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大熊と小熊

場面は変わって、物語は一ヶ月ほどさかのぼる。
 ネヤガワ工業社長ウルマノフは、営業部のイマムラを伴って顧客訪問の最中である。
(人物にも、物事にも、長所と短所がある)
 そんな単純な持論をウルマノフは堅持している。この場合、彼の行為の短所というのは、顧客訪問のための移動時間のロスである。顧客と面談するために相手を訪問する必要はない。普通の家庭にもある通話装置を用いれば、スクリーンに相手の映像が投影されるし、気の利いた高級品なら、立体映像を映し出すことも可能である。離れていても、微妙な表情の変化や動作を感じ取りつつ会話ができるのである。にもかかわらず、この男は部下を伴って移動している。
 一方、長所というのは彼が「温感」と称するニュアンスを伝えることが出来ることである。交渉事では、何よりも相手の首根っこを掴んで放さず、彼の主張をじっくり話して聞かせるのがいいと考えているのである。その強引さは、『ロシア者』と呼ばれることがある。
 この時期の火星で、地球の様々な地域を示す用語を用いて、例えば、『ヤンキー血筋』とか、『インド者』と言われるような表現があった。地球外に生活圏を有する人々の間で、地球の束縛から逃れようとするほど、一方では故郷に関わる表現を生じた。そして、火星市民は夜空を見上げたときに、無意識のうちに地球という星ではなくて、自分の異名に該当する地域を探していたりするのである。
 ミハイル・ウルマノフの場合、凍てついた大地の上でも、失われることがない暖かな包容力を、長所として語る場合と、厚顔とも思える粘り強い交渉力を発揮するときに、『あれはロシア者だから』と理由付けされるのである。彼自身と父親は火星生まれだし、母親は月面都市で育ったから、地球とは直接には関係がない。ただ、地球儀の上で、祖父が生まれたというシベリアという地域を知っているだけだ。彼は幼い頃に、地球に住む祖父が語るのを聞いた覚えがある。
「我が家は、ロシア貴族の誇りを受け継いでいる」と
 成人してから、その祖父の言葉を父親に尋ねたのだが、全くのでたらめではないらしい。ただし、誰それの叔母だの、兄弟だの、姪だのという姻戚関係を示す言葉が幾つも並んだ後、ようやく一人のロシア貴族に行き着く関係だから、ほとんど血縁はないといってもいい。 しかし、ウルマノフはそういう祖父を、微笑ましく記憶している。もしも、機会に恵まれていれば、祖父の膝の上でそんな昔話をねだっただろうと思うのである。祖父のごつごつした無骨で質朴な指先を通じて、シベリアという土地を開拓して、生き抜いてきた祖父や曾祖父の人生が、火星で彼を育てた父親の人生と重なって、俺の血筋はこういう血筋かと考えるのである。血筋というものは敬意を払うべきものだが、身分制度ではなくて、子孫のために積み上げた労苦の大きさにに対して払うべきものだろうと、父母の人生が彼に教えていたのである。
「これは、シベリアのようだ」
 ウルマノフが社内を表現したことがある。地球市民なら、荒涼としたというイメージを描いて、使うはずがない表現だろう。しかし、ウルマノフは懐かしさを込めて、事務所の光景を称した。
 彼は社長就任に当たって、まるで地を均すように、社長室の壁を取り払うということをした。そのために、1つのフロアーがぶち抜きで、中央に社長の席が位置するという、事務所として珍しい構造になった。部下たちにはシベリアという意味は良く分からないが、地平線が見えるほど、見晴らしが良くなったという意味だろうと推測した。
 事務員にとって、社長の目が行き届くと言うことは、仕事をさぼる気はないなせよ、随分堅苦しくなる。ただ、ウルマノフにすれば、社員を見張るつもりはなく、仕事の全体の流れを、事務所の雰囲気の中で感じ取って身につけておくというノルマを、自分自身に課していたらしい。
 事務所ばかりではない。技術部や製造部からは、秘書課に対して『あのヒグマに、電波発信機付きの首輪を付けておいてくれ』という冗談が囁かれた。野生動物の行動をモニターしておいて、接近したときに警報を鳴らせというのである。ウルマノフが何の予告もなく、技術部や製造部に出現して作業者を驚かせることが、何度も生じたからである。社長が出向く必要はなかった。必要なら社長席の端末で作業の進行を確認できるはずだし、役員会議で各部署の責任者を呼ぶことも出来るはずだった。しかし、ウルマノフは技術者だった創業者より、現場に顔や口を出すことが多いとも言われた。これも、技術的な雰囲気を肌で感じようとするウルマノフが、自分に課したノルマだったに違いない。
 こういう中で、秘書が社長の居所を見失ったことが再三起きた。生真面目な秘書課長が、ウルマノフに行く先を端末に記録して置いてくれと懇願したことがある。ウルマノフはそれを黙って聞いていたが、次に席を離れたときには、ちゃんと秘書課長との約束は果たしていた。端末の表示板に、一言、”うんこ”と表示されていたのである。トイレから戻った彼は、秘書課長に黙ったまま笑って見せた。この種の馬鹿げた冗談と人なつっこい笑顔で、ウルマノフは社員を怒鳴りつけつつも、妙な人気があった。しかし、秘書課長を始め社員は、このヒグマを飼い慣らすことには成功していないのである。
 一方、陰では、ウルマノフが先代のニシダ社長から経営権を奪ったという噂があり、ウルマノフに同行しているイマムラも聞き知っていた。と言っても、彼が入社する以前の出来事だから、詳しい事情は良く分からない。ただ、先代社長のニシダについて、未だに、その人柄を懐かしむ社員が多いのも事実である。とりわけ、社内の技術者の中には、ニシダに対して信仰に近い感情があった。ウルマノフもそういった噂を知っているはずだが、経営権を引き継いだことについて、一切の論評をしたことがないのである。ウルマノフはその沈黙の中に、頑固さと、人懐っこさと、強引さを「ロシア者」という言葉に融和させているのである。

 そのウルマノフは車内で空を睨むように、上向いて黙りこくって機嫌が悪い。この時間のロスの対価は得られていないのである。販売拡大を目的として、彼自身が顧客を回っている。しかし、今回のイマムラとの顧客訪問でも色好い感触はない。
 ウルマノフとイマムラが乗るムーヴァーは、14号線を東方に走行してシンカンサイ市に戻った。二人は車の中で黙って過ごした。イマムラを黙らせているもの、ウルマノフに感じ続けている存在感は、彼の体から滲み出す「ロシア者」の香りであるらしい。他の人にない存在感を感じるのである。
 ウルマノフを黙らせているものは、いましがたも腹の底から湧き上がってきたげっぷである。彼はややうんざりした表情で運転席のイマムラを眺めた。この男と顧客を訪問すると、どの顧客でも、気さくな笑顔で飲み物の接待を受ける。二人は朝から既に顧客4社を訪問して、ウルマノフは断りきれなかったお代わりを含めて、7杯の飲み物を腹に入れている。(こういう男か)と、ウルマノフは思った。
 大抵の営業マンなら、顧客との相性と言うものを感じる。馴れ馴れしいほど仲がよいかと思うと、別の顧客では冷ややかな対応を受ける、という具合である。イマムラとの顧客訪問ではそれがない。イマムラは馴れ合いになることを避けて、礼儀正しく顧客との間に一線を画しているが、信頼を潤滑油にした仕事の話は、世間話の延長線のように滑らかだった。この信頼と、顧客の女性事務員から呼ばれる『テディベアーさん』というニックネームがイマムラという男を現している。売り上げ成績と言う点では、飛び抜けて有能とは言えないが、顧客の要望を製品に反映させるよう、工場との粘り強い調整を図って信頼を得ているらしい。
 ムーヴァーが走る14号線は、シンカンサイ市の南部に入ったこの辺りで高度を感じさせる。巨大な支柱に支えられて宙に浮かぶ感じである。居住区や商業区のある北部では、地下と地上合わせて最大8階層に積み重なっているのだが、この都市の本来の目的は南部に集中しており、いくつかの階層を上下に貫通して、中小の工場があるという構造である。
「あれか?」
 ウルマノフは何の脈絡もなく、突然、言った。この男の言葉に主語が欠落していることがままある。しかし、イマムラは良く察して答えた。
「ええ。あれですね」
(やはり、資本力が違う)
 二人ともため息を付きたくなる思いだ。二人の視線は、八分通り完成した巨大な工場施設に向けられている。建設が進んで、以前は見えなかったこの位置からも、その存在が見えるようになった。N&B社の小型機サービスセンターである。現在の火星と地球との微妙な関係を慮ったのか、N&B社は『工場』と呼ぶことを避けている。しかし、実質上、小型機を製造することを目的とした工場で、事実、このサービスセンターはネヤガワ工業より数倍大きく、設備も充実しているのである。立地条件も良い。この14号線に隣接して、彼らネヤガワ工業が、整備した船体をいくつかに分解して運搬しなければならないのに比べると桁違いに効率がよい。短すぎる会話の後、二人は再び黙ったまま時を過ごした。彼らが置かれている立場を考えれば、交わすべき言葉がない。
 皮肉なことに、ネヤガワ工業とN&B社には強い取引関係がある。地方中小企業に過ぎないネヤガワ工業と、N&B社という巨大資本の関係を、ウルマノフがロシア者の手腕で作り上げたのである。彼の就任当初、経営危機にあったネヤガワ工業は、N&B社の小型機FW201のライセンス生産権を得て、火星仕様の「スピカ」という名の小型機を製造販売することで、今に至るも存続しているのである。同時に、N&B社は火星に自社製品の販売や製品のメンテナンスの足がかりを得た。以降、両社が共存する時期が続いたのである。
 ここ数年来、ネヤガワ工業はN&B社に、FW201に続く新型機アンドロメダのライセンス製造を求めていた。市場では、N&B社がネヤガワ工業を経ず直接に、新型機アンドロメダの売り込みを図っている。ネヤガワ工業で製造する老朽化したスピカの販路が、日毎に閉ざされてゆくのである。しかし、一方では、FW201のライセンス製造を請け負っていた以上、続く新型機の製造も、自分たちが請け負うのが当然だという、ある意味で、虫の良すぎる期待を持ってもいた。
(何故か、ライセンス権に関わる交渉がうまく進展しない)
 そういう感触を持っていた彼らに対して、N&B社の回答がこの施設なのである。今後、小惑星資源の開発が飛躍的に活発化する。その時期に、大型艦以上に小回りが利き、汎用性のある小型機の需要が増大する。火星はその需要を満たす小型機の製造整備の中継基地になる。そう読んでいるのだろう。N&B社は、この火星に直接に資本を投入したわけだった。今やN&B社にとって、ネヤガワ工業の存在価値は薄い。現実的なウルマノフが、新型機の自社開発という極めて夢のような目標を、胸のうちに秘めているのは、こういう理由なのである。

 ウルマノフの脳裏に蘇る光景がある。この世でただ一隻だけ作られた高速艇の傍らにたたずむ、先代のニシダ社長の姿である。ウルマノフの脳裏に焼き付けられたイメージだが、不思議なことに、ニシダに漂う雰囲気は朧気で、彼の表情を読み取ることが出来ない。
 宇宙船の自主開発と言う点で、彼らは未経験ではない。経理部長として先代のニシダ社長に仕えていた時代に、その夢を試みたことがある。しかし、基礎技術の格差を思い知らされただけだった。現在、製造しているスピカを見ても、船体を構成する部品の1割は地球からの直接輸入品であり、7割はそのライセンス生産品である。とりわけ、核融合エンジンやエンジンに推進剤を供給する高圧ポンプなど、高い工作精度と信頼性を要求される部品は、火星では作れないと言うのが定説で、仮に国産品を付けたとしても顧客から信頼性を認めてもらえなかった。当時の状況は現在より遥かに悪い。また、船の運航を司るコンピューターは作れても、運航させるためのシステムは、小さなメモリーチップに収められた物を輸入するしかない。メモリーチップには地球企業が長年に渡って積み重ねてきた試行錯誤がノウハウとして詰め込まれていて、その宇宙船の運用における試行錯誤には、人命に関わった錯誤さえ含まれている。経験の浅い彼ら火星市民が、学問的知識だけで作れるものではない。MSA─Xと称された自主開発船は、出来上がったものの買い手が付くはずもなく、スクラップとして叩き売られるまで、工場の敷地の隅で晒し者になっていた。
 ニシダはしつこい男であったらしく、MSA─Xの失敗の後、目先を変えて夢に挑んだ。現在、ネヤガワ工業を支える副社長エバンズを筆頭に、技術部長ストヤン、製造部長カルロスなど古株の技術者は、地球のメーカーや研究機関への留学経験を持つ者が多い。ニシダが技術力の向上を目指して派遣したのである。しかし、戻って来た留学者の目が高慢に満ちて濁っていた。留学者たちは目にした地球の技術力に圧倒されて、その信奉者になった。地球に劣等感を持つ反面、そこで学んだと言うことが彼らの誇りの支えになった。当然、火星の技術力を貶め辱めることが、彼らの行動規範になっているように見られた。留学はネヤガワ工業にとっても火星市民にとっても、何も生み出すものがなかった。ニシダは気弱な面を人に見せようとはしない男だったが、ウルマノフには留学制度は失敗だったかもしれないと語ったことがある。
 ウルマノフは車内で過去の想い出を反芻したのだが、宇宙船の自主開発について明るい要素は何一つ無い。しかし、今やネヤガワ工業と社員の生活を守るためには自主開発に賭けるしかないようにも思われるのである。
「リーダーの欄は空けておけ」
 ウルマノフは技術部長のストヤンにそう命じていた。開発チームのメンバーの人選は、部課長連中に任せればいい。ただ、そのチームのリーダーはウルマノフの価値観を反映させて、彼自身が判断したかったのである。最も有望だったのが、技術部設計課に所属するキム課長である。設計課という部署で、顧客の要望を受け入れて、スピカに改修を施すための設計を行っており、経験も豊富に持っている上、顧客から工場に至るまでの仕事の流れを的確に把握しているはずだ。キム自身が有能であるばかりではなく、上司や部下の信頼も厚くリーダーとして適任だった。
 技術部長ストヤンを通じて、本人の意思を確認したところ、彼は机を叩いて、こう言い放ったらしい。
「そんな見込みのないものに手を付けて、私に会社を去れと言うのですか?」
 彼の言葉には二重の意味がある。新型機開発には全く見込みがないという判断と、この有能な自分を会社が手放せるはずがないという自信である。好ましいとは思わないが一理ある。順風満帆に人生を歩んできた男にとって、宇宙船の自主開発のリーダーを引き受けると言うことは、危険のみ多いと判断したのだろう。やや前向きといえるのは、彼が業務に関わる組織改編を、新たな部署の名と共に提案したことだ。
「技術開発課という程度の名で良いんじゃないでしょうか?」
 国産機開発をやるというなら、現在の設計課に持ち込むのではなく、専属の部署を作れと言うのである。ウルマノフは国産機開発を技術部設計課の内部でやろうとした。会社組織を複雑にはしたくなかったからである。しかし、技術部長ストヤンは、この時にはキムに賛同した。そして、『技術開発課』という任務から考えれば奇妙な名称は提案通り採用された。しかし、その名称には新しい技術に挑むというニュアンスをなんとかくみ取ることは出来ても、宇宙船の自主開発という本来の匂いを感じ取ることは出来ない。ストヤンやキムに自主開発という夢を追わせるのは難しそうだった。今のウルマノフには、技術部長ストヤンや設計課課長キムに代わる技術的な指導者のめどが立っていた、今のウルマノフが欲していたのは調整役としてのリーダーである。

 ムーヴァーで走っていると、N&B社の施設の巨大さが分かる。ウルマノフの真横に、N&B社のロゴマークを大きく描いた新工場が大きくそびえている。彼が想い出にふけっている間に、この施設を通り過ぎて遠ざかるどころか、工場の外周に沿って走行しているのである。唐突に、ウルマノフはイマムラの横顔を眺めて言った。
「よし。ひとつ、あそこへ表敬訪問といこうか」
 建設途上のN&B社の工場に乗り込んでみようと言うのである。イマムラを観察する感もある。イマムラは彼の思考ロボットから運転機能を取り戻して、彼自身が工場に向けて四輪ムーヴァーのハンドルを切った。
「そうですね」
 言葉に力みが無く、しっとり体温を帯びている。言葉の前に行動に移っていて躊躇がない。現在のN&B社との関係は競合メーカーになっていると言っても良い。そのメーカーにアポイントもなく乗り付けるのである。規模が桁違いで、彼らが相手にしてもらえるはずがなく、その強引さに多少の戸惑いがあってもいいはずだ。今後の交渉のために、呈の良い強行偵察をしておこうというウルマノフと違って、イマムラの迷いのなさには、心の奥底に人の善意を信じ切っている楽天的な面がある。その笑顔が透明で曇りがない。
(いい笑顔をする)とウルマノフは思った。
 そして、テディベアーさんという、小太りのイマムラのニックネームを想い出しながら考えた。
(この男も、苦労すれば。もう少し痩せられるだろう)
 新型機開発の指揮をこの男に任せようと思ったのである。新型機開発のための最後の人が終わったのである。

 出張から戻って2日目。イマムラが営業部長のシンプソンから呼び出しを受けたが、その理由には全く心当たりが無かった。普通なら、所属する営業一課の課長を経由して連絡があるべきだった。呼び出した部長自身にも心当たりがなに違いない。ディスプレイに映ったシンプソンの表情にも困惑が隠せなかった。
「いいニュースがある」
 部屋に顔を出したイマムラにシンプソンはそう言い、握手の手を差し出してその理由を付け加えた。
「おめでとう。君は、明日付で課長に昇進だ」
 しかし、シンプソンの笑顔の中に困惑が消えていない。普段は開けっ放しにしているドアを閉じるように、身振りで指示して続けた。
「そして、私にとって残念なことだが、優秀な部下を失うことになった」
 やや、二人の会話に間が開いた。両者とも困惑しているのに違いなかった。
「明日付で、君は今回発足する技術開発課に異動になる」
「技術開発課? 聞いたことがありません」
 中途半端な部署名で、その名称からは、何をするのか分からない得体の知れない雰囲気が漂っている。
「技術部の中で、新しい船の開発に当るそうだ」
「私が、ですか?」
 その声音は不思議さに満ちている。イマムラの入社時の部署は販売促進課で、スピカのパンフレットの作成にあたった覚えがある。その当時の直属の上司が、目の前のシンプソンだった。イマムラはこの男から、営業の仕事を基本から学んだのだった。その後、数回の人事異動は経験したが、営業部内に限られたもので、自分は根っからの営業マンなのだと自負していた。直接に顧客と触れ合う仕事は、成果が目に見えてやりがいが合った。苦労も多いが、この仕事が嫌いではなかった。
 シンプソンの立場から見ても、イマムラと顧客を回ると、嫌な顔をする顧客が居なかった。受付の女性事務員さえ、彼にテディさんというニックネームで呼ぶ者がいた。イマムラが小柄で小太りだったから、縫いぐるみのクマを連想したものらしいが、顧客と気さくに世間話が出来るというのは悪いことではなかった。営業マンとして派手さや強引さは無かったが、顧客の意見を良く聞いて、可能な限り意見を反映させる努力を怠らなかった。シンプソンがさっきの会話で、イマムラを優秀な部下と評したのはお世辞ではない。イマムラ本人から見ても上司から見ても、特別な欠点が無く嫌な仕事も無難にこなす男だった。
「ここだけの話しだが、何かやらかしたのか?」
 シンプソンは懲罰人事ではないかと考えているらしい。イマムラと直属の上司の相性は悪くは無いはずだったし、イマムラからの転属願いも出ていない。それならば、先の顧客への同行の時に、イマムラが社長の逆鱗に触れるようなことをしでかしたに違いない。しかし、イマムラにはその心当たりは無かった。二人の営業マンは、宇宙船の自主開発という目的から、この異動を懲罰人事に結び付けている節があった。
 自主開発については、彼らの立場で振り返れば、ネヤガワ工業の営業部は過去にひどい苦渋を嘗めていた。先代のニシダ社長はこの企業の設立当初から自主開発の夢を持っていた。その開発船をMSA─Xと称したが、その実体はエンジンモジュールに国産品使うという控えめな試みだった。社長の叱咤激励にもかかわらず、社の命運を左右するはずの船体は、営業部員の努力にもかかわらず全く売れなかった。工場には売れる見込みの無い船体が放置された。輸入コストを加えても、大量生産する地球製のエンジンの方が安かった。彼らの船体の信頼性は格段に劣っていた。高価で信頼性の無い船体を購入する顧客が居るはずは無かった。結局、スクラップとして叩き売るしかなかったのである。
 自分たちに作って売れるものは、チタン製の骨組みだけだと自虐的に囁かれた。自社開発は商売にならないという定説が、このときの思い出話とともに、ネヤガワ工業の新入社員に固く引き継がれていた。現在、ネヤガワ工業の営業マンにとって売上を支えているものは、
「我が社のスピカは、たとえ火星で作っていても、元は信頼性のある地球製の船体です」と言うセールストークだった。
 こういう経緯があって、先代のニシダ社長の意思とは別に、営業部員は自社開発について嫌悪感はあっても好感を持つ者はいなかった。その業務への異動と聞いた彼らが、懲罰人事を理由に挙げたのも無理は無かった。
 もう一つ、二人は口には出さないが、思い当たる理由がある。スピカのライセンス権を有する地球に拠点を持つN&B社が大規模なサービスセンターを火星に築いていた。先の顧客訪問でウルマノフと共に眺めた施設である。協力関係が競合関係に変わりつつあった。概して火星メーカーの方が不利な条件に立たされていることに違いは無かった。
 N&B社は彼らの新型機を売り込んで、協力工場のはずのネヤガワ工業の市場を食い荒らしつつあった。当然のことながら、彼らが新型機のライセンス権を、今や競合するネヤガワ工業に委譲するはずは無かった。防戦するネヤガワ工業にはスピカという旧式機と、顧客の要望に合わせて旧式機の改良型を作りますというノウハウだけだった。改良するにしても旧式の船体をベースにするのだから新型機に対抗できるほどの性能の向上は期待できなかった。顧客の新たな受注は明らかにN&B社に流れていた。
 売上が低迷する中で、社員にとってもっと身近な問題として、大規模な解雇が囁かれていた。イマムラやシンプソンから見て、会社が業績が上がるはずの無い部署を創設して、解雇する予定の社員を異動させ、業績不振を理由に社員ごと部署を消滅させるという手口は、いかにもありそうに思えたのである。なにしろ強引なウルマノフ社長のことである。やりかねない。しかも、根っからの営業マンとして、技術に疎いはずのイマムラをその部署のリーダーに据えているのである。
「まずは偵察がてら、新しい上司に挨拶に行くことだな。会議で顔を合わせる限り、頑固だが悪い男じゃなさそうだ」
 シンプソンは肩を叩いて励ましたつもりだったが、うつむいて部屋を出てゆくイマムラには、慰めもならなかったようにも思えた。彼はもう解雇されてしまったように、うなだれて妻の名を呟いた。
(アマリアにどう説明したらいい?)
 結局、その日の彼は妻に自分の得体の知れない昇進を告げることが出来ず、あくる日も、その次の朝も、自宅から彼を送り出す妻のアマリアにとって、夫はネヤガワ工業の営業部員のままだった。
 

ウォルヒ・パク

 出勤途上のウォルヒの表情は、柔和で落ち着きがあるものの、常に事務的な香りを漂わせていて近寄りがたい。彼女のウォルヒという名は、昔の地球の表意文字で表記すれば、「月のお姫様」というロマンチックな意味を持っていることが分かる。
 その名の持つ童話じみたほのぼのした雰囲気と、生身の彼女に漂う冷徹な雰囲気のギャップをもじって、同僚は彼女に『ステンレス・プリンセス』という異名を与えていた。
 自分の異名と、そう名付けられた理由を、彼女は自覚している。幼い頃から、彼女は感情を表に出すのが苦手だった。大勢の人の中にいることは、嫌いではなかったが、もっぱら感情の受け取り手としてであって、自分の感情を語ると言うことがなかった。他人に溶け込むために、努力を必要とするのなら、彼女は幼い頃からその努力を怠ってきた。
 しかし、その硬い表情の中で密かにだが、今日の彼女は機嫌がよいのである。上司のキム課長に提出する予定の提案書が出来上がったこと。そして、もう一つは起き抜けの歯磨きの時に”自分の鼻の頭が見える”という発見をしたことである。やや、寄り目で口にくわえた歯ブラシを見ると、視界の中に自分の鼻の頭が見えるのである。彼女は地球時間で28歳という歳で、初めてその事実に気付いたのだった。世の中の趨勢には、全く寄与することのない新発見だが、彼女は子供なら母親に報告に走るような衝動で、にんまりと笑いたくなるような感情が湧き上がって来るのを感じたが、それが表情に反映されることはなかった。彼女はそういう発見を面白がる子供じみた感覚を秘めている。しかし、彼女はそんな寄り目で、鼻を眺めている自分を人に見せたいとは思わない。
 コロンが操縦する四輪ムーヴァーで会社に着いたのが、8時11分。事務的な笑顔で保安部員に挨拶をしたのが8時19分。保安部員が挨拶を返しつつ、時刻を確認した。保安部員たちが、彼女の出勤時間に合わせて、時計の誤差を確認すると言うほど、この時間の正確さに定評がある。彼女にすれば、この時間に会社の正門を通過すると、二カ所のセキュリティーをくぐる時間のロスを含めて、8時30分には技術部設計課の部屋に着けるはずだった。
  ネヤガワ工業の技術部設計課という部署が、この日までの彼女の職場だった。加速力の増大、航続時間の延長、探査機器の出力増大など、顧客がスピカに求める要求を取り入れて、船体を改設計する。そのデーターをシュミレーションセンターに転送して、設計上の問題が無いことを承認してもらった上で、設計データーを製造部に転送して、彼らの作業は終了する。宇宙船の設計とはいえ、彼らが扱うものは、量子コンピューター上の数値と、映像だけなのである。その為に、設計課のドアをくぐると、室内は機械部品一つなく、清潔感に溢れている。職場内はラベンダーの香りがうっすら漂っている。キム課長の好みである。部下の集中力を高めるのだという。手前に机が6つ並んでいて、コンピューターの端末が置かれている。奥の仕切られたブースの中に課長の席がある。
 部屋の中は既に明るく照明がついており、空調機も働いていて温かい。コロンが四輪ムーヴァーから、社内の環境システムに移って、この部屋の環境をコントロールしているのである。彼女はいつもの席に手荷物を置いて、誰にともなく言った。
「コロン。ココアをちょうだい」
 まだ出社している同僚はいない。必要な会議の時以外は、出社時間が定められているわけではないから、おかしなことではない。彼女はいつものように『机の上を拭く』という行為をした。汚れているわけではないから、その必要はない。それでも、同僚が見れば驚くほど、念入りに拭いたのである。キム課長によれば、それが彼女が仕事を始めるための儀式だった。
 数分後、ウォルヒは小さなチャイムを合図に、ドリンクサーバーへマグカップに入ったココアを取りに行った。温度、砂糖やミルクの分量が彼女の好みに合わせてあるばかりではない。早朝、自宅で飲んだココアより濃いめにしてある。彼女の体調に合わせて微妙に調整されているのである。
 彼女はマグカップに口を付けて一口飲み、味に満足するように
「よしっ」と気合いを入れて、朝の儀式を締めくくった。
 既に、端末から電子ペーパーと称される液晶フィルムに、彼女の昨夜の仕事の結果が印字されている。コロンに任せればよい作業だが、彼女はあえて自分で端末を操作した。このデーターは彼女の自宅から会社のサーバーに転送したものだ。データーをそのまま課長の端末で表示させればよいのだが、古い体質の人々の中には印刷された物をありがたがる人々がおり、彼女の上司もそんな人間だった。
 データーの内容はスピカの推進剤タンクの増設に関わるものだ。推進剤タンクの重量増加による加速性能の低下というデメリットと、搭載する推進剤が増加することによる航続時間の延長というメリットを詳細に比較したものだ。彼女の考えによれば、この改良によりFW201スピカという旧式機は、顧客にとってより好ましい船体になるはずだ。スピカの主たるユーザーである保安局高速機動隊から、航続時間の不足を指摘されていた。搭載した推進剤タンクが小さすぎるのである。彼らメーカーから見れば、やむを得ない。西暦2134年のロンドン条例で大型艦に搭載するエンジンの出力規制、2年後のルナ条例で小型機を対象にして推進剤タンクの容量について制限という2つの制限が課せられている。
 この2つの条例の目的は、民間で製造される宇宙船を、許可無く軍事目的にに転用させないと言うことであり、一般の船にはほとんど関係がない。スピカの場合は高速機動隊のパトロール艇やレスキューの司令船として使われるため、どうしても緊急時に高加速度が要求される。そこで、この種の船体について推進剤タンクの容量を制限することで、惑星軌道近傍に行動範囲を制限し、軍事目的への転用を防止しているのである。
 ウォルヒはユーザーが求める航続時間の延長という要求に対して、核融合エンジンのやや前方に増槽をつけることを思いついたのである。船体に固定した推進剤タンクの容量を増やす代わりに、切り離し可能なタンクをつけること、そのタンクの容量を1基300リッター以下に抑えることで、規制の制限を免れる事に気付いたのである。しかも、そのタンクが船体の重心に極めて近い位置に取り付けられること、船体に特別な補強を要しない事など、彼女の思いつきは最適な改造方法のように思われるのである。

「おはよう。ウォルヒ君」
 キム課長である。上司の信頼ばかりではなく部下の人望も厚い。
「課長。見ていただきたいデーターがあるのですが」
 キム課長はウォルヒの手にある電子ペーパーにちらりと視線を送った。ウォルヒの意図が分かるのである。今回が初めてではない、また、何か新しい提案を持ってきたのだろうが、うんざりだと思った。
 営業部を通じて設計課に持ち込まれる仕事が山積みになっている。顧客がこれから購入するはずの新造船の市場は、地球の大資本に占有されていて、ネヤガワ工業が食い込むことは期待できない。しかし、老朽化しつつある現用船の寿命延長を狙った小規模な改造の要請は頻繁にあり、ネヤガワ工業は先行きの不透明さの裏腹の忙しさに、どっぷり浸かっているのである。しかも、このような作業は大きな利益を生み出すはずはなく、得られる利潤は企業の労力に見合っているとは言い難い。
 彼女には危機管理部から提示されているペイロード増大について、データーをまとめておくように指示してあるはずだ。たとえ、個人的な時間を利用しているとはいえ、もっと指示した仕事に専念してくれと言いたくなるのである。
 また、キムは営業部員を御用聞きと見下してもいる。彼の見るところ営業部員は顔なじみの顧客を回って、その要求を集めて来るのみで、こちらからの提案を顧客に説明し納得させて購入に結びつける能力など持ち合わせては居ないと考えているのである。
 しかし、彼は感情を隠して人の良い笑顔をを浮かべて言った。
「後で見ておこう」
 このあたり、この男が女子社員に人気がある所以だろう。しかし、ウォルヒは食い下がった。過去のデーターは全て、課長の机にしまい込まれてしまって、今度こそ、ものにしたいと思ったのである。このしつこさに、キムもやや腹に据えかねたらしく、ウォルヒの差し出す電子ペーパーを奪い取り、データーを消去するという行動で、感情を現した。何か言いたげなウォルヒに畳みかけるように言った。
「君に向いた仕事がある」
 新たな部署が創設されると言うのである。
「昨日、部長から新しい部署に一人出すようにとの指示を受けた。君を推薦して置いた」
「異動ですか?」
 ウォルヒは宇宙船の設計という仕事から離れてしまうのかという不安で、そう尋ねた。
「新しい部署で自社開発が始まるそうだ」
 始まるそうだという伝聞ではない、キム課長自身が新たな部署の設置を提案した。現実味のない任務を、この部署に持ち込まれて、作業が混乱するのを防ぎたいのである。ウォルヒはそのための、いわば人身御供だった。ウォルヒが抜けて、仕事が忙しくなるには違いないが、職場が混乱するより遥かにましだ。
「君が今抱えている作業は、キャロウェイとクラフトが引き継ぐ」
 次々出勤してきた設計課メンバーの中では、課長がやっかいばらいをしたのだという囁きがあったが、ウォルヒについて同情的な言葉がない。彼女のこの部署での立場を象徴している。彼女は同僚の噂を気にする様子がなく、心の中で課長の言葉を反芻していた。
(宇宙船の自主開発?)
 彼女の血の中に、かつて人が空を飛んでいたという、うずうずと心を震わす記憶があった。
 

ジャン・ラベル

 「火星に着いてから6日目の朝だ。昨夜、部屋の中がやっと片づいて、隣のワイスさんとチェスを楽しんだ。今朝が初出勤だ」
 短い単語を簡潔に繋いだラベルの言葉は、彼の木訥な性格を表しているのかもしれない。ただ、年老いた妻に対して、柔らかな愛情も感じさせる。思いつくまま語るラベルの声音は、少し落ち着いた穏やかな調子を取り戻している。火星での生活に馴染んできたという証拠だろう。彼は意図してチェスの話を挿入した。地球市民に対する火星市民の感情悪化を心配していた妻に対する配慮である。この言葉は電子メールにしたためられて妻に転送されるのである。電子メールという通信形態は、キーを押すという作業が、話し言葉に置き換わっただけで、基本的に200年も前と変わりがないのである。
 こうやってメールをしたためつつ、ラベルは20年前、初めてこの火星にやってきたときの事を思い出す。地球の妻と惑星間通信による会話を試みたのである。もちろん、計算上の時間は知っていたから、会話を始める前に、テーブルに飲み物と軽食を準備した。最初に言葉を発してから、妻の返事が返ってくるまで26分以上を要した。カップのコーヒーは2杯目になっていた。ラベルはぽつりぽつり言葉を区切って話し続けたのだが、妻の返事はラベルが26分以上も前に話した話題に向けられている。日常会話で、それほど以前に自分がどんな話をしたかなんて覚えているものではない。こちらが深刻な話をしているのに、ディスプレイに映った妻は、26分以上も前のラベルの冗談にけらけら笑っていたりするのである。当時、銀婚式を迎えようとしていた仲の良い夫婦に会話が成立しなかった。頭の中で想像する感覚以上に、二人は隔てられていたのである。
(随分、遠くまで来た)
 そんな感慨を抱かざるを得なかった。そういう苦笑いと共に想い出す記憶である。
 荷が少なく几帳面な性格にも関わらず、5日目の夜にしてようやく部屋が片づいたというのは、2日前にこの小さな部屋に引っ越したからだ。ネヤガワ工業が彼のために最初に準備した部屋は、彼に対する充分な敬意を表した部屋だった。
(経理出身のくせに、随分と無駄遣いをする)
 ラベルは部屋の中の贅沢な調度品を撫でて、苦笑いしつつ思った。自分を火星に招いたウルマノフについてである。
「老人には、部屋が大きすぎるようだね」
 彼は本音をそういう言葉で表して、この質素な部屋に移ったのである。周りは全て火星市民の居住区である。これから何年かかるかは分からないが、その間、この人々の中に身を置いて共に生活をする。それがラベルのやりかただった。ラベルは今では珍しいアナログの腕時計で時間を確認した。身なりを確認しながら椅子から立ち上がり、そして小さなスーツケースを手に取って、玄関から新しい仕事に向かって踏み出した。
「お早うございます、ラベルさん」
「お早う、エリカ」
 先に、挨拶の声をかけてきたのは、隣人のエリカだった。この区画で過ごした2日間で、ラベルは3人の友人を得ている。その内の一人だった。やや大人ぶる所があって、今もラベルに対する好奇心を抑えようと振る舞っているが、まだ11歳の好奇心は押さえきれず、ラベルを眺める目から溢れている。
「お早う、ジャン」
 ラベルをファーストネームで呼んで、その生意気さを姉にたしなめられているのは、エリカの弟のレイである。こちらは姉の背後に隠れながらラベルをのぞき見て、笑顔の中に好奇心を隠そうとしない。
(顔や体はライオンみたいに厳ついけれど、優しいお爺さん)
 ごつごつと工場労働者を想像させる手をしているが、ただ、頭を撫でられたときに、その分厚い手の皮を通して、じんわり暖かさが彼の人柄と共に伝わってくる。そういうことを、ラベルがやって来た日に、レイはたどたどしい舌足らずな表現で、母親に伝えたのである。日に3回はこうやって母親に報告に行く。彼らの新しい隣人は、がっしりした体格から見て地球市民に違いなかった。レイはまるで童話の言葉を語るライオンが隣に引っ越してきたかのような興奮を覚えているのだろう。
 ひょっとすると、この子供たちの感想が、火星市民の地球市民に対する心の奥底の意識を象徴しているかもしれない。言葉が通じる相手だ、しかし、それは血の滴る生肉を、ぼりぼり骨ごと囓る肉食獣に違いない、というのである。
 自分がこの地の人々にそういう印象を与えているのかもしれないと言うことを、ラベルはここにやってきた日から、なんとなく自覚している。11歳だというエリカの身長は、既にラベルの目の高さに達している。しかし、彼女のウエストサイズはラベルの感覚からすれば、随分と細いのである。レイがラベルの体格にライオンのイメージを抱くのなら、ラベルはこの2人にカモシカの姉弟のイメージを当てはめなければならない。生まれ育った星の重力の差が、ラベルと姉弟の体格を分けたといってもいい。
(面白い進化の仕方だな)
 学校に行く姉弟を見送りつつ、ラベルは思うのである。
 体格というものについではない。体格や外観についての多様性なら、地球に住む人々の中にもある。アフリカ大陸に誕生したという人類は、住む地域によって随分と多くの人種に枝分かれした。肌や目や髪の色、体格等の形質によって分かれ、、民族や文化の違いまで加えれば、その多様性は数えきれない。この火星に住む人々は、人種や民族という点では地球の縮図のはずだが、多様性という雰囲気が何故か薄い。地球市民の中に火星の人々を評して『神を感じ、人の信念に祈る人々』という表現がある。首を傾げたくなるような不思議な疑問と共に呟く言葉である。
 人類という樹木は、その幹の先に小さな枝を広げるのではなくて、古い幹の根本の辺りから、新たな幹を伸ばし始めているのかもしれない。

『ロボットを眠らせる』
 思考ロボットを停止状態にしておくことを、地球市民も火星市民もそう呼んでいる。いま、ラベルは彼の思考ロボットを眠らせていた。周りの状況を素直に眺め、自分で考え、自分で判断するのである。
 地上に出て辺りを見回すと、『都市の風景が技術よりも、コストや効率に左右される』と言う言葉を思い出させた。目の前の景色は近代都市のものとは言い難い。この都市は火星の中でも歴史のある部類に属する。しかし、地球のどの都市よりも若い。最新技術では都市間の移動にリニアモーター列車や有翼式の高速列車があり、その列車を市内を走らせることも可能だろう。しかし、この市内の移動手段は主として2つある。1つは小型の四輪ムーヴァーで、個人の思考ロボットが運転する。もう一つは燃料電池で走行するバスであり、前者はタクシー、後者は路線バスを連想すればいい。バスは市内で定められた路線を走行して、停留所で停止するようプログラムされている。主要な交通機関が、重力に逆らって浮遊する近代的な乗り物ではなくて、車輪で道路を走行するという点で、300年前の地球と変わらないのである。重力が小さいこの惑星で車輪の回転を効率よく地面に伝えるために車輪の幅が広い。違いがあるとすればその程度か。この都市の中で、人々を目的地にばらまくためには、この種の古くさい輸送機関の方が効率がいいと言うことなのだろう。
 ラベルは通勤の交通手段に後者を用いた。大勢の人々とふれ合うことが出来るという理由である。バスの停留所はすぐに見つかった。歩道に通勤者の流れが出来ていて、20世紀の地球の都市を思わせる。停留所の端のガイドウエィに突っ立っていると、乗客はコンベアーで振り分けられて、目的地に向かうバスの発着場に送られるのである。大規模停留所で、目的地へ行くバスを探さずに済む、という点だけが便利になった所かもしれない。
 ラベルは運ばれた停留所で、やってきたバスに乗り込んだ。ラベルは多少、人々の注目を浴びた。地球市民の骨格と、左手首の腕時計にである。この惑星の人々は、地球や地球市民に対して、最先端の技術や流行という偏見とも言えるイメージを抱いているのだろう。意外かもしれないが、この火星の生活は、旧式な技術の集大成で成り立っている。新たな技術の可能性より、信頼性や安全性が優先されるためである。その火星市民は、時計を耳飾りのように、耳の後ろに貼りつけている。時計を見て時間を確認するのではなくて、時間をイメージすれば、現在の時刻が頭の中に思い浮かぶ。火星市民にとって時計というのは、そういうものである。ただ、現在ではその時計すら旧式化し、地球では電子回路が糸のように紡がれて布の形に織り込まれ、情報端末が衣服の一部になっていた。大気に充満する様々な情報を受信、肌に接する部分から情報を選択して人に伝えるのである。時間など数多くの情報の一つに過ぎない。
 ラベルという男は、秒を刻むアナログ腕時計という記録映画の中の遺物を身につけていた。ラベルはこの頑丈な腕時計が気に入っている。祖父から父に、父から彼に受け継がれた時計だが、今でも休むことなく正確に時を刻んでいる。古い時代の地球で、地球の時間を刻むために製造されたものだから、当然、この火星では1日の長さに誤差を生じる。彼はその誤差を1日に一度、火星の時間に合わせ直していた。ラベルは几帳面な反面、この種の誤差を許容して受け入れるという寛容性を持っている。
 盗み聞きをすると言うわけではないが、ラベルは旅先で、人々の中から漏れ聞こえてくる言葉を聞くのが好きだった。言葉の訛りや語感が、その土地の風土を現していて、興味深いのである。このバスの中でもラベルは心躍るほど興味深い。まるで、祖父母の言葉を聞くようだった。火星市民の言葉の音感に訛りがある、しかし、自由闊達に語法を変化させて、文法を乱した地球市民に対して、この人々は、彼の祖父のように、よほど正しい文法で言葉を話すのである。ひょっとしたら、様々な人種を寄せ集めた人々は、互いに意志を伝えるために、この種の国語教育に力を注いでいるのかもしれない。
 その話題も面白い。姑が息子の嫁が気に入らないという不満だったりする。笑ってはいけないのである。ラベルの向かいに座った老女は、その隣の女に真剣に悩みを打ち明けている。ラベルの記憶は定かではないが、古代ギリシャかエジプトの記録に、息子の嫁に不満を漏らす老女の話しがあったという。もちろん、現代の地球で、ラベルの周囲にもそういう女性がいた。女たちは時代を経るだけではなくて、何百万キロメートルという距離を隔てたこの星にまで、そういう話題を持ち込んでいる。女の中に、何か永遠に変わることのない核があるらしい。
 目をつむって、周りの音を楽しんでいたラベルが、突然に目を開けて周囲を見回した。日常会話の中に場違いな専門用語が混じっていたことと、その声が他の音を圧する自信に満ちて大きかったことである。話の雰囲気から察すると、同僚を掴まえて仕事の苦労話を聞かせているらしい。
 その運の悪い同僚のダニガンは、車内の隅から自分の名を呼ばれて、気付かない振りをしていたはずだった。車内は、やや混み合っていて、座席に座る人々ばかりではなくも吊革に掴まって立っている人々がいる。そういう人々に紛れて、そんな演技が通用するように思われたのである。しかし、ムハマドはダニガンのもとにやってきた。同僚と会話をするために人混みをかき分けて移動した。それが周りの人々に迷惑な行為だとは考えていないらしい。
(出勤時間をずらしたはずなのに、)
 ダニガンは舌打ちしたくなる思いだ。悪い男ではないが、ムハマドと人混みの中で顔を合わせるのはありがたいことではなかった。案の定、ムハマドは大声で仕事上の苦労話を始めたのである。
「チタン合金を炭素繊維で積層補強するんだ。すると素材の弾性係数、つまり、、、」
 ムハマドに与えられた研究テーマらしいが、説明には意図して専門用語を多用し、周りに聞こえる大声なのだが、内容を理解させたいわけではない。
「俺の強度計算に寄れば、」
 ダニガンはムハマドの話をそこまで聞いて、口元を抑えてあくびを噛み殺した。会社の業績は思わしくはないらしいが、彼の職場は、その低迷した業績が嘘のように忙しく、残業が続いている。ムハマドの話を聞くよりも仮眠を取っておきたい気分だ。
「おいっ。聞いているのか?」
 ムハマドは念を押した。ダニガンに対して、そして周りの人々に対してである。自分が宇宙船の設計に携わっている。その事を周りの人々に知らしめたいのである。たぶん、彼は宇宙船の設計という仕事が、他の仕事に増して高級だと信じて疑わない。仕事に誇りを持つと言うことは良いことだが、ムハマドの場合は、それがやや鼻をついた。他人を見下した感がある。
 この二人は、他の乗客の視線をちらちら浴びていた。それがムハマドの声をいっそう大きくした。人の注目を浴びている、その事が心地よいのである。運の悪いダニガンは愛想笑いを振りまいて、周りの乗客にムハマドの非礼を詫びた。しかし、乗客の視線は冷たく、二人を刺すようでもある。
 しかし、中に一人だけ笑顔が混じっている。ラベルである。ムハマドから見れば、温厚で几帳面そうな男で、骨格が太い。地球市民に違いない。
(市役所の戸籍係を無難に勤め上げて、定年退職後、火星に観光旅行に来た)
 ムハマドはラベルの姿をそう推測した。ムハマドは声のトーンを、更に引き上げた。ムハマドにとって、こういう無学な男を啓蒙してやるのも自分の義務なのである。
 その後、迷惑にもムハマドの演説は10分に渡って続いた。その演説から、意味無く挿入された専門用語を取り去って要約すると、俺は仕事に理解のない上司の元で才能を持て余しているという愚痴である。挿入された専門用語やその解釈も文献から直に引用したもので、仕事に役立てると言うより、自慢をするために専門書を読んでいるらしい。
 現実には様々な制限が伴って、専門書に記述されている理論通りに事が運ぶことがない。慣れた技術者ほど、制限や課せられた条件をふまえた上で、現実を理論に近づける修正項を、経験的に持っている。その経験が彼らの言葉や行動の端々に、滲み出して、技術屋としての存在感になるのである。ムハマドの言葉には、そういうものがなかった。幾多の文献の引用を、自分の未熟な推測で繋ぎ合わせており、本人には悪気はないのだろうが、技術的な嘘が幾つも混じっているのである。しかし、初老の戸籍係は、ムハマドのそんな言葉を、終始、機嫌良く聞いていた。
  ダニガンにとって、やっと『工業団地前』停留所で停車したときに、彼は演説中のムハマドを車両から引っぱり出すように降りた。そして、明日からは四輪ムーヴァーの通勤に切り換えよう、と固く決心したのである。ムハマドはそんな同僚の考えに気付く様子はない。ただ、目聡く、さっきの戸籍係も、この停留所で降りたのに気付いていた。戸籍係も降りたムハマドに気付いたらしい、彼の演説に対するお礼のつもりか会釈を返した。全身から滲み出すほど濃厚だが、奢りのない透き通った笑顔である。
 人を誉めることのないムハマドだが、
(さすがは、、、、)と思った。
 戸籍係を真面目に勤め上げたことはある、というのである。ダニガンは会社からの送迎用の大型ムーヴァーにムハマドを押し込んだ。この男を会社の中に閉じこめて、社会から隔離しておくのが、一般市民に迷惑をかけずに済む方法なのである。
 

技術開発課発足

   ネヤガワ工業の敷地の中で、セキュリティの関係で技術部の建物は製造部の建物と並んで、事務棟とは隔てられていた。温かみのある象牙色の事務棟と違って、水色と白で冷たく塗り分けられていた。イマムラはぞっと身震いするように思った。
(このあたりは雰囲気が違う)
 だいたい、技術部の連中というのは得体が知れなかった。計測器の前でじっと座ってデーター取りをするなど、イマムラには考えられないことだった。モニター上の訳の分からない数字を眺めながら、笑ったり怒ったりしているのは変態と同じだ。頭の中の妄想や偏見ではない。彼は顧客の発注条件を打ち合わせるために、ここに出向くことがあり、実際にそう言う気違いじみた光景を目にしている。イマムラは研究棟入り口のセンサーに手をかざした。
「営業部のイマムラだ」
 もはや、技術部員かもしれないが、彼はいつもの癖でそう名乗った。セキュリティシステムが彼の指紋、声紋、網膜、顔立ちを始め、言葉や仕草の癖など社員にも明らかにされていない項目も加えて、イマムラ本人だと言うことを認識し判断しているはずだ。実は、この時にも未だに営業部に戻ることは出来ないかと考えていたのである。心のどこかに、セキュリティシステムの拒絶への期待感があった。
 しかし、セキュリティシステムはイマムラを認識し、この新人を受け入れた。人事異動の手続きが全て完了し、もはや営業部に彼の席はないということだった。ドアが開いて、後はこの得体の知れない魔窟に踏み込んでいく運命しかなさそうだった。

 イマムラばかりではない、新たな部下を受け入れるストヤン技術部長も、困惑を隠せないのである。ストヤンの見るところ、営業部の連中は、顧客の無理な要求をそのまま技術部に伝えることだけを、自分の仕事だと考えていた。技術的や時間的な可能性など関係なく、不都合なことは全て技術部に押しつければよいと考えているのである。しかも、とうてい利益が上がりそうもない価格で、仕事を請け負ってくる。限られた技術部員が、顧客の多岐に渡る要求に答えるために、振り回されている。
 そんな、絶望的な人員不足の中で、なんとか人数をやり繰りして、新たな技術開発課を編成した。当然、今までの業務を残された人数でこなさなければならないから、各部署は遥かに忙しくなるはずだった。その恨みは自分に向けられるに違いない。部下の一人を引き抜かれた材料研究課の課長が、既に彼に噛み付いていた。そして、成果の上がる見込みがない部署に回される部下の恨みを買うのも、自分になるはずだった。
(成果が上がるはずがない)と、ストヤンは考えているのである。
 今回の思いつきはウルマノフの仕業に違いないが、地球との技術格差を知っているのかと言いたい気分だ。
 本音を言えば、成果の上がらない宇宙船の自社開発に人手を取られるよりも、日常の業務を円滑にこなすほうがありがたい。増員を要請したのだが、人員は情報管理部から来たアーシャ・バレという黒人女性と、彼の目の前に居る技術的な素養の無いイマムラだけだった。
「ほかの係員には9時に集合するように伝えてある。君の下に部下が8人つく。顔を合わせるといい。アイエロ君。課長をロッカーに案内して、作業着を、」
 ストヤンは部下にイマムラの案内を命じてドアを指さした。
(まるで、部屋から追い払われるようだ)と、イマムラは思った。
 そのイマムラをストヤンは呼び止めて言った。
「イマムアくん」
 まだ、名前も覚えてもらっていないらしい。
「イマムラです」
「イマムリ君、出来るだけおとなしくやってもらいたい」
 船体の改造には、様々な高度な計算や計算に基づく判断を要する。環境システムに在中する思考ロボットにすら扱い切れないほどなのである。そのために、ネヤガワ工業には数台の専用の高速演算装置を備えたシュミレーションセンターがあり、改良に関わる様々な要因が、最終的に船体にどういう影響を与えるものか、量子コンピューターでデーターを多角的に解析している。顧客からさまざまな要求が持ち込まれて、その対応にシュミレーションセンターの処理能力が限界に近づいている。新型船の開発となれば、更に使用頻度が上がり、その処理能力を超えることもあるかもしれない。一時的にせよ、従来から抱えている仕事がストップする。ストヤンとしては最も避けたい事なのだった。加えて実際に試作機を製造するとなれば、現在稼働している製造ラインにも影響が出るかもしれない。
 あまり張り切られて、予算やシュミレーションセンターの時間を割かれては、他の部署に支障が出る、それを恐れたのだろう。
(できるだけ静かに、おとなしくしていろ)
 それがイマムラの新しい上司が、彼に与えた作業方針だった。

 新たな作業着を着たイマムラが案内された会議室は、思いの外広かった。丸いテーブルに椅子が11脚程、形が不揃いなのは、今日の会議のメンバーの頭数に合わせて、椅子を追加して持ち込んだものらしい。イマムラは着慣れない作業着を身にまとって、椅子の数で会議のメンバーの数を推測した。
 その部屋に、先客が一人いた。肌や目や髪の色という外見上の区分以前に、大きな目と口が、彼女の好奇心のよりどころを求めて自在に動くという印象が、彼女の特徴になっている。彼女は立ち上がってイマムラに近寄ってきた。獲物を見つけた黒豹のようだ。彼女は手をさしのべて言った
「初めまして、情報管理部から来たアーシャ・バレです」
 握手のつもりか握った手を大きく振ったあと、その手を離さず、イマムラの返事を待たずに尋ねた。
「営業部のイマムラさんですね?」
 答えを聞かなくても確信があるらしい。握った手に力がこもったままで、捕らえた獲物を離そうとしない。イマムラの返事も聞かないまま、手を引っ張って、彼女が座っていた席の横に彼を導いた。そして、イマムラの席を指示して、自分は椅子の向きを変えてイマムラと向き合った。イマムラにすれば、教師から悪戯について詰問される生徒の立場に立たされたようなものだった。彼女はイマムラの微妙な表情の変化を見逃さないよう顔を近づけて聞いた。
「率直に伺います。N&B社の新型船受注の話は、本当にダメになったの?」
 彼女の言葉通り、率直すぎる質問である。現在のところ、彼にはその質問に回答する権限はない。黙って肩をすくめるイマムラに彼女は質問を替えた。
「新型船の開発。自主開発というのは、技術部の総意なの?」
 やや、イマムラの本意を探るように首を傾げて見せた。彼女は次のようにたたみかける。
「営業部や製造部が納得しているようには見えませんけれど、」
(その通りだ)と、イマムラは思った。
 つい昨日まで営業部員だった自分は、こんな話に納得はしていないのである。製造部の連中も、同じようなものだろうとも思うのである。しかし、彼女の質問は、イマムラに回答の時間的な余裕を与えてはくれない。彼女は既に次の質問を発していた。
「ネヤガワ工業として、地球メーカーのバックアップも受けずに、独自に新型船を開発することに対して、どうお考えです?」
 自主開発というのは事実らしいが、単独で取り組むというのは彼にとっても初耳で、彼の方が質問したいくらいだ。イマムラはバレの話に返事を挟み込む余地を見つけられないでいる。
「ふうーん」と、彼女は言った。
 真偽を見極める表情でイマムラの顔をのぞき込んでいたが、その表情をやや不満そうに、そして、やや失望感に変えた。営業部員のような素人に、回答を求めるのが無理なのかと悟ったようだ。彼女がいかなる情報源を持っているのかはしらないが、この一件については彼女の方がはるかに詳しそうだった。
 イマムラに続いて3人目が入って来た。14歳程度、地球時間に換算して言えば28歳程度だろうか、アジア系の顔立ちの女性である。バレがガイド役になって入室者を紹介した。
「元設計課のステンレス・プリンセス。ウォルヒ・パク。あの堅い雰囲気がそんな感じでしょ。新型船開発で設計課からはみ出ちゃった感じね。ハンサムな上司のもとから離されるなんて悲劇よね。私もね、設計課のキム課長なんて好みだわ」
 イマムラのあきれたようにバレに向けた。彼女は自分の話が主題からそれてしまったのに気付いて舌を出してから、話題をウォルヒに戻した。
「彼女のスリーサイズもお望み?」
 イマムラは首を振った。バレという女性は黙っていれば、ウォルヒのスリーサイズから私生活まで暴露しかねないと思ったのである。ウォルヒは先客に事務的な会釈をすると、イマムラから距離を置いて、しかも彼と向き合うことも避けて、彼から3つ離れた席についた。会議が始まるまで黙って時を過ごすつもりらしい。
 4人目は、うすら禿の白人男。バレがそう表現したのである。ヒツジを連想させる温厚な目が特徴だった。彼は部屋の中をぐるりと見回して、ウォルヒの姿を見つけると、彼女の隣に席を占めた。
「エリック・ドノバン。シュミレーションセンターのうすら禿。恋愛シュミレーションは素人同然ね。騙されてばっかりだもの。でも言わせてもらえば、女を見る目がない彼が悪いのよ」
「女性の話は良いから、仕事上の説明をしてくれないか?」
 ここに顔を揃えつつあるメンバーは、彼の新しい部下らしい。少しでもその人柄を知っておきたいのである。
「仕事面でも運が悪いのね。もう5回目の異動だもの。人が良いから新しい職場で真っ先に飛ばされるのは彼。異動慣れした雰囲気でしょう? 最後に辿り着いたのがこの墓場ね」
 彼女は最後に、やや好意的に付け加えた。
「でも、あちこちで仕事を経験しただけに、何でも無難にこなすわよ」
 ドノバンには周りを包み込む自然で柔らかな雰囲気があり、そういう好意的な感想を付け加えたくなるのだろう。
 5人目が荒々しい足音と共に入ってきた。
「笑顔の冷血商人。電子技術課のシン」と、バレが小声でイマムラに紹介した。
「仕事上の特徴は?」
「個人的な銭勘定にうるさい事かしら?」
(仕事上の特徴じゃなかろう?)
と思いつつ、イマムラはシンを、契約上、几帳面に仕事をこなす男だと解釈することにした。バレは片手を振ってシンに挨拶をした。
「今日はご機嫌斜めね。シン」
「フォボスの出張から帰ってきたら、いきなりだぜ。『今日からお前の机はここじゃない』って。自主開発だって、何を考えてるんだ?」
 怒りが口をついて出て収まらない。席についても、ぶつぶつ不満を独り言で漏らしていて、今日は彼に接近しない方が良さそうだ。
 6人目は、ずっとおとなしい。中肉中背のアジア系の男で、黙ってのっそりとドアの所に現れた。
「人畜無害。理論派の毒舌ハツカネズミ。品質規格課のアサハリ」
 バレの人物評はそうかもしれないと思わせるものがある。アサハリは自分の身を安全に守るために、慎重に周りを見渡すという雰囲気で、部屋の中を見回した。危険な人物ではなさそうだが、存在感の薄い男でもある。
「おおかた、毒舌が災いして追い出されてきたんじゃない?」
 7人目。大柄な黒人男だが、目が子供のように無邪気で愛嬌がある。
「パワーモジュールのタロウ・ガーヤン」と、バレは彼を評した。
 核融合エンジンを中心にその付属機器を含めたモジュールを、エンジンモジュールとかパワーモジュールと呼んでいた。ガーヤンの作業着からはみ出してはちきれそうな太い腕や、筋肉に覆われた胸板は出力全開のパワーモジュールなのだろう。ただし、その制御の面では不安定であるらしく、バレが言葉を付け加えた。
「究極の破壊魔人とか、暴走する最終兵器とかいう異名も聞いたわ」
 ガーヤンはバレから席一つ分、椅子の間隔を開けて座った。最初、そのままバレの隣に座りかけながら、少し考えて、間隔を空けたというのは、他人に窮屈さを感じさせないようにとの配慮らしい。人なつっこい笑顔通りの思いやりを持っているらしい。
「おれ、とうとう、こんな所に島流しになっちゃったよ」
「今度は何を壊しちゃったの?」
 ガーヤンは照れたように笑って応えない。
(島流しか?)
 イマムラは自分の運命を重ねて思った。

 8人目。片手に難しそうな専門書を持ってきた。この時代、書籍を持っているというポーズは珍しい。必要なら求める情報を手近なモニターに表示させることは容易なのである。知識を誇示するためのアクセサリーであるらしい。
「材料研究課のアリ・ムハマド。プライドだけのケチなひよっこね」
 彼女の言葉はそれだけである。その一言で彼の人物を語り尽くせるらしいのである。
9人目。整った顔立ちの金髪美人だが、マイペース派の人間がもつ独特の余裕を漂わせている。
「世紀の天然ボケ。PM技術課のヘレン・ウィリアムス」
 その天然ボケは、バレとガーヤンの間の席について、部屋のメンバーの顔を見回した。
「変なメンバーねぇ」
 彼女はこの部屋のメンバー構成をそう表現した。そののんびりとした口調から察するに、彼女自身はその変な顔ぶれ含まれていないらしい。
「ねぇ。知ってる?」
 ヘレンは小声で言ったつもりだが、マイペース派の彼女のことで、声が入り口まで響くほど大きい。
「業績が上がるはずのない部署を作って、不要な社員をまとめて異動させて、業績不振を理由にして、部署ごとまとめて消滅させるってシナリオ」
 部屋に集まったメンバーの視線が彼女に集中した。
「だいたい、今の社長は、先代のニシダ社長の時に国産機開発の反対者の筆頭だったんでしょ」
「そうね、あの鈍いヒグマが。本気のはずはないものね」
「何か裏に陰謀があるのよ、きっと」
「私は嫌よ。馬鹿社長の為に倒産や解雇なんて」
 イマムラが左脇のバレの足を蹴った。注意を促すつもりで軽く蹴ったつもりだが、慌てていて、思いのほか、力が入っていたらしい。バレがムッとした表情をイマムラに向けた。その瞬間に、バレとウィリアムスはイマムラの意図に気がついた。
「あら、社長。今日もいい天気ですね」
 バレは取り繕ったつもりだが、バレの背後に立っていたウルマノフの表情は硬い。
「私の心中は、砂嵐だね」
 そんな社長の表情に、ウィリアムスは微笑みかけた。
「新型船開発なんて、なんて夢のあるお仕事でしょう。がんばりますわ」
「給料分は働いてくれ、倒産なんて私も嫌だからね」
 ウルマノフは静かにそう言った。
 この場合、バレとウィリアムスに一方的に非がある。社長は社員の話を盗み聞きするつもりが無かったことは明白だった。彼女たちがおしゃべりに夢中になっていて、ウルマノフの登場に気付かなかっただけである。
 一瞬、ムハマドが訳が分からないという風に息を飲んだ。社長に数歩遅れて続いてきた男に気付いたのである。骨格の太い体格と、透き通るような笑顔に記憶がある。朝の通勤バス車内にいた、あの元戸籍係に違いなかった。
「まず、紹介しよう」
 ウルマノフは背後の人物を振り返って続けた。
「元デメテル社の主任設計者のラベルさんだ」
 ムハマドの職務経験は、火星時間で僅か1年にしかならないが、小型船の製造に関わる者としてラベルの名は聞き知っていた。N&B社のスピカと並び賞される、デメテル社の小型機プロメテウスの主任設計者で、様々な面で今の船体設計にも影響を及ぼしていると言われた。
『宇宙船プロメテウスを作り上げた人々』という書籍があった。名機とたたえられたプロメテウスの開発に携わった人々のエピソードを、一般の人にも分かるように分かりやすく描いた書籍で、若い頃のラベルについて触れられている。イマムラも、この業界に勤める者として、教養程度に読んでいた。その書籍の中の人物が、自分の目の前で呼吸している。
 その書籍よれば、ラベルと言う男は、気性の激しい男だったという。意に添わなければ部下や同僚に暴言を吐き、手近な物を投げつけるという激しさだったらしい。ただし、剛速球だがそのコントロールは悪く、周りの者が迷惑をしたと聞いていた。
  ただ、古典的な人物とも言える。ムハマドが知っている主任設計者ラベルの顔立ちは、彼が若い頃のもので、今は別人のようで、彼の表情から過去の激しさを感じ取ることが出来ない。この男も歳と共に惚けてしまったのだろうか。彼の年齢はまもなく地球時間で80歳に達するはずだ。そのラベルは黙ったまま笑顔を浮かべて席に着いた。
 メンバーはラベルの経歴への驚きと共に首を傾げざるを得ない。宇宙船開発というのは、常に時代の最新の技術が盛り込まれる。同時に、体力と好奇心に満ちた創造性が要求される。彼がデメテル社を退職し、現役を退いてからの期間を考えれば、その空白の期間を埋めることが出来るかどうか疑問なのである。
「ご老体か?」
 普段は温厚なドノバンが、この地球市民に対して嫌悪感を示した。ドノバンばかりではない。多かれ少なかれ、地球市民というのは自分たちの理解者ではないだろうと言う嫌悪感や、あきらめに近い感覚がある。
 冷静で自信家の設計課のキム課長に言わせれば
『名馬も、引退時期を誤ればロバに等しい』
 などと酷評するだろうとウォルヒは思った。ラベルという男が、彼女たち火星市民を小馬鹿にして、昔の技術がそのまま通用すると考えているのかもしれないとも思うのである。ラベルの経歴に率直に敬意は払うが、新しい技術的な知識では自分たちの方が、博識なのではないか、それがメンバーの率直な感想である。
 メンバーの雰囲気をよそに、会議の進行はウルマノフらしい。
「ややこしい話がしたい訳じゃない。我々が扱っているスピカが旧式化して、新型船の売り込みを図る競合メーカーに対抗できない」
 もちろん反対意見はない。船体の改良にあたって、船体にかかる荷重は増大し続ける。その荷重を支える強度を持った素材を提供するのが、ムハマドがいた材料研究課の仕事だが、強度だけを増して重量は軽い、そんな都合の良い素材が、そうそう世の中のある訳ではない。ムハマドはその問題を身にしみて知っていたし、その作業を要求する上司を密かに罵ってもいたのである。シュミレーションセンターで、環境維持システムに関わる計算を担当していたドノバンは、探査機や情報処理システムを扱うシンたち電子技術課と、限られた電力を奪い合っていた。互いの電力を確保するために、発電システムを増設しろと言う要求は、船体全体を取りまとめるウォルヒがいた設計課にとって受け入れられる要求ではない。船体をまとめて行くために、不用意な重量の増大は認めることが出来ない問題だった。FW201は名機という名にふさわしい船体だが、その老朽化が様々に形を変えて顕在化してきており、この部屋に集まったメンバーは日々の作業の中でそれを肌で感じているのである。
 ウルマノフは続けた。
「第二。N&B社が小型機のサービスセンターを構築した。彼らは自分で船体の改造やメンテナンスを行うつもりだ。従来、我々が請け負っていたメンテナンスの作業も受託できなくなる」
 この言葉にも全く異論はない。N&B社の動向については繰り返し報道されいるし、実際にそのサービスセンターの巨大さを見る機会もある。その世の中の経済的な趨勢以前に、生活を脅かされ、自分たちが解雇されるのではないかと、漠然とした不安を抱き続けてもいるのである。ウルマノフはメンバーの顔を見回した。表情からはさまざまな思惑が読みとれるのだが、ここに集う者たちはネヤガワ工業という共通の生活基盤を通して不安を抱いている。この連中に足りないものは、共通の前向きな目標だと、ウルマノフは思った、
「第三。しかし、我々は生き延びる。君たちがN&B社の新型機に匹敵する国産機を開発するからだ。バレ。ウィリアムス。君たちが開発した船体で、」
 ウルマノフはバレとウィリアムスを見ながら続けた。
「我が社の売り上げは増大。君たちは失業から、私は倒産から逃れられるんだ。ありがとう。君たちがこれから頑張るおかげだ」
 バレとウィリアムスは顔を見合わせて迷惑そうな表情をした。
「どうだ、極めて単純で明快な理屈だろう。そしてイマムラ君、君がここの責任者だ」
 やっと、イマムラは内心の疑問や不満を口にした。
「しかし、社長もご存じの通り、私は営業部員で、技術的なことには、」
「ラベルさんが、君の技術的な支援をする」
 ウルマノフはイマムラに最後までしゃべらせず、そんな言葉でイマムラの不満を封じた。
「技術者なんて連中は信用できん」
 ラベルがウルマノフの言葉をそう補った。ウルマノフの若い頃からの口癖だということを知っていた。ウルマノフはメンバーの顔をぐるりと見回した後、イマムラに向き直って言った。
「そう言うことだ。イマムラ君、この連中の言い訳は聞かないでも宜しい。顧客の要求を全てこいつらに押しつけて解決させろ」
 この後、ぐるりと部屋を見回した。
「給料分は働け。後は新型船が出来上がったという報告だけくれればいい」
 これもウルマノフの口癖である。ウルマノフは一方的にまくし立てると部屋を去った。このあっさりしした姿の消し方もウルマノフらしい。イマムラはラベルに視線を向けた。彼の不安を的確に探るようにラベルが言った。
「私が君の領分に踏み込みそうで不満かね」
「いえ。そう言うわけでは」
「役割分担をはっきりさせておこう。新型船を創るのは君たちの責任だ。君たち火星市民の手で新たな船を作り上げる。私の仕事は君たちを創り上げることだ」
 君たちを作り上げる。イマムラにはそのラベルの言葉がよく飲み込めず、技術者という者はこういう訳の分からない言い回しを使う者かと思っただけだ。
「しかし、」と、ラベルは人の良い笑顔をムハマドに向けた。
「我々だけがえらいと思わない方が良いな。進歩が無くなる」
 出勤途上のムハマドの顔を覚えていたらしい。
 メンバーはそんなラベルを眺めて黙りこくって首を傾げた。彼らがラベルに質問したいと思いつつ、心に秘めてしまった疑問は、
(こんな高名な男が何故、わざわざ火星まで。しかも、ただの中小企業にやってきたのだろう)という事実である。
 彼ら自身が、火星という地方が、地球という中心部に対して文化や技術の後れた田舎に過ぎないという、表に出ない劣等感を抱いているのである。
 

ラベル教室

 未だ姿を見せない船だが、既に『MSB─X』というコードネームが割り当てられていた。メーカーが計画中の船につける略称である。イマムラは昔の刑務所を連想した。人間としての名前ではなく、囚人を番号や記号で識別したという話である。たしかに、事務的な冷たさがある。
 『MSB─X』の頭文字の「M」が、未だ類のない火星おける開発を現している。続く「S」が汎用小型船である事を意味し、3文字目の「B」は、ニシダ社長の時代に失敗した「MSA」に続く船体である事を示していた。この後開発する船体はMSCと称される。そして、末尾の「X」は、開発中の船体であることを示唆しているのである。
 このコードネームによって、彼らの夢は、過去から現在、そして、MSC、MSDと称されるはずの後継船によって、未来に続いているはずだった。現在のところ、部屋に集合した仲間たちの前にある新型船は、ただ、このルールを持った名前だけなのである。しかし、彼らの雰囲気は楽天的で明るい。何しろ、自分たちは全く素人というわけではないという自負がある。ネヤガワ工業はライセンス生産とはいえ、既に十数年の小型船製造の実績を持っており、集まったメンバーの顔ぶれは、例えば、ドノバンの場合は入社以来火星時間で6年間、地球時間で言えば12年に当たる。ウォルヒの場合でも5年間の経験を持っており、新人から中堅技術者に育ちつつある連中である。
 何とかなるだろう、という楽観的な観測と、宇宙船の自主開発というプライドをくすぐられるテーマが入り交じって、部屋の中の雰囲気を支配している。その雰囲気が無ければ、この部屋は薄汚れていて覇気がない。
 研究棟の一番奥、倉庫代わりに使われていた部屋である。メンバーの顔が皆、薄汚れているのは、その大掃除を終えたところだからだった。ドノバンが腰を下ろしているのは、原材料の強度を測定するための古い試験器機である、その高さが妙にドノバンの体格に合い、この後、彼の椅子と化した。別にこの部署が虐げられているというわけではない。ネヤガワ工業にとってこれ以上新型機開発に、投資する余裕がない。彼らは新型機開発を、与えられた部屋の不要物を運び出して、椅子やテーブルや量子コンピューターの端末を運び込む、そこから始めなければならなかった。アーシャ・バレなどは、彼女の美しい髪を埃まみれにさせていて、既に、新たな仕事に不満を浮かべているのである。
 彼らは清掃を終えて再び集った。MSB─Xという新たな船の具体的な口火は、アーシャ・バレが切ったといえるかもしれない。
「当然、スピカの性能を上回る事よね」
 バレの言葉を待つまでもなく、在来船のスピカに代えて販売するのだから、スピカと同等の性能では不十分だ。彼らの新造船、MSB-Xは地球のメーカーの製品ではなく、火星で設計製造されたものになると言うこと、製造するのが大手企業ではなくて、中小企業で製造したと言うことなど、その信頼性に、現段階で既に大きなハンディを背負っているのである。少なくともN&B社の新型船と同等の性能でなければ、顧客から興味すら示してもらえないだろう。
「居住空間にはもっと余裕が欲しいな。搭乗員が長時間疲れないような配慮が必要だ」と、ドノバンが言う。
 彼の知識は幅広い。昨日まではシュミレーションセンターに所属していたが、技術部内を転々と異動して操縦・生命維持に関する技術にも長く携わっている。ガーヤンも希望を述べた。
「航続時間にも余裕が欲しいな。今のスピカでは、任務に制限を受けるから」
 保安局の機動隊員や危機管理部のレスキューチームの任務が複雑化して、1回の出動当たりの推進剤の使用量が増加し、そのまま、彼らが使用する船体の航続時間の減少を招いていた。内装設計課出身のガーヤンは、船体の航続時間についてその改善を求められていたのかもしれない。
「エンジンの出力も大事よね。今よりも、もっと加速性を要求されるはずだわ」
 PM技術課から来たというウィリアムスがそう言った。
「頑丈で、故障せず、壊れにくいこと、生存性も大事だよ」
 品質保証部品質企画課から来たというアサハリの言葉である。
「電子機器も忘れないでくれよ。最近、ユーザーからレーダー1つとっても目標探知だけじゃ無くて、衝突防止や緩衝装置、速度制御まで嫌になるくらい多目的になって大型化してるんだ」
 電子技術課からやってきたシンはそう言った。設計課から来たウォルヒも夢を語った
「大幅な自動化を推し進めて、搭乗者の負担を軽減したいわね」
 ラベルは、彼らの意見を黙って見守るように聞いていた。会話の中から彼らの力量を推し量る感じ、別の見方をすれば幼稚園児の夢を微笑ましく見守ってやる保父の感じだ。イマムラは正直なところ、愕然とせざるを得ない。技術的な素養ではたしかに素人だが、長年、顧客に接した経験から言えば、専門家だと信じていた部下の会話は素人に近いのである。新型機の姿が夢の中に朦朧としていて、具体的な姿が全く見えない。発言をもっと具体化しろと指示しようとしたイマムラをラベルは制止した。部下にもっと発言させろと言うのだろうか?
「もしも、火星市民の手で宇宙船の自主開発が出来たら、俺達は英雄じゃん」
「解雇や倒産の心配もなくなるのよ」
「N&B社の鼻をあかしてやる」
 たった十数分の間に彼らは意見を尽くしてしまったらしい。頭の中が空っぽになって、全く関係のない話題に変わりつつある。彼らの新型船に関する思い入れというのは、たった十数分で尽きてしまった。
「でも、良いものが作りたいわ」
 ウォルヒが胸の底に最後に残った言葉を吐いた。
「そうだ、良いものを作ろう。君たちの手で新たな船を開発するんだ」
 ラベルはそう言い、メンバーの顔を見回してドノバンに目を止めた。温厚そうな顔立ちにラベルに対する不信感を現している。
「ドノバン。なぜ、N&B社は火星に進出するんだ」
「今後の小惑星開発の進展と共に、汎用小型船の用途と、その市場が拡大しているからです」
「そうだね。小型船を作れば、あの巨大な工場設備の原価消却が出来るほど儲かるんだ。N&B社は火星に進出すると言うことを通じて、我々にそれを教えてくれているわけだ」
 ラベルはウォルヒに目を移した。
「ウォルヒ。宇宙船は宇宙空間で造る方が便利じゃないか?」
「工場の建設費を比べれば、宇宙空間に宇宙船の製造工場を造るよりも、地上に建設する方が遥かに安上がりです。デメリットとして、地上の工場で製造した船体は、宇宙空間へ運ぶための運搬コストがかかります。一概には言えませんが、一般にアスクレウス港の打ち上げ能力を考慮すると、19火星トン程度の小型船なら地表の工場で製造し、宇宙空間に運ぶ方が有利だと考えられます。もちろん大型艦の場合は、最初から衛星軌道上のドックで建造する方が有利です」
「そうだ。自分たちの力量を客観的に見ることも必要だね」
 ラベルはバレに目を移した。
「バレ。我々の設備を具体的に説明して?」
「主として4つの製造ラインからなります。この第一製造ラインは解装ラインとも言われます」
 バレの言葉にあわせて、彼女の思考ロボットが、解装ラインを白い壁面に映しだした。現在、顧客からオーバーホールに回されてきた船体が2隻あり、一方は外観のチェックを受けており、もう一方はモジュール毎に解体が始まって宇宙船の原型が崩れつつある。バレは説明を続けた。
「このラインはユーザーからオーバーホールに回されてきた船体をチェックし解体する機能を持っています」
 思考ロボットは彼女の次の説明を予測して、映像を切り換えた。映像にあわせてバレの説明が続く。ひょっとしたら、思考ロボットが説明の主導権を持っているのかもしれない。
「この映像の第二製造ラインは加工ラインとも呼ばれています。主として、オーバーホールを行う船体の損壊部分を修理したり、改造のための部品を製造します。次の映像の第三製造ラインは先のラインで解体整備したモジュールを組み立てたり、新たに販売する船体を製造したりしています」
 映像で映しだされる工場のラインに余裕はなさそうだ。しかし、その作業は破損した船体の修理や、過去に販売した船体の能力向上を狙った改造などが大半を占めて、企業の利益に繋がる新しい船体の製造はほとんど見られない。最盛期には2週間に1隻の割で製造されていたスピカも、現在は、顧客で耐用年数を越えた船体の補充の為に購入されるものが、僅かに製造されるだけで、製造工場のはずだったネヤガワ工業の業務は、利益を生まない船体のメンテナンスに移行しつつある。過去に販売したスピカが老朽化している。その為に、能力向上のための改造という需要が生じていて、工場は目が回るほど忙しいのである。つまり、仕事は忙しいにも関わらず、企業の業績は思わしくないと言う、経営者にとって最も好ましくない状況に陥っているのである。
 更に、バレの思考ロボットは映像を切り換えて塗装中の船体を映しだした。
「この映像が最後の仕上げラインです。船体の塗装や搭載した機器の最終調整を行います」
 ラベルは黙ってバレの説明を聞いていた。説明を終えたバレがラベルをうかがう様子は、先生の採点をどきどきしながら待っている生徒のようだ。
「今度は、一言で説明してくれないか?」
 ラベルの言葉にバレはやや口ごもって応えた。
「小型船の製造や整備をします」
「そうだ、小型船を作り整備するという『設備』がある。忘れてはならないのが、その設備を動かす人々のことだ。設備と人を総合してみれば、私たちは小型船を製造し、整備するという『能力』を持っている。だから、その市場が拡大するという点を合わせて考えれば、汎用小型船の開発に挑む方針に間違いはないね」
 ラベルはバレの横のウィリアムスに目を移した。
「ウィリアムス。今、ライセンス生産しているスピカの用途は何?」
「主として保安局の機動隊や危機管理部のパトロール艇として使われています」
「ただのパトロール艇なら無人機で充分だ。何故、人を乗せて航行するんだい」
「レスキューの場合、訓練を受けた人間が現場指揮を取ることが必要です」
「そうだ。事故の第一報でレスキューの連中を乗せたパトロール艇が飛び出して行く。司令室は事故現場から状況報告を受けながら、必要な救援物資を高加速の無人機で送るんだ」
 アサハリがウィリアムスを補った。
「犯罪捜査の場合は、現場に警官を立ち会わせる必要があります」
「そうだ、我々の小型機は、常に人が動かすんだ」
ラベルはメンバーの会議の当初の発言内容をはっきりと記憶していた。
「航続時間? ガーヤン、君の言うとおり、大事な性能だな。一回の補給や整備で地球まで行けたらさぞかし便利だろうね」
 ガーヤンはラベルの言葉に頷いて自分の意見を認められた嬉しさを拳を振って現した。
「加速性? ウィリアムス、君の言うことも正しい。保安部や危機管理部で機動艇に乗る連中なら、もっと出力の大きなエンジンが欲しいと言うだろうね。パトロール艇なら、急激に加速し、急激に減速することが必要だ」
 ラベルは用意されていたスピカの模型を手にして微妙に動かして見せた。
「操縦性。操縦者の微妙な手の感覚を船体に伝え、船体の状況を、素早く操縦者に伝えなければならない。操縦者と船体を優しくリンクするんだ」
 ラベルは優しくメンバーを見回して語った。言葉は穏やかだが、具体的な事例でメンバーは彼の話に引き込まれている。
「居住性。ドノバン、君の言うとおりだ。乗っていて、身動きできないほど狭かったり、寒かったり、息苦しかったりするのは嫌だね」
 ラベルは寒そうなジェスチャーをした。メンバーもつられて素直に笑った。
「信頼性。整備のしやすさがね、その船体の信頼性を支えるんだ」
 彼はスピカの模型を押しつぶす真似をして言葉を続けた。
「安全性。任務を考えれば、多少の無理な操縦をする。その無理な操縦に充分に耐えうる事が必要だ」
 ラベルは、一拍、間をおいてメンバーを見回した。
「バレ。君の言うとおりだ、スピカの性能を上回る必要がある。どうすればいい?」
「矛盾が生じます。航続時間を延長しようとして推進剤を多量に積んだり、安全性を考えて頑丈な構造にすれば船体が重くなって加速しにくくなります」
 ウィリアムスが言葉を継いだ。
「逆に加速性を向上させるためには、推進剤の搭載量や船体の重量を制限し無ければなりません」
 当然に生じる矛盾である。ラベルはそれには触れずにメンバーの言葉に頷いて続けた。
「高速機動隊でスピカに乗っている連中は何を求めているだろう?危機管理部のレスキューの連中にとって、何が一番大事だろう?」
 ラベルと視線が合ったウォルヒが答えた。
「まず、出来るだけ早く現場に着くことです」
「そうだね。どんなに優れた性能を持っていたとしても、事故が起きた現場に間に合わなければ意味がない」
 シンが不満そうに尋ねた。
「加速性だけを優先させれば良いんですか?」
「輸送船なら、ゆっくりと長時間加速するのが都合がいい。私たちの船は短時間でも高出力の出るエンジンを選定して、加速性と機動性を確保する。その代わりに推進剤タンクは小さくして重量を軽減しなければいけないね」
 自分たちの矛盾に具体的な解決策を提示できずに黙り込む連中を眺め回しながらラベルは言葉を続けた。
「人生と一緒だ。何もかも出来る訳じゃない、何をなすべきかということだ。限界があるから面白い」
 要するに、メンバーは夢を現実化する方法を知らない素人だった。ラベルはメンバーとの会話の中に自分の思考を溶け込ませてメンバーの心に伝えた。
「どうだい。私たちの新型機の概略が頭の中に描けたかい?」
 数時間後にラベルがそう聞いた時に、壁際のスクリーンには非常にアバウトだが、彼らの新型機MSB-Xの要求項目が明示されていた。

『複座型の機動艇』
『加速性能、競合メーカーの予測される新型機の加速性能を10%上回ること。』
『航続時間はスピカと同等。』
『機動性。YPRコントロール0.6秒以下。』
『居住・操縦モジュールは自己修復機能を有すること。』

 ラベルは様々な要求項目を調整し、更に彼らの力量を加味して、彼ら自身に大まかな概略を作らせたのである。ラベルは若者達の意志と意見を、穏やかな雰囲気のうちにまとめ上げてしまった。数十年の時間が、この男に温厚さを与えたらしい。そして、ラベルは彼らに欠けているものを付け加えた。
「ムハマド。新造船を1隻いくらで売るつもりだ?」
 ムハマドは馬鹿な質問をするという風に大げさに怪訝な顔をした。
「船体を製造するのに要した費用に、適正な利益を上乗せして販売価格を決めます」
(42点)
 ぎりぎり合格点を与えておこうかとラベルは胸の内で甘めに採点した。
「私たちは製品を顧客に買ってもらって生活してるんだ。次にアサハリ、正直に答えてくれよ。N&B社の新型機の価格が100万OSA、ネヤガワ工業の新型機が120万OSA。どちらも性能は同じ。君はどちらを購入する?」
「N&B社の製品です」
「ウィリアムス、君なら?」
「同じです。N&B社を選びます」
「何故?」
「価格と信頼性」
「そうだ。船体の選定は性能と同じく、値段と、メーカーに対する信頼感が影響する。次にウォルヒに質問しよう。地球で製造したスピカと火星で製造したスピカ。火星に住んでいる君はどちらを選ぶ?」
「火星で製造した船体を選びます」
「郷土愛? それとも愛社精神で?」
「いえ。私たちが作ったスピカなら、製造や整備履歴が分かります。この火星で確実なメンテナンスを受けることが出来ます」
「そうだ。君たちは、君たちの新造船にそう言う付加価値を付け加えることが出来る」
 イマムラはラベルの指摘は正鵠を射ていると思った。部下の会話にはコスト意識がない。利益を生み出さなければ、彼らの生活が成り立たないと言うごく単純な理屈なのである。
 ラベルは端末を使ってスクリーンに人の似顔絵を描いた。イマムラの似顔絵だとはっきり分かるほど上手い。
「営業の連中はね。新型機の価格はスピカと同等に抑えろと主張するだろうね」
 ラベルはウルマノフの似顔絵を描き加えた。
「そして、経営者の連中は、その低く抑えた販売価格の中から、ネヤガワ工業の利益を生み出せと主張するんだ」
(まだ、細かなことは分からなくても良い)
 ラベルはそう考えている。しかし、彼らを技術的な形式の中に閉じこもらせてはいけないとも考えている。
「最高級のモジュールを、納得行くまで手間暇掛けて組み上げることは、誰でもやってみたいと思うんだが、そんなことをすれば、船体の価格はユーザーに納得してもらえる範囲を超えるだろう。いいものを造りたい、しかし、そこにコストとの矛盾も生じるんだ」
 イマムラが見回したところ、メンバーは皆、黙ってやや首を傾げて聞いている。たぶん、もとの職場でこういう話を聞く機会は無かったのだろう。ラベルは言葉を続けている。
「生じた矛盾をユーザーや会社に転嫁してはいけない。プライドがあるのなら君たちが背負って行くんだ」
 イマムラにも経験がある。技術部が提示した改造費用が法外な額で、彼ら営業部員は顧客に改造の見積書を提出することもできない。そういう事が多々ある。顧客を説得する前に社内で説得しなければならないのである。技術者達は原材料費、加工費、雑費、諸々の費用を単純に足し算しておけばいいと考えているのではないかと不満を抱えていたのである。
「君たちは上手いモノを作るコックかね。それともサービスを提供する熟練したウェイターだろうか?どちらにしても、プライドを持って仕事をしたいね。客に高くて不味いものを喰わせるような商売人になるなよ」
 イマムラはため息をつきたくなる思いだ。会議にまとまりがついたからだ。ラベルのおかげとも言える。しかし、イマムラの認識も甘い。ラベルはイマムラに言った。
「さあ、始めようか?」
  この程度の概略は、未だ設計に踏み込んだとも言えないというのである。そのラベルの人の良さそうな笑顔と裏腹に、イマムラを含めて、メンバーの苦労はここから始まってゆくのである。
 この後、『ラベル教室』とか『ラベル学校』とも呼ばれる技術開発課がスタートしたのである。
 


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