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「そして、宏子さんの、自殺前日です。その日のチャットの記録によれば・・・

『剛さんの新しい彼女から電話がかかって来た。
結婚を前提に、明日から同棲することになったので、もうメールや電話をしないで欲しいと言われた』
とあります。


そのチャットの少し前、貴女のご自宅の電話と宏子さんの携帯電話の通話記録が残っている。

宏子さんが貴女の自宅の電話番号を知らなかったのを幸い、横着にも自宅から電話したわけだ。
素性を隠し、新しい恋人のフリをして・・・と言うのも変ですね。だって、実際に新しい恋人は貴女なのだから。


要は、宏子さんの知っている普段の貴女の声色を変え、
宏子さんの知らない電話番号から、別人を装って電話した、と。」


渡辺が、綺麗にまとめ直した書類を佐伯に手渡した。
佐伯は美津姫に向け、それを顔の前で振ってみせる。

剛はと言えば、恐ろしさと混乱のあまり、もう美津姫を見る事が出来なかった。

剛は気付いてしまったのだ。
美津姫が家に泊まりにこなかったのは、おそらく、親が厳しかったせいじゃない。

宏子を追いつめる為だ。
連日、長い時間をかけて、じわじわと宏子を追いつめていったのだ。



「ここにすべて残っています。貴女が複数の名前を使い、宏子さんを追いつめていく様子が。

私なら、彼の裏切りを許せない。
私なら、彼をみすみす不幸にしたりはしない。
私なら、道連れにして自分と一緒に死ぬ。その方が彼にとって幸せだ。

さすがに、宏子さんも怖じ気づいた」


そう言って、佐伯は剛に視線を戻した。

「そりゃ、そうですよね。宏子さんは、一度は諦めたものの、剛さんの心をなんとか取り戻そうと思い直し、必死になっていた。
それがいきなり、無理心中を推奨され始めたんだから」

労るような眼で剛に頷きかける。


「ところが、明け方まで数人がかりで寄ってたかって責められ、煽動され、追いつめられ、宏子さんは冷静な判断力を失っていった・・・

心中の方法まで、細々とご丁寧に提案してありますね。
しかも、いくつかの方法を挙げておいて『一番成功率の高い方法』を、宏子さん自身に選ばせるよう仕向けている。
大したもんです」

佐伯は、さも感心したようにため息をついた。

「ここまで見事に他人の意思をコントロールするなんて、なかなか出来るもんじゃありませんよ。ホント、スゴいですよ。美津姫さん」



剛は信じられない思いで佐伯を盗み見た。
感心したように頷く様子は、皮肉を言っているようにも見えない。

コイツは何を言い出したんだ・・・?
確かに、人の意思をコントロールするなんて、凄いことかもしれない。
だが、美津姫のやった事は・・・・



しかし、美津姫の反応はさらに信じ難いものだった。

「そんなの、簡単よ。宏子は昔から馬鹿だったもん。
自分に自信がなくて、すぐ人の意見に左右されるの。
思い込みも激しいし根暗だしすぐ騙されるし。チョロいよ。フフン」

馬鹿にしたように嗤うその声には、得意気な響きさえ感じられた。

剛は耳を塞いでしまいたかったが、身体はピクリとも動かなかった。


「何故、他の方法ではなく、飛び降りを提案したんです?
もし失敗したら、とは?剛さんを巻き込んだら?とは、思わなかった?」

「ハァ?失敗?・・・・結局成功したんだから、別にいいじゃん」


美津姫の小馬鹿にした様な口調に、剛は再び呆然とするしかなかった。

宏子の命も剛の身の安全も、美津姫にとっては取るに足らないものなのだ・・・


「包丁使って、とか?そういうんだと、体力差で負けちゃうだろうしぃ。電車のホームに突き落とすとかだと、近づく前にバレるかもしれないし、他の客に気付かれて止められちゃうかもしれないしぃ。

・・・だからえっとぉ、飛び降りはね、前に遊びに来た時、向かいのビルにあのマンションの屋上が映って見えたからぁ。それで思いついた。

ま、でも。本当にやるとは思ってなかったけど。
ってか、上手くいけばラッキー♪みたいな?」




「上手くいけば?!・・・上手くいけばラッキー、だと?!」

突然、渡辺が椅子を跳ね飛ばして立ち上がった。

今まで佐伯と美津姫にばかり気をとられて気づかなかったが、渡辺の顔からは血の気が失せ、真っ白になっている。


「お前!!!自分が何したかわかってんのか?!
お前は、宏ねえを殺したんだ!!お前が殺したんだ!!この、人殺し!!!」

その中性的な顔立ちには似合わぬ険しい眼で、渡辺が美津姫を睨みつける。
固く握ったこぶしが、ブルブルと震えている。


「ッハァぁああ?コイツ、何言ってんの?」

美津姫は鼻であしらうように吐き捨てた。

「そんなの、アイツが勝手に飛び下りたんじゃん。
アタシが突き落としたわけじゃないし」


「お前が、お前が宏ねえを散々追いつめたんじゃないか!」

美津姫は、「ハッ」と息を吐いて嘲笑った。

「アンタ、何なの?バカなの?ちょっと何か言われたくらいで死ぬとか。

じゃあアンタも死になよ。ホラ、死ねって言われたら死ぬんでしょ?
オラ、さっさと死ねよ!」

ダイニングテーブルの脚を、美津姫が蹴飛ばした。テーブルが渡辺の腿にぶつかる。

 


「てめええええ!!!」

美津姫に掴み掛かろうとした渡辺を、佐伯が素早く取り押さえた。


美津姫は剛に駆け寄り、隠れるように腕に縋る。
だが剛は反射的に、その手をはね除けた。

美津姫はハッとしたように剛を見つめると、一転、目を吊り上げた。
鼻の穴が膨らみ、口が歪む。

人間の顔は一瞬でこんなにも変わるものなのだと、剛は初めて知った。



「ぎゃあああああ!!助けて!!殺されるぅーーー!!!助けてえええ」

いきなり金切り声を上げながら身を翻すと、美津姫はすぐ側のベランダの窓に飛びつき開け放ち、外に向かって叫ぶ。

「助けてーーーー!!!誰か、警察呼んでーーー!!」



渡辺を羽交い締めしたまま、佐伯が冷静に言った。

「被害者を装っても無駄ですよ、美津姫さん。先ほどからの会話は、全て録音されています。
さらに、動画も撮影していますから」

佐伯は胸ポケットに差したペンを指し示した。
ペン型の録音機材なのだろう。


美津姫は鬼の形相で振り向いた。

「はあああ?何それ!聞いてないんですけど!!盗撮!それって盗撮だから!!訴えてやる!!」

佐伯はニッコリ笑った。

「いえ。盗撮にはなりません。家主の剛さんに、あらかじめ『記録をとる』ことはお断りしてありますから」

鬼の形相のまま、美津姫は剛の方へ振り向いた。
剛は壁にへばりつき縮こまったまま、カクカクと頷く事しか出来ない。

確かに、『記録をとる』ことを了承していた。
ただそれは、『渡辺がメモをとること』を指しているのだと思い込んでいたのだが、もちろんそれを告げる気にはならなかった。



「まあ皆さん、落ち着いて。渡辺くん、座りなさい」

佐伯は椅子を立て直し、渡辺の肩を押さえて座らせた。
その後ろを回り、渡辺と美津姫の間に割って入る。


「貴女は今、『ちょっと言っただけで死ぬ』と言いました。
だが、貴女のやった事は、それだけじゃない」

書類をパラパラとめくり、数枚の画像を取り出す。

「土曜の深夜。マンション裏口の、防犯ビデオの映像です。
扉の鍵がかからないよう、細工をしたのは貴女ですね」


そこには、裏口の扉の側にしゃがみ込む美津姫が写っていた。
寝間着の上にカーディガンを羽織っている。
画像が荒くてハッキリとは見えないが、手に持っているのは小さなセロハンテープのようだ。

もう一枚の画像には、立ち去る美津姫の姿だ。
その表情は、事を成し終えてほくそ笑んでいるように見えた・・・


「宏子さんには事前に、チャットの中で、マンションに侵入しやすいであろう時間帯を”アドバイス”してあった。

その上で、彼女と鉢合わせしない時間を見計らい、夜中に部屋を抜け出して、外から侵入しやすいようドアに細工したのでしょう。
鍵を壊す時に大きな音を立てられては、他の住人に見つかってしまう怖れがありますからねえ」


「・・・そうよ。だからって何よ!!さっき言ったでしょ!
アタシが突き落としたわけじゃない!!アタシが殺したんじゃない!
宏子は自分で飛び下りたんだからね!!」


足を踏み鳴らしながら顔を真っ赤にして怒鳴っている美津姫を見て、痺れたようになっていた剛の頭は、ようやくまともに動き出した。


 この女、狂ってる・・・・





「アタシがやったのは、チャットで話しただけ!!
ちょっと扉に悪戯しただけ!!

これが罪になるの?!なるわけないでしょ!!」


「さあ・・・どうでしょうねえ。私はしがない探偵なんでね。
法律とか、詳しくないんですが・・・

まあ、これだけで罪に問うのは、難しいでしょうねえ」


佐伯の言葉に、イライラと髪を掻きむしっていた美津姫の手が止まった。


「ほら!ほら見なさい!あれは宏子が勝手にやったこと。
アタシは悪くない。法律がそう言うんだから!あははは!」

一転、得意満面で渡辺を見下ろし嘲笑う。

笑っている筈なのに、目は吊り上がり口は歪み、まるで般若の面の様だった。


佐伯はそんな美津姫から目を逸らさなかったが、片手をテーブルにつき、背中で渡辺を牽制していた。

佐伯の背中越しに、渡辺は燃えるような眼差しで美津姫を睨みつけている。



「ところで・・・貴女は何故、宏子さんを殺そうと思ったんだろう。
小林剛さんを奪うだけなら、何も殺す事は無かったんじゃないのかな?」

佐伯の問いに、美津姫は少しの間押し黙った。
眉を寄せ、目つきが険しくなる。

「だって、知り合いだって事、あとでバレたら面倒だし。死んでくれればラクかなって。

「法に問えない(かもしれない)」と言われた為か、宏子を「殺した」という佐伯の言葉を認めてしまっているが、本人は気付いていない様だ。



「それにアイツ・・・アタシを見下したのよ。
『美津姫ちゃんも、いつまでもフラフラしてないで結婚すればいいのに』とか言って」


「そんなことで・・・・?!」

呆然と呟いた渡辺を、ものすごい勢いで睨みつける。

「そんなことおおお?!冗談じゃないわよ!!宏子の分際で!!
な んであんな地味で冴えない女にそんなこと偉そうに言われなきゃならないわけええ?あいつは一生アタシの引き立て役やってりゃ良かったのよ!大体なんでアタ シがハケンなのにアイツが正社員なワケ?ずるいじゃない!そのうえアタシを差し置いてそこそこのエリートと結婚とか絶対絶対許さないし!結婚式に呼んでも いいかとか良いわけねえっつーのそんなもん行くわけねーし生意気なんだよ宏子のくせに!!!」

極限まで目を剥き、唾を飛ばしながら一気にまくしたてる美津姫の姿は、壮絶だった。
顔はどす黒い赤色に斑に染まり、目はギラギラと光っている。


さすがに渡辺も息を飲んだ。
怒りのこもった燃えるような視線から、狂人を見るような目つきに変わっている。


フーフーと荒い鼻息をつきながら、美津姫はなおもまくしたてる。

「大体、『宏ねえ』とかって、アンタ何なのよ!!
アンタみたいなオカマ野郎に、なんでアタシが怒られなきゃなんないのよ!」


鬼神のような美津姫に睨みつけられ、渡辺は一瞬ギクリと身を固くした。
そして、何か熱いものをグッと飲み下すような表情をした。

「俺は、俺はオカマなんかじゃない!」


渡辺を守るように、佐伯は穏やかな声で話を引き取った。

「実は・・・渡辺くんはね、宏子さんの従弟にあたる方です。
そして、この案件の依頼者でもあります。宏子さんが自殺するなんて考えられない。理由が知りたい、と」


「理由ならわかった。このキチガイ女が」

「誰がキチガイ女よ!!キチガイは宏子の方じゃない!
普通の人は、あんなことしないから!アタシが怒られる筋合いじゃないし!!」

「だから、それはお前が・・・大体、怒られるとかいうレベルの話じゃないんだよ!人が死んでんだぞ!・・・お前のせいで!お前のせいで!」


「渡辺くん」
佐伯は振り返ると、渡辺のほうへと屈み込んだ。

「無駄だよ。この人には、まともな話をしても通じない。
頭がオカシイんだ。見ていて、よくわかっただろう?」

渡辺の足元の鞄から、ペットボトル入りの水を取り出し、キャップを外して渡す。

「いくら怒鳴ったって、いくら責めたって、こういう輩は絶対に謝ったりしない。反省もしない。
どれだけ怒鳴っても、君の喉が痛くなるだけだ」

渡辺は水を受け取ったが、飲もうとはしなかった。
怒りのあまり息を荒らげながら、美津姫を睨み続けている。




「さあ。そろそろ帰りましょう。さっき君も言ったとおり、理由はわかった。宏子さんを追いつめたのが、どんなクズ人間かもわかった。もう、ここに用は無いだろう」

佐伯はファイルを鞄へと仕舞いかけたが、思い直したように剛に声をかけた。

「これ、よろしければ差し上げます。落ち着いたら、読んでみるといいですよ。・・・・色々、スゴいですから」

テーブルの上を滑らせるようにして、ファイルを剛の前に置いた。



黙っていなかったのは美津姫だ。

「ちょっと!待ちなさいよ。人の事キチガイだのクズだの散々言っておいて、このまま帰れるとでも思ってんの?」

美津姫が佐伯に詰め寄る。



これ以上、何を言う気だ?
もう勘弁してくれ。終わらせてくれ・・・・

剛は祈るような気持ちで、目の前のファイルを凝視した。
そうしていれば、美津姫を見ないで済むような気がしたからだ。



「謝んなさいよ!土下座してよね!」

佐伯はそれを無視し、淡々と帰り支度を続ける。


美津姫は更にヒステリックに叫び、床を踏み鳴らす。

「謝らない気?アンタ達、訴えてやるから!!」



佐伯は顔を上げ、美津姫に向かってニッコリと微笑んだ。
が、その目は全く笑っていなかった。


「冗談も程々にしましょうね、茅島美津姫さん。
訴えて損をするのは、貴女ですよ。そんなこともわかりませんか?
全ての資料、この会話の録音。公にされたらどうなるか、考えてからものを言うべきでしょう」

その口元は微笑み、声もごく穏やかだった。
だが、今の佐伯は凄まじい威圧感を放っていた。

さすがの美津姫も、気圧されて言葉を飲み込む。


「それより、早く逃げた方がいいんじゃないですか?茅島美津姫さん。
さっき貴女が大声を上げたせいで、ご近所の親切な方が本当に警察を呼んでいるかもしれません。
そうしたら、全ての資料を警察に提出する事になりますよ。我々が捕まったんじゃ、かないませんからねえ」


美津姫はしばらくの間佐伯を睨みつけていたが、何も言わずに寝室へ向かった。
ドスドスと足音も高く、力任せにドアを閉める。

乱暴な仕草で自分の荷物を掴むと、こちらを一瞥もせずに玄関を出て行った。


玄関のドアをくぐる時、小さく「あの、クソババア・・・」と呟くのが聞こえた。

佐伯に電話やパソコンを調べさせた母親のことが気に喰わないのだろう。




「やあ・・・あれは家に帰ってから、相当荒れそうですねえ」

とぼけた口調で、佐伯が呟いた。


「さ、我々はおいとましましょうか。では小林さん、お邪魔しました」

険しい表情で玄関の方を睨んだまま黙りこくっている渡辺を立ち上がらせ、佐伯は剛に向かって頭を下げた。


「まっ・・・待って下さい!」

「独りにしないで」という言葉が喉まで出かかったが、剛はなんとかそれを飲み込んだ。
我ながら情けないことだが、今この部屋にひとり残されたら、発狂してしまいそうだ。


「俺・・・その、まだ混乱してて・・・あの・・・」


「まあ、無理も無いでしょうねえ」

佐伯の同情的な声に、剛は少しホッとした。

「でも、本当に警察が来たら面倒ですから、我々は退散しますよ。
もしよろしければ、一緒に事務所の方へ行かれますか?」


ありがたくその申し出を受けようとしたその時、渡辺が抗議の声を上げた。

「そんなヤツ、ほっとけよ!!コイツは宏ねえを捨てたんだ。
あんなキチガイ女なんかにコロッと騙されやがって!」


返す言葉も無かった。


黙って俯く剛に同情したのか、佐伯はとりなしてくれた。

「まあまあ、そう言わずに。さ、一緒に行きましょう」




 ーーーーーーーーーー


「あの、クソババア・・・・」

美津姫は歯ぎしりしながら、高いヒールをアスファルトに突き立てるように猛然と歩きだした。

前方を睨み据えていたが、何も目に入ってはいなかった。

すれ違う人々が、怯えたように自分を振り返るのにも気づいていない。


(母親のくせに、いつだってアタシの邪魔ばかりする。アタシのやる事為す事、いちいち文句つけてくるし超ムカつく。今回だって大喜びでパソコン差し出したに決まってる。超ムカつく超ムカつく超ムカつく!)

持っていたバッグで、自販機の横のゴミ箱を殴りつけた。
倒れはしなかったものの、ゴミ箱はグラグラと揺れている。

それに見向きもせずに、美津姫は肩を怒らせ前のめりになって歩き続ける。

(大体、剛だって何なのよ!あんぐらいでビビりやがって。正直死んでくれてラッキーとか思ってたに決まってる。偽善者ぶってんじゃねーよ。いつまでも毎晩ブルブル震えたりとかウザイんだよ。あんな男、もうどうでもいいし。ってかそもそもタイプじゃなかったし!)


目の前を親子連れが歩いている。
通行の邪魔だったので、追い越しざまに母親の肩に思い切りぶつかってやった。

母親が何か声を上げているが、無視して歩き続ける。

(チンタラ歩きやがって。うぜえんだよ)


美津姫は今、その目に映るもの全てを憎悪していた。

(あ んな女のひとりやふたり、死んだってどうってことない。地味でバカでおどおどヘラヘラしてたくせに。ちょっといい大学に行けたのだって、カレシも友達も出来ずに毎日毎日勉強しかやることなかったからだし!正社員になれたのだって親のコネかなんかに決まってるし元々はアタシの方が成績も良かったし断然カワイイし友達も多かったしなのになんで宏子ばっかりいい目見てんのよあんなやつ死んで当然なんだからアタシは悪くない)


目をギラギラさせながら猛然と歩いていたら、駅を通り過ぎていたことに気づく。

美津姫の苛立ちはピークに達した。

叫び出したいのを抑え歯ぎしりしながら、駅に向かおうと踵を返すと、誰かにぶつかった。


「あ、すいませ・・・」

謝って来た相手を睨みつけると、怒鳴りつけた。

「どこ見て歩いてんのよ!!」


「え、いや、そっちが急にUターンして」
「うるさいうるさいうるさい!!!」

怯えて咄嗟に鞄を抱きかかえた気弱そうな若者を遮り、美津姫は怒鳴り散らし始めた。

「アンタがボーッと歩いてるからでしょ?!クチゴタエする暇があったらあやまんなさいよこのデブ!!キモイんだようざいんだよ!大体いつも・・・アタシが・・・・」


もう、美津姫が何を叫んでいるのか、誰にも聞き取れなかった。

例えて言うならその罵声は、金切り声のモールス信号のように聞こえた。


目を血走らせ口から泡を飛ばし、地団駄を踏みながら甲高い声で怒鳴り散らす美津姫の姿に怯え、相手の男は逃げて行った。

それでもまだ喚き続ける美津姫を、人々は遠くからチラリと見やりそそくさと離れていく。

子供連れの主婦たちは、子供の手を引いて足早に逃げて行った。


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