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  人は誰でも歴史をもっている。歴史には水のひとしずくにも似た個々人の想いが秘められ、それらが集合し、轟々たる大河となる。だが、それぞれは、やはりちっぽけな個人が刻んだ、ごく小さな足跡にすぎない。

本当にほんとうにささやかなものかもしれないが、この国の大地にすまう人間の生は、日本の歴史に組み込まれた確かな事実として、たとえちっぽけであっても金剛石よりも硬い事実として、りっぱに屹立しているのである。

  以下の文章は、そんなささやかな日常が積み重なって歴史になる、という一例である。私の記憶をまさぐり、蘇らせてみた昭和のはじめの記録である。

 

 

  昭和のはじめ、私の子どもの頃の「食」というものがどのようなものであったか、思いつくまま回想しながら書いてみたい。

  まずはオヤツである。当時のオヤツはと言えば、ジャガイモを蒸かし、塩をつけて食べるのがもっぱらだった。少々贅沢をすれば、それはサツマイモと相成った。

  しかし、芋ばかり食ってはいられないものだ。この頃はハイカラを求める風習が横行し、わたしもご多分にもれず、世のならいにしたがった。ハイカラといえば、これはもう即座にジャムであった。赤い「イチゴジャム」を食パンにつけて食べる。これが庶民にとっては、ハイカラな舶来趣味だったのである。 あと忘れてはならないのは「トンカツ」だ。

  話は飛躍するけれども、先代の「中村屋」の店主がハイカラで、インドに旅行してカレーライスを食した。これを日本で売ったら当たる、と思ったからおもしろい。カレーは中村屋から生まれたのは、皆様、ご存知の通り。

  また、銀座の時計店「精工舎」の東隣に「木村屋」というパン屋があり、今でもあると思うが、ここの店主もアイディアマンで今ではどこにでもあるアンパンを作って売ったら大儲けできた。これを受け、全国にあるパン屋がこぞって屋号を「木村屋」に変えたそうである。

  このようにハイカラを日本人の嗜好にあうよう再創造した先人たちの歴史は、今の私たちの日常にも、カレーやアンパンとなり、その歴史は今でも脈々と生きている。そして未来に向かってなおも引き継がれてゆくのである。

  さらにまた、歴史の流れに、ある一定の期間を区切り、スポットを当てて考えれば、その時々の時代の趨勢というか、傾向性のようなものが見えてくる。その顕著な例は、子どもの教科書だろう。

  たとえば、わたしがまだ生まれていない大正七年頃からはじまった国語の読本には、「ハト ハト」であった。これが昭和八年まで続いたのである。

  昭和八年からは色刷りの紙面となり、「サイタ サイタ サクラガ サイタ」と「ススメ ススメ ヘイタイ ススメ」に取って代わられた。

  教科書の変化をみるだけでも、このような時代の大きな潮目のようなものを読み取ることができるのである。わたしが小学生に入学した時代の国語読本は、「サイタ サイタ サクラガ サイタ」と「ヘイタイ ススメ」である。もうこの頃は太平洋戦争の時代であり、すでに戦時色へと変化している。

 

 

  大衆を呑み込む巨大な潮流としての歴史について縷々語ってきたが、さいごにわたし個人のささやかな歴史についても添えておきたいと思う。

  わたしの人生において劇的な変化をもたらしたのは、前に書いた「子ども歳時記」でもふれたが、塾のT先生の指導であった。

  文字は志(こころざし)によって書かれるのが基本である。とはいうものの、特に毛筆では、背筋を伸ばす、といった基本的な構えが大切である。次に硯に水を入れて墨をじょじょに濃くしながら呼吸の方も整えるのである。

  頭の中は空にする、発言してはならない、と強く注意された。今でいえば座禅に近い形になる。そして「筆の持ち方」に留意する。一度、筆を持って紙に向かったらすべてを忘れる、すがすがしい気持ちになることが肝要であると、諭された。これは素直なこころ、とでもいおうか、手本に忠実であろうとすること。そして「おさえ」、「はね方」、「力の抜き方」は心で書く、という指導をT先生から受け、これを毎日毎日、くりかえした。

  「書」は人なり、ともいうが、たとえ日常生活に辛いことがあっても筆を持ち、書き方を始める時は、頭を切り替え、集中力がだんだんと習慣になり、気分転換を生み、ひいては精神訓練になる、これが「書き方(書道)」の醍醐味である。

  子どもの頃は毎年、作品を出品したものだ。備忘録としてわたしの拙い戦果を以下にお目汚しではあるが、掲げておこう。

  昭和十二年七月には全国児童書方展覧会に出品し、手前味噌ではあるが特選になった。H小学校四年生の頃で、全国師範聯盟主催・全国児童書方展覧会、審査委員長文部省図書局長、石井忠純とある。

  二作目は、昭和十二年秋である。書壇社に出品した。少年部で入選し、入選証を受証、同時に褒状も受け取った。

  この他の記録として新興日本書道会に出品した。ここで三等賞の賞状を授与している。これの日付は昭和十三年一月三十日付である。

  また、H小学校六年生の時は上記と同じ展覧会で佳作をもらっている。昭和十五年二月十七日付である。

  このように書方(書道)で、じつにささやかな取るに足らない戦果であったけれども、賞をもらったのはとても嬉しかったし、その気持ちゆえ、ここに記録として残しておきたいと思ったのである。そしてこの小さな足跡が、歴史の大河へとふりそそぐしずくの一つ、であることもわたしは知っているのだ。


この本の内容は以上です。


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