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舞緋蓮  太刀の壱  第六回

 先の件より、その安否が組内でも取りざたされていた信斗だったが、しかし

今の千夏は、彼の無事に対しても、多くを口にすることも無かった。  

 信斗は本邸の稽古場、道場に赴き、数日前のクーデターが起こる前までのよ

うに、道場の上手の神前に立て掛けられている辰ノ神の宝刀に対して目礼する

と、傍らの千夏に語りかけた。

 「千夏よ……、きいたぜ。お前、西方に渡るんだってな」

 「……はい……」  

 心が伴わない口調で、しかし返事だけはかえす千夏。彼女にとって信斗は、

兄の次に心を開ける人間であったのだが……。

「そうか……。まぁ、それもいいかもな。辰ノ神は、もうなくなる。もともと

侠客の家としての辰ノ神に関わってこなかったお前だ、あとくされもないだろ

。向こうで、嫌なことは忘れて平穏に、自分らしく生きていけばいいさ ……。

なぁ」

 

 ―――勇人はもう、いねぇんだから。

 

 信斗の口から出たそれは、彼にしてみれば、なにげなく発せられたように見

えた。しかし千夏は今の自分のうつろな心に、その名が反響し、敏感な部分を

刺激され、反応を返した。

「……お兄ちゃんは…、もう、いない……」  

 千夏のその様子に、渋い顔をしつつ言葉を継ぐ信斗。

 「ああ。勇人は、……俺らの大好きだったヤツは、もういねぇんだ」  

 信斗の口にした “俺ら” というモノ言いに、千夏は彼の心情を感じること

が出来た。だから同調する気持ちを、ぽつりぽつりと漏らした。

「……あのね、信斗さん。私、昔からね、お兄ちゃんと並んで歩くのが、とっ

ても嬉しかったんだ。……私の周りにいる人達はみんな、私から離れていくば

かりだから。お母さんもいない。お父さんは娘には興味がない。学校の友達も

 私が侠客の娘ってわかると、距離をおく。けど、お兄ちゃんは、お兄ちゃんだ

けは、いつでも私のそばにいてくれて、私に優しくしてくれた……。お兄ちゃ

んはいつまでも傍にいてくれて、私をおきざりになんてしないって、思ってた

……―――。

思ってたんだよ……」


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舞緋蓮  太刀の壱  第六回

 沈痛な面持ちで、千夏の言葉に耳を傾ける信斗。

 千夏がある時に、「出来ればお兄ちゃんに、武侠なんて危ないことを止めて

ほしいのが、本当」 と口にしていたことが、思い返された。

「だから、私。とうとう一人になっちゃったんだね……」

 言葉を切り、顔を伏せる千夏。

 涙は、ながれてこなかった。

 雪絵と対座したあの日から、涙は枯れてしまったかのように、一度もながれ

てはこない。

 そんな千夏に対し、持て余すように間をおいてから、信斗は言った。

「まぁ、そうかもな。何にせよ向こうにいけば、実質独りだ。だから千夏よ。

俺はお前にそれを言いに来たんだよ。ちゃんと心得て生きてけよ、ってな。

お前はこれから、一人でモノを考え、決めて、為してかなきゃならねぇ。だが

よ……」

 信斗は、千夏の弱弱しい瞳を捉え、視線を交える。

「今のお前に、それが出来るとは思えねぇ。今のお前は、生きる意味も、本来

その為に必要な力も、自分の中にねぇみたいだしな」

 そこで信斗は、少し自嘲気味に口元を歪め、続けた。

 おそらく勇人を失って、自身の何かを失くしたのは、彼も同様なのだろう。

「だからよ、千夏。俺はお前に一つ課題を出すぜ。お前はこれから西方に渡っ

た後、それを果たす為に生きてみろ。その課題はな、お前にとって――今の、

大切なヤツを奪われたお前にとって、確かめなきゃならねぇ事だ。知らなきゃ

いけない事なんだよ。いいか? 千夏」

 信斗の語る “課題を果たす為に生きろ” という内容については、正直こ

ころが追いついていかない千夏だったが、その言に含まれていた “大切な人

を奪われた自分が知らなければならない事” という言葉が、うつろだった自

身の精神を揺り動かしだすのを、彼女は自覚した。  

 それは、千夏の優れた直観が、彼女に何かを告げたからに他ならない。

「……信斗さん……、それって、一体なんのことなんですか。……お兄ちゃん

は……何かを、かくして、いたということですか……?」

「……は。そういう頭の切れはさすがだな。なら俺の知っている限りでその質


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舞緋蓮  太刀の壱  第六回

問に答えるとなぁ―――ずばり、そういう事だってわけさ。

勇人と獅士堂の間には、その決刀にさいして、二人以外立ち入れねぇ何かがあ

った。それがなにかは俺も知らねぇことだが」  

 信斗は、千夏に正面から向き合うと、彼女の眼の色――その強さが変わって

いるのを確認し、続けた。

「だからよ、千夏。お前はそれを知る為に、生き続けてみろ。わかるか。辰ノ

神の家がどうこうはもういいんだ。だが、おまえの内の勇人に対する気持ちの

為に―――やってみろ」  

 その言葉は千夏の心に、確かに、力を与えた。  

 そして彼女は、その心で以って考え、まっさきに思い至る事柄と、それにま

つわる人物の名を口にした。

「―――雪絵さん……。雪絵さんよ……。そもそも何で、あのひとは恋人だっ

たお兄ちゃんを……殺したの……? 立場とかの事情があっても、何か腑にお

ちない……。それにそのことはお兄ちゃん自身にも言える事……。そう……。

そうか。それを私は、確かめなくちゃいけない……」  

 千夏の反応を認めつつ、信斗は確認する。

「ああ……。だがその過程には、どうしても、あの女に対する怒りや憎しみっ

てモノが付きまとってくると思うぜ。あの二人の間にあった事を知るってのは

、つまりは仮に獅士堂にも三分の理があったとしても、結果あの女は、勇人を

斬ることを選んだのは揺るぎねぇって事につきあたるからな……。お前は優し

いコだ。それでも、その道を征くと、いえるか? その覚悟を、お前の兄が最

後に振るったこの刀に誓えるか?」  

 信斗の問いかけに対し、千夏は先刻までの様子が嘘のように、生気に満ちた

 瞳で、彼の宝刀を見据え、答えた。

「……はい」

 

 そして辰ノ神本邸を焼き払った日。  

 関東でも、三大社殿に数えられる大きな部類にあたる神社境内を含む、本家

邸宅はなくなった。  

 千夏は、火の収まった焼け跡に入ると、手にしていた宝刀を鞘から抜き放ち

、その折れた大太刀を燃えきった残骸の中の、かつて社本殿のあった位置に突

き立てた。


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舞緋蓮  太刀の壱  第六回

 本来、刀郷で死んだ武侠の遺体とその愛刀は、刀郷と西方の境界線たる、刀

の葬列によってなる平原 “刀源境(とうげんきょう)” に葬られるしきたり

である。それをせずに、千夏は市川のこの地、代々の辰ノ神の頭首とその血縁

者が生きたこの場所に、その宝刀を立て―――塚とすることで送ったのであっ

 た。  

 この行いを、獅士堂の一部の幹部は、血縁者である高杉千夏の、辰ノ神再興

の意志の表れではないか、と受け取り、糾弾すべしとの声があがったが、頭梁

である雪絵の 「辰ノ神への鎮魂のかたちとし、我が一家も礼を以って容認す

る」 という沙汰により赦された。  

 実際のところは語るまでもなく、千夏に辰ノ神を再興しようというまでの考

えも、意思も、この時点では皆無であり、故にこの行為はその大太刀を突き立

てる前に行われた行為に意味があった。その刃で自身の右てのひらを斬り裂き

その痛みを自らの心に刻みつけることに、連なる意味があったとみるべきだ。  

 それは彼女にとっては “己の心は、いつも兄とともにある” という想い

を、その傷に染み込ませ、その痛みを以って自らが為すべき事への誓いとした

、と云ったところだろう。  

 だが千夏の心に辰ノ神の家のことが含まれていなくとも、その誓いに含まれ

た “彼女の為すべき事” には、この時点で既に、獅士堂に対し、武を以っ

て相対する決意があったことは確かであった為―――くしくも獅士堂の組幹部

の危惧したことは、この一年後に近いカタチを以って現実となる。

 千夏はその時、決意を顕わす右手の痛みに耐えながら、夏の終わりに差し掛

かった夕空を見あげてみた。  

 日が暮れかかった空には、流れる雲の隙間に、静かな光をたたえた月がみえ

た。

 そしてそれから、西方に渡った千夏は、本土の公的組織である警務部隊に志

願。清家の組の力添えで、西方での市民権も所有させてもらったことを利用し

ての事であったが、採用試験の際に実動部隊長に対して口にした、刀郷に対し

ての否定的意見と、その心意気を買われ、審査を通過した。  

 そこで西方の戦い方を学ぶ日々を送る千夏は、その過程で本土の犯罪と、そ


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舞緋蓮  太刀の壱  第六回

の法を犯す者達、そしてその被害者達に触れた。それにより刀郷では日常であ

り、その行為自体を皆が容認していた“刃難” というものが、いかに悲惨な

ものであるかを―――今更ながらに感じたのであった。  

 そして、我が身に降りかかったことながら、心のどこかで仕方のないことで

はないか、と思っていること、刀郷の民に根付いている意識であるそれと、自

身に怒りがわいた。  

 その怒りは、やがて自分の大切な人を奪われたことを痛切に感じさせ、切実

な怒りを募らせていった。  

 そしてそれは、彼女が西方で身に着けた武を、どう活かすかという目的を明

確にし、兄・勇人を殺した者、獅士堂を撃つという報復行動を伴って、信斗の

課題をまっとうさせる手段を選択させるに至らせた。  

 千夏の中で、冷静に事実を知りたいという願いと、雪絵に対する怒りの顕在

化がせめぎ合っていたのであるが、結局のところで千夏は、初志に忠実である

ことと、刀が生んだ災禍への怒り、両方を選んだ。  

 これは矛盾ではない。  

 理論と感情は相対的に両立しないというのは、狭量である。人の心の為す模

様とは、それ程に単純ではないということである。 それに、二律背反を呑み

込まねば進めぬ時もある。 

 そして約一年。  

 こうして、刀郷に入り信斗と接触することに始まり―――獅士堂への凶行に

及んだのである。

 故に今、その怨敵となった獅士堂一家頭梁・獅士堂緋蓮こと、坂本雪絵が待

つ屋敷の前で、千夏の胸は、静かな昂ぶりをみせていた。  

 そんな千夏に対し、信斗が歩み寄り問うた。

「いよいよだが……、気構えは問題ねぇな?」

 「はい」

 「覚悟も、あるな」

 「はい」  

 短くはあるが、力強く―――確かな意思を伴った返事を返す千夏。信斗は言

葉もないという心持ちで、千夏に対して下知を求めた。

「よし。じゃぁ先陣をたのむぜ、千夏」



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