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草生人メルマガ2013年4月号 はじめに


「草生人」とは

「草生人」は埼玉県草加市に密着したフリーペーパー、いわゆるタウン誌です。
2012年6月に創刊以来、ほぼ隔月刊のペースで発刊。インタビューを基本とし、お店の紹介だけではなく、生活に密着したテーマに沿った記事や、市内のイベント、出来事などを掲載しています。
合い言葉は「草加再発見」。
部数は現在2500部。ご協力いただいている店舗で配布させていただいています。

「草生人メルマガ」とは

「草生人メルマガ」は「草生人」編集部が制作する「草生人メイキング」メールマガジン。 メルマガだけのコラム、取材こぼれ話と、最新号PDFファイルがダウンロードできるパスワードを掲載(本の最後)しています。オリジナルは月に3回発行しているテキストベースのメールマガジンですが、3回分をひとつにまとめて読めるようにしました。スマートホンの場合はePubでお読みください。

草生人関連URL


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最終更新日 : 2013-05-01 15:28:17

もくじ

編集部コラム
おもに編集長による日々思っていること
  1. 「好きを仕事に」or「仕事を好きに」
  2. 記憶と思い出と想像(創造)力
  3. 科学と科学技術は違うんだよ。。
取材こぼれ話
取材の時に感じたこと思ったこと調べたこといろいろ
  1. 店の閉店に遭遇するということ
  2. 「草加せんべい」の立ち位置
  3. 草加市公式サイトの防災情報を活用しよう
  4. 避難所を「運営」するのは町会・自治会
  5. 町名」=「町会名」、じゃない!?
  6. 「町会」はいつから「自主的に入るもの」になった?
草加小話
じつに彰による草加レポート
  1. 女子プロレスラー米山香織選手のストーリー
  2. 辰井川をさかのぼる冒険
  3. 草加のすごい企業

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最終更新日 : 2013-05-01 15:28:41

「好きを仕事に」or「仕事を好きに」

「仕事」って何だろう。
 Goo辞書によれば、
1 何かを作り出す、または、成し遂げるための行動。「やりかけの―」「―が手につかない」
2 生計を立てる手段として従事する事柄。職業。「将来性のある―を探す」「金融関係の―に就く」
3 したこと。行動の結果。業績。「いい―を残す」
(以下略)
一般的には、「2」のことを指すと思う。

 私の仕事は、『「草生人」というタウン誌を編集制作すること』だ。そして、アシモズという会社を「経営」すること。
 仕事が「生計を立てる手段として従事する」という定義なら、今私は「仕事」をしていないことになる。
 なんてこった。いや、とりあえず今は利益をほとんど出しては居ないが、いずれ出そうと努力しているわけだから、「趣味」ではないだろうとは思う。
 いやマジ利益出さないとほとんど自営業なんでうちの家族生きていけないんですけど、まあいいか………(いや、よくないです(^_^;)。

 で、「仕事」の話。
 「好きなこと」を「仕事」にできている人は、どれくらいいるのだろうか。
 「仕事」を「生計を立てる手段」ととらえ、好き嫌いとは別に考えている人も多いと思う。
 「就活」のニュースを見る限り、「好きな仕事」「やりたい仕事」にこだわっていたら就職できないんじゃないかという印象はある。


 私自身は、普通の就職というか、いわゆる就活をしていない。
 大学生の後半から始めた町の小さな書店勤務を卒業後も続け、さすがに20代後半になってヤバイと今度は出版社の下請け企業となる小さな「編集プロダクション」に入った。
 今の言葉でこの状況を説明すると、「大学卒業してからまともに就職せずフリーターとなり、その後ブラック(小)企業に入った」という悲哀のある状況となる。
 が、中身は違う。

 書店は給料的にはバイト扱いだったが、コミックと文庫の担当を任され、かなり好き放題やっていた。朝の新刊のチェックは、さまざまなジャンルの本や雑誌を見ることができて楽しかったし、営業の人と話すのも面白かった。
 バイトという自由な身分を利用して、年に1,2回1週間くらいの休みを取り、国内一人旅をしていたのもこの頃。

 その後に正社員となった編集プロダクションでは、しょっぱなから原稿書いたり子ども向け学習漫画のラフ(流れを書いた下書きのようなもの)作ったりと「制作」の現場にどっぷり。「仕事」として納期があること(明日が〆切なら徹夜してでもあげなければならない)、社長のチェック(書いた原稿やラフ、「これじゃぜんぜんわからん」「こんな中身無いのやり直し」とかめちゃくちゃダメ出しされていたこと)など、辛いことも多かったし給料もかなり安かったけれど、でもやりがいがあった。
 仕事によっては、こんなことして給料もらえるなんて素敵、と思ったくらいだ。
 
 公開前の映画をたくさん見ることができたとか(映画紹介記事)、天文台のあるペンション紹介のために実際に2日かけて行ったとか。学習漫画を書くためにたくさんの漫画家さんと出会って話すのも楽しかった。
 
 この仕事は「出版物としてのモノ」を作っていく、そこに魅力があったと思う。
 
 ただ、この「編集の仕事が好き」と認識したのは、仕事を始めてからだ。編集仕事がこういうものである、ということは、経験して初めて理解した(人に説明できないってことは以前のコラム参照)。

 これはほとんどの「仕事」に言えることなんじゃないだろうか。もちろん専門的な知識と技術の習得が必要な仕事はそうとは限らないとは思うけれど、やはり経験しなくてはわからないことは多いと思う。

 「好き」を「仕事」にできるか、「仕事」を「好き」になれるか。

 とりあえず、自分の娘には「やりたいと思ったことをやれ、それが「仕事」になるかどうか、それを生かせる仕事があるかどうかは別問題」と伝えている。

記憶と思い出と想像(創造)力

 4月14日に放映していた「所さんの目がテン!」※で、おもしろい実験をしていた。のんびりスケジュールの旅行と忙しいスケジュールの旅行、どちらが思い出になるか。
 結果。
 一つのところでじっくり回っていたグループよりも、時間が短くバタバタ回っていたグループの方が観光地のことを覚えていて、しかもその記憶が長く残っていた。 思い出が豊かになったのはバタバタ回った方だったわけだ。時間が無くてちゃんと観光地が見られないという制限が、脳の緊張状態を作り出し、それが記憶に繋がったという。

※「所さんの目がテン!」

 「もう行かなくちゃ、もっと○○を見ていたいのにっ」という思考は、「もっと見ていたかった○○」という思いを脳内で繰り返すことになるので、それが記憶を定着させるらしい。勉強と同じだね。
 「できごとの思い出の分量」は、「できごとの時間の長さ」ではなく、基本的にはできごとの量(数)に比例する。
 毎日毎日同じことを繰り返している日々は、「思い出」にはなりにくい。その合間に時間を作って行った2泊3日の旅行は「思い出」になる。旅行の最中って、ものすごく1日が長く感じるけれど、それは旅行で起こるすべての体験が新しいもので、つまり「できごとの分量」が多いからだ。
 一言で説明できることは脳の記憶領域を使わないけれど、たくさんの言葉が必要なことは記憶領域をたくさん使う。ちょっと考えれば当然か。

※ ただ、この論理だと、観光地をバタバタ回る団体ツアー旅行の方が記憶に残って思い出になる、ということになるが、コトはそう単純ではないと思うので念のため。旅行の場合は、自分で計画してバタバタ回るのが、たぶん一番記憶に残るだろう。うん。

 さて、記憶についてもう一つ。
 Googleで検索することで記憶力が減退する、という話題がある。パソコンで文章を書くようになって、漢字が書けなくなったというのはごく普通に起こっていること。
「調べればわかる」と思っていると、その場で記憶しようとしなくなる。

 ただ、「記憶力」そのものが減衰することは無いということらしい。その漢字を覚えていなくても、どこで調べればいいかを記憶する。インターネットとGoogleという検索エンジンの登場で、頭の使い方が変わったと。

※Googleの使い過ぎは頭が悪くなる?

 しかし、具体的な何かを記憶しようとすることをサボるのは、どう考えてもあまりいいことじゃない。
 日々の暮らしの中で何か引っかかることがあったときに、それを調べて知識として自分の中に取り込むことと、インターネットで調べればいつでもわかるからいいや、とそのままにしてしまうこと、どちらがいいかなんて改めて考えるまでもない(と思う)。

「記憶するという労力を、考えることに使えばいい」という考え方を聞くけれど、そもそも「考える」こと自体に、その元となる「記憶」が必要である、というポイントが抜けている。
 もちろんこれは、記憶することに時間を使いすぎるのはよくない、という意味だとは思うけれど、「インターネットを外部脳として利用しよう」という言葉だけをとると、そういう意味に取れる。

 そもそも「考える」っていうのは何だろう。
 数学や国語の問題を解くとか、仕事のスケジュールを立てるとか、献立を作るとか。そして、CMの企画を考える、小説のストーリーを考える、パッケージデザインを考える、この「考える」は、「創造する」に近い。
 で、この「創造する」ことは、そのアイデアを生み出すために膨大な脳の中の記憶必要なんじゃないかなって思うのだ。意識に上ってこない記憶も含めて。
 
 「インターネットを外部脳として利用」できるのは、その「記憶」と脳の間に、目とか耳とかの物理的なインターフェースが存在しない(つまり直接脳に繋がっている)、「攻殻機動隊」的な時代になってからだろうと思う。

 それはいつだろう。


科学と科学技術は違うんだよ。。

 4月から始まっている福山雅治主演の「ガリレオ」シーズン2。以前のシリーズも意外な科学トリックをおもしろく見ていたので今期も視聴。
 1回、2回を見た限りでは、「科学トリック」の部分が弱いところと、湯山教授が以前よりイジワルになっている(ような気がする)ところがちょっと心配。
 
 さて、第1回目のドラマは、科学と宗教の話。湯山准教授の決めゼリフとして、よく知られているフレーズ「宗教は信じるところから始まるが、科学は疑うところから始まる」が登場するが、それはさておき、「宗教を信じる」と同列の言葉として「科学を信じる」というセリフが出てきて、それが気になったのだ。もちろん、湯山准教授のセリフではないですよ(^_^;)
 
 「科学」って言葉を使うのはどんな時だろう。『科学の力ってスゴイね』とか、『科学好きだよ、物理とか生物』。
 これ、1つめには「すごいのは『科学技術』でしょ」、2つめには「それは科目の名前」というつっこみを心で入れてしまうが、確かに間違ってはいない。
 ただ、(ドラマでだれかが言っていた)「科学を信じる」というのは、ちょっと違うと思う。

 科学っていうのは、今この世の中に存在するもののしくみやからくり(本当のこと=真実)と、それを探求すること(学問)だと思っている。
 なぜそこにあるのか、なぜそうなってるのか、それを調べて考えて解き明かす。

 理科の勉強がキライ、っていう子どもに以前話したことがある。今、ここで生活している身の回りすべてが「科学のネタ」だって。

 お湯が沸くと泡が出るのはなぜか。
 灯りが明るいのはどうしてか。
 太陽が東から出て西に沈むのはどういうしくみか。 

 その理由の説明(理論・知識)、それを考えることが「科学」。理科っていうのは、身の回りのいろんなことを「深く知る」ことなんだよ。って。
 そして、その理論や知識を利用して、実際に人の生活に役立つ具体的な薬や装置などを作ることが、「科学技術」。
 「科学を信じる」というのは「科学技術を信じる」ってことなんだけれど、けっこうみんな混同して使っているよね。


 私が子どもの頃、身の回りについてよく「なぜ」という子どもだったらしい。それに対して、なんとか説明してくれたのが父だったらしい。そう「空はなぜ青いの?」的なもの。
 「らしい」というのは、そういう「なぜ」を言っていたのが小学校低学年までで、私自身にあまり記憶が無いからだ。母親によれば「(父が)よくちゃんと質問に答えてえらいなあと思っていた」そうだ。私がけっこう理科系のことが好きなのは(成績とは関係はないけど(^_^;)、このときの体験があったからなんだろうと思う。

 大人になると、生まれた時からそうなっているものについて疑問を持たなくなってしまうけれど、まだそれが「常識である」と認識していない小さな子どもにとっては、すべてが未知の世界だもんね。
 リンゴが落ちるのを見て重力に気がついたとか、星々が輝くのを見て宇宙に果てがあるのだと考えたとか、「常識」を疑わないと気がつかない。
 
 え?なぜ星々が輝くと宇宙に果てがあると考えるんだって?
 もし宇宙が無限に広がっていて、時間もずっっと続いているのだとしたら、宇宙の果てにある星々の光も長い時間かけて全部届くから、空は星でいっぱいになり、夜の空も明るいはずと考えた、という話。

 「科学」関係でもひとつ超有名なフレーズを思い出した。「充分に発達した科学技術は、魔法と見分けが付かない」。「科学マジック」はここからきている。
 そういえば5月25日には、草加市文化会館で「米村でんじろう先生のサイエンスショー」が行われる。
 子どもが小さかったらきっと行っていただろうな。


※米村でんじろう先生のサイエンスショー
※「充分に発達した科学技術は、魔法と見分けが付かない」クラークの三法則


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