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異形五話

ふぅっっ、深呼吸をする。
笑顔、笑顔、口元、そう、頬の上辺りを引き上げるようにして、そうすれば極上の笑みになる。
さぁ、行くぞ。
商店街の入り口、幸はぐっと握り拳を作ると商店街の中へと向かった。

「ええっ、スーパーの方が良いよ、買いやすいもの」
「だめ、幸はね、一人ででも色んな人と会ってお喋りしたり、自分の意志を伝えたり、そういう訓練しなきゃね、いつまでも、お父さんの後に隠れて買い物するわけにもいかないでしょう」
「でも、商店街っていちいち声を掛けなきゃならないし、スーパーなら何も喋らずに買い物ができるし」
「つまりはお喋りしなさいってこと、いいね」

男に言い含められ、幸は初めて一人で買い物にでかけたのだった。
幸はポケットからメモを取り出すと、じっと見つめた。
魚屋さん、八百屋さん、服屋さんに寄って、帰りがけに、たこ焼きを買って帰る、以上だ。大丈夫、なんてことない、よし


男は落ち着かず部屋の中をうろうろとしていた。一人で買い物を行かせたのはいいが、時間が経つほどに気掛かりなっていくのだ。うずくまってしまっていないか、いや、逆に何かしでかしていないか。
幸は内弁慶なところがあり、外へ買い物に行くと少し俯いて男の上着の裾を千切れるかと握り締める、よほど緊張しているのだろう。それを思い出すほどに男は不安になるのだ。
男は溜息を大きく一つつくと電話に向かった。


「ひやぁ・・・、お父さん、ごめんなさい、幸にはまだ無理ですよぉ・・・」
幸は魚屋の前でしゃがみこんでしまった。
人通りの中、いらしゃい、いらしゃいという亭主の大声、店の前で品定めをする女達、げらげらと大きな笑い声。
店女の二つなら負けとくよ、というかん高い声が響き渡った。
「ごめんなさい。これは上級者用です、幸は落第でいいです。人が声を張り上げていて恐いです、入っていけません」
狭い通路をたくさんの買い物客たちが通り過ぎる。店の人達もそんな客たちを引き留めようと大声を張り上げる。

「幸ちゃん、幸ちゃんだろう」
幸が自分を呼ぶ声に顔をあげると、先程の店の女がにかっと笑って幸の前に立っていた。
「うひゃあ、美人さんだねぇ。いま、センセイから電話があったよ、娘は買い物に来たでしょうかってね」
「お父さんが」
女は笑顔を浮かべ頷いた。
「さあ、そんなとこでしゃがんでないで立ちな」
幸がよろよろと立ち上がると、女はぱんっと幸のお尻をたたく。
「しっかりしなよ」
「は、はい」
「何年も病院に入院していてさ、やっとこさ、家に帰れたんだ、これからはその分を取りもどさなきゃね」
「そ、そうですよね」
お父さん、そういう設定は始めに幸に言ってくれよと思いながらも、なんだかほっとしたのだろう、幸は安心して笑みを浮かべた。

女は幸を店の前まで連れて来た。
「何がいるんだい」
「あの、えっと・・・」
「おおっ、何処のお嬢さんだい」
店主が気づき、女に声をかけた。
「税理士のセンセイとこのさ、お嬢さんだよ」
「ほぉー、女優さんみたいだ。センセイにこんな別嬪の娘さんがいたとはなぁ。こりゃ、センセイも心配だ。俺だったら、絶対に一人で買い物になんぞやんねぇ、虫がついたら大変だ、一日中見張ってるぞ」
「いらないこと言ってないで、ほら、お客さん、待っているじやないか」
女は店主を向こうに押しやると、幸に笑いかけた。
「だめな亭主でさ」
幸も笑顔を浮かべ、メモを取り出した。
「あの、お姉さん、鮭の切り身を、ください」
「え、お姉さんか、うん、そりゃお姉さんだ」
「なら、俺はお兄さんだな」
「何言ってんだよ、おっさんが。女同士の話に入って来るんじゃないよ」
女は店主を蹴り飛ばすと、幸に言った。
「悪いねぇ、男ってのはどうしようもないよ。そうだ、メモ、貸してごらんな」
「は、はい」
「シメジにタマネギ、モヤシ、これなら、鮭の包み焼きかい」
「はい、そうです。お父さん、好きだから・・・」
女はふっと涙目になり、前掛けで鼻をかんだ。
「かー、うちのガキどもにも聞かせてやりたいね。これからも親孝行してやりなよ」
女は手早く鮭の切り身を包むと幸に手渡した。
「新鮮だ、美味しいよ」
「あの、おいくら」
「いいさ、持って帰りな」
「でも」
「なんかもう、あれなんだよ。これからもさ、女同士じゃないと相談できないことはあたしに言いな、相談に乗るよ、まかしときな」
「お姉さん、ありがとう。でも、私、少しずつでも社会復帰して、お父さんに安心して欲しい、だから、お父さんにも、ちゃんとお金、払って来たよって言いたいから」
女は幸をがしっと抱き締めた。
「良い娘だよ、なんて出来た子だい。それじゃ、五百円だけもらっておくよ」
女は手を放すと、涙交じりに言った。
付いてやってやりたいけど、忙しい時間でね、と断りを言う女に頭を下げ、幸はその先にある八百屋へ向かった。

野菜って結構多いな、二人暮らしには。
幸は五個入りのタマネギの袋を見ながら考えた。
でも、日持ちするなら、次の日の料理に使えばいいし、それなら。
幸は先程のやり取りで少しは買い物に慣れたのか、落ち着いて考えていた。
「あんたがセンセイんとこの娘さんかい」
「は、はい」
店番をしていたおばあさんが幸に話しかけて来た。
「いま、魚弦の佳奈ちゃんから電話があってね。センセイのお嬢さんが来るから声をかけてやってくれってさ」
「あ、ありがとうございます」
「あんたは生まれてからずっと入院していたのかい」
「は、はい」
「大変だったねぇ、ちょいと、手を出してごらん」
「えっ」
「手相見が趣味なのさ、見せてごらんな」
幸がそっと手を伸ばすと、おばあさんが拡大鏡を片手に幸の手相を見た。しかし、首を振り、どうも見当が付かないといったふうに顔をしかめる。
「ん・・・。ごめんよ、どう読んだもんか分からないねぇ、こんなこたぁ初めてだ。過去が見えてこない」
「私の過去、秘密ですから」
幸は笑うと、そっとおばあさんを抱き締め、その耳元で囁いた。
偽者は好きに占えば良い、でも、あんたみたいな本物はだめだ。うっかりすりゃ、相手の魂を傷物にしてしまう、気をつけなよ、な。
幸は姿勢を戻し、タマネギとしめじとモヤシを取ると、硬直したままのおばあさんに声をかけた。
「これ、くださいな」


少し脅し過ぎてしまったろうかと、幸は反省しつつ、洋服店へ向かった。
通路ぎりぎりまで女物のブラウスなどが吊り下げられている。年齢層の高い品揃えだ。
幸はそっと覗き込むと女がいた、電話をしている言葉から店主だろうとわかる。電話が終わったのを見計らい、声をかけた。
「あ、あの・・・」
「いらっしゃい」
「あの、取り寄せてもらっていた・・・」
「電話あったよ、センセイとこのお嬢さんだね。この前、来てくれた時はセンセイの後ろにへばり付いて顔が見えなかったけど、今日は一人だ」
にかっと笑う、店主の口の悪さを思い出した。でも、裏がない快活な話し方で、却って好感を持つことが出来る。
「一人で行ってきなさいって・・・」
「センセイも大変だ、今頃、心配して、いてもたってもいられないだろうさ」
幸がくすぐったそうに笑うのを見て、店主が満足そうに頷いた。
「お入りな、お茶をしよう。この時間、うちは暇でね」
店の奥にある三畳程の小さな部屋、ちょっとした食器棚と小さな丸いテーブルと古びたラジオがあり、衣類など、商品は置いていない。
店主は幸をテーブルに座らせ、インスタントコーヒーの瓶を出す。手慣れた手つきで珈琲を二つ用意すると、一つを幸の前に置いた。
「砂糖とクリームは適当にね」
「はい」
幸は少しクリームを入れ、一口飲む。
「美味くもなんともないだろう」
「あの、いいえ」
「まずいなぁ、って思いながら、癖だね、あたしも飲んでいるのさ」
店主は幸の前に座ると興味深そうに幸を見つめた。
「名前はなんて言うんだい」
「幸、幸です。幸福の、幸という字です」
「親の愛情の詰まった名前だねぇ」
店主は笑うと、一口、珈琲を啜る。
「あのセンセイ、あれでロマンティストだからさぁ。でも、なんていうんだい、センセイも随分変わった、丸くなったよ。幸ちゃんのおかげさ」
「お父さん、以前は」
「あぁ、そうか。何年も入院していたわけだし、そうだねぇ。うちはセンセイに帳簿お願いしているわけだけどね、正確できっちりした仕事をしてくれているん だけど、愛想がなかった、ほんと。えらそうにしているんじゃない。ただ、本当に愛想の「あ」の字もなかったのが、この前の二人で来てくれたときさ、少年み たいな真っ赤な顔して照れ臭そうに、娘の下着や服を一式揃えていただけませんか、ってもう、あたしゃ、吹き出して笑いそうになるの、こらえるの大変だった よ。ほんと、幸ちゃん、大切にされているんだねぇ」
幸は恥ずかしそうに笑みを浮かべると俯いてしまった。
「やっと帰ってこれたんだ、幸ちゃんもこれから親孝行しなよ」
「はい、私もお父さんが好きだから」
幸がそっと珈琲カップを両手で包み込む。
「いいねぇ、うちの娘や息子も幸ちゃんみたいに素直だったらね、いいんだけどさ。うん・・・」
「幸ちゃんは水仕事もしているのかい、洗濯とかさ」
「お父さんと交替でしています。本当は私の仕事だけど」
「うーん、手が少し荒れているじゃないか、寝る前にハンドクリームとか付けないのかい」
「え・・・」
「あぁ、男親一人じゃしょうがないねぇ」
店主は戸棚を開け、ハンドクリームを一つ取り出した。
「まだ、使っていないからさ、あげるよ」
「あ、でも」
「こんな別嬪さんなのに手荒れなんてもったいないよ。寝る前にね、クリーム、ちょっと取って、まんべんなく手に擦り込んで、そしたら手荒れしないですむよ」
「あ、ありがとうございます」
「いいよ、なんでも相談にきな、金のこと以外なら、話聴いてやるよ」
店主は笑うと珈琲を飲み干した。
「なんか、甘い物なかったかねぇ」
「私、そろそろ。お父さん、心配してそうだし」
「あ、そうだね、それじゃ、あの紙袋に下着や靴下、普段着みたいなもの入ってるからね、袋、二重にしておいたから破れないだろう」
「ありがとうございます」
「いいよ、今回はあたしの見繕いだけど、幸ちゃんも、この生活に慣れたら、自分の好きなもの選ぶと良いよ」
幸は笑みを浮かべると、会釈をし、店を出た。

「ちょ、ちょいと」
声を掛けられ、幸が振り返ると、八百屋のおばあさんが幸を手まねいていた。
「さっきはごめんなさい」
にっと幸が笑う。
「あ、あんた・・・」
幸に駆け寄り、おばあさんが言った。
「あんた、神様かい」
「私に手を合わせていただいても、何の御利益もありませんよ」
幸は笑みを浮かべ離れる、後ろでおばあさんがありがたいありがたいと手を合わせていた。

幸は魚屋の佳奈を見つけると、たたっと駆け寄った。佳奈もパイプ椅子に座り、一息ついたところだった。
「やぁ、どうだった」
佳奈は幸を見つけると笑い掛けた。
「ありがとうございます、電話していただいて。皆さんに優しくしていただきました」
「そりゃ良かった」
幸は座る佳奈の前に立つと、そっと佳奈の手を取って笑顔を浮かべた。
そして顔を寄せ、耳元に囁く。
佳奈さん、悩まなくてもいいよ。人の考えてることが、自分のと同じようにわかるんだろう
びくんと加奈が震えた。
父さんは電話で娘がと言った、あたしの名前言ってなかったろう。幸という名前は、あたしが表に置いている記憶が見えてしまったからだろう。ねぇ、あたしの 心、奥底まで見えるかい、見えないだろう、お父さん以外には見せないと決めているからさ、似たもの同士、きっと、あたし達、良い友達になること、できるよ
幸が佳奈から顔を離す、佳奈はぎゅっと幸の手を握った。
「寂しかった」
佳奈が掠れる声で囁いた。
「今はどう」
幸が囁いた。
「心の底から元気が出ている、一人じゃないのは嬉しいもんだね」
「私もずっと一人だった、でも、お父さんと出会えて、今はとっても幸せ、幸せすぎるくらいです。それに、今日は佳奈さんにも出会うことが出来た、とっても嬉しい」
はははっと佳奈は快活に笑うと、いつものように元気を取り戻した。
「いつでも遊びにおいで。わるがき、二人いるけどね」
幸はにっと満遍の笑みを浮かべた。
「それじゃ、お父さん、家で心配しているから帰ります」
「いや、あれ・・・」
佳奈の指さす商店街の入り口辺りを男が行きつ戻りつしていた。
「お父さんだ」
「気づかれていないと思ってるんだろうねぇ」
「お父さん、可愛いなぁ」
「え、あれがかい」
幸はもちろんと頷くと、男へと掛けて行った。


男はここまで来たことを悔いていた。
大丈夫だ、佳奈さんは姐御肌で面白い能力も持っているから幸のこと、気遣ってくれるだろう、こんなところで幸に見つかったら、親としての威厳というか、なんというか。とにかく、家に戻って、平気な顔をしていないと。

幸がいきなり男を後ろから抱き締めた。
「不審者発見、不審者発見、至急、応援請う」
「あ、幸」
「あはは、お父さん、どうしたの、こんなところで、動物園の熊さんみたいに、うろうろしてた」
「いや、ちょっと買い物に」
「本当のこと、言いなさい」
「ん・・・、幸が心配でじっとしていられなかった」
「よく正直に言った、解放してあげよう」
幸は男の前に立つと、にっと笑った、
「メモの通り買ったよ、タコ焼きは買うのやめたけど」
「え、どうして」
「ほら、お父さん、見てごらんよ。たくさんの人が歩いている」
「まだ、そうだな。人どおりが多い」
「こんな中で一時間、生き別れになっていた親子がやっと出会えたんだよ、途中の喫茶店で巡り会えたこと、ケーキで祝福するのもありだよ、そして、心くばりの出来る幸は喫茶店に匂いの強いタコ焼きを持って入るのは悪いかなと思うのですよ、お父様」
「なんだか、しっかりしたなぁ」
「えへへ・・・。照れますぅ」
「もう一人で買い物も大丈夫か」
「それはだめ、幸はお父さんと離れると悪い女の子になってしまう、幸はお父さんと一緒じゃないとね、素敵な女の子でいられないのさ」
「なんかそれ、いろいろ、しでかしたのではと気になるけれど、まぁ、そうだな、立ち話より喫茶店で聞けばいいか」
男は溜息混じりに幸から荷物を受け取る。幸は当たり前のように、男の腕に自分の腕をからめた。
「楽しかったよ、お父さん」
5
最終更新日 : 2013-05-11 17:09:41

異形六話

この温泉街の中でも一番の高級ホテル。廊下には、プレートを掲げた重厚な扉が並ぶ。ふと、幸は、何か用事を済ませた後だろう、少し先を歩く仲居に気づき、音をさせず走り寄ると、後ろから抱き締めた。
「あはは、だーれ、だ」
「お、お客様、困ります」
低い声で幸が囁いた。
「なんだよ、寂しいなぁ。あたしの声、忘れたのかよ」
「うっ、うわぁあ」
仲居は腰を抜かし、尻餅をついてしまった。幸は仲居の前に回り込み、にっと笑った。
「やっぱり、あの時の瞳さんだ。元気にしてた」
「は、はい。おかげさまで・・・」
幸もぺたんと廊下に座ると、目を逸らそうとする瞳をじっと見つめた。
「転職じゃねえな、まだ、穢れた気配がある。ここで、何かあるのか」
「あ、あの、それは・・・」
「あたしさぁ、十日間、父さんと旅をしてきたんだよ、湯治場で、できるだけ安上がりでさ。で、最後の日は思いっきり贅沢をしようてんで、このホテルに泊 まってんだよな。あたしと父さん、いい気分で明日、チェックアウトできるかい。変なことにさ、巻き込まれたりしないかねぇ」
瞳は困ったように俯いてしまった。
「参ったなぁ、そうなのかよ、しょうがねえな。うん、ところで、なんで、あんたなんだ」
「え・・・」
瞳がけげんそうに顔を上げた。
「あんた、実動部隊の指図する役だろう。指図されてんじゃねえのか」
一瞬、唇を噛み、瞳は俯いてしまった。
幸は無造作に瞳の顎を右手でくっと上げると、その目をにらみつけた。
「あんときの失敗で降格、平になって、二番手だったおっさんが今ではあんたの上司か。なんか、あたしのせいみたいじゃねえか、寝覚め悪りいな」
「いいえ、決してそうではなく・・・」
階段を上がってきたのか、足音がした。

「お姉ちゃん、やっと会えたね」
幸は笑みを浮かべ、瞳に抱きついた。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん、もう何処にも行っちゃ嫌だよ」
ぱたぱたと足音が寄って来る。
「お客様、なにか、従業員が粗相でも」
仲居が一人、あたふたと近寄ってきた。
幸は泣き濡れた眼差しで、近づいてきた仲居を見つめた。
「ごめんなさい、やっとお姉さんに会えたのが嬉しくて・・・」
「え、それは・・・」
仲居はとっさに状況が把握できずにいた、幸は立ち上がると、そっと仲居の手を両手で包み、その目を見つめた。
「名字は違うけど、生き別れていた私のお姉さんなんです。ずっと、探していて、やっとこのホテルに勤めているってわかって・・・」
幸はぼろぼろと涙をこぼすと、その仲居に抱きついた。
「やっと会えたのが嬉しくて。ごめんなさい、お仕事のお邪魔をして」
「そ、そうなの。良かったわねぇ」
仲居は思わず心を揺さぶられ、貰い泣きをしていた。
「お母さん、ありがとう。あ、ごめんなさい、お母さんなんて言ってしまって、私、どうかしている」
幸は仲居の目を見つめ、涙を流したまま、そっと笑みを浮かべた。
「お母さんか・・・、久しぶりだねぇ。くにのこと、思い出してしまうよ」
「お母さんにも娘がいるの」
「もう、長いこと、会ってないけど、どうしているだろうねぇ」
「連絡取ってないの」
「嫌われているから・・・」
「そんなの、そんなの、絶対ないよ」
幸は仲居の目を見つめ、ぎゅっと手を握り締めた。
「色んな事情はあると思う、でも、心の底から嫌ったりなんか出来ないよ、ただ、素直になれないだけだよ」
幸は仲居の胸に頭を押し付け囁いた。
「葉書だけでも出してあげて。意地を張って返事は返ってこないかもしれない、でも、諦めなかったらきっと仲直り出来るよ」
「そうする、そうするよ」
仲居は嗚咽しながら、やっとのことで、そう答えた。
幸は振り返ると、瞳に寄りそい話しかけた。
「ね、お姉ちゃん、一緒に帰ろう、お父さんも悔やんでいるんだ。これからもう一度、三人で暮らそうよ」
「で、でも、仕事が・・・」
「何言っているんだい、妹さんがこんなにも・・・」
最後は言葉にならず、仲居は、泣き出してしまった。
「お姉ちゃん、908号室に泊まっているから、仕事が終わったら、とにかく来て。お願い、お願いだよ」
諦めたように瞳が小さく呟いた。
「戦線離脱か・・・」
「その方がいいんだよ、あんたにはさ」
幸がにぃっと笑った。

冒険に行って来ると言い残し、部屋を出て行った幸が気掛かりで、男は部屋をうろうろと歩き回っていた。海が大きく望める和室の上質な部屋だ。それが却って男を落ち着かせずにいた。
全くの貧乏性である。

「お父さん、ただいま」
ドアを開け、幸が戻って来た。
「ああ、お帰り。充実した冒険ができましたか」
「もう大変、人命救助はもちろんのこと、吟遊詩人になって、愛を詠ってきたよ」
「なるほど、充実した冒険だったわけだ」
男は笑うと、窓辺に設えられたソファに座った。幸は男の横に座ると男の肩にもたれかかる。
「もうちょっとで大航海に出るとこだったけど、お父さんの顔を思い出して帰って来た」
「それは良かった、幸がいなくなったら父さん、泣いてたかも」
「どんなふうに」
「子供みたいに大きな声で泣いていたかもね」
「幸は船の上でも、お父さんの泣いているの、聞こえたら、空飛んで帰って来るよ」
男はくすぐったそうに笑うと、急須からお茶を二つ入れ、一つを飲む。
「十日間、本当に賑やかだった」
「ね、色んな人に会った。また、いつか会いたいな」
幸が男のいれたお茶を飲む。
「お父さん、湯治場での自炊生活は新鮮だった。あ、こういう生活もあるんだなぁって思った」
「共同生活みたいなものだからね。御味噌の貸し借りとか、お醤油分けたり」
「みんなの住所、聞いておいたから、また、葉書を出そう」
「幸は人気あったからね。なんていうのかな、父さんはね、色んな人と会って、幸の世界を広げて欲しいと思っている」
「うーん。幸はお父さんとこうして喋っているのが一番嬉しい。だから、本当はお父さんさえ居てくれれば狭くてもいいんだ。でも、お父さんの望むことしたいし、うまく出来て、お父さんが喜んでくれたら、とっても嬉しい」
「それはなかなか複雑なこと」
「乙女心は複雑怪奇なのです」
幸は眩気に笑うと、両足を男の太ももの上に投げ出した。
「幸はただいま充電中です」
ふと男は真顔になり幸を見つめた。
「ごめんなさい、これはやり過ぎだった」
「幸、父さんの膝の上に座ってくれるか」
「え・・・、あ、うん」
幸は男の膝に横座りになると、そっと男の顔を見上げた。そのまま、男は幸を抱き締めると、幸の耳元で囁く。
「今日で幸に名前をつけて一年が経つ、誕生日おめでとう。この一言をね、旅の間、ずっと言いたかったんだけどね、面と向かっては恥ずかしい、でも、幸の出来るだけ近くでそう言いたかった」
「ありがと・・・、お父さん」
「幸は一年でとっても成長した。とっても聡明で素敵な女性に成長したよ」
言い終えて、男は手を放した。
「もう、降りていいよ、ありがとう」
幸はそのままの姿勢で男を見つめる。
「お父さんもしっかり、幸のお父さんになってくれたよ」
「ありがと、その言葉、とっても、父さん、嬉しいよ」
幸は男の胸に顔を埋め囁いた。
「幸はお父さんを食べてしまいたいくらい好き。ほんとにもう、食べちゃうぞ」
男は幸の頭を優しくなでながら笑いかけた。
「父さん、食べられちゃうと、幸とお喋りできなくなってしまうよ」
「それじゃ、食べないで我慢してあげる」
幸は両手をのばし、男を抱き締めると、静かに静かに泣きだした。

男はホテルのロビーにある喫茶店で珈琲を注文した。たくさんの人達が行き交う。席も七割がた埋まっていた。
人を辞めた奴らが多い、心臓の代わりに仕込んでいるのは、呪宝具。呪いのかかった宝石、神木の破片、古代の指輪、倉庫屋ということか・・・
「お父さん、やっと見つけた」
「ん、幸、おはよう」
幸は男の横に座ると、少し拗ねたように男をにらんだ。
「ソファで一人寝ていた。起こしてくれればいいのに。お父さん、捜し回ったんだよ」
「起こすのは無理、だって、泣きながら眠ってさ、あんな可愛い寝顔、起こすのはもったいない」
「お父さんったら、もう。そういうのは平気で言えるくせに」
幸が照れながら言う、男がそっと笑った、
「何か頼みなさいな」
「お父さんと同じ珈琲にするよ、カウンターで注文してくる」
男を置いて、幸はカウンターへ向かった。男はしばらく幸の後ろ姿を眺めていたが、不意に俯くと、腰の後ろに手をやった。
良い運動になるか・・・
「お父さん、ケーキも二つ頼んで来た、ショコラ、美味しそうだったよ」
「珈琲にはちょうど良いね」
幸は男の横に座り、話しかけた。
「なんか、お父さん、変」
「可愛い娘に変と言われてしまうとはとっても哀しい・・・」
男は少し笑うと幸に囁いた。
「左目、瞑りなさい」
「うん」
男は幸の左目をそっと指先で触れ、そして、離した。
「目を開けて、辺り、見渡してごらん」
幸の左目に男が見ている情景が映る、半数ぐらいになるだろうか、心臓の無い人間たちが、笑顔を浮かべ行き交っていた。
「なんなんだ、これ」
幸は小声で呻いた。
「人には欲望がある、金持ちになりたいとか、有名になりたい、他人から称賛を浴びたい。色んな欲望がね」
「それがどうして」
「魔術師や術師は彼らの願いを叶えてあげようと囁く、ただし、心臓を預からせてほしい、そして、数年の間、その抜け穴に呪宝具を保管させてくれと言う。時間が経てば元どおり心臓を返すからと言ってね。ただ、多くの呪具宝は人の魂を食らう」
「だますってこと」
「確かに金持ちにもなるし彼ら、心臓を渡した奴らは喜ぶよ、でも、数年経てば、彼らの魂は消滅し、ただの人形として魔術師たちの道具になってしまう。つまりは思いっきり騙しているわけだ」
男は俯くと、そっと目を閉じた。
「お父さん、泣いているの」
「人は・・・、弱くて仕方がない。もっと賢明であればいいのにな」
幸はぎゅっと男の手を握った。
男はしばらくして顔をあげると、幸に囁いた。
「今夜は部屋に結界を敷いてしまおう」
「何があるの」
「呪宝具のオークションが開催されるだろうと思う。たくさんの呪宝具が一同に集まる。その影響で頭痛くらいで済むかどうかわからないからね」
ふと、幸はロビーを横切る仲居の姿を見つけた。幸がお母さんと呼んだ仲居だった。しかし、先程とは違い随分苦しそうに歩いている。良く見ると、頭や肩に黒い埃のようなものが被さっていた。
「お父さん」
「いいよ、行ってあげなさい。縁が出来たのだろう」
男は少し笑顔を浮かべると、珈琲を啜った。
「お父さんはどんな奴からも幸を守るから安心しなさい。さ、行きな」
幸は頷くと、その仲居に走り寄った。
「お母さん、大丈夫」
幸は仲居の前に立つと、心配そうに声をかけた。
「さっきの妹さんだね。今夜ね、葉書を書くよ」
苦しそうにしながらも笑顔を浮かべる。
「苦しそうだよ、どうしたの」
「はは、どうしたもんかねぇ、疲れが急に出たみたいでね」
幸は仲居をロビーの陰にやると、そっと後ろに回り、仲居の頭と肩を払う。幸の手を避けるように黒い埃が落ちて消えて行く。そして、最後にそっと背中をさすった。
「どう、少しは楽になった」
「あれ、どうしたんだい。平気になってしまったよ」
「良かった、お母さん、あまり無理しちゃだめだよ」
幸は仲居の前に立ち、そっと笑いかけた。
「誰かに背中をさすってもらうと体も心も楽になる。今ね、私は本当のお母さんだと思って背中をさすったんだ。だからね、お母さんの本当の娘が背中をさすってくれたら、もっと素敵だと思うよ」
幸は髪の毛を一本抜くと、仲居の手首に巻き付けた。
「お守りあげる」
「ありがとうね、本当にありがとう。今日はなんて良い日なんだ」
「それじゃね」
幸は小さく手を振ると、男のところへ戻って行った。
男はそっと幸の頭を撫でた。
「とっても幸は良い子です」
「お父さん、また、泣いている」
「だめだな、一度泣くと癖になってしまう」
「素直に泣けるお父さん、好きだよ」
「それ以上言うな、顔上げられなくなってしまうよ」
「お父さんは感激屋さんだ」
幸は幸せそうに男を見つめると、男の手にそっと手を重ねた。
男はひとつ大きく息をすると顔を上げた。幸がそっと男の目許をハンカチで拭った。
「あぁ、父さん、なんか格好悪いな」
男は一口、コーヒーを飲み、少し笑った。
「もう大丈夫だ」
「お父さん、商店街の人達に言われてるよ」
「なんて」
「明るくなって付き合いやすくなったって」
「そうかもしれないな、以前より、感情が表にでやすい。多分、それは父さんが幸せだからだろうな」
「それは幸がいるからなの」
「そうだよ」
「それはとっても嬉しい。幸がお父さんの隣にいてもいいってことだから」
幸はにっと笑うと男の肩に体を預けた。

「お客様、こちらの方が御同席をご希望されているのですが」
「あ、瞳さんだ」
その声に、幸は顔を上げた、しかし、一瞬、目を見開くと跳ね上がるように立ち上がった。
「あんた、それ、どうしたんだ」
あわてて、幸は自分の口を押さえた。
「幸、言葉遣いは丁寧にね」
「ごめんなさい」
男はくすぐったそうに笑うと、瞳の隣りにいる初老の紳士を見上げた。
「これは懐かしい、私が子供の頃、親父の元で修行していた時以来ですね」
男は笑顔で立ち上がると、紳士に前の座席を勧めた。
二人は席に着くと笑顔で会釈をする。
「幸、その女性の手をしっかり握っておきなさい」
「はい・・・」
「しかし、驚きです。私はこんなおっさんになってしまったのに、神崎さんは私が子供の頃そのままですよ」
「健康には気をつけておりますのでな」
「なるほど」
男は含み笑いを浮かべると、じっと紳士を見つめた。
「それで、御用件は」
男が囁くように言うと、紳士は笑顔のまま答えた。
「今日は一晩、ゆっくりとしていただきたいと思いましてな」
男は辺りを見渡す、いくつかの目が、魔術師達だろう、男の一挙手一投足に意識を集中していた。
「準備万端のようですね」
「私、臆病でしてな、準備は十二分にしておきたいのですよ、特に貴方のような方にお目にかかる時には」
「私は娘に災いがなされない限りは、旅行客としてゆっくりするつもりです」
「娘・・・、こちらの方はお嬢さんでしたか、また、なんとお美しい」
「私には過ぎた娘です」
「して、お名前は」
「娘の名前は秘密です、私、娘を溺愛しておりますので、男性には娘の名すら言いたくないのですよ、愚かな親とお笑いください」
「いやいや、これ程の美しいお嬢さんならそれも致し方ないこと、失礼致しましたな。つい懐かしい顔を見かけたものですから」
紳士はゆっくりと席を立ち上がる、男は紳士が立ち上がり切ったところで話しかけた。
「こちらの仲居さんはどうも神崎さんの部下のようですね」
「そのようなものですな。いや、以前はこれも優れた弟子だったのですが、不意に意気地をなくしてしまいよりまして」
紳士は否定もせず、世間話のように答えた。
「いただけませんか、彼女を。娘が執心しておりますので」
「こんなものでよければどうぞ」
紳士は厄介払ができたとでもいうように笑った。
「もちろんのこと、彼女の心臓も返していただきたい」
「代わりに何をいただけますかな」
「何が欲しいとおっしゃいます」
「ですな、無難なところでお腰の刀などいただけるとありがたい」
「これは私が数年前に買い求めたもので、なんのいわくもない刀ですがそれでよろしいのですか」
「いや、貴方がこの刀を使うのは多くのモノが知っております。面白いではありませんか、ある日、貴方の心臓にその刀が突き刺さっていれば」
男は愉快に笑うと、腰から刀を鞘ぐち抜き、紳士に手渡した。
「それはとても楽しいお話を聴かせていただきました。ありがとうございます」
「それでは」
紳士の体が薄れ消えて行った。
男は女性の胸で心臓が鼓動しているのを確認し、ほっと一息ついた。
「お父さん、今からでもあいつ殺しに行くよ」
幸が紳士の消えた後を睨みながら囁いた。
「奴はとても臆病だから、死ぬとでもなったら、たくさんの人達を平気で道連れにする。今はまだやめておいた方が良い」
「わかった」
「それより、瞳さんだったかな、部屋へ連れて行こう。まだ、しなければならないことがあるでしょう」
幸も立ち上がると瞳に笑いかけた。
「お姉さん、一緒に行こう」
「もう、何がなんだか・・・」
蹲りそうになる瞳を幸は支えると、くすぐったそうに笑った。
「お姉さんの生命は幸が預かった、諦めな」

部屋に戻ると幸は瞳をベッドに寝かせつけた。ベッドルームもあるのだが、幸はベッドに寝ることができずにいたため、部屋をそのままにしていたのだった。
「幸、彼女の家族は」
「夫と子供、男の子が一人」
「どうか、お願いです。家族には危害を加えないでください」
男は柔らかな笑みを浮かべると、瞳に語りかけた。
「もともと、貴方はこちらの世界の住人ではないのでしょう。少し時間はかかりますが、私は貴方を居てしかるべきところに帰そうと思っています」
「幸、まずは彼女の家族を保護しなさい、二人を捕捉できますか」
幸は瞳の額に手を触れ、その目を透かすように見つめた。
「いま夫は会社、子供は保育園にいる」
男は両の手のひらを上に向け、ふっと息を吐く。そうすると、まるで始めからあったように、硝子細工の鈴が二つ現れた。
「この鈴を二人の魂に繋ぎなさい、そうすれば万が一危機に瀕しても音がそれを伝えてくれる」
幸は男から鈴を受け取ると、まるで水に手をいれるように瞳の顔に手を入れて行く。
「あ、ああっ」
「大丈夫だよ、瞳さん、痛くもなんともないでしょう」
「は、はい。変な感じですが、痛くはないです」
「お父さん、繋いだよ」
「それじゃ、次は、彼女を裸にしなさい」
そう言うと男は背を向けた。
「とにかく、瞳さん、自発的に脱いでください。幸、手伝いしなさい」
「お父さん、どうしてあっち向くの」
「父さん、男だからな。女性の裸を見るのはよくない」
「お医者さんは女の人の裸も見るよ」
「お父さんは医者じゃないし、それに幸以外の女性の裸は見ないように・・・、いや、そうじゃなく、なんていうか」
「お父さんのそういう少年みたいなとこ大好き。後で、部屋付の露天風呂、一緒に入ろう」
「父親をからかうな」
幸は嬉しそうに笑うと、瞳を立たせた。帯をほどき、着物を脱がせて行く。瞳は幸がするのを逆らわず裸になっていった。
「裸にしたよ」
「なら、ベッドに寝かせなさい」
幸は頷くと瞳をもう一度、ベッドに仰向けに寝かせつけた。
「これから、私はどうなるのでしょうか」
「教えない」
にっといたずらっぽく幸が笑う。
「幸、こういう状況で不安にさせないように」
男は相変わらず壁を見つめたまま幸を叱る。
「ごめんなさい」
「瞳さん、申し訳ありませんね。この子はまだ子供で。幸」
「はい」
「つま先から、頭、指先ももちろん精査して、埋め込まれた異物をすべて取り出しなさい」
「わかった。さぁ、瞳さん、痛くないからね」
幸はまるで水に手を入れるように、瞳の体に、その両手を入れ、揺らめかせる。
「両足に二つ、お腹にひとつ、心臓の裏には二つも小さな爆薬が埋め込まれている」
幸は、一つ一つつまみ上げるように瞳の体からそれらを取り出して行った。
「首の後ろ、これはホルモンを分泌している、あと、これは脳の最深部に入っている。電気信号を遠隔で操作できるようになっているよ」
「感情を操っているんだろうな」
男が答えた。
「でも回りの細胞が少し破壊されていて、今は機能していないよ」
「実験だったんだろう。うまくすれば忠実なロボットになる」
「お父さん、全部取ったよ」
「後はお風呂で穢れを流し落として来なさいな」
「お父さん、瞳さんの着替え、幸のでもいいかな」
「そうしてくれるかな」
「うん」
幸が素直に瞳を促し、露天風呂へと向かった。

男は先程の紳士が今回の呪宝具オークションの主催者だろうと考えていた。奴は何を企んでいる。何を得ようとしている。

幸は瞳の体をシャワーで流しつつ丹念に洗う。
「ま、前はいいです、自分で」
「あぁ、なんか、幸、えっちな気分になって来た。ああん、お姉様ぁ」
「ごめんなさい、勘弁してください」
幸はくすぐったそうに笑うと、瞳の言葉に関係なく彼女の全身を洗って行く。
「頭痛も肩凝りも消えて行くだろう」
「は、はい。とても体が軽くなって来ます」
「その軽さがあんた本来の体の重さだ。随分と穢れが体の中まで染み付いている。大方は取るけど、後はあんた次第だな」
そして、瞳を湯船につからせると、幸も入った、十人程度は充分に入ることができるこの岩風呂からは、海に沈む夕日が独り占めできた。
「贅沢だねぇ、旅の予算のかなりがこのホテルの宿泊代だ」
「あ、あの」
「ん、どうした」
「どうして、私を助けてくれて・・・」
「あぁ、あんたが真面目すぎるからだ」
「真面目って」
「真面目な奴は、真面目に深みにはまり込んで行く、ちょっとやめておこうかななんて浮気せずにひたすら真面目に落ち込んで行く。そういうのが歯痒くてね。それがきっかけかな」
「私は真面目過ぎますか。そうかもしれない」
「過ぎるのは良くない。それに二度会うのも縁があったってことだろう。あんまり難しく考えるな、あたしもそんな考えて行動しているわけじゃない」
「それからな」
ふっと幸は思い出したように呟いた。夕日は半ば以上、海に沈み込み、天蓋はそれでも紅蓮に燃えていた。
「あんたがさっきの野郎に命令されて、秘密を探りに来たことなんざ百も承知だ、父さんもあたしもな」
瞳は、一瞬、目を見開き、脅えたように俯いた。
「今日最初に会ったのは偶然かもしれない、ただ、それをあんたは野郎に報告をする、そしたらさ、今の状況は必然になる。なぁ、あたしはあんたの家族を守ってやる、あんた自身の体も異物を取り除き、命も安泰だ。他に何が必要だ。あんたがあの野郎と決別するにはさ」
瞳は唇をかみしめ、俯き続ける。
「勇気を持ちな。悔いのないようにさ」

男は困惑していた。瞳が男の前で土下座していたのだ。
「お願いですから、顔を上げてください」
男は瞳の前に正座すると、少し引きつった笑顔を浮かべた。
「まずは顔を上げてください、それからお話を承りましょう」
男は他人に頭を下げるのは嫌いだが、それ以上にこういう状況を苦手としていた。
幸も困ったように見つめていたが、しょうがないと吐息を漏らすと、瞳に話しかけた。
「姉さん、顔を上げてさ、気楽にね、そうじゃないと話が進まない」
瞳はやっと顔上げると、おずおずと話しだした。
「救っていただきありがとうございます。この御恩は」
「あの、そういうのいいですから」
男は困ったように手をぱたぱた振ると、しばらく考え込んだが、
「私は正義の味方でもなければ、善人でもありません。ただのお節介ですから、特に気にしていただく必要はありません。それと、瞳さんでしたね、先程から、以前何処かでお目にかかったような気がするのですけど」
「ごめんなさい、お父さん。まだ、言ってなかったけど」
幸が困ったように男に言った。
「あの時の、ほら、外神の時のおばあさんに変装していた・・・」
「あ・・・、あの時の人か・・・」
「申し訳ありません」
瞳が畳に額を擦り付ける、
「いや、あの、いいですから。貴方の立場もあったことでしょうし。ですから、顔を上げてください」
幸がくすぐったそうに笑った。
「本当に、お父さん、こういうの苦手だね」
「幸、傍観者づらしないように」
幸は笑うと、瞳の横に座った。
「瞳さん、ちょっとお茶飲も」
幸はお茶を入れると瞳に差し出した。
瞳はお茶を飲むと、やっと顔を上げた。
「まっ、瞳さん。十日間ほど、一緒に暮らしていただきます。その間に、体と精神を普通の人程度まで浄化しましょう。それと、今後、ご家族で生活して行かれる中で、呪的干渉を受けないよう工夫します。それで、きっぱり、この世界から縁を切ればいいでしょう」
「ありがとうございます。本当にありがとうございます」
「いいえ、どう致しまして」
男はほっと一息つくと自分でお茶を入れ、一口飲む。
「幸、昼間の奴はさ、父さんの親父のライバルだったんだ。当時、親父は先を越されたと悔しがっていたよ」
「因縁があるの」
「っていうかね、親父は権勢欲が強くてね、一大流派を作ろうとしていたんだ、自衛隊にね。閉鎖的で上意下達がしっかりしている組織だとやりよいからさ」
「そういう意味か・・・。それじゃ、瞳さんも」
「最初は直属の上司に奨められてでした」
瞳が、ぽつりと呟くように言った。
「精神修養によいと聞かされて・・・」
「そんなところだろうな。いずれは斬ることになるかな」
「お父さん、かなり怒っている」
男はふっと笑うと肯定も否定もせず立ち上がった。
「お父さんね、せっかくだし、露天風呂だけ入っておくよ」
「それじゃ、幸はフロントに事情を説明してくる。行こう、姉さん」
「あの、何を・・・」
「今から帰る準備。まだ、この時間なら帰りの列車もあるだろうし」
幸は当たり前のことのようにして答えた。
「瞳さんも荷物があるでしょうし、幸と一緒に行ってください。今夜はオークションがあるのでしょう、呪宝具の。奴がそれを主催する」
「は、はい」
「あれだけの呪宝具が集まる、これは奴にも幾分荷が重すぎるかもしれない。その上、私と幸が泊まっていたら、奴は監視と抑制用に半数は手下をこちらに回し てしまう。呪宝具が暴走すればこの辺りが焦土と化してしまうかも知れません、それを抑える余力を奴に残しておくためにも、私達はここにいない方がいいので すよ」
そう言い残して、男は露天風呂へ向かいかけたが、はっと気づき幸に声をかけた。
「幸、絶対に」
「え、なに」
「泊まらずに帰るんだから宿代負けてとか言わないようにね。そういうの、恥ずかしい」
「はは、言うつもりだった。わかった、お父さんに恥ずかしい思いはさせないよ」
男は溜息を漏らすと部屋付の露天風呂に向かった。

漁船の灯火だろうか、
男は露天風呂に肩まで浸かりながら、夜の海を眺めた。そして、天蓋は満天の星空。
あぁ・・・、思わず溜息が出てしまう。
その空に一瞬、一筋の光がきらめいた。
男が左手をその光に向ける。
男の左手には、刃先を心臓に向けた男の小刀が握られていた。
「本当に突き立てようとしたとはな」
男は呟くと、小刀を横に置き湯船で顔を洗う。
「急かせなくても帰るさ」
男は呟くと、もう一度空を見上げた。
静かだ・・・。なぁ、親父、あんた、先越されて良かったと思うよ。さすがにさ、あんなふうにはなって欲しくないからな。

「ここは部屋風呂、大浴場の方へお願いできませんか」
男が振り返ると、十人はいるだろう、覆面で顔を隠した男たちがナイフ片手にして男に今にもとびかからんと構えていた。
「風呂上がったら帰ります。ですから見逃していただけませんか」
「女の縛りを解かれた以上、今後、貴様は障害になる、早めに潰しておくのが得策と仰せつかって来た」
男の一人が答えた。
「神崎さんも相変わらず腹が小さい」
男は呟くと、声を発した男を見上げた。
「私を殺すつもりのようですが、それは無理ですよ。貴方の足は棒になってしまったから動かない、腕もほら、関節が固まってしまったでしょう。他の皆さんもそうですよ、体が固まって動けなくなってしまった」
男は湯船から上がると、何事もなかったように体を拭き服を着ると部屋へ戻った。
部屋に入ると、瞳が腰が抜けたように座り込んで震えていた。
「どうしました、彼らなら殺してはいません。半時間もすれば暗示が解けますから、それまでに帰りましょう。ん、幸は」
「あ、あの・・・」
ふと、男は入り口のドアが袈裟懸けに両断されているのを見た。
「ええっと、これは困ったな。瞳さん、オークション会場はどちらです」
「さ、最上階のホールです」
「では、行きますか」
男は瞳に肩を貸し立ち上がった。

男は幸の片手を、両腕、体全身の力で受け止めた。
なんて力だ・・・。
幸の剣先は仰向けに倒れた神崎の首、寸前にある、
「お父さん、こいつの首を刎ねる」
鋭い目付き、唇を結んだ幸の顔は神々しく思えるほど美しかった。
たくさんの参加者たちは幸の気配に弾かれ、後ろの壁にへばり付くようにして震えている。
「神崎さん、次はもう俺では抑え切れない、もちろん、この子を制止できる奴なんて何処にもいない、わかるだろう」
「わ、わかる、わかる」
神崎は脅え、後退りしながら喚いた。
「なら、今後、一切、かかわるな。あんたが手出さなければ、こちらからもかかわらない。」
「わかった、もう、一切、手は出さない」
「もしも、約束を破ったら・・・、これは言うまでもないな」
男は一瞬、腕を引くと、力の流れを変え、幸の懐に入り込むと右肩を幸の腹部に合わせ、力の向きをずらしながら立ち上がった。
男は幸を右肩にかつぎ上げる。
「さあ、帰るよ、幸」
「でも、でも」
「父さん、幸が人を殺して、幸の魂に傷が付くのいやだ」
「あたしはもう数え切れないほど人を殺している、今更、一人くらい増えてもかわらないよ」
「だめ、幸は生まれ変わって父さんの娘になった、とっても大切な娘にね」
男はばしっと幸のお尻を叩いた。
「痛いよぉ」
男はくすぐったそうに笑った。
「いい音がした」
「お父さんのえっち」
男は嬉しそうに笑うと歩きだす、そして蹲ったままの瞳の横を一歩行き過ぎ立ち止まった。
「瞳姉さん、手ぇ出せ」
幸は男の担がれたまま、瞳に笑いかけると、思いっきり両手を瞳に差し出した。
瞳はぎゅっと唇を噛むと両手を幸に差し出した。
しっかりと幸が瞳の両手を握り締める。
「一緒に帰ろう」
幸はにっと瞳に笑いかけた。
「お父さん、移動するよ」
「あぁ、頼む」
一瞬で三人の姿が消えた。

夜の列車の中、幸は窓側に座る、その向かいには瞳がいた。男は幸の隣りでお茶を飲んでいる。
「私は変わることができるでしょうか」
男は眠り込んでいる幸の顔を覗き込む。
「瞳さん」
「はい」
「心配しなくても大丈夫、無理やりにでも幸に変えさせられてしまいますよ」
「そうですね」
少し困り顔で瞳が頷いた。
「幸も家族が増えたようで嬉しいのでしょう。縁とは不思議なものですね」
「本当に」
「短い間かも知れませんが、幸の姉になってやってください」
瞳は初めて安心したように笑顔を浮かべた。
「瞳姉さん」
少し寝ぼけ眼で幸は瞳を見つめた。
「瞳姉さん、お父さん、とっちゃやだよ。お父さんは幸のだからさ」
「取らないよ、もっとカッコ良ければわからないけど」
「うーん。ほんと、お父さん、幸以外、誰もお父さんがかっこいいの、わかってくれないよ。困ったな」
「お父さん、もてたらどうする」
「ん・・・、ライバルがいない方がいいのかな。それじゃ、今でいいや」
男はくすぐったそうに笑うと幸の頭を優しくなでる。
「不思議なものだと思いますよ」
男はそう言って列車の窓を見る。窓には三人の顔が映っている。
本当に不思議なものだと男は思った。
6
最終更新日 : 2013-05-11 17:11:15

異形七話

窓からの月明かり、瞳はそっと幸の寝顔を見つめた。
幸と瞳はこの十日間、一つの部屋に布団を二つ並べ寝ていたのだ。
明日が、ちょうど、十日目、明日の昼には幸に付き添われ自宅へと戻る予定だった。

瞳は上半身を起こし、そっと幸の顔を覗き込む。
月明かりに照らされた幸の、なんて神々しく美しい、それは人の域を遥かに越えた美だった。

「キスはやめてくれよ。あたしは父さん、一途なんだからさ」
幸は目を開けるとにっと笑った。
「ごめんなさい、起こしてしまって」
「いいさ、こんな奇麗な月を見ずに寝るのはもったいない」
窓からの月は冴え冴えと部屋の中を照らし出す、充分な明るさだった。
幸は立ち上がると、瞳に待ってなと言い残し、台所へ。そして、お盆にマグカップを二つ載せ戻ってきた。
「カルアミルク。アルコール入っているから、その内、寝てしまうだろう」
瞳はありがとうございますと言い、一口、カルアミルクを飲む。
「瞳お姉ちゃん、ここでの生活、楽しめたかな」
幸があどけなく瞳に囁く。
瞳がくすぐったそうに笑った。
「どっちが本当なの」
「え、何が」
幸があどけなく笑みを浮かべる。
「伝法な啖呵口調と可愛い女の子的なそれと」
「どっちも本当だよ。でも、お父さんにはとってもとっても可愛い娘でいたいから、必ず可愛くお喋りする。お父さん以外はその時の気分かな、たまに使い分けてもいるけどね」
幸は笑顔を浮かべるとカルアミルクを一口飲む。
「面白ぇだろ、そういうのさ」
にぃぃっと幸が笑う。
「幸ちゃん、それ怖すぎる」
「ごめんなさい、瞳お姉ちゃん」
くすぐったそうに二人が笑う。
ほっと溜息をこぼすと、幸はマグカップをお盆に置いた。
「出会いって面白いもんだなぁって思うよ」
ふっと幸が呟いた。窓からの月がそんな幸の横顔を玲瓏と映しだす。
「敵だった私なのに、本当に幸ちゃんや先生には助けてもらって、ありがとうございます」
「別に親切や善意で助けたわけじゃない。そんな気持ちで人を助けようと思ったら、限がなくてさ、こっちが参ってしまう。だから、たまたま偶然、助けただけだと思うことにしている。だからさ、瞳姉さんも私やお父さんに感謝する必要はないんだ」
「難しいね」
「まぁね、世界を牛耳る力があっても、そういうのは大変だし、柄じゃない。だから、お父さんも私も、基本、引き籠もりくらいがちょうど良い」
窓から月を見る。普段よりもその月は大きく、まるでその鼻面のクレーターまで見せようとするかに思える。
「瞳姉さんはこれからどうするの。自衛隊も退職したんでしょう」
瞳は少し目を伏せ考える、やがて顔を上げた。
「専業主婦をすることにした。隆も母さんに、実の母さんにね、面倒見てもらいっぱなしだったし、随分と負担かけてしまった。贅沢しなければ、隆行さんの稼ぎで食べて行けるから。それでいいなと思う」
「なんだか、一年前からでは想像できないな」
幸がくすぐったそうに笑った。
「結果としては幸ちゃんにあれだけ脅されて良かったんだと思う。脳に設置されていた機械の周りが壊死していたっていうの、間違いなく幸ちゃんに脅された時に壊死したんだと思うよ」
瞳はそういうと少し笑った。
「駄目押しが効いたかな。あの時、お父さんが大変だったし、思いっきりかましとかなきゃ、反撃されると思ったから」
「それで私も正気に戻ったんだと思うよ。正気に戻ったら、私なんでこんなことやってんだろうと思ったけど、逃げ出す勇気がなかった。毎日、びくびくして暮らしていた」
「心臓が破裂したら終わりだものね」
瞳はただ頷いた、一瞬、その恐怖が蘇り、言葉を発することができなかったのだ、なんて異様な世界にいたのだと改めて思う。
「人の生命があまりにも安易に扱われている。他の生命がとても軽いものとして見られている、その観念はいまそこいら中に広まってきている。難儀だねぇと思うよ。いや、そうじゃないな、少なくともこの国の人間は、随分と昔から、他人の生命を軽く見積もってきた」
「幸ちゃんって、いったいなにものなの。まるで人ではない、妖精とか神様のように思えることがある。商店街のおばあさんは神棚に幸ちゃんの写真供えて拝んでいるし、私にまで、ありがたいありがたいって合掌された」
幸は小さく笑うと、困ったように俯いた。
「あれは失敗だったな、少しばかり脅し過ぎた」
「いたずら、したってこと」
「おばあさん、手相占いが趣味のようだけど、あんたはたやすく人を占っちゃいけないよってのを、少しね、低い声で言った」
「あ・・・、それ、おばあさんの気持ち、手に取るように分かる」
「あれは反省している。機会見つけてゆっくり話をしてみるよ」
瞳がくすぐったそうに笑った。
「ただ・・・」
瞳が少し不安げに呟いた。
「ん・・・」
「明日からうまくやって行けるのかって思うと不安になる」
幸は呆れたように瞳を見つめた。
「うまくいくわけないよ」
「そんなはっきりと・・・」
「瞳姉さんの意思はともかく、一年近く、姉さんは家庭を捨ててしまっていたんだよ。亭主はもう離婚してしまおうかと思いながらも、息子のこと、そして姉さ んの実の母親のさ、娘は必ず心を入れ替えて帰ってくるからって懇願でもってさ、なんとか、その日を過ごしているわけだ。亭主はともかく、母親は怒ってわめ きたてるぜ」
「そ、そんな・・・」
「地べた、頭擦り付けてもさ、謝りなよ。まったくの他人じゃない、追い出されはしないよ」
「はい・・・」
「追い出されなきゃさ、時間をかけて、努めて家族を四人で創っていけばいい。瞳姉さんなら大丈夫だよ」
幸はそっと笑顔を瞳に浮かべると、瞳の手を両手で握った。
「大丈夫だよ」
「やっぱり、幸ちゃんは神様ですよ。私も神棚に写真供えよう」
「それだけ言えれば大丈夫だよ、瞳姉さん」
幸はカルアミルクを飲み干しお盆に戻す。
「姉さんち、隆君の壁に描いたいたずら書きやたまったゴミで大変だ、母親もへたばっている。今なら居場所があるよ、ここで散々、掃除や日常の細々としたことやったろう、役に立つよ」
「箒で床を掃いたり、雑巾で柱を拭いたり、へとへとになったけど、あれは」
「別に予行練習のためにやったんじゃない、結果として役に立つだけのこと。穢れを落として行くには、転換させるには、なにもさ、特別な呪文もなにもいらないんだ。ただただ、一所懸命、掃除すれば勝手に落ちて行く、それだけのことだよ」
「そうだったの」
「潔癖症にはなっちゃいけない、ただ、掃除という形で、芥を払っていけば、それで良い」
「ありがとう、でも、なんだか」
「ん・・・」
「年下の幸ちゃんの方がずっと年上で経験豊富に思えてきた」
「私もお父さんの娘になるまで色々あったからさ」
「それはいま尋ねてもいいこと・・・」
「私的にはかまわないけど、姉さんはそれを問うたこと、悔いると思うよ」
「それは多分、尋ねてはならないことなんだろうね、それじゃ訊かない」
「ありがと。やっぱり、瞳姉さんは分別のある良い人だね。お父さんから瞳姉さんに武術だけは教えなさいって言われて、どうかなと思ったけど教えて間違いなかった」
「え」
「姉さんの性根が真っすぐだってこと」
「武術ってのは体と精神を一つにするための技術。精神が体に寄り添うための手法でもある。瞳姉さんはこれから、自分自身と家族を護らなきゃならない、これは抽象的な意味でもあるし、具象的でもある。そのためにはさ、挫けない強さが必要になる、武術はそれを教えてくれるよ」
「なんだか、どう言えばいいんだろう。一から体の動かし方、歩き方、お箸の持ち方まで覚え直した気がする」
「瞳姉さんに教えた武術は私がお父さんに教えてもらったものに加えて、女性の動きに適した工夫を加えている。役に立つよ。まだ、途中だから週一くらいで教えに行くかな」
「来てくれるの」
「行くよ。っていうか、もう何度かお邪魔しているけどね。そうじゃなきゃ、さすがにあたしでも瞳姉さんちのことわからないよ」
「え・・・」
「いじめが原因で不登校になった高校生、でも、しっかりしなきゃって、健気にも学校に行こうとしている女の子、ふと、重そうに荷物を運んでいるおばさんの鞄を持ってあげたことから心の交流が始まる。泣ける話さ」
「私のお母さんがそのおばさんなの」
「明日は先に私が瞳姉さんちに行くから、その後から来てくれればいい、少しは、敷居を下げておくよ」
ふと瞳が溜息をついた。
「とても私には恩返しできそうにないよ」
「そんなものは破片ほどもいらない。あたしはさ、父さんに初めて会った時、その父さんを殺そうとした。そんなあたしを父さんは娘として受け入れてくれて、 不自由なくここで一緒に暮らしてくれている。武術や呪術はもちろん、生活の中での立ち居振る舞い、日常生活、料理の仕方まで教えてくれた、料理失敗しても 美味しいって食べてくれる・・・、あたしはもう、父さんに申し訳ないやら、嬉しいやらで一杯だ・・・。だからさ、あたしは父さんにだけはとびきりの良い娘 でいたいし、瞳姉さんや、手を重ねた人には幸せになって欲しいと願っている。それだけのことさ」
幸は涙声になり、そのまま俯く。
「お父さん、幸はお父さんが好きです。とっても・・・、とっても、愛しています。とっても、大切です。いつまでも、いつまでも、一緒にいてください。お願いします。お父さん」
そのまま、ごろんと幸は横になってしまった。
「月の夜はだめだ、饒舌になってしまう。あぁ、お父さん・・・」
幸は小さく小さく泣き出した。
「幸ちゃん」
瞳はどう言えばいいのか分からず、布団にくるまってしまった幸に戸惑ってしまった。
幸がいきなり布団から立ち上がる。
「限界だ。ちょっとさ、お父さんの寝顔見て来る」
「え、あ・・・、うん」

男はふと目を覚まし、台所で明かりを消したまま、お茶を飲んでいた。月明かりが台所内を仄かに照らし、さほどの不自由はない。月見の季節ではないが、団子のひとつでも買っておけば良かったと思う。
「お父さん、ここにいたの」
「ん、幸、どうしました」
「だって、部屋にいないし、どうしたのかって」
「ちょっとね、2、3分かな、お茶飲んでいた。なんか、ありましたか」
「え、ううん、なんでもない」
「幸、おいで」
男は少し笑みを浮かべると幸を手まねいた。
男の隣りに座る。男は幸の目許を人差し指で拭った。
「泣いていたな、瞳さん、帰っちゃうの寂しいのか」
「そんなんじゃないよ。寝ぼけただけだよ」
「幸は泣き虫さんだ」
男が小さく笑う。
幸はそっと男の肩にもたれ掛かった。
そして、男の湯飲みを取ると一口飲む。
「ちょっと薄い」
「濃いとね、眠れなくなりそうだからさ」
「お父さんは寂しくない。明日、幸、夕方までいないよ」
「寂しいなぁ。でもね」
「ん」
「幸が計画したこと、それを頑張ろうとするのが、なんかね、嬉しくて、誇らしいからさ。父さん、寂しくても大丈夫さ。そうだ、写真、飾って、うまくいくようにって拝んでおくよ」
「そういうのはいいよ、もぉ。八百屋のおばあさんにもしっかり言わなくちゃ」
男はくすぐったそうに笑うと、幸の頭をなでる。
「さぁ、もう寝なさい、父さんももうすぐ寝るからね」
幸は立ち上がると男の後ろに立ち、男の頭をなでた。
「幸はお父さんに頭をなでられるのが好き、とっても気持ちがいい。お父さん、頭、なでられる感想は」
「初めて頭なでられた。なるほど、いい気分、なんか、気持ちが優しくなって来る」
幸はにっと笑うと、男の肩に体を寄せ、少し回り込んで口付けをする。
「おやすみなさい」
「あぁ、おやすみ」
幸はそっと自分の部屋に戻った。
男は考える、もしも、二十代、せめて、半ばまでに見つけ出せていれば、俺は幸を娘としてではなく、妻として向かえることが出来たのではないか。いや、しかし、俺の二十代は、まさしく鬼と呼ばれた時代、何も考えず、幸ごと切り刻んでいたかもしれない、そう、なにもかも。
思うだけでも恐ろしいことだ、この歳で出会えて良かったのかもしれない。

「幸ちゃん、御機嫌」
「え、そうかな、そんなことないよ」
「顔が笑ってる」
「そうかなぁ、ふふっ」
「心配して損した」
瞳は嬉しそうに布団に潜り込む幸を見て楽しそうに笑った。
7
最終更新日 : 2013-05-11 21:27:11

異形八話

「お父さん、好きな人ができたの。結婚を前提にお付き合いしていて・・・」
深刻な顔をした幸の唇から言葉がこぼれて行く。夢ではない、現実に俺の前に幸が立っている。
昼過ぎ、台所で珈琲を飲んだ後のことだ。椅子から立ち上がろうとしたところに、幸の告白。
いつの間に・・・、いや、いまはそんなことを考えている場合じゃない、俺はどう答えればいい。何か言わなきゃならない。なんて言うんだ。
まさか、こんな言葉が幸の口から出るなんて思いもしなかった。俺は、俺は・・・。
俺は幸の父親だ。そう、幸の父親なんだ。
「その相手の人は普通の人」
「え・・・、あ、うん」
「そっか、良かったね」
「お父さん、幸、いなくなってしまうよ、寂しくない」
男は努めて笑顔を浮かべ、優しく言った。
「とっても寂しくて哀しい。でもね、これは娘を持つ父親が通らなきゃならない道だ。それに幸は普通の道を歩いて行く方がいいんだよ、その方が幸せだよ」
男はふらつきそうになるのを堪え、立ち上がった。
「ごめん、ちょっとね、部屋に戻るよ」
「お父さん」
「心配しなくていい、ちょっとびっくりしただけだから。音楽でも聴けばね、すぐに落ち着くからさ」
男は少しふらつきながら、部屋へと戻った。

静かな音楽をかけ、仰向けに寝転がる。
結婚なんてだめだ、幸はずっと父さんと一緒にいるんだ、本当はそう言いたい。あぁ、なんて醜いことを俺は思うのだろう、情けない。
自分の手を見てみろ、冴えない中年男の手だ。こんな俺が幸に懸想してどうする。ましてや、自分の娘にだぞ。落ち着け、俺の一番大切なのは何だ、幸が一番大切だ。幸がこんな世界から抜け出すためにも、普通の人と普通に暮らして行くのが一番良いんだ。
そうだ、これが一番良いんだ。
男はうつ伏せになると、低く低く声を押し殺して泣く。蹲るようにして、泣き続けた。

少し辺りが薄暗くなったころ、幸が部屋の外から声をかけた。
「お父さん、晩ごはん作ろ、ね」
男は幸の声に気づくと、努めて落ち着いたように答えた。
「なんだか寝てたよ。すぐ行くからさ、台所で待っていてくれるか」
「うん・・・」
足音が離れて行く、男は部屋の灯りをつけ、窓に映った自分の顔を見つめた。目が腫れてる、泣き過ぎだ、みっともないな。男は襖を開け、洗面所に向かった。

晩ごはんを食べ終え、幸はそのまま編みかけのマフラーを取り出すと、俯いたまま編み始めた。今はもう春、1月には仕上がるはずだったのだが、模様を浮き出させるのが難しいらしい。作っては解き、手間を掛けている。
「良い色だね、柔らかいクリーム色だ」
「うん、でも、難しいよ」
「そうだな、根気がいるね」
俺はなんてつまらないことを言っているんだ。男は自身に絶望を感じつつ、ふと窓から外を見つめた。
白い月が虚空に輝いていた。
そうだ、教えておかないと大変なことになる。
「幸、庭にいいかな」
幸は手を止めると、マフラーを下ろした。
二人は裏庭に出た、梅の森だ。臘梅をはじめ、幾種類もの梅が無数に森を成し、競うようにその花を咲かせていた。裏庭は男とその父親が作り出した異界に繋がり、無限に広がる森を形成していたのだ。

見上げれば真っ白な月が天蓋に浮かぶ。
「幸、父さんの前に立ちなさい」
「はい」
男の前に幸が立つ。
「両方の手を上げて、その手のひらを月に向けなさい」
幸は男の言うままに両手を月に向けた。
「月の光を体に取り込む」
男は幸の後ろに立つと、幸の両肘を両手で支えた。男が静かに息を吸い込む、男の手が白く光り出した。それは月の光と同じ、ひそやかな色だった。
「光の通路を作るよ」
幸の腕が手のひらから肘まで、白く光り出した。
「どんな感じがする」
「腕の中をさらさらと水が流れていく」
男は頷くと、両手を放し、一歩、退いた。
「今度はその感覚を肩まで伸ばしなさい」
男の言葉に幸の腕全体が白く輝きだした。男は自分自身が半年近くかけて身につけたこの修法が一度で幸がこなしてしまったことに驚嘆を憶えた。
「自分の両手を見てごらん」
「なんだか、白く輝いて、腕が蛍光灯になった感じ」
「蛍光灯ですか・・・」
男は少し笑うと、幸の前に回り込んだ。
「両手を重ねて、お臍の上に置く、お腹の中に光が入っていくように」
指先を通して幸のお腹の中に光が入っていく、そして、光が消えた。
「それでいいよ。あのな、父さん、ね。外神、あかねちゃんの時のホテルでさ、幸にえっちなことした、謝ってなかった、ごめんな」
「あれは幸が・・・」
「父さん、とってもさ、えっちな気持ちになってたんだ。幸、体が千切れるように痛かっただろう」
「うん・・・」
「あれはね、父さんのえっちな気持ちが伝わって、意識外のところで幸が恐怖を感じたせいだ。長い間の苦痛がそうさせるんだろう」
幸は驚いて目を見開いた。
「幸、月の光は、少なくとも体だけはさ、その痛みや傷を防いでくれる、お腹の中に蓄えておきなさい。そうすれば、幸もお母さんになれるからね」
男は幸から離れると、梅の木に背を預けた。
「部屋に戻りなさい、まだ夜は寒い」
「お父さん、あの、あのね」
「ごめん、幸。今日の父さんはとってもだめな奴だ。でも、明日には普通に戻るから、それまでね、一人でいたいんだ、ごめんね」
「お父さん、幸はそんなつもりじゃなくて」
「大丈夫だよ、明日にはけろっとしているさ。それに幸が普通の女の子になったら、お父さんは忙しくなる、幸や幸の家族をこちら側からの干渉から守らなきゃな。父さん、とっても強いからな、安心しなさい」
幸はぼろぼろ泣きながら呟いた。
「字は「無」。その姿を捉えたもの、いまだなし。ただ、一陣の風止みし時、切り裂かれた魔物、地に落つる。それ、お父さんでしょう。幸、知ってるよ」

男は手を梅の幹に重ね、息を吐く。閃光が走り、月の光が爆発した、白い輝きが梅の森を駆け巡り、森が一瞬、真昼になる。
「あぁ、懐かしい名前だな。幸のためなら、父さんはとっても強くなるよ」
光が消え、森は夜に戻ったが、男が背を預けた梅の木だけが、やわらかな燐光を残り火のように放っていた。
「でも、今晩だけは怠けさせてくれ」
男はずるずると梅の木に背を預けたまま座り込んでしまった。
「明日になれば祝福するからさ」
幸はぼろぼろと涙を流しながら、男の元へ歩き寄る。
「お父さん、お願い、幸を捨てないで」
「何言ってんだか。幸が父さんのとってもね、大切な娘であることは変わらないさ」
「お父さん、あれ嘘だよぉ、幸の好きな人はお父さんだけだよ。結婚なんか、しちゃだめって言ってくれるかなぁって思っただけだよ。お父さん、幸から離れないでよ」
男はその言葉に目を見開いたまま、幸をじっと見つめた。
「そっか・・・、良かった」
「お父さん、ごめんなさい」
男はふっと笑顔を浮かべた。
「今からでも良いかな」
「え・・・」
「幸は結婚しちゃだめ。だって、父さん、幸と二人っきりで、ずっと一緒にいたいからさ」
男はふふっと笑うと、左手を幸に向けて伸ばした。
「おいで、幸」
幸は駆け寄ると、男に思いっきり抱きついた。
「痛ったた・・・。頭の後ろ、梅の幹にぶつけてしまったよ」
「えへへ、ごめんなさい」
「泣いた女の子が、もう笑った・・・。なんだか、幸は笑ってくれている方がいいな。泣いている幸も可愛いけどね」
「もう、幸、お父さんには嘘つかないよ」
「いいよ、嘘ついてもね。全て、信じてあげるさ」
男はふっと力を抜くと、梅の梢を見上げた。
「桜も良いんだけどね、はらはらと花びらが落ちていくのがね、少し寂しい。梅の方が好きだな。頑張ってさ、花を落とさずにいようとしてくれるからね」
男はそっと幸の頭をなでる。
「幸は華奢な女の子だけど、父さんの心の中の、ほとんどを占めているよ。あぁ、見上げればおぼろに光を放つ、満天の梅の花、父さんの心の中と同じだな」
「お父さん、もう少し、こうしていようよ」
「風邪ひくぞ」
「大丈夫だよ、お父さんはとっても暖かいから。とっても暖かいよ」
「父さんは幸専用の湯たんぽだな」
男は指に幸の髪を絡めると、ほっとしたように笑顔を浮かべた。
8
最終更新日 : 2013-05-11 21:27:11

異形十話

花見と言っても、桜の花を愛でるというような風情はない。所狭しと屋台の並んだ先、公園を一歩入れば、満開の桜が青い空をその無数の花びらで見事に遮ってしまう。
しかし、一度、視線を落とせば、ビニールシートの青が辺り一面、賑やかな花見客が持参する小さな空にあちらこちらと埋め尽くされている、まるで、空にいるようなものだ。
男はビニールシートの端に座り、缶ビールを少しずつ飲んでいた。商店街の花見、幸がしばらく前から、週に一度、魚弦で1時間ほどだが、手伝うようになり、そのよしみで男も商店街の花見に参加したのだった。
「先生が来てくれるなんてびっくりだよ」
洋品店の女店主が男の前で笑った。しばらく前に膝を痛め、折り畳みの座椅子にすわっているのだが、それが正座する男の背の高さにあい、ちょうどいい話し相手になっていた。
「私も、こう賑やかなところは初めてですね」
男は笑顔を浮かべると、缶ビールを横に置いた。
「昼下がりの暖かな日です、見上げれば桜色の空」
「いいねぇ、贅沢だ」
女店主は笑うと重箱に詰めた巻き寿司を一つ食べる。柔らかな日差しが心地よい。
「幸ちゃんもすっかり元気になったねぇ」
「幸はしっかり働いていますか」
「佳奈ちゃんの横で声張り上げているよ」
「良かった」
「先生は幸ちゃんのことになると、ほんと、うぶな少年みたいな顔になるねぇ」
「この齢で少年と言われても褒められた気にはなりませんが」
「褒めちゃいないってことさ」
女店主は声を出して笑うと、重箱を男に差し出した。
「今年はあたしじゃなくて、娘が作ったからさ、少し甘すぎるけど食べてみなよ」
「ひとつ、いただきます」
男が一つ巻き寿司を食べる。
「美味しいですよ、娘さんというと、お姉さんの方ですか。確か、妹さんは、どちらでしたっけ、嫁ぎ先が遠かったような」
「妹の方は結婚して正月くらいに、ちょっと顔を見せるくらいさ。姉は結婚もせずぐずぐずしているからさ、巻き寿司でも作りなって言ってやったんだよ」
男は笑って頷くと、もう一ついただきますと巻き寿司を食べる。
「先生さ」
「はい」
「姉の方の涼子をさ、嫁にもらってくれないかねぇ」
男は笑いながら、首を横に振った。
「この齢で結婚は勘弁してください。もう元気もありませんし、幸との二人暮らしが板に付いてしまいました。今は二人でちょうどなんですよ」
「でも、幸ちゃんもずっと先生と一緒というわけにいかないだろう、その内、好きな男連れてくるじゃないかい」
「どうなんでしょうね、来たらどうしましょう。虚勢を張って物分かりのいい親父を演じるか、それとも、聞きたくないと逃げ出すかな」
男がほんの少し溜息を付く。
「先生、幸ちゃんに惚れてるんじゃないかい」
「そうかもしれませんね」
女主人が呆れて笑った。
「相思相愛だねぇ」
「え」
「昨日、幸ちゃんと珈琲飲みながらさ、言ってたよ。自分がお父さんのお嫁さんになるってさ」
「それは、なんて嬉しいこと」
男が笑う。女主人も釣られて笑った。

ふと女主人は真面目な顔になって男に言った。
「幸ちゃんからあの話は聴いたかい」
「あぁ、商店街のイメージガールとかいうのですよね」
男は笑みを消し、缶ビールを一口飲む。

「幸は絶対嫌だ」
女主人の肩を揉みながら、幸が言い切った。
「わっ、びっくりした。幸ちゃん、いつの間に」
幸はにっと笑うと、それには答えず男に言った。
「お父さんも嫌だよね」
「そうだな、あまり目立ち過ぎるのは良くない。週一でお店を手伝わせてもらうくらいでちょうどいい」
幸はほっと安堵の表情を浮かべる。
「母さん、幸にも色々とね、事情があるのさ」
幸は女主人に笑いかけると、今度は首の後ろ辺りを柔らかく揉み出した。
「母さん、気持ちいいかな」
「なんだか、背中が軽くなっていくようだねぇ」
「母さんは少し猫背、もっと胸を張ってえらそうにしてください。お喋りはとってもえらそうなんだから」
「はは、幸ちゃんに叱られた」
女主人が気持ち良さそうに笑う。
「ね、お父さん、デートしよう。せっかくの桜だもの、恋人同士は桜の下で愛を語らなきゃ」
「父さんは愛よりも食い気だな、屋台が気になってしょうがない」
男はすっと立ち上がるとブールシートから降り、靴を履く。
「母さん、行ってくるよ」
「あぁ、いっといで」
幸は女主人に笑顔を浮かべると、男を追って走りだした。

二人が出掛けた後、ふっと佳奈が女主人のところにやって来た、商店街の大所帯、人が多く、二つに別れて花見をしていた、男どもが騒いでいるのは一つ向こうのブルーシートだった。そして、佳奈は男共の酒の世話をしていたのだった。
「おつかれさん。なんだか、向こうは賑やかだねぇ」
佳奈はお茶を一口飲むとほっと一息ついた。
「男は女を召使いか何かぐらいにしか思っていないんですよ」
「男なんてそんなもんさ、昔、亭主もそうだったねぇ。大酒飲んで、女房こき使うのが、男の甲斐性のように言ってたもんだ」
佳奈は頷くと、一つ、巻き寿司を食べた。
「美味しいです」
「涼子に作らせたのさ。まあまあって感じだね」
「涼子ちゃん、もう随分、見ていないですよ。確か、学校の先生でしたよね」
「教師もこの頃は忙しいらしいよ。あたしですら、たまにしか顔を見ていないんだ」
女主人は一つ溜息を付き、ビールを開けた。
「さっき先生にね、涼子を嫁に貰ってくれって言った」
「うわっ、それで・・・」
「躊躇なく断られてしまった」
「そりゃそうですよ。先生、幸ちゃんに恋愛してますもん、で、先生、生真面目だから、そんな自分を許せないというか、感情を抑え込んでいますから」
女主人がにやっと笑った。
「純な男は少しばかり苛めたくなるねぇ」
「人が悪いなぁ。でも、面白いですけどね、そういのは」
「ただ、問題は親子だってことだ。最近は世の中が変になってか、親子ほどの齢の差の夫婦も珍しくはないけど、でも、本当の親子ではねぇ」
「大丈夫ですよ、だって、本当の親子じゃ・・・。うっ」
女主人が驚いたように目を見開いて佳奈を見つめた。
「それじゃ・・・、男共の様子を見て来ます」
立ち上がりかけた佳奈の裾を女主人がしっかりと捉えた。
「待ちな。そういう面白い話は最後までしておくれ」


「うわぁ、佳奈さん、喋っちゃった」
「どうしました」
男は隣りを歩く幸に話しかけた。
「あのね・・・、前にね、佳奈姉さんに買い物付き合って貰ったとき、ちょっと喋っちゃった」
「なんて」
「あの、あのね。お父さんは本当のお父さんじゃない、だから、幸はお父さんを一人の男として愛することができるって。・・・ごめんなさい」
「それを、いま、佳奈さんが洋品店の叔母さんに喋ってしまったってことか」
男はくすぐったそうに笑った。
「戻ったら、どんな顔して出迎えてくれるかな」
「お父さん、怒らない」
「どうして」
「だって」
男は少し笑うと立ち止まった。
「ちょっとビールでね、父さん、酔ってしまっているのかもしれない。だからかな、それが楽しく思える、不思議だな」
「お父さんは酔っ払いだ」
幸は笑って男の腕を抱きかかえた。

ただ、心配です、あなたのことが
私のことですか
はい、あなたの日常を崩してしまうやもしれません
私の日常は
私がいることで商店街の皆様とあなたの間に諍いが生じれば大変なことになります、ただ、私が皆様の希望をお受けすれば、きっと、たくさんの人達に私の存在が知られ、良くないモノ達が現れるようになります
さて、まず、何から申し上げましょうか
はい
私の日常、それは君が私の隣りに居てくれること、それが私の大切な日常なのです。それ以外の日常は私にはあり得ません。そして、君がたくさんの人達に祭り 上げられるのは、昔、君が人身御供になったことと、私には重なるのです。だから、私はどうしてもそれを認めることができないのです。
君が思う以上に、私には君が必要なのですよ、君がとても大切なのです。
あなたは本当に私を大切にしてくださいます、私はあなたにどれほどのものをお返しできるでしょうか。
もしも、かなうなら。
はい
いつまでも君の隣りにいさせてください。それだけが私の願いです。
わたしのようなもので良ければ、必ず。

「そうだ、お父さんにいわなきゃ、って思っていたことがあるんだ」
幸は見上げると、にっと笑った。
「何をです」
「幸は一杯勉強しているよ、昨日、DNAの本を読んだんだ」
「遺伝子とかだったかな」
「幸はお父さんから体をいただいた、つまり、お父さんと幸のDNAは同じってことだよ、一卵性双生児みたいに、普通の兄妹や親子よりも、ずっとずっと近い存在なんだ。これは幸にとって、とっても嬉しいことなんだ、お父さん、手を出してみて」
幸は男の左手を取ると、自分の掌の指紋と見比べる。
「あ・・・、指紋は違うなぁ」
「指紋まで一緒というなら同じ人になってしまうよ、幸は幸という個性なんだからね」
男は笑顔を浮かべると幸の手をそっと握った。
「幸の手は柔らかくて優しい感じがするよ」
男は手を離すと、自分自身の掌を見つめた。
「父さんの手はざらざらだ」
男は笑うと後ろ手に両手を組む。
「それがお父さんの個性なのです。幸は好きだよ」


「つまりはだよ、先生は幸ちゃんが商店街のイメージガールにならないほうがいいと言ってる、で、幸ちゃんも絶対嫌だと言っている」
「本当の親子じゃないってことは秘密ですよ、誰にも言わないでくださいよ」
「大丈夫さ、あたしゃ、佳奈ちゃんよりずっと口が堅いさ」
女主人は笑うと、腕組みをして考える。
「そうか、駆け落ちだな。これは」
「変なこと考えないでくださいよ」
「いやいや、つまりはだ。先生と幸ちゃんは相思相愛、惚れあっている。しかし、親子ほどの齢の差、幸ちゃんの本当の親が認めるはずがない、で、二人、駆け 落ちをした。しかし、ここで、商店街のイメージガールなんてことで盛大に顔を出したら・・・。うん、面白い、なんかわくわくするね。先生も人畜無害な顔し てるくせにやることはやるもんだ」
佳奈はどう収めれば良いのか、思い浮かばずうろたえていた。
「よし、あたしゃ、応援するよ。二人を添い遂げさせてやろうじゃないか。一肌も二肌も脱いでやるよ」
「あ、あの、おばさん」
「ん」
「あの、えっと、あの二人は、多分、ですけど、こういうどっちともつかずの状態を楽しんでいる、と思うんですよ」
「そりゃ、どういいことだい」
「恋愛中というか、そういう、なんていうのかなぁ、甘酸っぱい時代を楽しんでいるというか」
「しかし、先生もいい齢だよ、っていうか、いい齢なんかとっくに過ぎちまってるよ」
「でも、幸ちゃんにとっては、今のこの関係が」
女主人は、うーんと唸り考え込んだ。
「そうだねぇ、なにも女が男に合わせなきゃならないわけじゃない。幸ちゃんには、まだまだ、楽しむ時間が必要なのかもしれないね」
「そうですよ、幸ちゃんもあの齢で主婦やらせるのは可哀想ですよ」
「しょうがない、当分、見守ってやるだけにするかねぇ。うん、ほら、噂をすればだ」
佳奈が振り返るとタコ焼きの包みを両手に幸が駆け寄って来た。男はお好み焼きの袋を持っていた。
どうしよう・・・、佳奈は一人呟いた。
「母さん、佳奈姉さん、ただいま。タコ焼き、食べよう。お好み焼きもあるよ、リンゴ飴も」
男もブルーシートの荷物を置くと、
「それじゃ、ちょっと」
「あれ、先生、どこに」
「あちらで、ちょっとお喋りして来ます。佳奈さん、幸の相手してくれないかな」
「あ、あの。先生」
男はにっと佳奈に笑いかけると、もう一つの宴会場へと向かった。
「どうしたの、佳奈姉さん。顔色悪いよ」
けげんな顔をして、幸は佳奈に尋ねた。
「あ、あの・・・、喋っちゃった」
「なにを」
「えっと、あの」
幸は笑みを浮かべると、すっと人差し指で佳奈の唇に触れた。
「言わなくていいよ。幸は佳奈姉さんが好きなんだからさ」
手を離し、幸は女主人に話しかけた。
「母さんは歩くとき、膝を突き出すように歩く、だから膝を痛める」
幸は女主人の前に座ると、両手を女主人の膝に重ねた。
「母さん、膝全体が暖かくなってきたでしょう」
「なんか、膝の中が柔らかくなっていくようだ」
幸は手を離すと、立ち上がり、女主人の両脇に手を差し入れ立たせた。
「手を離すよ」
幸が手を離す、女主人は信じられないと自分の膝に触った。
「ぜんぜん痛くないよ、いや、以前より調子が良いくらいだ」
「でも、今までと同じ歩き方をしたら、また、膝を痛めることになる。ゆっくりとね、ちょっと、膝を伸ばし加減にして、足の裏、全体で地面に着くように歩くといいよ」
幸は笑うと、タコ焼きとお好み焼きの袋を開けた。
「いっぱい買ってきた、みんなで食べよう」


「大将、俺は感謝しているよ。幸が魚絃さんにお世話になってからさ、人見知りもなくなってね、本当にありがたいと思っている、でも、それだけは勘弁してくれないかな」
「先生、なにもたいしたことじゃなくてさ、商店街で作るポスターのまんなか、幸ちゃんに大きく笑顔で写ってくれればいいんだけなんだ」
男は困ったように笑顔を浮かべた。
「少しばかり事情があってね、幸を写真とかにね、写されたくないんだよ」
魚絃は腹を括ったように男を睨んだ。
「それは先生のエゴってもんじゃないかい」
「いや、事情があるんだよ、簡単に話せるような理由ならいいんだけど、詳しいこと、言うわけにいかないんだよ」
「みんな言ってるぜ」
「何をかな」
「先生が幸ちゃんを溺愛して、無理やり、そのなんだ、男と女の関係を作って、幸ちゃんを苦しめているってな」
「ん・・・、それは誤解だ。確かに大切な娘だからさ、愛しているって言っても間違いじゃないけどね。それは噂や妄想が一人歩きしているだけだよ。幸が働いていてさ、そんな陰があるかい、無理強いされてそうに見えるかな」
「それは・・・」
「頭下げるよ、今回の話はなかったことにしてくれよ。頼むからさ」
「こっちこそ頼むよ、先生。俺ら、もう決めたんだ、これで行こうってな」
いつの間にか、商店街の男たちが男と魚絃を中心に車座にすわっていた。
「息子が大学へ行くんだ」
魚絃の隣り、金物屋。
「大学のな、入学金がいるんだ、もうけなきゃならないんだよ。あの子が商店街に来てから売上があがってんだ。なんとか、ここでどんと儲けたいんだよ」
後ろからパン屋。
「近くにできたスーパーから客を取り戻すんだ、そのためにはポスター作って、幸ちゃんに商店街のテーマソングを歌ってもらうんだ」
男は小さく溜息をつく。
魚絃が駄目押しに、男に言った。
「商店街で先生に帳簿つけてもらっているのは、俺んちも含めて半分以上だ。それがなくなったら先生も辛いんじゃないかい」
男は寂しそうに笑うと立ち上がった。
「ここは引き下がらせてもらうよ」
男はブルーシートから出、靴を履いた。
「先生、わかってくれたのか」
魚絃が大声で言った。
「いや、明日にでもね、預かっていた書類、全部返すよ。俺は娘が最優先なんだ」
「馬鹿野郎」
罵声に、男は哀しそうな笑顔を浮かべ背を向けた。

「お父さん、どうだった」
幸が歯にアオノリを付けたまま、戻って来た男に話しかけた。
「予想どおりだった」
「そっか・・・。ごめんね、お父さん」
「あの、うちの亭主、先生に失礼なこと言ってなかったかな」
「ん、大丈夫だよ、佳奈さん。なんだかな、幸も佳奈さんも歯にアオノリがついている」
男はくすぐったそうに笑った。
「や、やだっ」
あわてて幸はお茶を飲んだ。
「先生、まぁ座りなよ」
「いえ、今日はこれでお暇します、急ぎの用事ができたものですから。幸、膝はどうだった」
「膝の半月板修正と軟骨の増強、母さん、普通に歩けるよ」
「それは上々」
男は笑うと背を向けた。幸はあたふたと靴を履き、男にしたがった。
「それじゃね、佳奈姉さん、後片付けお願い。母さんも気を付けてね」
幸はにっと笑いかけると、男を追って駆け出した。
二人の姿が人込みに紛れ消えて行く。
「先生って何者なんだい」
女主人が呟いた。
「え・・・」
「まるで普通の人間じゃないように見えた」
「へんなこと言わないでくださいよ」
「初めてだ、先生の後ろ姿が透けて見えたような気がしたんだ」
「そんなことあるわけないじゃないですか」
「そ、そうだね」
女主人は落ち着こうと、お茶を飲む。
「は、あれ、あたしゃ惚けちまったのかい」
女主人が叫んだ。
「佳奈ちゃん、先生の名前、名字はなんていったっけ」
「え、それは、それは・・・」
佳奈は自分も男の名が思い浮かばずにいるのに気が付いた。何だったろう、事務所の看板を思い出してみる、封筒に印刷された名前を思い出そうとする、下の会計事務所は思い出せるのに、どうしてだろう、始めから知らなかったかのように、男の名字が思い出せない。
「叔母さん、先生のとこ、行って来ます」
「なんだか変だ、頼んだよ」
「はいっ」
佳奈はあたふたと靴を履くと駆け出した。公園を飛び出す、公園の入り口には何件もの屋台が並んでいる。
辺りを見渡す、たくさんの人だ。
とにかく、先生ちへ行こう。
しかし、佳奈は立ちすくんでしまった。そして、力が抜けたように、膝をついて、しゃがみこんでしまったのだった。
「先生ち、何処だったろう」
呟いた。なんで、先生のとこ、思い出せないんだ、今まで、幸ちゃんと先生ちでお茶を飲んだり、それから書類の控えを持って行ったりしていた、道が分からないなんて、そんなことあるはずないのに。
佳奈は人目もはばからず叫んだ。
「先生、幸ちゃん」
「どうしたの、佳奈姉さん」
振り返ると、幸が両手に屋台で買ったお好み焼きの袋を持って立っていた。
「あ、あの、あのね」
「あ、姉さん、涙出てるよ、もう、しょうがないなぁ。お父さんは徹夜で書類を仕上げなきゃって帰っちゃったし、幸はさ、晩ごはん用にお好み焼き買ってたんだ。」
幸は少しかがむと、佳奈の目許を袖で拭った。
「佳奈姉さんは大人なのに迷子だ」
幸は笑顔を浮かべると、佳奈を立たせた。
「先生の家が分からなくなった」
「それはしょうがない。お父さんは幸を守るために、商店街の人達との十年間の縁とこれから先を切ってしまった、幸は、まだ佳奈姉さんや母さんと縁が繋がっているから、こうして会えるし、お喋りもできる」
幸は寂しそうに笑みを浮かべた。
「佳奈姉さん、お父さんの家を思い出そうとするのじゃなく、幸の家を、幸の家の場所を思い出そうとしてごらん」
佳奈がほっとした顔をする。
「思い出せたみたいだね。しばらくはあの家にいるから、佳奈姉さん、遊びに来て。楽しみにしているから」
幸が歩きだそうとするのを、佳奈は両手でしっかりと止どめた。
「お願い、幸ちゃん。これじゃ、納得できないよ」
「困った・・・」
幸は背を向けたまま呟いた。
「場所を替えよう」
そう幸が呟いた途端、人の姿がすべて消え、全くの無音となる。取り残されたように屋台だけが立ち並ぶ。
「ここは」
「違う次元の世界、この世界には佳奈姉さんと幸の二人っきりだ。誰も聞き耳を立てる奴はいないから安心なんだ」
幸は屋台に設えられた丸椅子に座る、両手の袋を屋台の軒先に置いた。
「佳奈姉さん、お喋りしよう、隣り、どうぞ」
幸が優しく笑みを浮かべる、佳奈はほっとしたように幸の隣りに座った。
「すべて話すかな、でも何から話せば良いのかな」
幸は少しうつむいた。
「そうだね、幸のこと、そして、幸とお父さんの関係から話ししてみるか」
「幸ちゃんのこと」
「うん、正直に話すよ」
「ありがと」
佳奈が呟いた。
「佳奈さんは人の心を聞く。例えばね、誰もいないのに、いないはずなのに声が聞こえたことはないかな」
「今はほとんど無いけど、子供の頃は多かった」
「手を見せてみて」
幸は囁くと、佳奈の手を取り、手首を見る。
「守髪(もりがみ)が入っている。これはお父さんの父親の髪だ、縁があるのかな」
幸は自分の髪を一本抜くと、佳奈の手首に巻く。その髪は手首の中に融けるようにして消えてしまった。
「覚えているかな、子供の頃、男の人にこんなふうに手首に髪を巻いてもらったこと」
「そうだ・・・、思い出した、小学生の頃、法螺貝持ったしゅけんじゃ。いきなり目の前にやって来て、自分の髪の毛を抜いて、あたしの手首に巻いた」
佳奈はそっと笑みを浮かべた。
「もう大丈夫だよって言って、そのまま去って行ったんだ」
「佳奈姉さん、良かったね。幸はさ、出会えなかったんだ、そういう人に」
幸は笑みを浮かべると、視線を外し少し俯いた。
「声の主は、妖怪、あやかし、魔物、或いは祟り神と呼ばれている奴らだ。声を聞いてしまえば引かれて食われてしまうよ」
「本当にいるの、そういうの」
「いる、でも、佳奈姉さんは大丈夫だ。幸の守髪はそんな奴らを微塵も寄せ付けない」
にっと笑うと幸は佳奈の手を握った。
「あたしのいたところは・・・、ううん、幸のいたところは迷信深いところでね、祟り神を畏れ敬っていた。幸は霊媒体質で、心の声も聞く、ついでに随分と美人だ、きっと神様もご満足いただけるだろうと人身御供、生け贄にされたんだ。」
「そんなことが今でも・・・」
「百年以上昔の話さ。あたしは祟り神の腹の中で百年、生きていた、つまりもう人間じゃなくなっていた。あたしは祟り神に使役されていた、男を女の魅力で引き込んで、そいつを祟り神に食わせる、餌みたいなものだ」
幸は佳奈から手を離すと、空をぎゅっと睨みつけた。
「そんなことが本当にあるの」
「現実を一歩踏み違えて、穴に落ち込んだら、そういう奴らが口を開けて待っているのさ」
幸はふっと息を漏らすと佳奈に笑いかけた。
「信じてくれる、佳奈姉さん」
「信じるよ、第一、こんなさっきまでたくさんの人達がいたはずの桜の公園が、本当に今、幸ちゃんと二人っきりになっているんだから」
「ありがと」
幸は小さくふふっと笑うと嬉しそうに言った。
「お父さんに会ったのは、およそ二年前。いつものように男を引き込み、体売って、祟り神に食わせる餌になって、そう、いつものように・・・」
「お父さん、違ったんだ。あたしが裸でベッドにいるんだぜ、どんな男でも理性なくしてむしゃぶりついてきた。でも、お父さんは世間話をするんだ。そして、祟り神が正体を現わした時、あっけないくらいあっさりと、奴を退治して、あたしを助け出してくれたんだ」
「でもね、あたしは既に人間じゃない、奴と一心同体みたいなものだった、だから、あたしも死んでいくしかなかったんだ」
「そのとき、お父さん、こう言ってくれたんだ。生きることを選びなさい、私の命を半分あげようってね」
幸は呟くように言うと、自分の手のひらを見つめた。
「この体も血も命も、お父さんに半分分けていただいたもの。この体にはお父さんと同じ血が流れているんだ」
「だから、幸ちゃんはお父さんが好きなの」
「それもある、でも、本当に女としてあの人に惚れたんだ。もう、あたしには親も姉弟もいなかった、救い出してもらっても行くところなんかなかった。あの人 はそれなら私のところに来なさい。年齢的にも親娘でいいでしょうって言ってくれた。あたし、今なら妻にしてくださいって言ってたかもしれない」
「一緒に暮らすようになってね、幸せになりなさいという思いを込めて、お父さんはあたしに幸という名前をくれたんだ」
「普段の先生からは想像がつかないよ」
「そうだよね、お父さん、もっとかっこいいとこ、外に出したらいいのに。地味で正直が一番楽って言ってるんだから」
幸は少し声を出して笑う、とても幸せそうな声だった。
「ただ、お父さんにはとても迷惑かけた。佳奈姉さんに初めて声をかけてもらった時」
「背中向けてうずくまってたね」
「大きな声がとても怖かったんだ、だから、佳奈姉さんに声をかけてもらってとても嬉しかった」
佳奈が照れ臭そうに笑う、まるで少女のような幼い笑みだった。
「お父さんのところに来た頃、いつもはね、人が怖くてね、おとなしくしているけど、たまに、なんだか不安で一杯になって、もうわけ分からなくなって、大声 あげて意味の分からないこと喚き出したり、障子やふすまを破ったり、硝子割ったりもした。もう、自分自身がどうしようもなくなるんだ、そして最後には部屋 の隅でうずくまってぶるぶる震える」
「お父さん、一度も怒ったことないんだ、抱き締めてくれて一緒に泣いてくれるんだ、もう大丈夫だよ、ここは幸の場所だ、安心していいんだよって、繰り返し 言ってくれる。そして、こんなこと言うんだよ。棚がつぶれたりして大変だなぁって思うけど、板買って来て、こう、鋸で切る、その時、幸が板の片方をしっか り押さえてくれているの見ると、親子っぽくっていいなぁなんて」
「そう、嬉しそうに言ってくれる、幸の心はとろとろになる。あぁ、もう、お父さん、大好きって思ってしまうんだ」

「ただ・・・」
幸は微かに視線を落とした。
「お父さんは自分が死んだ後のことを考える、幸が一人でも生きて行けるように考える、お父さんは凄い武術使いで、映画に出て来るような魔法使いだ。お父さ んは全ての術を幸に教えてくれた。どんな敵にも勝てるように。そして、たくさんの友達が出きるようにも考えてくれた、佳奈姉さんにこうしてお喋り出きるの もそうだし、いろんな友達や知り合いもできた、幸一人じゃ、到底できなかった」

幸はふっと顔を上げ佳奈に言った。
「幸はとても美人だろう、性格はともかく」
「うん、見れば見るほど完璧な美人だと思う、性格は・・・、だけど」
「微妙な言い回し、ありがと。でもね、結局は、美人ってのが問題なんだ。この美人ということで、神様が喜ぶだろうと生け贄にされた、そして、今は商店街の男達が売り上げ向上を狙って幸を御輿に載せようとする」
「亭主もその話になると眼の色変わっていた。何考えているんだ、こいつって思ったよ」
「幸は一度魔物にさらわれた身だ、魔物を引き込みやすい体質になってしまっている、その上、そんな思いが膨れあがっていくと、いろんな妖しい奴らが近づい てくる。いろんな面倒ごと、不可思議なことが増えていく、その内、みんな頭が固まってしまって、もう助かるにはこれしかないって幸は妙な神様に捧げられて しまうのさ」
幸は沈んだ表情になると少し猫背になり頬杖をつく。そして、ひたすら前方を見つめた。
「顔に傷をつければ、こんなことはなくなるだろう。ざっくりと頬にでも切り傷をつければいい」
佳奈は幸の沈んだ声に驚いた、幸の表情を長い髪が隠している。
「でも、この体はお父さんにいただいたもの、この体には絶対に傷をつけない」
ふっと幸は背伸びをすると大きく深呼吸をした。
幸は佳奈に笑顔を向けた。
「佳奈姉さんにはとっても大切にしてもらった、幸のこと、気にかけていただいた。だから、幸のこと正直に話したんだ」
「どう、答えればいいかわからないよ。話が重すぎて」
佳奈はひとつ溜息をつくと、幸を見つめた。
「お姉さん、幸ちゃんの頭、なでて上げるよ」
「うん、ありがと」
佳奈が幸の頭をなでる。
「幸ちゃんはえらいよ、がんばった」
「うふふ。頭、撫でられるの好き」
そして、幸は立ち上がると佳奈の後ろに立ち、そっと佳奈の頭を撫でる。
「気持ちいいでしょ」
「いいね、気持ち良い」
「佳奈姉さん、今回のことで、大将たち男を怒っちゃだめだよ」
「殴ってやろうかと思う」
「それはだめ。もともと男なんてガキで我が儘な種族なのさ」
「先生も」
「お父さんは別、だって、幸のお父さんだもの」
佳奈は愉快に笑った。
「あ、お父さん、引き返して来た。元の世界に戻るよ」
その一言で、二人の回りにはたくさんの人達が行き交う公園入り口の前に世界は姿を替えた。

「お父さーん」
幸が男に声をかける、男は笑顔で手を振った。
「遅いからどうしたのかと思った」
「幸が襲われたと思った、誘拐されたって思った」
「いや、幸が誰かを襲ってんじゃないかとひやひやした」
「わっ、ひどいな、それ。幸は優しい女の子なのにさ」
幸が佳奈に同意を求める。
「幸ちゃんはかわいい、かわいい」
「感情がこもってないよ」
佳奈が愉快に笑う。
「ほんと、良い子だ」
男がすまなそうに笑った。
「佳奈さんには迷惑かけて申し訳ない」
「本当に男ってのはどうしようもないバカタレだよ」
「はは、返す言葉がないよ」
「先生、聞きたいんだけどさ」
「なんだい」
「あたしらは友達かい」
「ああ、共通の特技を持つ友達だ」
「これからもかい」
男は柔らかく笑顔を浮かべた。
「もちろん、これからもね」
「安心した、これが一番の安心だよ。先生は嘘だけはつかないからさ」
男がくすぐったそうに笑う。
「いい人だよ、佳奈さんは」
男がそっと幸の頭に手をやる。
「佳奈さん。幸は佳奈さんを本当に自分の姉のように慕っている、これも縁というやつなのかな。我が儘なところもあるだろうけど、これからもよろしく頼むよ」
「ええっ、幸は我が儘じゃないよ。自分の意見を優先するだけさ」
「楽しい妹だ。飽きないねぇ」
「それじゃ、佳奈さん、帰るよ」
「母さんも一緒に来てね、仲間はずれにすると叱られちゃうよ」
「ああ、そうするよ」
佳奈は小さく溜息をつき笑顔を浮かべた。
男が少し会釈をする、背を向けようとしたとき、佳奈は思いだしたように言った。
「先生」
「ん・・・」
「あのさ、言いにくいんだけどさ・・・、怒らないでよ。先生の名字や名前なんだったけ」
「うわ、ひどいなぁ。十年以上のつきあいだよってね」
男はポケットから名刺入れを取り出し、ペンで名前を書き込んだ。
幸がその名刺を取ると、佳奈に手渡した。
「由緒のありそうな名字に名前だ、似合わないね」
「ああ、だから、誰にも教えなかったのさ。初めて人に教えたよ」
「えっ・・・」
佳奈が顔を上げた瞬間、男の姿がふいっと薄れそのまま消えてしまった。
「本当にお父さん、魔法使いでしょう。恥ずかしがり屋のね」
「うわぁ、面白いねぇ」
「それじゃあね、必ずだよ」
「ああ、明日にでも行くよ」
「楽しみにしてる」
幸は一瞬、寂しそうな表情を浮かべたが、にっと笑うと手を振り駆けだした。
幸の姿が人影に消えるまで佳奈はそのまま見送る。
ふいに佳奈はしゃがみこむと、小さく溜息を漏らした。
先生や幸ちゃんと行くのもありなのかなぁ、そんなふうにも思う。
でも、子供の顔を思い浮かべると、あいつらをしっかり育てなきゃって思うし、蹴っ飛ばしてやろうかという亭主だけど、あれでいいとこもある。
あ・・・、泣いているのかなぁ、涙出ていないのに。
「どうだったい、佳奈ちゃん」
「あ、おばさん」
女主人が駆け寄って来た。
「遅いからどうしたんだと思ってね」
佳奈は立ち上がると、少し笑った。
「幸ちゃんが明日、遊びに来てって言ってましたよ」
「そうか、会えたかい。良かった」
「本当に膝、大丈夫になったんですね」
「前より調子いいくらいさ。ん・・・」
女主人が佳奈の顔をのぞき込む。
「泣いてんのかい」
佳奈はなにも言わず、女主人にしがみつくと小さく小さく泣きだした。
おとうさん
ん、どうしました
幸はなんだか割り切れない複雑な気持ちだ、こんな変な気持ち初めてだよ
哀しいとか、楽しいとかね、人の気持ちってのは、そんな単純に表すことはできない
哀しくて楽しかったり、相反する気持ちがいろいろ混ざり合って人は苦しむ
つまりは、幸が一人の人として成長したってことだ
人になるっていいことばかりじゃないね
そうさ、でも・・・。本当に嬉しいなぁってこともあるからさ、たまにはね。
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最終更新日 : 2013-05-11 21:27:11


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