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最後の戦い

「良かった…、絞め技なんて初めてだったし、そのまま死んじゃったらどうしようかと思ったよ…」
 倒れた聖蘭が意識を取り戻すと、竜斗と大河、夕鶴、安室、奏真が心配そうに覗き込んでいた。
 聖蘭は自我領域を失った事で元のメイド服姿へと戻っていた。
 場所は変わらず屋上で、雨が上がり雲の切れ目から陽光が差していた。
「そうですか…、私は負けてしまったのですね…。敗因は…、自分本位の優しさを捨て切れない事を…、見抜かれてしまったからでしょうね…」
 聖蘭は思い返すように言う。
「聖蘭さん…、貴女は常に相手を気遣いながら戦っていたよね。
 姫を相手に戦った時も楽しんでいるフリをしていても、実際の所は全然本気を出していなかった」
「オマケに絶対に負けられない戦いだったのに、勝負を捨ててまでボクを助けてくれましたね…」
 安室は執事服姿だが長い事雨に濡れながら気を失っていたので、髪も服もぐしゃぐしゃになっていた。
「そう、あの時から何か違和感を感じていたんだ。
 僕達と戦っている時も一見して感情を露にして激昂しながらも、避けられる事を前提にして高度に計算をしながら攻撃を仕掛けていたんだと思う。
 きっと、そうやって実力差を見せつけながら持久戦に持ち込む事で、必要以上に傷つけず相手が折れるのを狙っていたんだろうね。
 そして、奏真先輩を直接的に攻撃したのだって、再生能力を使わせる事を前提にリタイヤを誘うためだった」
「ふっ、傷口を熱で焼いて止血しながら攻撃して、見た目は悲惨でも実際のダメージを少なくしてたんだろ…?
 そうでなかったら、俺は生きていられなかったさ。
 そもそも、俺を殺す事を目的ならば心肺や脳を狙えば良いだけの話だし、裏があるのは何となく解っていたよ」
 能力によって再生して元通りの姿になった奏真が言う。
「…」
 聖蘭は目を瞑って押し黙る。
「でも、そこまでプランを立てていたのに予想外の展開になった事に焦りを見せ、兄弟のように思っていた大河と夕鶴が泣く姿を見て動揺を隠せなくなった。
 そして、解ったんだ、聖蘭さんは絶対に優しさを捨てる事が出来ない人なんだって。
 だから、僕は聖蘭さんの攻撃を真っ向から受ける事にしたんだ。
 僕は戦闘中に一回きり、完成された大アルカナの能力を完全無効化出来るから。
 でも、それを知らない聖蘭さんは僕を殺してしまったと思い込み、思考が完全に停止してしまったんだ…」
 竜斗は躊躇無く相手の弱点を付くのが戦いだと思っていたが、聖蘭の優しい気持ちに付け込んでしまった事に罪悪感を感じていた。
 弱点は狙う為にあったとしても、あまりスマートなやり方じゃないので、あくまで最終手段だと姫が言っていた理由が痛いほど解った。
「私は…、死んだ弟に誓ったのです…。大切な人を守る為には…、自分本位な優しさを捨てて…、神にも悪魔にもなるって…。
 でも、私はそれが出来なかったのです…。だから私は…、お嬢様を…救う事が出来ません…でした…。私は自分が情けない…、悔しくて…仕方ありません…」
 聖蘭は声を殺しながら涙を流す。
「良いやないか…、神にも悪魔にもなれなくたって…。俺の好きになった聖蘭さんは誰よりも優しいから…、誰よりも強くてキレイになる事が出来る人なんやから…」
 そんな聖蘭の肩を泣きながら優しく叩く大河。
「せやで…、聖蘭さんが自分を責めると、うちらも悲しいんやで…。聖蘭さんが好きやから…。きっと、弟さんもそう思てる…。せやから、もう自分を許したってよ…」
 そう言いながらも自分も泣き崩れる夕鶴…。
「夕鶴さん…、貴女こそ…、泣かないで下さい…」
 そして、三人で抱き合う。
「聖蘭さん…、僕は姫がやってた祓魔師の仕事を引き継いで、弟さんのように環境に追いつめられた人達の心の闇と戦って行こうと思うんだ…。
 だから、姫が自分自身の人生を全うする事を認めてあげて欲しい…。
 遅かれ早かれ人の死は避ける事は出来ないものだけど、その時を迎えて誰かに祝福されながら旅立つ事が出来れば最高に幸せだって思うから…。
 僕は姫が何よりも大切だから、何よりも幸せになって欲しいんだよ…」
「貴方は悲しくないのですか…?」
「そりゃ、もの凄く悲しいよ…!
 だけど、僕には悲しみを分かち合える友達がいるから、どれだけ時間が掛かったとしても何時かは乗り越えられると信じている…!
 それに今は姫を幸せにする事を想像すると、悲しみより楽しみの方が勝るしね…!」
「決して自分自身を捨てる事なく柔軟に環境と融和する…、それが貴方の本当の強さなのですね…。そうなれば私は完全に負けを認めるしかありませんね…」
「だったら、これはもう要らないよね…!!」
 竜斗が取り出したものは、トーナメントで勝ち取った計18枚のタロットカードだった。
「はい、勿論です…!」
 聖蘭は涙を拭き取りながら大きく頷いた。
 竜斗が天高くタロットカードをばらまくと、聖蘭が具現化した斬馬刀から放った炎で燃やす。
 それで終わるはずだった。
 だが、タロットカードはそれ自体が自我領域のようなものを発し、空中でシャッフルされながら黒い渦となって世界を覆って行く。
「な、なんやねん、これは…!?」
 そして、ピシピシと音を立てて空間そのものにヒビが入って行く。
「ボクが思うに世界そのものが壊れて行っている感じですね…!!」
「まさか、世界の再構築…!?」
 それは竜斗が走馬灯の中で見た世界の再構築に似ていたが、あの時は白と黒の渦が融合して行く感じであったが、これは黒一色であった。
「なんでや、竜斗センパイがタロットカードを放棄して、それで終わりなんちゃうん!?」
「ふっ、悪い冗談も良い所だ…!!」
「全ての力には慣性が働く、それは物理で習った事があるだろう。
 おそらく、計画を阻止したものの世界の再構築を繰り返そうとする力は急には止まらず、破壊と再生の核となる者も存在しない為に暴走を始めているものと考えられる。
 このままでは世界は破壊されて消滅する事となるだろう」
 ブラフマンはサングラスを光らせながら言う。
「そ、そんな…!!」
「ならば、誰かが核となって力を制御すれば良いだけだ」
 ブラフマンはサングラスを外しながら言う。
「私がタロットカードを取り込み、世界の破壊を一時的に押さえ込む。その間に私を倒して全てを終わらせるのだ。
 子供達の歩む未来の礎となるのは大人としての当然の責務だ。
 だが、私は他者の気持ちを考えず自分自身の考えを押しつけ、子供達を苦しめる事しか出来なかった最低の大人だった。
 だから、最後に一つぐらい大人としての正しい姿を子供達に見せておきたいのさ」
 そう言って彼は優しく微笑む。
 それは狂気に取り憑かれたブラフマンとしての仮面を脱ぎ捨て、子供達を導く先生であり、二人の娘を持つ父である旭陽昇としての素顔だった。
「おじさんっ…!!」
「お義父さん…!!」
 朝陽昇は竜斗と奏真の制止を振り切ると、渦の中心に向かって飛び込む。
 そして、彼は巨大な人型の何かへと変貌する。
 その背中には無数の黒い羽が生え、光の輪を背負い、身体には道化を思わせる紋様が刻まれている。
 右手には剣、左手には盾を持ち、胸と額には宝玉のようなものが埋め込まれているようだった。
 まさしくそれは、No.0愚者→No.21世界への進化の具現。
「まるで道化と神の融合体…、フール・ザ・ワールドと言うべきかっ…!!」
 奏真がそれが放つ圧倒的な自我領域を前にして思わず呟いた。
 そして、その未知の存在は己を中心にして世界を歪に改変して行く。
 下半身を海岸ビルと一体化させて取り込むと、建物は臓物を思わせる異形へと変化し、ボコボコと音を立てて脈動する。
「うわっ、なかなかの気持ち悪さですね…!!」
 安室は思わず呟く。
「あの程度に怯えるとは、相変わらずのヘタレ具合ですね」
 そう言う聖蘭はすっかり落ち着きを取り戻していた。
 ビル内部の警備に当たっていた一般生徒達は改変に巻き込まれ、テレビゲームに出て来る怪物のような姿に変貌して塔屋から次から次へと溢れ出て来る。
「きゃーっ!! なんかモンスター出て来たでっー!! あれって、ここに来る時に伸びてた生徒達やない…!?」 
「一体、どないしたら良いんや…!!」
 大河は涙を零して慌てる。
「そう言う時は自分に出来る目の前の事に集中すれば良い…、そうあの巨大な怪物…フール・ザ・ワールドと戦う事を考えれば良いんだ…!!
 おそらくあれを倒せばこの世界の破壊も、滅茶苦茶な改変も戻す事が出来るはず…!! 
 ここに居るみんなの力を合わせば不可能は無いよ…!!」
「そやな…!!」
 その場にいる全員は竜斗の声を聴いて落ち着きを取り戻す。
「奏真先輩に聖蘭さん、安室さんは完成された大アルカナを使って、フール・ザ・ワールドに直接攻撃を仕掛けるんだ…!!
 大河を始めとして他の戦える人達はビルの中から出て来るモンスターを止めて欲しい…!! ただし、殺さないようにね…!!」
「うちはどないする…?」
「夕鶴は僕と一緒に少し離れた所から戦いを観察して、フール・ザ・ワールドの弱点を探って欲しい…!! 闇雲に突っ込んでも勝てる相手じゃない…!!」
「了解…!!」
 そして、竜斗の作戦通りに動き出す面々。
 奏真、聖蘭、安室は自我領域を展開して各々の武器を具現化すると、建物の屋上から生えた異形の前に躍り出る。
「ふっ、何処から攻撃していいものやら」
「ほんとですね、幾らなんでも大き過ぎますよ…!!」
 戸惑っている三人に向かって巨大な剣が振り下ろされる。
「そんな事を言っている間に攻撃が来ます…!!」
 聖蘭の声で間一髪と言う所で避ける事に成功する。
 だが、次の瞬間には額の宝玉が光り、三人に向かって雷が放たれていた。
 聖蘭と安室は熟練した勘によって危険を察知して避けたが、二人に比べて未熟な奏真はその攻撃を食らって半身が黒こげになる。
「うわっ、奏真先輩相変わらず攻撃食らい過ぎやわぁ…!!」
 しかし、奏真は他の二人には無い、経験を補って余る程の能力を持っている。
「なかなか、強力な攻撃じゃないか…!!」
 奏真は慣れた様子で再生し涼しい顔をしていた。
「でも、あの攻撃食らったのが奏真先輩で良かったで…!! 他の人やったらアウトやったし…!!」
「よし、奏真先輩はチャクラムを使って、あの額の宝玉を狙うんだ…!!
 それと出来る限りあの雷を引き付けて他の人の弾除けになって欲しい…!! そして、もし他の人が怪我したら直ぐに回復させるんだ…!!
 辛い役目だけど、あの攻撃に対抗出来るのは奏真先輩しか居ない…!!」
「ふっ、そいつは責任重大だね…!!」
「あとは両腕やね…!!」
 聖蘭と安室は協力して重い剣撃を放つ右手を攻めようとするが、鉄壁の防御力を秘めた盾を持った左手に攻撃を阻まれてしまう。
 盾に攻撃を防がれてしまうのは額の宝玉を狙う奏真も同じ事であった。
「防御は硬いようですね…」
 そして、二人に生じた隙に右手が攻撃を仕掛けて来る。
「この攻撃もアホみたいに強力ですわー!!」
 二人の実力からして避けられない攻撃では無いが、それを繰り返せば体力が無くなってしまう事は目に見えていた。
「アカンよっ…!! これはジリ貧になるパターンやわ…!!」
「よし、二人の炎と氷の力を融合した合体技を盾に仕掛けてみよう…!! 自然の理を完全無視した合体技に勝る攻撃力は無いはず…!!」
 竜斗は昨日の戦いで聖蘭と安室の自我領域が交じり合った空間を思い出して言う。
 完成された大アルカナの力は自然の摂理を歪め、本来あり得ない現象ですら引き起こす事が出来るのだ。
「了解です…!!」
「行きますよ…、安室…」
 聖蘭は炎を纏った斬馬刀を、安室は氷を纏った槍を空中に出現させ、同期回転させながら盾に向かって解き放つ。
 氷が燃え、炎が凍る自然界ではあり得ない現象を受けた盾は、その未知のエネルギーが発する激しい光に包まれる。
「やったか…!?」
 だが、爆風を薙ぐように巨大な剣が聖蘭と安室に襲いかかる。
「な、なんだとっ…!?」
 大きな隙を見せていた二人は床面に振り下ろされた際に発生する衝撃波でダメージを受ける。
「どうやら、あの盾は一切のダメージを受けていないようですね…」
 クールな聖蘭の額に珍しく汗が垂れる。
「うそやんっ…!! ほぼ全ての攻撃を無効化するって反則やないのっ…!!」
「だったら、盾以外の場所を狙えば良いだけだよ、例えば盾を搔い潜って腕を直接攻撃するとかね…!!
 聖蘭さんの変幻自在な攻撃スタイルを持ってすれば十分可能な事だよ…!!」
「了解しました…」
 だが、五月蝿いハエを叩くように右手の剣が聖蘭に執拗な攻撃を仕掛けて来るので攻撃に転じる事は出来ない。
「こうなると右手と左手同時に攻めなきゃアカンよっ…!!」
「安室さんの能力で右手ごと凍らせて、一瞬で良いから隙を作る事が出来ないかな…?! 然したるダメージは与える事は出来なくてもそれで十分だよっ…!!」
「解りましたっ…!!」
 竜斗と夕鶴の作戦は見事機能した。
 安室が右腕ごと剣を凍らせて一瞬動きを止め、その隙に聖蘭は盾を搔い潜って左腕を直接攻撃する。
 左腕にダメージを受ける事で盾の動きが鈍くなり、奏真も額の攻撃を一人で引き寄せながらチャクラムでダメージを与える事が容易になる。
 更に額に攻撃を加えている間は電撃攻撃も影を潜めていた。
「よしっ!! いい感じやね!!」
 そして、ブンっと言う音を立てて額の宝玉と左腕が消滅する。
「やったでっ!! これで大分楽になるはずやっ!!」
 だが…!
 胸の宝玉が光ったかと思うと、瞬間的に左手と額の宝玉が再生した。
「うわっ、ズルイっ!! 再生なんて卑怯者のやる事やんっ!!」
「お前、それ言っちゃうの!?」
「ふっ、再生能力と言うのは敵にやられると良い気はしないものだな…!」
「はい…、正直卑怯だと思います…」
 そして、少し遅れて小さなダメージを蓄積された右腕が消滅するが、またしても胸の宝玉が光って瞬時に再生される。
「ボクの苦労も一瞬にして水の泡ですね…!!」
 しかし、フール・ザ・ワールドの攻撃を防ぐ為には、無駄だと解っていても今のやり方で攻撃し続けるしかない。
「やっぱり、あの胸の宝玉を先に片付けるしか無さそうだな…!!」
「でも、どうするん…? 他の人は精一杯の状態やで…!!」
「僕が行くっ…!! 武器はみんなに返しちゃったから、夕鶴のマシンガンを借りるよ…!!」
「気を付けたってね…!!」
「ああっ…!!」
 竜斗は戦場に躍り出て他の三人と阿吽の呼吸で作戦を共有すると、フール・ザ・ワールドの胸の宝玉に向けてマシンガンを零距離で一斉射出する。
「食らえっーーーーーっ!!」
 薬莢が踊り、硝煙が漂い、自我領域とぶつかって派手な光を上げているが、見た目の派手さに対してどうも手応えを感じなかった。
 案の定全ての弾薬を使い切ってたとしても、フール・ザ・ワールドの外観上に何ら変化は見られなかった。
「マシンガンが効かないならば、直接殴ってやるっ!!」
 竜斗はマシンガンを捨てて気を込めた拳を叩き付ける。
 だが、フール・ザ・ワールドは完成された大アルカナに匹敵する自我領域を持っているらしく、鉄板をガンガン叩いているような感触で竜斗の拳の皮は血に塗れる。
「くっ、硬いっ!!」
 つまり、完成された大アルカナに匹敵する程の攻撃力を持たない限り、太刀打ち出来ないと言う事だ。
「ダメやんっ…!! 竜斗センパイじゃ攻撃力が足りないんや…!!」
「竜斗…!!」
 他の面々は攻撃の合間を縫って竜斗に加勢しようとするが、その僅かな隙を見逃すフール・ザ・ワールドでは無く、下手すると瞬間的に全滅してしまう恐れがあった。
「これじゃ、手も脚も出ないや無いのっ…!!」
 だが、それでも竜斗は決して諦めない。
「手も脚もダメだったら頭も出してやるっ…!! それでダメだったら体当たりでも何でもすれば良いっ…!!」
 何度も何度も殴りつける。
 何度も何度も蹴り付ける。
 何度も何度も頭を叩き付ける。
 何度も何度も体当たりを繰り返す。
 全身が打ち身だらけであまりの痛みに悲鳴を上げながら。
「ぐっ…!! まだまだっーーーー!!」
 連戦に継ぐ連戦で体力が尽きかけ、もはや限界に近くなっても竜斗は攻撃の手を緩める事は無かった。
「竜斗センパイっ…!!」
 夕鶴は竜斗の痛々しい姿に涙を流すが、止めろと言う事は出来なかった。
 ここに集まった全員が己の限界へと挑むような戦いを続け、先が見えない苦しみの中で心が折れないで居られるのは、先頭で立ち向い続ける竜斗の気持ちに支えられているからだ。
 竜斗が諦めない限り、誰一人諦めようとはしないだろう。
 それが解っているからこそ、夕鶴はどんなに辛くても竜斗を止めはしない。
 見守り続ける事も戦いなのだ。
 フール・ザ・ワールドは無力ながら邪魔な存在である竜斗を鬱陶しがり、聖蘭に攻撃され動きが緩慢になった左手の盾でゆっくりと押し潰そうとする。
 当然、竜斗はそれに気がついていたが、限界に達した身体は思うように動かなかった。
「待ってろっ、こんな奴ぶっ殺して今助けてやるっ…!!」
 聖蘭が怒りを露にして怒濤のラッシュを仕掛け、竜斗に危害が及ぶ前に左手を滅ぼそうとするが、その壁はあまりに厚かった。
「マズいですねっ…!!」
 安室が顔を真っ青にする。
「逃げろ竜斗っ…!!」
 奏真が叫ぶ。
「竜斗センパイ、転がって避けるんやっ…!! 力が入らんでも身体を動かす方法はあるんやでっ…!!」
 夕鶴が自分自身の経験から竜斗にアドバイスを送る。
 仲間達の声に背中を押されるように竜斗は気力を絞り出し、間一髪転がるようにして盾での攻撃をかわす。
「僕はっ…、僕は…、最後の最後まで絶対に諦めないっ…!!」
 そして、間髪入れず再び盾が迫り来る。
「コイツを倒して皆を…、この世界を救うんだっ…!!」
 再び転がりながら避ける。
「姫を絶対に幸せにするって決めたんだっ…!!」
 だが、次の攻撃を避ける体力は竜斗に残されていなかった。
「だから、こんな所で死んでたまるかよっ…!!」
 竜斗は動かなくなった身体でフール・ザ・ワールドを鋭く睨みつけた。
 だが、巨大な盾は無情にも竜斗へと迫り来る。
 誰もが竜斗の覚悟したその時だった…!!
「貴方は死にませんわっ!! わたくしが命に代えても守りますからっ…!!」
 小柄な黒い影がビルの塔屋から溢れ出たモンスター達を薙ぎ飛ばしながら現れる。
 ツインテールにした美しい銀色の髪が風になびく。
 きめの細かい白い肌を露出させながら、フリルの付いた黒いドレスを翻す。
 ガーターストッキングに覆われた細い脚を振り上げる。
 厚底のブーツで地面を力強く蹴り出す。
 切れ長の瞳に刀剣を思わせる鋭い光を宿したそれは、人間の限界と言うものを遥かに凌駕したスピードで竜斗の元へと駆けて行く。
 そして、巨大な盾が押し潰す間一髪の所で、竜斗の身体を軽々と抱え救い出した。
 口元を僅かに歪ませ、静かな微笑を浮かべた。
「姫っ…!!」
 竜斗がその名を呼ぶ。
 香夜姫…、本名旭陽月夜。
 それは本当の強さを持つ史上最強の少女の名だった。
「なんで来たんだよっ…!! 僕は姫を戦いに巻き込みたくなかったのにっ…!!」
「ふふふっ、お馬鹿さんですわね。わたくしが貴方に会いに行く理由は一つに決まってますのよ。愛している…、ただそれだけですわ…!!」
 姫は竜斗をフール・ザ・ワールドから少し離れた夕鶴の元へと避難させる。
「馬鹿は誰だよ…。でも…、来てくれて嬉しいよ…」
 竜斗は後から、後から涙が零れ出るのを止める事が出来なかった。
「ごめんね…。竜斗が帰って来るのが遅いから、私が起して話しちゃったの…」
 姫の後からやって来た空が合流して言う。
「聖蘭さんを倒して計画を阻止したんやけど、タロットの力が暴走して世界の破壊が止まらなくなって、ブラフマンがそれを押さえ込む為にああなってもうたんや…!!」
 夕鶴が姫に状況説明した。
「まさか、お父様がそんな事を…。
 それに聖蘭さんを倒すばかりか味方に引き入れるなんて、まるで寝ている間に世界が改変されてしまったような気分ですわ…。
 本当に…、本当によく頑張ってくれましたわね…。
 幸せで…、幸せで…、嬉しくて…、嬉しくてたまりませんわ…」
 そう言って竜斗の傷付いた身体を愛おしそうに優しく抱き締める姫。
 それだけで竜斗の苦労は報われた。
「でも、あんまり無茶はなさらないで下さいな…。貴方の痛みはわたくしの痛みなんですから…」
「ああ、だからこれから先は最後まで一緒だよ…。嬉しい事も…、楽しい事も…、悲しい事も…、辛い事も…、全てを二人で分かち合おう…」
 そして、竜斗は姫と抱き合いながら唇を重ねる。
 音を立て舌を絡み合わせる。
 肩を抱く。
 背中をなぞる。
 尻の谷間にまで手を滑り込ませながら愛撫する。
 熱く燃え滾る互いの下腹部をすりあわせる。
 愛する人と一緒にいる。
 身体を触れ合わせる事が出来る。
 ただそれだけで力と勇気が湧いて来るようだった。
「帰ったらこの続きをしようか…?」
 先程まで力つきていたのが信じられないほど、竜斗の身体からは強い生命力が溢れ出ていた。
「ふふふっ、良いですわね…!! ではさっさと片付けてしまいましょ…!! わたくし達の力を合わせれば楽勝ですから…!!」
 姫は竜斗に予備の胡蝶刀を手渡すと、スカートの中から家宝の天叢雲剣を抜き出す。
 竜斗の身体からは陽の気が、姫の身体からは陰の気が立ち上がり、太極図のような紋様を描きながら交じり合って行く。
 そして、何処までも、何処までも転化し、無限大に気が高まって行く。
 易に太極あり。
 太極から両儀が生じた。
 そして、陰陽の精が一つとなって万物が産まれる。
 それは古来から伝わる哲学的世界観であり、男女の交りにより気を高め森羅万象の理に至る技法を房中術と言った。
 気を感じる事が出来ない空や夕鶴でも、二人の周囲の大気が歪み、何か大きな力が発せられている事が見て取れた。
「凄い…!! 二人から命の力が湧き出てるみたい…!!」
 空は顔を紅潮させて感動する。
「これはまさしく二人の愛の力やね…!! でも、あんな濃厚な絡みを見せつけられたら、恥ずかしくてしょうがないわぁ…」
 夕鶴は顔を真っ赤にしながら脚を擦り合わせモジモジしながら言う。
「うん、やっぱり二人一緒に居られるって良いよね…!!」
 そう言う空は今までの二人の道筋を思い出して涙を零した。
「行きますわよっ…!!」
「ああ…!! 一撃で決めてやるっ…!!」
 竜斗と姫はそれぞれの武器に気を込めた渾身の斬撃を放つ。
 姫の一文字斬り!
 竜斗の十文字斬り!
 白と黒の入り交じった激しい閃光を放つ最強の一撃は、フール・ザ・ワールドの胸部に大穴を空けていた。
 再生を司る宝玉は微塵も残っていない。
 そして、安室が右手を、聖蘭が左手を、奏真が頭部の宝玉を倒す。
 フール・ザ・ワールドは大地を揺るがすような轟音を立てて、眩しい光を放ちながら粒子が分解されて崩されるように消えて行った。

夢を現実に

「…どうやら、上手くやったようだな」
 すっかり元通りになった海岸ビルの自室で目を覚ました旭陽昇は、自分を見守る面々を見渡しながら言った。
 そこに居たのは走馬竜斗と青海奏真。
 それから彼の実の娘である香夜姫こと旭陽月夜と空の姉妹だ。
 旭陽昇は元通りになって何時ものスーツ姿のまま寝ていた。
 ただし、素顔を隠すサングラスは胸ポケットにしまったままになっていた。
「まったく、お父様も無茶しますわね…」
 姫は憔悴しながらも満足そうな父親の顔を見て飽きれる。
「月夜か…、お前には本当に辛い思いをさせてしまったな…」
 旭陽昇は姫の顔を見ると目を瞑る。
「ふふふっ、良いんですの…、お父様の気持ちはちゃんと解っていますから…」
 姫はそう言うと微笑んだ。
「そうか…」
 そして、旭陽昇は胸ポケットからサングラスを取り出すと静かにかける。
 しかし、溢れ出る涙を隠す事は出来なかった。
「お父さん…、お姉ちゃん…、本当に良かったね…!」
 その短いやり取りだけで、また遠い昔のように家族に戻る事が出来た。
 そう思うと空は嬉しくて嬉しくて仕方無く、奏真の胸に抱きつき声を出して泣いた。
「ふっ、家族と言うものは良いものだな…」
 奏真が空の肩を優しく抱いた。
「そう言う奏真も家族の一員でしょ…?」
「そうだな、ようやく本当の家族になる事が出来たって所さ…! でも、それは俺だけじゃないけどね…!!」
 そう言うと奏真は竜斗にウィンクする。
「では、お義父さん…、約束は守ってもらいますよ…!!」
 竜斗は奏真に頷くと、旭陽昇に向かって微笑みながら言う。
「まさか本当に君にそう呼ばれるようになるとはな…。良いだろう…、君を一人前の大人の男として認めて月夜を託すとしよう…!」
「あら、どう言う事ですの…?」
 一連の流れの意味が解らない姫は首を傾げながら聴く。
「僕が姫を連れて帰るって事だよ…、さぁ、行こうか…!!」
「何だか解りませんが、妙に頼もしいですわね…!」
 竜斗は姫をエスコートしながら退室する。
「ふっ、しっかりやれよ、兄弟…!」
「月夜お姉ちゃんも、竜斗お義兄ちゃんもお幸せにね…!!」
 そんな二人に奏真と空がエールを送る。
 そして、部屋の外に出た所で姫が竜斗に聴いた。
「ふふふっ、竜斗さんったら、ようやく空さんに兄と呼ばせる事に成功したんですのね…!」
「ああ、長い事苦労した甲斐があったよ…!!」
 旭陽家の自宅兼診療所を出てエレベーターに乗ると、一階のロビーでは元大アルカナとそのパートナーを始め大勢の生徒が出迎えていた。
 人の群れはまるでモーゼの十戒のように二人の行く道を開けて行く。
「よもや、あの怪物を倒してしまうとは、流石我が輩の王者の技を受け継ぐ男なり!!」
 生徒会長は副会長を従え、扇子を仰ぎながら二人を祝福する。
「しかもテメェ、その奇天烈な女と肩を並べて戦うって夢を叶えたじゃねぇかよ!!」
「やるじゃないか、アンタ…!! 絶対に諦めないって言うその気持ちは伊達じゃないねぇ…!!」
 工藤と木村は病院で竜斗に説得された時に姫と一緒に戦う事が夢であると聴かされていたので、最終戦での最後の一撃を見た時に密かに誰よりも感動していたのだった。
「我々も敗北を糧にし貴殿に負けないような武士を目指して精進しようではないか!!」
 かつて生徒会四天王と呼ばれた恐れられた四人であったが、武闘派である事は変わりなくても歪んだ思想は何処にも無かった。
「ぼそっ、ぼそぼそっ…」
「まさに物語のヒーローとヒロインはお前達だな…と図書委員長は申しています」
 図書委員の二人は相変わらずな感じであった。
「最高のっ、Finaleをっー!!」
 そこにビジュアル系が現れ、珍しく日本語の織り混ざった台詞を言う。
「おいっーーーっ!! お前は英語の台詞しか喋らないキャラじゃねぇのかよっ!!」
 図書委員長はビジュアル系のあるまじき失態に思わず自分で突っ込んでしまう。
「そう言う図書委員長もキャラが崩壊しています。まったく最後の最後まで自分のキャラを貫き通して欲しいものです…と私は自分で申してみたりします」
「なんだったら、今ここで漏らしてやろうか…!?」
「の、No,Thank Youでーす…!!」
「もはや、台詞が全然ビジュアル系じゃありませんね…と私は言われるまでも無く自分で申します」
 図書委員とビジュアル系と言う異色の組み合わせは、まるで漫才でもしているかのようなノリだった。
「良かった…、間に合ったね…!!」
 宝塚が竜斗の元に駆けつける。
「そんなに慌ててどうしたの…!?」
 まるで練習の後のように汗だくになっている様子だった。
「これ…、みんなでお金出し合って…、私が元町の駅前まで急いで買いに行ったんだ…! 私達の気持ちだから受け取って欲しいの…!!」
 宝塚はそう息を切らせながら言うと、竜斗に耳打ちして小さな箱を渡す。
「本当にありがとう…!!」
 竜斗は宝塚の肩を抱きながらお礼を言う。
「うん…、喜んでもらえて嬉しい…! 幸せになってね…!!」
「宝塚さんこそね…!!」
 そして、外に出ると聖蘭、安室、大河、夕鶴の四人が待っていた。
 建物前の道路には聖蘭の愛車である青色のユーノスロードスターが停まっている。
「よっ、待っとったで相棒ーっ!!」
「安室さんから聴いたけど、ヘタレの竜斗センパイにしては良い事考えたやないの…!! まぁ、それもうちのお陰やけどね…!!」
「ちぇっ、恩着せかましい奴だなぁ…。でも、粉うことなく事実だし、一応お礼を言っとくよ…!!」
「一応ってなんや、アホぉ…!!」
「夕鶴、お前先輩にその口の聞き方無いと思うで…!!」
「ほーっ、お前ヘタレの癖にうちに説教するんか…!? 良い度胸やないの…!!」
 夕鶴は手をゴキゴキ鳴らし、大河の股間を狙う気まんまんだ。
「俺はもうヘタレや無いで…!! やれるもんやったらやってみれや…!! ホレホレっ…!!」
 そう言うと大河は大の字に両手両足を広げ夕鶴に股間を突きつける。
「おおっ、大河くんまでその必殺技を使うとは…!! それでこそ男と言うものですよっ…!!」
 安室は大河に自分の姿を重ね合わせて感動する。
「お前ら、ホンマに最低やね…!!」
「ええ、最低です…」
 夕鶴と聖蘭は呆れ顔だ。
「ふふふっ、素晴らしい技ですわね…!!」
「何処がだよっ…!?」
 他の女性陣とは正反対の感想を言う姫に竜斗は思わず突っ込んだ。
「解ったからそのポークビッツしまえや…!! しゃーないから、竜斗センパイを先輩として認める台詞を言ったるよ…!!」
 夕鶴は意を決してぶりっ子っぽい顔を作る。
「竜斗先輩、頑張って下さいっ!! うち応援してますわっー!! って恥ずかしっ!!」
 そして思いっきり可愛らしく言うが、あまりの恥ずかしさに顔を真っ赤にして蹲る夕鶴。
「やっぱ無理やんっ!! 竜斗センパイはセンパイであって先輩や無いしっ!!
 って言うかさっきからこのキャラ崩壊ラッシュなんやの…!? うち付き合ってられへんよっ…!!」
「夕鶴まで無理にキャラ崩壊させる事は無いよっ…!! 夕鶴は夕鶴で十分さ…!!」
 竜斗は笑いながら夕鶴の肩を優しく叩いた。
「ホンマに…!? そう言ってくれると助かるわー!!」
「んじゃ、そろそろ行くよ…!!」
 そして、皆の顔を見回し竜斗は手を振った。
「私のロードスターを使って下さい。かなりチューニングはされていますが、ディアブロやシルバークラウド・ツーに比べたら運転は容易かと思います」
「ありがとう…!!」
 竜斗は聖蘭から鍵を受け取ると、ロードスターの助手席のドアを開けて姫をエスコートする。
「あら、免許も持っていない貴方が運転しようって言うんですの…?」
 竜斗は笑いながらロールゲージに囲まれた運転に滑り込む。
「まぁね…!」
「その為に旦那様のお力でトーナメントと同じような超法規的な処置を取って頂き、走行するルートを完全閉鎖したんですよ…!」
 安室が説明する。
「ふふふっ、お父様まで手駒に使うなんて素敵な事を考えますわね…! でも、お家に帰るだけにそこまでする必要があるんですの…?」
「うん、その前にちょっとだけ寄りたい所があるんだ…! んで、この車どうやって動かすの…!?」
 そして、竜斗の一言でその場にいる全員がずっこけた。
「ふふふっ、わたくしが教えてさしあげますから、焦らず行きましょう…!」

 海岸ビルを出たユーノス・ロードスターは現代的なビルの立ち並ぶ国道2号線を東に走り、二つ目の税関前交差点で右折して高速のガード下をくぐる。
 閉鎖された道路の各交差点には奇術部を筆頭に県立高校の生徒達が立っていて、ロードスターを正しい順路へと誘導していた。
 そして、すぐ次の税関本庁前の交差点で右折する。
 カーオーディオからは聖蘭が買ったのであろう7月1日に発売された、L'Arc~en~CielのArkと言うアルバムが再生されている。
「初めて運転したわりにお上手ですわね…!」
「何時も姫や聖蘭さんの運転を近くで見てて、操作と動きの関係性ってのは大体解ってたから、実際運転しながらイメージと現実のズレを修正してるんだ…!」
「理の修行で培った関連性を結びつける考え方と、多彩な武器を使いこなす為の応用力の成せる技ですわね」
「でも、失敗するとエンストするとか、初めて知る事の方が多いけどね…!!」
 神戸らしい古めかしい趣きの税関本庁前を通り過ぎると、京橋ランプで右折して阪神高速3号神戸下り線に入る。
 加速車線に入ったその時、アルバムの3トラック目に収録されたDriver's Highと言う曲が流れた。
 アニメの主題歌にも使われた疾走感のある曲で、刹那なスピードの中で命を燃やす青春を思わせるような歌であった。
 感情の赴くままアクセルを踏み込むとロータリー・エンジンが勢い良く吹き上がり、甲高く軽快なエキゾーストノイズを奏でながら高速の本線に向けて力強く加速する。
 アクセルワークに忠実なロータリー・エンジンのレスポンスは、正しくチューニングされた楽器を思わせた。
 阪神高速3号神戸下り線は神戸の海沿いを東西に走る高架式道路だ。
 左右に立ち並んだ高いビルが後ろへと流されて行く。
 幾つかのゆるやかなコーナーを路面に這いつくばるようにして駆け抜け、長い直線の区間に入ると強い西日が射し込み思わず目を細めてバイザーを下ろす。
 朝の雨が嘘だったかのように昼下がりの空は気持ち良く晴れ渡り、まるで世界そのものの色が違って見えるかのようだった。
 火照った肌を冷やす為にエアコンを付けると、芳香剤の甘い林檎の香りが車内に広がる。
 ザラザラしたノイズと共に路面を転がるタイヤの感覚や、高架のエクスパンションを超える度に腰を叩く硬いサスペンションの感覚が心地良い。
 やがて、運転感覚のズレが修正されると、車そのものが自分の身体のように思えた。
 そして、直線区画を抜けて大きく右カーブすると小高い山が見えて来る。
 ちょうどオリックス・ブルーウェーブの本拠地グリーンスタジアム神戸のあるあたりだ。
 幾つかのカーブとトンネルを抜けて山を越えると、幾十にも路線が交差する垂水ジャンクションに辿り着く。
「ふふふっ、ここは日本でもっとも複雑だと言われる難所ですわ…。果たして迷わないで抜けられますでしょうかね…?」
 姫は笑いながら言う。
「大丈夫さ…! 手は打ってあるから…!!」
 垂水ジャンクションの分岐点には今までの交差点と同じように、県立高校の生徒達が立ち竜斗が間違わないように誘導していた。
 地味ながら大アルカナとして選ばれた貧乏学生の姿も見える。
「あら、こんな所にも誘導する方を配置していたんですのね…!!」
「まぁ、どんな対策をしたとしても間違いを避けられない事もあるし、最終的には失敗を恐れずに自分の信じるまま突き進むだけだよ…!!
 どんなに道を間違ったとしても、焦らずに修正すれば良いんだから…!!」
「ふふふっ、貴方も言うようになりましたわね…!」
 そして、垂水インターを神戸淡路鳴門自動車道方面に向かい、長いトンネルを抜けると突然視界が大きく開ける。
 淡路島へと渡る明石海峡大橋は青空に向かって何処までも伸びているかのようだった。
「まるで、お義父さんの大アルカナの能力みたいに、姫と一緒に空を飛んでいるような気分だよ…!」
「ええ、本当に…、夢みたい…、ですわ…!」
 竜斗がバックミラーを見ると、姫の頬が光るのが見えた。
「姫…」
「何も言わなくても…、解っていますわ…。貴方がわたくしとの約束を果たす為に…、皆さんの力を借りて…、頑張ってくれたと言う事を…」
 姫は止めどなく涙を零し嗚咽をこらえながら、一語一語を絞り出すように言う。
「わたくしは…、最初に産まれた世界で…、貴方の前世である双間創真さんの運転で…ドライブを楽しんだ事が…、長い間…、忘れられなかったん…ですの…。
 何度も…、何度も…、生まれ変わっても…。
 二度と戻れない思い出は苦しみでしかないから…、忘れてしまいたい事なのに…。
 ふとした時に楽しい思い出が蘇って…、虚しさを埋めるように…、思い出の曲を流しながら刹那的なスピードに…、何度も身を任せました…。
 事故で内蔵が破裂して…、死んで…、しまった事もありました…。
 でも、決して心が満たされる事は…、ありませんでしたの…。
 そして、強く思いました…、わたくしはただ死ねないと言うだけでは無く…、今を生きては居ない人間なんだと…」
 姫は涙を拭き取ると、臍下丹田式呼吸法で心を整える。
「それからは知っての通り、わたくしは自分の人生を取り戻す努力をしました…。
 そして、長い人生の果てに貴方と出会って、免許を取ったらドライブに連れて行って下さると約束して頂いた時です…。
 本当の本当に自分の人生を取り戻す事が出来たんだって…、そう思ったんですの…」
 姫は竜斗の横顔を見て笑う。
「姫…」
 竜斗は胸が高鳴り居ても立ってもいられず、自分の左手を姫の右手に重ねた。
「しかし、世界の再構築を止める事が出来たとしても、わたくしは貴方が免許が取れる年齢になるまで待つ事は出来ません…。
 だから、それは見果てぬ夢だと…、そう思っていました…。
 それなのに…、貴方は人々の心を動かして、その夢を叶えてしまいました…。
 本当に…、本当に…、嬉しくてたまりませんわ…!
 貴方には大アルカナに頼らずとも…、夢を現実に変えられる力が本当にあるのかも知れませんわね…!!」
「うん…、でもね、その力って…、そんなに特殊なものじゃ無いと思うんだ…。
 本当は誰もが自分自身の人生の主人公になって、周囲の人に影響を与えて夢を現実に変えて行ける力を大なり小なり持っている…。
 だけど、みんな力の使い方が解らないだけなのさ…。
 旭陽家に伝わるノウハウもその力を開花させる物で、儀式として形骸化しちゃってるから解りにくいけど、本当はもっと単純で簡単な事なんだと思う。
 周囲の人を大切にしながら生きられる優しさと、どんな事にだって前向きになれる強さを持てば良いだけなんだよ…!
 一生懸命生きれば人の気持ちを動かす事が出来るから…!!」
 竜斗は少し余所見し、姫の膝に手を置いて微笑む。
「そして、僕がその力を発揮する事が出来たのは、姫が一生懸命生きる本当の強さを教えてくれたからさ…! ありがとう、姫…!!」
 姫は顔を赤らめながら言う。
「お礼を言うのはわたくしの方ですわよ…! もう…、本当にお馬鹿さんなんですから…!!」

未来への道

 淡路島に渡るとビルに囲まれた神戸からは一変し、豊かな緑に覆われた山の谷間を走り続けるような風景に変わる。
 僅かに窓を開けながら走行すると、潮と緑が合わさった自然の香りがした。
 排気ガスが殆ど無い本当に美味い空気を肺いっぱいに吸い込むと、頭が冴え渡り心と身体が癒される気がした。
 神戸淡路鳴門自動車道は島の北から南下しながら西の海側へと大きく湾曲し、そのまま東側へと向きを変える。
 そして、その途中の東西のほぼ中央付近にある津名一宮インターチェンジで一般道に降りる。
 県道66号線と県道86線を使って暫く北西に向い走って行くと、農村の風景が続く中に突然美しい神社が現れた。
「あった、ここだ…!!」
「ここは日本創世の神であるイザナギ・イザナミ夫婦を奉る伊弉諾神宮ですわね…!
 この神社には妻であるイザナミを亡くしながらも創世を終えたイザナギが、余生を過ごす為に構えたとされる幽宮があったはずですわ…!」
「さすが、姫…!! 僕が説明するまでも無く何でも知ってるね…!!」
「ふふふっ、伊達に何度もあの世は見てませんわよ…!!」
 竜斗は車を停車させると姫と共に震災で修繕されたばかりの綺麗な一の鳥居を潜る。
 参道を直進して二の鳥居を潜ると、放生の神池と呼ばれる美しい日本庭園の情景を楽しみながら通り抜け、正門の先にある拝殿でお参りをした。
「なんか、もの凄く強い気に満ちているね…!」
「淡路島は日本創世の際に最初に創られたと言う伝承があり、地脈と呼ばれる自然が持つ気の集中地点になっているんですの。
 その為か自然環境に恵まれた食材の宝庫になっていて、昔は育てた作物を神や天皇に献上し、御食島とも呼ばれていたらしいですわ。
 特に神社と言うのは自然信仰の名残りで地脈の強い場所に作られる物なので、更に力が集中しているのかも知れませんわね」
 そして、二人は拝殿の右隣に奉られている御神木の前に来る。
 それはかなり大きな楠の木で、根元から枝分かれし寄り添うように伸び、天を覆うかのように青々とした枝葉を広げていた。
 夏の温かい日差しが零れ日となって射し込む。
「ここに来たかったんだよ…!!」
「これはイザナギ・イザナミが宿る御神木であり、夫婦円満、安産子授、縁結びにご利益が有る樹齢900年の夫婦大楠ですわね。
 貴方がこれからなさろうとする事にはピッタリな場所だと思いますわよ…!」
「あ、やっぱりバレてた…?」
「ふふふっ、わたくしを出し抜くのは不可能ですのよ…!
 皆さんの様子からも察する事は出来ましたし、宝塚さんからその箱を渡された時の耳打ちも聞こえてましたわよ…!」
「だったら話は早いね…!!」
 竜斗は箱の中から指輪を取り出す。
 中央部分のダイヤがそれなりに大きく、プラチナリングの外周には小さなダイヤが散りばめてあった。
「うわっ…、結構高そうじゃないか…!!」
「0.4カラットのダイヤとプラチナで、おそらく35万円ぐらいの物でしょうか?
 仮に一人頭で1000円を集金したとしたら、350人の協力を得られたと言う計算になりますわね…!」
「数字で聴くとますます凄いな…!!」
「でもそれは貴方が勝ち得た信頼の証であり、皆さんの貴方に対する気持ちですので、有り難く思いましょう…!」
「そうだね…!」
 竜斗は涙を拭きながら姫にそれを差し出す。
「姫…、僕と結婚してくれないかな…? 
 僕はまだ法的に結婚が認められる年齢じゃないけど、夫婦としての本質って籍を入れる事じゃなくて、家族として力を合わせて生きる事だと思う…!!
 だから、僕は姫と一緒に共同作業をしたいんだっ…!!」
「ふふふっ、わたくしこそ喜んで貴方と夫婦に成らせて頂きますわ…!!」
 竜斗は跪くと姫の手を優しく握り、その白く細い指に輝く指輪をはめ込んだ。
 そして、姫の目ににじむ涙をハンカチで拭う。
「でも、改まって共同作業って何をするんですの…? 先ほどのキスの続きでしたら大歓迎ですわよ…!」
「度肝を抜くような事さ…! そう、姫だって出し抜けるぐらいのね…!!」

 竜斗達が次に向かった所は淡路島の北西…、神戸淡路鳴門自動車道の北淡インターチェンジの近くにある育波と呼ばれる地区だった。
 夕焼けに包まれた周囲は綺麗に区画された農地が何処までも続いている。
 肥料の臭いや蜩の鳴き声と合わさり、遠い記憶の中に戻ったかのような懐かしい雰囲気で、御食島と呼ばれた淡路島の原風景を思わせた。
「あらあら、こんな所でなさるんですの…? 時と場所を選ばない衝動は若さ故の過ちですが、それはそれで悪く有りませんわね…!!」
「ほんっと、姫ってトコトン・スケベだよなぁ…!!」
「ふふふっ、それは貴方も同じじゃなくて…?」
「まぁ、それは否定しようが無い事実だけど、今回の目的はちょっと違うのさっ…!!」
 竜斗と姫はトタン屋根の細長い小屋が立ち並ぶ一角にある店舗に入る。
「あら、これは養鶏所の直売所みたいですわね…!」
「ここは何時も聖蘭さんが配達を御願いしている養鶏所さ。
 ここで育てられている、さくらともみじって言う二種類の純国産の鶏から産まれる卵は、料亭とかでも使われている淡路島の名産品らしいよ。
 どっちも良さそうだから、とりあえず両方買って帰るとするか…!」
「それで何するんですの…?」
「卵を使ってする事と言えば決まっているでしょ…?」
「流石のわたくしでも、そんな上級な変態プレイは想像も付きませんわね…!」
「だから違うってばぁ…!!」

「やりたい事ってお料理だったんですね…!」
「そうさ、何時もは聖蘭さんに任せっきりだったし、今朝安室さんが用意出来なかった淡路島の卵を使って、姫と一緒にご飯を作ってみたかったんだ…!」
 竜斗と姫は風見鶏の館に帰り、普段入った事が無い地下の厨房に来ていた。
「ふふふっ、それも良いですけど、一度もお台所に立った事の無いわたくし達に出来ますでしょうか…?」
「聖蘭さんが簡単なレシピ帳を作ってくれたから大丈夫さ…!」
 竜斗の取り出したノートには聖蘭の字で、馬鹿にも出来る簡単料理レシピとデカデカと書かれていた。
 聖蘭は竜斗と姫を見送った後、風見鶏の館に来てレシピを書いたり、食材の用意をしたり様々な準備を進めていたようだ。
「それはありがたいですけど、なかなか凄いタイトルですわね…!」
「僕が馬鹿なのは疑いようの無い事実だけど、さり気なく姫も僕と同じ部類にカテゴライズされているよね…?」
「ふふふっ、お馬鹿さんなのはお互い様ですわ。でも、だからこそ一緒に学んで行けるのですから、決して悪い事では無いと思いますわよ…!」
「じゃあ、今回はこのレシピの中から馬鹿にも出来るオムライス…通称馬鹿ライスを作ってみよう…!」
 馬鹿にも出来るの横には、お嬢様にも出来ますと書かれていた。
「もはや名指しで馬鹿にするとは聖蘭さんもやりますわね…! こうなったら、見事成功させて見返してやるしかありませんわ…!!」
 姫は両の拳を握りしめて闘志を滾らせる。
「その意気や良しっ…! さっそく手分けして取りかかろうっ…!!」
「わかりましたわ…!!」
「まずはバターライスから作って行こう。
 二人分で必要な材料は、ご飯360g、鶏肉60g、たまねぎ50g、ピーマン1/8個、トマト50g、塩ひとつまみ、こしょう少々、トマトケチャップ大さじ1、ウイスターソース小さじ1/2、白ワイン小さじ1、バター15gってなっている。
 既に聖蘭さんが用意してくれているから、それを手分けして切っていこう。
 僕はタマネギとピーマンを7mmぐらいに平べったく切るから、姫はトマトを1cm角ぐらいのサイズに切ってね…!!」
「解りましたわ…!!」
 姫はプルプルと震えながら包丁をトマトに押し当てるが、誤って押し潰してしまい周囲に赤い果肉を飛ばす。
「なんとっ、破裂しましたわっ…!!」
「白い筋の部分は硬いらしいから、そこを避けて真っ直ぐ引きながらやると良いかも…!」
「そんな事言っても恐いんですもの…!」
「頑張れっ…!! ぐわぁーっ!! 目がぁーー!! 目がぁーーーーーーっ!!」
 竜斗は作業をしながら姫にエールを送ろうとするが、突然涙を流しながら苦しみだす。
「突然どうしたんですの…!? ぐっ…!! なんですのこれ…!? 急に目と鼻が痛くなりましたわっ…!!」
 姫も突然、鼻と目を刺激されて涙を流す。
「ぐっ、これが噂のタマネギの威力と言うヤツか…!?」
「まさか催涙ガスに匹敵するとは…、あまりにも恐ろしい代物ですわね…!」
「よしっ、いったん中断して注釈を読んでみよう…!
 な、なんだとっ…!? タマネギは皮を剥いてラップでふんわり包み電子レンジで加熱しろだって…!? しかも、美味しくなって目も痛く無くなるとは…!!
 1個分150gで500wで6分が目安…、って事は50gで2分ぐらいって所だっ…!!」
「様々な秘技を駆使しなければならないとは、料理と言うものは侮れませんわねっ…!!」
「だが、僕達は負けるわけには行かないんだっ…!!」
「そうこうしている間にトマトはぶった切りましたわっ…!!」
「よしっ、次は鶏肉を親指の先ぐらいの大きさに切って、軽く塩こしょうするんだっ…!!」
「親指の先ぐらいって言いますけど、わたくしの可憐な親指と、お相撲さんの図太い親指ではかなり大きさが違いますわよ…!?」
「確かになんて曖昧な表現なんだっ…!!」
「こうなったら、大河さんのポークビッツの先ぐらいにしておきますわ…!!」
「お、おうっ…!?」
 竜斗はピーマンとタマネギを切り終わり、次にフライパンを用意してバターを熱する。
「鶏肉を切ったらバターを熱したフライパンで白くなるまで炒めるんだ…!!」
 姫は竜斗の持ったフライパンに鶏肉を入れる。
「くっ、油が跳ねますわねっ…!! これでは裸エプロンで料理したら悲惨な事になりますわっ…!!」
 慌てて手を引っ込めて露出した腕をさする姫。
「あれはハードなSMプレイの一種だったと言う事かっ…!!」
「さて、次はどうするんですのっ…!?」
「僕の切ったタマネギとピーマンを炒めるんだっ…! そして、タマネギがしんなりした所でトマトを投入だっ…!!」
「ちょっと待って下さいな…! しんなりって…、しんなりってなんですのっ…!?」
 姫はタマネギとピーマンをフライパンに入れながら竜斗に聴く。
「解らないっ、僕には解らないよっ…!!!」
「馬鹿にも出来るって書いてあるけど、わたくし達は馬鹿以下って事ですわねっ…!!」
「そう言う事は気にしたら負けだっ…!」
 そうこうしている内にタマネギが柔らかくなり、姫は続けてトマトをフライパンに投入する。
「よしっ、次はご飯を加えて、途中でワインを振り入れて解しながら良く炒めるんだっ…!!」
 竜斗がある程度ご飯を解すと姫がワインを振りかける。
 その一部が熱せられたフライパンの露出部分にかかり蒸発して音を立てる。
「この音っ…! なかなか恐ろしいですわねっ…!!」
「最後にトマトケチャップとウスターソースを入れ、塩こしょうで味を整えるんだっ…! 更に砂糖をひとつまみ加えると、まろやかな味になるらしいぞっ…!!」
「では、お砂糖を投入ですわっ…!!」
「これでチキンライスは完成したから、とりあえずお皿に盛りつけてアルミホイルで保温しておこうっ…!!」
「なんか、このまま食べても良いような気もしますわね…!」
 姫はゴクリと喉を成らす。
「それは同感だけど、折角卵を買って来たんだから最後まで作ろうよ…!
 次はいよいよ半熟オムレツの部分に取りかかるんだけど、一人分ずつ作る必要があるから、僕が姫のを作って、姫が僕のを作って、互いに交換する事にしよう…!」
「互いの愛情が試される時ですわねっ…!!」
「そう言う事だっ…!! じゃあ、まず僕から行かせてもらおうっ…!!
 まずボウルに卵2個を混ぜ解かし、牛乳大さじ1杯を加えて軽く塩コショウするんだっ…!!
 卵は二種類買って来たから、僕がもみじを、姫がさくらを使ってみよう…!!」
 竜斗は淡路島で買って来た深い色をしたもみじの殻を割り、その中身をボウルに投入する。
「ぷりっとした黄身のハリが凄いですわね…!!」
「ううっ、なんか料理で使うのが勿体ない感じだ…! しかも、黄身を箸で刺して混ぜても崩れにくいっ…!!」
 竜斗は卵を混ぜながら牛乳を投入し、塩こしょうで味付けする。
「ひょっとしたら、もみじは生で食べるのが向いているのかも知れませんわね…!」
「それから、フライパンを暖め過ぎないようにしながらバター5gを溶かす。
 これからがスピード勝負で、卵を流し入れながら箸で大きくかき混ぜ半熟にしたところで、滑らせるようにしてチキンライスの上に乗せれば取りあえず完成だっ…!!」
 しかし、竜斗は半熟卵を乗せる際に若干形を崩してしまう。
「しまった…! 姫の分なのに失敗するとはなんたる様だ…!!」
「少しぐらい形が悪くても味は変わらないんですし、貴方の気持ちは伝わっていますから、あまりお気になさらないで下さいな…」
 落ち込む竜斗の肩を叩く姫。
「ありがとう…」
「まぁ、わたくしは無様に失敗するような真似は致しませんけど…!」
「酷いよ、姫ぇ…」
 しかし、姫が笑いながら言った最後の一言で竜斗は泣き崩れた。
「では、わたくしはこっちのさくらと言う方の卵を使いますわ…!」
 さくらの殻は先ほどのもみじに比べて色が薄く、黄身は大きいものの強い弾力があるわけでは無さそうであった。
 牛乳と混ぜるともみじとの違いは明らかになる。
「この卵は白身の粘りが強く、牛乳との混ざりが非常に良いですわっ…!!」
「さくらの方がより料理向けなのかも知れないね…!」
 そして、竜斗と同様にバターを溶かした熱したフライパンで半熟状態にし、一気にチキンライスに流し込むがやはり形が崩れる。
「あれっ…? 失敗しないって言った人は誰だったっけ…!?」
「ドンマイですわ…!!」
「あ、自分でそれ言っちゃうんだ…!」

 二人は自分が作ったオムライスを持って夕食の間の食卓に運んだ。
「オムライスと言えば食べる前にもう一つ残されている事があるよね…! それはこれさっ…!!」
 そう言うと竜斗はさっとトマトケチャップを取り出した。
「ついでだし、自分の作ったオムライスにケチャップを使ってお互いに相手へのメッセージを書こうよ…!!」
「ふふふっ、随分乙女チックなんですわね…!」
「まぁね、僕ってば男にしておくのが勿体ないぐらい可愛い奴でしょ…?」
「ならば、いっそのこと女の子にしてしまうと言うのも有りですわね…!」
「それは勘弁ね…!!」
 そして、二人は互いにケチャップを持って一生懸命書き込む。
「出来たっ…!!」
 竜斗の作ったオムライスには、姫大好き!!と角を丸めた字がケチャップで書かれていた。
「あら、可愛らしいですわね…! でも、わたくしの作品には敵いませんことよ…!!」
 姫が作ったオムライスには丸顔でみすぼらしい毛を生やした、落ちぶれた狸のような生物が描かれていた。
「こ、これは…!?」
「見ての通り貴方を描いたんですのよ…! ただ、そのまま描いても面白く無いので、猫ちゃん風にディフォルメしてますが、我ながらそっくりだと思いますわよ…!!」
「あ、ありがとう…! 嬉しいよ…!?」
「あら、なんで疑問系なんですの…?」
 竜斗は汗を流してぽりぽりと頭を掻いた。
 そして、互いに自分の作ったものを相手の席に置くと着席する。
「じゃ、いただきます…!!」
「いただきますですわ…!!」
 二人はスプーンでオムライスを掬って口に運ぶ。
「うおっ、美味しい…!」
「本当に…、本当に美味しいですわ…!」
 姫は思わず涙を零す。
「わたくしはお腹を満たす素晴らしい味のお料理を沢山食べて来ましたけど、こんなにも心を満たす幸せな味のお料理を食べたのは初めてですわ…!」
 ゆっくりと味を噛み締めるように食べる姫。
「良かったね、姫…! 夕鶴が料理の秘訣は愛情だって言ってたけど、本当にそうかも知れないね…!!」
「ふふふっ、洋の東西、価格や品格に関係なく良いものを愛する、真の美の探求者であるわたくしが最後に辿り着いたものが愛情とは…、本当に素敵ですわね…!!」
 姫は涙を拭きながら竜斗に向かって笑いかけた。
「しかも、その言葉はわたくしが聖蘭から聴いて、夕鶴さんに教えて差し上げた事ですけど、まさか自分に還って来るとは思いもよりませんでしたわ…!」
「もしかしたら、聖蘭さんにそれを教えたのはお義父さんだったりしてね…! なんだか感慨深いものがあるよ…!!」
「人の気持ちが人から人へと伝わり、やがては巡り廻って還って行く…。因果応報とはそう言うものかも知れませんわね…!」
「うん、きっとそうだね…!」
 そして、二人はオムライスを食べ終えて手を合わせる。
「ごちそうさま…! お腹いっぱい、心いっぱいさ…!!」
「ごちそうさまですわ…! 本当に美味しかったですけど、鶏肉は少し大き過ぎましたわね…!!」
「それは忘れておきたい所だったけどね…! じゃあ、一緒に後片付けしたら踊ろうよ…!! もちろん、曲は月下の夜想曲でね…!!」

 神戸の空から日が沈み、少し欠け始めた月が浮かんでいた。
 ゆるやかに回り続ける観覧車や、天に向かって伸びるビル群が色鮮やかな光を放ち、海上にその姿を映し出す。
 まるで人生の最後に自分の生きた証を残すために自ら光を放つ蛍のように、一日の終わりにひと際明るく輝き人々の心に思い出を残すのが神戸の夜だった。
 そんな情景を一望する風見鶏の館のベランダ。
 その開け放たれた窓からは涼しい風が吹き抜け、月明かりを透過するレースカーテンを揺らし、柔らかい光と闇が混じり合う幻想的な空間を作り上げていた。
 その中で二つの身体を重ねた小さな影が踊る。
 蓄音機が奏でるノイズ混じりの月下の夜想曲のリズムに乗りながら。
 繋がれる手と手。
 互いの腰に腕を回し。
 後ろに。
 前に。
 ステップを践み。
 引き離す。
 廻る。
 廻る。
 廻る。
 銀色に煌めく二束の髪を。
 レースの付いた黒いスカートを。
 月下に咲く美しい華のように広げながら。
 互いを引き寄せ。
 肩を抱き。
 頬と頬。
 下腹部と下腹部。
 燃えさかる身体を擦り合わせ。
 手と手。
 脚と脚。
 解け合うように絡み合わせる。
 肩を。
 背を。
 腰を。
 秘所を。
 互いの全てを愛でるように、全身の稜線を撫でて行く。
 そして、曲のフィナーレと共に唇を重ねる。
 虫の音だけが聞こえる静かな空間に、舌と舌が絡み合う音が、熱く熟れた秘所を弄る音が、二つの呼吸が漏れる音が響く。
 こうして、二人きりの夜が更け、この物語に終わりの時が近づいて行く。
 
 月明かりが照らし出す寝室。
 アンティークな家具や沢山の人形達に囲まれ、二人は産まれたままの姿でクイーンサイズのベッドで寄り添っていた。
 姫は竜斗の少し逞しくなった傷だらけの腕を枕にし、竜斗は姫の小さな頭を抱えるようにして下ろした髪を撫でる。
 時間を置いて残った体液が零れ出る感覚を味わい、互いの感覚を心と身体に刻むように最後の余韻に浸る。
 匂い立つ火照った身体を冷ましながら。
 それがどれだけ続いただろうか。
 時計の針が真上へと近づき、間もなく物語の終わりを告げようとする頃。
 姫が沈黙を破る。
「恐い…、恐いですわ…」
 姫は大粒の涙を流し、嗚咽を堪えながら竜斗の胸に縋り付いた。
「人生の最後に貴方に愛され…、祝福されながら旅立てる…、こんなにも…、こんなにも幸せな事は無いはずなのに…。
 この時を迎える為に…、長い…、本当に長い時を生きて来たはずなのに…。
 もう…、思い残すことなど無いはずなのに…。
 いざとなると貴方と別れるのが…、寂しくて…、恐くて…、涙が止まらないんですの…」
「姫…」
 竜斗は震える小さな裸体を抱き締める。
「もっと…、逞しく成長して行く貴方と…、力を合わせて…、仕事をしたいんですの…。
 ちゃんと…、免許を取った貴方に…、色んな所にドライブに…、連れて行ってもらいたいんですの…。
 形だけじゃない…、本当の夫婦になって…、しっかりと…、お料理を勉強して…、 一緒に生活して…、もっとエッチして…、家庭を築きたいんですの…」
 すすり泣く姫の姿は弱々しく、まるで小さな子供のようだった。
「まだまだ…、これから…、沢山の幸せな日々が続くはずなのに…、ここで終わってしまうなんて…。
 そんなのって…、そんなのって悲し過ぎますわ…。
 まだ…、まだ、死にたくない…。死にたくないんですのぉ…」
 姫はゴスロリ服と共に嘘を脱ぎ捨て、心の底から、魂の底から静かな叫びを上げていた。
 だが、竜斗は止まっていた時が動き出す何かを感じていた。
 竜斗は臍下丹田式呼吸法によって陰陽の気を練り込み、走馬灯のように浮かんでは消える記憶の欠片を辿って答えを探し出そうとする。
 そして何時か姫が聴かせてくれた悟りの話が脳裏に浮かぶ。
「人はどんなに足掻いても過去は変えられないし、何時かはその結果である現実に苦しめられる事になる。
 それが因果応報であり、この世の理なんだと思う。
 だけど、過去を受け入れて今ある現実と向き合えば、永遠に続くような苦しみから抜け出して、それから先の未来は幾らでも変えて行ける。
 姫はまだ死んでなんかいないから、生き続けられる未来だって創れるはずだよ」
 竜斗は数々の経験を経て今まで理解出来なかった話を、自分なりに解釈して人に伝える事が出来るようになっていた。
「悲しくなるので…、そんな気休めの嘘は言わないで…下さい…」
 姫は声を擦らせながらも言う。
 そんな姫を宥めるように頭を撫でながら竜斗は言う。
「本当だよ、だって僕は姫の死を否定して大アルカナの力に逃げ込んだ因果を受け入れて、その応報である繰り返される世界やトーナメントと向き合って来た。
 だから、ここまで辿り着く事が出来たんだからさ。
 でも、それは姫が今まで一生懸命頑張って来たお陰だよ。
 だから、明日へと続く本当に幸せな未来を夢見れるようになったと思うんだ。
 でも、あと一歩なんだ。
 最後に残された因果を受け入れて応報と向き合って、その夢を現実へと変えて行こうよ!」
 そう言うと竜斗は笑いながら姫と向き合った。
 姫には竜斗の背後に後光が射しているかのように見えた。
「ふふふっ…、貴方ならば何時か悟りの境地に辿り着くと言いましたが…、まさかそれを信じて現実にしようとは…、まさにお馬鹿さんの極みですわね…!」
 涙を流しながらも何時もの調子に戻った姫に竜斗は安堵する。
「お褒めの言葉ありがとう!」
 竜斗は戯けながら言う。
「いいですわ…、残された時間は少ないですが、最後まで諦めずに自分自身と向き合って行きましょう…!」
 姫は臍下丹田式呼吸法で陰陽の気を練り込み、心と身体の状態を整えて行く。
 それは竜斗の放つ気と混ざり合い、インスピレーションが高まって行く。
「姫が記憶を保ち続けながら生と死を繰り返して来たのは、僕の前世を庇って自分から命を落とした事が原因だったよね。
 そして、姫は一生懸命その現実と向かい合って、毎日を大切にしながら生きて来たけど、本当の因果を受け入れる事は出来なかったと思うんだ」
 竜斗は姫から聴いた過去の話を思い出しながら言う。
 自分自身の前世の記憶を見た事で、何か違和感を感じるようになっていたからだ。
「何故…、そう思うんですの…?」
 姫は自分も意識していなかった図星をつかれ思考が停止するような思いだったが、陰陽の気を練って精神が強化された為に一瞬にして冷静さを取り戻す。
「姫は自分から死を望む気持ちを克服出来たと思う。
 でも、その後も自分の命を捨ててまで僕を守ったり、老化する前に解放されたがっていた事に何か違和感を感じていたんだ。
 もしかしたら、その理由に答えがあるんじゃないかな?」
 竜斗の中にはもう既に確信じみたものがあった。
「ふふふっ…、貴方はわたくし以上に、わたくしの事をご存知なんですね…」
 姫も自分自身の記憶を辿り、答えに近づきつつあった。
「僕は姫の事が大好きだからね」
 そして、その言葉を聴いて確信する。
「そう…、わたくしは生き続ける事が…、貴方に嫌われてしまう事が恐かったんですわ…」
 時を刻んで行けば良くも悪くも万物は流転して行きます…。
 容姿や性格が変わって行きます…。
 人との関係が変わって行きます…。
 世間も生活も変わって行きます…。
 時代や風景も変わって行きます…。
 辛い事も、悲しい事もあります…。
 一寸先が闇で先が全く見えない事もあります…。
 落ちぶれて人生の敗者となってしまう事もあります…。
 自分自身のアイデンティティを失ってしまう事もあります…。
 どんなに足掻いても大切な人と別れが避けられない事もあります…。
 わたくしは自分自身の完璧な世界が崩れて行くのに耐えられなかったんですの…」
 そして、姫は無意識に秘めた思いを呟くように吐露し、その白い頬に一筋の涙を流す。
 竜斗は姫を優しく抱き締め、より深い真理を読んで行く。
「姫は生きている限り美化する事の出来ない、絶対に避けては通れない事が沢山ある事を誰よりも知って、一人で背負い切れない不安を抱えてしまったんだと思う。
 孤独になって押し潰されるのが恐いから、強くて不思議な女の子で…、僕から好かれる自分であり続けたかった…。
 本当に辛い思いを沢山しながら、頑張って生きて来たんだね…」
 竜斗に看破され、姫は声も無く涙を流し続けた。
「僕はそんな姫と出会えて…、本当に良かったと思うよ…」
 その竜斗の言葉は柔らかくなった姫の心を勇気づける。
「竜斗さん…、本当は弱い…、こんなわたくしでも好きでいてくれますか…? 残された時間は長く無いかも知れませんが、最後まで一緒に居続けてくれますか…?」
 姫は竜斗に抱き締められながら、上目遣いをしながら甘えた声で聴く。
 優しく笑いながらも、頷いた。
「生きていれば色々な事があると思う。
 だけど、互いに支え合いながら歩める人がいれば、どんな困難だって乗り越えて行ける。
 自分自身の本質を見失わずに、良い方向に変わって行ける。
 そうやって変わり続けながら歩んで来た道のりを、自分自身のアイデンティティとして大切にして行こうよ」
 時計の針は日付変更に向けてカウントダウンを始める。
 竜斗は自分の胸の中で、姫の心臓の鼓動が高鳴って行くのを感じていた。
「だから、姫…、これから続く日々を一緒に生きて行こう…!! 今そこにある日々を大切にしながら精一杯楽しんで生きて行こう…!!」
 そして、時計の針が日付変更を、新しい日々の到来を知らせると同時に唇を重ねた。
「これからも…、ずっとずっと大好きだよ…、姫…!!」
「わたくしも、大好きですわ…!!」
 そして、二人は再びベッドへと飛び込み激しく身体を重ねた。
 こうして、1999年7月の物語は終わりを告げる。
 だが、これからも彼らの人生は続いて行く。
 本当の強さを…、前向きに生きる気持ちを失わない限り、ここでは語られない様々な物語を綴り続けながら。

あとがき

一年間に渡って書き続けたこの作品ですが、ようやく完結させる事が出来ました。
作中でも触れられている事ですが、この作品のテーマは日々の積み重ねです。
作者自身も主人公達と一緒になって毎日を一生懸命生きて、ふと振り返った時に浮かび上がって来る走馬灯のような作品を目指しました。
その為に普通だったらカットしてしまうような日常的な描写や、仲間達との関わり合いを遠回りしながらもしっかり描き、一見他愛も無いような場面にこそ重要なヒントを散りばめて来ました。
後半は伏線でがんじがらめになり、自由な発想が出来なくなって辛い事もありましたが、最後の戦いや日常の場面で今まで巻いて来た種が華をさかせた瞬間は嬉しくてたまりませんでした。
そして、書き終わった時にどんな景色が見れるのかなぁ、と楽しみにしていたんですけども、実際には疲れから放心状態になって振り返る余裕すらありませんでした。
それから数日間が経過し、ようやく落ち着きを取り戻して来たので、後書きを書いている次第です。
そして、今まで見る余裕が無かった、頂きからの景色も見えて来ました。
それは、また新しい頂きを目指して旅立つ事…、そうこれからも小説を書き続けようって事です。
次回作は1979年の東京を舞台にした作品にしようかと思います。
1997年はガンダム、ヤマト、スタートレック、銀河鉄道999,ズームイン朝、西武警察、金八先生、ドラえもん、ウォークマンなど伝説級の作品が大量にリリースされた年で、 その時代背景を活かした作品を作れるように頑張って行きます。
では、本当に長くなりましたが、最後まで付き合い頂きありがとうございます。
次回作も是非とも宜しくお願いします。
よろしかったら、このパブーのコメント欄や、Twitter等でご感想を頂けると嬉しい限りであります。

この本の内容は以上です。


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