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スポットCM

4回コラムは、前回に続きテレビ放送に付いて書きます。と、その前にポスター(後期版)が出来ていますが、なかなか街中で見掛けません。リバーウォークの地下にとりかつ丼の黒兵衛という店があるのですが、店頭にポスターを掲示してくれています。なかなか新しいのに貼り替わらないので、昨日、事務局に行ってポスターを一枚もらって貼り替えてきました。今度のポスターデザインは佐野裕哉がドーンとドリブルをしている姿が載っている。なかなか良いデザインだ。今まではデザインが懲り過ぎてて、何のポスターか分からなかったが、今回のはサッカーだ。と一目瞭然である。もう少し明るい色だともっと良い。このポスター、もっとたくさん掲示してもらうよう頼めばよいと思うのだ。どうも事務局ではこのプロモーション活動が活発ではないように思う。ボランティアを募集してプロモーション活動部を作ればよいと思う。たぶんその方が積極的に動いてくれるだろう。またボランティアの方が受け入れやすいだろうと思う。

 さてテレビだが、前回書いたようにギラヴァンツの応援番組を地上波で放送するのは難しいと思う。現在、それらしい番組はNHK北九州の「VIVAギラヴァンツ」とジェイコム北九州の「ギラ☆Channel」がある。どちらの放送局も北九州地域を中心とした限定の放送局なので、ギラヴァンツ専門の応援番組を放送することが出来る。しかし、私感だがどちらも番組としてクオリティーが高くなく、ローカル色が強い。もう少し魅力ある演出をしてギラヴァンツを宣伝して欲しいと思う。もう少し専門的なことを話すと、NHKの「VIVAギラヴァンツ」はニュース報道番組の一部として放送されており、報道番組なのであまり脚色した放送はできない。報道番組なのでJリーグの放送権料もかかっていない。ジェイコムの「ギラ☆Channel」はギラヴァンツの専門番組なのでJリーグの放送権料が掛かっています。ですからJリーグに放送権料を支払っています。そして自前で試合の模様を撮影できれば良いのだが、アウェイなどで自前で撮影出来なかったものは、スカパーで撮影されたあの映像をJリーグから買って放送しているのです。ですから、良く分かると思いますが、どこの放送局も同じ映像だなと感じることが多々あると思います。

もう一つ、テレビには広告としてスポットCMがあります。番組と番組の間に流れる15秒のCMです。これは映像その物の制作費とテレビ局にスポット料金を払うことになります。制作費は内容で値段が大小しますが、スポット料金は決められていて、時間帯で違うのですが、大方このようになっています。午前が14万円、午後が26万円、夜が48万円。スポットですから一回流すだけでこれだけ掛かります。非常に高いです。ですからそれだけ効果があるものなのです。

ギラヴァンツをテレビで見ないというのは、見れないわけがあるのです。今までかつて㈱ニューウェーブ北九州がこのスポットCMをお金を払って流したことは一度もありません。

 前コラムなどを通して、北九州のテレビ放送網の環境というものが他地域とすこし異なる特殊(デメリット)な地域だということがお分かりになると思います。

ギラヴァンツはテレビメディアの恩恵を受けることはこの先もまず無いでしょう。

ならば、ギラヴァンツの年間運営費の20%はプロモーション費に充てて、自前でスポットCMを流すか、自前で応援番組を放送するか、そのようなことも考えなくてはならないでしょう。他地域とは違うということを認識しなくてはならないと思います。


ホームタウンとフランチャイズ

 第5回目のコラムです。ギラヴァンツはヴェルディに上げた一勝のみで勝利が挙げられずに苦しんでいます。そのうち2勝目があるだろうと甘い予測をしていましたが、もうシーズンも終盤になってしまいました。勝ち負けも重要なことなのですが、もっと気になるのが観客数の伸びないことです。北九州の観客は常時2~3千人でしょうか。九州ダービーの時だけ近隣のチームサポーターが大挙してアウェイ席に詰め掛けて来るので6千~7千人になるのが実情かと。逆にアウェイの地に北九州のサポは3~40人でしょうか、サポーターが増えないことに寂しく思っています。ようはギラヴァンツはまだまだ北九州で市民権を得ていない。やはり時間が掛かるものなのでしょう。地道に地元で活動して北九州のチームであることを定着させていくことでしょう。
 最近、気になったニュースがあります。横浜ベイスターズの球団売却話。オーナーのTBSが業績不振によりベイスターズを売却するそうで、ある企業が買手に名が上がっている。また、ホームグランドを新潟に移転する噂も上がっている。横浜から新潟に移転する。それはどうでしょうか?
 私が小学校の低学年の頃、遠い昔の話だが、福岡の西新の親戚の家に父親と二人で行った時に、当時、路面電車が走っていて、電車にのって向かっている途中、大手門に差し掛かると、お堀の向こうの石垣の上でたくさんのオレンジの照明がコウコウと輝いていた。私はチンチン電車の車窓から少し興奮気味に眺めたものです。平和台球場の西鉄ライオンズの試合があっていたのです。ときおりワッ~ワッ~と歓声が沸いていた。これはなんだ、だいの大人がおおぴらに遊んでいる。野球とか子供のすることだと思っていたら、大人が野球であんなに騒いでいる。大人って楽しいだなと思いました。それが私が初めて体験したプロスポーツです。その後、テレビで巨人戦ばかり見て長嶋のファンになり、小学校で仲間内でKチームという野球チームを作って他校の小学校のチームと試合をしていたものです。何故、Kチームなのか? 意味はないのです。その頃は巨人は読売ジャイアンツ・YG、西鉄ライオンズはNLの頭文字を合わせてチームロゴにしていたんです。なので帽子にKと書いてチーム名にしたのです。ただ、アルファベットでKが格好良かったから。そんなことで小学校までは野球ばかりしていました。
 中学になると何故かサッカーばかりするようになります。それは授業の体育の時間にサッカーをすることが多かったからだと思います。まず、授業で野球をすることは無かったですね。何故か、たぶん事故があるから先生が野球をやらせるのが怖かったのだと思います。バットを振り回すので危険なのです。体育が自習となると学校の横の川原のグランドでサッカーばかりしていました。次の時間が始まってもサッカーを止めず、次の授業の英語や国語の先生が困った顔して教室で待ち受けていました。それでもあまり怒られた記憶がありません。でも中学時代も私はラジオでライオンズの野球中継を聞いていました。風呂に入るときもラジオを持ち込んで聴いていました。風呂から上がり脱衣所でラジオを聴きながら、隣の炊事場の母に、「おかあさん、チンチンに毛が生えてきた」と叫ぶと、母は奇妙な顔をしていた光景が印象深いです。そのころライオンズは西鉄から太平洋クラブ・クラウンライターと変わって行きました。太平洋クラブライオンズ応援したな、稲尾ライオンズと金田正一のロッテとの因縁の対決、小さくて片足が不自由な黒人選手のドンビフォード。ビウォードが金田監督を投げ飛ばすポスターがよく貼られていた。
 高校生になると私はサッカー部に入りました。高校3年間はサッカーだけしかしていない。そう言っても過言ではない。ライオンズは、西武に買収されて所沢に行ってしまいました。それと同時にライオンズの主力選手、基・竹之内・東田・若菜は他球団に移籍して行きました。とても寂しい思いをしました。数年してプロ球団の無くなった福岡の町で、「ライオンズを返せ~♪」という歌が流行りました。それでも私は所沢に行ったライオンズを応援し続けました。ダイエーが南海ホークスを買収して福岡にダイエーホークスを作っても、表向きは地元ダイエーを応援していると言っても、やっぱり心情的に応援しているのはライオンズでした。しかし、今はソフトバンクと西武が戦っていたら完全にソフトバンクを応援しています。ただ、高校でもサッカーをしていたようにサッカーが好きなのです。プロサッカーのJリーグが出来てサッカーばかりになりました。Jリーグは地域が支えるクラブという基本姿勢があります、プロ野球機構よりJリーグが正しなと感じています。
 ソフトバンクをドコモやauに勤めている人は応援できないだろうし、所沢でソフトバンクの携帯営業できるのか?どうもプロ野球は企業の宣伝目的に使われている感じがして、素直に応援できなくなりました。横浜ベイスターズが身売りされて新潟に本拠地を移するかもしれませんが、とんでもない話です。プロ野球は本拠地をフランチャイズと呼びます。営業場所ということです。ですら営業場所として適切な場所があれば移転するのです。でもJリーグはホームタウンですから町と共に有るのです。移転することはないし、あってはならないのです。Jリーグの当初、読売ヴェルディと日産マリノスは企業名をチーム名にしていましたが数年後、是正されて川崎ヴェルディと横浜マリノスに改名しました。地域クラブとしての立場をはっきりと理念提唱したのです。
 ヴェルディが経営危機に陥っています。ヴェルディは読売ヴェルディで川崎市を本拠地にしてJリーグに参入し、プロ野球と同じ方式で川崎市をフランチャイズにしていた訳です。そしてフランチャイズを東京に移し、川崎ヴェルディから東京ヴェルディに名称変更します。と同時に読売グループが手を引き、日本テレビが主なオーナーになります。そのようなヴェルディの行動はJリーグの理念に合わず、地元に支えらるチームになり切れない結果、今の経営危機があります。確かにヴェルディは危機ですが、Jリーグは名門ヴェルディを残す策に出るようです。ならばプロ野球のようにフランチャイズにせずにしっかりとしたホームタウンにし、地元から愛されるチームになるよう努力して欲しいと思います。
 野球界は長い歴史があるので、どうのこうの言う気はありませんがファンを大事にして欲しいです。
横浜ベイスターズはこれからも横浜で歴史を作って行ってくれれば良いなと思います。

OBRIGADO JORGE

 第6回のコラムです。あるサポーターにコラムの更新がありませんね。と苦言をたまわりました。えっ、そうなの・・・読んでるのって思って書くことにしました。どうも戦績が悪く書く気が乏しかった。そんなことで、J2初年度シーズンも終わりました。第3節のヴェルディ戦の一勝。ほんとうにあの一勝に終わってしまいました。終盤は8連敗。また甲府戦は06の大敗。シーズン前は最下位だろうとは思っていました。しかし、勝利の女神が34回は微笑んでくれるだろうと思っていましたが、甘い予測でした。まったく勝運に触ることすら出来ませんでした。もっとも顕著だったのはアウェイの徳島戦、奇跡のように逆転して4ゴールも上げたのに、それでも追い付かれて引分け。このチームは奇跡をも両手から落としてしまうチームだと思いました。もちろん実力がそれだけしかない。という見方もありますが、サッカーはチームプレーですからうまいこと力を合わせればチームとしての力を上げることが出来ます。それが監督の仕事で力量です。しかし、それは監督一人で出来ることではありません。クラブスタッフの力がないと。そして何よりデータ収集と分析です。自チームもさることながら相手チームの研究もしなくてはなりません。よく、相手よりも自分たちのサッカーをすることが大事という人が居ますが、それは違います。相手の危険な場所を消してこそ自分たちのサッカーが出来るのです。まず点を与えないことです。それと個の力はグループの力には敵いません。選手一人一人が精一杯やったかではなく、選手一人一人が力を合わせたか?です。ついつい熱くなってしまいました。このように戦績が悪いと誰もが愚痴るものです。Jリーグ事務局では北九州の戦績の悪さを問題にしています。大東チェアマンの眉が上がっているそうです。

さて、オブリガード・ジョージ。4年間の与那城ジョージ体制が終わりました。ギラヴァンツファンはこの4年間で地域リーグからJリーグまで引き上げてくれたジョージさんの功績を誰もが感謝し称えています。私も敬意を表しています。特に地域リーグ決勝大会は短期間に集中開催のためハラハラドキドキの試合でした。あの厳しい試合を勝ち抜いてのJFL昇格はギラヴァンツの歴史に刻まれます。そう、私の作ったドキュメンタリー映像「激闘の2007」と共に永久に語り継がれるでしょう。あの年は桑原・水原・小野たちJリーグから降りてきたベテラン選手の努力がチームをまとめていた。忘れてはいけない水越のことも。あの年、昇格と共に引退してしまった水越のこと。そしてJFLからJリーグへは、佐野祐也を引っ張って来たことが大きかった。これもまたギリギリの昇格で運が良かった。ジョージさんの4年間はピッタリはまった4年間でした。最後の年はJの舞台で戦ったわけですが、結果、責任を取って退任となりました。たぶんジョージさんも限界を感じたのではないでしょうか?シーズン報告会の翌日にブラジルへ一時帰国のため旅立たれたそうです。プロとはそういうものですね。ジーコがドイツW杯の後、直ぐにトルコの次のチームへ向かって旅立っていた光景と重なります。ドライではなくプロなのです。

 さて来年のことですが、三浦泰年の監督就任が報告されました。三浦泰年はJでの監督経験がないのでプロの監督としてまったく評価するデータがないので何とも言いようがありませんが、私は泰年監督にあまり好いイメージを持っていません。4年前ですか、NW北九州は秋田の地で全国社会人大会の準決勝で三浦泰年監督率いる静岡FCと戦いました。その時に泰年監督がベンチ前で、けたたましく叫ぶ大きな声に閉口したものです。何て大きな声だろうと。本城の少ない観衆だとあの声が響くだろうなと思うとゲンナリです。私はファイト・オーよりクールな知将の監督の方が好みです。それはさて置き、就任会見でクラブ側からのコメントに気になることが在りました。「3年契約を結んだ根拠というのは育てながら勝つという、チームコンセプト。三浦監督にチームの望んでいることを託す」とありましたが、選手を育成するのはクラブの強化スタッフがすることです。クラブがやらなくてはいけません。監督の役目は与えられた選手の能力を精一杯発揮できるようにチームをまとめることです。オーケストラの指揮者のような者で、オーケストラの奏者を集め、環境を整えるのは楽団です。全てを監督任せでバックアップするというのは、どうしたものか?それではクラブはどこにあるのですか?クラブの強化組織があってそれが機能してこそ強いチームができるのです。その辺がプロチームとしての準備が整っていないような気がする。そこが、Jリーグ事務局が不安に思っていることです。クラブ自体の成長を待たないとチームの成績も上がらないでしょう。

未来へ向けて一歩一歩成長して欲しいです。今回はオブリガード・ジョージでペンを置きます。


ミスター・ニューウェーブ

  さて、シーズンが終わると選手の入れ替わりがあります。入ってくる選手がいれば出て行く選手がいます。しかし今年、選手は止めるがギラヴァンツには残る選手がいました。ミスターニューウェーブとファンから親しまれた選手、日高智樹選手です。彼の現役引退がシーズン報告会の日に正式に発表されました。ギラヴァンツでは選手はだいたい長くても4~5年しか在籍していません。彼は大学から入って8年間ニューウェーブ一筋にプレーをしました。いや働いて来たと言った方が適切かもしれません。言ってみればギラヴァンツに残る唯一の生え抜きの選手だった訳です。それがミスターニューウェーブと言われる所以でしょう。もちろん在籍期間が長かっただけではありません。そもそも彼は中盤のチャンスメーカーであり、自分でゴールも決めるし、またフリーキックで度々ゴールを決めるフリーキックの名手でした。ずっとニューウェーブの中心選手でしたから、ミスターニューウェーブという称号を与えられていたのです。彼の引退が報告されていろいろな人が悲しみ、残念がる人がいました。また彼の功績を称えて本とかの何かの形に残せないか、というチームスタッフの声も聞きました。その話を聞いて彼は本当に愛されていた選手なんだなと感じました。何かの形に残せれば良いのですが、とりあえずこのコラムに私の知りえる日高選手のことを書こうと思います。
 彼の引退を私が知ったのは、最終戦の熊本戦が終わった熊本の会場です。事情通のあるファンからその第一報を聞きました。それも、彼の「最終戦が終わるまでジメジメしたくないので公表としないでくれ」と、クラブへお願いしていたというメッセージ付きでした。既に戦力外選手が発表されていた時期なので、驚きでした。現役引退ですがクラブには残るということも聞きました。
彼はまだ30歳ですから、戦力外をクラブから伝えられ引退してクラブ職員に入ることを勧められたのだろうと想像しました。彼の本意ではないだろうと思いました。あと2~3年はやりたかったんじゃないかと想像します。翌日のシーズン報告会の席で彼に声に掛けました。
「勝手に引退決めて、自分で決めたんじゃないだろ。人に決められたんだろ。よそに行ってやれば良かったのに」と言うと、彼は苦い顔して、「いや、それだけの気力がないです」と短く笑いました。彼の口数の少なさは彼の信条でもあります。また違う日に、応援団の忘年会にフラッと彼が現れました。ファンが誘い出したみたいでした。その時も少し話をした。これからどうするか。小野信義みたいにアカデミーで選手育成したらどうと言うと、「それもいいですね。でも僕は社長になります。」と惚けたことを言いました。気のきいた冗談が似合わない人間でもあります。
 さて、最近の話はこんなところですが、彼と初めて知り合いになったのは5年前です。私は昔からいろいろとチームの広報関係をボランティア活動していたのですが、チャチャタウンでニューウェーブのイベントを私が企画した時、ニューウェーブ事務局から担当として送り込まれてきたのが、日高くんでした。彼はそのころ事務局の職員をしながら選手をやっていたのです。そこで名刺交換をして、イベントの打合せをした訳です。たどたどしい感じで社会慣れしていない若者でした。しかし、彼は実直に真面目にイベントに取り組んでくれました。選手ではなくイベントの担当として働いてくれました。私はこの時に彼と知り合いになった訳ですが、前々から彼のことは知っていました。たぶん2003年のことです。ニューウェーブが九州リーグの下から3番目ぐらいをうろうろしていた頃です。毎回地元である試合は見に行っていましたが、チーム自体は応援していましたが選手一人々々にまでは目が行ってなかった頃です。そのころラモス瑠偉が沖縄かりゆしの総監督をしていて、与那城ジョージ氏が監督をしていました。本城に敵方として現れていたかりゆしに興味津々で見ていました。ニューウェーブは若い選手が主でアマチュアでした。おおかた劣勢の試合をしていましたが、中盤でゲームメークをしている選手が居るなと思っていたのですが、ある試合で、やはり劣勢の試合でしたが、突然、右サイドから大きくセンタリングがゴールのアウトサイドまでライナーで飛んで、そこに体ごと飛び込んで来て頭でゴールを決めた選手が居ました。それが日高智樹でした。ほう、ニューウェーブにもいい選手が居るなと思ったものです。まだ、福岡教育大学から来て一年目の頃だと思います。それから、それが日高という名の選手だと分かったのは、ある地上波の地方放送のテレビで、北九州からJリーグめざすチームの特集というのがあって、一人の選手が紹介されました。ゼンリンで住宅地図の調査員をしながらサッカー選手を続ける日高選手の映像でした。その時、日高という選手の名前を認識しました。彼の印象は体は小さいがテクニシャンです。ほんとうにうまい選手だと思います。いろんな選手がニューウェーブを出入りして行きましたが、ご存知のように日高くんは一貫してチームで頑張り、一時はキャプテンを務めてきました。そして5年前、チームにJでの経験のあるプロ選手たちが加入します。桑原選手を筆頭にプロ意識注入がチームに起きたのです。日高くんもあの時、意識が変化したと言ってました。あの時、プロ選手への夢を彼は現実のものとして目標を持ったのではないでしょうか。そしてこのチームと共にJリーグに行くことを目標にした。JFL時代、彼はチームとプロ契約しています。ジョージ監督の下、彼はプロ選手でした。ちゃんとしたプロ選手になっていました。そのころ、私がプロデュースしていたケーブルテレビの「サポーターズTV」に2度、彼はゲスト出演してくれました。私は番組をなるべく楽しく演出したいと考えていましたので、本番前に彼に、MCの舞ちゃんからオープニングのところで「この番組見てくれてますか?」って聞かれるから、「久保山(舞)さんのファンなので毎回見てます」って言ってくれ。と頼んだのですが、彼は「疲れますから」とやんわり断りを言いました。ところが、リハーサルでは「時々見てます」と言っていたのに本番では「久保山のファンなので毎回見てます」と言ったのです。その上「いつも可愛いなと思ってみています」と付け加えたのです。おかげて楽しいシーンが撮れました。やる時はやるじゃないか、一皮むけたなと思いました。その後、彼はJFLの試合でMIOびわこ草津戦と三菱水島FC戦で貴重なゴールをフリーキックで決めるのです。それも佐野裕哉が蹴ろうとしているところを割り込んで蹴ってゴールを決めるのです。彼に自分のプレーで見て欲しいところはと聞くと「守備とパスです」と言っていたものですが、意識の変化が起きていたのでしょう。ニューウェーブに日高ありと印象付けます。フリーキックにより。
 その後、ジョージ監督に先発で使われ続けますが、左サイドバッグで使われはじめます。ある時、「この前、サイドバックやってたね」と言うと、「ハイ、突然ですよ。初めてですよ」とちょっと戸惑っていること、また自分のポジションじゃないというのが汲み取れる嫌気な表情に見えました。私もサイドバックでは彼の良さを出せないだろうと思います。しかし、彼は与えられたポジションを必死で勤めていました。昨年、Jリーグ昇格を決めた時の放心状態で何も考えられないですね。というインタビューが思い浮かべられます。その短い記者会見のインタビュー映像をここに載せます。

こういう経験を出来る選手も数少ないのではないでしょうか。彼は応援パーティーや報告会パーティーでよく私のところに来て挨拶に来てくれます。昨年の昇格パーティーの時も来てくれました。その時、退団した森本選手のことを気遣っていました。歳が近かったのでチームの中でも仲が良かったようです。しかし、プロの厳しさ、そして森本は運が悪かったと気遣っていました。怪我のことを行っていたのでしょうが。たぶん彼もあちこち怪我してたと思います。しかし、それも言わずに試合に出続けていたと思います。私は「プロは結果が全てだから、怪我も言い訳にならんし、守備をよくやったといっても評価されないし、自分でゴールを決めることだよ」と私は日高選手に期待を込めて話しました。そして今年、Jの舞台。日高選手は本来のMFではなく左サイドバックで使われました。小さな体で守備に回され苦しい試合をしていましたが、それでも何とかゴールに絡もうと積極的にゴール前に飛び出している姿を目撃します。彼は彼なりに良く頑張ったと思います。それがファンやスタッフの目には分かるのでしょう。彼の引退を惜しみ、残念がる人が多いです。長くチームで働いてくれた日高選手にもOBRIGADOの言葉を贈りたいと思います。


BY アタル


和柄アロハシャツとハンチング


2011年の第一回コラムです。何を書こうかと思いましたが、今回は異色なものを紹介します。イエローブリゲードの団長・長谷川務氏。言わずと知れたギラの熱烈応援団のコールリーダー。彼はチーム創設初年度から先頭に立ってギラの応援を続けている。年々サポーターの数が増えても、ただ地元チームを応援すること、その姿勢に一遍の変わりもない。彼に付いているサポーターから彼の良さを「ぶれない事」と良く聞かされる。ただ地元チームを応援するという彼のその姿勢にあると思う。

だが最近、気になっている。彼と副団長の染岡くんを批判する声だ。彼らのせいでサポーターが増えない。とファンやチーム関係者が言っているのを耳にする。何を言っている、ちょっと粗雑なパンクロッカー風な男たちに馴染めないだけだろう。あれだけユニークに尖がったリーダー達がいるだろうか?彼らはギラの数少ない魅力の一つでもあると私は考えている。礼儀正しく、みんなで手を繋いで応援しようなんて温和な応援団に何の魅力があるだろうか?あれだけ先頭に立って扇動していれば、あらゆる批判を受けるだろう。新撰組のように厳しい規律をもって統率しているのならまだしも、何の規律も枠も無い、多種多様な集団を束ねて、応援の力を合わせるのだ。

相当の気概が無いと出来やしない。そりゃ~文句も言うさ。チームが不甲斐ない試合をすれば、チームとぶつかって当然だ。なのに、どうして昨年は大したぶつかりがなかったんだろう。たぶん長谷川マット氏が抑えているのだろう。チームも応援団も、対立するのではなく、運営者と応援者ではなく、北九州のチームを支え、全国に自慢できるビックチームにすること。向いている方向は同じなのだから、北九州という一つのチームになれるはず。そんなことを思います。

 今回、長谷川君のことを書こうと思ったのは、だいぶ昔、彼がブログをはじめた初期の頃、どうも心に残って気になる記事がありました。それが「和柄アロハシャツとハンチング」と題された記事です。ブログのURLをリンクしますので直接ご覧ください。

http://ameblo.jp/brigade-kokura/archive2-200811.html#main

彼の文章はぶっきらぼうで決して丁寧な書き振りではありませんが、人間性や一瞬の雰囲気を一言で表現できる。うまい文章表現者です。それは荒削りですが天性のものでしょう。また、彼の性格がそうさせているのでしょう。この日の「和柄アロハシャツとハンチング」という文章は、それは昔・35年位前ですか、萩原健一と水谷豊の「傷だらけの天使」というテレビドラマの最終回。ショーケンが死んだ弟分(水谷豊)が入ったドラム缶を蹴っ飛ばして「勝手に死にやがって」と転がしているシーンを思い出しました。チームを応援するサポーターにも人生がある。人への思いやり。簡単には言えないが、それを彼は彼なりの文章で書いている。彼の人格を知りえる秀文です。

 

By アタル



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