目次
陰の流れ 愛洲移香斎 第三部 本願寺蓮如 - 目次
陰の流れ 愛洲移香斎 第三部 本願寺蓮如
陰の流れ 愛洲移香斎 第三部 本願寺蓮如
陰の流れ 愛洲移香斎 第三部 本願寺蓮如
陰の流れ 愛洲移香斎 第三部 本願寺蓮如
陰の流れ 愛洲移香斎 第三部 本願寺蓮如
陰の流れ 愛洲移香斎 第三部 本願寺蓮如
陰の流れ 愛洲移香斎 第三部 本願寺蓮如
陰の流れ 愛洲移香斎 第三部 本願寺蓮如
陰の流れ 愛洲移香斎 第三部 本願寺蓮如
陰の流れ 愛洲移香斎 第三部 本願寺蓮如
陰の流れ 愛洲移香斎 第三部 本願寺蓮如
陰の流れ 愛洲移香斎 第三部 本願寺蓮如
陰の流れ 愛洲移香斎 第三部 本願寺蓮如
陰の流れ 愛洲移香斎 第三部 本願寺蓮如
陰の流れ 愛洲移香斎 第三部 本願寺蓮如
陰の流れ 愛洲移香斎 第三部 本願寺蓮如
陰の流れ 愛洲移香斎 第三部 本願寺蓮如
陰の流れ 愛洲移香斎 第三部 本願寺蓮如
陰の流れ 愛洲移香斎 第三部 本願寺蓮如
陰の流れ 愛洲移香斎 第三部 本願寺蓮如
陰の流れ 愛洲移香斎 第三部 本願寺蓮如
陰の流れ 愛洲移香斎 第三部 本願寺蓮如
陰の流れ 愛洲移香斎 第三部 本願寺蓮如
陰の流れ 愛洲移香斎 第三部 本願寺蓮如
陰の流れ 愛洲移香斎 第三部 本願寺蓮如
陰の流れ 愛洲移香斎 第三部 本願寺蓮如
奥付
奥付

閉じる


試し読みできます

陰の流れ 愛洲移香斎 第三部 本願寺蓮如

表紙画像

試し読みできます

陰の流れ 愛洲移香斎 第三部 本願寺蓮如

 

陰の流れ

愛洲移香斎

井野酔雲

 


試し読みできます

陰の流れ 愛洲移香斎 第三部 本願寺蓮如

第三部 本願寺蓮如

 


試し読みできます

陰の流れ 愛洲移香斎 第三部 本願寺蓮如

蓮如

 

 

 

 

 毎日、うっとうしい雨が降っていた。

 蒸し暑くて、やり切れなかった。

南無なむ阿弥陀仏あみだぶつ‥‥‥」

 風眼坊ふうがんぼう舜香しゅんこうは雨を眺めながら、独り呟いた。

「南無阿弥陀仏‥‥‥か、どうも、わしには合わんのう‥‥‥」

 風眼坊は加賀の国(石川県南部)江沼郡の山田光教寺の門前にある多屋たやと呼ばれる宿坊にいた。

 火乱坊からんぼうの多屋であった。

 その多屋には火乱坊の家族が住み、下男や下女も数人いて、光教寺に参拝に来た門徒もんとたちの世話をしていた。今朝早く、近江おうみ(滋賀県)から来たという門徒が七人帰って行き、今晩、また、越中(富山県)の方から数人の門徒が来るらしいが、今は客間には風眼坊しかいなかった。

 火乱坊の家族は女房のおつた、十六歳になる息子の十郎、十四歳になる娘のおあみ、十二歳になる娘のおちか、八歳になる娘のおいさがいた。息子の十郎は本願寺ほんがんじ法主ほっす蓮如れんにょのいる吉崎よしざき御坊ごぼうの方に修行に出ていると言う。三人の娘は母親を手伝って門徒たちの世話をしていた。

 火乱坊は、ここでは慶覚坊きょうがくぼうという名前だった。真宗門徒となった時、蓮如より貰った法名だと言う。その慶覚坊は朝早く、用があると言って吉崎に出掛けて行った。ここから吉崎までは四里程(約十二キロ)の距離だった。

 風眼坊は客間の縁側から、ただ、ボーッとして雨に濡れた庭を見ていた。昨日の昼頃、ここに着き、昨夜は久し振りに慶覚坊と酒を飲んで、昔の事など懐かしく語り合った。

 慶覚坊が先頭になって昨日の晩と今朝早く、門徒たちと念仏を唱えていたが、風眼坊は一緒に念仏を唱える気にはならなかった。慶覚坊は、そのうち面白い事が始まるから、今のところはのんびりしていてくれ、と言うだけで、特に念仏を勧めるわけでもなかった。

 風眼坊は十日程前、浄土真宗本願寺派の親玉、蓮如に会うため、慶覚坊と共に大峯山を下りた。まず、近江の国、大津の顕証寺けんしょうじに行き、蓮如の長男の順如じゅんにょと会い、堅田の本福寺ほんぷくじで、慶覚坊の義理の父親の法住ほうじゅうという坊主と会った。

 法住はもう八十歳に近いというが、なかなか貫禄もあり、威勢のいい爺さんだった。さすがの慶覚坊も、この親父には頭が上がらないようだった。法住はただの坊主ではなく、湖賊こぞくと呼ばれる琵琶湖上を舟で行き来する商人の頭でもあった。

 慶覚坊と風眼坊は堅田から舟に乗り、琵琶湖を渡って海津まで行き、山を越えて敦賀に出て、越前の国(福井県)を通り抜けて、越前の国の再北端、加賀の国との国境近くにある、蓮如のいる吉崎御坊に向かった。

 蓮如が吉崎の地に来て、まだ三年しか経っていないのに、門前町は人で溢れる程、繁盛していた。本願寺の別院、吉崎御坊は三方を北潟湖きたがたこに囲まれた山の上に建っていた。天然の要害と呼べる地であった。

 多屋の建ち並ぶ中の参道を行くと大きな門があり、そこから坂道を登って行くと本坊へと出る。広い境内に阿弥陀堂(本堂)、御影堂ごえいどう、書院、庫裏くり鼓楼ころう、僧坊などが建っていた。

 二ケ月程前に火事があり、本坊はほとんど燃え、多屋も九軒燃えてしまったが、あっと言う間に再建されて、風眼坊が来た時には、まだ木の香りのする新しい建物が並んでいた。

 蓮如は留守だった。

 布教のために出掛けていると言う。今朝早く、菅生すごう(加賀市)の道場に出掛けたが、いつ戻るのかは分からないと言う。

 慶覚坊の話だと、蓮如はすでに六十歳になるが、足が達者で、暇を見つけては布教の旅に出て、門徒たちと直接、話をしたり、聞いたりしていると言う。菅生まで行ったのなら、息子の蓮誓れんせいに会いに山田光教寺まで足を伸ばすかもしれないと言った。

 慶覚坊の話を聞いて、風眼坊は自分が考えていた蓮如像と、実際の蓮如はちょっと違うらしいという事に気づいた。本願寺の法主というからには、どうせ、大きな寺の中で、派手な法衣ほうえを着て、偉そうに踏ん反り返っている奴だろうと思っていた。しかし、これだけ吉崎御坊が流行っているにも拘わらず、まだ、自分の足で布教して歩いているとは驚きだった。

 風眼坊は蓮如に会うことなく吉崎を後にして、慶覚坊と共に山田光教寺に向かった。

 山田光教寺は蓮如の四男、蓮誓の寺だった。蓮誓はまだ二十歳の若者で、つい最近、嫁を貰ったばかりだった。蓮如は光教寺には来ていなかった。

 浄土真宗は開祖、親鸞しんらんのお陰で僧侶の肉食妻帯を許す宗派だった。蓮誓は蓮如の七番目の子供だった。

 慶覚坊は蓮誓の後見人として、この山田光教寺に来ていた。蓮如から、かなり信頼されているようだった。

 昨夜、一緒に酒を飲んで、どうして真宗の門徒になったのか、と聞いてみたら、慶覚坊は照れくさそうに笑って、女房のせいさ、と言った。

 成程、と風眼坊も納得した。

 以前、栄意坊から、火乱坊が真宗の門徒になって叡山えいざん(天台宗総本山延暦寺)を相手に暴れていると聞いた時は、火乱坊と真宗の門徒というのが、どうもピンと来なかったが、その間に女がいたと聞いて風眼坊にも納得できた。

 風眼坊と火乱坊は二十歳の頃、飯道山において、高林坊、栄意坊と共に『四天王』として活躍した。剣の風眼坊、棒の高林坊、槍の栄意坊、薙刀なぎなたの火乱坊と呼ばれ、今の飯道山の基を築いた四人だった。

 火乱坊は近江と美濃(岐阜県中南部)の国境にある伊吹山の山伏だった。四年程、飯道山で薙刀を教えていた火乱坊は、風眼坊と共に山を下りて旅に出た。関東の地を巡り、二人は常陸の国(茨城県北東部)で別れ、風眼坊は熊野に帰り、火乱坊はさらに奥州(東北地方)まで足を伸ばした。その時、別れて以来、大峯の山上さんじょうで出会うまで、二十年近くの歳月が流れていた。

 奥州を歩き回って、近江に帰って来た火乱坊は、京にでも出ようかと琵琶湖の湖畔の堅田まで来た時、ばったりと、今の女房、おつたと出会った。

 一目惚れだった。

 火乱坊は京に行く事など、すっかり忘れて堅田に居着いてしまった。

 おつたは本福寺の住職、法住の末娘だった。火乱坊はおつたと一緒になるために山伏もやめ、本願寺の門徒となった。法住の婿となった火乱坊は洲崎すのざき藤右衛門とうえもんという俗名に戻り、法住の仕切っている琵琶湖の運送業を任された。

 藤右衛門は幸せだった。

 薙刀をに持ち代えて、毎日、琵琶湖を行き来していた。

 そんな時、藤右衛門は法住に連れられて、大谷の本願寺を訪ねた。その当時の本願寺は寂れていた。門徒など誰一人、訪れる事なく、ひっそりとしていた。蓮如の父親、存如そんにょがまだ生きていて、蓮如はすでに四十歳を過ぎているのに部屋住みの身だった。

 藤右衛門は法住と共に頻繁に大谷本願寺に訪れるようになった。やがて、存如が亡くなり、蓮如が本願寺八代目の法主となった。法主となった途端に、蓮如は積極的に布教活動を始めた。

 寛正かんしょう二年(一四六一年)、蓮如は大谷本願寺において親鸞しんらん聖人しょうにんの二百回忌を大々的に行なった。蓮如が生まれて以来、初めて本願寺が門徒たちで賑わった。その年、藤右衛門は蓮如のもとで出家して本願寺の坊主となり慶覚坊と名乗った。寛正四年には蓮如の供をして高野山、吉野方面に布教の旅をした。

 寛正六年に大谷本願寺が叡山の衆徒しゅうとに襲われて破壊された。慶覚坊となった藤右衛門も法住と共に薙刀を担いで駈け付けたが、すでに遅く、本願寺は跡形もなく壊されていた。蓮如たちは皆、避難していて無事だったが、せっかく盛り返して来た本願寺が破壊されたのは残念な事だった。

 その後、蓮如は琵琶湖周辺の門徒の道場を点々としていた。

 やがて、応仁の乱が始まり、琵琶湖周辺にも戦乱が及んだ。蓮如は戦乱を避けながら、家族ともばらばらになり、一ケ所に落ち着く事なく移動していた。

 応仁二年(一四六八年)の春、ようやく落ち着く場所が見つかり、蓮如は家族と共に大津に移った。蓮如たちが大津に移って、しばらくして叡山の衆徒が堅田を襲い、堅田の町は全焼してしまった。堅田の人たちは皆、舟で沖の島まで逃げた。

 慶覚坊は叡山の僧兵や坂本の馬借ばしゃくたちを相手に薙刀を振り回して活躍したが、火には勝てず、沖の島に避難した。しばらくの間、慶覚坊の家族も堅田の住民たちと一緒に、そこで暮らす事となった。

 その年の夏、慶覚坊は蓮如の供をして北陸を経て関東へと五ケ月近く、布教の旅をして回った。その後も、蓮如が遠出する時は必ず、慶覚坊も供をした。

 そして、文明三年(一四七一年)五月、蓮如の供をして加賀の国に来て、七月に吉崎御坊が完成すると蓮如は吉崎に入り、慶覚坊は蓮誓の後見人として山田光教寺に来たのだった。

 慶覚坊がここに来て、すでに三年が経ち、慶覚坊は蓮誓を守り立て、蓮誓と共に布教の旅にも出て門徒を増やして行った。光教寺には見る見る門徒たちが集まり、吉崎に負けない位、賑わっていた。

 慶覚坊が吉野に行ったのは、吉野の門徒へ蓮如の書いたろく名号みょうごうを届けるためと、熊野の牛王紙ごおうしを仕入れるためだった。

 最近は、百姓たちだけでなく、百姓を支配している国人こくじん地侍じざむらいたちの武士が本願寺の門徒になる事が多くなって来ていた。彼らは信心から門徒になるわけではなく、門徒にならざるわけにはいかない状況に追い込まれて門徒になるのだった。

 自分の支配下にいた百姓たちが次々と本願寺の門徒となって行き、それを止める事は支配者と言えども不可能な事だった。彼らが今まで通りに百姓たちを支配して行くには、実力を持って百姓たちを押えるか、自ら門徒となって本願寺の組織の中で百姓たちを支配するか、以外に道はなかった。

 門徒となった百姓たちは、今までの百姓とは違っていた。今までの百姓は村と村のつながりは、それ程、強くはなかった。かえって、隣村とは用水などを巡っての争い事が絶えなかったと言っても良かった。ところが、門徒となった百姓たちはこうと呼ばれる門徒たちの集会によって結ばれ、村と村の交流が盛んになって行った。同じ門徒という事で、今まで交流のなかった離れた村の者たちとも付き合うようになり、村と村は強力に結ばれて行った。もし、支配者が力を持って百姓たちを支配しようとすれば、自分の支配下の百姓だけでなく、門徒たち、すべてを敵に回さなければならないという状況になっていた。支配者たちは自らも門徒となり、本願寺の組織の一員として、今まで通り、百姓たちを支配して行く道を選んだ。

 本願寺としては、門徒となりたいと言う者を断るわけにもいかず、自分の勢力を拡大するために門徒たちを利用してはならない、という事を誓わせてから門徒とした。その起請文きしょうもんを書かせるのに熊野の牛王紙を必要としたのだった。

 浄土真宗では阿弥陀如来の他の神や仏は認めてはいないが、相手が武士なので、起請文として一般的に通用する熊野牛王紙を選んだのだった。

 また、武士だけではなく、他の宗派の寺院にしても同じ事が言えた。当時の寺院は、ほとんどが国人や郷士ごうしと呼ばれる在地武士と結び付き、彼らから土地を与えられて保護され、その土地からの年貢で生計を立てていた。ところが、領地の百姓たちが次々と本願寺門徒となってしまい、他の宗派の寺院に年貢など払う必要ないと思うようになって行った。以前だったら、少し威せば素直に従った百姓たちが、門徒になってからは、そうは行かなくなった。百姓たちは徒党ととうを組んで反抗するまでに成長していた。それだけではなく、頼みとする武士までも門徒となってしまっては、寺院としても背に腹は変えられないと、今までの宗派を捨てて本願寺の坊主となって行った。

 当時の村というのは、現在のように行政機関の一部としての村には、まだ成長していなかった。一つの村に幾つもの荘園があり、支配者が何人もいて、まとまりがなかった。

 一つの荘園に複数の支配者がいる場合もあり、また、一人の百姓が幾つもの荘園にまたがって田畑を耕している場合もあった。そして、荘園領主というのは京の都にいて、現地に代官を置き、年貢の取り立てを任せていた。やがて、守護大名の武力によって荘園制度はだんだんと崩れて行くが、土地で働いている百姓に取っては支配者が変わるだけで何の変化もなかった。しかし、農業技術の向上と農業器具の一般化によって、百姓たちも少しづつ力を持って行った。

 やがて、応仁の乱となり、各地で戦乱が始まった。百姓たちはただ戦乱から逃げ惑うだけでなく、自ら身を守る事を覚えた。また、百姓たちを指揮する立場の者たちも現れていた。彼らは代官として、その地に行き、土着して勢力を広げ、百姓と支配者の間に立って来た者たちだった。彼らは今までの支配者たちと違い、土地に密着して百姓たちを直接、支配して行くようになった。国人とか郷士とか言われる土着の武士だった。

 一つの村が一人の支配者によって支配されるようになると、その村の百姓たちも村を守るために団結するようになって行った。しかし、まだ、村と村同士の交流はあまり盛んではなかった。そんな状況の中、蓮如の布教する本願寺の教えが広まって行った。

 蓮如の教えは簡単だった。

 今まで、宗教など縁のなかった下層百姓は勿論の事、山や海や川の民にまで広まって行った。門徒は講という寄り合いに集まり、蓮如の教えを聞いた。門徒になれば誰でも講に参加できた。各地に道場ができ、門徒たちはお互いに交流を結んだ。今まで知らない者たちが同じ門徒という事で話を交わし、つながりを持つようになって行った。

 講によって村は一つの共同体となり、門徒にならなければ村の一員として認めてもらえないようになり、門徒の数は見る見る増えて行った。

 

 風眼坊は縁側から雨を眺めながら、「さて、これから、どうするか」と思った。

 山を勇んで下りたのはいいが、蓮如とも会えず、さし当たってやる事はなかった。

「風眼坊様」と慶覚坊の娘、おあみが客間の掃除をしながら声を掛けて来た。

「はあ」と風眼坊は、おあみの方を見ながら気のない返事をした。

「風眼坊様は、お上人しょうにん様のお弟子さんじゃないん?」おあみは興味深そうに風眼坊を見ていた。目がくりっとしていて、母親似の可愛い娘だった。

「ああ、わしは山伏じゃよ」と風眼坊は答えた。

「お父さんと、どこでお会いになったんですか」

「もう、ずっと前じゃ。その当時は、お父さんも山伏じゃった」

 おあみはうなづいた。「お母さんから聞いた事あるわ。でも、ずっと昔でしょ」

「そうじゃな。もう二十年も前の事じゃ」

「二十年も前‥‥‥」おあみはそう言って庭にある池の方を眺めた。風眼坊に視線を戻すと、「二十年前のお父さんて、どんなだったん」と聞いた。

「そうじゃのう。まあ、とにかく強かったのう」

「今も強いわ」とおあみは笑って、「他には?」と聞いてきた。

「他にはのう。まあ女子おなごによく持てたのう」

「ふうん‥‥‥お父さん、持てたんだ‥‥‥」

「ああ、持てたさ。いい男じゃったからのう」

「おじさんより?」

「ああ、わしよりな。おあみちゃんて言ったかな、話は変わるけど、おあみちゃんは蓮如殿に会った事はあるのかい」

「お上人様ですか、ええ、会った事ありますけど‥‥‥」

「お上人様っていうのは、どんな人だい」

「どんな人って、偉いお人よ」

「まあ、そりゃ、偉いだろうけど、どんな風な人なんだい」

「そうねえ」とおあみは少し考えてから、「偉いお人なんやけど、偉そうにしてないお人やね」と言った。

「ふうん‥‥‥」

「あたしね、ここに来るまで、あのお人がお上人様だって知らなかったの。堅田にいた頃、何回か、お上人様に会ったの。でも、あたし、そんな偉いお人だなんて知らなくて、ただ、近所のどこかにいる面白いお坊さんだと思ってたの。ここに来てから、みんなで吉崎のお上人様に挨拶に行ったの。広いお部屋に案内されて、偉いお上人様って、どんなお人なんだろうと思っていたら、堅田にいた頃、何回か会った、あのお坊さんが出て来たんだもの。あたし、びっくりしちゃった」

「偉いけど、偉そうにしてないか‥‥‥」

「うん。ここのお寺さんにも何回か来たけど、前の方に座って、お説教するんじゃなくて、門徒さんの人たちの中に入って、みんなと一緒にお話してたわ」

「ほう‥‥‥」

「おじさん、吉崎には行かなかったん」

「行ったけど、お上人様はいなかった」

「そう。また、ふらふらと、どこかに行ったのね、きっと」

「おあみ!」と母親が呼んでいた。

「いけない」と言って、おあみは笑うと台所の方に行った。

 風眼坊はまた雨を眺めると、「南無阿弥陀仏‥‥‥」と呟いて首をひねった。

 

 

 

 夕方になり雨が止んだ。

 風眼坊はふらっと外に出た。

 雨が止んだせいか、光教寺への参道には遠くから来たらしい門徒たちや、近くから来た漁師たちが行き交っていた。近くと言っても、ここから海までは一里程(約四キロ)ある。それでも、日に焼けた顔をした漁師たちが話をしながら続々と光教寺の方に向かって歩いていた。風眼坊も光教寺へと行ってみた。

 昨日、慶覚坊と一緒に光教寺に行った時は、すでに暗くなっていたので、寺もひっそりとしていたが、今は門徒たちが大勢集まって本堂の中で何やら楽しそうに話をしていた。

 本堂といっても仏像があるわけでもなく、中央に『南無阿弥陀仏』と書かれた掛軸と偉そうな坊主の絵の描かれた掛軸が掛けてあるだけで、ひっそりとしたものだった。あの絵に描かれているのが蓮如なのだろうか、と風眼坊は思った。

 一応、天台宗に属している風眼坊から見ると、これが本願寺流の寺院なのか、と不思議な感じがした。風眼坊が見慣れている寺院には本尊があり、その回りにも何体もの仏像がいて、護摩壇ごまだんがあり、数多くの仏具が並び、重々しい雰囲気があった。ところが、ここにはそんなものは何もなく、ただの広間に過ぎなかった。広間にしても、必ず、上段の間というのが上座にあるものだが、ここには、それすらもなかった。しかも、門徒たちは気楽に本堂に上がって世間話をしている。風眼坊には理解できない事だった。

 風眼坊は本堂をちらっと覗くと、裏にある庫裏の方に向かった。

 庫裏からは、うまそうな匂いが漂って来た。台所を覗くと蓮誓の若い妻、如専にょせんが二人の下女を使って、てきぱきと働いていた。まだ、嫁に来たばかりだと聞いていたが、若いわりには、しっかりした娘だった。

 風眼坊に気づくと頭を下げて、近づいて来た。「何か‥‥‥」

「いや、あの蓮誓殿はおりますか」と風眼坊は聞いた。

「はい、居間の方にいると思いますけど。何か御用でしょうか」

「いえ、用という程の事ではありませんが、わしには、どうもまだ、本願寺の教えと言うのがよく分からんのですよ。わしは大峯の山伏で、慶覚坊とは古い知り合いです。二十年振りにばったり会って、一緒にここまで来たんじゃが、どうも、よく分からんのじゃよ。慶覚坊の奴は今朝早くから吉崎の方に行ったきり帰って来ん。そこで、蓮誓殿から本願寺の教えというのを聞きたいと思って来たわけじゃが」

「そうだったのですか。あたしは、てっきり、門徒のお方かと思っておりました。慶覚坊様と一緒に行者ぎょうじゃさんに化けていたのかと思っておりました。ほんとの行者さんだったのですか」

「慶覚坊は行者に化けていたんですか」

「ええ。行者さんに化けて、この間の火事の下手人げしゅにんを捜しに豊原寺とよはらじに行くって聞いておりましたから」

「火事っていうのは吉崎の火事の事ですか」

 如専は頷いた。

「下手人は山伏だったのですか」

「よく分かりませんけど、そういう噂です」

「成程、それで、わしらが吉崎を歩いていた時、回りから変な目で見られたんじゃな」

「この辺りはまだ、大丈夫ですけど、吉崎辺りをその格好で出歩くと危険ですよ。吉崎の多屋には結構、血の気の多いのが、かなり、いるそうですよ」

「そういうわけじゃったのか」

 如専は頷いて、「もうすぐ、本堂で、上人様が法話をしますけど、その格好では出ない方がいいですよ」と言った。

「蓮誓殿が法話をなさるのですか」

「はい。そうです」

「毎日、なさっているのですか」

「ここにいる時は毎日です」

「成程、大変ですな」

「お勤めですから」と如専は当然の事のように笑って、風眼坊を蓮誓のいる居間に案内してくれた。

 蓮誓は文机ふづくえの前に座って何かを写していた。写経しているのかと思ったが、お経ではなかった。何か、手紙のような物を写している。

 如専は風眼坊を案内すると、また台所に戻って行った。

「なかなか、働き者の嫁さんじゃな」と風眼坊は如専を見送りながら蓮誓に言った。

「はい。よく働きます。大叔母にそっくりですよ」と蓮誓は笑った。

 如専は大叔母の勝如しょうにょの姪だった。蓮誓は七歳の時、大叔母のいる加賀二俣ふたまた本泉寺ほんせんじに預けられた。まだ、父の蓮如が部屋住みの頃で、貧しくて子供たちを手元で育てる事ができず、仕方なく手放したのだった。大叔母に預けられたのは蓮誓だけでなく、次男の蓮乗れんじょう、三男の蓮綱れんこうもそうだった。蓮誓より下の兄弟は手元で育てられたが、蓮誓より上の兄弟は、長男の順如以外は皆、どこかに預けられたのだった。

 勝如の亭主は如乗にょじょうといい、すでに亡くなっていたが、北陸の地に本願寺の教えを広めるのに貢献したのが如乗だった。蓮如が北陸の地を選んで吉崎に来たのも、叔父の如乗の活躍のお陰だった。

 蓮誓は加賀の二俣本泉寺において、勝如から二人の兄と一緒に本願寺の教えを学び、育てられた。姪の如専は、その本泉寺のすぐ近くに住んでいて、小さい頃より本泉寺に手伝いに来ていた。寺の中で育ったのも同じで、寺の台所仕事は慣れたものだった。

 蓮如は北陸に進出して来て、吉崎の地に本願寺の別院を建てる事に決めると、蓮誓に慶覚坊を付けて吉崎に送り込んだ。別院が完成するまでの二ケ月余りの間、蓮誓は北潟湖に浮かぶ小島、鹿島明神の堂守りという名目で滞在し、慶覚坊と共に海辺を中心に布教して回った。その頃、蓮如は本泉寺を拠点にして布教活動を行なっていた。そして、別院が完成すると吉崎に移り、蓮誓を山田光教寺に入れたのだった。

 蓮誓が、そんな身の上話を風眼坊にしている時、太鼓の音が鳴り響いた。

「お勤めの時間です。すみませんけど、少し待っていて下さい」と言って蓮誓は出て行った。

 風眼坊は蓮誓の話を聞きながら、息子の光一郎の事を思い出していた。弟子の太郎のもとに送ったが、今頃、何をしているのだろう。飯道山に行ってから、もう一年以上が経っている。飯道山の修行は一年だった。一年経っても帰って来ないので、少し心配になって、こっそり飯道山に行って様子を見てやろうと思ったが、何となく、息子に会いに行くのが照れ臭くて行けなかった。

 ここに来る途中も、飯道山の側を通りながら飯道山には寄って来なかった。慶覚坊が飯道山に寄ってみるか、とでも言えば寄って来たのだが、慶覚坊は飯道山の事などおくびにも出さなかった。まあ、息子は息子なりに何とかやっているだろう、と会うのを諦めて、ここまで来たのだった。

 自分の息子と目の前にいた蓮誓を比べて見て、何となく、蓮誓の方がしっかりしているように思えた。

 蓮誓は何を写していたのだろう、と風眼坊は文机の上を覗いてみた。

 手紙のようだが、どうも手紙ではないらしい。教えのような事が、誰にでも読めるように片仮名まじりで書いてあった。

「それ、当流親鸞聖人の勧めましますところの一義の心というは、まず他力の信心をもて肝要とせられたり‥‥‥」

 親鸞聖人とは一体、誰なのか、風眼坊には分からなかったが、最後まで読んでみる事にした。最後まで読んでみて、なぜか、風眼坊の心を打つ物があった。実に分かり易く、本願寺の教えが書いてあった。これなら、何の教養のない者たちでも、聞いていれば、すぐ分かる単純な教えだった。

 風眼坊も勿論、阿弥陀如来は知っていた。熊野の本尊は阿弥陀如来だし、飯道山の本尊も阿弥陀如来だった。しかし、阿弥陀如来というのが、どんな仏様なのか、考えた事もなかった。他の仏様と同じように人々を救ってくれる仏様で、『南無阿弥陀仏』と唱えれば極楽に往生ができるというので、信者たちは何かと言うと『南無阿弥陀仏』と唱えているのだろうと思っていた。浄土宗やら、時宗やら、浄土真宗やら色々とあるが、みんな同じで、死んだ後の事など誰も分からないのをいい事に、坊主どもが、いい加減な事を言って、人々を惑わしているのだろうと思っていた。しかし、風眼坊が今、読んだ文には、阿弥陀如来は、すでに、すべての者を救っていると書いてあった。

 本願とは、人々が救ってくれと願うのではなくて、阿弥陀如来の方が、すべての人々を救うという願いを掛けられたのだと言う。すべての人々は、どんな悪人であろうとも、すでに阿弥陀如来に救われているのだと言う。そして、その事に気づいたら、感謝の気持ちをお礼の意味を込めて『南無阿弥陀仏』と唱えるのだと言う。助けてくれという気持ちで『南無阿弥陀仏』と唱えるのではなく、助けていただいて有り難うございますという気持ちで『南無阿弥陀仏』と唱えるのだと言う。

 風眼坊は繰り返し繰り返し、その文を読んだ。

 すべての人々は、すでに救われている‥‥‥

 こんな教えがあるのか‥‥‥

 凄い教えだと思った。

 風眼坊は天台宗の山伏だが、天台宗の教えは難しくて複雑で、何が何だかさっぱり分からなかった。やたらと難しくしている節さえある。ところが、この本願寺の教えは何と簡単で分かり易いのだろう。こんなに分かり易かったら門徒が増えるわけだった。

 蓮如は門徒を増やして、どうするつもりなのだろう‥‥‥

 風眼坊は、蓮如のような純粋な宗教者というのを知らなかった。宗教者の振りをしているが、一皮剥けば欲の固まりのような坊主しか、今まで会った事はなかった。風眼坊自身、今まで大峯の山上にいて、信者たちに偉そうな事を言っていたが、宗教心から言っていたわけではない。早い話が金儲けに過ぎなかった。信者を増やせば本山は儲かる。その手助けをしていたようなものだった。蓮如もやはり、金儲けのために門徒を増やしているのだろうと風眼坊は思った。

 しかし、すべての者は阿弥陀如来によって、すでに救われている、そして、感謝の気持ちをこめて『南無阿弥陀仏』と唱えるという教えは、風眼坊にも頷けるものがあった。

 風眼坊は長い間、山伏として自然の中で生きて来た。自然の中にいると、目に見えない大きな力というものを感じる。それは、人間の力ではどうする事もできず、また、言葉で説明する事もできない大きな力だった。そして、その大きな力に包まれて生きているという事に、自然と感謝の気持ちというのが涌いて来るものだった。その大きな力というのが、本願寺では阿弥陀如来なのだろうと思った。

 蓮誓が戻って来た。

 風眼坊は蓮誓と一緒に夕飯を御馳走になった。

 風眼坊が読んだ文というのは、蓮如が書いた『御文おふみ』と呼ばれるもので、本願寺では、お経の代わりになるものだと蓮誓は言った。そして、風眼坊の知らなかった親鸞聖人というのは、二百年前に浄土真宗を開いた聖人で、蓮誓とは血のつながりのある御先祖様だと言う。本堂に掲げてある絵像は、その親鸞聖人だった。

 親鸞は最初、天台宗の僧として比叡山に登って修行をしたが、納得がいかず、山を下りて法然ほうねんの念仏門に入った。法然のもとで、ひたすら念仏修行を続けていたら、他の宗派の圧力によって念仏禁止令に遭い、越後(新潟県)に流罪るざいになってしまう。流罪になった越後で妻を貰い、流罪が解かれた後は、関東の地に行って布教活動を行なった。

 親鸞の教えは徹底していて、阿弥陀如来のもとでは皆、平等だとし、弟子も作らず、寺も作らず、自分が死んだら墓もいらない、賀茂川に捨てて魚の餌食にしてくれとさえ言ったという。事実、親鸞は教えを広めても、寺も弟子も作らずに死んだ。

 親鸞の遺骨は賀茂川に捨てられはしなかったにしろ、特別な墓も作られず、京の葬送地、鳥辺野とりべのに埋められた。それではあまりにも哀れだと、親鸞の廟堂びょうどうを建てたのが、親鸞の末娘の覚信尼かくしんにだった。その廟堂が、やがて本願寺となり、覚信尼の子孫たちによって守られ続け、二百年後の蓮如の代になって、ようやく、花開く事になったのだった。

 父、蓮如は親鸞聖人様の教えを忠実に広めているのだ、と蓮誓は誇らしげに言った。そして、自分は父のする事を手伝わなければならないという使命感に燃えているようだった。

 風眼坊は蓮誓と話していて、同じ父親として蓮如が羨ましく感じられた。そして、前とは違った意味で蓮如という男と会ってみたいと思った。

 

 

 

 風眼坊は旅に出た。

 慶覚坊こと火乱坊は吉崎に行ったまま、その日は帰って来なかった。何をしているのか、次の日も帰って来なかった。奥さんや子供たちは、いつもの事だと平気でいるが、風眼坊の方は何もしないで、じっとしているのは苦手だった。せっかく、加賀の国まで来たのだから、白山はくさんにでも登って来るかと、ふらっと旅に出た。

 白山には、昔、一度だけ登った事があった。その時は越前の国(福井県)の平泉寺へいせんじ(勝山市)から登って、加賀の国の白山本宮(鶴来町)の方に下りた。白山への登り口はその二つと、もう一つ美濃の国の長滝寺ちょうりゅうじから登る参道があり、それぞれ、越前馬場、加賀馬場、美濃馬場と呼ばれていた。白山への正式な参道はその三つだったが、風眼坊がいる山田光教寺からは加賀馬場も越前馬場も遠かった。風眼坊は山の中に入り、かまわず東の方に進めば何とかなるだろうと気楽な気持ちで、大聖寺川に沿って登って行った。

 風眼坊は知らなかったが、山田光教寺の東二里程の所に白山三箇寺と呼ばれる三つの大寺院があり、そこからも白山への登山道があった。しかし、風眼坊にとって道など関係なかった。どんな山の中に入っても、長年の経験によって目的地に向かう事ができた。

 その日の昼過ぎ、風眼坊は山中の湯という湯治場に着いた。まだ、日も高かったが、久し振りにのんびりするかと、湯につかって遊女を呼んで楽しんだ。

 次の日は一日中、雨が降っていたので、そのまま温泉に滞在し、女と酒を楽しみ、その次の日、山奥の道で風眼坊は二人の乞食坊主と出会った。

 一人は六十歳を越えていそうな老僧、もう一人は三十歳位の体格のいい男だった。

 風眼坊は前を行く二人に追い付くと、何気なく声を掛けた。

 ただ、どこに行く、と聞いただけだったが、二人は警戒して風眼坊を見た。

 若い坊主は老僧を庇うように、持っている六尺棒を構えた。その構えを見て、なかなかできるな、と思った。こんな山奥を歩いているのだから、どうせ、時宗じしゅう遊行ゆぎょうひじりに違いない、と声を掛けたのだったが、山伏を見て警戒するとは、もしかしたら本願寺の坊主かな、と聞いてみた。

 逆に、若い坊主が、白山の山伏か、それとも豊原寺か、と聞いて来た。

「わしはここの者ではない。大峯の山伏じゃ」風眼坊は錫杖を突いたまま二人を見ていた。

「大峯というと、大和の大峯か」若い坊主が六尺棒を構えながら風眼坊を睨んだ。

「そうじゃ」と風眼坊は頷いた。

「大峯から来た者が、どうして、わしらが本願寺の者だと知っておる」

「知っておったわけじゃない。この間、吉崎に行った時、変な目で見られたからのう。本願寺の奴らは山伏を嫌っておると思ったんじゃ」

「何で、吉崎に行った」

「ただ、蓮如とかいう坊主に会いたかっただけじゃ」

「なに! 何の用で」若い山伏は今にも飛び掛りそうな剣幕だった。

「別に用などはない。ただの気まぐれじゃ」

慶聞坊きょうもんぼう、もういい」と老僧が言った。

「しかし‥‥‥」

「そのお人は、わしらに害を及ぼす気はないようじゃ」

「さすが、年寄りは物分かりがいいようじゃな」風眼坊は老僧を見て笑った。

「それに、そのお人はなかなか強い。おぬしが相手をしても負けるかもしれん」

「そんな事はありません」

「争い事は避けるべきじゃ」と老僧は首を振って、「ところで、大峯の行者殿が、どうして、こんな所を歩いてなさるのじゃ」と風眼坊に聞いた。

「白山の登ろうと思っての」

「嘘つくな、こんな所を通って白山など行けはせん」と慶聞坊と呼ばれた坊主が怒鳴った。

素人しろうと衆はそう思う。しかし、わしら山伏にとっては、山はみんな、つながっておる。山の中にはのう、わしらしか知らん道があって、そこを通れば、どこにでも行けるんじゃよ」

「山伏の道か‥‥‥」と老僧が言った。

「いや、山伏だけじゃないがのう。山の中で暮らしている者たちは、みんな、知っておる」

「成程のう、そんな道があるのか‥‥‥」

「本願寺の坊主というのは、こんな山奥まで入って布教をしておるのか」と今度は風眼坊が聞いた。

「人がおる所なら、どこにでも行く」と慶聞坊が答えた。

「なぜじゃ」

「教えを広めるためじゃ」

「広めて、どうする」

「人々を救うんじゃ」

「救って、どうする」

「どうもせん。教えを広めるのが、わしら、坊主の使命じゃ」

「ふん、使命か。そんな事をして何の得がある」

「得があるから、やっておるわけじゃない」

「信じられんのう」

「そなたは山伏をやっておって、何の得があるんじゃな」と老僧が聞いた。

「得か‥‥‥」と風眼坊は考えてみた。「得など別にないのう」

「得などないのに、どうして、山伏なんぞやっておるんじゃ」

「ふむ、こいつはやられたのう。そんな事、今まで考えた事もなかったわ」

「人は損得で動くものとは限らんのじゃよ。わしら、本願寺の坊主は阿弥陀如来様が差し向けたお使いの者じゃ。阿弥陀如来様の尊い教えを下々の者たちの間に広め、人々を救う事がお勤めなんじゃ」

「お勤めね。しかし、門徒が増えれば本願寺が儲かる事も事実じゃろう。あの吉崎の繁栄振りじゃと、そうとう儲かっておるに違いない」

「おぬし、何と言う罰当たりな事を言うんじゃ」慶聞坊が目を吊り上げて怒鳴り、棒を振り上げた。

「まあ、落ち着け、慶聞坊」老僧は慶聞坊をなだめて、「そなたの言う事はもっともな事じゃ」と風眼坊に頷いた。「しかし、上人様は決して、門徒たちが下さる、お志しが目当てで教えを広めておるわけではない。教えを広めた結果として、門徒たちが吉崎に集まって来て、あのような状態になってしまったんじゃ。上人様は返って、門徒たちが集まって来る事に迷惑なされておるようじゃ」

「どうして、迷惑なんかするんじゃ」

「上人様は争い事を好まん。あれだけ吉崎が賑わってしまうと、白山の衆徒や豊原寺、平泉寺の衆徒が本願寺を妬んで騒ぎ出すんじゃよ。上人様は京や近江にいた時、叡山の衆徒たちと争って、ひどい目に会っておる。もう、二度と天台宗とは争いたくはないんじゃよ」

「ふうん。おぬしたち、随分と上人様に詳しいようじゃのう。そうは見えんが、もしかしたら本願寺の中で偉い坊さんなのか」

「本願寺の坊主に偉いとか、偉くないとか、そんな階級なんぞ、ありゃせん。皆、同じ、坊主じゃ。皆、阿弥陀如来様のお使いじゃ」

「本願寺には階級などないのか」

「そうじゃ、阿弥陀如来様のもとでは皆、平等なんじゃ。坊主だからと言って門徒たちよりも偉いというわけでもない。皆、同朋どうぼうなんじゃ」

「皆、同朋? 公家や武士や百姓も皆、同朋なのか」

「そうじゃ」と老僧は頷いた。「阿弥陀如来様のもとでは皆、同朋じゃ。浄土真宗の開祖親鸞聖人様は阿弥陀如来様の教えを広めなされた。しかし、お弟子もお作りにならず、お寺もお作りにならなかった。ところが、親鸞聖人様が亡くなられた後、聖人様の教えを受けた者たちは、自ら聖人様のお弟子を名乗り、聖人様の教えを広めなされた。教えを広めるには教団を組織しなければならない。教団を作るという事は聖人様の教えに背く事になるんじゃ。しかし、仕方がなかった。親鸞聖人様が亡くなってから、すでに二百年も経ち、聖人様の教えは幾つかの派に分かれ、少しづつ間違った方向に進み始めた。ひどいのになると、坊主が阿弥陀如来様と同じ位に立ち、門徒たちの極楽往生を決める事ができるという、自惚れた宗派まで出て来る始末じゃ。坊主は門徒たちのお志し次第で、勝手に極楽往生を決めている。門徒たちも決定けつじょう往生のために、坊主に多額のお志しを差し上げるという異端な宗派が流行ってしまう事となったんじゃ。蓮如上人様は、そんな異端な宗派が流行るのを嘆き、浄土真宗を親鸞聖人様の教えに戻そうと布教を始めたんじゃよ。極楽往生は決して銭次第で決まるわけじゃない。信心によって決まるものじゃとな」

「ほう、成程のう。銭次第じゃないとのう。蓮如上人様とは一体、どんなお方じゃ」

「吉崎に行ったと言っておったが、上人様とはお会いにならなかったのかな。上人様は、会いたい者がおれば誰とでも会うはずじゃが」

「留守じゃった」

「そうか。そいつは生憎じゃったのう」

 老僧の名は信証坊しんしょうぼうといい、蓮如とは古くからの付き合いで、蓮如と共に北陸の地に来て、蓮如の教えを広めるため、山奥の村々に説いて回っていると言う。

「ところで、阿弥陀如来の教えの事じゃが、阿弥陀如来の本願によって、すでに、みんな、救われておると書いてあったが、あれは本当なのか」と風眼坊は信証坊に聞いた。

「本当じゃとも。じゃが、何に書いてあったのじゃ」

「蓮如上人様が書いたとかいう『御文』とかいう文じゃが」

「そなた、『御文』を見た事あるのか」

「ああ、偶然、光教寺の蓮誓殿の居間で見た」

「なに! どうして、おぬしが蓮誓殿の居間になどに入ったんじゃ」慶聞坊が目をむいて風眼坊を睨んだ。

「ただ、何となくじゃが、入ったら悪いのか」

「いや、別に悪くはないが、そなたは蓮誓殿を知っておったのか」信証坊は別に驚くでもなく、落ち着いた声で聞いた。

「いや、知っているという程のものじゃないが‥‥‥おお、そうじゃ、おぬしたち、もしかしたら、火乱坊、いや、慶覚坊を知らんか」

「知っておるが‥‥‥」と慶聞坊が言った。

「そうか、やはり、知っておったか。わしは、その慶覚坊の昔馴染みなんじゃ。大峯で二十年振りに、ばったり会ってのう。それで、一緒に加賀までやって来たというわけじゃ」

「何じゃ。おぬし、慶覚坊殿の昔馴染みですか。それならそうと早く言って下さい。わしと慶覚坊殿は兄弟みたいなもんです。何じゃ、そうだったんですか」

 慶聞坊の態度が急に変わった。風眼坊を睨みつけていた顔が急に穏やかになった。

「おぬしが、あいつと兄弟分か、ほう、そいつは奇遇じゃのう」

「そう言えば、慶覚坊殿は堅田に落ち着くまでは、確か山伏じゃったのう。思い出しましたよ」

「おう、火乱坊という伊吹山の山伏じゃった」

「そうですか。慶覚坊殿の昔馴染みですか‥‥‥」

「老師、さっきの話じゃが‥‥‥」と風眼坊は信証坊を見た。

「おう、そうじゃったな。阿弥陀如来様の本願によって、すべての者が、すでに救われておるというのは本当じゃ」

「阿弥陀如来など信じておらん奴らもか」

「そうじゃ。阿弥陀如来様は差別などなさらん。すべての者を救って下さるのじゃ」

「信じておっても、信じておらなくても救われるのなら、何も、信じなくてもいいんじゃないのかのう」

「それは違うぞ。すでに、救われておるという事に気づかなくてはならんのじゃよ。救われておっても、その事に気づかなくては、救われておるという事にはならんのじゃ」

「よく分からんが‥‥‥」

「うむ、例えば、そうじゃな」と信証坊は少し考えてから話し続けた。「例えば、山奥に入って道に迷ったとする。何日も山の中をさまよい歩いても、なかなか人里が分からない。じゃが、実際には目と鼻の先に一軒の山小屋があるんじゃ。回りをよく見ると草に隠れておるが、その山小屋に続く細い道があるんじゃよ。その細い道が阿弥陀如来様の教えじゃ。そして、山小屋が極楽浄土じゃ。その細い道が分からなければ、いくら、山小屋が目と鼻の先にあったとしても行く事ができずに、苦しんで死ぬ事になるんじゃよ」

「成程、分かるような気もする」と風眼坊は頷いた。「わしも、山の中で迷って死んだ者を何人か見た事があるが、確かに、人里近くまで来て、死んでおるというのを見た事があった」

「そうじゃろう、そんなもんじゃ。またのう、ただでさえ、その細い道が見えんのに、欲という深い霧に立ち込められたら、ますます、迷い込んでしまうんじゃよ」

「欲という深い霧か‥‥‥成程のう、うまい事を言うもんじゃのう」

「そして、すでに阿弥陀如来様に救われておるという事に本当に気づいた時、感謝の気持ちから、おのずから自然と『南無阿弥陀仏』という念仏が口から出て来るんじゃよ。その時、その人の極楽往生は決定するんじゃ。その後は、ただ、阿弥陀如来様にすべてを任せ、いつものように仕事に励み、感謝の気持ちを込めて念仏を唱えればいいんじゃ」

「う~む‥‥‥南無阿弥陀仏か‥‥‥」

 やがて、三人は真砂まなごという木地師きじしの村に入った。木地師は普通、漂泊の民だが、この頃になると漂泊をやめて、代々一ケ所に落ち着いて一つの村を作っている木地師も多かった。

 ここに住む木地師たちは平泉寺に所属している木地師で、初めの頃、彼らは越前と加賀の国境の山々をさまよいながら、春から秋までの間、焼畑耕作の仕事をして、雪深い冬になると、この谷に下りて来て木工細工の作業をしていた。それが、いつの頃からか焼畑をやめて、木地師を専業にやる者たちが出て来て、この地に落ち着くようになって行った。焼畑をやめて木地師の仕事だけでも生活できるようになったのは、この谷の入口辺りにある山中の湯と山代の湯が湯治客で栄え、お椀などの食器類の需要が増したからであった。今では、この谷に三十家族程の木地師たちが住み、お椀を初め、お膳やら、しゃもじなどを作っていた。

 信証坊は村長むらおさの家を訪ねると、村の者たちを集めて貰って説教を始めた。男たちは山の中に入っているので、あまりいなかったが、女たちが大勢、集まって来た。

 老僧は木の屑の散らかっている庭に腰を下ろし、女たちを自分の回りに座らせると、分かり易く、女人にょにん往生を説いて聞かせた。

 風眼坊も後ろの方で信証坊の説教を聞いていたが、成程と納得させられる事が幾つもあった。信証坊は四半時しはんとき(三十分)程、説教をすると、お礼として差し出された物の中から、ほんの僅かな食糧だけを貰って、その村を後にした。

「どうも、この村の奴らは門徒のようじゃのう」と風眼坊は慶聞坊に聞いた。

「ええ、この村は慶覚坊殿が開拓したんです。初めて来た時は、聞く耳など持たんという有り様だったそうです。慶覚坊殿が苦労したお陰で、今では、すっかり村をあげて門徒になってくれました」

「ほう。あいつがのう」

 風眼坊には信じられなかった。あの慶覚坊が、さっきの老僧のように皆を集めて説教をしている姿など想像もできなかった。二十年の歳月は人を随分と変えるものだと思った。

「それで、これから、どこに行くんじゃ」と風眼坊は聞いた。

「さあ」と慶聞坊は首を振った。

 風眼坊は信証坊に聞いた。

「この先じゃ」と信証坊は前を見つめながら言った。

「この先にも門徒の村があるのか」

「いや、ここから先はまだ行った事がない。おぬし、悪いが道案内をしてくれんかのう。こんな山の中で会ったのも、きっと阿弥陀如来様のお導きじゃ。頼むわ」

「そんな事は構わんが、ひどい道じゃぞ」

「大丈夫じゃ。年は取っておるが足だけは達者じゃ」と老僧は笑った。

 

 

 

 雨が降っていた。

 霧が立ち込め、三けん(約五メートル)先も見えなかった。

 風眼坊と老僧の信証坊しんしょうぼう慶聞坊きょうもんぼうの三人は、崩れ掛けた炭焼き小屋で雨宿りをしていた。

「うっとおしいのう」と風眼坊は雨垂れを見ながら言った。

「梅雨じゃからのう」と慶聞坊は霧の中を見ながら言った。

 信証坊は奥の方で横になっていた。昨日、かなり険しい山道を歩いたので、やはり疲れたのだろう。昨日の夕方、急に雨に降られ、この炭焼き小屋に飛び込んで一夜を明かしたが、朝になっても雨はやまなかった。

「火乱坊、いや、慶覚坊きょうがくぼうの事じゃが、吉崎の火事の事で、何か調べておると聞いたんじゃが、下手人げしゅにんは見つかったのか」と風眼坊は慶聞坊に聞いた。

 慶聞坊は慌てて首を振って、「内緒です」と小声で言った。

「内緒?」

「ええ、慶覚坊殿のしている事は上人様には内緒なんです。信証坊殿に聞かれると上人様に筒抜けになってしまうんですよ」

「どうして、内緒にしておくんじゃ」と風眼坊も小声で聞いた。

「上人様は争い事はお嫌いです。この間の火事は失火じゃ、付火なんかじゃないと上人様はおっしゃります」

「それで、本当の所はどうなんじゃ」

 慶聞坊は後ろを振り返り、信証坊を気にしながら小声で話した。「多分、付火です。その事は上人様も知っております。しかし、表沙汰にして事を荒立てたくないんですよ」

「ふうん。下手人はやはり豊原寺なのか」

「多分‥‥‥」

「本願寺が繁盛している妬みか」

「それもあります。しかし、もっと現実的な事です」

「現実的な事というと、やはり、銭か」

「そういう事です。叡山えいざんは本願寺を叡山の末寺まつじだと思っております。上人様は大谷にいた頃、叡山からの独立を宣言して、天台宗から離れたのです。寂れていた頃の本願寺なら、叡山も何も文句は言わなかったでしょう。しかし、上人様の代になって本願寺は賑わって来ました。叡山は本願寺の宗旨しゅうしが違うとか、文句を言っては来ましたが、実の所、目的は礼銭だったのです。上人様は礼銭を断りました。大谷の本願寺は叡山の衆徒らによって破壊されました。上人様は近江に逃げられました。しかし、叡山は執拗に追いかけて来ては門徒たちを苦しめたのです。とうとう、金森かねがもりの門徒と叡山の衆徒らが合戦を始めました。上人様は合戦を許しませんでした。結局は、銭で解決する事になってしまったのです。上人様は、叡山のふもとにいる限りは争う事を避ける事は難しいじゃろうと、北陸の地に進出なされたのですよ。しかし、この地にも天台宗の大寺院がいくつもあります。豊原寺、平泉寺を初めとして、白山に所属している寺院がいくつもあるのです。上人様は、それらの寺院を刺激しないようにと努めておられますが、上人様がこの地に来て以来、門徒たちの数は見る見る増え、吉崎の別院は毎日、祭りさながらの賑わいです。上人様が吉崎参詣を禁止しても、また、すぐに門徒たちは集まって来ます。豊原寺にしろ平泉寺にしろ、目と鼻の先にある吉崎の繁栄を黙って見てはおれんのでしょう。豊原寺は叡山と同じように、天台宗の末寺として礼銭を出せと言って来ました。上人様は断りました。それで、この間の火事騒ぎです」

「成程のう。しかし、豊原寺は何で、こそこそと付火なんかするんじゃ。堂々と攻めては来んで」

「越前には朝倉氏がおります。本願寺は今の所、朝倉氏と組んでおります。豊原寺の目的は本願寺から礼銭を巻き上げる事だけです。本願寺を相手に合戦をする気などありません。まして、朝倉氏を敵に回したくはないでしょう。応仁の乱が始まってからというもの、叡山もそうですけど、奴ら、大寺院の荘園はほとんど在地の国人たちに侵略されてしまっております。また、無事だとしても、戦が続いているお陰で年貢が届かん有り様です。平泉寺には白山の信者たちが、かなりおるから、まだいいんですけど、豊原寺は大分、苦しくなっておるんじゃないですか」

「確かにのう。今回の戦で、ほとんどの荘園が国人たちに横領されたらしいのう。本願寺の荘園は大丈夫なのか」

「本願寺には荘園はありません」

「なに、荘園がない?」

「はい、本願寺は門徒で持っておるのです。門徒がおらなくなった時は本願寺もなくなるというわけです」

「本願寺は土地を持っとらんのか‥‥‥そいつは知らなかった」

「雨はまだ降っておるのか」と信証坊が声を掛けて来た。

「はい。まだ降っております」と慶聞坊が振り向いて答えた。

「そうか」と言いながら、信証坊は二人の方に来て外を眺めた。

 霧はいくらか引いたが、雨はやみそうもなかった。

「やはり、梅雨が上がるのを待ってから旅に出た方が良かったですね」と慶聞坊は信証坊に言った。

「なに、雨に濡れても死にはせん」

「そろそろ、出掛けますか」

「いや、もう少し、小雨になるのを待とう」

「そうですね」

「風眼坊とやら、そなたも、そろそろ本願寺の門徒になりませんかな」と信証坊は風眼坊の隣に腰を下ろすと言った。

「本願寺の教えというのも大体は分かったがのう。しかし、どうも、わしには門徒というのは似合わんのう。わしは、やっぱり山伏の方がいいわ」

「そなたは、どうして山伏になったのかな」

「どうしてと言われてものう。ただの成り行きとしか言えんのう」

「成り行きか‥‥‥実はの、山伏から門徒になった者も、かなりおるんじゃよ」

「ほう、信じられんのう。山伏というと白山の山伏か」

「まあ、そういう事じゃのう。しかし、そなたのような本物の行者と違って、里に住み着いて村人たちに加持祈祷をやっておった山伏たちじゃ。その者たちは皆、山伏をやめて道場を持つ坊主になったがのう。そなたのように山々を歩き回る行者が門徒となってくれれば、山奥で暮らす者たちにも教えを広められるのにのう」

「それはそうかも知れんが、そんなに門徒を増やして、蓮如殿は一体、どうするつもりなんじゃ」

「どうもせんじゃろ。ただ、蓮如殿は、この世に浄土を作ろうとしておるんじゃないかと、わしは思うがのう」

「この世に浄土をのう‥‥‥理想は分かるが難しい事じゃのう」

「やはり、難しいかのう」

「難しいわ。第一、阿弥陀如来様のもとでは、すべての者たちは平等じゃ、という教えは危険すぎる。権力者たちは、そんな教えを絶対に許さんじゃろう」

「そう言われればそうじゃのう」

「今のところ、本願寺は同じ宗教界から睨まれておるようじゃが、そのうち、権力者から睨まれる事になるじゃろう」

「本願寺の教えには争い事はないんじゃ」

「本願寺の教えの中になくても、現実に、この世の中は上下関係で成り立っておる。いくら本願寺の方で争い事を避けようとしても、今の世で生きて行く限り、争い事は避けられんじゃろうな」

「どうして、人間は争い事を好むんじゃろうのう」

「別に好むわけでもないじゃろう。ただ、考え方が少し違っておるだけじゃないかのう。まあ、中には、ただ、おのれの欲だけに走って争う奴らもおるにはおるが、そんな奴らは長続きはせん。そんな奴には誰も付いて行かんからじゃ。しかし、ある程度、長続きしておる奴らは、奴らなりに思想がある。たとえば、越前の朝倉じゃが氏の被官の身でありながら、応仁の乱で寝返って、越前の守護職しゅごしきに納まってしまった。それができたのは、ただ欲だけではない。国人たちを引き付ける何かを持っておったからじゃ。朝倉も朝倉なりに、越前の国を浄土にしたかったのかも知れん。誰もが争いなどない太平の世を願っておる。その太平の世を作るために争っておるんじゃないかのう。自分流の太平の世を作るためにのう」

「争わんと太平の世にはならんのかのう」

「太平の世を作るという事は全国を一つに統一するという事じゃ。統一するためには邪魔物は倒さなくてはなるまい」

「いや、争い事はいかん。本願寺の教えが広まれば、誰もが争い事などしなくなるはずじゃ」

「確かに、広まれば争い事はなくなるかもしれん。しかし、広める途中で争い事は起きる。たとえば、日蓮宗は『南無妙法蓮華経』と唱えれば太平の世が来ると言う。浄土宗は『南無阿弥陀仏』と唱えれば太平の世になると言う。どちらも目的は太平の世じゃ。太平の世にいいも悪いもない。たどり着く所は同じじゃ。しかし、日蓮宗では『南無妙法蓮華経』の太平の世じゃないといかんと言い、浄土宗では『南無阿弥陀仏』の太平の世じゃないといかんと言う。そうじゃないのか」

「わしは日蓮宗の事はよく知らんが、日蓮宗よりは浄土真宗の方がいいと思っておる」

「これがいい、あれが悪いと言うのも、欲のうちに入らんのかのう」

「ただ、本願寺の教えでは、決して、他の宗派の事を悪く言ってはおらん」

「わしから見れば、『南無阿弥陀仏』も『南無妙法蓮華経』も同じように思えるんじゃ」

 信証坊は、しばらく黙り込んだ。

 慶聞坊は黙って二人の顔を見比べながら、やり取りを聞いていた。

 信証坊は顔を上げ、雨を眺めながら、「風眼坊殿」と言った。「実に、阿弥陀如来様のお導きじゃ。よいお人と巡り会えたものじゃ。いい勉強になった」

「老師殿。老師殿にそんな事を言われたら照れ臭いわい」

「いや、わしも少し自惚れておったのかもしれん。ただ本願寺のため、本願寺の教えを広めなければならん、ただ、それだけで脇目も振らずに一筋に生きて来た。親鸞聖人様の素晴らしい教えを広めようと、ただ、それだけで生きて来た。現実の世の中を見る目が少し甘かったのかも知れん」

「老師殿、もしかしたら老師殿は‥‥‥」と風眼坊は信証坊をじっと見つめた。

「ああ」と信証坊は頷いた。「わしが蓮如じゃ。本願寺の法主の蓮如じゃ」

 風眼坊は何も言えなかった。ただ、蓮如と名乗った隣の老僧を見つめていた。

「わしは、今まで現実の世から逃げておったのかも知れん‥‥‥」

「上人様‥‥‥」と慶聞坊が言った。

「老師殿が、蓮如上人殿でしたか」と風眼坊は、やっとの事で言えた。

 知らなかったとは言え、言い過ぎてしまったような気がして後悔していた。この老僧が蓮如だったとは、まったく信じられない事だった。法主ともあろう人が、こんな山奥をさまよっている。わずかな門徒を増やすために自分の足で歩き、自分の口で教えを説いている。

 風眼坊は改めて老僧を見直していた。

「やはり、争い事は避けられんのじゃろうか」と蓮如は言った。

「蓮如殿、どうして、名を隠して旅をなさっておるんですか」

「有名になり過ぎて、名前を隠さないと布教どころじゃなくなってしまうんですよ」と慶聞坊が説明した。「人が集まり過ぎて、説教どころではないんです。去年、越中まで行った時など、上人様を一目見ようと門徒たちが集まって来て、死傷者まで出る始末です。その時以来、上人様は本名を隠して布教に出るようになったのですよ」

「ほう、死傷者まで出るとは凄いもんじゃのう」

「そんなもの自慢にもならんわ。そろそろ、出掛けるかのう」

「そろそろ、雨も上がりそうじゃな」

 鳥が鳴き始めていた。

 三人は小雨の中、山を下りて行った。

 三人の姿は霧の中に消えた。

 

 

 

 風眼坊と蓮如と慶聞坊の三人は真砂まなごの村から、さらに山奥へと入って行った。大日山に登り、越前と加賀の国境に沿って尾根道を進み、手取川の上流の牛首村(白峰村)に下りた。

 途中、蓮如は信証坊として山の中で出会った杣人そまびとや炭焼き、猟師らに教えを説いた。彼らは、なかなか蓮如の教えを受け付けなかったが、蓮如は根気よく教えを説いていた。

 ここ牛首村は、かなり山奥だが、加賀の白山本宮と越前平泉寺を結ぶ街道が通り、また、白山三箇寺から白山に登る禅定道ぜんじょうどう(登山道)も通り、牛首白山社を中心にして門前町が広がり、白山への中継地として栄えていた。街道脇には三箇寺や越前平泉寺などの別院や宿坊が数多く並び、山伏や参詣者たちが行き交っていた。

 この村は白山社に奉仕する社家しゃけ社人しゃにんたちで成り立っている村だった。社家はこの辺りの山の領主として社人たちを支配していた。社人たちは社家の土地で焼畑をやり、冬は木地師をやっていた。木地師と言っても、ここでは轆轤ろくろを使って作るお椀類よりも、農具の柄や金剛杖など棒類を中心に作っていた。また、社人たちの下に下人がいて、社家の雑用や社人の小作などをしていた。

 この白山信仰の真っ只中とも言える、この地にも、すでに本願寺の教えは広まっていた。ここに教えを持って来たのは、やはり、元山伏の慶覚坊だった。

 慶覚坊はこの村を門徒化するに当たって、まず、下人たちから門徒にして行き、次第に社人まで門徒化しようと計画した。慶覚坊の努力のお陰で、去年、林西寺りんさいじ弘泰こうたいが蓮如に帰依きえし、天台宗から浄土真宗本願寺派となっていた。そして、下人たちはほとんどの者が門徒となり、熱心に念仏を唱えていた。

「まさか、この村には本願寺の門徒はおらんじゃろう」と風眼坊は賑やかな門前町を眺めながら言った。

「いえ、おります」と慶聞坊は得意気に言った。

「なに、ここにも門徒がおるのか」と風眼坊は街道を行き来する者たちを眺めた。

「はい。慶覚坊殿のお陰です。上人様、林西寺に寄りますか」

「いや、騒ぎは起こしたくない」と蓮如は首を横に振った。

「そうですね」と慶聞坊は頷いた。

「そろそろ、この辺で別れる事にするかのう」と風眼坊は立ち止まると二人に言った。

「なぜじゃ」と蓮如は聞いた。

「わしは、これから白山に登ります。お二人はこのまま下りて行って下さい。この道を真っすぐ下りれば本宮に出られるはずです」

 牛首まで来れば白山はすぐそこだった。

 蓮如は風眼坊に連れられて、二日間、道なき山の中を歩かされた。もう懲りて、ここからは手取川に沿って山を下りて行くだろうと思っていたが、意に反して、蓮如は風眼坊と一緒に白山に登ると言い出した。

 前から登りたかったのだが、しきたりが色々とあるし、また、本願寺の法主たるものが、宗敵である白山に登るなどとはとんでもない事だと、回りの者たちが許してくれんのだと言う。風眼坊に会ったのも阿弥陀如来様のお導きじゃから、この際、思い切って登ってみようと言った。慶聞坊も、白山の山頂には阿弥陀如来様が祀ってあると聞く、是非、拝みたいものじゃと言って蓮如の言う事に賛成した。

 風眼坊は仕方なく二人を連れて白山を目指した。手取川をさかのぼり、越前平泉寺からの禅定道に合流して、その日は市ノ瀬に泊まり、次の日、白山山頂へと向かった。

 山頂に着いた日は生憎、霧が立ち込めて、回りは何も見えなかったが、翌朝は見事に晴れ渡り、最高の眺めだった。

 蓮如も慶聞坊も、こんな高い山に登ったのは初めてだとみえて、飽きる事なく景色を眺め、まさしく、ここは極楽浄土じゃと言い合っていた。

 白山に登ったのだから、もう吉崎に帰るのだろうと思ったら、今度は、飛騨(岐阜県北部)側に下りようと言い出した。そして、また阿弥陀如来様を持ち出して、風眼坊に案内してくれと言う。風眼坊にしても別に急いで帰る必要もないので、はいはい、と付き合う事にした。

 飛騨白川郷の鳩ケ谷の道場に寄って、越中の国(富山県)に入り、五箇山の赤尾の道場に寄って、井波の瑞泉寺ずいせんじへと向かった。

 瑞泉寺には蓮如の次男の蓮乗れんじょうがいた。突然の蓮如の訪問に驚いたが、慌てる事なく落ち着いて一行を迎えた。蓮乗は蓮誓の兄で、年は三十前後、見るからに頭のよさそうな坊主だった。

 次の日、蓮乗と一緒に一行は加賀に戻り、二俣ふたまた本泉寺ほんせんじに向かった。そこで風眼坊は、蓮誓の育ての親、勝如尼しょうにょにと出会った。蓮如の叔母だというが蓮如よりはずっと若かった。そして、その叔母、勝如尼は何事にも良く気が付き、じっとしている事などない位、よく働いていた。蓮誓の嫁の如専にょせんも、この叔母に色々と仕込まれたのだろう、と風眼坊は納得した。

 瑞泉寺では、蓮如は蓮乗に、今回は忍びの旅だからと蓮如の来た事を公表させなかったが、本泉寺ではそうは行かなかった。勝如は、蓮如が来た事を早々と公表してしまい、蓮如は大勢の門徒たちに説教をしなければならなかった。

 風眼坊と慶聞坊の二人は本泉寺の坊主たちと一緒に、集まって来た大勢の門徒たちの整理をしなければならなかった。

 風眼坊はその門徒たちの数を見て、実際、驚いた。

 蓮如が来たというだけで、これだけの人が集まって来るとは凄いものだった。この熱狂的な門徒たちの力というものは、やはり危険なものを含んでいた。蓮如は勿論、この門徒たちを利用して何かをしようとはしない。しかし、この門徒たちの力を利用しようとする者が必ず、出て来るに違いなかった。あるいは、すでに出て来ているのかもしれない。その時、蓮如は一体、どうするつもりなのだろうか、風眼坊は他人事ながら心配した。

 門徒たちに囲まれて大忙しだった本泉寺を後にし、一行はあちこちの小さな道場に立ち寄りながら、波佐谷はさだに松岡寺しょうこうじに向かった。

 途中、手取川の下流にある島田道場に寄った時、一行は物凄い歓待を受けた。その道場でも蓮如は本名を隠していたが、たまたま蓮如の顔を知っている者がいて、強引に、ある屋敷に連れて行かれた。

 その屋敷は深い濠と高い土塁に囲まれた大きな屋敷だった。その屋敷の片隅に立派な道場が建てられ、門徒たちが数人集まって世間話をしていた。

 屋敷の主は安吉やすよし源左衛門という手取川流域一帯を支配する国人だった。源左衛門の先祖は源氏で、源平の兵乱の頃、源義仲に従って加賀に来て、この地に土着し、代を重ねるごとに勢力を広げて行った。今では百姓だけでなく、手取川の河原者までも支配している豪族だった。

 河原者と言っても町中に住む河原者たちとは違って、乞食とか芸人とかはいない。ほとんどの者たちが手取川を利用した運送業に携わっている者たちだった。源左衛門は武士でありながら白山の社人となり、手取川の運送の権利を手に入れて河原者たちを支配し、手取川に於ける運送業を独占していた。当時の一般的な武士とは違い、土地だけに囚われず、商人的な発想を持った新しい種類の武士と言えた。その源左衛門が今度は熱心な本願寺門徒となったのだった。

 源左衛門も初めは好きで門徒になったわけではなかった。百姓や河原者たちが続々と門徒になってしまい、自分に反抗までするようになったので、仕方なく門徒となり、道場の坊主として、百姓や河原者たちを支配して行く事にしたのだった。しかし、本願寺の門徒となり道場主になってみると、自分の勢力を広げるのに、本願寺の組織は好都合にできている事を知った。教えを広めるという名目で勢力を広げる事が堂々とできるのだった。

 源左衛門は他所の荘園の百姓たちに熱心に教えを広めて門徒化し、荘園の代官と対立させ、代官が武力を持って門徒たちを押えようとすると、門徒たちを救えと攻め寄せ、代官を追い出して荘園の横領をした。そうして着々と勢力を伸ばして行った。

 源左衛門は蓮如を鄭重に持て成した。

 島田道場は蓮如の弟子の法敬坊ほうきょうぼう順誓じゅんせいが建てたもので、源左衛門は法敬坊の弟子となり、了海坊りょうかいぼうと名乗っていた。源左衛門は自分の道場に門徒たちを集め、蓮如の説教を聞いた。源左衛門も道場の片隅で、上人様、直々の教えを聞いていた。心の底から有り難い教えだと思い、熱心に念仏を唱えた。

 風眼坊はそんな源左衛門をじっと見ていたが、この辺り一帯を支配している豪族には全然見えない、本当に熱心な門徒だと思った。確かに、この時の源左衛門は熱心な門徒に違いなかった。しかし、心の奥では上人様がこの道場に来たというだけで、道場の格が上がり、門徒が益々、増えるだろうと計算していた。

 説教が済むと広間の方に案内され、御馳走攻めだった。どこから呼んだのか、曲舞くせまい女たちの華麗な舞も披露され、綺麗どころの遊女たちも現れた。

 蓮如がどんな反応を示すだろう、と風眼坊は見守っていた。蓮如は女たちを避けるような堅物かたぶつではなかった。ニコニコしながら遊女の酌を受けていた。そんな蓮如に比べ、慶聞坊の方が余程、堅いらしく妙にかしこまっていた。最も、隣に蓮如がいては慶聞坊としても騒ぐわけには行かないのかもしれなかった。

 次の日、源左衛門の屋敷を後にして、手取川の支流が何本も流れ、大きな石がごろごろしている広い河原を歩き、山上(辰口町)の道場、板津(小松市)の道場に寄り、波佐谷の松岡寺に着いた。

 松岡寺には蓮如の三男の蓮綱れんこうがいた。蓮綱は日に焼けて真っ黒な顔をした若者だった。父親に似て布教のために毎日、歩き回っているようだった。蓮如と蓮綱の話を聞いていると、松岡寺の門徒たちは大杉谷川流域の川の民や木地師、猟師、炭焼き、鍛冶師、鋳物師いもじかね掘りなどの山の民たちが多いようだった。

 松岡寺から今度は海岸に出て、漁師たちの道場を巡って、山田光教寺に帰って来た。

 風眼坊が白山に登って来ると言って慶覚坊の多屋を出てから、すでに十七日が過ぎていた。

 慶覚坊は多屋にいた。

 風眼坊が顔を出すと、「随分、のんびりと山に行ってたのう。どこぞに、いい女子おなごでもおったのか」と笑った。

「いや。女子には縁がなかったが、山の中で、ちょっと変わったお人に出会ってのう。ずっと一緒に旅しておったんじゃ」

「ほう、相変わらず物好きじゃのう」

「なに、わしが頼んだんじゃよ」と風眼坊の後ろから蓮如が言った。

 蓮如と慶聞坊が風眼坊の後ろから顔を出して笑った。

「楽しい旅じゃったわ」と蓮如は言った。

「上人様‥‥‥慶聞坊も一体、どうしたんじゃ。風眼坊、もしかして、山の中で会ったお人と言うのは上人様じゃったのか」

「そういう事じゃ。阿弥陀如来様のお導きでな、ずっと旅をしておったというわけじゃ」

「ほう。そいつは驚きじゃのう。上人様、さあ、どうぞ、お上がり下さい」

 蓮如と慶聞坊は慶覚坊に旅の話をして、慶覚坊の妻、おつたが沸かしてくれた風呂に入ってさっぱりすると、光教寺の蓮誓に会いに出掛けた。

 慶覚坊も二人と一緒に光教寺に行った。

 風眼坊はのんびりと風呂に浸かり、客間に戻ると横になった。

 慶聞坊の多屋には客間が四部屋あり、泊まりの門徒たちが朝夕、念仏を唱える部屋が一部屋あった。風眼坊が寝泊りしている部屋は一番奥の部屋だった。

 風眼坊は部屋で横になりながら本願寺の事を考えていた。ずっと一緒に旅をしていて、蓮如の教えは良く分かった。誰にでも分かる簡単な教えだった。分かり易い反面、取り違えてしまう可能性も多いような気がした。

 本願寺の門徒は、ほとんどの者が百姓や山の民、川の民、海の民などの下層階級の者たちだった。はっきり言って、今まで仏教など縁のなかった者たちと言ってもいい。仏教というのは公家や武士たちのもの、あるいは都に住む裕福な町人たちのものだった。彼らの宗教と言えば、古くからの山の神や先祖を祀る位のものだったろう。そこには思想と言えるものはなかった。

 蓮如の前にも、彼らを対象とした浄土真宗はあったし、時宗というのもあった。しかし、それらは本願寺のように組織されなかった。蓮如は各村々に講と言う寄り合いを作り、門徒たちを団結させた。講は各道場で行なわれ、道場主は坊主と呼ばれた。坊主と言っても出家するわけではなく、一応、法名で呼ばれるが俗体のままだった。

 蓮如の教えを各道場まで伝えるために、道場の上に末寺まつじを置き、その上に有力寺院を置いた。蓮如の書いた『御文』は、その組織によって各道場に配られた。

 蓮如が作った組織は教えを広めるためのもので、門徒よりも道場主、道場主よりも寺の坊主の方が偉い、というものではなかったが、組織には必ず権力が付きものだった。現に、道場主、あるいは、寺の坊主の中に百姓たちを支配するために、門徒となった国人や地侍がかなり入り込んでいた。彼らは常に隙あらば領土を拡大しようと思っている。初めのうちは百姓たちの支配を続けるために仕方なく門徒になった国人たちも、今は、門徒たちを利用して領土を拡大しようとたくらんでいる。

 土地を手に入れるには、まず、そこを耕している百姓を自分の道場の門徒にして、蓮如の教え、阿弥陀如来のもとでは皆、平等だと説き、領主に年貢など払う必要などないと教え込み、年貢をそっくり本願寺への貢物みつぎものだと言って奪い取るに違いなかった。そして、奪い取った年貢の一部を本願寺に送り、後はそっくり自分のふところに入れるという具合だろう。

 加賀の国には京や奈良の大寺院や公家たちの荘園及び、幕府の御領所が、かなりあると聞く。そのうち、必ず問題が起きるのは確実だった。

 慶覚坊が戻って来た。

「上人様を白山に連れて行ったそうじゃのう」と慶覚坊は縁側に腰を下ろすと言った。

「ああ、感激しておった」

「そいつは良かったのう。しかし、上人様も危険な事をなさるもんじゃ」

「白山は危険じゃったのか」と風眼坊は聞いた。

「ああ、危険じゃ。もし、正体がばれたら殺された事じゃろう」

「そうか‥‥‥ところで、おぬし、付火の下手人を捜しておったそうじゃのう。見つかったのか」

「ああ、見つかった。吉野でな」

「吉野? それじゃあ、おぬし、下手人を追って吉野に来たのか」

「そういう事じゃ。そして、おぬしの事を聞いて山に登ったんじゃ」

「そうじゃったのか。それで、下手人はどいつだったんじゃ」

「平泉寺の山伏じゃ」

「平泉寺? 豊原寺じゃなかったのか」

「ああ。わしも初めは豊原寺じゃと思った。しかし、平泉寺じゃった」

「平泉寺が、どうして、また」

「吉崎御坊が出来てからというもの、越前と加賀の信者の数が半分近くも減ったそうじゃ。白山に登らずに、皆、吉崎にお参りに来てしまうんじゃと。この戦続きで、ただでさえ、白山に登る信者の数が減っておると言うのに、地元の信者まで取られてしまい、平泉寺としても、せっぱ詰まった所まで来ておるらしいのう」

「確かにのう」と風眼坊は頷いた。「吉野や熊野でさえ、今回の戦はこたえておるからのう‥‥‥本願寺は白山も敵に回したか‥‥‥」

「まあ、敵には違いないが、実際、今のこの辺りの事情はそんな簡単なもんじゃない。えらく、複雑なんじゃよ」

「どう、複雑なんじゃ」

「まず、加賀の守護職しゅごしきがしが、兄の次郎政親まさちか派と弟の幸千代こうちよ派の二つに分かれて争っておる。そして、越前では朝倉弾正左衛門と甲斐八郎が戦っておる。本願寺は戦はせんが、応仁の乱が始まった頃より東軍方じゃ。朝倉と富樫次郎が東軍で、甲斐と富樫幸千代が西軍じゃ。白山も朝倉と富樫次郎と手を結んで東軍なんじゃよ。豊原寺は甲斐と手を結んで西軍方なんじゃが、甲斐はついこの間、またもや朝倉との戦に負けて、今は富樫幸千代のいる蓮台寺城におる。豊原寺は孤立してしまい、今では朝倉と組もうとしておる。富樫次郎の方は、去年、幸千代に負けて加賀を追い出され、今、越前の朝倉の一乗谷におるんじゃ。そして、もう一つ厄介なものがおる。本願寺と同じ浄土真宗の高田派じゃ。高田派は本願寺と対抗するために、西軍の富樫幸千代と手を結んだんじゃ。今の所は、幸千代も本願寺を敵に回したくはないので高田派の動きを押えておるが、いつ爆発するのか分からん状態なんじゃ」

「成程のう。入り乱れておるのう」

「鍵を握っておるのは本願寺なんじゃよ。上人様は戦など絶対に許さんじゃろう。しかし、門徒たちが勝手に動き出したら、たとえ、上人様でも止める事はできんじゃろう」

「動く気配はあるのか」

「ある。上人様が知らないだけで多屋衆は動き始めておる」

「どう、動き始めておるんじゃ」

「高田派を加賀から追い出すために富樫次郎、朝倉弾正左衛門と連絡と取り始めておる」

「本願寺も、とうとう戦を始めるのか」

 慶覚坊は頷いた。「時間の問題じゃろうのう」

「しかし、蓮如殿が戦を許さんじゃろう。いくら門徒が多いとは言え、やはり、蓮如殿が命令を下さん事には門徒たちも一丸とはなるまい」

「まあ、そうじゃろうのう。明日、上人様を送って吉崎に行くんじゃが、おぬしも一緒に来てくれ。会わせたい人がおる」

「誰じゃ」

「付いて来れば、分かる」

「ああ、いいだろう。確かに、おぬしの言った通り、面白くなりそうじゃのう」

「近いうちに、おぬしの剣術が役に立つようになるわ」

「らしいのう」と風眼坊は苦笑いをした。

 



読者登録

井野酔雲さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について