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遥の花 藍の天蓋

遥の花 藍の天蓋 一話

秋野菜の種を蒔く季節だ、見上げれば、視線が空が突き抜ける、このまま、目を凝らせば、瞬く星ですら見えるかもしれない。
ふと、夕子は手を止めると、空を見上げた。夏の終わりの季節、秋野菜を育てるための準備に畑を耕す。
ここへ来て三日が経つ。戦うつもりでやって来たのが、今はここの家族の一人として、畑を耕している自分がいる。
慣れない作業でくたくただ、でも、不思議と楽しい、それに自分を受け入れてくれた御恩を返すためにも、頑張らなきゃと思うのだ。

台所のテーブルに幸となよがいた。二人して隣同士に座り、お茶をいただく。
「どうするな、幸」
「幸としては、やさしいお姉さんが増えて嬉しい。なよ姉さんが二人みたいにならなくてよかった。かなりきついもの。幸、泣いちゃう」
「何をぬかすか」
なよは溜息をつくと、軽く幸の頭を叩いた。
幸は笑うと、なよの湯飲みにお茶を注いだ。
「この国の政府はわしだけでなく、皆を標的にしたかもしれんぞ」
「その程度のこと、たいしたことじゃない。いつも通りの生活を続ける。それだけのことだよ」
幸は椅子の背もたれに体を預けると目をつぶった。
「お父さんの持っている記憶が幸にもある、千年以上昔、人は鬼からの独立を目指して、鬼との百年戦争が始まった。それまでこの国の人達は鬼の支配下にあったわけだ。ほぼ、完全な独立を果たした、それから、およそ、江戸時代の終わり、明治の始め辺りまで、その独立が続いた。でも、それ以降は、主の変更はあっても、ほぼ傀儡政権だ、幸は必要とあれば、主の首も傀儡の首もすとんと落とすよ」
「恐ろしい奴じゃのう、お前は」
呆れたようになよが答えた。
「人の世界にそれほど興味はない、この国を潰せば、幸が治世をしなければならなくなる、それは願い下げ、つまりはあちらから関わって来なければいいだけの話だ」
幸は目を開けると、寂しげに笑みを浮かべた。
「そんなことよりも、智里さん、小夜乃ちゃんと笑っていたね。初めて見たよ、智里さんの笑うのを」
なよは小さく吐息を漏らすと言った。
「智里も少しずつ心が柔らかくなって来ておる。今日は啓子と援農じゃ、あやつも啓子とも話すようになったわい。善きことじゃ」
幸はそっと笑みを浮かべると、立ち上がった。
「そろそろ夕子姉さん、限界だ。小夜乃と白に頼んでくる」

日差しの中、夕子は麦藁帽子を被ってはいたが、それでも体が熱をおびて、頭に熱が集中していくのがわかる、でも、もう少しだけと、鍬をふるった。
「おおぃ、夕子姉さん」
声に夕子が顔を上げると、白と小夜乃が大きく手を振っていた。
「いま、行きます」
二人は畑の向こうから駆けてくる。白はいつもの銀色のマット、小夜乃は大きめの日傘を抱えていた。
二人は夕子の前まで来ると、畦にマットを敷く。そして、ふゎっと白は夕子を後ろから抱きかかえると、マットに足を投げ出し座らせた。小夜乃が日傘を広げ、夕子に影を作る。
ほんの数秒の出来事だ。
「あ、あの、えっと」
「夕子姉さん、無理し過ぎですよ」
白が笑った。
「夕子姉さん、これを」
小夜乃が水筒からお茶を汲むと、コップを夕子に手渡した。
「あ、ありがとうございます」
そっとコップに口を付ける、少し甘いお茶。
「美味しい」
小夜乃が嬉しそうに笑った。
「ステビア、甘いハーブのお茶です」

「お父さん」
幸は男の部屋の前に立つと小さく呟く。そして、そっと襖を開けた。
「どうした、幸。なんだか、お悩み中だな」
椅子に座ったままの男は安心させるように笑みを浮かべた。幸は男に駆け寄ると男にしがみついた。怯えたように幸の体が震える。そっと、男が幸の頭を撫でた。
「人を簡単に殺すことが出来ると言いました」
「なるほど、自分の言葉に怯えたか」
「術師集団を送り込もうとしてきた人たちを許せなくて」
男は幸の頭を軽く叩くと、幸を目の前に立たせた。
「本来、お互い、不干渉がいいのだけれどね。ところが、ここが、この国の支配者層にとっては、目の上のたんこぶになってきた、好き勝手が出来なくなって、ここの存在がわずらわしくなってきたんだろう」
「楽しく暮らしているだけなのに」
幸が思いつめたように囁いた。
「ま、そのことは父さんに任せなさい。幸はこの異界の管理者だ。みんなの幸せをゆっくりと考えなさい。争うことなく静かに暮らせば良いと思うよ」
「ありがとう、お父さん」
泣き濡れた瞳のまま、幸は微笑んだ。
「幸。白と小夜乃が困っているようだ。天使の体はちょっと違うからな」
「うん、行ってくる」
幸は頷くと部屋を出た。
ちょろいな・・・、ふと幸の言葉が唇から漏れる。
「あっ」
廊下の向こう、なよが目を見開き、幸を見つめていた。
「なよ姉さん。ちょっと、夕子さんのとこ、行ってくるよ」
幸がなよの隣りをすり抜けた。
「まて、幸」
なよが声をあげた。びくんと幸が固まる。
「父さんの能力は、いくら体力を取り戻しつつあるというても、全盛期の半分、いや、三分の一やもしれん。わかっておるのか」
幸が振り返り、にっと笑った。
「かまわないよ。だって、お父さん、男だもの」
幸が背を向け、外へと向かった。

ずかずかとなよは男の部屋に入ると、椅子に座ったままの男を睨みつけた。
「いやぁ、三分の一は言いすぎだよ、まいったなぁ」
男が気楽に笑った。
「幸が父さんから離れてしまったこと、受け入れるのか」
「いずれはそうなると思っていたし、そうなる方がいいよ。ま、突然だったから驚きはしたけどね」
男は椅子の背もたれに背中を預け、目を瞑る、平次君や当主殿が居て、幸も随分いらいらしていたからなぁと、その時の様子を思い出して、笑いそうになる。
「自分が死ぬことで、幸が狂って、世界を滅ぼすということは避けることができた、それだけで良しとするよ」
男は目を開けると、なよに笑いかけた。
「父さんはお手軽に世界を守った勇者ということでいいんじゃなかな」
「父さん、辛くはないのか」
なよが男を睨みつける。
「いい年こいたおっさんが哀しいとか、辛いとかいうのは、みっともないだけだよ」
男は気分を変えるように、深呼吸をした。
「二、三日留守をするから、後はよろしく頼むよ」

そして、男が呟いた。
「幸乃、父さんから出なさい。幸乃には留守番を頼むよ」
瞬間、男の胸から仰向けに幸乃の上半身が現れた。
「嫌です、例え幸がどのように考えても、幸乃はお前さまの妻です」
幸乃が感情を露わに叫んだ。
「夫婦は一心同体、幸乃は何処までもお供いたします」
幸乃は一途にしがみつくと、男の体に潜り込んでしまった。

「守るものが出来たから、励みになるかな」
男はなよに目をやると、少し恥ずかしそうに笑った。
「なよ。何も今生の別れを言うわけじゃない、帰ったらゆっくりするよ」
立ち上がりかけた男をなよが引き止めた。
「待て、わしが護髪をしてやる」
なよは男の前に正座をすると、くっと見上げた。
「父さんの右腕は幸の作った義手、左手には幸の護髪が入っておる。ならば、わしは父さんの右足に護髪をしてやろう」
なよが髪を一本抜き、男の右足に結ぶ。
「初めて見たよ」
「何を見た」
「上からなよのつむじを見下ろした。三つある」
「つむじくらい、帰ってきたらいつでも見せてやるわい」
見上げたなよの瞳が濡れていた。
なよは辺りを見渡した、
「よし、あかねが帰ってきおった。あかね、来い」
風が突き抜けた、と感じた瞬間、開いた襖に手を掛け、あかねが息を弾ませていた。
「力関係上、仕方なくは走って来ますけどね、用事がある時は」
あかねが顔を上げ、絶句した。なよ姉さんが泣いている。
「急ぎじゃ、父さんの左足にお前の護髪をしてくれ」

あかねは素早く男の前に正座すると、後で留めていた髪を解し、髪を一本、男の左足に結んだ。
「詳しい事情は知りません。ただ、お父さんは御自分が思われる以上に必要な人で」
くっと、あかねが男を見上げた。
「あかねにとっても、とても大切な人です」

男は笑みを浮かべるとそっと指先であかねの頬に触れた。
「ありがとう。とっても嬉しいよ」
男は手を戻すと、よしと呟いて立ち上がった。
「それじゃ、出かけてくるよ」
「まて、父さん。一つ聞かせてくれ」
なよの声が震えた。
「どうしたんだい」
なよが深呼吸をし、きっと男を見つめた。
「父さん、本当は己の出自をわかっているのであろう。しばらく前に、思い出した。父さんはホンケの初代にそっくりじゃ」
男は襖に手をかけたが、ふと、手を戻し、背を向けたまま言った。
「幸にも伝えていない記憶だよ。先々代が初代の細胞から作り出した赤ん坊が父さんだ。ま、誰にも言わないでくれ、特に白澤さんには秘密だぞ。子供の頃かな、白澤さんに初代ってどんな人だったって聞いたことがあるんだ。映画俳優のブロマイド、少女のような表情で、このお方にそっくりってね。白澤さんの乙女心を傷つけたら大変だ」
男はくすぐったそうに笑うと部屋を出た。
慌てて、あかねが部屋を飛び出す。男の姿は既になかった。
「なよ姉さん。これは、いったいどういうことですか」
「わし自身がこの状況を戸惑うておる」
なよはそう呟くと俯いた。

三毛は山羊小屋の中で男と同じ、やわらかな笑みを浮かべた。数日の間、男と山羊小屋を作っていたのだ。十畳は充分ある、天井も高くて普通に歩くことも出来る。
そして、三毛は男と一緒に山羊小屋を作ったのが嬉しくて、なんだか誇らしくて、つい笑ってしまうのだ。のこぎりで板をまっすぐに切ることも出来るようになったし、金槌で釘をまっすぐ打つようできるようになった。お父さんと一緒に山羊小屋を作ったからだ。単純なことだけど、なんだか、とっても嬉しい。なにより、お父さんと一緒に一つのものを作ったということが嬉しくて仕方がないのだ。

「おーい、三毛」
黒が扉を開け、小屋に入って来た。
「黒姉ちゃん」
「晩御飯の用意をしよう」
しかし、黒は三毛の隣にすっと座ると、柔らかに笑みを浮かべた。
「いいの、できたね」
「うん」
三毛がとびきりの笑顔で頷いた。
黒は小屋を二人が作っている時、手伝おうとしたのだが、男と作業をする三毛の楽しそうな顔を見て、遠慮したのだ。末っ子でもあり、三毛は何かにつけて、遠慮する。それが習慣になってしまっているのだろう、だから、父さんと生き生きと笑顔で作業をする三毛の邪魔をしたくなかったのだ。
「あのね。黒姉ちゃん、三毛はここにいるととっても楽しい。じっとしていても楽しいんだ」

「ここは三毛の宝物だな」
黒の言葉に、そっと三毛は頷いた。
二人が家に戻ると皆が、いつものように晩御飯の用意をしている。黒と三毛も椅子やテーブルを運ぶのを手伝い始めたが、ふと気になって黒は白にたずねた。
「お父さんは」
「わからない、誰も知らないみたい」
困惑したように白が尋ねた。
「幸母さんも知らないの」
黒の問いに、白が頷いた。三毛が気づいた。
「あれ、なよ姉さんも」
小夜乃がお皿を両手に頷いた。
「なよ母さまは用事があるとのことでホンケに伺いました」
天使の夕子姉さんが増えた以外、いつもの風景。でも、何か違うと三毛は確信した。


あかねは六十絡みの男の背後に立つと、男の喉に軽く短刀の先を当てる。
深夜、とある政治家の寝室だ。
「な、何者だ」
無言であかねは短刀を持つ手に力を加える。つぅっと男の喉仏から、赤い血が流れた。
「質問は認めません。なお、警備の者はおりませんし、警備会社から警備員も来ることはありません。貴方は、一人きりです」
「ま、待ってくれ。俺は何も悪いことなどしていない」
あかねの手にくっと力が入る。
「助けて、助けてくれ」
「何も悪いことはしていないなんて、笑えない冗談」
あかねは政治家の耳元に口を寄せ、囁いた。
「お尋ねします。とある男から呪術集団の最近の行動について、抑制するよう依頼がありましたか」
あかねの言葉を聞いた途端、足の力が抜けたように、しゃがみこんでしまった。
「俺じゃない、俺じゃないんだ。俺はそんな大それたことを」
すっとあかねが政治家の頭に手を載せる。
政治家が気を失いつんのめるように倒れた。

お父さん、仕事が早い。なかなか、追いつけない。
あかねが唇を噛んだ。
幸お姉ちゃんがお父さんを嫌うようになったのは、私のせいだ。平次を住まわせたことで、おかしくなったんだ。幸お姉ちゃん、男の存在だけで、くたくたになってた。それが・・・、お父さん、ごめんなさい。

深夜、黒は男の部屋、灯りも点けず、いつも男が座っていた椅子に座る、窓からの白い月明かりが険しい表情を浮かべた黒の横顔を映していた。

「おおい、黒。眠れないのか」
幸が襖の向こうで黒に声を掛けた。そっと、襖を開けた幸に黒は視線を向けると静かに言った。
「幸母さん、教えて欲しいことがあります」
黒は椅子に座ったまま、幸に向き直ると、両膝をそろえた。
そして、幸の目をじっと見据えた。
「幸母さん、お父さんがいません。晩御飯の時に幸母さんはお父さんが何処に行ったかわからないと言いました。でも、それはおかしいです。幸母さんがわからないはずがありません。ひょっとして、幸母さんが意図的のお父さんは追いやったのではありませんか」
静かな黒の眼差しに幸は戸惑いながらも答えた。
「ほら、呪術士集団がここを襲おうとしてさ、今後、そういうことが起こらないように父さんに頼んで」
ゆっくりと黒が立ち上がった。
「それはこの国を影から動かしているモノ達と戦うことになるかもしれない。今のお父さんには厳しい。それは、黒よりも幸母さんの方が分かっているのではありませんか」
「いや、だって。父さん、男だし。男は、あの」
言い繕うとする幸にそっと、黒が笑みを浮かべた。
「幸母さん。もう遅いので寝ます、お休みなさい」
黒はすっと幸の横を擦り抜けると、寝間に向かった。
次の日の朝、黒と白と三毛の三人は姿を消していた。

「よぉ、白澤。ちと、用事があって来たぞ」
ホンケ、城内、二の丸に居た白澤に、後ろからなよが声を掛けた。白澤の隣には、多分、小学生くらいの年齢だろう、上質な着物を着つけてもらった男の子が、不思議そうになよを見ていた。
「警備のものをどうした」
白澤が叫んだ。
「わけを話したらどうぞと言うてくれた。教育が行き届いておるのう」
「そんなわけがあるか」
なよは愉快に笑うと、ふと、気づいたように男の子を見た。
「新しい御当主様か」
白澤が気持ちを落ち着かせ答えた。
「まだ、教育中だ。いずれ、ホンケを統べる方となる」
「叔母さんはどなた」
男の子が尋ねた。
ひくっとなよの頬が引きつった。
「叔母さんはのう、お前の父親の兄の、その娘。つまりはお前の従姉じゃ」
なよはやわらかな笑みを浮かべ、男の子に近づくと、ぎゅっと頬をつねった。
「従姉弟同士じゃ。わしのことは、なよお姉さんと呼んでくれ」
白澤があわてて、なよの手を払いのけると、男の子を後ろに庇った。

「妙なトラウマを御当主に与えるな」
下の階から次々と警備の者達が駆け上がって来た。手に手に薙刀、刺股等、武器を携えている。
「御当主、お怪我はありませんか」
先頭に陣取った警護長が叫んだ。
白澤は疲れたように首を振ると、警護長に言った。
「慌てるでない。御当主は大丈夫だ」
白澤はなよに目をやり言った。
「かぐやのなよ竹の姫。何用で参ったのだ」
「本家の敷地内に家を所望する。なに、贅沢は言わん。あばら家で良い、それなりにこちらで普請はする。ただ、そうじゃのう、城から離れている方が気楽じゃな」
「さては、あの女に追い出されでもしたか」
「いや、仲の良い姉妹じゃ、邪推せんでくれ。ま、なんというかな。ちと、別荘というところかのう」
白澤はなよの意図が全く判らなかったが、ここで男との接点を残しておく方が賢明と考えた。
「西の向こう、山の麓に朽ち掛けた屋敷がある、それをやろう。部屋で月見もできるぞ」
なよは笑うと、それで良いと頷いた。
「さて。次はと」
なよが呟いた時。
「なよ姉さん」
黒の声が警護隊の向こうから聞こえた。黒と白と三毛、跳ぶように駆けてくる。
息を切らせながら、三人がなよの前に飛び出して来た。
「ひどいですわ」
白が息せきながらなよに言った。
「私達だって」
白澤が白を睨んだ。
「白。いったい、何があった」
うわっと白が黒の背中に隠れた。
黒は怯えながらも首を左右に振る。三毛はというと、なよの後ろに隠れていた。
なよは面白そうに声を上げて笑うと、白澤に言った。
「わしの可愛い妹たちに、白澤よ。あんまり睨まないでくれ」
さてと、なよは呟くと辺りを見渡した。
さすがに無と呼ばれた父さんじゃ、遠見でも、姿を見せん、護髪は父さんが危険にさらされんと発動せんが
離れていると駆けつけるに時間がかかる、まずはあかねと合流するか
「黒白三毛。花魁道中の儀、あかねと合流するぞ」
「はいっ」
三人が大声で返事をした。
「それでは白澤。これで失礼する。見習い御当主殿。お前は痛みを失ってしもうておる。それでは人の上に立つことはできんぞ。ま、これからはわしがしっかりいじめてやるから安心せい」
黒が大声でしゃんと叫んだ。白に三毛、次々と叫ぶ、それにつれ、四人の姿が薄れ消えた。

「警護長」
白澤が声を上げた。
「はっ」
「城に残る精鋭をここに呼び寄せよ」
「今すぐに」
警護長が緊張した面持ちで返答した。

あさまだき、朝日が昇る前の沈黙の時間、高級住宅街を男は歩いていた。個人宅の壁が百メートル、二百メートル、そんな邸宅が立ち並ぶ住宅街だ。
徹夜は堪えるなぁ、男は呟くと、とある屋敷の塀の途中、立ち止まった。ふわりと男は飛び上がると、塀の向こうへ消えた。

小夜乃は昨晩のなよの言葉を思い起こしていた。
ここを出て行くことになるかも知れないと。
幸母さんがお父さんを嫌いになった。お父さんという歯止めがなくなれば、幸母さんの暴走が始まるかもしれない、もしも、始まれば誰も止めることはできない。
そうなる前に。
小夜乃は自分ができることは何か。それを考える、この楽しい生活をこれからも続けたいと願う、そのために自分のできる精一杯のことをしなきゃならない、そう思うのだ。

塀の中では人だかりがしていた。男がその後ろで
中を覗き込む。最前列の十人が消音器付きの銃を二人に突き付けた。流れ弾に当たらぬよう、慌てて、人だかりが変形する。
男と女、ホンケの精鋭が銃を突き付けられていたのだ。
「この程度の障害を抜け切れないなんて、修行のやり直しだなぁ」
男は呟くと、最後尾の男に尋ねた。
「彼らは何者だい」
声を掛けられた男はなんの警戒もなく答えた。
「それをこれからお教えいただこうというんだ、忍び込んだはいいが、警戒態勢随一の屋敷だ、すぐにあぶり出してやったわけさ」
自慢げに言う、
「親方様はいないようだね」
「この頃は朝帰りだ。帰ってこられるまでに白状させないとこっちが危ない」
「親方様は優しい方だと聞いているよ」
「昔はそうだったんだが。ん、あんた、誰だ」
「私かい。君達の敵だよ」
男は笑みを浮かべると、すっと右手を最後尾の男の額に手をそえた。かくんと膝がくずれ重力のままに倒れる。
男は人込みをかき分け、精鋭二人の前にやって来た。背中に銃口を向けた形だが、男は気にする様子もなかった。
「久しぶりだな。ちゃんと修行はつづけているかい」
「先生・・・」
女の方が呟いた。
「ついでだ、助けてあげるよ」
男はなんの気負いもなく言うと、銃口に向き直った。
「何者だ、お前は」
銃を向けた中央の男が叫んだ。
男はそれに答えるように笑みを浮かべた。
「敵」
一言呟いた途端、男の姿が消えた。大声で叫んだ男が仰向けに倒れる。次々とドミノを倒すように男達が倒れて行く、血を流すこともなく、気絶して行くのだ。
二人の精鋭は思い出した、男が真面目に動いた時は、その動きが速すぎて、全く目で追えなかったことを。
「ま、こんなところだ」
二人が慌てて振り返った。男が後ろで笑っていた。
「あ、ありがとうございます」
二人が言うと、男は一瞬、照れたように俯く、感謝されるのは得意ではない。
「君達は何しにこの屋敷に忍び込んだのかな」
「それは、白澤様から、この屋敷の主を探れと」
女がなんの躊躇いもなく答える。精鋭の男も頷いた。
「人ではなくなったかも知れないとのことです」
男は精鋭達を完全に掌握していた。
男は呪術集団の指揮者が鬼であるかもしれないと思う。なら、呪術集団が襲ってくるのも頷ける。
「一度、会ってみるかな。朝帰りというなら、もうすぐ帰って来るだろう」

かすかなエンジン音、太陽が昇る前の薄い紫色の時間。塀に設えた車用の自動門扉が横に開いて行く、黒塗りのリムジンがゆるやかに屋敷の中を進む。程中、不意に車が停まり、ドアが開いた。
羽織り袴の老人が一人、その後ろを運転手が付き従う。男はその二人を静かに眺めていたが、微かに眉をひそめた。
「二体はきついかな」
男は呟くと、精鋭二人に言った。
「二人とも原種の鬼だ。君達は私が戦っている隙に逃げなさい」
二人の顔色が青ざめた。
「先生」
「以前ならさ、どうということなかったんだけど、私も弱くなってしまってね。隙を見て二人とも逃げろよ」
男は呟くと、数歩、足を進める。
そして、お互いが立ち止まった。
男が言う。
「鬼王の末っ子 荒貘王子と瓜神王子。原種の鬼で唯一、その名に神を持つ鬼だったかな」
老人が両目を細めるようにして笑った。
「何者かね。人にしては、やけに鬼のことに詳しいじゃないか」
「ここの主を食った上で人に化けたということか。原種の鬼は誇り高いと聞くけれど、例外もあるんだね」
「何者かと尋ねておる」
いらついたように老人が言った。
「老人が荒貘王子、運転手が瓜神王子。格上の瓜神が運転手役ということは、荒漠よ。あんた、瓜神の手のひらでダンスをする役だな。うまく煽てられ、瓜神の手のひらで気分よく踊っている訳だ」
「何者かと尋ねているのだ」
男がにぃぃっと笑った。
「瓜神を見てごらん。余裕でにやけているよ」

顔を引きつらせ、老人が後ろを振り返った瞬間、男の姿が消えた。男は老人、荒貘王子の頭上急降下、自在を両手に王子の脳天を、瞬間、男の右腕が消えた。幸の作った義手が消えたのだ。
男は姿勢を変えると自在を左足で踏み込んだ。荒貘王子が文字どおり真二つになる、    しかし、力んだ左足の動きが遅れた。瓜神王子が抜き払った剣が男の左足を太ももから切り落とした。男は自在で地面を打ち、勢いで後ろに跳びはね、間合いを開けた。
男は右足で着地すると、左を力む。左の太ももから吹き出した血の流れが止まる。
「その武器。お前が無だな」
瓜神王子が剣を構えたまま言った。
男が笑みを浮かべ言う。
「鬼王には上がつかえて、なれそうにもない。なら、単純な荒貘王子を隠れみのに、人の世に君臨してやろう。おおかた、そんなところじゃないかい」
「ああ、その通りだ。人は欲の塊だ。面白いほど餌になびく」
ゆっくりと瓜神王子が剣を振りかざす。
「無を倒したとあれば随分と箔が付く、ありがたいことだ」

「いや、私を倒すのは無理だよ。だって、私の娘たちは強いからさ」
男が言い終えた瞬間、刃帯儀が飛ぶ、瓜神王子の腕を足を首に巻き付き捕らえて行く。
「すまん、遅くなった」
なよがいきなり男の隣に現れた。瓜神王子が空中に張り付けになる。
「久いな、瓜神。お得意のつまらぬ策を弄しておったか」
「お前はかぐやのなよ竹の姫、どうしてここに」
「父親の危機に子が助けに来る、さほど、不思議ではあるまい」
なよが男に振り返る。男の様子になよは息を飲んだ。
「黒、白、三毛、あかね」
なよが大声で怒鳴る、瞬間、四人が瓜神王子の間合いに現れた。一瞬で四人が瓜神王子を粉微塵に切り裂いた。四人は着地すると緊張が解けて、座り込みそうになったが、男の様子に驚いて駆けつけた。
「お父さん」
黒が叫んだ。
右腕がなくなり、左足も太ももから断ち切られた男の姿を見たのだ。
「格好悪いとこ見せてしまったなぁ」
男は照れたように笑うと、自在を器用に使い、歩く、そして、自分の左足を、よっと声だし、左腕で抱きかかえた。
ぼっと炎を放ち、左足が燃える。そして、灰になり消えた。冷たい、氷のような炎だった。
「あとは白澤さんに片付けてもらうかな」
黒が男にしがみつく、そして左から男を支えた。
「無理しないで」
黒が思い詰めたように男に言った。
白も三毛もあかねも男に寄り添い、心配そうに男を見上げた。
「心配掛けてごめん」
男は素直に言うと、力が抜けたように地面に座り込んだ。
なよが刃帯儀に使う絹の端切れを白に渡した。
「それで父さんの足を止血せい」
白が慌てて、絹で男の足、その切り口を包む。
なよは振り返ると、精鋭二人を手まねいた。あたふたと二人がなよのもとにやって来る。

「白澤に連絡しておけ。原種の鬼。荒貘と瓜神、二体、古の約定により抹殺したとな」
ふっと男は二人を見上げると笑った。
「優喜君、綾さん、うちの娘たちは強いだろう。私はこんなんだから、もう君たちに教えることはできないけれど、うちの娘たちに教わって、もうちょっと強くなりなさい」
男は楽しそうに笑みを浮かべ、目を閉じた。
「お父さん」
三毛が叫んだ。黒も白も慌てて、男の顔を覗く。
「気絶中じゃ。そのうち目を覚ますわい」
なよの言葉にあかねもほっと息を吐く、あかねだけが、三人の後ろで正座していたのだ。
「あかね。いらぬことを考えるな」
なよはあかねに言うと、自在を二本取り出し、絹で担架を作る。
「三毛、たまにはお前が先頭を行け、黒は後ろ。あかねと白は横から支えろ」
なよの指図に四人は男を急拵えの担架に寝かせる。
精鋭、二人がなよに報告した。
「あと五分で白澤様一行がこちらに参ります」
その報告に、ぎろっとなよが睨みつけた。
「お前達は白澤の部下じゃから、白澤に向けて、様付けするのは不思議ではない。しかし、他家の者に言う時には白澤一行と言え。様をつけるな」
二人はなよに目に竦み上がり、唯々うなずいた。
「も、申し訳ありません」
青い顔をしながら答える。なよはにかっと笑った。
「とはいえ、白澤には別荘をもらった。なにやら、西の外れ、部屋で月見のできる屋敷と言っておったが、お前達、案内できるか」
「は、はい。もちろん」
「ならば、道案内をせい。あとは別荘をわしにくれた御白澤様に任せておけばよいわ」
なよに言葉に白が慌てた。
「なよ姉さん。家には帰らないの」
「大事な娘たちの気持ちを奪った男を、幸が許すと思うか」
三毛が泣きそうになって言った。
「それじゃ、お父さんと暮らせなくなるよ」
なよはその言葉に少し俯いたが、顔を上げ言った。
「小夜乃がなんとかするじゃろう」

小夜乃は機のある部屋で正座をし、目をつぶっていた。小夜乃はなよが機を織る、その音を聴くのが好きだった。
小夜乃は自分が角の鬼であることを知った夜、男にこのまま、ここにいさせて欲しいと願い出た時のことを思い出していた。
「小夜乃がいなくなると、みんな、寂しいし、叔父さんも泣いてしまうかも知れない。小夜乃、何処に行ったんだろうって、みんな、ご飯も食べずに探して回るだろう。だから、小夜乃、ここに居てください。小夜乃、君は自分で思っている以上に大切な人なんだよ」
男はいたずらげに笑った。
「ありがとう、ございます」
「それに叔父さんは幸で手一杯だ」
「え」
「幸は国を潰してしまうだけの力を持っている、叔父さんは幸にそんなことをさせないようにしなきゃならない。なよもね、それだけの力は持っている。さすがに、叔父さんも二人は無理だ。なよは小夜乃に任せるよ」
「はい、頑張ります」
小夜乃が元気に答えた。男が楽しそうに笑った。

今がその時だと思う。小夜乃は閉じていた目を開けた。そして、立ち上がると襖を開けた。

小夜乃は台所のテーブルでお茶を飲んでいる幸を見つけ、テーブルを挟んで幸の前に座った。
「どうしたの、小夜乃。そんな難しい顔をしてさ」
幸は湯飲みをテーブルに置き、笑った。
「幸母さん、お尋ねしたいことがあります」
「ん」
「お父さんを何処にやりましたか」
「お父さんにお願いしたんだ。ここに攻め込もうとした呪術者達が二度と来ないようにして欲しいって」
幸がたいしたことでもないというように、あっさりと答える。
「それはとても危険なことです。お父さんは力が弱くなっています、なよ母さんからそう教えていただきました。もし、お父さんが敵にやられたらどうするんですか」
幸はたいしたことではないと笑みを浮かべた。
「敵は未知数だ、厳しいかもしれないな。でも、お父さんは男だし」
小夜乃は幸を睨みつけると、テーブルを両手で激しく叩いた。
「どうしてなんですか。お父さんはみんなを大切に思ってくれています。中でも幸母さんをとっても大切に思っていてくれています。そんな、お父さんにどうしてそんなことが言えるんですか」
小夜乃は思わず、立ち上がると、ぎゅっと幸を瞬きもせず見つめる。
「な、なんだよ」
幸は小夜乃の激高に思わず言葉を詰まらせた。
「だ、だって、お父さんは男だ。男はとっても悪い存在なんだ、邪悪なんだ。だから、いなくなった方がいいんだよ」
幸の言葉に、ぎゅっと小夜乃は幸の目をまっすぐ見つめる。
「そ、そんな、見据えるなよ」
幸が少し身を引き呟く。
小夜乃が強く幸の両手を握った。
「幸母さん。男とか女とか関係ありません。お父さんはお父さんです。お父さんなんですよ」
ふっと力が抜け、幸はテーブルに俯せてしまった。
「お父さんの右腕を斬ってしまった時、二度とこんなことはしないようにって誓ったのに」
幸が力無く呟いた。

「こら、精鋭。御殿医を引っ張って来い。足の治療をさせるぞ」
「はいっ」
なよの言葉に精鋭の優喜が駆け出した。
西の屋敷、といっても、誰も住まなくなって十年以上は経つだろう。広い屋敷だが、壁は崩れ、屋根の崩落した箇所も多い。
「なよ姉さん、大丈夫かな、ここ」
黒が心配げになよを見た。
なよが屋敷の端から、端まで眺める。
「配膳所回りがましのようじゃ。右端じゃ、営繕できるか見て来い」
黒がなよの言葉に駆け出した。
「そこの精鋭、来い」
綾が慌てて走ってくる、なよの自走式刃帯儀、かぐやの竹の姫は文人であり、政治家であると聞いていた、とんでもない話だ、白澤様ともひけをとらない技術と絶対的な自信を持っている。
「布団一組と、しばらくここで暮らすに必要な生活必需品を買い集めて来い」
なよは分厚い財布を綾に手渡した。
「私が」
驚いて綾が顔を上げた。
「私でよろしいのでしょうか」
「お前ではならん理由がない」
あっさりなよは答えると、三毛を呼んだ。
「三毛。白は父さんの看病。お前は荷物運びじゃ」
「お父さん、大丈夫かなぁ」
心配そうに三毛がなよを見つめる。
「大丈夫、心配するでないわ」
にかっとなよが笑った。元気づけられるように、三毛は安心の吐息を漏らすと、綾と買い出しに向かった。
黒が戻ってきた。
「大丈夫、壁も柱もしっかりしているよ」
なよが黒の言葉にうなずいた。
優喜も医者を背負い走ってきた。
「うわっ。かぐやの」
思わず御殿医が叫んだ。
「わしの父さんが大怪我じゃ。しっかり治療せよ。もしも」
言いかけて、なよが凄みのある笑みを浮かべた。
黒とあかねが男の乗った担架を持ち上げた。

綾は戸惑っていた。
隣りを歩く三毛、沈んだ顔で歩く。
「あの、三毛さん」
綾の声に三毛は笑みを浮かべた。
「ごめんなさい、考え事をしていました」
「財布、私が持っていていいのでしょうか」
「え、いいですよ。なよ姉さんが綾さんを認めたのですから。えっと、お布団は後にしましょう、かさ張りますから。まずはお鍋とか炊事道具かな」
三毛がそっと笑みを浮かべた。

ホンケ、それは一つの呪術集団であると同時に白鷺城を模した城を中心にした城下町であり、およそ一万人が生活する都市でもある。呪術者はその内、千人、もちろん、その頂点には当主と白澤がいる。
綾と三毛は城の西側にある市にいた。
城の西側の通りに商業施設が並ぶ。城の方針により、鉄骨やセメントの利用を極端に制限されていることもあり、全ての商店が木造平屋から、高くても三階に留まっていた。行き交う買い物客も多い、自動車は許されず、大きくても大八車だが、誰もがごく簡単な呪術なら使うこともでき、思うほどの不自由はない。
「うひゃ、にぎやかですよ、綾さん」
人波を書き分け、三毛が綾を見上げた。
綾がはにかむように笑みを浮かべた。

なんて可愛い妹だろう。
綾は素直にそう思う。先生の娘、特に三姉妹の連携攻撃、先程の鬼を斬る滑らかさは相当な使い手だ。でも、少し見上げて、えへへと笑う女の子。可愛くて、御人形のようで、ぎゅっと抱き締めそうになる、何考えてんだ、私。
「どうしましたか、綾さん」
「え、あの。なんでもないです」
「それじゃ、まず、箒ですとか掃除道具から買いましょう」
あちらこちらの店を覗き、二人が買い物をする。掃除道具の他、鍋や炊事道具、布団は綾が纏めたものを背中に背負った。
三毛は箒を担ぎ、それに鍋だとかを差す。
「綾さん。あんまり、おしゃれじゃないですね」
お互いの姿に二人は顔を合わせて笑った。
綾を先頭に西の屋敷へと帰る、たくさんの人だ。
すれ違う人達、ふっと綾の小さな鞄に誰かの手が入る、財布が抜き取られた瞬間、三毛はふっと手の力を抜き、箒を手放す、姿勢を落とし、その財布を掴むと、ぐっと捻った。一秒にも満たない瞬間、財布を片手に三毛は箒を背負い、何もなかったように歩く。
財布の両側面には薄いチタンの金属板が入っている、すった女がその手首を押さえた。あまりの速さに関節が対応できなかったのだ。
「綾さん、財布を落としましたよ」
三毛が綾に声をかけた。
振り向き、綾が焦る。
「ありがとう。怒られるところだった」
焦りながら、綾が鞄に財布を入れ直す。
「大丈夫ですよ、なよ姉さんはそういうのはあまり怒りません。それに、その財布、呪いの財布ですから。すぐになよ姉さんの元に戻ってきます」

えっと綾が驚いた瞬間、後ろから手拭で誰かが口を塞いだ。同じように三毛も口を塞がれる、クロロフォルムだと気づく。三毛には耐性があったが、逆らわずに目を瞑った。
二人が運ばれて行ったのは、荒れ果てた神社の境内だ。
無造作に三毛は立ち上がると辺りを見渡す。男が八人、女が三人。全員が驚いて、三毛を見つめた。三毛は手首に包帯を巻いた女に目をやった。
「お父さんならこう言います。お金が欲しいのならば、まっとうに働きなさいと。あなた、これを機会に足を洗いませんか」

呆気に取られたように女は口を明けたまま、三毛を凝視した。綾が首を振りながら、やっと目を覚ました。綾が素早く回りを見渡す。
十一人、五人までなら、なんとか闘える。十一人は無理だけれど、時間くらいは稼げるか。
すっと三毛が綾の肩に手を置いた。
「なんだか、知らねぇけど、分厚い財布を置いて、少しばかり殴られてくれれば解放してやるぜ」
一番がたいのいい男が言い放った。
「財布は姉からの預かり物ですから渡すことはできません。貴方達こそ怪我をしないうちに去りなさい」
三毛が毅然とした姿で言う。
何処の社会でも荒くれた人間は居る。特に白澤は城内のことと、当主の世話に関心が集中し、城外のことにはあまり関心を持たないため、こういう荒々しい派がいくつか存在する。
三毛の言葉に男達が大笑いをした。
「あんまり鼻っつらがでかいと後で泣きを見ることになるぜ」
三毛は大笑いする男達の肩越しに、背を向けている男の姿を見つけた。
「そこの黒い背広の人。貴方は彼らの用心棒ですね。彼らとは全く気配が違います。技量も彼らとはかなり違うようですね」
ゆっくりと男が振り返る。右腕のない、隻腕の男だ。
すいっと三毛が目を細めた。
「面白そうな女だな」
隻腕の男が呟く。
「初めまして」
三毛が答えた。
「その片腕と黒い服と、なにより、その気配。叔父さん、お父さんを、無をご存じですね」
不意に隻腕の男が目を見開いた。
「お前、無の娘か」
「以前、無断でいらっしゃった方ですね。まだ、この世界から足を洗っていらっしゃらなかったのですか」
隻腕の男は前に出ると、左腕で刀を抜いた。
「先生。いや、俺達、そこまでは」
慌てて、がたいのいい男が叫んだ。さすがに刃傷沙汰になると、城からの追求を免れられない。
三毛も真っすぐ立つ。およそ五メートル、間合いはお互い届いていない。
三毛は左足を大きく引き、極端に平たい半身をとる。そして、姿勢を大きく下げた。
隻腕の男が気づいた。姿勢を下げることで、三毛の間合いが伸び、既に自分が三毛の間合いに入ってしまったことを。
綾も感じていた、いま、この時点で三毛が勝ったことを。隻腕の男は唸り声を上げたが、思うように動けない。三毛は既に闘う気でいた。お父さんの名を貶めた奴を許すわけにはいかない。
ぎゅっと男を睨みつける。
誰も動けない。三毛の気配に脅えたのだ。
「あんた。何してるのよぉ」
いきなり女が飛び込んできた。隻腕の男にしがみつく。
「もう、危ないことはしないって約束してくれたじゃないの」
膝を崩し、男の腰に両手でしがみつく。
「どけ、邪魔だ」
「いいえ。離さない、離すもんか。こんな刀は捨てて、一緒になってくれるって言ったろう」
女が叫び、涙ながらに男を責める。
ふっと、三毛は腰を上げると、降ろした荷物を持ち上げた。
「帰りましょう」
三毛は笑みを浮かべると、綾を促した。
「はっ、はいっ」
綾は緊張に吃りながらも立ち上がると、立ち去る三毛の後を追った。
緊張が抜けたように、隻腕の男は大きく息をついた、そして、力が抜けたように、地面にしりもちをつく。女が大声で泣きながら男を強く抱き締めた。
「泣くな。二度と刀は持たない」
男があきらめたように言った。
「約束ですよ、叔父さん」
黒が笑みを浮かべ、二人の横にしゃがんでいた。
「誰だ、お前」
「さっきの子の姉です」
黒があっさりと答えた。
「このお方があたしにあんたが危ないって教えてくださったんだよぉ」
女が何度も黒に頭を下げる。
「無事に済んで良かったですね」
女に言うと、黒は隻腕の男を軽く睨んだ。
「おかみさんのお腹には新しい命があります。その子を片親にするような愚かなことは謹みなさい」
驚いて、男が女を見つめた。
黒は立ち上がると、がたいのいい男の前に立った。
男達はあっけにとられ、茫然と立ちすくんでいた。
「貴方達。もしも、私や妹に不満があるならば、西に朽ちかけた屋敷、西の幽霊屋敷と呼ばれているらしいですね。当分、その屋敷にいますから来なさい。少しばかりこわい目に合わせてあげましょう」
にぃいと黒が目を細めた。男が地面にしゃがんだ、腰を抜かしたのだ。かまわず、黒は包帯を手首に巻いた女の前に立った。
「ご、ごめんなさい。二度と、二度とスリはしません」
黒は答えずに包帯の巻かれた手首を両手で包み込む。
そして、手を放すと、女に笑みを浮かべた。
「痛みはどうですか」
驚いて、女は自分の手首を見た。完全に痛みが消えていた。
「それでは」
黒が呟く、ふっと黒の姿が消えた。

心配そうにあかねと白は御殿医の治療を見つめていた。包帯を巻き直し、医師がほっとしたように軽く息を吐く。
「一週間は安静。動いてはならんぞ」
男は少し笑った。
「善処致します」
「他人事のように言うでないわ。で、白澤殿にはここに千尋がいるのを言うなということだな」
「面倒臭いので、できるだけ、その方向でお願いします」
「強く問われれば言うぞ、わしも命は惜しい」
男は、横になったままうなずく。
「ま、新当主の教育で白澤さんも忙しいでしょう」
男は呟くと、体を起こそうとした。
「言うそばから、何をしている。静かに横になっていなさい。血も減っているのに、輸血ができない体とは」
医師が困り切ったように言う。
白は正座をすると、枕代りに、両膝に男の頭をそっと載せる。
「お父さん。もうすぐ三毛が布団を一式用意して来ますから、それまで、じっとしていてください」
「後で薬を取りに来るように」
医師が立ち上がったのを見て、優喜が素早く、医師の履物を用意し、外へと送り出した。
「なよはどうしたのかな」
あかねが男に寄り、答えた。
「なよ姉さんは竈が一つ使えるようだからと、倒れた柱ですとかを、薪代りに集めています。あかねも手伝って来ます」
立ち上がりかけたあかねを、男が呼び止めた。
「待ちなさい、あかね」
「はい」
あかねは男の横に正座し、少しうつむく。
「あかねが自分を責めていること。心を読まなくてもわかるよ。あかね、聴きなさい」
「はい」
あかねが力無く、呟く。
「二つのこと、これはね、関係は無い。あえて言うなら、間が悪くて、関係あるように見えるだけのことだよ。そして、幸が男全体を恨むのは仕方がないんだ、父さんだけさ、別扱いにしてくれていたけれど、本当は、そういうの、とても不安定で、幸も頑張ったと思う。右腕の時から、随分経つからね」
男はあかねに笑ってみせた。
「お互い、親離れ、子離れする時期が来ていたんだろう。今回、父さんはさ、娘に頼まれて、ちょっと良いかっこしようとして、失敗して、他の娘たちに心配を掛けてしまった、格好悪い父親なんだよ」
男は左手であかねの手を握ると、笑った。
「格好悪い父さんでごめんね」
あかねは両手で包み込むように男の手を取ると、ぎゅっと自分の額に押し当てた。
「うわぁ、ごめんなさい、お父さん、ごめんなさい」
堰を切ったようにあかねの感情が溢れた。
普段のあかねからは全く想像できないほど、泣きわめくその姿に、男は右手であかねの頭をなでてやろうとしたが、改めて、その腕がないことに気づかされた。

黒は両手に紙袋を持って戻って来たが、その様子に靴を脱ぐのも忘れ、男に駆け寄った。
「大丈夫。まだ、父さん、死んでないよ」
男が静かに言う。ほっとして、黒は腰が抜けたように床に座り込んでしまった。
「黒姉、靴を脱いでください」
白も気を落ち着かせると、黒に言った。
黒も両手の荷物を降ろし、ほっとした表情を見せると、靴を脱ぎ、土間の上がり間口に置いた。
やっと、あかねは泣き止むと、なよ姉さんの手伝いを
してきますと呟き、部屋を出た。
しばらくして、三毛と綾が戻って来た。
「ただいま。いっぱい、買ったよ」
三毛がこの場の空気を変えるかのように、元気に言った。


遥の花 藍の天蓋 二話

優喜は驚いてその様子を見つめていた。
かぐやのなよ竹の姫、元は一国の女王であり、優れた政治家でもある。見た目は二十代半ばくらいにしか見えないが、一千年以上の齢であるという。
その女王が普段着に、手ぬぐいでマスクをしている。そして、大きな木づちを軽々と片手で操り、半分朽ちた土壁を潰しているのだ。組み込まれた竹を燃料にするという。
先程までは、朽ちた柱を短く揃えて切り、二つあるおくどさんの一つが無傷だと、頭を突っ込んで埃や炭を取り除いていた。
ふっと、なよが優喜を睨んだ。
「こら、わっぱ。図体の大きいのが、ぼぉっと突っ立っているのではないわ、目障りじゃ。小さくしゃがんで泥遊びでもしておけ」
「申し訳ありません。手伝います」
慌てて、優喜が叫んだ。
「ならば、ほれ」
なよは大きな木づちの杵側を軽々と掴むと、柄の橋を優喜に向けた。緊張した面持ちで優喜が柄を掴む、なよが手を離した瞬間、木づち本来の重さに、優喜は前のめりになりながらも、両手で掴み直した。
ふふんとなよは笑みを浮かべた。
「お前はわしの父さんの生徒であろう、父さんに恥をかかせるでないぞ」
なよは優喜に近づくと、腰から下はとんとんと足で蹴り、腰から上は手で軽く叩いた。
「木づちを落ち上げてみろ」
なよの言葉に木づちを、まるで紙一枚の重さしかない、驚いて、優喜は振り上げた木づちの先を見つめた。
「術と呼ぶほどのものではない。ちょっとしたこつじゃ。じんわりと、姿勢を確かめろ」
優喜は不思議なほどすっきりとした気分で、そうだ、息が体全身を行き渡る気がする。
「精鋭は二十人いると聞く、お前は中でどれほど強い」
なよがにかっと笑った。
「俺は・・・、三番目」
優喜が考え言う。
「ならば、お前、二番目と本気で十回戦えば、何度、勝つことができる」
優喜は頭の中で相手の顔を思い浮かべる、そして、その拳の速さを測る、
「三回です」
「ばかもん」
なよがすこんと優喜の頭をはたいた。
「な、なんですか」
優喜が思わず木づちを落とした。
「そういう時は、十回戦うことはできません、一度目で、どちらかが相手を殺しますから、と答えるんじゃ」
なよが愉快に笑った。
「ま、しばらくは父さんの世話を手伝ってもらわねばならん。指折り数える腑抜けの方が安心かもしれんのう。ところで、お前の名は」
優喜は不思議に思う、さんざん、子供扱いされ、頭を叩かれる、それでも、いやな気がしなくて、これが、多くの民衆をひきつけたかぐやのなよ竹の姫の魅力なのかもしれない。
「俺、優喜と云います」
「なんと書く」
「優喜、優しく喜ぶと書きます」
「なんとまぁ、愛情の深い名じゃ。その名に恥ずかしくないようにせいよ」
かかっとなよが笑った。
あかねが走り込んでくる、がばっとなよに抱きついた。なよがわかっていたかのように、あかねの頭をなでる。
「少しは気持ちは晴れたか」
あかねはうなずくと、小さく呟いた。
「お父さんはとっても優しい」
俯くあかねの言葉に、なよはそっとうなずいた。

 

「ただいま」
三毛が両手背中に荷物を背負っている、綾も背中に布団を背負っていた。
男は仰向けに寝ていたが、白に助けられ体を起こした。三毛があたふたと荷物を降ろし、男の前に座った。
「大丈夫、お父さん」
「父さんは元気だよ。心配かけてしまったな」
男の言葉に呆れたように白が言った。
「お医者様は一週間、絶対安静とおっしゃいましたわ。お父さん、自覚してください」
「あはは、白に叱られた」
嬉しそうに、男が笑った。
綾が背中の布団を降ろし、男の横に敷いた。
「お父さんの血は変わっていて、輸血ができないと、お医者様はおっしゃっていましたけど」
白が心配そうに男に言った。
「母さんはお父さんに血を半分分けていただいたと言ってました。お母さんの血なら輸血できるのでは」
男は少し笑みを浮かべるような、そんな柔らかな表情をした。
「父さん、こんなだけどさ。自意識過剰なのかな、娘たちにはね、かっこいいって思われたいのさ」
白が溜息をつく。
「それなら、一週間、絶対安静ですからね」
男は照れたように笑みを浮かべると、うなずいた。

 

夕刻までに、八畳ほどの板の間と、それに連なる小さな土間が、なんとか、生活できる空間となった。
なよはふっと男を見やると、かすかにうなずく。
「そろそろかのう」
「気を使わせてしまうね」
男はなよの言葉に答えた。
「さぁ、帰るぞ」
なよが皆に声をかけた。
「ええっ、泊まる、泊まるよ」
黒が驚いて声を上げた。
「そうだよ。三毛もここで暮らします」
男は家の方角を眺めた。
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、家がね」
男が呟いた。
「家が危機じゃ。幸の力が弱って、小夜乃とあさぎが結界を支えておる。早く戻らんと、白澤の精鋭に入り込まれてしまうからな」
にぃぃっとなよが優喜に笑いかけた。おどおど、優喜が俯く。完全に優喜はなよに飲み込まれていた。
「ま、ということだよ。家をお願いします」
男が三毛に笑いかけた。
白が顔を上げた。
「交替ならいいですか。ずっと家に帰ってでは、お父さんのことが気になってなりませんもの」
男がうなずいた。
「一人だけ残ってくれるかな」
男の言葉になよがあかねを見る。
「ならば、あかね、お前が残れ」
あかねが頷くのを確認すると、なよが黒達三人に合図をする。
「それでは、父さん。わしは来ぬが、元気にしておれよ」
「ありがとう、幸を頼むよ」
「ほんに甘い父親じゃのう」
男は笑うと楽しそうに微笑んだ。
「しゃん」
黒が叫んだ、それをきっかけに白と三毛も声を上げる。花魁道中の儀、どのような結界も距離も関係なく移動する。四人の姿がふっと消えた。

 

部屋の中程に囲炉裏がある、三毛が持ち運びのできる簡単な囲炉裏を柱や瓦を砕いたもので作り出したのだ。いま、真ん中で薪火が燃えている。
男は囲炉裏の向かいに座るあかねに言った。
「ちょっとした別荘気分だ」
「お父さんは気楽すぎます」
「なんだか、白にもあかねにも叱られて。子供が成長するのは楽しい」
男がいたずらげに笑った。
「優喜君、綾さんも囲炉裏においで。少し、肌寒くなってきた」
四人が囲炉裏を囲む。
あかねが五徳を用意し、鍋をかける、味噌汁だ。
「優喜君は随分、なよに押さえ込まれてしまったみたいだな。精鋭でも一番の乱暴者だったのにね」
慌てて、優喜は首を振った。
「もう散々です。自信の塊が歩いているみたいですよ」
「あれで、繊細なところもあるんだけどね」
そう言いながら、男も頷く。
そういえばと、男が綾を見た。
「白澤さんのところに戻らなくてもいいのかい」
「優喜と私は先生付きとなりました。寝袋一式も用意しています」
綾が少し、嬉しそうに言う。
「ただ」
不安げに綾が言葉をつないだ。
「この屋敷は有名な西の幽霊屋敷と呼ばれているので、なんだか」
「ふうん」
男はふっと、部屋の片隅丑寅を見つめる。
「そ、そういうのはやめてください、先生」
怯えて、綾が声を発した。
「なんだ、綾さんは幽霊とかだめなのかい」
「いえ、本当にここは、探検に来た子供が一人、意識を失って目が覚めないという」
「精鋭ともあろう綾さんがそれでは困るなぁ」
男は燃えている薪を一本取ると、振って、火を消す。煙が立ちのぼった。あかねは男から薪を受け取ると、立ち上がっる。
「綾さん、あかねと一緒に行きなさい」
男の言葉に従い、綾もあかねと部屋の丑寅に立つ。あかねがゆるりと薪を動かす。次第に煙が形を作り出した。大きな球体にいくつもの模様が浮かぶ、模様、いや、大きく口を開けた顔だ、いくつもの顔に埋め尽くされている。
「呪詛を喚いています。かなり古いものです」
あかねが男に言った。
「ここは西ノ宮の屋敷と呼ばれていてね、百年以上前、白澤さんに蟄居させられ、全員打ち首になっている。その人たちの恨みだけが残ったんだろうね。浄化してくれるかな」
あかねは頷くと、燠火で球体を撫でて行く。いくつもの顔が、ほっとしたように口を閉ざし消えて行く。
いくつもの顔が消えた後、球体の中に、半透明の少年が膝を抱え、眠っていた。
「綾さん、その子は生き霊だ、硝子球に入れなさい」
男の言葉に、綾は硝子球を取り出すと、少年の体に硝子球を添える。すると、少年の体が薄れて行き、硝子球が白く濁った。
優喜が思い出した。
「あれは油問屋 田仲屋の子供です、植物人間になってしまったと聞いています」
男は少し頷くと、優喜と綾に言った。
「二人でその子を返して来てくれるかな。その子のお臍の上に、硝子球を置けばいいよ、生き霊が本体に戻る、そうすれば意識も戻るからさ」
驚きながらも二人は頷くと、田仲屋に向かって走った。
男はひとつ、息をすると、あかねに笑いかけた。
「ここは専制君主制だ。本家当主は王様みたいなもの、なんだか、息苦しいな」
「みんな、白澤さんが怖いのですね」
「それもあるし、人は、その日、普通に食べることができれば、あまり不満は持たない。あまりね」
男は吐息を漏らすと、呟いた。
「父さんとあかねだけだよ。幸乃、出て来なさい」
いきなり、幸乃は男の体から飛び出すと、男の目の前に正座し、額を床に擦り付けた。
「申し訳ありません、おまえ様。すべては幸乃のせいです。幸乃がしっかりと幸の変化を見定めておけば」
言葉の最後が、涙と嗚咽で途切れる。
「顔を上げてくれ、幸乃」
男がはじめて狼狽えた。

 

ザウルスで書いた分をあとで入れること

 

 

 

「お父さんは大変です」
あかねが少し笑みを浮かべる。男はほんの少し頷き、囲炉裏の赤い炭を見つめた。
「でもね。みんなが居てくれるというのは、とっても嬉しくてね、というのはさ、幸の父親になって、あかねも幸の妹になってくれて、黒達は幸の娘だ。一人だった父さんがね、いまは大家族の一人だ。足や腕を無くしてもね、それ以上に幸せなんだよ」

 

男は少し恥ずかしそうに笑った。瞬きもせず、あかねが男の目を見つめた。
なんか、照れるねと聞こえない声で男は呟く。
あかねがにっと笑みを浮かべた。
ふっと男が斜めを見る。
「たくさんのお人が御到来か」
男が呟いた。
「優喜と綾は甘過ぎます、追い払えばよいのに。あかねが追い返してきます」
あかねが立ち上がるのを見て、男が笑った。
「二ついいかな」
「なにでしょうか」
「祝いの品々に魚の一夜干しがある、炭火の遠火で焼いたら美味しそうだ。みんなでいただこう」
「お父さんは困った人です」
あきれたようにあかねが答える。
「それで、お父さん、もう一つは」
「ま、子供が意識を取り戻したことを単純に喜んでいる人達だ。怪我をさせないようにね」
あかねが男の言葉に頷いた。
「善処いたします」

 

あかねがこの廃屋の門に、仁王立ちで、行列を迎える、先頭は二つの籠、その後を祝いの品々を載せた大八車が続く。その数、およそ、数十を連ねていた。
「床が抜けるではありませんか」
あかねが小さく呟いた。
あかねの姿を見つけたのだろう、籠から優喜と綾が飛び出してきた。慌てて、二人が駆け寄るのを見あげ、あかねが呟いた。
「籠でご帰還とはなかなか、と言葉を続けたくはありますが、まぁ、いいです。我慢します」
申しわけありませんと二人が頭を下げる、あかねは二人を手で制すると、先頭を歩く男に声をかけた。
「何か御用でしょうか」
先頭の男がにこやかに答えた。
「私どもは田仲屋の者にございます。今夜、精鋭のお二人様よりお話をお聞きいたしまして、こちらの先生が田仲屋嫡子をお救いいただきましたこと、まずは御礼の品々を御用意致しました」
あかねは見上げると、ふうんと頷いた。
「くれるのですか」
「はい、もちろんでございます」
男の張り付いた笑顔を無視し、あかねは列の横を歩き出す。中程の大八車に寄ると、すぃっと干物を指差し、大八車を引いていた男に笑みを浮かべた。
「干物、いただいてもよろしいですか」
あかね、極上の笑みである、あかねは指図する人間より、実際に汗をかいて働く人を敬う、差し出された干物を抱え、柔らかにお辞儀する、差し出した男の方が恐縮して、頭を深く垂れる。次にあかねはいくつもの樽酒を見つけた。
「お酒、いいですか」
あかねの笑みに、男はどきまぎしながら、頷いた。
あかねは小さな樽をよいしょっと受け取ると、にこっと笑顔を浮かべた。
あかねは愛想を一通り振りまくと、先頭に戻ってきた。
そして、優喜と綾の隣にいた店の男に声を掛けた。
「これで充分です。美味しくいただきます。ありがとうございました」
言葉は丁寧だが、気のない言葉だ。
「あ、いえ、すべてお渡しするよう
あかねは軽く樽酒と干物を優喜に手渡す。
「このようなあばら屋住まい、このようにたくさんいただいても、雨ざらしにして、腐らしてしまうだけです。これで充分」
そっけなく返事を返すあかねに、慌てて、店の者が頭を下げた。
「どうぞ、すべてお受け取りくださいませ。嫡子をお探ししていただいたお礼が一夜干しと樽酒一つでしたでは、私が主に叱られます」
つまらなそうに見上げると、とんとつま先で地面打つ、ふわりとあかねが宙に浮き、男を正面から見据えた。
うっと男が息をのんだ。宙に浮くだけでも高位の術師であるのに、ましてや、一切の呪文も唱えていない。恐ろしい、これはまるでお城の白澤様を前にしているようではないか。
「良いことを思いつきました。田仲屋は明日、臨時休業、跡継ぎ様がお目覚めになられたのです、朝から晩までお祭り騒ぎ、お得意さまや
取引先はもちろん、近所の方達、店の者も盛大に酒さかなを振る舞われるのがよろしい。荷物はそれにお使いなさい」
「そそれは。私の一存では、そのような大層なことは決められませんので、まずは旦那様に」
ふっとあかねは右手の親指と人差し指で男の鼻を摘んだ。
くっと捻る。
あわわっ、男が慌てて顔を後ろに引いた。
「鬼紙家とは、田仲屋は古いつきあいのはず。そうではなかったですか」
「あ、はぁ、もちろん」
男が涙声で答えた。
にぃぃっとあかねが笑みを浮かべた。
「私は鬼紙家の孫娘、あかねです。明日はお爺様と田仲屋さんのお祭りに伺うことにさせていただきますわ。ついでに旧家の人達も呼びましょう、とても賑やかなお祭りになるでしょう、とっても楽しみ」
男が震え、尻餅をついた。
「鬼紙老の御孫様」
ふっとあかねが倒れた男の耳元に口を寄せた。
「虎の威を借る、可愛い子狐です、こーん」
あわわわと倒れた男が言葉にならない声を出す。
「優喜さん」
「は、はい」
「白澤にも田仲屋の祭りのこと、伝えなさい。あかねが是非ご一緒にお祭りを楽しみましょうと言っていたと」
優喜は頷くと、干物と樽酒を綾に手渡し掛けだした。

 

不意にあかねは万辺の笑みを浮かべ、後ろの列に両手でおもいっきり手を振った。
「みなさん。お仕事お疲れさまです。でも、食べ切れません、飲み切れません、明日は田仲屋さんは一日中、お祭りをされるとのこと。みなさんで、大いにこのお荷物、食べてください、お酒も飲んでください」
あかねの声の抑揚に微妙な変化があった。隣にいた綾も気づいていなかったが、寿歌の抑揚を言葉に加えることで、扇動したのだ。
うぉぉっという歓声が響いた。あかねと綾は番頭を駕籠に放り込む。そして、あかねが手拍子を打つ。小気味良い拍子が響く、あかねが歌いだした、本家の祭り歌だ。同じく歌い出すもの、おどけて踊りだすもの、列が一気に賑やかになる。
「さあさあ、みなさま、明日はお祭り、お帰りになったらさっそく祭りの準備ですよ」
あかねの掛け声に、一行が踊り歌いながら帰っていく。
あかねはにこやかに手を振った。
そして、低く呟いた。
「寿歌、恐いな」

 

部屋に戻ると、綾が男に干物を手渡した。
「綾さん、これは美味しそうだ、ありがとう。そうだ、お酒はなよ用かい」
あかねが針金を曲げ、大ざっぱに網を作った。
「樽酒を返したなんて知れたら、おおめだまですよ」
あかねが笑った。
「あかねは気が利くなぁ。それに言祝ぎ歌も一つが充分使いこなせれば、他も使えるようになるだろう。いい歌を聴かせてもらったよ」
あかねが頬を赤らめた。
「歌は、ちょっと恥ずかしいです」
「あかねさん、とっても綺麗で可愛かったです」
綾が目を見張って言った。
素直にあかねは照れ笑いを浮かべる。男も楽しそうに笑った。
「ただ、可哀想なのは優喜君だね。今頃、白澤さんに難しい顔をされているだろう」
男が遠火に焼く魚の焼け具合を覗く。
「大丈夫ですよ。さすがに白澤さんも面と向かっては怒れないでしょうから」
あかねが平気な顔をして答えた。
「あの、なにがどういうことで」
綾の言葉にあかねが答えた。
「ホンケの豪商 田仲屋の跡取りが意識不明になった。何処で何時に意識不明になったかわかっている、救い出すのはとても簡単なこと。なぜ、放置されていたのか。つまりは一定の術師以上は犯人がわかってたわけですよ、犯人が白澤さんだったって」

 


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