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戦国草津温泉記 湯本善太夫

戦国草津温泉記

湯本善太夫

 

 

井野酔雲

 

 


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戦国草津温泉記 湯本善太夫

飄雲庵

 

 あの男が草津にやって来た。

 あの男が来てから、いくさが始まった。

 善太夫ぜんだゆうが十二歳の時だった。

 当時、まだ、善太夫とは名乗っていない。

 湯本次郎と呼ばれ、大叔父、成就院じようじゆいんのもとで武芸の修行に励んでいた。

 天文てんぶん十一年(一五四二年)の夏の初めの事である。

 次郎がその男を見たのは、草津の入り口にある白根明神の境内であった。

 当時、白根神社は現在の運動茶屋公園から草津小学校にかけての一帯にあった。囲山かこいやま公園の地に移ったのは明治に入ってからの事である。

 広い境内には宿坊しゆくぼうがいくつも建ち並び、大勢の山伏やまぶしたちが修行に励んでいた。次郎の大叔父、成就院も白根明神に仕える山伏だった。

 次郎は武芸の師匠である円覚坊えんがくぼうという山伏を相手に剣術の稽古をしていた。

「エーイ!」と汗びっしょりの次郎は、円覚坊に向かって木剣を打った。

 円覚坊は簡単に次郎の木剣を避けると、「それまで」と言って、鳥居の方を眺めた。

 見慣れない武士が鳥居の下で馬を降りていた。

「真田弾正忠だんじようちゆうじゃ」と円覚坊は言った。

 次郎には、その真田弾正忠という武士が何者なのか分からなかったが、弾正忠と一緒にいる鎌原かんばら筑前守ちくぜんのかみは知っていた。筑前守は次郎の伯父であった。

「おお、次郎坊か、大きゅうなったのう」と筑前守がニコニコしながら声を掛けて来た。

 そして、弾正忠に何事か言うと、今度は弾正忠が、「湯本殿の御子息か‥‥‥いい面構えをしておる」と低い声で言って、うなづいた。

 一体、何者だろう、と次郎は弾正忠の顔を見上げていた。

 年の頃は三十前後か、左のほおに矢傷らしい傷が引きつっている。何度も戦に出た事のある顔付きだったが、優しそうな目をしていて、悪い人じゃなさそうだ。身なりは大した事ないが、伯父の態度からすると偉い人なのかもしれないと次郎は思った。

 弾正忠の後ろには二人の武士がいて、何が可笑しいのか、次郎の方を見て笑っていた。

 弾正忠は次郎から隣にいる円覚坊に目を移すと、「おぬし、こんな所におったのか」と驚いたような顔をして言った。

「はい、お久し振りで‥‥‥」円覚坊はニヤニヤしながら頭を下げた。

「確か、移香斎いこうさい殿を捜しておったようじゃったが、会う事はできたのか」と弾正忠は円覚坊に聞いた。

「ようやく、会えました。この地で飄雲庵ひよううんあんと名乗って住んでおりました」

「なに、移香斎殿が、この草津におるのか」弾正忠は目を丸くして、円覚坊を見つめた。

 円覚坊は首を振った。「もう四年程前にお亡くなりになりました」

「わしらも知らなかったんじゃよ」と筑前守は笑った。「飄雲庵と名乗る変わったお人がいおりを結んで住んでいるというのは知っておったがの、そのお人が、まさか、愛洲あいす移香斎殿じゃったとは、円覚坊がこの地に来て、初めて分かったんじゃ」

「そうじゃったか‥‥‥移香斎殿はお亡くなりになられたのか‥‥‥後で詳しく、話を聞かせてくれ。しばらく、ここでのんびりするつもりじゃ」

 そう言うと、弾正忠は筑前守と共に拝殿はいでんの方へと向かった。

「師匠、何者だ」と次郎は弾正忠の後ろ姿を見送りながら、円覚坊に聞いた。

「信州真田の領主じゃ。去年、領地を追われてのう、上州に逃げて来たんじゃよ」

「浪人か」

「まあ、今はそうじゃのう。だが、このまま、浪人で終わる男じゃない。顔を覚えておいて損のない男じゃ」

「そうか‥‥‥真田弾正忠だな‥‥‥」

 昨年の五月、信濃の国(長野県)小県郡ちいさがたぐん真田郷松尾城の城主だった真田弾正忠幸隆ゆきたかは、甲斐(山梨県)の武田信虎のぶとら(信玄の父)、信濃の豪族、村上義清、諏訪頼重、三氏の連合軍に攻められ、関東管領かんれいである上杉氏を頼って、上野こうづけの国(群馬県)に逃げて来た。

 上野の国の吾妻郡あがつまぐんには真田氏と同族である鎌原かんばら氏、羽尾はねお氏、大戸おおど氏、そして、湯本氏らがいた。

 真田幸隆は管領上杉氏の重臣である箕輪みのわ城主の長野信濃守しなののかみ業政なりまさと会い、業政と共に、平井(藤岡市)の城下に行き、管領上杉憲政のりまさに助けを求めた。

 憲政は快く引き受け、その年の七月、村上義清を攻めるために信濃に出陣したが、はかばかしい戦果は得られなかった。

 幸隆は長野信濃守の城下箕輪(箕郷町)に一年近く滞在しながら、真田に復帰する機会を待っていたが、管領上杉氏に失望して箕輪を引き上げ、鎌原氏のもとに戻って来た。そして、鎌原筑前守に連れられて、草津の湯にやって来たのだった。

「弾正忠が移香斎と言ってたけど、そいつは何者なんだ」

 次郎は幸隆の後ろ姿を眺めながら、円覚坊に聞いた。

「わしの大師匠じゃ」と円覚坊は言った。「陰流かげりゆうという武術を編み出した偉いお人じゃ」

「師匠の大師匠という事は、相当に強かったんだな」

「わしなんか問題にならんわ‥‥‥想像もできん程の強さじゃ」

 円覚坊は遠くの山々を眺めながら、目を細めて言った。

「飄雲庵と言ってたんだな」

「そうじゃ。鬼ケ泉水おにがせんすいに庵を建てて、住んでおられたんじゃ」

「知ってる。お爺様の所によく来ていた」

「おお、そうじゃったのう」

「よく、お爺様と一緒にお茶を飲んだり、歌を詠んでいた」

「うむ。移香斎殿は飄雲庵と名乗ってからは、決して、剣を手にしなかった‥‥‥」

「なぜだ」

「分からん。移香斎殿は陰流の極意は『和』じゃ、とよく申しておった‥‥‥」

「和?」と次郎は首をかしげた。

「和じゃ‥‥‥陰流の極意は『和』じゃ」と円覚坊は力強く、うなづいた。

 次郎と円覚坊は再び、陰流の剣術の稽古を始めた。

 

 真田弾正忠幸隆は弟の矢沢薩摩守さつまのかみ祢津ねづ美濃守みののかみと一緒に一月程、草津の湯に浸かってのんびりと過ごし、鎌原へと帰って行った。

 滞在中、三人は何度か円覚坊のもとを訪れ、昔話や愛洲移香斎の話を楽しそうにしていた。次郎もその場にいて、皆の話を興味深そうに聞いていた。

 草津温泉は群馬県の北西、長野県との県境近くの山中にあり、強烈な硫黄いおうの臭いのするお湯が涌き出ている湯畑ゆばたけを中心に昔から湯治場とうじばとして栄えていた。標高が千二百メートル近くもあり、冬は雪に埋もれてしまうが、夏は涼しく、避暑を兼ねた湯治客が大勢訪れていた。

 奈良時代に行基菩薩ぎようぎぼさつによって発見され、鎌倉時代に源頼朝みなもとのよりともによって再興されたと伝えられている。その時、頼朝から湯本の姓と草津の地を与えられたのが、湯本氏の始まりである。湯本氏は代々、草津の地を領してはいたが、湯本氏が草津に土着する以前より、草津とその一帯に勢力を持っていたのが白根明神及び、別当べつとうの光泉寺だった。

 当時、神社と寺院は一体と見なされ、多数の僧兵や山伏を抱えて、多くの荘園(領地)を支配していた。湯本氏は白根明神と対抗しながら、勢力を広げようとしていたが、容易な事ではなかった。ところが、南北朝なんぼくちようの動乱の時、南朝方となった白根明神に対し、北朝方となった湯本氏は白根明神の荘園を次々と侵略して行った。南朝方として敗れた白根明神はかつての勢力を取り戻す事はできず、形勢は逆転して、戦国時代には草津の地は湯本氏の支配下となっていた。

 真田弾正忠幸隆が草津に来た当時、草津の領主は湯本下総守しもうさのかみ幸友ゆきともだった。下総守の次男が本編の主人公、次郎である。

 次郎は小雨こさめ村(六合くに村)の湯本屋形やかたで生まれた。

 草津は冬、雪が多く、一年を通して住む事ができず、冬の間は山を下りて暮らしていた。

 これを『冬住み』という。

 毎年、四月八日の薬師やくしの縁日に山開きをして、十月八日の薬師の縁日に山を閉ざした。

 領主湯本氏の冬住みの屋敷は小雨村にあった。

 次郎の母親は下総守の正妻ではなかった。信濃善光寺の門前町から来た商人の娘だった。

 現代もそうだが、当時から善光寺と草津の湯はつながりがあり、善光寺参りの帰りには草津の湯に寄って行くというのが当たり前となっていた。当然、草津の者は善光寺にお参りに行くし、善光寺の者たちも草津に湯治に来ていた。

 その商人も隠居した後、孫娘を連れて草津に湯治にやって来た。その商人は湯本家にとってお得意様だったので、父、下総守は挨拶に訪れた。父は孫娘を一目見て惚れてしまい、側室そくしつに迎えたのだった。

 側室の腹から生まれたため、次郎は湯宿ゆやどを経営している叔父、善太夫の養子になる事と決まっていた。叔父の善太夫もまた、祖父の側室の腹から生まれている。

 当時、湯宿の主人になるというのは、武士よりも格が低いと見られていた。

 湯宿の主人になるには御師おしという資格が必要だった。御師というのは御祈祷師おきとうしの事で、白根明神に所属する神人じにんとなり、一通りの修行を積まなければならなかった。

 次郎は御師の資格を取るため、大叔父、成就院のもとで修行を積んでいた。

 湯本氏は草津を中心にして周辺の村々を領していたが、米はあまり取れなかった。湯本氏の収入のほとんどは、草津に来る湯治客に頼っていたといってもよかった。湯本氏を初め、家臣たちは皆、湯宿を経営していた。

 湯が涌き出て池となり、滝になって流れている湯池ゆいけ(湯畑)のある広小路ひろこうじを中心として、湯宿は並んでいる。御座ござの湯、綿わたの湯、脚気かっけの湯、滝の湯と呼ばれる湯小屋が広小路内にあり、少し離れて、わしの湯、地蔵じぞうの湯がある。各湯宿には内湯うちゆはなく、湯治客は皆、それらの湯小屋を利用した。

 善太夫の湯宿は広小路に面し、滝の湯の近くにあった。現在の大東館の辺りである。湯宿のうちでは最も格が高く、主に武将たちや豪商と呼ばれる商人、名の売れた芸人たちが利用した。文亀ぶんき二年(一五〇二年)に有名な連歌師れんがし宗祇そうぎ宗長そうちょうが訪れた時、泊まったのも善太夫の宿だし、大永七年(一五二七年)に越後の守護代長尾ながお為景ためかげ(上杉謙信の父)が泊まったのも善太夫の宿だった。

 広小路に面した一等地の半分は、湯本一族が押え、善太夫の湯宿の後ろの小高い丘の上に、領主である湯本下総守の屋形が誇らしげに建っていた。

 広小路の西南、御座の湯の先に石段があり、大きな山門をくぐって、さらに石段を上ると薬師堂がある。その南隣に光泉寺があった。現在の光泉寺の位置に薬師堂があり、町営駐車場の位置に光泉寺はあった。そして、光泉寺から白根明神(運動茶屋)へと参道が続いていた。

 次郎が初めて、草津に来たのは十歳の時だった。

 毎年、春になると大騒ぎをして、父親を初め、侍女じじょや家臣たちが荷物を馬や車に乗せて、草津という所に行き、冬になるまで帰って来なかった。次郎も一緒に行きたいと何度も言ったが、連れて行ってもらえなかった。四つ年上の兄は連れて行ってもらえるのに、次郎はいつも、ひっそりと静まった小雨村の屋形で、母親と三つ年下の妹と一緒に留守番をしていた。

 十歳になって、初めて、草津に連れて来てもらったが、父親の屋形に入ったのではなく、大叔父のいる白根明神内の宿坊、成就院だった。成就院にて円覚坊という山伏を紹介され、円覚坊を師匠として、修行に励めと命じられたのだった。

 次郎はがっかりした。

 領主の子として生まれ、当然、武士として生きるものと思っていた。兄がいるため、領主にはなれないにしろ、兄を助けて、立派な武将になりたいと子供ながらも思っていた。それが、突然、湯宿、善太夫を継ぐために、山伏の修行をしろと言う。

 次郎はがっかりした。それでも、強くなれば、いくらでも戦で活躍できると円覚坊に言われ、武芸の修行だけは真剣にやっていた。

 

 次郎は五年間、成就院で修行に励み、十五歳の時、元服げんぶくして白根山に登り、地獄巡りを経験した。

 硫黄いおうが白煙を吹き上げて、半ば白骨化した動物の死骸があちこちに転がっている殺生せっしょう河原と呼ばれる所は、まさに地獄そのもののように不気味だった。次郎は夢中で真言しんごんを唱えながら、恐ろしい地獄を通り抜けた。山を下りると、遊女屋に連れて行かれ精進しょうじん落としをして、一人前の山伏となって瑞光坊ずいこうぼうを名乗った。

 瑞光坊となった次郎は成就院を出て、叔父、善太夫の営む湯宿に移った。五年間の修行で御師の資格も取り、これからは、湯宿の主人になるために、色々と修行を積まなければならなかった。

 初めのうちは、立派で豪華な湯宿が珍しかったのと、大勢いる使用人たちから若様、若様と持てはやされて、得意になっていたが、二月もすると、円覚坊と共に武芸の修行に励んでいた頃が懐かしくなって来た。

 こんな事をしていたら、本当に、湯宿の主人で終わってしまう‥‥‥

 もっと、強くならなければ‥‥‥

 叔父に話すと叔父は喜んで許してくれた。叔父もまだ三十一歳と若く、隠居する歳ではなかったので、瑞光坊の望みに任せて、さらに円覚坊のもとで修行をさせてくれたのだった。

 瑞光坊は円覚坊の住む飄雲庵ひょううんあんに移った。

 円覚坊の住む飄雲庵は、湯気を立ちのぼらせながら湯の川が流れ、硫黄の臭いが立ち込めて、半ば枯れ果てている樹木の立ち並ぶ中にあった。現在は泉水せんすい通りと呼ばれて土産物屋や飲食店が並び、大勢の観光客が行き交って栄えているが、当時は鬼ケ泉水と呼ばれて、人もあまり近づかない気味の悪い場所だった。そんな場所に好んで庵を結び、飄雲庵と号したのは愛洲移香斎だった。

 円覚坊は信濃の国、飯縄山いいづなさんの山伏だった。幼い頃から飯縄山で修行を積んで、栄山坊という山伏から陰流の武術を習った。飯縄山には若き日の真田幸隆も修行に来ていた。幸隆は円覚坊より二歳年上で、兄弟子という間柄だった。

 当時はまだ、武術を教える道場というものはなく、武術を習うには山伏たちが修行している修験しゅげんの山に入って修行を積む方法が取られていた。特に飯縄山は、愛洲移香斎の弟子であった八郎坊という山伏によって陰流の武術を教える山として有名になり、信濃の武士たちは競って修行するようになっていた。信濃の武士だけでなく、上野こうづけの吾妻郡の武士たちも飯縄山に修行に行く者もあった。瑞光坊の伯父、鎌原筑前守もその一人で、飯縄山で修行を積んで、陰流の武術を身に付けていた。瑞光坊の父、下総守は筑前守から陰流を教わっていた。

 当時、武術の流派には、常陸(茨城県)の鹿島神宮と下総(千葉県)の香取神宮で生まれた神道流しんとうりゅう、鎌倉の禅僧、慈音じおんが編み出した念流ねんりゅう、そして、愛洲移香斎の編み出した陰流の三つがあった。

 神道流からは塚原卜伝ぼくでんが出て、新当流と名を改めて、諸国に広めた。

 念流は信州伊那いな谷に住んでいた樋口家に伝わり、樋口新左衛門が鎌原氏に呼ばれて上州吾妻郡小宿村にいた時、吾妻郡一帯に栄えた。しかし、鎌原筑前守が十歳の時、樋口新左衛門は管領かんれい上杉氏に仕えるために多野郡馬庭まにわ村に移ったために念流も下火となり、信州から上州吾妻郡一帯は陰流を学ぶ武士が多くなった。

 陰流を身に付けた武士にとって、流祖である愛洲移香斎という人は神にも等しい存在であった。

 真田幸隆は一年間の修行で山を下りたが、円覚坊はさらに陰流の極意を身に付けようと、栄山坊の師匠である禅明坊ぜんみょうぼうという老山伏からも指導を受けた。そして、陰流を編み出した愛洲移香斎が、まだ、生きている事を知り、是非、一度、お会いしたいと願い、移香斎を捜す旅に出た。噂を頼りに諸国を旅して回り、三年目にしてようやく、飄雲庵と名を変えて、草津に住んでいた移香斎を見付けた。

 八年前の事だった。

 移香斎は山の中のひなびた庵に住んでいた。まさに、円覚坊の想像した通りだった。しかし、円覚坊の想像を裏切って、志乃しのという女と一緒に暮らしていた。しかも、すでに、武術を捨てたという。

 円覚坊には信じられなかった。

「この地に来て、もう、二十年にもなりますが、一度も刀を手にした事はございません。自分の息子でさえ、武術を教えませんでした」と志乃は言った。

 移香斎と志乃の間には十九歳になる小七郎という子供がいたが、移香斎は自ら、陰流の武術を教えなかった。上泉かみいずみ(前橋市)に弟子である上泉伊勢守いせのかみがいるので、そこに行って習えと言って、上泉にて修行をさせた。小七郎は伊勢守のもとで三年間、修行を積み、今は武者修行の旅に出ているという。

 移香斎が帰って来たのは日暮れ近くだった。

 その姿は円覚坊が想像していたのとはまったく違っていた。

 円覚坊は仙人のような移香斎を想像していたが、実際の移香斎は真っ黒に日焼けして、粗末な野良着を身に付け、どう見ても百姓の親爺だった。とても、武術の達人には見えない。もう八十歳はとうに越えているはずだが、とても、そんな歳にも見えなかった。

 円覚坊は、移香斎とは四十も年の違う妻、志乃に言われた通り、移香斎の事を飄雲庵殿と呼び、武術の教えを請う事はしなかった。共に酒を飲み、おとなしく移香斎の話を聞いていた。移香斎は機嫌よく、昔話をしてくれたが、武術に関する話はまったくしなかった。

 愛洲移香斎‥‥‥陰流かげりゅうと呼ばれる武術を編み出した兵法ひょうほうの達人であった。陰流は剣術、槍術、棒術、薙刀なぎなた術を含む総合武術である。武術でありながら、移香斎の考えによって、陰流は武士よりも武士以外の者たちの間に広まって行った。移香斎が以前、山伏だったため、彼の弟子たちによって山伏たちの間に広まった。関西では本願寺の門徒たちの間に広まり、武士たちを相手に戦っていた。また、陰流には陰の術と呼ばれる忍びの術もあった。小田原北条氏の忍び集団、風摩ふうま党は陰流の忍びの術を身に付けていた。

 移香斎の弟子、八郎坊が信州飯縄山に来て、修行者たちに陰流を教えたため、信州にも陰流は広まった。海野氏、真田氏、同じ一族である上州の鎌原氏、西窪氏、そして、草津の領主、湯本下総守も陰流を身に付けていた。

 移香斎の最後の弟子となったのが、上州上泉城主の上泉伊勢守だった。移香斎は伊勢守の才能を見抜いて、自分が身に付けた、すべての技を伊勢守に授けた。そして、自らは武術を捨てて草津に隠棲いんせいしたのだった。草津に来た時、移香斎は自分の名を隠し、飄雲庵と名乗って、医術者として暮らしていた。

 円覚坊はその晩、飄雲庵に泊まり、次の日、移香斎に誘われるままにお供をした。

 もしかしたら、ひそかに、陰流の極意でも教えてくれるのかと期待して付いて行ったが、行った所は、御座の湯の近く、賑やかな表通りの裏にある薄汚い一画だった。

 粗末な小屋がいくつも建ち並び、癩病らいびょうわずらった乞食こじきたちが群がっていた。

 癩病は十九世紀になってハンセン氏によって癩菌が発見されて以後、治療可能な病気となったが、それまでは不治の病とされていた。癩菌によって神経が冒され、雑菌に対する抵抗力がなくなり、皮膚がただれ、眉やまつ毛が落ち、目は霞み、鼻が崩れ、手足が腐敗してもげたりする病気で、前世の天罰によるものと考えられていた。草津の湯は殺菌作用が強く、すべての雑菌を殺してしまうので、癩病には効果があった。

 癩病を患った者は非人と呼ばれてさげすまれ、村を追い出されて乞食となり、神社や寺院の軒下に隠れて、ひっそりと生きて行くしかなかった。そんな癩病患者にも頼るべき神があった。

 紀州(和歌山県)の熊野権現ごんげんである。熊野本宮の近くにある湯の峰温泉は癩病に効くと言われ、村を追われた患者たちは、一般の者たちの通らない山中の細い道を通って熊野へと旅立って行った。

 関東において、熊野権現に相当したのが、白根明神だった。

 白根明神は薬師如来やくしにょらいの化身とされ、白根明神に祈願きがんして、草津の湯に浸かれば癩病も治ると信じられていた。古くから、草津には癩病患者が集まるようになり、裏通りに粗末な小屋を立てて病気の治療に励んでいた。励んでいたと言っても、乞食同然の暮らしをしていたため、傷口を清潔にしておく事もできず、他の病に罹る者も多かった。そこで、移香斎は彼らの中に入って行って、彼らの治療を手伝っていたのだった。

 志乃の弟、黒岩弥太郎が移香斎の医術の弟子となって、移香斎を手伝っていた。しかし、円覚坊は弥太郎のように移香斎を手伝う事はできなかった。

 円覚坊は武術を捨てた移香斎のもとに一年余りいた。飄雲庵の隣に庵を結んで、移香斎と共に暮らした。いつの日か、陰流の極意を移香斎から教わろうと願っていたが、ついに、その願いはかなえられなかった。

 移香斎は毎日、癩病者の治療に励み、円覚坊が来てから一年程経った頃、突然、亡くなった。自分の死期が分かっていたかのごとく、安らかに冥土めいどに旅立って行った。

 陰流の極意を得る事のできなかった失望から、移香斎の死後、円覚坊は草津を離れた。

 当てのない旅を重ねていても、一年間、共に暮らした移香斎の事は忘れられなかった。

 陰流の極意、それは、武術の技、人を殺す技術ではなく、人を生かす術なのではないのだろうか‥‥‥と思うようになって行った。

 移香斎が亡くなる前の一年間は、まさに、それを実践していたようだった。あの時の円覚坊はとても癩病者の中に入って行く事はできなかったが、移香斎は平気で入って行って癩病者の傷口を綺麗に洗って治療し、しかも、彼らと同じ物を食べていた。

 あれが、陰流の極意なのかもしれないと考えた円覚坊は、一年後、再び草津に訪れ、住む者もなく荒れ果てていた飄雲庵を再建して、そこに住み始めた。

 移香斎の妻、志乃は移香斎の死後、中居村(嬬恋村三原)の実家に帰っていた。志乃の弟、弥太郎は移香斎の跡を継いで、癩病者の治療を続けていた。

 円覚坊も移香斎の真似をして、武術を捨て、癩病者の治療を行なおうと思ったが、実行に移す事はできなかった。円覚坊は移香斎のように薬草に関する知識に詳しくなかった。かと言って、弥太郎の弟子となって、弥太郎から教わろうとは思わなかった。円覚坊も若く、たった五歳しか違わない弥太郎に頭を下げる事はできなかった。

 円覚坊は白根明神に行って、薬草に詳しい山伏から教えを請おうと考えた。そこで出会ったのが、瑞光坊の大叔父、成就院だった。

 成就院は当然、移香斎を知っていた。移香斎を知っていたというより、飄雲庵という医術者を知っていたという方が正しい。成就院も飄雲庵から医術に関して教えを受けていたという。

 円覚坊は成就院から医術を学び、そして、武術の腕を見込まれて、瑞光坊の武術師範しはんに選ばれたのだった。

 瑞光坊は、かつて、愛洲移香斎が暮らしていた飄雲庵に移り、円覚坊と共に暮らして、陰流の腕を磨いて行った。

 


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戦国草津温泉記 湯本善太夫

ナツメ

 

 夏の終わりの頃だった。

 瑞光坊ずいこうぼうは光泉寺の門前に立つ市からの帰り、湯治客を眺めながら、のんびりと歩いていた。

 草津には様々な客が訪れた。

 きらびやかに着飾った身分の高いお公家くげさんや僧侶。

 偉そうなひげをたくわえて、槍や薙刀なぎなたをかついだ、いかつい顔をした武士。

 旅なれた山伏や遊行聖ゆぎょうひじり。山伏は真言しんごんを唱え、遊行聖は念仏を唱えながら歩いている。

 あちこちから流れて来る遊女や乞食こじき、旅芸人。鮮やかな着物に身を包んだ天女のように美しい遊女もいれば、乞食同然のボロをまとったお化けのような遊女もいる。

 時には武家の奥方が立派な輿こしに乗って、大勢の侍女じじょを引き連れてやって来る事もある。

 身分も着ている物も様々だったが、草津に来ると皆、平等になったかのように、裸になって湯に入った。

 広小路には、御座ござの湯、綿わたの湯、脚気かっけの湯、滝の湯と四つの湯小屋があるが、ほとんど、回りから丸見えだった。勿論、男女混浴で、皆、草津に来た解放感からか、何の抵抗もなく裸になっている。中には、湯から出て素っ裸のまま、広小路を歩いている者もいるが、誰も気にも止めない。

 草津は不思議な所だった。

 瑞光坊は初めて草津に来た時、裸の人たちを見て驚いたが、それよりも、色々な種類の人がいる事の方がもっと驚きだった。小雨村にいた頃、見た事もない違う種類の人々が草津には大勢いた。噂に聞く都とは、こういう所なのかと驚いていた。

 草津は山の中の小さな村だったが、都とは言えないまでも、一種独特の華やかさを持った町だった。

 いつものように、湯池(湯畑)に湯煙が立ち昇り、硫黄いおうの臭いが鼻を突く。

 いつものように、滝の湯には大勢の者が湯を浴びていた。

 道行く男たちが足を止めて、ニヤニヤしながら湯小屋を眺めている。

 毎日、この時刻になると、仕事前の遊女たちが大勢、湯を浴びにやって来ていた。

 遊女たちは見られているのを承知で、キャーキャー言いながら誇らしげに体を見せびらかしている。

 初めて、この光景を目にした時、瑞光坊は驚き、まるで極楽のような所だと、毎日のように眺めに来たものだった。最近はその光景にも慣れ、遊女たちとも顔見知りになったため、わざわざ、眺めに来る事もなくなったが、いつ見ても、いい眺めだと思った。

 瑞光坊が眺めていると遊女の一人が瑞光坊に向かって、「若様!」と叫んで、両手を振った。

 他の遊女たちも、「キャー、若様!」と身を乗り出して手を振っている。

 回りの男たちが、瑞光坊を見ながらはやし立てた。

 瑞光坊は軽く手を上げて答えると、その場を離れようとした。

 ところが、瑞光坊の目は遊女たちの後ろで、滝を浴びている一人の少女の裸身にくぎ付けになってしまった。この辺りでは見た事もない程、綺麗な娘だった。

 長い黒髪を両手でかき上げながら、湯の滝を浴びている。すらっとした体はまだ幼いが、やけにまぶしく、見ているだけで胸がドキドキして来るのを感じていた。

 遊女たちが何かを言っていたが、そんなのは何も聞こえず、少女をじっと見つめていた。

 突然、少女の姿が見えなくなった。

 瑞光坊は市場で買った野菜も忘れ、やじ馬たちをかき分けて、滝の湯の入り口まで行ってみた。しかし、すでに、その少女の姿はなかった。まだ、近くにいるはずだと、広小路中捜してみたが見つからなかった。

 瑞光坊は肩を落として飄雲庵に帰り、野菜を忘れた事を円覚坊に怒られた。

 次の日から、瑞光坊は毎日のように、その少女を捜し回った。

 地元の者ではない事は確かだった。湯治客に違いない。湯治客なら、どこかの宿に泊まっているはずだ。十二、三歳の少女がそんなにもいるはずはない。きっと見つかるはずだと思ったが、なかなか見つからなかった。裸の姿しか見ていないので、どんな身分の娘か分からない。身分が分かれば、それ相当の宿を捜せばいいが、それが分からないから大変だった。

 この前と同じ時間に滝の湯に行けば会えるだろうと行ってみたが、見つける事はできなかった。遊女たちに聞いても、そんな娘は知らないという。三日間、捜し回って見つからず、もう帰ってしまったのだろうと諦めざるを得なかった。

 あの時の少女の姿が忘れられず、何をやっても身が入らなかった。湯気の中の裸の少女は瑞光坊の頭の中を駈け巡って、時には恥ずかしそうに笑い、時には楽しそうに話しかけて来た。ところが、追いかけようとすると少女は湯気の中に消えてしまう。

 飄雲庵でぼうっとしていた時、叔父のもとから番頭が呼びに来た。立派な太刀たちが手に入ったから、瑞光坊にくれると言う。太刀などどうでもよかったが、瑞光坊は番頭と一緒に善太夫の湯宿に向かった。

 善太夫は機嫌よく瑞光坊を迎え、備前物びぜんものの太刀を自慢げに見せたが、瑞光坊はよく見もしないで、ただ、礼を言っただけだった。

「お前ももう一人前じゃ。やがては、わしの跡を継いで、ここのあるじになる。宿屋の主人というのもなかなか大変なもんじゃぞ」顎髭あごひげを撫でながら、善太夫はそう言った。

「まず、お客様を大切にしなければならん。特に、よくお見えになる馴染みのお客様は大切にしなければならん。追い追い、そんなお客様をお前に紹介して行く事となろう。そこで、まず、今日は、そんなお得意様を一人、紹介しておこうと思ってのう。こうして呼んだわけじゃ」

「そのお客様というのはおさむらいですか」と瑞光坊は聞いた。

「いや。侍じゃない。ここのお客様は侍が多いが、侍を相手にするのは難しい。こういくさが多いと馴染みのお客様だからといって簡単に泊めると、後で面倒になる場合もあるんじゃ」

「どうしてです」

「お屋形やかた様(湯本下総守)は今、関東管領かんれい山内やまのうち上杉殿の被官ひかんとなっておられる。つい、この間まで、管領殿は古河こが公方くぼう様や小田原の北条ほうじょう殿と手を組んで、扇谷おうぎがやつ上杉殿と戦っておられたが、今は扇谷上杉殿と手を結んで、公方様と北条殿を相手に戦っているらしい。以前は公方様の武将や小田原から来られた武将もおられたが、これからは来る事もあるまい。侍を相手に商売するには、常に、その時の戦況を知らなければならん。馴染みじゃからといって、うっかり、敵方の武士を泊めたら、後でお屋形様が困る立場になる事もあるんじゃ。気を付けなきゃならんぞ」

 瑞光坊には、管領だの公方だの扇谷上杉だの小田原の北条だのと言われても、よく分からなかった。ただ、来た者は誰でも泊めていいというわけではないのか、という事が分かっただけだった。

「今日、お前に会わせるのは商人じゃ。商人といっても、そこらの市場で物を売っているような行商人ぎょうしょうにんじゃない。武士を相手に、もっと大きなあきないをしているお人じゃ。奴らは鳥目ちょうもく(銭)をたんと持っておるからの、大事にせにゃならん。今日のお客様は小野屋殿と言ってのう。伊勢の国(三重県)を本拠にいくつもの船を持って、各地の国々と取り引きをしておられるお方じゃ。まあ、正確に言うと、その小野屋をお継ぎになるお方じゃな。この先、おまえのお得意様になるお方じゃ。挨拶しておいた方がいい」

 瑞光坊は善太夫の後について奥の屋敷に向かった。奥の屋敷に滞在している事からして、余程、大事な客のようだった。

 善太夫の宿は二棟ふたむねに分かれていて、手前の屋敷は一般の湯治客を泊め、奥の屋敷には特別な客を泊めていた。手前の屋敷の部屋はすべて板の間だったが、奥の屋敷の部屋はすべて、たたみが敷き詰められてあった。当時、畳を敷き詰めた部屋のある湯宿は善太夫の所だけだった。

 押板おしいた(床の間の原形)の上の大きな花入れに様々な花が飾ってある奥の座敷にいたのは、瑞光坊の予想に反して、湯帷子ゆかたびらを来た若い男だった。左手を怪我しているのか、白布を巻き付けている。

 瑞光坊は善太夫と共に挨拶をした。

 その男の名は孫太郎といい、戦に巻き込まれて怪我をしたので、治療と休養を兼ねてやって来たのだと言う。年の頃は二十歳前後、目付きが鋭く、商人というよりは武士のような態度だった。

 孫太郎は退屈していたのか、瑞光坊を相手に、やたらとしゃべり始めた。

 善太夫は用があるからと先に引き上げたが、瑞光坊は引き上げるわけにはいかなかった。また、孫太郎の話は面白かった。生まれてから、草津と小雨村しか知らない瑞光坊にとって、様々な土地の話や戦の話は興味深いものだった。

 瑞光坊は時の経つのも忘れ、孫太郎の話に引き付けられていた。そして、孫太郎の話以上に驚いたのが、隣の部屋から顔を出した少女だった。

 その少女こそ、瑞光坊が捜し求めていた、滝の湯で見た少女だった。

 少女は孫太郎の妹で、ナツメという名だった。

 浅葱あさぎ色(水色)の着物を着た涼やかなその姿を目の前にして、瑞光坊はまるで、夢でも見ているかのような心地ここちだった。

 まさか、ここにいるなんて考えてもみなかった。奥の座敷は侍しか泊まらないものと決め込んでいたので調べなかった。うっかりしていたと悔やんだが、会う事ができて、本当に夢心地だった。

 ナツメは兄の隣に座って、ニコニコしながら瑞光坊を見ていた。瑞光坊はまともにナツメの顔を見る事もできなかった。つい、裸のナツメを想像してしまう。胸がドキドキして、孫太郎が何かを言っていたが、何も聞こえなかった。あの後、どうやって帰って来たのかも覚えていない有り様だった。

 次の日から、瑞光坊は毎日、孫太郎の座敷へ通った。孫太郎も歓迎して瑞光坊を迎えた。孫太郎から色々な話を聞き、珍しい物などを見せてもらって面白かったが、ナツメに声を掛ける事はできなかった。ナツメからも色々な話を聞きたいと思って、浮き浮きしながら出掛けても、ナツメの大きな目に見つめられると、もう何も言えなくなってしまう。どうしてそうなるのか、自分でも不思議な事だったが、どうにもならなかった。

 五日後、孫太郎とナツメは供を引き連れて帰って行った。

「また、いつか会いましょう」

 ナツメが別れの時、笑いながら言った言葉が、いつまでも瑞光坊の耳に付いて離れなかった。

 

 ナツメと別れた後の瑞光坊は気が抜けたように、毎日、だらだらと過ごしていた。

 寝ても覚めても、ナツメの姿が頭の中にちらついて、何をやってもうわの空だった。

 武術の稽古は毎日やっているが、まったく気が入らない。思い切って、旅に出て、ナツメに会いに行こうかと思ったが、伊勢の国は遠かった。とても一人で行けそうもない。

 円覚坊に伊勢まで連れて行ってくれと頼むと、冬住みの時期になったら、連れて行ってやろうと言った。

「善太夫殿より頼まれている。冬になったら、世間を見せてやってくれとな。十月になったら旅に出る。いくら帰りたいと言っても、春になるまで、草津には帰らんからな」と円覚坊は笑った。

「伊勢にも行くんですか」と瑞光坊は弾んだ声で聞いた。

「おう。お伊勢さんでも熊野権現ごんげんでも連れて行ってやる。ただし、のんびりとした物見遊山ものみゆさんの旅じゃないぞ。勿論、宿屋にも泊まらん。毎日、野宿じゃ。しかも、普通の道は通らん。歩くのは山伏の道じゃ。辛いぞ、覚悟しておけ」

 辛くても何でもよかった。

 ナツメにもう一度会えるのなら、ナツメの笑顔が見られるのなら、何だってやれると思った。

 瑞光坊は十月が来るのを指折り数えて待っていた。

 その年の九月、父のもとに出陣命令が箕輪みのわの長野信濃守しなののかみより届いた。

 武蔵の国の河越かわごえ城を北条氏から奪い取るため、管領の上杉氏が戦を始める。上野こうづけの国の武士はすべて、その戦に参加しなければならないという。

 父、下総守は、留守を一族の湯本次郎右衛門に頼んで、兄、太郎左衛門を連れて、戦に出掛けて行った。

 太郎左衛門は瑞光坊より四つ年上の十九歳だったが、新しいよろいを身に付けて、父親自慢の駿馬しゅんめにまたがった姿は立派な武将に見えた。瑞光坊は自分も早く、兄のように戦に行きたいとうらやましそうに見送った。

 叔父の善太夫も鎧を身に付けて、父に従った。

「留守を頼むぞ」と薙刀なぎなたをかついだ勇ましい姿で、善太夫は馬上から言った。

 瑞光坊は叔父を見上げ、湯宿の主人でも、戦に行ける事を知って嬉しく思った。叔父はどう見ても立派な武将だった。

 叔父を見送りながら、瑞光坊はもっと、強くならなければ、と気持ちを引き締めた。

 家臣たちの多くが戦に行ってしまい、何だか、急に草津が淋しくなったように感じられたが、誰もが、今回の戦はすぐに終わって、年が明ける前に勝利を土産みやげ凱旋がいせんして来るだろうと信じていた。

 瑞光坊は善太夫の代理として湯宿の留守を守りながら、武芸の修行に励んだ。

 十月になり、河越の戦場より、八万余りの大軍で、北条左衛門大夫さえもんだゆう綱成つなしげの守る河越城を包囲している。敵はわずかの三千余り、河越城が落ちるのも、すでに時間の問題との知らせが届いた。留守を守っている者たちは安心して、草津を引き上げ、冬住みの生活に移った。

 瑞光坊は浮き浮きしながら、円覚坊と一緒に旅に出た。

 小雨村から暮坂くれざか峠を越えて中之条に出る。中之条から吾妻あがつま川を渡り、榛名はるな山を越えて、箕輪の城下に着いた。

 関東管領上杉氏の重臣である長野信濃守業政なりまさの城下だった。瑞光坊が初めて見る都と言えた。

 小高い丘の上に城があり、大通りに面して家々が並んでいる。しかも、山の中で育った瑞光坊には想像もできない程、広々としていた。

 田畑が広がり、その向こうには草原が続いている。その草原を馬に乗って走っている武士の姿が遠くに見えた。こんな広い所を馬に乗って駈けたら、どんなに気持ちいい事だろうと眺めていた。

 町の中に入ると、さらに驚いた。市場には人々が行き交い、珍しい物が色々と並んでいる。着飾った若い娘たちが多いのがやけに目に付いた。

 箕輪の城下には二日間、滞在した。山伏たちの泊まる宿坊に宿を取り、何をしているのか、円覚坊は忙しそうにあっちこっちへと行っていた。瑞光坊はする事もなく、城下をうろうろしていた。

 箕輪から、今度は管領上杉氏の本拠地である平井に向かった。

 平井の城下は、箕輪以上に栄えていた。ただ、箕輪では留守を守っている者たちが、お屋形様が戻って来るまで、何事も起こらないように、しっかりと留守を守ろうという気迫が感じられたが、平井の城下はそんな風ではなかった。管領殿を初め武将たちの多くが合戦をしているというのに、留守を守っている者たちは、のんきに遊んでいるように感じられた。昼間から酔っ払った侍が大通りをフラフラ歩いていたり、遊女屋などが並ぶ一画では、昼夜構わず、大騒ぎをしているようだった。

 平井の城下には三日間滞在した。ここでも、円覚坊は瑞光坊には何も言わず、あっちこっちへと出歩いていた。

「どこに行ってるんです」と瑞光坊が聞くと、ニヤニヤしながら、「女子おなごの所じゃ」と言った。

「俺も連れて行け」と言うと、「お前には惚れた女子がおるじゃろ。ほかの女子など抱いたら、その女子が悲しむぞ」と円覚坊は笑った。

「箕輪の時も女子の所に行ってたんですか」

「そうじゃ。色々な情報を集めるには女子の所に行くのが一番じゃ」

「女子の所で、情報がつかめるんですか」

「そうじゃ。ああいう所の女子はよそ者が多い。贔屓ひいき目なしに物が見られるんじゃ。それに女子は詮索せんさく好きじゃからのう。意外な事を教えてくれる事もあるんじゃ」

「それで、何が分かったんです」

「うむ。分かった事と言えばのう。ここにはいい女子が大勢いるという所かのう。まさに、この世の極楽じゃな」

「ふん、くだらん」

「まあ、最後まで聞け。その女子というのが、どうも、上方かみかたから来たらしい」

「上方から、この城下に?」

「そうじゃ。どうも裏があるような気がして探ってみたら、小野屋という商人がからんでるようじゃ」

「えっ、小野屋!」と瑞光坊は思わず叫んだ。

 小野屋の名前が、円覚坊の口から出て来るとは夢にも思っていなかった。

「おまえ、小野屋を知ってるのか」円覚坊は不思議そうに瑞光坊を眺めた。

「知ってる‥‥‥小野屋は伊勢の商人です」

「ほう。よく知ってるのう。確かに、小野屋は伊勢の商人じゃ。しかし、北条氏とつながりがある」

「北条というと、今、父上たちが戦をしている相手か」

「そうじゃ。どうも、北条氏が管領殿の武将を骨抜きにするために、この城下に女子を送り込んだらしい。現に、その女子の奪い合いで命を落とした侍もいるそうじゃ」

「小野屋は北条方だったのか‥‥‥」

「おまえ、伊勢に行くと騒いでたが、小野屋と何か関係があるのか」

「いや、関係ない」と瑞光坊は首を振った。たとえ、師匠であっても、敵方の商人の娘に惚れたなどとは言えなかった。

 平井の城下を後にして、二人は今、合戦の行なわれている河越(川越市)に向かった。

 それは物凄い光景だった。

 山の上から、その光景を目にした時、瑞光坊の口からは、ただ、「すげえ!」という言葉しかでなかった。

 敵の河越城は完全に味方の兵に囲まれていた。

 草津にいた時、味方は八万の兵で、三千の敵が守る河越城を囲んでいるとは聞いていた。聞いてはいたが、実際に八万の兵というものが、どんなものか実感はなかった。今、その兵を目の前に見て、凄いという言葉しか出て来なかった。

 いくら、味方が多いからと言っても、河越に行けば、父や兄に会えるだろう。そして、父や兄の活躍した話が聞けると楽しみにしていたが、この八万もの兵を見て、そんな事は不可能だという事が嫌という程分かった。この軍勢の中から、父や兄たち湯本家の武士を捜す事などできるわけがなかった。

「あそこが本陣じゃな」と円覚坊は指を差した。

「あそこに父上や兄上がいるんですか」と瑞光坊は聞いた。

「分からん。しかし、さすが、管領殿じゃ。これだけの兵を集められるとはのう。これだけの兵に囲まれたら、北条方もかなうまい。河越城に籠城ろうじょうしている兵たちを助ける事もできまいのう」

「この大軍の大将が管領殿なのか」

「そうじゃ。いや、公方様もおられるはずじゃ」

「公方様とか管領殿とかいうのは、どんなお人なんです」

「公方様というのはのう。京におられる将軍様の身内でのう。関東の地を治めるために鎌倉におられた偉いお人じゃ」

「関東の将軍様の事か」

「まあ、そうじゃのう。そして、管領殿というのはの、その公方様を補佐する役目じゃ。関東の武将たちが争い事を始めた時、それをうまく裁いて、争い事が起こらんようにするのが公方様と管領殿なんじゃ。ところが、その公方様と管領殿が争いを始めたもんじゃから、関東の武士たちは二つに別れて、戦に明け暮れてしまったんじゃ。公方様は鎌倉を追い出されて、下総しもうさ古河こが(茨城県古河市)を本拠地にして、管領殿と戦をしていたんで古河公方様と呼ばれるようになったんじゃ」

「それで、公方様と管領殿は仲直りしたんですか」

「今の所はのう。公方様と管領殿が戦をしているすきに、小田原の北条氏が関東に進出して来たんじゃ。そこで、とりあえずは仲直りをして、北条氏を関東の地から追い出そうと、今回の戦が始まったんじゃよ」

「ふーん。それじゃあ、北条氏を追い出したら、公方様と管領殿はまた、戦を始めるんですか」

「多分のう‥‥‥立派な武将が出て来ない限り、戦が終わる事はあるまい」

「立派な武将か‥‥‥それで、この戦はもうすぐ終わるんですか」

「いや、長期戦になるじゃろう」

「これだけの兵がいるのに、どうして、すぐに攻めないんです」

「城攻めというのは容易な事じゃないんじゃ。これだけの兵がいれば、落とせない事もない。しかし、籠城している北条方も死に物狂いに攻めて来る。大勢の犠牲者を出す事になろう。勝つと分かっている戦に犠牲者を出す事もあるまい。管領殿は、敵の兵糧ひょうろうが無くなるのを待っているんじゃ。これだけ包囲を固めていれば、敵も城に兵糧を運び込む事はできん。あの城にどれだけの兵糧があるのか知らんが、毎日、三千もの兵が食べれば、見る見る減って行く」

「兵糧が無くなったらどうなる」

「降伏するしかあるまい。城主は切腹じゃろうのう」

「切腹か‥‥‥この戦はいつ頃終わるんです」

「そうじゃのう。来年の春頃までかかるかもしれん」

「来年の春まで、父上たちは、ここにいるのか」

「そういう事じゃ。戦の途中で抜け出す事はできんからのう」

「春まで、何をやってるんです」

「毎日、あの城をにらんでいるんじゃよ」

「へえ‥‥‥戦というものも大変なんだな」

「ああ。戦うばかりが戦じゃない。じっと待つ事も戦なんじゃ」

 河越の合戦場から離れ、二人の山伏は北条氏の本拠地小田原へと向かった。

 戦に勝つには、敵をよく知る事だと円覚坊は言った。敵地に行って、捕まりはしないかと瑞光坊は心配したが、山伏は大丈夫だと言う。山伏も戦に参加する事はあるが、武士とは違って自由に国々を行き来できる。それに、円覚坊は草津に住んでいるが、元々は信濃の国、飯縄いいづな山の山伏だった。相模の国(神奈川県)には飯縄山の信者が多く、宿坊があちこちにあって、知っている者も多いと言う。勿論、小田原にも飯縄山の山伏の拠点があった。

 小田原に来て、驚いたのは海というものだった。話に聞いた事はあっても、これ程までに大きいとは思ってもみなかった。

 海の大きさに比べたら、河越を囲んでいた八万もの大軍でさえ、ちっぽけなものに見えてしまう程だった。しかも、沖には大きな船が帆を広げて、いくつも浮かび、荷物を積んだ小船が行き来している。

 世の中は広い‥‥‥

 あんな草津の山の中にいたんじゃ駄目だ、と瑞光坊は改めて実感していた。

 小田原の城下も大きくて賑やかだった。管領殿の平井の城下よりも、ずっと栄えているようだった。松原明神の門前の市場には新鮮な海産物を初めとして、武具、茶道具、着物、焼物、書物、珍しい異国の品々までも、ない物はないという程並んでいる。唐人とうじん町と名付けられた町もあって、顔付きも服装も違い、言葉までも違う人々が暮らしていた。

 北条のお屋形様というのが、どんな男なのか知らないが、これだけの城下を持っているからには、立派な人物に違いないと感じた。少なくとも平井の城下の主、管領殿よりは立派な人物のように思えた。

 瑞光坊と円覚坊の二人は小田原で新年を迎えた。

 小田原に滞在して分かった事は、管領殿は駿河(静岡県)の今川義元よしもとと手を結んで、北条氏を挟み撃ちにしているらしいという事だった。北条のお屋形様の相模守さがみのかみ氏康うじやすは今、駿河に出陣中で、河越城の救援には行けないらしかった。

 小田原に滞在中、瑞光坊は大通りに面して建つ『小野屋』という看板のある屋敷を見付けた。いくつもの蔵が並び、大きな屋敷だった。

 小田原の城下にこれだけの屋敷を持っているという事は、円覚坊のいう通り、小野屋は北条方の商人に違いなかった。叔父、善太夫はこの事を知っているのだろうかと不安を感じたが、それよりも、もしかしたら、ここにあのナツメがいるかもしれないと思うと、そんな事はどうでもよかった。

 瑞光坊は勇気を出して、暖簾のれんをくぐって訪ねてみた。

 ナツメの事を聞くのは照れ臭かったので、孫太郎の事を聞くと、孫太郎は今、伊勢の方に帰っているとの事だった。妹さんも一緒ですかと聞くと、そうだと言う。どなたですかと聞かれたので、以前、お世話になったと適当にごまかして屋敷を後にした。敵国である上野の国から来たとは言えなかった。

 小田原から箱根を越えて伊豆の国に入り、駿河の富士山を眺めながら、遠江とおとうみの国(静岡県西部)、三河の国(愛知県中東部)を通り、尾張おわりの国(愛知県西部)の熱田から船に乗って、伊勢の国(三重県北部)に入った。

 伊勢の安濃津あのうつ(津市)にある『小野屋』に寄ってみたが、ナツメはいなかった。

 孫太郎もナツメも関東から、まだ戻って来ないという。

 瑞光坊が、小田原にはいなかったと言うと、小野屋の出店は各地にあるので、駿河、あるいは尾張あたりで商売をしているのだろうと言った。

 はるばると伊勢までやって来たのに、ナツメには会えなかった。

 瑞光坊は気落ちして、旅を続ける気もなくなってしまった。

「もう、草津に帰りましょう」と言うと、円覚坊は首を振った。「残念じゃな。惚れた女子には会えなかったらしいのう」

「女子は関係ない」と瑞光坊は否定したが、その口調は弱々しかった。

「そう、がっかりするな。縁があれば、そのうち、どこかで会えるじゃろう」

「縁があれば‥‥‥」

「滝の湯で出会い、善太夫殿の湯宿で再会した。縁があれば、また会えるさ」

「なければ、もう、会えないんですか」

「なければ会えんのう。会えなければ諦めるしかあるまい。他にもいい女子が現れるさ」

「いやだ。ナツメじゃなきゃいやだ」

「ほう。その女子の名はナツメというのか。名前からして、夏にならんと会えんかもしれんのう」

「もう、いい」と瑞光坊はふすま(掛け布団)を被って、ふて寝をした。

 お伊勢さんにナツメとの再会を祈願きがんして、山伏の本場である吉野の蔵王ざおう堂に向かった。

 瑞光坊の足取りは重かったが、円覚坊は歩調を緩める事なく、険しい山道を平地のごとく、さっさと歩いて行った。瑞光坊は汗びっしょりになって、必死で後を追いかけた。

 吉野から北上して、奈良の都を見て、京の都に入った。

 京都には半月も滞在したが、毎日が驚きの連続だった。さすがに、将軍様と天子てんし様のおられる都だと感心せずにはいられなかった。

 隙間もない程に家々が建ち並び、余りにも多くの人々が暮らしている。将軍様の住む御所を初めとして、幕府の重臣たちの屋敷の立派さといったら、まるで、極楽浄土の建物のように豪華だった。贅沢の限りを尽くしている者たちがいるかと思えば、かも川の河原には、みすぼらしい掘立て小屋がいくつも並んで、各地から流れて来た乞食たちが大勢みじめに暮らしていた。貧富の差はどこにでもあるが、京都では極端すぎるような気がした。ただ、その河原には様々な芸人たちもいて、毎日がお祭り騒ぎのようだった。

 瑞光坊は京の都で、円覚坊から様々な遊びを教わった。

 半月はあっと言う間に過ぎ、夢の中の出来事のようだった。

 京都を後にした二人は琵琶湖を眺めながら北上し、越前えちぜんの国(福井県)、加賀かがの国(石川県)、越中えっちゅうの国(富山県)を抜け、信濃の国に入って飯縄山に寄り、善光寺参りをして、草津に帰って来たのは四月の初めの事だった。

 ナツメには会えなかったが、旅をして本当によかったと瑞光坊は思った。

 今回の旅で色々な物を見て、色々な事を経験して、半年前の自分とは考え方も物の見方もまったく変わったと自覚していた。

 自分の小ささをいやという程、感じられた旅だった。

 何か大きな事をしたい‥‥‥漠然ばくぜんとそう思っていた。

 


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戦国草津温泉記 湯本善太夫

善太夫

 

 長かった冬も終わり、四月の八日、例年のごとく草津の山開きが行なわれた。

 いつもは、父親の下総守しもうさのかみが行列の先頭に立って、草津に登るのだったが、今年はいなかった。下総守を初め家臣たちのほとんどがいくさに行ったまま、まだ帰って来ない。

 留守を守る湯本次郎右衛門が沼尾村から小雨村にやって来て、下総守の代理として先頭に立って登って行った。

 瑞光坊ずいこうぼう善太夫ぜんだゆうの代わりとして、正装して行列に加わっていた。錫杖しゃくじょうを突きながら、雪を踏み分けて登って行く瑞光坊の顔付きは去年とは打って変わって、頼もしく感じられた。

 行列はまず、白根明神に参拝して、今年の繁栄と戦に行っている者たちの無事を祈願きがんし、光泉寺にて山開きの儀式を行なった。

 薬師堂やくしどうから雪景色の中、湯煙を上げている湯池(湯畑)を見下ろしながら、ようやく、春がやって来たと皆が実感していた。顔をほころばせながら、「今年もまた、忙しくなるぞ」とうなづき合っていた。

 瑞光坊は円覚坊えんがくぼうと共に、番頭や女中を引き連れて湯宿に向かった。

 屋根の雪は思っていた程なかった。冬の間、山に籠もって修行を続けていた光泉寺の山伏たちが、雪下ろしをしてくれたようだった。

 すべての戸を開け放して、大掃除が始まった。冬の間、蔵の中にしまって置いた家財道具をすべて出さなくてはならない。

 湯治客を迎え入れる準備で、草津の村は大わらわだった。

 村もようやく落ち着いて、湯治客の姿もちらほら見え始めた四月の二十三日の事だった。

 髪を振り乱し、汚れたよろいを身に付けた騎馬武者が一騎、広小路を駈け抜けて、お屋形へと向かって行った。しばらくして、また一騎、二騎と泥にまみれた武者がやって来た。

 瑞光坊は円覚坊と一緒に湯宿の門の所から、目の前を駈け抜けて行く武者たちを眺めていた。

「ただ事じゃないぞ」と円覚坊はお屋形の方を見上げながら言った。

「もしや、父上の身に何か‥‥‥」と瑞光坊も不安な面持ちでお屋形の方を見た。

「かもしれん」と円覚坊は言った。「城を落とす時に敵と戦い‥‥‥」

「怪我をしたとでも言うのか」と瑞光坊は円覚坊に聞いた。

「分からん」と円覚坊は厳しい顔付きで首を振った。「分からんが、あれ程のあわて様、よくない事が起こった事は確かじゃろう」

 瑞光坊は円覚坊の言葉を最後まで聞かずに、お屋形の方に駈け出して行った。円覚坊も瑞光坊の後を追った。

 瑞光坊はお屋形の中に入れてもらえたが、一体、何が起こったのか聞かせてはもらえなかった。母と妹と弟の住む奥の部屋に通されたまま、いつになっても、誰も伝えに来なかった。

 広間の方では、沼尾村の次郎右衛門、祖父の民部入道みんぶにゅうどう梅雲ばいうん、大叔父の成就院じょうじゅいんを初めとして、留守を守っている家臣たちが集まって、何やら相談事をしているようだったが、瑞光坊はその場に入る事はできなかった。

 心配顔の母親と十三歳になる妹のしづ、九歳になる弟の四郎をなぐさめながら、瑞光坊はイライラしていた。

「兄上様、お父上は御無事ですよ、きっと」としづは無邪気に言った。「だって、お父上はお屋形様なんですもの。とっても強いんですもの、ねえ、母上様」

「そうね」と母はわざと陽気にうなづいてみせたが、その顔は青ざめていた。

 突然、裏庭に円覚坊が現れて、瑞光坊に手招きした。

「よく入れましたね」と瑞光坊は縁側に出ると言った。

 円覚坊はお屋形の中に入れてもらえなかったのだった。

「何も教えてくれん」と瑞光坊は広間の方を睨んだ。

 すでに辺りは暗くなっていた。

 円覚坊は何も言わずに辺りを見回すと、庭の片隅にある小さなほこらの方へ瑞光坊を誘った。

「何か探ったんだな」と瑞光坊が聞いても返事もせずに木陰に腰を下ろすと、「若様、気をしっかり持ってくだされ」と低い声で言った。

「何が起きたのかも分からず、気をしっかり持てもないもんじゃ」

「お父上殿が戦死なさいました」と円覚坊はぼそっと言った。

 瑞光坊は目を見開いて、円覚坊を見つめた。

「お父上殿だけでなく、善太夫殿も戦死なさったとか‥‥‥」

「何だと‥‥‥父上が戦死した‥‥‥嘘を言うな。誰がそんな嘘を申した」

「嘘ではありませぬ。わしは今まで、広間の屋根裏に隠れて、重臣たちの話を聞いておったんじゃ。幸いに兄上様は御無事との事でございます」

「父上が亡くなっただと‥‥‥嘘だ!‥‥‥そんな事は信じられん」

 瑞光坊は首を振りながら、円覚坊に詰め寄った。

 円覚坊は瑞光坊の両肩を強く押さえると、「負け戦になったそうでございます」と静かな声で言った。

「負け戦じゃと‥‥‥馬鹿言うな」

 瑞光坊は円覚坊の両手を振り切ると近くの松の木を思い切り叩いた。

「八万の大軍がどうして負けるんじゃ‥‥‥そんな事、嘘に決まってる。北条方がそれ以上いたというのか」

「いいえ。北条方は十分の一の八千との事、八万の兵が八千の北条軍に敗れたそうじゃ」

「信じられん。そんな事、信じられんわ‥‥‥父上が死ぬなんて‥‥‥」

 瑞光坊は、嘘だ、嘘だと言いながら、何度も何度も、松の木を叩いていた。

「わしにも信じられん。信じられんが事実らしい」

 円覚坊は立ち上がると、瑞光坊の腕をつかんだ。瑞光坊のこぶしは皮がむけて血が滲んでいた。

「しっかりしろ!」と円覚坊は厳しい声で言った。

 瑞光坊はハッとして、自分の両手を見つめ、顔を上げると円覚坊を見つめた。

「うろたえるな‥‥‥と言っても無理かもしれんが、お前はお屋形様のせがれなんじゃぞ。領主の伜として、草津の者たちの面倒を見なければならん立場にいるんじゃ。辛いかもしれんが、現実から目をそらしてはならん」

 円覚坊は瑞光坊の手を放すと、腰を下ろして、祠の中の弁天様を眺めた。

 瑞光坊は父が出陣する前に言った言葉を思い出した。

「今回の戦はすぐに片が付くじゃろう。しかし、益々、戦は増える事となろう。お前は宿屋の主人にならなくてはならんが、兄の太郎が戦に行った時、留守を守るのはお前じゃ。お前がこの草津を戦から守るんじゃぞ。その事をしっかりと肝に銘じておけ。いいな」

 父はそう言うと、瑞光坊の腹を叩いて笑った。その時、瑞光坊は軽い気持ちでうなづいたが、父が戦死してしまった今、俺がこの草津を守らなくてはならないのだ、と自分に言い聞かせていた。

 あの時、父は初めて、自分の事を一人前の大人として扱ってくれた。しかし、もう、その父はいない‥‥‥

「北条軍は二十日の夜中、総攻撃を掛けて来たらしい」と円覚坊は言った。「味方の兵たちは、まさか、北条が八千たらずの兵力で攻撃して来るはずがないと眠りこけていたそうじゃ。そこに突然の夜襲やしゅう、味方は慌てふためき、戦の準備をする間もなく攻められて、中には、味方同士で斬り合いをした者も多かったらしい」

「それで、八万の兵がやられたのか‥‥‥」

「味方はばらばらになって逃げてしまったようじゃ。元々、寄せ集めの兵たちじゃ。不意を突かれて陣が乱れれば、立て直す事などできん」

管領かんれい殿もやられたのか」

「分からん。お屋形様の亡きがらを馬に乗せて逃げるのが精一杯だったそうじゃ。誰がやられて、誰がどこに行ったのか、まったく、分からんそうじゃ」

「そうか‥‥‥夜襲をかけられたのか‥‥‥」

 瑞光坊は両手を固く握り締めて、夜空を見上げたまま、いつまでも立ち尽くしていた。

 

 二日後、父、下総守の遺骨と一緒に兄、太郎左衛門が十数人の家臣に守られて帰って来た。

 ほこりまみれのよろいを身にまとい、皆、疲れ切った顔付きをしていた。

 三日月の家紋の書かれた旗だけが、出掛ける時と同じように、風になびいていた。

 次の日、光泉寺にて、お屋形下総守、叔父善太夫、そして、亡くなった家臣たちの葬儀が大々的に行なわれた。

 葬儀の前、瑞光坊は亡き善太夫の跡を継ぎ、湯宿の主人になると共に、善太夫の名を継いだ。

 湯本善太夫、十六歳、父親と叔父を亡くした悲しみに浸っている暇はなかった。

 今回の戦で負傷した武将が治療のために続々と草津にやって来たため、宿屋の主人として接待に大忙しだった。

 湯本家は嫡男の太郎左衛門が二十歳で継いだが、家臣たちの主立った者が半数近く戦死してしまい、先が思いやられた。湯本氏を草津から追い出して、自ら領主になろうと思う者がいないとは言えなかった。

 草津の南の羽尾はねお(羽根尾)には羽尾治部入道ちぶにゅうどう道雲どううんがいて、長野原には道雲の弟、海野うんの長門守ながとのかみがいる。羽尾の西には西窪さいくぼ佐渡守さどのかみ、そして、鎌原かんばら宮内少輔くないしょうゆうがいる。皆、同族であり、親戚でもあったが、油断はできなかった。

 湯治客が銭を落として行く草津の湯は、草津周辺の領主たちから見れば垂涎すいぜんの的だった。湯本氏が勢力のあるうちは何事も起こらないが、勢力が弱まったとみれば、誰もが草津を狙う可能性があった。

 下総守の葬儀の後、さっそく、伯父である羽尾道雲が湯本家を継いだ太郎左衛門の嫁に、わしの娘はどうかと言って来た。その事について、猛反対したのが従兄の鎌原宮内少輔だった。羽尾氏と鎌原氏は領地が接しているため、その境界について年中、争っていて仲が悪かった。

 亡き下総守の妻、要するに、太郎左衛門の母親は宮内少輔の父、筑前守ちくぜんのかみの妹であるため、湯本家における鎌原氏の地位は高かった。ところが、太郎左衛門が羽尾氏の娘を嫁に貰うとなると、鎌原氏の立場は羽尾氏に奪われる事になる。かと言って、鎌原氏には太郎左衛門の嫁にやるような娘はいなかった。しかも、宮内少輔の父親、筑前守も今回の戦で戦死してしまった。宮内少輔は一人、反対したが、結局は道雲の娘を嫁に貰うという事に決定した。今の世の中、何が起こるか分からない、領主となったからには、早いうちに嫁を貰って跡継ぎを作る事が先決だった。それに、道雲の娘ならお互いに釣り合いが取れると言えた。

 下総守のが明けると太郎左衛門は道雲の娘と祝言しゅうげんを上げた。

 



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