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サポーターになったきっかけ

ギラの熱烈応援団のイエローブリゲード。年末になると忘年会が行われる。 私はブリゲードが集まるC席で応援はしないが、団長・副団長との永い付き合いから、毎年、忘年会に呼んでくれる。もちろん、団員と呼ぶのだろうか、知り合いのサポーターもたくさん居る。忘年会はいつも楽しく過ごさせてもらっている。特にあまり顔見知りでない応援者と話すのが楽しい。そして直に友達になってしまう。後々、街ですれ違うと「おぅ!」と手を上げて挨拶する仲になる。ギラサポになったきっかけを聞くと皆さんそれぞれで楽しい。ギラになってからの人、ニューウェーブ時代からの人、アビサポをやっていて苦渋の選択で移籍してきた人。商工会議所の会報誌・北商NEWSのギラページにこんなサポの記事が載っていた。小倉北区京町のリウォーム藤岡の藤岡三八子さんの記事。リウォーム藤岡は洋服の仕立てや寸法直し、修繕などの更正を引き受けるお店。ある日、仕事場にひとりの青年が洋服の更正に尋ねてきたそうで、藤岡さんは「ブティックの紹介で来たのだろう」と気にもしなかったが、その後も来店する日が続いたので、職業は何かなどと尋ねてみたが「ただの洋服好きですよ」と煙に巻かれた。しばらくして、ある雑誌に載っていたその青年の写真に目が止まった。青年に直接尋ねた。「ニューウェーブ北九州の桑原裕義選手ですか?」。「まだJFLの時代だったのでサッカー選手と名乗りたくなかった」のだそうだ。それから藤岡さんは北九州の活性化に、ギラの応援に、そして何より桑原選手の人柄に惚れ、お手製のアップリケで作った横断幕やゲーフラを掲げて応援しているそうです。これも一つ楽しい逸話だなと感じ入りました。もう一つ面白い話を、あるサポーターから聞きました。彼はよく関東やアウェイの会場にもギラの応援旗をもって応援に行く熱血サポーターの一人なのですが、関東の試合に時々現れるようになった東京在住の青年がいて、その青年は北九州出身のプロボクサーで白石豊土といい、協栄ジムでトレーニングをしていて、今度の12月3日に東京の後楽園で東洋太平洋チャンピョンに挑戦することになったとか。ギラサポ仲間で応援してやりたい。そう言ってました。ギラサポが作る北九州応援隊。輪が広がるといいなと思います。OPBF東洋太平洋スーパーフライ級タイトルマッチ赤穂 亮(横浜光/チャンピオン) 12R 白石豊土(協栄/同級1位)12/03(土)後楽園ホール17時45分白石豊土プロフィール


新スタジアムとプレーオフ

2011年シーズンも終わり、好成績に終わってホッとしたところですが、退団選手が発表され、ファンとしてはいろいろと気を揉むところです。来シーズンはどうなるだろうと心配されますが、今年同様に三浦泰年体制で万全を尽くせば今シーズンより少しの向上は望めると思います。来シーズンから導入されるプレーオフに参入できるのではないかと確信しています。だからこそ、私がいま気にしていること。新スタジアムと来年6位以内に入った場合、プレーオフに参加できるのか? それです。そのことを北橋市長が11/30の市議会で議員からの質問で答弁されていますので、ここに転記します。だいたい答弁はあらかじめ原稿が用意されていて原稿を読むだけですが、『』の発言だけは目線を上げ、自分の気持ちをアドリブで話されたようです。気持ちの入った言葉になっていました。どうぞご覧ください。 ☆ ギラヴァンツ北九州及び新スタジアムについてお答えします。J2リーグに昇格して2年目、今シーズンは16勝でございます。今現在20チーム中6位の好成績ございます。昨シーズンはわずか1勝の最下位でございました。その残念な成績から大躍進を遂げたわけでございます。先日、ホーム最終戦・東京ヴェルディ戦を観戦いたしましたけれども、7000人くらいでしょうか会場に詰めかけた北九州サポーターに勝利を届けようと懸命に奮闘している選手の姿に私も感銘を受けました。一丸となって頑張っている三浦監督をはじめ、選手・スタッフの心を一つにして、一心というキャッチコピーのもと懸命に努力されていることに改めて敬意を表するものでございます。ギラヴァンツ北九州は中・長期的な目標としてJ1に定着できるチーム作りを掲げております。戦力強化と並行しまして、入場料収入を増やし新たなスポンサーを獲得するなど、クラブの運営基盤の拡充・安定を計ることを考えております。今シーズン開幕前には3年間でJ2で戦えるチームを作り、5年を目途にJ1昇格を狙うというビジョンが示されていました。これを上回る戦績、また試合内容の戦いぶりでございます。来シーズンから始まりますプレーオフ制度を見越して、市民サポーターは早くもJ1昇格に期待を膨らましていることは、十分に意識しております。一方、J1昇格につきましてはリーグ戦の成績は当然でありますが、J1規格のスタジアムに加えクラブの経営状況など、Jリーグ規約に定める基準を満たす必要があります。本城陸上競技場は観客席がJ1規定の1万5千席におよばない外、大型映像装置・観客席の屋根・選手更衣室・室内練習場などの点においてJ1規準を満たしておりません。そもそも本城陸上競技場は多くの人が集まるには交通のアクセスが悪く、周辺は閑静な住宅地であるため、騒音・駐車マナーの苦情など根本的な課題を抱えています。さらにJリーグが公開しております2010年度経営情報によりますと、J2クラブの運営規模は平均9億円でありますが、ギラヴァンツ北九州は5億円弱と十分ではない状況であります。そこでJ1の基準に満たすため先ずは市民や地元財界と協力して、ギラヴァンツ北九州の運営基盤の強化の支援を努めるとともに、新競技場の建設に着実に取組んで行きたいと考えています。合わせてクラブと連携・協力を計りつつプレーオフに臨むことができるような、特例扱いの余地がないか? など情報収集やJリーグとの協議に努めてまいります。  次にプロスポーツチームを持つことの効果は、経済効果に止まらず、地域の絆の再生にあるのではないかという質問にお答えします。スタジアム・球場といったスポーツの施設は、図書館やホール・美術館などと同じように市民が文化的で質の高い暮らしを実感できる都市の施設だと考えています。新球技場はサッカーやラグビーなどレベルの高い試合やコンサートなどの開催によりまして、市民に夢と感動を与え、豊かで活力のある北九州市の創出に寄与するものと期待しております。サッカーはアジアをはじめ世界の国々においてもっとも普遍的・一般的スポーツであります。新競技場は多くのファンが交流を深める場となることが期待されています。北九州という名の付いたプロスポーツチームの活躍は街の賑わいの創出やふるさとを愛する気持ちを高揚させると思います。市民が心を一つにする誇りや一体感の醸成に繋がるものと考えております。 『市民の皆さんが本城競技場にお足を運んでいただきまして、サポーターのファングループの皆さんが北九州とエールを送る、あの声を一度聞いていただきたいと思います。その時に、どう感じられるのか?北九州市民なら同じように熱いものを感じると私は信じております』 市民が気持ちを一つにする誇り、そして一体感の醸成につながるものと考えております。これは経済的価値でどのように測定できるか? 私には分かりませんが、これは極めて大切な価値があると私は確信しております。基本構想であります元気発進北九州プランの中でも市民が一体となれるシンボル事業の推進を掲げ、プロスポーツチームを支援していく事としております。経済効果につきましては先月から行われております。公共事業評価委員会でも経済効果のみならず、街としての品格や多面的な価値をも見据えて議論を進める価値があるとご意見を頂戴しております。一方、市と致しましては多額の投資を行う事業でありますので、街の活性化や都市ブランドの向上などの事業効果の一つとして、経済効果を市民の皆様にお示しすることも重要と考えています。いづれにしましても新球技場の建設につきましては市民のご理解が不可欠だと思います。事業着手前に公共事業の評価を2度お受けします。そして新競技場の多面的効果も含め、可能な限り市民・関係団体に説明し意見をよく聞きながら丁寧に進めたいと考えております。 ☆ 新競技場建設反対者に考慮して、理解を求めたい意志がくみ取れる良くでき答弁です。 プロスポーツチームのある街=元気な街。それは既存のプロスポーツチームを有する街が元気で発展している街である。はっきりとそう示しています。ヴァンホーレ甲府の社長が県知事にサッカーを陸上競技場でやるのは、オペラを体育館でやるようなものだ。と言って 専用競技場の建設を求めたそうです。箱がないと文化が育たないとは言いません。しかし文化は箱があれば大きく花開し象徴となりえるのです。是非、新スタジアムの建設に努力していただきたいと思います。


2011年の締めくくりに

「北九州のポテンシャルは高いよ。ただ、もっと中央とパイプを持って、質の高い運営をしていかないと駄目だ」

これは、日本サッカー協会の関係者から聞いた言葉だ。確かに北九州のポテンシャルは高いと思う。100万人切ったとは言え政令指定都市だし、名の通った地元企業もある。それに何と言っても街の真中に球技専用スタジアムを造ろうとしている。これを考えるとポテンシャルは確かに高い。しかし、そのポテンシャルは大きいだけで錆付いている。北九州は鉄の街、重工業地帯として繁栄してきたが、鉄冷えの後、北九州はどっぷりと錆付いた街になってしまった。それは長く時を重ね、人々の心をも錆付かせている。それをもう一度、活気ある街にするには至難な業である。そう、眠れる獅子を起こすのは至難な業ということです。さて、スタジアムという箱物を造って、錆びた鉄に磨きを掛けられるだろうか? スタジアムだけでは珍しさだけで一時的な物になり、メディアドームの二の舞になってしまうであろう。やはりギラヴァンツ北九州というソフトが、人々の関心を持てる魅力を発信つづけないと、錆び付いた街は輝かないと思う。

スタジアムが出来るまで5年の歳月が掛かる予定です。その間に地域に愛される人気チームにしなくてはならない。本城は北九州では西の端にあり、アクセスの悪い場所。施設自体も陸上競技場でサッカーを観戦するにはお粗末な会場だ。しかし、それを理由に観客が集らないことを是としてはならない。たとえ注目を集めにくい場所だとしても、市民の関心を集められるような仕掛けをどんどん打って行くべきで、やはりプロモーションが大事。そしてチーム自体にも魅力を持たせなくてはならない。残念ながら今のギラヴァンツに話題を提供出来だけの魅力がありません。今年、北九州のサッカーを応援されてきたファンの方は昨年の成績から比べ良くやったと拍手を送っておられると思いますが、私には物足りないのです。今年から若い選手を起用して育てようとの考えのようでしたが、その若い選手に元気がない。チャレンジ精神があるのか、まったく怖さも何も感じさせない。どう動けば良いのか、どう頑張れば良いのか、考えて動くことを教えなければ、成長はない。技術が急に伸びるわけではない。個の成長は個の努力、チームの成長は監督力です。クラブの成長はフロント力です。各々は各々に能力のある人材を引き入れてクラブ全体として成長して行かねばなりません。北九州にはサッカーファンが多い方です。とくに少年サッカーのジュニア世代は活気があって多くのチームが存在します。また、多くの有名選手をそのジュニアチームから排出しています。ところが、そのサッカーに関心ある子供たちは非常に目が肥えていて、あこがれの選手はバルセロナのメッシとかレアルマドリードのロナウドという名を上げます。BS・CS放送でヨーロッパのサッカーを目の当たりにしているのでしょう。なかなか、地元のJ2チームに関心を持たないようです。元々サッカー好きのおじさんや地元チームやからと応援してくれていたファンから、Jリーグに昇格して、関心を持ち出してくれた若い層のファンが増え始めました。一挙にではありませんが、ちらほらと増え始めました。特に新スタジアムを建てるという話題があり、市民には知られています。しかし、本来のJリーグの魅力、ギラヴァンツの魅力を伝えきれてないのです。どうすれば伝えられるのか、それがプロモーションであり仕掛けなのです。メディアの協力が得られにくい北九州という地域柄をどう乗り越えていくか、努力しなくてはなりません。フロント力です。

しかし、今年は一ファンである私を楽しませてくれました。16勝もしたのだから。来年は、もっと期待したいので、まだまだ物足りないと言っておきます。


Kyu・リーグ観戦をとおして地域スポーツ文化を考える(その2)

私がこのコラムの最初に引用した業界機関紙(測量と文化)のタイトル。このタイトルのコラムを寄稿させていただいたのは1995年の秋季号でした。その16年前の「測量と文化」を取り出して眺めてみました。すると、その号のトップ稿に小倉駅のモノレール乗り入れ計画とイメージ図が載っており、16年の歳月の流れに懐かしさを感じました。当時、小倉駅ビル建設とモノレール建設は別事業で行われ、それぞれの工事位置に差違がないか、発注機関より検測を頼まれ、2.5cmほど長いという結果が出て、モノレールの長さの調整をして貰ったことがありました。

さて、本題の北九州の地域スポーツですが、こちらも16年で様変わりしました。この不況で企業はスポーツによる福利厚生費を削減し、北九州の企業スポーツは悲惨なことになりました。1998年に小倉の住友金属ギラソールバレーボールはVリーグから退会、休部。都市対抗に37度出場を誇る新日本製鉄八幡野球部は、2003年に長い歴史を閉じ廃部。このように北九州のスポーツ文化は衰退して行きました。

前寄稿で、新日鉄のクラブチームを市のサッカー協会が中心になってJリーグチームに育てようと計画していることを記してましたが、その新日鉄サッカークラブも廃部になりました。サッカー界にはもう一つ悲しいことがありました。宮本輝紀氏が亡くなられたのです。日本リーグでは新日鉄で活躍され、メキシコオリンピック銅メダルの快挙を成し遂げた日本代表の攻撃的中盤、今で言えば遠藤・長谷部的存在の方でした。宮本氏は長く北九州のサッカーを支えて来られていました。私のような素人サッカーマニアにもやさしく真剣に接していただきました。大変残念に思います。

しかし、北九州の有志は「全国の政令指定都市でプロスポーツがないのは北九州だけだ!」 を合言葉に夢を諦めていませんでした。九州リーグに在籍するもう一つの北九州のチーム・三菱化学黒崎。この黒崎のチームも会社が企業チームとして持ちこたえられなくなり、チーム存続の相談が北九州のサッカー協会に持ち込まれた訳です。2002年にこのチームを貰い受け、市民チームとして北九州の誰もが応援できるクラブとして誕生させました。そう東田で北九州博覧祭が開かれていた時分です。それがギヴァンツの前身・ニューウェーブ北九州です。そして当時の末吉市長にもバックアップのお墨付きを頂き、Jリーグを目指すと宣言したのです。企業にたよらず、市民一人一人の支援費だけでクラブを賄い、選手は昼間は仕事、夜は市営桃園競技場か三菱化学黒崎グランドで練習。

そして無償でサポートしていただくスタッフやサポーターにより運営されました。衰退した100万都市に新しい活性化の波を起こそうというネーミングでしょう。この名称はJFLに昇格した時に正式名を付けるまでの仮称の予定でしたが、実際はJリーグ昇格時にギラヴァンツと変更するまで、九州リーグからJFL時代の9年間に渡り使われました。

まず、九州リーグについて説明します。日本のトップリーグがJ1、その下がJ2、その下がアマチュアですがJFL。これらは全て全国を範囲にしてリーグ戦で戦っています。その下に全国を9つの地区に分けて地域リーグがあります。その中の一つが九州リーグです。NW北九州はそこからスタートしました。

初年度は旧新日鉄と旧三菱化学黒崎の選手スタッフを中心に構成して戦われ初代監督は新日鉄チーム出身の折出さんでした。実はこのニューウェーブというチーム名で九州リーグに参入する前、末吉市長のプロスポーツ育成というルネッサンス構想のスローガンのもと、北九州を代表するチームとして、新日鉄と三菱化学の選手、及び大学生から選抜した北九州選抜チームを作っていました。そのチームもニューウェーブ北九州というチーム名を使っていました。市長杯でアビスパ福岡を招いて試合を行っていましたが、その対戦相手が北九州選抜のニューウェーブ北九州でした。その時の北九州の監督が前記しました故宮本輝紀さんがされていました。

九州リーグ初年度、折出監督の一年目は10チーム中7位に終わりました。それも最終戦前4試合まで最下位でした。それを緊急補強して4連勝して県リーグへの降格を免れるという散々の結果でした。形だけ整っても現実は甘くなかったのです。

2年目、新入団選手のセレクションを行ったところ、大学卒の有望選手が応募してきて良い選手が加入することになりました。プロ選手にはなれないがサッカーを続けたいという選手がNW北九州を選んでくれたのです。それはやはりJリーグを目指すとはっきりと宣言しているチームであり、彼らの希望にマッチしたチームだったからでしょう。

2年目はセレクションで選ばれた新加入選手が、6~7人がレギュラーに名を連らねるというメンバーで戦うことになりました。新加入選手は攻撃的選手が多く、多彩な攻撃で得点力をあげました。しかしディフェンスが弱く、失点を防げず勝ち切れない試合が続きました。それでも攻撃力のアップで2年目は12チーム中4位と大躍進しました。

九州リーグは運営費節約のため土日を使って全チームが一箇所に集まって集中開催されます。開催地は持ち回りで、北九州は年に2回の開催地になり計4試合をNW北九州の試合を地元で観戦することが出来ました。地元開催は、サポーターが街頭でチラシを配って宣伝を行った甲斐もあり、たくさんの市民が応援に駆け付けてくれました。と言っても500人程度でしたが、でも当時としては多いと感じていました。しかし、戦績は振るいませんでした。やはりアマチュアの選手・監督では上位に行けませんでした。当時も九州リーグで2位以内になればJFLに昇格できる地域リーグ決勝大会に進めるのですが、当時、プロ化を進めていたロアッソ熊本や大分トリニータの前身チームに上位を占められ、先を越されて行きました。北九州も2代目監督に黒崎化学出身の小野さん、そしてやっぱりプロの監督じゃないダメだと読売ヴェルディで活躍した地元出身の千疋さんを3代目に迎えましたが、最高位3位止まりでした。

小野監督時代だと思います。NPO北九州フットボールクラブというのを設立してボランティアでクラブを支援始めたのは、当初はゼンリンと井筒屋だけが支援企業でしたが、駅前のチラシ配りや、当時、門司競輪場跡地にサッカー場をという署名活動もボランティアでやっていて、それがテレビで報道されだして、それを見た商工会議所が、このような市民運動があるのであれば、商工会議所も協力しよう。地元企業に支援の輪を広げようじゃないかとなったのです。それから段々に支援企業が現れだして、少し資金的に余裕が出始めて、千疋監督の2年目に、Jリーグで活躍していたプロの選手をチームに引き入れたのです。それが6年前、桑原・小野・水越・宮川選手たちです。4万人入るようなスタジアムでやってきたこのプロの選手たちは、観客席のない平場のグランドで、それも芝が剥げ剥げの土のグランドのような会場でプレーをしてくれました。小野信義が何かのインタビューで言っていた言葉が、「思ったよりレベルが高いのでビックリしている」という言葉が印象にあります。彼らは全力で必死で戦っていました。それを見てアマチュア選手たちもプロ意識を会得していったのだと思います。それでもプロ選手加入一年目も九州リーグを抜け出すことは出来ませんでした。そして、実力のあるプロの監督を招聘したのです。与那城ジョージ。その後のことは皆さんもよくご存じだと思いますが、1年で九州リーグを卒業し、2年でJFLを卒業、J2を1シーズンだけジョージさんが指揮を取り、三浦泰年監督で1シーズン。現在に至る訳です。クラブとしてはプロを目指すといって長い年月が経ちました。しかし、Jリーグのプロとなってからはまだまだ船出したばかりなのです。まだまだ足りないものがいっぱいある。逆に言えば伸び白がいっぱいあると言いましょう。

記録を確認して書いたわけではありません。記憶間違いがあるかもしれません。悪しからず。

 

By アタル


この本の内容は以上です。


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