閉じる


試し読みできます

中原中也の『一つのメルヘン』

読解とリテラシー・スタディーズ

─中原中也の『一つのメルヘン』

Seibun Satow

Oct, 31. 2012

 

「知之者不如好之者、好之者不如樂之者」。

『論語』

 

 創作上の推敲の微妙さについて、落合直文が『将来の国文』(一八九〇)において紹介したことでも知られる有名なエピソードがあります。そこでは次の三つの文が比較されています。

 

 A 米洗ふ前に蛍の二ツ三ツ

 B 米洗ふ前へ蛍の二ツ三ツ

 C 米洗ふ前を蛍の二ツ三ツ

 

 江戸時代、ある俳諧師の弟子がAを詠みます。夏に米を洗おうと思ったら、蛍が二、三匹飛んできたという内容です。よく出来たと感じ、これを兄弟子に見せたところ、Bとした方がよいとアドバイスされます。「前に」では飛んできた蛍がそこで止まった印象があるけれども、「前へ」であれば、動き続けているからだと兄弟子は説きます。

 

 この兄弟子が師匠に事の次第を説明し、自分の添削によっていい句になったと自信満々で報告します。ところが、師匠はお前はまだまだ修行が足りないと「前へ」を「前を」と改めるのです。「前へ」では、米を洗っているところへ蛍が飛んできたとなるけれども、Cならば、蛍がどこからともなくやってきてどこへともなく消えていく動きに沿った表現だからです。助詞がたった一文字違うだけで、情景が変わってきます。この弟子と兄弟子に関しては不詳ですが、俳諧師は松尾芭蕉あるいは香川景樹ではないかとされています。

 

 実を言うと、「に」と「へ」の違いはもともと方言の差異に由来します。方向を示す助詞をめぐって「筑紫に京へ坂東さ」という室町時代から伝えられる諺があります。九州では「に」、京都は「へ」、関東だと「さ」が使われるという意味です。「さ」が消え、「に」と「へ」の併用が全国的に標準的用法として広がるのは明治維新以降です。ただ、「おら東京さ行くだ」のように、現在でも東北方言では「さ」が用いられています。

 

 この違いは日常会話では気になりません。「前に」であろうと、「前へ」であろうと、「前を」であろうと、意味は通じます。けれども、創作過程においてはこのニュアンスの差異は決定的です。「に」は蛍がある場所に集まってくることを表わしています。「へ」は蛍がその場所へ方向性を持って向かっていることを指します。「を」は左右いずれかの方角から飛んできた蛍がこの場所を通り過ぎることを示しています。母語は、ネイティブ・スピーカーにとって、暗黙知です。自分だけで言葉の使い方が適切かどうか判断できます。しかし、文学の制作では、先のエピソードが物語る通り、母語を外国語であるかのように問い直す必要があります。兄弟子も師匠も創作者であると同時に鑑賞者です。二人はなぜその語を選ぶのかについて理由を述べています。こちらの方が何となくいいなどと直観的に言っているわけではありません。暗黙知を明示化して、母語を相対化しているのです。

 

 外国語としての母語という観点から読解を試みる際に、中原中也の『一つのメルヘン』(一九三六)を選ぶことに異論はさしてないでしょう。日本文学史において、通常、口語自由詩を確立するまでを近代詩、それ以降を現代詩と区分します。前者は定型や文体に囚われず、近代的な個人の内面を自由に表現することを目指します。一方、後者は近代詩の持っていた自己表現や象徴表現などの方法でさえも制約だとして自由の追及自体に意義を見出します。近代詩が「自己表現」の「自己」に重点があったとすれば、現代詩では「表現」に関心が寄せられています。中也はこの現代詩初期の代表的詩人です。その『一つのメルヘン』は、特定の主義主張とは距離をとって自由を追い求めながら、難解ではありません。しかし、効果の上で日本語のリテラシーを非常に意識して創作された詩なのです。

 

秋の夜は、はるかの彼方に、

小石ばかりの、河原があって、

それに陽は、さらさらと

さらさらと射してゐるのでありました。

 

陽といっても、まるで珪石か何かのようで、

非常な個体の粉末のようで、

さればこそ、さらさらと

かすかな音を立ててもゐるのでした。

 

さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、

淡い、それでいてくっきりとした

影を落としてゐるのでした。

 

やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、

今迄流れてもいなかった川床に、水は

さらさらと、さらさらと流れてゐるのでありました……

 

 この『一つのメルヘン』は形式としては口語自由詩、内容としては抒情詩に属します。構成は四・四・三・三の一四行ですから、ソネットと呼ぶことができます。自由詩であっても、五音と七音が多く、リズムは伝統的です。内在律はオノマトペに見出せます。語りは三人称で、敬体が用いられています。語彙は、「珪石」を除くと、ほぼ日常会話程度です。ただ、「個体」は通常の用法では「固体」ですが、「粉末」を強調するためにこれをあえて選んだとも考えられます。

 

 「秋の夜」でありながら、「陽」が射したり、「一つの蝶」がいたりしますから、舞台が現実ではなく、詩人の心象風景だと推測できます。「さらさら」という音以外は響かないような静かな世界です。また、「一つの蝶」を除く、生物の記述がありません。生命をあまり感じないけれども、知覚を刺激する無生物の動きがあり、死んだ世界という印象もないのです。

 

 近代以降の詩は圧倒的に抒情詩で占められています。詩は叙事詩と抒情詩に大別できます。両者は世界認識の視点が異なります。前者は外部もしくは境界、後者は内部から世界を見ます。散文が叙事詩を代行する地域もあり、視点から人形浄瑠璃が叙事詩の系譜にあると考えられますが、日本もそうです。近代以後、叙事詩的視点は散文が担当する傾向が世界的に顕著になります。

 

 日本では、詩歌と言えば、伝統的に抒情詩を指します。『万葉集』成立以後、一五〇年程は漢詩文学が貴族の間で流行しますが、その後は和歌が支配的な位置を占めます。近代以前の詩は韻律よって組織化した言語表現です。韻あるいは律のいずれに重心が置かれるかはその言語の特徴や歴史的・社会的事情によります。日本においては五と七という音数、すなわち律が重視されます。

 

 ただ、和歌の用語は和語に限られますので、政治・経済・宗教など漢語の領域を扱うことができません。和歌の世界は心情に限定されるのです。漢詩には、そうした制限がありませんから、その後も二〇世紀を迎えるまで夏目漱石を始め主に男性知識人の間で愛好されています。「和詩」とも呼ばれた漢詩にも、ナポレオン・ボナパルトを題材にするなどして近代詩への改良運動が起きています。この試みは挫折したものの、事件や出来事の叙事詩的な記録として今日でも用いられています。日本において、部分的にであっても、漢詩が叙事詩を担当してきたとも言えるのです。

 

 タイトルに含まれる「メルヘン」はドイツ語でファンタジックな散文を指します。『一つのメルヘン』のドイツ語訳は”Ein Märchen”です。これは中性名詞です。名詞に性のある言語では、非人間を擬人化する際に、それが性別として表われます。女神は語源が女性名詞です。ドイツ語において、男性名詞と中性名詞につく数詞の1と不定冠詞はいずれも、einです。女性名詞の場合、eineですが、数詞と不定冠詞はやはり同じです。中也が熱心に勉強したフランス語でも、不定冠詞の単数形と数詞の1が同じで、いずれも男性形がun、女性形がuneです。ドイツ語の”ein Märchen”に相当するのは、”un conte de fees”で、意味は「妖精物語(A fairy tale)」です。

 

 このeinが不定冠詞であるのか、そえとも数詞であるのかは、発音の際には、アクセントの違いで判断されます。不定冠詞の場合、einにアクセントを置かないのに対し、数詞ではつねに強く発音します。不定冠詞の際、重要なのはその後に来る単語ですが、逆に、数詞では数がそうだからです。

 

 日本語ではこういう困難がありませんので、「一つの」には別の意味があります。『一つのメルヘン』は自由詩ですから、厳密に言えば、「メルヘン」ではありません。「メルヘン」ではないけれども、考え方によってはそのカテゴリーに入るものという意味があります。この場合の「一つの」は「それも一つの案だ」に見られる用法と同じです。「一つのメルヘン」は「メルヘンのようなもの」と解せます。

 

 タイトル以外に、三節の「一つの蝶」でも「一つの」が登場します。この意味は「蝶らしきもの」です。種類はおろか、色も形も大きさにも触れず、ただ「一つの蝶」とのみ記されています。それは多分そうではないかと推測できる「蝶らしきもの」と了解できます。

 

 確かに、中也が作品で助数詞の使用を避けていたことは認められます。しかし、「一つの」をたんに独自の用法と片づけてしまうことは言葉のもたらす効果を考慮していません。「メルヘンのようなもの」や「蝶らしきもの」ではなく、「一つのメルヘン」と「一つの蝶」の方が選ばれたのは、差異よりも類似を強調するためです。日本語において修飾は前置が通常です。「らしきもの」や「ようなもの」では、似ているけれども異なった何ものかというニュアンスが出ます。それは本文中で二度使われている「のようで」からもわかります。一方、「一つの」を用いると、見た目はともかく、本質上同じだと読者に意味合いが伝わります。

 

 英語には冠詞がありますから、プレーンの普通名詞が使われることはないのです。それはあくまで概念やイデアですので、辞書や事典の見出しくらいにしか用いられません。決定詞のついていない”butterfly”は実在しないのです。普通名詞を使うには、冠詞や所有格をつけたり、複数形にしたりして個別として限定しなければなりません。

 

 一方、日本語には冠詞がありません。プレーンの普通名詞を使うことができます。それで概念としてのみならず、集合の全体も部分も、任意の個体も特定も表わすことが可能です。その分、コンテクストに理解が依存することになります。

 

 松尾芭蕉に、「枯枝に烏のとまりたるや秋の暮」という句があります。これは名句として知られ、絵画にも描かれています。現在確認されている絵は五枚あます。その一枚は芭蕉自身、他は弟子の手によるものです。実は、弟子の絵に登場する烏はいずれも一羽ですが、芭蕉のものには二七羽もいます。普通名詞をプレーンで使えますから、どちらの理解もあり得るのです。

 

 日本語は冠詞がないので、文章内を決定詞のない普通名詞で揃えることも容易です。その中で「一つの」と使うと、非常にそれが際立ちます。

 

 この世界は詩人の心象風景です。読者にそれがつねに感じられるように細部にまで工夫が凝らされています。そこに動詞の語尾や時制も含まれます。

 

 一・四節の最終行が「のでありました」、二・三節のそれは「のでした」となっています。前者が「のであります」、後者は「のです」の過去形です。いずれにも「ので」が入っています。これは意見を述べる際に用いられます。例を挙げて説明しましょう。

 

 A 吾輩は猫である。

 B 吾輩は猫なのである。

 

 前者が事実を語っているのに対し、後者は意見の表明です。実は、「である」は文脈によって事実だけでなく、意見にも使うことができますが、「なのである」はこの用法にのみ限定されます。結論としての意見を表わしますから、通常、そうした文を段落の冒頭に置くことは避けられます。

 

 中也もこうした語尾を他の作品でも文末に持ってきています。

 

されば要は、熱情の問題である。

汝、心の底より立腹せば

怒れよ!

 

さあれ、怒ることこそ

汝が最後なる目標の前にであれ、

この言ゆめゆめおろそかにする勿れ。

 

そは、熱情はひととき持続し、やがて熄むなるに、

その社会的効果は存続し、

汝が次なる行為への転調の障げとなるなれば。

 

  IIII

 

ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於て文句はないのだ。

(『いのちの声』)

 

それが何処か?──とにかく僕に其処へゆけたらなあ……

 心一杯に懺悔して

 恕されたといふ気持の中に、再び生きて、

 僕は努力家にならうと思ふんだ──

(『吹く風を心の友と』)

 

 かりに「ゐるのでありました」を「ゐました」とすると、事実の記述になります。風景から主観性が後退し、客観性が前に出てきます。

 

 こうした規則から中也がこの情景を主観的考えとして述べていることがわかります。そこは詩人の心象なのです。

 

 続いて、「であります」と「です」の違いについて検討してみましょう。どちらも敬体です。これは一種の敬語ですから、作者による読者への配慮に基づいています。ただ、後者が敬体の標準に属しているのに対し、前者は常体により近い敬体です。演説等で意見の強調のために使われるように、断定の意味がある「である」調のニュアンスを残した敬体表現です。

 

 一・四節は、二・三節に対し、詩人にとって主観的確信が強い情景だということがわかります。前者がマクロな主景、後者がそのミクロで変化を物語る属景と捉えられるのです。主から属を経て元に戻る循環をしているわけです。詩の推進力は風景の遠近、すなわちサイズの変化です。

 

 これは動画におけるカメラのレトリックです。ロング・ショットは時間がゆっくりと、クローズアップすると速くそれぞれ感じられます。距離の遠近は時間感覚に比例するのです。引きを示した後に寄るだけで、時間が速くなったように認知され、変化を感じます。その逆は反対の過程をたどって変わったと意識されます。中也が映画界と浅からぬ縁があったことはよく知られています。それはともかく、この方法がエドウィン・S・ポーターの映画『アメリカ消防夫の生活』(一九〇二)ですでに見られることは確かです。

 

 「してゐる」は、一般的に、英語の現在進行形の訳語として用いられています。けれども、そうした機械翻訳が成り立つとは限りません。例を挙げて説明してみましょう。

 

A 水が流れる。

B 水が流れてゐる。

C 水が流れた。

D 水が流れてゐた。

 

 Aは、正直、これだけでは意味不明です。文法上の誤りはありません。でも、意味が通らないのです。Aには近い将来に「水が流れる」という意味合いがあります。日本語の現在形は近く確実に起こる未来を述べる用法が主です。東北新幹線に乗車していると、停車駅に関するアナウンスが英語と日本語で流れます。前者のアナウンスが”The next stop will be Sendai”と未来形を使っているのに対し、後者では「次の停車駅は仙台でしょう」ではなく、「次の停車駅は仙台」と現在形です。修飾語がない場合、文脈上近い将来に実現するニュアンスがなければ、現在形の文は意味がわからないのです。

 

 実際の場面では文脈を補っているから理解できるのであって、よくよく考えると、日本語の現在形の文はそれだけでは意味不明のケースが少なくないのです。例えば、「彼はサッカーをする」は何を言っているのかわかりません。「彼はこれからサッカーをする」なら意味が通ります。他方、英語の単純現在形の主な用法は、実況中継等で瞬間的出来事にも使われますけれど、日常的な習慣です。”He plays football”は、彼が習慣的にサッカーをする人だという意味ですから、訳は「彼はサッカーをする」ではなく、「彼はサッカー選手だ」です。この場合、プロかアマかは重要ではありません。

 

 Bは『一つのメルヘン』に出てくる動詞ですが、これには発想の転換が要ります。ラテン語では英語の単純現在形と現在進行形を合わせて未完了形と呼びます。Bはこのアスペクトとして考えるとうまく理解できます。日本語の場合、英語と違い、単純形と進行形の区別がはっきりしていません。完結相と非完結相とアスペクトによる捉え方をします。アスペクトが未完了形と完了形の二つという言語は決して珍しくありません。セム語系のアラビア語もそうです。Bで出来事が語られると、現在起きていることになります。

 

 Cは今まさに水が流れたという現在完了形です。実は、日本語の過去形には英語の現在完了形に対応するものが多いのです。荻窪駅南口のラーメン二郎から男子高校生二人組が「ああ、食った、食った」と出てきたとします。その際の「食った」は現在完了形です。

 

 日英で時制が大きく異なる例を挙げてみましょう。「俺、MSで働くことになった」を英訳は”I am going to work at MS”です。日本語が過去形であるのに対し、英語は未来形です。しかし、日本語の過去形は現在完了形のニュアンスがありますから、「働くことが決まった」と理解でき、見た目より時制が離れていません。これを「する」文化と「なる」文化の違いと考える前に言葉と発想から吟味する方が思慮深いでしょう。

 

 Dはある時点で水が流れていたという意味ですから、英語の過去形に相当します。日本語の過去形はその状態が現在も継続している、もしくは情報として有効であるというニュアンスがあります。これは英語の現在完了形です。一方、英語の過去形はその状態が継続している課や情報として有効であるかは不明です。通常、それだけで使うことはなく、いつがわかるように工夫します。

 

 近代小説の考えが日本に輸入された際、西洋では単純過去形を動詞の時制の標準とすると理解されています。ところが、これを日本語に応用しようとするのは、実際には、難しいのです。先人の苦労は察するに余りあります。今日では過去完了形の訳語に当てられる語尾を使わないと、英語の過去形のニュアンスが表わせません。日本文学ではよほど意識的に言葉を選択しない限り、語尾の時制が統一できないことになります。

 

 各節の最終行における二つの動詞の時制は語り手と出来事がどの時間帯に属しているかを表わしています。

 

A 流れてゐるのでありました。

B 流れてゐたのであります。

C 流れてゐたのでありました。

 

 原文のAは、詩人が過去に遡り、その出来事を現前として語っています。Bですと、詩人が現在にいて過去の出来事を回想している姿になります。詩人には出来事に対して距離があります。Cであれば、詩人は過去に戻り、さらに前に起きた出来事を思い返している設定です。出来事は今から見れば遠い昔の話になってしまいます。主観的でありつつ、強い印象の風景なら、やはり原文が最適でしょう。

 

 『一つのメルヘン』では主格につく助詞も効果的です、「蝶」に対してのみ「が」が用いられ、他はすべて「は」です。「が」が未知情報、「は」は既知情報に関して使われます。例を挙げて説明しましょう。

 

 昔々、あるところにおじいさんとおばあさんがおりました。おじいさんは山へしば刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。

 

 おじいさんとおばあさんが初出の際には「が」、二度目の言及では「は」が用いられています。未知情報に対しては前者、既知情報には後者が使い分けられるからです。

 

 そう考えると、『一つのメルヘン』の心象風景において、蝶を除くすべてが詩人にとって既知情報だと理解できます。これは初めて目にしたわけではなく、前から知っていた世界です。けれども、蝶には二度目の言及でも「が」がつけられています。それはつねに詩人には新たな存在だと意識されているのです。

 

 他に助詞では、「に」が多く使われています。これは、冒頭で言及した通り、運動よりも場所を強調します。詩内部の運動は拡散ではなく、集中という傾向が認められます。閉じられた世界を印象づけるのです。これは他動詞の用法からも裏づけられます。自動詞でも意味が通る場合でも、「陽」が「音を立ててもゐる」や「一つの蝶」が「影を落としてゐる」のように、他動詞が使われています。主客の関係が明確で、運動の拡散が見られないのです。

 

 次にオノマトペの検討に入りましょう。これは『一つのメルヘン』の中でも最も印象深いものです。

 

 人は、本来、勝手に造語することができなません。言葉は他者と意味や用法が共有されていなければ、理解されないからです。突然、ある人が冷蔵庫を「キットケ」と呼んだとしても、他の人は何のことやらわかりません。けれども、オノマトペは例外です。オノマトペは気分や雰囲気を表わす機能があります。日本語は、ハングルほどではありませんが、この語彙が豊富です。ムードを指し示す語ですから、他者の共感を得られれば、新たなオノマトペの創造は誰にでも可能なのです。

 

 この達人が宮沢賢治でしょう。彼の作品は独創的なオノマトペに覆われています。それが示す対象や世界は独特なものであることを印象づけるのです。

 

 『一つのメルヘン』の中也は、賢治と違い、独自のオノマトペをつくることはしません。「さらさら」を効果的に使っています。これは、日本文学史において、最も伝統あるオノマトペです。『万葉集』巻一四の三三七三の東歌に「さらさら」が登場します。

 

 多摩川にさらす手作りさらさらになにそこの児のここだ悲しき

 

 多摩川にさらす手作りの布のさらさらとして手触り、いまさらながらこの娘はどうしてこうも愛おしいのだろうというのがこの歌の一般的理解です。

 

 『一つのメルヘン』でも「さらさら」が川をめぐる情景で使われています。ただ、それは非常に高度な用法です。「さらさら」が節の進行につれ、転調しています。一節では光を指す視覚表現、二節は音ですので聴覚表現です。三節には登場しません。蝶がきっかけとして次の大きな転調を用意しています。四節の「さらさら」は水を指し示しています。それは視覚や聴覚に加えて、触覚表現まで同時に表わしているのです。

 

 確かに、「さらさら」には視覚・聴覚・触覚表現があります。けれども、それは通常一つの記号として用いられます。ところが、中也はこれを転調させ、最後には三重の記号として使ってみせるのです。

 

 中也の手法を異名同音的転調と呼ぶことができます。オノマトペは転調という技法に非常に威力を発揮します。転調にも、これとは別にさまざまな手法があります。「ころころ」と「ごろごろ」のように、近接するオノマトペを使う転調もあるのです。深みのある『一つのメルヘン』の転調と違い、詩の推進力として働きます。

 

 中也は、「さらさら」という伝統的なオノマトペを用いることにより、この心象風景が決して現実から遠いわけではないと読者に感じさせます。そこはここかもしれないどこかです。見逃しているだけで、実際にはすぐ間近にある可能性も否定できません。自分お主観をたどると見えてくるかもしれません。他方、賢治は独自のオノマトペを考案することで、その世界の独特さを醸し出しています。そこはここではないどこかです。「かぷかぷ」笑う「クラムボン」がいます。それは主観的には認識できない固有の秩序を持つ幻想の世界なのです。中也と賢治とでは、前者の方が後者よりも世界の主観性が強いことがわかります。

 

 中也は、オノマトペの効果を熟知していたことは明らかです。『サーカス』(一九二九)では、『一つのメルヘン』と違い、独自のオノマトペを編み出しています。

 

サーカス小屋は高い梁

  そこに一つのブランコだ

見えるともないブランコだ

 

頭倒に手を垂れて

  汚れた木綿の屋根のもと

 ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

 

それの近くの白い灯が

  安値いリボンと息を吐き

 

観客様はみな鰯

  咽喉が鳴ります牡蠣殻と

ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

 

屋外は真ッ暗 暗の暗

夜は劫々と更けまする

落下傘奴のノスタルジアと

ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

 

 このオノマトペは空中ブランコの動きを指しています。サーカスは閉じられた非日常的な世界です。それを表わすには、やはり普段使われているオノマトペでは不十分です。今まで聞いたこともないオノマトペがサーカスの気分を物語るのです。

 

 正直、日本語のオノマトペを印欧語やセム語に翻訳するのは、幼稚ないしインフォーマルとされていますので、骨が折れます。けれども、その対象を指し示す適切な単語や言い回しがないからと言って、それを認知できないのではありません。英語の”pink””grey”の和訳は「桃色」や「灰色」です。「赤」や「青」のようにその色を直接示す語彙が日本語にはありません。しかし、それらを他の色と区別できます。また、「悔しい」や「かわいい」にぴったりと合う英単語はなかなか浮かびません。でも、英語話者がその感情を持っていないわけでもありません。

 

 一・四節で「さらさら」がリフレインされています。これは前述した主景の強調に寄与しています。始点も終点もなく続いている世界と読者に印象づけられるのです。

 

 中也はリフレインを多用する詩人です。作品によってはそれを感情の高ぶりに使っています。全作品の中で最もリフレインが多い詩の一つである『別離』(一九三四)のの1を引用してみましょう。

 

さよなら、さよなら!

   いろいろお世話になりました

   いろいろお世話になりましたねえ

   いろいろお世話になりました

 

さよなら、さよなら!

   こんなに良いお天気の日に

   お別れしてゆくのかと思ふとほんとに辛い

   こんなに良いお天気の日に

 

さよなら、さよなら!

   僕、午睡の夢から覚めてみると

   みなさん家を空けておいでだつた

   あの時を妙に思い出します

 

さよなら、さよなら!

   そして明日の今頃は

   長の年月見馴れてる

   故郷の土をば見てゐるのです

 

さよなら、さよなら!

   あなたはそんなにパラソルを振る

   僕にはあんまり眩しいのです

 

   あなたはそんなにパラソルを振る

 

さよなら、さよなら!

さよなら、さよなら!

 

 「さよなら」という別れの挨拶なのに、何度も繰り返されることで、昂揚感があります。けれども、だからこそ、それがこらえきれない悲しさや寂しさを湧き立たせるのです。

 

 中也の詩に音楽を感じるとしても、思いすごしではありません。生前、諸井三郎が彼の詩に曲をつけていたことは知られています。しかし、それだけではありません。ミュージシャンたちが彼の詩を実際にトリビュートしているのです。高橋幸宏はこの『別離』をモチーフに『SAYONARA/サヨナラ.』を発表しています。これは幸宏の代表曲の一つです。また、武田鉄矢の海援隊のヒット曲に『思えば遠くへ来たもんだ』がありますが、この歌詞には以下の中也の『頑是ない歌』(一九三六)からの引用が多々見られます。

 

思えば遠く来たもんだ

十二の冬のあの夕べ

港の空に鳴り響いた

汽笛の湯気は今いずこ

 

雲の間に月はいて

それな汽笛を耳にすると

竦然として身をすくめ

月はその時空にいた

 

それから何年経ったことか

汽笛の湯気を茫然と

眼で追いかなしくなっていた

あの頃の俺はいまいずこ

 

今では女房子供持ち

思えば遠く来たもんだ

此の先まだまだ何時までか

生きてゆくのであろうけど

 

生きてゆくのであろうけど

遠く経て来た日や夜の

あんまりこんなにこいしゅうては

なんだか自信が持てないよ

 

さりとて生きてゆく限り

結局我ン張る僕の性質

と思えばなんだか我ながら

いたわしいよなものですよ

 

考えてみればそれはまあ

結局我ン張るのだとして

昔恋しい時もあり そして

どうにかやってはゆくのでしょう

 

考えてみれば簡単だ

畢竟意志の問題だ

なんとかやるより仕方もない

やりさえすればよいのだと

 

思うけれどもそれもそれ

十二の冬のあの夕べ

港の空に鳴り響いた

汽笛の湯気や今いずこ

 

 詩と歌詞は違いますから、再構成されていますが、かなり原文が生かされています。なお、『思えば遠くへ来たもんだ』は同名の映画やTVドラマも製作されています。映画版では、武田鉄也主演の他、植木等やあべ静江、乙羽信子等も共演しています。

 

 これまでは主に『一つのメルヘン』における文法と効果について論じてきましたが、作品をめぐる文学研究で好まれる「解釈」について考察してみましょう。『一つのメルヘン』のような作品には解釈が要らないのです。

 

 「一つの蝶」が何を意味しているかという問いに対して、詩人自身の象徴だとする解釈が有力です。蝶は和歌に詠まれた記録はあまり見当たりません。ただ、蝶を死のイメージと結びついている例は世界的にいくつか認められています。もちろん、性のある言語の場合、それも考慮しなければなりません。もっとも、この詩の蝶は象徴主義以降の象徴ですから、社会的・歴史的文脈に意味を求めるのは適切ではないでしょう。

 

 象徴は、本来、二つの異なるものが何らかの類似性による対応関係にあると集団的・社会的な約束事として承認されているものを指します。それは他との区別が目的で選ばれますが、次第に、アイデンティティとして広く認知されます。その結びつきに普遍性は必ずしもありません。ある対象が共同体によって指し示す意味が異なったり、歴史的に別のものへと変遷したりもします。けれども、象徴は一義的ですから、直観的に了解させる機能があります。

 

 象徴主義の象徴はこの従来の用法と異なっています。作者が主に主観的な理由によってある対象を内面を指し示すものとして選ぶのです。その関連には集団的・社会的な根拠を持っていません。また、自由連想によって喚起されたものにすぎませんから、象徴は比喩でもないのです。

 

 比喩は隠喩と換喩に二分できます。ローマン・ヤーコブソンは、『一般言語学』において、失語症の研究から、比喩を類似性の隠喩と近接性の換喩に要約できると指摘しています。隠喩は、本来無関係で独立した二つのものを両者の独自性・同一性を保持したまま、類似的に結びつける表現です。「人間は考える葦である」はこの一例でしょう。一方、換喩は、近接している二つのものを両者の全体と部分の関係を踏まえて、前者を後者の名称で置き換える還元的表現です。「霞が関」で中央省庁を示すことが好例でしょう。

 

 なお、比喩──中でも隠喩──は文化批評において現在でも濫用されています。それは構造やメカニズムの類似性ではなく、表面上にとどまっていることが少なくありません。ポストモダン状況において大きな物語が解体して、世界がデータベース化したという主張があります。データベースは特定のテーマに基づくデータを収集・蓄積・管理したシステムを指します。情報のライフサイクル、すなわち生産・獲得・組織化・蓄積・検索の内、後者三つを扱うのです。効率性・利便性が要求されるので、人為的で、組織・情報サービス・個人で目的が異なります。データが自然に堆積したものではありませんから、先の比喩は意味不明です。また、電子書籍が書籍のメタファーによって語られてもいます。電子書籍にはページをめくるようなインターフェースが見られますが、これは考古学で用いられる「ルジメント」として捉える方が適切なのです。付け加えると、「電子」は電子の量子力学的効果が活用された科学技術に接頭されます。比喩は表面的にはともかく、その本質における類似性・近接性を問うものです。浅はかな思いつきや思いこみを正当化する手段ではないのです。

 

 象徴主義における象徴の選択は恣意的です。既存の意味に依存しないため、それは外界の価値観のアイロニーです。全般的に近代詩は自己表現を目指しますから、主観性への傾斜が強く、近代社会における主観性を主として扱います。この場合の主観性は一貫性を持った自我に限定されません。その都度、今の文学上の美や真、善を提起し、読者との間で議論することで、理解の共通基盤を構築します。同時代的コンテクストに基づいて新たなコード化を行うわけです。

 

 ところが、現代詩にこんな問題提起はありません。記号論ではコードとコンテクストの拮抗において、創造的行為はコードではなく、コンテクストが優位になるとされています。その際、意味はデノテーションではなく、コノテーションとして認知されます。けれども、表現者はコンテクストさえも拒否する姿勢も示すようになります。タブー破りが新たな開拓とされ、手段と目的が顛倒されていきます。他者の予想を先取りし、それを裏切ることが目的化され、奇抜さが追及されます。現実と作品世界を分離し、想像界を楽しむことが主眼となります。しかし、実際には、その外部、すなわち現実や既存文学に対するアイロニーで、一般的なイメージや通念をなぞり、それに依存しているのです。一見荒唐無稽の思えても既成の想像力の世界を提示しています。読者をあっと言わせて面白がらせ、エピローグへ向かうための趣向です。

 

 恣意が蔓延すれば、何をしてもいいことになります。でも、誰かに支持してもらわなければ、文学は成り立ちません。そこで文学はコミュニティづくりと化します。その共通認識は共感ではなく、実感や好感といったところです。それは、前近代と違い、蓄積された規範に基づくのではなく、アドホックです。ある作品もしくはある作家、ある流派への主観的な共鳴や好感が根拠です。その理由が外部に理解されなくてもかまいません。判断基準が主観的である以上、むしろ、部外者にわからない方が自らの選択をアイロニカルに正当化できるのです。好きな理由を説明する必要もなく、批判も受けつけません。

 

 象徴が恣意的になるほど、共感の基盤が失われます。これは近代人の理念の行きつく先でもあるのです。自由で平等、独立した個人を押し進めれば、個々は孤立していきます。詩は孤独感・疎外感・反感などを表現します。また、社会などないかのように振る舞い、自己に対する嫌悪や憐憫、願望がこめられることにもなります。こうした心情を抱く人の間で詩は支持されます。思春期は、そのため、詩にのめり込みやすいわけです。年齢以外では、世間に広く受容されるのは社会的背景に依拠しますから、変動に対する憤りや反発、幻滅、不安などが増すと、詩は読まれるのです。

 

 近代以前、日本における文学創作は社交です。漢文や詩歌では。「古き故を以て尊しとす」という原則があります。文学は創作者と鑑賞者が古典を共通認識とする社交の場です。作品を披露し合って、文学共同体の美意識を交歓するのです。そこでは多義性などありえません。そんなものは古典を踏まえない気ままな作品と見られるだけです。和歌は用語が和語に限定されるため、よく使われる語が歌語として共同体内に定着していきます。歌語には本意が一つあるだけです。「梅」であれば、香りを愛でるものという本意があり、その機能ために詠まれます。俳句の季語も同様でしょう。「蛙」は春の季語です。ただし、明治以前は旧暦であることに注意が要ります。

 

 和歌の創作基準は公にされています。歌詠みには、古典に関する深い理解ならびに言葉の選び方や組み立て方の適切さが不可欠ですが、その妥当性が共有されているのです。その一例が歌合です。歌合において著名な歌人が判者を務め、判詞という和歌創作の基準が示されます。次回の参加者はこれを踏まえた作品を用意するというわけです。現在、学校合唱コンクールにおいてこの制度が採用されています。基準がなければ、合唱はやみくもになってしまいます。選評が次の大会の規範として提示され、指導者はこれに則って児童や生徒たちと練習に励むのです。本来、芸術に勝敗はありません。大会では、ですから、今も昔もある方針に沿って表現行為がなされているかどうかが審査できるだけです。

 

 紫式部による和泉式部への「恥づかしげの歌よみ」という評が当時の文学観を物語っています。『紫式部日記』で歌合や屏風歌で詠まれるような古歌の詞と思想に敬意を払い、詠法に関する深い理解がないとよい歌詠みではないと指摘します。歌は古典を踏襲しているために誰もが了解できる共通認識となりうるのであり、歌の良し悪しはそこから判断されるのです。「そのかたの才ある人」であっても、古典を軽視し、直情的な和泉式部はとても秀歌と呼べないというわけです。

 

 日本の前近代社会では、全般的に仕事が家業であるため、家庭と職場がほぼ一致しています。人にとって社会は一つです。身分や職能が親族間で伝承されるので、相続社会と呼ぶことができます。また、共同体内のつながりが強く、幅広い年齢層間のコミュニケーションが基調で、若者は年寄から知恵を学びます。極端な思考は、この過程でバランスが整えられるため、消失します。反面、しばしば規範への従属が強いられるのです。前近代の文学共同体とその美意識はこうした背景によってもたらされています。

 

 近代社会に突入すると、賃労働が浸透します。生活と労働の場が分離し、人にとっての世界は二つになります。これが産業社会の特徴です。世界が二つに増えますから、人は日々無数の調整をしなければなりません。スケジュール管理が日常化し、個人主義が強調される時世だとこうした調節を妥協と見なされることもあります。前近代ではこんな調整は必要ありません。反面、生活と生産の場が別であるから、交友関係を選べます。年齢や嗜好、思想信条、相性など似通った人間が集まり、同質的な関係でコミュニケーションをする機会が増え、年齢に関係なく、偏った考えが増幅される傾向があります。極論や過激な思想は近代以降の産物なのです。

 

 孤立化が進めば、文学の扱う感情にも一定の傾向が現われます。怒りや恐れ、驚きといった原初的な情動、もしくは不安や憂鬱、苛立ち、不適応など漠然とした気分をとり扱うようになります。前者は明確に対象と結びつき、社会的要因から遠い感情です。一方、後者は対応関係が曖昧ですが、原因はともかく、社会生活の中で生じてきます。両者に比して、喜びや悲しみといった他者との共感の関係に由来する社会的な感情は、先進的な文学作品においては、あまり中心的ではなくなります。中也は『汚れつちまつた悲しみに……』(一九三〇)を書いていますが、「悲しみ」が社会的感情であると認知しています。

 

汚れつちまつた悲しみに

いたいたしくも怖気づき

汚れつちまつた悲しみに

なすところなく日は暮れる……

 

 実感や好感で構わないのですから、日常性への回帰も行われます。実感や好感は限定された経験や直観に基づいた主観的判断です。複雑化した現代社会において、多くの人々は実感でとどまっています。前知識なくわかるほど素朴だったり、広告コピーまがいに気が利いたりした内容です。けれども、日常とは何かを問い直すことはりません。同時代的感情に依存しているだけの自分が見えていない作品です。でも、こんななんとなくの感じでいいのです。世間の気分に依存していますから、それを害することはしません。

 

 もちろん、歴史や社会に向き合って語る詩もあります。また、社会や自己の自然治癒力の回復するために、詩が読まれたり、生まれたりもしています。311の直後、賢治の『雨ニモマケズ』を人々が求めたのはその好例です。この機能が今日における詩の最大の意義と言えるでしょう。

 

 近代詩の形成過程は日本の文学研究における主要なトピックの一つです。近代詩のプロトタイプを萩原朔太郎に認める説は広く共有されています。その根拠は、彼において初めてほぼ日常会話の語彙を持ちながらも、象徴主義に基づく作品を実現したことに求められるのです。ところが、その朔太郎が文語詩へと舞い戻っています。行き詰まりは、往々にして、伝統への回帰を促すものですが、おそらく、こうした共鳴の共同体からの脱却でしょう。

 

 中也の頃はともかく、一部の愛好者を除く、一般の読者は次第に現代詩から離れていきます。創作者が自由を追い求めるほど、鑑賞者は理解の共通基盤を見出しにくく、コミュニケーションが極端に送り手が受け手に対して優位になります。これはコミュニケーションの特性から考えると、かなり歪んでいます。

 

 この現象は詩に限ったことではありません。音楽や美術、散文、演劇など20世紀の芸術分野全般に起きています。それは「芸術の解体」と総称できるでしょう。

 

 最も顕著な例として音楽を検討してみましょう。西洋近世、音楽は調性を原理としています。聴衆は機能和声に基づく和声の流れに沿って個々の音形の転変を楽しみます。ところが、二〇世紀を迎えた頃から西洋音楽は調性を放棄します。曲は和声による流れではなく、和音の連鎖へと変わります。聴衆は神経を集中しながら、その瞬間に起きていることを理解しなければならなくなります。調性の放棄は創作上の理由から始まったのですが、聴衆とのコミュニケーションまで見直しを迫るものになっていきます。調性という理解の共通基盤が解体されたことで、送り手がコミュニケーションの主導権を一方的に握り、受け手はそれに従属するだけになってしまいます。

 

 映像のBGMとしてならともかく、神経集中と心理的負担を強いられた聴衆は、現代音楽から離れていきます。関心の中心はそれ以前のクラシックやポピュラー音楽へと移ります。中には、グレゴリオ聖歌を始めとする調性確立以前の音楽やガムランのような世界各地の民族音楽に興味を寄せる動きも生まれます。現代音楽は、事実上、専門家とスノッブのための音楽と化します。現代音楽の前衛化が音楽受容の多様化・相対化をもたらしたとも言えます。

 

 もっとも、ポピュラー音楽のジャズも自由の追求という既存の決まり事の解体によって現代音楽と似た状況に陥ります。フリー・ジャズがそうです。音楽構築の変化は送り手と受け手の関係も見直しされるのです。

 

私はもう歌なぞ歌はない

誰が歌なぞ歌ふものか

 

みんな歌なぞ聴いてはゐない

聴いてるやうなふりだけはする

 

みんなたゞ冷たい心を持つてゐて

歌なぞどうだつたつてかまはないのだ

 

それなのに聴いてるやうなふりはする

そして盛んに拍手を送る

 

拍手を送るからもう一つ歌はうとすると

もう沢山といつた顔

 

私はもう歌なぞ歌はない

こんな御都合な世の中に歌なぞ歌はない

(中原中也『詩人は辛い』)

 

 前述した透り、近代の理念は自由で、平等、独立した個人による社会です。束縛されず、自由に表現活動をしたいという欲求はわかります。けれども、それは芸術のコミュニケーションにおける制作者の主導権の確保で、表現の可能性を広げたわけでもありません。

 

 芸術は先進的な作品と同時に類型的な作品が共存し、それらの交流によって活性化します。ラディカルな鑑賞者は斬新な作品を称賛し、ありきたりのものを蔑みます。しかし、草の根を拡充し、土壌を豊かにしているのはそのくだらない作品なのです。20世紀の表現者はそれを理解してきたとは言えません。現代芸術は先進さを追求することこそが表現だと信じ、土壌を痩せさせてしまいます。

 

 現代詩に比して、短歌や俳句、川柳は日本で根強い人気があります。理解の共通基盤が明確だからです。特に、川柳は五七五にユーモアをこめるという非常にシンプルな原理ですから、初心者にも敷居が低いのです。裾野が広ければ、土壌も非常に豊かです。画期的な芸術作品の登場も、こうした草の根の広がりが不可欠なのです。自由を追求した挙句、現代詩が陥っている文学的無気力・社会的無関心とは無縁です。規範意識を放棄した結果、人間関係をつくる力が弱く、自尊心ばかりが肥大化してしまい、詩人は誤解されるより無視される方がよいと自閉します。それは悪循環です。

 

 芸術がどこに向かうのかは制作方法とそれによる送受信の関係によって決まります。20世紀における創作の変化は送り手の都合が優先されています。しばしば口にされる商業主義への抗いは決して本質的な認識ではありません。その問いを創作の現場ではなく、送受信の関係から検討する態度変更が不可欠です。多くの人との理解の共通基盤を用意できない限り、作品が広く関心を集めることはできません。それがなくても、内容はともかく、世間で話題になっているからと閾値を超えてネットワーク効果を生み出す表現者や作品はあり得るでしょう。けれども、その状況は芸術の進化に寄与しているわけではありません。むしろ、停滞に便乗しているのです。

 

 近年、タイトルを見るだけで内容がおおよそわかる本が刊行されています。これは送り手と受け手の理解の共通基盤を構築しようとする試みとも考えられます。印刷術が普及し始めた時期にも見られる現象だからです。コメニウスやヨハネス・ケプラーの当頃、本の題名だけでなく、各章のタイトルも詳細に記されています。

 

 近代以降、批評家は現前の作品の現代的意義を語る役目を担ってきましたが、今やお呼びでありません。せいぜい文学の目利きといったところです。これは解釈が文学読解の要とされてきた帰結でもあります。ある対象に対してどのような反応をするかは人それぞれです。中也はアルトゥール・ショーペンハウアーの『意志と表象としての世界』を愛読していましたが、リヒャルト・ワーグナーやフリードリヒ・ニーチェもそうでしたし、「デカンショ」の一人ですから旧制高校生の必読書でもあります。これらの間の共通性を探すことは徒労に終わるでしょう。判断力によって方向性を与えることが必要で、解釈はそうした一種です。

 

 しかし、解釈は一般的・抽象的な規範を個別的・具体的な事例に適用させるための行為です。法学や神学のような規範の支配が強い領域で用いられます。それを欠く対象には適用できません。そんな行為はただの恣意です。文学における解釈は心因論的発想のヴァリエーションです。実際には、心理と症状が必ずしも一致しないように、作品上の表象が指し示す対応関係を解釈することはたいていこじつけです。近代文学における解釈は、一般性を拒絶しているので、往々にして思いこみや思いつきでしかありません。

 

 表象が何を指しているかを解釈するのではなく、それが作品上いかなる機能を果たしているかを考察する方が身の程をわきまえています。詩だけでなく、散文にも恣意性が蔓延しています。思わせぶりなだけの恣意的作品に対して、謎が潜んでいるかもしれないとああだこうだと論じている光景もしばしば目にします。しかし、それは読者の洞察力のなさを露呈しているだけなのです。読解は、文学体系上の位置づけを参照しつつ、作品における形態素を最小単位とする要素の組み合わせとその機能を検討することが基本です。作家の生涯と作品の関連を論じる場合は、その諸関係をシステム論によって捉え、力動の影響を考察するという方法になります。

 

 かつてのテクスト論のように文学読解が作品だけですむわけではありません。新しい言葉や言い回し、意味合い、表記、文法は社会の変化から主に生じます。文学上の必要に応じてだけでなく、社会と格闘する時、作家は新たな表現を創造せざるを得ないこともあるのです。作品や作家の個別的事情のみならず、それが属する言語を始め歴史的・社会的・文化的背景にも通じていなければなりません。そうした暗黙の前提を認識していないと、古典や異文化の作品などが好例ですが、誤解や曲解をしてしまいかねないからです。『日本書紀』を代表に漢文は漢籍からの引用だけで書くものです。典拠の意味や用法に精通し、それを縦横無尽に引用していることが名文なのです。自分の言葉で書くなど駄文以外の何ものでもありません。なた、日本の仏教は殺生をして食する際、四足より二足、さらに無足の方がましだとしています。けれども、チベット仏教の影響を受けたモンゴルでは、魚は死んでも目を開けているので、尊い生物として食することがタブーです。

 

 文学を読解するには、そのため、知識を体系的・総合的・総合的に学び続ける必要があります。それによって真に知り、好み、楽しむことができるのです。この学習観は、もちろん、真新しくはありません。古典時代や諸子百家にも見られます。自分が暗黙の前提に浸っていることをつねに意識し、明示化=相対化することで、より良い読解が達成されるのです。

 

 文学研究は他者とその成果を共有してこそ意義があります。けれども、解釈的意味規定を指向する解釈主義ではそれが困難です。そのため、検証可能な歴史的意味規定を歴史的アプローチが主流となります。それは社会的・時代的な暗黙の前提を意識化するなど文学読解には欠かせません。しかし、批評における「表する(Appreciate)」役割としては、そのアプローチだけでは十分ではありません。

 

 『一つのメルヘン』は普段母語として意識せず使っている日本語の文法を踏まえています。暗黙知を明示化しつつ読むと、文法のもたらす効果が非常によく生かされていることが明らかになります。その理解の共通基盤があるからこの詩は読者に感動させるのです。表現のコミュニケーションにおける理解の共通基盤がリテラシーです。それを確認し、新たな形成に寄与するように読むことが必要でしょう。こうした文章論的読解を私たちは「リテラシー・スタディーズ(Literacy Studies)」と呼んでいるのです。

 

僕は、何を云つてるのでせう

  いいえ、僕とて文明人らしく

もつと、他の話も、すれば出来た

  いいえ、やつぱり、出来ません出来ません。

(『別離』)

〈了〉

参照文献

伊藤笏康、『言葉と発想』、放送大学巨王郁振興会、2011

大岡昇平編、『中原中也詩集』、岩波文庫、1981

岡本清正他編、『現代の批評理論』2」、研究社出版、1988

金田一秀穂、『日本語のカタチとココロ』、日本放送出版協会、2007

林達也、『国文学入門』、放送大学教育振興会、2008

渡辺保他、『新訂版表象文化研究』、放送大学教育振興会、2006

『新潮日本古典集成 紫式部日記・紫式部集』、新潮社、1980

『日本古典文学大系』47、岩波書店、195762


試し読みはここまでです。続きは購入後にお読みいただけます。

この本は有料です。閲覧するには購入する必要があります。
購入するにはしてください。
有料本の購入に関しては、こちらのマニュアルをご確認ください。
販売価格30円(税込)

読者登録

批評のロドリゲス出版さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について