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沖縄二高女看護隊 チーコの青春 - 目次
沖縄二高女看護隊 チーコの青春
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沖縄二高女看護隊 チーコの青春

愛国行進曲

 

 

 海からの涼しい風が心地よかった。

 垣花かきのはな町に住んでいる友達と別れ、千恵子たちは南明治橋を渡った。

 夕日に染まる那覇なは港には物資を積んだ船がいくつも泊まり、大勢の兵隊さんが忙しそうに働いていた。桟橋さんばしの方には大きな軍艦が頼もしげに泊まり、反対側の垣花側にも軍艦がいくつも並んでいる。

 漁船しかなかった那覇港にも三月頃から軍艦が続々と入って来た。上陸した部隊は各地に配置され、沖縄のいたる所、兵隊さんだらけになって行った。千恵子の通っている県立第二高等女学校も兵舎に使われ、生徒たちは授業そっちのけで飛行場建設や陣地構築の作業に駆り出された。

 昭和十九年十月九日、今日も垣花のガジャンビラ(筆架山)高射砲陣地の作業を終えて帰る途中だった。朝から晩まで土と汗にまみれ、皆、疲れ切っていても、そんな事は顔には出さず、元気よく歌を歌っていた。歌う歌と言えば軍歌が多く、一人が歌い出せばすぐに合唱が始まった。

 ♪若い血潮の予科練の

    七つボタンは桜にいかり~ (若鷲の歌 西條八十作詩、古関裕而作曲)

 千恵子たちが歌いながら北明治橋を歩いて行くと前から五、六人の中学生がやって来た。同じくらいの年頃で四年生か五年生に見えた。

「おい、二高女の晴美だ」と言っている声が聞こえたかと思うと、向こうも大声で『わかわしの歌』を歌い出した。

 すれ違う時、一人がお道化た顔して晴美に敬礼したが晴美は見向きもしなかった。

 美人でスタイルがよく、しかも、陸上選手として県の代表になった晴美は男子学生の憧れの的だった。ハワイ帰りの二世なので英語もペラペラ、アメリカ映画『オーケストラの少女』に主演していたディアナ・ダービンみたいに歌もうまくて、クラスの人気者だった。

「ねえ、晴美、知ってるの」と澄江が立ち止まって、中学生たちを見送りながら聞いた。

「二中の陸上部さ。名前までは知らないけどね」そう言って晴美が手を振りながら振り返った。

 中学生たちは何を勘違いしたのか、ワーワー騒ぎながら走り去って行った。

 後ろ姿を眺めながら、「今頃、どこに行くのかしら」と千恵子は誰にともなく聞いた。

奥武山おうのやま公園じゃないの」と小枝子が言った。「きっと、明日の準備があるのよ」

 小枝子が言った事に千恵子は、「あっ、そうか」とうなづいた。奥武山公園には広い運動場があり、お祝い事などの催し物がよく行なわれた。

「あたしたちも明日、奥武山公園に行くのかしら」

「きっと、そうよ、それで朝早くからブラスバンド部は学校に集合なのよ」

 小枝子がそう言うと晴美がひじで突いた。

「サエ、ブラスバンドなんて言ったら捕まるのよ。敵性語は禁止」晴美は人差し指を立てて口に当てた。

「あっ、ごめん。吹奏楽部だったね」怖い憲兵でもいないかと小枝子は辺りを見回したが、橋の上に人影はなかった。小枝子は安心したように笑って舌を出した。

「ねえ、明日の朝、何時だっけ」と千恵子は澄江に聞いた。話はちゃんと聞いていたのに、はっきり覚えていなかった。

「まったく、チーコはぼうっとしてるんだから。七時集合よ。寝坊しないでよ」

「やだ、大丈夫よ。最近、朝、早いんだから」

「とにかく、久し振りよ。思いっ切り吹きましょ」

「そうね」と言って晴美は『愛国行進曲』を歌い出した。再び合唱が始まった。

 ♪見よ東海の空あけて

    旭日きょくじつ高く輝けば

   天地の正気せいき溌剌はつらつ

     希望は踊る大八洲おおやしま~ (愛国行進曲 森川幸雄作詩、瀬戸口藤吉作曲)

 昭和四年生まれの千恵子たちが物心ついた頃、日本は戦争をしていた。数え三歳の時、満州事変が起こり、八歳の時には国号が『大日本だいにっぽん帝国ていこく』に変わり、九歳の時、日中戦争が始まった。『勝って来るぞと勇ましく~』を歌いながら日の丸を振って出征しゅっせい兵士を見送り、小学校では赤く塗られた日本の領土がどんどん大きくなる世界地図を眺めながら大喜びをした。沖縄うちなーぐちは禁止され、大和やまとぅぐち(標準語)が強制された。音楽の授業では『たちばな中佐』『広瀬中佐』『靖国やすくに神社』の唱歌を歌い、校庭では『愛国行進曲』を歌いながら足並みを揃えて分裂行進をした。運動会では男子は鉄カブトをかぶって丸太を三人一組で抱えて走る『肉弾三勇士』、女子は走る途中でモンペを拾ってはき、国防婦人会と書かれたたすきを掛けて、バケツを持って走って行く『防火演習』という競技を競った。小学校最後の年の十一月、紀元二千六百年祭が盛大に行なわれ、日本中がお祭り気分に浮かれて騒いだ。その頃から街角には『ぜいたくは敵だ!』の看板があふれた。

 昭和十六年、県立第二高等女学校に入学すると憧れていた制服は、その年から不格好なへちまえりに変わってしまった。髪形も一年生はおかっぱ、二年生は分け髪、三年生は分けて結び、四年生は三つ編みと決まっていた。その年の暮れ、真珠湾攻撃があり、大東亜だいとうあ戦争(太平洋戦争)が始まった。皇軍こうぐんと呼ばれる日本軍は次々に勝ちを収め、毎日のように旗行列や提灯ちょうちん行列が続いた。長引く戦争に様々な物資が不足し、必需品はすべて配給制となり、配給だけで生きては行けず、やみの物資が出回った。三年生になるとスカートがモンペに変わり、四年生からは制服の胸に住所、氏名、年齢、学校名、血液型を書いた名札を付け、防空ぼうくう頭巾ずきんと救急袋が義務づけられた。沖縄守備軍の第三十二軍が新設され、沖縄に続々と軍隊が上陸し、あちこちで陣地構築が始まった。県下の中学校、女学校の生徒は勤労奉仕に動員され、さらに若い先生は皆、出征し、授業もままならない状況となっていた。

 今年の七月、サイパン島が玉砕ぎょくさいすると、次は沖縄が危ないと急に疎開そかい騒ぎが始まった。国の命令で老人、幼児、婦女子十万人を県外に疎開させろと言って来たが、沖縄県民のほとんどが沖縄が戦地になるとは思っていないので疎開ははかどらなかった。初めの疎開者は県外出身者で、次に県民の手本として県庁職員の家族が疎開した。学童疎開も八月から始まったが、二十二日、児童を乗せた『対馬つしま丸』が米軍の魚雷にやられて沈没してしまった。その船には千恵子の同級生の上原政子も乗っていたし、妹や弟を失った同級生もいた。国は対馬丸の沈没を極秘扱いにして公表しなかった。しかし、隠し通す事はできず、事実を知ると沈没を恐れて疎開する者は減って行った。本土の冬は寒いし、沖縄口しかしゃべれない老人たちは向こうに行っても不便だし、これだけの友軍(第三十二軍)が守っていれば、沖縄の方が安全だと思っている者が多かった。

 千恵子たちは陣地構築作業と学校に行って避難ひなんごうを掘ったり、食糧増産のための農作業をしたり、その合間に授業をするという毎日だった。もっと勉強がしたいと思いながらも、お国のためだと一生懸命に頑張っていた。

 家に帰るとラジオから流れる軍艦行進曲が聞こえて来た。誰もいないはずなのにおかしいと思いながらのぞくと、首里しゅりの祖母の家に下宿して、第一中学に通っている弟の康栄こうえいが帰っていた。

「まったく、脅かさないでよ。一体、何してんのよ」と聞くと、

「今日は飛行場の作業だったんさ。それで、ちょっと用があったんで寄ったんだよ」と言いながら何かガサゴソしていた。

 小禄おろく飛行場(現在の那覇空港)には千恵子たちも排水溝掘りの作業に出掛けた事があった。

「へえ、一中が今、飛行場に行ってるんだ。あたしたちはガジャンビラよ。近くで作業してたんじゃない」

「チー姉ちゃん、俺の本、どこやったか知らねえか」

「本て何の本よ」千恵子が手を洗いにお勝手の方に行こうとすると、

「お邪魔しております。安里あさと良雄です」と康栄の先輩が顔を出した。

「あら」と千恵子は少し赤くなって、慌てて救急袋を肩から下ろして頭を下げた。

 康栄が安里先輩を家に連れて来たのは初めてだった。噂は康栄から色々と聞いて知っていたし、野球部の投手として活躍し、背が高くて格好いいので、一中の安里先輩と言えば女学生の間でも有名だった。康栄の話によると安里先輩はブラスバンド部でトランペットを吹いている千恵子を見た事があり、弟に紹介してくれと言っていたという。今度、おうちに連れて来るよと言ってはいたが、まさか、本当に連れて来るなんて思ってもいなかった。

「どうぞ、ごゆっくりして行って下さい」とやっとの思いで千恵子は言った。

「はい」と頭を軽く下げると安里先輩の姿は隠れた。

 千恵子はホッとして手を洗いながら、お茶でも出さなくちゃと思った。それにしても、康栄ったら、どうして急に安里先輩を連れて来るのよ。こんな砂だらけに汚れている格好を見られたくなかったのに。髪の毛は大丈夫だったかしらと気になって、救急袋から鏡を取り出して、そっと眺めた。

「チー姉ちゃん、『宮本武蔵』だよ、知らねえか」と康栄が言った。

「あんたの本なんていじってないわよ」

「もしかしたら、お爺が宮崎に持ってっちゃったんかな」

「まさか。あんたの本なんか持ってかないわよ」

「だって、俺がまだ途中までしか読んでないのにお爺は面白いって、俺より先を読んでたんだぜ。向こうで続きを読もうって持ってったんかもしれないよ」

「よく捜してごらんなさいよ」

 千恵子がカマドに火をつけてヤカンを乗せていると、

「あった、あった」と康栄が言って、「チー姉ちゃん、先輩が島崎藤村とうそんの詩集を借りたいって言ってるけどいいかい」と聞いて来た。「先輩、東京の大学に入って小説家になるんだぜ。凄いだろう」

 小説家になるなんて、まったくの以外だった。汗と泥にまみれて野球をやっている人が机に向かってペンを走らせている姿は想像できなかった。その意外性が、千恵子の興味を引いた。その詩集は姉からもらった物で、まだ全部を読んでなかったけど、「どうぞ、読んで下さい」と思わず言った。何となく、安里先輩とつながりができるのが嬉しいような気がした。

「ありがとうございます」と安里先輩は固くなって頭を下げると康栄と一緒に出て行った。

「あのう、お茶」と言ったが、

「先輩は寮に入ってるから、のんびりできねえんだよ。また来るから」と康栄はそっけなかった。

 二人は庭に置いておいたスコップとツルハシを担ぐと走り去って行った。

 後ろ姿を見送りながら、お茶ぐらい飲んで行けばいいのに、と康栄を恨んだ。まったく、気が利かないんだから、もう少し、安里先輩と話がしたかったのに。それにしても安里先輩はかっこいいね。安里先輩に会った事を晴美や澄江に言ったらどんな顔をするだろう。千恵子は一人でクスクス笑っていた。

 

 

 

 たった一人で夕食の支度をしているのは心細く、こんな時は疎開した母親や祖父母、妹や弟を思い出してしまう。母と祖母が夕食の支度をしている時、祖父は決まって縁側で三線さんしん(沖縄の三味線)を鳴らして島唄(沖縄民謡)を歌い、妹や弟はキャーキャー騒ぎながら庭で遊んでいた。小学校の校長先生をしていた頃の祖父はいつも難しい顔して忙しそうに働いていたが、定年退職した後は重荷を下ろしたように毎日、楽しそうに三線を弾き、千恵子たちに古い島唄を聞かせてくれた。毎晩のように隣近所の人たちがやって来て、島酒しまざき(泡盛)を飲みながら陽気に唄を歌っていた。祖父が校長先生をやめた時、千恵子は小学校の二年生だった。その時、六歳だった康栄、三歳だった登美子、一歳だった由美子、そして、まだ生まれていなかった昌栄しょうえいは祖父の島唄を子守歌にして育ったようなものだった。みんながいなくなって、もう二ケ月余りが経っている。

 祖父母も母も疎開なんかしたくなかったけど、父が県庁職員だったため、皆の手本として疎開しなければならなかった。宮崎県に母の妹が嫁いでいて、手頃な家を見つけたから安心して来てくれと言われて腰を上げたのだった。宮崎の叔父は職業軍人で食料の手配もできると言う。疎開した者たちの苦労話も色々と聞こえて来るが、その点は安心だった。早く戦争が終わって、みんなが帰って来るのを願うしかなかった。

 日が暮れる頃、姉の奈津子が帰って来た。父は遅くなると言っていたので、二人で夕食を食べた。奈津子は県立病院の看護婦養成所の二年生だった。

「今頃、お母さんたちも、みんなでご飯食べてるのかしら」と千恵子が言うと、

「そうね」と奈津子は上の空で、黙々とご飯を食べていた。

「ねえ、病院で何かあったの」

「えっ」と奈津子ははしを止めて千恵子の顔をじっと見た。

「何もないけど‥‥‥ねえ、あんたはこれからどうするつもりなの。もう来年、卒業なんでしょ。あんた、ひでおばちゃんみたいにデパートに勤めたいって言ってたけど、今はデパートにも商品がなくなっちゃって、従業員なんて募集しないかもしれないわよ」

「うん、わかってる。あたしも色々考えたんだけど、お国のためになるのはやっぱり看護婦じゃないかと思ったのよ」

「えっ、あんたも看護婦になるの。あんたには無理よ。思ってるより、ずっと大変なんだから」

「そうかもしれないけど‥‥‥ねえ、お姉ちゃん、あたしのお友達でケーコちゃん、知ってるでしょ」

「ええ、頭のいい子でしょ。あの子も看護婦になるの」

「そうじゃないのよ。ケーコちゃん、東京女子医専を受けてお医者さんになるんですって」

「へえ、女医さんになるの。あの子ならなれるわよ、きっと」

「あたしはそんなの無理だけど、看護婦さんならなれると思うわ」

「まあ、頑張ってね」

「何よ、他人事ひとごとみたいに」

「だって、あんたの言う事はコロコロ変わるんだもの。最初はお爺ちゃんやけいおじさんみたいに先生になるって言ってたじゃない。としおばちゃんみたいに郵便局に務めるとも言ってたし、秀おばちゃんみたいにデパートでしょ。そして、今度はひろおばちゃんやあたしみたいに看護婦になるなんて、まったく何でも人の真似をしたがるんだから。それより、あんた、南風原はえばるに陸軍病院ができたのよ、知ってる」

「昨日、浩おばちゃんから聞いたわよ。浩おばちゃんも近いうちに南風原の方に移るかもしれないって言ってたわ」

「そうだったの。あたし、浩おばちゃんに会いたかったな。相談したい事があったのに」

「なに言ってるのよ。活動(映画)を見に行ってたくせに。あたしも行きたかった」

「女学生は活動なんて見ちゃ駄目なのよ。ねえ、浩おばちゃん、今度の日曜も来るって言ってた」

 千恵子は首を振った。

「南風原の方に行ったら、なかなか来られないかもしれないって言ってたわよ」

「そう‥‥‥」

 二人が浩おばちゃんと呼んでいる浩子は父の一番下の妹で看護婦だった。県立病院に勤めていた頃は、この家から通っていたが、六月に陸軍病院に志願してから家を出て下泉町の宿舎に入っていた。陸軍病院は本部と内科、伝染病科を真和志まわし村の開南中学校に置き、外科は下泉町の済生会那覇診療所を使用していた。浩子は外科に勤務していた。十月になって新たに南風原村に分院が開設される事になり、浩子はそちらに移るらしかった。

 千恵子たちの父親は長男で、下に英順えいじゅん敬順けいじゅん、敏子、秀子、浩子と弟や妹がいた。千恵子が生まれた頃は英順以外は皆、この家に住んでいて賑やかだった。英順は千恵子が生まれる前にペルーに移民してしまい、千恵子は会った事もない。時々、ペルーから絵葉書や手紙が来て、いつの日か行ってみたいと憧れていた。千恵子が四歳の時、小学校の先生をしている敬順が結婚して家を出て行った。今は国頭くにがみ名護なごで国民学校(小学校)の先生をしている。翌年、郵便局に勤めていた敏子が国頭の今帰仁なきじんに嫁に行き、四年前にデパートに勤めていた秀子が島尻しまじり糸満いとまんに嫁に行った。末の浩子は適齢期を過ぎているのに若い男の人が皆、出征してしまったため、嫁に行くのを諦めて看護婦に専念していた。浩子も陸軍病院に入ると家を出て行った。叔父や叔母が次々に家から出て行ってしまったが、千恵子の弟や妹が生まれ、家の中は相変わらず賑やかだった。それが今、この家に住むのは父と姉と千恵子の三人だけになってしまった。

「もしかしたら、お姉ちゃんも陸軍病院に志願するつもりなの」と千恵子は何げなく聞いた。姉も出て行ってしまったら、父と二人だけになってしまう。そんなの寂し過ぎて、いやだった。

 図星を指されて奈津子はドキッとして、千恵子を見つめ、「まだ、お父さんには内緒よ」と小声で行った。「あたし、卒業したら志願しようと思ってるのよ」

「ふーん。心の色は赤十字ってわけね。素敵じゃない」

「なに言ってるの。少女雑誌の従軍看護婦とは違うんだから。でもね、お父さんは反対するかもしれないわ」

「そうね。浩おばちゃんも反対されてたもんね。でもあの時、猛反対していたお爺ちゃんはいないし大丈夫じゃないの」

「でもね」と言って、奈津子は難しいというように首を振った。

「浩おばちゃんが言ってたけど、戦争が始まると爆弾にやられて手足のない人や顔が半分なくなった人とかが運ばれて来るんだってさ」千恵子は姉を脅かしてみた。

「そんな事知ってるわよ」と奈津子の顔色はまったく変わらなかった。

「もう血だらけで、傷口からピュッピュッて血が飛び出すんだって、恐ろしいわね。あたし、浩おばちゃんの話を聞いて背筋が寒くなっちゃった」

「戦争っていうのは恐ろしいものなのよ。戦争が始まったらそんな事言ってられないのよ」

「だって、そんな恐ろしい事が起こるはずないじゃない」

「まあね。アッツ島やサイパン島では起こったらしいけど、沖縄は大丈夫よ。海軍さんが上陸の前に敵をやっつけちゃうわ」

「そうよ、勿論よ」と千恵子は海軍式の敬礼をした。

 父親が帰って来たのは九時過ぎだった。明日から陸海軍合同の兵棋へいぎ演習が始まるので何かと忙しかったらしい。知事さんやお偉いさんたちは将校たちと一緒につじ遊郭ゆうかくで騒いでいるという。

 辻の遊郭と聞いて、千恵子は顔をしかめた。父親も仕事の付き合いで何度か、遊郭に行っているのを祖父から聞いて知っていた。男というものは誰でもああいう所が好きなんじゃと祖父は笑っていたが、父親がそんな所に行くのはいやだった。遊郭だけでなく、兵隊が増えてから街中に慰安所いあんじょができて、朝鮮ピーと呼ばれる若い女たちがウロウロするようになっていた。千恵子の通う二高女の近くにある検事けんじせいの官舎も、いつの間にか慰安所になって、大勢の朝鮮ピーがいて、日が暮れると兵隊たちがぞろぞろと通っていた。

「お父さんはそんなとこに行かなかったんでしょうね」千恵子は少し膨れて父親の顔を見つめながら聞いた。

「何を言う。わしがそんなお偉いさんたちと同席できるわけがなかろう。司令官殿や参謀長殿もおられるんだぞ」

 父が隠し事をしているようには見えなかった。今日は遊郭には行かなかったらしい。

「司令官殿って、牛島閣下かっかのこと」と千恵子は聞いた。

「そうだよ」

「へえ、牛島閣下もそういう所に行くんだ」

 牛島閣下が沖縄に来られた時、千恵子たちブラスバンド部は歓迎の式典に出たので知っていた。将軍というよりは何となく親しみ深く、校長先生という感じだった。

「閣下は酒は飲まれないんだが、司令官殿となれば付き合いで行かないわけには行くまい。ちょう参謀長殿は大の酒好きだと言われるしな」

 十時になると停電してしまった。最近になって停電が多くなり、灯いていても薄暗かった。明日も忙しくなりそうだと皆、蚊帳かやの中に潜り込んだ。

 


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沖縄二高女看護隊 チーコの青春

十月十日

 

 

 よく晴れた気持ちいい朝だった。

 千恵子が鼻歌を歌いながら家を出たのは六時半頃で、姉は洗濯をしていて、起きたばかりの父は寝ぼけた顔で歯を磨いていた。

 いつものように防空頭巾を抱え、モンペ姿に救急袋とリュックを背負って家を出た。

 救急袋は裁縫の時間に自分で作ったもので、中には救急薬品とガーゼ、包帯、手鏡、くし仁丹じんたん、裁縫道具などが入っている。リュックの中には勉強道具に弁当、そして、今日は制服のスカートが入っていた。スカートは『四大節しだいせつ』などの大切な式典の時しか着用が許されていなかったが、ブラスバンド部員は演奏する時、スカート着用と決まっていた。

 県内の女学校でブラスバンド部があるのは二高女だけで、『愛国バンド』と呼ばれて主要行事には必ず参加していた。去年の夏、総理大臣の東条閣下が沖縄に来られた時も、沖縄守備軍の司令官、牛島閣下が赴任して来られた時も、また、異国で戦死した故郷の英雄を迎える時も那覇港で演奏した。千恵子は小学校六年生の時、紀元二千六百年祭で演奏している二高女のブラスバンド部を見て、憧れて二高女に入学したのだった。

 県立第二高等女学校は松尾山の高台にあり、近くには知事官舎や那覇市長官舎など高級官僚の住宅が並び、松山国民学校と、姉が通っている県立病院もあった。校舎は四年前に再建されたばかりで、まだ新しく『沖縄一』と言われる近代的な建物だった。通っている生徒は寄宿舎のある一高女が田舎出の娘が多いのに比べて、二高女は那覇出身者が多かった。鹿児島などの他県から来ている商人のお嬢さんたちも多く、それらの娘はほとんどが故郷に帰ってしまい、百五十名いた四年生も百名足らずに減っていた。

 松山国民学校の側まで来た時、千恵子は前を歩いている久美に気づいた。千恵子が駈け寄ると久美はガジャンビラの作業場で覚えた『タコ八の歌』を口ずさんでいた。

「久美、おはよう。また、その歌を歌ってるの」

 千恵子が声を掛けると久美は驚いたように振り返った。

「あら、チーコ、おはよう。何となく、口から出ちゃうのよ」白い歯を見せて明るく笑った。

 久美は久米島の出身で色白の美人だった。一年生の夏休み、千恵子は幼なじみの初江と一緒に久米島に遊びに行った事があった。千恵子も初江も初めて沖縄本島から離れる旅だったので、今でも鮮明に覚えている。久美の家に行くと、近所の人たちが大勢集まっていて大歓迎を受けたのはびっくりした。優しい人たちに囲まれて、綺麗な島での数日間は本当に楽しかった。また行こうねって言っていたのに、大東亜戦争が始まってしまい、夏休みも託児所の手伝いや、農作業の手伝い、陣地構築などに動員されて、行く機会はなくなってしまった。久美は二中に通っている弟と一緒に那覇にある祖母の家に住んでいた。

「いい天気でよかったね」と久美は雲一つない青空を見上げた。

「そうね」と千恵子も空を見上げた。その時、ブーンと唸るような音が遠くの方から聞こえて来た。

「何かしら」と久美を見ると、北の方を見渡しながら、「もう演習がはじまったのかしら」と首をかしげた。

 北の方から、かなり高い所を何十機もの飛行機が編隊を組んで、こっちの方に飛んで来るのが見えた。

「本土から友軍が来たのよ、きっと」と久美は嬉しそうな顔をして言った。

 千恵子は本土じゃなくて、読谷山よみたんざん嘉手納かでなだと思ったけど口には出さなかった。

 突然、『ドカーン』と花火を上げたような音がしたかと思うと、小禄おろく飛行場の辺りの上に白い煙がポッカリと浮かんだ。

「ガジャンビラの高射砲よ」と久美が指で示した。

『ドカーン、ドカーン』と高射砲の音は続いて聞こえ、その度に白い煙が青空に浮かんだ。白い煙が浮かんでいる中を飛行機が気持ちよさそうに飛び回っていた。

「凄いねえ」と言いながら二人は南の空を見ていたが、「学校からのがよく見えるさあ」と校門の方へ駈け出した。

 校門を抜け、正面にある奉安殿ほうあんでん(天皇皇后両陛下の写真と教育勅語ちょくごを保管した建物)に敬礼を捧げ、音楽室に向かった。

 音楽室には晴美と澄江、小枝子と小百合、それに下級生が数人いて、キャーキャー騒ぎながら窓から空を眺めていた。

「ねえ、早く来て。今日の演習は凄いわよ」と晴美が手招きした。

 北の空からは次々に大編隊の飛行機が飛んで来た。

「もう数え切れないわ。百機以上も飛んでるのよ」と澄江が興奮して言い、

「ねえ、あれ実弾なんでしょ」と小枝子が高射砲から上がる煙を見ながら聞く。

「だって、演習に実弾なんか使わないんじゃないの」と小百合が言ったが、誰にもあれが実弾なのかどうかはわからなかった。

「ねえ見て」と晴美が那覇港の方を指さした。

 飛行機が次々に急降下を始めたと思ったら、飛行機の腹から爆弾が落ち、『ドカーン』と大きな爆発音が響き渡った。爆発音は幾つも響き、黒い煙が昇り始めた。

 皆、声を失って呆然と港の方を眺めていた。

「ねえ、あれが演習なの」と久美が千恵子の袖を引っ張った。

「演習じゃなかったら何なの」と千恵子は言った。もしかしたら、敵の攻撃なのかと思ったけど、それを口には出せなかった。そんな事があるはずはなかった。

 爆発音はますます激しくなり、高射砲も激しく打ち上げられた。皆、黙ったまま成り行きを眺めていた。千恵子は知らずに久美の手を握り締めていた。知らないうちに佳代と敏美も来ていて、ポカンとした顔で外を眺めていた。

 突然、けたたましく空襲警報のサイレンが鳴り響き、千恵子は驚いてビクッとした。

「敵機だあ」と晴美が大声で叫んだ。

 皆、慌てて窓を締め切って窓から離れた。荷物を背負い、防空頭巾をかぶったが、それからどうしたらいいのかわからず、皆、おろおろしている。防空演習や避難訓練は何度もやっているのに、実際に敵の攻撃に会うなんて思ってもいなかったので、どうしていいのかわからない。

「ねえ、防空壕に行った方がいいんじゃないの」と澄江が窓の方を眺めながら言った。上空を飛んでいる飛行機の振動が伝わるのか、窓ガラスがガタガタ震えていた。

「でも、楽器はどうするの。持って行かなくてもいいの」と晴美が言った。

「みんなが揃うまで待ってた方がいいんじゃないの」と小百合は言う。

 千恵子はガジャンビラの作業に行った松組の人たちは大丈夫だろうかと心配していた。四年生は松、竹、梅の三クラスあって、交替で作業に出ていた。今日は松組が奉仕作業で、竹組は校内作業、千恵子たち梅組が授業の日だった。校内作業は全校生徒が避難できる防空壕を掘ったり、食糧増産のため、校庭を耕して野菜を作ったりした。梅組のみんなも教室でおろおろしているのだろうと思ったが、まだ時間が早い事を思い出した。まだ七時頃だった。学校に来るのには早いし、ガジャンビラに行くのにも早かった。みんな、まだ家にいるのに違いないと安心した。

 どうしようかと話し合っていると与那覇よなは先生が来た。先生は落ち着いていて、皆、先生の顔を見たら一安心した。

「集まったのはこれだけか」と先生は聞き、下級生は防空壕へ避難し、四年生は校内を見回ってから防空壕へ行くようにと指示した。

 四年生八人は二人づつ四組に分かれて校内を見回った。千恵子は敏美と一緒だった。敏美は皆より一つ年上で、しっかりしているのでブラスバンド部の部長を務め、梅組の級長でもあり、みんなからは『分隊長』と呼ばれていた。具志頭村ぐしがみそんから汽車通学していて、今朝は早いので友達の家に泊まったのかもしれなかった。

 順番に教室を見て回ったが、まだ、誰も来ていなかった。夏休みの始まる頃から、つい最近まで、二高女は本土あるいは大陸から来た兵隊の仮宿舎として使われていた。皆、県内のあちこちに配属されて移って行ったので今は兵隊はいない。隣の松山国民学校は兵舎となって砲兵部隊が駐屯していた。

 玄関の所で与那覇先生が待っていた。

「先生、誰もいませんでした」と敏美が報告した。

「よし、早く行け」

 外に出ると物凄い爆発音と共に地響きもした。爆発音は絶え間なく続き、とても現実とは思えなかった。空を見上げると日差しを浴びて輝いている敵機が悠々と飛んでいる。港の方を見ると黒い煙がいくつも空高く広がっていた。千恵子は防空頭巾をしっかりとかぶり直し、敏美を追って防空壕まで走った。

 防空壕はまだ完成していなかった。穴を掘って板を乗せ、その上に土を被せただけの粗末な壕だった。警防団員の指導で、各家庭は勿論の事、隣組でも道路の脇に避難壕を掘り、学校や職場も全員が避難できるだけの防空壕を掘らなければならなかった。

 千恵子たちが入った後、小百合と久美が与那覇先生と一緒に入って来た。

 しばらく黙り込んで、爆発の音を聞いていた皆も穴の中に入って安心したのか、ちらほらと話し声が聞こえるようになった。

「ねえ、敵が攻撃してるのは飛行場とか軍艦とか、軍の施設だけよね」と隣にいた久美が小声で千恵子に聞いた。

「そうだと思うけど、敵は鬼畜きちく米英べいえいよ。何をするかわからないわ」

「そうよね。何をするかわからないわね。あたしたちのおうちも爆撃されるのかしら」

「えっ、そんな馬鹿な」

「だって、敵は鬼畜米英なのよ。何をするかわからないわ」

 千恵子は急に心配になって来た。家に爆弾が落ちたらどうなるんだろ。みんな吹っ飛んじゃって何もなくなってしまう。大事な物は防空壕の中にしまって置けばよかったと後悔した。

「なに心配してるのよ」と小百合が言った。「敵機なんか友軍が来てやっつけちゃうわよ」

「そうよ、そうよ」と皆が言って、

「今頃、敵の空母を撃沈してるかもしれないわね」と小枝子が言った。

「そうね、決まってるわ。皇軍こうぐんが鬼畜米英なんかやっつけちゃうわ」久美がうなづくと、晴美が歌い出した。

 ♪轟沈ごうちん、轟沈、凱歌がいかが上がりゃ

    つもる苦労も苦労にゃならぬ~ (轟沈 米山忠雄作詩、江口夜詩作曲)

 大声を出して合唱すると不安はすっかり吹き飛んだ。すると、千恵子は晴美に聞こうと思っていた事を思い出した。

「ねえ、晴美、一中の安里先輩って知ってる」

「安里先輩って、野球部の?」

「そう」

「知ってるけど、安里先輩がどうかしたの」

「弟が昨日、おうちに連れて来たのよ。ちょっと話したんだけど、あの人、東京の大学に行って文学の勉強するんだって」

「へえ、そうなの。確か、安里先輩のお父様って糸満いとまんの方で運送会社をやってるって聞いた事あったわ」

「運送会社の社長さんなんだ。おうちがお金持ちなのね」

「そうでしょ。東京の大学に行くんだから。それがどうかしたの。もしかして、チーコ、安里先輩が好きになったの」

「なに言ってんのよ。昨日、初めて会ったんだから」

「でも、気になるんでしょ」

「違うわよ。何となく」

「何となく気になるの」

「違うってば」と千恵子はむきになって否定した。

「チーコ、何が違うって」と久美と小百合がニヤニヤしながら聞いて来た。

「チーコがね、一中の安里先輩と昨日、お話したんだって。それで、一目惚れしたんだってさ」晴美が言うと、みんなでキャーキャーはやし立てた。

「安里先輩って誰よ」と澄江が聞き、晴美が説明する。

「えっ、あの安里先輩!」と小百合が目を丸くして驚き、皆で安里先輩の噂をあれこれ言っていると、

「ねえ、みんな、ちょっと静かにして」と分隊長の敏美が言った。

 皆、一斉に口をつぐんだ。

「急に静かになったわよ」

 耳を澄ますと爆発音は聞こえて来なかった。

 敏美が防空壕の入口に行き、恐る恐る顔を出した。

「どう」と聞きながら、千恵子も入口の方に行って外を見た。

 金城きんじょう先生と与那覇先生がガジュマルの木陰から空を見上げていた。港の方の空は真っ黒だが、あれほど飛び回っていた敵機の姿はどこにも見えなかった。金城先生と与那覇先生がうなづき合いながら防空壕に戻って来た。校長先生と何やら相談していたが、すぐに解散命令が出た。各自、自宅で待機するようにと言われ、皆、防空壕から出て体を伸ばすと空を見上げながら家が同じ方向にある者同士で固まって自宅へと急いだ。

「まったく脅かすわね」

「ほんとよ。朝っぱらから」

 千恵子たちはもう大丈夫だと思って安心して街に降りて行ったが、街の中は大騒ぎだった。手に手に荷物を持った人たちが逃げ惑っている。

「北へ逃げろ」とか「首里しゅりへ行け」とか怒鳴っている声が聞こえ、子供の名を呼んでいる母親の声や子供の泣き声も聞こえて来た。

「一体、どうなってるの」と不安になり、千恵子たちは一目散に自宅へと急いだ。

 家に帰るとハシゴが屋根に掛かっていた。不思議に思って屋根を見上げると弟の康栄こうえいがのんきそうに屋根の上に座って、港の方を眺めている。

「あんた、そんなとこで何してるのよ」

「ああ、チー姉ちゃん。あれ、見たかい。凄かったなあ」

「そんな事より、あんた、何でおうちにいるのよ」

「何でったって、飛行場に行こうとしたら、サイレンが鳴り出して、あの騒ぎだろ。おうちが危ないと思って帰って来たんさ」

「お父さんとお姉ちゃんは」

「ナチ姉ちゃんは俺が来た時、いなかった。病院に行ったんだろ。父さんはいて、チー姉ちゃんが帰って来たら『一緒に首里に行け』って言って県庁に行ったよ」

 康栄が屋根から降りて来た。

「これから首里に行くの」

「ああ、ナチ姉ちゃんも病院から首里に行く事になってんだとさ」

「だって、自宅で待機しろって言われてるのに」

「敵の空襲はまだ続くかもしれないんだぜ。警報が解除されたら戻って来ればいいじゃねえか。隣んちなんか、大騒ぎして荷車に荷物を積んで浦添うらそえまで逃げて行ったぜ」

「そうなの」

「そうさ。チー姉ちゃんはのんびりすぎるぜ。さて、戸締まりして行こう」

「ちょっと待って、おばあちゃんちに行くんなら着替えくらい持って行かなくちゃ」

「何だ、泊まる気でいるのかよ」

「そうじゃないけど、一応ね」

 千恵子は家に上がると着替えの下着や寝巻ねまきをリュックに詰め、机の前に行って引き出しを開けた。何を持って行こうかと悩んだすえ、家族みんなが写っている写真を入れた。机の上に澄江から借りて、今、読んでいる『風と共に去りぬ』があった。続きを読みたいけど、持って行くには大きすぎた。文庫本にしようと本棚を眺めたが読みたい本もなかった。従妹の貞子がいつも歌をせがむのを思い出して愛唱歌集を入れた。

「行くぞ」と康栄が庭から声を掛けた。

 ふと柱時計を見るとまだ九時を少し過ぎた頃だった。思いがけない事ばかり起きたので、もうお昼頃だと思っていたのに、家を出てからまだ二時間半しか経っていなかった。

 康栄は昨日と同じように鉄カブトとリュックを背負い、スコップを担いで待っていた。

「今日は安里先輩と一緒じゃないの」と千恵子は何げなく聞いた。

「一緒だったけど、西本町の方に飛んで行ったよ。親戚のおうちがあるらしい。それで、俺も抜け出して帰って来たのさ」

「抜け出してって?」

「しばらく、みんなして明治橋の近くで待機してたのさ。どうせ、あの後すぐに解散になったと思うけどね」

「勝手な事ばかりしてると、いまに退学になっちゃうわよ」

「大丈夫さ。やる事はちゃんとやってるからね」

 しっかりと戸締まりをして家を出た。大通りに出ると荷物を持った人々が右往左往している。首里に向かう人たちもかなりいるとみえて、千恵子たちもその流れの中に入った。

 崇元寺そうげんじの近くまで来た時、突然、ブーンという唸り声が聞こえて来て、空を見上げると敵機の大編隊が現れた。人々は悲鳴を揚げながら散って行き、木陰やら物陰に隠れた。千恵子と康栄も草むらの中に隠れて敵機の大軍を見上げた。二高女から見た時よりも敵機は低い所を飛んでいて、その爆音は物凄く、翼に書いてある星印がよく見えた。

「あれはグラマンだ」と康栄が叫んだ。

 千恵子も学校で敵機の見分け方を教わっていたが、日の丸と星の違いがわかる程度で、機種まではわからなかった。でも、実物をはっきり目にして、憎たらしいその姿をまぶたに焼き付けておこうと思った。

 敵機は途切れる事なく、次から次へとやって来て、港や飛行場の方へ飛んで行った。すぐに恐ろしい爆発音が響き渡り、地響きが伝わって来る。敵機は見事な急降下をして港や飛行場を次々に攻撃していた。『ドカーン、ドカーン』という爆撃音と共に黒い煙が立ち昇り、『ダ、ダ、ダッ』という機関銃の音も聞こえて来た。

 城岳ぐすくだけとガジャンビラの高射砲の応戦も始まり、青空に白い花のような煙が花火のように上がった。次々に白い花は上がるが、なかなか命中しない。もし、命中したとしても、あれだけの敵機を全部、撃ち落とせるとは思えなかった。

「早く逃げろ」と誰かが叫んでいた。

 人々は恐る恐る道に戻ると、上空を飛び回っている敵機を見上げながら足を速めて首里へと向かった。子供が泣きながら道端に倒れていたが、誰も他人の事をかまっている余裕はなかった。早く安全な所に逃げるのに必死になっていた。

 安里の師範学校女子部と一高女の前を通った時、チラッと校庭を見たが人影はなかった。皆、どこかに避難したらしい。首里への坂道を登り、一中の近くまで来た時、天地を揺るがすような物凄い爆発音が鳴り響き、地面がグラッと揺れた。港の方を見ると真っ黒な煙がモクモクと空高く立ち昇っていた。

「町が燃えてるぞ」と誰かが叫んでいた。

 近所の人たちが屋根の上に登っていた。

「西新町だ」

「いや、あそこは西本町の方だ」と言い合っている。

 屋根の上からは火の手が見えるようだが、道からは煙しか見えなかった。千恵子たちは絶え間ない爆撃音を聞きながら、人々に押されるようにして首里城址へと続く道を進んで行った。

 

 

 

 

 母親の実家である首里の祖母の家は『三箇村さんかそん』と呼ばれていた崎山町にあり、古くからの造り酒屋だった。祖父は二年前に亡くなり、母親の兄、千恵子から見れば伯父が家を継いでいた。

 伯父には五人の子供がいて、一番上は千恵子の姉と同い年で師範学校の女子部本科二年の陽子、二番目は千恵子と同い年で首里高女に通っている幸子、三番目は一中一年の栄一、四番目は国民学校四年の栄二、五番目は国民学校二年の貞子だった。同い年の幸子とは幼い頃から仲よかったが、お互いに女学校に通うようになってからは会う機会も減って来た。今年は正月に会ったきりで夏休みも忙しくて遊びに来る事はできなかった。

 懐かしい祖母の家を見た途端に、空襲の事も忘れて幸子の顔が浮かんで来た。気がつくと爆撃の音は消えて、辺りは静かになっている。

「今度こそ本当に終わったようだ」と康栄が空を見渡しながら言った。

「ほんとに終わったの」と千恵子は聞いた。

「終わったさ。あれだけ爆弾を落とせば、敵だって気が済んだんじゃないのか。きっと、飛行場にあった戦闘機なんか、みんなやられちまったに違いない。敵の戦闘機ばかりで、味方の戦闘機なんか一機も飛んでなかったぜ」

「そうね。牛島閣下は何してたのかしら」

「敵の攻撃が急だったんで準備が間に合わないんだろ。午後になったら反撃に出るさ」

「反撃に出るったって、もう飛行機はないんでしょ」

「チー姉ちゃん、なに言ってるんだい。飛行場は小禄だけじゃないんだぜ。読谷山よみたんざん嘉手納かでな伊江いえ島、宮古や八重山にだってある。それに、今頃、無敵の連合艦隊が沖縄に向かってるはずさ。空母から零戦れいせんが次々に飛んで来るのさ」

「そうね。そうよね、きっと」

 千恵子は祖母に歓迎された。祖母の首里すい言葉くとぅばを聞くのも久し振りだった。国民学校は休みになり、栄二と貞子は家にいた。二人は防空頭巾をかぶって、庭の片隅にある防空壕から出て来て、千恵子の顔を見ると嬉しそうに飛びついて来た。

 敵がいなくなった今のうちにお昼の用意をしておこうと、千恵子は伯母さんを手伝っておにぎりを作った。十一時頃、一中に通っている栄一が帰って来て、しばらくしてから、首里高女に通っている幸子も帰って来た。陽子とも会いたかったが、師範学校は全寮制なので会えそうもなかった。

 千恵子は幸子に今朝、目にした出来事を興奮しながら話し、幸子も話してくれた。

 七時過ぎに首里でも空襲警報のサイレンが鳴り、那覇港の方で煙が上がるのが見えた。大規模な演習が始まったのだろうと思い、幸子は学校に行った。

 首里高女は去年まで女子工芸学校と呼ばれ、はた織りや裁縫に力を入れている学校だった。今年の夏から学校自体が被服工場となり、生徒たちは毎日、軍服や軍用の蚊帳かや、兵隊の死装束しにしょうぞくまで作っていた。いつものように作業をしていると先生が来て、本物の空襲だと知らされ、生徒たちは全員、避難した。

 首里高女の校庭の下には生徒全員が避難できる大きな自然壕があり、幸子たちはしばらく、そこに避難していた。一時間位、壕の中で過ごし、十時半頃、空襲も終わったので作業再開かと思ったら、自宅で待機するようにと言われて帰って来たという。

「今日はきっと学校はお休みよ。チーちゃんとこもそうよ。久し振りなんだから今晩は泊まっていきなさいよ」幸子は嬉しそうにそう言った。

「そうね、そうしようかしら。首里から通ってる子もいるし。明日はその子と一緒に行けばいいんだわ」

「そうよ、佳代ちゃんでしょ。佳代ちゃんと一緒に行けばいいのよ」

 クラスは違うが、同じブラスバンド部の佳代は幸子の幼なじみだった。何度か遊びに行った事があるので家は知っている。明日の朝、佳代の家まで行って一緒に行こうと決めた。

 一時間以上も静かだったので、もう空襲は終わったと安心していたのに、正午前から三度目の攻撃が始まった。栄一を連れて屋根に上っていた康栄が、「敵の大編隊、上空を通過、間もなく那覇港に接近」と叫んだかと思うと、大きな爆発音が響き渡った。

 突然の爆発音に驚きはしたが、ここまで来れば安心という気持ちもあって、恐怖心よりも何が起こったのか知りたかった。千恵子は防空頭巾をかぶり、幸子と一緒にハシゴを登って屋根に上がった。屋根の上には伯父さんもいた。回りを見ると皆、屋根に上がって那覇の方を見ていた。

「何だ、お前らも来たのか。気をつけろよ」と伯父さんは言った。降りろと言わなかったのでホッとした。

 屋根の上から那覇の街が一望のもとに見渡せた。那覇港から小禄飛行場にかけては黒い煙に覆われている。西の方から無数の敵機が編隊を組んでやって来て、港の辺りで急降下している。絶え間なく爆音が響き渡り、まるで映画でも見ているようだった。

 千恵子はふと、いつか見た真珠湾攻撃の映画を思い出した。日本軍の奇襲攻撃にやられて真珠湾は黒い煙を上げ、敵の軍艦が沈むのを見て、大喜びして拍手したものだった。信じられない事に今、それと同じ事が那覇港で起こっていた。

「チーちゃんちはあの辺でしょ」と幸子が指さした。

 安里あさと川が二つに分かれ、一つはとまり港に流れ、もう一つは久茂地くもじ川となって那覇港の方に流れている。久茂地川の右側に二高女のある松尾山があり、千恵子の家は久茂地川の左側にあった。ここから見ると爆撃されている港から千恵子の家の辺りはすぐ側に見えた。

「大丈夫かしら」と幸子は心配そうな顔をした。

 港から千恵子の家まで一キロは離れている。大丈夫だとは思うが、次々に爆弾を落としている敵の攻撃を見ると安全とは言い切れなかった。

「あっ、灯台の近くにいた軍艦に当たったぞ」と康栄が叫んだ。

 ぼんやりと松尾山を見ていた千恵子は灯台の方に目を移したがよく見えなかった。桟橋の辺りは燃えているのか少し違う色の煙が立ち昇っている。ガジャンビラの高射砲も城岳ぐすくだけの高射砲も天久あめくの高射砲もすでにやられてしまったのか反撃していなかった。突然、耳をつんざく大爆発が起こった。灯台の近くに真っ黒な煙が空高く昇り、軍艦が沈んで行くのが小さく見えた。

「物凄いな。弾薬でも積んであったんじゃないのか」と伯父さんが言った。

 軍艦の沈没の後、辻町の辺りも火災が起きたのか煙が立ち昇っていた。

「いつまで続くの」と幸子が小声で言った。「信じられない。沖縄が攻撃されるなんて」

 千恵子は幸子の手を取った。幸子は震えていた。

 警防団員の人が回って来て、屋根を見上げて避難するようにと声を掛けて来た。伯父さんにも言われて、千恵子と幸子は屋根から降りた。二人は救急袋と荷物を抱えて、祖母と幸子の母親、栄二と貞子が避難している防空壕に隠れた。

 三度目の空襲は十二時半頃終わったが、またすぐに四度目の空襲が始まった。気のせいか爆発音がだんだんと近づいて来るような気がする。穴の中にいるより屋根の上から見ていた方がよかったと思った。でも、幸子はおびえて千恵子にしがみついていた。栄二と貞子はかくれんぼでもしているような気で騒いでいる。伯母がおにぎりを勧めたけど、千恵子も幸子も食欲はなかった。リュックの中に弁当があるのを思い出し、食べられそうもなかったので栄二と貞子にあげた。二人は喜んで食べてくれた。

 友軍が来て敵の空母を沈めてしまえば敵機も逃げて行くはずなのに、上空を飛び回っている敵機の爆音は途切れる事なく延々と続いた。

 二時近くになって、やっと静かになった。千恵子は防空壕から出て、屋根の上を見上げた。康栄と栄一と伯父さんは屋根の上に座り込み、ポカンとした顔で那覇の方を見ていた。庭からだと黒い煙が見えるだけでよく見えない。黒い空の中、血のような色をした太陽が浮かんでいた。千恵子はハシゴを登った。

「ひでえよ」と康栄が顔を歪めた。

 千恵子は康栄の隣に座り込むと恐る恐る那覇の方を見た。

 松尾山からも煙が立ち昇っていた。二高女だか国民学校だか病院だかわからないが、どこかに爆弾が落ちたようだった。病院にいる姉は大丈夫なのか心配になった。千恵子の家のある久茂地くもじ町は無事のようだが、港の近くの通堂とんどう町、西新町、西本町、東町、上之蔵うえのくら町、つじ町、そして、対岸の垣花かきのはな町辺りは燃えているようだった。それに、高射砲陣地のある城岳の辺りも煙を上げている。城岳の近くには二中があり、父のいる県庁も近くだった。

「四回目から那覇の街を攻撃し始めたんだ」と康栄は言った。「畜生、友軍の姿なんか全然見えねえ。今度、敵が来たら那覇は全滅になるぞ」

「そんな‥‥‥」

「だって見ろよ。敵は焼夷弾しょういだんて奴をばらまいてんだぜ。風も出て来たし次々に燃えちゃうよ」

 千恵子は家に残して来た服やまだ新しい革靴、祖父が大事にしている三線さんしん、祖母が大事にしている銀のジーファー(かんざし)、父が大事にしている写真機、母が大事にしている上等な着物、その他様々な物を思い浮かべた。それらが皆、燃えてしまうなんて考えたくもなかった。空を見上げ、大雨でも降ってくれればいいと願った。しかし、首里の上空は那覇の上とはまったく違って青空が広がっていた。

 警防団員の人が来て、那覇から大勢の避難民が首里に押し寄せて来たと知らせた。彼らの避難場所を手配しなければならないので手伝ってくれと頼まれ、伯父さんは康栄と栄一を連れて、どこかに行ってしまった。千恵子は一人、屋根の上に取り残され、燃える那覇の街を呆然と眺めていた。

 燃えている辺りに友達の家があった。みんな、無事に逃げただろうか。住む家をなくしたら学校にも来られなくなってしまうのではないだろうか。あともう少しで卒業できるというのに可哀想だった。どうして、こんな目に会わなけりゃならないの。那覇の人たちが一体、何をしたっていうの。どうして、こんなひどい事をするのよ。

 どれくらい時間が経っただろう。西の方からブーンという恐ろしい響きがまた聞こえて来た。見上げると敵の大編隊が我が物顔で飛んでいる。さえぎる者もなく余裕しゃくしゃくで那覇の上空まで来て爆弾を次々に落とし始めた。港や飛行場は壊滅してしまったのか、そちらに行く気配はなく、那覇の街を無差別に攻撃していた。松尾山も攻撃されて煙が上がった。崇元寺や壷屋つぼやの辺りも攻撃されている。少しづつ首里の方に近づいて来るような気がして、千恵子は慌てて屋根から降りて防空壕に駈け込んだ。

 五度目の空襲は一時間位続いた。四時頃、皆が止めるのも聞かず、防空壕から飛び出して屋根に上がってみた。そこからの眺めは悪夢だった。自分の家だけは大丈夫だと信じていたのに、それははかない夢と消え果ててしまった。

 那覇の街は火の海になり、辺り一面、物凄い煙を吐いていた。久茂地町も松尾山も市役所や山形屋デパートも郵便局も那覇駅も県庁も皆、火の海の中にあった。

 燃えている那覇の街を見ているうちに涙が知らずに流れて来た。千恵子は屋根の上に座り込んだまま泣き続けた。

「畜生、みんな燃えちまったな」

 声がしたので顔を上げると、康栄がハシゴから顔を出して、千恵子の側に来て座った。

「あたしたちこれからどうなるの」

「わからねえよ、そんな事‥‥‥まさか、こんな事になるなんて‥‥‥友軍は何してたんだよ。敵の大軍が近づいて来るのにまったく気づかねえなんて‥‥‥そんなの信じられねえよ」

「お父さんとお姉ちゃん、大丈夫かしら」

「わからない‥‥‥」

「あたしたち二人っきりになっちゃったの」

「そんな事、言うなよ。そんな事、まだわからねえじゃねえか」

 康栄は怒っているような顔して、声をあらげて言った。縁起えんぎでもない事を言ってしまったと千恵子は後悔した。

「ごめんなさい。ねえ、那覇から避難して来た人はいっぱいいるの」

「いっぱいなんてもんじゃねえよ。とりあえず、お城や学校の校庭に避難してるけど、何千人、いや、何万人もいるかもしれねえ。まだ続々とやって来るんだ。これから炊き出しをするんで、手のあいている者は皆、連れて来いって言われて帰って来たんだよ」

「あたしも行くの」

「当然だろ。首里に知り合いのいる者はいいけど、いない者たちは校庭で野宿しなけりゃならねえんだぜ。毛布とかもかき集めなけりゃならねえ。大変だよ」

 家を失って悲しんでいる暇なんてなかった。千恵子は幸子と一緒に首里高女に行き、避難民たちの炊き出しを手伝った。康栄の言う通り、避難民は暗くなってからも続々とやって来た。

 夜中に艦砲かんぽう射撃が始まって敵が上陸するとの噂が流れ、皆、慌てて逃げて来たようだった。人々の話によると火の勢いが強すぎて、何度も訓練したバケツリレーによる消火活動など何の役にも立たず、我が家が燃えて行くのを呆然と見ているしかなかったという。家庭で掘った防空壕も、隣組で協力して掘った防空壕も、空から落ちて来る爆弾にはまったくと言っていい程、効果はなく、かえってお墓(沖縄独特の亀甲墓)の方が安全だった。そして、爆弾にやられて手足がもげたり、頭が吹き飛んでいたり、見るも無残な姿で死んでいる人も何人かいたという。

 千恵子たちは休む間もない程忙しく、おにぎりを作り続けた。作っても作っても、すぐになくなってしまう。まるで、波上なみのえまつりのような人込みだが、人々の顔は不安と絶望に満ちていた。

 父と姉は無事だろうか。友達もみんな、無事に逃げただろうか。胸に攻め寄せて来る大きな不安を追い払うかのように千恵子は働き続けた。今日一日の出来事がまるで嘘だったかのように、夜空には丸くなりかかった月がぼんやりと浮かんでいた。

 九時近く、どっと疲れて祖母の家に帰ると姉が待っていた。

「お姉ちゃん、無事だったのね」

 姉の顔を見たら急に悲しみが込み上げて来て、千恵子は姉に飛びつくと大声で泣き出した。

「ひどい事になったわねえ」と姉は言いながら千恵子を抱き締めた。

 何か言おうと思っても涙が止まらず、言葉にはならなかった。

「お父さんも無事で、さっきここに来たのよ。今、伯父さんと一緒に避難している人たちの所に行ったわ」

「よかった‥‥‥みんな、無事だったのね」

「そうよ、みんな、無事よ。しっかりしなさいよ。幸ちゃんに笑われるわよ」

 千恵子は涙を拭きながら振り返った。幸子が疲れ切った顔してこっちを見ていた。子供みたいに泣いたのが恥ずかしくなって、照れ笑いしようと思ったけど、うまく笑えなかった。

「病院も焼けちゃったわ」と姉は言った。「逃げ遅れた患者さんも何人か亡くなってしまったわ。何とか防空壕に避難させようとしたんだけど、全員を避難させる事はできなかったの。病院が焼け落ちちゃって、器材もみんな焼けちゃった。せっかく避難しても、あんな穴の中じゃ、治療もろくにできないし、これから一体どうなっちゃうんだろ」

「二高女は無事なの」と千恵子は聞いた。

 姉は首を振った。

「二時頃だったかな、二高女の前の四つ角に爆弾が落ちたのよ。それが最初だったわ。あたしは見てないけど、爆弾にやられて十人ぐらいの死体があったらしいわ。怪我した人が何人か運び込まれて来たけど、病院も避難しなけりゃならないから、てんやわんやの大騒ぎだったわ。病院がやられたのは三時過ぎ頃よ。病院の前の連隊区司令部もやられて、あの辺り一帯が火の海になったの。火の勢いが強すぎて、とても消す事なんかできなかった。その火が国民学校の校舎に回って、校庭に山積みにしてあった砲弾が大爆発したのよ。物凄い爆発だったわ。防空壕も揺れて、生き埋めになっちゃうかと思ったくらいよ。その爆発で隣の二高女もやられちゃったんだと思うわ」

「そうだったの‥‥‥楽器もみんな燃えちゃったのね」

「残念だけどね」

「もう部活もできないのね‥‥‥ねえ、あたしたちのおうちは」

「それはわからないわ。近づく事ができないのよ。火が消えるまでは近づけないでしょうね。でも、県庁は無事だったらしいから、もしかしたら大丈夫かもしれないわ」

「えっ、県庁が無事だったの」

 千恵子は信じられないという顔をして姉に聞き直した。

「お父さんが無事だったって言ってたわ。隣の警察署は焼けちゃったらしいけど、県庁は焼けなかったって。それに、高射砲陣地のあった城岳の隣の二中も焼けちゃったらしいわ」

「そう。二中も焼けちゃったの」

「二中も開南中学も焼けちゃったみたい。両方とも陸軍病院が使ってたんだけど、南風原はえばるの方に避難したらしいってお父さんが言ってたわ」

「浩おばちゃんは無事なの」

「わからない。でも、大勢の兵隊さんが一緒だから無事だと思うわ」

「そうね。浩おばちゃんの事だもの、絶対に大丈夫よ」千恵子は自分に言い聞かせるように言った。

「ナッちゃん、お姉ちゃんの師範女子は大丈夫なの」と幸子が心配顔で聞いた。

 師範学校の女子部と一高女は同じ敷地内にあり、首里と那覇のほぼ中間の真和志まわし村の安里にあった。那覇から避難して来た人たちから無事だと聞いていても、幸子がもう一度、確認したい気持ちは千恵子にもよくわかった。

「ここに来る途中、前を通って来たけど無事だったわよ。火の手もあの辺りまでは来ていないから大丈夫よ」

 幸子も千恵子も安心したようにホッと溜め息を漏らした。

 


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沖縄二高女看護隊 チーコの青春

焼け跡から

 

 

 廃墟と化した那覇の上空を美しい編隊を組みながら戦闘機が勇ましく、次々と南へ飛び去って行った。その数は五百を越え、朝日を浴びて輝く銀翼には日の丸がはっきり見えた。沖縄のかたきを討つために、台湾へと出撃して行く友軍機だった。それを見送る人々の顔は歓喜にあふれ、手に持った日の丸を振り続け、感極まって万歳を叫ぶ者が何人もいた。

 あの恐怖の日から四日が経っていた。

 祖母の家の屋根の上から友軍機を見送った千恵子は父親、姉の奈津子、弟の康栄と一緒に那覇へ向かった。

 三日三晩燃え続けた那覇の街は青空の下、無残な姿をさらしていた。昼間は煙を上げ続け、夜になると赤い炎があちこちにくすぶっているのが、まるで鬼火のように見えた。その火も昨夜には治まったとみえて、那覇の街が消えてしまったかのように真っ暗になった。

 あの後、幸いにも敵機は現れず、艦砲射撃もなく、敵の上陸もなかった。それでも、弾薬に引火したのか、ガソリンの入ったドラム缶に引火したのか、大きな爆発が何回も起こり、脅えている人々を驚かせ、被害をさらに拡大させた。

 空襲の翌日、我が家の無事を確かめる事もできず、千恵子は佳代を誘って、幸子と一緒に首里高女に行き、避難民たちの炊き出しを手伝った。姉の奈津子も病院に行けず、看護婦として負傷者や病人たちの治療を行なった。弟の康栄と幸子の弟の栄一は一中の寮生が呼びに来て学校に出掛けて行った。

 父親は県庁の職員として街の再建をしなければならないし、とにかく、様子を見て来ると言って真和志まわし村の方を通って県庁へと出掛けて行った。

 十時頃、軍司令部の命令で、避難民を含め、首里にいる者たち全員が小禄おろく飛行場の修復作業に動員される事になった。沖縄の仇を討つために本土から友軍機がやって来るので、兵隊は勿論の事、近在の住民を総動員して二日間で復旧しなければならないという。

 千恵子と佳代は幸子たち首里高女の生徒たちと一緒に飛行場へと向かった。燃え続けている那覇の街を右手に眺めながら、ぞろぞろと人々の列が飛行場へと続いた。首里だけでなく真和志村、南風原はえばる村、豊見城とみぐすく村、小禄村からも人々が集まって来て、飛行場は人であふれた。

 飛行場‥‥‥それはあまりにも無残な姿に変わり果てていた。滑走路には大きな穴がいくつもあき、日の丸を付けた戦闘機の残骸があちこちに散らばっている。建物はすべて焼け落ち、まだ煙を上げているのもあった。集まった人たちは呆然として、本当に二日間だけで修復できるのだろうかと不安になった。

 休む間もなく作業は始まった。康栄たち一中の生徒もいた。師範学校男子部の生徒も、工業学校の生徒も、師範学校女子部と一高女の生徒もいたが、那覇にあった二高女、昭和高女、積徳せきとく高女、二中、商業学校、水産学校、開南中学の生徒たちの姿はなかった。千恵子と佳代のように、どこかに紛れ込んでいる同級生がいるかもしれないと、作業をしながら捜してみたが見つける事はできなかった。

 復旧作業は昼夜を通して行なわれ、首里に帰る事はできなかった。千恵子たちは首里高女の石川先生に励まされながら作業を続けた。石川先生は若い女の先生で生徒たちに慕われていた。休憩時間には石川先生を囲んで、みんなで歌を歌って疲れを吹き飛ばした。佳代は幼なじみが何人もいたし、千恵子は幸子のお陰で、すぐにみんなと仲良くなった。二高女は焼けてしまったし、このまま首里高女に転校しようかと言い合ったりしていた。

 天気もよかったせいか、復旧作業は順調にはかどり、十三日のお昼頃には完成した。真っすぐに続く滑走路を見ながら、みんなで力を合わせれば何でもできるんだと誰もが思い、これだけの力があれば、必ず、戦争には勝てると確信していた。昼過ぎになって本土から友軍機が次々にやって来た。

零戦れいせんだ! 彗星すいせいだ! 天山てんざんだ! 雷電らいでんだ!」

 中学生が友軍機を指さし騒いでいた。千恵子たちもこんな近くで友軍機を見たのは初めてなのでキャーキャー騒いだ。友軍機は次々にやって来て、気持ち良さそうに、できたばかりの滑走路に着陸した。

銀翼ぎんよくつらねて、南の前線~(ラバウル海軍航空隊)」と誰かが歌い出すとすぐに大合唱となった。

 皆、疲れを忘れて晴れ晴れとした顔で腕を振りながら大声で歌った。その歌は首里へ帰る行進中も延々と続いた。そして、今朝、友軍機は勇ましく、我が領土、台湾を空襲している憎き米軍を倒すために飛び立って行ったのだった。

 那覇に向かった千恵子たちは、まず松尾山を目指した。

 安里の駅前商店街は何事もなかったかのように無事だった。千恵子たちの家もこのように残っていてほしいとはかない希望を持った。相思樹そうしじゅ並木もその向こうに見える師範学校女子部と一高女も無事だった。

 崇元寺そうげんじ町は一部が焼けていたが、梯梧でいご並木と昭和高女は無事だった。もしかしたら、二高女も奇跡的に残っているかもしれないと儚い夢を見た。

 前島町は四つ角の周辺が焼け落ち、瓦礫がれきの山となっていて、家をなくした人々が呆然と立ち尽くしていた。

 松尾山の東側の松下町はほとんど被害を受けていなかった。松下町から坂道を登って県立病院の敷地内に入ると病院の建物はなかった。黒焦げの柱が何本か立っていて、今にも倒れそうな壁が残っているだけで、その下は瓦礫の山だった。

「ひでえなあ」と康栄が言った。

 医者や看護婦たちが真っ黒になって後片付けをしていた。

「タカちゃん」と姉は知り合いの看護婦に声を掛けて近づいて行った。お互いに無事を喜んでいるようだった。

「あたし、みんなの様子を見てから行く。先に行ってて」姉はそう言うと看護婦と一緒にどこかに行った。

 千恵子たちは無残な病院跡を通り抜け、隣の国民学校の校庭に入った。校庭では兵隊たちが作業をしていた。校舎は焼け落ち、校庭には大きな穴があき、桜や松の木も吹き飛ばされて惨めな姿をさらしていた。

 千恵子は国民学校の校庭を歩きながら隣にあった二高女の方を見ていた。

 白い校舎はなかった。知らずに涙がこぼれて来た。

 二高女は壊れた奉安殿ほうあんでんと玄関の石作りの部分が何とかわかるだけで、校舎は影も形もなく、池や花壇のあった中庭も黒焦げの瓦礫が散乱していた。せめて、楽器だけでも無事だったら、焼け出された人たちを励ませると思っていたのに絶望だった。千恵子が吹いていたトランペットも、立派なグランドピアノも二十台もあったオルガンもみんな燃えてしまった。

「チーコ、無事だったのね」と声を掛けられ、ハッとして振り返ると、晴美と小枝子が駈け寄って来た。 

「晴美もサエも無事だったのね」

 三人は手を取り合って喜んだ。二人が来た方を見ると、先生と数人の生徒が焼け跡の片付けをしていた。

「他には誰が無事なの」と千恵子は瓦礫の向こう側を見ながら聞いた。下級生が数人いるだけで四年生の顔は見当たらなかった。

「今の所、梅組はケーコだけ。みんな、ヤンバル(国頭)の方に行っちゃったみたい。他の組では俊江と嘉子と由紀子がいるわ。火事も治まったからだんだん集まって来ると思うけど、家が焼けちゃった人たちは学校どころじゃないでしょうね。チーコのおうちは大丈夫だったの」

「わからない。これから行く所なの」

「そう。無事ならいいけどね」

「晴美とサエのおうちは大丈夫だったの」

 二人は申し訳なさそうな顔してうなづいた。

「よかったね。あたし、見て来る。まだ、ここにいるんでしょ」

 二人がうなづくのを見て、千恵子は手を振り、待っている父と弟の所へ行った。

 父と弟は無言で街を見下ろしていた。

 体から血の気が引いて行き、今にも倒れそうだった。首里から眺めて覚悟はしていたが、近くで見る那覇の街は言葉では言い表せない程、ひどい有り様だった。

 久茂地くもじ川の向こう、我が家のある辺り一帯はメチャメチャにやられていた。家を囲んでいた石垣がわずかに残っているだけで、家々は焼け落ちてなくなっている。

 千恵子は澄江から借りていた『風と共に去りぬ』を思い出していた。敵国の本なので読んではいけないのだったが、澄江が面白かったというので借りたのだった。とても長い物語なので、まだ半分も読んでいなかったけど、確かに面白かった。主人公のスカーレットが自分と同じ位の年頃だったので、アメリカの女の子がどんな事を考えているのか興味深く読んでいた。首里に行く時、持って行けばよかったと後悔した。

 南の方に目を移すと久米くめ町、上之蔵うえのくら町、西本町と港に至るまで全滅だった。所々に焼け残った大きな建物の残骸があるだけで、あかがわらの家々は皆、焼けてしまった。道路だけが白く残り、あとは何がどこにあったのか、すっかりわからない程、真っ黒な焼け跡になり果てていた。辻原つじばるの墓地だけが大火にも耐え、焼け残っていた。

 これが那覇の街なの‥‥‥これが戦争というものなの‥‥‥子供の頃から戦争はやっていた。でも、それは遠い所の話で、沖縄には関係ない事だと思っていた。それが突然、沖縄にも戦争がやって来た。学校はなくなり、我が家もなくなり、那覇の街もなくなった。何もかもなくなってしまった。これからどうしたらいいのだろう。

「あれは上之山国民学校だな」と焼け残っている建物を指さしながら康栄が言った。

 景色がすっかり変わってしまったのでわからなかったが、確かにコの字形の校舎は上之山国民学校だった。回りに何もないのに焼け残っているなんて不思議だった。鉄筋コンクリートだったので焼けなかったのかもしれない。

天妃てんぴ国民学校も残ってる。その向こうは郵便局かな。市役所も山形屋(デパート)も消えちまった。新天地(劇場)は残ってるぞ」

 千恵子は呆然としながら康栄の言う事を聞いていた。

「行くぞ」と父が言った。

 千恵子は涙を拭いて顔を上げた。父親を見上ると厳しい顔をしていた。弟を見ると弟の目にも涙が浮かんでいた。

 重い足取りで坂道を降り、汚れてはいても焼け残っている家々を羨ましそうに眺めながら久茂地川に出た。

 久茂地橋は焼け落ちていた。川向こうにある電気会社も久茂地国民学校も焦げた残骸を残していた。空襲のあった十日の日、久茂地国民学校の学童が疎開する予定だったのを思い出した。子供たちを乗せた船もやられてしまったのだろうか。

 川の中を見ると焼けた樹木や電信柱などが落ちているが、最近、雨がまったく降らないので川の水は少なかった。

 川の中を通って渡り、家へと向かった。焼け落ちた自分の家の前でうなだれている近所の人が何人かいた。お互いに声を掛ける事もできず、目を交わしただけだった。

 千恵子の家も見事に焼け落ちていた。崩れた石垣の中、黒焦げの柱や板切れの中に、壊れた赤瓦が散乱していた。

 ひどい、ひどすぎる。生まれてからずっと暮らして来た家がなくなってしまった。これから一体、どうしたらいいの。何もかも失って、これからどうやって生きて行けばいいの。お母さん、あたしたち、どうしたらいいの‥‥‥

「畜生! 畜生!」と叫びながら康栄が焼け跡の中に入って行き、棒切れを拾うと瓦のかけらをどかし始めた。

「気をつけろ。まだくすぶってるかもしれんぞ」父が言って、弟の側に行った。

「金目の物は回収しなければならんからな」と父は弟に言っていた。

「こんな中から金目の物を捜すだって」

「そうだ。そう決まったんだよ」

「決まったって言ったって、どうやって、これを片付けるんだよ。飛行場みたいに大勢の人がいればすぐに片付くだろうけど、たった四人でこれを片付けるのか」

「隣組で協力してやるしかない。おうちだけじゃないんだ。みんなで協力してやるしかない」

「片付けた後、どうするんだよ。みんなで協力して、おうちを建てるのか」

「そのうちそうなるだろうが、今は無理だ。おうちを建てる資材がないからな。かなりの船がやられちまって輸送手段もままならない状態なんだそうだ。多分、軍の施設が優先される事となろう。民家は後回しになる」

「それじゃあ、この先ずっと、みんなして、ばあちゃんちの世話になるのか」

「いや、そうもいくまい。お前たちの事は頼むつもりだが、わしはここに小屋を建てて、近所の者たちを助けるつもりだよ」

「ここに小屋を建てるのか」

「とりあえずは雨露さえしのげりゃいい。防空壕が無事ならそこで寝泊まりすりゃいいさ」

「あたしもここで暮らすわ」黙って二人の話を聞いていた千恵子は言った。疎開した母や祖父母のためにも、ここを守らなければならないと思った。家はなくなってしまったけど、みんなが帰って来るまで、ここに小屋を立ててでも待っていなければならないと思った。

「チー姉ちゃん」と康栄が驚いた顔して千恵子を見た。

「だって、学校だって片付けなくちゃならないし、首里から通うのは大変よ」

 父が反対すると思ったが何も言わなかった。康栄は棒切れを焼け跡に投げ捨てた。

「畜生め、チー姉ちゃんがここで暮らすなら早いとこ片付けなきゃならねえや」

「今日明日とわしも休みを取ったから、二日間でやれるだけの事をやろう」

 三人で片付けをしていると姉がやって来て加わった。病院は宜野湾ぎのわん村の国民道場に移る事が決まり、明後日あさっての月曜日に移動するという。姉も患者さんたちを連れて行かなければならないので、しばらくは向こうにいて、帰って来られないかもしれないと言った。

 お昼頃、晴美と小枝子がやって来た。すすで真っ黒になった千恵子を笑いながら、おにぎりを差し出した。

「お昼どころじゃないと思って」

「ありがとう」

 二人が差し入れを持って来てくれたので一休みする事にした。始める前はどうなる事かと思っていたけど、火の勢いが強かったせいか、燃える物はほとんど炭か灰になっていた。重い柱もほとんど燃えてしまい片付けるのは思っていたよりも楽だった。ただ、何かが焼け残っているかもしれないという期待は破れ、衣服や書物、布団などは全部、灰になっていた。お米や野菜も黒焦げになっていて、奇跡的に無事だったのは鉄のナベとブリキのバケツ、湯飲み茶碗が一つにご飯茶碗が二つ、お酒好きな父が防空壕の中に隠しておいた泡盛の入ったかめだけだった。祖父が大事にしていた三線さんしんも祖母の銀のかんざしも焼けてしまった。

 学校に戻っても、もう、あたしたちの手には負えないと言って、晴美と小枝子も手伝ってくれた。学校の方は明日の日曜日、以前、二高女に駐屯していた山部隊(第二十四師団)の兵隊たちに頼むらしかった。

 日暮れ近くまで頑張り、何とか目処めどがついてきた。明日もやれば片付け終わるだろう。父は焼け残った廃材を利用して小屋を建てるつもりだったが、利用できる物はほとんどなかった。首里に帰って、かき集めるしかないなと言っていた。

 千恵子は晴美と小枝子にお礼を言って、明日会う約束をして別れた。焼け跡を抜け、牧志まきし町を通って安里に向かった。

 牧志町もやられていた。振り返ると那覇の街は真っ暗で、ひっそりと静まり、まるで原野の中を歩いているようだった。

 

 

 

 後に十・十空襲と呼ばれるこの空襲で被害を受けたのは、小禄飛行場と那覇の街だけではなかった。

 北(読谷)飛行場、中(嘉手納)飛行場、南(仲西)飛行場、小那覇(西原)飛行場、伊江島飛行場と本島の飛行場はすべて破壊され、宮古島、石垣島、奄美大島、徳之島の飛行場も爆撃された。

 糸満は船舶と共に街もやられ、与那原よなばるは船舶と兵舎、瀬底せそこ島の船舶、渡久地とぐちでは弾薬庫が大爆発して街は火の海となった。魚雷艇部隊と特殊潜航艇部隊が配備されていた運天港も集中爆撃を受け、船舶や港に積んであった軍事物資が全焼した。慶良間けらま座間味ざまみの船舶も爆撃され、離島は本島との連絡を断たれて孤立した。飛行機や船舶だけでなく陸上輸送のトラックも数多く破壊された。

 軍人の死亡者は陸海軍合わせて218人、軍夫が120人、負傷者が313人。民間人の死亡者は330人、負傷者が445人、そのうち那覇市民の死亡者は225人、負傷者が358人で、死亡者の七割近くは那覇市民だったと記録されている。

 


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沖縄二高女看護隊 チーコの青春

仮小屋住まい

 

 

 あの恐ろしかった空襲から一月余りが過ぎた。

 焼け跡となった那覇の街では新しい生活が始まっていた。

 十一月四日の新聞によると五万五千人あった那覇市の人口は空襲後、八千人に激変してしまったが、徐々に増えて二万三千余人になったと書かれてあった。敵が攻めて来ない事がわかると避難していた人々は那覇に戻り、焼け残った家に雑居したり、焼け跡に仮小屋を建てて生活を始めた。千恵子も父親と一緒に粗末な小屋で暮らしながら学校に通っていた。

 学校も焼けてしまい授業はできなかったけど奉仕作業はあった。敵の爆撃で破壊された陣地を早急に復旧しなければならず、集まった生徒たちはガジャンビラの高射砲陣地に毎日、通っていた。

 千恵子たちが那覇に戻って来た日、台湾を攻撃している米軍を倒すために飛び立って行った友軍機は大戦果を挙げたと大本営(天皇直属の最高統帥機関)は発表した。『敵の機動部隊は全滅し、沖縄の仇は見事に討ち果たした』と沖縄中にビラが撒かれ、被害にあった人々は涙を流しながら万歳を繰り返した。しかし、この大戦果は誤報だった。夜間の攻撃だった上に敵の物凄い艦砲射撃で上空は煙幕を張られた状態で、敵艦を正確に確認する事はできなかった。次々に入って来る搭乗員たちの景気のいい報告がそのまま大本営に送られ、大戦果と発表されたのだった。実際の敵の損害は大した事はなく、台湾の司令部と海軍の中央部は後に誤っていた事がわかっても、戦果の修正をする事はなかった。国民は勿論、大本営も陸軍の上層部もその事実を知らされず、敵の機動部隊が全滅したという情報を基に以後の作戦を立て、悲劇な結果をもたらす事となった。

 そんな事は知らず、避難民たちは友軍の勝利に大喜びしながら、那覇に戻って来て焼け跡の片付けに働いた。千恵子たちの様に粗末な小屋を立てて暮らす者も多くなって来た。幼なじみの澄江と初江も戻って来て、家族と一緒に小屋を立てて暮らし始めた。もう一人の幼なじみ、美智子は帰って来なかった。噂では国頭くにがみの方に疎開したという。上級学校へ進学する美紀、和美、政江の三人は焼け残った慶子の家に下宿して、一緒に受験勉強に励みながら奉仕作業に参加していた。

 十一月三日の明治節(明治天皇の誕生日)には百人位しか集まらなかった二高女の生徒も十一月の半ばには二百人近くになり、四年生は五十人位集まった。空襲前は百人位だったので、半分はまだ避難したままだった。焼け落ちた校舎は綺麗に片付けられた。使用可能な木材は陣地壕を作るために運ばれ、金目の物は回収され、残ったくずは敷地内の片隅に積み上げられてあった。新しい校舎を建てる計画は、予算もなく、資材もないので、まったく目処めどが立たないという。

 ガジャンビラの作業から帰って、千恵子は洗濯をしていた。何もかも焼けてしまい、今では衣服も貴重品だった。毎日の作業で汚れてしまうので小まめに洗濯して大事にしなければならなかった。

 焼け跡に人々が戻って来たとはいえ、辺り一面は瓦礫がれきの山だった。その中にポツンポツンと粗末な小屋が立っている。まるで乞食小屋だったが、皆で協力し合って少しでも住みよくしようと頑張っていた。

 千恵子の小屋は三畳位の広さしかないけど住めば都だった。初めの頃は失った物をあれこれ思い出してはメソメソ泣き、惨めで不自由な生活を恨んだりしたが、工夫をすれば何とかなる事を覚えると、物がないのも返って気楽に思えて来た。

 千恵子たちの小屋はその地域では一番早く立てられた物だった。父が県庁の職員だったため、首里から通うよりも、たとえ粗末な小屋でも寝られればそれでいいと最初は父が一人で暮らすつもりだったが、千恵子もここの方が学校に近いから一緒に住むと主張した。家族全員が力を合わせ、首里の従姉弟いとこたちも手伝い、弟の友達も手伝ってくれた。安里先輩も野球部の人たちと一緒に小屋を立てるための資材集めを手伝ってくれた。安里先輩は材木だけでなく、ナベや洗濯用のタライ、食器や衣服、布団までも荷車に積んでやって来て、千恵子たちを喜ばせた。首里の人たちもとても親切で、資材はすぐに集まったという。やがて、焼け落ちた自宅を前に呆然としていた人たちも千恵子たちの小屋を見て、自分たちも戻って来る決心をした。千恵子たちは小屋の作り方を教えたり、資材集めを協力した。

 安里先輩は一中の寮に入っているので寮生と一緒に陣地構築の作業に行かなければならなかった。しかし、親戚の家が焼け落ちたので助けなければならないと言って抜け出していた。西本町の親戚の家が焼け落ちたのは本当だったが、親戚の人たちは未だに那覇には戻っていなかった。

「陣地構築も重要だが、焼け出された人たちを助けるのも重要な事だ」と安里先輩は言って、康栄と一緒に毎日のように那覇にやって来た。

「先輩はチー姉ちゃんの顔が見たくて毎日やって来るんだぜ」と康栄は言っていた。

「そんな事ないわよ」と千恵子は何でもない事のように言っていても、心の中では嬉しくて、毎朝、安里先輩が来るのを浮き浮きしながら待っていた。

 安里先輩もそういつまでも作業をさぼるわけにも行かず、来られなくなると千恵子も学校に行き、ガジャンビラの作業に行く毎日が続いた。那覇に戻って来た友達と一緒に辛い作業をしながらも、思いきり歌を歌って疲れを吹き飛ばした。それでも、ふと、安里先輩の事が思い出された。安里先輩と一緒に近所の小屋作りを手伝っていた数日間はほんとに楽しかった。あちこちで小屋作りが始まったため、首里にも廃材はなくなってしまい、悪い事とは知りながら、焼け跡から焼け残った木材を失敬した事もあった。安里先輩と会えなくなって、胸にポッカリと穴があいたような虚しさに襲われた。戦時中のこの御時世に、恋だの愛だのと言ってられないのはわかっていても、好きになってしまった気持ちをおさえられようがなかった。

 十月の末、季節はずれの大型台風が沖縄を襲った。にわか作りの小屋は簡単に吹き飛ばされ、千恵子は父親と一緒に防空壕にもぐった。穴を掘っただけの防空壕はいくらふたをしても雨が流れ込んで来て、泥水のお風呂にはいっているような有り様となった。このままでは凍えてしまうと暴風雨の中を必死に走って若狭わかさ町のお墓の中に避難した。お墓の中で不安な一夜を過ごし、翌朝、小屋の所に戻ったが、もうメチャメチャになっていた。さすがに父も諦め、首里の祖母のお世話になるしかないと言っていた時、安里先輩が康栄と一緒にやって来た。二人が無事だった事を喜び、安里先輩は、「もっと頑丈なのを作らなけりゃ駄目だな」と康栄を連れて、さっそく資材集めに出掛けて行った。安里先輩の言葉に父もやる気になって、再び小屋作りが始まった。千恵子も安里先輩の顔を見て急に元気になった。友達も集まって来て、あっと言う間に、前より立派な小屋ができあがった。

 ♪貴様と俺とは同期の桜

      同じ航空隊の庭に咲く~ (同期の桜 帖佐裕作詩、大村能章作曲)

 安里先輩に教わった『同期の桜』を口ずさみながら洗濯物を干していると、懐かしい声が千恵子を呼んでいた。振り返って見ると夕焼け空の中、久茂地橋の上から手を振っている奈津子の姿が見えた。

「お姉ちゃん」とつぶやくと千恵子は姉の側へ駈け寄って行った。

 奈津子は先月の十六日、小屋ができあがる前に県立病院が移動した宜野湾ぎのわん村に行ったきり一度も帰って来なかった。およそ、一月振りの再会だった。

「もしかしたら、ここにはいないかもしれないと思ったけど、よかったわ、会えて」

 一月会わないだけなのに、姉は何となく大人っぽくなっているような気がした。

「あれからずっとこっちにいたのよ。おばあちゃんちも焼け出された親戚の人とか、知り合いの人とかいっぱいいて、あたしたちまで迷惑かけられないし」

「そうだったの。宜野湾や浦添うらそえの方も凄いらしいわ。大勢の人が避難して来て、どこもぎゅうぎゅう摘めだって聞いたわ。物置や豚小屋を借りて住んでる人もいるんですって。ねえ、あたしたちのおうちはどんななの」

「とてもいいおうちよ。最初のよりずっと住みよくなって」

「最初のよりってどういう事?」

「最初のは台風で潰れちゃって、今のは二代目なのよ」

「そうか。凄い台風だったものね。そう、あんたも頑張ってたのね」

「頑張ったなんて‥‥‥」

 千恵子は急に涙ぐんだ。辛いのをぐっと我慢していたのが、姉の顔を見ているうちにこらえ切れなくなって来た。

「馬鹿ね、こんなとこで泣いたりして」

「だって‥‥‥」

 千恵子は涙を拭くと姉の手を引いて、我が家に連れて行った。洗濯をしながら火の上に掛けておいた甘藷かんしょ(サツマイモ)はできていた。まだお米の配給も滞っていて、その日の食糧を手に入れるのも大変だった。食糧の事は心配するなと父が何とか工面して来るが、千恵子も近所の人たちの噂を聞いて、やみ物資の野菜など、手に入れられる時は手に入れていた。

 日が暮れてから父も帰って来た。街灯もなくなり、日が暮れると辺りは真っ暗になってしまうが、灯火管制が敷かれていて、明かりを持って夜道を歩く事は許されなかった。日が暮れてから外で火を焚く事もできず、家の中でも明かりが外に漏れないようにしなければならなかった。あの空襲以来、毎日のように敵の爆撃機B29が一機か二機、沖縄の上空を飛び回っていた。爆撃する事はなく、ただの偵察なので、警戒警報が鳴っても、市民たちは、ああ、またか、と言って空を見上げるだけだったが、いつ、また、敵の空襲があってもおかしくない状況にあった。

 父は小屋の中にいる姉の顔を見ると、「おお、帰って来たか」と嬉しそうに笑った。

 千恵子から小屋作りの苦労話を聞いていた姉は顔を上げて、元気そうな父を見て安心し、「ただいま」と陽気に言った。「今、お母さんたちが、この小屋を見たら何て言うだろうって話してたとこなのよ」

「そうか、母さんたちが帰って来たら、ちょっと狭いかもしれんな」と父が真面目な顔で言ったので、二人は笑い転げた。母に祖父母、妹が二人に末の弟が帰って来たら、こんな小屋に入りきれるはずがなかった。

「帰って来るまでに何とかせにゃあならんが、今の所は我慢してくれ」父はそう言いながら小屋に入って来た。一足しかない父の靴はもうボロボロになっていた。

「病院の方も大変らしいな。器材不足で大変なのはわかるが、もう少し我慢してくれ。何もかも軍事優先でな、輸送船の手配がつかんのだよ」

 県庁には住民の苦情が殺到しているらしかった。特に県知事や内政部長など、お偉いさんたちが普天間ふてんまに避難したまま帰って来ないので、この非常時に何をやっているんだ、県知事は頼むに足らん、県庁などあってなきに等しいと非難が凄かったらしい。父は毎晩、家に帰って来ると困った事だと愚痴をこぼしていた。内務省の勧告によって、知事たちが帰って来たのは十一月の初めになってからだった。

「ねえ、お父さん、あたしね、看護婦養成所を卒業したのよ」と姉が急に言い出した。その事は千恵子もまだ聞いていなかった。

「なに、もう卒業したのか」

「非常時なので繰り上げたらしいの。そしてね、あたし、陸軍病院に志願して、伝染病棟に採用される事に決まったのよ」

「なに、陸軍病院に志願しただと」

 父は突然の事に困惑しているようだった。

「看護婦として当然な事だと思うわ」

 姉は堂々と自分の意見を言っていた。

「浩子のいる南風原はえばるか」

 姉はうなづいた。

 空襲の時、患者たちを連れて南風原に避難した浩子おばさんは翌日、千恵子たちの心配をして県庁にやって来て父と会っていた。父から話を聞いて、皆、無事に首里にいると知って安心して帰って行ったという。その後、十一月の初め、この小屋を訪ねて来たが、千恵子は作業に出ていたので会えなかった。乾パンと手紙が置いてあり、頑張ってねと書いてあった。

 姉は陸軍病院の事を詳しく話し、同級生が何人も一緒に行くと言っていた。父は黙って話を聞いていた。父にはっきりと物を言う姉を見て、お姉ちゃん、強くなったなあと思った。夕食の用意をするために千恵子は小屋を出た。

 星空を見上げ、あたしももっと強くならなくちゃと思いながら小屋に入ろうとすると、「明後日あさっての十五日、南風原に行かなければならないの」と姉が言っている声が聞こえた。

 父は薄暗い部屋の中に灯る小さなローソクの火をしばらく見つめていたが、姉を見ると、「そうか」と言った。

 父が反対するかもしれないと思いながら、千恵子は甘藷を抱え、小屋の入り口の所に立ったまま成り行きを見ていた。

「わしとしてはお前が陸軍病院に行くのは反対だ。男ばかりの軍隊の中に若い娘をやりたくないのは父親として当然の事だ。浩子は仕方ないとしても、お前までもが行くとはな‥‥‥辛いよ。しかし、卒業したからには、お前はもう一人前の看護婦だ。どこに行っても看護婦としての職務を果たさなければならない。もし、戦争が始まれば、陸軍病院にはひどい負傷兵が運ばれる事になろう。辛い仕事だが、お前が決めた事だ。決して弱音を吐くんじゃないぞ」

「お父さん‥‥‥ありがとう」

「よかったね、お姉ちゃん」

 千恵子は自分の事のように喜んで小屋に入って行った。

「ねえ、お姉ちゃん、みんなから服をもらったのよ。好きなの持って行ってよ」

「えっ、ほんと。あたしもこれしかないので困ってたのよ。陸軍病院では制服の支給がないらしいのよ。それで、どうしようかと思ってたの」

「幸ちゃんもくれたし、お友達もくれたの。あたしは何とかなるから、必要なのを持ってってよ」

「ありがとう。ほんと、助かるわ」

 姉は次の日、留守番をしながらのんびりと過ごし、十五日の朝、南風原の陸軍病院へと出掛けて行った。翌日の十六日の新聞に二高女の授業再開の知らせが載った。若狭町の焼け残ったお菓子工場を借りる事ができたので、そこを仮校舎として、二十日から授業を始める事に決まったのだった。

 二十日の朝、二高女の校庭に集まった四年生は七十数人だった。他の学年もほぼ同様の数だった。借りた工場はそれ程広くはなく、各クラス毎の教室はなかった。それに先月の末、急遽、防衛隊に招集された先生もいて、先生の数も足りなくなっていた。そこで、各学年を松と梅の二クラスに分け、奉仕作業と授業を交替で行なうという事になり、新たな組分けが行なわれた。

 千恵子は松組になった。晴美も澄江も小夜子も佳代も敏美もブラスバンド部の者たちは皆、松組だった。楽器がなくなってしまったので、もう演奏はできないと諦めていたが、もしかしたら、どこかから借りて、また活動できるのかもしれないと喜んだ。ただ、久美と小百合の姿がないのは寂しかった。二人とも下宿先が焼けてしまって郷里に帰ってしまったのかもしれない。久美は久米島、小百合は国頭の大宜味おおぎみ村だった。皆で手紙を書いて呼ぼうと相談した。

 


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沖縄二高女看護隊 チーコの青春

ああ紅の血は燃ゆる

 

 

 十一月二十四日、米軍の爆撃機B29によって初めて東京が空襲された。続いて二十七日、二十九日の深夜とB29が東京上空を飛び回って焼夷弾しょういだんをばらまいた。二十九日の大空襲後、東京でも疎開そかい者が激増したという。

 沖縄でも十・十空襲後、疎開者は急増していた。対馬つしま丸の沈没後、県外疎開は減っていたが、家を焼かれて財産を失った者たちの中には沈没の危険を冒してでも沖縄から逃げ出したいと本土へと向かう者もいた。千恵子の同級生も何人かが皆に別れを告げて、九州へと旅立って行った。学校がなくなってしまったので仕方ないと思いながらも同級生がどんどん減って行くのは寂しかった。

 垣花かきのはなのガジャンビラの高射砲陣地も復旧し、ようやく作業から解放されると思っていたら、今度は天久あめくの高射砲陣地に駆り出された。千恵子たちは土運びの作業に精を出し、来年の春の卒業を夢見て授業も真剣になって聞いていた。

 十一月の下旬から十二月の初めに掛けて、首里を中心に島尻しまじり(沖縄南部)の守りを固めていたたけ部隊(第九師団)が続々と那覇港に集まって来て、沖縄から去って行った。何がどうなっているのかわからず、那覇市民は呆然と見送った。やがて、武部隊が台湾に移動になったとの噂は流れたが、どうして沖縄から出て行くのか正式な発表はなく、市民たちの不安は増すばかりだった。空っぽになってしまった島尻に山部隊(第二十四師団)が嘉手納かでな方面から移動して来た。復旧した軽便けいびん鉄道は軍用列車となり、兵隊や武器弾薬を乗せた列車が嘉手納から糸満の方へと次々に向かって行った。

 軽便鉄道は那覇を起点に北は嘉手納、東は与那原よなばる、南は糸満まで通っていて、空襲前はそれを利用して通学している生徒もかなりいた。空襲で汽車も駅も線路も破壊されて、しばらくは動かなかった。ようやく、復旧したと思ったら軍の専用になってしまい、一般人は利用できなくなった。

 嘉手納線は松尾山の北を走っていて、若狭町に移った学校の行き帰りに、千恵子たちも軍用列車を何度も見ていた。のんびり走っているので兵隊の顔がよく見え、皆、陽気に手を振ってくる。千恵子たちもキャーキャー騒ぎながら手を振って見送っていた。

「ほら見て、あたしたちに乗れって言ってるわよ」と澄江がはしゃいだ。

「簡単に乗れそうね」と佳代が手を振りながら言って、「どこまで行くのかしら」と聞いた。

東風平こちんだに山部隊の本部ができたのよ。きっと、そこに向かってるのよ」と千恵子は今朝、敏美から聞いたばかりの事をさも知っているかのように話した。

「東風平っていえば文代んちの方よ」と佳代が言った。

「分隊長のおうちもそっちじゃないの」と小枝子も言う。

「そうよ。分隊長のおうちはもっと先の具志頭ぐしちゃんよ。学校まで三里(約十二キロ)以上もあるのに毎日、歩いて来るんだって。凄いね」

「ほんとね。あたしたちにはとても無理だわ」

 千恵子と小枝子が感心していると、

「信代なんてもっと凄いのよ。嘉手納から歩いて来るんだから。学校まで五里(約二十キロ)以上あるんじゃないの」と晴美が言う。

「往復したら十里じゃない。すごーい。とても真似なんてできないわ」

「それだけ誇りを持ってるのよ、この校章に」と佳代は胸に付けているバッジを示した。

 二高女の校章は白梅をデザインしたものだった。沖縄本島には高等女学校は七校しかなく、義務教育ではないので、誰もが行けるという訳ではなかった。北部の名護に三高女があって、師範学校女子部、一高女、二高女、首里高女、昭和高女、積徳せきとく高女は皆、那覇や首里に集中していた。地方に住んでいる娘たちが女学校に通うのは大変な事で、女学校に通っていると言えば村の人たちから尊敬の眼差しで見られた。那覇に住んでいる千恵子たち以上に、女学校の生徒だという事に誇りを持っていた。

「そうよね。分隊長も信代もきっと村の代表なのよ。みんなの期待を一身に背負ってるんだわ」

「あたしたちももっと自覚を持たなくちゃあね」

 列車が通り過ぎると晴美が校歌を歌い出した。

 ♪日づる国みんなみの

    御空みそらも海もか青なる

      島に名だたる松尾山

   松のみどりのいや深み

     永久とわに栄ゆく学びぞ~

             (沖縄県立第二高等女学校校歌 山城正忠作詩、宮良長包作曲)

 みんなで合唱しながら小枝子の家へと向かった。期末試験を終え、千恵子たちはホッとしていた。小枝子の家にオルガンがあるので、みんなで思い切り歌おうと試験が終わるとすぐに学校を後にしたのだった。千恵子、晴美、澄江、佳代といつもの仲間に、ダンスが得意な初江が加わっていた。

 初江は千恵子と澄江の幼なじみだった。空襲で家を焼かれて国頭くにがみに疎開していたが、十月の末に戻って来て、千恵子たちと同じように自宅の焼け跡に小屋掛けして暮らしていた。以前はクラスが違ったので、行動を共にする事はできなかった。千恵子たち梅組が授業の時、初江たち松組は作業という具合で、空襲のあった十月十日はガジャンビラの作業の日だった。初江は明治橋を渡ろうとした時、那覇港の空襲に遭い、建物の陰に隠れながら、やっとの思いで学校にたどり着いた。校舎と運動場をつなぐトンネルの下に隠れていたが、誰もいなくて心細くなり、空襲が中断した時、急いで家に帰ったという。その頃、千恵子たちは防空壕の中にいて、初江が来たなんてまったく知らなかった。学校がなくなったのは悲しいが、新たに組変えになって、初江と一緒になれたのは嬉しかった。

 二高女のあった松尾山を見上げると防衛隊の人たちが焼け残った松の木を切っていた。陣地構築のため古くからの松並木が片っ端から切られていた。戦争に勝つためには仕方ないとはいえ、子供の頃から見慣れている山から松の木がなくなってしまうのは悲しい事だった。

 小枝子の家は二中の近くにあった。二中はすっかり焼けてしまったのに、小枝子の家は奇跡的に無事だった。つい最近まで、家を失った親戚の人たちが同居していて賑やかだったが、本土に疎開して行ったという。

 小枝子に促されて、澄江がオルガンの前に座った。澄江はオルガンの名手だった。自宅にあったオルガンは家と共に燃えてしまった。久し振りにオルガンを前にして、乗り越えたつもりの悲しみがよみがえって来た。澄江が呆然としていると、

「澄江の得意なモーツァルトを聞かせてよ」と千恵子が言った。「ケッヘル何番だっけ。あのトルコ行進曲よ」

 澄江はうなづくと、『トルコ行進曲』を弾き始めた。皆はうっとりしながら聞いていた。

 聞き慣れた『トルコ行進曲』が、千恵子にはなぜか悲しい曲のように感じられた。思い出すまいとしていた、あの日の情景‥‥‥首里から見ていたあの恐ろしい那覇の空襲がよみがえって来た。敵機の群れに絶え間ない爆発音、空を覆う真っ黒な煙、火の海となってしまった那覇の街、千恵子はそれらを必死に振り払い、空襲前の楽しかった事を思い出そうと努めた。すると、音楽室の情景が浮かんで来た。澄江がピアノを弾いていて、みんなでピアノを囲んで楽しそうに歌を歌っている。あの頃、こんな事になるなんて誰が想像しただろうか。楽しかった日々を思い出したら余計に悲しくなってしまった。

 トルコ行進曲はいつの間にか終わっていた。皆、しんみりとして黙り込んでいた。誰の目にも涙が潤んでいた。

「次の曲、やってよ」と晴美が陽気に言った。「何だか悲しくなっちゃった」と言いながら目頭をこすった。

 澄江はうなづくと涙を拭いて、無理に笑顔を作って『愛国行進曲』を弾き始めた。オルガンに合わせて合唱が始まった。次から次へと軍歌を初めとして流行歌の合唱が続いた。初めの頃は遠慮して小声で歌っていたのが、いつの間にか、いやな事なんか、みんな忘れてしまえと言うかのように、皆、思いっきり歌っていた。

 歌に合わせて踊っていた初江が、「やだもう。あれ見てよ」と外の方を示した。

 歌をやめて外を見ると塀の上に顔がいくつも並んでいて、こっちを見ていた。

「二中の生徒たちだわ」と小枝子が言った。

「どうする。追い払う?」と佳代が今にも外に飛び出しそうな勢いで聞いた。薙刀なぎなたが得意な佳代は男子なんか平気で追い払っていた。

「いいじゃない。聞かせてあげたら」と小枝子が言う。

「あら、もしかしたら、あの中にサエのお気に入りがいるの」と晴美が小枝子を横目で見ながら指でつついた。

「そうじゃないけど」と小枝子は少し赤くなった。

「まあ、いいか。減るもんじゃないし。あたしたちの美声を聞かせてあげましょ」

 澄江はうなづき、『蘇州そしゅう夜曲やきょく』を弾き始めた。二中の生徒たちにわざと背を向けながらも、彼らを意識しながら、千恵子たちは合唱を続けた。歌い終わると拍手が起こり、「『ああくれないの血は燃ゆる』をお願いしまーす」とリクエストをして来た。

 『ああ紅の血は燃ゆる』はまだ新しい曲で、ラジオで何度か聞いた事はあっても空襲後、ラジオもなくなって、千恵子はよく覚えていなかった。澄江も知らないと首を振ったが、さすが、晴美は知っていた。みんなが教えてと言い出し、晴美は一人で歌った。

 ♪花もつぼみの若桜

    五尺の生命いのちひっさげて

   国の大事に殉ずるは

     我ら学徒の面目めんもく

   ああ紅の血は燃ゆる~ (ああ紅の血は燃ゆる 野村俊夫作詩、明本京静作曲)

 学徒動員の歌で、これぞ自分たちの歌だった。これは是非とも覚えなくてはならないと、みんなで晴美に合わせて歌った。晴美も一番の歌詞しか知らなくて、何度も一番を繰り返し歌っていると小枝子の幼なじみだという二中の生徒が二番以降の歌詞を紙に書いて教えてくれた。家の中と塀の外での大合唱となり、二中の生徒たちは歌いながら引き上げて行った。

 帰る時、誰かが紙飛行機を飛ばした。小枝子がそれを拾うと、「なに、ラブレター」と晴美が冷やかすように聞いた。

「あっ、何か書いてある。きっと、ラブレターよ。いえ、恋文だわ」と初江がキャーキャー騒いだ。

 みんなに早く開けてよとせがまれ、小枝子が開けて見ると詩のような文が書いてあった。晴美が素早く奪い取ると声を出して読んだ。

「花もつぼみの女学生、ふくらむ乳房抱きしめて‥‥‥何よ、これ」

「替え歌だわ」と佳代が言った。「そういえば、いつか、一中の人たちが歌ってたの聞いた事ある。この歌だったのね」

「やあね」と言いながらも、初江は晴美から紙を受け取ると続きを読んだ。「君にみさおを捧げるは第二高女の喜びぞ、ああ紅の血は燃ゆる」

「一中の人たちは首里高女の喜びぞって歌ってたわ」

「まったく、男子ったらろくな替え歌を作らないんだから。馬鹿みたい」

「ねえ、替え歌で思い出したけど、安里屋あさどやユンタの替え歌、知ってる」と晴美が言って、歌い出した。

 ♪あたしとあなたは羽織はおりの紐よ

    サーユイユイ

   固く結んでヤレホニ胸に抱く

     マタハーリヌ チンダラカヌシャマヨ~

「やだもう、晴美ったら。そんなの誰が歌ってたのよ」

大和人やまとぅんちゅの兵隊さんに決まってるじゃない」

 あたしもこんなの聞いた事あるわ、あたしもよと替え歌談義に花が咲き、あたしたちも何か替え歌を作りましょうよという事になって、みんなで考えた。

 久し振りに楽しい一時を過ごした千恵子たちは帰り道、自分たちで考えた『ああ紅の血は燃ゆる』の替え歌を歌い続けた。

 ♪花もつぼみの女学生

    心は清く美しく

   胸に輝く白梅は

     第二高女の誇りのしるし

   ああ紅の血は燃ゆる~

 翌日、千恵子たちは作業だった。とまり港を見下ろす丘の上で高射砲陣地を作っていた。どんよりと曇った日で、今にも雨が降りそうだった。雨が降ったら泥だらけになってしまう。どうか降らないでちょうだいと祈りながら土運びに精を出していた。

 昼休みにみんなで『ああ紅の血は燃ゆる』の替え歌を歌っていると、担任の金城先生が教頭先生と一緒にやって来た。教頭先生が作業現場に来るのは珍しかった。誰かがまた疎開したのかなと思いながら整列すると、

「残念ながら不幸な事故が起こってしまった」と教頭先生は苦痛に耐えているような顔をして言った。

「疎開船がまたやられたんだわ」と誰かが小声で言った。

「昨日の午後五時半頃、糸満線の稲嶺いなみね駅付近にて、軍用列車が爆発を起こした。本来、軍用列車には民間人の乗車は禁止されているのだが、帰宅途中の女学生が十人、乗ってしまった。残念な事だが、十人のうち三人が我が校の生徒だった。しかも、君たちの同級生だ」

 そこまで聞いて生徒たちは動揺した。敏美と文代と麻美の三人が今日は来ていなかった。

 まさか、分隊長が‥‥‥千恵子は固唾かたずを呑んで、教頭先生の次の言葉に耳を傾けた。

新屋みいや敏美君、屋宜やぎ文代君の二人が亡くなってしまった。神里麻美君は幸いにも命は助かったが重傷を負ってしまった」

 そんな、馬鹿な‥‥‥千恵子は自分の耳を疑った。分隊長が死んでしまったなんて信じたくはなかった。ざわめきの後、あちこちからすすり泣きが聞こえて来た。教頭先生は二人の冥福めいふくを祈って黙祷もくとうするようにと言っていた。

 千恵子は目をつぶって、昨日の敏美の姿を思い出していた。試験がうまくできなかったと舌を出して笑っていた。千恵子がそんなはずないでしょと言うと、ほんとなのよ、あまりお勉強できなかったからと悔しそうな顔をした。校庭に畑を作る時、くわの使い方がうまくてみんなで教わったりした事もあった。そして、トランペットを吹いている時の力強く綺麗な音色はとても真似できなかった。何をやるにも先頭に立ち、常にクラスの中心だった。毎日、三里以上も歩いて、真面目に学校に来ていたのに、どうして死ななければならないの。どうして、そんなひどい目に会わなければならないの。

 昨日の五時半と言えば、千恵子たちが二中の男子と合唱していた頃だった。あの時、敏美と文代はあの世に行ってしまった。そんな事、信じられるはずがなかった。

 教頭先生はこの事は軍事機密に属するので、むやみに他人に話さないようにと言っていたが、千恵子は聞いていなかった。教頭先生が去って行くと、皆、うなだれてしまった。突然、二人の級友を失ったショックは大きく、どうしたらいいのかわからなかった。午後の作業はまるでお通夜のように皆、黙り込んで、泣きながら体を動かしていた。

 作業が終わった後、トヨ子が、「バレーボールなんかしなければよかった」と目に涙を溜めながら言った。

 千恵子たちはさっさと帰ってしまったので知らなかったが、敏美たちは文代が家から持って来たバレーボールで遊んでいたという。学校が焼けてからスポーツなんてやっていなかったので、十数人が残って、工場の空き地で楽しくバレーボールをやっていたらしい。

「あの三人は家が遠いから、もう帰ろうって言ったんだけど、まだ大丈夫よって、あたしたちが引き留めちゃったのよ。もう少し早く帰っていればあんな事に‥‥‥」

「仕方ないわよ、そんな事言ったって。先の事なんて誰にもわからないんだから」

「だって‥‥‥」

 トヨ子は泣き出してしまった。一緒にバレーボールをやっていた者たちも泣き出した。こんな時、敏美がいれば、みんなを励まし、クラスを一つにまとめてくれるのに、その敏美はもういない。メソメソしながら、トボトボと家路へ向かった。いつも元気な晴美もしんみりとして歌を歌う元気はなかった。

 翌日、授業も作業も中止になり、四年生は東風平こちんだまで行き、軍の主催する合同葬儀に参列した。ブラスバンド部は軍の楽隊から楽器を借りて、敏美と文代のために『校歌』と『海行かば』を演奏した。千恵子は泣きながら敏美の分まで思い切りトランペットを吹いた。

 帰りには陸軍病院になっている南風原はえばるの国民学校に寄り、入院している麻美のお見舞いをした。教室が病室になっていて板の間にむしろや毛布を敷いて負傷者が寝ていた。麻美は窓際に寝ていて、顔と両腕に包帯を巻いていた。痛々しそうな、その姿は気の毒で正視する事ができなかった。無理に陽気にしゃべろうとしている麻美に対して、頑張ってね、早くよくなってねと言うしかなかった。

 麻美の他にも大火傷やけどを負った兵隊が大勢、入院していた。手や足がない人もいて、事故の悲惨さを物語っていた。隣の教室をチラッと覗いたら浩子おばさんの姿があった。家では見たことのない真剣な顔付きで若い看護婦たちに指図をしていた。声を掛けるのもはばかられる程、仕事に集中していた。黙って帰ろうかと思った時、千恵子に気づいて、

「あら、チーちゃんじゃない」といつもの笑顔を見せて廊下に出て来た。

「この間はどうも」と千恵子は留守に乾パンを置いて行ってくれたお礼を言った。

「なに、そんな事はいいのよ。元気そうじゃない」

 浩子おばさんは白衣ではなくモンペ姿だったが、看護婦としての威厳が漂っていた。

「ええ、でも‥‥‥」

「ああ、あなたの同級生もいたのよね。可哀想に‥‥‥ああ、そうだ。ナッちゃんもいるのよ、会った? 外科じゃなくて伝染病科の方よ」そう言って、浩子おばさんは中庭を挟んだ向こう側の校舎を指さした。一目でもいいから姉に会いたいと思ったが、姉の姿は見えなかった。

「今日は学校のみんなと一緒だから、もう行かなくっちゃ。また、来ます」

「そう。お父さんによろしくね」

 浩子おばさんは笑うと病室に戻って行った。浩子おばさんの仕事振りをもう一度見てから、千恵子は慌てて友達の後を追った。姉とは会えなかったけど、苦しんでいる重傷患者を必死に看護している浩子おばさんを見て、看護婦になろうと決心を新たにした。

 



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