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夢の入り口

 火星の暦で言えば67年4月。彼らが初めて技術開発部員として顔を揃えてから、1年が経過していた。ラベルもすっかり火星に馴染んで、その期間を地球時間で2年間と換算せずに、時の長さを感じ取っているようだ。
「いよいよ、始まったんだね」
 シンが目の前の情景が信じられないように言った。メンバーが初めて会議室に集められて技術開発課が発足した日が、遠い過去の事の様である。彼らの努力が、想像や映像ではなく実際の形となり始めている。
(今日から始まるのかもしれない)とウォルヒも思った。
 誰のものでもない、彼女自身の夢が実現して行くのである。
 技術開発課のメンバーはジグトレーラーを取り囲んでいる。その形から、別名フラットトップ(航空母艦)とあだ名されている。本来は組立中の小型機の運搬を行うトレーラーである。MSB─Xは試験的に製造する船体なので、通常の製造ラインには乗らない。この巨大トレーラー上で、あちこちのラインを回りながら、必要な艤装をしてゆくという変則的な製造をしなければならないのである。
 もちろん、MSB─Xの姿は、トレーラー上で未だその片鱗もない。この後、この上で組み立てられる船体の荷重を支えるジグがあり、そのジグの大きさと位置関係から、メンバーは頭に刻んだMSB─Xの姿を推測することが出来るのである。彼らはこのジグトレーラーの上のMSB─Xの姿を、日々取り付けられて行くケーブルや配管やタンクや各種モジュールの1つ1つまでイメージしていた。
「イメージだ。イメージを描け」
 ラベルが怒鳴り続けたそういう能力を、メンバー達は彼らも気づかないうちに身につけていた。ドノバンは居住モジュールを中心に酸素タンク配管から電力供給のケーブルの配置まで、シンはレーダーなどの探査装置や通信機器、ウォルヒは全体像といった具合に、目の前にその姿を描き出すことが出来るのである。
 ネヤガワ工業の製造部の建物は、主として西の端から整備工場、北側の資材倉庫に接して加工工場、東の船体組立工場、その向こうに仕上げ工場という4棟から成っていた。
 ここはネヤガワ工業の整備工場の中で解装ラインと呼ばれる区画である。空間が他より大きい。十数メートル上の天井にはクレーンが見える。今は、保安局から定期整備に回されてきたスピカ68号機が、この整備ライン上で分解整備を待っているのである。この後、この船体は外観を点検した上で、居住モジュール、動力モジュール、探査機モジュールなどに分解されるのである。例えば居住モジュールはウォルヒ達のいる位置から見て左手の居住モジュール点検ラインに運ばれて、更に分解点検を受ける。点検ラインの出口で各モジュールは再び合流して、もとの船体に組み上げられて行くのである。
 西隣の棟は、大型や小型の工作機械を取りそろえた加工工場で、彼ら技術部員も時折顔を出すことがある。彼ら技術部員の設計データーは承認を得た後、この工場の工作機械に転送される。船体の改造に使用する部品を、削り出したり、張り合わせたり、溶接したり、各部品の加工を行うのである。MSB─Xの場合、フレームを組み上げる鋼管など、ほとんど特注の部品になるから、この工場の世話になるはずだ。
 組立工場では言うまでもなく、スピカが組み立てられている。今は6ヶ月に1隻のペースで製造されているにすぎない。最盛期は月産2隻、実に2週間に1隻以上のペースで生産されていたというから、スピカを運用している保安局や危機管理部が、次期主力機が決まるまで、新しい船体を買い控えている様子がうかがえるのである。
 MSB─Xを組み立てるジグトレーラーは、解装ラインの片隅にポツンと間借りして落ち着かない風情だ。この場所が工場の中で、最も空間が広く、邪魔者を収容する余裕がある。
「希望への入り口か」
 ウルマノフは感慨深げに言った。
「よい希望にするさ」
 ラベルが応じてそう言った。自信があった。あの連中ならやるだろう。ウルマノフは顔をしかめて現実的な感想を漏らした。
「やってもらわなきゃ困る」
「社長。お出かけの時間です」
 秘書が時間を確認して言った。ラベルはこの秘書を密かに「古時計」と呼んでいる。ラベルがふと気付いたのだが、ウルマノフと言う男は合理性を好む割に、スケジュール調整や予定の確認に、思考ロボットではなく人間の秘書を使う。それを指摘して、妙な男だと表現したら、あんたの手首の古時計と同じだ。自分で納得できる者を使うという。この「古時計」は気まぐれなウルマノフの行動を、正確に調整してのける能力を持っているのである。ウルマノフは秘書の言葉に怪訝そうな表情を浮かべた。
「随分と早いじゃないか?」
「目的地まで警察の検問を幾つかくぐらなくてはなりませんから、」
「また、テロ事件か?嫌な世の中になった」
 軍裁判所でレオン事件の公判がある。火星市民達は過去の例から見て、裁判では寛大な判決が出るだろうと見ている。それだけに反感を持つ者のテロが引き起こされる可能性が想像されるのである。市内の各所は厳重な警備がしかれ、道路は幾つもの検問で遮られているはずだ。ラベルは肩をすくめて立ち去るウルマノフを見送った。誰にとっても、酷く不愉快な気分にさせられる情勢である。自分の力の及ばないところで、行動を規制され、解決するめどが立たないのである。

 MSB─Xの全ての設計データーは、技術部のサーバーのメモリー上にあって、製造部が活用できるように開かれている。この後、新型船開発は製造部に引き継がれ、製造部の管轄の作業になるのである。もちろん、彼らもこの船体の製造は初めてだから、設計に携わった技術開発課のメンバーが補助に付く。
 最初の作業は船体のフレームを組み上げることである。長さ18メートルほどのパイプを短い構造材で繋ぎ合わせて、長さ18メートル、直径4.7メートルの網の筒を作ると想像すればいいだろう。このフレームの筒の中に推進剤タンクを初めとしたタンク類、発電機や通信機器が収まり、筒の前方には搭乗員が乗る操縦モジュール、後方に船体を推進する核融合エンジンモジュールが付いて1つの船体になるのである。必要な配管やケーブルもこの段階で設置しておかなければならない。
「調べてくれ。エラー表示が出てロボットが動かない」
 組立ロボットの操作盤に付いていたアデンという名の製造部員が同僚に言った。何か製造上のトラブルらしい。フレームを組み上げて溶接していたロボットが、突然に停止したのである。作業に立ち会っていたウォルヒたちは不安そうに見守っていた。製造は製造部員の領分で、自分たちが手助けするのもはばかられたのである。
「構造材の形状が合わないんだ。加工工場に連絡してみろ」
 アデンは部品の加工ミスではないかというのである。溶接する部品を加工する段階で、不手際があったのかもしれない。アサハリとガーヤンは不信感と不満の入り交じった視線を彼らに注いだ。ごく自然に感情が表情に溢れたのである。ただ、その視線を受けた製造部員も気分が良いはずがない。ウォルヒはやや眉をひそめた。大きな夢を実現するはずの船体によって、会社内の雰囲気が悪化しているのである。
 加工工場からの返事は、設計図面通りだという返事である。彼らもかなり気分を害しているらしい。当然だろう、もともと、目が回るほどの忙しさの中で、何とか要求された部品を加工して取りそろえた。その作業にケチをつけれたのだから、悪態の1つもつくのは無理はない。
 しかし、現実に構造材は所定の位置で短く、隙間を生じているのである。溶接ロボットは安全性を優先して、自ら判断して作業を優先させることなく、人間の指示を求めて停止してしまったのである。工場に呼ばれたラベルが溶接箇所を撫でて指摘した。溶接の熱によって歪んでいる。本来1.7mの間隔で平行に走っているはずのパイプが歪んで、フレーム中央付近ではフレームを縦に繋ぐ構造材に数ミリの隙間を生じているのである。溶接ロボットはその停止理由を【局所的な加熱による素材の変形】と正しくモニターに表示していた。
 ラベルは怒鳴りつけたい衝動を、諦めに変えてため息を付いた。金属加工に携わる人間にとって常識と言っても良い。単純に溶接すれば金属には歪みが生じるのである。通常、これほど大きな物を溶接する場合、歪みを緩和しながら溶接する、或いは、溶接後に様々な処理を加えて歪みを緩和する。ロボットが悪いわけではなく、そう言う常識をロボットが明示しているにもかかわらず理解できず、対処方法を指示できない作業者に問題がある。この連中は作業経験は長いのかもしれないが、おそらく、命じられた仕事をマニュアル通りにこなしていただけなのだろう。幸か不幸か、このような大きな構造物を溶接することがなかったために問題が表面化しなかった。
 ラベルは溶接ロボットの操作盤に足を運んで、従来の溶接手順をディスプレイに呼び出してアデン達に示した。
「いいかい。これが君たちが今までやってきた溶接の手順だ」
 アデンたち製造部員は露骨に不快な表情をし、それを隠そうとはしなかった。いきなりやってきた地球市民に対して反感もあるのだろう。ラベルはそれを無視してディスプレイの表示内容を指で示した。
「プログラムの43行目で、溶接をするときに同時に反対側からも加熱するようにロボットに指示してある。この指示によってロボットはちゃんと溶接をこなしてきたんだ」
 製造部員は黙って答えない。感情的になっていて言葉を受け入れることが出来ないのかもしれない。ムハマドやシンにも記憶がある。ラベルの指導を受け始めた頃の彼ら自身がそうだった。
「この意味を理解していれば、問題は無かったはずだ」
 ラベルの分かりやすく指摘に対して、若いアデンは言い訳じみた反論をした。
「今まで、私たちにとってこんな長いフレームを溶接する必要がなかったんです」
(彼らが、ラベルを受け入れるのに時間はかかるだろう)
 ウォルヒは自分たちがラベルを受け入れるまでの時間を思いだした。
「いいかい。人間は考えることを止めてはいけないよ」
 ラベルは技術開発課のメンバーに言い続けてきたことを、ここでも繰り返さざるを得ないのである。彼らに長年、小型船の製造に携わってきたという自信やプライドがある。しかし、悲しいことに、これが本当の実力なのである。このトラブルは人間の責任だが、もしも、ロボットにも責任を求めるとすれば、あまりにも人に頼られすぎて、人に考えると言うことを止めさせてしまった点に違いない。

 この事件は社内で多少の波紋を呼んだ。ウォルヒたちが直接に聞いたわけではないが、設計課の連中が、製造部に出向いた折りに、自分たちが設計に携わっていれば、スピカのフレームを模した構造にしたと公言しているというのである。要するに、楕円形の断面を持った巨大な鋼管で船体の荷重を支えるというのである。そうすれば今回のような失敗も、溶接の手間すらいらないと言うのである。日常、スピカに接しているだけに、製造部員に対して説得力がある。しかし、そんなことをすれば重量がかさんで、要求された性能を発揮できなくなるという事実には触れられていない。
「やっかいなことだ」
 イマムラは呟いた。設計課の連中はMSB─Xのデーターを見たときに、エンジンの選定ミスだと騒いだこともある。何故、出力の大きなハリマ社のフジⅤを使わないのかというのである。様々な考えがあることは分かっている。批判されるのはやむを得ない。会社の意志が分裂して収拾が付かない。混乱させたがる人間は腐るほどいる。その混乱の中で、問題を収束させる方向に動く者は誰もいないのかとぼやきたくなるのである。
 この日もまた、問題の一つが表面化した。レオン事件を契機に火星行政府と連邦府の関係が悪化していた。その地球で「技術供与制限法」という名の法律が可決される見込みだというのである。武器開発に転用されうる技術や機器は輸出制限すると言う。ネヤガワ工業は武器や戦闘艇を造っているわけではないが、この法律を拡大解釈すればパトロール艇に搭載する高出力エンジンもその対象になるだろう。
(タイド社のフェニルⅡを選定して置いて良かった)
 メンバーはそう考えていた。フジⅤなど地球からの輸入品を使っていれば、今頃はエンジンが手に入らなくなったはずだ。フェニルⅡの場合、タイド社が試験機として3基のエンジンを先行輸入済みで、このエンジンをお手本にして火星でライセンス生産が始まるのである。その3基のうち1基をネヤガワ工業が購入してMSB─Xに搭載する手はずになっていたのである。

 組上がったフレームはジグトレーラーに乗せられた。この後、工場のあちこちに移動して、様々な部品を取り付けられて行くのである。
 技術開発課のメンバーにとって、日が経つのが早い。ほぼ毎日のように何かのトラブルが生じ、その対処に追われるからである。しかし、実際に目の前で組み上がって行くMSB─Xを見ていると、嬉しさも湧いてくるのである。映像ではなく手で触れることの出来る嬉しさである。しかし、その嬉しさと裏腹に、社内には険悪な雰囲気が膨れ上がっている。
「馬鹿野郎。さっき言ったばかりだろう」
 怒鳴り声が工場に響いた。ムハマドの声である。
「お前達は俺の指示通りにやってくれれば良いんだ」
 新造船という、いつもと違う船体に、製造部員が戸惑ってミスをしたのかもしれない。ここのところ、単純なミスが目立って、作業に立ち会うムハマドを苛つかせていたのである。しかし、自分より遥かに若いムハマドに怒鳴りつけられた作業者達は、思わずムッとムハマドをにらみ返した。他の部員も手を止めて反感を滲ませている。
「クソ餓鬼。もういっぺん言って見ろ」
 言い返したのは製造部長のカルロスだった。生来、口が悪くラテン系の血筋で気性が激しい。たまたま、通りかかったら、部下が技術部の若造に怒鳴られていた。その若造の無礼さを腹に据えかねたのである。もともと無理だった仕事に、無理を重ねて協力してきている。挙げ句の果てが、意味不明でミスの多い製造指示書を提示して、お前達は間違いのない作業をしろと要求するのである。カルロスの中にもそう言う不満が鬱積していた。
 幸い、アサハリが仲介し、ウィリアムスがムハマドに頭を下げさせた。作業の途中で繰り返される単純なミスの責任は、製造部員にもあるのだが、それ以上に設計に携わった彼ら技術開発課のメンバーがマニュアル造りに慣れていない点にもある。マニュアルの内容にもミスが散見される他、表現も拙く、作業手順の内容を正確に伝えることが出来ないのである。
「この次、馬鹿なことをほざいて見ろ。即刻、部下を引き上げさせるぞ。尻拭いくらいは自分でやれ」
 そう言い残して立ち去ったカルロスの言葉を、ムハマドは悔しそうに黙って聞いていた。鋭い反感や不満を胸に秘めて納得した様子はない。ネヤガワ工業の中で、新型船をめぐって分裂が大きく広がっていた。ムハマドは外したばかりの計器を床に叩きつけて、工場から姿を消した。プライドの高い彼にとって耐えきれないことだったに違いない。追いかけようとするウィリアムスをアサハリが制した。
「ウィリアムス。彼はちゃんと、戻って来ますよ。僕らの作業を続けましょう」
 アサハリは部品のリストを手にとって、作業者に語りかけた。
「皆さん。私たちがずっと立ち会っていますから、マニュアルで分かりにくい点はすぐに私たちに指摘して下さい」
 普段は存在感の薄い男だが、ムハマドより、よほど精神的に強い男らしい。この場を収めて作業を再開させた。
「指摘を受けた箇所は、一緒にやりましょう。マニュアルも、どう表現すれば分かりやすいか教えて下さい」
 アサハリはウィリアムスに向き直っていった。
「マニュアル作りは私たちの責任だ。ウィリアムスは指摘を受けた部分をチェックして置いて下さい。部屋に戻ってから書き直しましょう」
 アサハリのおかげで、この場は何とか収拾がついたが。しかし、技術開発課にしても、製造部にしても、反感のしこりは拭いきれないのである。

 船体の姿が少しづつ完成に近づいた。完成に至る順序はトラブルの回数と同じほど、最初の予定と異なっているが、それでも、映像と同じ姿が目の前に現れて行くのである。
 居住モジュールの組立が終了し、船体に据え付けられる準備が進んでいた。場合によっては操縦モジュールと呼ぶこともある。小型機の場合、操縦者の居住空間と操縦のためのコックピットを兼ねているからである。その内部は操縦者の搭乗席と航法担当員の搭乗席が2つ横に並んでいて、航法担当員は通信員を兼ねている。搭乗員の座席に合わせてディスプレイや計器やスイッチが配置してあり、航法担当者の後ろには予備搭乗員の席がある。搭乗員が席を交代できる程度の狭い通路が2m伸びていて、モジュールの出口と操縦席を繋いでいた。

 今日のドノバンとガーヤンの作業は、製造された居住モジュールをフレームに接続する直前の最終確認である。信号を送るケーブルは既に接続され、後はフレームに固定するのみになっているのである。
「アレは?」
 ガーヤンが不思議そうに指さす先に、フレームの姿勢制御ノズルがあり、まるで誰かに操作されているように動いていた。
「誰か居るのか?」
 ガーヤンと顔を見合わせたドノバンが言った言葉を、フレームに取り付けられた警告灯が点滅して裏付けた。もちろん今はエンジンは着いていないから点滅するのみの警告灯だが本来は側面の噴射ノズルが稼働することを船外に知らせるものである。誰かが操縦モジュールの内部にいて、動かしているに違いなかった。
 しかし、技術開発部員ですら未だテストもしていないモジュールに誰が? ドノバンは操縦モジュールの入り口に繋がるラッタルを駆け上がり、激しくノックをしてドアを開けた。
「どうぞ。入ってもいいわよ」
 素直な笑顔でドノバンを迎え入れたのは、見慣れない黒人女性である。
「貴方たちはどなた?」
 本来ならこの不審な女性の身分を先に問わねばならないのだろうが、先にそう聞かれると答えざるを得ない。
「僕はエリック・ドノバン。こっちはタロウ・ガーヤン。技術開発課のメンバーだ」
「あなた達がこの船の設計者なのね。私はオボテ・サナカ。品質保証部員よ」
 そう言われれば彼女は確かに品質保証部員の身分を示すバッジをつけていた。ただ、ドノバンは未だ納得しがたい。
「その君がどうして?」
「工場見学の途中、案内役の上司にはぐれちゃたの。探したんだけど可愛い部下をほって置いて何処に消えたんだか」
「それで、このモジュールを見つけて」
「そう」
 彼女は遊園地で遊ぶ子どものような笑顔で頷いた。ドノバンも釣られて笑って言った。
「で、この遊具は気に入った?」
「私思うんだけど、貴方たち、船にはまだ素人でしょ?」
 サナカの外観を見れば、火星年齢で8歳か9歳、ようやく小型宇宙船の操縦免許が取れる年齢ではないだろうか。その彼女は自分より年配の人間を捕まえて素人と言い放つのである。ただ、明るくあっけらかんとした性格であるらしく悪意は感じさせない。そのギャップに無言を保った二人にサナカが語りかけた。
「速度計と、エンジンの出力計はセットで確認することが多いの。だから、隣り合わせに表示してあるのが分かりやすいわ。生命維持システム関係の表示はまとめておくと良いわよ」
 ガーヤンとドノバンは素直に頷いた。そう言われればそうかも知れない。計器類の配置はスピカを参考に決めた。ただ、この空間はスピカの居住モジュールに比べて狭く、同じ配置というのも問題があったのかも知れない。彼女は言葉を続けた。
「知ってるでしょ? スピカでもパイロット席は横並びなの。真ん中に席を替わる通路もあるのね」
「それが?」
「でも、実際には、席を替わる事なんて無いのよ。」
 この時、工場内に怒りのこもった男性の声がスピーカーから響き渡った。
「こちらフランクリンだ。訓練生、サナカ・オボテ。今から60秒以内に工場入り口に出頭!」
 上司が迷子になった部下を捜しているのである。本来は火星軌道上のフォボス港に事務所を置く、ネヤガワ工業の品質保証部に所属する。男は製品の航行試験を担当していて、技術部にも関わりがある。ジーン・フランクリンという名は、その頑固な人柄を技術部に伝えていた。サナカは眉を顰めて同意を求めた。
「聞いた? あのジーンの野蛮な声。隣の席にいたら今頃、私の耳元で怒鳴ってるわよ」
「なるほど」
「それに、気むずかしい上司は横に乗ってるより、席を縦に並べて前席で怒鳴らせておく方が良いわね。そう、座席配置はダンデムがいい。そうすればモジュールの幅も狭められるし、なにより、前席に座らしとけば私の鼓膜は破れずにすむわ」
「サナカ・オボテ。あと30秒!」
 再び声が響いて、サナカは再び肩をすくめ、二人に愛想笑いを残してかけ去った。まるでつむじ風が吹き荒れたような気分だったが、ドノバンとガーヤンにとって苦笑いを浮かべる出会いだった。
「ダンデムか?」
 ドノバンは彼女が残した言葉をガーヤンに繰り返してみせ、ガーヤンも頷いて彼女の正しさに同意した。スピカの横並びの座席配置に慣れきったパイロットたちが受け入れてくれるならばという条件付きだが、座席の幅にやや余裕を持たせつつ、全体をコンパクトにまとめることも出来るだろう。
「嵐は去って被害もないようだし、仕事を始めようか」
 ガーヤンは先ほどの女性を嵐に例え、ドノバンに今日の仕事を促した。ガーヤンの作業は整備士を演じて、モジュールの外部から整備点検作業の容易さを確認するのである。ガーヤンはドノバンを残して大きな姿をモジュールの外に消した。

「確かに、狭いな」
 試しに操縦席に座ったドノバンは一人呟いた。実感である。搭乗員は気密服を着たまま、この席に着く。もっと狭く感じるだろう。スピカの居住モジュールに比べて内部の空間は2割ほど小さいのである。出力の小さなエンジンで、N&B社の新型船並みの性能を、ということが、必然的に船体の軽量化を要求して、ドノバンの担当した居住モジュールにもそんな影響を受けていたのである。
 もちろん、いきなりこういうものを設計したわけではない。技術部の一角に居住空間再現室という4m四方の小さな部屋がある。ネヤガワ工業の自慢の設備である。中央の席に座ってスイッチを入れると、設計データーに従って、居住モジュールの内部の映像が投影される。昔の人々が実物大の模型を作ったのと同じ理屈である。試験者が装備した特殊なスーツを通じて、目に見える映像だけではなく、座席の座り心地やスイッチの感触、操縦桿の手応えを感じることが出来るのである。この設備で計器が搭乗員の手の届く範囲にスイッチが配置されているか、操縦者の動きの障害になるような機器はないか、すべて、この部屋で確認したはずなのである。映像ではこれほどの閉塞感を感じなかったはずだ。ドノバンはデーターと実機の間に差があることを思い知らされたのである。
 ドノバンはモジュールの入り口から顔を出して、ガーヤンを呼びよせた。メンバーの中で最も体格がよい。試しにこの狭いシートに座らせて感想を聞いてみようと思ったのである。
「閉所恐怖症の人間なら、ションベン漏らして逃げ出すね」
と言うのがガーヤンの感想だった。しかし、彼は席について歓声を上げた。
「ああっ。動くんだ」
 もちろん動く。目の前のスイッチや計器は実物である。今、居住モジュールには外部から電源が供給されている。モジュール内は明るく照らされ、ディスプレイは点灯して工場内部の様子を映し出していた。エンジンはまだ搭載されていないので、スイッチのオン・オフの感覚だけだが、目の前のモニターに映し出された姿勢制御ノズルなど、操縦桿の操作に応じて動くのである。自分の手で動かすことが出来るという感覚が、自分たちで船体を作り上げているという実感として、温もりのように伝わってくる。
 夢中になっていたガーヤンはモジュール内の違和感に気付いた。臭うのである。
「『ションベン漏らして逃げ出す』んだと?」
 モジュールの外ではハッチを締め切ったドノバンがいて、内側からハッチを開けることが出来ないように押さえている。率直な意見が聞きたい反面、一生懸命作り上げた物が批判されるのも何か腹が立つ。彼はモジュールの中でおならをすると、一人モジュールを出てガーヤンを閉じこめたのである。外部から電源が供給されているとはいえ、まだ空調機の調整は済んでいない。ガーヤンはドノバンのおならが充満する室内に閉じこめられてしまったのである。中からハッチを叩いて開けようとする音が響いている。
「ラベル先生の指導を受けて出来上がったものが、そんなことで壊れるものか」
 ドノバンはハッチの強度に自信を持っている。
 はしゃぐメンバーを工場関係者が冷たい視線で見ていた。製造部員にとってはMSB─Xなど、ただの厄介者にすぎないのである。
 

設計変更

 エンジンモジュールの製造は、ネヤガワ工業の技術陣の手には負えない。核融合の制御など、専門の高度な技術とノウハウを要するからである。彼らは完成品としてのエンジンモジュールの納入を待っていた。すでにタイド社にフェニルⅡというエンジンモジュールを発注しており、契約も済ませて、納品を待つのみである。現段階のMSB─Xを眺めると、ケーブルや配管がフレームを伝って後方に伸びている。モジュールの操作信号はUIS標準規格に適合しているから、ケーブルのコネクタはモジュールに差し込まれて信号や動力を正確に送れるはずだ。フレーム後方のエンジンマウントのボルト穴はエンジンモジュールにぴったり合って受け入れるはずだ。MSB─Xの完成は、あとエンジンモジュールを据え付けるだけ、という段階まで進んでいるのである。
 そのモジュールの納品が遅れるという連絡があった。そのタイド社の様子がおかしい。そんな気配を感じ取っていたある日のことである。

「そんな馬鹿な」
 そんな第一声に始まって、通話装置の前のイマムラの声が、技術開発課に響き渡った。
「いいですか? 契約は2ヶ月も前に完了しているんですよ」
 メンバーはそのイマムラの言葉で、タイド社からの連絡だと悟った。
「私たちはそのエンジンを搭載するつもりで作業を進めてきたんだ」
 メンバーは電話から漏れ聞こえてくるイマムラの言葉を繋ぎ合わせて事態を推測している。技術供与制限法という法律が、彼らの前に立ち塞がっていたのである。納入期限から今までの時間のズレは、タイド社が技術供与制限法に抵抗していた事を示していた。納品の手段を模索して、万策尽きたというのだろう。
 タイド社の話は、既に契約不履行の際のペナルティの支払いの話にまで進んでいるらしい。予定していたエンジンの搭載が不可能になった。ある意味ではネヤガワ工業側の見込みも甘かったと言えるのかもしれない。地球にはタイド社のフェニルⅡ以上に高出力のエンジンがいくつか存在する。いわば、やや旧式化したエンジンなのである。ただ、初期型をベースに改良が施されて信頼性が高く、何より旧式化しているが故に、メーカーは火星の企業にライセンス生産権を与えるという見込みをたてていてのである。タイド社の経営陣はそのライセンス生産を含めて放棄してしまうと言うのである。
 イマムラは電話を切り、メンバーを振り返って言った。
「兵器に転用される恐れのあるモジュールは輸出制限を受ける。高出力核融合エンジン。掘削用高出力レーザー、軌道径算用高速度演算システム、長距離光通信システム」
「タイド社のエンジンモジュールも?」
「そうだ、その制限に引っかかるという正式な通達を受けたそうだ。」
「火星にあって、しかも、既に契約済みのエンジンまで? 既にフォボス港の税関倉庫にあるるんですよ」
「現在、引き渡しのついていない該当品は、6週間以内に地球に転送される。既に該当する製品には連邦軍の管理下に置かれている」
 このエンジンを使う事を前提にして、エンジンに合わせて船体を設計した、と言っても過言ではない。そのエンジンが手に入らないというのである。船体は既に8分通り出来上がっており、あとは納品の遅れていたエンジンを付けて、細部を調整するだけだ。
 メンバーは突然の変更に混乱している。職場の雰囲気は沈痛な雰囲気で落ち込んでいる。エンジンの選定が船体の性能を根本的な左右すると言う事を、開発の過程に置いてメンバーの一人一人が身に浸みて知っていた。ガーヤンの担当するフレームも、アサハリの担当する推進剤タンクはもちろん、バレ、ドノバン、全てのメンバーの作業はこのエンジンを搭載する船体に集約されてきたのである。その前提が根本から変わる。
 ラベルが言った。
「ウィリアムス。タイド社のフェニルⅡの次の候補は何だい」
「スニム社のダブルユニコーンですが、これも地球からの輸入品で制限を受けるでしょう。搭載できるのはヘリオス社のMU5でしょう。これなら、既にライセンス生産されています」
「でも、一世代前のエンジンだぞ」
「もうダメなの?」
「おしまいだ」
 生まじめだけに融通が利かない、温厚で責任感があるのだがその責任感が、進むべき方向を見失って、ドノバンにそう叫ばせたのだろう。周囲の信頼が厚い男の叫びが、職場の雰囲気を覆い尽くして支配した。MSB─Xの完成直前で打開策のない絶望感がこの部署を覆い尽くしたのである。
「馬鹿たれが」
 ラベルがマグカップをドノバンに投げつけた。コーヒーが室内に飛び散って、マグカップはドノバンを逸れて壁に凹みを造って跳ね返った。メンバーは驚いている。しかし、ラベルは一転して、静かに語り始めた。
「私が、なぜ、この火星にやってきたのか知りたくはないか?」
 知りたいという思いと、ラベルの豹変ぶりと、今のこの場所に似つかわしくない穏和な声音に、メンバーは黙って、視線をラベルに集中させた。
「きっかけは、イシダ某という古い戦国時代の人物だ。名ははっきり覚えていないが、姓はニシダ社長の名に似ているので覚えている。ニシダ社長は初めて出会った私に、イシダという歴史上の人物が、勇猛なサムライのシマという男を召し抱えたときの歴史話をした。そのイシダ某はシマに気前よく自分の知行の半分を与えたらしい。シマもイシダの期待に応えて命が尽きるまで彼に仕えた。ニシダも私に対してそうしたいと提案したんだ。火星で育った男が、地球の極東の古い歴史を引用するというのが、非常に面白かった。あの男は私をその勇猛なサムライに例えて、ヘッドハンティングしようとしたんだ」
 意外な話の展開にメンバーは黙って聞き入った。ラベルは昔を懐かしむ目で語り続けた。
「ニシダ社長には誤算があった。当時、私がデメテル社から受け取っていた報酬は、ニシダが自信満々で提示した額より、遥かに多額だったとは思いも寄らなかったらしい。そのあたり、あの男はただの中小企業の頑固親父だった。ただ、私にとって自分が、そのサムライになった気がして、ニシダに何かしてやりたいと思うじゃないか?」
 ラベルは同意を求めるようにメンバー一人一人の顔を見回した。
「船を設計して欲しいのかと聞いたら、ニシダがなんて答えたと思う?『地球市民の設計はいらない』って怒ったように断言したんだ。それじゃ、何をして欲しい?『船を造るのは俺達だ。俺達が作れるようにしてくれ』ニシダはそう断言したんだ。残念ながら、私は地球に家族と仕事があって、帰国せざるを得なかった。ニシダもまた、社長を退いて、私は約束を果たす機会がなかった。ただ、ニシダは亡くなっても、ニシダが私をサムライに例えた想い出は残っている。ニシダとの約束は、まだ生きている。私がここへ来たのは、その約束を果たすためだ」
 ラベルは想い出話を切り上げて、マグカップを指さして話題をこの部屋に戻した。
「惜しい、ニシダと会った頃からそうだった。もっと私のコントロールが良ければ、ドノバン、今頃は君の頭が凹んでいるはずだ」
「先生。先生にも分かっているはずだ。俺達はこのエンジンに合わせて船体を設計したんだ。今更どうなるって言うんだ」
 ドノバンが怒鳴った。普段、大声を上げる事がないだけにその豹変ぶりはすさまじい。
「逃げるつもりなら、今の内に去れ」
 ラベルは今一度、冷たい声音でドノバンを怒鳴りつけた。ドノバンは地球市民のラベルに逃げるつもりかと問われて口ごもり、ラベルを睨み付け、ラベルがそれに応じてにらみ返して言った。
「そうだ。腹が立つなら喰いついてこい」
「さあ、みんな集まってくれ。もう一度検討してみよう」
 イマムラはそう言うしかない。
 後に、ラベルはこの時のことを思い出して、恥ずかしそうに苦笑いするのである。人の行動や、その方向を定めるものは、他人に話すのが恥ずかしいほど些細なきっかけであるらしい。この場合は、ニシダがラベルをサムライに例えた、そこに行き着くようだ。

 もともと、エンジンや各種のモジュールの付け替えは彼らの本業といえる。しかし、より高出力のエンジンに積み替えたりするもので、重く出力が低いエンジンに積み替えて、性能はもとのまま維持すると言った変更は経験がない。付け替えるだけでは無く、もとの想定される性能を維持しなければならないのである。
 ラベルの指導のもと、エンジンモジュールの変更には2ヶ月を要した。細かく探せば、幾つもの不満はあったが、MSB─Xは2ヶ月の遅れを経て、ようやく新たなエンジンモジュールが取り付けられたのである。
 先代のニシダ社長のMSA─Xの場合、船体を構成する主要な部品の大半は地球からの輸入品だった。MSB─Xはライセンス生産とはいえ、ほとんどの素材は火星で製造したものだ。初の火星市民の手による宇宙船が、完成したと言っていいかもしれない。
 もはや、量子コンピューター上のデーターや映像ではなく、さわれば掌にその感触がある。エンジンの取り付けは完了し、船体は完成してると言って良かった。思いの外、大きい。エンジン部分がである。20メートルばかり距離を置いて、船体の全体像を眺めると、たとえ美しさと言う点で、その船体の価値が定まるわけではないにせよ、初期の設計に比べてバランスが崩れているようにも見えるのである。初期に予定していたエンジンが使えなくなったために、推力は同等だが一回り大型のエンジンを使わざるを得なかった。大きくなったためにフレームにエンジンを据え付けるマウントも一回り大きくなった。推進剤を余分に喰う。推進剤のタンクも大きくせざるを得ない。重心が大きく後方にずれた。姿勢制御ノズルを重心に合わせて大きく後方に変更した。エンジンが変更になっただけではなく様々な2次的な変化と重量の増加が見られるのである。
 そして、外形が単純になった。巨大な推進剤タンクの他、酸素や水、圧搾空気などのタンクが据え付けられて複雑な外観をしていたはずだが、そのタンクが幾つか、姿を消しているのである。それぞれのタンクには宇宙塵との衝突で被る被害を防ぐ目的で、頑丈な装甲がされている。ラベルはタンクを2重にした。中心部に推進剤が入る、その外側を囲むタンクの中を仕切って酸素や水や圧搾空気を入れるようにしたのである。タンクの装甲を多少薄くしても、想定される宇宙塵は、万が一の場合でも、水や圧搾空気の入った箇所を打ち抜くだけで、中央の推進剤のタンクに被害は及ばない。そういう軽量化を図ったのである。
 外観の単純さと裏腹に、タンクの製造には手間がかかるだけではなく、船体のメンテナンスも複雑化して整備士から嫌われるだろう。船体のメンテナンスが複雑化するというのは、ラベルの好みではない。しかし、この時には、増大したエンジンモジュールの重量に見合う軽量化が必要だった。

 工場の隅に置かれた新型船の周りを技術開発課のメンバーが取り囲んでいた。イマムラがストヤンとウルマノフを伴って現れた。船体に全てのモジュールを据え付けて最終調整を完了した。そういう報告をしたのである。クレーンでつり上げられた船体が、床に下ろされた。主脚の緩衝器が軋むように唸って、MSB─Xの重量を支えた。ジグトレーラーという子宮から生まれ出たMSB─Xが、ようやく自分の足で立ち上がったのである。
 ウルマノフは感慨深げに船体を撫でた。掌がひんやり冷たい。
「ほおっ」
 そして、驚きの感想をやや苦笑いに変えた。何故か突然にニシダの顔を思い起こしたのである。小型船の自主開発に反対だった自分が、今この船体の前にいる。ニシダが見ればどう思うだろう。
 ストヤンも同じ種類の感慨を抱いた。彼は技術開発課という部署を編成したときに、ものが出来上がるとは信じていなかったのである。新型船開発は本来なら設計課で担当する作業だろうが、完成見込みのない作業での混乱を最小限にくい止めるための防波堤として彼らを編成したのである。形になるまで仕上げたという、彼らの努力は誉めてやっても良い。ただ、ストヤンは冷めた目を持っていた。
(誉めてやるのは、この船体の性能が判明してからだ。しかし、この船体の寂しさはどうだ?)
 完成式典とかいうお祭りがあるわけではなく、拍手と共にシャンペンを機首に叩きつける儀式があるわけでもない。脇を通りかかる社員がいても冷たく素通りして行くのである。必ずしも望まれて生まれて来た船ではない。この寂しさは、MSB─Xという船の運命を暗示しているようだと考えたのである。

シドニー・ウォーデン

 いったん完成した試作機は、エンジンモジュール部分で再び前後2つに分割されて、2台の運搬用の大型トレーラーに乗せられていた。この工場の敷地から幹線道路に船体を無事に搬出するために、小さく分割しなければならないのである。N&B社の施設が巨大であるばかりではなく、幹線道路沿いに建設されているのが羨ましい。N&B社なら、こんな手間をかけなくても済むはずだった。
 2台の大型トレーラーはローウェル市のローウェル工科大学工業実験センターに向かうのである。ドノバンの出身校である。1号車の助手席にはドノバンの姿が、2号車の助手席にはウォルヒの姿が見える。二人を見送るガーヤンとバレが顔を見合わせた。
「くそっ。N&B社なら自前の試験センターがあるのに」
「銭も設備も無けりゃ汗を流せばいいのよ」
 ガーヤンが悔しそうに地団駄を踏んで、バレが子供をあやすように答えた。新型船開発において、その製造の許認可という点で行政が関わっている。試作段階で安全性を確認し、宇宙空間を航行する許可を出すのである。

 スピカの場合はN&B社のライセンス生産品であり、その母胎となった試作機の段階で、宇宙空間を航行する許可が下りている。この後に製造する全てのFW201や火星仕様のスピカも宇宙空間で試験航行する事が出来る。この試験航行によって、ネヤガワ工業は製造した船体が人を乗せて航行するための様々な安全基準に適合していることを確認するのである。この一隻ごとの確認試験もとに、行政に販売認可の申請を行い、顧客に引き渡すのである。
 今、メンバーの目の前にある船体の場合は、現段階ではメーカーの実験機でしかなく、仮に船体にその能力があったとしても、法律上、宇宙を航行することが出来ない。船体の強度試験。居住モジュールの安全性試験。エンジンの安全性試験。通信機器の信頼性。様々な試験について、一定の基準を満たしたと認定された時に、この試作1号機は宇宙空間を航行する許可を得るのである。この許可が下りなければ、新型船は宇宙空間を航行することがないまま終わる。メーカーにとって重要な試験なのである。そのために、N&B社を始め小型機の開発メーカーは通常は社内にその試験設備を有している。ネヤガワ工業はその設備を持たなかった。試験施設の面積を見ても、ネヤガワ工業の敷地を遙かに上回る面積を要するだろう、一中小企業に過ぎないネヤガワ工業に持てるはずのない施設である。そのため、試験施設を求めて、ドノバンが出身校のローウェル工科大学と掛け合った。大学の実験の合間に割り込んで、試験設備と研究員を2週間ばかり借り受けるのである。もちろん、多額のリース料を支払う。
 トレーラーを見送る人々の中にウルマノフの姿がある。ネヤガワ工業の経営陣にとってこの試験結果が新型船の今後の判定基準になる。この試験において、MSB─Xの能力の概算値が判明する。行政の認可を得ることが出来たとしても、それは宇宙空間を航行しても差し支えないという許可にすぎない。経営者として別の悩みがあった。少なくとも、この試験結果に置いて、競合他社の船体と同等の性能を示すものでなければ、この開発は失敗だったと判断するしかないのである。
 行政の認可がおり、性能も他社の船体と同等だとして、今度は船体を宇宙空間まで運んで、宇宙空間で新型船のテスト航行を行う。その試験航行に同行し、様々な試験データーを計測する試験司令船が必要になる。試験には約3月がかかるものと推測されていた。その期間の試験司令船のチャーター料が850万OSAと見積もられている。ネヤガワ工業の年間売り上げの4%に相当する。苦労して稼ぎ出した純利益の大半を消費することになるのである。ウルマノフにとってまだまだ頭を悩ます問題を残している。
 ウルマノフは経営者らしく、今回の試験結果でMSB─Xの今後を判断するつもりである。多額の費用を要した新型船だが、他社製品に比すべき能力が無いのなら、この段階で計画と試作船を破棄する。というのである。可能性のないものにこのまま深入りすることはネヤガワ工業の企業体力から考えて耐えきれない。
 ウルマノフは出発したトレーラーをじっと見送っていたが、その姿が視界から姿を消すと、暗い表情のまま残った技術開発課メンバーを振り返った。メンバーの表情も暗い。工場で再設計したMSB─Xが完成するのを待つように、ラベルが疲労で倒れたのである。ラベルの元気のいい怒鳴り声で、メンバーは彼の年齢を忘れているが、既に80歳を越えているのである。メンバーに疲れは見せなかったが、不慣れな土地で、疲れを貯め込んでいたに違いない。医者からは、幸い短期の静養ですみそうだという報告を得ており、彼らを多少ほっとさせている。しかし、MSB─Xを送り出すこの場に、開発の支柱になった人物が欠けているのである。
 見送りを受けつつ、2台のトレーラーは出発した。見送る人々の表情は一様に期待より不安が大きいと言っても良い。一方でトレーラーに乗るドノバンやウォルヒにも状況は変わりがない。
「へえっ。火星市民の自主開発船ねぇ。珍しいモンを運んだってカミさんに教えてやらなきゃ」
 1号車の運転席でトレーラーの運転手とドノバンの会話が弾んでいる。先ほどまでむっつり黙りこくっていたドノバンが朗らかに話し始めたのである。黙っていれば不安と責任で気分が落ち込んで行きそうだった。対して、2号車の運転席は静かなものだ。ウォルヒはむっつり黙りこくって考え込んでおり、初老の運転手は、彼女に話しかけられる雰囲気ではない。2台のトレーラーはシンカンサイ市を離れ、9号線を東に走っている。片側2車線、半ば地中に埋まるように建設されていて、丁度、トレーラーの運転席の高さまで壁面があり、壁面に添って転々とライトの光が淡い青に輝いている。空には透明な天井を通して、ほとんど瞬くこともなく星が輝いて見える。9号線はこのままタルシス台地をゆったり下ってルナ平原に向かうのである。
 出発して数十分を経過したのだが、ウォルヒは黙りこくったまま、凍り付いたように身動きもしない。視線は運転席前方を見ているが焦点はおぼろげで、時折、堅い表情の中で瞬きが無ければ彫像と変わりがない。ウォルヒは後からこの時のことを振り返ることがあるのだが、自分が何を考えていたのか、まったく覚えていなかった。
 ただ、彼女が記憶を取り戻すのは、突然に、運転席が暗くなった場面からだ。彼女がふと我に返ると運転席が暗くなって、運転席のパネルの表示ばかりが輝いて見える。息が白い。運転席の空調機も止まったに違いなかった。9号線の内部は外気から遮断されて与圧されてはいるが、トレーラーの外は氷点下の温度に近い。呼吸の度に冷たい空気がのどの奥を冷やしている。ウォルヒは運転席の男を見た。
(こんな所で、故障かしら)と思ったのである。
 男の笑顔がそれを否定した。
「あんたも運がいい。良いものを見せてやろう」
 男はハンドルから手を離して前方を指さした。もちろん、運転は彼の思考ロボットが担当している。そして自分も頭の後ろで手を組んでシートにもたれかかった。まるで、今から始まる映画を待ち受けるような仕草だった。ウォルヒは今度は焦点を定めて、視線を前方に向けた。上空は暗く、瞬くことのない星が輝いているが、地平線の彼方が、ぼんやりと柔らかな薄紫に輝いている。夜明けが近いのである。トレーラーはその夜明けに向かって走り続けている。2人はしばらく黙って前を見続けていた。頭の芯がさえ渡るようで冷たさが心地よい。
 突然に、眩い光が前方から走ってきて、2人を貫いて後方に過ぎ去っていった。ウォルヒは驚いて、思わずその光を追って、トレーラーの後方まで振り向いた。地平線の向こうから、朝日が9号線沿いに道路や壁面を一直線に照らし出したのである。
「綺麗ですね。夢の中みたい」
 まるで光の通路を、朝日に向かって走っているような心地よい感覚に捕らわれる。
「面白かったろう」と運転手は自慢気に言った。
 9号線の、この付近は東西にまっすぐに伸びている、晴れた日の夜明けにここを通過すると、この光の通路に出会うことを知っていたのである。
 運転手は再び車内の環境を彼の思考ロボットに任せた。車内に暖かな空気が戻り、ウィンドグラスが色づいてまぶしさを遮断した。それからじっとウォルヒを見つめていたのだが、不思議そうに言った。
「へえ。やっぱり生きてたんだな」
「えっ?」
「あんたが全然動かないから、人形みたいだって思ってたんだ」
 半ば本気で言ってるのかもしれない。木訥とした笑顔で冗談か本気か判別できない。ただ、一片の悪気も無いらしい。ウォルヒは彼につられるように微笑んだ。メンバーですら知らない柔らかな笑顔である。

 シンカンサイ市とローウェル市を結ぶ9号線は、シンカンサイ市から東に走って500km程の所で、サモア中継所を通過する。ここは町と言うには小さい。しかし、霧で有名な南西のシナイ平原を経由してシャクルトン市に至る118号線、北のビウス市と南のソリス平原にあるアリオン市とを結ぶ98号線など、火星の大動脈が合流して、明るく、荒っぽいという雰囲気に満ちていて、豪快な活気がある。MSB─Xを運搬する大型トレーラーは、予定通りこの中継所で燃料の水素を補充した。同じ大型車でも、宇宙船を運搬するだけに、他のトレーラーに比べて大きく、駐車に場所をとる上に、何か特殊な物を運んでいるのかと人々の興味を引く。しかも、荷台にかぶせたシートに透き間があり、いかにも、中をのぞき込んでみたくなるように、人々の好奇心を刺激しているのである。新型船開発を行うメーカーとして、考えられないほどの迂闊さである。ネヤガワ工業が新型船開発に不慣れだという事実は、こういうセキュリティー感覚の欠如としても現れていた。慣れた人間がシート越しにこの外形を見れば、エンジンや推進剤タンクの大きさを見るだけで、この船体の性能の概略や船体の用途を推測することが出来るのである。
 ウォルヒとドノバン、トレーラーの2人の運転手はトレーラーを離れた。夜明け前に会社を発って、既に5時間が経過しており、昼食の時間でもあった。ドノバンが何か腹に入れておかなければならないと思いながら、さっぱり空腹感を感じていないのは、まだ緊張感から解放されていないからだろう。
 ドノバンが乗るトレーラーが停車した後、ウォルヒの乗る2号車が並んで停車した。全長20メートルはある大型トレーラーである。助手席から降りて見ると、停車する2台の大型トレーラーは平行に停車して、その間隔は50センチと空いていない。ウォルヒはその間をすり抜けて歩きながら、その間隔の狭さに運転者の技量を認めて感心した。
「へぇっ。見事なものですね」
「嬉しいこと言ってくれるねぇ」
 もちろん、彼女の思考ロボットのコロンを、トレーラーの運転システムに転送すれば、彼女自身の意志でトレーラーを動かすことは可能である。しかし、この間隔でぴたりと停車させようとすれば、彼女もコロンも苦労するだろう。運転手と彼の思考ロボットは苦もなくそれをおこなっているのである。熟練した人間と、その人間に教育を受けた思考ロボットは想像を超える技量を生み出すらしい。

 このとき、シドニー・ウォーデンの思考ロボットは、中継車を9号線上シンカンサイ市に向けて走らせていた。
 車内は撮影スタッフ兼運転手と取材助手、ウォーデンの3人だけだ。この3人がタルシスTVが昨日のテロ未遂事件の取材に送り込んだ全スタッフである。多発するテロ事件の中で、未遂に終わったため、ウォーデンの上司はその程度の取材価値しか認めていない。3人、とりわけウォーデンには取材価値のない取材にかり出されているという自覚と不満があった。テロが実施されていれば数十人の規模の死傷者を出した可能性のある事件である。
(あのテロリストどもが、もう少しマシな連中なら、)とも思うのである。
「でさ、女に言われて嗅いでみたら、ホンマに消毒薬の臭いがするわけよ」
 取材助手が語るのは、昨夜、一夜を共にした女が、彼の衣服に染み付いた臭いで医者と間違えたという話である。
「病院の取材の時か? テロ事件のレポートばかりだ」
「もっと、ほのぼのした話はないの?」
「おれはこの仕事に付くまでアイドルの追っかけが夢だったんですけどねぇ」
「今じゃ、病院と葬儀屋と警察の追っかけで急しいってか?」
 突然に、ウォーデンが会話を途切れさせて、左の親指で通り過ぎたばかりのサモア中継所を指さして、ムーバーを操縦する思考ロボットに命じた。
「おいっ、ちょっと気になる。引き返してくれ」
「えっ。腹でも減ったの?」
 カメラマンの不満に、取材助手もまたウォーデンの指示に異議を唱えた。
「このまま行こうよ。早めに着いて、ゆっくり風呂に浸かって、血の匂いをおとしたいんだ」
「気になるトレーラーがあった」
 ウォーデンは短く理由を告げ、カメラマンが笑って答えた。
「テロリストの爆弾でも積んでた?」
「いや、高速艇じゃないかと思う」
 ウォーデンは対向車線の駐車場の大型トレーラーの荷台に気付いたのである。テロ事件の取材で衛星軌道上まで足を伸ばすことがあり、取材の特質を現して、危機管理局に所属するレスキューチームの高速艇や保安局に所属する機動隊のパトロール艇を目にすることがある。シート越しに見えたものが、その種の小型機ではないかというのである。
「シンカンサイ市に小型船のメーカーがある。メーカーのトレーラーがここを通っても不思議じゃないだろう」
「アスクレウス港はメーカーから見て逆方向だ。それに、」
 ウォーデンは口ごもった。何か違和感を感じたと言うほか、気を引かれた理由が良く分からない。船首と船尾に分割して搭載していたようだが、その二つを頭の中で組み立てると、ふと好奇心の混じった勘が働いたのである。今まで見たことがあるどの高速艇より大きいような印象を与えたものか、胴体部分のシルエットが、よく見かけるスピカと違っていることに、何となく気付いたのだろう。
「あたしゃどうなっても知りませんよ」
「知ってるか? 保安局の連中が自前の攻撃機を導入したがってるって噂を」
「万が一、戦争になれば、矢面に立たざるを得ない連中ですからね」
「まさか。あれが?」
「奴らはパトカーに対戦車砲を搭載してでも、一戦、交えたいらしい」
「シンカンサイ市での中継はどうするんです?番組に間に合わなくなりますよ」
「ほっとけ、どうせテロの後始末だ」
「ボスには、あんたが説明してよ」
「あれがオレの勘通りの代物なら、オレがボスに昇進してお前らを誉めてやるさ」
 ウォーデンは中継車を方向転換させ、気になる船体を追った。もちろんMSB─Xはウォーデンが考える船体ではない。しかし、このウォーデン達によって、MSB─Xという火星市民による自社開発の船は、注目を浴びることになった。騒動はネヤガワ工業に移った。

「イマムラ君」
 感情を抑えるような声だった。イマムラはストヤンがこういう口調で語りだすときには、機嫌が悪いか、困惑しているかのどちらかだという事を覚えていた。こういう口調で部長室に呼び出されるときにはろくな事が無かった。
 部屋に顔を出したイマムラにストヤンが言った
「タルシスTVの件は、聞いているかね」
「ウォルヒから連絡を受けました。タルシスTVのスタッフから取材を申し込まれたので、此方に窓口を回したと、」
「じゃあ『報道職人68』という番組は知っているな?」
「ええ」
 あまり上質な番組だという印象は無い。職人の名と裏腹に、時事問題を取り上げて、第三者の立場から問題をことさら煽り立てる。冷静な報道という名目で、第三者的な立場を取っているから、出演者やレポーターにとって気持ちよく、時事問題をこきおろせるわけだった。
「今朝方、シドニー・ウォーデンという人物から、うちで開発している新型船について取材がしたいという正式な申し込みがあった」
「取材ですか?」
「そうだ、君の部署の船体についてだ」
 ストヤンはMSB─Xを「我々の船体」と言わず「君の所の船体」と距離を置いた表現をする。ローウェル工科大学実験センターの試験の結果、新型船の性能は思わしくないということも予想される。取材というのは、彼らにとって迷惑な話だった。中途半端な公表をされれば会社にとって損害のみ大きいだろうし、社内においても技術開発課の肩身が狭くなるのが見えている。巻き込まれるのは、少しでも避けたいと思うのは当然の心理だろう。イマムラ自身、避けられるなら避けたいのである。
「私には今回の取材の申し込みはタイミングが良すぎるように思えるし、相手はかなり細かな情報をつかんでいるようだ」
「出来れば新型船の性能が判明してからにしたいのですが、」
「私は、彼らを避けるより、今回の取材を受けるほうが得策だと思う。既に車中には私が許可を取り付けた。あとは広報課と連絡を取って、話しを進めてくれ。当日は君と広報課の担当者が窓口になる、セキュリティの専門家が一人つく。取材の前にラベルさんから技術的なアドバイスを受けておけ」
 相談という形式を取りつつ、ストヤンはイマムラの意見を聞くことなく一方的に決定事項を伝えた。営業畑出身のイマムラはこの叩き上げの技術者に未だに信頼はされていないらしい。イマムラはそう考えて肩をすくめた。
 一方、ストヤンのイマムラに対する評価はやや異なっている。わざわざ調査に来る相手なら、イマムラの経歴ぐらいは調べてくるはずだ。彼は火星時間で1年前まで、技術と無縁の職種の中にいた。しかし、イマムラはよけいな見栄を張る男ではない上に、知らないものは知らないと素直に答えるに違いない。しかも、そう答えても嫌みを感じさせない人柄をしていた。専門家を出せば、取材陣の質問に、専門的に突っ込んだ回答をせざるを得ない。ネヤガワ工業として開発責任者を取材窓口に据えるという誠意をみせつつ、情報が漏れる心配がない。イマムラという男は今回の様な取材の窓口にはうってつけだろう。無垢な素人という点で、ストヤンはイマムラを随分、信頼しているのである。

 取材当日の朝、ウォーデンは総勢3人のスタッフでやって来た。言うまでもなく、本来の取材対象のMSB─Xはローウェル市にある。今日の彼らの取材は、番組のさわりの部分である。視聴者にネヤガワ工業というメーカーを紹介するのである。汎用高速艇という限定した市場のシェアでは、トップクラスの企業と言えなくもないが、一般の火星市民にとって、ネヤガワ工業は一地方都市の、名前も聞いたことがない小企業に過ぎない。
 シンがバレとウィリアムスのためにクジを作り、バレが当たりを引き当てていた。
「こういう場合、やっぱり知性と教養を備えた私でなきゃ」
 そう口にしたバレがレポーターの案内役を務める。ウォーデンが彼女のどちらかを指定したのは、イマムラが案内するより絵になると言うことである。
 イマムラは画面に映らないようについて行くだけだ。撮影ゴーグルで目のあたりは隠れてしまっているが、口元でカメラマンが笑っているのが分かる。イマムラのいじけた様子を見て、あんたも撮してあげようかというのである。イマムラは手を振って断った。ハンディカメラも持ってはいるが、主としてカメラマンのゴーグルを通して、イメージ通りの映像が、彼が腰につけたメモリーに蓄えられてゆくのである。カメラマンの視線は、スピカの製造ラインを借景にして、案内者のバレとレポーターのウォーデンを捕らえた。
「我が社では、N&B社の汎用高速艇FW201のライセンス生産権を得て、火星仕様のスピカとして製造しています。保安局や危機管理部のパトロール艇として皆さんもよくご存じでしょう」
 彼女が伸ばした腕の先に、スピカの製造ラインがひろがっている。この後、社内のセキュリティの専門家に指示された打ち合わせのコースに沿って、ウォーデン達を案内するのである。
「ここは、我が社で解装ラインと呼ばれている区画です。オーバーホールを受ける船体は、まずここで外観をチェックされて、モジュール毎に分解されて、左手の方に見えるオーバーホールの工程に送られます」
(忙しいものだ)
 イマムラは彼らの苦労を思った。取材スタッフはバレの説明の傍ら、工場を駆け回って、作業員にぺこぺこ頭を下げてポーズを取らせたり、イメージ通りの映像作りに忙しいのである。その様子にイマムラは共感を覚えた、まるで、ネヤガワ工業での彼の立場の様だった。
「そして、これらの製造ラインは、全てN&B社の定期的な監査を受けて、同社の製造基準に適合しています」
 バレの言葉にウォーデンが念を押した。
「高度な地球の技術を継承してると言うこと?」
「その通りです。我社は地球時間で4年に1度の監査を受けて、地球メーカーと同等の技術水準にあると認定されています」
 やや寂しい説明である。火星市民の手になるMSB─Xの信頼感を印象づけようとすれば、彼らの工場が地球の巨大資本N&B社の技術面の承認を受けた工場だと言うこと、MSB─Xが地球で開発された技術の延長上にあることをアピールしなければならないのである。
「さらに、私たちはスピカの製造実績を基にして新たな船体を開発しました。それが今回、皆様にご紹介する、新型船MSB─Xです」
「開発に自信は?」
 バレがやや口ごもったためにイマムラが補足した。
「試験の結果にご期待下さい」
 自信があるかと聞かれて、無いとは答えられないのである。ウォーデンは仲間に手を振って取材終了を指示した。わずか1時間に過ぎないが、このメーカーを描き尽くすには充分だと判断したのである。ウルマノフという社長にインタビューできなかったのは、多少残念だったが、報道のシナリオに支障が出ることはあるまいと考えたのである。彼らはシンカンサイ市を離れ、ムーヴァーの目的地を本来の取材対象があるローウェル市に向けた。ムーヴァーの中で先の取材内容を編集しつつ時を過ごせば、ローウェル市に着く頃にMSB-Xの最後の試験が始まる頃になる。
 ウルマノフは出張先から彼らの取材に注文を付けていた。
   ①試験の障害になる取材には応じられない。
   ②新型船の性能の数値の公表についてはネヤガワ側の許可を要する。
   ③ドノバンやウォルヒを始め、社員のプライベートな部分に立ち入らない。
 ウォーデンとして、ネヤガワ工業が示した報道の制限に異論はなかった。取材はローウェル工科大学に移って、到着したウォーデンたちは挨拶もそこそこに、研究員の邪魔にならないカメラアングルを求めて施設をうろついていた。
「試験の邪魔をするなって? 貧乏くさい取材制限だな」
 ウォーデンは仲間に苦笑いをした。自分を含めて、火星市民というものに対してである。地球の大資本なら、間違いなく金を払ってでもこういう報道の機会を、積極的に企業宣伝のために利用しようとするだろう。
 試験の障害になる取材には応じられないというのは、裏返して言えば、新型船開発に要するコストを、今以上に引き上げる余裕はないと言うことだろう。小型機の試験設備のない彼らは、高額なリース料を払って、この設備を一時的に借り受けるという形を取っている。大学側としても、本来の研究施設をいつまでもネヤガワ工業に使用させるわけもなく、ネヤガワ工業は多額のリース料を要した上に、契約期間を過ぎれば、試験自体を中断させなければならなくなるのである。
 ネヤガワ工業が彼に課した報道制限は、取材の支障にはならない。ウォーデンが報道したいのは、ウォーデンという報道レポーターがこの新型船を見いだした能力を持っていると言うことと、本来は火星市民の祝福を受けるはずの新型船が、残念なことに、失敗作に終わる。その過程を、火星市民である彼が、火星市民の愛国心に訴えつつ、失敗に至る悲劇の経過を報道するのである。ウォーデンの中では既に、MSB─Xが失敗作に至るシナリオの結末まで出来上がっている。そのシナリオの結末は、彼にとって確固として揺るぎがない。別に、彼がネヤガワ工業に対して偏見や悪意を抱いているわけではない。ウォーデンは既に小型船開発の専門家と称する人々の幾人かに、火星市民による自主開発について意見を求めていたのだが、肯定的な意見は全くなかったのである。

 ウォーデンはドノバンやウォルヒというネヤガワ工業の社員と、この試験施設で2週間ばかり行動を共にする。その初日にウォーデンは夕食に誘うと言う形で、ウォルヒとドノバンという人物に触れておこうと思った。
 ウォルヒという女性に『ステンレス・プリンセス』というニックネームがあることは、ネヤガワ工業の取材の時に聞き知っていた。たしかに表情に乏しく笑顔が硬い。このメーカーは新型船開発に不慣れで、役割分担がはっきりしていないのだが、イマムラという男は素人だ。ウォーデンはこの表情に乏しい女が、実質的な主任設計者だと性格に見抜いていた。番組を盛り上げるためには、この女の話を聞く必要があるだろうと考えたのである。
 ドノバンやウォルヒのプライベートな部分には踏み込まないという約束なので、カメラを回すのは避けていたが、ウォーデンは胸のポケットの中の録音機のスイッチを入れてレストランの席について二人を待っていた。
(絵になりにくい女だ)
というのがウォルヒ・ウォルヒという女の初対面の印象だった。化粧っ気がなく表情が乏しい。そればかりではなく口まで重い。
(緊張しているのだろう)とウォーデンは思った。
 仲間の期待を背負ってここまでやって来た、今後の成否が自分たちにかかっているような気がして落ち着かないのだろう。彼らの会話は弾まず、質素な食事を追えたウォルヒは、ウォーデンが勧めるワインを断って席を立った。結局、ウォーデンは得ることもないまま食事を終えた。とうてい二人を酒に誘う雰囲気ではなかった。
「胸に銀色のペンダントをつけているほか、全く化粧っ気はない。絵になりにくい女だ」
 ウォーデンの録音機にはそういう呟きが残っていただけだ。

 ウォーデンの取材対象は、実験棟内の一階フロアーに固定されていた。MSB─Xには幾本ものケーブルが接続されていて、このケーブルから伝えられる船体のデーターは、ウォーデン達取材スタッフが陣取る3階の試験指令室に送られている。この試験司令室から1階フロアーのMSB─Xの全景を撮影することが出来、絶好のカメラアングルだった。
 研究員達はモニターに現されるデーターを読みとっている。
「積載重量53.86地球トン、重心位置座標、」
「ヨーイングコントロール、0.8秒、減衰率22.3%、」
 専門的な用語の羅列でウォーデン達には分からないが、別に問題はない。そんなものは、視聴者にも興味はないからである。
(しかし、彼らの表情は実に絵になる)
 ウォーデンはそう思った。初日の緊張感のあったウォルヒとドノバンの表情が日々変化している。失望や怒りや絶望が加わって視聴者の興味を引く実にいい絵になる。数値で試験結果を追うより、二人の表情の変化が、そのままMSB─Xの試験結果を、分かりやすく率直に現しているのである。

  判定
    加速性能   :要求性能に達せず
    姿勢制御能力 :要求性能に達せず
    航続時間   :要求性能に達せず

 これが、この二人が最終日に得た結論である。要求性能が引き上げられたという、彼らにとって思いもかけない理由である。理不尽な運命だが、彼らが迂闊といえなくはなかった。MSB-Xの報道は、もちろんN&B社でも把握している。N&B社がMSB-Xの試験とタイミングを合わせるように、アンドロメダのエンジン換装を発表したのである。エンジンの出力増大によって彼らの船は格段に性能が向上する。MSB-Xはその船の性能に達せず、旧型エンジンの出力向上も望めなかったのである。もちろん、エンジン換装などまだまだ先の話だが、その発表によって拡張性のないMSB-Xは息の根を止められたのである。
 カメラはセンサーやケーブルが外されていくMSB─Xを撮影した。今回の試験が完了したことを象徴する映像である。ウォーデンはカメラマンに指示して、そこにドノバンとウォルヒが肩を落とした後ろ姿を重ねさせた。ウォーデンは最後に確認したいことがあった。ウォーデンは二人に近づいて尋ねた。
「それで、ダメだったんでしょう? この船体はいつスクラップにするの?」
 ひどく残酷な質問だと言うことは分かっている。ウォルヒは一瞬目を見開いて怒りを露わにしたが、何も反論できずに黙りこくった。しかし、ウォルヒはじっと正面を見据えて視線を逸らさない。
(いい目をする)
 ウォーデンはそう思った。同じ火星市民として救われた思いだった。その彼女が胸元に何か握りしめていた。
(こんな女でも何かに祈る事があるのだろうか?)
 小さな銀のペンダントで、「火星の息吹」の事故の遺族だと言うことを示す品である。ウォーデンは彼女が事故の遺族かどうかと言うことに興味はない。ただ、彼女が試験を祈るように眺め続けたその視線の先に、神ではなく、彼女に連なる肉親の姿があったと言うことを知った。
 

報道

 ネヤガワ工業の社内では、取材の直後から、報道の日程とその内容について関心が高まっていた。
「うちの会社が全国ネットワークで放送されるんだ」
「ねぇ。私は映っているかしら」

 ネヤガワ工業のような中小企業にとって、報道取材というのは初めての経験である。社員は皆、その片隅にでも自分の姿が映っているのではないかと興奮し、気の早い者は家族にもこの番組の中で自分の姿を探すようにと命じていたりした。MSB─Xの試験結果が思わしき無かったという結果は、ローウェル工科大学に出張した2人から入った連絡を通じて、うわさ話として全社内に広まって居る。社員たちは、その結果ではなく、自分の姿が全国ネットで映しだされるかもしれないという事に興奮しているのである。
 番組は一般公開を待たず、電子ファイルとしてネヤガワ工業に届けられていた。社内で番組を流す昼の休憩時間には、食堂のあるスクリーンの回りが社員で埋まった。

 番組の始まりは、おおむねネヤガワ工業とMSB─Xに対して好意的な内容といえた。
 映像の視点が良い。普段、ここで働いている社員にさえ、こんなに広々として、整理整頓の行き届いた最新工場だったのか?と感心させるほどである。
 映像を見たラベルも素直に感心した。
「ほおっ。いろいろ参考になる」
 壁際に立って、他に対比するものが無いまま、ゆっくりと壁面を見上げて天井のクレーンを小さめに撮せば高さが強調される。やや高めの視点から、画面手前にはみ出るほどに大きく作業者を撮し込んで、部屋の端のスピカを小さく撮し込めば、作業場の奥行きが強調される。ずいぶん広々とした工場という印象を与えるのである。
 最新設備を備えているように見えるのは、新しい設備機器を手前にして、古い設備が隠れるような角度の映像を繋いでいるからだ。事実を報道しているのは間違いないのだが、その種の映像上のテクニックを多用して、番組のためのイメージを造っているのである。
 その映像を背景にしてアーシャ・バレの工場の説明の音声が被さっている。
「そして、これらのラインは全てN&B社の定期的な監査を受けて、同社の製造基準に適合しています」
 ウルマノフは一人、応接室にこもってこの番組を見ていたのだが、ほっとした様子を見せた。既に試験の結果はウルマノフにも届けられていた。それだけに、これ以上のダメージを被るような報道は避けて欲しいという思いだ。しかし、ここに来て思わず、彼をムッとさせるようなタイトルクレジットが浮かんだ。
『無謀か? 国産機開発。ある中小企業の悲壮な挑戦』
 スタジオの奥にアドバイザーとして専門家が3人、手前に司会者が二人とウォーデンが控えている光景が撮されている。司会者の男が番組の口火を切った。
「もちろん、今回のような宇宙船の自主開発と言うものは、その一面ではなく、多角的に分析し評価をする事が必要でしょう。今回、我々の番組では、レポーターのウォーデン氏による現場取材の他、様々な専門家においで頂いて、この火星における小型船の開発現場の現状を、皆様と同時に見ていきたいと考えています」
 司会者が「航空工学専門家」という肩書きのパットナムを指名した。
「パットナムさん。技術的な面から見た、宇宙船の自主開発についてご説明頂けませんか?」
 MSB-Xの映像を眺めていたパットナムが重々しく頷いて答えた。
「まず、宇宙船は様々な最高技術の集大成なんですよ。おそらく小型船と言うことで、このメーカーは、開発を甘く見ていた部分があるんでしょう」
「例えば?」
「搭載したエンジンモジュールを見て下さい。なんで、こんな旧式なものをつかうんだろう。この船体の用途が分かっていない証拠だね。我々専門家なら、まず、高出力のエンジンを選定するのが常識だね」
「たぶん、価格面を気にしたんでしょう。出来るだけ価格の安いモジュールを使用したんじゃない?」
「ウォーデン君。取材の手応えはどう?」
「先ほどの映像にも流れましたが、このメーカーは名前は余り知られてはいませんが、20年来の小型船の製造実績を持ったメーカーです。この種の高機動小型船で言えば、トップシェアーを占める企業です。その能力を持っていてもおかしくはないと思うんですが」
「でも、ライセンス生産でしょう? 与えられたマニュアルに添って部品を組み立てるのと、新しい物を作り出すことは違うんですよ」
「自主開発といえない?」
「そう。自主開発と言ってもねぇ。ちょっと表を準備したんで、撮してもらえないかな。この船体のモジュール毎に構成する部品を調べたものなんだが、ほら、ほとんど輸入品かライセンス生産品でしょう」
「ああ、部品を組み立てただけ?」
「自主開発っていうにはほど遠いね。今、ワンさんが言ったとおり、寄せ集めの部品を組み立てただけだね」
「最近、地球で高校生が手作りの宇宙船を造ったって騒がれたことがあるじゃない? 宇宙船を構成する部品のモジュール化が進んでいるんで、強度計算ができれは高校生でもやるんだね」
 番組を見ているイマムラたちもその話は聞き知っている。数人の高校生たちが、月面の小型機のスクラップ置き場からこっちの船体からコックピットモジュール、あっちのスクラップからパワーモジュールという具合に各種のモジュールを入手して1つにくみ上げて、密かに宇宙船を作って大人を驚かせたという話である。
 ここ30年ばかりの間に、部品の規格化とモジュール化が進んだ結果、規格に適合するモジュールでありさえすれば、言い換えれば信号を伝えるケーブルのコネクタが一致して繋がりさえすれば、コックピットモジュールから発した操縦信号は船体の各所に正しく伝わって船体を制御することが出来る。推進剤の配管の内径から、ボルトやナットに至るまで、部品の共用化が進んで特定の船体にしか使えないという特殊な部品はほとんど姿を消しているのである。
 もちろん、高校生たちは宇宙を航行する船体を組み立てたというだけである。彼らには宇宙船を宇宙空間に運搬する手段も無く、推進剤をタンクに注入しようとして、警察に補導されたという事件である。
 ただ、専門家がこのニュースを比喩として持ち出すのは悪意がある。ネヤガワ工業では船体の強度や安全性を十分に計算した上で、商業製品として船体を試作した。もともとの技術レベルが全く異なっているはずだ、それをモジュールをつなぎ合わせた高校生と比較して貶めているのである。
「ウォーデン君。この船体の試験結果についてはどう見たらいいんだろう?」
 コメンテーターたちの前のスクリーンに試験中のMSB─Xの姿が映しだされている。画像に合わせてウォーデンが解説を入れた。
「彼らは出来上がった船体を、ローウェル工科大学に運んで試験をしたんですが、残念ながら、競合するメーカーの船体の性能に及ばなかったようです」
 パットナムが、他の出演者に苦笑いをしてみせた。
「そもそも、宇宙船を開発するからには、試作機の試験設備をもっていなければならないでしょう。どのメーカーも持っている設備ですよ。その基礎的な施設がないと言うことは、このメーカーに開発能力もないと言うことだよ」
「そして、さっきウォーデンさんが言ったとおり、この企業は火星で小型機のトップシェアーを占めてる。その企業がこの状態なら、火星で独自で小型船開発をするというのは、無謀なことだね。勢いや思いこみだけで動いちゃいけない、自分たちの力量を素直に受け入れる勇気も必要だよ」
「この試みは無謀だって事? 高校生が作ったんなら誉めてやっても良いけどね」
「オルタンスさん。ローウェル大学の試験結果の数値が出ているんですが、これをごらんになって性能という面から見た場合、この自主開発船はどう評価できるんでしょう」
「さっきの話の続きだが、高校生が作ったものよりましだね」
「まあ、冗談はその程度にして、ワンさん。今度はご専門の経済的に見た場合、この開発が火星経済に与える影響は?」
「経済的な効果と言ってもね、N&B社やデメテル社がこの火星に生産基盤を移しつつあるんです。N&B社やデメテル社で遥か信頼性のある船体が製造されています。現在の我々の技術力を冷静に考えれば、むしろ、無謀な開発に費やす経済損失の方が無視できないね」
「経済損失と言っても、既存のモジュールをくっつけて、あとはそれをスクラップにする費用の損失だけですから、」
「まあ、温かい目で見て良いんじゃないでしょうか?良薬は口に苦しとか言います。長い経験の中では、失敗するって言うのも、いい経験じゃないですか?」
「経験を積むことで次回に生かせれば良いんですが、N&B社やデメテル社が進出してくる以上、彼らにとって、この次はあり得ないでしょう」

 報道の内容に、ネヤガワ工業の応接室ではウルマノフがディスプレイのスイッチを切った。ネヤガワ工業の食堂では、ガーヤンやウィリアムスは息をのんで、バレは昼食のトレイを床に叩きつけて怒りを露わにした。
「ひどい」
 報道の内容はウォーデン達の裏切り行為のように思われたのである。
「うるさいなぁ。どいてくれ。番組が見えない」
 妙に冷静な声がして、バレは振り返った。製造部員である。昼食に食堂に集まっていた人々の視線が彼女たちに集まっていて、その視線が彼女を刺すように冷たい。
「あの番組で嘘を付いてるって言うのか? 全部本当の事じゃないか」
「そうだわ。事実は受け入れなきゃ」
「専門家の人たちも、みんなで否定するんだもの」
「これ以上会社の恥をさらすのは嫌だわ」
 設計課には新型船開発というかっこいい仕事は自分が果たすはずだったという妬みもあるのだろうが、技術部の他の部署や製造部にもMSB─Xについて随分と負担をかけている。その反感が吹き出したのだろう。新型船開発、MSB─Xという船体、その船体を設計した人々、そういうものに向けられた好意的な雰囲気は微塵もなく、気付かない内に、彼ら技術開発課は社内でも社会からも孤立していたのである。
 

戻って来たウォーデン

 あの報道の、わずかあくる日である。突然のウォーデンからの連絡の後、イマムラは部下に問いつめられていた。
「あの連中が、私たちにまだ何か用があるって言うんですか?」
「追加の取材か何か、分からない。我々に直接会いたいそうだ」
 イマムラ自身が彼らの意図が掴めず、事態が把握できていない。昨日の番組に対する怒りが、メンバーの間でまだ収まっていない。むしろ、思い出す度に、怒りが増幅して爆発しそうだった。ただ、この怒りは技術開発課飲みに限ったものらしく、他の部署では冷ややかなほど冷静さを保っている。そんな時期にウォーデンはイマムラに面会を申し込んできたというのである。
「ただの謝罪なら聞きたくもない」
 シンが吐き捨てるように言った。他のメンバーも同じ思いだ。
 ウォーデンは2人のスタッフとネヤガワ工業の受付に現れ、バレが罪人でも連行するような雰囲気で、技術部棟入り口の応接室に案内してきた。技術開発課メンバーが顔をそろえており、部屋に怒気が充満していた。イマムラでさえ、露骨に不信感を現して隠そうともしないのである。ウォーデンらはメンバーの怒りの視線に動じる様子はない。
 席に着いたウォーデン達に、ウィリアムスがドリンクサーバーからマグカップに入れた飲み物を運んで来たのだが、彼女は突然にウォーデン達の頭上にカップの中身をぶちまけた。
「あら、ごめんなさい。手が滑っちゃったわ」
 ウィリアムスは、彼らを睨み付けて姿を消した。
「嫌われたものだな、ただの水か? コーヒーを出してもらうほどには歓迎されていないらしい」
 ウォーデン達は水をかけられたことには触れず、大して気にする様子もなく、ハンカチで水を拭った。裏切りを詫びるわけでもなく、ウィリアムスの挑発から逃げ帰る分けてもなく図太く厚かましい連中だった。話はイマムラから切り出した。
「ウォーデンさん。まず、私たちの方から聞いて欲しいことがある。私は、我々の開発した船体の性能が在来機種の性能に遠く及ばないという事実において、あなた方の報道が正しいと言うことを認めなくてはならないと考えている。私たちの次の進歩がその失敗を受け入れることから始まるからだ」
(なるほど、こういう男だったのか?)
 ウォーデンは思った。何故か、試験の最終日にウォルヒがじっと前を見つめる視線と重なった。イマムラは続けた。
「今、この火星の大地の上に10億を越える人々が居る。まだまだ増えるだろう。100年前の人類にこの状況が想像できただろうか。夢を可能にしたのは我々の両親や祖父母が、農夫が大地を耕すように都市を築き、我々を慈しみ育てたからだ」
 ウォーデン達はメンバーの冷たい視線に晒されているのだが全く動じる様子がない。ただ、イマムラの話に軽く相づちを打ちながら聞いている。
「私たちは彼らの血を引き継いでいる。我々メンバーはこの地で我々の船を創り上げる。同じ火星市民として、その同胞の熱意や努力を侮辱する報道が許されるものだろうか?」
 黙っていたウォーデンが突然に話し始めた。
「イマムラさん。専門家連中の意見は一致している。火星市民の手による宇宙船の自主開発を否定する事実は山のようにある。私は私たちの報道が正しいものであったと信じている」
 ウォーデンはここで言葉を途切れさせて部屋の中の人々を眺めてから続けた。
「しかし、イマムラさん。現実というのは面白い。火星市民の祈りは専門家を否定するらしい。それを皆さんに出会って教えてもらいましたよ」
 ウォーデンはメンバーを見回してバレに目を止めた。自分を案内した女だと言うことは記憶していた。他の誰よりも怒り狂った目でウォーデンを睨み付けているのである。
「私たちが今日、ここに来た理由を知りたい?」
 ウォーデンはバレに子供っぽくウインクして尋ねた。バレはぴくりと眉を動かした。たしかに興味がある。しかし、ウォーデンは自らのびしょぬれのハンカチと、びしょぬれの仲間を眺めて、子供のように言った。
「やめた。もう、教えてやらない。でも、間もなくあなた方にも届きますよ」
 3人はメンバーの一人一人に強引に握手を求めて、さっさと姿を消した。彼らの取材と同様に自分勝手な男たちだった。突然にやってきて、何もせず返ってしまった。メンバーにも彼らを引き留める理由はない。
「いったい。何のつもりです?」
「私たちをからかいに来たの?」
 結局、何の説明も受けないまま、ウォーデン達に取り残されたメンバー達は憤懣やるかたなく、イマムラは不満の受け皿になっていた。ベルが鳴り、たまたま、間近にいたウィリアムスがふくれっ面のまま電話を受けた。短い会話を繰り返す彼女の様子がおかしい。

「ウォーデンさん?」
 ラベルは技術部棟の通路にウォーデンを待ち受けるように立っていた。イマムラ達の様子から、あの報道に携わった連中がやってくることを知っていた。ラベルはにこやかな笑顔で握手を求めた。
「ジャン・ラベルです。ここで宇宙船開発の仕事をしています」
 ラベルは彼らに自己紹介をし、駐車場まで送ろうと申し出たのである。ウォーデンも名前だけは知っていた。ネヤガワ工業で宇宙船の自主開発が始まった時期や、宇宙船開発に関わる業績かに彼の記者としての勘を働かせれば、ジャン・ラベルの名がリストに上がる。ラベルは歩きつつ、思い出話でも自慢するように、MSB-Xにおける自らの功績を自慢した。
 ウォーデンは尋ねた。
「火星市民の自主開発ではなくて、地球からの技術導入だと?」
「そうです。独自の思想なんてありません。すべて私の指示通りにやりましたから」
「その話、番組で流してもよろしいか?」
「事実を報道するのがあなたの仕事だ」
「あなたの話が事実なら、今回の失敗の責任の大半はラベルさんにあることになる」
「その通りかもしれないね」
「ラベルさん。私たちは取材に当たって、あなたの経歴も調べさせていただいている。デメテル社でプロメテウスを始め一連の小型機の主任設計者をつとめた人だ」
「よく調べてあるね」
「開発担当者として高名な方だ。こんな報道は下手をするとあなたの経歴を泥まみれにしますよ」
「今は、失敗を笑って吹き飛ばすピエロが必要だ」
 この短い会話を、ウォーデンはニュースの原稿に代えて、頭の中で整理していた。しかし、興味を引くものではない。彼自身の存在を誇示するという目的は達していて、この会話にそれ以上の価値は見いだせない。また、ラベル自身も彼らと顔をつきあわせて取材を受けているわけではなく、ただの世間話にしか過ぎない。
 四輪ムーヴァーで帰社する3人をラベルは門まで見送った。窓の外に小さくなって行くラベルの姿を見てウォーデンが言った。
「あの男。失敗を背負って地球に帰るつもりだな」
ウォーデンは車内の端末でニュースのトピックスを閲覧した。次のターゲットを探すのである。それは彼らレポーター同士の情報交換の場で、一般の人々の目には触れない。貪欲な目つきでトピックスの1行毎に目を光らせた。
『技術供与制限法、対象拡大か?』との項目がある。ウォーデンの興味を引くことはなかった。

 その日、ウォルヒとドノバンが会社への回線が繋がりにくいという実感を抱いていた。連絡が彼らに届けられたのは、あくる日の残務整理に忙しい時だった。連絡をもたらしたのは大学の研究員である。ローウェル工科大学への直通回線を利用したのだろう。研究者は通信内容を電子ペーパーに転送してウォルヒに届けた。研究者の表情がこぼれるほど明るい。
 ウォルヒがその電子ペーパーを読みながら湧き上がってくる感情を抑えるように、細かく肩を震わせている。ドノバンが彼自身、ウォルヒを励ますと言うよりも、自分を納得させるために大きく頷いて、ウォルヒの肩を叩いた。研究所の所員たちはそんな二人の周りに輪を作って温かく見守っていた。ネヤガワ工業では、事務員が事務所内を駆け回るほどの混乱にようやく回復のめどが立ったところだ。昨日来、通信回線が麻痺して、臨時の回線を確保するまで、2時間に渡って社の回線が麻痺した。20万通を越える市民から寄せられた電子メールがサーバーのメモリーをパンクさせていたのである。
  ウォルヒは電子ペーパーに見入っている。
いかにも子供のつたない宇宙船の絵が書いてあり、『こくさんき』という文字が添えられている。ページの切り換えスイッチに触れて行くと、様々な人々の思いが伝わってくるのである。
『私たちにだって、やれるんだ』
『火星市民の夢。火星市民の希望』
『火星歴63年。我々、火星市民の新しい出発の年になった』
 番組を見た全国の視聴者から、彼女たちに寄せられた励ましのメールである。失敗に重く打ちひしがれていたウォルヒたちにとって、これらの名もない市民から寄せられた激励は、じんわり浸み行って心を潤す思いだ。

 夕食後、二人はそれぞれホテルの個室にこもって過ごした。彼らを取り囲む研究員の声援もありがたかったが、一人になってゆっくりとメールを味わいたいという気がしたのである。ドノバンにはウォルヒとは別に、彼女に打ち明けるには気がかりな点がある。よほど決心を要したらしい、困惑する様子を隠せないまま、隣室のドノバンからウォルヒに連絡が入った。
「ウォルヒ。手短に言う。君にまだ伝えていない会社からのメールがある。例の法案が可決された。明日、先に社に帰ってくれ。ボクもこっちの残務整理がつき次第、帰る。じゃあ、メールを転送する」
 ドノバンの通信が切れ、ウォルヒはモニターに映し出されたメールを読んだ。短い言葉が並んでいる。
『関係者通知。技術供与制限法追加法案可決』
『派遣技術者にも対象の網が広がる』
『ラベル技師、帰国の見込み』
『交渉継続の可能性無し』
 火星時間で1年前に、彼らから新型船の核融合エンジンを奪った法案が、今回は彼らの指導者さえを奪おうとしていたのである。ネヤガワ工業があるシンカンサイ市と、ドノバン達のローウェル工科大学があるローウェル市には約2時間の時差がある。
 イマムラが追加法案の件を知ったのは昼過ぎである。情報収集を始めて、およその概況をつかんだのは夕刻になっていた。イマムラは多少迷ったらしい。明日の朝の定時連絡まで待ってドノバン達に伝えようかとも思ったのである。しかし、部下に隠し事をするような後ろめたさがあったのだろう。ウォルヒと共に食事を終えてホテルに帰ったドノバンは、イマムラからのメールに接したのである。
 ドノバンがホテルの部屋からイマムラの自宅に連絡を取ると、イマムラは彼の連絡を待ち受けていたように応対をした。状況が好転したという話はなく、メールの内容を繰り返すだけだ。社長が夜半、最終便でシルチスに飛んだらしい。火星行政府にラベルの在留許可を求める交渉に赴いたのである。しかし、事態が好転する可能性はほとんど無いだろうという。
 通話を追えたドノバンは、ベッドに横になって考えた。課長が俺を連絡先に選んだのは、ラベルを敬愛するウォルヒが直接そんなニュースに触れたら動揺が激しいと考えたのだろう。彼はことごとくラベルと対立していた。自分の冷静さが信用されているわけではなく、その仲の悪さを見込まれたのである。
 ホテルに戻った後、着替えもせずにベッドに横になってしまっていた。作り上げてきた船体の性能が要求性能に達しなかった、日々その事実を突きつけられてきた失望感と、連日の試験の疲労が貯まっていて、着替える気力も萎えてしまっている。そのくせ頭の芯は冴え渡っていて眠れない。雑多な想い出や想像が湧き上がってくるのだが、短く断片的でまとまらない。ドノバンはいつの間にか、窓の外から聞こえる音に耳を傾けていた。幹線道路沿いの安ホテルである。窓から様々な音が侵入してくるのである。いつの間にか空っぽになった頭の中に、そんな生活の音が侵入して流れ去って行った。夜の10時だというのに、幹線道路を行き交う車に切れ目がない。大型車や小型車の音を聞き分けることが出来た。タイヤが軋む音がして、小型車が突然に方向転換をしたに違いなかった。工事関係者の声が小さく混じっている。夜間の内に工事を終了させてしまわなければならないのだろう。
(あの連中はこの時間まで働いて、いくらの夜勤手当を稼ぐのだろう)
 ドノバンはそう思いつつ苦笑いをした。妙なことを想像したような気がしたのである。ただ、町や人が生きているという実感は悪くはない。ドノバンはしばらくその雰囲気に身を委ねた。
 突然に、かん高いハウリングに乗せて、駐留軍の撤退だの火星市民の誇りだのという単語を羅列する声が近づいてきた。「愛国市民戦線」だか何かの街頭宣伝車である。この間の選挙で議席を幾分増やした。調子に乗って嬉しさに浮かれているのだろう。ドノバンは眉をひそめた。地球市民は嫌いだが、この連中も大嫌いだ。彼の人生の選択肢の片方に常に何かが立ちふさがっているような閉塞感があって不快だった。ドノバンに選択肢を与えないと言う意味で、地球市民と愛国市民戦線に代表される人々は変わりがない。自分の進むべき方向は自分の意志で決めたいと思うのである。
「あのテロリスト共が、、、」
 不快気に呟いたドノバンの声が途切れるように弱々しく、寝息に変わっていった。

 翌朝、目覚めたドノバンの頭には、まだ、昨夜の不快な記憶が残っていた。部屋のドアの所で隣室のウォルヒと合流して、二人は黙ったまま、朝の食事を済ませた。ウォルヒも時折、不快そうにこめかみに手を当てたり、あくびを噛み殺したりしているから、彼女もよく眠れなかったに違いない。フロントで宿泊費の精算を済ませると、ドノバンはウォルヒを駅まで送って、ムーヴァーの行く先を大学に向けた。残された仕事は多くない。1台の大型トレーラーがチャーターしてある。そのトレーラーに船体を分割せずそのまま乗せてネヤガワ工業に持ち帰るのである。充分な梱包が出来ないためにMSB─Xの船体が破損する恐れがあった。ただし、運搬コストは安く付く。この失敗作と判定された船体に余分な費用はかけられないのである。試験に協力してもらった人々にお礼の挨拶をして、夕刻には、トレーラーに同乗して帰途につけるはずだった。

 試験施設の内部は、しん、と冷たく凍り付くように静まり返っていた。まだ、研究員が出勤する時間には早い。ドノバンはしばらくMSB─Xと向き合っていた。自ら進むべき方向を選択したいという意志はあるのだが、失った方向を定めることが出来ない。ドノバ
ンは、MSB─Xを撫でていて、何故かラベルの顔を思い出した。
 今まで、ラベルが彼らのために道を切り開いてくれていたのである。つい今まで、自分の前を歩いて進むべき方向を指示してくれていた存在を失ってしまう。
 ドノバンは両の手の平で強く顔を覆って涙を拭いた。
 


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