閉じる


試し読みできます

第1回


        第1回 テープ起こし一本で生計を立てている私

 はじめまして。
 テープ起こしを唯一の生業としている田島春(タジマ・ハル)と申します。
 唯一の生業、つまりテープ起こし一本で生計を立てています。
 当然のことながら、よく通信教育の広告で見かける、
 <あいた時間を有効に利用して、高収入を>
 などという優雅な状態ではありません。
 「テープを3本起こして6万円!」とニッコリ笑っている広告を見ると、
 つい「あの3本って、いったい何分なんだろう?」と
 思わずにはいられません。

 1本平均60分だったら相当いい話です。では150分だったら?
 150分×3本=450分=7.5時間。
 7時間半も延々と起こして6万円かもしれません。
 しかもこの7時間半というのはテープの録音時間であって、
 間違っても作業時間ではありません。

 録音されたテープを起こして、それを日本語として
 すんなり読める文章にするには、録音時間の10倍近く
 かかると考えてください。
 だから75時間の作業の対価が6万円ということも
 考えられるわけです。
 これを時給に直すと800円。高校生のアルバイト並みです。

 それでもこの広告につられて、続々と主婦が申し込み、
 続々とテープ起こし屋さんが生まれています。
 曰く<テープ起こし個人事務所・オフィスかすみ草>。

 そこには、どうしても生活との乖離を感じずにはいられません。
 オフィスかすみ草でも、さくら草でもいいのですが、
 一向に生活がかかっている様子がありません。
 生活がかかっている私は、どうもマイノリティのようです。

 テープを起こしたくて、起こしたくて、仕方がない人であふれているなか、
 私はほんの偶然からこの世界に入りました。
 もちろん通信教育経由ではありません。



試し読みできます

第2回


            第2回 「ケバ取り」と「整文」


 前回、
 「私は通信教育経由ではなくテープ起こしの世界に入った」と書きました。
 その第1の理由は、当時、そんなものがなかったからです。
 「誰にでもできますよ。やさしく指導してあげますよ。
  講座終了時には、お仕事を紹介しますよ」
 などという、「嘘だぁ~」としか思えない広告は存在しませんでした。
 なにしろ家庭にパソコンがこれほど普及する前のことですから、
 「主婦層をターゲットに」という発想自体がなかったのでしょう。

 「ではどのようにして?」
 ということは、もう少し後で書かせていただくことにして、
 1991年に初めてお世話になったテープ起こしの会社からは、
 応募の電話口でまず
 「在宅といっても、1日最低5時間は仕事の時間を確保できなければ
  無理ですよ」と言われました。

 <あなたの好きな時間に>なんて、もっての他です。
 先方からお金をいただくのですから、当然の話です。
 通信教育は先方にお金を払うわけですから、甘い言葉にもなるでしょう。
 この会社はトライアルも登録も無料でした。
 「ここは、こうしなければならない」という指導も無料でした。

 【マイノリティな私の仕事の内容】

 少し前置きが長くなりましたが、
 マイノリティな私のお仕事状況についてお話ししたいと思います。

 バラつきはありますが、月に20時間~30時間分のテープを起こしています。
 クライアントさんは4社~9社です。
 内容としては、不登校から不動産流動化まで、地味ながらさまざまです。
 1日に複数のテーマを起こすこともありますので、
 ちょっとした『24人のビリー・ミリガン』状態です。

 

試し読みできます
例えば
 「茶髪とピアス禁止で窮屈だから、入学して3日で高校をやめちゃった。
  でも大学には行きたいから、今は大検の勉強中」
 という大検予備校生のお話のあと、
 「資産流動化のためには、まずキャッシュフローが云々かんぬん……」。
 さらにこのお話の中で、余談として、
 「ほら、銀座のママが書いた本があったでしょう、
  『できる男・できない男の見分け方』とかいうの。
  あれね、僕が思うに……」
 と、もう話し手は神様ですから、どんなに内容が逸脱していこうとも、
 キーボードを叩きながらついていきます。

 そして、そのあとは
 「われわれは労使の話し合いのために、ここに来たんやで。
  社長はどこ行ってんねん。あんたらみたいなガキの使いでは、話にならん」
 「せや、せや」
 と、コテコテの関西弁という具合。
 壊れた稗田阿礼を想像してみてください。

 業界ごとの著名人のお話を起こすことはありますが、
 私の場合、タレントさんのインタビュー等、華やかなものはありません。

 スタンスとしては、あくまでも裏方の素材屋だと思っています。
 ほとんどの場合、次にプロの編集者が待っていらして、
 私の文章が最終商品になることはないからです。

 そこで料金も、1分あたり150円に抑えています。
 テープ起こし屋さんのホームページ巡りをしていただくと、
 おわかりになると思いますが、
 今は1分あたり200円~250円が相場です。
 ということは60分テープに対する報酬は12,000円~15,000円。
 私の場合はマックス9,000円です。

 「安くてまあまあだから、あなたのところ」
 というクライアントさんのおかげで、なんとかやっております。
 実のところ、1分250円に値上げして受注量が減るよりは、
 今の量を維持してコンスタントに仕事をしていくほうが、
 精神衛生上いいと思っています。なにしろ日々のことですから。
 何も起こさなければ水揚げゼロで、発泡酒1本、心安らかに飲めません。

 具体的な作業としては、テープを聞いて、話者の、
 「うーんと、あのあの」「そのー」といった部分を取り除いていくのが主です。
 これを【ケバ取り】といいます。
 ケバを取って、概ね聞いた通りに文章化していきます。


試し読みできます

蛇の足

        同業者との会話



 【館林】 あんた、さっき納品済んで、今、一大満足してるだろ。

 【田島】 いや、ホッとしてるだけ。
      明日は明日のテープがあって、少し心穏やか。
      仕事がないと、大変ですからね。    

      そうそう、昨日、同業者から
      「テープ起こしは好きですか?」って聞かれて、
      言葉に詰まっちゃった。
      「あっ、いや……、嫌いじゃないと思うんですけど」
      ぐらいしか言えなくて。事実そうなんだけど。
     
      毎日テープを起こしてるとさ、好きとか嫌いとか
      考えなくなるね。趣味でやってるわけじゃないし。
      納期が守れれば、それが一番うれしい。
     
 【館林】 守れそうもないときは?
 
 【田島】 ヘルプ(*1)を募集します。
           
 【館林】 どんな人に頼むの?  

 【田島】 見ず知らずの、いろんな人。年もまちまち。
      なかには、テープ起こしにとてつもない
      夢を抱いている人がいて、ちょっと引くよ。
      「テープ起こしのお仕事をすることが夢なんです。
      この夢を捨てきれないんです」とか。

 【館林】 えっ、あんたのやってる仕事が夢なの!?
 
 【田島】 うん。で、話を聞くと、ちゃんと旦那がいてさ、
      「主人は会社員で、子どもはもう成人して、
      手が離れて時間はあります。ウサギがペットで、
      仕事部屋は8畳の洋間です」って、説明してくれるの。

 【館林】 へぇ~、いいご身分じゃん。あんたと大違い。

試し読みできます
 【田島】 そうなんだよ。多いよ、こういうの。
      で、「60分テープを3日で起こしてください」って
      言うと、通信教育を修了しただけで、実務の経験は
      ないから、なるべく短いテープにしてくれとか平気で
      言うの。

 【館林】 弱気なんだか強気なんだか、わかんないな、それ。

 【田島】 <ファッションとしてのテープ起こし>ってところ。
      もちろん、そうじゃない人もいるけどさ。
      小さい子がいても、ちゃんと仕上げてくれるの。
      本当に助かります。

 【館林】 ヘルプを頼むのは女性って決めてるの?

 【田島】 ううん、男の人にも頼んだことはあるよ。
      でも、思いっきり懲りた。
      例によって通信教育修了者で、2級(*2)だったけど、
      納品ファイルが穴だらけで、修正するのに9時間
      かかった。これ、60分テープの話だよ。
      
 【館林】 最初から自分で起こしたほうが早かった?

 【田島】 うん。「でも頼んだ以上、意地でもこの納品ファイルを
      使ってやる!」って思って、延々と直した。
      
      この人、添え書きもすごかった。反省ゼロ。
      「よく聞こえないところが多かったです。
      僕は耳が悪いのかなあ?」だって。信じらんない。      

 【館林】 あんた、テープの録音状態、確かめて渡してる?

 【田島】 あったり前じゃない。自分が聞きづらいものを
      人様に頼んでどうすんのよ。
      だから余計にびっくりなんじゃない。

      ヘルプになんでもかんでもバラまいて、
      「音の悪いテープがいった人は、運が悪かったと
      思ってあきらめてください。それも勉強のうちです」
      なんて、シレッと言ってるグループリーダーもいるけどさ。



読者登録

岸田ちひろさんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について