閉じる


<<最初から読む

3 / 9ページ

「でも、どうしてあなたの事、こんなに分かるのかしら?何だかもう何年も一緒に暮らしているみたい・・・。」

「私も同じ気持ちですよ、本当の姉さんみたいだ。」

「妹じゃなくて、姉さんよね・・・アハハ。」

初対面にも関わらず、明るく笑う女将の笑顔には、紛れもなく身内の親しみが溢れていました。

 

トンネル出口の光が網膜を満たすと、現実の喧騒が戻ってきます。

道が大きくカーブした先が穏やかな砂浜で、船着場を兼ねた桟橋の根元に、瀟洒な和風旅館が見えてきました。

背後の林間から、温泉の湯気が立ち上っています。

硫黄の香りとともに、閉鎖中と書かれた露天風呂が見えてきました。

設備が老朽化して、配管の所々から湯気が漏れています。

「あの、露天風呂改装するんでしょ、どうです、デザイン私に任せてくれませんか?」

「よく分かるわね、でもあなた住宅専門でしょ、ユニットバスじゃ駄目なのよ、温泉旅館のお風呂は・・・。」

「大丈夫ですよ、巨大なものから、古風なもの、如何わしいのも含めて風呂は随分設計しましたから。」

「・・・・・・。」

二人の間に、親しみと安心感からくる心地よさが、往来し始めました。

 

ウォーキングシューズの紐が解け、歩を止めて道端にかがむと、急に背後に廻って・・・。

「ほら、首の後ろに少し残っている・・・。」

そう言って、私の首筋に伸ばした白い指の先に、べっとりと黒い物体が付着していました。

「――気持ち悪いわ、私たち、さっきこれに全身包まれてたのよ。」

光沢も無く、質感も無い、さながら空間の欠損とも言うべき漆黒の物体でした。


【証言①】

「あのガード下の通路は、駅からの帰宅にいつも通る道で、もう20年も毎日通い続けています。」

「昨日は仕事が速く終わって、6時には駅まで帰り着いていたんです。」

「周りは夕暮れの光がまだ残っていたんですが、あそこはもう真っ暗で・・・何か変だなとは、思いました。」

「丁度、真ん中辺りまで来たときだったと思います、いきなり目の前に蓋をされたようで・・・どっちを向いても何も見えません、全身が何かにゆっくり包まれていくようで・・・でも、危険は感じませんでした、むしろそれまで味わったことのない安心感に浸っていました。」

「なんというか・・・闇の中に自分自身が染み出しているみたいで、手や足の感覚はちゃんとあるんですが、そのずっと先に神経が伸び出ているようで、今まで経験したことのない感覚が、遥か遠方から入ってくるんです。」

「行ったこともない建物の中の様子や、見たこともない機械の仕組みなんかが――こう、ぎゅっと集積されて頭に入ってくるんです。」

「その量が膨大で、印象も強かったものですから、20年勤めている会社の人間関係だとか、養子の自分の自宅での立場とかいったごちゃごちゃしたことが、足の小指の爪の垢みたいに感じてきて・・・。」

「――そう思うと、急に自宅に帰ってビール飲みたくなりましてね、耳元でなんだか囁かれている気もしましたが、気がつくとこの黒いベタベタにまみれて、通路の真ん中に倒れていました。」

「人に襲われた気はしませんね、何も盗られていないし、以外に後味爽快ですから。」


【証言②】

「そうです!コンビニのまん前で襲われたんです。」

「そんな明るいところでって――仕方ないじゃないですか、いきなり暗いのが覆いかぶさってきたんですから!」

「周りに人間は沢山いたはずですよ、こっちは真っ暗ですから顔は見えませんけど、近くで人が囁く声は聴こえました。」

「大丈夫か?どこも怪我してないか?バッグ落としたから拾ってあげて。――あれは、周りにいた人の声じゃないんですか?」

「そういえば、穏やかな優しい声でした。少しも慌てた様子はなくって――でも、声のする方向は分かりませんし、声の質も男の声だか、女の声だか・・・ひょっとすると人の声じゃなかったのかもしれません。」

「確かに傍にいるのは分かるんですけれど、どこからがそうなのか・・・境界が曖昧になっていて、何だか私の中に何人も人がいるように思えて・・・。」

「こっちに来ないかって、自分たちと一緒にならないかって、その人達から何度も説得されましたわ。」

「――そうそう、そう言えばその人たち、私の体の悪いところを教えてくれるんです。直腸の直ぐ上に、小さなポリープがいくつか出来ていて、そのまま放って置いちゃヤバイって言うから、帰る!って大声上げたら、コンビニの照明が急に眩しく見えて、我に返りました。」

「――そりゃ、直ぐに病院に行きましたわ、教えられた通りのポリープでした、お陰で命拾いしたと思っていますわ。」

 


【証言③】

「そりゃよ、俺はお城の石垣の下で、ダンボール包まって暮らしているホームレスよ!」

「もう歳だし、将来に希望もねえし・・・寒風に吹き晒されるときゃ、震えながらお迎えが来るのをひたすら待っている・・・。」

「俺たちのような境遇で生きてゆくのは辛えもんよ、だからって自分で始末する勇気もねえし、他人に頼めることでもねえしなあ。」

「つまりは、死ぬために必死で生きているようなもんさ。」

「――だから、あの黒いのに包まれたときゃ、てっきりお迎えだって思ったよ。」

「なんせ、寒さが全く気になんねえ、腹もへらねえしどこかぶつけても痛くねえ・・・自分の感覚を自分でコントロールできるんだ。」

「いつも仲間が傍にいて話し相手に困らねえ、何処へでも潜り込めるし何処へでもついていける、いくら歩き回っても疲れることはなかったな。」

「仲間のなかにゃ女もいてよ、こんな男のわがままもちゃんときいてくれる・・・やっぱりありゃ天国さ。」

「――だがよ、何かこう死んでるって気もしなかった、ちゃんと呼吸してるし、足が宙に浮いてる感じも無かった。」

「それで仲間に訊いたんだ、俺は死んだのか?って。そしたら、死ぬのも生きるのも自分の意のままだって、こっちに来て自分たちと一緒に生きないかって・・・・・・きっぱりと断って帰ってきた。」

「――神様の決めなさることを、勝手に自分で決めるわけいかねえだろ。」

「正気に戻ったとき、この黒いベタベタが体中に付いていたもんだから、入れ物を探してかき集めたよ。」

「辛いときこれを見て思い出すんだ、今じゃこれが生甲斐みてえになってな。」

「つくづく思うよ、人は自分の体の中でただ一人、寂しいもんだなって・・・。」


【カンファレンス①】

ドーム状のガラス屋根から、柔らかい天空光が注ぐ大学のラボの一室、ブラインドが降ろされ中は薄暗い。

ステンレス製の作業台の上に置かれた、ガラス容器の中の黒い物体を挟んで、二人の研究員がスクリーンを見つめている。

一人が脇のノートパソコンのキーを叩くと、プロジェクターの映像が消えて部屋が明るくなった。

 

「以上が、今回の事件の被害者3名の証言だ、40代のサラリーマン、50代の主婦、70代のホームレス・・・どう思う。」

パソコンを操作していた年長の研究員が、スクリーンから視線を外して、振り向いた。

「ある種の化学物質の効果で、この種の精神作用を説明できないこともありませんが、摂取反応は無かったんでしょ?」

若い方の研究員が答えた。

「当然だ、そんなことで君に来てもらった訳じゃない。」

「この、黒いのは?」

「被害者の体や、周りの地面に付着していたのを、駆けつけた警官がかき集めたものだ。被害者証言のビデオと一緒に送ってきた。」

「もう、分析は終わっているんでしょ。」

「殆どの帯域で電磁波を吸収するから、組成の解析は困難を極めた。常温物理状態は液体だ、内部に多くの空気を含んでいる、微細な気泡、つまりクリームやムースの状態だ。」

「可視光をすべて吸収するから、漆黒のムースですか・・・。」

「見ているとだんだん形が変わる、まるで生きているようだ。」

「――でも、生物じゃないんでしょ。」

「代謝もないし、増殖もしない、境界膜もないようだから――生物じゃない。」

 

日が西に傾いて、部屋の空気が茜色に染まり始める、ステンレスのヘアラインが夕日を反射して眩しかった。

「君のこの前の論文、たしか、人間の感覚に関する・・・。」

「クオリアの個人差についての研究、ですか?」

「紅い林檎を見て、脳内で再生される感覚には、個人差があるという・・・。」

「個人差があると結論づけている訳じゃありません、外部とのコミュニケーションに於いて支障が無いなら、感覚質に個人差を認めたほうが自然だ、と言ってるんです。」

「紅い林檎の情報は、目から電気信号に乗って大脳の視覚野に伝えられ、そこで処理され再生される訳だが、大脳の処理には個人差があって、人それぞれ違う再生情報を見ている・・・・・ってところだろ、早い話が。」

 



読者登録

南海部 覚悟さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について