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思考ロボット

「たしかに、雰囲気は温厚になったかもしれないけれど、」
 昼食のフライドチキンを目の前にして、思いだしたようにウィリアムスが口ごもった。彼女がラベルから「ローストチキン娘」と称された直後の食事の時のことである。
 彼女は核融合エンジンから出る廃熱の処理について検討していたときのことである。核融合炉が発する熱の一部が、艇内に蓄積される。核融合炉ばかりではない、探査機などの電子機器を始め、様々な搭載物が、不要な熱を発生する。地球上なら空気や水を使って比較的簡単に熱を外部に排出できる。
 そういう不要な熱を、空気も水もない環境で、効果的に船外に排出しなければならないのである。彼女の計算が甘かった。彼女の計算通りに造れば、船体に蓄積された廃熱で、操縦者はコックピットで蒸し焼きになってしまうはずだ。ラベルはそれを、『小型機をグリルにしてローストチキンを造るつもりか』と指摘したのである。ウィリアムスはラベルの口の悪さが、噂を越えていると言いたいのだ。周囲のメンバーも笑いながら頷いた。彼らがラベルの指導の元で自主開発に入って、既に三週間を経過していた。そのたった三週間でラベルは本性を露呈していた。ひどく、口が悪い。その言葉が回りくどい嫌みな皮肉ではない代わりに、彼らの欠点や問題の本質に、鋭く打撃を与えるのである。
 なんとなく、部屋の中で席が決まっていた。リーダーであるべきイマムラは、最も奥の席を占めて部屋の中を見回している。上座に当たると言うより、邪魔にならないように端っこに追いやられたようだ。ラベルは机を拒否していた。この狭い部屋を効率よく使うことを考えろと言うのである。ラベルは大抵、部屋の中をくるくる移動していた。試験官や教師のような感じ。ラベルは端末の前で考え込むメンバーを回って、端末に表示されるデーターを生徒と共に眺めがら、生徒の習熟度を図ったり、居眠りしていないか、見守り監視しているのである。

「アユミ。8番の構造材を、チタン合金に変更した場合の強度を計算して」
 アユミというのはガーヤンの思考ロボットの名である。たしか、女性アイドル歌手に同じ名があるから、その歌手の名を付けているのだろう。ガーヤンは担当しているフレームの強度が、どう変化するのか比較したいと言うのである。技術的に考えれば非常に曖昧な指示だが、アユミは良く理解して、彼女の回路の中で計算を始めた。
「アユミちゃん」
 ラベルは優しく言った。思考ロボットはパブリックモードになっていて、主人のガーヤン以外にラベルの指示も受け付けるのである。
「今の指示はキャンセルだ。この怠け者が言うことは聞かないで良い」
 ガーヤンは意外な言葉に、ラベルの顔を見上げた。ラベルの口元は優しい笑顔を作っているが、目は鋭く光っていて笑っていない。
「ガーヤン。ロボットに頼りすぎるな。まず、フレームの堅さを頭に描け。頭をぶつけたらどんなに痛いか想像して見ろ。イメージだ。もっと君のイメージを膨らませろ」
 ラベルはまだ怒鳴ると言うほどではないが、怒鳴り出すのも間近だ。あの初めて出会ったときの温厚そうなラベルの豹変ぶりはどうだろう。この激しさがラベルの技術者としての一面らしい。
「コロン。103─D図面の2番高圧ポンプの立体図を見せて。周囲の部品と重ね合わせて表示してみて」
 コロンは言うまでもない。ウォルヒの思考ロボットである。彼女に似て生真面目な性格をしている。ウォルヒがコロンに指示したのは、推進剤を供給するポンプだが、彼女はそれが想定した位置にぴったり納まるかどうか知りたかったのである。
 壁を勢い良く蹴り上げる音が響いた。ウォルヒが振り返ると、ラベルである。表情からウォルヒの指示が不満だったことが見て取れる。彼は部屋のドアを指さした。
「ウォルヒ。工場で現物に触れてこい。その重さと大きさと感触を自分で味わって来るんだ」
 メンバーは唖然とし、ラベルの意図を図りかねた。ネヤガワ工業には350人の社員がいる。
(たった、350人)
 そう表現しても良いのである。
 その業務は繰り返すまでもない。FW─201「スピカ」という小型機をベースにして、例えば、加速性の増大を求めるユーザーに応えて標準的なエンジンを、より高出力のエンジンに換装して販売する。エンジンを換装するという作業を例に挙げると、その荷重を受け入れる船体の強度計算、廃熱の処理能力の変更などをエンジンに関するものを始め、推進剤タンクの容量、変動する重心に応じて姿勢制御システムの変更など、1つの変更に関係する無数の複雑な計算を要するのである。20世紀の昔なら、数千人、数万人の技術者が必要だったろう。
 思考ロボットは、技術データー管理システムのメモリーの中から、必要な値や数式を引っぱり出し、それらを関連づけ、主人の求めるデーターを提示するのである。そして、その結果を技術データー管理システムに戻し、蓄積する。それはネヤガワ工業創業以来の記憶とも言える。思考ロボットはこの記憶を共有し、利用しあうのである。技術開発課のメンバーが、この僅かな人数で新型機開発に取り組めるのは、思考ロボットの機能に依存している。ラベルはその思考ロボットの使用を制限しろと言うのである。
「イメージだ。イメージを描くんだ。人は考え、感じることを止めてはいけない」
 ラベルは彼らを怒鳴り続けるのである。
 一ヶ月を経ずして、部屋の奥のメンバーの視界に入る位置に立体映像が浮かんでいた。ラベルがそれを指示した。今は、宇宙船の姿とは言い難い。幼児が四角いブロックを積み上げたような歪な形をしている。しかし、日々、完成に近づく変化が見て取れる。
 ラベルの意図が良く飲み込めないものの、それでも、メンバーの作業は徐々にその映像に反映されて、映像は完成に近づいて行くのである。
「ドノバン、君の膀胱はネズミ並みかね?」
 メンバーの誰も、ネズミの膀胱など見たことはない。ただ、ネズミの体は小さいから、膀胱も小さいのだろうとイマムラは思ったが、その言葉の真意を図りかねた。
「ドノバン。君ならいったい1日に何リッターの小便をするんだ、何リッターの汗をかくんだ。こんな量に控えておけというのか?小便ぐらいちゃんとさせてやれ」
 もともと、ドノバンに限らず、重量の制限の問題が頭の片隅にある。彼は汚水の発生量を少なく見積もりすぎて、汚水タンクを小さくしすぎたのだろう。ラベルはドノバンに彼の作業をやり直しを命じた。この生徒が再提出した答案を見て、教師は感想を漏らした。
「ドノバン。君の膀胱は、象並みだ」
 今度は大きくしすぎたらしい。こういうやりとりが、汚水処理のタンクの大きさが、汚水の発生量だけではなくて、汚水処理装置の処理速度の関係で決まるという、当たり前の結果に行き着くまで続くのである。ドノバンに対してだけではない、
「ウォルヒ。君は搭乗員の首を絞めるつもりかね? 搭乗員にいったい何グラムの酸素を与えるつもりだ?」
 ウォルヒは思考ロボットのコロンに頼るまでもなく、酸素の標準的な消費量については記憶があった。
「1日に、一人当たり、840グラムだったと思います」
 ラベルは額に手を当てて呆れ返るように天井を振り仰いだ。
「ウォルヒ。君はなんて大根役者だ。演技力だよ。もっと、演技力を身につけたまえ」
 もちろん、ウォルヒは女優ではないし、そうなりたいと思ったことすらないのである。
「機動隊員になって犯罪者を追いかけてみたまえ。緊張し、脈拍は上がり、呼吸は浅く荒くなる。遥かに多くの酸素を消費するんだ」
 人間というのは、数値で固定できない感情の起伏を持っているのである。ムハマドも時折首を傾げることがある。ラベルの言葉の本質は当然のことで疑問を差し挟む余地はない。しかし、彼が知識のよりどころにする専門書では、記述してあることがない事柄なのである。
 ラベルの怒鳴り声と共に、開発機の立体映像が完成に近づいている。メンバーの日々の作業が、この立体映像に反映されている。数週間前、船体中央に角張ったブロックが表示されていた。全てのタンクを一括して象徴している。今の映像では、そのブロックが小さく、推進剤、水、酸素など内容物に分割されて表示されている。メンバーにとって、自分の作業がこの映像に反映されて作業の進行状況が自覚できるばかりではなく、自分の担当するパートが他のメンバーの作業とどう関わっているのかを自覚することもできるのである。

 ある時、アサハリが映像を見ながら言った
「なかなか、かっこいいじゃないか?」
「うん」
 ガーヤンが短く応えたが満足感が籠もっている。
「なあ、俺達にも出来るんだ」
 ムハマドも自信を顔に出して付け加えた。イマムラはそんな部下たちの姿を見ていた。
 この時、彼らがMSB─Xの開発に携わり始めてから8ヶ月を要している。彼らが見る立体映像の機首は四角い箱で表されている。他のパーツも似たようなものだ。ただ、四角いブロックが球形や円錐形が組み合わされて表示され本来の姿に近づいていた。居住モジュールを例に取ってみれば、このモジュールに供給しなければならない電力や酸素、モジュール内の空調機の能力などが決まったにすぎない。ここから、ようやく設計らしい作業に進むのである。
(ここまでは何とか順調に来た)
 ラベルは彼らに怒鳴り声を上げつつも考えている。ムハマドが映像に手を伸ばした。もちろん触れることは出来ず、彼の手はMSB─Xの映像を素通りする。そんな姿を見ながら、ラベルは多少いたずらっ子のような好奇心も持って考えた。
(これから後の苦労を知ったら、今の彼らはさぞかし怯えるだろう)
 まだまだ、技術的な問題を始め、人間関係、関係職場間の調整など、今の彼らが全く想像していない難問に直面せざるを得ない。難解な専門書を読んだところで、問題の解答が書かれているわけではない。思考ロボットが計算してくれるわけでもない。彼ら自身が模索し、幾つもの失敗も含めて経験を積み上げるしかないのである。
 

分裂

 早朝、どのちゃんねるも放送スケジュールを変更して、臨時ニュースとして昨日アルテミス市で起きた新たなテロ事件を大きく報じていた。市民を含めて十数名の死傷者を出し、軍関係者に警護された軌道エレベーターの建設も一時ストップするほどだったという。連邦宇宙軍陸戦隊のアルテミス市駐留施設の一部を狙ったらしい。火星市民にも多数の死傷者を出したためか、犯行声明がない。
 軌道上の陸戦隊が火星の大地に進出したというのは、どの火星市民にとっても不快な事実だった。テロを刺激して政治状況を悪化させていた。ドノバンとシンが乗る通勤バスの中でもその話題で持ちきりである。
「逃げ帰った連中が、何を今更のこのこやって来るんだ?」
 ドノバンが同僚にそう評した。市民に死傷者を出したのは、テロリストの責任に違いないのだが、軍関係者が地表に進出したと言うことがそれを誘発したと思うのだ。
 ドノバンの父親と祖父の名が北公園の碑に刻まれている。彼は地球時間に換算して7歳の時に「火星の息吹」で肉親を失っていた。多くの犠牲を出した後、生き残った地球市民の工事関係者は地球に引き上げてしまった。その事実をドノバン達は(あの連中は我々を見捨てて逃げ出した)と称するのである。
 事故はやむを得なかったとしても、彼らだけが安全な場所に逃げ帰ったということが許せない。そんな連中が彼らの頭上、軌道上をくるくる回っていることさえ不愉快だが、同じ地面に威圧的な態度で立つというのは何か我慢できないような気がするのである。

 ネヤガワ工業にも小さな波紋となって広がっている。
(私は、紅海を切り開いたというモーゼか?)
 ラベルは皮肉を込めて思った。体格を見ればラベルが地球市民だと言うことが分かるのである。ネヤガワ工業の社内も、アルテミス市の酒場で起きた事件の話題で持ちきりだった。社員の肩が触れ合う程の人混みの中で、ラベルが廊下を歩いていると、人々は黙ってラベルを避けて通るのである。歩いて行く先に道が広がって行くようだ。その光景を紅海に重ねたのである。そして、ラベルが技術開発課のドアをくぐると、ここでも波乱が起きている。
 ウォルヒがシンから回ってきたレーダーモジュールの設計データーを再検討していた。正確に言えば、再検討という以前に、その重量を見て即座にはねつけているのである。
「シン。16kgオーバーなんてめちゃくちゃじゃない。小手先のやり方でダメなら、最初からやりなおしてよ」
 ウォルヒはきっぱりと断言した。シンは面白いはずはない。彼はその設計に数週間という時間を費やしていたのである。かといって反論することも出来ずに、小さく吐き捨てるように呟いた。
「あのヒステリー女が、」
 彼女にも漏れ聞こえているはずだが、ウォルヒは意に介する様子がない。彼女は既にガーヤンが担当したフレームの図面に目を移して言った。
「ガーヤン。フレームのこの補強板は肉抜きできないの?」
 フレームの強度を維持するために、鋼の補強板がつけられていた。彼女はその補強板に穴を空けることが出来ないかと言うのである。穴の分だけ重量が軽くなる。彼女の口調は提案と言うより命令に近い強引さを持っていた。
「せいぜい70g程度の軽量化にしかならないぜ」
 ガーヤンは、暗に、軽量化のメリットより、製造に手間がかかるというデメリットを主張するのである。
「いいから、やってちょうだい」
 ウォルヒは有無を言わせない。現段階で、新型船MSB─Xの総重量は52トンになるものと見積もられていた。彼女が削れと主張した70gと言えば、硬貨数枚分の重さでしかない。船体の重量と比較すれば微々たる重量だが、その程度の重さにもこだわって削ると言うのである。こういう調子が設計当初から続いていた。その細かさと強引さは、他の仲間の反感を生んでいた。更に、そんな反感を全く意に介しないと言う彼女の態度が、その反感をいっそう増幅しているのである。
 彼女には、使用するエンジンモジュールの出力が小さいという、強迫観念めいた意識があって、重量軽減については一切譲るつもりはない。設計の役割分担という観点で、メンバーの役割を見ると、シンやガーヤンほとんどのメンバーは各モジュールやフレームなど船体を構成するパートの設計を担当している。彼らの設計したデーターを、ウォルヒがその妥当性を判断して、船体として組み上げているのである。社内の肩書きで言えばメンバーは全て同格だが、その仕事の判断では、ウォルヒが一段高い位置にいる。組織を円滑に動かすためには、イマムラ自身が判断して部下に指示を下すか、ウォルヒを他のメンバーより高度な判断の出来る地位に置いてやらなければならないのだろう。
「あんた。何様のつもりよ?」
 バレが冷静な口調でウォルヒに詰め寄った。もともと、バレは腹を立てれば大声でわめき散らすと言う癖がある。そうやってエネルギーを発散し尽くして、後はあっけらかんと笑っている。そのバレが落ち着いた冷たい口調で詰め寄っているのである。よほど怒りや不満を貯め込んでいるのだろう。ウォルヒは怪訝な表情を浮かべるだけで、臆する様子はない。
「バレ。貴方が、いいものがつくりたいと言ったのは嘘なの? いいものが造りたければ、私に協力してちょうだい」
 メンバーは作業の手を止めて耳を澄ましてバレとウォルヒのやりとりを聞いていた。ウォルヒに対して好意的な視線がない。この場合、イマムラが雰囲気を改善しなければならないのだが、技術的な事が分からず事態を収拾することが出来ないのである。机に座っておろおろと事態を見守っていた。メンバーが仕事の手を止めてしまっている。その事が気になったらしい。ウォルヒは部屋の中を見回していった。
「ねえ、みんな。時間がないんだから、こんな事に関わってないで、次の作業を進めてちょうだい」
「ウォルヒ。それは言い過ぎだ」
 ドノバンが調停に入った。技術的にはウォルヒの言い分は正しいのだが、人間関係にも配慮してくれと思うのである。ウィリアムスも嫌悪感を現した。
「ねえ、ウォルヒ。あなたはそんな独善的で横柄な態度で、設計課でも孤立してたんじゃない?」
「なあ、みんな、」
 イマムラが立ち上がってそう言った。ここ数週間続いている険悪な雰囲気が更に悪化して、爆発寸前だった。自分が何とかしなければならないのだろうが、そのあとの言葉が続かない。自分だけが取り残されて、ひどく惨めな気分だった。
「他のメンバーはウォルヒの指示に従うことだ」
 事態を見守っていたラベルが裁定を下した。船体総重量の十万分の一の単位で細かく重量管理をすると言うことに誤りはない。妥協しないと言う姿勢も正しい。ルーズな重量管理や中途半端な妥協は、まともな船体を生み出すことはないのである。しかし、ラベルは自分が話しに割って入ったことが事態を悪化させるかもしれないと危惧している。
 果たして、ラベルの危惧は的中した、今まで調停役に立っていたドノバンがラベルに噛みついたのである。
「でも、先生。今の人間関係をどう考えておられるんですか? バラバラです。こんなことで設計が続けられるんでしょうか?」
 そう叫んだドノバンは普段は温厚でメンバーの信頼も厚い。ただし、地球市民に対しては嫌悪感を露骨に示すのである。イマムラにとって、最後の調停役として期待している2人がこの調子なのである。気まずい雰囲気のまま、それでも、彼らは作業を続けざるを得ない。実際に船体が出来上がるまでの長い期間を考えれば、目の前が闇に閉ざされるようだった。
 定時になり、メンバーは思い思いに席を離れた。開発スケジュールに遅れは出ていない。ラベルは彼らのプライドを気遣って口にしてはいないが、彼らがほとんど素人だと言うことを見越して、開発スケジュールを立てさせていたのである。普段、スピカの改良設計に携わっている試作課のキム課長などは、そのスケジュールの長さを称してと公言してはばからないのである。
「まったく、お年寄りは気がながい」
 仕事はスケジュール通りだから、メンバーが帰宅することに問題はない。技術開発課の部屋の中は、終業のブザーから5分を経ずして、イマムラとラベルだけになってしまった。その5分という時間の短さが、この時のメンバーの自主開発に対するこだわりのなさを現していた。
 開発というのは、目標に向かって問題解決を積み重ねて行く作業である。その過程で革命的な変化を生じることもあるが、大半は地道な努力や手探りの模索が続く。部屋の中に開発中の船体の姿が浮かんでいた。地道な作業の中で士気を維持するためにラベルがそれを指示していた。メンバーはこの映像によって、ずいぶん勇気づけられて自信を深めている。しかし、この映像だけでは不足しているらしい。
「何かきっかけがあればいいんだが」
 ラベルはイマムラに呟いた。
(あの連中は育つ)と思うのである。
 この映像以外にも、何か彼らを励まし、目標に目を向けるきっかけが必要だろう。
 次の日、そのきっかけは意外な形で現れた。
 

カティア

 ドノバンがいつになく遅れて出社した。他のメンバーは既に部屋に顔を揃えており、遅れて入ってきたドノバンを一斉に注視した。
「何か変わったことでもあるのか?」
 そんな言葉で、ドノバンは不機嫌そうに自分に向けられた不審と好奇心の入り交じった視線を振り払った。変わったことどころではない。いつもの端末の前に行き、座席代わりの計測機器に腰を下ろしたドノバンは、背中に幼児を背負っているのである。幼児は機嫌良く小さな声でけらけら笑った。幼児の衣服がピンク色をしているから、女の子なのだろう。過去のネヤガワ工業社内で、男性社員が幼児を背負ったまま作業場に現れた事例はない。ドノバンは優しく気を配りつつ、ゆっくりハーネスを解いて幼児を腕に抱いた。課長としての立場上、イマムラが尋ねた。
「で、さっそくだが、ドノバン。その子の事情を聞かせてくれないか?」
「カティアだ」
 ドノバンは短く娘の名を答えた。
「いや、何故、その子を?」
「かみさんに、逃げられた」
 ドノバンはそう答えた。普段は温厚で人の良い男だが、今日は不機嫌で言葉が短い。短い言葉を繋いで察すると、昨夜、夫婦喧嘩のあげく、再婚の妻が娘を棄てて失踪したと言うことらしい。
「よくまあ、セキュリティーをくぐれたもんだ」
 シンがそう指摘した。建物の入り口からこの部屋まで2カ所のセキュリティドアがあって、関係者以外は通行できないはずだ。
「危険性はないと判断したのかしら?」
「当たり前だ、俺の娘だぞ」
 ドノバンはセキュリティをくぐり抜けた理由を述べたバレにそう反論した。
「作業に支障無ければ、例えば、猫でもセキュリティーをくぐれるの?」
「俺の娘を猫と一緒にするな」
 そう言いつつドノバンはウェストポーチから何かを取り出した。時間を見れば、娘の授乳の時間なのである。ウィリアムスがそれを指さした。
「あっ。それ知ってる。ハックマン博士の『オッパイくん』でしょ」
 高名な産婦人科医が、離婚率の高まりと独身男性の不慣れな授乳を嘆いて発明した、要するに乳房型のほ乳瓶である。ハックマン博士によれば、授乳期の幼児に母親の乳房の記憶を残すことで、その後の健全な精神の発育を促進するのだという。ドノバンは持ち前の生真面目さで、ハックマン博士の著書の大半を読んでいた。しかし、やや無精髭の伸びたドノバンが、左の胸に付けた大きな乳房は、見ていて気色が悪い。ラベルとイマムラは、見て見ぬ振りをした。
 カティアは目を細めて、こくんこくん、喉を動かした。その表情が素直で愛らしい。ウィリアムスがカティアの笑顔につられて頼んだ。
「ねぇ。私にも抱かせてよ」
 こういう場合、どんな女性も柔和で包容力のある、実にいい笑顔をする。将来、娘にとって気むずかしい父親になるに違いないドノバンも、このウィリアムスの笑顔に満足したようだ。
「落とすなよ」
 ドノバンはそう注意したものの、機嫌良く娘をウィリアムスに紹介した。
「ほおら。紹介しよう、こちらはヘレン・ウイリアムス。ヘレンおばちゃんだよ」
「いいえ、カティア。ヘレンお姉ちゃんよ」
 カティアは人見知りをする質ではないらしい。ウィリアムスの腕を経てバレの腕に移っても愛想良く笑顔を振りまいた。
 メンバーは仕事を忘れてカティアを取り囲んだ。カティアはバレの手からシンへ、シンからムハマドに、順番にメンバーを回って、笑顔で父親の同僚に挨拶をした。カティアはアサハリの腕を経てウォルヒの所にやってきた。迎えるウォルヒの様子が変だ。ウォルヒはとまどいがちに手を伸ばしたのだが、その手を引っ込めてしまった。カティアを抱き上げると言うことが出来ないのである。柔らかで暖かな肌触りが、彼女に彼女の腕の中で冷たくなった幼い弟を思い起こさせるのである。彼女はアサハリの腕の中のカティアの前髪を撫でるだけだ。
「どうして?」
 ウィリアムスが首を傾げた?
(こんなに可愛いのに)
「子供を抱けないなんて、女として何か欠陥があるんじゃない?」
 バレが言った。表現は悪いが、彼女の口の悪さはもともとだ。笑顔を浮かべていて、そのきつい表現が冗談だと分かる。周りのメンバーもウォルヒを笑ったが、素直な笑顔で皮肉な感じはない。ウォルヒも苦笑いしただけだ。メンバーはウォルヒの心の奥底に踏み込むのを避けていた。
「ホンマに、父親に似なくて良かったな」
 毒舌のアサハリがカティアを見ながら、ドノバンの男らしいごつごつした顔立ちを称した。(外見なんて、)と言われるが、その言葉は嘘だ。美男や美女は生まれながらに得をするのである。
「きっと、この子は男の子にもてるわよ」
「嫌だ。一生、俺の手元に残したい」
「こいつ。娘を嫁に出さない気だ」
「当たり前だ、特にお前らみたいな薄汚れた連中に、手塩にかけた娘を嫁に出すもんか」
「ねぇ、ドノバン。あんた最近、口の悪さがラベル先生にそっくりよ」
 ウィリアムスの言葉にメンバーは口を揃えて笑った。
 この子を見ていると、何か誇れる物を残してやりたいと思ったが、自分に何が出来るだろう。誰にも突出して優れた才能はない。この部屋にMSB─Xの映像が浮かんでいた。彼らがこの子に誇れるものは宇宙船造りしか無いようだった。
「お前のために、MSB─Xを完成させてやるからな」
「本当に作れるの?」
「造る。俺はこの子を愛してるんだ」
 ドノバンはそう大まじめで断言して、メンバーもドノバンの言葉に頷いたように見える。ただ、普通の人々にとって、情熱に起因するモチベーションは余り長続きはしない。この場ではカティアという幼児が彼らに前向きな情熱を与えたが、この後、彼らは幾つものきっかけを必要とした。
 カティアはただ機嫌良く笑っていた。ウォルヒはこの子が将来、自分の後継者になるということを予測できないでいる。
 

レオン事件

 18ヶ月という時間が、イマムラの中で無我夢中の内に過ぎていた。ようやく席に腰が落ち着いたところだ。技術的な点はまだまだ分からないが、専門的なアドバイスについてはラベルがいた。生真面目な男は、ようやく仕事の流れは飲み込んでいたつもりだった。
 これまでのメンバーの努力は、MSB─Xの立体映像として、技術開発課の部屋の中に浮かび上がっていた。先週、ようやく量子コンピューターのメモリー上で、エンジンユニットの取り付けが終わり、昨夜の夜半に最終の儀装が取り付け完了したのだった。その全体像はスピカとよく似ているが、スピカと並べて映し出すと、スピカより遥かに大きい。性能の向上を狙って、スピカよりも出力の大きな核融合エンジン・フェニルⅡを搭載したためだった。ノーラン&ベイズ社が新型機に搭載するアテナⅣと比べて同じか、やや出力が勝るといわれた。しかし、アテナⅣに比べて彼女達の使用したフェニルⅡは一回り大きく重量が重いという欠点を持ってるのである。
 しかし、新型の核融合エンジンアテナⅣは、地球政府による輸出制限が掛かる恐れがあり、彼らにとって安定して得られる見込みがなかった。フェニルⅡが彼らが使用できる核融合エンジンの中では、最良のものだと判定していたのである。エンジンの出力の大きさは、必然的に推進剤の使用量の増大につながり推進剤タンクが大きくなった。重量のあるモジュールを支えるためのフレームは太く頑丈になった。船体の全体が大きく重くなっていた。こういう重量の増加はエンジンの出力の大きさを相殺して加速性能の低下を招いていた。
 しかも、この船体には、元営業部員のイマムラの立場から見れば、ユーザーにアピールする特長が何も無かった。イマムラは頭の後ろで手を組んでディスプレイを眺めていた。
「ローレンツα、アリオン、タイフーンⅡ、主要目と性能を表示」 イマムラの指示でディスプレイに他社の競合機種の要目が表示される。
「MSB─Xの主要目と性能表を並べて」
 イマムラはやや考えて指示を追加した。
「競合機種の能力でMSB─Xが勝る項目を緑、劣るものを赤で表示」
 ディスプレイ上の数値の一部の色が変化した。どの機種と比べてもやや緑が多いという程度だった。MSB─Xに抜きん出た特徴は無く、ここにMSB─Xが火星市民の自主開発であるという決定的なマイナスポイントが加わるのである。比較するMSB─Xの能力は予想されるデーターだった。実機を作る段階で更に性能の低下も予測された。
 しかし、危惧をよそに何とかなりそうだった。少なくとも旧式化したスピカを売り続けるよりも遥かにましだろう。ラベルのおかげとも言える。イマムラは感謝の目でラベルを見た。

 この頃、ある都市で彼らの命運を左右する事件が起きていた。火星上、シンカンサイ市の裏側当たりになる。シルチス市から南東30kmの位置のアルテミス市が騒動の舞台である。フォボス宙港の中継所として、軍関係者が駐留している。事件は発生した酒場の名を取って、後にレオン事件と呼ばれることになった。
 夜半をすぎていたらしい、酒に酔った客同士の小競り合いが生じた。きっかけは、自分の連れ合いの女性に、触れた触れないと言う何処にでもありがちな口論だった。ただ、この時には一方が地球市民で、しかも兵士だったことが騒ぎを大きくした。もともと、火星市民には彼らに対する根強い不信感がある。トラブルは発砲騒動に進展して、市民側に死者が生じた。保安部員が現場に急行して事件関係者を逮捕した。市街地で起きた事件だから、協定によれば保安部員にその責任と権限がある。連邦軍がその逮捕拘束された兵士の身柄の引き渡しを、火星行政府に求めているというのである。
 簡単に言葉を綴ればそう言う経緯になる。行政側の縄張り争いという視点から見ると、連邦宇宙軍という国家組織に対して、保安部という地方組織が、国家に対して極めて高い独立性を保った組織だったために、火星市民の民意を反映した。地球政府対火星行政府という対立構造を形作っている。

 この時期の火星に救国市民戦線というグループがある。その実態は政治結社か政党か、或いはテロリスト組織という選択肢をくわえても良いかもしれない。選択を迫られれば、その区別を答えることが出来ない火星市民がほとんどだが、こういう状況に乗って勢力を拡大し、その名を耳にすることが多くなった。そのグループのアクセ代表という人物が、市民の愛国心を煽って行政府の弱腰を攻撃していた。小さな酒場の事件だが、この後、尾を引きそうな騒動に発展しているのである。

「何か、きな臭い」
 事件を報じるニュースを聞いたウルマノフは呟いた。火星市民として不愉快な事件に違いなかったが、それ以上に、経営者としての呟きである。業務上、ネヤガワ工業は地球からの輸入品に依存することが多い。商売に悪い影響が出るのではないかと思ったのである。しかし、この事件がそれ以上自分たちに関わってくるとは考えていない。
(技術開発課を見ておこう)
 ウルマノフは席を立ち上がった瞬間にそう思った。いつもながら、この男の気まぐれである。まず、何の予告もなく技術部長ストヤンの部屋に顔を出した。その生真面目な性格で、ウルマノフの突然の出現に、慣れることが出来ないらしく慌てるストヤンにウルマノフは声をかけた。
「ちょっと、教えて欲しいんだが、」
 彼は、少し考えて遠慮がちに続けた。
「例えばだが、私が特定の場所に近づいたとする、それに合わせて警報を鳴らすことは可能かね」
 ストヤンは即座に思った。
(そんなシステムがあるなら、真っ先にオレの部屋に備え付けてやる)
 しかし、それを隠して考えるふりをして言った。
「そうですね。まず、全社員の中から社長を特定する印が必要です。首に鈴でも付けましょうか?」
「それから?」
「鈴の位置を特定するための探査機器と警報装置が必要でしょう」
「で、何故、君はそのシステムをここにつけないんだ」
 ウルマノフはストヤンの机をこつこつ指で叩いた。ストヤンは内心を見抜かれているのかもしれない。
「コストがかかりすぎますね。それに誰が社長の首に鈴をつけるんです? 困難でしょう」
「常識的・現実的には無理なんだな?」
 ウルマノフは技術部内で、自分に電波発信機の首輪を付けて、居所をモニターして置いてくれという冗談があるのを知っていた。突然に、意外な場所に姿を見せて社員を驚かせるからである。今も、ストヤンを驚かせた。もちろん首輪というのは冗談に過ぎない。自分はそんな首輪をする気もなければ、行動を制限されるのも嫌だ。
 ところが、技術部棟の奥、技術開発課に接近すると必ず、彼らの部屋から警報が鳴るのである。他の部署では冗談に過ぎない警報システムを作り上げているのだろう。ここの連中は他の部署には無い、やる気と才能を持っていた。
(頭を使うのは悪い事じゃない)
 そう考えるウルマノフに、いまも警報が聞こえている。彼の経験から言えば、間もなく警報の間隔は短くなって、自分が更に接近していることを室内に知らせるのである。
「あっ。社長」
 イマムラである。この男は芝居は上手くない。何か、しどろもどろなのだが、先のストヤンとは違う。突然に社長が現れたことではなくて、現れることを知っていたことを隠すために、不自然な演技をしている。
「何かご用でしょうか?」
「別に。MSB─Xが見たくなっただけだ」
 ウルマノフは室内を見回した。さり気なく見回す振りをしながらメンバー、一人一人の表情を確認した。イマムラは下手な演技をしており、アサハリは隅で彼の顔をちらちら偵察している。ウィリアムスは誰にでも愛想がいい、他の人に向けるのと同じ笑顔をウルマノフにも向けた。バレは彼を全く無視してのけている。
(課長以下、随分と個性溢れた連中だ)
 ウルマノフはそう思った。社長の自分を迎える表情や動作に同じものがない。ただ、どの表情も奢りもせず卑屈でもない。その共通点が、MSB─Xという計画段階の自主開発の船の裏に秘められていた。
 ウルマノフは部屋には入りもせずに、くるりと向きを変えて技術開発課を立ち去った。開発は次の段階を迎えて、ウルマノフにとって頭を悩ます問題を生じている。MSB─Xは現段階で、映像やコンピューター内の数値で表されるデーターにすぎない。要したコストは技術開発課のメンバーの人件費程度のものだ。
 しかし、今後、試作船を製造するとなれば、莫大な回収不可能な費用を要する。当然の事ながら、経営上、大きなダメージを被る可能性が生じるのである。試作船にかかる費用、言い換えれば、失うかもしれないコストは、ほぼ正確に計算されて彼の手元に届けられていた。しかし、最後の判断が付かない。
 経営判断というものに、何か道具や材料が必要だとするのなら、この時のウルマノフは、失うかもしれないコストと、技術開発課の連中の笑顔を、天秤に乗せて図り比べてみたのである。ウルマノフは思った。
(今夜は、久しぶりにぐっすり眠れるかもしれない)
 心が重く濁って眠れない夜が続いていたのだが、あの連中の表情はウルマノフの心を、こころもち、明るくしたような気もするのである。

 一方、技術開発課ではイマムラが警報の音量をもう少し小さく、社長に気付かれないようにしておいてくれと命じたのを、ラベルは笑いながら見ていた。
(興味深いねぇ)と言うのである。
 新型船開発の片手間に、警報システム作りをしたバレやアサハリやシンから見れば、社長の首に鈴をつけるという発想が間違っている。社の環境システムのメモリーを調べて、ウルマノフの思考ロボットが見つからなければ、社長は不在である。ロボットが見つかれば、ウルマノフのロボットに主人の居場所を逐一教えてもらえばいいのである。特別な道具や費用は不要である。もちろん、プロテクトがかかっているファイルを利用したり、ウルマノフの思考ロボットに、内緒で主人の居場所を囁いてもらうために、それなりの秘密のテクニックを要するのだが、シンは環境システムの仕組みに詳しく、バレはプロテクト外しをパズル代わりに楽しむ趣味がある、アサハリはもとの部署で思考ロボットを扱う専門家である。最初は犯罪者と同列に扱われるのが嫌で不快な顔をしていたドノバンやウォルヒも、システムが稼働してみるとその効果に感心せざるを得ない。
 彼らはこのシステムの目的を秘匿して「みんなお友達システム」というふざけた名を付けている。
 偶然にも、1つの部屋に様々な専門分野や異なる趣味を持った人々が集まって、意外な成果を上げていたのである。
 

アマリア

「この船体の特徴を一言で言って見たまえ」
 妻のアマリアは腰に手を当てて威張った調子でそう言った。彼女のイメージの中で上司というのはそういう姿なのだろう。役になりきっているつもりらしいが、演技はうまくない。イマムラは答えた。
「全般的な性能において、在来機種のスピカ102型を凌駕しております。在来機種において主たる顧客から、加速性能と機動性の向上を求められておりますが、この船体はその意向に添うものとなります。更に今後、競合すると思われるノーラン&ベイズ社のアンドロメダと対比して、その加速性能は、、、、」
 イマムラはテーブルの緑茶をすすった。妻のアマリアの返事はやや遅れた。紅茶にリンゴジャムを入れてかき混ぜてるのに手間がかかったのである。彼女のお気に入りの飲み方である。
「しかし、機動性の点では劣っているのではないかね?」
「表に示しましたようにRPYコントロールの値と推進剤の消費は・・・・・・。この説明は分かりにくいかな?」
 イマムラは言葉の途中で、夫に戻って妻に尋ねた。
「そうかもしれないわね」
 妻のアマリアは紅茶をすすった。イマムラは少し考え込んで説明を変えた。
「ユーザーにおいて『機動性』とは、具体的に船体が一定の姿勢をとるための時間と、その姿勢制御に消費する推進剤の消費効率を指しています。MSB─Xの場合、姿勢制御時間は競合メーカーの船体に比べて劣っているように見えますが、今後、姿勢制御ノズルの位置の調整と推進剤の噴射速度の向上により補えると考えられます」
「長い。もう少し、端的に説明したまえ」
 役員会議を前にして技術部の会議を控えていた。議事進行は技術部長が行うが、社長が出席する。技術開発課で進行しつつあるMSB─Xが議題に上るはずだった。最終的には役員会議の判断を待たなければならないが、その動向は、ほぼ、技術部の会議で決まると言って良いのである。
 今のところ、量子コンピューター上のデーターでしかないMSB─Xを、実際に試作するかどうかの判断する重要な資料になるはずだ。会議には技術的な補佐役としてウォルヒを同席させるつもりだったから、技術的な受け答えはウォルヒに任せればよかった。しかし、課長の自分が基本的な受け答えが出来ないようでは、MSB─Xのイメージが悪い。彼はメンバーに命じて、予想される質問事項とその模範的な受け答えについて要点をまとめさせていた。内容は技術的で難しく、やや首を傾げなければならない。更に、自分に分かるように手を加えて想定問答集を作成していた。そして、妻に上司の役をさせて、会議のための練習をしていたのである。
 部署が編成されてから、奇妙な連中も居たが、おおむね仕事に対して積極的で、課長の自分が技術的にサポートできないにもかかわらず、自分達で問題の解決を図っていた。その努力を見てきただけに何かをしてやりたかったが、今の自分に出来ることは、会議で試作船の製造を承認させることだった。
 間の悪いことに、この時期、保安局からはスピカの改修について、様々な要求がされていた。エンジンの出力の向上、機動性の向上、航続時間の延長、固定武装の換装等である。それらの要求が、思いつくままされているのではないかと疑いたくなるほど次から次へと出されて、この時期の保安局の混乱ぶりを物語っていた。
 技術部はその対応に追われていた上に、忙しいのは技術開発課に人員を割いているからだという思いも蔓延していた。スピカの改修は設計課の担当だった。設計課が快く思っているはずは無い。会議は紛糾が予想された。設計課だけではなかった、シュミレーションセンターも技術部や製造部から持ち込まれた試験に、スケジュールが詰まっているはずだった。声に出さなくても、将来性のない宇宙船の自主開発から手を引けという意見が聞こえてきそうだった。
 妻のアマリアから見れば、夫は会議を明日に控えているらしい。一週間ばかり、夫の上司役を演じたが今夜が最終日だった。具体的にどんな状況だったのか、夫は説明してくれなかったために、彼女の推測の域を出ないが、夫は営業部に、宇宙船の自主開発について側面からバックアップを求めて断られたらしい。彼女はそれを語った夫が締めくくりに言った言葉を思いだした。
「全く、営業の連中は無定見でわがままで、自分勝手な連中だ」
 その言葉をアマリアは笑って聞いていたのである。彼女の夫は、ほんの数年前には
「技術部の連中は無定見でわがままで自分勝手だ」
 そうぼやいていたはずだ。いつの間にやら彼女の夫は技術部の人間に成りきってしまったらしい。仕事になじむと言うことは悪いことではないように思われる。

 壁際のディスプレイに灯が灯って、臨時ニュースが報じられた。登録してあったキーワード、たぶん『レオン事件』という単語だろう、に反応したのである。拘置所を取り囲む人々や検事局の建物の映像が映し出されている。
 酒場レオンで起きた殺人事件で、容疑者引渡しの判断を求められていた検事が、抗議のために辞職したというニュースだった。法律上の解釈を求められれば、容疑者を連邦軍に引き渡すのが妥当かもしれなかったが、誇りを踏みにじられてきた火星市民の感情を考慮すれば、許し難い行為だった。もはや、事の経緯に火星市民の民意は及ばない。過去の事例を考えれば、殺人者には数年後の仮釈放、或いは数年の懲役刑に執行猶予がつく、そういう結末が予想されるのである。地球市民が考えるより火星市民の団結心が強い。火星市民は火星という大地で生き抜くためにそういうものを必要とした。殺された仲間の命が過失致死程度のものかと不満をつのらせるのである。
 臨時ニュースとして扱われるほど、事件についての火星市民の関心が高い。ここにも救国市民戦線のアクセ代表が、声高らかに愛国心を煽る姿が映しだされていた。
 ベルが鳴って、この夫婦に来客を知らせた。ニュースの展開を知りたいと思いつつも、妻のアマリアはスイッチを切った。来客が地球市民だと言うことを知っていたからである。互いに、気まずい思いをしたくはないのである。
 アマリアは客をもてなす料理を温めるために台所へ姿を消し、夫は客を出迎えにドアに向かって歩き始めた。
 


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