目次
もくじ
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原色宇宙人大図鑑
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祝辞
先生からの祝辞イラスト その1
先生からの祝辞イラスト その2
先生からの祝辞イラスト その3
先生からの祝辞イラスト その4
先生からの祝辞イラスト その5
先生からの祝辞イラスト その6
「未来アイテム研究所」大友そーりん
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「未来は既に腐っている」 諸星ゆびわ
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「 宇宙についての6つの物語」 松田リアル
「宇宙についての6つの物語」
1<ふたご座流星群>
2<不穏色の空>
3<夕暮れの流れ星>
4<流線型アリス>
5<夏の椿>
6<宵待月>
「美女」画ギャラリー Mono-Chrome 氷魔
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スタッフ募集
めさき出版スタッフ募集のお知らせ
第四回新脈文芸賞
トビラ
「恋人」夢沢怪奇
「恋人」の選評
「黒い葬式」北橋勇輝
「黒い葬式」の選評
「魔女の森」松田リアル
「魔女の森」の選評
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「知らぬが仏、知ったが仏 」の選評
「猫の檀家さん」小島パブロン
「猫の檀家さん」の選評
「時をかける脱衣」遠藤玄三
「時をかける脱衣」の選評
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めさき文庫、第一弾「二十五度サマー」遠藤玄三
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「猫の檀家さん」の選評

大友宗麟 

 和やかな昔語り……なんて、優しい文字運びに騙されてはいけない。
 のんびりとした山村に、見たもの、感じたもが価値観の全てを物語る、閉ざされたムラ社会の闇を見ることになる。
 物語は救い処のない、蓋の開け放れた井の中のような暗い独居感がするが、バランスに優れた軽妙な文章のおかげで滅入ることなく読むことができた。
 「死んだらおしまい」とは、人間の形成具合により受け取られ方が異なるだろう。「死んだらおしまい」だから生きていても仕方ないのだ。「死んだらおしまい」なればこそ今を懸命に生きねばならないのだ。
 それを図る尺度の一つに、猫の存在がある。猫が自分を支える導くもの、客体としてあるのか、果たして自身そのもの、主体であるのか。時を経て、立ち位置は変わるだろう。自らの生きる灯台と、物語は道を照らしているのだ。

モチヲ

「『童話からの逸脱』を評価」

 彼も北橋氏同様、前回の本賞受賞者であり、二回目の受賞である。
 前回の選評にも書いたが、彼とは旧知の仲であり、彼の素晴らしい部分もダメな部分もよく知っていると自負しているのだが、これを読んだとき、「何とまあ彼らしい」と思った。
 私が彼から直接聞くところによると、彼がこれを書いたきっかけは、「知り合いの国語嫌いの小学生に、国語の面白さを伝えるために書いた」とのことで、前回受賞作に先駆けて書いたものであると言える。そして、子どもに読ませるために昔話や童話の体をとった作品を書いたのであろう。
 つまり彼にとって、童話的な作品はこれが最初であるわけで、私はこれを聞いたとき「彼に子どもに読ませる童話など書けるのか」と不安に思ったが、その嫌な予感は的中で、読んでみるとやはり書けていないようである。これは童話の体をとっているが、童話の概念や規則から逸脱しているのである。……これが彼らしいところだと私は思うのである。
 彼は以前から「(小説は)ダメ人間について書きたい」と言っていた。彼は町田康とか好きなのだが、「(町田氏の作品のように)ダメ人間が生きていって、とどのつまりどうなるのかを書きたい」と言っていた。それは「自分がダメ人間である」というコンプレックスに端を発しているようだが、その辺の事情は措いておいて、この作品を見ると、主人公の住職に、彼のダメ人間観が反映されていると言えなくもない(それが意図するものか、偶然かはわからないが)。だから、彼らしい作品になったのだろう。
 結論から言うと、この物語は、ただ住職が、自分の中にあるニヒリスティックで後ろ向きな人生観を、どんな出来事に応じても変えることなく、愚直に守り切った。ただそれだけの話である。ドラマティックに何か進んでいるように見えて、住職自身は何も変わることなく、やっぱりダメな破戒僧として一生を終えたのである。
 猫との出会いは、本当は住職の人生においては勿怪の幸いだったのである。しかし、その経験とチャンスを活かしきることなく、またそれに影響されて人生観を変えるでもなく、「ダメなもんはダメ」「死んだらおしまい」と頑なに言い続け、一生を終えたのである。愚直、不器用と言えば言葉はいいが、酒に身をやつす破戒僧なわけだから、結局は、堕落というのが正しい。住職は、その堕落から這い上がることができなかったのだ。
 彼は受賞以前に、この作品を自分のホームページ上でアップしているのだが、その際読者から「この住職はこの猫から何を得たのか」という感想の弁をもらっている。彼に代わって私がこれに回答するなら、この住職は、この猫どころか、全ての人生経験から何も得なかったし、ただ若き日の挫折を慢性病のようにこじらせてそのまま終わった、つまらない男だ、だから何も得ていない、ということになるだろう。
 これを、人間の業(カルマ)などともっともらしい理屈をつけて評論することもできるが、彼が、想定内か想定外かは知らないが、この作品で自分の考えるふさわしいダメ人間を表現してしまったことこそがここでは注目すべき点なのである。
 よくまあ、こんな「不健康な内容」の話を子どもに読ませようとしたものである。童話とは、良くも悪くも、ある種の教条や教説を持つ。しかし、その肝心の童話のアイデンティティーに欠けている。こんな話では、読んだ子どもは何も学ぶことはないし、こんな住職のような人間を学ばれても困るというものだ。
 何かぼろくそ言ってしまったが、これは、彼と私の知らざる仲の成せることとして、お許しいただきたいが、最後にもう少し皮肉を加えるとすれば、こんな童話まがいのものを「童話です」と言い切る(彼のホームページ上などで言っている)彼の図太さだけは評価したいものである。こんな童話から逸脱した童話は、彼の描写する「ダメ人間」に比肩する「ポンコツ童話」であると言わざるを得ない。これもまた小川未明などと同様の「童話」であると彼は嘯くのだろうか。


佐藤家清

 まず文章がうまい。基礎がしっかりしていて話運びもうまいので、落語や、子ども向けの童話を連想して読んでいると、最後に民衆の狂気、住職の狂気にしてやられる。とんでもない怪奇小説。
 「猫の恩返し」と「重い病気にかかった庄屋の娘」と来たら、本来は婚姻譚の方向に向かいそうなものだが、庄屋の娘がそのまま死んでしまう時点で、「おや?」とは思ったけど、ここまでの変化球はなかなか想像つかない。
 民話としての世界観がしっかりしてるから、魔法的なものがでてきても違和感がないし、昔話のパロディとしても秀逸な作品になっているが、パロディなんて言葉で終わらせない作者の迫力を感じさせる。
 また神や仏はいないし、化け猫がいたとしても、しょせんは化け猫のやることでしかない世界観のドライさというのが一周して心地よさすらあるのが、この作品が「物語」として優れている証拠だろう。

「時をかける脱衣」遠藤玄三

「時をかける脱衣」遠藤玄三

 

 

 その歩みは異様にスムーズであったという。

「ありゃあ達人の動きだったね。けンどもあんまり自然だったろ、見逃しちまって」

 そしてその場の誰もが異常だと認識できぬまま、

「足をこう――軽く動かしただけ、みたいな感じで」

 それだけで飯坂雄大(21)の身体は気付けば宙に浮いていたという。

 当人がそれを認識する前に、やや小柄といえる体躯の男は飯坂のものである半分湯に浸かったタオルを拾うと迅雷のごとき一閃、小気味よい音と共に飯坂の身体は吹き飛び、浴場の床を滑った。

 この段に至って温泉に浸かっていた地元住民三名が事態を認識、ひとりが同じ『使い手』として今の行為をやりすぎだと咎めようと男の肩を掴み、次の瞬間には顔に巻きつけられたタオルによって視界を奪われていた。

 生まれた隙を逃さずこめかみへの一撃が意識を刈り取り、膝から崩れるように湯に浸かりなおす渋風儀一(57)を見て、大笠清吉(79)と海道信平(79)は相手の力量を悟ったという。

 とはいえ二人とも戦前生まれ、老骨なれどここで退くは日本男児の名折れなりと闘志を滾らせ、しかし同時にこの状況での最善手を模索していた。

 信じがたいことだが、目の前に立つ男が自分たち二人よりも格上であることは間違いない。生まれてこの方この街に暮らし、数多の使い手を見てきた彼らが知らない顔が、である。

 これはもしや『のぼせた』のだろうか。

 伊達に長く生きてはいない、何度か『のぼせた』奴らは見てきた、しかし目の前で対峙する経験は――――流石に初めてだ。素人の自分らが下手を打てば死ぬかもしれない。どうするか。

 高まる緊張の中、七十年来の親友はほぼ同時に答えを見つけ出す。撤退戦だ。

 二人で攻撃を受け止めつつ隙を見て片方が身体を拭いて、扉の前で倒れる若者を踏み越え、脱衣場まで逃げ切って助けを呼ぶ。それしかない。

 この戦術を取れば片方が犠牲になるのは見えている。しかし躊躇する時間はなく目と目で合図するが早いか阿吽の呼吸、タオルを首にかけると二人はとても喜寿を過ぎたとは思えぬ身のこなしで湯から飛び出るや否や、着地したときの足元の滑りを利用して置いてあるかけ湯用の桶を掴み、逸物を巧みに隠しながら低く構える。

 湯けむり真拳桶の型、『玉壁』の構えであった。

 対して、男は自然体で温泉から上がってくる――――前を隠そうともせずに。

 流派最大の禁忌を侵さんとする男に大笠と海道は驚愕し、しかしそれは更なる驚きに上書きされる。

「なんと……!」

「これは……!」

 予想だにせぬ光景に動揺が走る。見せ付けられた格の違いと立てた戦略が瓦解したことに慄く身体を抑えて、海道は囁いた。

「セイちゃん、逃げろ」

 思わず目をぎょろりと動かして隣の知己を睨む大笠。対して海道は視線を外さず、

「ありゃバケモンだ、隙なんかねぇよ。だったらオレが残ったほうがいいだろ」

 そう言って空いている手を差し出す。長い付き合いゆえにその意味するところを即座に理解した大笠は逡巡の後桶を手渡した。

 海道の構えが変わる。湯けむり真拳桶の型、『双月』の構え。両の手に構えた桶により防御力においては他の追随を許さぬ型であり、桶の型を得意とする海道の最も自信のある型であり、

 そして、両手が塞がる故にタオルを扱うことが不可能になる型でもある。

「十五、いや十秒が限界か。とにかく凌ぐ。後は任せたぜ」

「――――おうよ」

 それだけの言葉を交わして、二人は動き出す。大笠はタオルを固く絞りつつ濡れた床でも滑らぬ湯けむり真拳独特の歩法を最大限に生かして脱衣所へ、海道はまるで自分たちを待つかのように動かなかった、自分よりは若いが十分年寄りといえる男へ。

 数瞬の後、海道の呻き声と共に飛来した桶が自分を追い越していく。それでも振り返らず、タオルを固く絞り身体を素早く拭いていく。

 海道信平が持ちこたえると言ったのなら、持ちこたえぬわけがないのだ。

 ずいぶんと古い記憶が蘇る。そう、あれは確か――――

 

 

「――――ここからは昔の思い出が走馬灯のように蘇るシーンですがどうしますか?」

 古鏃温泉郷、その中でも四番目の老舗、江戸からの由緒正しき温泉であり、三度の改築を行った今は昭和のレトロな雰囲気を色濃く残す『さらき屋』の待合室。

 穴川鈴花(24)はここで語りを止め、隣に座る古鏃市湯あたり課長松憲三(49)にこの先を語るかを問うた。

「あー、いい、いい。それよりちょこちょこあるぼやかされてるシーンね、そこもうちょっと何とかなんなかったの」

「すいません、どうしてもドラマチックになってしまって」

「あー、まあいいよ。その人たちはみんな既に助かってるんだよね?」

「そうですね。脱衣所まで蹴り出されてたそうです。そっちの証言も聞きますか?」

「いやいいよ。えー、横紙さん、お宅の旦那さんですけれども」

 いきなり名前を呼ばれて、二人のやりとりを前にソファーに座って手持ち無沙汰に麦茶を飲んでいた横紙りん(53)はびくりと身体を震わせた。

「どうやら『湯あたり』を起こされましてですね、えー、湯けむり真拳にですね、覚醒なされたようなんですね」

「は、はあ」

「それでですね」

「あの」

 なおも説明を続けようとする松を遮って、横紙が口を開く。

「さっきから出てくる『湯けむり真拳』ってのは一体なんなんでしょうか」

「あー、ご説明いたしますとですね」

 足元の鞄を持ち上げ、『古鏃市役所』というシールの貼られたノートパソコンを取り出す。手早く操作すると横紙に画面を向けた。

「こちらの動画をですね、まずはご覧になっていただければ」

 訳も分からぬまま、横紙はエフェクトの端々に前世紀特有の安っぽさの見える七分ほどの動画をぼんやりと鑑賞する。

 最後に『制作:古鏃市広報課』の文字が表示されたところでノートパソコンは閉じられ、

「えー、今ご覧いただいたようにですね、湯けむり真拳というのはですねー、えー、古くからこの地に伝わる『温泉』での戦闘を前提にした武術なんです」

「はあ」

「VTRにあったとおりですね、えー、小学校なんかでもですね、基礎を教わったりする、この辺では非常に身近な武術なんですけれども」

「はあ」

「なんでこれを学んでるかというとですね、えー、失礼ですが横紙さん、梅こぶ茶が嫌いとかありますか」

「……いえ、ないですけど」

「そうですか、では」

 松がぱちりと指を鳴らす。穴川が露骨に嫌な顔をした。

「えー、横紙さん、その麦茶飲んでいただけますか」

 ぽかんとした表情のまま横紙はコップを口に近づけ、

「え?」

 そこで異変に気付いた。鼻をつく香りが麦茶のそれではない。

「えー、お気づきになられたと思いますが、その麦茶は既に梅こぶ茶にですね、変化してると思います」

 一口啜ってみる。香りだけではない、確かに味も梅こぶ茶。

「実はですね、えー、それは私の超能力によるものなんですね」

 真顔で言い切った。ごく当然のこととして言い切る様に、横紙も何を言い出したかは分からないがかくりと頷くより他にない。

「えー、あまり公にはなっていないんですが、ここら辺の温泉にはですね、えー、何か特殊な成分みたいなのがあるようでして、えー、体質が合う人にはですね、『湯あたり』と言うんですが、超能力が目覚めることがあるんです」

 なおも真顔である。横紙も頷く。頷くより他にない。

「それでですね、まあ初めて超能力に目覚めるわけですからですね、えー、つい暴走してしまう人も出てくるわけです。この辺では『のぼせる』なんて言うんですが、えー、そういった時にですね、最低限身を守れるようにしようというのがですね、湯けむり真拳というわけです」

「…………はあ」

 訳がわからない。

 横紙の顔にははっきりとそう書いてあるが、松はそれをあえて無視した。前任者からの引継ぎ資料によれば、50代を過ぎるとどう説明しても理解度は急激に落ちるらしい。

「それで、主人はどうなるんでしょうか」

「あー、はいー、その件についてですが」

 ちらりと視線をやると、穴川が書類を取り出して口を開く。

「まずご主人様ですが、おそらく湯けむり真拳の素質に開花したのだと思われます。この場合、市の条例でその結果生じた被害及び損害については全て市が負担させていただきます。また、能力の発言からあまり時間が経過していませんので、一旦温泉から離せばクールダウンすると判断し、湯あたり課が対処いたします。つきましては」

 『湯あたり者取扱許諾確認書面』と書かれた書類と、『古鏃市湯あたり者取扱方針』左上をホチキスで留められたちょっとした束が横紙の前に置かれる。

「こちらの書面にのぼせられました方への対処時の市の方針等記されていますのでよくお読みいただきまして、サインいただければ」

 そこまで一息に言って、横紙がまたも呆然としているのを見やりつつ自分のコップに口をつける。よく冷えた梅こぶ茶の味が広がる。顔を顰めるのを辛うじて我慢する。

 狙ったものだけを変えられない課長の能力の無差別性に腹を立てつつ、横紙がよく分からぬままサインをするのを確認して安堵した。

「ありがとうございます」

 素早く回収する。増えすぎた条項のせいで今や改訂をきちんとチェックされないのをいいことに、『とにかくサインしてしまったほうがよさそうだ』という気にさせる為の分厚い書面である。しっかり読まれると結構無茶苦茶書いてあるから困るのだ。

「えー、それではですね、担当者がこちらに向かっておりますので、えー、到着するまでしばらくですね、お待ちください」

 その発言に横紙は少々驚いた顔をして、

「担当者さんは別にいらっしゃるんですか」

「あー、それはですね。旦那さんの湯あたりが不明でしたので、一応最高戦力である私が出向いてきたんですけれども、湯けむり真拳のですね、えー、習得ということでですね、私でなくてもなんとかなるということでですね、さらき屋さんのほうから要請がありましてですね、えー、湯けむり真拳担当の者で対処させていただくことになりまして」

「……最高戦力、ですか」

「恥ずかしながら」

 梅こぶ茶が最高戦力というのは恥ずかしいでは済まないのでは。

 喉まで出かかったその言葉を横紙はなんとか飲み込んだ。頼りなくとも専門家というのだから、きっとどうにかしてくれるだろう。いや、しかし専門家というのは案外――――

(ああ、また回想に引っかかった――)

 面倒なのでそこで『読む』のを中断し、穴川は表情には出さずに苛立つ。

 彼女の湯あたりは『相手の記憶や思考をドラマチックに読む』能力。視界にいる相手であれば誰であろうと即座にその人物の思考や記憶を読み取ることができるが、長所とも短所ともいえるのがその脚色具合である。

 それらは彼女の脳内に文章として、それも盛り上がりを重視した形で再現される。そのため長い回想や不自然にぼかされた記述が時として登場し(どういうわけか、リアルタイムで思考を読み取ってもそうなる)、穴川を悩ませることになる。

 冒頭の件も穴川が大笠の記憶を読んだものであるが、あの後には彼らのエピソードが三篇も収録されている。しかしそれらを書くには余白が足りない。

「すいません、遅くなりまして!」

 まさにその時、である。

 ぺたぺたとスリッパの音を鳴らしながら、一人の男が現れた。全員の視線が彼に集中し、横紙の表情が今度は隠しきれない不安を示した。

 声も動きも若々しく、まだ二十代のフレッシュさを残している。そこまではいい。問題は格好だ。スーツにグラサンに野球帽、胸には『古鏃市湯あたり課 李下 新次郎』の文字。左腕に腕時計、右にはリストバンド。さらに軍手をはめており、明らかにそれと判る付け髭をつけている。だがなぜスリッパの下は裸足なのか。

 社会人として、というか社会的動物として致命的に間違っているその格好を、しかし市職員の二人は平然と受け入れる。「状況は?」「はい、『 その歩みは異様にスムーズであったという。』……」

 再び冒頭から語り始めた穴川の話を、李下は頷きながら聞いていく。その間にと松は横紙の方へ向き直り、

「えー、驚かれたと思いますが、あれはですね、業務上の必要性からあのような格好になっておりまして、何卒ご理解いただければ」

 どんな必要性からだ。

 その言葉を横紙は本当に済んでのところで抑えた。仮にもご迷惑をおかけしているのは自分の亭主であり、こちらはどうこう言える立場にはない。胸のうちで三度唱える。

「外見こそああですが、えー、一応李下はうちの課ではトップの湯けむり真拳の使い手でして、えー、あの年にして師範代なんですね、はい」

「へえ」

 師範代というのはそんなに凄いのだろうか。わからない。

「その上ですね、湯あたりがなかなか強力でして、まあ彼に任せておけば旦那さんにも勝てるでしょう」

「あのう」

「はい」

「えっとですね、その、主人はそんなに強いんでしょうか。普段運動も小さな畑いじりくらいしかしてないんですけれども……」

 最近は下っ腹が出てきたといって烏龍茶しか飲まなくなったというのに。

「強いですね」

 しかし、松は断言した。

「例えばですね、えー、ここに銃を持った兵士が100人攻めてくるとします。旦那さんは難なく勝ちますね」

 全裸の男と兵士が戦って勝つ、そんな夢物語を当然のことのように言う。

「これは冗談でもなんでもなくてですね、えー、湯けむり真拳はそれほどまでに『風呂』での戦闘を想定された流派なんですね。まして旦那さんの場合は『奥義』にまで目覚めていらっしゃるようですし――」

「課長」

 そこで李下に声をかけられて、松はくるりと振り向く。表情だけで言いたいことを察し、「すいません、ちょっと打ち合わせをしてまいりますので」と横紙に断って立ち上がり、部屋の片隅で穴川も含めた三人でなにやら話し合いを始める。

 ひとり残されたりんは、先ほど言われたことを改めて反芻してみる。

(あの人が軍隊と戦って勝てる、ねえ)

 昨日、神社の二百段あるとかいう石段を登るのですら難儀していたというのに。

 そうだ、昨日の今ごろはもう宿にチェックインしていたはずだ。それがどうだろうこの状況は。途中に立ち寄るだけの予定だった温泉のせいで、勤続三十年でもらった休暇での旅行のプランはもうがたがただ。

 自分が出てきたら男湯の方で何やら騒ぎが起きていて、何事かと待合室で牛乳を飲んでいたらそのうちに温泉の人が申し訳ありませんが本日の営業は終了となりまして、と言ってきて、でも主人がまだ上がってないんです、と答えたら顔色を変えられて、それからあれよあれよという間にこうなった。

 今や主人を倒す算段をされていて、しかもそれがあの男である。

(……つまり、あの人も軍隊と戦って勝てる、ってことかしら)

 どう考えても無理な気がする。あの課長さんも「最大戦力」なんて言っていたが梅こぶ茶だし、どこまで本気なのか。いや、そもそもこの状況がどこまで本当なのか。超能力に目覚めたというのがまずおかしいだろう――――

「お待たせしました」

 いきなり声をかけられて肩が少し跳ねる。

 市職員の三人は横紙の前に姿勢を正して座り、

「えー、古鏃市湯あたり条例に基づきまして、再確認させていただきます」

 それまでとは打って変わって流麗な口調で、松が喋りだす。

「これより横紙太助氏の無力化を行わせていただきます。なお、同条例により横紙氏の行動は一切の罪に問われません。また、この件によって発生したあらゆる損害への補償は行政の方で行わせていただきます。以上の条件の下、横紙太助氏の無力化に同意なされますでしょうか」

「は、はい」

 よく分からない圧力に押されて、横紙は即座に同意した。

「「「ありがとうございます」」」

 三人が頭を下げる。そして李下が立ち上がり、

「では行ってきます」

「あー、いけそうか」

「当然です」

 自信に満ちた足取りで、男湯の方へ向かっていく。打ち付けられた両の拳がぼふっ、と鳴った。

 

 

 横紙太助(53)は、扉越しに向けられる気配に即座に気付き、湯船から飛び出した。その瞳はただ好敵手の予感に輝き、理性ではなく多分に本能の影響を受けている。「のぼせて」しまったが故であり、今の彼は己の力を試したい一匹の獣とすら形容しても差し支えはない。

 滑りやすい石の床に音もなく着地すると、扉を真正面から見据える位置に腕を組み仁王立つ。構えるにはまだ早い、相手の姿を見てから、その相手に最も合った構えを取る。さあ扉が開いた、はたして次の相手は――――

 目の前にいた。

 反応する暇もあらばこそ、顎を打ち抜く掌底が横紙の身体を浮かし、そのまま湯船へと落ちていく。普通ならば盛大な水しぶきが上がるところであるが横紙も目覚めたばかりとはいえ達人、空中で姿勢を僅かに変えればその身体は一流の飛び込み選手の如くほとんど飛沫を上げずして温泉へと吸い込まれる。

 さらに水の抵抗を生かして衝撃を吸収、全身を丸めると腰より少し高い程度の湯船の中で一回転、足をつくと立ち上がる。全身に気合を籠めると体表面のお湯がすべて一瞬で湯気と化した。

 改めて敵の姿を視認する、瞬間横紙の中で激しい怒りが湧きあがり、激情のままに湯船を飛び出し強烈な一撃を繰り出そうとする。

「期待通り――」

 喰らえば致命傷は免れぬ一撃に対し、李下新次郎は構えも取らずに満足げに呟くと――――ネクタイを緩めた。

「あなたは最初に若者を攻撃している。その理由は『タオルを湯船につけていたから』」

 そのままするりとネクタイを抜き取り、

「湯けむり真拳を使うタイプの湯あたりは温泉のマナーに厳しくなることが多い。まして自我を失っている状態で今の僕を見れば、必ず怒りに任せた攻撃をしてくると読んでいた」

 放り投げると床に屈む。

 そして、時は動き出した。

 事態を理解するより前に、渾身の一撃を空振った横紙の視界をネクタイが塞ぐ。僅かな動揺を見せながらも着地、そこに床の滑りやすさを利用して威力を増大させた廻し蹴りが背後から来た。咄嗟に防御するも止めきれず、床を滑る。

 位置関係は先ほどと逆転し李下が湯船側、横紙が扉側。立ち上がった横紙は、この日初めて警戒の構えを見せた。

「どうした? かかってこいよ。許せないだろ、風呂に服を着たまま入ってくるなんて、さ」

 李下の見え透いた挑発に顔を歪める。呼応するように湯気が立ち上った。

 湯けむり真拳はその正式な仕合においては裸を原則とし、股間以外を隠すことは認められない。一方で股間を隠しておかなければ反則であるのが湯けむり真拳の奥深いところであるが、それからすれば先ほどと比べればスーツを脱いでいるとはいえ李下の姿は許しがたい行為である。

 もちろん李下とて湯けむり真拳の師範代、そのことを理解していないわけではない。むしろ申し訳ないとすら思っている。

 だがこれは仕事であり、負けられない戦いである。故に、この状態で戦わねばならない。

 古鏃市湯あたり課李下新次郎、課内はおろか市内ですら「戦闘力」ではトップクラスと称される彼の強さの根幹はふたつ。ひとつは湯けむり真拳の腕前、もうひとつはその湯あたり。

 彼は身につけたものを脱ぐたび、二秒時を止められる。

 発動はコントロールできず、脱ぎ始めた時点からカウントは始まり、同じものは一日に一度しか発動の対象にならない。

 奇襲を仕掛けるためにスリッパと腕時計とスーツの上で六秒、さらに今ネクタイで二秒。それでもなお彼には二十秒近い猶予がある。

 そこから発生する絶対的な後の先によるカウンターこそ彼の真骨頂であり、湯あたりによって常人のはるか高みに上り詰めた男を相手にしてなおも挑発を仕掛ける余裕が彼にはあった。

 横紙もそれを直感的に理解したのか動こうとしない、だがそれならば攻撃に転じればよいだけだ。じりじりと距離を詰めていく。いかな達人でも時を止めての攻撃は避けるも防ぐも――――

 違和感。

 咄嗟に一歩下がる、次の瞬間さっきまで顎があった位置を鋭い拳が刺し貫いた。その事実を理解するや否や、大きく飛び退いて壁際の洗い場付近で壁を背にして構え、ワイシャツの袖で鏡の曇りを拭き払う。

 しかし、その曇りは二秒と経たずに元通り、いやそれ以上になっていく。

「参ったな……」

 ぼそりと呟く。垣間見えた湯けむり真拳の深淵に、新陳代謝によるものではない汗が背筋を伝った。

 ――――湯けむり真拳とはひとりの天才が創設した流派である。

 それ以前も湯けむり真拳に似たような技術に目覚める湯あたりはいた。しかし彼は別格であり、とりわけ個人のものであった技を一般人にも使えるものに昇華させ継承できるようにした功績は大きい。

 しかし、その中でもひとつだけ伝承が不可能とされた技が存在した。たとえ湯あたりによって湯けむり真拳に目覚めたものであっても殆どは真似できず、開祖を含めても三人しか使えるもののいない湯けむり真拳の『奥義』。

 李下は今、歴史に刻まれるであろう四人目のそれ――――湯気の操作による攻撃を受けていた。

 視界を遮り、距離感を曖昧にし、これ以上ない股間のモザイクにもなる。湯けむり真拳において、湯気のもたらすアドバンテージはあまりに大きい。もしそれを操作できるのであれば、それは戦場を支配することに他ならないのだ。

 李下が動けずにいる間にも、湯気はその周りに濃く滞留していく。もはや一寸先も見通せぬほどの白い世界において、立場は一気に逆転していた。

 神経を張り詰めていたにも拘らず、真正面から攻撃がやってきた。腹を打ち抜こうとする掌底を済んでのところで首を振り、サングラスを振り飛ばして『止める』。この状態からでは反撃は不可能、ひとまず全力で距離を取る。流石に全体を湯気では覆えまいとできるだけ後退する。案の徐々に視界が開けてきて、

 次の攻撃を防御できたのは、幸運というより他にない。

 正確に右目を狙って飛来する液体、それを手で弾く。軍手に染みこんだ匂い――シャンプーだ。ただのシャンプーも達人が押せばその飛び出す勢いは小石を砕くほどになるというからとんでもない。当たれば右目は死んでいた。

 そこを起点として、湯気に紛れたラッシュが飛んでくる。なんとか弾くが、そこで足が止まり湯気が周りを覆い尽くせばもはや戦いにならず、時を止めては離脱する。

 破り捨てたワイシャツで再び視界を奪おうともしてみたが二番煎じは流石に通じず、じわじわと裸に剥かれていくばかりだ。

 誰の目にも明らかな窮地、しかし李下の目は希望を捨ててはいない。

(ここだ――)

 湯気に隠れて放たれるあまりに鋭い上段の蹴り、それを紙一重で避ければいつの間にか手にされていたタオルによる追撃が飛んでくる。もちろんしっかりと防御して、飛来してくるであろう桶に備える。

 読める。劣勢に追い込まれるまでが長くなっている。

 湯あたりによってどれほどの才を開花させようと、実戦経験は補えない。李下は知っている、「達人が自分の能力にどう対処しようとするか」を。

 彼らの導き出す正解はいつでも回避されることを前提とした隙の少ない攻撃を打ち込み続ける、だ。反撃を貰わぬように、確実に時を止める回数を削ってジリ貧に持ち込む。

 だからそれを利用してやる。当人は気付いていないのだろうが、繰り返すうちに攻撃は単調になっていく。表向きは不利を装いながらパターンを読み、自信満々の一撃にカウンターを合わせて押し切るのがいつもの勝ち筋だ。

 しかし――

(タイミングは掴める、防御もできる、だが)

 湯気がどこまでも邪魔をする。

 そもそも李下がカウンターを用いるのは、そうせねば勝てないからだ。実力で格段に劣ることはなくとも、一発や二発を叩き込んだ程度では有利はつかない。決定的な一撃を打ち込んでやらねばペースは握れないのだ。

 だが自分の足元すら見えぬこの湯気の中ではその「決定的な一撃」が難しい。正確に相手の位置を把握しなくては。

(……一か八か、だな)

 策はある。ここまでの傾向を見るに、十分成功すると信じてはいる。だが、これはしくじれば後はない――――

 その逡巡が反応を鈍らせた。不規則な軌道を描くシャワーヘッドが脛を捉える。痺れるような痛みは足を止めさせるに十分、すかさず連打が襲う。

 迷っている余裕はない。

 付け髭を毟り取り、痛む足を堪えて思い切り跳ぶ。これでついに残すはボクサーパンツのみ。ギリギリの状態で飛び込むは湯船、ほとんど波紋を起こさない見事な着水をするとパンツの濡れないギリギリの深さのお湯の中で構える。

 湯けむり真拳はその性質上湯を利用した技も多数存在する。迂闊に飛び込めば自分の首を絞めるだけであり、それゆえにここまで湯船から出て戦っていたのだが、ここには李下の戦闘スタイルにとって見逃せない利点がひとつある。

 いかなる達人でも、水をまったく揺らさずに湯に入ることや移動することはできない。ほぼ消すことは可能だが、それでも微かな波は起こる。ただ足に伝わる波のみに集中していれば、敵の位置は正確に知ることができるのだ。

 気付けばまた辺りを湯気が包み、桶が幾つか飛んでくるが問題はない。散々練習はした、この程度は難なく弾ける。さあこい、直接対決をしようじゃないか。

 ぱしゃり。

 その誘いに乗るかのように、湯船に降り立つ音がした――ふたつ。

 目の前と背後、正反対の位置に落ちたそれらは全く同じ音、同じ波を伝えてくる。バカな、と思う。ひとつは桶によるフェイクに決まっている、だがこれほどまでに見事に波の大きさを合わせられるものだろうか。

 そこで思考を断ち切った。ここまでの傾向を信じて、背後に攻撃を繰り出す。不意打ちのために背後を取っていると信じて、水の抵抗を低減する特別な蹴りを。

 その足が桶を捉えたとき、李下はその技術と、絶対に前に立っていても気付かれないという湯気の操作への自信に心からの拍手を送った。

 やや不安定な姿勢のまま、強引にボクサーパンツに手をかける。短すぎる二秒の中、片足でなんとか跳躍し空中でパンツを脱ぎつつ目と鼻の先に迫っていたタオルを掴み取る。

 体制を整える時間がなく、目くらましになるよう祈りながら水しぶきを盛大に上げ着水。時が動き出し、湯船に足をついたとき、李下は隠そうともしない動きを察知した。

 それは水中。足の動きによって湯の中に強い流れを生み、水弾を撃ち出す湯けむり真拳の秘法「破滴」。ほぼ垂直といってよい角度で李下の顔面を狙うそれを、

「――――――ありがとう」

 李下は時間を止めて回避した。正真正銘最後の切り札、ボクサーパンツの下、内腿に貼られた絆創膏を剥がして。

 策は実った。あえてパンツ一丁で湯船に飛び込み、「これさえ脱がせればいい」という印象を植え付けた上で攻撃を放たせる。それこそが李下の描いた絵。そして今、横紙は完璧に自らの位置を教えてくれている。

 しかし着水したばかりで体勢はあまりよくない、強烈なカウンターを叩き込めないほどには。

 だから、発想を変えた。

 パンツとタオルを湯に浸からぬよう真上に放り投げつつ、膝を更に曲げて全身を湯に浸ける。湯気は水中には届かない、はっきりと見える横紙の軸足を一歩踏み出し担ぐように持ち上げ前に倒す。そこにあるのは横紙が自ら放った水弾で――――そして時は動き出す。

 零距離から叩きこまれた水弾が、横紙の身体を高く持ち上げた。

 もはや横紙に為す術はない。湯けむり真拳は空中での戦闘を前提にはしていない。そして、落下位置を予測するのはこの湯気の中でも非常に容易い。

 完璧なタイミングの掌底が、横紙の飛ぶ方向を90度変える。石の床を勢いよく滑るその音だけを聞きながら、落ちてくるパンツとタオルを受け止めた。

 いよいよ大詰めだ。勝ってシチューを食べよう。

 腰にタオルを巻きつつ湯船から飛び出せば、湯気を集中させすぎたかクリアな世界の中、脱衣所への扉の前で横紙がふらふらと立ち上がっていた。それでもなお股間にだけは湯気が滞留しているのを見て、李下の目が見開かれる。

「魂だけは守りきるってか」

 二人、視線を合わせてにやりと笑う。誰の合図があるでもなく同時に構えを取り、

「いざ、推して参る」

 風呂場という戦場で出会ったもの同士の、裸の付き合いが始まった。

 この距離ではもはや湯気も意味を為さず一発入れれば一発返される、どちらかが先に限界を迎えるかというだけのどこまでも単純な殴り合い。技術では横紙が確実に勝っている、しかし二度の直撃を受けたその身体は微かに悲鳴をあげ始め、それが技量の差を埋めていた。

 どちらも声ひとつ上げず、ただ笑顔だけが張り付いている。李下の腰に巻かれているタオルはおそらく追加の二秒を提供してくれるはずだが、それを使おうという気は欠片も起こらなかった。

 この勝負を、これ以上濁らせてはいけない。

 そして、双方死力を尽くした攻防の末――――――先に膝をついたのは、李下だった。

 立ち上がろうとするも盛大に笑う膝を見て、覚悟を決める。その前に立つ横紙は、どこか寂しげな表情をしていた。

「早く止めを刺せよ。手遅れになるぜ」

 しかし、横紙は動かない。まるで李下が立ち上がるのを待つかのように立ち尽くしている。

 その姿はさながら楽しい時間が終わるのを恐れる子どものようで、

「――――早くしろ!」

 思わず強く叱りつけてしまう。

 びくりとした横紙は、何かを観念したように一歩踏み出し――――――そのままバランスを崩し、倒れた。

 驚いたような顔で立ち上がろうとするが、全く身体に力が入らない。さっきまでは身体中に力がみなぎっていたのに。

「時間切れ、か」

 どこまでもやるせない声で、李下がつぶやく。大きく息を吸い込むと、梅こぶ茶の風味が肺に広がった。

 仕掛けた時限爆弾は『勝ってシチューを食べよう』がキーワード。脱衣所で待機する穴川がリアルタイムの思考を読み、意図して考えなければ絶対に出ないであろうこのキーワードに反応して松が能力を発動する。

 古鏃温泉にはそれなりに観光客が訪れ、その中には横紙太助のように『のぼせる』ものも珍しくはない。しかし、超能力者となった彼らが地元でトラブルを起こしたという話を聞かないのは何故か?

 答えは簡単だ。湯あたりを安定して使用するには、一年や二年では済まないだけの時間を古鏃の湯に浸かって生きねばならない。『のぼせた』場合でも温泉から離せばおとなしくなるし、単なる観光客では家に着く頃には能力はきれいさっぱり消えてしまうのだ。

 それが「温泉すら問答無用で梅こぶ茶に変える」松が最大戦力たる所以であり、湯を入れ替えねばならない温泉側が彼による事態の収拾を拒んだ理由だ。

 今回はごく狭い範囲の湯気を梅こぶ茶に変えただけだが、それでも力の源を失った横紙は倒れることとなったのだ。

 文句なしの作戦勝ちである。しかし、李下の胸中には快感など欠片もなかった。

 もっと力が欲しい。小細工に頼らずとも相手を圧倒できる力を。

『あー、そういうものですよ、世の中は』

 脱衣所の扉越しに、松の声が聞こえる。わかってる、と呟いて、股間を丸出しにして倒れる男を見る。

 その姿が、なぜかとても格好良く見えた。

 

 

「しまってるのかしまってないのか分かりませんね」

「じゃあその辺カットしてくださいよ!」

 古鏃市役所、湯あたり課のデスク。

 コンピューターに今回の報告書を打ち込んでいた穴川の呟きに、李下が強く反応した。

「いや、報告書なんですからちゃんと最後まで書かないと」

「これほんと恥ずかしいンすからね!? そのくせ過去の事例確認しようとすると回りくどいし!」

「それはこのフォーマットでいいって言ってる課長が悪い」

「……たしかに」

 小声で囁きあうふたりの後ろをそっと松が通り過ぎる。

 穴川が地獄耳の課長による報復の梅こぶ茶を味わうことになるのは、これより二分後である。

 


「時をかける脱衣」の選評


大友宗麟 

 遠藤玄三、あなた疲れてるのよ……私は原稿を受け取るなり、彼の身を案じた。だがそれは杞憂というものだった。
 熱い。おバカなことををくそまじめに描くと、ふだん意識しないオトコノコの血が、こんなにも燃え滾るのか。これぞ人知を超えた、スーパースパだ! スーパー戦闘だ!
 もはや説明など必要ない。読むべし。決してかっこいい技が繰り出されるわけではない。派手なエフェクトが見えてくるわけでもない。
 だが、なぜ、こんなにも熱いのか!
 読んでいてなんとはなしに、PVにしたら面白そうだな、とかCMだと15秒間でどんな表現にするかな、などと空想にふけった。李下新次郎は主人公格だし、イケメンで格闘技経験も豊富なV6の岡田准一でどうだろうか。松憲三は温水洋一、穴川鈴花は田部未華子なんていいと思う。ぜひ映像でみたい作品だ。 


モチヲ


「まじめにふざける」ことを評価

 今まで新脈文芸賞をとってきたベテラン。力あるものが「まじめにふざける」とこうなる。……おもしろい。素直に楽しんで読んだ。
 どうでもいい話だが、私は格闘技とか大好きで、メジャーな格闘技の試合や「まともな格闘技マンガとかも好きなんだが、中でも好きなのはB級(?)格闘技やマイナー武術が大好きなのである。したがって、この「湯けむり真拳」は、私にとってたまらない。こういうの、大好物なのである。「しかし躊躇する時間はなく目と目で合図するが早いか阿吽の呼吸、タオルを首にかけると二人はとても喜寿を過ぎたとは思えぬ身のこなしで湯から飛び出るや否や、着地したときの足元の滑りを利用して置いてあるかけ湯用の桶を掴み、逸物を巧みに隠しながら低く構える。湯けむり真拳桶の型、『玉壁』の構えであった。」この辺など、たまらない。くだらないが、それがたまらないのだ。
 しかしながら、このトンデモ拳法があたかも実際にあるかのように見え、またその拳法や能力のバトルがさも現実かのごとく思わせられるのは、作者が自身の筆力に依拠し、いわば「まじめにふざけている」からに他ならない。「ちんこまるだしのおっさんが裸踊りしている」のは実はどうしようもなくつまんないが、「ケロヨン桶で逸物を器用に隠して、よくわからないマイナー武術の構えをしているおっさん」の方がはるかにおもしろい。「くだらない」と思いながら、筆者が(また書かれる世界に登場する人物各々が)「まじめ」なので、引き込まれて読み続けてしまうのだ。
 また、この作品は、穴川鈴花の特殊能力によって見たバトルの報告という体になっている。これがまた、このふざけた世界にリアリティーを与えている。
 これは、物語に現実味を与えるにはもっとも有効かつ典型的なやり方である。たとえば、宇治拾遺物語などの日本の説話文学にある「昔、男ありけり」のアレである。伝聞調の報告というスタイルが、その話しを聞いた者が「いやいや……そんな話ないだろう」と思うより早く「聞いた話だから、俺も信じられなかったんだが……」と語り手に言われるかのごとく、妙なリアリティーを生んでいる。「直接見た、体験した」というよりも、「これ、姉の友だちが体験したらしいけどね……」と言われると、当の語り手もそれが本当かどうかわかっていないから、語り手も聞き手も「確証ないままその話を聞くしかない」共犯構造を作る。この作品は、それが非常にうまくいっている例と言わざるを得ない。マンガ「魁!男塾!」の「民明書房」や、「グラップラー刃牙」の「専門家によると……」を想起させるこの技法は、この作者は自身の筆力によって、巧みにやらかした。
 ……いや、ほんと、おもしろいわコレ。評というか読者の感想になってしまう……。他の選評者は「面白いけどこれは売れない!」と言っていたが、誰かこれマンガにしません。私は画力がないので、誰かたのみます(笑)。

佐藤家清

 読みながら、思わず「おもしろいけど、これは売れない!」という非営利出版サークルの編集長としては柄にもないことを考えてしまったほど奇抜(もしくは、直球)なテーマを持った作品。
 すごくおもしろいからこそ色んな人に読んでほしいけど、登場人物のほとんどが全裸のおっさんという設定が世間にどう受け入れられるかというのは非常に興味深いところである。
 作品としては富樫義博も顔負けな超能力バトルのアイディアも素晴らしいし、話の構成も文句ないし、何より、このバカげた設定を力強く書き切る文章力も申し分ない。
 蒸気と汗と全裸の男だらけの物語だが、一応、穴川鈴花(24)の報告書という体裁にしてあり、物語全体に広がるむさくるし絶妙な感覚で抑えている素晴らしいバランスをもった作品とも言える。
 他の湯あたり課の報告もぜひ読んでみたいと思った。



めさき文庫、第一弾「二十五度サマー」遠藤玄三


新脈文芸賞に連続入賞している噂の大型新人作家「遠藤玄三」の作品が文庫化されます。
各作品に修正を加え、挿絵なども入っております。
よりパワーアップした遠藤玄三ワールドをお楽しみください。現在、鋭意製作中!!


編集後記


佐藤家清/編集長
 なんかこう技術の進歩で、連絡手段とかがころころ変わっていって便利にはなってるんだけど、それをみんなで足並み揃えるのは大変なので、結果不便になってるんじゃないのかと思います。
 ともあれ、無事、発刊できた良かった。

大友宗麟/編集部

 新創刊で心機一転! といきたかったんですが、やっぱり失敗しました。

 遠藤玄三/編集部
 詰めが甘かった部分を補うときが一番楽しいんですよ、ぼく。

氷魔/絵描き

始めまして。Twitterでめさき出版の存在を知り、飛び入りのような形で参加させて頂きました氷魔と言います。基本的に絵での参加となりますが、楽しんで頂ければと思います。よろしくお願いします!
Webサイトの方もよろしく>http://z-o.cc/hyouka/

モチヲ/選評

 言い訳はすまい。言い訳はすまい。でも言わせて欲しい。精神的に絶不調で、本業が多忙を極めました。で、原稿遅れてました。すみません。すみません。

れく/表紙・ロゴデザイン

 大きなものについて考えるだに、酷く虚しくなってしまう。

諸星ゆびわ/詩人

 ねむいねむいねむいねむいという呪文がきかない時に文章を書くと、詩が生まれるような気がします。


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