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季節の詩     rita
「人間には、自分で自分を治す力がある」 菊地久幸×那智タケシ
世界中の人に自慢したいよ~忌野清志郎のうた
《無我的観照》第2回 『白痴』(ドストエフスキー著)から読み解く現代のキリスト像
アラスカ便り―北の果てに暮らす日々―
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《無我的観照第3回》 霊的女優・イレーヌ・ジャコブ論
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『例外者たちの詩』  那智タケシ
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川の流れのように~秋元康にみる「無我的表現」
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「何もしない時間の大切さ」 菊地クミユキ
無我表現としてのAKB前田敦子
無我的観照第4回 『マイネームイズハーン』に見る愚直な愛の表現
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「土も人間も健康にする内城菌の力」 瀧 芳人(ヤマイチシステムプロデュース代表)
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川の流れのように~秋元康にみる「無我的表現」

川の流れのように~秋元康にみる「無我的表現」

 

              高橋ヒロヤス

 

 

昨日までの経験とか知識なんか荷物なだけ

風はいつも通り過ぎて後に何も残さないよ

 

新しい道を探せ 他人の地図を広げるな

伏せた目を上げた時にゼロになるんだ

 

―「Beginner」(歌:AKB48、詞:秋元康、曲:井上ヨシマサ)

 

 

【秋元康は“悟り系”だった?!】

 

「世渡りのうまいギョーカイ人」、「計算高い仕掛け屋」、「あざといマキャベリスト」…

 

1980年代にはおニャン子クラブやとんねるずと一時代を築き、2010年代には今を時めくAKB48グループの総合プロデューサーとして名を馳せる秋元康氏(以下敬称略)については、上記のようなイメージがつきまとい、毛嫌いする人も多い。彼を積極的に評価する人でも、多かれ少なかれ似たような印象を持っている人が結構いるのではないか。

 

そういう僕自身も似たような印象を持っていた。しかしAKBをきっかけに秋元康についてもいろいろ調べているうちに、そのようなイメージはほぼなくなった。むしろそこから浮かび上がってきたのは、ある種「悟り系」といっていい生き方の実践例としての秋元康だったのである。

 

今回はそのことをできるだけわかりやすく説明してみたい。

 

【作詞家秋元康の無我的表現】

 

まず作詞家である秋元康の具体的な作品である歌詞をとりあげてみる。彼は2005年のAKB結成以来、AKB及びその派生グループに対して、公演での楽曲のみならずアルバム、シングル楽曲を含むデビュー以降のすべての楽曲(すでに数百曲に及ぶ)の歌詞を書き続けている。

 

少し脱線するが、彼は作詞料は一切受取っていないという。あの大所帯を維持していくのにとんでもないコストがかかることは一目瞭然であり、ブレイク後はともかく、あまりメディア露出もなかった最初の数年間は大赤字だったと思われる。ちなみにメンバーの衣装は彼が副学長を務める京都造形大学の学生がデザインしているので、費用的にはなんとか回っていたようだ。

 

話を戻すと、僕がAKB関連の楽曲の一部を聞いた限りで言えば、秋元康の歌詞から受ける感想は、「良くも悪くも、まったく作家性が感じられない」ということだ。

 

この点について、ベストセラー『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』の作者で、秋元康の弟子でもある岩崎夏海氏は、こんな発言をしている。

 

(以下引用)

 

「秋元さんは、作詞に関してはご自身のメッセージやアイデアはないっておっしゃってましたね。逆に言うと、だからいつまでも枯れないで現役を続けられるんですよ。他の作詞家の方々は自分のアイデアでやってるから、自分の身を切り売りしてるわけで、どんなに才能があってもいつか尽きてしまう。秋元さんは自分の身をひとつも切ってないから、40年たってもアイデアが枯れようがない」

 

「そして、ここが重要なんですけど…。秋元さんは作詞に自我を投影しない。だからこそ秋元さんの詞は、歌い手や聞き手にぴったり寄り添う、素晴らしい詞たりえるんですよ」

 

(以下引用おわり)

 

秋元康の書く詞には、過剰なエゴの投影としての「作家性」が存在しない。このことが、彼の詞が「あたりさわりのない受けを狙うだけの中身のないもの」として軽視される理由になってきたのではないか。僕は先ほど「良くも悪くも」と書いたが、実はこれは積極的に評価すべきポイントなのではないかと感じている。

 

彼の詞の多くは、小学生にでも分かるシンプルな言葉で書かれている。しかしそのことは必ずしも中身が薄っぺらであることにはつながらない。具体例を挙げてみると、AKBの初期のヒット曲に『大声ダイヤモンド』というのがある。興味のない人は知らないだろうから、詞を引用してみる。

 

(以下引用はじめ)

 

走り出すバス追いかけて僕は君に伝えたかった

心のもやもやが消えて大切なものが見えたんだ

 

こんな簡単な答えが出てるのに

何にためらって見送ったのだろう?

僕が僕であるために衝動に素直になろう

 

大好きだ 君が 大好きだ 僕は全力で走る

大好きだ ずっと 大好きだ 声の限り叫ぼう

大好きだ 君が 大好きだ 息が苦しくなるよ

しまっておけない大声ダイヤモンド

 

失うものに気付いた時 いても立ってもいられなかった

今すぐ 僕にできるのは この思い言葉にすること

なぜか さっきから 空を見ているだけで

瞳がうるうる 溢れて止まらない

僕たちが住むこの世界は 誰かへの愛で満ちてる

 

大好きだ君が大好きだ 風の中で 叫ぼう

大好きだ君が大好きだ 息が苦しくなるよ

しまっておけない大声ダイヤモンド

 

勇気を出して言おうよ 黙っていちゃそのままさ

恥ずかしくなんてないんだ

好きって言葉は最高さ

好きって言葉は最高さ

好きって言葉は最高さ

感情吐き出して今すぐ素直になれ!

 

(引用おわり)

 

ここには複雑で過剰な「作家性」という名のエゴがまったく欠落している代わりに、シンプルで心に刺さる何か普遍的な表現がある。AKBの一心不乱で懸命なパフォーマンスと相まって、そのメッセージは単なる記号を超えたリアリティを獲得している。この詞の人称表現について分析するといろいろ興味深い気もするが、ここでは詳述しない。

 

笑われるかもしれないが、僕はこの歌詞を聞くと目がうるうるしてしまうときがある。まるで宮沢賢治の詩や物語を読むときのように。この詞が特別なわけではなく、一般にAKBに書く秋元康の詞は文句なしに素晴らしいものが多い。おそらく彼のキャリアの中でも最高の作品揃いだろう。こうした詞は計算やプロデューサー的視点によって作られたものではなく、彼女たちの純粋さやエネルギーに触発されて生まれたものではないかと思う。そして、こうした表現が可能なのは、彼の「無我的アプローチ」のなせるわざだというのは言い過ぎだろうか。

 

【秋元康流無我的仕事術】

 

次に、秋元康の真骨頂である「企画プロデュース」という仕事について見てみることにしよう。

 

業界人の誰もが羨む成功者である秋元康は、メディアやいろいろな場所で「秋元康流仕事術」について語っている。そこで語られているのは、意外にも一般にイメージされるマキャベリスト的な戦略や計算とはかけ離れた信条である。曰く、

 

・分析しない。今目の前にあるものはすべて過去のもの。それを今リサーチしても仕方がない。

 

・企画というのは、生み出すものではなく、気づくこと。日常の中の小事に鋭敏になること。企画のヒントは、インターネットやマーケット・リサーチの中ではなく、日常の中に騙し絵のように隠れている。

 

・すべて計算通りにいくことはありえない。だからこそ面白い。見切り発車でもいいからとにかくどちらかに走ってみる。それから臨機応変に軌道修正すればいい。

 

・人脈はつくるものではない。目の前に出てくる縁を大切にするだけ。

 

・人生にも仕事にも「失敗」というものはない。人生に無駄はない。

 

・仕事の秘訣は「何も考えないこと」

 

こんな風に箇条書きにすると彼の語り口の微妙なニュアンスが失われてしまうかもしれない。また「成功者」であるからこそこんな風に余裕をもって語れるのだともいえる。が、実際の秋元康の仕事を見ていくと、上記の信条を確実に実践しているのが分かる。

 

以前の記事で、映画監督の三池崇氏の次の言葉を紹介したことがあった。

「最近の監督は個性を出そうとして流れに逆らおうと必死にもがいている感じがする。でも、流れに逆らっていることは傍から見れば止まっているのと同じに見える。自分はむしろ個性というものをいったん無くし切って、とことん流されていくことにしている。すると、結果的に思ってもみなかった個性的な作品が次々に生まれる。川の流れと一つになることで見えてくるものがある。流されていく先には必ず海があるのだから。」

 

時流に逆らわず、縁に任せて「川の流れのように生きる」という点で、秋元康の生き方にも共通するものがあるように思う。

 

AKBの歴史を少し注意深く見ていくと、それは決してあらかじめ緻密に計算されたプロジェクトではなく、悪く言えば行き当たりばったり的な展開の連続であったことが分かる。しかしそれでも振り返ってみるとそこにはあらかじめ計算されていたかのような自然かつ必然なパターンのようなものが見えてくる(抽象的に語っているので分かりにくいかもしれないが、細かく書き出すと膨大なドラマを綴ることになってしまう)。それはあたかも、自然の赴くままの運動が振り返れば見事な造形を生みだしている「川の流れ」のようだというとさすがに言い過ぎか。

 

彼が自分の信条とでも呼ぶべきものを一番直接的に表現しているのが、AKBの最初のNo.1ヒットになった「Beginner」ではないか。そこで語られているのは、「過去の記憶に囚われるな。一切の心理的な束縛を振りほどけ。毎瞬間ごとに心を空っぽにして生きろ」という、まるでクリシュナムルティと見まがうかのような哲学であるというのは興味深い。

 

・・・なんだか秋元康をひたすら褒め称えるような文章になってしまったが、彼の仕事については、まったく問題を感じないとは言い切れない部分がある。今回はそのことに関しては詳述しないが、一応彼については「無我表現」ではなく、無我「的」表現という留保をつけておくことにした。

 

一つ感じたのは、秋元康は、確かに「無我的」つまり「悟り系」の現代の実践例たりうるらしい、ということだ。そのことと、今の時代にAKBが大成功していることは決して無縁ではないかもしれない。

 

参考文献

別冊カドカワ「総力特集秋元康」

秋元康の仕事学(NHK出版)

さらば、メルセデス(秋元康著、ポプラ文庫)

 


アラスカ便り―北の果てに暮らす日々― 

アラスカ便り―北の果てに暮らす日々―

 

「祭、草のバスケット」

 

 長岡マチカ(文化人類学を学び、現在、アラスカ在住)

 

例年の倍以上の積雪量といわれる今冬。街のいたるところにかき積まれた雪山が春の日差しに照らされ始める2月の終わり、「ファー・ランデブー祭」が始まった。今年で77年目の祭り。まだ3千人程の街だった80年近く前のアンカレッジで、長く暗い冬の終わりを盛り上げようと、鉱山や罠猟での冬の収穫を携えた人々の立ち寄る時期に合わせ3日間の「スポーツの祭典」が催されたのが始まりと言われる。今では犬ぞりレースやマラソンなどのスポーツ的なイベントから、当時の経済の中心であり祭の名前の由来ともなっている毛皮(fur)ビジネスを偲ぶ毛皮オークション、そしてパレードに歌に踊りに移動式遊園地など、街のあちらこちらで様々な催し物が10日間近く続けられる。

 

「マチカいつ行く?」

電話口でネイティブ・アラスカンの友人が言う。

「決めてないけど、今年は何見たい?」

パレードに※ブランケット・トス、氷の彫刻、それにネイティブ・ダンスにアートクラフト。インターネットの「ファー・ランデブー・スケジュール表」を覗き込みながら受話器を片手に予定を立てる。スクリーン横には「私達のフロンティア精神を祝おう!」という文句が点滅している。ここ100年ほどの間にこの街を建てた開拓者と、8000年以上前にシベリアから渡ってきた人々を思う。

 

待ち合わせたショッピング・モールで久しぶりに会う彼女は、青い花柄のパルカを着込み、毛皮に縁取られたフードをかぶるとまるでそのまま広告に出てくるようなネイティブ・アラスカンの出で立ちだった。ハグを交わす。

Hi, Japanese sister. 元気だった?」

いつものゆっくりとした口調。ブレーキを踏み込みそれまで全速力で走っていたスピードを落としていくような気持ちになる。

「で、子ども達は?ハズバンドは?日本のお父さんお母さんは?日本のおばあさんおじいさんおばさんおじさんは?」

まずは私の家族親戚皆元気で変わりないかと尋ねると、次に従兄弟に赤ちゃんが生まれ、叔母は手術をしたところ、姉はこんな旅をしてね、彼女の親戚の様子を表情を変えながら細かく教えてくれる。彼女のリズムに合わせゆっくりと足を踏み出し一緒に歩き始める。

その日の目的の1つだったネイティブ・アートクラフト・マーケットを見て回る。毛皮の靴にパルカに手袋、仮面、絵画。ふと立ち止まる友人。明るい茶色に赤色のひし形の模様がついたバスケットを見つめている。燻した草で編まれたというそのバスケット、蓋はビーバーの毛で縁取られ取っ手の部分はセイウチの牙を彫った鷲の形の彫刻で飾られている。

「あなたが作るバスケットもこんな風に素敵だったの」

「?」

首を傾げる私を見て、ふふっと笑う。ああ、と思う。私は以前彼女の家族に「名前」をもらったのだった。アラスカ南西部のネイティブ、ユピック族には死者の名前を受け継ぐという習慣がある。15年ほど前村で彼女の家族と共に暮らした際、彼女の家族は私の中に亡くなった親族を見出したのだった。私がお茶ばかり飲んでいるところ、私の歩き方、そんな日常の様子から私の中に亡くなった彼女の叔母と祖母が宿っているという。家長の執り行う儀式を通し私は2つの名前を与えられ、家族として迎えられた。ユピックの人々はこうして死者と共にいる。死者を繰り返し思い出し、死者の思い出を抱きながら。

バスケットを手に取る。つんと乾いた表面がしばらくするとしっとりと手に馴染み始める。私の中に私以外の誰かがいる?私はこの地で草のバスケットを編み、ツンドラで摘まれた葉を煎じてお茶を飲み、確かにそんなこともあったのかもしれない・・・。

モールの中央にあるアイスリンクではネイティブ・ダンスが始まっている。一面太鼓の規則正しいリズムに合わせ、ツンドラの風景が蘇ってくる。

「“私”なんて曖昧なものなのよ」

友人はそう言うとアイスリンクに向って歩き始める。手に持っていたバスケットを置き早足で追いつくと隣に並ぶ。ドン、ドン、ドン、ドン。太鼓の音と2人の歩くリズムとが重なり溶け合っていく。 “あなた”と“私”なんてものもね」

そう微笑む彼女の横顔に村で出会ったいくつもの顔が重なって見えた。

 

 

※ブランケット・トス:元々はアラスカ北部の捕鯨漁を祝う祭で行われる。セイウチやアザラシの皮で作られたブランケットの端を掴む人々の中央で、皮の上をトランポリンのように飛び跳ねる。「ファー・ランデブー祭」ではダウンタウンの駐車場で行われ、ブランケットを持つ側、飛ぶ側どちらも体験できる。

 


★編集後記

松戸在住なのですが、先ほど(1421時頃)、大きな地震がありました。震度4だったそうです。千葉北東部では震度5強。地の底から湧き上がってくるような震えを体感すると、さすがに不安になりますね。震災から一年。これから日本はどうなるのでしょう? 大きな転換点を迎えていることは間違いないのですが、どのように転換するかは我々次第。何かできることを、と思いつつ、焦燥感ばかりで何もできていない気がします。新しい夜明けが美しいことを祈って。(那智)


目次

MUGA 第9号

「私」ではなく「世界=無我」からの表現を発信する

 

無我表現研究会発行 月刊メルマガ

 

◆目次

 

◇アート

 

・詩

『例外者たちの詩』  那智タケシ

 

『季節の詩』     rita

 

◇インタビュー

 

「何もしない時間の大切さ」 

菊地クミユキ(ウルトラリンパ開発者)

 

◇評論

 

・評論

無我表現としてのAKB前田敦子

       高橋ヒロヤス

 

・無我的観照第4回

映画『マイネームイズハーン』に見る愚直な愛の表現

 

       那智タケシ

 

 

◇エッセイ

 

アラスカ便り―北の果てに暮らす日々― 

『春の空の下』   長岡マチカ


例外者たちの詩     那智タケシ

★詩

 

例外者たちの詩     那智タケシ

 

 

★紫の服の女

 

名も知らぬ寂れた街中を車で走っていると

 

紫色の巨大な蝶を見た

 

いや、それはよく見ると、自転車に乗った女であった

 

紫色のドレスみたいな、ひらひらの服を着た中年女が、

 

髪をなびかせ、

 

ドレスを舞わせ、

 

快活に笑いながら、

 

立ち漕ぎで、

 

風に逆らうように車道を全力疾走しているのであった

 

ああ、しかし彼女の狂気の何と純粋なことだろう?

 

廻りの人間が影になってしまうように

 

彼女は全力で生き、

 

全力で走り、

 

全力で誰かを愛していた

 

絶対にそうに違いなかった

 

だからあんなにも光り輝いて

 

モノクロームの世界から一人、飛び出して

 

偉大な

 

絶対独自の物語を

 

曼荼羅を展開していたのだ

 

際限なき生命の尊さよ

 

目的なき喜びの純粋さよ

 

誰もが、彼女の運命を羨むことだろう

 

誰もが、彼女を愛することだろう

 

彼女の迷いなき生を

 

澱みなき光の発露を

 

憧憬を持ってただただ見守ることだろう

 

あんな風に生きることができたらどんなに素晴らしいだろう、と

 

しかし、彼女がどこに向かって走っているのかは

 

もしかすると彼女自身もわからないのかもしれない

 

目的なき全力疾走

 

だから彼女は少々狂っていて

 

少しばかり太っていたとしても

 

あんなにも美しかったのだ

 

そんなことを夢想しながら前を向くと

 

バッグミラーに、女の姿は映っていなかった

 



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