は50センチと空いていない。ウォルヒはその間をすり抜けて歩きながら、その間隔の狭さに運転者の技量を認めて感心した。
「へぇっ。見事なものですね」
「嬉しいこと言ってくれるねぇ」
 もちろん、彼女の思考ロボットのコロンを、トレーラーの運転システムに転送すれば、彼女自身の意志でトレーラーを動かすことは可能である。しかし、この間隔でぴたりと停車させようとすれば、彼女もコロンも苦労するだろう。運転手と彼の思考ロボットは苦もなくそれをおこなっているのである。熟練した人間と、その人間に教育を受けた思考ロボットは想像を超える技量を生み出すらしい。

 このとき、シドニー・ウォーデンの思考ロボットは、中継車を9号線上シンカンサイ市に向けて走らせていた。
 車内は撮影スタッフ兼運転手と取材助手、ウォーデンの3人だけだ。この3人がタルシスTVが昨日のテロ未遂事件の取材に送り込んだ全スタッフである。多発するテロ事件の中で、未遂に終わったため、ウォーデンの上司はその程度の取材価値しか認めていない。3人、とりわけウォーデンには取材価値のない取材にかり出されているという自覚と不満があった。テロが実施されていれば数十人の規模の死傷者を出した可能性のある事件である。
(あのテロリストどもが、もう少しマシな連中なら、)とも思うのである。
「でさ、女に言われて嗅いでみたら、ホンマに消毒薬の臭いがするわけよ」
 取材助手が語るのは、昨夜、一夜を共にした女が、彼の衣服に染み付いた臭いで医者と間違えたという話である。
「病院の取材の時か? テロ事件のレポートばかりだ」
「もっと、ほのぼのした話はないの?」
「おれはこの仕事に付くまでアイドルの追っかけが夢だったんですけどねぇ」
「今じゃ、病院と葬儀屋と警察の追っかけで急しいってか?」
 突然に、ウォーデンが会話を途切れさせて、左の親指で通り過ぎたばかりのサモア中継所を指さして、ムーバーを操縦する思考ロボットに命じた。
「おいっ、ちょっと気になる。引き返してくれ」
「えっ。腹でも減ったの?」
 カメラマンの不満に、取材助手もまたウォーデンの指示に異議を唱えた。
「このまま行こうよ。早めに着いて、ゆっくり風呂に浸かって、血の匂いをおとしたいんだ」
「気になるトレーラーがあった」
 ウォーデンは短く理由を告げ、カメラマンが笑って答えた。
「テロリストの爆弾でも積んでた?」
「いや、高速艇じゃないかと思う」
 ウォーデンは対向車線の駐車場の大型トレーラーの荷台に気付いたのである。テロ事件の取材で衛星軌道上まで足を伸ばすことがあり、取材の特質を現して、危機管理局に所属するレスキューチームの高速艇や保安局に所属する機動隊のパトロール艇を目にすることがある。シート越しに見えたものが、その種の小型機ではないかというのである。
「シンカンサイ市に小型船のメーカーがある。メーカーのトレーラーがここを通っても不思議じゃないだろう」
「アスクレウス港はメーカーから見て逆方向だ。それに、」
 ウォーデンは口ごもった。何か違和感を感じたと言うほか、気を引かれた理由が良く分からない。船首と船尾に分割して搭載していたようだが、その二つを頭の中で組み立てると、ふと好奇心の混じった勘が働いたのである。今まで見たことがあるどの高速艇より大きいような印象を与えたものか、胴体部分のシルエットが、よく見かけるスピカと違っていることに、何となく気付いたのだろう。
「あたしゃどうなっても知りませんよ」
「知ってるか? 保安局の連中が自前の攻撃機を導入したがってるって噂を」
「万が一、戦争になれば、矢面に立たざるを得ない連中ですからね」
「まさか。あれが?」
「奴らはパトカーに対戦車砲を搭載してでも、一戦、交えたいらしい」
「シンカンサイ市での中継はどうするんです?番組に間に合わなくなりますよ」
「ほっとけ、どうせテロの後始末だ」
「ボスには、あんたが説明してよ」
「あれがオレの勘通りの代物なら、オレがボスに昇進してお前らを誉めてやるさ」
 ウォーデンは中継車を方向転換させ、気になる船体を追った。もちろんMSB─Xはウォーデンが考える船体ではない。しかし、このウォーデン達によって、MSB─Xという火星市民による自社開発の船は、注目を浴びることになった。騒動はネヤガワ工業に移った。

「イマムラ君」
 感情を抑えるような声だった。イマムラはストヤンがこういう口調で語りだすときには、機嫌が悪いか、困惑しているかのどちらかだという事を覚えていた。こういう口調で部長室に呼び出されるときにはろくな事が無かった。
 部屋に顔を出したイマムラにストヤンが言った
「タルシスTVの件は、聞いているかね」
「ウォルヒから連絡を受けました。タルシスTVのスタッフから取材を申し込まれたので、此方に窓口を回したと、」
「じゃあ『報道職人68』という番組は知っているな?」
「ええ」
 あまり上質な番組だという印象は無い。職人の名と裏腹に、時事問題を取り上げて、第三者の立場から問題をことさら煽り立てる。冷静な報道という名目で、第三者的な立場を取っているから、出演者やレポーターにとって気持ちよく、時事問題をこきおろせるわけだった。
「今朝方、シドニー・ウォーデンという人物から、うちで開発している新型船について取材がしたいという正式な申し込みがあった」
「取材ですか?」
「そうだ、君の部署の船体についてだ」
 ストヤンはMSB─Xを「我々の船体」と言わず「君の所の船体」と距離を置いた表現をする。ローウェル工科大学実験センターの試験の結果、新型船の性能は思わしくないということも予想される。取材というのは、彼らにとって迷惑な話だった。中途半端な公表をされれば会社にとって損害のみ大きいだろうし、社内においても技術開発課の肩身が狭くなるのが見えている。巻き込まれるのは、少しでも避けたいと思うのは当然の心理だろう。イマムラ自身、避けられるなら避けたいのである。
「私には今回の取材の申し込みはタイミングが良すぎるように思えるし、相手はかなり細かな情報をつかんでいるようだ」
「出来れば新型船の性能が判明してからにしたいのですが、」
「私は、彼らを避けるより、今回の取材を受けるほうが得策だと思う。既に車中には私が許可を取り付けた。あとは広報課と連絡を取って、話しを進めてくれ。当日は君と広報課の担当者が窓口になる、セキュリティの専門家が一人つく。取材の前にラベルさんから技術的なアドバイスを受けておけ」
 相談という形式を取りつつ、ストヤンはイマムラの意見を聞くことなく一方的に決定事項を伝えた。営業畑出身のイマムラはこの叩き上げの技術者に未だに信頼はされていないらしい。イマムラはそう考えて肩をすくめた。
 一方、ストヤンのイマムラに対する評価はやや異なっている。わざわざ調査に来る相手なら、イマムラの経歴ぐらいは調べてくるはずだ。彼は火星時間で1年前まで、技術と無縁の職種の中にいた。しかし、イマムラはよけいな見栄を張る男ではない上に、知らないものは知らないと素直に答えるに違いない。しかも、そう答えても嫌みを感じさせない人柄をしていた。専門家を出せば、取材陣の質問に、専門的に突っ込んだ回答をせざるを得ない。ネヤガワ工業として開発責任者を取材窓口に据えるという誠意をみせつつ、情報が漏れる心配がない。イマムラという男は今回の様な取材の窓口にはうってつけだろう。無垢な素人という点で、ストヤンはイマムラを随分、信頼しているのである。

 取材当日の朝、ウォーデンは総勢3人のスタッフでやって来た。言うまでもなく、本来の取材対象のMSB─Xはローウェル市にある。今日の彼らの取材は、番組のさわりの部分である。視聴者にネヤガワ工業というメーカーを紹介するのである。汎用高速艇という限定した市場のシェアでは、トップクラスの企業と言えなくもないが、一般の火星市民にとって、ネヤガワ工業は一地方都市の、名前も聞いたことがない小企業に過ぎない。
 シンがバレとウィリアムスのためにクジを作り、バレが当たりを引き当てていた。
「こういう場合、やっぱり知性と教養を備えた私でなきゃ」
 そう口にしたバレがレポーターの案内役を務める。ウォーデンが彼女のどちらかを指定したのは、イマムラが案内するより絵になると言うことである。
 イマムラは画面に映らないようについて行くだけだ。撮影ゴーグルで目のあたりは隠れてしまっているが、口元でカメラマンが笑っているのが分かる。イマムラのいじけた様子を見て、あんたも撮してあげようかというのである。イマムラは手を振って断った。ハンディカメラも持ってはいるが、主としてカメラマンのゴーグルを通して、イメージ通りの映像が、彼が腰につけたメモリーに蓄えられてゆくのである。カメラマンの視線は、スピカの製造ラインを借景にして、案内者のバレとレポーターのウォーデンを捕らえた。
「我が社では、N&B社の汎用高速艇FW201のライセンス生産権を得て、火星仕様のスピカとして製造しています。保安局や危機管理部のパトロール艇として皆さんもよくご存じでしょう」
 彼女が伸ばした腕の先に、スピカの製造ラインがひろがっている。この後、社内のセキュリティの専門家に指示された打ち合わせのコースに沿って、ウォーデン達を案内するのである。
「ここは、我が社で解装ラインと呼ばれている区画です。オーバーホールを受ける船体は、まずここで外観をチェックされて、モジュール毎に分解されて、左手の方に見えるオーバーホールの工程に送られます」
(忙しいものだ)
 イマムラは彼らの苦労を思った。取材スタッフはバレの説明の傍ら、工場を駆け回って、作業員にぺこぺこ頭を下げてポーズを取らせたり、イメージ通りの映像作りに忙しいのである。その様子にイマムラは共感を覚えた、まるで、ネヤガワ工業での彼の立場の様だった。
「そして、これらの製造ラインは、全てN&B社の定期的な監査を受けて、同社の製造基準に適合しています」
 バレの言葉にウォーデンが念を押した。
「高度な地球の技術を継承してると言うこと?」
「その通りです。我社は地球時間で4年に1度の監査を受けて、地球メーカーと同等の技術水準にあると認定されています」
 やや寂しい説明である。火星市民の手になるMSB─Xの信頼感を印象づけようとすれば、彼らの工場が地球の巨大資本N&B社の技術面の承認を受けた工場だと言うこと、MSB─Xが地球で開発された技術の延長上にあることをアピールしなければならないのである。
「さらに、私たちはスピカの製造実績を基にして新たな船体を開発しました。それが今回、皆様にご紹介する、新型船MSB─Xです」
「開発に自信は?」
 バレがやや口ごもったためにイマムラが補足した。
「試験の結果にご期待下さい」
 自信があるかと聞かれて、無いとは答えられないのである。ウォーデンは仲間に手を振って取材終了を指示した。わずか1時間に過ぎないが、このメーカーを描き尽くすには充分だと判断したのである。ウルマノフという社長にインタビューできなかったのは、多少残念だったが、報道のシナリオに支障が出ることはあるまいと考えたのである。彼らはシンカンサイ市を離れ、ムーヴァーの目的地を本来の取材対象があるローウェル市に向けた。ムーヴァーの中で先の取材内容を編集しつつ時を過ごせば、ローウェル市に着く頃にMSB-Xの最後の試験が始まる頃になる。
 ウルマノフは出張先から彼らの取材に注文を付けていた。
   ①試験の障害になる取材には応じられない。
   ②新型船の性能の数値の公表についてはネヤガワ側の許可を要する。
   ③ドノバンやウォルヒを始め、社員のプライベートな部分に立ち入らない。
 ウォーデンとして、ネヤガワ工業が示した報道の制限に異論はなかった。取材はローウェル工科大学に移って、到着したウォーデンたちは挨拶もそこそこに、研究員の邪魔にならないカメラアングルを求めて施設をうろついていた。
「試験の邪魔をするなって? 貧乏くさい取材制限だな」
 ウォーデンは仲間に苦笑いをした。自分を含めて、火星市民というものに対してである。地球の大資本なら、間違いなく金を払ってでもこういう報道の機会を、積極的に企業宣伝のために利用しようとするだろう。
 試験の障害になる取材には応じられないというのは、裏返して言えば、新型船開発に要するコストを、今以上に引き上げる余裕はないと言うことだろう。小型機の試験設備のない彼らは、高額なリース料を払って、この設備を一時的に借り受けるという形を取っている。大学側としても、本来の研究施設をいつまでもネヤガワ工業に使用させるわけもなく、ネヤガワ工業は多額のリース料を要した上に、契約期間を過ぎれば、試験自体を中断させなければならなくなるのである。
 ネヤガワ工業が彼に課した報道制限は、取材の支障にはならない。ウォーデンが報道したいのは、ウォーデンという報道レポーターがこの新型船を見いだした能力を持っていると言うことと、本来は火星市民の祝福を受けるはずの新型船が、残念なことに、失敗作に終わる。その過程を、火星市民である彼が、火星市民の愛国心に訴えつつ、失敗に至る悲劇の経過を報道するのである。ウォーデンの中では既に、MSB─Xが失敗作に至るシナリオの結末まで出来上がっている。そのシナリオの結末は、彼にとって確固として揺るぎがない。別に、彼がネヤガワ工業に対して偏見や悪意を抱いているわけではない。ウォーデンは既に小型船開発の専門家と称する人々の幾人かに、火星市民による自主開発について意見を求めていたのだが、肯定的な意見は全くなかったのである。

 ウォーデンはドノバンやウォルヒというネヤガワ工業の社員と、この試験施設で2週間ばかり行動を共にする。その初日にウォーデンは夕食に誘うと言う形で、ウォルヒとドノバンという人物に触れておこうと思った。
 ウォルヒという女性に『ステンレス・プリンセス』というニックネームがあることは、ネヤガワ工業の取材の時に聞き知っていた。たしかに表情に乏しく笑顔が硬い。このメーカーは新型船開発に不慣れで、役割分担がはっきりしていないのだが、イマムラという男は素人だ。ウォーデンはこの表情に乏しい女が、実質的な主任設計者だと性格に見抜いていた。番組を盛り上げるためには、この女の話を聞く必要があるだろうと考えたのである。
 ドノバンやウォルヒのプライベートな部分には踏み込まないという約束なので、カメラを回すのは避けていたが、ウォーデンは胸のポケットの中の録音機のスイッチを入れてレストランの席について二人を待っていた。
(絵になりにくい女だ)
というのがウォルヒ・ウォルヒという女の初対面の印象だった。化粧っ気がなく表情が乏しい。そればかりではなく口まで重い。
(緊張しているのだろう)とウォーデンは思った。
 仲間の期待を背負ってここまでやって来た、今後の成否が自分たちにかかっているような気がして落ち着かないのだろう。彼らの会話は弾まず、質素な食事を追えたウォルヒは、ウォーデンが勧めるワインを断って席を立った。結局、ウォーデンは得ることもないまま食事を終えた。とうてい二人を酒に誘う雰囲気ではなかった。
「胸に銀色のペンダントをつけているほか、全く化粧っ気はない。絵になりにくい女だ」
 ウォーデンの録音機にはそういう呟きが残っていただけだ。

 ウォーデンの取材対象は、実験棟内の一階フロアーに固定されていた。MSB─Xには幾本ものケーブルが接続されていて、このケーブルから伝えられる船体のデーターは、ウォーデン達取材スタッフが陣取る3階の試験指令室に送られている。この試験司令室から1階フロアーのMSB─Xの全景を撮影することが出来、絶好のカメラアングルだった。
 研究員達はモニターに現されるデーターを読みとっている。
「積載重量53.86地球トン、重心位置座標、」
「ヨーイングコントロール、0.8秒、減衰率22.3%、」
 専門的な用語の羅列でウォーデン達には分からないが、別に問題はない。そんなものは、視聴者にも興味はないからである。
(しかし、彼らの表情は実に絵になる)
 ウォーデンはそう思った。初日の緊張感のあったウォルヒとドノバンの表情が日々変化している。失望や怒りや絶望が加わって視聴者の興味を引く実にいい絵になる。数値で試験結果を追うより、二人の表情の変化が、そのままMSB─Xの試験結果を、分かりやすく率直に現しているのである。

  判定
    加速性能   :要求性能に達せず
    姿勢制御能力 :要求性能に達せず
    航続時間   :要求性能に達せず

 これが、この二人が最終日に得た結論である。要求性能が引き上げられたという、彼らにとって思いもかけない理由である。理不尽な運命だが、彼らが迂闊といえなくはなかった。MSB-Xの報道は、もちろんN&B社でも把握している。N&B社がMSB-Xの試験とタイミングを合わせるように、アンドロメダのエンジン換装を発表したのである。エンジンの出力増大によって彼らの船は格段に性能が向上する。MSB-Xはその船の性能に達せず、旧型エンジンの出力向上も望めなかったのである。もちろん、エンジン換装などまだまだ先の話だが、その発表によって拡張性のないMSB-Xは息の根を止められたのである。
 カメラはセンサーやケーブルが外されていくMSB─Xを撮影した。今回の試験が完了したことを象徴する映像である。ウォーデンはカメラマンに指示して、そこにドノバンとウォルヒが肩を落とした後ろ姿を重ねさせた。ウォーデンは最後に確認したいことがあった。ウォーデンは二人に近づいて尋ねた。
「それで、ダメだったんでしょう? この船体はいつスクラップにするの?」
 ひどく残酷な質問だと言うことは分かっている。ウォルヒは一瞬目を見開いて怒りを露わにしたが、何も反論できずに黙りこくった。しかし、ウォルヒはじっと正面を見据えて視線を逸らさない。
(いい目をする)
 ウォーデンはそう思った。同じ火星市民として救われた思いだった。その彼女が胸元に何か握りしめていた。
(こんな女でも何かに祈る事があるのだろうか?)
 小さな銀のペンダントで、「火星の息吹」の事故の遺族だと言うことを示す品である。ウォーデンは彼女が事故の遺族かどうかと言うことに興味はない。ただ、彼女が試験を祈るように眺め続けたその視線の先に、神ではなく、彼女に連なる肉親の姿があったと言うことを知った。
 

報道

 ネヤガワ工業の社内では、取材の直後から、報道の日程とその内容について関心が高まっていた。
「うちの会社が全国ネットワークで放送されるんだ」
「ねぇ。私は映っているかしら」

 ネヤガワ工業のような中小企業にとって、報道取材というのは初めての経験である。社員は皆、その片隅にでも自分の姿が映っているのではないかと興奮し、気の早い者は家族にもこの番組の中で自分の姿を探すようにと命じていたりした。MSB─Xの試験結果が思わしき無かったという結果は、ローウェル工科大学に出張した2人から入った連絡を通じて、うわさ話として全社内に広まって居る。社員たちは、その結果ではなく、自分の姿が全国ネットで映しだされるかもしれないという事に興奮しているのである。
 番組は一般公開を待たず、電子ファイルとしてネヤガワ工業に届けられていた。社内で番組を流す昼の休憩時間には、食堂のあるスクリーンの回りが社員で埋まった。

 番組の始まりは、おおむねネヤガワ工業とMSB─Xに対して好意的な内容といえた。
 映像の視点が良い。普段、ここで働いている社員にさえ、こんなに広々として、整理整頓の行き届いた最新工場だったのか?と感心させるほどである。
 映像を見たラベルも素直に感心した。
「ほおっ。いろいろ参考になる」
 壁際に立って、他に対比するものが無いまま、ゆっくりと壁面を見上げて天井のクレーンを小さめに撮せば高さが強調される。やや高めの視点から、画面手前にはみ出るほどに大きく作業者を撮し込んで、部屋の端のスピカを小さく撮し込めば、作業場の奥行きが強調される。ずいぶん広々とした工場という印象を与えるのである。
 最新設備を備えているように見えるのは、新しい設備機器を手前にして、古い設備が隠れるような角度の映像を繋いでいるからだ。事実を報道しているのは間違いないのだが、その種の映像上のテクニックを多用して、番組のためのイメージを造っているのである。
 その映像を背景にしてアーシャ・バレの工場の説明の音声が被さっている。
「そして、これらのラインは全てN&B社の定期的な監査を受けて、同社の製造基準に適合しています」
 ウルマノフは一人、応接室にこもってこの番組を見ていたのだが、ほっとした様子を見せた。既に試験の結果はウルマノフにも届けられていた。それだけに、これ以上のダメージを被るような報道は避けて欲しいという思いだ。しかし、ここに来て思わず、彼をムッとさせるようなタイトルクレジットが浮かんだ。
『無謀か? 国産機開発。ある中小企業の悲壮な挑戦』
 スタジオの奥にアドバイザーとして専門家が3人、手前に司会者が二人とウォーデンが控えている光景が撮されている。司会者の男が番組の口火を切った。
「もちろん、今回のような宇宙船の自主開発と言うものは、その一面ではなく、多角的に分析し評価をする事が必要でしょう。今回、我々の番組では、レポーターのウォーデン氏による現場取材の他、様々な専門家においで頂いて、この火星における小型船の開発現場の現状を、皆様と同時に見ていきたいと考えています」
 司会者が「航空工学専門家」という肩書きのパットナムを指名した。
「パットナムさん。技術的な面から見た、宇宙船の自主開発についてご説明頂けませんか?」
 MSB-Xの映像を眺めていたパットナムが重々しく頷いて答えた。
「まず、宇宙船は様々な最高技術の集大成なんですよ。おそらく小型船と言うことで、このメーカーは、開発を甘く見ていた部分があるんでしょう」
「例えば?」
「搭載したエンジンモジュールを見て下さい。なんで、こんな旧式なものをつかうんだろう。この船体の用途が分かっていない証拠だね。我々専門家なら、まず、高出力のエンジンを選定するのが常識だね」
「たぶん、価格面を気にしたんでしょう。出来るだけ価格の安いモジュールを使用したんじゃない?」
「ウォーデン君。取材の手応えはどう?」
「先ほどの映像にも流れましたが、このメーカーは名前は余り知られてはいませんが、20年来の小型船の製造実績を持ったメーカーです。この種の高機動小型船で言えば、トップシェアーを占める企業です。その能力を持っていてもおかしくはないと思うんですが」
「でも、ライセンス生産でしょう? 与えられたマニュアルに添って部品を組み立てるのと、新しい物を作り出すことは違うんですよ」
「自主開発といえない?」
「そう。自主開発と言ってもねぇ。ちょっと表を準備したんで、撮してもらえないかな。この船体のモジュール毎に構成する部品を調べたものなんだが、ほら、ほとんど輸入品かライセンス生産品でしょう」
「ああ、部品を組み立てただけ?」
「自主開発っていうにはほど遠いね。今、ワンさんが言ったとおり、寄せ集めの部品を組み立てただけだね」
「最近、地球で高校生が手作りの宇宙船を造ったって騒がれたことがあるじゃない? 宇宙船を構成する部品のモジュール化が進んでいるんで、強度計算ができれは高校生でもやるんだね」
 番組を見ているイマムラたちもその話は聞き知っている。数人の高校生たちが、月面の小型機のスクラップ置き場からこっちの船体からコックピットモジュール、あっちのスクラップからパワーモジュールという具合に各種のモジュールを入手して1つにくみ上げて、密かに宇宙船を作って大人を驚かせたという話である。
 ここ30年ばかりの間に、部品の規格化とモジュール化が進んだ結果、規格に適合するモジュールでありさえすれば、言い換えれば信号を伝えるケーブルのコネクタが一致して繋がりさえすれば、コックピットモジュールから発した操縦信号は船体の各所に正しく伝わって船体を制御することが出来る。推進剤の配管の内径から、ボルトやナットに至るまで、部品の共用化が進んで特定の船体にしか使えないという特殊な部品はほとんど姿を消しているのである。
 もちろん、高校生たちは宇宙を航行する船体を組み立てたというだけである。彼らには宇宙船を宇宙空間に運搬する手段も無く、推進剤をタンクに注入しようとして、警察に補導されたという事件である。
 ただ、専門家がこのニュースを比喩として持ち出すのは悪意がある。ネヤガワ工業では船体の強度や安全性を十分に計算した上で、商業製品として船体を試作した。もともとの技術レベルが全く異なっているはずだ、それをモジュールをつなぎ合わせた高校生と比較して貶めているのである。
「ウォーデン君。この船体の試験結果についてはどう見たらいいんだろう?」
 コメンテーターたちの前のスクリーンに試験中のMSB─Xの姿が映しだされている。画像に合わせてウォーデンが解説を入れた。
「彼らは出来上がった船体を、ローウェル工科大学に運んで試験をしたんですが、残念ながら、競合するメーカーの船体の性能に及ばなかったようです」
 パットナムが、他の出演者に苦笑いをしてみせた。
「そもそも、宇宙船を開発するからには、試作機の試験設備をもっていなければならないでしょう。どのメーカーも持っている設備ですよ。その基礎的な施設がないと言うことは、このメーカーに開発能力もないと言うことだよ」
「そして、さっきウォーデンさんが言ったとおり、この企業は火星で小型機のトップシェアーを占めてる。その企業がこの状態なら、火星で独自で小型船開発をするというのは、無謀なことだね。勢いや思いこみだけで動いちゃいけない、自分たちの力量を素直に受け入れる勇気も必要だよ」
「この試みは無謀だって事? 高校生が作ったんなら誉めてやっても良いけどね」
「オルタンスさん。ローウェル大学の試験結果の数値が出ているんですが、これをごらんになって性能という面から見た場合、この自主開発船はどう評価できるんでしょう」
「さっきの話の続きだが、高校生が作ったものよりましだね」
「まあ、冗談はその程度にして、ワンさん。今度はご専門の経済的に見た場合、この開発が火星経済に与える影響は?」
「経済的な効果と言ってもね、N&B社やデメテル社がこの火星に生産基盤を移しつつあるんです。N&B社やデメテル社で遥か信頼性のある船体が製造されています。現在の我々の技術力を冷静に考えれば、むしろ、無謀な開発に費やす経済損失の方が無視できないね」
「経済損失と言っても、既存のモジュールをくっつけて、あとはそれをスクラップにする費用の損失だけですから、」
「まあ、温かい目で見て良いんじゃないでしょうか?良薬は口に苦しとか言います。長い経験の中では、失敗するって言うのも、いい経験じゃないですか?」
「経験を積むことで次回に生かせれば良いんですが、N&B社やデメテル社が進出してくる以上、彼らにとって、この次はあり得ないでしょう」

 報道の内容に、ネヤガワ工業の応接室ではウルマノフがディスプレイのスイッチを切った。ネヤガワ工業の食堂では、ガーヤンやウィリアムスは息をのんで、バレは昼食のトレイを床に叩きつけて怒りを露わにした。
「ひどい」
 報道の内容はウォーデン達の裏切り行為のように思われたのである。
「うるさいなぁ。どいてくれ。番組が見えない」
 妙に冷静な声がして、バレは振り返った。製造部員である。昼食に食堂に集まっていた人々の視線が彼女たちに集まっていて、その視線が彼女を刺すように冷たい。
「あの番組で嘘を付いてるって言うのか? 全部本当の事じゃないか」
「そうだわ。事実は受け入れなきゃ」
「専門家の人たちも、みんなで否定するんだもの」
「これ以上会社の恥をさらすのは嫌だわ」
 設計課には新型船開発というかっこいい仕事は自分が果たすはずだったという妬みもあるのだろうが、技術部の他の部署や製造部にもMSB─Xについて随分と負担をかけている。その反感が吹き出したのだろう。新型船開発、MSB─Xという船体、その船体を設計した人々、そういうものに向けられた好意的な雰囲気は微塵もなく、気付かない内に、彼ら技術開発課は社内でも社会からも孤立していたのである。
 

戻って来たウォーデン

 あの報道の、わずかあくる日である。突然のウォーデンからの連絡の後、イマムラは部下に問いつめられていた。
「あの連中が、私たちにまだ何か用があるって言うんですか?」
「追加の取材か何か、分からない。我々に直接会いたいそうだ」
 イマムラ自身が彼らの意図が掴めず、事態が把握できていない。昨日の番組に対する怒りが、メンバーの間でまだ収まっていない。むしろ、思い出す度に、怒りが増幅して爆発しそうだった。ただ、この怒りは技術開発課飲みに限ったものらしく、他の部署では冷ややかなほど冷静さを保っている。そんな時期にウォーデンはイマムラに面会を申し込んできたというのである。
「ただの謝罪なら聞きたくもない」
 シンが吐き捨てるように言った。他のメンバーも同じ思いだ。
 ウォーデンは2人のスタッフとネヤガワ工業の受付に現れ、バレが罪人でも連行するような雰囲気で、技術部棟入り口の応接室に案内してきた。技術開発課メンバーが顔をそろえており、部屋に怒気が充満していた。イマムラでさえ、露骨に不信感を現して隠そうともしないのである。ウォーデンらはメンバーの怒りの視線に動じる様子はない。
 席に着いたウォーデン達に、ウィリアムスがドリンクサーバーからマグカップに入れた飲み物を運んで来たのだが、彼女は突然にウォーデン達の頭上にカップの中身をぶちまけた。
「あら、ごめんなさい。手が滑っちゃったわ」
 ウィリアムスは、彼らを睨み付けて姿を消した。
「嫌われたものだな、ただの水か? コーヒーを出してもらうほどには歓迎されていないらしい」
 ウォーデン達は水をかけられたことには触れず、大して気にする様子もなく、ハンカチで水を拭った。裏切りを詫びるわけでもなく、ウィリアムスの挑発から逃げ帰る分けてもなく図太く厚かましい連中だった。話はイマムラから切り出した。
「ウォーデンさん。まず、私たちの方から聞いて欲しいことがある。私は、我々の開発した船体の性能が在来機種の性能に遠く及ばないという事実において、あなた方の報道が正しいと言うことを認めなくてはならないと考えている。私たちの次の進歩がその失敗を受け入れることから始まるからだ」
(なるほど、こういう男だったのか?)
 ウォーデンは思った。何故か、試験の最終日にウォルヒがじっと前を見つめる視線と重なった。イマムラは続けた。
「今、この火星の大地の上に10億を越える人々が居る。まだまだ増えるだろう。100年前の人類にこの状況が想像できただろうか。夢を可能にしたのは我々の両親や祖父母が、農夫が大地を耕すように都市を築き、我々を慈しみ育てたからだ」
 ウォーデン達はメンバーの冷たい視線に晒されているのだが全く動じる様子がない。ただ、イマムラの話に軽く相づちを打ちながら聞いている。
「私たちは彼らの血を引き継いでいる。我々メンバーはこの地で我々の船を創り上げる。同じ火星市民として、その同胞の熱意や努力を侮辱する報道が許されるものだろうか?」
 黙っていたウォーデンが突然に話し始めた。
「イマムラさん。専門家連中の意見は一致している。火星市民の手による宇宙船の自主開発を否定する事実は山のようにある。私は私たちの報道が正しいものであったと信じている」
 ウォーデンはここで言葉を途切れさせて部屋の中の人々を眺めてから続けた。
「しかし、イマムラさん。現実というのは面白い。火星市民の祈りは専門家を否定するらしい。それを皆さんに出会って教えてもらいましたよ」
 ウォーデンはメンバーを見回してバレに目を止めた。自分を案内した女だと言うことは記憶していた。他の誰よりも怒り狂った目でウォーデンを睨み付けているのである。
「私たちが今日、ここに来た理由を知りたい?」
 ウォーデンはバレに子供っぽくウインクして尋ねた。バレはぴくりと眉を動かした。たしかに興味がある。しかし、ウォーデンは自らのびしょぬれのハンカチと、びしょぬれの仲間を眺めて、子供のように言った。
「やめた。もう、教えてやらない。でも、間もなくあなた方にも届きますよ」
 3人はメンバーの一人一人に強引に握手を求めて、さっさと姿を消した。彼らの取材と同様に自分勝手な男たちだった。突然にやってきて、何もせず返ってしまった。メンバーにも彼らを引き留める理由はない。
「いったい。何のつもりです?」
「私たちをからかいに来たの?」
 結局、何の説明も受けないまま、ウォーデン達に取り残されたメンバー達は憤懣やるかたなく、イマムラは不満の受け皿になっていた。ベルが鳴り、たまたま、間近にいたウィリアムスがふくれっ面のまま電話を受けた。短い会話を繰り返す彼女の様子がおかしい。

「ウォーデンさん?」
 ラベルは技術部棟の通路にウォーデンを待ち受けるように立っていた。イマムラ達の様子から、あの報道に携わった連中がやってくることを知っていた。ラベルはにこやかな笑顔で握手を求めた。
「ジャン・ラベルです。ここで宇宙船開発の仕事をしています」
 ラベルは彼らに自己紹介をし、駐車場まで送ろうと申し出たのである。ウォーデンも名前だけは知っていた。ネヤガワ工業で宇宙船の自主開発が始まった時期や、宇宙船開発に関わる業績かに彼の記者としての勘を働かせれば、ジャン・ラベルの名がリストに上がる。ラベルは歩きつつ、思い出話でも自慢するように、MSB-Xにおける自らの功績を自慢した。
 ウォーデンは尋ねた。
「火星市民の自主開発ではなくて、地球からの技術導入だと?」
「そうです。独自の思想なんてありません。すべて私の指示通りにやりましたから」
「その話、番組で流してもよろしいか?」
「事実を報道するのがあなたの仕事だ」
「あなたの話が事実なら、今回の失敗の責任の大半はラベルさんにあることになる」
「その通りかもしれないね」
「ラベルさん。私たちは取材に当たって、あなたの経歴も調べさせていただいている。デメテル社でプロメテウスを始め一連の小型機の主任設計者をつとめた人だ」
「よく調べてあるね」
「開発担当者として高名な方だ。こんな報道は下手をするとあなたの経歴を泥まみれにしますよ」
「今は、失敗を笑って吹き飛ばすピエロが必要だ」
 この短い会話を、ウォーデンはニュースの原稿に代えて、頭の中で整理していた。しかし、興味を引くものではない。彼自身の存在を誇示するという目的は達していて、この会話にそれ以上の価値は見いだせない。また、ラベル自身も彼らと顔をつきあわせて取材を受けているわけではなく、ただの世間話にしか過ぎない。
 四輪ムーヴァーで帰社する3人をラベルは門まで見送った。窓の外に小さくなって行くラベルの姿を見てウォーデンが言った。
「あの男。失敗を背負って地球に帰るつもりだな」
ウォーデンは車内の端末でニュースのトピックスを閲覧した。次のターゲットを探すのである。それは彼らレポーター同士の情報交換の場で、一般の人々の目には触れない。貪欲な目つきでトピックスの1行毎に目を光らせた。
『技術供与制限法、対象拡大か?』との項目がある。ウォーデンの興味を引くことはなかった。

 その日、ウォルヒとドノバンが会社への回線が繋がりにくいという実感を抱いていた。連絡が彼らに届けられたのは、あくる日の残務整理に忙しい時だった。連絡をもたらしたのは大学の研究員である。ローウェル工科大学への直通回線を利用したのだろう。研究者は通信内容を電子ペーパーに転送してウォルヒに届けた。研究者の表情がこぼれるほど明るい。
 ウォルヒがその電子ペーパーを読みながら湧き上がってくる感情を抑えるように、細かく肩を震わせている。ドノバンが彼自身、ウォルヒを励ますと言うよりも、自分を納得させるために大きく頷いて、ウォルヒの肩を叩いた。研究所の所員たちはそんな二人の周りに輪を作って温かく見守っていた。ネヤガワ工業では、事務員が事務所内を駆け回るほどの混乱にようやく回復のめどが立ったところだ。昨日来、通信回線が麻痺して、臨時の回線を確保するまで、2時間に渡って社の回線が麻痺した。20万通を越える市民から寄せられた電子メールがサーバーのメモリーをパンクさせていたのである。
  ウォルヒは電子ペーパーに見入っている。
いかにも子供のつたない宇宙船の絵が書いてあり、『こくさんき』という文字が添えられている。ページの切り換えスイッチに触れて行くと、様々な人々の思いが伝わってくるのである。
『私たちにだって、やれるんだ』
『火星市民の夢。火星市民の希望』
『火星歴63年。我々、火星市民の新しい出発の年になった』
 番組を見た全国の視聴者から、彼女たちに寄せられた励ましのメールである。失敗に重く打ちひしがれていたウォルヒたちにとって、これらの名もない市民から寄せられた激励は、じんわり浸み行って心を潤す思いだ。

 夕食後、二人はそれぞれホテルの個室にこもって過ごした。彼らを取り囲む研究員の声援もありがたかったが、一人になってゆっくりとメールを味わいたいという気がしたのである。ドノバンにはウォルヒとは別に、彼女に打ち明けるには気がかりな点がある。よほど決心を要したらしい、困惑する様子を隠せないまま、隣室のドノバンからウォルヒに連絡が入った。
「ウォルヒ。手短に言う。君にまだ伝えていない会社からのメールがある。例の法案が可決された。明日、先に社に帰ってくれ。ボクもこっちの残務整理がつき次第、帰る。じゃあ、メールを転送する」
 ドノバンの通信が切れ、ウォルヒはモニターに映し出されたメールを読んだ。短い言葉が並んでいる。
『関係者通知。技術供与制限法追加法案可決』
『派遣技術者にも対象の網が広がる』
『ラベル技師、帰国の見込み』
『交渉継続の可能性無し』
 火星時間で1年前に、彼らから新型船の核融合エンジンを奪った法案が、今回は彼らの指導者さえを奪おうとしていたのである。ネヤガワ工業があるシンカンサイ市と、ドノバン達のローウェル工科大学があるローウェル市には約2時間の時差がある。
 イマムラが追加法案の件を知ったのは昼過ぎである。情報収集を始めて、およその概況をつかんだのは夕刻になっていた。イマムラは多少迷ったらしい。明日の朝の定時連絡まで待ってドノバン達に伝えようかとも思ったのである。しかし、部下に隠し事をするような後ろめたさがあったのだろう。ウォルヒと共に食事を終えてホテルに帰ったドノバンは、イマムラからのメールに接したのである。
 ドノバンがホテルの部屋からイマムラの自宅に連絡を取ると、イマムラは彼の連絡を待ち受けていたように応対をした。状況が好転したという話はなく、メールの内容を繰り返すだけだ。社長が夜半、最終便でシルチスに飛んだらしい。火星行政府にラベルの在留許可を求める交渉に赴いたのである。しかし、事態が好転する可能性はほとんど無いだろうという。
 通話を追えたドノバンは、ベッドに横になって考えた。課長が俺を連絡先に選んだのは、ラベルを敬愛するウォルヒが直接そんなニュースに触れたら動揺が激しいと考えたのだろう。彼はことごとくラベルと対立していた。自分の冷静さが信用されているわけではなく、その仲の悪さを見込まれたのである。
 ホテルに戻った後、着替えもせずにベッドに横になってしまっていた。作り上げてきた船体の性能が要求性能に達しなかった、日々その事実を突きつけられてきた失望感と、連日の試験の疲労が貯まっていて、着替える気力も萎えてしまっている。そのくせ頭の芯は冴え渡っていて眠れない。雑多な想い出や想像が湧き上がってくるのだが、短く断片的でまとまらない。ドノバンはいつの間にか、窓の外から聞こえる音に耳を傾けていた。幹線道路沿いの安ホテルである。窓から様々な音が侵入してくるのである。いつの間にか空っぽになった頭の中に、そんな生活の音が侵入して流れ去って行った。夜の10時だというのに、幹線道路を行き交う車に切れ目がない。大型車や小型車の音を聞き分けることが出来た。タイヤが軋む音がして、小型車が突然に方向転換をしたに違いなかった。工事関係者の声が小さく混じっている。夜間の内に工事を終了させてしまわなければならないのだろう。
(あの連中はこの時間まで働いて、いくらの夜勤手当を稼ぐのだろう)
 ドノバンはそう思いつつ苦笑いをした。妙なことを想像したような気がしたのである。ただ、町や人が生きているという実感は悪くはない。ドノバンはしばらくその雰囲気に身を委ねた。
 突然に、かん高いハウリングに乗せて、駐留軍の撤退だの火星市民の誇りだのという単語を羅列する声が近づいてきた。「愛国市民戦線」だか何かの街頭宣伝車である。この間の選挙で議席を幾分増やした。調子に乗って嬉しさに浮かれているのだろう。ドノバンは眉をひそめた。地球市民は嫌いだが、この連中も大嫌いだ。彼の人生の選択肢の片方に常に何かが立ちふさがっているような閉塞感があって不快だった。ドノバンに選択肢を与えないと言う意味で、地球市民と愛国市民戦線に代表される人々は変わりがない。自分の進むべき方向は自分の意志で決めたいと思うのである。
「あのテロリスト共が、、、」
 不快気に呟いたドノバンの声が途切れるように弱々しく、寝息に変わっていった。

 翌朝、目覚めたドノバンの頭には、まだ、昨夜の不快な記憶が残っていた。部屋のドアの所で隣室のウォルヒと合流して、二人は黙ったまま、朝の食事を済ませた。ウォルヒも時折、不快そうにこめかみに手を当てたり、あくびを噛み殺したりしているから、彼女もよく眠れなかったに違いない。フロントで宿泊費の精算を済ませると、ドノバンはウォルヒを駅まで送って、ムーヴァーの行く先を大学に向けた。残された仕事は多くない。1台の大型トレーラーがチャーターしてある。そのトレーラーに船体を分割せずそのまま乗せてネヤガワ工業に持ち帰るのである。充分な梱包が出来ないためにMSB─Xの船体が破損する恐れがあった。ただし、運搬コストは安く付く。この失敗作と判定された船体に余分な費用はかけられないのである。試験に協力してもらった人々にお礼の挨拶をして、夕刻には、トレーラーに同乗して帰途につけるはずだった。

 試験施設の内部は、しん、と冷たく凍り付くように静まり返っていた。まだ、研究員が出勤する時間には早い。ドノバンはしばらくMSB─Xと向き合っていた。自ら進むべき方向を選択したいという意志はあるのだが、失った方向を定めることが出来ない。ドノバ
ンは、MSB─Xを撫でていて、何故かラベルの顔を思い出した。
 今まで、ラベルが彼らのために道を切り開いてくれていたのである。つい今まで、自分の前を歩いて進むべき方向を指示してくれていた存在を失ってしまう。
 ドノバンは両の手の平で強く顔を覆って涙を拭いた。
 

士気

 職場の士気が低下している。今まで全力で突っ走ってきただけに、立ち止まってしまった今の士気の格差は大きい。市民から寄せられた支援のメールには随分励まされた。しかし、メンバーたちはその士気の格差をメールの返事を書いていて気付いたのである。とうてい、その全てに返事が書ききれない。一方で、イマムラはやや醒めた目を持っていた。市民が彼らに送ったメールの内容は、好意的だが、その20万通のメールの中にただの1通も、当然のことだが、MSB─Xを導入を検討するという内容は見られないのである。間違いなく、開発が失敗に終わったと考えた。
 イマムラの立場は微妙で苦しい。
(MSB─X失敗の責任を取って辞表を、、、)
 そう考えなかった訳ではない。部下も彼の意図を推し量って不安気にイマムラを眺めることがある。しかし、彼らの精神的な支柱になっていたラベルが帰国するとなったいまは自分まで抜けるわけには行かないのである。その状況でもたらされた火星市民の励ましは、彼を少し変えたようだ。
「課長、何処へ?」
 ウィリアムスが席を立ち上がったイマムラに尋ねた。
「ちょっとクレーム処理に」
 イマムラはぼかして言い、心の中で付け加えた。
(心配するな、辞表を出しに行く訳じゃない)
 ローウェル工科大学での処理はドノバンとウォルヒに任せてある。しかし、社内での事後処理がまだまだ残っていると考えている。

「困るな。こっちの指示と違うじゃないか」
 試作課の担当者が気色ばんで工場関係者に詰め寄っていた。キム課長が部下をなだめて製造課長に要求した。
「これは間違いなくおたくのミスだ。納期が迫っているから、明日までに此方の要求した物を揃えてくれ」
 一方的な要求を伝えてキム課長は引き上げていった。
 多少、イマムラにとって運の悪いタイミングだったかもしれない。同じ給料をもらいながら、自分たちが汗まみれで仕事をしているときに、技術部員は空調の利いた清潔な部屋に閉じこもって仕事をしている。たまに顔を出すことはあっても、今のように文句を付けに来るだけだ。口に出しては言わないが、製造部員にとって、技術部にそんな感情的なしこりがある。イマムラはそのしこりが最高潮に達したときに、居合わせたのである。
「アデン君」
 イマムラは言いにくそうに間近にいた顔見知りの若い作業者に声を掛けた。MSB─Xのフレームの溶接に携わった工員である。MSB─Xの製造中に何度かここに顔を出して、彼らの顔を知っている。アデンを始め彼を囲む工員達が怪訝な表情をイマムラに向けた。開発が終わった今、イマムラは自分たちに用はないはずだ。
「アデン君。それから他のみんなも、もう知ってるとは思うけど、MSB─Xの開発が不調に終わった。君たちにも製造を手伝ってもらったけれど、申し訳ないね。私の力不足だった」
 イマムラは寂しそうに微笑んで頭を下げた。
(変な人だ)
 アデンやその仲間はイマムラの後ろ姿を目で追い、顔を見合わせてそう思った。今までにこんな人物に出会ったのは初めてだった。今もまた、パートのおばちゃん達と話し込んでいるから、イマムラはおばちゃん達にアデン達に言ったのと同じ事を繰り返しているらしい。
(君たちに手伝ってもらった)
 そう表現されるのは悪い気はしなかった。そして、別にイマムラは彼らに詫びる必要はないとも思うのである。
 世間では大した波紋を呼ばなかったが、数日前、ウォーデンはラベルとの会話を小さなニュースとして、ラベルの意向を汲んだ報道をした。その内容はうわさ話として広まって、この社内では知らない人間が居ない。ラベルという地球出身の古い頑固な技術者が、あの失敗作を全面的に指導したことを知っていた。実際に現場で接したラベルの印象から想像しにくいが、番組が事実だとすれば、MSB─X失敗の責任は、彼ら火星市民ではなくラベルという地球市民にある。アデン達はイマムラの寂しい笑顔を共感した。随分と慌ただしい思いをさせられた船体だったが、振り返ってみると、自分たちもあの船体によってずいぶんいろいろな経験を積んで自信をつけているのである。アデン達ばかりではなく、技術開発課の連中もこの工場で彼らから学んでいたはずだ。その彼らをどんな言葉で表現して良いのか分からないまま、技術開発課のメンバーを、イマムラの後ろ姿に集約させて
(変な人だ)というイマムラの奇妙なイメージが工場の中で定着しつつある。
 イマムラの後ろ姿を見送っていたアデンはそんな思考を途切れさせた。通りかかったカルロス部長を見つけたからだ。カルロスにスピカの工作について相談したいことがあった。
(ここの所、部下が多少マシになった。)
 カルロスはそう考えていた。もともと仕事について妥協のない厳しい男で、部下をしょっちゅう怒鳴りつけるほどの激しさで指導管理している。その男が部下の変化に気付いて、言葉に出して誉めるほどではないが、好ましい変化だと見守っているのである。ただ何故、彼らがそういう変化を起こしたのか、首を傾げるような気分でいる。
 今もまた、アデンが溶接の手順を変えてみたいと提案している。正確な溶接が短時間で出来るというのである。カルロスは自身の直感を判断基準にする男で、アデンの提案をその場で支持した。もちろん、実際に作業を変更するのは、その変更がスピカの船体に悪い影響を及ぼさないと言う確認が取れてからだが、長年、小型機造りに携わった経験から考えて、このヒヨッ子の提案は満足していい。

 イマムラが工場を訪れたのと同じ目的で、製造部長カルロスの部屋に訪れたときに、彼は工場を巡回し終わって、満足気にくつろいでいる様子だった。若い連中がマシになったと言うこともあるが、MSB─Xというモノにならない仕事が片づいて、工場は以前の状態に戻って順調に稼働していて、本来の仕事に専念できるのである。
(君はロシア者がみんなコサックダンスを踊ると信じているのか?)
 ウルマノフが呆れて彼に尋ねたことがある。激しいリズムはカルロスを高揚させる。悪意のない偏見だが、彼に当てはまるものは、サンバのリズムをロシア舞曲に置き換えて、ウルマノフに通用すると考えるらしいのである。同じ種類の偏見で部屋に入ってきたイマムラを眺めていた。先代のニシダに対する敬愛の情があって、ニッポン血筋に対してブシドーとかハラキリというイメージを抱いている。任務の失敗を詫びるために、短刀で腹部を掻き切って自殺するという派手さと衝動性はカルロスの好みに合う。
(こいつはここへ腹を切りに来たのか)と思ったのである。
 MSB─Xが失敗作に終わったという事実が、怒りどころか、冷淡で無関心な態度で社内に受け入れられている。その社内に生じたヒビにイマムラは愕然としていたのである。数日舞うの報道で、彼らをかばったラベルの言動がありがたいと思いつつ、イマムラは困惑を抱え込んでもいる。ラベルの言動がラベルとネヤガワ工業との間にヒビが入ることを恐れたのである。特に、カルロスの誤解はといておいた方が良いだろう。
(なるほど)とカルロスは思った。
 イマムラが一生懸命にラベルの立場を釈明するのを聞いたからではない。現場のヒヨッ子共が変わった理由が納得できたからである。奴らの変化はラベルの影響かと思い至ったのである。このイマムラという男もラベルの影響に染まって、カルロスと同じ職人気質の香りを放っている。カルロスは釈明を終えて部屋を出るイマムラに声をかけた。
「俺はお前みたいな奴が好きだぜ」
 声音は荒っぽいがカルロスが年下の者にかける言葉として優しい部類に入る。MSB─Xの失敗ではなく、イマムラという男の職人気質で、彼と彼の部署を信用し評価してもいいと考えたのである。
 

火星の子どもたち

「何か、課長に聞き出して欲しいことはないのかね」
 終業時間を迎え、ラベルが技術開発課の部屋の中を見回してそう言った。この男は今の状況でもユーモアーを忘れては居ない。以前、技術開発課のメンバーたちが、ラベルが火星にやってきた理由を聞き出そうとしていた時のことを指摘しているのである。技術開発課のメンバーにはもう知らない者は居なかった。
「これはもう不要なようだ。私がもらっても良いかね?」
 ラベルが手にしたのは、部屋の隅に飾られていたMSB-Xの模型である。設計段階での映像に代えて、製造段階で工場の片隅の工作機械を使って作ったものである。模型の縮尺は二百分の一で、ラベルが方手で支えるほどの大きさがある。
 MSB-Xの開発失敗で、設計データーと共に倉庫の隅にでもしまい込まれるはずのものである。ネヤガワ工業にとって財産としての価値はなく、誰かが記念品として保管するならラベルにこそ、その資格があるだろう。イマムラは職場の責任者として頷いてラベルに引き渡すことに同意した。
「では、一足先に失礼するよ」
 ラベルの挨拶にイマムラが応じた。
「それでは、お待ちしています」
 ラベルはイマムラのそんな誘いに、片手を振って笑顔で応じて部屋を離れた。足取りは意図して明るく軽い。その目的地には迷いはなかった。ラベルは帰宅途上、玩具屋に立ち寄り、一体の人形を買い求めた。以前、店頭でちらりと見かけてドノバンの娘のカディアを連想させた人形だった。ラベルにとっても一つの転機になった少女だった。商品を梱包する店員に依頼して、腕に抱え込んでいたMSB-Xも包んで青いリボンをかけてもらった。これから隣人の家に寄る。

「エリカとレイはいますか」
 呼び出しのベルに応じて顔を見せたワイス夫人に、ラベルはそう尋ねた。
「まだ、帰っていませんが」
「それでは、これをエリカとレイに」
 ラベルは二つの包みを差し出した。ピンクのリボンと青いリボン。そのリボンの色で受取人が想像できた。
「お茶でも飲んでいかれませんか」
「いえ、この後、出かける予定がありますので」
「お帰りになるんですの?」
「ええ、一度帰宅するところです」
「いえ、地球に」
「ええ、ここでの仕事は全て終わりました。あとは故郷の妻が待っていますので」
 ワイス夫人はラベルに手を回した。柔らかな腕の感触や体温とともに思いが伝わるようだった。彼女はラベルの耳元で囁くように言った。
「いつまでもお元気でね。素敵な奥様にもよろしく」
 ワイス夫人はラベルを抱く腕を解き、贈り物を受け取った。

 シャワーを浴びて身だしなみを整えても、外出の予定時間まで30分間が余った。この時に呼び鈴が来客を告げ、部屋の環境システムはドアの外にいる来客の姿をスクリーンに投影した。
「ドアは開いているから入っておいで」
 ラベルは優しく語ってドアを開けた。
(ほぉっ)
 ラベルは心の中で感嘆の声を漏らした。来客はエリカとレイである。日々のように挨拶を交わす友人だが、それだけに彼女たちの変化に気づかなかったのだろう。二人がドアの所に立っていると、ドアの枠との対比で彼女たちの体格を正確に推し量ることが出来るのである。
 肩幅はともかく、エリカの身長はラベルの身長に近く、並べばラベルを見上げずに会話をしている。幼かったレイも手を上に伸ばせばドアの上の枠組みに届くだろう。気づかないうちにこの二人の友人はずいぶんと成長したものだ。二人が先ほど彼女たちの母親に託した贈り物を手にしていたことで、贈り物の返礼に来たと言うことを知った。
「ありがとう」
 よほど気に入ったらしく、いつもは姉に促されて行動するレイがこの時には自ら礼を言った。ラベルが技術開発課からもらってきたMSB-Xの模型である。
「これ、ありがとう」
 エリカは等身大の金髪の赤ちゃんの人形を差し出して見せた。人形は樹脂製で関節が動き、本物の赤ちゃんのような姿勢を取らせることができる。衣服や帽子を身につけさせることも出来た。他にも陶器やブロンズ製のものもあり、火星市民たちはこの赤ちゃんの人形を「エリカ人形」と総称している。ラベルの目の前のエリカと同じ名だが、もちろんこのエリカとは関係がない。
 エリカ・マクガイアー。この火星で初めて生まれた赤ちゃんの名である。そして、その少女の誕生年は彼らが使う火星歴という暦の元年にあたる。この人々は、神話や宗教や権力者にかかわらず、この地で生まれた少女の誕生を元年とし、人形にその姿を留めているのである。
 この二人に出合った頃のラベルなら、自らの出自を象徴するように、二人に地球を象徴するものを与えていただろう。いまの彼は火星の人々から数多くのものを学んでいた。この子どもたちに地球への郷愁を要求する必要はない。この星で生まれ育まれたことに誇りを持って欲しいと思うのである。地球の大地に根ざした地球という樹木の枝葉に火星市民が居るわけではなく、人類という一つの種から発芽した人々という意識が根付いていた。ラベルは短い会話の後、二人を優しく帰した。外出の予定が迫っていたのである。

 ラベルはイマムラ家を時間通りに訪問する必要があった。訪問に地球にいる妻を伴うためである。ラベルは到着までの歩調を整え、腕時計で時間を確認してから、イマムラ家のドアの呼び鈴を鳴らした。イマムラと妻のアマリアがラベルを出迎え、迎え入れた。
 三人は軽食と飲み物を囲んでテーブルについてスクリーンを眺めた。好奇心豊かなアマリアは夫やラベルの顔を眺めて微笑んでいた。やがてスクリーンが明滅して、通信回線が開かれて、最後の来客が姿を現した。
「イマムラさん、イマムラ夫人。初めまして、セリーヌ・ラベルです。私のことはセリーヌと呼んでちょうだい。普段、夫がお世話になっています」
 そう挨拶をした初老の女性は、写真で見たことがあるラベルの妻だが、彼女の声を聞き、微笑む表情の変化を見ていると、温厚で上品な女性の雰囲気が伝わってきた。彼女は言葉を続けている。
「タダシさん、アマリアさんと、呼ばせてくださいね」
 夫婦はその言葉を受け入れて頷いて言った。彼女からファーストネームで呼ばれるのは光栄であると言うより、肉親にでも慣れるような嬉しさがある。
「初めまして、セリーヌさん。お目にかかれて光栄です。私がアマリアです。ラベルさんにはいつも夫が世話になっています」
「初めまして、タダシ・イマムラです」
 もちろん、この瞬間のセリーヌはそれを知らない。この瞬間、彼女の姿は十数分の時を経て届いた映像であり、イマムラ夫婦が返した挨拶は、十数分の時を経て地球のセリーヌに届く。
 彼女は自己紹介代わりに近況を語り、膝の上に乗っかってきた愛猫のウォルターを紹介し、夫との出会いを語った。
「話しすぎたかしら。では、おしゃべりをお譲りするわ」
 十数分ばかり話し続けた彼女は、そんな言葉で話を締めくくって、喉を潤すようにテーブルの上の紅茶をすすった。猫のウォルターは彼女の膝の上で温和しく撫でられている。この猫の興味を引く変化は何もないのである。回線が開くと同時にこちらの映像も送られているはずだが、情報が地球にいるセリーヌに届くのは未だ先だろう。こういう場合、アマリアは好奇心豊かで積極的だった。マリアは今まですすっていたココアのカップをテーブルに置いてスクリーンに話し始めた。
「可愛い猫ですね」
 アマリアがそう言った瞬間、映像に映し出されていたウォルターが、セリーヌの膝の上でひょいと頭をもたげて、不思議そうにスクリーンを眺めた。通信回線が開かれた瞬間の、こちらの映像がセリーヌに届き始めたのである。スクリーンの画面が自動的に分割された。右側の大きな画面に地球から送られてきているセリーヌの姿が映し出されている。左側が上下に分割されて、上はこの瞬間に地球に送信されている映像が表示されている。左下はこの瞬間にセリーヌが見ているはずの過去の火星側の映像に、この時彼らが発した言葉が文字のテロップ重ねてある。両者の時をすりあわせる工夫だった。
 ウォルターがスクリーンに映し出されている主人に気づいて、懐かしそうに、しかし、不思議そうに接近し、スクリーンを撫でた。ラベルはその老猫に優しく注意を促した。
「ウォルター。スクリーンを引っ掻くんじゃない」
 前足の肉球がスクリーンを叩いた。主人にこの画面から出てこいと促しているようにも見えた。セリーヌはそんなウォルターを再び膝に抱いた。アマリアはそんな映像を眺めながら、セリーヌと同じく、近況や、火星での生活のことを語った。ラベルの見るところ、イマムラより妻の方が話題が豊富で饒舌であるようだった。アマリアもまた、10分ばかり話し続け、未だ話し足りないことがある。ただ、時計を確認してみればそろそろ話を打ち切って、セリーヌに話の番をゆずらねばならない。
「このウォルターはね、今から十六年前、夫が火星から帰ってきた日に、町の隅で見つけて拾ってきたの。まだ小さな子猫だったのよ。でも、酷い夫だと思わない? 四十年以上連れ添った伴侶を地球に残して、火星に出張したあげく、三年間もほったらかし。帰ってきたのは良いけど、火星から手ぶらで帰ってきて、地球に着いて帰りがけに拾った子猫が、3年間の出張のお土産だったの」
 彼女は朗らかに笑って続けた。
「文句の一つも言ってやろうと思ったら、その時の夫は大あわてでね。子猫が死にそうだって。確かに、冬の冷たい戸外に捨てられていて、寒さで弱っていたのね。それから、獣医に診せたり、大変」
 セリーヌの回想に、イマムラはラベルの若い時代に意外な人柄を見つけたようで、微笑んでラベルの顔を眺め、ラベルは不機嫌な表情で照れくささを隠した。セリーヌの回想は続いた。
「でも、ウォルターも良い思い出を作ってくれたわ。今はこの子が、私たち夫婦の子どものようなものね」
 セリーヌの言葉にアマリアが頷いた。子どもがいないという点でこの二組の夫婦は一致していた。セリーヌが話の番を火星側に譲り、アマリアはセリーヌの言葉を引き継いで話し始めた。
「うちは、動物は居ないんです。でも、この人が子どもみたいなものですから」
 アマリアは肩をすくめて苦労を訴えた。
「髪が乱れているから直しなさい。下着は毎日着替えるのよ。お風呂に入りなさい。遅くまで起きていないでちゃんと寝なさい。毎日そんな事を言わなきゃいけないんです。子どもの相手をするように疲れるんですよ」
 ラベルはイマムラが困惑する表情を眺めて笑った。この言葉が届く十数分後、地球ではセリーヌも笑うだろう。果たして、三十分近い時を経て、スクリーンにアマリアに同意して笑うセリーヌの笑顔が届いた。アマリアの言葉に逐一頷き、イマムラを困惑させた。アマリアが時計を確認して話を終えて順番を譲って間もなく、先ほどアマリアが話し始めた話題に応じてセリーヌからの返事が届いた。
「夫が言うのよ。もしも、私たちに本当の子どもが居るなら、この連中かも知れないって」
 この連中というセリーヌの言葉に、イマムラ夫婦は耳を澄ませて次の言葉に期待した。
「火星の子どもたち。彼は貴女たちのことをそう呼んでいるの」
 夫婦は顔を見合わせてにんまりと満足げにほらってラベルを眺めた。セリーヌの思い出話は、夫のネヤガワ工業への技術指導という目的での火星生活に触れ、この数年の出来事について語った。最後に時計を眺めたセリーヌは言葉を締めくくった。
「では、名残惜しいけれど、ここでこちらの通信を終わるわ。またいつかこんな機会があると良いわね」
 セリーヌは膝の上のウォルターの前足を取って、ウォルターにも別れを告げさせるように、前足の先を振って見せた。あとは、火星からの返事を受け取って回線を閉じるのである。
「火星の子どもたち。良い言葉ですね」
 アマリアはセリーヌの言葉を繰り返して頷いたが、同時に、セリーヌの表情に僅かに浮かんだ妙な満足感を読み取った。彼女の視線は、アマリアの背後に映り込んでいるラベルと夫のタダシに向けられているらしい。アマリアは背後に居た二人を振り返った。二人の男、特にラベルは今まで心に秘めていた思いを妻にバラされてしまった照れくささに、視線を合わせることを避けて黙りこくっていた。
(あらっ)
 アマリアはふと思い出して、言葉を押さえるように口元に手を当てた。ジャン・ラベルを照れくさくさせたものがセリーヌの言葉なら、夫のタダシが気まずそうに視線を避けるのは、彼女が暴露した夫の生活習慣のせいらしい。しかし、二人の男を並べて眺めてみると微笑ましい。二人の夫の様子は本当の父と息子のように似通っていた。アマリアはセリーヌの笑顔のわけを察してスクリーンに向き直って言った。
「ひょっとしたら、若い頃のジャンは、今の私の夫のようでしたか? 夫って、いつの時代も世話をするのに子どものような手間がかかるのかしら」
 そんなアマリアの言葉が届く十数分後、地球ではセリーヌが笑いながら頷いているだろうと、二人の男は顔を見合わせた。アマリアは名残惜しそうに手を振ってから通信回線を閉じて、背後のラベルを振り返って言った。
「どうして、他の子どもたちも誘って下さらなかったの?」
 彼女は技術開発課の他のメンバーもみな誘って、セリーヌを交えて談笑すればよかったというのである。
「そんな恥ずかしいことが出来るものかね。私は君たち二人の前にいるだけでも恥ずかしくて冷や汗が出てる」
 事実、ラベルは暑くもない部屋の中で、ハンカチを額に当てていた。
「そろそろ、お暇しよう」
「お宅まで、ムーヴァーでお送りしましょうか」
「一人で歩いて帰りたい気分なんだ」
 ラベルはそこで言葉を途切れさせ、思いついたように言葉を翻した。
「いや、やはり頼めるかね?」
 イマムラは笑顔で応じ、思考ロボットに四輪ムーヴァーを準備するよう指示をした。

 ムーヴァーが待つ表通りまで並んで歩きながら、イマムラはラベルに言った。
「でも、火星の子どもたちということは、部下にも伝えてやりたいんですが」
 イマムラの言葉にラベルがぴくりと反応して、顔をまじまじと見つめて言った。
「髪が乱れているから直しなさい。下着は毎日着替えるのよ。お風呂に入りなさい。遅くまで起きていないで、ちゃんと寝なさい!」
 言うまでもなく、アマリアがイマムラを表した言葉である。ラベルは諭すように良い添えた。
「いいかね、アマリアの言葉は部下に内緒にしておいてやる。だから、セリーヌの話も内緒だ。わかったかね?」
 ラベルの提案にイマムラも苦笑いで応じざるを得ない。
 ラベルがイマムラに指定した目的地は、ラベルの行きつけの店で、市街地の一角にあるレストランだった。ラベルの自宅から徒歩で10分の距離の場所である。ムーヴァーを操作するイマムラの思考ロボットは、二人を降ろして駐車場へと走り去った。本日貸し切りというプレートが掛かっているのにも気にせず、ラベルはドアのノブに手をかけた。ノブ、ドアを手で開けるという古くささを火星に持ち込んでいるのがラベルのお気に入りなのだろう。
 イマムラがラベルに肩を抱かれたままドアをくぐると、店内には数十人の人々の姿があった。男、女、老人、子ども様々な人々が、新たな客に気づいて笑顔を浮かべ、店内にラベルを迎える拍手が広がった。ラベルは手を上げて店内の人々に挨拶をし、イマムラにちらりと囁いた。
「店内でくつろいでいてくれ。今夜は、知り合いがお別れ会を開いてくれるというのでね」
 イマムラは納得した。技術開発課のメンバーから敬愛を集めるのと同様、ラベルは私生活でも周囲の人々と暖かな関係を作り上げていたに違いない。そんな人々の中から両親らしい夫婦の手を引いてきたのはエリカとレイである。
「おやっ、君たちも来てくれたのかね」
 ラベルは子どもたちの頭を撫で紹介をした。
「これは、私の息子でタダシ・イマムラ。こちらは私の隣人のワイス一家だ。ダン、トレイシー、エリカ、レイ」
 ラベルは、トレイシーと二人の子どもに導かれて友人たちの輪の中に入り笑顔に包まれた。イマムラは距離を置いて見守ることにした。この時間は、ラベルの友人たちのものだ。ただ、それにしては、どうしてラベルはこの中に自分を誘ったのだろうという疑問も湧いた。
「ラベルさんとのご関係は?」
 イマムラはそんな言葉と共に、ビールで満たされた大きなジョッキを差し出され、自分が下戸だと断る隙もなく、ジョッキを抱えていた。飲み物を勧めたのはワイズ夫妻の夫のダンである。
「ラベルさんの指導を受けながら宇宙船を造っています」
「では、MSB-Xは、貴方たちが?」
 その質問に頷くイマムラに、ダンは部屋の中に息子の姿を探して呼び寄せた。
「おいっ、レイ。ちょっとおいで」
 何事かと不思議そうに近づいてきた息子の肩を抱いて、ダンはイマムラを息子に紹介した。
「このおじさんたちが、MSB-Xを作ったんだぞ」
 その一言で、レイは表情を一変させ、イマムラに尊敬の眼差しを注いだ。
「すごいや。ホント?」
 レイの言葉に頷くイマムラはやや気恥ずかしいが誇らしげでもある。レイは父親を振り返って言った。
「父さんも、宇宙船をつくればいいのに」
「ダン、あなたのお仕事は?」
 その質問にレイが答えた。
「緩衝器を作ってるんだ」
「緩衝器というと、高速鉄道の連結器や四輪ムーヴァーのバンパーですか?」
「いや、そっちじゃなくて、エアバッグ。高速走行する乗り物の中で乗員の体を保護する必要があるね。現在使われるものは、構造に信頼性があるので21世紀の頃から変わりない構造。つまり風船を膨らませて人の体を保護するんです。でも、搭乗員をスポンジの中に入れておけば、全体を柔らかく保護できるよね。そう言う装置の開発です」
「そんな事が出来るんですか」
「特殊な高分子を空間の中に浮遊させておくんだ。匂いもないし、普段は分子間で反発しあっていて、そんな分子が漂っていることに気づかない。そこに一定の周波数のエネルギーを与えて分子の立体構造を代えると、今まで反発しあっていた分子同士が結合して、目に見えないスポンジのような状態になるんだ。スポンジの硬さを調節も出来るし、その中では呼吸も出来るし、目も見えるよ」
「搭乗員に害はないんですか?」
「分子量が大きいから、目の細かいフィルターのマスクをすれば吸い込まないですむし、分子内の結合は人間の体内で簡単に分解されてしまって、体外に排出されるから無害だよ」
「なるほど」
 イマムラは頷いた。仕事について熱く語り始めるダンに、仕事は違ってもこの男にも技術者の香りを感じ、自分と同じタイプの人間だと納得したのである。人々が談笑し、ラベルとの関係や思い出話を語る中、ダンはラベルが店の中で一段高いピアノを置いたステージに登ったのに気づいて、大きく手を打ち鳴らして、人々にラベルに注目するように促した。人々はしんっと静まりかえってラベルの言葉を待った。
 ラベルはスピーチのお膳立てをしたダンに笑顔で手を振って礼に代え、ラベル自身が心の底から言葉が湧いてくるのを待つように一呼吸の間をおいて語り始めた。

「みなさん、今日は私のために集まっていただいてありがとう。この星に来てから私は数多くの友人や家族を得ました。そして、この星や人々から数多くのものを学びました。意外なことに、私は生まれ故郷から遙かに離れたこの星で、人類の本質に触れることも出来ました。繰り返しますが、私たちは友人であり家族です。しかし、その関係は様々な理由で引き裂かれ、距離が出来ます。ただ、私はこの星でKIZUNAという古い地球の言葉を知りました。友人や親子兄弟、親しい人々の全ての関係を含め、その関係が時や距離に隔てられ途絶えることなく続く。そう言う関係を示す言葉です。たとえ遠く隔てられても、私たちを友人として、家族として結びつけているのです」

 ラベルの質朴な性格を物語るように1分足らずの短い別れの挨拶だった。その言葉に共感する人々の拍手に包まれ、イマムラは自分もまたその一員なのだと言うことが嬉しく誇らしかった。
 


読者登録

塚越広治さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について