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プロローグ

今から少しだけ昔、まだ飛行機が発明される少し前の時代の話をしましょう。
ある小さな村で、大変元気な男の子が生まれました。不思議な事に、男の子は右手に小さな金色の鈴を持って生まれてきました。
驚いた両親が、村の物知りおばあのところへ相談に行ったところ、
おばあはその鈴を見て、ぽろぽろと大粒の涙を流しながら、こう話し始めたのです。



あんたら、白小虹川の土手にある桜の樹を知っておろう?
毎年美しい花を咲かせておるが。実だけは付けた事がないのう。
あの樹がまだなかった頃の話じゃ。
もちろん、わしも生まれる前の話じゃよ。

しばらく飢饉が続いての、食べ物もなく、貧しい村にはあまり子供が生まれんかった。
このままではこの村には誰もおらんようになってしまう、と不安に思った村びとたちは
もみじ山の麓に立っておったお地蔵さんにお願いをしたんじゃ。

村人たちが、自分達の食べるもんも我慢して、お地蔵さんに供物を捧げたおかげか、
庄屋どんの家には元気な男の子が、村はずれの小作人の家にはかわいらしい女の子が生まれた。
小さな赤ん坊は村人たちの愛情を受けてすくすくと育っていった。
村のみんなは、いつかこの二人が愛を育んでくれると期待して見守っておったんじゃが、
庄屋どんのおかみさんは、その噂が気に入らなかった。
「小作人の娘とうちの息子だなんて、身分が違うじゃろうが、
隣村でも、もっと遠いところからでも、大金持ちのところから嫁をとらにゃ!」

そんなわけで、子供達は互いを知ることもなく、年頃を迎えたんじゃ。
しかし、運命とは酷なものよのう。
この二人には赤い糸がちゃんと繋がっておったんじゃ。
まわりでどんなに二人を会わせんようにと図っても、お地蔵さまの思し召しの方が強かった。
出会ってしまったんじゃな、しかも庄屋どんの息子の嫁取りの日に。


第1章

「あ、痛っ!」
大きな風呂敷を背負ってあぜ道を歩いていたのは、ようやく16才になったばかりのおりん。
母親が夜なべして作った品物を、伍作のところへ届ける途中だったが、 草履の鼻緒がぷっつり切れて転んでしまったのだ。
おりんの白くてまあるいひざ小僧が擦りむけて血が滲んでいる。
おりんは背中の荷物から白い手ぬぐいをひとつ取り出した。

おりんの母親は、
草木染めで手ぬぐいに様々なきれいな模様を付ける名人だった。
その美しい模様が評判となり、今ではあちこちの村から依頼が入るようになっていた。
その手ぬぐいを小さく割いて、膝とぞうりに巻き付けると、よっこらしょ、と風呂敷を背負って歩き出した。
「ああ、かかさまの作った手ぬぐい使ってしもうた。怒られるなぁ…。 でもなんであんなところで鼻緒が切れてしまったんじゃろ?」

首をかしげながら、びっこひきひき歩くおりんの後ろから、小さな鈴の音がこっそりついて来ていることには誰も気付かなかった。



伍作の家では、たくさんの荷物を馬につけて、出かける準備をしていた。
「おりん遅いのう。庄屋どんのところへ、はようこの荷物届けんといかんのになぁ。」

庄屋の家では3日も離れた町の商家から、嫁が来るというので、朝から大わらわで準備をしていた。
「餅米はちゃんと蒸かしたかい!」
「その植木の形はなんだか縁起の悪い感じだねぇ、末広がりにしておくれよ~!」
「お膳の食器はとっておきのを出すんだよっ!」
「酒屋からお酒は届いたかい?」
庄屋のおかみは、祝言の準備をしながら自分の化粧にも余念がない。
「おかみさん、伍作のところの荷物がまだなんですが」
「なんだい、伍作のところに頼んだのは?」
「馬のしっぽで作らせたほうきと、雑巾用の手ぬぐいです」
「なんだって!うちに来た嫁には必ず初日に家の掃除をさせる決まりなんだよ、遣いを出しておやり!」


肝心の庄屋の息子鈴彦は、朝からせわしない家の中でなんとなく居場所がなかった。
「はいはい、こっちは今から掃除しますんで、お坊ちゃま向こうへ行ってて下さいね」
「坊ちゃん、いえこれからは若旦那さまと呼ばんといかんですな。お召し物が汚れますから庭に出ないで下さいよ」
なんだか子供扱いされるのもイヤだが、嫁が来るというのは、嬉しいような、 なんだかもう遊んではいられない、という責任感につぶされてしまいそうな、そんな複雑な気持だった。
手持ち無沙汰なまま鈴彦は縁側で、使用人たちが忙しく働いているのをぼんやり眺めていたが、
ふと田んぼの向こうに何かが光ったように見えた。

「ん?今のは何じゃろう?キツネか、タヌキか?」
鈴彦はきっと気のせいだろうと思って、あぐらを組み直し、また退屈そうに座り込んでしまった。



第2章

もみじ山の麓、お地蔵様のもとに一匹の鈴虫が駆け寄って来た。
透き通った声で囁く。
「お地蔵様、鈴彦がなかなか腰をあげてくれませんよぅ。」
そこへもう一匹の鈴虫が駆け寄ってきた。
「おりんの足がなかなか早いのです。鼻緒を切って、 できる限り足留めはしましたが、このままじゃ二人が出会えませんよぅ。」

お地蔵様はにっこり微笑んだまま動かない。

「お地蔵さまぁ、鈴彦を連れ出すのに、私は力不足でございますぅ。」
鈴虫はさめざめと泣き出してしまった。
涙がひとつぶ、ふたつぶ、こぼれ落ちるたびに、それが光となり、鈴虫の羽根にキラキラと張り付いていく。
いつの間にか鈴虫の羽根は眩しいほどに輝きを放っていた。
「今一度行くがよいぞ。お前のその一生懸命さに神様が応えて下さったようじゃの」
お地蔵様のにっこり顔がウインクした。



大きなあくびを何度かした後、鈴彦は縁側にごろりと横になった。
目を閉じようかとうつらうつらしているその目の端に、見た事もないような美しい光がちらりと見えた。
「ん?またか、今日はなにやらキラキラ光るのう。」
それはまるで冬の朝の澄み切った空気が凍った時のようで、
キラキラと太陽の光りを受けて小さく輝いているのだが、
すぐに手のひらに捕まえられそうにも思えた。
光に導かれるように空に手を伸ばしながら外へ出た鈴彦に、気をとめる使用人は誰もいなかった。


一方おりんはようやく荷物を伍作のところへ届け、身軽になって家路を急いでいた。
その後ろをようやく離れずに追いかけているもう一匹の鈴虫は、
どうやっておりんを引き止めようかと悪戦苦闘していた。

そこへ遠くから光を夢中で追いかけてくる鈴彦の姿が見えた。
おりんはまったく気が付いていない。

このままではすれ違ってしまう、と鈴虫が諦めかけた時、雷鳴が轟いた。にわか雨だ。
おりんは慌てて近くの大木の蔭に身を寄せた。
「あれあれ、さっきまであんなに空高く晴れとったのに、なんで急に雨なんか…」

鈴彦も木の蔭で雨宿りをしていた。
しかし、おりんのいる大木から並木5本分も離れている。
「なんでそっちの木に行っちゃうのよぅ!こっちだよぅ」
おりんについて来た鈴虫が、鈴彦を連れて来た鈴虫に一生懸命よびかけたが、
大粒の雨音にかきけされて届かない。

鈴彦を外へ連れ出した鈴虫はというと、急いでここまで飛んで来たもので、くたびれはてて、木の枝で息を切らして伸びていた。
「もう少しで捕まえられるところだったのに、雨のせいで見失ってしまったぞ。
確かにこの木にとまったように見えたんじゃがなぁ」
きょろきょろと枝の間を覗き込む鈴彦の目に、数本先の木で雨宿りする、おりんの横顔が飛び込んできた。
なかなか子供の生まれないこの村で、年寄に囲まれて暮らしてきた鈴彦、若い娘を生まれて初めて見たのだ。
「なんとかわいらしい娘じゃ、あれは人じゃろうか?もしやきつねが化けとるのか?
いやいや、きっと天女に違いねえ!」
追いかけてきた光のことなどすっかり忘れて、鈴彦はおりんを見つめ続けた。
その頃、自分の嫁がしびれを切らして待っていることなどまったく思い出しもせず…


第3章

立派な馬に揺られて、大きなきらびやかな長持ちを従えて、花嫁はやってきた。
角隠しの陰から見える横顔は、どうやらだいぶおいしいものを食べ過ぎたようでふっくらとして見える。

庄屋の家では、花嫁を迎えるその時に、花婿がいないことに初めて気が付いた。
とにかく花嫁を座敷に通して、鈴彦を使用人に探させている間も、 庄屋のおかみは花嫁の長持の中身が気になってしょうがないようだった。
じりじりと時間だけが過ぎて行き、すっかり日が暮れてから、ようやくよれよれになった鈴彦が帰ってきた。
家の者たちがどうしたのか、どこへ行っていたのかと尋ねてもぼんやりして何も答えない。

とにかくずぶ濡れになった羽織を着替えさせ、祝言が始まった。
祝詞や三三九度の間も、鈴彦は上の空で、されるがまま。
村にとっても滅多にない結婚式で、まるで村祭のような大騒ぎは一晩中続き、
鈴彦が自分の嫁の顔を見たのは、みんなが酔いつぶれて、静かになった明け方のことだった。
その花嫁もすっかり酔いつぶれていびきをかいている。
「こいつ誰じゃ?なんでわしの部屋におるんじゃ?新しい使用人か?随分と太っとるなぁ。
はぁ、それにしてもきのうのあの娘にもう一度会いたいのう。
天女なら羽衣じゃな、それを盗んでしまえば空には戻らんと聞いたことあるぞ。よし、明日探しに行こう。」

まったくのんきな鈴彦だ。これではおりんが鈴彦を好きになる可能性は低いな、と縁の下の鈴虫はため息をついていた。





さて、次の日、ほとんどお日さまが空の一番高いところに来た頃、 ようやく庄屋の家ではみんながごそごそ起きだしていた。
庄屋のおかみは今日も身繕いに余念がない。縁側から差し込む光を受けて、白粉が部屋中に舞っている。

鈴彦の部屋で目を覚ました花嫁、お松は、いつものようにお付きの女中が髪を梳いてくれるのを待っていたが、誰も来る様子がない。
そこへ便所から戻った鈴彦がやってきた。
お松は、ここでようやくはっきりと目が覚めた。

「あ、ここに嫁いできたんだったわ!」
慌てて寝床から起き上がり、三つ指付いて鈴彦に挨拶をした。
「旦那さま、お早うございます。ご機嫌いかがでございましょう。お支度をお手伝いいたします」
お松をただの使用人と思い込んでいる鈴彦は、何の疑問もなく着替えをさせた。
「お前、名はなんと言う?ゆうべは宴会でにぎやかじゃったから、お前もさぞ忙しかったろう。 今日はゆっくり休め。わしはちょっと出かけてくる。」

お松は、鈴彦をなんと優しい男だろう、と思った。
お松の生家では、父が大変頑固な気紛れ者で、母も使用人も、主人の気を損ねぬように気を使って暮らしているのが当たり前だったので、
自分も嫁いだら、そのようにしなくてはならないと思い込んでいた。
お松の肉付きのよいその頬が少しだけ赤らんで微笑んでいる。
お地蔵様と鈴虫たちの想像もしていなかった、もうひとつの恋物語が始まろうとしていた。


第4章

おりんの家の庭では、大きな鍋をたき火にかけて、ぐつぐつと反物を煮込んでいた。
おりんの母の草木染めを手伝って、おりんも汗をかきかき火吹き竹を吹いている。
染めあがった布を冷たい川で洗い、側の低い潅木にかけて干してゆく。

その頃、鈴彦は昨日雨宿りをした並木のあたりまでやってきた。
あの光がまた現れないかと、繁った枝をかきわけ、覗き込むうちにあちこち小さな引っ掻き傷ができている。
枝の上の方に天女の羽衣がかかっていないかと、木登りもしてみた。
きれいな着物がそこかしこほころびていく。
あの美しい娘の手がかりはまるで見つからないように思えて、川の土手に腰掛けた鈴彦は大きなため息をついてごろりと横になった。
空は高く、時々風に乗ってちぎれて飛んでくる雲が、あの娘の横顔に見えてくる。
爽やかな草の匂いを嗅ぎながら、
鈴彦はそのまま川の土手で居眠りしてしまった。


おりんの方は忙しく母親の手伝いをしながら、ゆうべ見た夢のことを考えていた。
暗いところに一人でいるおりんの耳にかすかに鈴の音が聞こえている。
その音を追いかけてどこまでも歩いて行くと、明るい光の中に誰かが立っているのが見えるのだが、 眩しくてその顔が良く見えず、すぐそこに見えるはずなのに、どうしても手が届かない。

普段はあまり夢など覚えていないおりんだが、目が覚めてからもなんだかずっと気になる。
あまり細かい部分はおぼろに霞んでしまっているのに、夢の人物の帯のあたりに小さな金色の鈴が光っていたことだけ、はっきりと脳裏に焼き付いていた。
ぼんやりしながら反物を取り込もうとしていた時、強い風が吹いて来た。

ふわりと舞い上がったうす紅色の反物が、おりんの手を離れて川向こうへ飛んで行ってしまった。
慌てて着物の裾をまくりあげ、川へ入り、追いかけて行くが、なかなか手が届かない。
随分走ったと思われた頃、反物がふわっと川の土手に舞い降りた。
息を切らして、ぽたぽた雫をこぼしているおりんが見たものは、昼寝をしている男の姿だった。
顔の上に反物がかかっているので、どこの誰だかわからない。
しかし懐から小さなお守りが顔を覗かせており、夢で見たあの金色の鈴が光っている。

「あれま、正夢じゃ!」
おりんは思わず小さく叫び、その声に夢心地だった鈴彦がビクっと目を覚ました。
慌てておりんは反物をはぎとり、川へ走っていってしまった。
寝ぼけ眼で鈴彦が見たのは、まるで天女の羽衣が風に舞うように飛んでゆく後ろ姿!
鈴彦は素早く立ち上がり、思わず追いかけた。しかしおりんはなぜ追い掛けられるのかわからない。
浅瀬でバシャバシャと水しぶきをあげて、小さな追いかけっこが始まってしまった。
しぶきに光が反射して、時々小さな虹がかかる。

おりんは一生懸命走ったが、反物を抱えていたこともあり、ついに鈴彦に追い付かれてしまった。
「待ってくれよ!」
「なんでうちを追い掛けるんじゃ~、なんも悪い事しとらんのに…」
おりんは川底でしりもちをついて半ベソをかいている。
はっと我に返って、鈴彦はおりんに手を差しのべた。
「すまんすまん、そうじゃないんじゃ、お前さまを昨日、並木で雨宿りしとる時に見かけての、天女さまかと思って追いかけてしまったんじゃ。」
天女さまだって!?おりんは自分がそんな風に見られたことがなんだかおかしくて、
でもちょっぴりうれしくて、笑い出してしまった。
「うちもその話なら知っとるよ、羽衣を盗んで隠してしまう話じゃろ」
「そうそう!羽衣つかまえようと思って、俺ぁ走った、走った!」
「鬼が来たかと思ったわ、ああおかしい!」

二人はひとしきり笑い合って、それからようやく互いの名前を伝えた。
「なんじゃ、あの草木染めの彩さんとこの娘さんじゃったのか。しかし、こんな若い娘がおるなんてわしは知らんかったのう。」
「うちは、庄屋どんの家に同い年の男の子がおるって、知っとったよ。でもなぁ、意地悪だから遊んだらダメだって、おかんに言われとったのよ。
でも、鈴彦さんは、意地悪には見えんなぁ。なあ、あんた昨日お嫁さん来たんじゃろ?えらいお金持ちのお嫁さんだって村中の噂になっとるよ。」

そこで鈴彦はようやくハッと気が付いた。
今朝自分の身支度を整えてくれたのは、新しい使用人ではなく、自分の嫁だったということに。






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