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この物語はフィクションです。
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哂う月の夜

~終 章~


井上ハルヲ











堕落天使


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1

「何かえらい疲れてそうですね」
 パイプ椅子に体をあずけて目を閉じていた新堂は、突然横から声をかけられ驚いたように目を開いた。一瞬何が起こったのかわからないという表情をした新堂を、相棒の石田が呆れたように見やる。
「新堂さん……もしかして寝てたんですか?」
「……人聞き悪いヤツやな。寝てたんとちゃうぞ。考え事してたんや」
 暴力団関係の事件を扱う捜査四課の刑事にしては小柄で温厚そうに見える新堂は、軽く伸びをするとパイプ椅子からのっそりと立ち上がった。
「報告会、いつの間に終わってたんや?」
「やっぱり寝てたんやないですか」
「アレで寝るなっちゅう方がどうかしてるぞ」
 肩をすくめた石田を一瞥し、新堂は欠伸をかみ殺した。
 事件の捜査員たちが捜査の報告をするために毎日のように会議が開かれるが、報告するものが何も無い報告会ほど無駄なものは無い。指揮官のヒステリックな激もいいかげん聞き飽きてくるというものだ。
 捜査本部になっている会議室の中央左右には十本ずつ長机が並べられてあり、前方の壁に大きなホワイトボードがある。『暴力団組員射殺事件および淀川河川敷死体遺棄事件』と上部に大きく書かれたボードには、所狭しとばかりに地図や写真が貼られてあった。
 夏の終わり頃に桜島梅町で起きた『暴力団組員射殺事件』は、約二ヵ月後に被疑者が淀川河川敷において腐乱死体で発見されるという結果で幕を閉じた。
 この事件に関しては、事件現場の所轄であるK署に捜査本部がおかれていた。
 被疑者である稲村組系弘竜会組員の北村一馬は、拳銃を所持したまま逃走し、かなりの数の捜査員が北村を追って市内を走りまわった。だが、何の進展もなく二十一日が過ぎ、捜査本部は一期のみで解散となった。
 その解散からわずかひと月後、今度は隣のN署管轄である淀川河川敷で衣装ケースに詰められた男性の腐乱死体が発見された。解剖の結果、その死体が『暴力団員射殺事件』の被疑者である北村一馬のものであるとの結論が出た。
『暴力団員射殺事件』は犯人である北村一馬の死という結果を迎えて決着はついたものの、今度はその北村が被害者となる事件が発生することとなった。
 本来なら所轄のN署内に捜査本部が設置されるはずが、『淀川河川敷死体遺棄事件』の捜査本部は、府警本部内に立てられた。
 それというのも、北村一馬が所持していた拳銃から発射された弾丸のライフルマークが、昨年秋に大阪湾に浮いた稲村組系塚本会の会長、塚本和己の体に残されていた弾丸のライフルマークと一致したからだった。
 これによって篠原高志と大野組の坂井雄一を殺害した北村には、塚本和己殺害にも関与の疑いがもたれる事となった。事件発生から何の進展も無く、迷宮入りの気配を漂わせていた『塚本和己殺害事件』は、思わぬところで展開を見せたのだった。
 こうして、バラバラに起きた三つの事件は、妙な関連性を持ち始めた。結果、府警に合同捜査本部が立てられ、一旦解散した射殺事件の捜査を行っていた本部の捜査一課凶行犯係が、それぞれの事件の所轄であるK署、N署、M署の捜査員を率いて合同捜査を行うことになった。
  被疑者被害者ともに暴力団関係者ということもあり、捜査四課の新堂と石田もまた、応援要員として合同捜査本部の末席に加わった。
 だが、合同捜査本部が立ったからといって、事件が早々解決するわけでもない。北村一馬の腐乱死体が発見されてから二週間が経った現在も、犯人逮捕に繋がる手がかりはつかめず、捜査員たちの報告の数も会議を重ねるごとに減ってゆく。今日も捜査員たちの報告を兼ねた会議が朝から開かれたが、新たに報告する事などゼロに等しかった。
 分厚い捜査資料一式を小脇に抱え、新堂は無言のまま会議室を出ていく。その後ろを石田が慌てて追いかけていった。
「マル被、全然あがりませんね」
 まだ新築の匂いが残る新庁舎の廊下を歩きながら、石田は少し前にいる新堂の背に向かってそう問いかけた。
「やっぱり北村を殺したんは稲村組の黒川とちがうんですか? 俺は絶対アイツやと思うんですけど」
「なんでそう思う?」
 振り返りもせずにそう言った新堂に、石田が不満そうに唇を尖らせる。
「何でって、前に新堂さんも言うてたやないですか。黒川は絶対に裏切り者は許さへんて。北村は黒川を裏切って大野組に尻尾振ったんでしょう? 黒川の側近も北村に刺されて重傷やし、そんな北村を黒川が許すはずがないやないですか」
 確かにそうかもしれない。石田の言い分にも一理あると新堂は思った。
 黒川征二という男は裏切り者を絶対に許さない。傲岸不遜で人を人とも思わない冷酷な男。黒川に敵対するものは、皆口をそろえて黒川をそう評する。
 淀川河川敷で腐乱死体で発見された北村は、激しい暴行を受けた末に殺害されている。北村殺害の首謀者として一番疑わしいのは、稲村組組長である黒川征二だ。たとえ黒川本人が直接手を下していないにせよ、黒川が北村の殺害を舎弟に示唆し実行させたのであればそれは充分罪になる。
 おそらく黒川は北村殺害を舎弟に示唆し、実行に移させただろう。だが、それが必ずしも成功したとは限らない。
 北村を狙っているのは何も黒川ばかりではないからだ。
 黒川の報復に怯えた北村は、裏切りを持ちかけてきた同じ弘竜会の構成員である篠原高志を射殺した。また、自首することを勧めた弘竜会の頭の池澤忠行を殺害しようとして失敗している。頭である池澤を傷つけられた弘竜会の構成員たちは、死に物狂いで北村を追っていたという。
 また、北村は関東との渡りをつけてきた大野組の坂井をも殺害した。むろん大野組がそれを黙って見過ごすはずもなく、北村は大野組からも追われていた。
 稲村組、弘竜会、大野組、三つの組織から追われ北村は殺害された。北村殺害を成し遂げたのはいったいどこの組織なのか。
 何かを考え込むように立ち止まった新堂は、半歩後ろを歩く石田をふと振り返った。
「黒川は限りなく黒に近いグレーや。完全にシロやない限り、グレーは黒やとも思うんやけどな」
 北村の死体が発見された際、任意出頭を求められた黒川は、それを拒むことなく本部へと姿を現した。 そして北村殺害に関して、自分は一切関与していないことを主張した。
「俺が手ぇ出す前に北村のカスを殺ってくれたんや。そいつに礼せなあかんて思ってるくらいや」
 取調べの刑事を前にして不適にそう言って笑った黒川を思い出し、新堂は眉間に皺を寄せた。
「新堂さんは、北村を殺ったんは黒川と違うって思ってるんですよね」
「まだ何とも言われへんけどな。仮に北村を殺ったんが黒川やとしたら、淀川の河川敷なんかに死体を放置したりせぇへんやろ」
 放置どころか、むしろ北村の死体はどこからも出てくることはなく、行方不明のままとなるだろう。
 暴力団があからさまに死体を放置するのは、見せしめの意味を持つ場合が多い。組を裏切ったことを内部に見せしめるのであるならば、わざわざ死体を放置する必要などない。北村が上部によって粛清されたという事実だけを組の構成員達に知らせれば良いだけだ。死体は闇から闇へと葬られ、表に出てくることはない。
 だが、北村はリンチの上殺害されて死体を淀川河川敷に放置された。見せしめであるならば、いったい誰が誰に見せしめるためにそうしたのか。新堂が気にかかるのはこの点だった。
「ヤクザのやることに理屈なんかないでしょう。死体の処理に困って河川敷に捨てたんやないんですか」
「黒川がただのドチンピラやったらそうやろうな。そやけど、あいつは違う」
「違うって何がです?」
「あいつは聡いんや。子悪党のずる賢さと違う。頭がキレる分タチが悪い。たとえ殺ってたとしても、あいつはそんな証拠、絶対につかませへん。それに――」
 一瞬間をおいた新堂は、石田にちらりと視線を送った。
「黒川の側には大崎がおる」
「大崎って、黒川の愛人とか言われてるあのオカマでしょう?」
 馬鹿にしたような笑いで口元を歪ませた石田を見やった新堂は、疲れたようにふっと息を吐き出した。
「オカマが尻奉公だけで幹部になれるようなクソみたいな組やったら、稲村組はこんなに巨大化してへんぞ」
 昨年秋に起きた繁華街での発砲事件の際に、新堂は初めて稲村組若頭補佐である大崎誠人本人を見た。大崎の整った顔立ちは、写真で見るよりもずっと目を引いた。目を引くが、それは決して『女のような』という形容詞がつくものではない。
 きつい目をした男だと新堂は思った。あれは死を恐れない者の目だ。失って困るものなど何一つとしてない、そういう人間だけが持つ目だ。
 日本の最高学府と呼ばれる大学を卒業し、国家一種試験まで合格した男。本来ならば、どこかの省庁でキャリアとしてエリートコースをひた走っているはずの大崎は、稲村組組長である黒川の傍らでその能力を振るっている。
 いったいどこでどう人生を踏み外せばこんなことになってしまうのか。新堂は大崎誠人という男に少なからず興味を覚えていた。
「石田」
 ふいに改まったような声で呼びかけられ、石田がとっさに「はい」と返事をする。
「黒川と大崎は捜一のヤツらががっちりマークしてるやろ。こっちは稲村の周りの動きでも調べるか」
「周り、ですか」
 怪訝そうな石田の声に、新堂は無言のまま小さく頷いた。
「ただの俺の感なんやけどな、この一連の事件、稲村の内部のゴタゴタだけで済まへんような気がするぞ」
 二十年前、新堂が所轄から府警本部に引き上げられて間もない頃、暴力団の激しい抗争があった。一般人をも巻き込んだ、血で血を洗う抗争は二年あまり続き、世間を震撼させた。その暴力団同士の抗争が今また再現されるかもしれない。
 新堂は苦いものを飲み下すかのように、唇を引き結び眉間に深く皺を刻み込ませた。


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