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「そこまでしていただいて・・・どうお礼したらいいのか」

「いえ、報酬はちゃんといただきましたし、その他の工作はね・・・渡辺くんのためにやったことでもありますから」


恐縮する剛に、佐伯は穏やかに笑ってみせた。

宏子の無念を思い、なかなか復讐を諦めきれずにいた渡辺のために、佐伯はこうした入念な手を打ったのだと言う。

美津姫に近づけた俳優も、「人間観察の一環」と無報酬で協力してくれているとのこと。

「ヤツは、なんだかノリノリでねぇ。ま、本物のキチガイにお目にかかることなんて、滅多に無いでしょうからね。
最終的にどんなシナリオで彼女をどん底に突き落とすか、劇団の脚本家も巻き込んで、楽しそうですよ」

「・・・そうですか」

佐伯の周囲には、敵に回すと恐ろしい相手がたくさんいるようだ。


「彼、渡辺くんはねぇ・・・真っすぐに、きれいに、眩しいほど清らかなままで育った、今時珍しいくらい純真な青年です。茅島美津姫と関わることで、あの無垢な魂が無惨に穢されてゆくのを見るのは、私としても忍びない。

普段、泥沼から泥沼へ這いずり回るような仕事してますとねぇ、眩しいんですよ。本当に」

佐伯は実際に光を避けるかの様に睫毛を伏せ、愛おし気に、だがほんの少し淋し気に、笑った。


剛はそんな佐伯に少し意外な印象を抱きながら聞いていたが、一方でどう切り出そうかどうか迷っていた。

それに気付いた佐伯が、水を向けてくれた。

「何か、他にも?」


決心して、剛は顔を上げた。


「あの・・・俺、宏子の実家に、行くべきなんじゃないかと。

宏子に手を合わせて、ご両親に謝罪して・・・断られるかもしれないけど。でも、せめて墓参りだけでも」

「それについては」

剛が話し終わる前に、佐伯は遮った。

「渡辺くんを通じ、ご両親から拒否されてます。一切関わらないで欲しいそうです」


「でも!」

言い募ろうとする剛を、佐伯は手を挙げて留めた。

「土下座でも何でもすれば、貴方の気は済むでしょう。済まないまでも、罪悪感は薄れるかもしれない。でも、ご両親の気持ちは?」

「・・・・」


「自己満足は結構ですが、本当に悔やんでいるのなら、相手の気持ちを尊重して差し上げてはいかがでしょう」


キツい言葉だったが、反論出来なかった。
自己満足と言われてしまっても、仕方ないのだ。



「さて、それではそろそろ、解散と致しましょうか。この後、人に会う約束がありましてね」

佐伯が立ち上がって伝票を取ったが、剛はここは自分が払うと申し出た。

「では、遠慮なくお言葉に甘えさせていただきます。・・・それはそうと、小林さん」


佐伯は剛の顔を覗き込み、声を落として言った。

「貴方、相当酷い顔してますよ?難しいでしょうが、ちゃんと寝て、ちゃんと食べないと。」

「はぁ・・・」


「まぁ、茅島美津姫には”風の噂”ってやつが耳に入るようにしておきますよ。
『小林剛は今や会社も辞め廃人同様で、精神科通いらしい』って。

これで貴方に近づくことも無いでしょう」


「・・・エリートじゃなくなった俺には、興味ナシってことですね」


「興味、持たれた方がいいんですか?」
「いえ!違うんです!ちょっと安心したって言うか・・・」

ハハ、と佐伯は笑い、剛の背中をポンと叩いた。






家に帰った剛は、自室のベッドに寝転んだ。
両親は仕事に出ており、家の中には剛ひとりきりだ。

天井を見上げ、大きくため息をつく。


全て終わった、のだろうか。



そう考えて、剛は酷く落ち込んだ。

(終わったとか・・・最低だ、俺)



宏子は死んだ。元はと言えば、俺のせいで。

だが、そのことについて考えるのを、脳が拒否している。
かつて宏子と過ごした、楽しかった日々を思い起こすことすら出来ずにいる。

後悔や謝罪の気持ちを、あの瞬間の恐怖が、大きく凌駕しているのだ。
そしてもちろん、美津姫の正体を知ったショックが。



寝返りを打ちながら、机の上に置いてあるファイルにチラリと目を向ける。


剛には未だ、あのファイルの全貌を読むことが出来ない。

佐伯がくれたファイルだ。
あの中に、恐ろしい出来事が全て詰まっている。

それを隈無く読み、事実を知ること。
そして、事実を知って存分に苦しむこと。


それがおそらく、自分に出来る、精一杯の贖罪だ。
そう思ってはいたが、実際に実行に移すのが怖かった。


実は先ほど、「一切関わらないで欲しい」と告げられた時、僅かながらもホッとしてしまったのも事実なのだ。

佐伯は、それに気付いたのかもしれない。

「自己満足」とか、「廃人同様」等と厳しい言葉を連ねたのは、自分への皮肉も混じっていたのではないだろうか。



剛は結局ファイルから目を逸らし、それを読むことをまた先延ばしにした。
自分の魂が清らかでも純真でもないことを、痛感する。

(皮肉を言われても仕方ないよな。俺はほんと、どうしようもない、クズだ)



また寝返りを打って、うつ伏せになった時。
剛の新しい携帯電話が鳴った。

以前の携帯電話は解約してあり、この携帯電話の番号を知っているのはかなり限られた人数なのだ。


意外に思いながらも、剛は携帯を手にした。
非通知でかかってきている。

「はい」


相手は無言だ。不自然な沈黙が続く。





「・・・もしもし?あの、どちらさまで」

「 見 つ け た 」



声にならない叫び声をあげ、剛は携帯を放り投げた。

ベッドの上の枕を掴み、盾にするように抱きしめながら、壁際まで後ずさる。



(誰だ?誰だ?誰だ?!・・・美津姫か?それともまさか・・・宏子?!)

確かに、女性の声だった。
だが、その声は酷くかすれていて、誰のものかはわからなかった。



(どうしよう!どうしよう!どうしよ・・・)


携帯の画面が光って通話状態を知らせているが、もう一度出てみる気になどなれる筈もない。



携帯が今にも飛びかかってくるのでは、とでもいう様に、剛は携帯から目を離さずにベッドから降りると、にじり寄るように移動して机の上のファイルに手を伸ばした。

ファイルを掴むや否や、壁際をつたって部屋から飛び出す。

ガクガクと震える足で階段を駆け下り、家の固定電話から電話をかけた。
指もぶるぶると震えていて、うまくボタンが押せない。

何度もかけ直し、ようやく繋がった。


「ハイ、さえ」
「佐伯さん!佐伯さん!!!助けて!助けて下さい!!今」

「小林くん?どうした?どこからかけて」
「家からです!実家の電話です!いま!!俺の携帯に電話が!!美津姫か、もしかしたら、ひ、宏子かも・・・」

「落ち着きなさい。君の携帯に、電話があったんだね?着信履歴は?」

「それが、非通知で!で、出てみたら女の声で!どうしよう。どうしよう、佐伯さん!助けて下さい!俺、もう・・・・」


完全に泣き声になっている剛に、佐伯が辛抱強く語りかける。

「いいから、落ち着いて。携帯電話はまだ繋がってる?じゃ、通話しながら移動出来るかな?・・・そう。では、・・・・怖がってる場合か?早く戻って、繋がっているかどうか確認しなさい。わかったから。怖いのはわかったから、いいから行って」

剛は恐る恐る階段を上り、開け放したドアから部屋の中を覗き込む。

携帯の画面は真っ暗だ。
そろりと手を伸ばし、確認してみた。

「・・・繋がってない、みたいです」


「では、通話記録を見て。正確な時間は?・・・しっかりしなさい。時間を確認したら、その時間の茅島美津姫の行動を調べるから」


剛は震える手で携帯電話を操作し、通話履歴を確認した。


「履歴が、無い・・・・」



呆然と呟く剛に、佐伯が口早に説明する。

「今日彼女は、さっき話した役者の男と一緒に居る。君に報告する為に私が持ち場を離れるので、見張りがわりに貼り付けておいたんだ。
今、メールで彼に確認したが、彼女はしばらくの間携帯に触れてもいないそうだよ」


「じゃぁ、やっぱり、宏子・・・?」



「そんなわけないだろう。実際、履歴も残ってないんだろう?
第一、仮に着歴があったとして、単なる間違い電話かもしれない」

「でも、いきなり『見つけた』って・・・言われたんだ」


佐伯は少し沈黙し、ゆったりと落ち着いた口調で話し始めた。声が幾分優しくなったようだ。


「小林くん。それは、幻覚・幻聴の類いでしょう。立て続けに色々有ったからね。ゆっくり休んで、カウンセリングでも受けなさい。
もしそういった機関に心当たりが無ければ、知り合いを紹介するから」




剛は礼を言って電話を切った。

呆然と、床に転がったままの携帯を見下ろす。
まだ心臓がドクドクと音をたてている。

(ほんとうに、幻覚だったのだろうか?それともやはり、宏子が・・・)




別れ際の佐伯の言葉を思い出す。

『小林剛は今や会社も辞め廃人同様で、精神科通いらしい』

それは美津姫を近づけない為の方便の筈だったが、どうやら現実になりそうだ。


続けざまに、脳裏に刻まれた宏子の落ちてゆく瞬間の映像や、美津姫の腕の感触、宏子の最後の声、美津姫の優しく囁く声等が甦る。


「一緒に死んで」
「大丈夫、大丈夫・・・」





崩れるように座り込んだ剛は、いつの間にか両手で強く髪を掴んでいた。

遠くから叫び声が聞こえてきたが、やがてそれは自分が発している叫びだと気付いた。

ほんの一瞬、「俺は、狂うのか?」という戦慄がよぎった。
だが、その最後の理性は、自らの叫び声と真っ暗な恐怖に塗り込められ、消えていった。





 ーーーーー 終わり ーーーーー 







ヒロとピロ

 

 

 

 

ヒロ と ピロ


ヒロチャンは、結局帰ってこなかった。

昨夜遅くに出掛けたきり。

あたしは時間とか よくわからないけど、ベッドのお部屋は真っ暗だったから、かなり遅い時間だった筈だ。


ヒロチャンはいつも、あたしが寝る時間になると、ベッドのお部屋に行けるようにドアを開けてくれる。

初めの頃あたしは、ヒロチャンにベッドまで連れて行ってもらっていたものだが、大きくなってからは自分で行けるようになった。

ヒロチャンは、「すごいねえ。おねえさんだねえ」って褒めてくれたっけ。


ベッドに入ると、ヒロチャンが「おやすみ」って言いながら電気を消して、ベッドのお部屋を真っ暗にしてくれる。
そしてヒロチャンは自分のお部屋に戻る。

その後しばらくは、ヒロチャンのお部屋から物音が漏れていて、あたしは少し寂しくそれを聞いてるんだけど、いつの間にか眠ってしまう。
そのうち、ヒロチャンのお部屋も静かになる。
あたしは寝てるけど、なんとなくそれを感じる。



でも、昨日はいつもと違った。

あたしのお部屋の電気を消した後も、ヒロチャンはずっとゴソゴソしてた。

そしてあたしのところへ来て、ベッドのお部屋ごとヒロチャンのお部屋に移動したかと思うと、ひとりでお出掛けしてしまったのだ。

真夜中だというのに。





朝になって起きたら、ヒロチャンはやっぱり居なかったの。


お腹が空いたのでご飯にしようと思ったら、いつもよりたくさんご飯が置いてあった。お水もたっぷりあった。
今までに見たことが無いくらい、たっぷり。


もうひとつ、おかしなこと。

いつもベッドのお部屋は、カーテンだけかけてドアは開けっ放しなのに、今日はその反対。カーテンは無くて、ドアはちゃんと閉めてある。


普段と勝手が違うし、ヒロチャンが居ないから不安だったけど、ご飯を食べたら少し落ち着いた。

いつもみたいに、ブランコや、お気に入りの紐で遊んだりした。
でも、寂しくなってすぐに止めてしまった。

お部屋の棒に座って、ヒロチャンのソファを眺めていたら、余計に寂しくなってしまった。

ヒロチャンはいつも、その小さなソファに座ってるんだ。
そしてそこから、優しい声であたしを呼ぶの。

「ピロチャン、おいで」って。


あたしは嬉しくなって、すぐに飛んでいって、ヒロチャンの肩にちょんと止まる。

あたしはヒロチャンの匂いが大好き。
ヒロチャンの髪にもぐって、髪を齧ったりするのが大好き。

ヒロチャン、早く帰ってこないかなあ。

つまんないから、ヒロチャンが帰ってくるまで、ヒロチャンと初めて会った日のことを思い出していようっと。





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