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物質的問題(material question)について J.クリシュナムルティの場合

◇評論 

 

 

物質的問題(material question)について J.クリシュナムルティの場合

 

            高橋ヒロヤス(翻訳家)

 

 西欧においては20世紀最大の聖人ともいわれる存在であるにもかかわらず、今の日本で、J.クリシュナムルティ(18951986)という人物について一般的な知名度が高いとはいえない。しかし、いわゆる精神世界の分野では最も有名で卓越した人物であると認められており、その影響力は根強い。

 

 精神世界という限定された分野においてでこそあれ、クリシュナムルティ(以下、「K」ともいう。)という存在が一定の影響力を持っており、おそらく今後も持ち続けるだろうことを考えれば、これまでほとんど言及されてこなかったその生涯の一側面について記しておくことはまったく無益ともいえまいと思う。

 

 Kの「教え」についてここで詳しく触れるつもりはない。彼のメッセージは、彼自身の著作を読めば明確である。彼の教えを紹介し、考察した書物やインターネットのサイトは少し調べれば相当な数に上るから、敢えてこまごまと論ずることはしない。彼は、つまるところたった一つのことを繰り返し語っているにすぎないともいえる。すなわち、彼の教えは徹底して「自我」の動きを否定し尽くすことから成り立っており、あらゆる自我の動きに対する「受動的な凝視」が実践の中核をなす。少なくともそのロジックに異を唱える隙はなく、突っ込みどころとて存在しない、完璧な教えだと言えるだろう。

 

 その隙のない教えとも関係するのかもしれないが、K自身の人格については聖者然としたイメージがつきまとっている。日本の求道者たちに与えた影響力でいえばKと双璧をなすといえる20世紀の神秘家オショー・ラジニーシ(19311990)が、いわゆる「セックス・グル」として名を馳せたことから、「奔放なラジニーシ」に対して「清廉潔白でストイックなクリシュナムルティ」というイメージがおのずと形成されていた。

 

 西欧においても然りであり、そうであるがゆえに、彼の死後に出版されたLives in the Shadow with J. Krishnamurti by Radha Rajagopal Sloss (London, 1991、未訳)という本が与えたショックは大きかった。そこには、Kの盟友であったラージャゴパルの妻ロザリンドとKが長年に及ぶ「不倫関係」にあったことが、ロザリンドの娘スロスによって、さまざまなエピソードを交えて赤裸々に曝露されていたからである。

 

 Kが晩年にラージャゴパルに対して主にクリシュナムルティ財団の著作権の帰属を巡って2件の訴訟を提起していたことは、それ以前に出版されていたメアリー・ルティエンスの伝記(邦訳『目覚めの時代』、『実践の時代』、『開いた扉』、めるくまーる社)にも書かれており、その裁判が晩年のKの心身に大きな負担を与えていたという印象は、ルティエンスの書いた伝記を読んだ当時の私も抱いていた。しかし、ルティエンスの伝記にはKとロザリンドの関係についてはまったく触れられていなかったため、極東の地に住む情報弱者である私がその事実を知ったのはネットで上記スロスの本の存在を知った約2年前のことだった(これは幸いなことだったと思う)。

 

 ルティエンスはスロスの本に対する反論という形で、1996年にKrishnamurti and the Rajagopalsという本を出版した(これも未訳)。

 

 以下では、Kの生涯におけるこの知られざる側面について検討するとともに、これまであまり紹介されてこなかった彼の「世俗的生活」の面についても触れてみたい。クリシュナムルティにはあまりに超然としたイメージが強いため、彼がどんなふうに生活の糧を得ていたのかについてはあまり言及されていない。G.I.グルジェフは、彼のワークのための資金をどんなふうに集めていたかについて「物質的問題について」という論文で詳細に語ったことがあるが、Kについてはどうなのだろうか。

 

【女性関係】

 

 端的に事実関係を述べると、クリシュナムルティは、1932年から1950年代の半ばまでの間、少年時代からの盟友で、Kの講演活動を取り仕切っていた仕事上のパートナー、D.ラージャゴパルの妻ロザリンドと男女の仲にあった。初めて関係を持った当時、ロザリンドにはラージャゴパルとの間にラーダという生まれたばかりの娘がいた。

ラージャゴパルがほとんど家におらず、仕事に没頭していたため、Kはラーダが赤ん坊の頃から実質的に父親代わりの役割を果たした。当時Kの生活拠点はカリフォルニアのオハイにあり、彼はそこで生涯の約15年の期間、ロザリンドとラーダの3人で暮らしながら、家庭生活の幸福というものを味わった。

 

 ルティエンスは、Kとロザリンドの関係を知っていたが、敢えて伝記に書かなかった。その理由は、ロザリンドに恥をかかせないためであったと彼女は述べている。

またルティエンスは、Kは決して禁欲主義を説いたことはないし、講話の中でセックスを否定したこともないと述べている。これはその通りである。Kはむしろ禁欲主義を偽善であるとして批判している(当然ながらラジニーシのように放縦を肯定することもなかったが)。

 

 だが、西欧の読者がショックを受けたのは、Kが特定の女性と関係していたことそのものよりも、相手がロザリンドという既婚者であり、しかもKの最も親しい関係者であるラージャゴパルの妻であったということだった。

 

 ルティエンスによれば、K自身は、彼とロザリンドとの関係はラージャゴパルが仕組んだものだと考えていた。その動機は、ラージャゴパルがKを支配するためだったと。この主張の是非については後に述べることにする。

 

 読者にさらに衝撃を与えたのは、ロザリンドが2度にわたりKとの間にできた胎児を中絶していたというスロスの記述である。スロスによれば、ロザリンドは1935年に妊娠していることに気づいた。相手はKしかいなかった。医者から、出産は母体の命に関わると言われていたため、スロスはKの了解を得て堕胎手術を行った。同様の出来事が1939年にも起こった。2回の中絶の間に、1度初期流産もあったとスロスは述べている。

 

 ロザリンドとKの関係は徐々に冷めていき、1940年代の終わりにKがインド人の人妻ナンディニ・メータと知り合うようになって以来、ロザリンドはKと彼女との関係を疑うようになった(スロスによれば、疑いのきっかけは、Kが寝室でナンディニの名前をロザリンドと間違えて呼んだことらしい)。一方、ナンディニは1949年に夫に対して離婚訴訟を提起し、離婚が成立している。

 

 ナンディニの姉であるププル・ジャヤカールは、インドでのKの仕事に欠かせない人物となり、1986年にKが亡くなるまで彼の側近だった。彼女は後にKの伝記を書いている。その一章が、Kがナンディニに宛てた手紙の抜粋に費やされており、その部分だけの邦訳が出版されている(『しなやかに生きるために』、コスモス・ライブラリー)。

 

 1950年代の半ばにはKとロザリンドの関係は決定的に悪化し、二度と修復することはなかった。Kによれば、嫉妬に狂ったロザリンドに二度殺されそうになったという。一度目は駅のホームから突き落とされそうになり、二度目はスパナで頭を殴りつけられたと。Kはオハイの家に立ち入ることをロザリンドから禁じられたため、何年もカリフォルニアに戻ることができなかった。もちろんKとラージャゴパルとの関係も悪化し、ラージャゴパルが仕切っていたクリシュナムルティ著作協会(KWINC)と決裂し、訴訟に至ることになる。これについては後述する。

 

 1964年、スイス、ザーネンでの集会にメアリー・ジンバリスト(『ベン・ハー』というハリウッド映画を撮影した映画監督の元妻)という未亡人が参加し、Kと個人的に面談する。彼女はその後Kの個人秘書の役割を果たすようになり、Kが亡くなるまで公私にわたる唯一無二のパートナーとなった。

 

【金銭関係】

 

 幼少期に両親の元を離れて神智学協会に「未来のメシア候補」として引き取られ、34歳で「星の教団」を解散するまでは、Kの生活の全ては神智学協会によって面倒が見られていた。「星の教団」を解散してからは、彼を信奉する以前からの篤志家の寄付に頼って生活していた。具体的には、Kの信奉者であるドッジ夫人がKのために設立した基金から、年5000ドルが年金として支給されていた(ちなみにラージャゴパルは同基金から夫婦で年4000ドル受取っていた)。

 

 1930年代から、Kは世界各地で積極的に講演活動を行い、それに伴う収入及び支出も生じた。講演会の手はずは全てラージャゴパルによって整えられていた。「星の教団」の出版部が出版していたKの書籍(当初は主にKの詩集)の発刊もラージャゴパルが行うようになった。Kの初期の代表作(『自我の終焉』、『生と覚醒のコメンタリ―』など)は、主にラージャゴパルがKの講話や文章を編纂したものである。

 

 1946年にはK自身の声明により、世界中で「クリシュナムルティ著作協会(KWINC)」のみがKの活動の中心となる機関であるとされた。これは教団ではなく、Kの教えを普及するという目的のみのために存在する慈善団体という位置づけであった。

 

 基本的にKの個人的収入と呼べるのは前述のドッジ夫人の基金による年間5000ドルの年金のみで、他の支出(世界各地への旅費や各国での滞在経費など)はKWINCが拠出していた。KはKWINCの資金を個人的使途に用いることを拒絶していたから、KWINCにより支払われる経費はKの公的活動に関わるもののみであった。

 

 やがて、KWINC(ラージャゴパル)は、Kのヨーロッパ(主に英国)での経費の支払いを拒むようになった。理由は、英国にはKの信奉者チャールズ・バーディック氏がKのために残した遺産の一部があり、為替管理の事情によりアメリカ(KWINC)に送金できない資金がヨーロッパでの滞在費に充てられていたからというものだが、これらの経費の使途についてはラージャゴパルに詳細な報告が行われていた。

 

 19573月にKとラージャゴパルの関係は重大な危機を迎えた。インドで体調を崩したKが、ローマでの講演を終えた後、年内に予定されていたフィンランド、ロンドン、ビアリッツ、ニュージーランド、オーストラリアの講演旅行をすべてキャンセルしたことが直接の原因だった。以後、ヨーロッパにおける講演会のアレンジはドリス・プラットという英国人女性が行うことになった。

 

【訴訟関係】

 

 KWINCはKとラージャゴパルを含む4名が理事を務めていたが、1957年にKはKWINCの理事を辞任した。1960年、Kはラージャゴパルに対して、理事への復帰とKWINCの会計報告を求めたが、拒絶された。Kはドリス・プラットに、以後はラージャゴパルに経費の報告をしないよう要請した。

 

 同年8月、以後20年以上にわたり恒例行事となるKの講演会がスイス、ザーネンで開催され、毎年の集会をアレンジするために「ザーネン集会組織委員会」が発足した。1964年にザーネン委員会は集会用の土地を購入し、5万ドルがKWINCの資金で賄われた。そのころ、ドリス・プラットとラージャゴパルの間で、ヨーロッパでの経費とインド及びアメリカでの経費の分担に関する取り決めがなされた。

 

 ヨーロッパでのKの活動についてKWINCはまったく関知しないようになり、Kとラージャゴパルの溝は広がっていった。関係修復の試みは断続的に行われたが、溝が埋まることはなかった。ラージャゴパルはKの理事復帰と会計報告の要請を拒み続けた。

 

 196712月、Kは「地中海クラブ」の創立者ジェラルド・ブリッツの助言で、KWINC問題の処理について弁護士に相談した。19681月にラージャゴパルと弁護士の面会報告を含む調査報告書がKに提出され、それを読んだKは、KWINCとの関係を絶つことを決意した。19683月、Kはロンドンで著作権法の専門家マイケル・ルビンシュタイン弁護士に相談した。64日、Kはラージャゴパルに弁護士が起草した最後通告を送り、195811月にマドラスでKが署名した文書を無効なものであるとした。

 

 同年78日、ザーネンでの2回目の講話の前に、KがKWINCと絶縁し、新しく組織されるクリシュナムルティ財団がKの仕事を行う旨の公式発表が行われた。

 1968828日、マイケル・ルビンシュタインの法律事務所で、新しいクリシュナムルティ財団が法的に設立された。一人の人物によって財団が私物化されることのないよう、K以外の2人の理事が毎年選挙で選ばれることになった。その日の朝、Kはラージャゴパルから権利侵害と名誉棄損で訴えることを仄めかす電報を受け取った。

 

 1971119日、ラージャゴパルとKWINCを被告として、KWINCによって不当に管理運用されている資産の返還を求める民事訴訟が提起された。原告はメアリー・ジンバリストなどKFA(クリシュナムルティ・アメリカ財団)の理事が名を連ねているが、Kは含まれていない。19723月には、すべての請求原因を否認する答弁書が被告らから提出されるとともに、Kに対する債務不履行、詐欺、著作権侵害、名誉棄損による反訴が提起された。

訴訟手続は進行し、ラージャゴパルに対する尋問の中で、KWINCの帳簿に載っていない37万ドルの金がスイス銀行に預金されていることが判明した。反訴被告であったため、Kも尋問されることになった。

 

 裁判は19741226日に和解で終了した。内容は、KWINCは解散し、その資産の大半をKFAに引き渡すというもので、オーク・グローブ、アリヤ・ビハーラ、パイン・コテージなどの不動産もその中に含まれていた。裁判の過程で、ラージャゴパルによるKWINC資産の不適切な管理のさまざまな実態が明らかになった。

 

 和解は成立したものの、ラージャゴパルは移管することになっていた資産、とりわけKの著作や手紙の多くを彼個人に属するものだといってKFAに引き渡すことを拒んだ。この状況は1980年まで続き、KFAの理事はスタンレー・コーヘン弁護士に相談した。彼の見解は、この状況を放置しておくと、KFAがせっかく獲得した法的権利を失うかもしれないというものであった。

(なおKが1980年に行われたデビッド・ボーム博士との対談集『時間の終焉』第13章の中で「先日私の身にきわめて由々しき問題が起き、多くの人を巻き込み何らかの行動がとられなければならなかった」と述べているのは、このことを指すのではないかと思われる。)

 

 二度目の訴訟が198012月にラージャゴパルに対して提訴された。この訴訟はラージャゴパルの体調不良を理由に遅々として進行せず、19823月、Kは問題を最終的に解決するためラージャゴパルと個人的に話し合うことに合意した。Kはその年の220日にヘルニアの大手術をしたばかりで、肉体は弱り切っていた。

 

 その日の会見の様子はこうであった。KとKFAの理事たちが部屋に入ると、Kは椅子の数が一つ足りないことに気づき、ラージャゴパルはどこに座るのかと尋ねた。ラージャゴパルが欠席することが分かると、彼が出席しないなら話すことは何もないと言ってKは席を立ち、部屋を出た。

 

 その2日後、Kはラージャゴパルの娘スロスに電話し、長い会話をした。Kはその中で「ラージャゴパルは完全に頭が狂っているか、不誠実なのか、ゲームを楽しんでいるかだ」と話した。スロスはこの会話を録音しており、このときの発言をとらえて、1983517日にKを名誉棄損で訴えることになる(請求額は900万ドル)。

 

 1980年に提起された2度目の訴訟は、Kの要請により198341日に取り下げられた。これに先立って、ロザリンドからKに長い手紙が送られた。その内容は、Kとロザリンドの過去の関係について詳しく述べ、Kが訴えを取り下げなければ二人の関係を公に曝露することを仄めかしていた。ラージャゴパルは、Kが謝罪の意を表明するのであれば和解に応じると弁護士を通じて伝えてきた。

 

 1983年にラージャゴパルから提起された訴訟は、和解の試みが続けられていたが、1986217日にKが死亡したことにより収束に向かい、同年620日に和解が成立した。その内容は大まかに言って、(1)ラージャゴパルが(Kに無断で)設立したK&R財団の理事は全員辞任し、KFAの理事に交替した上、その資産をKFAに移管すること、(2)その他のラージャゴパル個人所有にかかる文書は彼個人の所有物であることを認めること、であった。これによりKの仕事は実質的にすべてKFAによって管理運営されることになった。

 

【若干の考察】

 

 ルティエンスは、1983517日に、最晩年のKが、ラージャゴパルに対する積年の不満を口述筆記によって記録させたことを述べている。Kによれば、ラージャは「世界教師の器」として選ばれたKに嫉妬し、その憎悪が高まり、Kを中傷し、いじめを加えた。Kの財団の資産を不当に用い、自分のために利用した。ラージャの人生はKなしには成り立たず、物質的にも精神的にもKに依存するしかなかったのだが、そのことがラージャを一層苛立たせた。

 この手紙はラージャとの裁判に不利に働くかもしれないという理由のため、Kの弁護士によって破棄されたという。

 

 Kの指摘は真実を突いているといえるのかもしれない。ラージャゴパルという人物に責められるべき点があったことは確かなように思われる。しかし意外なのは、Kほどの人物、「過去に対して死ぬこと」を誰よりも強く主張したクリシュナムルティという男が、その人生の終わり間際になって、若いころの自分がいかに不当な扱いを受けてきたかを事細かに訴えたという事実である。

 

 私はKのスキャンダルを暴き立てることを喜んでいるわけではないし、クリシュナムルティという偶像を破壊することを意図しているのでもない。彼がわれわれと同じ弱い人間にすぎないということが言いたいわけでもない。

 

 私の受けた印象は、Kは、争いを好まないために個人的な事情に関してはとことんまで妥協する人だったということだ。そのことがラージャとロザリンドが、彼を「いじめ」、利用する隙を与えたのだといえる。

 

 一方のラージャ側からすれば、Kのために人生を捧げてきたのに裏切られたという思いが強いのは理解できる。ラージャはKの少年時代から親しかったために、Kが特別な人間であるということを受け入れられなかったに違いない(聖書にも書かれているとおり、預言者は故郷では尊敬されない)。自分ではなくKが「マイトレーヤの器」に選ばれたことに対する鬱積した不満が、Kに対する厳しい態度につながったのだろう。もちろんロザリンドを巡る確執がその底にあったことは疑いない。

 

 ラージャが財団の財産を私物化したというのは、かなりの程度は事実であろう。その一方で、財団の運営を何十年もラージャに任せっぱなしにしていたというK自身の落ち度も否定できない。

 

 最後に、世界中の信奉者にショックを与えたKとロザリンドの関係についてだが、果たしてKの言う通り二人の関係を「ラージャゴパルが仕組んだ」ものといいうるかについては大いに疑問の余地があるにしても、後年になってロザリンドがKを虐げる口実になったことは間違いなかろう。

 

 ルティエンスの反論本に引用されているメアリー・ジンバリストの日記を読むと、ラージャゴパルとロザリンドは文字通りKを叱りつけ罵声を浴びせるなど普段から「いじめ」と呼ぶにふさわしい仕打ちを行っていたようだ。ラージャゴパルの口癖は、「あの人たち(神智学協会のベサント夫人やリードビーター)が俺ではなくKを選んだのは、顔がハンサムだったから」「Kが死んだら俺がKの代わりをやる」だったという。

 

 ある夜、部屋の鍵を忘れて寝室に入ることができなかったKが、家の管理人であるラージャとロザリンドに叱られることを恐れて鍵を貸してくれと言いだせず、一晩中部屋の外で過ごしたというエピソードがメアリー・ジンバリストの日記に書かれている。

 

 繰り返しになるが、私の目的はKの人間的な側面をスキャンダル的に暴くことにはないし、彼の行動にいかなる評価や判断も加えるつもりはない。こうした事実については、感情が入り込みやすいため、読者に判断を委ねる意味で、できるだけ客観的な記述を試みた。

 

 私自身に関して言えば、一連の経過を調べていく中で、Kは無垢な花のような人間だという印象を改めて強くしたとだけ言うに留めておく。


アラスカ便り―北の果てに暮らす日々― 「ユア、山菜採り」

◇エッセイ

 

アラスカ便り―北の果てに暮らす日々―

 

「ユア、山菜採り」

 

 長岡マチカ(文化人類学を学び、現在、アラスカ在住)

 

 半年ほど続いた冬の間、辺り一面を覆っていた白色も、五月終わりには遠く山の頂にわずか残っているだけ。白の次は茶。アラスカの春は、枯れた草木に濁った雪解け水の色、見渡す限り茶色のイメージ。そんな春の景色も、やがて黄緑色へと塗り替えられる。木々の枝に現れるいくつもの芽、初めは点描画のように見える風景も、日に日に点と点が繋ぎ合わさり、いつしかキャンバスの隅から隅まで黄緑色に塗りつくしたような風景へと変わる。ところどころに、チューリップの赤やタンポポの黄を散りばめながら。

 木漏れ日に目を細めながら、ネイティブ・アラスカンの「姉」と山菜採りに出かけた。ビニール袋を片手に、トレールを歩く。「今日はマチカが教える番だから」、姉はそう言いながら、きょろきょろと道端を見回して歩く私についてくる。

 村に滞在していた十五年前、「姉」に連れられツンドラを歩いた。片手にビニール袋や笊を抱えて。これはね、根っこの部分を食べるの、こりこりして美味しいのよ。それは葉っぱを乾燥させてお茶にできるわ。「姉」に教わりながら、弾力のあるツンドラの地面を踏みしめた。 

 今こうして共にアンカレッジのトレールを歩いている。当時「姉」は村に、私は日本に暮らしていて、まさかアンカレッジで並んで歩く日が来るとは、互いに想像もしなかったけれど。

 う~ん、「たらの芽」(こちらの日本人の間でこう呼ばれているけれど、正確にはハリブキ)はまだ早いかな。あ、この「コゴミ」(シダ系植物の芽。コゴミやワラビもどきとしていただきます)ちょうどいい。このヤナギランは伸びすぎちゃってもうサラダに入れるには硬すぎるかな。ツクシはこの上の部分が開いているよりも詰まっていた方が美味しいの。うわっ、山ほうれん草があちらにもこちらにも! 忙しく動き回る私の後ろを、「姉」はゆっくりと歩いてくる。それでもいつの間にか、姉の袋の中には、様々な形をした山菜が増えていく。

 冬の間枯れたように見えた草木が、今は新しい芽に覆われている。この時期、辺りは勢いのある生命力に溢れている。

 「父」の言葉を思い出す。「姉」と私のツンドラでの収穫が並べられた食卓を前に、「ユアの力をいただく」、そう「父」は言った。「ユア」とはネイティブ・アラスカン・ユピックの間で、「精霊」とされるもの。「ユア」は形を自由自在に変えることができ、あらゆる生き物の内に宿っていると信じられていた。

 「ユアの力・・・」

 地面にひょろりと伸びるツクシの群れに目をやりながら、ふっと口にする。

 「昔の人はあたり一面あらゆるものにユアを見ていた。形は変わり続けるけれど、あらゆる形には、形を超えた永遠の命が宿っている」

「姉」は眩しそうに周りを見回してそう言い、私の腕を掴むと歩き始めた。組んだ腕から、「姉」のふくよかな温もりを感じている。道端には、開きかけた「たらの芽」が、日に照らされ輝いていた。

 自宅に戻り、調理する。「姉」は隣で賛美歌を口ずさんでいる。「たらの芽」とヤナギランは小麦粉をつけて油に入れる。ツクシは卵とじに、「コゴミ」と山ほうれん草は茹でて甘味噌和えに。食卓に並ぶ五月の収穫。

 「いただきます」そう言いながら手を合わせると、向かいの「姉」が真似をして手を合わせた。「いただきます」たどたどしい口調でゆっくり言うと、静かに微笑んだ。その「姉」の微笑の中に、確かにユアが見えたような気がした。


編集後記

★編集後記

 

 雑事に追われ続け、個人的にはクリエイティブなモードに入れない月でした。詩も、評論も書いていません。人間、ビビッドにしびれること、楽しいことをしていないと、体だけ健康でもだめになっていくなー、とつくづく感じる今日この頃です。常に新しいものに触れていることが創造的生活というものなんですね。

 菊地氏の話は、ここまで載せて良いのかな、というギリギリのラインまでいってしまいました。ほぼノー編集(笑)。時間がなくて、本人チェックもなし。大丈夫かな、と思いつつ多少は冒険してもいいかな、と。コアな方しか読んでないし。

 16日はウルトラリンパの第2回講座(実技中心)がありますが、広島、大阪の方含め、前回の方がほぼ全員出席というのもすごいことだと思いました。とりあえず一期生でいろいろ試しながらやって、次のことは次に考えます。行き当たりばったり主義。(那智)


目次

MUGA 第12

「私」ではなく「世界=無我」からの表現を発信する

 

無我表現研究会発行 月刊メルマガ

 

◆目次

 

◇アート

 

・詩

 

『季節の詩』     rita

 

◇インタビュー

 

宮本武蔵に通じる「自分に勝つ」力  菊池クミユキ

 

 

◇対話

 

 狙うは“メッシ(滅私)”効果?

 

那智タケシ×松本セイゴ(農家)

 

 

◇評論

0円ハウスに住む新政府総理大臣~無我的生き方の実践例としての坂口恭平

 

 高橋ヒロヤス(弁護士・翻訳家)

 

 

◇エッセイ

 

アラスカ便り―北の果てに暮らす日々― 

「夏至」(最終回)

 

  長岡マチカ


季節の詩     rita 

◇アート

 

★詩

 

季節の詩     rita 

 

  【・沙羅の花・】

 

鳩の羽根をしきつめたような

その鳩の物憂げに鳴きわたるような

逡巡として絞られるもの

 

ヴェールを被りうなだれる完熟の頬より

迸る甘くて重たい言葉を

惜しげもなく綴り連ねる一日

 

沙羅の花はそんな空が好きみたい

豊潤な雨粒の抱擁がお気に入り

打てるさざめきに柔々と肩や指先は流れゆく

 

君は日に日に雨が似合っていく

誰よりも美しく着こなしたストライプのドレスを

白磁の肌をより白く凛と佇ませていた

 

 

  【・紫陽花・】

 

大きな昆虫が背中を丸めて 街に沸いて出てきた

 

青や水色、紫と赤紫色を 肺胞みたいに膨らませ

息を吸い込んで呼吸を開始する

 

雨足のリズムにうるうると

しだいに街を賑わして それらは街を支配していったんだ

 

坂道では水母に羽化して漂い始める

多くの視界はぶくぶくと その群れの中に沈みゆく

 

戸口では天体に羽化して廻り始める

小さな一隅に延々と その群れの奥へ引かれゆく

 

ある日 夢から覚めたように浮上したぼく

これは偽物の花弁だったのかな

 

雇われ色素が光へ逃走したもよう

神の御手に手ずれして 紫陽花は色褪せていったんだ

 

 

  【・くもの巣・】

 

ここの垣根も乗っ取られたよ

くもの巣マンションになっちゃった

今年も間近なの 夏の到来

 

その戸口もあの戸口も

ノックして トントンと覗き込んだら

隠れてしまったよ

小さなサロンの小さな住人

 

自分はギョロ目の怪物なの

 

こんなの食料じゃないじゃない

朽ち葉のクズ葉 雨つゆばかり抱えても

お腹はおよそ満たされないよ

 

そんなの大きなお世話じゃない

1ミリも2ミリでも 小さくたって生命ひとつ

守っていくのは大変なんだもの

 

 

  【・ちょうちょう・】

 

ジャガ畑やキャベツ畑や

緑の波涛に見え隠れ

 

恋仲ちょうちょうのかくれんぼ

 

もしかして初対面かな

恋する季節は

瞬く間の感応なんてお手のもの

 

おいでおいでと誘っては

スキップして近寄って

 

ハミングする唇は

触れ合うばかりに

螺旋を描いてまた崩してる

 

そんなふうに造りつづけているよ

ふたりだけの愛のお城を



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