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まえがき

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はじめに

 2012年に高知市で「フクシマ」問題に関する講演をしたときのことです。
 朝、打ち合わせと準備のために会場に最初に入ったのは私を入れて4人。なんと、その4人が全員、血液型がAB型でした。
 ご存じのように、日本人の血液型は、A、O、B、ABの順におよそ4:3:2:1です。AB型は10人に1人しかいません。ですから、「たまたま人が4人集まって、その全員がAB型である確率は10分の1の4乗だから、1万分の1だね」という話で一瞬盛りあがりました。
 1万分の1の確率で起きる事象というと、まず起きそうもない気がしますが、このときは実際に起きたわけです。
 ジャンケンで3回(アイコもなしで)連続して勝つ確率は3分の1×3分の1×3分の1=27分の1。3.7%です。
 5回連続で勝つとなると、3分の1の5乗で243分の1、およそ0.4%という奇跡のような確率になります。
 福島第一原発が壊れ、大量の放射性物質がばらまかれた後の日本において、私たちが今、まがりなりにも普通の生活を続けていられるのは、実はものすごく低い確率の「超幸運」の結果だった、という話をこれからしていこうと思います。それはジャンケンで5回連続して勝つよりもずっと奇跡的な確率の幸運だったのです。

 

 3.11のとき、私は福島県双葉郡の川内村というところに住んでいました。3月12日の夕方、テレビで福島第一原発1号機が爆発する映像を見たときは、日本はもう終わりではないかと思い、背筋が凍りました。

 それから2年以上が経過し、この文章を書いている今(2013年5月)、福島から遠く離れた場所に住む人たちは、あのとき何が起きたのか、その結果どういうことになったのかを忘れているかのようです。

 私が住んでいた川内村は人口が3000人に満たない山村ですが、面積は千代田区の17倍あります。近畿圏の人には西宮市の2倍と言ったほうが分かりやすいかもしれません。それだけ広い場所に、家は1000戸もありません。

 私の家は福島第一原発から直線距離で約25㎞の場所にありました。村は全村避難となり、その後、学校や医療機関を再開させられない「緊急時避難準備区域」(30㎞圏)と、立ち入りが禁止される「警戒区域」(20㎞圏)に二分されました。

 多くの人たちは、半径20㎞、半径30㎞の円がどのくらいの広さになるのか実感できないと思うので、分かりやすく首都圏を例にとって説明します。

 

 東京湾の埋め立て地に、東京電力の品川火力発電所という発電所があります。

 ここを中心点として半径20㎞の円を描くと、東京23区はすっぽり全部含まれてしまいます。

 つまり、もし福島第一原発がこの品川火力発電所の位置にあって、同じような放射性物質漏れを起こせば、東京23区はすべて立ち入り禁止区域になる、ということです。

 23区どころか、船橋、草加、三鷹、横浜にまで達する円になります。(↓下図)

 福島では、その規模のエリアが全部立ち入り禁止となり、人が消え、あらゆる経済活動が不可能になったのです。

 実際には20㎞圏、30㎞圏では済みませんでした。悲劇の村として有名になった飯舘村は福島第一からは40㎞ほど離れています。ご存じのように、飯舘村は汚染がひどく、今も全村避難が続いています。この飯舘村は、品川火力からの位置関係にすると、埼玉県の所沢から川越あたりに相当します。この範囲で人が全部消え、今後数十年は戻れないのではないか、という放射能汚染が起きたのです。

 

 
 私は今まで何回か市民グループやNPOなどに呼ばれて「福島の現状」について講演をしてきましたが、冒頭、このように説明すると、会場に一気に緊張感が走るのが見て取れます。
 みなさん「原発から20㎞圏、30㎞圏」というのがどの程度の範囲なのか、把握していないのです。「立ち入り禁止で人が一切消えた20㎞圏という広さには、東京23区はおろか、千葉県や神奈川県の一部も含まれる」ということを知って、ようやくどれだけの規模の被害なのかを実感し始めてもらえるようです。
 それでも、「福島は大変だったんですね」という反応で終わってしまいがちです。
 多くの人たちは、あれは福島という遠い土地で起きた悲劇だと思っています。大変なことが起きたことは分かるけれど、離れた場所で暮らしている自分には、沖縄の基地問題と同じで、あまり関係がない……と。
 全然そうではありません。
 日本列島の汚染状況が今の程度で済んだのは「たまたま」の幸運がいくつも重なった結果であり、いくつかの幸運の何か1つでも足りなければ、今頃、東京を含む首都圏全域がすっぽり機能停止になっていたかもしれなかったのです。
 これは誇張でも何でもありません。私たちが今こうして普通の生活を続けていられるのは、たまたまジャンケンに5、6回連続して勝てたくらいの確率、いえ、もっとずっと低い確率の幸運なのかもしれないのです。
 もしも風向きが逆だったら、もしも地震が夜起きていたら、もしも4号機の改修作業が予定通り進んでいたら……いくつもの「もし」が、たまたま運のよい方向に転んでくれたからこの程度で済んだのです。
 
「フクシマ」は、被害の深刻さを物理的に実感するだけでは理解しきれないほど複雑で深い問題です。
 私はむしろ、物理的な被害の大きさ、危険の大きさ以上に、それを生み出したこの国の社会構造的欠陥や精神風土の未成熟さこそが根源的な問題だと思っていますが、そうした闇の部分を自分の問題として認識するためにも、まずは「フクシマ」の被害実態や起きたことの意味を、物的、数値的、確率論的に把握することが必須だと思うのです。
 特に、現場を見られない、現地の事情を肌で感じることができない人たちに事実を正確に伝達するには、起こった事象を分かりやすい数値や確率に置き換えて説明することがとても重要なことだということに、遅ればせながら気がつきました。
 本書を書いてみようと思ったきっかけはそれです。
 
 最初に、本書を書くにあたって、いくつかの指針を立てました。

 

 
1) 感情的な形容詞を避ける
 ……「驚くべき」とか「信じられないほど」とか、そういうフレーズはなるべく控えて、事実に乗っ取ったことだけを淡々と書いていくつもりです。
 
2) 巨大数に対して等身大の感覚で臨む 
 ……最近はニュースなどで○兆円といった数字や金額がサラッと言われますが、一般人としてはそれがどれだけの金額なのか実感できません。「兆」が出てきた時点で、「おいおい、ちょ~っと待てやぁ。兆ってサラッと言ってくれるがなあ、それって一人頭で割ったらいくらやねん」というツッコミを入れる癖をつけておくべきでしょう。
 
3) 分からないことは断定しない
 ……例えば放射線による健康被害、リスクについては、医師や学者たちの間でも見解の相違が大きすぎて、何を信じていいのか分からない状況です。かといって、分からないから判断のしようがない、と言ってしまっては身も蓋もありません。「専門家」と呼ばれる人たちの発言や研究発表は、断定的に述べるのではなく、「判断材料」として積極的に紹介していきます。
 
4)現場の生の証言を重視する
 ……人類が経験していないことが起きたのですから、離れた場所で机上の理論を振りかざす人よりも、現場で実際に何が起きたかを見た人、体験した人の言葉を重視したいと思います。
 例えば、2011年3月12日に1号機が爆発した映像をテレビで見て、私と妻はすぐさま逃げましたが、村に残っていた人の話では、1Fで爆発に伴う火災が起き、その消火活動を手伝った地元の消防団員は、戻って来るなり「4号機がいちばん危ない!」と村長らに報告していました。この時点ではまだ政府も4号機がいちばん危ないということは把握していなかったと思いますが、実際に現場を「見た」人の目には、データがどうのよりも、感覚として「これがいちばんやばい!」と映っていたわけです。
 その報告を聞いて全村避難を決断した村長を止めたのは、役場に作られた緊急対策本部に詰めていた東電の社員や保安院の人間でした。「早まらないでください。ここに留まりましょう」と説得したそうです。
 権威に左右されない、生物的な勘や等身大の判断力を重視して考えていきたいと思います。
 
 以上の4点を心がけながら検証していくつもりです。
 

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