閉じる


<<最初から読む

6 / 28ページ


土曜日。

剛は断続的な浅い眠りを諦め、早朝に起き出した。

あまり食欲は無かったが、美津姫のために朝食を用意していた。
連日、引っ越しやその片付けを手伝ってくれている美津姫に、何かしてやりたかったのだ。

色んなことが落ち着いたら、旅行にでも連れて行ってやらなければ。



しばらくすると、美津姫が眼を擦りながら起きて来た。


「また、あまり眠れなかったみたいね」

「おはよう。美津姫は、よく眠れた?」

精一杯の笑顔を、美津姫に向ける。


「うん、ちゃんと眠れた。朝ごはん、私がやるよ」

まだ眠た気に目を擦っている美津姫に、剛は首を横に振った。


「いいんだ。この一週間、美津姫には無理させちゃったからな。朝食ぐらいは俺に作らせて。
もうすぐ出来るから、着替えておいで」


美津姫は子供っぽく頷くと、着替えのために覚束ない足取りで寝室へ戻って行った。




美津姫の両親は、外泊などに厳しいらしかった。
25歳になった今でも、一人暮らしはおろか、平日の外泊すら禁止されていたのだ。

なのに、美津姫はそんな両親に事情を話し、頼み込んで説き伏せ、この1週間ずっと一緒に居てくれている。


剛が会社を休んでいた3日間も、自分は朝から仕事に出掛け、仕事が終わるとまっすぐこの部屋に帰ってきた。
剛がなんとか仕事に行けるようになると、ふたりはわざと時間をずらして出社し、帰りもバラバラに帰宅した。

会社で「同棲している」などと噂になると面倒だからだが、美津姫はその緊張感を楽しんでくれた。

優しさに加え、美津姫のそんな無邪気さにも、剛は救われていた。



 ーーーーーーーーーー



エントランスのチャイムが鳴ったのは、朝食をしたため洗い物を片付けた後だった。


剛がインターフォンを取ってみると、小さな画面には見知らぬ2人組が映し出されていた。

あんな事件があったので、剛は新たな物件選びに於いて、セキュリティーを最も重視したのだった。



「・・・ハイ」

剛が応対すると、画面の中のふたりの男はペコリと頭を下げた。

「小林剛さんのお宅ですね?
おやすみのところ、申し訳ございません。わたくし、中原探偵社より参りました、佐伯と申します。少しお話を伺いたいのですが」


(探偵?探偵だって?)

剛は、小さな画面を凝視した。

映っているのは、何の変哲も無い、サラリーマン風の中年男。
その後ろに控えているのは、若干華奢に見える、カジュアルな服装の若い男だ。


探偵なんて、テレビか小説の中でしかお目にかかった事が無い。

「あの、一体どういった・・・?」

いぶかし気な剛の声に、佐伯はモニター画面へと一歩近づくと声を落とした。


「実は、先日亡くなった、杉岡宏子さんの事で」




前の部屋で使っていた家具は、引っ越しの際にほとんど処分していた。
宏子も以前使っていた家具に囲まれているのが、苦痛だったからだ。


楕円形の、真新しい小さなダイニングテーブル。
美津姫と一緒に選んだもので、2人で使うには充分だ。

美津姫との家具選びは、恐ろしい体験をしばし忘れさせ、束の間の新婚気分を味わう事が出来た楽しい時間だった。


今、そのテーブルの向かいには、佐伯と、助手の渡辺という青年が座っていた。

剛の手元には、佐伯の名刺が置いてある。


佐伯は、ペコリと頭を下げた。渡辺もそれに倣う。

「すみません。渡辺はまだ、助手見習いでして。名刺作ってないんです。

ああ、それと・・・申し訳ありませんが、記録を取らせていただきますよ。依頼主に報告するために必要でしてね」


ダイニングチェアは2脚しか無かったので、仕方なく剛はパソコン用の椅子を持ち出し腰掛けていた。

宏子のことを話すのは気が塞ぐが、生まれて初めて見る『探偵」という生き物に興味を引かれ、それとなく観察してしまう。



佐伯という男は、2週間前に床屋に行って然るべきだった。
わずかに寝グセが残る髪は、きちんと纏まる事を拒否しているらしい。
若干猫背気味のようだが上背があり、よく見ればスーツの上からも無駄の無い強靭な身体が窺える。
がっしりとした首と薄い唇が、意志の強さと明晰さを感じさせなくもない。

年季の入った無個性なグレーのスーツに、アイロンがけの必要がありそうな白いYシャツ。
一番上のボタンを外し、ネクタイはしていない。


渡辺という若い男の方は、よく整った中性的な顔立ちをしており、清潔感があった。
ななめに分けた長めの前髪がほお骨にかかり、華奢な顎のラインを際立たせている。
メモ帳を開きペンを握る指先はよく手入れされており、几帳面な性格が伺えた。

ボタンがアクセントになった、白襟に淡いトーンのチェック柄のシャツ。
その上から綺麗な紺色のニットジャケットを羽織り、ミルクティ色の細身のパンツを合わせていた。
首元に巻いた大判のストールが、全体のバランスを調和させている。


インターフォンの小さな画面ではそれほど感じなかったが、実際目の当たりにすると、探偵とその助手見習いは、少なくともその見た目に於いて好対照を為していた。



剛は目の前のふたりを観察しつつ、答えた。

「宏子の事なら、警察の方に色々聞かれて話しましたよ。でも特に、問題はなかったはずです」

(その衝撃度以外には・・・)

胸の中だけで、呟く。


宏子が飛び下りた翌々日、新居へ荷物を運び出すために部屋に戻ったところで、剛は警察に事情を聞かれたのだった。

30分ほど話し、彼らは剛に同情とお悔やみの言葉をかけ、帰って行った。

はっきりとは言わなかったが、彼らの話し振りから察するに、宏子はマンションの裏口から忍び込んだらしかった。
もちろん裏口のドアにも鍵はかかっている筈だったが、たまたまその鍵が壊れていたらしい。

それを聞いて、あの日美津姫とふたり裏口から逃げ出したのを思い出し、また戦慄したものだ。
自分達が通ったその数時間前、宏子は同じ場所を通って屋上へ上がったのだ・・・




「ええ。警察では、自殺と見ているようですね」

佐伯の言葉に、剛は妙な引っかかりを感じた。


「警察、では・・・?」

思わず眉根を寄せた剛に向かって、佐伯は両肘をテーブルに預け身を乗り出すようにした。

「私どもは、杉岡宏子さんの・・・ご親族からの依頼で、調査しております。彼女の、死の真相を」



(コイツは、一体何を言ってるんだ?)

心臓を、冷たくざらついた手で引き絞られるような気がした。
ただでさえ思い出したくもない出来事なのに、さらに恐ろしい話になる予感がする。

出来る事なら、そんな話など聞きたくはなかった。
一刻も早く忘れさせて欲しかった。


だが一方で、聞かなければならないとも思っていた。

何故、宏子はあんなことをしたのか。何が彼女をあそこまで追いつめたのか。
宏子に別れを告げてから2ヶ月の間に、彼女に何が起きたのか。



覚悟を決めて、剛は佐伯を見つめ返した。

佐伯は落ち着いた表情で、剛の反応を待っていた。
渡辺は目を伏せたままメモ帳にペンを走らせている。



「しん・・・真相って、どういう意味ですか?自殺じゃない、とでも?」

「いや。そうは言ってません。が・・・」


「ですよね。俺は見たんだ・・・彼女は、俺の目の前を落ちていったんです!俺を道連れにするつもりだったんだ!」


遮るように言い放ったその言葉で、またあの瞬間を追体験してしまった。

背筋に震えが走る。
剛は思わず、きつく目を瞑りテーブルの上で両手を握りしめていた。

意識してゆっくりと息をつく。
細く長く、吐き出す息が震えていた。



「いやあ、お辛い事を思い出させてしまいましたね。申し訳ない。ただね、私がお話を伺いたいのは・・・」


「失礼します」

美津姫がお茶をトレイに載せてやって来たので、佐伯は言葉を切った。


お茶を配る美津姫に、ふたりは黙礼する。


「ありがとう。美津姫」

無理に硬い笑みをこしらえ、剛が美津姫の気配りを労う。

美津姫はそんな剛に励ますような微笑みを返し、客に会釈して退出しようとした。


「ちょっと、待って下さい」

佐伯が美津姫を呼び止めた。

「私がお話を伺いたいのは、あなたです。茅島美津姫さん」




「私がお話を伺いたいのは、あなたです。茅島美津姫さん」



「・・・へ?」

緊張状態の中で意外な言葉を聞いた剛は、思わず間抜けな声を発してしまった。


「イヤあの・・・彼女は関係無いです。宏子とは面識も無いし」

美津姫を庇う様に、キャスターの付いた椅子で彼女の側ににじり寄る。


そんな剛に構わず、佐伯は美津姫をまっすぐに見据えて言った。

「茅島美津姫さん。あなたは、杉岡宏子さんとは高校の同級生ですね?」



「・・・・へ?」

またもや、剛は間抜けな声を発した。
間抜け面のまま、美津姫を見上げる。

美津姫は心持ち目を見開き、佐伯から少し視線を外したまま、トレイを胸に抱えて固まっている。


「同級生、って・・・え、美津姫?」


佐伯が目配せすると、渡辺は足元の鞄から大判の本を取り出した。

立派な紙のケースを外し、豪華な装丁の本の付箋を貼ったページを開く。

それは、卒業アルバムだった。



「ここ。これが、杉岡宏子さん。そうですね?」

佐伯はクラス写真の一角を指し示し、剛に確認を求めた。

佐伯の指の先には、覚束な気に微笑む宏子の顔があった。
笑顔を作ろうかどうか、思案している途中のような表情だった。


「あ、ハイ。そうです・・・」

このアルバムは、前に一度だけ見せてもらった事があった。
「高校時代、あまりいい想い出が無いから」と渋っていた宏子を、拝み倒して見せてもらったのだ。

一瞬、懐かしい想いにとらわれかけたが、今はそんな場合ではない。


「で・・・こちらが、茅島美津姫さん」

宏子の斜め前、最前列に指を滑らせる。



そこには、全くの別人が写っていた。


小麦色に日焼けし、脱色したパサつく髪をくるくる巻いて、派手なメイクとネイルでポーズを決めている。


「み、みつき?・・・・これが?」


剛は、目の前にいる美津姫と写真を何度も見比べた。

集合写真の下にはクラス全員の氏名が印刷されており、その少女は間違いなく美津姫であるらしかった。

一方、目の前にいる女性は、清楚で控えめ。いつも優しい笑顔を浮かべ・・・


「美津姫・・・?」


そこに立っているのは、ふてくされたような表情でテーブルの一角を冷たく見下ろしている女だった。





「しかも最近、あなたは何度も宏子さんと連絡を取り合ってましたね?」


「え?・・・ちょ・・」

佐伯の言葉が理解出来ず、剛はただオロオロするばかりだ。



「だから、何?!」

初めて聞く、低く太い声。
金属的な雑音が籠り、下品に響く。



佐伯が落ち着いた様子で渡辺に目配せすると、渡辺は足元の鞄から薄いファイルを取り出した。

「ありがとう」

ファイルを受け取ると、佐伯は書類を取り出しテーブルの上に広げてみせた。


「お宅にお邪魔して、お母さまの了解の元、電話と2台のパソコンの履歴を調べさせていただきました。
こちらが、それをプリントアウトしたものです」


「そしてこれは、宏子さんの携帯とPCに残されていたものです。
遣り取りの内容が綺麗に残ってましてね」


佐伯は書類を順番に指し示し、畳み掛けるように言葉を継ぐ。

「あなたは複数のハンドルネームを用いて、宏子さんとチャットされています。そして・・・」

「自殺の前日。ご自宅の固定電話から、宏子さんの携帯と通話されています」



「え・・・」

(チャット?複数のハンドルネーム?宏子と電話?)


「ちょ、ちょっと待って下さい。俺には、何がなんだかサッパリ・・・」

混乱した剛が割って入った。
うわずった声が、動揺の大きさを物語っている。



佐伯は剛に向き直ると、噛んで含めるように言った。


「つまり、美津姫さんと宏子さんは友人同士だった。
去年の終わり、宏子さんが美津姫さんにメールを送り・・・ふたりは会う約束を交わした」

一枚の書類、宏子の携帯メールのコピーを指差す。

「およそ1ヶ月後、複数の人物と宏子さんとのチャットが始まった。
内容は、見ていただければわかるとおり、恋愛相談・・・というか、失恋を慰めるような内容ですね」

佐伯は数枚の書類を滑らせるように剛の前へ押しやった。

「ですが徐々に、宏子さんを追いつめるような内容に変わって来た」

「・・・」

剛はおそるおそる、目の前の書類に手を伸ばした。


その時。

美津姫の手がサッと伸び、剛の手の中の書類を鷲掴みにすると、間髪入れず壁に向かって投げつけた。

そのほとんどは壁に届かず、バサッと音をたてて部屋中に舞った。


部屋に散乱する書類の中、驚愕する剛に構わず、美津姫は胸に抱えていたトレイをふてぶてしい態度でテーブルに放り出した。

トレイが大きな音を立てる。
湯のみが倒れ、テーブルにこぼれたお茶が書類の一部を濡らした。


「な・・・な・・・・」

先ほど美津姫を庇うようににじり寄った椅子が、後ずさりしてゆく。



「だから、何なの?!つーか、アタシが誰とチャットしようがアンタに関係なくない?!」



美津姫はこんな言葉遣いはしない。
こんな金属的な、刺々しい耳障りな声なんて出さない。
可愛らしくて、少し鼻にかかるような甘い声で・・・・

「ひょっとして、双子の姉妹でもいらっしゃいますか?」

剛は一瞬そう訊ねようかと思ったが、もちろんそれは現実逃避だった。




「これらの資料から推測しますと・・・」

佐伯は全く動じる様子も無く、放り出されたトレイに湯のみを片付けながら、淡々と話を進める。

「宏子さんからのメールで、お二人は久々の再会を果たした。
そこで、宏子さんに結婚を考えている彼氏の存在を明かされた。

一緒に食事した後、貴女はそのまま宏子さんのアパートの部屋に泊まった。
おそらくその時に、彼女のブログや、出入りしている掲示板を見つけたのでしょう」

美津姫を見上げた佐伯の視線につられ、剛も視線をあげた。

上唇を引き攣るように歪ませ佐伯をねめつけているこの女は、一体何者なんだ・・・?

背筋がぞわりと粟立ち、剛は壁際まで後ずさりした。



「宏子さんのPCを、盗み見ましたね?」

冷静な佐伯の声に、美津姫がいきなり逆上した。

「何よ!悪い?!見られたくなきゃ、ロックでもしとけばいいでしょ!!
パソコンも携帯も、その辺に放り出してあったんだから!
勝手に見れる様にしとく方が悪いんじゃない!!」



「・・・確かに、一理ありますね」

信じられない事に、佐伯はそう言って頷いた。
まるで同意を示すかのように、微かな笑顔さえ浮かべて。


その反応に、美津姫の口の端が満足気に吊り上がった。
微笑みとはほど遠い、狡猾で幾分得意気な表情だ。


「宏子さんとの再会からおよそひと月後、貴女は剛さんの会社に配属された。
貴女が、担当者に強く希望を出されていたそうですね」

佐伯はテーブルの上の散らばった書類を束ねながら、世間話でもするような口調になった。
お茶で濡れたところを、ハンカチを取り出して拭き始める。

「きっと、優秀な社員でいらっしゃるのでしょうねえ。このご時世、そうすんなり希望が通るとは」


のほほんとした口調の中に、若干の皮肉を含んでいる。
だが、美津姫は気づかなかったようだ。



「そこで、剛さんと運命の出会いを果たした。
イヤ失礼、運命ではありませんね。巧妙に仕組まれた出会い、ですね」

佐伯の口調が、徐々に冷ややかなものに変わっていく。


「貴女は、宏子さんのブログや彼女とのメール・電話の中から、ひと月かけて剛さんの理想の女性像や好み、趣味などを聞き出し、データを集めていた。

髪を黒く染めパーマも落とし、ファッションもメイクも変えて、剛さんの理想の女性に変身し、準備万端整えて職場に登場した。大したものです」


テーブルの上の書類を集め終えると、佐伯は床に散らばった書類を集め出した。
渡辺もそれに倣い、黙って書類を拾い始める。


「まんまと剛さんをゲットすると・・・おっと、失礼。ちょっと下品でしたね。
えー、失恋を報告する宏子さんのブログに、励ますようなコメントを書き込んだ。もちろん、偽名で。

さらに、宏子さんが使っていた掲示板等に別の偽名で出入りして、宏子さんと仲良くなっていく。やがてずっと小規模な掲示板に宏子さんを誘導した」


あらかた拾ってしまうと書類を渡辺に渡し、再びダイニングチェアに腰を降ろした。

「小規模な掲示板で、あなたは複数のハンドルネームを操り複数人を装った。初めは慰め、励まし、宏子さんを元気づけていた・・・
傷ついていた宏子さんは、そんな彼女達に徐々に心を開き信頼を深め、慰めを見いだしていった。

しかし徐々に、彼女達は宏子さんを煽っていくような流れに変わって行った。

愛しているなら、彼を手放してはいけない。
剛さんは貴女とじゃなきゃ、幸せになれない。
剛さんはきっと、その女に騙されているだけだ。

貴女は剛さんを魔の手から救わなければ・・・」



剛に届いた、宏子からのメール。
その内容にそっくりだった。

剛は漸く理解した。
宏子を追いつめておかしくしていったのは、他でもない、美津姫だったのだ・・・・




読者登録

霧野あみさんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について