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AKB48仲谷明香『非選抜アイドル』にみる無我表現

AKB48仲谷明香『非選抜アイドル』にみる無我表現

 

            高橋ヒロヤス(弁護士・翻訳家)

 

「で、絶対の自由というのは、絶対の不自由。例えばね、絶対の自由というのはさ、チューリップはチューリップとして咲くこと。ひまわりは、ひまわりとして咲くこと。桜が桜として咲くこと。だから、それは絶対の束縛でしょ。自分の与えられた流れは桜かもしれないし、それとも雑草かもしれない。でもそれを咲くことだ。だからそれは、絶対の自由であり、同時に絶対の不自由。

 ところが、頭で理解した自由というのは、そうじゃない。桜のくせにチューリップになりたがったり、なれると信じ込んじゃう。でもそうじゃない。

 一番自分にふさわしい流れというのは、既にあるんだ。その流れに自分たちが一致したとき、そして一致させるためには、素直になることだ。一致したとき、ほんとにその人は安らぎを得る。」 ――ダンテス・ダイジ

 

つい最近出版されたばかりの、AKB48の第3期生メンバー(2007年入団)仲谷明香(なかや・さやか、通称なかやん)が書いた『非選抜アイドル』(小学館101新書)という本が面白い。本のタイトル通り、彼女はまだ総選挙で「選抜」されたことがない。それは、過去3回行われた「AKB総選挙」で、一度も40位以内に入ったことがないことを意味する。つまり彼女はAKBに加入して以来、常にランク外で、順位がつくところまで行かなかったわけだ。

 

この本は、「非選抜メンバー」としての彼女が、非選抜組であることのやりがいや面白さを伝えるために書いたものだという。なかやん自身は、この本を書いた動機について、こんな風に述べている。

 

「どこの世界にも、人々から選ばれる『選抜組』と、選にもれてしまった『非選抜組』とがいるのではないだろうか。この本は、失礼ながらそんな『非選抜組』の方々のうち、もしまだそこにやりがいやおもしろさを見出せていない方がいたとするなら、その方々に向けて書いたものである。

そうした方々に、私の『非選抜アイドルとしての生き方』をお伝えすることで、そこにやりがいやおもしろさを見つけ出すことの少しでも参考にしてもらえたらと思った。またこの本が、そうした方々に勇気や励ましを与えられるようであれば、最高に嬉しいと思う。」

 

ここには、AKBという熾烈な競争を強いられる場所で、いわば「負け組」の役割を担っているメンバーから見た本音が綴られている。しかし浅ましい世間が期待するような暴露本のような趣はまったくない。「ですます調」ではなく、アイドルらしからぬ、時にぎこちない論文調の文体が、こつこつと本人の手で書かれたとものいう印象を与える。

 

彼女の生い立ち、声優を目指した動機、家庭の事情による挫折、中学の同級生だったあっちゃん(前田敦子)にインスパイアされて応募したAKBのオーディション、思いがけない合格、入団後に待っていた過酷な試練と現実、といったものが淡々としかし感動的に綴られていて、これを読めば誰もが「なかやん」に対して好感を持ってしまうだろう。さらには、AKB48に興味のある人のみならず、どんな人たちが読んでも、現代に生きる一人の若者のリアルなストーリーとして感銘を受ける内容だと思う

 

普通に読んでも感動的な本だし、そういう感想を上手に表現する人は外にもたくさんいると思うので、ここでは敢えて「無我的視点」からの感想を述べようと思う。

 

AKB48のメンバーには、ファンの手によって一人ひとりに順位がつけられ、テレビや雑誌などメディアに露出できる「選抜組」と、もっぱら秋葉原の劇場公演だけが仕事の「非選抜組」に峻別されるという冷酷な現実がある。この両者の間には有形無形の確執が存在していると考えるのが普通だろう。しかし「なかやん」によれば、「これは嘘でも何でもなく、AKB48のメンバー同士は驚くほど仲が良い。誰かと誰かが喧嘩したというのはもちろん、いがみ合っているとか相性が悪いという話さえ、ほとんど聞いたことがないし、私自身も全くない」という。

 

なやかん自身は、その理由を、「そもそもAKB48のメンバーには、初めから激しい競争が義務づけられているので、もうそれ以上競い合う必要がない」、「仕事をしていれば自然と勝負するような格好になるので、それを離れてまで勝負するような気力は、誰にも残されていない」からと分析している。この分析にはなるほどと思うし、異論を挟むつもりはない。

 

しかし僕がこの本を読んで感じたのは、AKB48がこの時代に生まれた必然、あるいは個々のメンバーのもつ運命のようなものだ。

メンバーの中には、選抜に入れないという現実を前にして挫折感を覚え、辞めていく人たちもいる。その一方で、なかやんのように「非選抜」という現実をポジティブに捉えて頑張っているメンバーもいる。その違いはどこから出てくるかというと、本質的にはAKB48というものに対してエゴを超えたつながりを持っているかどうかにあるような気がする。誤解しないでほしいのだが、僕はここで辞めていくメンバーがエゴイストだからよくない、辞めないで頑張っているメンバーが偉いという単純な価値判断をしているわけではない。

 

なかやんの場合は、幼いころに両親が離婚して家族がばらばらになり、転校して孤独の中でテレビアニメの声優に憧れ、自分の意思で声優学校に通い始めるも家庭の事情で断念。中学で不登校気味の生活を送っているとき、同級生のあっちゃんがアイドルになったというのを聞いて、AKBに入れば声優への夢が叶うかもしれないし、レッスン料がタダにもなるという魅力からオーディションを受けるという、AKBに至るドラマが背後にある。彼女がAKBにつながったことにはある種の必然性を感じる。

 

AKB48に加入してからのなかやんの軌跡は、「あるがまま」のものをあるがままに受け入れることの繰り返しだった、といえるかもしれない。もちろんそれは無努力を意味しない。「人気取りのできない自分」、「アイドルにはむいていない自分」をありのままに認め、目の前にある公演に全力を尽くす。それだけでなく、他のメンバーの歌やダンスまで覚え、やがて他のメンバーが欠席するときの代替要員として認められるようになる。本人曰く「便利屋」ではあるが、便利屋としての自分をありのままに受入れ、公演では全力を尽くす。「非選抜」としての自分をありのままに認め、選抜組を輝かせるための「敗者の責任」を果たすために頑張る。

 

そんな中で、声優志望のなかやんに、オーディオブックの朗読をやってみないか、という仕事の話が舞い込む。初めての「外のお仕事」の体験について語った後、なかやんは自分の転機となったこの出来事がもたらした心境について次のように述べている。

 

「この本で述べているような、非選抜メンバーとしての自分を冷静に見つめられるようになったのも、実はこの頃だった。それまでは、自分が非選抜メンバーであることは重々承知していたのだが、それでいながら一方では、どこかでそれを認められない気持ちもあって、自分の中で必ずしも完全に割り切れていたわけではなかった。

 

しかし、一旦外の仕事を経験したことによって、自分自身の目標が何であったのかを再確認することができ、それによって、非選抜メンバーとしての自分というものを、以前よりすっきりと受け入れられるようになったのである。そうして、たとえ人気がなくても、AKB48そのもののレベルアップに貢献できるよう、非選抜メンバーとしての責任を果たそうと、気持ちを切り替えることができたのだった。

 

それは不思議な気持ちだった。諦めた時のすっきりした気持ちにも似ていたし、一方で、覚悟を決めた時の『やってやるぞ』という気持ちにも近かった。

 

いずれにしろ、自分の中で立場と気持ちとの折り合いがぴったりとつき、とてもすっきりしたのだった。そのため、中の仕事―つまりAKB48でのお仕事も、以前よりも気持ちよく、そして以前よりも積極的に、やりがいを持って取り組めるようになったのだった。」

 

僕はこの文章を読んで、ひどく感銘を受けた。20歳そこそこの女の子が、ここまで自分の置かれた状況、ひいては自分の人生をありのままに受け止め、達観できるというのは驚きである。ここにはテレビや雑誌や新聞でどんな偉そうなゴタクを並べる文化人など彼女の「足の塵を払うにも値しない」ほど途方もない洞察が書かれていると思う。

 

なかやんはここで、「絶対の自由」について語っている。それが何を意味するかは、冒頭に引用したダンテス・ダイジという人の言葉を参照してほしい。

 

これ以降のなかやんのAKBでの活動こそが、「無我表現」だ。どんな分野であれ、現代日本において、ここまでの高みに達している表現者は少ないだろう。

 

そして、なかやんがこの境地に達したその直後に、彼女にアニメ声優(正確にはオーディションへの参加)と言う念願の仕事がもたらされることになる。しかしなかやんはこの仕事がコネによるものだと思われることで作品に傷をつけるのではないかと真剣に悩む。このあたりの葛藤も実に誠実に描かれている。

 

そして、見事オーディションを通過し、アニメ声優としてデビュー。

 

なかやんがAKB48に入った後、彼女の舞台を頑なに見ることを拒んできた母親が、彼女が声優として出演するアニメを初めて一緒に見たときのエピソードは涙なしでは読めない。

 

秋元康は、この本を読んで「彼女の才能に今さらながら驚いた」と本の帯にコメントを寄せているが、この言葉はまったくお世辞ではない。これは、過去に出版されたタレント本の中でも最良の部類に属するばかりでなく、一人の人間の成長物語として非常に優れている。しかもこの物語は現在進行形で続いているのだ。まったくとんでもない本だと思う。いや、やはりAKB48はとんでもないグループだと言うべきか。

 


アラスカ便り―北の果てに暮らす日々―

アラスカ便り―北の果てに暮らす日々―

 

「『父』との思い出」

 

 長岡マチカ(文化人類学を学び、現在、アラスカ在住)

 

 四月に入ってからの大雪。春の日差しにところどころ地肌が見始めていた風景も、一夜にして真っ白に戻る。木々の枝や庭先の花壇に出始めていた緑の芽も、こんもりとした雪に覆われている。翌日からは再び春の陽気。雪解け水の流れが道の端々に光っている。雪雲の立ち込める銀色の昨日が、まるで幻だったかのよう。こうしてアラスカは今年、春に踏み入れつつあった歩みを一瞬止める形で、記録史上最大の積雪量をマークした。

 

「今冬の雪はとにもかくにもすごかったね」

 雪についてすっかり過去形で話されるようになった五月の初め、ダウンタウンへ出かけた。あれほど高く積まれた雪山が、一体どこへ消えてしまったのだろうと首を傾げるほど乾いたコンクリートを、眩しい日差しが照らしている。ビルの間には水平線が光っている。まだ解け切らない浮き氷にでこぼことなぞられたその線に、ふと懐かしい顔が重なる。

 ちょうど十二年前のこんな乾いた日差しの中で、この道の先から、ネイティブ・アラスカンの男性がこちらに向かって歩いて来たのだった。引き締まった身体に短く切り込んだ白髪、目は少し上方を見据え、一歩一歩大地との繋がりを確かめているかのようにゆっくりとした足取り。

「あっ、『お父さん』!」

 思わず駆け寄った。三年ぶりの再会だった。目の前に佇む「娘」に、「父」は別段驚くといった様子もなく、昨日別れたばかりのような調子で「ああ」とだけ小さく声を発し、穏やかに微笑んだ。「父」というのは、私が村々を旅していたときお世話になった家の父で、私はその家で彼らの亡くなった親族の名前をもらい、彼らの「娘」として迎え入れられたのだった。その飛行機に乗って一時間ほどのところにある村にいるはずの「父」が、突然目の前に立っていた。アンカレッジで行われる「ネイティブ・アラスカン会議」に、村を代表して参加しているのだと言う。

 当時妊娠七ヶ月でアラスカに一人渡り、小さなワンベッドルームに夫と二人、ほとんど家具も無くフライパン一つで何もかも調理するといった、まるでままごとのような暮らしだった。アパートの窓から見えるチュガッチ山脈が、もうすぐ生まれる新しい命を暖かく見守ってくれているように頼もしく見えたものだった。妊娠したことをその偶然の再会で初めて告げた「親不孝な娘」を、「父」はその大きな手で抱きしめてくれた。そして、私の下腹部を指し示し、私の目をまっすぐ見つめながらこう言った。

This person needs you, you need this person.

This person needs this world, this world needs this person.

That is reason why this life is here.

この人にはあなたが必要 あなたにはこの人が必要

この人にはこの世界が必要 この世界はこの人を必要としている

だからこうして命が宿ったんだよ」

 この「父」の言葉が、その後の私の子育て生活でどれほど支えになってきたか分からない。五人の子供を追い掛け回し一日を終えぐったり疲れてしまっても、ふとこの言葉を思い出す度にまた明日から頑張ろうと思えたものだった。毎日二十四時間ノンストップで続く子育て、時には投げ出したくなることもある。それでもこの言葉がいつも戻るべき原点を照らしてくれる。地球上に何十億といる人々、ほとんどが一生会うということもない。その中でこうして縁あり親子という関係で共にいる。親と子互いに必要だったからこそこうして生まれて来るのだと「父」 は言う。そしてこの子が今のこの世界に生まれることが必要だったように、この世界もこの子の存在を必要としている。どんな子もこの世に必要とされるからこそ生まれて来るのであり、この世界に必要とされない命など一つもない。「父」のメッセージが私の奥の深いところで強く響き続けている。

 

 隣には、もうすぐ私の背を追い越すだろう十二歳の息子が歩いている。ジャケットを脱ぎ片手にぶら下げ、道に沿って続くガラス張りのショーウインドウをきょろきょろと覗き込みながら。ゆがんだ襟元を直してやる。ふと前方に目をやると、道の先に、「父」の後姿が見えたような気がした。


★編集後記

 椅子を買いました。基本、自分は座りっぱなしの仕事をしているのですが、木製の硬い木の椅子しかないのです。木の椅子だとどうしても2、3時間座っていると腰が痛くなる。今朝、ぼんやりした頭で何となくアマゾンで椅子を見ていたら、よさげなものがあったので衝動買いしてしまいました。1万円以上するものを通販で買ってしまったのですが、こういうものは座り心地を確かめるべきだったかな、とか。いや、雑言です。

 「静岡で美味しい野菜を食べる会」は地域的なこともあるし、人が集まるか微妙なのですが、最近は地に足がついた方々と縁ができてきた気がします。MUGAは、ずいぶんと「健全?」な方向に行っている気がしますが、あまり深く考えていません。いきなりラディカルになるかもしれませんしね。出会いを大切に、流れの赴くままに変化していきたいと思います。 (那智)

 


奥付



MUGA特集号 第2巻


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著者 : 無我表現研究会

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