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剛は尻餅をつく格好で、部屋の床に倒れていた。


(な・・・何が起きたんだ・・・・)

状況を理解出来ず、呆然とあたりを見回す。



剛の後ろには、荒い息をついてしゃがみ込んでいる美津姫が居た。


「い・・・今・・・・」

言葉が口に上ってこない。
剛は首を巡らせた格好のまま、惚けたように美津姫を見つめた。


視線を感じたのか、美津姫は顔を上げた。
目が合うと同時に剛の背中に抱きついてきた。

「よかった・・・!!!」


両腕を剛の腹に回し、ギュッと抱きしめる。

「テレビを消そうと思って、リモコンを取るために屈んだの。そしたら・・・向かいのマンションの窓に映ってて・・・」


美津姫の声は、泣き声に変わっていった。

「女の人が、屋上から下を見てたの。手すりの外に座って、携帯で話しながら。この部屋の真上だった」


しゃくりあげながらそう話す美津姫の涙が、剛の背中を温かく濡らしていく。


「だから咄嗟に、・・・走って行って、引っ張ったの」

「あ・・・え・・・・・」



美津姫が長く息をついた。


「間に合って、よかった・・・」

真っ白になって固まってしまった剛の頭が、その一言でやっと働き出した。


携帯電話から聞こえた、あの言葉。
ベランダの外に、一瞬見たもの。

あれは・・・・あれは・・・・・



「ひ、宏子?!」

ベランダへ行こうと立ち上がりかけた剛を、美津姫が引き止める。

「行かない方がいい。見ない方が・・・」



剛は力が抜けたように、再びへたり込んだ。



(俺を道連れにして、飛び降りるつもりだったのか・・・・)


宏子の意図に気づき、剛はガタガタと震え始めた。



「剛!大丈夫。もう、大丈夫だから。ね?」

美津姫が膝立ちで剛の正面にまわり込んだ。
剛の頭を、そっと胸に抱く。

「だいじょうぶ。だいじょうぶ」


美津姫にしがみつきガタガタ震え続ける剛を、彼女はあやすように優しく抱きしめた。

頭や背中を静かにさすりながら、ふたりは長い時間そうして抱き合っていた。






身体の震えがなんとか治まるとすぐに、近隣住人の叫びや近づいてくるサイレンの中、剛は美津姫と共に逃げるように部屋を出た。
この部屋で眠る事など、考えられなかった。一秒だって居たくなかった。

実家へ帰る美津姫を駅まで送ると、とりあえず近くのビジネスホテルに宿を取った。

本当は美津姫に側にいて欲しかったが、彼女の両親が厳しい事を知っていたので無理を言えなかったのだ。


剛はひとりベッドに入ったが、端から眠ることなど諦めていた。
恐ろしくて電気を消すことも出来ない。

目を閉じると、あの一瞬の光景が甦ってきそうで、剛はただ震えながら、点けっぱなしにしたテレビを眺めていることしか出来なかった。


完璧に幸せな一日は一転、地獄のような一日となってしまった。



翌朝、剛は会社を休んで必要書類を揃え、朝から不動産巡りを始めた。
すぐにでもあの部屋から引っ越したかったのだ。

その日のうちになんとか部屋を見つけ、賃貸契約を結んだ。

引っ越し業者を手配出来たのは翌々日だったが、必要なものだけ先に自分で運び、早々に新居で暮らし始めた。





そして、新居での暮らしを始めて数日。

あの日以来、剛は上手く眠る事が出来なかった。

目を閉じると、目の前を落ちていった宏子の姿が浮かんでくるのだ。


実際にはあの時、顔は見えていなかった。
彼女の顔は下を向いていたので、見えていたのは顎のラインと白い首筋ぐらいだったはずだ。

ほんの一瞬のことだったが、目に焼き付けられている。


だが、脳裏に浮かんでくるのは、あり得ない程ゆっくりと落ちてゆきながら無念の表情を浮かべ、剛を凝視する彼女の姿だった。

想像の中で、幾度も落ちてゆく宏子と目が合った。
彼女は仰向けに墜落し、血やら何やらを飛び散らせて死んだ後も、ベランダから下を覗く剛を見上げていた・・・・


あの日、部屋を出る時は庭を目にせず済むよう裏口から出て行ったし、引っ越しのため戻った時には、庭の清掃は既に終わっていた。

だから剛は、宏子の最期の姿を見ていない。

だが、消しても消しても浮かんでくるその映像は、生々しく恐ろしいものだった。




『一緒に死んで』


あの声が、耳から離れない。

これから飛び降りようというのに、彼女の声は確かに僅かな笑いを含んでいた。

目的の達成を目前にして、満足げに微笑んでいたのだろうか。
そんな考えが浮かび、剛は思わず身震いして縮こまった。



(もしあの日、美津姫がいてくれなかったら・・・)

隣で眠っている美津姫の、可愛らしい寝顔をじっと見つめる。


(俺はきっと、宏子に捕まって一緒に墜落死していたか、落ちてきた宏子に衝突されて 少なくとも重症を負っていただろう)


剛はそっと、美津姫に近づいた。
起こさないようにそろそろと手を伸ばし、美津姫にしがみつく。

「う・・・ん・・・・」

おそらく無意識に、美津姫は剛の背中に腕を回してくれた。


思い出して怖くなる度に、こうして美津姫に抱きつく。

そうすると、剛は少しだけ安心出来るのだった。 




土曜日。

剛は断続的な浅い眠りを諦め、早朝に起き出した。

あまり食欲は無かったが、美津姫のために朝食を用意していた。
連日、引っ越しやその片付けを手伝ってくれている美津姫に、何かしてやりたかったのだ。

色んなことが落ち着いたら、旅行にでも連れて行ってやらなければ。



しばらくすると、美津姫が眼を擦りながら起きて来た。


「また、あまり眠れなかったみたいね」

「おはよう。美津姫は、よく眠れた?」

精一杯の笑顔を、美津姫に向ける。


「うん、ちゃんと眠れた。朝ごはん、私がやるよ」

まだ眠た気に目を擦っている美津姫に、剛は首を横に振った。


「いいんだ。この一週間、美津姫には無理させちゃったからな。朝食ぐらいは俺に作らせて。
もうすぐ出来るから、着替えておいで」


美津姫は子供っぽく頷くと、着替えのために覚束ない足取りで寝室へ戻って行った。




美津姫の両親は、外泊などに厳しいらしかった。
25歳になった今でも、一人暮らしはおろか、平日の外泊すら禁止されていたのだ。

なのに、美津姫はそんな両親に事情を話し、頼み込んで説き伏せ、この1週間ずっと一緒に居てくれている。


剛が会社を休んでいた3日間も、自分は朝から仕事に出掛け、仕事が終わるとまっすぐこの部屋に帰ってきた。
剛がなんとか仕事に行けるようになると、ふたりはわざと時間をずらして出社し、帰りもバラバラに帰宅した。

会社で「同棲している」などと噂になると面倒だからだが、美津姫はその緊張感を楽しんでくれた。

優しさに加え、美津姫のそんな無邪気さにも、剛は救われていた。



 ーーーーーーーーーー



エントランスのチャイムが鳴ったのは、朝食をしたため洗い物を片付けた後だった。


剛がインターフォンを取ってみると、小さな画面には見知らぬ2人組が映し出されていた。

あんな事件があったので、剛は新たな物件選びに於いて、セキュリティーを最も重視したのだった。



「・・・ハイ」

剛が応対すると、画面の中のふたりの男はペコリと頭を下げた。

「小林剛さんのお宅ですね?
おやすみのところ、申し訳ございません。わたくし、中原探偵社より参りました、佐伯と申します。少しお話を伺いたいのですが」


(探偵?探偵だって?)

剛は、小さな画面を凝視した。

映っているのは、何の変哲も無い、サラリーマン風の中年男。
その後ろに控えているのは、若干華奢に見える、カジュアルな服装の若い男だ。


探偵なんて、テレビか小説の中でしかお目にかかった事が無い。

「あの、一体どういった・・・?」

いぶかし気な剛の声に、佐伯はモニター画面へと一歩近づくと声を落とした。


「実は、先日亡くなった、杉岡宏子さんの事で」




前の部屋で使っていた家具は、引っ越しの際にほとんど処分していた。
宏子も以前使っていた家具に囲まれているのが、苦痛だったからだ。


楕円形の、真新しい小さなダイニングテーブル。
美津姫と一緒に選んだもので、2人で使うには充分だ。

美津姫との家具選びは、恐ろしい体験をしばし忘れさせ、束の間の新婚気分を味わう事が出来た楽しい時間だった。


今、そのテーブルの向かいには、佐伯と、助手の渡辺という青年が座っていた。

剛の手元には、佐伯の名刺が置いてある。


佐伯は、ペコリと頭を下げた。渡辺もそれに倣う。

「すみません。渡辺はまだ、助手見習いでして。名刺作ってないんです。

ああ、それと・・・申し訳ありませんが、記録を取らせていただきますよ。依頼主に報告するために必要でしてね」


ダイニングチェアは2脚しか無かったので、仕方なく剛はパソコン用の椅子を持ち出し腰掛けていた。

宏子のことを話すのは気が塞ぐが、生まれて初めて見る『探偵」という生き物に興味を引かれ、それとなく観察してしまう。



佐伯という男は、2週間前に床屋に行って然るべきだった。
わずかに寝グセが残る髪は、きちんと纏まる事を拒否しているらしい。
若干猫背気味のようだが上背があり、よく見ればスーツの上からも無駄の無い強靭な身体が窺える。
がっしりとした首と薄い唇が、意志の強さと明晰さを感じさせなくもない。

年季の入った無個性なグレーのスーツに、アイロンがけの必要がありそうな白いYシャツ。
一番上のボタンを外し、ネクタイはしていない。


渡辺という若い男の方は、よく整った中性的な顔立ちをしており、清潔感があった。
ななめに分けた長めの前髪がほお骨にかかり、華奢な顎のラインを際立たせている。
メモ帳を開きペンを握る指先はよく手入れされており、几帳面な性格が伺えた。

ボタンがアクセントになった、白襟に淡いトーンのチェック柄のシャツ。
その上から綺麗な紺色のニットジャケットを羽織り、ミルクティ色の細身のパンツを合わせていた。
首元に巻いた大判のストールが、全体のバランスを調和させている。


インターフォンの小さな画面ではそれほど感じなかったが、実際目の当たりにすると、探偵とその助手見習いは、少なくともその見た目に於いて好対照を為していた。



剛は目の前のふたりを観察しつつ、答えた。

「宏子の事なら、警察の方に色々聞かれて話しましたよ。でも特に、問題はなかったはずです」

(その衝撃度以外には・・・)

胸の中だけで、呟く。


宏子が飛び下りた翌々日、新居へ荷物を運び出すために部屋に戻ったところで、剛は警察に事情を聞かれたのだった。

30分ほど話し、彼らは剛に同情とお悔やみの言葉をかけ、帰って行った。

はっきりとは言わなかったが、彼らの話し振りから察するに、宏子はマンションの裏口から忍び込んだらしかった。
もちろん裏口のドアにも鍵はかかっている筈だったが、たまたまその鍵が壊れていたらしい。

それを聞いて、あの日美津姫とふたり裏口から逃げ出したのを思い出し、また戦慄したものだ。
自分達が通ったその数時間前、宏子は同じ場所を通って屋上へ上がったのだ・・・




「ええ。警察では、自殺と見ているようですね」

佐伯の言葉に、剛は妙な引っかかりを感じた。


「警察、では・・・?」

思わず眉根を寄せた剛に向かって、佐伯は両肘をテーブルに預け身を乗り出すようにした。

「私どもは、杉岡宏子さんの・・・ご親族からの依頼で、調査しております。彼女の、死の真相を」



(コイツは、一体何を言ってるんだ?)

心臓を、冷たくざらついた手で引き絞られるような気がした。
ただでさえ思い出したくもない出来事なのに、さらに恐ろしい話になる予感がする。

出来る事なら、そんな話など聞きたくはなかった。
一刻も早く忘れさせて欲しかった。


だが一方で、聞かなければならないとも思っていた。

何故、宏子はあんなことをしたのか。何が彼女をあそこまで追いつめたのか。
宏子に別れを告げてから2ヶ月の間に、彼女に何が起きたのか。



覚悟を決めて、剛は佐伯を見つめ返した。

佐伯は落ち着いた表情で、剛の反応を待っていた。
渡辺は目を伏せたままメモ帳にペンを走らせている。



「しん・・・真相って、どういう意味ですか?自殺じゃない、とでも?」

「いや。そうは言ってません。が・・・」


「ですよね。俺は見たんだ・・・彼女は、俺の目の前を落ちていったんです!俺を道連れにするつもりだったんだ!」


遮るように言い放ったその言葉で、またあの瞬間を追体験してしまった。

背筋に震えが走る。
剛は思わず、きつく目を瞑りテーブルの上で両手を握りしめていた。

意識してゆっくりと息をつく。
細く長く、吐き出す息が震えていた。



「いやあ、お辛い事を思い出させてしまいましたね。申し訳ない。ただね、私がお話を伺いたいのは・・・」


「失礼します」

美津姫がお茶をトレイに載せてやって来たので、佐伯は言葉を切った。


お茶を配る美津姫に、ふたりは黙礼する。


「ありがとう。美津姫」

無理に硬い笑みをこしらえ、剛が美津姫の気配りを労う。

美津姫はそんな剛に励ますような微笑みを返し、客に会釈して退出しようとした。


「ちょっと、待って下さい」

佐伯が美津姫を呼び止めた。

「私がお話を伺いたいのは、あなたです。茅島美津姫さん」




「私がお話を伺いたいのは、あなたです。茅島美津姫さん」



「・・・へ?」

緊張状態の中で意外な言葉を聞いた剛は、思わず間抜けな声を発してしまった。


「イヤあの・・・彼女は関係無いです。宏子とは面識も無いし」

美津姫を庇う様に、キャスターの付いた椅子で彼女の側ににじり寄る。


そんな剛に構わず、佐伯は美津姫をまっすぐに見据えて言った。

「茅島美津姫さん。あなたは、杉岡宏子さんとは高校の同級生ですね?」



「・・・・へ?」

またもや、剛は間抜けな声を発した。
間抜け面のまま、美津姫を見上げる。

美津姫は心持ち目を見開き、佐伯から少し視線を外したまま、トレイを胸に抱えて固まっている。


「同級生、って・・・え、美津姫?」


佐伯が目配せすると、渡辺は足元の鞄から大判の本を取り出した。

立派な紙のケースを外し、豪華な装丁の本の付箋を貼ったページを開く。

それは、卒業アルバムだった。



「ここ。これが、杉岡宏子さん。そうですね?」

佐伯はクラス写真の一角を指し示し、剛に確認を求めた。

佐伯の指の先には、覚束な気に微笑む宏子の顔があった。
笑顔を作ろうかどうか、思案している途中のような表情だった。


「あ、ハイ。そうです・・・」

このアルバムは、前に一度だけ見せてもらった事があった。
「高校時代、あまりいい想い出が無いから」と渋っていた宏子を、拝み倒して見せてもらったのだ。

一瞬、懐かしい想いにとらわれかけたが、今はそんな場合ではない。


「で・・・こちらが、茅島美津姫さん」

宏子の斜め前、最前列に指を滑らせる。



そこには、全くの別人が写っていた。


小麦色に日焼けし、脱色したパサつく髪をくるくる巻いて、派手なメイクとネイルでポーズを決めている。


「み、みつき?・・・・これが?」


剛は、目の前にいる美津姫と写真を何度も見比べた。

集合写真の下にはクラス全員の氏名が印刷されており、その少女は間違いなく美津姫であるらしかった。

一方、目の前にいる女性は、清楚で控えめ。いつも優しい笑顔を浮かべ・・・


「美津姫・・・?」


そこに立っているのは、ふてくされたような表情でテーブルの一角を冷たく見下ろしている女だった。





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