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技術開発課発足

   ネヤガワ工業の敷地の中で、セキュリティの関係で技術部の建物は製造部の建物と並んで、事務棟とは隔てられていた。温かみのある象牙色の事務棟と違って、水色と白で冷たく塗り分けられていた。イマムラはぞっと身震いするように思った。
(このあたりは雰囲気が違う)
 だいたい、技術部の連中というのは得体が知れなかった。計測器の前でじっと座ってデーター取りをするなど、イマムラには考えられないことだった。モニター上の訳の分からない数字を眺めながら、笑ったり怒ったりしているのは変態と同じだ。頭の中の妄想や偏見ではない。彼は顧客の発注条件を打ち合わせるために、ここに出向くことがあり、実際にそう言う気違いじみた光景を目にしている。イマムラは研究棟入り口のセンサーに手をかざした。
「営業部のイマムラだ」
 もはや、技術部員かもしれないが、彼はいつもの癖でそう名乗った。セキュリティシステムが彼の指紋、声紋、網膜、顔立ちを始め、言葉や仕草の癖など社員にも明らかにされていない項目も加えて、イマムラ本人だと言うことを認識し判断しているはずだ。実は、この時にも未だに営業部に戻ることは出来ないかと考えていたのである。心のどこかに、セキュリティシステムの拒絶への期待感があった。
 しかし、セキュリティシステムはイマムラを認識し、この新人を受け入れた。人事異動の手続きが全て完了し、もはや営業部に彼の席はないということだった。ドアが開いて、後はこの得体の知れない魔窟に踏み込んでいく運命しかなさそうだった。

 イマムラばかりではない、新たな部下を受け入れるストヤン技術部長も、困惑を隠せないのである。ストヤンの見るところ、営業部の連中は、顧客の無理な要求をそのまま技術部に伝えることだけを、自分の仕事だと考えていた。技術的や時間的な可能性など関係なく、不都合なことは全て技術部に押しつければよいと考えているのである。しかも、とうてい利益が上がりそうもない価格で、仕事を請け負ってくる。限られた技術部員が、顧客の多岐に渡る要求に答えるために、振り回されている。
 そんな、絶望的な人員不足の中で、なんとか人数をやり繰りして、新たな技術開発課を編成した。当然、今までの業務を残された人数でこなさなければならないから、各部署は遥かに忙しくなるはずだった。その恨みは自分に向けられるに違いない。部下の一人を引き抜かれた材料研究課の課長が、既に彼に噛み付いていた。そして、成果の上がる見込みがない部署に回される部下の恨みを買うのも、自分になるはずだった。
(成果が上がるはずがない)と、ストヤンは考えているのである。
 今回の思いつきはウルマノフの仕業に違いないが、地球との技術格差を知っているのかと言いたい気分だ。
 本音を言えば、成果の上がらない宇宙船の自社開発に人手を取られるよりも、日常の業務を円滑にこなすほうがありがたい。増員を要請したのだが、人員は情報管理部から来たアーシャ・バレという黒人女性と、彼の目の前に居る技術的な素養の無いイマムラだけだった。
「ほかの係員には9時に集合するように伝えてある。君の下に部下が8人つく。顔を合わせるといい。アイエロ君。課長をロッカーに案内して、作業着を、」
 ストヤンは部下にイマムラの案内を命じてドアを指さした。
(まるで、部屋から追い払われるようだ)と、イマムラは思った。
 そのイマムラをストヤンは呼び止めて言った。
「イマムアくん」
 まだ、名前も覚えてもらっていないらしい。
「イマムラです」
「イマムリ君、出来るだけおとなしくやってもらいたい」
 船体の改造には、様々な高度な計算や計算に基づく判断を要する。環境システムに在中する思考ロボットにすら扱い切れないほどなのである。そのために、ネヤガワ工業には数台の専用の高速演算装置を備えたシュミレーションセンターがあり、改良に関わる様々な要因が、最終的に船体にどういう影響を与えるものか、量子コンピューターでデーターを多角的に解析している。顧客からさまざまな要求が持ち込まれて、その対応にシュミレーションセンターの処理能力が限界に近づいている。新型船の開発となれば、更に使用頻度が上がり、その処理能力を超えることもあるかもしれない。一時的にせよ、従来から抱えている仕事がストップする。ストヤンとしては最も避けたい事なのだった。加えて実際に試作機を製造するとなれば、現在稼働している製造ラインにも影響が出るかもしれない。
 あまり張り切られて、予算やシュミレーションセンターの時間を割かれては、他の部署に支障が出る、それを恐れたのだろう。
(できるだけ静かに、おとなしくしていろ)
 それがイマムラの新しい上司が、彼に与えた作業方針だった。

 新たな作業着を着たイマムラが案内された会議室は、思いの外広かった。丸いテーブルに椅子が11脚程、形が不揃いなのは、今日の会議のメンバーの頭数に合わせて、椅子を追加して持ち込んだものらしい。イマムラは着慣れない作業着を身にまとって、椅子の数で会議のメンバーの数を推測した。
 その部屋に、先客が一人いた。肌や目や髪の色という外見上の区分以前に、大きな目と口が、彼女の好奇心のよりどころを求めて自在に動くという印象が、彼女の特徴になっている。彼女は立ち上がってイマムラに近寄ってきた。獲物を見つけた黒豹のようだ。彼女は手をさしのべて言った
「初めまして、情報管理部から来たアーシャ・バレです」
 握手のつもりか握った手を大きく振ったあと、その手を離さず、イマムラの返事を待たずに尋ねた。
「営業部のイマムラさんですね?」
 答えを聞かなくても確信があるらしい。握った手に力がこもったままで、捕らえた獲物を離そうとしない。イマムラの返事も聞かないまま、手を引っ張って、彼女が座っていた席の横に彼を導いた。そして、イマムラの席を指示して、自分は椅子の向きを変えてイマムラと向き合った。イマムラにすれば、教師から悪戯について詰問される生徒の立場に立たされたようなものだった。彼女はイマムラの微妙な表情の変化を見逃さないよう顔を近づけて聞いた。
「率直に伺います。N&B社の新型船受注の話は、本当にダメになったの?」
 彼女の言葉通り、率直すぎる質問である。現在のところ、彼にはその質問に回答する権限はない。黙って肩をすくめるイマムラに彼女は質問を替えた。
「新型船の開発。自主開発というのは、技術部の総意なの?」
 やや、イマムラの本意を探るように首を傾げて見せた。彼女は次のようにたたみかける。
「営業部や製造部が納得しているようには見えませんけれど、」
(その通りだ)と、イマムラは思った。
 つい昨日まで営業部員だった自分は、こんな話に納得はしていないのである。製造部の連中も、同じようなものだろうとも思うのである。しかし、彼女の質問は、イマムラに回答の時間的な余裕を与えてはくれない。彼女は既に次の質問を発していた。
「ネヤガワ工業として、地球メーカーのバックアップも受けずに、独自に新型船を開発することに対して、どうお考えです?」
 自主開発というのは事実らしいが、単独で取り組むというのは彼にとっても初耳で、彼の方が質問したいくらいだ。イマムラはバレの話に返事を挟み込む余地を見つけられないでいる。
「ふうーん」と、彼女は言った。
 真偽を見極める表情でイマムラの顔をのぞき込んでいたが、その表情をやや不満そうに、そして、やや失望感に変えた。営業部員のような素人に、回答を求めるのが無理なのかと悟ったようだ。彼女がいかなる情報源を持っているのかはしらないが、この一件については彼女の方がはるかに詳しそうだった。
 イマムラに続いて3人目が入って来た。14歳程度、地球時間に換算して言えば28歳程度だろうか、アジア系の顔立ちの女性である。バレがガイド役になって入室者を紹介した。
「元設計課のステンレス・プリンセス。ウォルヒ・パク。あの堅い雰囲気がそんな感じでしょ。新型船開発で設計課からはみ出ちゃった感じね。ハンサムな上司のもとから離されるなんて悲劇よね。私もね、設計課のキム課長なんて好みだわ」
 イマムラのあきれたようにバレに向けた。彼女は自分の話が主題からそれてしまったのに気付いて舌を出してから、話題をウォルヒに戻した。
「彼女のスリーサイズもお望み?」
 イマムラは首を振った。バレという女性は黙っていれば、ウォルヒのスリーサイズから私生活まで暴露しかねないと思ったのである。ウォルヒは先客に事務的な会釈をすると、イマムラから距離を置いて、しかも彼と向き合うことも避けて、彼から3つ離れた席についた。会議が始まるまで黙って時を過ごすつもりらしい。
 4人目は、うすら禿の白人男。バレがそう表現したのである。ヒツジを連想させる温厚な目が特徴だった。彼は部屋の中をぐるりと見回して、ウォルヒの姿を見つけると、彼女の隣に席を占めた。
「エリック・ドノバン。シュミレーションセンターのうすら禿。恋愛シュミレーションは素人同然ね。騙されてばっかりだもの。でも言わせてもらえば、女を見る目がない彼が悪いのよ」
「女性の話は良いから、仕事上の説明をしてくれないか?」
 ここに顔を揃えつつあるメンバーは、彼の新しい部下らしい。少しでもその人柄を知っておきたいのである。
「仕事面でも運が悪いのね。もう5回目の異動だもの。人が良いから新しい職場で真っ先に飛ばされるのは彼。異動慣れした雰囲気でしょう? 最後に辿り着いたのがこの墓場ね」
 彼女は最後に、やや好意的に付け加えた。
「でも、あちこちで仕事を経験しただけに、何でも無難にこなすわよ」
 ドノバンには周りを包み込む自然で柔らかな雰囲気があり、そういう好意的な感想を付け加えたくなるのだろう。
 5人目が荒々しい足音と共に入ってきた。
「笑顔の冷血商人。電子技術課のシン」と、バレが小声でイマムラに紹介した。
「仕事上の特徴は?」
「個人的な銭勘定にうるさい事かしら?」
(仕事上の特徴じゃなかろう?)
と思いつつ、イマムラはシンを、契約上、几帳面に仕事をこなす男だと解釈することにした。バレは片手を振ってシンに挨拶をした。
「今日はご機嫌斜めね。シン」
「フォボスの出張から帰ってきたら、いきなりだぜ。『今日からお前の机はここじゃない』って。自主開発だって、何を考えてるんだ?」
 怒りが口をついて出て収まらない。席についても、ぶつぶつ不満を独り言で漏らしていて、今日は彼に接近しない方が良さそうだ。
 6人目は、ずっとおとなしい。中肉中背のアジア系の男で、黙ってのっそりとドアの所に現れた。
「人畜無害。理論派の毒舌ハツカネズミ。品質規格課のアサハリ」
 バレの人物評はそうかもしれないと思わせるものがある。アサハリは自分の身を安全に守るために、慎重に周りを見渡すという雰囲気で、部屋の中を見回した。危険な人物ではなさそうだが、存在感の薄い男でもある。
「おおかた、毒舌が災いして追い出されてきたんじゃない?」
 7人目。大柄な黒人男だが、目が子供のように無邪気で愛嬌がある。
「パワーモジュールのタロウ・ガーヤン」と、バレは彼を評した。
 核融合エンジンを中心にその付属機器を含めたモジュールを、エンジンモジュールとかパワーモジュールと呼んでいた。ガーヤンの作業着からはみ出してはちきれそうな太い腕や、筋肉に覆われた胸板は出力全開のパワーモジュールなのだろう。ただし、その制御の面では不安定であるらしく、バレが言葉を付け加えた。
「究極の破壊魔人とか、暴走する最終兵器とかいう異名も聞いたわ」
 ガーヤンはバレから席一つ分、椅子の間隔を開けて座った。最初、そのままバレの隣に座りかけながら、少し考えて、間隔を空けたというのは、他人に窮屈さを感じさせないようにとの配慮らしい。人なつっこい笑顔通りの思いやりを持っているらしい。
「おれ、とうとう、こんな所に島流しになっちゃったよ」
「今度は何を壊しちゃったの?」
 ガーヤンは照れたように笑って応えない。
(島流しか?)
 イマムラは自分の運命を重ねて思った。

 8人目。片手に難しそうな専門書を持ってきた。この時代、書籍を持っているというポーズは珍しい。必要なら求める情報を手近なモニターに表示させることは容易なのである。知識を誇示するためのアクセサリーであるらしい。
「材料研究課のアリ・ムハマド。プライドだけのケチなひよっこね」
 彼女の言葉はそれだけである。その一言で彼の人物を語り尽くせるらしいのである。
9人目。整った顔立ちの金髪美人だが、マイペース派の人間がもつ独特の余裕を漂わせている。
「世紀の天然ボケ。PM技術課のヘレン・ウィリアムス」
 その天然ボケは、バレとガーヤンの間の席について、部屋のメンバーの顔を見回した。
「変なメンバーねぇ」
 彼女はこの部屋のメンバー構成をそう表現した。そののんびりとした口調から察するに、彼女自身はその変な顔ぶれ含まれていないらしい。
「ねぇ。知ってる?」
 ヘレンは小声で言ったつもりだが、マイペース派の彼女のことで、声が入り口まで響くほど大きい。
「業績が上がるはずのない部署を作って、不要な社員をまとめて異動させて、業績不振を理由にして、部署ごとまとめて消滅させるってシナリオ」
 部屋に集まったメンバーの視線が彼女に集中した。
「だいたい、今の社長は、先代のニシダ社長の時に国産機開発の反対者の筆頭だったんでしょ」
「そうね、あの鈍いヒグマが。本気のはずはないものね」
「何か裏に陰謀があるのよ、きっと」
「私は嫌よ。馬鹿社長の為に倒産や解雇なんて」
 イマムラが左脇のバレの足を蹴った。注意を促すつもりで軽く蹴ったつもりだが、慌てていて、思いのほか、力が入っていたらしい。バレがムッとした表情をイマムラに向けた。その瞬間に、バレとウィリアムスはイマムラの意図に気がついた。
「あら、社長。今日もいい天気ですね」
 バレは取り繕ったつもりだが、バレの背後に立っていたウルマノフの表情は硬い。
「私の心中は、砂嵐だね」
 そんな社長の表情に、ウィリアムスは微笑みかけた。
「新型船開発なんて、なんて夢のあるお仕事でしょう。がんばりますわ」
「給料分は働いてくれ、倒産なんて私も嫌だからね」
 ウルマノフは静かにそう言った。
 この場合、バレとウィリアムスに一方的に非がある。社長は社員の話を盗み聞きするつもりが無かったことは明白だった。彼女たちがおしゃべりに夢中になっていて、ウルマノフの登場に気付かなかっただけである。
 一瞬、ムハマドが訳が分からないという風に息を飲んだ。社長に数歩遅れて続いてきた男に気付いたのである。骨格の太い体格と、透き通るような笑顔に記憶がある。朝の通勤バス車内にいた、あの元戸籍係に違いなかった。
「まず、紹介しよう」
 ウルマノフは背後の人物を振り返って続けた。
「元デメテル社の主任設計者のラベルさんだ」
 ムハマドの職務経験は、火星時間で僅か1年にしかならないが、小型船の製造に関わる者としてラベルの名は聞き知っていた。N&B社のスピカと並び賞される、デメテル社の小型機プロメテウスの主任設計者で、様々な面で今の船体設計にも影響を及ぼしていると言われた。
『宇宙船プロメテウスを作り上げた人々』という書籍があった。名機とたたえられたプロメテウスの開発に携わった人々のエピソードを、一般の人にも分かるように分かりやすく描いた書籍で、若い頃のラベルについて触れられている。イマムラも、この業界に勤める者として、教養程度に読んでいた。その書籍の中の人物が、自分の目の前で呼吸している。
 その書籍よれば、ラベルと言う男は、気性の激しい男だったという。意に添わなければ部下や同僚に暴言を吐き、手近な物を投げつけるという激しさだったらしい。ただし、剛速球だがそのコントロールは悪く、周りの者が迷惑をしたと聞いていた。
  ただ、古典的な人物とも言える。ムハマドが知っている主任設計者ラベルの顔立ちは、彼が若い頃のもので、今は別人のようで、彼の表情から過去の激しさを感じ取ることが出来ない。この男も歳と共に惚けてしまったのだろうか。彼の年齢はまもなく地球時間で80歳に達するはずだ。そのラベルは黙ったまま笑顔を浮かべて席に着いた。
 メンバーはラベルの経歴への驚きと共に首を傾げざるを得ない。宇宙船開発というのは、常に時代の最新の技術が盛り込まれる。同時に、体力と好奇心に満ちた創造性が要求される。彼がデメテル社を退職し、現役を退いてからの期間を考えれば、その空白の期間を埋めることが出来るかどうか疑問なのである。
「ご老体か?」
 普段は温厚なドノバンが、この地球市民に対して嫌悪感を示した。ドノバンばかりではない。多かれ少なかれ、地球市民というのは自分たちの理解者ではないだろうと言う嫌悪感や、あきらめに近い感覚がある。
 冷静で自信家の設計課のキム課長に言わせれば
『名馬も、引退時期を誤ればロバに等しい』
 などと酷評するだろうとウォルヒは思った。ラベルという男が、彼女たち火星市民を小馬鹿にして、昔の技術がそのまま通用すると考えているのかもしれないとも思うのである。ラベルの経歴に率直に敬意は払うが、新しい技術的な知識では自分たちの方が、博識なのではないか、それがメンバーの率直な感想である。
 メンバーの雰囲気をよそに、会議の進行はウルマノフらしい。
「ややこしい話がしたい訳じゃない。我々が扱っているスピカが旧式化して、新型船の売り込みを図る競合メーカーに対抗できない」
 もちろん反対意見はない。船体の改良にあたって、船体にかかる荷重は増大し続ける。その荷重を支える強度を持った素材を提供するのが、ムハマドがいた材料研究課の仕事だが、強度だけを増して重量は軽い、そんな都合の良い素材が、そうそう世の中のある訳ではない。ムハマドはその問題を身にしみて知っていたし、その作業を要求する上司を密かに罵ってもいたのである。シュミレーションセンターで、環境維持システムに関わる計算を担当していたドノバンは、探査機や情報処理システムを扱うシンたち電子技術課と、限られた電力を奪い合っていた。互いの電力を確保するために、発電システムを増設しろと言う要求は、船体全体を取りまとめるウォルヒがいた設計課にとって受け入れられる要求ではない。船体をまとめて行くために、不用意な重量の増大は認めることが出来ない問題だった。FW201は名機という名にふさわしい船体だが、その老朽化が様々に形を変えて顕在化してきており、この部屋に集まったメンバーは日々の作業の中でそれを肌で感じているのである。
 ウルマノフは続けた。
「第二。N&B社が小型機のサービスセンターを構築した。彼らは自分で船体の改造やメンテナンスを行うつもりだ。従来、我々が請け負っていたメンテナンスの作業も受託できなくなる」
 この言葉にも全く異論はない。N&B社の動向については繰り返し報道されいるし、実際にそのサービスセンターの巨大さを見る機会もある。その世の中の経済的な趨勢以前に、生活を脅かされ、自分たちが解雇されるのではないかと、漠然とした不安を抱き続けてもいるのである。ウルマノフはメンバーの顔を見回した。表情からはさまざまな思惑が読みとれるのだが、ここに集う者たちはネヤガワ工業という共通の生活基盤を通して不安を抱いている。この連中に足りないものは、共通の前向きな目標だと、ウルマノフは思った、
「第三。しかし、我々は生き延びる。君たちがN&B社の新型機に匹敵する国産機を開発するからだ。バレ。ウィリアムス。君たちが開発した船体で、」
 ウルマノフはバレとウィリアムスを見ながら続けた。
「我が社の売り上げは増大。君たちは失業から、私は倒産から逃れられるんだ。ありがとう。君たちがこれから頑張るおかげだ」
 バレとウィリアムスは顔を見合わせて迷惑そうな表情をした。
「どうだ、極めて単純で明快な理屈だろう。そしてイマムラ君、君がここの責任者だ」
 やっと、イマムラは内心の疑問や不満を口にした。
「しかし、社長もご存じの通り、私は営業部員で、技術的なことには、」
「ラベルさんが、君の技術的な支援をする」
 ウルマノフはイマムラに最後までしゃべらせず、そんな言葉でイマムラの不満を封じた。
「技術者なんて連中は信用できん」
 ラベルがウルマノフの言葉をそう補った。ウルマノフの若い頃からの口癖だということを知っていた。ウルマノフはメンバーの顔をぐるりと見回した後、イマムラに向き直って言った。
「そう言うことだ。イマムラ君、この連中の言い訳は聞かないでも宜しい。顧客の要求を全てこいつらに押しつけて解決させろ」
 この後、ぐるりと部屋を見回した。
「給料分は働け。後は新型船が出来上がったという報告だけくれればいい」
 これもウルマノフの口癖である。ウルマノフは一方的にまくし立てると部屋を去った。このあっさりしした姿の消し方もウルマノフらしい。イマムラはラベルに視線を向けた。彼の不安を的確に探るようにラベルが言った。
「私が君の領分に踏み込みそうで不満かね」
「いえ。そう言うわけでは」
「役割分担をはっきりさせておこう。新型船を創るのは君たちの責任だ。君たち火星市民の手で新たな船を作り上げる。私の仕事は君たちを創り上げることだ」
 君たちを作り上げる。イマムラにはそのラベルの言葉がよく飲み込めず、技術者という者はこういう訳の分からない言い回しを使う者かと思っただけだ。
「しかし、」と、ラベルは人の良い笑顔をムハマドに向けた。
「我々だけがえらいと思わない方が良いな。進歩が無くなる」
 出勤途上のムハマドの顔を覚えていたらしい。
 メンバーはそんなラベルを眺めて黙りこくって首を傾げた。彼らがラベルに質問したいと思いつつ、心に秘めてしまった疑問は、
(こんな高名な男が何故、わざわざ火星まで。しかも、ただの中小企業にやってきたのだろう)という事実である。
 彼ら自身が、火星という地方が、地球という中心部に対して文化や技術の後れた田舎に過ぎないという、表に出ない劣等感を抱いているのである。
 

ラベル教室

 未だ姿を見せない船だが、既に『MSB─X』というコードネームが割り当てられていた。メーカーが計画中の船につける略称である。イマムラは昔の刑務所を連想した。人間としての名前ではなく、囚人を番号や記号で識別したという話である。たしかに、事務的な冷たさがある。
 『MSB─X』の頭文字の「M」が、未だ類のない火星おける開発を現している。続く「S」が汎用小型船である事を意味し、3文字目の「B」は、ニシダ社長の時代に失敗した「MSA」に続く船体である事を示していた。この後開発する船体はMSCと称される。そして、末尾の「X」は、開発中の船体であることを示唆しているのである。
 このコードネームによって、彼らの夢は、過去から現在、そして、MSC、MSDと称されるはずの後継船によって、未来に続いているはずだった。現在のところ、部屋に集合した仲間たちの前にある新型船は、ただ、このルールを持った名前だけなのである。しかし、彼らの雰囲気は楽天的で明るい。何しろ、自分たちは全く素人というわけではないという自負がある。ネヤガワ工業はライセンス生産とはいえ、既に十数年の小型船製造の実績を持っており、集まったメンバーの顔ぶれは、例えば、ドノバンの場合は入社以来火星時間で6年間、地球時間で言えば12年に当たる。ウォルヒの場合でも5年間の経験を持っており、新人から中堅技術者に育ちつつある連中である。
 何とかなるだろう、という楽観的な観測と、宇宙船の自主開発というプライドをくすぐられるテーマが入り交じって、部屋の中の雰囲気を支配している。その雰囲気が無ければ、この部屋は薄汚れていて覇気がない。
 研究棟の一番奥、倉庫代わりに使われていた部屋である。メンバーの顔が皆、薄汚れているのは、その大掃除を終えたところだからだった。ドノバンが腰を下ろしているのは、原材料の強度を測定するための古い試験器機である、その高さが妙にドノバンの体格に合い、この後、彼の椅子と化した。別にこの部署が虐げられているというわけではない。ネヤガワ工業にとってこれ以上新型機開発に、投資する余裕がない。彼らは新型機開発を、与えられた部屋の不要物を運び出して、椅子やテーブルや量子コンピューターの端末を運び込む、そこから始めなければならなかった。アーシャ・バレなどは、彼女の美しい髪を埃まみれにさせていて、既に、新たな仕事に不満を浮かべているのである。
 彼らは清掃を終えて再び集った。MSB─Xという新たな船の具体的な口火は、アーシャ・バレが切ったといえるかもしれない。
「当然、スピカの性能を上回る事よね」
 バレの言葉を待つまでもなく、在来船のスピカに代えて販売するのだから、スピカと同等の性能では不十分だ。彼らの新造船、MSB-Xは地球のメーカーの製品ではなく、火星で設計製造されたものになると言うこと、製造するのが大手企業ではなくて、中小企業で製造したと言うことなど、その信頼性に、現段階で既に大きなハンディを背負っているのである。少なくともN&B社の新型船と同等の性能でなければ、顧客から興味すら示してもらえないだろう。
「居住空間にはもっと余裕が欲しいな。搭乗員が長時間疲れないような配慮が必要だ」と、ドノバンが言う。
 彼の知識は幅広い。昨日まではシュミレーションセンターに所属していたが、技術部内を転々と異動して操縦・生命維持に関する技術にも長く携わっている。ガーヤンも希望を述べた。
「航続時間にも余裕が欲しいな。今のスピカでは、任務に制限を受けるから」
 保安局の機動隊員や危機管理部のレスキューチームの任務が複雑化して、1回の出動当たりの推進剤の使用量が増加し、そのまま、彼らが使用する船体の航続時間の減少を招いていた。内装設計課出身のガーヤンは、船体の航続時間についてその改善を求められていたのかもしれない。
「エンジンの出力も大事よね。今よりも、もっと加速性を要求されるはずだわ」
 PM技術課から来たというウィリアムスがそう言った。
「頑丈で、故障せず、壊れにくいこと、生存性も大事だよ」
 品質保証部品質企画課から来たというアサハリの言葉である。
「電子機器も忘れないでくれよ。最近、ユーザーからレーダー1つとっても目標探知だけじゃ無くて、衝突防止や緩衝装置、速度制御まで嫌になるくらい多目的になって大型化してるんだ」
 電子技術課からやってきたシンはそう言った。設計課から来たウォルヒも夢を語った
「大幅な自動化を推し進めて、搭乗者の負担を軽減したいわね」
 ラベルは、彼らの意見を黙って見守るように聞いていた。会話の中から彼らの力量を推し量る感じ、別の見方をすれば幼稚園児の夢を微笑ましく見守ってやる保父の感じだ。イマムラは正直なところ、愕然とせざるを得ない。技術的な素養ではたしかに素人だが、長年、顧客に接した経験から言えば、専門家だと信じていた部下の会話は素人に近いのである。新型機の姿が夢の中に朦朧としていて、具体的な姿が全く見えない。発言をもっと具体化しろと指示しようとしたイマムラをラベルは制止した。部下にもっと発言させろと言うのだろうか?
「もしも、火星市民の手で宇宙船の自主開発が出来たら、俺達は英雄じゃん」
「解雇や倒産の心配もなくなるのよ」
「N&B社の鼻をあかしてやる」
 たった十数分の間に彼らは意見を尽くしてしまったらしい。頭の中が空っぽになって、全く関係のない話題に変わりつつある。彼らの新型船に関する思い入れというのは、たった十数分で尽きてしまった。
「でも、良いものが作りたいわ」
 ウォルヒが胸の底に最後に残った言葉を吐いた。
「そうだ、良いものを作ろう。君たちの手で新たな船を開発するんだ」
 ラベルはそう言い、メンバーの顔を見回してドノバンに目を止めた。温厚そうな顔立ちにラベルに対する不信感を現している。
「ドノバン。なぜ、N&B社は火星に進出するんだ」
「今後の小惑星開発の進展と共に、汎用小型船の用途と、その市場が拡大しているからです」
「そうだね。小型船を作れば、あの巨大な工場設備の原価消却が出来るほど儲かるんだ。N&B社は火星に進出すると言うことを通じて、我々にそれを教えてくれているわけだ」
 ラベルはウォルヒに目を移した。
「ウォルヒ。宇宙船は宇宙空間で造る方が便利じゃないか?」
「工場の建設費を比べれば、宇宙空間に宇宙船の製造工場を造るよりも、地上に建設する方が遥かに安上がりです。デメリットとして、地上の工場で製造した船体は、宇宙空間へ運ぶための運搬コストがかかります。一概には言えませんが、一般にアスクレウス港の打ち上げ能力を考慮すると、19火星トン程度の小型船なら地表の工場で製造し、宇宙空間に運ぶ方が有利だと考えられます。もちろん大型艦の場合は、最初から衛星軌道上のドックで建造する方が有利です」
「そうだ。自分たちの力量を客観的に見ることも必要だね」
 ラベルはバレに目を移した。
「バレ。我々の設備を具体的に説明して?」
「主として4つの製造ラインからなります。この第一製造ラインは解装ラインとも言われます」
 バレの言葉にあわせて、彼女の思考ロボットが、解装ラインを白い壁面に映しだした。現在、顧客からオーバーホールに回されてきた船体が2隻あり、一方は外観のチェックを受けており、もう一方はモジュール毎に解体が始まって宇宙船の原型が崩れつつある。バレは説明を続けた。
「このラインはユーザーからオーバーホールに回されてきた船体をチェックし解体する機能を持っています」
 思考ロボットは彼女の次の説明を予測して、映像を切り換えた。映像にあわせてバレの説明が続く。ひょっとしたら、思考ロボットが説明の主導権を持っているのかもしれない。
「この映像の第二製造ラインは加工ラインとも呼ばれています。主として、オーバーホールを行う船体の損壊部分を修理したり、改造のための部品を製造します。次の映像の第三製造ラインは先のラインで解体整備したモジュールを組み立てたり、新たに販売する船体を製造したりしています」
 映像で映しだされる工場のラインに余裕はなさそうだ。しかし、その作業は破損した船体の修理や、過去に販売した船体の能力向上を狙った改造などが大半を占めて、企業の利益に繋がる新しい船体の製造はほとんど見られない。最盛期には2週間に1隻の割で製造されていたスピカも、現在は、顧客で耐用年数を越えた船体の補充の為に購入されるものが、僅かに製造されるだけで、製造工場のはずだったネヤガワ工業の業務は、利益を生まない船体のメンテナンスに移行しつつある。過去に販売したスピカが老朽化している。その為に、能力向上のための改造という需要が生じていて、工場は目が回るほど忙しいのである。つまり、仕事は忙しいにも関わらず、企業の業績は思わしくないと言う、経営者にとって最も好ましくない状況に陥っているのである。
 更に、バレの思考ロボットは映像を切り換えて塗装中の船体を映しだした。
「この映像が最後の仕上げラインです。船体の塗装や搭載した機器の最終調整を行います」
 ラベルは黙ってバレの説明を聞いていた。説明を終えたバレがラベルをうかがう様子は、先生の採点をどきどきしながら待っている生徒のようだ。
「今度は、一言で説明してくれないか?」
 ラベルの言葉にバレはやや口ごもって応えた。
「小型船の製造や整備をします」
「そうだ、小型船を作り整備するという『設備』がある。忘れてはならないのが、その設備を動かす人々のことだ。設備と人を総合してみれば、私たちは小型船を製造し、整備するという『能力』を持っている。だから、その市場が拡大するという点を合わせて考えれば、汎用小型船の開発に挑む方針に間違いはないね」
 ラベルはバレの横のウィリアムスに目を移した。
「ウィリアムス。今、ライセンス生産しているスピカの用途は何?」
「主として保安局の機動隊や危機管理部のパトロール艇として使われています」
「ただのパトロール艇なら無人機で充分だ。何故、人を乗せて航行するんだい」
「レスキューの場合、訓練を受けた人間が現場指揮を取ることが必要です」
「そうだ。事故の第一報でレスキューの連中を乗せたパトロール艇が飛び出して行く。司令室は事故現場から状況報告を受けながら、必要な救援物資を高加速の無人機で送るんだ」
 アサハリがウィリアムスを補った。
「犯罪捜査の場合は、現場に警官を立ち会わせる必要があります」
「そうだ、我々の小型機は、常に人が動かすんだ」
ラベルはメンバーの会議の当初の発言内容をはっきりと記憶していた。
「航続時間? ガーヤン、君の言うとおり、大事な性能だな。一回の補給や整備で地球まで行けたらさぞかし便利だろうね」
 ガーヤンはラベルの言葉に頷いて自分の意見を認められた嬉しさを拳を振って現した。
「加速性? ウィリアムス、君の言うことも正しい。保安部や危機管理部で機動艇に乗る連中なら、もっと出力の大きなエンジンが欲しいと言うだろうね。パトロール艇なら、急激に加速し、急激に減速することが必要だ」
 ラベルは用意されていたスピカの模型を手にして微妙に動かして見せた。
「操縦性。操縦者の微妙な手の感覚を船体に伝え、船体の状況を、素早く操縦者に伝えなければならない。操縦者と船体を優しくリンクするんだ」
 ラベルは優しくメンバーを見回して語った。言葉は穏やかだが、具体的な事例でメンバーは彼の話に引き込まれている。
「居住性。ドノバン、君の言うとおりだ。乗っていて、身動きできないほど狭かったり、寒かったり、息苦しかったりするのは嫌だね」
 ラベルは寒そうなジェスチャーをした。メンバーもつられて素直に笑った。
「信頼性。整備のしやすさがね、その船体の信頼性を支えるんだ」
 彼はスピカの模型を押しつぶす真似をして言葉を続けた。
「安全性。任務を考えれば、多少の無理な操縦をする。その無理な操縦に充分に耐えうる事が必要だ」
 ラベルは、一拍、間をおいてメンバーを見回した。
「バレ。君の言うとおりだ、スピカの性能を上回る必要がある。どうすればいい?」
「矛盾が生じます。航続時間を延長しようとして推進剤を多量に積んだり、安全性を考えて頑丈な構造にすれば船体が重くなって加速しにくくなります」
 ウィリアムスが言葉を継いだ。
「逆に加速性を向上させるためには、推進剤の搭載量や船体の重量を制限し無ければなりません」
 当然に生じる矛盾である。ラベルはそれには触れずにメンバーの言葉に頷いて続けた。
「高速機動隊でスピカに乗っている連中は何を求めているだろう?危機管理部のレスキューの連中にとって、何が一番大事だろう?」
 ラベルと視線が合ったウォルヒが答えた。
「まず、出来るだけ早く現場に着くことです」
「そうだね。どんなに優れた性能を持っていたとしても、事故が起きた現場に間に合わなければ意味がない」
 シンが不満そうに尋ねた。
「加速性だけを優先させれば良いんですか?」
「輸送船なら、ゆっくりと長時間加速するのが都合がいい。私たちの船は短時間でも高出力の出るエンジンを選定して、加速性と機動性を確保する。その代わりに推進剤タンクは小さくして重量を軽減しなければいけないね」
 自分たちの矛盾に具体的な解決策を提示できずに黙り込む連中を眺め回しながらラベルは言葉を続けた。
「人生と一緒だ。何もかも出来る訳じゃない、何をなすべきかということだ。限界があるから面白い」
 要するに、メンバーは夢を現実化する方法を知らない素人だった。ラベルはメンバーとの会話の中に自分の思考を溶け込ませてメンバーの心に伝えた。
「どうだい。私たちの新型機の概略が頭の中に描けたかい?」
 数時間後にラベルがそう聞いた時に、壁際のスクリーンには非常にアバウトだが、彼らの新型機MSB-Xの要求項目が明示されていた。

『複座型の機動艇』
『加速性能、競合メーカーの予測される新型機の加速性能を10%上回ること。』
『航続時間はスピカと同等。』
『機動性。YPRコントロール0.6秒以下。』
『居住・操縦モジュールは自己修復機能を有すること。』

 ラベルは様々な要求項目を調整し、更に彼らの力量を加味して、彼ら自身に大まかな概略を作らせたのである。ラベルは若者達の意志と意見を、穏やかな雰囲気のうちにまとめ上げてしまった。数十年の時間が、この男に温厚さを与えたらしい。そして、ラベルは彼らに欠けているものを付け加えた。
「ムハマド。新造船を1隻いくらで売るつもりだ?」
 ムハマドは馬鹿な質問をするという風に大げさに怪訝な顔をした。
「船体を製造するのに要した費用に、適正な利益を上乗せして販売価格を決めます」
(42点)
 ぎりぎり合格点を与えておこうかとラベルは胸の内で甘めに採点した。
「私たちは製品を顧客に買ってもらって生活してるんだ。次にアサハリ、正直に答えてくれよ。N&B社の新型機の価格が100万OSA、ネヤガワ工業の新型機が120万OSA。どちらも性能は同じ。君はどちらを購入する?」
「N&B社の製品です」
「ウィリアムス、君なら?」
「同じです。N&B社を選びます」
「何故?」
「価格と信頼性」
「そうだ。船体の選定は性能と同じく、値段と、メーカーに対する信頼感が影響する。次にウォルヒに質問しよう。地球で製造したスピカと火星で製造したスピカ。火星に住んでいる君はどちらを選ぶ?」
「火星で製造した船体を選びます」
「郷土愛? それとも愛社精神で?」
「いえ。私たちが作ったスピカなら、製造や整備履歴が分かります。この火星で確実なメンテナンスを受けることが出来ます」
「そうだ。君たちは、君たちの新造船にそう言う付加価値を付け加えることが出来る」
 イマムラはラベルの指摘は正鵠を射ていると思った。部下の会話にはコスト意識がない。利益を生み出さなければ、彼らの生活が成り立たないと言うごく単純な理屈なのである。
 ラベルは端末を使ってスクリーンに人の似顔絵を描いた。イマムラの似顔絵だとはっきり分かるほど上手い。
「営業の連中はね。新型機の価格はスピカと同等に抑えろと主張するだろうね」
 ラベルはウルマノフの似顔絵を描き加えた。
「そして、経営者の連中は、その低く抑えた販売価格の中から、ネヤガワ工業の利益を生み出せと主張するんだ」
(まだ、細かなことは分からなくても良い)
 ラベルはそう考えている。しかし、彼らを技術的な形式の中に閉じこもらせてはいけないとも考えている。
「最高級のモジュールを、納得行くまで手間暇掛けて組み上げることは、誰でもやってみたいと思うんだが、そんなことをすれば、船体の価格はユーザーに納得してもらえる範囲を超えるだろう。いいものを造りたい、しかし、そこにコストとの矛盾も生じるんだ」
 イマムラが見回したところ、メンバーは皆、黙ってやや首を傾げて聞いている。たぶん、もとの職場でこういう話を聞く機会は無かったのだろう。ラベルは言葉を続けている。
「生じた矛盾をユーザーや会社に転嫁してはいけない。プライドがあるのなら君たちが背負って行くんだ」
 イマムラにも経験がある。技術部が提示した改造費用が法外な額で、彼ら営業部員は顧客に改造の見積書を提出することもできない。そういう事が多々ある。顧客を説得する前に社内で説得しなければならないのである。技術者達は原材料費、加工費、雑費、諸々の費用を単純に足し算しておけばいいと考えているのではないかと不満を抱えていたのである。
「君たちは上手いモノを作るコックかね。それともサービスを提供する熟練したウェイターだろうか?どちらにしても、プライドを持って仕事をしたいね。客に高くて不味いものを喰わせるような商売人になるなよ」
 イマムラはため息をつきたくなる思いだ。会議にまとまりがついたからだ。ラベルのおかげとも言える。しかし、イマムラの認識も甘い。ラベルはイマムラに言った。
「さあ、始めようか?」
  この程度の概略は、未だ設計に踏み込んだとも言えないというのである。そのラベルの人の良さそうな笑顔と裏腹に、イマムラを含めて、メンバーの苦労はここから始まってゆくのである。
 この後、『ラベル教室』とか『ラベル学校』とも呼ばれる技術開発課がスタートしたのである。
 

思考ロボット

「たしかに、雰囲気は温厚になったかもしれないけれど、」
 昼食のフライドチキンを目の前にして、思いだしたようにウィリアムスが口ごもった。彼女がラベルから「ローストチキン娘」と称された直後の食事の時のことである。
 彼女は核融合エンジンから出る廃熱の処理について検討していたときのことである。核融合炉が発する熱の一部が、艇内に蓄積される。核融合炉ばかりではない、探査機などの電子機器を始め、様々な搭載物が、不要な熱を発生する。地球上なら空気や水を使って比較的簡単に熱を外部に排出できる。
 そういう不要な熱を、空気も水もない環境で、効果的に船外に排出しなければならないのである。彼女の計算が甘かった。彼女の計算通りに造れば、船体に蓄積された廃熱で、操縦者はコックピットで蒸し焼きになってしまうはずだ。ラベルはそれを、『小型機をグリルにしてローストチキンを造るつもりか』と指摘したのである。ウィリアムスはラベルの口の悪さが、噂を越えていると言いたいのだ。周囲のメンバーも笑いながら頷いた。彼らがラベルの指導の元で自主開発に入って、既に三週間を経過していた。そのたった三週間でラベルは本性を露呈していた。ひどく、口が悪い。その言葉が回りくどい嫌みな皮肉ではない代わりに、彼らの欠点や問題の本質に、鋭く打撃を与えるのである。
 なんとなく、部屋の中で席が決まっていた。リーダーであるべきイマムラは、最も奥の席を占めて部屋の中を見回している。上座に当たると言うより、邪魔にならないように端っこに追いやられたようだ。ラベルは机を拒否していた。この狭い部屋を効率よく使うことを考えろと言うのである。ラベルは大抵、部屋の中をくるくる移動していた。試験官や教師のような感じ。ラベルは端末の前で考え込むメンバーを回って、端末に表示されるデーターを生徒と共に眺めがら、生徒の習熟度を図ったり、居眠りしていないか、見守り監視しているのである。

「アユミ。8番の構造材を、チタン合金に変更した場合の強度を計算して」
 アユミというのはガーヤンの思考ロボットの名である。たしか、女性アイドル歌手に同じ名があるから、その歌手の名を付けているのだろう。ガーヤンは担当しているフレームの強度が、どう変化するのか比較したいと言うのである。技術的に考えれば非常に曖昧な指示だが、アユミは良く理解して、彼女の回路の中で計算を始めた。
「アユミちゃん」
 ラベルは優しく言った。思考ロボットはパブリックモードになっていて、主人のガーヤン以外にラベルの指示も受け付けるのである。
「今の指示はキャンセルだ。この怠け者が言うことは聞かないで良い」
 ガーヤンは意外な言葉に、ラベルの顔を見上げた。ラベルの口元は優しい笑顔を作っているが、目は鋭く光っていて笑っていない。
「ガーヤン。ロボットに頼りすぎるな。まず、フレームの堅さを頭に描け。頭をぶつけたらどんなに痛いか想像して見ろ。イメージだ。もっと君のイメージを膨らませろ」
 ラベルはまだ怒鳴ると言うほどではないが、怒鳴り出すのも間近だ。あの初めて出会ったときの温厚そうなラベルの豹変ぶりはどうだろう。この激しさがラベルの技術者としての一面らしい。
「コロン。103─D図面の2番高圧ポンプの立体図を見せて。周囲の部品と重ね合わせて表示してみて」
 コロンは言うまでもない。ウォルヒの思考ロボットである。彼女に似て生真面目な性格をしている。ウォルヒがコロンに指示したのは、推進剤を供給するポンプだが、彼女はそれが想定した位置にぴったり納まるかどうか知りたかったのである。
 壁を勢い良く蹴り上げる音が響いた。ウォルヒが振り返ると、ラベルである。表情からウォルヒの指示が不満だったことが見て取れる。彼は部屋のドアを指さした。
「ウォルヒ。工場で現物に触れてこい。その重さと大きさと感触を自分で味わって来るんだ」
 メンバーは唖然とし、ラベルの意図を図りかねた。ネヤガワ工業には350人の社員がいる。
(たった、350人)
 そう表現しても良いのである。
 その業務は繰り返すまでもない。FW─201「スピカ」という小型機をベースにして、例えば、加速性の増大を求めるユーザーに応えて標準的なエンジンを、より高出力のエンジンに換装して販売する。エンジンを換装するという作業を例に挙げると、その荷重を受け入れる船体の強度計算、廃熱の処理能力の変更などをエンジンに関するものを始め、推進剤タンクの容量、変動する重心に応じて姿勢制御システムの変更など、1つの変更に関係する無数の複雑な計算を要するのである。20世紀の昔なら、数千人、数万人の技術者が必要だったろう。
 思考ロボットは、技術データー管理システムのメモリーの中から、必要な値や数式を引っぱり出し、それらを関連づけ、主人の求めるデーターを提示するのである。そして、その結果を技術データー管理システムに戻し、蓄積する。それはネヤガワ工業創業以来の記憶とも言える。思考ロボットはこの記憶を共有し、利用しあうのである。技術開発課のメンバーが、この僅かな人数で新型機開発に取り組めるのは、思考ロボットの機能に依存している。ラベルはその思考ロボットの使用を制限しろと言うのである。
「イメージだ。イメージを描くんだ。人は考え、感じることを止めてはいけない」
 ラベルは彼らを怒鳴り続けるのである。
 一ヶ月を経ずして、部屋の奥のメンバーの視界に入る位置に立体映像が浮かんでいた。ラベルがそれを指示した。今は、宇宙船の姿とは言い難い。幼児が四角いブロックを積み上げたような歪な形をしている。しかし、日々、完成に近づく変化が見て取れる。
 ラベルの意図が良く飲み込めないものの、それでも、メンバーの作業は徐々にその映像に反映されて、映像は完成に近づいて行くのである。
「ドノバン、君の膀胱はネズミ並みかね?」
 メンバーの誰も、ネズミの膀胱など見たことはない。ただ、ネズミの体は小さいから、膀胱も小さいのだろうとイマムラは思ったが、その言葉の真意を図りかねた。
「ドノバン。君ならいったい1日に何リッターの小便をするんだ、何リッターの汗をかくんだ。こんな量に控えておけというのか?小便ぐらいちゃんとさせてやれ」
 もともと、ドノバンに限らず、重量の制限の問題が頭の片隅にある。彼は汚水の発生量を少なく見積もりすぎて、汚水タンクを小さくしすぎたのだろう。ラベルはドノバンに彼の作業をやり直しを命じた。この生徒が再提出した答案を見て、教師は感想を漏らした。
「ドノバン。君の膀胱は、象並みだ」
 今度は大きくしすぎたらしい。こういうやりとりが、汚水処理のタンクの大きさが、汚水の発生量だけではなくて、汚水処理装置の処理速度の関係で決まるという、当たり前の結果に行き着くまで続くのである。ドノバンに対してだけではない、
「ウォルヒ。君は搭乗員の首を絞めるつもりかね? 搭乗員にいったい何グラムの酸素を与えるつもりだ?」
 ウォルヒは思考ロボットのコロンに頼るまでもなく、酸素の標準的な消費量については記憶があった。
「1日に、一人当たり、840グラムだったと思います」
 ラベルは額に手を当てて呆れ返るように天井を振り仰いだ。
「ウォルヒ。君はなんて大根役者だ。演技力だよ。もっと、演技力を身につけたまえ」
 もちろん、ウォルヒは女優ではないし、そうなりたいと思ったことすらないのである。
「機動隊員になって犯罪者を追いかけてみたまえ。緊張し、脈拍は上がり、呼吸は浅く荒くなる。遥かに多くの酸素を消費するんだ」
 人間というのは、数値で固定できない感情の起伏を持っているのである。ムハマドも時折首を傾げることがある。ラベルの言葉の本質は当然のことで疑問を差し挟む余地はない。しかし、彼が知識のよりどころにする専門書では、記述してあることがない事柄なのである。
 ラベルの怒鳴り声と共に、開発機の立体映像が完成に近づいている。メンバーの日々の作業が、この立体映像に反映されている。数週間前、船体中央に角張ったブロックが表示されていた。全てのタンクを一括して象徴している。今の映像では、そのブロックが小さく、推進剤、水、酸素など内容物に分割されて表示されている。メンバーにとって、自分の作業がこの映像に反映されて作業の進行状況が自覚できるばかりではなく、自分の担当するパートが他のメンバーの作業とどう関わっているのかを自覚することもできるのである。

 ある時、アサハリが映像を見ながら言った
「なかなか、かっこいいじゃないか?」
「うん」
 ガーヤンが短く応えたが満足感が籠もっている。
「なあ、俺達にも出来るんだ」
 ムハマドも自信を顔に出して付け加えた。イマムラはそんな部下たちの姿を見ていた。
 この時、彼らがMSB─Xの開発に携わり始めてから8ヶ月を要している。彼らが見る立体映像の機首は四角い箱で表されている。他のパーツも似たようなものだ。ただ、四角いブロックが球形や円錐形が組み合わされて表示され本来の姿に近づいていた。居住モジュールを例に取ってみれば、このモジュールに供給しなければならない電力や酸素、モジュール内の空調機の能力などが決まったにすぎない。ここから、ようやく設計らしい作業に進むのである。
(ここまでは何とか順調に来た)
 ラベルは彼らに怒鳴り声を上げつつも考えている。ムハマドが映像に手を伸ばした。もちろん触れることは出来ず、彼の手はMSB─Xの映像を素通りする。そんな姿を見ながら、ラベルは多少いたずらっ子のような好奇心も持って考えた。
(これから後の苦労を知ったら、今の彼らはさぞかし怯えるだろう)
 まだまだ、技術的な問題を始め、人間関係、関係職場間の調整など、今の彼らが全く想像していない難問に直面せざるを得ない。難解な専門書を読んだところで、問題の解答が書かれているわけではない。思考ロボットが計算してくれるわけでもない。彼ら自身が模索し、幾つもの失敗も含めて経験を積み上げるしかないのである。
 

分裂

 早朝、どのちゃんねるも放送スケジュールを変更して、臨時ニュースとして昨日アルテミス市で起きた新たなテロ事件を大きく報じていた。市民を含めて十数名の死傷者を出し、軍関係者に警護された軌道エレベーターの建設も一時ストップするほどだったという。連邦宇宙軍陸戦隊のアルテミス市駐留施設の一部を狙ったらしい。火星市民にも多数の死傷者を出したためか、犯行声明がない。
 軌道上の陸戦隊が火星の大地に進出したというのは、どの火星市民にとっても不快な事実だった。テロを刺激して政治状況を悪化させていた。ドノバンとシンが乗る通勤バスの中でもその話題で持ちきりである。
「逃げ帰った連中が、何を今更のこのこやって来るんだ?」
 ドノバンが同僚にそう評した。市民に死傷者を出したのは、テロリストの責任に違いないのだが、軍関係者が地表に進出したと言うことがそれを誘発したと思うのだ。
 ドノバンの父親と祖父の名が北公園の碑に刻まれている。彼は地球時間に換算して7歳の時に「火星の息吹」で肉親を失っていた。多くの犠牲を出した後、生き残った地球市民の工事関係者は地球に引き上げてしまった。その事実をドノバン達は(あの連中は我々を見捨てて逃げ出した)と称するのである。
 事故はやむを得なかったとしても、彼らだけが安全な場所に逃げ帰ったということが許せない。そんな連中が彼らの頭上、軌道上をくるくる回っていることさえ不愉快だが、同じ地面に威圧的な態度で立つというのは何か我慢できないような気がするのである。

 ネヤガワ工業にも小さな波紋となって広がっている。
(私は、紅海を切り開いたというモーゼか?)
 ラベルは皮肉を込めて思った。体格を見ればラベルが地球市民だと言うことが分かるのである。ネヤガワ工業の社内も、アルテミス市の酒場で起きた事件の話題で持ちきりだった。社員の肩が触れ合う程の人混みの中で、ラベルが廊下を歩いていると、人々は黙ってラベルを避けて通るのである。歩いて行く先に道が広がって行くようだ。その光景を紅海に重ねたのである。そして、ラベルが技術開発課のドアをくぐると、ここでも波乱が起きている。
 ウォルヒがシンから回ってきたレーダーモジュールの設計データーを再検討していた。正確に言えば、再検討という以前に、その重量を見て即座にはねつけているのである。
「シン。16kgオーバーなんてめちゃくちゃじゃない。小手先のやり方でダメなら、最初からやりなおしてよ」
 ウォルヒはきっぱりと断言した。シンは面白いはずはない。彼はその設計に数週間という時間を費やしていたのである。かといって反論することも出来ずに、小さく吐き捨てるように呟いた。
「あのヒステリー女が、」
 彼女にも漏れ聞こえているはずだが、ウォルヒは意に介する様子がない。彼女は既にガーヤンが担当したフレームの図面に目を移して言った。
「ガーヤン。フレームのこの補強板は肉抜きできないの?」
 フレームの強度を維持するために、鋼の補強板がつけられていた。彼女はその補強板に穴を空けることが出来ないかと言うのである。穴の分だけ重量が軽くなる。彼女の口調は提案と言うより命令に近い強引さを持っていた。
「せいぜい70g程度の軽量化にしかならないぜ」
 ガーヤンは、暗に、軽量化のメリットより、製造に手間がかかるというデメリットを主張するのである。
「いいから、やってちょうだい」
 ウォルヒは有無を言わせない。現段階で、新型船MSB─Xの総重量は52トンになるものと見積もられていた。彼女が削れと主張した70gと言えば、硬貨数枚分の重さでしかない。船体の重量と比較すれば微々たる重量だが、その程度の重さにもこだわって削ると言うのである。こういう調子が設計当初から続いていた。その細かさと強引さは、他の仲間の反感を生んでいた。更に、そんな反感を全く意に介しないと言う彼女の態度が、その反感をいっそう増幅しているのである。
 彼女には、使用するエンジンモジュールの出力が小さいという、強迫観念めいた意識があって、重量軽減については一切譲るつもりはない。設計の役割分担という観点で、メンバーの役割を見ると、シンやガーヤンほとんどのメンバーは各モジュールやフレームなど船体を構成するパートの設計を担当している。彼らの設計したデーターを、ウォルヒがその妥当性を判断して、船体として組み上げているのである。社内の肩書きで言えばメンバーは全て同格だが、その仕事の判断では、ウォルヒが一段高い位置にいる。組織を円滑に動かすためには、イマムラ自身が判断して部下に指示を下すか、ウォルヒを他のメンバーより高度な判断の出来る地位に置いてやらなければならないのだろう。
「あんた。何様のつもりよ?」
 バレが冷静な口調でウォルヒに詰め寄った。もともと、バレは腹を立てれば大声でわめき散らすと言う癖がある。そうやってエネルギーを発散し尽くして、後はあっけらかんと笑っている。そのバレが落ち着いた冷たい口調で詰め寄っているのである。よほど怒りや不満を貯め込んでいるのだろう。ウォルヒは怪訝な表情を浮かべるだけで、臆する様子はない。
「バレ。貴方が、いいものがつくりたいと言ったのは嘘なの? いいものが造りたければ、私に協力してちょうだい」
 メンバーは作業の手を止めて耳を澄ましてバレとウォルヒのやりとりを聞いていた。ウォルヒに対して好意的な視線がない。この場合、イマムラが雰囲気を改善しなければならないのだが、技術的な事が分からず事態を収拾することが出来ないのである。机に座っておろおろと事態を見守っていた。メンバーが仕事の手を止めてしまっている。その事が気になったらしい。ウォルヒは部屋の中を見回していった。
「ねえ、みんな。時間がないんだから、こんな事に関わってないで、次の作業を進めてちょうだい」
「ウォルヒ。それは言い過ぎだ」
 ドノバンが調停に入った。技術的にはウォルヒの言い分は正しいのだが、人間関係にも配慮してくれと思うのである。ウィリアムスも嫌悪感を現した。
「ねえ、ウォルヒ。あなたはそんな独善的で横柄な態度で、設計課でも孤立してたんじゃない?」
「なあ、みんな、」
 イマムラが立ち上がってそう言った。ここ数週間続いている険悪な雰囲気が更に悪化して、爆発寸前だった。自分が何とかしなければならないのだろうが、そのあとの言葉が続かない。自分だけが取り残されて、ひどく惨めな気分だった。
「他のメンバーはウォルヒの指示に従うことだ」
 事態を見守っていたラベルが裁定を下した。船体総重量の十万分の一の単位で細かく重量管理をすると言うことに誤りはない。妥協しないと言う姿勢も正しい。ルーズな重量管理や中途半端な妥協は、まともな船体を生み出すことはないのである。しかし、ラベルは自分が話しに割って入ったことが事態を悪化させるかもしれないと危惧している。
 果たして、ラベルの危惧は的中した、今まで調停役に立っていたドノバンがラベルに噛みついたのである。
「でも、先生。今の人間関係をどう考えておられるんですか? バラバラです。こんなことで設計が続けられるんでしょうか?」
 そう叫んだドノバンは普段は温厚でメンバーの信頼も厚い。ただし、地球市民に対しては嫌悪感を露骨に示すのである。イマムラにとって、最後の調停役として期待している2人がこの調子なのである。気まずい雰囲気のまま、それでも、彼らは作業を続けざるを得ない。実際に船体が出来上がるまでの長い期間を考えれば、目の前が闇に閉ざされるようだった。
 定時になり、メンバーは思い思いに席を離れた。開発スケジュールに遅れは出ていない。ラベルは彼らのプライドを気遣って口にしてはいないが、彼らがほとんど素人だと言うことを見越して、開発スケジュールを立てさせていたのである。普段、スピカの改良設計に携わっている試作課のキム課長などは、そのスケジュールの長さを称してと公言してはばからないのである。
「まったく、お年寄りは気がながい」
 仕事はスケジュール通りだから、メンバーが帰宅することに問題はない。技術開発課の部屋の中は、終業のブザーから5分を経ずして、イマムラとラベルだけになってしまった。その5分という時間の短さが、この時のメンバーの自主開発に対するこだわりのなさを現していた。
 開発というのは、目標に向かって問題解決を積み重ねて行く作業である。その過程で革命的な変化を生じることもあるが、大半は地道な努力や手探りの模索が続く。部屋の中に開発中の船体の姿が浮かんでいた。地道な作業の中で士気を維持するためにラベルがそれを指示していた。メンバーはこの映像によって、ずいぶん勇気づけられて自信を深めている。しかし、この映像だけでは不足しているらしい。
「何かきっかけがあればいいんだが」
 ラベルはイマムラに呟いた。
(あの連中は育つ)と思うのである。
 この映像以外にも、何か彼らを励まし、目標に目を向けるきっかけが必要だろう。
 次の日、そのきっかけは意外な形で現れた。
 

カティア

 ドノバンがいつになく遅れて出社した。他のメンバーは既に部屋に顔を揃えており、遅れて入ってきたドノバンを一斉に注視した。
「何か変わったことでもあるのか?」
 そんな言葉で、ドノバンは不機嫌そうに自分に向けられた不審と好奇心の入り交じった視線を振り払った。変わったことどころではない。いつもの端末の前に行き、座席代わりの計測機器に腰を下ろしたドノバンは、背中に幼児を背負っているのである。幼児は機嫌良く小さな声でけらけら笑った。幼児の衣服がピンク色をしているから、女の子なのだろう。過去のネヤガワ工業社内で、男性社員が幼児を背負ったまま作業場に現れた事例はない。ドノバンは優しく気を配りつつ、ゆっくりハーネスを解いて幼児を腕に抱いた。課長としての立場上、イマムラが尋ねた。
「で、さっそくだが、ドノバン。その子の事情を聞かせてくれないか?」
「カティアだ」
 ドノバンは短く娘の名を答えた。
「いや、何故、その子を?」
「かみさんに、逃げられた」
 ドノバンはそう答えた。普段は温厚で人の良い男だが、今日は不機嫌で言葉が短い。短い言葉を繋いで察すると、昨夜、夫婦喧嘩のあげく、再婚の妻が娘を棄てて失踪したと言うことらしい。
「よくまあ、セキュリティーをくぐれたもんだ」
 シンがそう指摘した。建物の入り口からこの部屋まで2カ所のセキュリティドアがあって、関係者以外は通行できないはずだ。
「危険性はないと判断したのかしら?」
「当たり前だ、俺の娘だぞ」
 ドノバンはセキュリティをくぐり抜けた理由を述べたバレにそう反論した。
「作業に支障無ければ、例えば、猫でもセキュリティーをくぐれるの?」
「俺の娘を猫と一緒にするな」
 そう言いつつドノバンはウェストポーチから何かを取り出した。時間を見れば、娘の授乳の時間なのである。ウィリアムスがそれを指さした。
「あっ。それ知ってる。ハックマン博士の『オッパイくん』でしょ」
 高名な産婦人科医が、離婚率の高まりと独身男性の不慣れな授乳を嘆いて発明した、要するに乳房型のほ乳瓶である。ハックマン博士によれば、授乳期の幼児に母親の乳房の記憶を残すことで、その後の健全な精神の発育を促進するのだという。ドノバンは持ち前の生真面目さで、ハックマン博士の著書の大半を読んでいた。しかし、やや無精髭の伸びたドノバンが、左の胸に付けた大きな乳房は、見ていて気色が悪い。ラベルとイマムラは、見て見ぬ振りをした。
 カティアは目を細めて、こくんこくん、喉を動かした。その表情が素直で愛らしい。ウィリアムスがカティアの笑顔につられて頼んだ。
「ねぇ。私にも抱かせてよ」
 こういう場合、どんな女性も柔和で包容力のある、実にいい笑顔をする。将来、娘にとって気むずかしい父親になるに違いないドノバンも、このウィリアムスの笑顔に満足したようだ。
「落とすなよ」
 ドノバンはそう注意したものの、機嫌良く娘をウィリアムスに紹介した。
「ほおら。紹介しよう、こちらはヘレン・ウイリアムス。ヘレンおばちゃんだよ」
「いいえ、カティア。ヘレンお姉ちゃんよ」
 カティアは人見知りをする質ではないらしい。ウィリアムスの腕を経てバレの腕に移っても愛想良く笑顔を振りまいた。
 メンバーは仕事を忘れてカティアを取り囲んだ。カティアはバレの手からシンへ、シンからムハマドに、順番にメンバーを回って、笑顔で父親の同僚に挨拶をした。カティアはアサハリの腕を経てウォルヒの所にやってきた。迎えるウォルヒの様子が変だ。ウォルヒはとまどいがちに手を伸ばしたのだが、その手を引っ込めてしまった。カティアを抱き上げると言うことが出来ないのである。柔らかで暖かな肌触りが、彼女に彼女の腕の中で冷たくなった幼い弟を思い起こさせるのである。彼女はアサハリの腕の中のカティアの前髪を撫でるだけだ。
「どうして?」
 ウィリアムスが首を傾げた?
(こんなに可愛いのに)
「子供を抱けないなんて、女として何か欠陥があるんじゃない?」
 バレが言った。表現は悪いが、彼女の口の悪さはもともとだ。笑顔を浮かべていて、そのきつい表現が冗談だと分かる。周りのメンバーもウォルヒを笑ったが、素直な笑顔で皮肉な感じはない。ウォルヒも苦笑いしただけだ。メンバーはウォルヒの心の奥底に踏み込むのを避けていた。
「ホンマに、父親に似なくて良かったな」
 毒舌のアサハリがカティアを見ながら、ドノバンの男らしいごつごつした顔立ちを称した。(外見なんて、)と言われるが、その言葉は嘘だ。美男や美女は生まれながらに得をするのである。
「きっと、この子は男の子にもてるわよ」
「嫌だ。一生、俺の手元に残したい」
「こいつ。娘を嫁に出さない気だ」
「当たり前だ、特にお前らみたいな薄汚れた連中に、手塩にかけた娘を嫁に出すもんか」
「ねぇ、ドノバン。あんた最近、口の悪さがラベル先生にそっくりよ」
 ウィリアムスの言葉にメンバーは口を揃えて笑った。
 この子を見ていると、何か誇れる物を残してやりたいと思ったが、自分に何が出来るだろう。誰にも突出して優れた才能はない。この部屋にMSB─Xの映像が浮かんでいた。彼らがこの子に誇れるものは宇宙船造りしか無いようだった。
「お前のために、MSB─Xを完成させてやるからな」
「本当に作れるの?」
「造る。俺はこの子を愛してるんだ」
 ドノバンはそう大まじめで断言して、メンバーもドノバンの言葉に頷いたように見える。ただ、普通の人々にとって、情熱に起因するモチベーションは余り長続きはしない。この場ではカティアという幼児が彼らに前向きな情熱を与えたが、この後、彼らは幾つものきっかけを必要とした。
 カティアはただ機嫌良く笑っていた。ウォルヒはこの子が将来、自分の後継者になるということを予測できないでいる。
 


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