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カンファレンス①

【カンファレンス①】

ドーム状のガラス屋根から、柔らかい天空光が注ぐ大学のラボの一室、ブラインドが降ろされ中は薄暗い。

ステンレス製の作業台の上に置かれた、ガラス容器の中の黒い物体を挟んで、二人の研究員がスクリーンを見つめている。

一人が脇のノートパソコンのキーを叩くと、プロジェクターの映像が消えて部屋が明るくなった。

 

「以上が、今回の事件の被害者3名の証言だ、40代のサラリーマン、50代の主婦、70代のホームレス・・・どう思う。」

パソコンを操作していた年長の研究員が、スクリーンから視線を外して、振り向いた。

「ある種の化学物質の効果で、この種の精神作用を説明できないこともありませんが、摂取反応は無かったんでしょ?」

若い方の研究員が答えた。

「当然だ、そんなことで君に来てもらった訳じゃない。」

「この、黒いのは?」

「被害者の体や、周りの地面に付着していたのを、駆けつけた警官がかき集めたものだ。被害者証言のビデオと一緒に送ってきた。」

「もう、分析は終わっているんでしょ。」

「殆どの帯域で電磁波を吸収するから、組成の解析は困難を極めた。常温物理状態は液体だ、内部に多くの空気を含んでいる、微細な気泡、つまりクリームやムースの状態だ。」

「可視光をすべて吸収するから、漆黒のムースですか・・・。」

「見ているとだんだん形が変わる、まるで生きているようだ。」

「――でも、生物じゃないんでしょ。」

「代謝もないし、増殖もしない、境界膜もないようだから――生物じゃない。」

 

日が西に傾いて、部屋の空気が茜色に染まり始める、ステンレスのヘアラインが夕日を反射して眩しかった。

「君のこの前の論文、たしか、人間の感覚に関する・・・。」

「クオリアの個人差についての研究、ですか?」

「紅い林檎を見て、脳内で再生される感覚には、個人差があるという・・・。」

「個人差があると結論づけている訳じゃありません、外部とのコミュニケーションに於いて支障が無いなら、感覚質に個人差を認めたほうが自然だ、と言ってるんです。」

「紅い林檎の情報は、目から電気信号に乗って大脳の視覚野に伝えられ、そこで処理され再生される訳だが、大脳の処理には個人差があって、人それぞれ違う再生情報を見ている・・・・・ってところだろ、早い話が。」

 


「その再生情報を、クオリア(感覚質)と称しています。クオリアは真に個人の感覚で、他人に伝えようがないので、人はクオリアに於いて、ひとり々全く別の世界に生きている可能性があるわけです。」

「それで、クオリアに個人差を仮定して、外部とのコミュニケーションに支障が出る確率を計算したのが、先日の私の論文です。」

 

近代的な研究室には場違いに古風な掛け時計が、時報の鐘を叩いた。

ガラス屋根の上空には、既に星が瞬いている。

「3人の証言に共通するのは、この黒いのに体全体を包み込まれたにも拘らず、3人とも恐怖も危険も感じていないこと、それと、自分以外の誰か、或いは意識を持った何か、がこの中に共存していたということだ。」

「サラリーマンが言う安心感、自分が外に滲み出る感覚、主婦の言う自分と他との境界が曖昧になる感覚、自分の中に他人がいる感覚、ホームレスの仲間がいつも傍にいてわがままを聞いてくれる感覚。これらは、君の言うクオリアそのものじゃないか?」

「この黒いムースの中で、クオリアを共有していたとでも言うのですか!」

「少なくとも、行ったことの無い建物の内部や、見たことも無い機械の仕組みは、自分以外の誰かの記憶に基づいている。腸の中のポリープを自覚したのは、主婦の感覚に誰かが反応したからだと思う。」

「――根拠があるんですか?」

「黒いムースの成分を詳細に調べたら、とんでもないことが分かった。」

難しい顔をして立ち上がると、背後の引き出しから青いフォルダを取り出した。

「分子量比で水素60%、酸素25%、炭素10%、窒素2.5%、リンとイオウがそれぞれ

0.1%・・・。」

「意味が解るか?」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・次巻へ。