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沖縄二高女看護隊 チーコの青春 - 目次
沖縄二高女看護隊 チーコの青春
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沖縄二高女看護隊 チーコの青春

タコ八の歌

 

 

 一月二十二日の空襲で若狭町の二高女の仮校舎も焼け落ちてしまった。首里弁ケ岳の電波探知機陣地の構築作業は続いても、授業は中断された。新たな仮校舎が見つかるまでは授業の日は自宅待機となった。同じ日に家が焼けてしまった小枝子は与那原よなばるの伯父の家に避難して、その後、作業の日は与那原から首里に通っていた。父親を防衛隊に取られて男手がないので、焼けた家はそのままだった。鹿児島に知人がいるので、もしかしたら、鹿児島に疎開するかもしれないと言っていた。

 一月の三十一日、新しい県知事が沖縄にやって来た。その日、千恵子たちブラスバンド部の四年生は作業の日だった。急遽、県庁に行けと言われ、先に集まっていた下級生と合流した。どこから集めたのかわからない楽器を借りて、新知事を歓迎するため『愛国行進曲』と『勝利の日まで』を演奏した。亡くなってしまった敏美と国頭くにがみに帰ったままの小百合、久米島に帰ったままの久美の姿はなかった。小百合と久美には何度も手紙を書いていた。返事によると二人とも戻って来たいようだけど、家庭の事情とか、那覇の空襲とか、色々あるらしくて難しいようだった。

 毎日、愚痴ばかりこぼしていた父は島田知事が来てからというもの、今度の知事殿は前の知事とは全然違う。命懸けで来られたという気魄きはくが感じられる。ほんとに偉いお人だとやたら褒めて、毎日、楽しそうに出勤して行った。千恵子はチラッと見ただけなので、そんなに偉い人なのかよくわからなかった。ただ、背が高くて眼鏡めがねをかけていたという印象しかない。後で父から島田知事が三高の野球部で活躍したと聞いて、野球部ならいい人に違いないと思った。そして、安里先輩の事を少し思い出した。

 作業現場が首里に移ったと聞いた時、もしかしたら、一中の生徒たちもいるかもしれないと期待したのにいなかった。でも、首里への行き帰りに二度だけ、安里先輩に会う事ができた。お互いに回りに友達がいて話をする事もできなかったけど、顔を見ただけでも嬉しかった。晴美が安里先輩の顔を知っていて、澄江や初江に教えてキャーキャーはやし立てた。安里先輩の方も友達にヤーヤー言われていて、恥ずかしかったけど嬉しくもあった。その後、澄江が『おんな系図けいずの歌』の替え歌を作った。

 ♪坂下通れば思い出す

    お千恵、良雄の心意気

   知るや白梅 石垣に

     残る二人の影法師~

 知るや白梅という歌詞が二高女の校章に通じるので気に入っていた。お千恵、良雄の所は名前を代えて歌われた。晴美と一中の陸上部の先輩、小枝子と二中の幼なじみ、佳代と師範学校の先輩、初江と商業学校の先輩と、それぞれが憧れている男子の名を入れて、キャーキャー言いながら歌っていた。

 澄江だけは好きな男子の事をなかなか打ち明けなかった。そんなのいないわよと言い続けていたが、みんなから責められてとうとう白状した。何と、澄江が好きな人は黒砂糖を買いに行った時、陸軍病院の防空壕で会った谷口軍曹だった。あの日から、ずっと憧れていて、きっと、また会えると信じているという。谷口軍曹は二十五歳位で、年がちょっと離れ過ぎているんじゃないと千恵子たちが言っても、年なんか関係ないわと平気な顔して言い、もしかしたら、奥さんがいるかもと言っても、あの人は絶対に独身よと信じ切っていた。谷口軍曹の名前はわからないので、『お澄、谷口の心意気』と歌われた。

 二月になって新しい仮校舎が見つかった。四年生は松尾山にある知事官舎で下級生は首里だった。知事官舎は前の泉知事が去ってから空き家になっていた。十・十空襲の時、爆風にやられて少し傾いてしまったが住めない事はなかった。新知事を迎えるに当たって綺麗にしたのに、島田知事は食糧営団の理事長宅を宿舎にする事となり、二高女で借りる事になったのだった。ただ、全校生徒を収容できないので四年生だけが利用するという。

「男子中学生はすでに、立派な兵隊になるために通信訓練や戦闘訓練を始めている。女学生も立派な看護婦になって、お国の役に立たなければならない。四年生は来週から看護教育を始める事に決まった」と校長先生は言った。

 看護婦と聞いて、千恵子は喜んだ。自分も姉や浩子おばさんと同じように陸軍病院の看護婦になれるんだと思うと感激だった。澄江は谷口軍曹に会えると大喜びしていた。きっと、運命なのよ、赤い糸で結ばれてるのよと目を輝かせて、うっとりしていた。

 二月五日の月曜から看護教育が始まった。千恵子たち松組はその日は作業だったので、翌日の六日からだった。教官は南風原はえばるの陸軍病院から派遣された野口少尉と鮫島さめじま軍曹ぐんそうだった。野口少尉は東京の人で、背がスラッと高くて格好いい青年将校だった。鮫島軍曹は鹿児島の人で、体つきはごっついが優しそうな顔をしていた。谷口軍曹と川上上等兵も鹿児島生まれで、陸軍病院には九州の人が多いと言っていた。東京の人もいたのかと不思議な感じがした。九州から沖縄に来る人は多いけど、東京から来る人は珍しかった。

 初日は陸軍病院とはどんな所か、従軍看護婦はどんな仕事をするのかをわかりやすく教えてくれた。野口少尉も鮫島軍曹も話上手で面白い人だった。千恵子は姉に負けない看護婦になろうと真剣に話を聞いていた。澄江はちゃっかり鮫島軍曹から谷口軍曹の事を聞き出していた。名前は健次といい、外科に所属している衛生兵で独身だという。澄江は浮き浮きしながら再会を夢見て、澄江に影響されたのか、初江は野口少尉に憧れていた。

 二度目の看護教育の日は大詔たいしょう奉戴日ほうたいびだった。授業の前に知事官舎の庭で式典が行なわれた。梅組は作業に出ていて、下級生も首里に移ってしまい、松組の生徒三十六人だけの寂しいものだった。国旗掲揚けいよう詔書しょうしょ捧読式、必勝祈願と式典は続き、『海ゆかば』をみんなで歌って、いつもなら終わりのはずだった。ところが、校長先生が再び、台上に登った。校長先生の顔色が今朝から暗かったので、何かよくない事でも起きたのかと千恵子は隣にいる佳代と顔を見合わせた。

「誠に残念な事が起きてしまいました」と言って校長先生は皆の顔を見回した。

「二月の六日、一昨日おとといの昼過ぎ、久米島の真泊まどまりを出港した客船『嘉進丸かしんまる』が那覇に向かう途中、敵機の襲撃を受けて沈没してしまいました」

 久米島と聞いて、すぐに思い出したのは久美の事だった。まさか、久美が乗っていたのではと思ったが、慌てて否定した。そんな事はない。久美は役場の仕事を手伝っていると手紙に書いてあった。元気に歌を歌いながら仕事をしているに違いないと思いたかった。

「その船には二十名前後のお客が乗っていて、生存者は船長ただ一人だったらしい。お客の中に十人の学生がいた。残念ながら、本校の生徒もいた」

 校長先生はそこで言葉を切って目頭を押さえた。千恵子は久美じゃないようにと祈った。

「君たちの同級生、上江洲うえず」と校長先生が言った時、佳代が「久美‥‥‥」とつぶやいて、千恵子の肩にもたれて来た。千恵子も我慢できなくなって、佳代に抱き着いて泣いてしまった。校長先生の話は続いていたが、誰も聞いてはいなかった。皆、シクシク泣いていた。

 その日の授業は救急処置だったが、まったく頭に入らなかった。

 去年の夏、疎開船『対馬丸』が沈没して政子が亡くなり、去年の暮、列車が爆発して敏美と文代が亡くなった。そして、今度は久美だった。平和だったら死ぬはずがない同級生が四人も亡くなってしまった。久美とは十・十空襲の時、学校で別れてから一度も会えなかった。那覇にある祖母の家で、二中に通っている弟と一緒に暮らしていた。空襲の時、祖母を連れて北の方に避難した。しばらくして戻って来ると家も学校も焼けてしまい、郷里の久米島に帰っていた。千恵子たちが何度も手紙を書いて、戻って来いと言ったので、こんな事になってしまった。手紙なんか書かなければよかったと後悔した。千恵子は泣いていて聞いていなかったが、久美の弟も一緒に乗っていて亡くなってしまったという。

 授業が終わった後、千恵子たちは波上宮なみのえぐうに行った。波上宮から久米島は見えないけれど、久美が眠っている海を見ないではいられなかった。

 キラキラ輝いている海を眺めながら、「久美、冷たかったでしょうね」と佳代がつぶやいた。

「船はバラバラになっちゃったんでしょ。久美もきっと‥‥‥」その後は言葉にならず、澄江は泣いた。

「う~み~ゆ~かば~」と晴美が歌い出した。

 小枝子と初江が一緒に歌った。千恵子も歌おうとしたが声が出なかった。歌の通り、久美は水漬みづくかばねになってしまった。あの笑顔はもう見られない。商業学校の男子に人気があって、ラブレターをもらった事もあったのに、十六歳の若さで亡くなってしまうなんて、あまりにも可哀想すぎた。

 みんなで晴美の家に寄って久美の思い出を色々と話した。千恵子と初江は久米島に遊びに行った時の事を皆に話した。楽しかった事を思い出すたび、悲しみは余計に積もって、皆、しんみりとしてしまった。

「ねえ、覚えてる。ガジャンビラの作業の時、西村上等兵が教えてくれた『タコ八の歌』、久美、気に入ってよく歌ってたわね」と千恵子は久美の歌声を思い出しながら言った。

「そう、そう。そういえば、久美が来なくなってから、その歌、すっかり忘れてたわ」

 晴美が懐かしがって歌おうとすると、

「なあに、『タコ八の歌』って」と初江が聞いた。

「あら、知らないの」と千恵子は驚いた。

「知らないわ、ねえ」と初江は佳代に聞いた。

 佳代も知らないと首を振った。その頃、初江と佳代は松組だったので、千恵子たちとは作業の日が違っていた。

「『タコ八の歌』って『のらくろ』に出て来るタコの八ちゃんのこと?」と佳代が聞いた。

「そのタコじゃないんじゃないの、きっと。別のタコよ」と晴美が真面目な顔して言う。

 千恵子はじっと我慢していたが、ついに吹き出してしまった。

「チーコ、どうしたのよ」と晴美がこんな時に笑うなんて不謹慎よという顔して聞いた。

「ごめんなさい。つい、昔の事を思い出しちゃって」

「チーコ、言わないでよ」と初江が千恵子を睨んでから、澄江を見た。澄江は他の事を考えているらしく、ぼんやりしていた。

「わかってるわよ」と千恵子は言ったが、みんなは何の事だか知りたがった。久美だって、きっと知りたいはずだわと言われ、千恵子は白状した。

「初江なんだけどね、小学校の頃、男子たちから『タコのハッちゃん』と呼ばれてたのよ」

 皆が一斉に、初江を見た。

「まったく、もう」と口を尖らせて怒っている初江の顔は、確かにタコに似ていた。笑う場合ではないと思いながらも皆、吹き出すように笑ってしまった。

「そんなの昔の事じゃない。やめてよ、もう」と初江はますます膨れた。「今は久美の事でしょ。何よ、タコ八の歌って」

 笑いが治まると皆、急に真面目な顔に戻った。

「あの歌ね、『湖畔の宿』の替え歌なのよ。高峰三枝子が歌った『湖畔の宿』って発売禁止になっちゃったでしょ」と小枝子が言うと、「禁止じゃなくて、中止になったのよ」と晴美が手を振った。

「とにかく、そんな歌を教えちゃいかんて、西村上等兵、中隊長殿に怒られたみたいなのよ。だから、歌ったのは、あの時だけだったのかもしれないわ」

 小枝子が説明すると佳代が教えてくれとせがんだ。

「そうねえ、久美のためにも、みんなで歌いましょうよ」

 ♪きのう召されたタコ八が

    たまに撃たれて名誉の戦死

   タコの遺骨はいつ帰る

     骨がないから帰れない

   タコのかあちゃん悲しかろ~

 友達と別れ、家に帰って来たら、また悲しくなって千恵子は一人で泣いた。父は日が暮れても帰って来なかった。昨夜も部課長会議があったとかで遅かった。小屋の中に一人きりでいるのは寂しくてやり切れなかった。

 二月も半ばになって、悲しみもいくらか和らいだ頃、小枝子が鹿児島に疎開して行った。小枝子は行きたくなかったけど仕方がなかった。母親が家を失ったショックから立ち直れず、病人のようになってしまい、今のうちに沖縄から離れた方がいいと親戚一同で決めたらしい。幼い弟や妹がいて母親だけでは無理なので小枝子も一緒に行かなければならなかった。

 最後の別れを告げようと、港まで見送りに行ったら物凄い混雑だった。あちこちに疎開者の荷物が山のように積まれ、迷子になった子供が母親を呼んで泣いている。敵の潜水艦が出没して危険なので防諜ぼうちょうのため出港時間も公表されず、どの船かもわからない。結局、小枝子には会えず、航海の無事を祈るしかなかった。

 小枝子が去った翌日、校長先生から二高女の四年生はやま部隊(第二十四師団)の野戦病院に入隊する事が決まったと発表があった。山部隊は一時、二高女に駐屯していた事があり、空襲の後、学校の焼け跡の片付けをしてくれたので馴染みのある部隊だった。山部隊は去年まで嘉手納かでな周辺の守りを固めていたが、たけ部隊(第九師団)が台湾に出て行ってから、南部の島尻しまじりに移っていた。

 二高女と積徳せきとく高女が山部隊に入隊し、南風原の陸軍病院には師範学校女子部と一高女が入隊する事になったという。首里高女と昭和高女は首里周辺を守っているいし部隊(第六十二師団)の野戦病院に、名護の三高女は陸軍病院の北部分室に、というように女学校の四年生は皆、従軍看護婦になるよう決められた。それと同時に、戦闘訓練や通信訓練を受けていた男子中学生は防衛隊を編成し、戦争が始まれば、鉄血てっけつ勤皇隊きんのうたいとなって各部隊へ入隊する事に決まった。

 看護教育の教官も野口少尉と鮫島軍曹は来なくなり、山部隊から派遣された神津こうづ見習士官と笠島伍長ごちょうに代わった。神津見習士官は大きな体に度の強い眼鏡をかけていた。笠島伍長は小太りで髭面ひげづらだった。二人とも美男とは言えず、前の野口少尉と鮫島軍曹の方がよかったのにと千恵子たちは陰口をきいていた。澄江と初江はがっかりして、縁がなかったのかしらと慰め合っていた。

 


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風と共に去りぬ

 

 

 二月は空襲がなかった。B29が偵察に来るたびに警戒警報は鳴ったが、空襲はなく無事に過ごせた。知事官舎での一日置きの看護教育も順調に行っていた。難しい専門用語はなかなか覚えられないけれど、包帯の巻き方や怪我をした時の救急処置など、日常で役に立つ事も多く、とてもためになった。看護婦志望の千恵子は真剣にノートを取っていた。

 三月に入ると一日早々から敵機の編隊がやって来て、例のごとく飛行場と港に爆弾を落として行った。千恵子たちは授業を中断して防空壕に避難した。次の日も次の日も敵機はやって来て空襲警報が鳴った。しかし、爆弾を落とさずに飛び去って行った。爆弾を落とさないのは助かるのだが、警報が鳴るたびに避難しなければならず、何だか、敵にからかわれているような気がして皆、腹を立てていた。

 四日の日曜日、千恵子たちはまた黒砂糖の買い出しに出掛けた。六日から東風平こちんだの国民学校にある山部隊の看護教育隊に入隊する事が決まったので、みんなで黒砂糖を持って行こうと決めたのだった。その日は幸い、空襲警報も鳴らず、天気もよかった。

 鹿児島に疎開してしまった小枝子の代わりに、晴美とトヨ子と朋美が加わって、六人で賑やかに出発した。焼け跡は綺麗に片付けられ、ほとんどが畑に変わっていた。灰が肥料になったのか、生育は驚くほど早く、葉野菜はすでに食用となり、甘藷かんしょの収穫も間近だった。

 南風原の陸軍病院の防空壕のある小高い丘には新しく三角兵舎へいしゃがいくつも建っていて、兵隊さんが大勢、忙しそうに働いていた。何となく年寄りの兵隊ばかりで、防衛隊の人たちのようだった。

 澄江は目をキョロキョロさせて谷口軍曹を捜し、初江は野口少尉を必死になって捜していた。行く時には会えず、帰りには必ず会えると期待したけど、会う事はできなかった。二人はすっかり気落ちしてしまったが、千恵子は偶然にも姉と再会する事ができた。

 陸軍病院の側を流れている小川の所で看護婦たちが数人集まって、キャーキャー言いながら洗い物をしていた。その中に姉の奈津子がいたのだった。

 千恵子は思わず、「お姉ちゃん」と叫んでいた。

 姉は千恵子の顔を見ると驚いて、「どうして、あんた、こんな所にいるの」と聞いて来た。

 千恵子は姉の側に行き、耳に口を寄せて、「闇物資の買い出し」と小声で言った。

 成程と姉はうなづいて、千恵子の重そうなリュックを眺めて笑った。姉は元気そうだった。

「ここは規則が厳しくてね、結構、大変なのよ。でもね、今の所は患者さんは少ないし、みんなで気楽にやってるさあ」と姉も内緒話をするように千恵子に言った。

「あっ、そうそう、ミエちゃんたちが来てるのよ。今日は日曜だから来ないけど、先月の半ば頃から師範学校の女子部と一高女の生徒たちが看護教育を受けてるのよ」

 ミエちゃんというのは二人の幼なじみで師範学校に通っている娘だった。姉と同い年で、幼い頃はよく一緒に遊んだものだった。

「えっ、それじゃあ、陽子ちゃんも来てるの」と千恵子は従姉いとこの事を聞いた。

 姉は首を振った。「陽子ちゃんは来てないわ。本科の二年生はもうすぐ卒業でしょ。四月から国民学校の先生になるみたいだから色々と忙しいみたい。でも、陽子ちゃんたちも看護婦になってお国のために働きたいって言ってるみたい。ミエちゃんがそう言ってたわ」

「そう。陽子ちゃん、もう先生になるのか‥‥‥ねえ、浩おばちゃんは元気でやってるの」

「もう元気すぎるくらいよ。あたしの同期の子も何人か外科にいるんだけど、浩おばちゃんにしごかれてるみたいよ」姉はクスクス笑ってから、「でもね、浩おばちゃん、結構、みんなに慕われてるみたいよ。何でも自分から進んでやる性格でしょ。頼もしい小隊長殿って感じみたい」

「浩おばちゃんらしいわね」と千恵子もクスッと笑った。「ねえ、あたしたちも来週から山部隊の看護教育隊に入る事になったのよ」

「山部隊の野戦病院ていえば東風平こちんだね」

「そう。それとね、あたし、県立病院の看護婦養成所の入学試験に合格したのよ」

「えっ、ほんとなの」

「ほんとよ」

「そう、よかったわねえ」姉は喜び、「頑張るのよ」と千恵子の肩をたたいた。

 入学試験といっても、姉の頃と違って、筆記試験はなく内申書だけだったので助かっていた。あまり自信はなかったけど、昨日、先生に呼ばれて合格の知らせを聞いた時はほんとにホッとした。

 山部隊の野戦病院に入ってしまえば、姉に会う事も難しくなる。その前に会えてよかったと千恵子は偶然の再会に感謝した。

 澄江と初江は姉から谷口軍曹と野口少尉の事を聞いていた。

 姉は首を傾げてから、「今日は日曜日でしょ。ほとんどの人が休暇をもらって外出してるんじゃないかしら。那覇か首里の方に行ったのかもしれないわね」と言った。

「それじゃあ、まだ会えるかもしれないわ。きっと、どこかですれ違うはずよ。ねえ、そうでしょ」澄江と初江は嬉しそうに、うなづき合った。

 帰り道、何度か兵隊さんとすれ違った。その度に、千恵子たちは「ほら、来たわよ」とからかっていた。二人は「ほんと?」と期待に胸を膨らませるが、残念ながら、どちらも願いをかなえる事はできなかった。

 家に帰ると、康栄と安里先輩が小屋の屋根の修理をしていた。野戦病院に入る前に会いたかったのは姉ともう一人、安里先輩だった。その安里先輩が今、目の前にいる。澄江と初江には悪いが、今日はなんていい日なんだろう。千恵子はトートーメー(御先祖様)に感謝した。

「メンソーレ(いらっしゃい)」と千恵子はニコニコしながら挨拶をした。

「チー姉ちゃん、また買い出しかい」と康栄が屋根から飛び降りて来た。

 安里先輩はハシゴから降りると、「お邪魔しております」と丁寧に頭を下げた。

「お邪魔だなんて、屋根の修理までしてもらって本当に助かります。ありがとうございます」

「先輩はチー姉ちゃんから借りていた本を返しに来たんだよ」

「えっ」と千恵子は安里先輩の顔を見た。

「近々、野戦病院に行くと聞きましたので」そう言うと安里先輩は小屋の脇に置いたリュックの中から、島崎藤村とうそんの詩集を出して千恵子に渡した。

 慌てて返さなくてもいいのにと思ったが、千恵子は受け取った。

「お礼として、この本を読んで下さい」と安里先輩はもう一冊、文庫本を出して千恵子に見せた。それは石川啄木たくぼくの歌集だった。啄木の歌はかつて読んだ事はあった。でも、覚えているのは『一握の砂』の冒頭だけだった。安里先輩が読んだのなら、もう一度よく読みたいと思い、お礼を言って受け取った。

 今は書物も貴重品で、書店も貸本屋もなくなり、学校の図書館も焼けてしまって読みたい本も手に入らなかった。持っている本といえば、あの時、持ち出した愛唱歌集だけだった。一度に二冊の本が手に入って嬉しかったけど、何となく、藤村の詩集は安里先輩に持っていて欲しかった。二冊の本を見比べていた千恵子は顔を上げると思い切って言ってみた。

「あの、この本はお借りします。でも、こっちの方は安里先輩が持っていてくれませんか。この小屋に置いといても盗まれちゃうかもしれませんので」と藤村の詩集を差し出した。

「そうですか。それじゃあ交換という事にしますか。実は何かと忙しくて、まだ、全部読んでないんですよ。助かります」

 安里先輩は喜んで受け取ってくれた。

「あたし、この本を持って行く事にします」

「自分もこの本を東京に持って行きますよ」

「えっ、東京?」

「先輩は早稲田大学の予科に受かったんだよ」と康栄が説明した。

「いや、まだ一次が受かっただけです。二次が受からなければ合格とは言えません」

「それでも、おめでとうございます」

 四月になったら東京に行ってしまうのか。もしかしたら、もう会えないかもしれない。もっともっと色々と話がしたかった。

「あのう、今、お茶を入れますので、おうちの中で休んでいて下さい」

「いえ、まだ途中なので」と安里先輩はかたわらに置いたかなづちを手に取った。

 安里先輩と康栄が屋根の修理をしている間、千恵子はお湯を沸かした。いつもだったら、お茶なんてなかったのに、うまい具合に二、三日前に父が持って来たお茶がまだ残っていた。急須きゅうすはなかったけど、手拭いで作った小袋にお茶っ葉を入れてお湯の中に入れれば飲む事ができた。

 屋根の修理も終わり、買って来た黒砂糖をお茶菓子にして、お茶を飲みながら話をした。

 小説家を志すだけあって安里先輩は色々な本を読んでいた。夏目漱石そうせき、森鴎外おうがいいずみ鏡花きょうか、島崎藤村、中里介山かいざん、芥川龍之介、吉川英治など、作家とその作品の名が次から次へと口から飛び出した。藤村は小説の『夜明け前』は読んだけど、詩集はまだ読んでないので借りたという。今は毎日が作業で忙しくて、小説はなかなか読めない。詩がちょうどいいと言って笑った。江戸川乱歩らんぽ久生ひさお十蘭じゅうらんの推理物や岡本綺堂きどう、野村胡堂こどうの捕物帳も好きだけど、一番好きなのは尾崎士郎で、沖縄を舞台にした『人生劇場』のような小説を書きたいという。『人生劇場』は父が読んでいたのを思い出した。確か、おうちにもあったのに焼けてしまった。

 千恵子はどんな小説家が好きかと聞かれて、吉屋よしや信子と言おうとしたけどやめて、マーガレット・ミッチェルと言った。途中までしか読んでいなかったので、その後のスカーレットの事が気になっていた。まるで、今のあたしたちのように、スカーレットが住んでいるアトランタに敵の北軍が迫って来ている所まで読んで、その後、どうなったのかわからない。それに、澄江が大切にしていた本を失ってしまい、申し訳ないと常に思っていたので、思いついたままに言ってしまった。

 安里先輩は一瞬、驚いたようだった。

「さすがですねえ。まさか、千恵子さんの口から敵国の小説家の名が出て来るとは思ってもいませんでした。『風と共に去りぬ』ですね。まさに、あれは名作ですよ。自分はまだ読んでおりませんが是非とも読んでみたいものです」

「あたしもまだ最後まで読んでいないのです。お友達から借りていたんですけど、あの時、燃えてしまって‥‥‥きっと、いつか、最後まで読もうと思っています」

「そうでしたか。今の御時世では手に入れるのは難しいでしょう。でも、戦争が終われば、きっと手に入ります。名作は決して戦争なんかで滅んだりはしませんよ」

 安里先輩と康栄が帰った後、千恵子は一人でぼうっとしていた。

 マウンドからボールを投げている姿を遠くから眺めて憧れていた人が、ついさっきまで、すぐ側にいて熱っぽく文学の話をしていたなんて夢を見ているようだった。ほんの思いつきで、マーガレット・ミッチェルと言ったら、安里先輩の目の色が変わって、次々に外国の小説家や詩人の事を話し始めた。その中には千恵子の知っている人もいたし知らない人もいた。そして、敵国の人もいた。

 澄江みたいに外国の文学をもっと読んでいればよかった。そうすれば、もっと話し合う事ができたのに、ただ安里先輩の熱弁を聞いているだけの自分が情けなかった。

「戦争が終わったら、また、文学について語り合いましょう」と言いながら安里先輩は康栄を促して小屋から出ると空を見上げた。

「早く野球がしたいな」とボールを投げる真似をした。

 すかさず康栄が、「よーし、一本!」と叫んだ。

「やっぱり、ストライクじゃなきゃ締まりませんよ」安里先輩は笑って、「それじゃあ、気をつけて、頑張って下さい」と手を振りながら帰って行った。

 千恵子は頭を下げ、安里先輩と康栄の姿が見えなくなるまで後ろ姿を見送った。

 

 

 


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