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 早朝、どのちゃんねるも放送スケジュールを変更して、臨時ニュースとして昨日アルテミス市で起きた新たなテロ事件を大きく報じていた。市民を含めて十数名の死傷者を出し、軍関係者に警護された軌道エレベーターの建設も一時ストップするほどだったという。連邦宇宙軍陸戦隊のアルテミス市駐留施設の一部を狙ったらしい。火星市民にも多数の死傷者を出したためか、犯行声明がない。
 軌道上の陸戦隊が火星の大地に進出したというのは、どの火星市民にとっても不快な事実だった。テロを刺激して政治状況を悪化させていた。ドノバンとシンが乗る通勤バスの中でもその話題で持ちきりである。
「逃げ帰った連中が、何を今更のこのこやって来るんだ?」
 ドノバンが同僚にそう評した。市民に死傷者を出したのは、テロリストの責任に違いないのだが、軍関係者が地表に進出したと言うことがそれを誘発したと思うのだ。
 ドノバンの父親と祖父の名が北公園の碑に刻まれている。彼は地球時間に換算して7歳の時に「火星の息吹」で肉親を失っていた。多くの犠牲を出した後、生き残った地球市民の工事関係者は地球に引き上げてしまった。その事実をドノバン達は(あの連中は我々を見捨てて逃げ出した)と称するのである。
 事故はやむを得なかったとしても、彼らだけが安全な場所に逃げ帰ったということが許せない。そんな連中が彼らの頭上、軌道上をくるくる回っていることさえ不愉快だが、同じ地面に威圧的な態度で立つというのは何か我慢できないような気がするのである。

 ネヤガワ工業にも小さな波紋となって広がっている。
(私は、紅海を切り開いたというモーゼか?)
 ラベルは皮肉を込めて思った。体格を見ればラベルが地球市民だと言うことが分かるのである。ネヤガワ工業の社内も、アルテミス市の酒場で起きた事件の話題で持ちきりだった。社員の肩が触れ合う程の人混みの中で、ラベルが廊下を歩いていると、人々は黙ってラベルを避けて通るのである。歩いて行く先に道が広がって行くようだ。その光景を紅海に重ねたのである。そして、ラベルが技術開発課のドアをくぐると、ここでも波乱が起きている。
 ウォルヒがシンから回ってきたレーダーモジュールの設計データーを再検討していた。正確に言えば、再検討という以前に、その重量を見て即座にはねつけているのである。
「シン。16kgオーバーなんてめちゃくちゃじゃない。小手先のやり方でダメなら、最初からやりなおしてよ」
 ウォルヒはきっぱりと断言した。シンは面白いはずはない。彼はその設計に数週間という時間を費やしていたのである。かといって反論することも出来ずに、小さく吐き捨てるように呟いた。
「あのヒステリー女が、」
 彼女にも漏れ聞こえているはずだが、ウォルヒは意に介する様子がない。彼女は既にガーヤンが担当したフレームの図面に目を移して言った。
「ガーヤン。フレームのこの補強板は肉抜きできないの?」
 フレームの強度を維持するために、鋼の補強板がつけられていた。彼女はその補強板に穴を空けることが出来ないかと言うのである。穴の分だけ重量が軽くなる。彼女の口調は提案と言うより命令に近い強引さを持っていた。
「せいぜい70g程度の軽量化にしかならないぜ」
 ガーヤンは、暗に、軽量化のメリットより、製造に手間がかかるというデメリットを主張するのである。
「いいから、やってちょうだい」
 ウォルヒは有無を言わせない。現段階で、新型船MSB─Xの総重量は52トンになるものと見積もられていた。彼女が削れと主張した70gと言えば、硬貨数枚分の重さでしかない。船体の重量と比較すれば微々たる重量だが、その程度の重さにもこだわって削ると言うのである。こういう調子が設計当初から続いていた。その細かさと強引さは、他の仲間の反感を生んでいた。更に、そんな反感を全く意に介しないと言う彼女の態度が、その反感をいっそう増幅しているのである。
 彼女には、使用するエンジンモジュールの出力が小さいという、強迫観念めいた意識があって、重量軽減については一切譲るつもりはない。設計の役割分担という観点で、メンバーの役割を見ると、シンやガーヤンほとんどのメンバーは各モジュールやフレームなど船体を構成するパートの設計を担当している。彼らの設計したデーターを、ウォルヒがその妥当性を判断して、船体として組み上げているのである。社内の肩書きで言えばメンバーは全て同格だが、その仕事の判断では、ウォルヒが一段高い位置にいる。組織を円滑に動かすためには、イマムラ自身が判断して部下に指示を下すか、ウォルヒを他のメンバーより高度な判断の出来る地位に置いてやらなければならないのだろう。
「あんた。何様のつもりよ?」
 バレが冷静な口調でウォルヒに詰め寄った。もともと、バレは腹を立てれば大声でわめき散らすと言う癖がある。そうやってエネルギーを発散し尽くして、後はあっけらかんと笑っている。そのバレが落ち着いた冷たい口調で詰め寄っているのである。よほど怒りや不満を貯め込んでいるのだろう。ウォルヒは怪訝な表情を浮かべるだけで、臆する様子はない。
「バレ。貴方が、いいものがつくりたいと言ったのは嘘なの? いいものが造りたければ、私に協力してちょうだい」
 メンバーは作業の手を止めて耳を澄ましてバレとウォルヒのやりとりを聞いていた。ウォルヒに対して好意的な視線がない。この場合、イマムラが雰囲気を改善しなければならないのだが、技術的な事が分からず事態を収拾することが出来ないのである。机に座っておろおろと事態を見守っていた。メンバーが仕事の手を止めてしまっている。その事が気になったらしい。ウォルヒは部屋の中を見回していった。
「ねえ、みんな。時間がないんだから、こんな事に関わってないで、次の作業を進めてちょうだい」
「ウォルヒ。それは言い過ぎだ」
 ドノバンが調停に入った。技術的にはウォルヒの言い分は正しいのだが、人間関係にも配慮してくれと思うのである。ウィリアムスも嫌悪感を現した。
「ねえ、ウォルヒ。あなたはそんな独善的で横柄な態度で、設計課でも孤立してたんじゃない?」
「なあ、みんな、」
 イマムラが立ち上がってそう言った。ここ数週間続いている険悪な雰囲気が更に悪化して、爆発寸前だった。自分が何とかしなければならないのだろうが、そのあとの言葉が続かない。自分だけが取り残されて、ひどく惨めな気分だった。
「他のメンバーはウォルヒの指示に従うことだ」
 事態を見守っていたラベルが裁定を下した。船体総重量の十万分の一の単位で細かく重量管理をすると言うことに誤りはない。妥協しないと言う姿勢も正しい。ルーズな重量管理や中途半端な妥協は、まともな船体を生み出すことはないのである。しかし、ラベルは自分が話しに割って入ったことが事態を悪化させるかもしれないと危惧している。
 果たして、ラベルの危惧は的中した、今まで調停役に立っていたドノバンがラベルに噛みついたのである。
「でも、先生。今の人間関係をどう考えておられるんですか? バラバラです。こんなことで設計が続けられるんでしょうか?」
 そう叫んだドノバンは普段は温厚でメンバーの信頼も厚い。ただし、地球市民に対しては嫌悪感を露骨に示すのである。イマムラにとって、最後の調停役として期待している2人がこの調子なのである。気まずい雰囲気のまま、それでも、彼らは作業を続けざるを得ない。実際に船体が出来上がるまでの長い期間を考えれば、目の前が闇に閉ざされるようだった。
 定時になり、メンバーは思い思いに席を離れた。開発スケジュールに遅れは出ていない。ラベルは彼らのプライドを気遣って口にしてはいないが、彼らがほとんど素人だと言うことを見越して、開発スケジュールを立てさせていたのである。普段、スピカの改良設計に携わっている試作課のキム課長などは、そのスケジュールの長さを称してと公言してはばからないのである。
「まったく、お年寄りは気がながい」
 仕事はスケジュール通りだから、メンバーが帰宅することに問題はない。技術開発課の部屋の中は、終業のブザーから5分を経ずして、イマムラとラベルだけになってしまった。その5分という時間の短さが、この時のメンバーの自主開発に対するこだわりのなさを現していた。
 開発というのは、目標に向かって問題解決を積み重ねて行く作業である。その過程で革命的な変化を生じることもあるが、大半は地道な努力や手探りの模索が続く。部屋の中に開発中の船体の姿が浮かんでいた。地道な作業の中で士気を維持するためにラベルがそれを指示していた。メンバーはこの映像によって、ずいぶん勇気づけられて自信を深めている。しかし、この映像だけでは不足しているらしい。
「何かきっかけがあればいいんだが」
 ラベルはイマムラに呟いた。
(あの連中は育つ)と思うのである。
 この映像以外にも、何か彼らを励まし、目標に目を向けるきっかけが必要だろう。
 次の日、そのきっかけは意外な形で現れた。
 

カティア

 ドノバンがいつになく遅れて出社した。他のメンバーは既に部屋に顔を揃えており、遅れて入ってきたドノバンを一斉に注視した。
「何か変わったことでもあるのか?」
 そんな言葉で、ドノバンは不機嫌そうに自分に向けられた不審と好奇心の入り交じった視線を振り払った。変わったことどころではない。いつもの端末の前に行き、座席代わりの計測機器に腰を下ろしたドノバンは、背中に幼児を背負っているのである。幼児は機嫌良く小さな声でけらけら笑った。幼児の衣服がピンク色をしているから、女の子なのだろう。過去のネヤガワ工業社内で、男性社員が幼児を背負ったまま作業場に現れた事例はない。ドノバンは優しく気を配りつつ、ゆっくりハーネスを解いて幼児を腕に抱いた。課長としての立場上、イマムラが尋ねた。
「で、さっそくだが、ドノバン。その子の事情を聞かせてくれないか?」
「カティアだ」
 ドノバンは短く娘の名を答えた。
「いや、何故、その子を?」
「かみさんに、逃げられた」
 ドノバンはそう答えた。普段は温厚で人の良い男だが、今日は不機嫌で言葉が短い。短い言葉を繋いで察すると、昨夜、夫婦喧嘩のあげく、再婚の妻が娘を棄てて失踪したと言うことらしい。
「よくまあ、セキュリティーをくぐれたもんだ」
 シンがそう指摘した。建物の入り口からこの部屋まで2カ所のセキュリティドアがあって、関係者以外は通行できないはずだ。
「危険性はないと判断したのかしら?」
「当たり前だ、俺の娘だぞ」
 ドノバンはセキュリティをくぐり抜けた理由を述べたバレにそう反論した。
「作業に支障無ければ、例えば、猫でもセキュリティーをくぐれるの?」
「俺の娘を猫と一緒にするな」
 そう言いつつドノバンはウェストポーチから何かを取り出した。時間を見れば、娘の授乳の時間なのである。ウィリアムスがそれを指さした。
「あっ。それ知ってる。ハックマン博士の『オッパイくん』でしょ」
 高名な産婦人科医が、離婚率の高まりと独身男性の不慣れな授乳を嘆いて発明した、要するに乳房型のほ乳瓶である。ハックマン博士によれば、授乳期の幼児に母親の乳房の記憶を残すことで、その後の健全な精神の発育を促進するのだという。ドノバンは持ち前の生真面目さで、ハックマン博士の著書の大半を読んでいた。しかし、やや無精髭の伸びたドノバンが、左の胸に付けた大きな乳房は、見ていて気色が悪い。ラベルとイマムラは、見て見ぬ振りをした。
 カティアは目を細めて、こくんこくん、喉を動かした。その表情が素直で愛らしい。ウィリアムスがカティアの笑顔につられて頼んだ。
「ねぇ。私にも抱かせてよ」
 こういう場合、どんな女性も柔和で包容力のある、実にいい笑顔をする。将来、娘にとって気むずかしい父親になるに違いないドノバンも、このウィリアムスの笑顔に満足したようだ。
「落とすなよ」
 ドノバンはそう注意したものの、機嫌良く娘をウィリアムスに紹介した。
「ほおら。紹介しよう、こちらはヘレン・ウイリアムス。ヘレンおばちゃんだよ」
「いいえ、カティア。ヘレンお姉ちゃんよ」
 カティアは人見知りをする質ではないらしい。ウィリアムスの腕を経てバレの腕に移っても愛想良く笑顔を振りまいた。
 メンバーは仕事を忘れてカティアを取り囲んだ。カティアはバレの手からシンへ、シンからムハマドに、順番にメンバーを回って、笑顔で父親の同僚に挨拶をした。カティアはアサハリの腕を経てウォルヒの所にやってきた。迎えるウォルヒの様子が変だ。ウォルヒはとまどいがちに手を伸ばしたのだが、その手を引っ込めてしまった。カティアを抱き上げると言うことが出来ないのである。柔らかで暖かな肌触りが、彼女に彼女の腕の中で冷たくなった幼い弟を思い起こさせるのである。彼女はアサハリの腕の中のカティアの前髪を撫でるだけだ。
「どうして?」
 ウィリアムスが首を傾げた?
(こんなに可愛いのに)
「子供を抱けないなんて、女として何か欠陥があるんじゃない?」
 バレが言った。表現は悪いが、彼女の口の悪さはもともとだ。笑顔を浮かべていて、そのきつい表現が冗談だと分かる。周りのメンバーもウォルヒを笑ったが、素直な笑顔で皮肉な感じはない。ウォルヒも苦笑いしただけだ。メンバーはウォルヒの心の奥底に踏み込むのを避けていた。
「ホンマに、父親に似なくて良かったな」
 毒舌のアサハリがカティアを見ながら、ドノバンの男らしいごつごつした顔立ちを称した。(外見なんて、)と言われるが、その言葉は嘘だ。美男や美女は生まれながらに得をするのである。
「きっと、この子は男の子にもてるわよ」
「嫌だ。一生、俺の手元に残したい」
「こいつ。娘を嫁に出さない気だ」
「当たり前だ、特にお前らみたいな薄汚れた連中に、手塩にかけた娘を嫁に出すもんか」
「ねぇ、ドノバン。あんた最近、口の悪さがラベル先生にそっくりよ」
 ウィリアムスの言葉にメンバーは口を揃えて笑った。
 この子を見ていると、何か誇れる物を残してやりたいと思ったが、自分に何が出来るだろう。誰にも突出して優れた才能はない。この部屋にMSB─Xの映像が浮かんでいた。彼らがこの子に誇れるものは宇宙船造りしか無いようだった。
「お前のために、MSB─Xを完成させてやるからな」
「本当に作れるの?」
「造る。俺はこの子を愛してるんだ」
 ドノバンはそう大まじめで断言して、メンバーもドノバンの言葉に頷いたように見える。ただ、普通の人々にとって、情熱に起因するモチベーションは余り長続きはしない。この場ではカティアという幼児が彼らに前向きな情熱を与えたが、この後、彼らは幾つものきっかけを必要とした。
 カティアはただ機嫌良く笑っていた。ウォルヒはこの子が将来、自分の後継者になるということを予測できないでいる。
 

レオン事件

 18ヶ月という時間が、イマムラの中で無我夢中の内に過ぎていた。ようやく席に腰が落ち着いたところだ。技術的な点はまだまだ分からないが、専門的なアドバイスについてはラベルがいた。生真面目な男は、ようやく仕事の流れは飲み込んでいたつもりだった。
 これまでのメンバーの努力は、MSB─Xの立体映像として、技術開発課の部屋の中に浮かび上がっていた。先週、ようやく量子コンピューターのメモリー上で、エンジンユニットの取り付けが終わり、昨夜の夜半に最終の儀装が取り付け完了したのだった。その全体像はスピカとよく似ているが、スピカと並べて映し出すと、スピカより遥かに大きい。性能の向上を狙って、スピカよりも出力の大きな核融合エンジン・フェニルⅡを搭載したためだった。ノーラン&ベイズ社が新型機に搭載するアテナⅣと比べて同じか、やや出力が勝るといわれた。しかし、アテナⅣに比べて彼女達の使用したフェニルⅡは一回り大きく重量が重いという欠点を持ってるのである。
 しかし、新型の核融合エンジンアテナⅣは、地球政府による輸出制限が掛かる恐れがあり、彼らにとって安定して得られる見込みがなかった。フェニルⅡが彼らが使用できる核融合エンジンの中では、最良のものだと判定していたのである。エンジンの出力の大きさは、必然的に推進剤の使用量の増大につながり推進剤タンクが大きくなった。重量のあるモジュールを支えるためのフレームは太く頑丈になった。船体の全体が大きく重くなっていた。こういう重量の増加はエンジンの出力の大きさを相殺して加速性能の低下を招いていた。
 しかも、この船体には、元営業部員のイマムラの立場から見れば、ユーザーにアピールする特長が何も無かった。イマムラは頭の後ろで手を組んでディスプレイを眺めていた。
「ローレンツα、アリオン、タイフーンⅡ、主要目と性能を表示」 イマムラの指示でディスプレイに他社の競合機種の要目が表示される。
「MSB─Xの主要目と性能表を並べて」
 イマムラはやや考えて指示を追加した。
「競合機種の能力でMSB─Xが勝る項目を緑、劣るものを赤で表示」
 ディスプレイ上の数値の一部の色が変化した。どの機種と比べてもやや緑が多いという程度だった。MSB─Xに抜きん出た特徴は無く、ここにMSB─Xが火星市民の自主開発であるという決定的なマイナスポイントが加わるのである。比較するMSB─Xの能力は予想されるデーターだった。実機を作る段階で更に性能の低下も予測された。
 しかし、危惧をよそに何とかなりそうだった。少なくとも旧式化したスピカを売り続けるよりも遥かにましだろう。ラベルのおかげとも言える。イマムラは感謝の目でラベルを見た。

 この頃、ある都市で彼らの命運を左右する事件が起きていた。火星上、シンカンサイ市の裏側当たりになる。シルチス市から南東30kmの位置のアルテミス市が騒動の舞台である。フォボス宙港の中継所として、軍関係者が駐留している。事件は発生した酒場の名を取って、後にレオン事件と呼ばれることになった。
 夜半をすぎていたらしい、酒に酔った客同士の小競り合いが生じた。きっかけは、自分の連れ合いの女性に、触れた触れないと言う何処にでもありがちな口論だった。ただ、この時には一方が地球市民で、しかも兵士だったことが騒ぎを大きくした。もともと、火星市民には彼らに対する根強い不信感がある。トラブルは発砲騒動に進展して、市民側に死者が生じた。保安部員が現場に急行して事件関係者を逮捕した。市街地で起きた事件だから、協定によれば保安部員にその責任と権限がある。連邦軍がその逮捕拘束された兵士の身柄の引き渡しを、火星行政府に求めているというのである。
 簡単に言葉を綴ればそう言う経緯になる。行政側の縄張り争いという視点から見ると、連邦宇宙軍という国家組織に対して、保安部という地方組織が、国家に対して極めて高い独立性を保った組織だったために、火星市民の民意を反映した。地球政府対火星行政府という対立構造を形作っている。

 この時期の火星に救国市民戦線というグループがある。その実態は政治結社か政党か、或いはテロリスト組織という選択肢をくわえても良いかもしれない。選択を迫られれば、その区別を答えることが出来ない火星市民がほとんどだが、こういう状況に乗って勢力を拡大し、その名を耳にすることが多くなった。そのグループのアクセ代表という人物が、市民の愛国心を煽って行政府の弱腰を攻撃していた。小さな酒場の事件だが、この後、尾を引きそうな騒動に発展しているのである。

「何か、きな臭い」
 事件を報じるニュースを聞いたウルマノフは呟いた。火星市民として不愉快な事件に違いなかったが、それ以上に、経営者としての呟きである。業務上、ネヤガワ工業は地球からの輸入品に依存することが多い。商売に悪い影響が出るのではないかと思ったのである。しかし、この事件がそれ以上自分たちに関わってくるとは考えていない。
(技術開発課を見ておこう)
 ウルマノフは席を立ち上がった瞬間にそう思った。いつもながら、この男の気まぐれである。まず、何の予告もなく技術部長ストヤンの部屋に顔を出した。その生真面目な性格で、ウルマノフの突然の出現に、慣れることが出来ないらしく慌てるストヤンにウルマノフは声をかけた。
「ちょっと、教えて欲しいんだが、」
 彼は、少し考えて遠慮がちに続けた。
「例えばだが、私が特定の場所に近づいたとする、それに合わせて警報を鳴らすことは可能かね」
 ストヤンは即座に思った。
(そんなシステムがあるなら、真っ先にオレの部屋に備え付けてやる)
 しかし、それを隠して考えるふりをして言った。
「そうですね。まず、全社員の中から社長を特定する印が必要です。首に鈴でも付けましょうか?」
「それから?」
「鈴の位置を特定するための探査機器と警報装置が必要でしょう」
「で、何故、君はそのシステムをここにつけないんだ」
 ウルマノフはストヤンの机をこつこつ指で叩いた。ストヤンは内心を見抜かれているのかもしれない。
「コストがかかりすぎますね。それに誰が社長の首に鈴をつけるんです? 困難でしょう」
「常識的・現実的には無理なんだな?」
 ウルマノフは技術部内で、自分に電波発信機の首輪を付けて、居所をモニターして置いてくれという冗談があるのを知っていた。突然に、意外な場所に姿を見せて社員を驚かせるからである。今も、ストヤンを驚かせた。もちろん首輪というのは冗談に過ぎない。自分はそんな首輪をする気もなければ、行動を制限されるのも嫌だ。
 ところが、技術部棟の奥、技術開発課に接近すると必ず、彼らの部屋から警報が鳴るのである。他の部署では冗談に過ぎない警報システムを作り上げているのだろう。ここの連中は他の部署には無い、やる気と才能を持っていた。
(頭を使うのは悪い事じゃない)
 そう考えるウルマノフに、いまも警報が聞こえている。彼の経験から言えば、間もなく警報の間隔は短くなって、自分が更に接近していることを室内に知らせるのである。
「あっ。社長」
 イマムラである。この男は芝居は上手くない。何か、しどろもどろなのだが、先のストヤンとは違う。突然に社長が現れたことではなくて、現れることを知っていたことを隠すために、不自然な演技をしている。
「何かご用でしょうか?」
「別に。MSB─Xが見たくなっただけだ」
 ウルマノフは室内を見回した。さり気なく見回す振りをしながらメンバー、一人一人の表情を確認した。イマムラは下手な演技をしており、アサハリは隅で彼の顔をちらちら偵察している。ウィリアムスは誰にでも愛想がいい、他の人に向けるのと同じ笑顔をウルマノフにも向けた。バレは彼を全く無視してのけている。
(課長以下、随分と個性溢れた連中だ)
 ウルマノフはそう思った。社長の自分を迎える表情や動作に同じものがない。ただ、どの表情も奢りもせず卑屈でもない。その共通点が、MSB─Xという計画段階の自主開発の船の裏に秘められていた。
 ウルマノフは部屋には入りもせずに、くるりと向きを変えて技術開発課を立ち去った。開発は次の段階を迎えて、ウルマノフにとって頭を悩ます問題を生じている。MSB─Xは現段階で、映像やコンピューター内の数値で表されるデーターにすぎない。要したコストは技術開発課のメンバーの人件費程度のものだ。
 しかし、今後、試作船を製造するとなれば、莫大な回収不可能な費用を要する。当然の事ながら、経営上、大きなダメージを被る可能性が生じるのである。試作船にかかる費用、言い換えれば、失うかもしれないコストは、ほぼ正確に計算されて彼の手元に届けられていた。しかし、最後の判断が付かない。
 経営判断というものに、何か道具や材料が必要だとするのなら、この時のウルマノフは、失うかもしれないコストと、技術開発課の連中の笑顔を、天秤に乗せて図り比べてみたのである。ウルマノフは思った。
(今夜は、久しぶりにぐっすり眠れるかもしれない)
 心が重く濁って眠れない夜が続いていたのだが、あの連中の表情はウルマノフの心を、こころもち、明るくしたような気もするのである。

 一方、技術開発課ではイマムラが警報の音量をもう少し小さく、社長に気付かれないようにしておいてくれと命じたのを、ラベルは笑いながら見ていた。
(興味深いねぇ)と言うのである。
 新型船開発の片手間に、警報システム作りをしたバレやアサハリやシンから見れば、社長の首に鈴をつけるという発想が間違っている。社の環境システムのメモリーを調べて、ウルマノフの思考ロボットが見つからなければ、社長は不在である。ロボットが見つかれば、ウルマノフのロボットに主人の居場所を逐一教えてもらえばいいのである。特別な道具や費用は不要である。もちろん、プロテクトがかかっているファイルを利用したり、ウルマノフの思考ロボットに、内緒で主人の居場所を囁いてもらうために、それなりの秘密のテクニックを要するのだが、シンは環境システムの仕組みに詳しく、バレはプロテクト外しをパズル代わりに楽しむ趣味がある、アサハリはもとの部署で思考ロボットを扱う専門家である。最初は犯罪者と同列に扱われるのが嫌で不快な顔をしていたドノバンやウォルヒも、システムが稼働してみるとその効果に感心せざるを得ない。
 彼らはこのシステムの目的を秘匿して「みんなお友達システム」というふざけた名を付けている。
 偶然にも、1つの部屋に様々な専門分野や異なる趣味を持った人々が集まって、意外な成果を上げていたのである。
 

アマリア

「この船体の特徴を一言で言って見たまえ」
 妻のアマリアは腰に手を当てて威張った調子でそう言った。彼女のイメージの中で上司というのはそういう姿なのだろう。役になりきっているつもりらしいが、演技はうまくない。イマムラは答えた。
「全般的な性能において、在来機種のスピカ102型を凌駕しております。在来機種において主たる顧客から、加速性能と機動性の向上を求められておりますが、この船体はその意向に添うものとなります。更に今後、競合すると思われるノーラン&ベイズ社のアンドロメダと対比して、その加速性能は、、、、」
 イマムラはテーブルの緑茶をすすった。妻のアマリアの返事はやや遅れた。紅茶にリンゴジャムを入れてかき混ぜてるのに手間がかかったのである。彼女のお気に入りの飲み方である。
「しかし、機動性の点では劣っているのではないかね?」
「表に示しましたようにRPYコントロールの値と推進剤の消費は・・・・・・。この説明は分かりにくいかな?」
 イマムラは言葉の途中で、夫に戻って妻に尋ねた。
「そうかもしれないわね」
 妻のアマリアは紅茶をすすった。イマムラは少し考え込んで説明を変えた。
「ユーザーにおいて『機動性』とは、具体的に船体が一定の姿勢をとるための時間と、その姿勢制御に消費する推進剤の消費効率を指しています。MSB─Xの場合、姿勢制御時間は競合メーカーの船体に比べて劣っているように見えますが、今後、姿勢制御ノズルの位置の調整と推進剤の噴射速度の向上により補えると考えられます」
「長い。もう少し、端的に説明したまえ」
 役員会議を前にして技術部の会議を控えていた。議事進行は技術部長が行うが、社長が出席する。技術開発課で進行しつつあるMSB─Xが議題に上るはずだった。最終的には役員会議の判断を待たなければならないが、その動向は、ほぼ、技術部の会議で決まると言って良いのである。
 今のところ、量子コンピューター上のデーターでしかないMSB─Xを、実際に試作するかどうかの判断する重要な資料になるはずだ。会議には技術的な補佐役としてウォルヒを同席させるつもりだったから、技術的な受け答えはウォルヒに任せればよかった。しかし、課長の自分が基本的な受け答えが出来ないようでは、MSB─Xのイメージが悪い。彼はメンバーに命じて、予想される質問事項とその模範的な受け答えについて要点をまとめさせていた。内容は技術的で難しく、やや首を傾げなければならない。更に、自分に分かるように手を加えて想定問答集を作成していた。そして、妻に上司の役をさせて、会議のための練習をしていたのである。
 部署が編成されてから、奇妙な連中も居たが、おおむね仕事に対して積極的で、課長の自分が技術的にサポートできないにもかかわらず、自分達で問題の解決を図っていた。その努力を見てきただけに何かをしてやりたかったが、今の自分に出来ることは、会議で試作船の製造を承認させることだった。
 間の悪いことに、この時期、保安局からはスピカの改修について、様々な要求がされていた。エンジンの出力の向上、機動性の向上、航続時間の延長、固定武装の換装等である。それらの要求が、思いつくままされているのではないかと疑いたくなるほど次から次へと出されて、この時期の保安局の混乱ぶりを物語っていた。
 技術部はその対応に追われていた上に、忙しいのは技術開発課に人員を割いているからだという思いも蔓延していた。スピカの改修は設計課の担当だった。設計課が快く思っているはずは無い。会議は紛糾が予想された。設計課だけではなかった、シュミレーションセンターも技術部や製造部から持ち込まれた試験に、スケジュールが詰まっているはずだった。声に出さなくても、将来性のない宇宙船の自主開発から手を引けという意見が聞こえてきそうだった。
 妻のアマリアから見れば、夫は会議を明日に控えているらしい。一週間ばかり、夫の上司役を演じたが今夜が最終日だった。具体的にどんな状況だったのか、夫は説明してくれなかったために、彼女の推測の域を出ないが、夫は営業部に、宇宙船の自主開発について側面からバックアップを求めて断られたらしい。彼女はそれを語った夫が締めくくりに言った言葉を思いだした。
「全く、営業の連中は無定見でわがままで、自分勝手な連中だ」
 その言葉をアマリアは笑って聞いていたのである。彼女の夫は、ほんの数年前には
「技術部の連中は無定見でわがままで自分勝手だ」
 そうぼやいていたはずだ。いつの間にやら彼女の夫は技術部の人間に成りきってしまったらしい。仕事になじむと言うことは悪いことではないように思われる。

 壁際のディスプレイに灯が灯って、臨時ニュースが報じられた。登録してあったキーワード、たぶん『レオン事件』という単語だろう、に反応したのである。拘置所を取り囲む人々や検事局の建物の映像が映し出されている。
 酒場レオンで起きた殺人事件で、容疑者引渡しの判断を求められていた検事が、抗議のために辞職したというニュースだった。法律上の解釈を求められれば、容疑者を連邦軍に引き渡すのが妥当かもしれなかったが、誇りを踏みにじられてきた火星市民の感情を考慮すれば、許し難い行為だった。もはや、事の経緯に火星市民の民意は及ばない。過去の事例を考えれば、殺人者には数年後の仮釈放、或いは数年の懲役刑に執行猶予がつく、そういう結末が予想されるのである。地球市民が考えるより火星市民の団結心が強い。火星市民は火星という大地で生き抜くためにそういうものを必要とした。殺された仲間の命が過失致死程度のものかと不満をつのらせるのである。
 臨時ニュースとして扱われるほど、事件についての火星市民の関心が高い。ここにも救国市民戦線のアクセ代表が、声高らかに愛国心を煽る姿が映しだされていた。
 ベルが鳴って、この夫婦に来客を知らせた。ニュースの展開を知りたいと思いつつも、妻のアマリアはスイッチを切った。来客が地球市民だと言うことを知っていたからである。互いに、気まずい思いをしたくはないのである。
 アマリアは客をもてなす料理を温めるために台所へ姿を消し、夫は客を出迎えにドアに向かって歩き始めた。
 

ラベルの秘密

「どうでした? イマムラ課長」
 朝の技術開発課で、上司と顔を合わせるや否や、好奇心を露わにして質問したのは、アサハリだが、他のメンバーも振り返って、その返事に聞き耳を立てている。昨日、イマムラが自宅の夕食にラベルを招待した、と言うことは全員が知っている。
「久しぶりに、旨い家庭料理を食べさせてもらったね」
 ラベルはそう言ったが、メンバーの興味は夕食のメニューではない。ラベルはそれ以上言及する記はないと肩をすくめて見せて、イマムラに尋ねて見ろと身ぶりで示した。
(ちゃんと聞き出せたのか?)という一点に、この部屋のメンバーの好奇心が集約している。
 ラベルのような高名な男が、何故、わざわざ火星に、しかも、こんな中小企業にいるのかという、彼らの疑問が解けないのである。ことの発端は、シンが自分の給与明細にため息を付きつつ、ラベルが受け取っている報酬について首を傾げた事だった。ラベルの質素な風貌や、時折、彼の口から漏れる生活ぶりからは、どう見てもそんなに多額な報酬を受けているようには見えないのである。
(何故?)
 そんな疑問が湧き上がってくるのだが、ラベルはそんな疑問を笑って聞き流すだけで、答えようとしないのである。そして、そういうラベルの態度は、バレやウィリアムスの好奇心を更に刺激して、深い詮索を思いとどまらせようとするイマムラに向かって、
「女にとって、他人の秘密は知的な泉、うわさ話は最高の娯楽よ」
 そう放言してはばからないのである。イマムラは部下の好奇心を抑えることが出来ないでいる。しかし、悪いことではないかもしれない。この種の好奇心は、ラベルに対して深い敬愛の情が無ければ、生まれないに違いないのである。
 ただ、バレと同じ女であるはずのウォルヒは、静かな表情の中に困惑を隠せないでいる。週末に、北公園の付近をラベルと散策する約束になっている。来週、イマムラと同じ質問を受けているのは彼女なのである。困惑し、迷惑にも思いつつ、彼女もまた、そんな好奇心を持っている。この週の、彼女の気がかりな点は、MSB─Xの開発の進行状況と同時に、週末にどうやってラベルの秘密を聞き出そうかという方策だった。彼女たちにとってもいい気分転換になっているようだ。
 子供のブロック遊びのようだったMSB─Xの姿は、細部が出来上がって、確かに宇宙船の姿をしている。通常はMSB─Xの映像が単独で浮かんでいるが、思考ロボットに命じるとFW201スピカの映像と並べて映し出すことが出来る。2つを比べると、全体の大きさはMSB─Xの方が少し大きい。出力の大きな核融合エンジンモジュールを搭載している為である。両者とも最前部に居住モジュールがあり、最後部にエンジンモジュールが位置している。その前後のモジュールを、スピカでは直径98センチメートルの巨大な鋼管で接続しているが、鋼管の周りを推進剤タンクや通信機器などの小型のモジュールが取り巻いているので、その鋼管型のフレームの全体像を見ることは難しい。制御信号を伝える重要なケーブルや、酸素を供給するような重要な配管は、この頑丈な鋼管の内部に配置してあるのである。
 一方、MSB─Xは、太い支柱でも直径11センチ足らずの鋼管でしかない。そんな鋼管を幾つも繋いで、まるで目の粗い網の籠で出来た大きな筒をフレームにして、前後のモジュールを繋いでいる。タンクやその他のモジュールは籠の筒の中に収まっていたが、籠の中で外部から露出して見える。
 硬さという点で比較すれば、スピカのフレームの方が頑丈に違いないが、粘り強さという点で評価すれば、両者の安全性に甲乙つけがたい。MSB─Xのフレームは製造に手間がかかるという欠点と、一体型の鋼管型のフレームよりずっと軽く作ることが出来るという長所を持っていた。
 両者の姿に違いはあるが、その映像と共に、彼女たちは確かな手応えを感じている。本当に自分たちの手で、N&B社やデメテル社の技術陣と肩を並べる船体が出来るのではないかという思いである。
 指導当初、ラベルはメンバーに思考ロボットの使用を制限するという、本来の設計業務を見れば、ひどく回りくどいこと指示した。もちろん、今の彼女たちは、一定の水準に達してラベルの試験に合格しているらしい、思考ロボットの使用を許されている。そのような回りくどい道のりを経て、しかも、その設計途上で、この生徒達は様々なトラブルを起こしたにも関わらず、目の前の映像通り、MSB─Xの開発は予定通りに進行している。ラベルという男は一流の設計者というのみならず、教育者としても優れた手腕を発揮していたのである。
 現場の技術者というのは非常に単純な一面を持っている。彼らは理論や数値を生業にするにもかかわらず、学問的な理論や数値について、冷ややかなほど距離を置いて冷静につき合っている者が多い。ところが、目の前に示された現象や事実には驚くほど素直で、理論を放り出しでも、目の前の事実を受け入れるのである。MSB─Xの姿に象徴されるラベルの能力に、彼女たちは一片の疑いも抱いていない、それは、地球市民に対して嫌悪感を示すドノバンですら認めているのである。
 この週もまた、技術開発課のメンバーたちは、彼らの教師に対する好奇心を満たせないまま、週末を迎えたのである。

 好奇心を持った人々は大勢いる。しかし、ラベルの年齢に達しても好奇心が尽きない人物も珍しい。この星に来て以来、彼の好奇心は火星市民の生活に向けられている。
 ただ、昨日は都市機能に興味を示したかと思うと、今日は隣人のエリカやレイの学校の話題を通して、火星市民の教育意識に興味を示すと言う具合で、その好奇心の対象は、子供のように気まぐれに切り替わるのである。ラベルも彼ら火星市民から素直に学んでいる。そして、解き明かした疑問や秘密について、日々、メールにしたためて嬉しそうに妻に報告しているのである。妻からは、まるで母親が息子の成績を誉めるような返事が返ってきている。最近、ラベルの好奇心は、ウォルヒ・パクという典型的な火星市民について向けられていた。
 この時代、姓名から祖先の出生地を推し量ることは難しいが、敢えて名前から推測すると、彼女の血筋は極東の地に行き着くようだ、顔立ちなど外見的な特質も、極東アジア人女性の特徴を持っている。これほど強く、地球とのつながりを外観に現している女性の何処に、火星市民を代表するという印象が潜んでいるのだろう。ラベルがウォルヒを眺めて考えるのは、そんな疑問である。
「先生、私の顔に何か付いていますか?」
 ウォルヒは、じっと自分の横顔を見つめていたラベルに怪訝そうに尋ねた。ウォルヒの近所に絵の好きな女の子がいて、ウォルヒは女の子が誤ってつけた、衣服や顔のインクを指摘してやっている。ラベルが彼女の顔を見る表情に、自分があの女の子を見る姿を重ねて考えたのだろう。彼女は指先で頬を撫でてその指先を確認した。
「いや、予定が変わるというのも面白い」
 突然に、返事を求められて、ラベルはしどろもどろにならざるを得ない。たしかに、ラベルはウォルヒの横顔をじっと見つめていた。しかし、ウォルヒにその理由を説明することは難しい。
 ウォルヒという女性は、何事もスケジュール通り緻密に積み重ねていかなければ、気が済まないという性格のはずだ。その彼女が、今朝の気象予報を見て目的地を変更した。ラベルの依頼というのは、(この町の中で、火星の人々を象徴する場所を案内して欲しい)というもので、特定の場所を指定したわけではない。今日の目的地はウォルヒ任せにするつもりだったから、不満はない。目的地が変わったということよりも、ウォルヒの新しい面を見つけたことが興味深く、バスの中で傍らに座る彼女の横顔を見つめていたのである。
「MSB─Xの構造を見て思ったんですけれど、」
とウォルヒが聞き、
「安全性を何処に求めるかという問題でね、N&B社の連中は破損しないように頑丈にすることを考える。デメテル社では破損しても元の機能を失わない仕組みを考える」
とラベルが答えて、二人は気まずそうに黙りこくった。
 ラベルという男は、おしゃべりだというわけではないが、好奇心旺盛なだけに話題は豊富で、会話の時に話題に窮した経験はなかった。しかし、ウォルヒとの会話で、会話を継続させるためには共通の話題がいると言うことを知ったのである。ウォルヒとの間で、共通の日常会話の話題がない。二人の会話は、迷宮の中で袋小路に陥るように、いまは避けているはずのMSB─Xの話題で行き詰まって途切れてしまうのである。
 二人の会話は、意外なきっかけで新しい展開を迎えた。きっかけは『地球』という話題だった。
「当時は、3ヶ月もかかったんですよ」
 ウォルヒは地球に旅行したときのことを語った。ラベルにとって意外なことでもない、地球に関する話題に関して、彼女が口にする表現は具体的で、想像や伝聞では得られない内容を含んでいたからである。しかし、彼女の口からハッキリと地球との関わりを聞いたのは初めてだった。彼女の記憶は地球時間で11歳の時のものだ、18年も前の話で、細部の記憶はぼやけてしまっている。
「3ヶ月か」
 ラベルはそう呟いた。現在の旅の長さは、宇宙船のエンジンの出力増大によって、もっと短縮されている。しかし、ラベルはその旅の長さで、彼が初めて火星にやってきた時代を思い起こした。もちろん、地球と火星の相対的な位置関係で、二つの星を行き来する旅の長さは変わる。しかし、観光や商業レベルでは、尤も移動効率の良いタイミングで行われるため、ラベルが最初に火星に来た時に経験した3ヶ月という時代は、ウォルヒが言う3ヶ月と、重なるのかも知れない。
「交錯したのか」
 ラベルがそう呟いたのは、ウォルヒが地球を訪れたのと同じ時代、ラベルは火星を訪れていたのかも知れないと思ったのである。ウォルヒはラベルの思いも知らないまま、思い出を語った。
 その年に火星は親善と教育の名目で、教育委員会事務局のバックアップのもとで、幼年学校から選ばれた少年少女30名を、地球に送ったことがある。彼女は偶然にも、その一人に選抜されたのだった。
「きっと、私が選ばれたのは、『火星の息吹計画』遺族だったからです」
 彼女は旅の発端をそう断言した。
「先生や委員会の人たちは、旅客船の中で、これから訪れる地球の素晴らしさを毎日語ったんですよ。そして、毎日作文を書かせるんです」
「そりゃ大変だ」
「でも、私はそんな人たちを失望させてばかり」
「失望?」
 ラベルはこの優等生に違いなかった女性の意外なメンにそんな疑問を抱いた。ウォルヒは記憶を辿って笑った。
「作文の内容は今でも覚えてます。『旅客船というのは、わたしが考えていたよりずっと複雑な機械の塊でした。でも私が、おどろいたことは、このおおきな旅客船を、人間が動かしている、ということでした』」
 ラベルもウォルヒの記憶を、出合ったことのない教育委員会の人々と重ねて笑った。ウォルヒが経験した旅行に目的があるとすれば、火星の子どもたちに地球のすばらしさをを子供達に実感させると同時に、地球の子供達との交流を図りたかったのだろう。当時まだ数が多かった地球生まれの教育関係者が考えそうなことだ。
 ただ、ウォルヒは物事の核心をよく見ている。宇宙船を巨大な機械として捉えていたらしい、高度にシステム化された指揮系統の元で、巨大な船を人間が運用しているのだという発見は、彼女を感動させたのだろう。しかし、その感動は、教師が彼女に期待した、地球のすばらしさを体感するという目的から大きく逸脱していたに違いない。
 ラベルには彼女の教師たちの渋い表情が目に浮かぶようだった。もちろん、その旅費は税金で賄われていたはずだ。この時の彼女の作文は、市の教育委員会が今回の予算組みを市民に納得させるにはもっとも不適当なものに違いなかった。
「重力に慣れるのに、到着した月面のローズウッド市で3日ほど過ごしてから、スペースプレーンで地球に降りたんです」
「それで?」
「降りた所はカンサイ宙港、この町と同じ名前。それが何となく不思議でした」
 そんな言葉で語り始めたウォルヒの思い出話から、ラベルは当時の状況を思い浮かべた。彼女たちは、月面を経てカンサイ宙港で初めて地球の大気を呼吸した。『カンサイ』という彼女が生まれ育った都市と同じ音感をもった場所に、不思議な感覚を覚えたという。大地の上で、マスクも付けずにそのまま呼吸できるというのは便利だった。キョウトで古代建築を見学し、地元の子供達との交流を手始めに、地球をぐるりと一周し、極北では地元の子供達と雪合戦をして雪の冷たさを知った。親善という名のもとの交流は決して冷たくは無かったが、子供、特に彼女にとって違和感をぬぐえないものだった。彼女たちは雨と言う物を初めて見た。地球の子供達から見て、遠い惑星からやってきた子供達が、雨を避けようともせず、びしょ濡れになったまま不思議そうに空を見上げているのは異様な光景だったかもしれない。呼吸すら出来ない大気、この豊かな自然を知らない可哀想な人々、というイメージが、彼女達に対して向けられていた。
 教師達が彼女達に地球の素晴らしさを教えようとする度に、その対象になる火星は常に貶められたのである。教師達に何の作為もない。子供心にもそれは分かるのである。
「でも?」と、火星の子供達は思うのだ。
 地球という星を美しいと思うし、その大地の織り成す豊かな自然は素晴らしい、何より耐寒与圧服も着ないで、大地の上で呼吸が出来るというのは実に便利な事だった。
 地球という遠い故郷を否定することは出来ないが、彼女達は生まれた大地を離れることは出来ないし、それを不幸だとは感じてもいない。時を経てそういう世代になっていた。それをあえて理由付けようとすれば、子供たちの父母や祖父が彼らの目の前に築いてきたものや、その熱意への敬意と言えるのかもしれない。難しい言葉で表現することは出来なかったが、火星生まれの子供達の態度の中にもそういう意識の芽生えがあった。
 彼女は地球各地を交通機関で回りつつ、そこで整備士というものの存在に気づいた。知ったという表現が適切かもしれない。搭乗員だけではなくて、整備士が整備をして交通機関が動くのだ。整備士に気づいた彼女は宙港の管制官や作業者の存在も知った。宇宙船を運用するためにこういうさまざまな人々とその仕組みが必要なのだと感じたのである。彼女が他の子供と違った点は、交通機関そのものではなくて、それを維持する仕組みやその仕組みを運用する人間を見ていた点だろう。
 この時期の作文も教師を失望させた。この時の彼女の作文の題材は交通システムに関わるもので、教師が期待する、雪の冷たさや海の雄大さ山の木立の香りは、彼女の文章には全く出てこなかった。引率の教師は、教育委員会の連中は人選を誤ったのだと考えた。
「えっ?」
 ウォルヒが言葉を途切れさせたのは、ラベルが笑い始めたからである。ラベルは笑顔で言った。
「すまないね。私は君たちを勘違いしていたようだ」
 ウォルヒが疑問を感じたという地球市民。たった今まで自分もまたそんな人間だったと感じたのである。地球という根で、確かに地球市民と火星市民は繋がっている。しかし、火星市民は地球という幹から伸びて風に揺すぶられる哀れな小枝ではないらしい。火星市民は地球市民と同じ根本から伸びた太い幹なのである。その価値観が分かれるきっかけを考えたラベルは、このバスの終点の地と結びつけて尋ねた。
「北公園に行くのかね?」
「ええっ」
 ウォルヒは短く答えて頷いた。ラベルはウォルヒが北公園にある火星の息吹計画の記念碑、『記憶の碑』に案内するつもりなのだろうと推測した。確かに、分岐点の象徴に違いない。密かにバスの中を見回してみれば、その体格から明らかに地球市民だと知れるラベルに、乗客たちの視線が集まっていた。好奇心に混じって露骨な反感もかいま見える。ラベルはドノバンを思い出した。
「ドノバンもよく北公園に行くのかね?」
 ラベルの質問にウォルヒは微笑んで襟元のバッジを見せた。
「ご存じのように、彼も事故の遺族です。でも、彼はこの事故遺族のバッジをつけてないでしょ?」
「どうしてかね?」
「私のように事故を記憶に刻んで古い記憶を忘れたくないという人間も居ます。でも、ドノバンのように辛い記憶を忘れてしまいたいという人間も居るんです」
「なるほど」
「ドノバンのカティアの関係のこと、ご存じですか?」
 ウォルヒの質問にラベルは首を傾げた。自分がドノバンの嫌悪の対象になっていることは知っていて、ドノバンの私生活に踏み込むことは避けていたのである。ウォルヒは言葉を継いだ。
「カティアは彼の実子じゃないんです。居なくなった奥さんの連れ子です」
「ほぉ、そんなことが」
 ドノバンを思い出したラベルはそう呟くしかない。彼がカティアに注ぐ愛情は、紛れもなく肉親のように濁りがないのである。ウォルヒは続けた。
「幼い頃にここで親類縁者を無くした彼は、ここで新しい家族を作りたがってるんです。きっと。その点では、私よりずっと前向きです」
 黙って頷くラベルにウォルヒは意外な言葉を吐いた。
「地球の人たちは、事故の濁流が全てを綺麗さっぱり流し去っていれば、罪の意識を引きずることなく、清々したのでしょうね。でも、私たちは事故から生き残って、いま、ここにいます」
 それは私たちは死んでしまったらよかったのか、地球の人たちはそれを望んでいるのかという憎しみの言葉である。ラベルはウォルヒの口からそのようなことが出たことに驚きながら諭すように言った。
「憎しみは何も生むまい」
「でも、憎しみを持たなければ、死んでいった者たちは。父や母や弟が可哀想です」
 ラベルの沈黙にウォルヒは言葉を継いだ。
「わたしは、憎しみを持ち続けなくてはならない自分自身が大嫌いです」
 そういうことをウォルヒは感情のこもらない苦笑いで言った。そんな想い出話をする内に、二人が乗るバスは『北公園前』停留所に到着した。ラベルはウォルヒがここによく来るらしいと判断した。目的地に案内する道順に迷いがない。ラベルもここは知っている。この角張った旧区画を抜けると展望区画があるはずだ。
 記憶の碑を見せたいのだろうというラベルの予想は、ウォルヒが導く道順で崩れた。ウォルヒは碑を通り過ぎ、ラベルを展望室に導いたのである。
「ほぉ」
 ラベルは目の前の透明な壁面を通して見える光景の美しさに感嘆の声を挙げた。それ以上の感想の言葉は、喉に詰まって出てこない。淡い青紫に染まった夕焼けの空を背景に、真珠色の流れる雲がゆっくり渦巻くように、その色を変化させながら空に舞い上っている。その美しさや雄大さは地球のオーロラに例えることが出来るが、もちろんオーロラではない。
「気象条件がうまく調ったときにだけ、ちょうど、今の時間帯に、」
 ウォルヒはそう解説した。赤道付近に位置するシンカンサイ市あたりに、緩やかな上昇気流がみられる事が多い。気象条件が整って、東方からマリネリス渓谷添いに流れてきた、霧を含んだ冷たい風と、北西のハポニス山の斜面を駆け下ってきた風がぶつかって生み出した雲である。その状況が、この夕方の時間に起きると、火星の薄紫の夕焼けを背景に、雲が夕日に彩られてこの景色を生み出すのである。
 この景色は確かに美しい。ただ、ラベルには周りの人々を見回す余裕と、目の前の雄大な光景を見比べる冷静さがある。客観的に見れば、地球の極地のオーロラや、朝日に照らされた熱帯の森林や、きらびやかな熱帯魚が泳ぐ珊瑚礁の海などの方がよほど美しいとも思うのである。この火星の赤茶けて干からびた大地との対比だからこそ、目の前の美しさが強調されているだけではないかと考えるのである。しかし、見回すと、この区画にいる人々は皆、この景色に感動していて、この区画は静まり返って言葉がない。
 ラベルはそんな人々を冷静に観察しながら、この展望区画についてふと考えたことがある。このシンカンサイ市を上空から見れば、大きな楕円形をしていることは既に述べた。しかし、その大きな楕円の滑らかな曲線は、この展望区画の部分で歪な突起を形づくっている。ここは旧市街の墓地があった場所なのである。人々はこの土地を、都市に突起を作ってまで、強引に都市の中に囲い込んだ。ラベルは彼らが冷たく乾燥しきった大地に、肉親の遺体を葬っておくことに抵抗を感じたのではないかと考えたのである。とすれば、彼らが火星の大地に抱く郷愁は、地球市民が地球の大地に思い描く、豊饒や再生のイメージではないはずだ。
 しかし、美しい。彼ら自身は気付いていないのだろう。彼らと距離を置いて、この巨大な景色を背景に、彼らの姿や表情がかさなると、美しい1枚の絵になる。ラベルにとって首を傾げたくなるのは、この美しさを感じるためには、彼らと距離を置かなければならないことである。もはや価値観を共有できないのかもしれない。
「先生、私が何か?」
 ウォルヒにそう尋ねられて、ラベルは彼女をじっと眺めていた自分に気づいた。その理由を説明することも難しく、ラベルは透明な壁面を撫でて話題を変えた。
「こんな丈夫で巨大な一枚板の、建材が作れるというのは、凄い技術だね」
 口から出まかせではない。都市を外部の環境から隔離して、人の生存を可能にするために、都市を包み込むこの建材は、圧力に耐え、長期の砂嵐に耐え、真空に近い外気を通して降り注ぐ強烈な紫外線から人々を守りぬく。そして、優美な曲線を持った信頼性のある建材を継ぎ目のない一枚板で加工するというのは、おそらく地球には無い技術だろう。
 もちろん、地球ではこの種の建材の需要はないから技術が育たないわけだが、この星に移り住んだ人々が、この大地で生きるために新たな技術を生み出しているのである。
「ドノバンに教えてもらったことがあります。タイペイ建材というメーカーで製造しているそうです。彼の友人が勤めているとか」
「そうか」
 ラベルは腕時計で時間を確認した。夕刻の6時である。まだ、時間はたっぷりある。ラベルはウォルヒに向き直って言った。この女性には何かお礼をする必要があるだろう。
「ところで、君も、私がなぜ火星にやってきたのか知りたいのか?」
 突然の核心を突いた質問に、ウォルヒは面食らって口ごもった。聞き出したいと思いつつ、バスの中では地球の想い出話に時間を費やした。ウォルヒはラベルの質問に黙って頷いた。このチャンスを逃せば、永遠に聞き出す事は出来ないようにも思われたのである。ラベルが考え込むような素振りを見せたので、彼女はラベルが秘密を打ち明けてくれるのかと期待を膨らませた。
「いいか、他の者には内緒だぞ」
 ラベルが小声でそういったので、ウォルヒはもう一度、頷いた。ラベルはウォルヒの耳元に口を寄せてゆっくり囁いた。
「その秘密は、君が一人前の大人になったら、自然に分かるはずだ」
 二人は顔を見合わせて、会話にしばらく間が空いた。彼女などまだまだ子供だというのである。この老人はまだ若者に道を譲って引退する気はないらしい。ラベルは明るく笑い出して続けた。
「よし、今日のお礼に、君に欠けているものを補ってやろう」
 ラベルはウォルヒに肘を突き出した、腕を組もうと誘っているのである。妙なカップルである。孫と祖父どころか、曾祖父と呼んでも差し支えない年齢差がある。ラベルはウォルヒと腕を組んだまま、彼女を町の中央に連れ戻した。そこに、彼が見つけたお気に入りの店がある。
 あくる日、ウォルヒはメンバーからラベルの秘密について質問を受けたのだが、昨日の出来事については黙ったままだ。ただ、彼女の雰囲気が違う。いつもの無機質な歩調が、今日は軽やかなターンを見せたりするのである。
 しかし、昨夜、別れるまでの間にたっぷりと、あの老人から娘が父親から手ほどきを受ける調子で、ジルバやタンゴやチャールストンといった古いダンスのステップの手ほどきを受けた、ということは言い出しにくい。


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