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MUGA 第6号
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例外者たちの詩     那智タケシ
季節の詩     rita
「人間には、自分で自分を治す力がある」 菊地久幸×那智タケシ
世界中の人に自慢したいよ~忌野清志郎のうた
《無我的観照》第2回 『白痴』(ドストエフスキー著)から読み解く現代のキリスト像
アラスカ便り―北の果てに暮らす日々―
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『例外者たちの詩』  那智タケシ
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歌うも舞うも法の声~「AKB48」に寄せて
《無我的観照第3回》 霊的女優・イレーヌ・ジャコブ論
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無我的観照第4回 『マイネームイズハーン』に見る愚直な愛の表現

《無我的観照》第4回

 

 映画『マイネームイズハーン』に見る、愚直な愛の表現

 

       那智タケシ

 

 泥沼化する宗教対立、テロリズムの連鎖は、マスメディアの影響が拍車をかけていることは言うまでもない。911の事件によって、キリスト教とイスラム教の対立がアメリカで深刻になったことは記憶に新しい。だからと言って、インターネットという検閲精度のない大量の情報が人を啓蒙し、様々な矛盾、対立を乗り越えて新たな道を歩み出す場になっているかといえば、決してそうはなっていないのは明白な事実だ。

 

 今や、我々現代人にとって、情報はおやつのようなものなのである。人は、自分に都合の良い情報のみを摂取する。情報に絶対的価値の物差しは存在しない。飴とガムを選ぶように、人は好みの情報に飛びついているだけなのである。しかし、これらの人工的なおやつは、決して我々の肉とならないし、心を育てることもない。

 

 だが、情報の中には、我々の内部で肉化するものもたまにある。それが小説であれ、音楽であれ、映画であれ、自我の好みの範疇を超え、万人を感動させるような情報。色とりどりのおやつが並ぶ駄菓子屋の中に、黄金が一粒、混じっていたようなものだ。

 

 映画『マイネームイズハーン』は、911事件後のアメリカを舞台に、イスラム教徒で自閉症気味の主人公が、宗教対立を超えて愛を示す物語だ。ヒンドゥー教徒の女性と結婚した彼は、911のテロによって宗教差別が渦巻く中、血のつながっていない息子をいじめで殺されてしまう。妻に「自分はテロリストではないことを大統領に会って証明して」と無理強いされた主人公のハーンは、「マイネームイズハーン テロリストではない」ということを伝えるために旅に出る・・・

 

 映画の撮り方は特殊なわけではない。カットも、モンタージュも、美術的作りこみもテレビドラマ的だ。逆に言えば、あえて万人向けに作られているように見える。映画の主題から言って、その試みは成功している。これは映画評論家のために作られた映画ではないのである。映画の新たな方法論を探る作品ではない。にもかかわらず、この作品に新しさがあるように感じられるのはなぜだろうか?

 

 つまり、それはこういうことだ。リュミエールからブレッソン、ヌーベルバーグ、ゴダールと言った優れた映像作家たちが生み出してきた華麗で革新的な映像表現――それはそれでいい。それは「いかに」作るかの世界だ。近代絵画が印象派やキュービズムを生み出してきたように。だが、私はあえて凡俗とも言えるような普遍的方法で、「何を」撮るかを重視したのだ。そして、私は誰よりも「何を」撮るべきか知っている。だから恥ずべきことは何もないのだし、人類はそれほどまでにぎりぎりの局面にあるのだ。こんな風に監督のカラン・ジョハールは主張しているように見える。この覚悟こそが「新しさ」なのだ。

 

 詳細は映画を見ていただくとして、主人公のハーンがやったことは、端的に言うと、既成の宗教的枠組みを超えた愛の具体的表現だろう。具体的で、わかりやすく、なおかつ力強い。人間を変えるは宗教ではなく、人間だけだということを指示しているようだ。いや、より端的に言うと、一人の人間のエゴイズムを超えた行為、表現こそが、ありとあらゆる環境、伝統、歴史による条件付けを超えて、人々の心に届くのである。その信念を迷うことなく描き切ったのが、この稀有なる映画だろう。変化球など必要ないのだ、と。

 

 宗教を超える宗教なんて、我々は必要としていない。人類を変えるのは、スピリチュアルなムーブメントでも、信仰でもない。一人の人間が、この現代社会において、勇気をもって何かを表現しているかにかかっているのだ。行為しているかにかかっているのだ。他人と、その肉体で触れ合い、心を分かちあい、何かを表現して、はじめてその愛は本物なのである。なぜなら、我々の肉体は、今、この瞬間における愛を表現するために与えられたからである。しかし、ただそれだけのことができないゆえに、人は惑い、新たな情報に飛びつき、既成の古びた情報の中で自分を正当化する。

 

 個人的幸福は、今や存在しない。主人公ハーンの無我的精神構造は、ただ慈悲と愛によってのみ成立していた。誰かを愛し、救い、そのことによって彼自身も救われる。そして、そんな彼を見た人々の心に、新たな愛の可能性を発見させる。こんな映画をゴールデンタイムで流すべきなのになぁ、などと、安易に考えてしまうのである。

 

 愚直な直球勝負。その何と潔いことか。

 

《参照》

DVD『マイネームイズハーン』(20世紀フォックスホームエンターテイメントジャパン株式会社)・・・・アマゾンで新品を1000円以下で購入できます。興味を感じた方は是非。

 


アラスカ便り―北の果てに暮らす日々― 

アラスカ便り―北の果てに暮らす日々―

「春の空の下」

 長岡マチカ(文化人類学を学び、現在、アラスカ在住)

 

 あと三インチ(約八センチ)で記録史上最大の積雪と言われる今冬。三月も終わりに近づき日中零度を超える日も出てくる。日は一日一日と長くなり、夕飯を食べ終わる頃になってもまだ明るい。もうそこまで来ている春を前に時折ちらつく雪。冬の最中には「また雪か」と溜息をついていた街の人々も、空を仰ぎ「記録達成するかもね」と軽い口調で言い合っている。十三年近くアラスカに暮らし、今まで見たこともないほど高く積まれた道端の雪も少しずつ解け、道路にいくつもの水溜りができている。軒下のつららも透明さを増し日に日に短く、ところどころ顔を出した地肌もその面積を広げていく。雪解け水を照らす日差し、街は春に向け目を覚ましつつある。

 

 冬帽子も手袋も少し薄手のものに変え、眩しい空の下そりに出かけた。ところどころ積まれた雪のジャンプ台、真っ青な空に子供たちの身体が跳ねる。もうすぐ中学生になる男の子を連れたネイティブ・アラスカンの友人が、隣で目を細め見守っている。

「ママもいっしょにいこ」

 四歳の娘に手を引かれてそりに乗り込む。風を切る。解けかけた雪の表面がシャリシャリと音を立てる。白い隆起にぶつかる度浮き上がる身体。はるか遠くには海、浮き氷が輝いている。

 斜面の下で止まり、寝転んでみる。

「チキュウってまるいんだねえええ」

 くっついて空を見上げる娘のはしゃいだ声。

 上半身を起こすと坂の上で友人が手を振っている。大きく手を振り返し、坂を上る。雪に足を取られ汗がにじみ出る。普段慣れない動作に身体の眠っていた部分が動き始める。手の先からつま先まで熱を感じている。

 坂の上から子供たちの笑い声。友人の息子君が空っぽのそりの紐を耳にかけ引っ張っている。他の子たちも真似をする。今度は歯でひっぱり始める。可笑しそうに真似をする周りの子。しばらくすると、耳に紐をかけたまま、歯で紐を銜えたまま、どれだけ速く遠くまで進めるかの競争になる。引っ張られる空っぽのそりが雪の上を勢いよく跳ね宙を舞う。笑いながら歓声を上げる子供たち。

「エスキモー・オリンピック」友人が隣でクスクスと可笑しそうに言う。十年ほど前に一度だけ「ワールド・エスキモー・インディアン・オリンピック」を観たことがある。アラスカとは思えないほど暑い内陸部でのことだった。競技種目には「耳で綱引き」「歯で錘運び」などがあり、アラスカ中から集まったネイティブの「アスリート」達が耳を真っ赤にして綱を引き合い、かなりの重さのある鉄製の錘を銜え歩く。競技の間には各村ごとのダンスの見世物もあり、民芸品やスナックを売る店が並ぶ。春の日差しの中で、あのステディアムの熱気を思い出す。

「一昔前はね、こうやって競いながら身体の様々な部分を鍛えたのよ」

 ネイティブの文化歴史にも詳しい友人が教えてくれる。狩に頼らずともスーパーで購入できる食料、暖房のきいた家屋での生活。かつては厳しい自然環境を生き抜く身体を鍛えるためという目的を持っていた競技の数々も、今はスポーツという娯楽として、そしてネイティブとしての誇り結束を高めるためのものとなっている。ベンチに腰かけ子供たちの笑い声を聞きながら、友人とそんな話になる。

「確かに生活環境も一つ一つの行為の意味だってすっかり変わってしまったけれど」

 友人はそう言うと、「見て見て」と今度は紐を耳にかけそりに乗せた小さな子供を引っ張ろうとする息子君を指し示しながら腹を抱えて笑い始める。友人の突き抜けた明るさが春の陽気に溶け込む。友人はしばらく笑い続けると下を向いて大きく息を吐き、穏やかな表情で顔を上げ私の目を見つめてこう言った。

「でもね、身体に刻まれてるのよ。はるか遠く昔に生きた祖先と同じ身体の動きをしてみるといいわ。私達が誰なのか見えてくるから」

 友人は立ち上がると踊り始める。村に長い間受け継がれているという踊り。もう少しで母親の背丈を追い越すだろう友人の息子君が、そりを放り投げ駆け寄って母の隣でリズムを取り始める。友人の身体が春の空に揺れている。小刻みな動きに一回り大きく見える手が真っ青な空にいくつもの輪郭を描く。春の空の下で、変わり続けるものと変わらずあり続けるものを想った。


★編集後記

 最近、自宅にこもって一人で仕事をしているせいか、逆に人との「縁」を強く感じます。不思議とつながる人とそうでない人がいる。人間関係というのは、つながるかつながらないか、感じるか感じないか。生きていると様々な困難、トラブルもあるとありますが、結局のところ、自我を超えた共感の領域がある相手ならだいたい何とかなるのではないでしょうか。

 MUGAも来月で10号。基盤は作ってきたつもりなので、そろそろ新たな展開を試みたいと思っています。読者の皆様と交流できる場があると面白いかもしれませんね。(那智)


目次

MUGA 第10

「私」ではなく「世界=無我」からの表現を発信する

 

無我表現研究会発行 月刊メルマガ

 

◆目次

 

◇アート

 

・詩

『例外者たちの詩』  那智タケシ

 

『季節の詩』     rita

 

◇インタビュー

 

「土も人間も健康にする内城菌の力」 

瀧 芳人(ヤマイチシステムプロデュース代表)

 

◇評論

 

・評論

AKB48仲谷明香『非選抜アイドル』にみる無我表現

       高橋ヒロヤス

 

◇エッセイ

 

アラスカ便り―北の果てに暮らす日々― 

「『父』との思い出」  長岡マチカ


『例外者たちの詩』  那智タケシ

★詩

 

例外者たちの詩     那智タケシ

 

 

緑の翼

 

 

五月の昼下がり

 

民家の側を歩いていると

 

緑の葉が落ちてきた

 

今、目の前で

 

若々しく、粘っこい

 

厚みのある大きな葉が

 

自然の摂理に逆らうようにポトリと落ちてきた

 

それは手に触れえぬものからの合図

 

偶然に見せかけた必然の着地点

 

世界は、意味に満ち満ちていて

 

目に見えぬものたちは微笑みかけ

 

ささやきかけ

 

悪戯に精を出していた

 

音楽は鳴り響き

 

風の精たちは

 

もぞもぞと堪え切れぬようにダンスを舞い

 

空気とぶつかり合い

 

恥ずかしそうに

 

押し合いへし合い

 

笑いながら前に進んできて

 

上っ滑りなくらいに調子に乗って

 

何かの拍子で

 

ぽとりと葉を落としたのだ

 

緑色の葉

 

緑色の翼

 

ぼくらはここにいるよ、という過剰な徴(しるし)



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