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ロンドン桜 1 Auld Lang Syne

この話は 
2002年の 
バレンタインデー(2月14日) 
英国は倫敦(ロンドン)の 
ウェンブリーパーク駅近くの 
チャイニーズレストランから 
はじまる。 [51.562038,-0.28278]

時間は21:00GMTごろ 
君は仕事を終えて 
職場の同僚二人とウェンブリーパークをおりて 
作り中のウェンブリースタジアムをながめながら 
右へおれてブルークアヴェニュをしばらく歩いた所にある 
ウインピーバーガー 
の隣の賀来千香子似の女将がきりもりする 
中華料理屋で 
グロールシュ(grolsch)のパイントを 
呑んで歓談していた 

そのときどういうわけだったか 
「ロンドンで 
花見をやろう」 
という話になったのだ 

どういうわけだったのだろうか 
思い出せないが 
たぶん君はいつもの調子で 
ロンドンになくて 
日本にあるものの話をして 
日本のことをなつかしがって 
さけをのんでいたに 
違いない 
そのなかで 
一番 
花見ということばが 
この若いが、ほとんど日本の土をふんだことのない 
日本国籍を持つ二人の同僚のむねをうったの 
だ 

それまでは 
「ああ、俺らずっとイギリスだから 
日本の中高生の 
普通の恋愛っていうのに憧れてるんですよ 
なんか 
自転車二人乗りしたりして、いいなー」 
とか、なんとか彼は言っていた 
そのうち、もう片方が 
もだえるような声をあげたかと 
思うと 
オレたちはそういう恋愛の世界を日本製の漫画(Comic)でしか 
読んだ事が無くて 
ほんとうに、その漫画につづられている 
恋愛のシーンが 
どれだけほんとのことで 
どれだけうそなのか 
見分けがつかないのだという 
つまり 
漫画の世界そのままを 
日本の青春時代だと 
かんがえているのだ 
(かれは、その事を言うのに 
「俺らは、ようするに変態です」と 
表現 
した 
もちろん、彼らは日本製の恋愛とはべつに 
四文字レターが頭につくような素敵な 
四方煉瓦に囲まれた 
ロンドナー(ロンドン子)風の 
恋愛の思い出をもっているのだが) 

日本の恋愛かあ 
君はつぶやく 
日本の恋愛なあ 

確かに 
ロンドンに来ても二人乗りするような 
ママチャリはなかった 
だいたい、歩道を自転車で 
走ったら怒られる 
それに 
ガクランもないし 
コンビニの安いビニル傘もないし 
女物のスリッパを履く習慣も無い 
そもそも 
キリンビバレッジの午後の紅茶を買えるような 
コンビニ自体がなかった 

ロンドンで、もう何十年も暮らす 
商社づとめをしていた人の話によれば 
80年代にロンドンにコンビニは上陸したが 
すぐにつぶれてしまったという 

ロンドンで 
花見をする 
習慣(Custom)は無い 
というか日本人以外で 
世界中何処を探しても 
どこにも 
花見をする民族は 
いないのだ 
それはなぜか 
君は 
幼少の頃から 
ひとりで 
英国に暮らしている 
同僚ふたりと 
2パイントめの 
グロールシュ(grolsch)を呑みながら 
思い出す 

「それはな 
花見の桜というものが 
日本の文化と 
みっせつな関わり合いを持って 
こんにち 
あるからやな」 

桜といえば 思い出す 
いくつかの事があった 

時間は とんで 
1996年 
の事 君は 
京都の仁和寺(にんなじ)にいた 




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ロンドン桜 2 京都慕情

1996年 仁和寺 御室桜 

仁和寺(にんなじ)の桜は 
御室桜(おむろざくら)だ 
中門を通り過ぎ 
右手には五重塔が見え隠れする 
この楽園の入り口に 
見事な桜の木々が植えてある 
[35.029873, 135.713435]

「ここの御室桜(おむろざくら)は有明(ありあけ)ちう品種 
八重桜 桜には一重から八重まで品種がある 
ここの桜さんはもう300歳 
ずうっと御室を見守ってますのや 
こういう奥ゆかしい人のことを 
京都では「御室のさくら」といいますから 
もし気に入ったおんなの子がいたら 
「あんたさんはまるで御室のさくらのよう」いうてあげたら 
よろし」 

この 
老桜とともに 
先祖代々 
仁和寺の桜の手入れを任されている 
ある一族がいる※1 
気の遠くなるような年月 
桜の世話をして過ごして来た 
一族 

みなさんは 
桜という木を 
どのような印象でもって 
覚えておいでか? 

きっと 
うつくしく 
いろづく花びらとともに 
おぼえているはずだろう 
が 
桜の世話をする 
一族にとっては 
その 
桜の姿は 
ほんの一瞬のことだ 
一年を365日とするなら 
ひとつの桜の木が花を咲かせていられるのは 
そのうち 
わずか5日間ほど 
残りの 
360日のめんどうをおもに見るのが 
この一族の仕事だ 
そのわずか5日分のために 
この桜守(さくらもり)と呼ばれる一族は 
人知れず 桜のめんどうを みている 

きみは京都で、そんな仕事をする 
老人に偶然出会った 

きみがその老人に出会ったのは 
きみが初めての京都旅行をしたときで 
待ち合わせで 
東本願寺にいたときだ 
待ち合わせの人らは 
待てども待て来たらず 
二時間ほどは待ったが 
アステルの1円PHSに電話がかかって来ること 
はなく 
逆にJ-Phoneの携帯に電話をかけても 
留守電になってしまいつながらず 
みんなで 楽しく 
京都の観光をするつもりが 
それは台無しになり さらに 
ひとりぼっちでわけのわからない 
土地にいることに 
不安をおぼえ 
まいちる大量のさくらを 
見ているときに 
この老人と出会ったのだ 

そのとき君は 
大量にまいちる桜をみながら 
昭和の文芸批評家である 
小林秀雄(こばやしひでお)の書いたエッセイを 
思い出していた 
それは詩人、中原中也の追悼に 
小林秀雄が中也の思い出を綴ったエッセイで 
新潮社の「考えるヒント 4」に 
収録されている、そのものずばり 
「中原中也の思い出」 
というタイトルのエッセイだ 

そのエッセイは 
海棠(カイドウ)という花の枯死 
から始まる 

その海棠は 
鎌倉の妙本寺にある 

あらすじは 
晩年(といっても30代なかば) 
子どもをうしなって 
半ば狂人となった中原を小林が 
何年ぶりかで見舞い 
一緒に妙本寺の桜(これが海棠(カイドウ)だったわけだが) 
を見ながら 
何することなく歩いている 
小林秀雄はその落ちる花びらを見て 
いつまでも落ち続ける花びらを見て 
落ち続けまた落ちる花びらについて 
考え事をしはじめると 
だんたんと イライラとしてくる 
そして、それを察した中原が 
「もういいよ、帰ろうよ」 
と言ったという 
有名なエピソード 

「お前 
は 
相変わらずの千里眼だよ」 

小林秀雄はこの再会を果たすまでに 
じつに 8年の歳月を要していた 
なぜならば 
小林秀雄は、はちねんまえ 
中原のたいせつな女を寝取ってしまい 
それいらい中原に 
会う事をためらっていたのだ 
こどくな詩人と、小説家になれなかった批評家
希有のてんさいの間にできてしまった 
あんまり暗くて深い穴 
その穴がどんな穴だかもよく分からなくて 
なぞるのすらこわくて 
小林はなかなか 
中原に会う事が出来なかった 
のだ 

この話を、出会ってからかなりあと 
で 
桜じい(きみはその頃になるとこの老人の事を 
桜じい 
とこころのなかで 
呼ぶようになっていた 
)にしたことがあった 
(そのとき君は海棠という花の事を 
桜の一種だと 
かんちがいしていたから) 

桜じいは 
「海棠(カイドウ)も桜も同じバラ科」 
といって 
仕事の手をやすめた 

君は、のちに「汚れちまった悲しみ」で有名になる中原中也が、 
若い頃東京でのちに「人間失格」で有名になる太宰治に会って 
「はなはなにがすきか?」 
とたずねた日のことも桜じいに話した 
太宰は「モモノハナ」とだけ答えて 
あとはいつもの調子で 
中原中也がビール瓶を持って暴れまくった 
といった青春のエピソードだ 
太宰と呑み仲間だった小説家の森敦の 
「我が青春 我が放浪」というエッセイ集に 
書いてある 同じ小説家で呑み仲間だった 
檀一雄も、また別の切り口で、むせかえるような 
青々しくてなまぐさいこの騒動について 
綴っている 

君はみぶりをまじえて 
それを 熱心に 
桜じいに話した 
君が知っている 
桜や、花にまつわるような話題は 
限りなく 無にひとしかった 
君は 
とにかく 
近代文学に 
一生懸命だった 本をひらけば 
そこにいる小林秀雄や中原中也や 
さまざまな、近代の日本に生きた文士が 
ほんとうのともだちのように感じていた 
実生活での君に出来る事と言えば 
全般的に 本で読んだ 
近代日本文学史のごく限られた年代の 
話題を話す事 
だけ あとは 何も出来ない 
女の子 バイト先の上司 ともだち 
だれでもよかった それしかできなかった 
だから桜じいにも話した 

しかし まったく 
いわゆる ゆいしょのある 
京都という土地にとって 
日本近代文学史なんて 
ポンチ絵(マンガ)のようなものだ 
ハナクソ 
といっても 
さしつかえがないかもしれない 
きみは みごとな仁和寺の庭園をみせられてから 
だったので 近代文学とくらべて 
そのような劣等感をいだいて 
ひとりごちたが、桜じいはじいで 
桜のことしかしらないから 
太宰の桃の花 
のエピソードを君から聞くと 
「桃も同じバラ科」 
と 
だけ 
こたえた。 


※1「桜よ「花見の作法」から「木のこころ」まで」佐野藤右衛門著 小田豊二聞き書 集英社 
御室桜 
(※内容は全部フィクションなので取り扱いに気をつけよう) 

京都慕情 by渚ゆう子

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ロンドン桜 3 Sakura-Sakura

1996 隅田川 染井吉野 

桜じい(さくらじい)の家の庭園には 
日本中の桜が 
集められている 
江戸時代 
仁和寺(にんなじ)の桜のめんどうを見ていた 
桜じいの家は 
明治の頃には日本中の桜の面倒をみるようになり 
全国を回る様になった 
桜じいのおじいさんは 
種の保全のため 
いろいろな人から 
種や苗木や枝を 
わけてもらうようになる 

桜の品種は、ものすごく多い*1 
その数、200とも300とも 
言われている 桜 
と名のつく品種が2、300だ 
酒の銘柄と同じで 
その土地土地で、ほぼ同じ品種でも 
違う花が咲くから 
別の名前がつけられる 
漢字で書かれた名前は、ほとんど 
その人の気分でつけられたものが 
多い 

「たとえば日本全国津々浦々にある 
染井吉野なんていいますのは、ぜんぜん吉野山と関係なくってね 
あれ明治時代に東京の染井さんていう人が作ったの 
突然変異種 
あの京都の吉野桜とぜんぜん関係あれへん 
染井さんじゃかっこがつかへんから  
吉野ってとってつけたわけ 
染井さん吉野なんて 
明治ていう味もそっけもない時代に生まれちゃった 
大量消費の時代の花ですわ 
味もそっけも 
アラシマヘン」 

じいは 
くちを 
へのじに 
まげた 

「日本刀、軍刀なんていうのもおなじこと 
昭和刀、工場の大量生産 
もぞうひん、にせもの 
そんなん国からもろーてもひとつも嬉しくないわ 
あほらし、 
けれど、それをひとふり後生だいじにもって 
何千年もの歴史をしょいこんでると 
思い込んじゃって 
桜散る散るなんていって 
カミカゼー カミカゼー 
ゆって戦争するものやから 人間はほんま 
阿呆 
えげつないもんですわ 
ねえ  
32君」 
君は32とあだ名されていた 

庭仕事にはにつかわしくないように 
君には見える 
ぶにぶにした肉厚の手を 
タオルでふきながら 
この京都の老人(桜じい)は 
言う 
「 
日本の桜の 
8割方(80パーセント)は 
染井吉野(ソメイヨシノ)ですな 
明治時代にほんとうの武士(もののふ) 
がおらんようになったようなってしまって 
ほんとうの桜も 
ほぼ全壊したのよ 
まして 明治からこのかた 
本当の刀、本当の軍人、本当の戦い 
なんてもんは 
そもそも 
なりたたん 
これもまた 
大発明 
明治が生んだ 
模造品の大物産展 
張子の虎 
すき焼き、民謡、大和魂、染井吉野 
ぜんぶ、にせもの 

ボク 
こういうの 
みなすかんのよ 

スイッチポンの時代の 
トラジショナール(Traditional) 
いうやつですわ 
すき焼き、民謡、大和魂、染井吉野 
どれもこれも 
ほんま好かん 
虫酸が はしっちゃうのよ」 


さくら さくら(Sa-ku-ra Sa-ku-ra) 
野山も里も(No-ya-ma-mo Sa-to-mo) 
見わたす限り(Mi-wa-ta-su ka-gi-ri) 
かすみか雲か(Ka-su-mi ka ku-mo ka) 
朝日ににおう(A-sa-hi ni ni-o-o-u) 
さくら さくら(Sa-ku-ra Sa-ku-ra) 
花ざかり(Ha-na za-ka-ri) 
(昭和16年版) 

「まあ、そのニセ吉野はんも 
もうすぐみんなおらんようになる 
突然変異種で 
あれ 
寿命がものすご短いのですわ 
もういっぺん荒川あたりの桜は 
みんな枯死しとるのと違うかな 
確か明治元年に植えて、40年ぐらいたったら 
だんだんだめんなってしもて 
みんながっかりした 
突然変異種だから 
データというものが 
明治の時代にはなかったのやな 

確かに接ぎ木してから発育は早くて、 
どの土地でも 
手早く綺麗にさかせられるのが 
染井吉野 花も大きくて 美人さん 
桜吹雪なんていうと、出てくるのは 
その明治生まれの 
人工の美人さんの花びら 
今でいう 
ファストフード 
はたまた 
コンビニエンスストアの 
お惣菜ちゅうやつやね 
でもまた昭和んなって、懲りもせんで 
またぎょうさん隅田川に上野に 
まあ都会の好きな田舎、土地土地 
全国に作っちゃって 
ほんま 無反省そのもの 

今がよければええちゅうのが 
この明治生まれの 
新たな日本人さんの 
やり口なんでしょな 
まあどっかの 
田舎もんが 
なんもしらんで 
お国をつくったのやろ 

染井吉野は100年ももたん桜 
バラ科には 
厭地(いやち) 
いうもんがあってね 
染井吉野を植えた土で、同じ種の染井吉野は育たんのですわ 
アレロパシー(Allelopathy)いうんやけど 
だから植え替えが効かんのよ 
土からなにから全部とっかえないといかん 

まあ染井吉野なんて、味も素っ気も無い桜 
みんななくなってしまえばいいんです 
どうせ、東京に植えた奴、 
昭和の初期でもう、わかっててやってるから 
「その頃ボクおらんからしーらねっと」なんていって、 
墓の中でトボけてるのとちがいますか 
それで千代に八千代にやなんてたいしたジョークや 
確かに国歌は「はなざかり」ぐらいで丁度ええ、どうせそんなん 
五日間ぐらいしかもたんのやから 
あいつら向こう百年ぐらいのことしか 
考えてへんのやないかな 
まあこんな女々しい愚痴ゆって 
口惜しい男ですわ、ボクなんか 

でも、そしたらすこしはスッキリするわ 
ニセ吉野はいなくなり たいせつな桜を傷つける 
花見はなくなるし 
人も住まなくなり 
それで空いた土地に駐車場をぎょうさん(a parkin' lot)*2 
作ったらええのです 
まあ 
ボクは 
そんな土地に 
ゼンゼン興味 
モテマヘン 
けど 
」 

東京の花見 
それも染井吉野の話になると 
桜じいは 
ほんとうに 
かなしそうで、いやそうな顔を 
かくさなかった 
桜じいが誰に対してもみせる 
快活でいながら 
細やかで おくゆかしい配慮というものは 
染井吉野にだけ 
一切 
なかった 

君は軍手をそろえながら 
それをよく聞いた 


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ロンドン桜 4 仮名序 紀貫之

あとでしらべたことだが 
桜の厭地(いやち: 
しょくぶつが枯死したあとで、 
同じ土地に同じ種類の 
桜を植えてもそだたないこと) 
の原因とされるアレロパシー(Allelopathy:他感作用) 
にはいろいろな種類がある 
身近な例でいけば香り(アロマ)というのは 
その一種だ 
厭地(いやち)がアレロパシーの 
負の要素だとすると 
アロマテラピー(Aromatherapy)というのは 
植物が発する 
正の作用を応用したもので 
根はひとつだ 
植物は微妙な作用でもって 
外の世界と 
通信している 
みつばちや動物、他の植物は 
その作用をうけて 
種をはこび 生殖(メイクラブ)のてだすけをする 

みつばちが桜の受粉を助け 
るようには 
人間は桜とうまく共生してはいない 
そのみつばちの蜜をかすめとるような 
ずるい事ばかりをして 
人は生きて来た 
あるいは 
人間の都合の良くなるような 
種を増やして 
植物を利用するだけ利用して来た 
それは、人が農耕を始めた 
ときから起こる 
人のたましいの 起源も 
農耕が始まるあたりから 具体的になっていく 
植物への搾取も 
そこから始まる 
言葉によって 人が外の世界と 
つながろうとしたのも 
その頃だ 
けれど 言葉は 単なる音の組み合わせで 
植物に直接あたえる影響は 音波であり 
あまり結びつきは強いとはいえない 

言葉はつまり 
間接的ななにかだ 
ひとたび号令がかかれば 
人は言葉によって あらゆることができる 
ようになる 
言葉によって 密集し、記録し 
言葉によって 他の者を圧倒した 
言葉によって 想像をふくらませて 
さまざまな交配のれきしから 
染井吉野を誕生させた 
言葉 

言葉の世界をどんどんひろげていった 
人間は人間たちどうしの通信のなかで 
その世界を拡大していく 
拡大していく途中で植物は 
面白いぐらいに人に利用されていく 

品種改良 
の時代がやってきた 

この 
驕りの一つの頂点が 
はじめての桜の治世である 
古今和歌集の時代だ 
紀貫之はかくのごとく記した 

「やまとうたは ひとのこころを たねとして 
よろずの言の葉(ことのは)とぞなりける 
よのなかにある 人 事 わざしげきものなれば 
こころに思うことを 
みるものきくものにつけて 
言いだせるなり 
花に鳴くうぐいす 水にすむかわずの声を聞けば 
生きとし生けるもの 
いづれか歌をよまざりける 
力をもいれずして あめつちをうごかし 
目に見える鬼神をもあはれとおもわせ 
だんじょのなかをもやはらげ 
たけきもののふのこころをなぐさむるは 
うたなり 
このうた あめつちのひらけはじまりける時より 
いでに来にけり」 

この号令によって 
桜の治世が やってきた 
ひとびとは桜をこころのたねとして 
うたの時代をおう歌した 
あめつちをひらき(開墾をし) 
豪奢な時代が 
やってきたのだ 

「 
なにはづにさくやこの花ふゆごもり 
今ははるべと咲くやこの花 
」 
まるで呪文のように願いのように 
さくというちからがらせん状につらなっている 
力強い古き良き時代のうた 
「 
なにはづにさくやこの花ふゆごもり 
今ははるべと咲くやこの花 
」 
人は花を強引にはなひらかせ 
強姦にも近い勢いで 
花たちを 
交配させて行く 
花弁はそのたびに 
肉付きがよくなり 
その人ごのみになっていくが 
もう 
その人の手を借りなければ 
生きて行けなくなる 
うたは 
圧倒的な支配と 
その上での 
蕩尽(とうじん)を土台にして 
生まれた 
「 
なにはづにさくやこの花ふゆごもり 
今ははるべと咲くやこの花 
」 
このようなうたを 
紀貫之が古今和歌集の前書きにいれなかったら 
今だって日本の桜はどうなっていたか分からない 

古今和歌集の桜は 
山桜だ、山桜の反対の言葉は里桜だが 
この山桜だって、自生しているものは 
非常に少ない 
古今の頃から、桜は操作され 
交配された結果 
花を咲かせた 
のだ 

桜は、一重から八重の花弁の種類をもち 
山桜 大島桜 彼岸桜の基本的な種の(染井吉野は 
江戸彼岸と大島桜の 
交配種である) 
バリエーション 
からなり 
色は白 薄紅色 紅色 紅紫色 黄緑色があり 
花の咲く時期は一年間 
ある 

「 
なにはづにさくやこの花ふゆごもり 
今ははるべと咲くやこの花 
」 

あらゆる桜を集めていけば 
冬に咲く 寒桜もあり 
秋に咲く 十月桜もあり 
一年中 桜を見る事は出来る 

桜、正確には気象庁の開花予測にも使われている 
染井吉野 
が咲く四月(はる) 
が花見の季節に選ばれているのは 
ただ花見するのに気候が良い 
というだけでなく 
稲作(いなさく)とみっせつな関係があると 
言われている 

田植えを前に、五穀豊穣を祈願(ごごくほうじょうをきがん) 
する行事が花見ではなかったか 
四月は、そんな季節ではなかったのか 
風物詩(ふうぶつし) 四季折々のうた 
それをささえるのはコメ 

稲はもともと多年草(次の年も同じ実をつける)の 
しょくぶつだ 
種を増やすため、その実はほんらい落ちやすく 
風に舞って芽吹く 
が 
米のたんじょうは 
この稲を一年草にし、稲を刈り取り 
稲穂から実が落ちぬ様に 
きみら好みに改良したところから 
はじまる 

みのる程 こうべを 
たれる 稲穂(いなほ)かな 

ほんらい野生種は、人に媚びたりなど 
しない 彼らがしたいのは一方的な 
共生(commensal relationship)ではない 
そんな事がしたいのではない 
(適当なうたを 
つくらないでもらいたい) 

みのる程 こうべを 
たれる 稲穂(いなほ)かな 

キュウリやキャベツも 
もとは苦い雑草だったけれども 
品種の交配により 
野菜のアクや苦みといった 
防衛物質(アレロケミカル)をぬいて 
野菜(やさい)という 
人工的に糖度(とうど)をつけた 
物に生まれ変わった(due to be metamorphosed) 

もう八千年間(はっせんねんかん)も 
人は一方的に擬似的な共生関係(pseudo symbiosis)を 
植物たちとむすんできた 
長い長い 
搾取(さくしゅの)れきしが 
今につながり 桜の芳香(アロマ)となり 
米の糖度となり 花見のきせつを 
こうせいする 

だんだんと 
手のひらの上にいる生き物たちが 
その美しさ、甘さが 
すべて(本質)だと 
思い込んでしまう 

みのる程 こうべを 
たれる 稲穂(いなほ)かな 

植物はほんらい 
人に媚びたりなどしない 

みのる程 こうべを 
たれる 稲穂(いなほ)かな 

植物はほんらい 
人に媚びたりなどしないのだ 

つづく 



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ロンドン桜 5 Virtual Insanity

「桜は、咲く、ということばからきてる花なんだよ、花 
いや、いきものがめぶくちからを 
名にした花なんだ。 
咲くちからの化身(けしん)なんだよ。 
ことばにはすべてことだまといって 
たましいが込められている 
昔の人は 
そういうことがわかって 
暮らしていたんだね」 

君は適当な事を言って、 
大麦から作られた 
カーリング(Carling)をグッと飲み干した  

2001年7月 東京からロンドンへきてまもなく 
君はグランビーストリートというところにある 
パキスタン人の経営する 
印刷会社の二階に 
日本人二人と暮らすようになる 

ロンドンの中心地 
SOHOのすぐちかく 
トッテナムコートロードから 
8番のバスにのり 
ゆられること20分ほど 
リバプールストリート駅をすぎた 

先 
あの悪名高き 
イーストエンド 
その昔ジャックロンドンが「どん底の人々(The people of the Abyss)」 
の中で、この文明時代にあって野獣以下の生活をしている 
と総括したイーストエンド 
1888年に切り裂きジャックが登場し 
今でも月に一度は死体があがるという 
ブリックレーンと 
Two lovely black eyesという曲にも登場する 
ベスナルグリーンロードが交差するところ 

パキスタン人が経営する 
印刷屋の二階に 
きみは日本人二人と暮らしていた 

君は四畳半ぐらいしかない 
狭い部屋に押し込まれて 
それが週払いで80ポンド(1万6千円) 
だという 
高いのか安いのか 
だいたいSOHOでこういった家の情報はみつかる 
ようになっていて 
ピカデリーサーカスの 
エロス像のすぐとなりに 
ジャパンセンターという 
日本人向けの 
があった

「イギリスの通りにはどんな 
小さなものでも名前がついているから 
AtoZを持ってれば大丈夫だ」 
と教えてくれた恩人もいた 
だから君もそれを買った 

本当にどんな通りにも名前がついていた 
通りの名前さえ分かればどこへでも行ける様になっている 
津軽から東京へ上京したばかりの太宰治は 
地図を見ながら 
「隅田川。浅草。牛込。赤坂。 
 ああなんでもある。 
 行こうと思えば、いつでも、すぐに行けるのだ。 
 私は、奇蹟を見るような気さえした。」 
と思ったと東京八景にあるが 
ロンドンについて何も知らない君でも 
これには随分感心した 

例えば大英博物館はGreat Russel Street 
というところにあってピカデリーサーカスから 
シャフテスバリーアヴェニューを0.3マイル程歩くと 
古本街で有名なチャーリングクロスロードにぶつかりそこで左折 
チャーリングクロスロードを0.3マイルまた 
歩き、ロンドンの秋葉原 
と呼ばれるトッテナムコートロードを左にみながら 
もう少し歩くとGreat Russel Streetの入り口に 
到着するので右折 
しばらくあるくとブルームズベリー通りをまたぐとそこに 
場違いなギリシア式の建物が見える 


だいえいはくぶつかん 
ねだんはむりょう(ただし2ポンド寄付せよと書いてある) 

この豪奢で無作為なコレクションを見ると 
「こんなものがここにあって良いのか」 
という気にもなってくる 
世界中の財産の集まる 
この町はどんな残酷な町なんだろう 

(しかし、そもそも国宝自体が、膨大な 
年貢(ねんぐ:customs)の集積だ 
華やみどりが養分を吸い取り、地味をつくりだすのと 
同じで 
文化も土臭い年貢から吸い取るだけ吸い取って 
ある瞬間に花咲く 
というのには変わりがない 
そんな金食い虫の触覚(しょっかく)を 
ちょいと折って拝借して 
標本にして飾ったからといって 
それがなんだというのだ 
) 

借金とはいえ、まだ持ち金があった君は 
こういった略奪行為にたいし 
純粋にこころをいためていた 
あるいはさっきのチャリングクロスロードを戻り 
エンバンクメントから、テムズ川のほとりを歩くと見える 
クレオパトラの針」という何のひねりもない 
名前で呼ばれているエジプトのオベリスクを見ては 
こころをいためる 

しかしそれが魂の腐敗の 
まず第一歩なのだ 

スタルジーは 
大量の 
テクノロジーの集積 
への感傷行為(メランコリィ:melancholiness) 

例えばミレーは 
1837年 大塩平八郎の乱の 
あった年、はじめて 
パリに来た日の事を 
このように回想する 

「私には 
パリが陰気で 
無味乾燥なところに思えた。 

まず 
下宿屋へ行って第一夜を送ったが、 
夜じゅう悪夢のようなものに襲われつづけた。 

故郷を見たり、 
また晩に暗いわが家で、 
祖母や母や妹が泣きながら、 
私のことを考えたり、 
私がパリの滅亡から脱れるように祈ったりして、 
紡いでいる姿を見た。 

すると呪うべき悪魔がまたやって来て、 
私をりっぱな画の前へと駆り立てた。 
その画はひじょうにみごとで輝かしいものに見え、 
それらが光栄の中に燃え上がって、 
聖なる雲の中に消えてゆくのを見たように思った。 

しかし目覚めてみると、 
周囲はまったく現世的であった。 
私の部屋は日光のさしこまない、 
悪臭をはなつ穴倉のようなものだった。 
私は起きると戸外へ飛び出した。 
もう明るくなっていて、 
もとの平静さと決心とを取りもどした。 
しかし悲しみは容易に去らず、 
ヨブの悲嘆が思い出された。 

私が生まれた日は滅びうせよ。 
男の子が胎にやどったと言った夜も 
そのようになれ 


」(ミレー「パリの思い出」) 


サクラは傷ついたところから 
腐り始めるという 
君はトラファルガー広場や 
その近くにあるナショナルギャラリー 
江戸時代から続いている 
レンガに囲まれた 
おとぎ話のような町を徒歩であるきながら 
その豪華さに驚いてから 
イーストエンドの汚い町に戻り 
のろまで小さいごきぶりととんでもなく 
臭いネズミがトコトコ歩き回っているごみためのような部屋で 
6本で4.99の水みたいなビールを呑む 
という生活をくりかえすうちに 
すこしずつだが こきざみに 
傷ついていく 
東京で過ごしていた生活 
と同等かそれ以下の 
混乱した状態になっていく 

君は東京での仕事を辞め 
ロンドンに来ていた 
君は
”平均的な”日本人労働者だ

勤続年数は四年 
年収は318万円ほど もろもろ差し引くと 
月収は手取りで20万円ほど 
そこから”平均的な” 都内近郊 
のアパートで 
65,682円の家賃を払い 
食費は昼にホカ弁(ほっかほっか弁当) 
夜に吉野屋の牛丼か 
マクドナルドのダブルチーズバーガーのバリューセットか 
松屋のカレーぎゅうと 
深夜コンビニのおやつで一日の食費は二千円ぐらい 
あとはCDと本を買い、たまにレンタルのビデオを借りたり 
できたばかりのまんが喫茶に通い 
週末はともだちとつぼ八や和民(わたみ)で 
酒をのんで暮らしていた 

夏には西武デパートの10階にあるビヤガーデンにつどい 
秋には自宅で焼酎をのみ 
冬には他人の家で鍋をつついて 
春には公園で花見をする 
蓄えはあまりない 
行き当たりばったりの生活だったが 
東京での 
”平均的”な市民生活に 君は 
何ひとつ不満はなかった 
「自分で稼いだ  
自分のお金で 好きなものを買い  
自分の 好きな事をする」 
2000年(ミレニアム)の東京都の一般会計予算は 
6兆円弱  
君はその東京という場所の 
地味を作り出すのにひとしれず貢献する 
くさのねの一人だった 

だが 君は 
6月に入ったボーナスとわずかばかりの蓄えを使って 
H.I.Sで一年間有効なオープンチケット(決められた期間内で 
自由に帰りの日を決められるチケット)を 
174,000円で買い 
 語学学校に一年間通うためこれまた 
1430ポンド用意し 
入国に必要だという 入学証明書を語学学校から送ってもらい 
さらに入国審査に必要だといわれた 
残高証明として100万円を 
用意して 
(残高証明がなく、語学学校に通うといえば 
入国させてくれない可能性があるといわれた 
からだ) 
イギリスに行く事にする 

出たばかりのボーナスと 
わずかな貯金を方々への返済と 
旅券代と生命保険12ヶ月分にわりあてて 
八畳1Kで家賃が\65,682のアパートの敷金の 
戻りが8万円で 
そこから必要なものを買い 
旅行鞄が1万二千円と、240V変圧器8600円などなど 
使って行くと 

残高証明のための100万円どころか 
貯金はもう底をついていた 
きみはみずほ銀行から教育ローン(無担保型)という商品名のローンで 
100万円借りることにする 

”見せ金”という名目で変動6.875%の金利の商品で 
とりあえずまとまった金が入った君の金銭感覚は 
イーストエンドでの最低の生活もあってか 
2001年8月ごろには 
完全に破綻していた 

「その金をすぐに返すんだ、 
でなきゃいまに恐ろしい事になるぞ」 

ときみの理解者は長距離電話で忠告したが 
きみの心にはむなしく響いただけだった 

2001年当時、ロンドンは1ポンド180円ほど 
丁度百円払うのに、二百円払っているような感覚を 
毎日おぼえていた 
英語が喋れないので仕事は見つからないと決めつけていて 
英語が喋れないので学校もよくわからずに 
ビールの買い方だけは覚え 
ビールをのんでいた 

「 
私が生まれた日は滅びうせよ。 
男の子が胎にやどったと言った夜も 
そのようになれ 
」(ヨブ記) 

仕事はなく、生活は破綻していく 
ビールだけが楽しみとなり 
同居している日本人二人(彼らは学生だ) 
と呑みつぶれる毎日 

君はそんな男ではない 
私の知っている君はそんなじゃなかった 
そもそも君は 
なぜよく知らぬ 
こんな都市へ 
来たのか? 

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※内容はすべてフィクションなので気をつけよう 


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