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序文

この句集は総じて私が鬱的気分の時に詠んだものが多い。

尾崎放哉と種田山頭火を深く愛するあまり、彼ら二人の哀愁が私に乗り移り、巧く自由律俳句という芸術へと昇華していたとすれば幸いである。

なお、「永遠の退屈」とは、我々は決して「物自体」には至らないという悲しみと憧れとを内在した言葉の謂である。

やや傲慢な響きのするこのタイトルをお許しいただきたい。所詮、生とは死までの暇つぶしという意味も無いではないが、そこまで虚無的でもない。諦めという境地のなかに一種の慰安となるものがあるとすれば、それは何かの恩寵である。

私はこの恩寵を必死に求める。宗教的境地に程遠い私ではあるが、恩寵とは許されている感覚である。

極悪非道の私はこの恩寵の奇跡を大真面目に求めるのである。

また、この句集には定型俳句、無季俳句、川柳などが含まれているが、これらも総じて私の中では自由律俳句という範疇に属する。

何となれば、それらの形式はあくまでも偶然の産物に過ぎなかったのだから。

 


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1

早や九月となり焦燥と苛立ちと

バイクで田舎の風景を辿る秋である

業とは生活である どこかに書いてあった

いい人だと言われた夜の耐え難い悔恨

野良犬にうんうん声かけて通り去る街角

暑さも過ぎ寂しい風が吹く 悲しい秋だ

よい気候となって私はまだ抜けきれない

我が本来の心は清浄なるか 法話を聞いて帰る

坐禅して何も見えずに大飯を食らう

陰惨な事件の夜 月が綺麗だ

深夜の静寂に愛すべき自分を見出す

哀れなる男 眠れず一人うめいている

瀬田川のほとりに住んで倦む月日

四国に入り口でうろうろしておる

久しぶりの青天が眩しい

夜つめ切ってこれで親の死に目に会えない

怠惰と憂鬱のあいだを行ったり来たり

犬を見る 優しい自分になっている

何もかも嫌になって入る寝床は優しい

暑い陽の下どこまでも歩き続ける蟻だ

南無観世音 唱えてみるがあまり変わらず

放哉の句の素晴らしさ語る友なし

気難しい性格である父の子もまたそうである

単純になれ単純になれ 目を閉じ念ず

空っぽだった阿弥陀浄土に戸惑う人々

老犬の歩き方が悲しく背をなでてやる

藤樹書院で茶をくれた婆さんの優しい顔にまた会いにゆく

新年始まり大してめでたくもない正月

あまりにも美しい如来の光が私にも降りそそぐ

枕に顔をうずめて どうしても私は救われない

左脳の檻に囚われの身

昨日のあの覚醒は幻であったか

山上で一捻りする俳句かな

 


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