閉じる


<<最初から読む

1 / 20ページ

試し読みできます

夢、満つるとき 1

出資したいと近づいてきた男

 

「あなた」

 顔が近すぎる。化粧の濃い小太りの女。妙な髪飾り。巨大な耳のピアス。手にもすべての指に宝石のついた指輪。手首に何重にもブレスレット。

 そして真っ赤な口紅の下の二重顎は、なんだか濡れて光っている。

「いま組んでいる人とは縁を切りなさい。そのビジネスを本気で成功させたいなら、別のやり方を見つけなさい。焦ることはないの。一年以内に、ホンモノの協力者が現れます。いま組んでいる人はダメ。あなたはすべてを失うわ」

「そんな……」

 悪いことは言わない占い師だと美紀は約束したではないか。

 それなのに、おれのせっかくの楽しい気分は吹っ飛んでしまった。

 

 八時間前のおれ、つまり川口誠一郎は、とてもいい気分だった。お酒のせいだけではない。自分の夢に向かって大きな一歩を踏み出したのだから。

 その確かな手応えを得ていた。

 約束は守られたのだ。

 資本金三千万円。しかもその九十九パーセントが、議決権なしの株式、つまり議決権制限株式による資金調達だった。

 おれが作った、売り上げゼロ、顧客ゼロの株式会社スペアヘッドに、新たな資本が注入されたのである。

 明日はオフィスの契約もすることになっている。

「少しでも手応えがあるなら、最大二億まで資本を増やすことができますよ」

 祖父ぐらいの年齢に見える花実享一郎が、そう約束してくれたのである。

「あなたは誠一郎。私は享一郎。同じ一郎同士というのも、なにかの縁ですかな」

 彼は、いくつかの大学の研究室などから情報を得ていて、見込みのありそうな研究開発や事業化の資金集めをしてくれている人物だ。

「私自身は祖先の残した資産を維持管理することが使命ですが、同じような仲間がいましてね。儲けだけを考えているわけではないのです。国のために、そして未来のために役立つ投資をしたい。もちろん、過去には、利益としても大きく貢献してくれた事業がありましたから、川口さんのビジネスもぜひその仲間に入ってほしいとは願っていますがね」

 いまでは有名な大企業、ノーベル賞候補に毎回挙がる学者とその研究室などを、つぎつぎと花実は語るのだ。彼の人脈は広く、おれには想像もつかないアッパーな世界に生きている。財界、政界、法曹界、そして学者たちや技術者たち……。

 話題が尽きたことがない。

「いま川口さんに提供できるのは、ほんのささやかな応援です。そして、事業が軌道に乗ったら、私たちは退場します」

「それでいいんですか?」

「アップルをご存知ですか?」

「スティーブ・ジョブズの?」

「ええ。彼とも何度も会っていますが、おもしろいけど抜け目のない男でした。低迷していた頃のアップル株は、たったの二十ドルほどでした。損を覚悟で多少は応援をさせてもらったわけだが……。いまでは六百ドルにもなっています。我々はそういう株を、ほんの少し持っていれば、それでいいのです。買い占めるつもりはありませんし、それでは成長しないでしょう」

「なるほど」

「上場するときに、川口さんの会社も公的な責任を持つようになる。組織や資金について、証券取引委員会がうるさい。注目されるかもしれない。そのとき、わたしのような者の名が、余計な詮索を招くでしょう。我々はそういうことが煩わしいので、表舞台には出ないのです。議決権のない株式で資金を提供するのは、会社を支配する気はないからです。ただ、アーリーステージの企業は、ビジネスを知らなすぎることによる失敗も多い。そこで、優秀な役員を送り込みたいので、その人物にみなさんと同じ一票を与えるだけの最低限の株を普通株式で追加してほしい。条件はそれだけです」

 にわかには信じられない話だった。

 大学の在学中に開発したアプリが予想以上にお金になったので、その資金、といっても遊びで使った残りの五十万円で株式会社スペアヘッドを設立した。

 スペアヘッドとは、「鑓の穂先」のこと。そして社会活動などの「原動力」といった意味もある。おれの狙いは、社会だ。事業も、社会とおれを結び付けるためのものと言っていい。

 特定の友人とつるむのもいいが、不特定の人たち、つまりソーシャルなつながりはもっとおもしろい。その大好きな世界で、一定の存在感を持ちたい。そしてみんなの役に立ちたい。ザッカーバーグのようになりたいとは思わないが、フェースブックのような事業をやりたい。

 金儲けよりも、社会のために役立つ技術を提供したかった。

 頭の中には、人々の社会活動を促進させる「原動力」となる、新しいソーシャルネットワークの構想があった。

 ただ、それを実現するには、多少の資本が必要だ。

 おれの計算でざっと一千万から二千万。

 しかも、実現したあとも、社会に還元する事業のため利益は薄い。かなりの成長をしないと、株式公開などできないだろう。

 どうしようか。どうやって資金を集めればいいのか。大学の教授、先輩、ドリーム・ゲート、日本政策金融公庫、商工会議所、東京都、銀行、信用金庫など、たくさんの人に会い、話をした。

 いくらかの資金は得られるかもしれない。

 そう思いはじめていた。

 そんなときに、どこで聞き付けたのか、花実の方からアプローチがあった。

「お力になりたい」と。

 詐欺だろう、と思い、ホテルのラウンジで会ったが、詐欺らしさはなかった。

「だって、こちらの資金を入れて役員になるわけですから、詐欺もなにも、ないですよ。それに、その状況がいやなら、お辞めになったらいい。つまり、私たちがお金を出して、あなたの会社を乗っ取ったとして、いまはなんにも中身はないのですから、あなたが逃げればそれで終わりですよ。私たちには手も足も出ません」

 驚くべき好条件。無利子、無担保、無保証人。筆頭株主が、花実のエンジェルファンド「K87354投資事業組合」になるだけ。

「もっとも、あなたを完全に信用したわけではないので、役員にはすべての情報を開示してもらいますよ。信頼関係がなければ成り立ちませんから。わたしたちは、その役員を通じて、会社の状況を知ることができるので、あとはこっちのことは気にせず、事業に専念してください」

 いろんな人に資金の相談をしていて、危ない話もいっぱい聞いた。投資資金を受けた企業が、完成間近になって資金の出し手と揉めて、会社を潰されたとか……。

 また、重要な技術だけを盗まれて、会社から放逐されたとか……。

「豚は太らせてから食え」という言葉もある。

 花実を信用していいものか。おれにはわからない。どこかに落とし穴があるかもしれない。

 今後も十分に注意しなければならないが、その前に自分の名前を売り、基礎を固めてしまえば、ファンドが無理難題を言っても、対抗できるのではないか。

 それに最初の資金はわずか三千万。事業が軌道に乗れば、もっと大きな資金を出す人が現れるかもしれない。そうしたら、退場してもらうこともできるだろう。

 おれが考えているソーシャルネットワークは、出来上がってしまえば、おれ自身でそれを活用できる。たとえ他人の運営となったところで、そもそも大して利益は上がらないのだから、こっちは痛くも痒くもない。この仕組みを活用できさえすればいいのだ。

 


試し読みできます

夢、満つるとき 2

占い師に嫌な気分にさせられて

 

 夢としては、インフラを作り上げて、そこで活躍する「第一人者」としての川口誠一郎だ。そういうものを作った人として知られ、人の記憶に残ってくれればいい。自ら経営を続ける気は最初からない。誰もやらないから、自分でやるだけのことだ。

 あくまでも、「もし資金が集まれば」という夢だった。

 その資金は、すでに振り込まれたのである。いま、手の中にある。

 そのうれしい日の夜に、たかだか、中年の占いおばさんに、妙なことを言われたら、誰だって気分が悪くなるだろう。

 

「うれしそうね」

 内野美紀が、シャンパン色のドレスで隣にやってきた。

「乾杯しよう。ドンペリってわけにはいかないけど」

「いいのよ。わたしが驕るわ」

 安い酒で乾杯した。そのほうが、つまみの柿の種には合っていた。

 美紀が務めるキャバクラには、定期的に顔を出していた。いまも売れ続けているアプリの収益を、彼女の仕事に多少は還元しているのだ。

 もっとも、美紀への直接的な還元はそれよりもずっと多い金額になっていたが……。

「スポンサーがついたんだ」

「ホント! すごいじゃない。じゃあ、さっそくスタートできるわけね。ここを辞めたりできるかなあ?」

「うん。約束通り、雇うつもりだよ」

 美紀はデザインの勉強をしており、イラストもマンガも巧みで、写真の腕もいい。アプリの開発で、タダ同然のお金でデザインに協力してもらっていた。

「正式に、スペアヘッドのデザイナーになってもらいたい」

「マジ?」

「ウソは言わないよ」

「うれしいー」

 過剰な香水に包まれた美紀に抱きつかれて悪い気はしない。

「そうだ、だったら、先生に見てもらおうよ」

「先生?」

「そう。私の先生。この世界に入ったときの先輩で、いまはもうやめているけど、サマンサ江上って知らない?」

「さあ」

「有名なのよ、最近。芸能人を占ったりしているの。テレビとかにも出てるわ。すごく人気があるのよ」

「占いか……」

 呆れてしまう。美紀も同じ大学にいた。そこは理系の大学であり、もし信奉するとしたら、サイエンスや数学、理論やデータを信じるべきだ。

 占いとは真逆の世界を学んでいたはずではないか。占いに理屈はないので、反論がしにくい。言葉になって心に直接飛び込んでくるので、始末が悪い。

 いまのような大切なときには、そういうものに接触しないほうがいい。

「そういうのは、苦手なんだけどなあ」

「こんな偶然、ないわよ。彼女、お店をやめて二年以上になるけど、すっかり有名人になっちゃって。それがホントにさっき、ふらっとやってきて、あそこで飲んでる。こんな偶然、ないわ。きっとなにかの前兆よ」

 前兆なんて言葉を使う。なにかが起きる前触れで、いい意味、悪い意味はない。しかし、だいたい不吉なこと、天災や事故の話で使われる言葉だろう。美紀はそれを「いい意味」で使っているようだ。

 かなり離れた奥の席で、若いキャバ嬢たちと歓談している小太りの中年の女性がいた。

 普通の女性に比べればヘアスタイルも服装も、かなり派手だ。テレビに出ているというのがわかるような気もする。

「見てもらおうよ。すごく当たるし、悪いことは言わない人だし。損はないし。お願い。私のためにも。だって私、あなたとあなたの会社に思い切り人生を賭けるのよ」

 そういって、美紀は柔らかな体を押しつけてくる。

「しょうがないなー」

 テンションが高くなっていたせいか、酔いが早く回ったのかもしれない。

 美紀に連れられて、サマンサ江上のいるボックスへ行った。

 大学時代の美紀は、理知的でおとなしい子だった。メガネをしていて、たまに女の子らしからぬ辛辣な意見を述べた。

 それが気に入っていた。こいつはフツーの女の子と違うかもしれない、と。

 彼女の親が経営していた町工場が倒産し、学費が払えなくなり、彼女はキャバ嬢に転身した。

 なんとか彼女を助けようと、付き合っているうちに、ごく普通の恋人同士となっていた。

 華やかなキャバクラの裏では、冷徹なビジネスの側面がしっかりあって、その中で彼女たちはもがき苦しんでいた。笑顔で、脳天気で、なにも考えていないようなフリをして、毎日仕事をする美紀。

 ますます愛おしく思えた。

 もっとも、学生時代とは裏腹に、言葉遣いもギャル風に変わり、享楽的な行動も目立つようになっていた。

 このままでは夜の商売に染まってしまうかもしれない。

 そんな姿は一時的なもので、彼女の本質ではない。なんとか自分が成功して彼女に以前の知性的な世界に戻ってほしかった。

 そんな気持ちを知っているのかどうか。

 美紀は、店で少しは人気のあるキャバ嬢らしく、ドレスの裾をひらひらさせながら、大げさな身振りでおれをサマンサ江上に紹介する。

「先生、この人、占って! すごい会社をこれからはじめるところなの!」

「しょうがないわね。瑞希ちゃんのウワサの彼なの?」

「違うわよー、大切なお客さんよ」

 店では美紀は別の名を騙っている。瑞希とは紛らわしいが。ともかくおれは、ただの客の「川口」でいなければならない。

 難しい人間関係の中で、商売をしている。恋愛よりは金銭。店で大事にしてもらうためにも、お客の存在が必要だった。

「いいわよ。ちょっと酔ってるけど。じゃ、こっちに来て。大丈夫、変なことしないから」

 ほかのキャバ嬢がゲラゲラと笑う。

 学生っぽく見えるのは慣れている。まだ学生なのだから……。

 サマンサ江上はかなり太っていた。その腰が、密着してきた。

「あんた、細いわねえ。ちゃんと食べてるの?」

 なぜか太った年上女性は、たいがい、こういうことを言う。

「名前と生年月日をここに書いて」

 小さなカードに、名前と生年月日を書いた。

 書いている間、サマンサがじっと見ている。その視線が圧力のように感じられ、珍しく指先が震えた。

「ちょっと調べるわよ」

 スマホで彼女はなにかを入力している。

「ふーん。頭がいいのねえ。マジメにやれば、ひとかどの人物になれそうだわ」

 当たり障りのないお世辞だ。

「手を見せて。両手」

 彼女の赤ん坊のような小さな手に、自分の手のひらをのせた。

 ぐいっと握られた。そして引っ張られる。思わず抵抗する。

「あなた」

 顔が近すぎる。彼女の表情は険しい。

「いま組んでいる人とは縁を切りなさい。そのビジネスを本気で成功させたいなら、別のやり方を見つけなさい。焦ることはないの。その人と手を切れば、すぐにホンモノの協力者が現れます。いま組んでいる人はダメ。あなたはすべてを失うわ」

「そんな……」

 美紀に悪いことは言わないと聞かされ、渋々、同意したのだ。それがこんなとんでもない占いを告げられて、腹が立ってしょうがない。頼まれたとはいえ、占いなんてするべきではなかった。

「組んでいる人って、恋人とかそういう人?」

 美紀が上ずった声を出す。

「違うわ。ビジネス上のパートナー。金銭問題で深く関わっている人のことよ。お金だけじゃなく、大変なことになる」

 いきなり、そんな不吉なことを言われて、腹が立たないほうがおかしい。

 占いは非科学的なものであり、まったく信じていない。こんな風に、なんの根拠も理屈もなく、いやな気持ちになる。最低だ。

 高揚感がすべて吹っ飛んでしまった。

「わかる? いますぐ縁を切るの。すべてを投げ捨ててもいいから、相手に謝って、終わりにしなさい。それぐらい、大変な危機が迫ってるのよ」

「やめてください」

 じめっとした手を振り払って、立ち上がった。

 


試し読みはここまでです。続きは購入後にお読みいただけます。

この本は有料です。閲覧するには購入する必要があります。
購入するにはしてください。
有料本の購入に関しては、こちらのマニュアルをご確認ください。
販売価格100円(税込)

読者登録

おのてるきさんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について