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友情と宿命

 1999年7月26日(月)
「ふっ、やっと一息って感じだな」
「もう、奏真お兄ちゃんったら、だらしないんだからっ!!」
 この日はNo.19太陽のアルカナとNo.11正義のアルカナの試合が行われる事になっていた…つまり、奏真と空の第二回戦である。
 その舞台となる場所は神戸のランドマークとして知られるポートタワーのあるメリケンパークであり、22時と言う比較的遅い時間に設定されていた。
 竜斗達は昼過ぎに集合して、メリケンパークの対岸にある複合商業施設、ハーバーランドの一角にある神戸モザイクで時を過ごした。
 神戸モザイクは西洋の港町を思わせる外観のショッピングモールで、如何にも神戸らしいモダンさから若者達を中心に人気で、夏休みと言う事もあり沢山の人で賑わっていた。
 彼らは一通り映画鑑賞やショッピングを楽しんだ後、神戸モザイクの隣にある煉瓦倉庫レストランで夕食を取る事にした。
 その名の通り海に面した古い煉瓦倉庫をレストランに改装したもので、彼らの入った店は情緒あるレトロな内装で、古い時代のアメリカを思わせるスパゲティが売りだった。
「にしたって、はしゃぎ過ぎやろ!!
 スターウォーズEP1の映画見て、喫茶店行ってケーキ食って、洋服見て、アイス食って、雑貨見て、そしてスパゲティ!! 食ってばっかやないかっ!!」
「はぁ? お前アホか!? 甘いもんは別腹に決まってるやろ!?」
「ねーっ!!」
 夕鶴の熱弁に空が掌を合わせて同意する。
「別腹って都合が良いシステムだよなぁ…、まぁ、あんだけ動けば腹減って当然だけど。
 夕鶴なんて松葉杖であちこち歩き回るんだもんな、転けるんじゃないかと見ててヒヤヒヤもんだったよ」
「仕方無いやろ! だって、自分の足で歩くのって久々やし楽しいんやもんっ!!」
「ふっ、歩けるようになって何よりだ」
 奏真は何よりも嬉しそうだった。
 ひょっとしたら、奏真は自分が夕鶴を苦しめていると、長い間気にして来たのかも知れないと竜斗は思った。
「でも、何で急に歩けるようになったんやろね。そりゃ、筋肉の衰えはあるんやけど、今までみたいな痛みは無いみたいやし」
「そーいや、工藤と木村も平気そうやったな。まぁ、アイツらに痛みを感じるだけの品性があるかどうか疑わしい所やけど」
「ひでぇな、お前…!」
 と言いつつも何となく納得してしまう竜斗であった。
「もしかすると、いんがおうほうが関係あるんじゃないかって、お父さんが言ってたよ。
 なんでも、人間の運命にはみんな理由があって、それを見つけて乗り越えると良いんじゃないかって。
 空には難しくてよく解んなかったけどね…」
 空の言うお父さんとは、旭陽昇…つまりブラフマンの事だ。
「因果応報か…、確かにいきなりそんな事言われても解らないね」
「ふっ、そう言う時は具体的に何かに例えると良いさ。
 例えばあの二人の場合、怪我を負った原因は生徒会長に組して、弱者を虐げるような態度を取り続けた事だろ?
 ところが竜斗の説得もあって、過去を反省し大河を守る為に生徒会長と戦おうとした。だから、因果応報を克服する事が出来たんじゃないかな」
「じゃ、うちの場合はどうやの? 怪我した原因なんて思いあたらへんで」
「夕鶴の場合は怪我をする事は避けられない試練で、そこから学ばないといけない事があったんじゃないかな…? 多分、それは自分で解っているはずさ」
「そやね…! でも、そうすると空の場合は何やろ…?」
「ん!?」
「それどう言う事や!?」
「な、なんでもあらへんよ!! それより、折角ハーバーランド来たんやし観覧車乗らへん…?! うち、一度乗ってみたかったんや…!!」
 竜斗と大河が聴くと夕鶴はあわてて誤摩化した。
「まぁ、良いけどさ…」
 何時か話してくれるんだろう、竜斗はそう思った。
 だが、それが彼らの運命を揺るがす事になるとは、この時の竜斗は知るよしも無かった。

 そして、食事を終えた竜斗達はモザイクガーデン内にある観覧車へとやって来た。
 一千万ドルの夜景と称される神戸の街を一望出来るのは当然ながら、六甲山の上から見た場合ライトアップされた観覧車が海に浮かんでいるように見え、神戸の象徴の一つとして市民・観光客問わず人気が高いスポットである。
 ゴンドラの乗員は四名である。
 必然的に奏真と空、大河と夕鶴がペアを作って並んでいた。
 その様子を竜斗は少し離れた所から見ていた。
「ちょっと待て…! 何か不公平さを感じやしないか…?」
 竜斗はその状況に疑問を呈した。
「ん、どう言う事や?」
「このままだと一人だけはぐれ者、もしくは邪魔者が発生する事にならないか…? 誰とは言わないけど、そんな事になったら泣いちゃう人がいるかも知れないぞ」
「ホントだ、これだと竜斗が独りになっちゃう!!」
 空が口を大きく開けて驚く。
「いや、だから誰とは言ってないけどね!!」
「うわっ、竜斗センパイごっつかわいそうやなー!!」
 夕鶴は同情するように竜斗の肩を叩く。
「いや、ここで同情されると、本当に泣きそうなんだけど…」
「こうなったら、お前の分まで存分に楽しんで来てやるで!! ほな、行こか!!」
「らじゃーっ!!」
 と大河のかけ声に夕鶴と空が乗っかる。
「ちくしょう!! もう泣いてやるからなっ!!」
「って、言う前から泣いてるやろっ!!」
「ふっ、じゃあ、公平にウラオモテで組み合わせを決めようじゃないか」
「うらおもて…?」
「もう、竜斗センパイったらそんな事も知らへんの? ウラオモテ言うたら、手の裏出した人と、手の表を出した人でグループ別けする方法に決まってるやないの! 一発で決まらへんかったら、テッテノテって言うんやで!!」
「ああ、グーパージャスみたいなものか」
「なんやそれ?」
「空、グーパージャス知ってるよ!」
「ああ、前に東京に行った時にやった事があったな。
 グーパージャスは関東の広い地域で使われているグループ別けさ。ちなみにウラオモテは神戸でしか使われていないらしい」
「ウラオモテって神戸ローカルやったのか、うち知らへんかった…」
「子供の遊びは地方によって呼び名やルールが違うのさ。郷に入れば郷に従えと言うし、ここではウラオモテで決めるとしよう。
 じゃあ、どんな組み合わせになっても恨みっこ無しだ!!
 いくぞっ!!」
「うらおもてっ!!」

「じゃ、女子同士仲良く行こか!!」
「うん、楽しんで来ようね!!」
 と先陣を切って空と夕鶴の女子二人のペアがゴンドラに乗り込んで行く。
 続いて竜斗、奏真、大河の男子三人のトリオだ。
「…なぁ、言ってええか?」
「言うなよ、言うだけ悲しくなるだけだぞ…!!」
「いいや、ここはあえて言わせてもらうでっ!! 何が悲しゅうて野郎三人で観覧車乗らなきゃアカンのやっ!!」
 と大河は拳を震わせて涙を零した。
「ああっ、言っちゃった!! 止めろよな、せっかく悲しさを忘れようとしてたのにっ!!」
「そりゃ、黙ってられへんでっ!! 今頃、向こうのゴンドラではキャッキャッ言いながら夜景を楽しんでるんやでっ!! 今からでも向こうのゴンドラに移りたいわっ!!」
 竜斗は大河がゴンドラの緊急避難口を開けて、鉄骨伝いに先を行くゴンドラに移動する姿を想像する。
「大分、アクロバットだな…!! よし、止めはしないっ!! むしろ応援するよっ!! ガンバレっ!!」
「応っ!! 行ってくるで!! お前の分まで楽しんでやるからな…ってちゃうやろ!! そこは止めてくれや!!」
「ふっ、俺は男同士でも全然構わないけどな。むしろ君達と一緒に乗れて嬉しい限りさ」
 竜斗と大河は後ずさる。
「出してくれぇ!! 俺をこっから出してくれぇ!! 俺には失いたく無いものがあるんやぁ!!」
「おや、何を誤解してるんだい? 美しい魂を持った者に男も女も無いだろ!?」
「いや、それ全然誤解や無いやろ!!」
 竜斗は大河と奏真がわだかまりなく接している事が何だか嬉しかった。
「まぁ、確かにたまには男同士ってのも悪く無いかもね…!」
「うわっ、お前まで何言うとるんやっ!! この中でマトモな男は俺だけかいっ!!」
「昨日まで女の子だった奴が何言ってるんだよ…!」
「それ言わんといてやっ!!」
 ゴンドラ内に笑い声が響いた。
「はははっ、竜斗こそ本当は空と一緒に乗りたかったんじゃないか?」
「…そりゃ、一緒に乗りたいとは思うけど、あくまで友達としてだよ!」
「嘘こけっ!! お前モロ空の事好きやったやろっ!!」
「うわっ!! お前ソレ言っちゃう!?」
「ふっ、知ってたさ。俺が君の空への気持ちに気がつかないわけ無いだろ?」
「さすが、奏真センパイ!! それに気付くとはやっぱり天才!?」
「いや、むしろ気がつかん方がアホやろ!!」
「その通りさ、竜斗は解りやすいからな」
「な、なんだって…!?」
「何ショック受けてるんや!! 自分で解るやろっ!! ちゅうか、お前まさか自分の事、謎めいた転校生キャラだと思ってへんやろな!?」
「そ、そんな事あるわけ無いじゃないか!!」
「図星かいっ!!」
「はははっ、その裏表の無い真っ直ぐな心は素晴らしいね。そんな君だからこそ、俺のライバルとして相応しいってものさ…!!」
「ら、ライバルって…!?」
 竜斗は明らかに顔色を変える。
「ふふっ、君は本当に解りやすいな…」
 奏真は何時になく深く嘲笑する。
「そう、俺が君の気持ちを知りながらも様子を見続けたのは、君と言う男の本質を確かめたかったからさ…!
 そして、勝手ながら君は俺のライバルとして認定させてもらったよ…!!
 だが、言っておくが俺は負けるつもりは微塵も無いさ…!!」
「ええっ!!」
「共に互いに惚れた女を賭けて戦おうじゃないか…!」
「ああ、なんだそう言う事か…!!」
 竜斗は思わず深く息をつく。
「おや、何か勘違いでもしたか?」
 奏真は一人で青ざめたり、ホッとしたりする竜斗の様子を見て笑っていた。
「残念ながら僕は奏真先輩のライバルとは成り得ないよ…!
 まぁ…、そりゃ空を女の子として好きだった事は確かだけどさ、今は本当に友達として好きなだけだからね…!!」
「おっと、そいつは残念だな」
「お前、奏真の手前遠慮してるんとちゃうの? それともアレか、イチャイチャ見せつけられて敵わない思ったんか?」
「違うってば! ただ、他に好きな人が出来ただけだよ!! いや、本当は始めから好きだったんだけど、最近になって自分の気持ちに気づいたって感じかな?」
「竜斗ってホンマに色恋事に鈍感やな!!」
「お前がそれを言うか!!」
「ふっ、俺も身に覚えがあるだけに耳が痛いな」
「意外やなぁ、それって空との事かいな?」
「ああ、それは今も続く空との恋の始まり。そしてもう一人…、俺の初恋の相手であり、初めての失恋の相手との思い出さ」
「誰やその相手は!? おれ達の知ってる奴か!?」
「うわっ、お前そこまで聴いちゃうのかよ!!」
「褒めんといて!!」
「だから、褒めてないからっ!!」
「ああ、その相手は間違い無く君たちが知っている人さ」
「へぇ、誰だろう!?」
「残念ながら彼女に断り無く名前を教える事は出来ないが、その一冬の物語を話すぐらいなら構わない。
 もっとも、その名を言った所で信じる事は出来ないだろうな、現在の彼女とは遥かに印象が違うから」
「勿体ぶらないでサッさと話せやっ!!」
「ふっ、それにはまず俺の事から話さなければならない。
 そう、全ての始まりは1995年の時だった。
 君たちも噂ぐらい聴いた事があるだろう、俺は阪神淡路島大震災で怪我をして、自分の名前以外の記憶を失ったんだ。
 …もっとも、青海奏真と言う名前すら本名かどうかは解らない、何故ならば該当する戸籍が存在しないのだから。
 身よりの無い俺は脳神経外科医である旭陽昇…そう、空のおじさんに拾われて治療を受け、そのまま家に住まわせて貰える事となった。
 幼かった空は傷ついて孤独な俺を心配し、甲斐甲斐しく看病し世話を焼いた。
 そのおかげか俺の怪我は全快し、中二の五月から学校に通う事になったんだ。
 だが、俺にとっては日常生活は退屈で下らないものだったよ。
 何をしていても現実感が無く、俺の住む本当の世界は他の場所にあると思っていた。
 そう、それは繰り返し見る断片化した夢の世界だ。
 その世界での俺は傍らに寄り添う少女と唇を重ねる事で異能力を発揮し、同じような能力を持つ者と果てなき戦いを繰り広げていた」
「それって、この特別授業と同じやないか…!」
「まさかそれが奏真先輩の過去の記憶だって言うの…!?」
「冷静に考えればそれは無いだろうな。
 記憶を失う前の幼い俺が戦いに興じていたとは考えられない。
 更に言うと時系列が世紀末であると思われるが、現在の状況ともかなり異なっているようだ。
 つまり全くの異世界、単なる夢さ。
 おじさん流に言うならば潜在意識の現れであり、アルカナとしての核と言った所だろう。
 だが、当時の俺はそれが真の世界だと信じて疑わず、現実世界での満たされない思いを埋めるように、気に食わない奴を探しては喧嘩を繰り返していた。
 それは正義など無いただの暴力だった。
 同じ学校の一学年下である空はそんな俺を心配していたが、俺は空を口五月蝿い妹のように思って邪険にしていたよ」
「空もアンタの事、ダメな兄貴のように思っていたんやろうな」
「ダメかどうかは解らないけど、先輩をお兄さんのように慕っていたのは確かだろうね」
「ふっ、本当の所はどうなんだろうな、正直女心は今でも解らないものさ。
 だが、確実に関係が変わったと言える時がやって来る。
 その年の冬休みの事だ、俺達はおじさんの仕事の関係で東京の別邸で過ごす事となったんだ。
 東京でもやる事と言ったら変わらない、空の目を盗んで夜の街に繰り出して喧嘩をするだけさ。
 そして、もっとも闇の深い時間、俺は新宿のビルの路地で夢に見る少女の影を見たんだ」
「その夢の少女ってどういう子なの…?」
「そや、それって結構重要やで!!」
「それが思い出せないのさ、夢を見ている間だけは覚えているが、目が覚めると霞のように記憶から消えてしまうんだ。
 その時も確かにその姿を見たはずだが、今となってはその姿を思い出す事が出来ない。
 まるで存在そのものが幻であるかのようだった」
「…」
「俺は少女の後ろ姿を必死で追いかけ、気がつくと都庁前の通りに出ていた。
 そして、俺は出会ってしまった。深夜の都庁前の通りで能力を使う男相手に戦う一人の女性に。
 身体にぴったりとフィットした破れたジーンズに、ライダースジャケットと言う趣きの長身の女性は、長いストレートの金髪や腰に下げたチェーンを振り乱し、能力者相手に一歩も引かない戦いを見せていた。
 だが、能力を持たない彼女がジリ貧になるのは目に見えていたので、俺は意を決して助けに入る事にした。
 しかし、彼女は不敵に微笑むと突然俺の唇を奪い、絶対的とも言えるような自我領域を展開させた。
 彼女はNo.2女教皇のアルカナを発動すると、1.5メートルはあろうかと言う斬馬刀を具現化させ、圧倒的な力で相手をねじ伏せたよ。」
「それって、確かブラフマンに続く二番目のアルカナで、トーナメントの準決勝で戦う相手じゃないか…!!」
「そう、彼女はブラフマンによる能力開発の真っ最中であった。
 それは小アルカナと呼ばれる者達との戦いだった。
 彼らは能力発動にパートナーを必要としない代わりに、能力の威力が大アルカナと比べて弱いんだ。
 彼女はパートナーと別れたばかりで、俺を強引に新たなパートナーと決めたようだった。
 俺は正直、心躍ったよ。
 夢に見た戦いの世界が目の前で繰り広げられようとしているのだから。
 そして、彼女は自分の愛車であるロータリー仕様のマツダ・ロードスターに俺を押し込むと、彼女の部屋に連れ込まれて身の回りの世話をさせられたよ。
 なんと言うか、彼女は自分の興味の無い事に対して全く無関心な人だった。
 昼間から酒を飲んでは眠り続けて布団から出ようとしない、自分の事も自分でやりたくない様子だった」
「とんでも無いねーちゃんやな…! なんか、親近感湧くで…!!」
「間違い無く大河系の人だな…」
「だが、夜が更けて戦いの時間になると一転するんだ。
 過激な言葉で相手を煽ってギリギリの危険な攻防を楽しみ、スリルに身を任せている間だけ生きている事を実感する。
 そして、暴力に対して圧倒的な暴力でねじ伏せる。
 彼女を言葉で現すとしたら、戦闘狂の快楽主義者さ。
 俺は彼女の存在そのものが探し求めていた真実の世界だと思い心惹かれて行った。
 そして、俺は彼女の誘う闇の世界に堕ちて行く」
「それはカッコいい人やな!! 俺も惚れてしまいそうやで!!」
「でも、空はどうしたの!? まさか放置したとか!?」
「そのまさかさ、俺は空の存在などすっかり忘れていたよ。
 だが、俺と空は思わぬ形で再開する事となる。
 No.2女教皇のアルカナの元パートナーであった男性が、No.5教皇のアルカナとして目覚め、空はそのパートナーとなり俺達の前に現れたんだ。
 教皇のアルカナは空の手の甲に口づけをすると、太刀と小太刀の二本の刀を具現化し女教皇のアルカナへと立ち向った」
「何が目的なんだろう…!?」
「それは俺達を止める為さ。
 空はずっと失踪した俺を探し続けていたらしい。
 そして、人の心を捨てつつある女教皇を止める為、パートナーを辞めてアルカナの力を手に入れた教皇と出会ったようだ。
 何処までも堕ちて行く俺の状態を知ると、何としてでも止めたいと思ったようだ。
 女教皇と教皇、二人の大アルカナによる戦いは熾烈を極めた。
 その戦いに魅入られた俺は空の言葉に耳を貸そうとはしなかったんだ。
 やがて、力の拮抗した二人の大アルカナが共に倒れそうになった時、小アルカナの中で最強クラスの一人であるクラブのキングが現れ、二人に止めを刺そうとしたんだ」
「卑怯者やな…!!」
「二人の大アルカナは一時休戦して、力を合わせてクラブのキングに挑んだ。
 それは女教皇にとって初めて意味のある戦いとなったんだ。
 戦いは彼女にとって捨て去る事の出来ない自分自身を構成する要素だが、誰かを守る為に戦うと言う目的を得て満たされたようだった。
 そして、守りたい相手であり、かつて愛し合っていた男と背中を合わせて戦う、それ以上に嬉しい事は無かったんだろう。
 彼女は良い笑顔で笑いながら戦っていたよ。
 だが、既に力尽きかけていた二人は、抱き合うような形で倒れてしまう」
「それが失恋の瞬間だったのか…」
「俺は失恋の痛みを誤摩化すように怒りに任せて、クラブのキングに向かって行ったんだ。
 それこそ、なんの力も持っていないのにな。
 結果は言うまでも無い。
 全身を細切れにされ瀕死の重傷を負った俺は止めを刺されそうになったが、それは自業自得だと思い自分の人生を諦めた。
 だが、空はそんな自暴自棄になった俺を庇って代わりに攻撃を受けたんだ。
 空は血に染まり倒れながらも俺の身を案じてくれていた。
 俺は空が側にいてくれる日常の大切さ、夢に逃げて見て見ぬふりをしてきた空への思いに気がついたんだ。
 失わないかけないと、そんな事を気づけない馬鹿野郎だったんだ。
 俺と空は死に瀕し、薄れ行く意識の中で唇を重ねた。
 その瞬間だ、俺の中でNo.19太陽のアルカナが目覚めたのは。
 再生能力によって空と自分自身を治療した俺は、何度も破壊と再生を繰り返しながらクラブのキングを倒したんだ。
 そして、俺は空と共にある日常を大切に守りながら生きる事を決め、今に至るってわけさ。
 それからはあの夢は一度も見る事は無くなったよ。」
「うわぁ、超壮大な物語だった!!」
「本が書けそうな次元やな!! 金に困ったらこれをネタに夕鶴に小説書かせる事にするわ!!」
「って、お前自分で書くんじゃないのかよ!!」
「舐めてもらっちゃ困るでっ!! 俺が小説なんて書けるわけないやろ!!」
「コイツ、やりやがるっ!!」
「ふっ、そろそろ地上のようだな」
「話が凄過ぎて夜景見るの忘れていたよ」
「ホンマやな」
「竜斗も内に秘めた思いがあるならば、それを行動に移すべきだ。
 何故ならば時は永遠に続くものではなく、終わりと言うものは唐突にやって来るものだから、その時に後悔しないように今を大切にするんだ。
 失ってからじゃ、何もかも遅過ぎるからな」
「そーいや、言い忘れてたんやけど、俺と夕鶴は今日で家に帰る事にしたで。戦いも一段落したし、元の身体にも戻れたしな。
 聖蘭さんも俺達を送った後、そのまま明日から休暇やって言っとったから、これはチャンスやで!! ガンバレや!!」
「…そうだね!!」
 竜斗は拳を強く握りしめた。

 午後10時。
 大勢の生徒達が取り囲む閉鎖されたメリメンパーク内で戦いが開始された。
 ライトアップされたポートタワーの下、No.19太陽のアルカナである奏真と空、No.11正義のアルカナである少年と少女の二組が対峙している。
 戦いは開始早々に膠着状態となって、互いにジリジリと間合いを保って牽制していた。
 正義のアルカナは右手に両刃の剣、左手に天秤が描かれた盾を具現化している。
 竜斗はトーナメントのBブロックでは奏真以外の試合以外を観戦した事が無かった為、正義のアルカナの戦いを見るのはこれが初めてであった。 
「あの正義のアルカナってどういう人なの…?」
「それがおれにも解らへんのや!!」
「うちも知らん生徒やね。なんて言うか他のアルカナと違って、強い個性が無いのが恐い気がするわ」
 そう、正義のアルカナである少年と、そのパートナーである少女を一言で現すならば平凡だ。
「貴方はボク達の事を覚えていないかも知れませんね、ですがボク達は貴方がしてくれた事は永遠に忘れませんよ。
 悪が支配するあの中学校においてあなたは唯一絶対的な正義を示し、悪に抗う力の無いボク達にとっては救世主であり憧れの存在でしたから」
「ふっ、この俺が救世主か…。まったく不本意な称号を付けられていたものだな。その気持ちだけは有り難く受け取らせて頂こう…!!」
 奏真は正義のアルカナの隙をついて、手にしたチャクラムで斬りかかる。
「きゃーーーっ、奏真センパイ!! 先に手ぇ出してしもうたらアカンよっ!!」
 観戦していた夕鶴が悲鳴に近い突っ込みを入れる。
「コレあれやろ!? 攻撃防がれた挙げ句に反撃されて、なんやとってなるパターンやろ!?」
「だからお前ら誰の味方だよ!?
 あの場面だったら反撃食らうのを覚悟して、相手の出方を伺うしかないんだし、少し奏真先輩信じて応援しようよ!!」
 正義のアルカナは左手に持った大きな盾で斬撃を防ぐと、右手に持った剣で接近した奏真に向けて斬りかかった。
 奏真はもう片方のチャクラムでそれを弾き返す。
 正義のアルカナの反撃が如何に鋭かろうとも、運動神経と洞察力に優れた奏真にとって避けられない攻撃ではなかった。
「ふっ、カウンターを狙っていたのは読んでいたさ」
「さすが奏真やなっ!!」
 大河が絶賛の声を上げ、奏真が不敵に唇を歪ませた瞬間、正義のアルカナも同時に笑みを浮かべていた。
「なっ!?」
 その場にいる全員が嫌な予感を感じた時には既に遅かった。
 奏真の身体は自我領域ごと切り裂かれ、真っ赤な血に染まっていた。
「ぐはっ、な、なんだと!?」
 奏真が受けたダメージは大きく、反自動的に再生しながらも片膝を付く。
「おにいちゃんっ!!」
 心配した空が駆け寄る。
 だが、そこに剣を突き立てた正義のアルカナが突進して来る。
「空、危ないから離れてろっ!!」
「うんっ…!!」
 奏真は剣撃をチャクラムで弾こうとするが、正義のアルカナは直前で剣を引き、彼の斬撃を盾で受け止めた。
 そして、またしても剣で斬りつけようとする。
「ああっ、また謎の反撃来るで!!」
「それは奏真先輩も解っているはずさ!!」
 奏真は先ほどの例もあるので、無闇にチャクラムで攻撃を弾いたりせず、防御態勢のままバックステップで間合いを空けた。
 だが、奏真の身体はまたしても、切り裂かれる事となる。
「ぐっ、そう言うことか…!! 盾で受けた攻撃をそのまま相手に返す能力と見たっ…!」
「しかも、避ける事は不可能です。攻撃力の高さが仇となりましたね」
「な、なんやと!?」
「そんなの最強やないのっ!!」
「…」
 大河と夕鶴が焦る中、竜斗は一人冷静な表情をしていた。
 正義の能力が決して最強とは思えず、奏真ならば当然として、自分でも勝つ事が出来ると思ったからだ。
「ボク達の信念は目には目を、暴力には暴力を、罪には罰を与える事、かつての貴方に教えられた絶対的正義です。
 ですが、今の貴方は人を傷つける罪人を止める事はあっても、決して罰を加えようとはしない。
 温いです、生温いんです。
 それでは、傷つけられた者達は納得しない。
 そして、人を傷つけようとする罪人が何時まで経っても消える事は無い。
 腑抜けとなった貴方に代わってボク達が唯一絶対の正義となります」
「ふっ、君は解ってないね…! この世で最も罪深き者…、それは正義の名に置いて暴力を正当化する者なのさ!!
 どのような理由があろうとも、決して暴力は許されるべきでは無いのだからっ!!」
 奏真はチャクラムを手を盾に向かって斬り掛かる。
「何度やろうとも同じ事っ!!」
 盾に向かって斬撃を繰り返す。
 斬る!!
 斬る!!
 斬るっ!!
「この盾が攻撃を受ける程、後で大きな攻撃を受ける事を解っていないのですか!? 死にますよっ!!」
「それはどうかなっ!!」
 斬撃は勢いを増し徐々に押されて行く正義のアルカナ。
「能力の発動条件はその剣を振りかざす事…、つまり反撃の余地を与えなければどうと言う事はないっ!!」
 正義のアルカナの盾が弾かれて無防備な身体が晒された瞬間だった。
「しまっ…!!」
 奏真のチャクラムが自我領域を切り裂き、正義のアルカナは地面に両膝をついた。
「貴方が正義で無いとしたら一体…!?」
「俺はたった一人の大切な存在を守る為ならば、如何なる罪だろうが背負い、如何なる罰をも受ける覚悟をしているだけだ。
 そう、例え友を殺す事になろうとも構わない。
 罪悪感や痛みに心と身体が引き裂かれようとも決して止まらない、それが俺の持つ唯一絶対の力だ」
「…貴方ならば彼らを倒す事が出来るかも知れません」
「彼ら…?」
「中学、高校と生徒会長を操り、影から暴力の支配する世界を楽しんで来た者達…、その代表です。
 彼らは絶対に勝ち上がって来るはずです。
 本当はボク達がこの手で倒したかった…。でも貴方に託します…」
 そう言うと正義のアルカナはパートナーの少女と共に倒れ、その身体を夜の闇へと霧散し、No.11のカードへと変わってしまった。
「き、消えた…!?」
 竜斗の声と同時に周囲のギャラリーから悲鳴が上がった。
「死んでもうたんか…?」
「うぁん、まんまんちゃーん!!」
「彼らは集合意識が産んだ思念体だ」
 試合を取り仕切っていたブラフマンの声は、ざわめきの中でも不思議と通るようだった。
「この世界には自我領域のように人々の思いが力を持ちやすい場所が存在する。
 例えば恐山、鎌倉、東京、高尾山、富士山、京都、出雲など…。そして、六甲山を有するこの神戸も含まれる。
 そのような場に置いて信仰や、妖怪伝承や都市伝説の噂を耳にする事も多いと思う。
 それは集団意識や強い思いが具現化し、感受性の強い者に働きかけ、影響を与えているからだ。
 私はそのように自然発生し力を持った事象を小アルカナと名付け、大きく分けて4つの種類、13つの段階に分類した。
 人間に制御可能な能力として発現した場合、クラブ。
 人間の精神に取り憑く形で発現した場合が、ハート。
 妖怪や幽霊等に具現化されて発現した場合、スペード。
 超常現象や事件として原因が不明の場合は、ダイヤ。
 便宜上56種類に分類したが、人が心を持った存在として生きている以上、永遠と発生し続けるものであるだろう。
 そして、このトーナメントには特に強い力によって大アルカナとして具現化した、思念体や人間が数名参加している。
 たった今、消滅した彼らは君達の集合意識が具現化した思念体であり、君達自身であった事を知っていて頂きたい。
 では、本日の勝者はNo.19太陽のアルカナとする」
 奏真は空を強く抱き締めながら、手に入れたNo.11のカードを天高く掲げた。
「具現化された思念体や人間…、そんな事があるんだろうか…?」
 竜斗は酷く不安になった。

悟に至る理

 1999年7月27日(火)
「あのさぁ、姫…」
「あらあら、改まってなんですの?」
 竜斗と姫は風見鶏の館の朝食の間で朝食を取り終わった所だった。
 大河と夕鶴は実家へと帰り、聖蘭は休暇を取っている為に広い屋敷に二人きりであった。
 朝食は予め聖蘭が用意していたパンとスープを姫が暖めたものである。
「今日は二人きりだしさ…、何と言うか…、したい事があるって言うか…」
 そう言う竜斗の顔に迷いの色が浮かんでいた。
「言いたい事があるならはっきり仰って下さいな」
「いや、そうなんだけどさ、何か色々と自信が持てないんだよね…」
「ふふふっ、意気地がありませんわね。では、こちらの方からお誘いさせて頂きますわ。今日は一日わたくしと付き合って下さいませんこと?」
「あ、うんっ、付き合うよっ!!」
「ふふふっ、では、早速行きましょうか」
 竜斗は姫の後に付いて行って地下の厨房で食器を洗った後、そのまま地下室の一角に連れて来られていた。
「いざ始めましょうか」
「ここって、前に使わせてもらった地下のコンピューター室じゃないか! まさかこんな所であんな事やそんな事を!? それも悪くないっ!! 悪く無いけどっ…!!」
「あらあら、鼻の下を伸ばして何を想像していらっしゃいますの? わたくはお仕事に必要だからここに来ただけですわよ」
「えっ、付き合うって、もしかして仕事を手伝えって事!?」
「ふふふっ、期待と違って残念でしたわね。その迸る若いパトスを仕事で発散させて下さいまし」
 姫は竜斗をからかうように微笑む。
「ううっ、色んな意味で悔しい…!!」
「やりたい事があるのならば、はっきり言えばよろしくてよ。それが対等な大人としての言葉であれば、わたくしは受け入れますわよ」
「まぁ、今はそれで良いさっ!! 姫にはお世話になっているし、ここいらで恩を返すのも悪く無いし!!」
「あらあら、何も泣く事はありませんわよ」
「べ、別に泣いてなんか無いんだからねっ!! 僕は目から汁が出やすい体質なだけさっ!!」
「ふふふっ、お鼻も出やすい体質なんですね」
 と姫は竜斗の顔をハンカチで拭う。
「ぼ、僕は男だしっ、そんな事されても全然嬉しくないんだからっ!!」
 と言いつつも本当は凄く嬉しい実に乙女っぽい竜斗であった。
「では、説明致しますけど宜しくて?」
「良いけど、何か嫌な予感がするんだよな」
「簡潔に言いますと、わたくしの仕事は幽霊や妖怪を退治したり、怪奇現象を解決する…祓魔師と呼ばれるものですわ。
 神戸は昔からその手の話が多い事で知られていますが、近年では震災の影響か人々の心の闇が肥大化し、加速度的に増加している傾向にありますわ。
 もう、従来の怪談や都市伝説に止まらず、UMAやUFOまで何でも御座れな状態になってますわ」
「うわっ、やっぱりホラー系だったよ!! やめてよね、目から汁が出ちゃうだろっ…!!」
「あらあら、そんなに怖がる事はありませんことよ。
 何せブラフマンはそれを小アルカナと呼称し、大アルカナと比べれば取るに足らない事象であると考えているぐらいですもの。
 わたくしや貴方のように気を学び、無能力者でありながら大アルカナを倒せるぐらいの力があればお茶の子さいさいですわよ」
「でもなぁ、大アルカナは強くても人間だから別に恐く無いけど、小アルカナは弱かったとしても人間じゃないのも居るしな」
「まったく、お馬鹿さんですわね」
 姫はクスクスと笑う。
「えっ、何で?」
「例えば肉体を持つ人間が貴方を殺そうと思ったら、刃物で心臓を刺せば良いだけの事ですが、肉体を持たぬ人外が貴方を殺そうとしたらどうですの?」
「えっと、呪い殺そうとする…?」
「そうですわね、せいぜい心や身体の弱みに付込んで来るか、回りくどい事をする程度しか出来ませんわ。
 そんなものは付け入る隙を見せなければ無害も同然ですの。
 万が一弱みを見せて憑かれる事があったとして、生命力に満ちた者は殺す事は出来ず、出て行くか成仏するしかありませんわ」
「なんか、小アルカナって風邪みたいだな」
「それは鋭いご意見ですわ。
 昔から弱り目に祟り目、病は気からと言いますが、わたくしは病気も憑依によって引き起こされると考えていますの。
 つまり、生命を操る力である気を学んだ者は、風邪程度に屈する事はありませんわ」
「そうか、だから姫はあんなに雨風を浴びても風邪惹かないのか…!」
「あら、貴方も同条件で風邪を惹いてませんですわよ」
「うわっ、そう言えばそうだ!! しかも、最近は疲れが続かないし怪我も早く治る!! 意外な所でも修行の成果が出始めているんだな!!」
「まぁ、お馬鹿は風邪惹かないって言いますしね」
「あ、それ言っちゃう…!?」
「ですが、全ての人間がわたくし達のように強く生きる事は出来ないんですの。
 誰だって心や身体が弱る事があれば負い目の一つや二つはありますし、抵抗する術を持たない人にとってそれが脅威である事に違いありませんわ。
 だから、わたくしのような仕事が必要になるんですの。
 誰にだって出来る事と出来ない事はありますし、出来ない人に代わって出来る人が動く…助け合って生きる事がお仕事と言うものですわ」
「僕にオバケ退治が出来るって自信は無いけどね」
「これから自信をつけて行けば良いだけですわ。
 では、パソコンを起動致しますわね。
 困ってらっしゃる方からお仕事の依頼を受ける事もあれば、わたくしから営業をかける事もありますわ。
 なにせ、超常現象が原因だと気がついてらっしゃらない方が多いものですから。
 その為にインターネットを使って小アルカナが関係する事件をピックアップする独自なアルゴリズムを開発したんですの」
「ここにあるコンピューターって趣味じゃなかったんだ」
「ふふふっ、半分趣味である事は否定出来ませんわね。
 それで、今現在ピックアップされているものや、依頼を受けた仕事の内容はパソコンの画面上に表示されるようになっていますわ、ご覧下さいな」
「えっと、今表示されているのは二件か…。
 一件目は六甲山でターボばぁちゃん退治の依頼。
 県道82号線で速い車やバイクを追いかけ、事故を多発させる老婆が出現している。
 若者達の間でターボばぁちゃんと呼ばれ恐れられ、全国的規模で噂が広がりつつある為、速やかな対策を願う。
 これはまさしくって感じだ…!
 依頼主は警察で…、うおっ、凄い金額だ!! こりゃ、本当に宝くじなんて目じゃ無いね…!!!」
「専門的な職業には専門的な道具が必要となりますが、絶対的な需要量が少なく量産出来ない物は高価になる為、当然の如く経費も高くなってしまいますわ」
「必要な道具って?」
「代表的なもので言いますと、銃で射出して使う弾丸型の結界ですわ。
 小アルカナのようなあやふやな存在を相手にするのには、特殊な力場を発生させて束縛しないと逃げられてしまいますもの。
 もっとも、ブラフマンの暗示を受けた者ならば自我領域を使って代用する事は可能でしょうが、超常的な能力を持たざるわたくし達は道具に頼らざるを得ませんわ」
「そういう物って何処で売ってるの?」
「あらあら、もうお忘れになられたんですの? 中華街の闇道具屋には連れて行って差し上げましたはずですわよ」
「ああ、あのお店か…!!」
「ふふふっ、お金次第で合法・非合法問わず何でも用意して頂けるお店ですから、入り用でしたら是非お尋ね下さいな」
「そんな物を必要とする場面は無いとは言い切れない自分が恐ろしい…!!」
「二件目は須磨ニュータウンで、引きこもり少年宅の周囲で動物の殺傷が多発しているって事件ですわ。これはコンピューターが自動的にピックアップしたものですわね」
「これは猟奇事件であって怪奇事件じゃないと思うんだよな」
「いえ、おそらく自己表現が下手で心に傷を負って部屋に引き蘢ってしまった少年が周囲な勝手な思い込みで非ぬ噂を立てられ、歪められた心が具現化して事件を起しているんでしょう。
 一種の生き霊…ポルターガイストのようなものですわ。
 近年になって神戸では子供による重大な犯罪が多発し、自分の子供を守る為に人の子供に疑いの目を向け、傷つけられた子供が犯罪を犯すと言う悪循環が出来ていますの。
 今は小さな事件かもしれませんが、その子の心が折れて生霊に憑依された時、大きな事件が起きる可能性がありますわ」
「そんな…!! どうにかしてあげられないかな…!?」
「現状では警察や自治体も重要視していませんですし、ご両親だって如何わしい除霊に大金を払う事は無いでしょうし、利益を上げる事は難しそうですわね。
 経費がかかる以上、赤字は頂けませんわよ」
「例えば闇道具屋さんにお願いして値下げしてもらって、全体的に利益を下げるとか出来ないかな?」
「このような専門職の場合、単価を下げても絶対的な需要量があるわけではありませんから、業界全体を守る為にも価格の水準を保つと言うのは暗黙の了解となってますわ。
 もし悪戯に価格を下げてしまえば、わたくし達のような現場の者だけではなく、裏方で屋台骨を支える方達の生計をも苦しめてしまう事にもなりますわ」
「でも、なんとか出来る事があるはずだ…!!」
「人の為に一生懸命になる事が出来るのは貴方の良い所ですが、貴方が出来る事には限りが有るって事を忘れてはなりませんわ」

「なんか、ゾクゾクするような違和感があるな」
「ええ、確実にいますわね」
 竜斗と姫はターボばぁちゃんが出現すると言われる六甲山の北側を通る県道82号線にやって来ていた。
 鬱蒼とした木々に囲まれた峠道で荒れた路面に沢山のタイヤ痕が刻まれ、夜な夜な走り屋達がドッグファイトを繰り広げている事が見て取れる。
「でも、姿が見えないな…。このまま出て来なければ良いんだけど…」
「こういうものには出現条件があるんですの。依頼内容を見る限り今回の場合はスピードの出ている車やバイクを追いかける為に出現するようですわね」
「でも、真夜中に変な儀式をするとかじゃなくて良かったよ」
「あら、中にはそう言うのもありますわよ」
「うわっ、やめてよね…!」
「ふふふっ、あえてそんな仕事を手伝って頂き、貴方の泣き顔と言うご馳走をたっぷり堪能するのも悪くありませんわね」
「意地悪だなぁ…」
「あら、それも一種の愛情表現ですわよ」
 そう言うと姫は突然スカートをたくし上げる。
「うわっ、何を突然っ…!?」
 数々の危険物が潜む文字通りのデンジャーゾーンが視界に飛び込んで来て、竜斗は慌て真っ赤になった顔を手で被う。
 そして、姫は白い太腿に括り付けてあった黒い筒状の物体を取り出した。
「またしても、見てはいけないものを見てしまった…」
「これはソードオフ・ショットガンですわ。
 通常のショットガンと違い銃身が短いので長距離射撃には向きませんが、発射直後に散弾が拡散する為に至近距離での有効性に優れているんですの。
 弾丸はもちろん先ほど説明した結界弾ですわ。
 これから、わたくしが車で走り抜けますので、貴方には出現した対象に結界弾を打ち込んで頂きたいんですの」
 そう言うと姫は竜斗にそれを渡す。
「こ、これは…!!」
「意外とズッシリしてますでしょ?」
「いや、ほんのり温かいんだっ…! しかも、良いにおいがっ…!!」
「まったく、お馬鹿さんですわね」
「これを越えるビッキクリドッキリメカはそうそう無いね!!」
「予備の結界弾を使用する事を考慮して経費を多めに計上していますが、一撃で決めるに越した事はありませんわよ。
 初めての仕事で思う事もあるでしょう。
 確かに貴方に出来る事は限られているかもそれませんが、だからこそ出来る事に集中すれば良いんですわ。
 今は目の前の仕事を成功させる事だけを考えて下さいな。
 竜斗さん…、わたくしは貴方を信じてますわよ」
「うん…!!」
 そして、作戦は実行される事となる。
 姫はディアブロに乗り込むとワインディングロードのコーナーの向こう側へと消え、暫く走り続けた後にタイヤが路面滑るスキール音が響く。
 おそらくスピーンターンをしたのだろう。
 そして、間髪入れずにアクセル全開の甲高いエクゾーストノイズが山中に響き渡った。
 その音を聴いた瞬間、張り詰められた空気が破裂するような感じがして、竜斗は背筋を凍らせた。
「始まった!?」
 間違いなく、その瞬間何かが起きたと言う確信がある。
 シフトアップ・シフトダウン、ブレーキを激しく繰り返し姫の車が近づいて来る音と共に、ただならない気配が近づいて来るのを感じる。
「なんか、自分自身が否定されて消えてしまいそうな感じだ…!!」
 全身を貫くような悪寒に竜斗は身を震わせる。
「今はまだ姿が見えないけど、間違い無く近づいて来ている…!! そろそろ射撃の準備をしないと…」
 竜斗は銃身を構えて視界の先に照準を合わせようとするが震えが止まらなかった。
「ダメだ、プレッシャーで震えが止まらない…!!
 こんな時、どうすれば良いんだろう…!? 自分に出来る事を考えろっ!! 考えるんだっ!!!」
 しかし、竜斗が自分自身を奮い立たせる間もなく、視線の先からディアブロの低いボディがコーナーを曲がって来るのが見えた。
 そして、その後ろからもの凄い形相をして迫り来る白装束の老婆が薄らと見える。
「うわっ、本当に出たっ…!! 
 でも、言っちゃ悪いけどかなり存在感が薄いぞ…! あれじゃトーナメント初戦の大河の能力以下じゃないか!!
 この威圧感だって大アルカナの能力攻撃の感覚に似ているけど、工藤や宝塚さんには遠く及ばないよ!!
 そうだ、こう言う時は深呼吸…、もとい臍下丹田式呼吸法だ!!」
 竜斗が腹式呼吸をすると手の震えはピタッと収まり、照準は迫り来る老婆に向けてピッタリと定まった。
 そして、大気を振るわせるように咆哮したディアブロが加速し、風を切り裂き黒い機体が眼前を駆け抜けて行った。
「今ですわ…!」
 その瞬間、姫の顔が制止して見え、声が聞こえたように思えた。
「解ってるさ…!!」
 ディアブロに対して大きな遅れをとった老婆が、竜斗の前を通り過ぎようとした時だった。
 パンと言う炸裂音と共に煌めく光のようなものが飛び散り、自我領域に近い空間が広がって老婆を被った。
 老婆はそれに構わずディアブロを追いかけようとするが、不可視の壁に打ち当たり高速で足を空回りさせていた。
「まるでゼンマイ仕掛けの玩具のようだ…。でも、捕まえたけど、コレどうすれば良いんだろう!?」
 その時、再びスキール音を響かせて姫の車がスピンターンして戻って来た。
「よくやりましたわね!」
 姫は車から降りて来るなり竜斗の手を強く握り、その唇に口づけをした。
「ひ、姫…!?」
「頑張った貴方へのご褒美ですわ。それともわたくしの口づけは嬉しくなくて?」
「いや、嬉しいんだけどさぁ…!!」
「なら、よろしくてよ。では、後片付けと参りましょうか」
「片付けるってまさか…!?」
「ふふふっ、それは決まってますでしょ…!」
 姫はスカートの中から刀を抜き出し結界の中に飛び込んだ。
 結界内に閉じ込められていた老婆は先ほどまで追い駆けていた車のドライバーを見つけると、怒りのあまり頭部を人間のそれから巨大な牝牛のものへと変化させ、猛牛のように地面を足で掻く。
「変身した!?」
「どうやら正体を現したようですわね」
「正体って…?」
「あの姿…、太平洋戦争時代の神戸で噂になった牛女ですわね。
 当時、牛を解体する屑場を営む裕福な家で娘が牛の頭を持って産まれたんですが、体裁を保つために牢獄に幽閉されて育てられ、神戸大空襲の際に六甲山に逃げ出したと言う怪談が流行したんですの。
 その後、六甲山にたむろす暴走族が牛女を祀る岩を蹴った事で、度々出現してはスピードを出す車やバイクを追い掛けるようになったと言う尾びれがついて、現在のような話に形を変えて行ったんでしょうね。
 いずれにしても武力行使あるのみですわ!!」
 そして、牛女は身の毛もよだつような雄叫びを上げ、小柄な少女に向かって猛突進した。
「危ないっ!! ぶつかるっ!!!」
「そんな攻撃、避けるまでもありませんわねっ!!」
 だが、姫は落ち着き払った様子で迫り来る牛女に向かって華奢な片腕を突き出した。
 姫のまとった陰陽の気と、牛女のまとった陰の気が激しくぶつかり合い、結界内に白と黒が入り交じった光が飛び交う。
 牛女はアスファルトを削りながら姫に対して突進し続けるが、姫の小さな身体は大地に根を下ろしたかのようにビクとも動かない。
 そればかりか、白魚のように白く愛らしい手は、巨大な牛の頭を握りつぶさんとする勢いで食い込んでいた。
 そう、姫は片手一本で敵の攻撃を押さえ込んでしまったのだ。
「御免遊ばせっ!!」
 そして、姫は全体重を乗せた回し蹴りを牛女へと繰り出す。
 その異形の姿が飛ぶっ!!
 牛女はまるでスーパーボールのように結界内をバウンドし地面に叩き付けられ、怒り狂って咆哮を上げた。
「あらあら、休んでいる暇はありません事よっ!!」
 だが、間髪入れず銀色の斬撃が閃く。
 斬る!!
 斬る!!
 斬る!!
 最早、相手の反撃を許さない圧倒的な滅多切りである。
「な、なんて、かっこ良いんだ…!!」
 竜斗はあまりに凛々しい姫の後ろ姿に見惚れてしまい身を振るわせる。
 例えるならば小さな巨人だ。
「初めて見た時と変わらない、あの時と同じ後ろ姿だ…! そう、僕はずっとこの後ろ姿に憧れて追い駆けて来たんだ…!!」
「何を惚けてらっしゃいますか?! 幾らわたくしでもこんな硬い相手を一人で倒すのは骨が折れますわ、助けて下さってもよろしくてよ…!」
「僕が助ける…!?」
「ええ、近年牛女が出没すると噂される寺で、若者が肝試しを行うのが流行していると言う話を聴く為、強い存在感を得ていると考えられますわ!!
 でも、わたくし達二人で力を合わせればどうと言う事ありませんわ!! 頼りにしてますわよっ!!」
「ああ、任せてくれっ!!」
 竜斗は腰に下げた二組の短刀を抜き取ると、喜々として結界内の戦場に躍り出た。
 そして、姫と二人で異形の姿を挟み込むように斬撃を繰り出す。
 右斬り!!
 左斬り!!
 右斬り!!
「まさか、僕が姫と肩を並べて戦える日が来るなんてねっ!!」
「あらあら、また泣いてらっしゃるの?」
「嬉し涙だよっ!!」
「うふふっ、あれだけ頑張って来たんですものね!!
 でも、努力の日々に終わりはありません事よ、貴方にはわたくしを越えて頂かなければ困るんですからっ!!」
「そのつもりさっ!!」
 竜斗は右蹴りを浴びせつつ、回転しながら右で流し斬り、そのまま身体を捻って左踵蹴りを叩き込み、右突き、左突きと連続して突きを繰り出す。
 咆哮を上げてますます存在が曖昧になって行く牛女。
 それは大アルカナの自我領域が消えて行く時の感覚に似ていた…、つまりダメージの限界が近いと言う事だ。
「最後は二人で決めますわよっ!!」
「了解っ!!」
 竜斗と姫は溜め込んだ気をそれぞれの武器に込め渾身の斬撃を放つ。
 姫の一文字斬り!
 竜斗の十文字斬り!
 牛頭の老婆の左右から放たれた閃きは、その異形の身体を細切れにして霧散させた。
「ふふふっ、わたくし達の共同作業にかかればこんなものですわね…!」
 
「どうしたんですの、そんなに浮かない顔をして?」
 携帯電話で道路閉鎖の解除や報告等の一通りの手続きを済ませた姫は竜斗の顔を覗き込んだ。
 劇的な勝利の後だと言うのに竜斗は、何か真剣な面持ちで考え事をしているようだった。
「いや、さっきの都市伝説が何処まで本当だか解らないけど、僕だったら静かに眠っていたいのに、心無い人達の悪戯で邪魔されたら嫌だなぁって…。
 それに夜な夜な肝試しなんかされたらお寺の人も迷惑だしね」
 竜斗はディアブロの扉を開け放ちサイドシルに手をかけて助手席に乗り込もうとする。
「そうですわね、わたくしも牛女さんの気持ちは痛い程解りますわ…。
 では、わたくしの方から住職さんにご連絡を入れ、牛女は引っ越しましたと書いた紙を貼って頂くようにご提案しますわ」
 姫は竜斗が席に座るのを確認すると華麗に運転席に滑り込む。
「って、そんなんで大丈夫なのかな!?」
「ふふふっ、人間心理なんてそんなものですわ、きっと牛女さんも安心して眠れる日々を取り戻せますわよ」
 そして、ディアブロのイグニッションキーを捻って、山中にエキゾーストノイズを高にかに響かせた。
「それでは、次の物件に移動するとしましょうか」
「えっ、次の物件って…?」
「あら、そんなの決まってますでしょ!」

「須磨ニュータウン…それは神戸の西側に位置する団地群ですわ。
 元々は神戸の海に浮かぶ人工島ポートアイランドを埋め立てに使う為の土砂の採掘場であり、山を切り崩した跡地にそのまま団地を建造したんですの。
 だから、街には至る所に大きな高低差があり、低い位置に作られた道路を跨ぐように歩道橋が掛けられ、歩行者が車道に出る事なく行き来出来るようになっているんですわ」
「よく考えられた街なんだね」
 竜斗達は車を駐車場に停めて、少年の生霊が出没すると言う場所へと向かっていた。
 夕方と言う事もあり遊歩道には部活を終えた学生や、遊び疲れた子供達、パートや買い物を終えた主婦達が行き交い、あちこちからまな板を叩く包丁の音や、夕飯の臭いが漂って来ていた。
 画一的な集合住宅が何処までも連なっているが、ニュータウンと言う言葉から連想される無個性で非人間的な印象は無く、人々の生活に根付いた親しみやすい雰囲気であった。
「なんか暖かい感じがするんだけど、本当にこんな所に生霊なんて出るのかな?」
「わたくしはいると思いますわ。
 どんなものにも光と闇が存在し、光が強くなればなる程に闇もまた濃さを増すと言うものですから。
 目に見えやすい表面的なものだけでは無く、目には見えにくい裏面も含めて総合的に判断する事は重要ですわよ」
 姫の言葉を証明するように、一歩山沿いに入ると時代から取り残された一戸建てが立ち並ぶ地区になり、そこに暮らす人々の抱える闇が深い事を肌で感じられた。
「急に雰囲気が重くなったな…」
「気を操る術を学ぶ事で、自分以外の気の流れも感じる事が出来るようになるんですの。この気を辿って行けば目標に辿り着く事が出来ると思いますわ」
 そして、集落の一角にある寂れた公園で虚ろに立ち尽くす小さな影が佇んでいた。
「やはり、いましたわね」
「でも、本当に良いの?」
 竜斗はその影を前にソードオフ・ショットガンに結界弾を装弾しながら聴く。
「ええ、前の仕事のついでに余った結界弾を使うだけですもの、余計な経費はかかっていませんから。
 本当に人から必要とされる仕事であるならば、単独で利益を出す事が出来なくても総合で損失を出さないように巧みに切り抜ける、それが真の仕事人と言うものですわ」
「姫って本当に正義の味方だったんだね!」
「あらあら、わたくしを一体何だと思ってらして?
 わたくしは始めから正義の味方のつもりでしたわよ、もっとも、今回は貴方が頑張って下さったから助かりましたけど。
 さぁ、貴方自身の手でこの素晴らしい初仕事の幕を締めて下さいな」
 姫は本当に嬉しそうな表情で竜斗の肩を叩いたニッコリと微笑んだ。
「うん…!」
 竜斗は小さな影に向かって結界弾を打ち込み、展開された特殊な力場の中にそれを閉じ込め、腰に下げた双刀を抜きつつ結界内に入る。
 だが、見えない周囲の目に怯えるように膝を抱えて震える影は、竜斗や姫と比べてもあまりに小さく、小さな子供と言っても過言では無いぐらいであった。
 竜斗は臨戦態勢をとったまま暫く考え込んでいたが、意を決したように手にした刀を捨て去る。
「いくら生霊とは言え傷ついた子供に手を掛ける事は僕には出来ない…」
「ではどうするんですの?」
「異物を排除する事以外にも解決方法はあるはず…! どんな方法だろうと僕は全力でぶつかるだけだよ…!!」
 影は歪に拗じ曲げられた生の感情や殺意の念を飛ばして来るが、竜斗は下腹に力を入れて自我を強く保ちながら歩み寄ると、微笑みかけながら手を差し伸べた。
「さぁ、立ち上がるんだ…!」
 竜斗は影の手を握り自分の足で立ち上がらせると、その不確かな身体を強く抱き締めた。
「今までみんなに誤解されて辛かったね…。
 誰だって好きで悪者になりたいわけじゃない、傷ついて追いつめられて仕方無かったんだよね…。
 君が困っていても誰もが見て見ぬふりをして、手を差し伸べてくれる人が居なかったんだよね…。
 僕と姫は君が本当は良い子だって知っているよ…。
 君の事を解ってあげられる…。
 一緒にいてあげるから今は泣いて良いよ…。
 めいいっぱい泣いて、泣き飽きたらもう一度がんばろうよ…」
 影は竜斗の胸の中で小さな身体を嗚咽するように小刻みに振るわせると、夕焼けの中に溶け込んで言った。
「行ってしまいましたわね」
「あの子、立ち直れると良いね…」
 竜斗は涙を拭きながら言う。
「生霊から解放されて大分負担が減るとは思いますが、あとは本人の頑張り次第ですわね。
 でも、きっと大丈夫ですわよ。
 貴方の優しい思いは確かに伝わっているはずですから」
「うん、そうだね…!」
 夕焼けの中で竜斗は姫の手を強く握りしめる。
 姫の温かい手から伝わって来る安堵感は竜斗の緊張を解き放ち、憧れの姫と肩を並べて仕事をやり遂げた誇らしさで胸が一杯になった。
 周囲に立ち籠めていた暗い雰囲気も、この気持ちの良い夕空のように浄化されて行くようだった。

「ねぇ、姫…」
「あらあら、改まってどうしたんですの?」
 風見鶏の館の食堂で二人きりの食事を済ませた後、竜斗は意を決して姫に話しかけた。
「僕、姫に伝えたい事があるんだ。でも、その前に一緒に踊ってくれないかな?」
 そう言う竜斗の顔は朝食後の時と打って変わって自信と確信に満ち満ちていた。
「ふふふっ、久々に良いですわね」
「僕がエスコートするよ」
「お願いしますわ」
 竜斗は姫の小さな手を取ってバルコニーへと導く。
 バルコニーの開け放たれた窓からは小望月の優しい明が差し込み、清らかな風が通り抜ける中で虫の鳴き声が響いていた。
「もちろん、曲は月下の夜想曲でね」
 ベランドの角に置かれた蓄音機がゴシックめいたパイプオルガンの音色を響かせる。
 イントロがの間互いに見つめ合う二人。
 ボーカルが流れ出すと互いの手を取り、互いの腰の後ろに手を回し、下半身と下半身を密着させて軽やかなステップを踏む。
 姫の身体はあまにりにもしなやかで柔らかく、両腕で全て包み込んでしまえるほど小さくて愛らしかった。
 竜斗の中に眠る男性的な本能が目覚め、密着した姫の下腹部へと熱いパトスを伝えながら、全く臆する事なく頼もしい力強さで動きをリードする。
 姫は女性的な本能でそれをしなやかに受け入れ、恍惚とした表情で竜斗の作り出す流れに乗って行く。
 時に互いの頬をすり寄せるかのように近づく。
 時に互いの身体を突き放すかのように遠ざける。
 時に大輪の華を咲かせるかのように、髪や衣服を大きく振り乱して回る。
 あまりにも激しく情熱的な輪舞に互いの胸は止めどなく高まり、心と身体が解け合い世界は二人だけのものとなって行く。
 曲の終わりと共に竜斗は姫の身体を引き寄せると強く抱き締め、ゆっくりと離れると膝を折って姫の手の甲に口付けた。
 その顔は最早少年とは言えない精悍さに満ちていた。
 姫は竜斗の手を取って立ち上がらせると、その顔を愛おしむように柔らかく撫でる。
「見違えるようにお上手になりましたわね」
「ああ、身体の使い方を覚えたと言う事もあるけど、次にどうすれば良いのかって、自然に解るようになったんだ」
「ふふふっ、それは貴方がわたくしと同じ、理の概念に目覚めつつあるからですわ」
「ことわりって?」
「簡単に言うとこの世の全てに意味があると考える思想ですわ。
 理は気の条理、気は理の運用と言いますが、森羅万象を構成する力である気を学ぶ事で、直感的に様々な事柄を関連付けて考え、物事の本質を感じ取れるようになりますの」
「そうか、あの宝塚さんとの戦いの前の作戦、あれがその練習を兼ねていたんだね」
「ええ、貴方は元々素晴らしい感性をお持ちでしたが、あの鍛錬を経る事でより高い次元へと歩み出しましたわ。
 その次の戦いでは大きな流れを引き込む選択肢を選び抜き、わたくしや他の方々の力をひとつに合せる大活躍を致しましたわね。
 そして、今ではわたくしの予想をも上回る答えを導き出せるようにもなりました。
 貴方ならばやがて悟りに至る事が出来るかも知れませんわね」
「悟りって仏教の?」
「そう、悟りとは仏陀ことゴーダマ・シッダルタの教えを元に作られた仏教の到達点であり、因果応報の原因を取り除く事で苦しみの輪廻から解脱する事ですわ。
 仏教はヒンドゥー教を元にして作られていますが、アートマン…ブラフマンと同一視される永遠不滅の魂を否定している事が違いとされています。
 つまり、ヒンドゥー教は死ぬ事により永遠に生まれ変わり続けられると考えていますが、仏教は死ななくても学ぶ事が出来れば幾らでも生まれ変われると考えていますの」
「そうだよな、人が死んだら生まれ変われるなんて保証は何処にも無いし、精一杯生きて行く中で何かを学び、自分自身を変えて行くべきだよな…!!」
「仏陀は人の身ではありますが、ヒンドゥー教の創造者ブラフマン、破壊者シヴァと並ぶ三神一体の保持者ヴィシュヌの分身であると言われていますの。
 旭陽昇がブラフマン、青海奏真がシヴァだとするならば、貴方は仏陀のように思えてなりませんわね」
「そんな、大げさな…」
「ふふふっ、わたくしはそれだけ貴方を信じていると言う事ですわ。
 人は運命を受け入れそれに準じる事で、大きな追い風を味方にする事が出来るんですの。
 それはこの世界を意のままに造り変えようとするブラフマンの到達点、No21世界に相対する事が出来る唯一にして絶対の力となります。
 ここまで頑張ってこれた貴方ならば、きっと最後までやり遂げられると思いますわ」
「でも、僕がここまでやってこれたのは、姫が支えてくれていたおかげだよ。
 心が折れそうになった時は励ましてくれた。
 間違った道を歩もうとしたら叱ってくれた。
 色々な事を教えてくれるけど、本当に大切な事は僕自身で気付けるように導いてくれた。
 僕の気持ちを大切にして、僕がやろうとしている事を影から手助けてくれた。
 嬉しくて、嬉しくて、ずっとお礼が言いたくてたまらなかったんだ。
 ありがとう、本当にありがとう、姫…」
「あたり前の事だと思っていたので、お礼を言われると恥ずかしいですわね…」
 姫は真っ赤になった自分の顔を見せないよう下に俯く。
「姫…、今こそ伝えたかった気持ちを言うよ…」
 竜斗は姫の両肩に手を乗せて向き合う。
「好きだよ、姫…」
 そして、竜斗は逞しくなった腕で姫の華奢な身体と小さな頭を抱き締め、白く形の良い耳に囁くように言う。
「小さな身体で信じられないぐらい強い姫…。
 厳しいんだけど優しい姫…。
 賢くて意地悪な姫…。
 スケベでエッチな姫…。
 そして、時々寂しそうな姫…。
 僕はそんな姫の全てが大好きでたまらない…。
 だから…、だから、僕の恋人になってほしいんだ…」
 二人を柔らかい風が包み込み込む。
 そして、姫は竜斗の身体を強く抱き締め返し、嗚咽を漏らしながら涙を零した。
「嬉しい、嬉しいですわ…」
 姫は声を掠れさせながら呟いた。
「わたくしはこの時をずっと待ってましたの…。
 ほんとうに、ずっと、ずっと、気の遠くなるほど、ずっと昔から…。
 長い旅の果てに貴方と出会う事が出来て、わたくしと肩を並べる事の出来る大人の男へと成長し、互いの心と身体を重ねられる時を迎えられる…!」
 姫は止めどなく涙を零しながら竜斗の唇を奪う。
 互いの舌を絡ませ、ふわふわとした髪の感触を楽しみながら頭を抱き、背中をなぞり尻の谷間まで愛撫する。
「喜んで貴方の恋人にさせて頂きますわ…!」
 そして、風見鶏の館の二人きりの夜は更けて行く。
 やがて日付が変わる頃、姫の寝室のベッドサイドテーブルに置かれた竜斗の携帯電話はiModeメールを着信して密かに光を放っていた。

昨日の友達

 1999年7月28日(水)
「ねぇ、竜斗…! 起きて…! 起きてってば…!!」
「う、うん…!?」
 身体を揺さぶられて起された竜斗の目の前には少女の小さい顔があった。
 寝ぼけ眼で何もかもぼやけて見えるが、その顔の輪郭は彼が愛おしく思う姫のものであった。
「姫っ!!」
 竜斗は野性的な衝動の赴くまま、目の前の少女の顔に抱きつこうとする。
 掛け布団が開けて小柄で細身ながら引き締った裸体や、熱り立った若いパトスが露になる。
「きゃーーーっ!! 竜斗の馬鹿ぁ!! 裸で何するのっ!? 」
 だが、思いっきり頬をひっ叩かれ完全に目が覚めた。
 目の前にいたのは夏らしい白いワンピースを着た旭陽空であった。
「あ、あれっ、空…!?」
 周囲を見渡すと天蓋付きのベッドと、沢山の人形が置かれた姫の寝室である事は間違い無かった。
 そう、竜斗は一晩姫と共に激しい夜を過ごしたはずだ。
 夢のような体験ではあったが、それが本当に夢であったとは思えない。
 それが太陽がようやく顔を出そうとする早朝になったら、添い寝していた相手が空へと変わっていてた。
「まさか、姫が空に…!? いや、確かに背丈や輪郭は似ているけど、幾らなんでもそれは無いよね…!?」
 竜斗は何が何だか解らず目の前にいる空に睨みつけられ、全裸のままベッドの上で正座して全身から変な汗を吹き出させていた。
 膝をピッタリ閉じて下腹部の前で両手を合わせているので、肝心な部分は見えはしないが、かなり際どい格好である。
 しかも、空の視界に非ぬものが写ってしまう恐れがある為、睨みつけられている限りは身動きを取る事が出来ない。
 竜斗が混乱していると、部屋の扉が開き二人の人物が入って来た。
「あらあら、ようやくお目覚めかと思えば、愉快な格好をしてますわね」
「姫!?」
「ボクも一緒ですよー!」
「あれ、旭陽家の執事の安室礼さんだよね? 何て言うかキャラが違くない!?」
 竜斗が疑問に思うのは無理無い。
 何時ものピッチリとしたオールバックに燕尾服姿ではなく、髪型は寝癖だらけで服装は破れたジーパンに惑星破壊者(スターデストロイヤー)と書かれた漢字ロゴのTシャツ、サンダルと言うラフ過ぎる格好だからだ。
「いやだなー、間違い無くボクは安室礼ですよー。ただ、今は仕事じゃないんで、ほんのちょびっと素なだけです」
 しかも、何時もの畏まった標準語ではなく、気さくな人の良さがにじみ出る関西なまりで喋っている。
「とすると、何時ものクールな態度は一体…!?」
「ほら、執事やメイドってキャラクター性が重要でしょ? 旦那様のお顔を汚すわけにはいけないし、仕事している時はシャキッとしてないとダメなんですわ。
 それに如何にもって執事キャラだったら女の子受けも良いし、内心はもうウハウハですよー」
「ゆ、夕鶴…。アイツ、見事に騙されてるな…。ところで、こんな朝早くにどうしたの?」
「それを聴きたいのはこっち!! 竜斗こそなんで女の子の部屋で裸で寝てたの?!」
「そんなの言わなくても解るでしょ!?」
「そんなの解んないよっ!!」
「解んないままじゃだめなの…?」
「だって、なんだかドキドキして気になって仕方無いんだもん!!」
 竜斗は頭の中で考えを巡らす。
 ここで姫との関係を肯定すれば空に罵られて攻撃を食らうだろうが、否定すれば恋人になってくれた姫の心を傷つけてしまう。
「ど、どう説明して良いやら…。僕と姫は恋人同士になったから、その…」
「そう、恋人同士が裸で夜を共にしてやる事と言えば一つですわ…」
 姫は空に耳打ちする。
「竜斗の馬鹿ぁ!!」
 空は顔を真っ赤にさせながら、竜斗の頬に平手打ちを放った。
 竜斗はいまだ全裸でベッドの上で正座し身動き出来ない状態だった為、見事クリーンヒットを食らってしまった。
「ああやっぱ、こうなるしかないのね…!」
「もう、竜斗なんて知らない!!」
 空は背を向けるが、その隙に竜斗は布団の中に潜り込む。
「そんな事言ったって…。だいたい、空だって奏真先輩と付き合ってるんでしょ?!」
「でも、そんなのした事ないもん! だって、そう言う事は大人になってからじゃ無いとしちゃダメなんだよ!!」
「そうですわね、貴女はまだお子様ですから、大人の付き合いは早いですわね」
「そ、そんなことないもん!!」
「どっちだよ?!」
「いいですか、愛情と身体の関係と言うものは切っても切り離せないものなんですわ。
 心が求め合えばこそ自然と身体も求めあう物であり、心と身体の繋がりがあるからこそ愛情を共有する事が出来るんですの。
 それが人として、生き物としてあるべき姿で、とても素敵な事だと思いますわ。
 逆に心と身体のコミュニケーションが同調していない状態というのは、酷くアンバランスで不自然だと言えます。
 潔癖さから肉体的な繋がりを否定したり、欲求に流されてしまうのは若さ故の過ちですわね」
「ううっ…」
「手厳しいね…」
「ただ、人は間違いを犯すことで成長する事も出来ますのよ。
 責任から逃げ出す事さえしなければ間違っても大いに結構ですし、いっそのこと間違いを犯してみるのも悪くないと思いますわよ。
 そう、華の命は短いものですから、自分自身の気持ちに素直になって楽しみ、大切な人との思い出を残さなければ損ですわ」
「うん…、そうだね…!」
 空は姫と向き合い、その小さな白い手を握りしめる。
「姫さんって何となくお姉ちゃんっぽい…! これからはお姉ちゃんって呼ばせてもらうね!!」
「ふふふっ、嬉しいですわね」
 そうやって並んでいる姿は本当に姉妹のようだった。
「空って慕ってる人をお兄ちゃん、お姉ちゃんって呼ぶんだね」
「うん、凄く小さい頃だけど、空には月夜って名前のお姉ちゃんがいたの。
 いっつも長い黒髪をツインテールにしてフリフリのお洋服を着てて、悪戯好きで怖いけど優しくて頼もしくて大好きだったんだ。
 でも、お母さんが病気で死んでから暫くして、家のお金を持って家出しちゃったの。
 凄く心配してお父さんが行方を調べたんだけど、子供なのに会社を作って自由気ままに生きているんだって。
 お姉ちゃんが幸せだったらそれで良いけどやっぱり寂しいの。
 だからかも知れないけど、空は誰かの妹だって気持ちがずっと消えないんだ」
「そうか、そう言う理由があったんだね。ついでに僕もお兄ちゃんって呼んでくれると嬉しいな」
「それは無理!!」
「何で?!」
「だって、竜斗って弟って感じなんだもん!!」
「ガーン!!」
「ふふふっ、わたくしもそれには同感ですわね。ですが、そろそろお話をお聞かせ下さってもよろしくてよ」
「それなんだけど…」
 空は下を俯いて口ごもる。
「あー、それについてはボクの方からお話させてもらいますわ。まずは竜斗くんの携帯を見て欲しいんですよ」
「携帯、携帯…。あ、ベッドの横か…!!」
 竜斗は布団から出てベッドサイドテーブルの上に置かれた携帯電話を取ろうとするが、その際にまたしても裸が露になる。
「もう、竜斗ったらワザとやってない!?」
「そんなわけ無いって…! 姫、悪いけど僕の服取って来てくれない?」
「それですけど、聖蘭さんがいらっしゃらないから、まとめてクリーリングに出してしまいましたわ。もうすぐ返って来る頃だと思いますが」
「昨日着てた服は!?」
「あらあら、恥ずかしい汚れが付着してしまった事をお忘れですの?」
「のぉーーーっ!!」
「恥ずかしい汚れって何?」
「それはですね…」
「ああっ!! いちいち説明しなくて良いからっ!!」
 姫はニヤニヤしながら空に耳打ちしようとするが、竜斗は慌てて姫を制止する。
「それだったら、ボクのTシャツ着ると良いですわ。ほら、ボクのサイズは大きいですし、竜斗くんの大事な所は隠れると思いますよ」
「くっ、背に腹は変えられないか…!」
 かくして、上半身裸のジーパン男と、ダボダボの惑星破壊者(スターデストロイヤー)Tシャツで下半身裸男と言う変態二人が誕生する事となった。
「ほら、ボクの読み通りちょうど良かったでしょ?」
「うん、まぁ…、ちょうど良過ぎるとも言うね…」
 Tシャツの下半分に描かれた宇宙戦艦がビームを発射する絵が、ちょうど竜斗の股間あたりに位置して意味深な比喩表現を思わせた。
 しかも、丈が絶妙で竜斗が動く度に危険な領域が見え隠れする。
「もう二人ともヤダっ!! お姉ちゃん助けてっ!!」
 空が姫にすがりつくが、姫は恍惚な表情を浮かべて涎を垂らしていた。
「わたくしとした事が思わず見惚れてしまいましたわ…!」
「お、お姉ちゃんまで!?」
「皆さん、折角ボクが竜斗くんに服を貸して問題解決したのに何を騒いでいるんですか!?」
「ま、まさか安室さんは無自覚でそれをやったと言うのかっ…!? 僕は戦慄しているっ…!! 未だかつてこれ程の猛者は見た事が無いっ…!!」
「いや、ボクは年長者として当たり前の事をしただけですよー!!」
「だ、ダメだ…!! もはや面白過ぎて突っ込み切れないっ!!」
 そして、竜斗が笑いを堪えながらベッドサイドに置かれた携帯を見ると、そのランプがメールの着信があった事を知らせていた。
「あれ、今日のトーナメントを知らせるメールが来ているみたいだ…。生徒会長は途中でリタイアして今日の試合は無くなったはずだけど…」
「つまり、ブラフマンは件の計画の邪魔となるわたくし達を止める為に手を打って来た…、そう言う事ですわね?」
「ええ、お察しの通りですわー」
「空たちが来たのはその事についてお願いがあるからなの…」
「邪魔するのを止めろと言われても無理な相談ですわよ」
「ううん、違うの…!」
「ボクらがお願いしたい事は旦那様の意思にそぐわない事なんです。
 だからこそ、今回は個人的な用件で来たんですよ。
 ボクらの行動や胸の内など旦那様は全てお見通しでしょうが、旦那様に仕える執事としての立場もありますので、これからお話する事はオフレコとして聴いて下さい」
「うん…」
 竜斗は息を飲む。
「まず、旦那様…、いえブラフマンの計画についてお話します。
 世界を改革する能力を開発する特別授業なんて言ってますが、その実は殆ど出来レースで奏真くんを神にしたいだけなんですよ。
 その計画が成功すれば1999年7月31日にこの世界は終わりを迎え、1995年1月17日を起点に奏真くんによって変革された世界が始るらしいんですわ」
「明々後日か…。日付までは知らなかったけど、その話は聴いた事があるよ」
「でも、驚くべき事はそれだけじゃないんです。
 ブラフマンはこの世界は既に何度も再構築されていているって言うんですわ。
 その都度、奏真くんは新世界の神となるべく記憶を失って転生し、ブラフマンは彼を導く役目を背負い、時空を超えて断片的な記憶を保持しているらしいんです」
「信じがたいけど、なんだか妙に納得出来る気がする…」
「そして、破壊と再生の間に幸福な時を繰り返しながら、誰も傷つく事の無い理想の世界を目指す…それが計画の全貌らしいですわ」
「そんな事を考えていたなんて…」
「ふふふっ、まったくお馬鹿さんにも程がありますわね。
 どんな時間にも終わりがあるからこそ、一日一日を、その一瞬一瞬を大切にして生きる事が出来るんですわ。
 それに視野が狭く感情に流された個人的な理想などはエゴに過ぎませんわ」
「でも、空はお父さんとお兄ちゃんの気持ちも解るよ。だって、今みたいな楽しくて幸せな時がずっと続けば良いって思うから…」
「空…」
「だけど、他の人達を巻き込んで、自分自身も傷つけて行くのは違うから、ふたりの為に空がしてあげられる事を、ずっと…、ずっと考えてたの…。
 でも、空が何をしても、ふたりを苦しめるだけだったんだ…。
 そんな時、竜斗がみんなの力を合わせて傷つけられた人達を助けて、生徒会長さんを倒しちゃったのを見て思ったの。
 空ひとりじゃ無理でも、安室さんや、竜斗、お姉ちゃんに相談して、力を借りればどうにか出来るんじゃないかって…。
 だから…、だから、お願い!! お兄ちゃんを倒してお父さんの計画を止めて欲しいの…!!」
「ボクからもお願いしますわ…!
 ここには空ちゃんに相談を受けて付き添って来たんですけど、ボクにとっても人ごとじゃ無いんですよ…!!」
 姫は何も言わずに空を抱き締める。
「ええ、もちろんそのつもりですわよ。
 ずっと、ひとりで抱え込んで辛かったでしょうが、これからはわたくし達が力になりますわ。
 わたくしと竜斗さんが力を合わせれば、例え誰を相手にしようとも決して負けはしませんから…!」
「ありがとう、お姉ちゃん…!!」
 空は涙を零しながら姫の身体を抱き締め返した。
「うん、僕達に任せておいて!!
 最近僕も解るようになったんだ。奏真先輩は色んな資質に恵まれているだけで、僕たちと同じように感情を持った普通の男の子だって。
 みんなが思っているように決して完璧ではなく、人を助けてあげられない事に傷つく事もあるんだ。
 それなのに神様なんて幻想を背負おうのは辛いはずだから、友達として何としても助けてあげたいんだ!!」
「ありがとう、竜斗…!! お兄ちゃんの事を解ってくれて…!! 本当に嬉しいよ…!! ふたりとも、大好きっ!!」

 竜斗と姫は次なる戦いの舞台にやって来ていた。
 そこはポートアイランドと呼ばれる神戸の南の洋上に浮かぶ人工の島である。
 須磨地区の山を切り崩した土によって埋め立てられて造成され、神戸の中心部と神戸大橋を通るモノレールや道路で結ばれているが、1999年7月30日…つまり二日後には新たに神戸の中心地と直通で行き来出来る港島トンネルが開通予定だ。
 最新技術によって整備された土地に展示場や企業ビルなどの独創的な建物が立ち並ぶ近未来的なイメージのある街である。
 だが、阪神淡路大震災の際には液状化現象が至る所で発生し水道管が破損する等の人工島の脆弱さを露呈する事となり、十年程前から造成が始まった第二期地区の土地売却が進んでいない等の問題を抱える為、現在はその対策として学校や研究機関等の誘致をしている状態である。
 また、1946年に計画された神戸空港が島の南側に建造される予定であるが、騒音や環境問題を危惧する住民からの反対運動が続き、近年では震災の復興計画に空港の建造を盛り込んで批難を受けたが、今年の6月になってようやく島の埋め立て許可が下りたばかりである。
 まさしく、神戸が抱える光と闇を具現化した街であった。
 モノレールの駅や、神戸国際交流館やポートピアホテル、ワールド本社等の近代的ビルが立ち並ぶ街の中心地は市民広場となっていた。
 広場の道路側の入り口部分、ピラミッド型のモニュメントの前には二台の車が乗り入れられ、まるで対峙するように向かい合っていた。
 姫が愛用するランボルギーニ・ディアブロと、聖蘭が運転を任されているロールスロイス・シルバークラウド・ツーである。
 そして、西洋の回廊を思わせる大きな柱が特徴の屋根付きの歩道に囲まれた広場の中心は大勢の人で賑わい、その中で竜斗と姫、大河と夕鶴の四人が向かい合っていた。
「何だ、お前ら聖蘭さんに送ってもらったのか」
 何時もの閉鎖された戦場と違って大勢の人が行き交う中、誰が相手かも解らない状態であったが、竜斗は落ち着き払った様子で大河に聴いた。
 大河と夕鶴の背後にいる聖蘭が竜斗と聖蘭に向けて軽く会釈するのが見えた。
「そやけど、お前こそなんや?!」
 大河は竜斗の首を思いっきり抱きかかえた。
「何がだよ?」
「お前、姫さんとよろしくやったんやろ?!」
 大河はニヤニヤしながら聴く。
「な、なんでそんな事解るんだよ!?」
 竜斗は大河を突放しつつドギマギする。
「ホンマに図星やったんかいっ!!」
 大河は竜斗の頭を軽く叩いた。
「畜生っ、カマ掛けやがったな!!」
「竜斗センパイったら単純やし、顔見ればすぐ解るでっ!!」
 そう言うのは夕鶴だ。
「うちやってっ!! うちやって、姫ちゃんにあんな事したり、こんな事したりしたいのにっ!! もう、羨ましくてたまらへんよっ!!」
 本来真っ白い顔を真っ赤にし、松葉杖を脇に抱えたまま両の拳を握りしめた。
「ゆ、夕鶴…、また鼻血が出てるぞ…!!」
 悶々とする夕鶴の鼻から勢い良く血が滴り落ちたので、竜斗は慌ててティッシュを渡した。
「お前、人前でなんちゅう事を想像してるんや!?」
「鼻血やらなんやら出ても仕方ないやろっ!! そこに美味しいネタがあれば時も場所も関係あらへんっ!! 自由自在に妄想せざるを得ないのがうちの本能やもんっ!!」
「また、公衆の面前で凄い事を言い切ったな!!」
 竜斗はふと周りを見渡す。
「しかし、今日は本当に人が多いな…」
 群衆の中には奏真に空、安室、工藤に木村の馴染みのある面々を始めとし、宝塚や図書委員長、貧乏学生、奇術部、ビジュアル系と言った元アルカナ達が車椅子に乗って来ているのが見えた。
 そればかりか学生では無い一般の人も多く混ざっている。
「っていうか、うちの学校の生徒じゃないのも明らかに混ざっているよね。あんな、バーコードっぽい高校生って滅多にいないと思うし」
「では、今日と明日で行われる第三回戦の説明をさせて頂こう」
 竜斗と姫、大河と夕鶴の間にサングラスをかけた黒服の男…ブラフマンが現れた。
「今まで君達は馴染みのある学校や閉鎖された場所で、共通の認識を持つ者達の立ち会いの元、能力を具現化させる練習を兼ねた戦いを行って来た。
 だが、今回は共通認識を持たぬ者…、つまり何も知らない一般人の観衆の前で戦って貰おう。
 当然、超常的な能力に対して懐疑的な者が大多数であるが、そう言った環境の中でも安定して能力を発揮させ、優れたカリスマ性により人々を味方につける事が出来れば、更なる高みへと登る事が出来るだろう。
 これは能力開発だけではなく、君達の人生に置いても重要な要素である為、この戦いを通して学ぶと良い」
 竜斗はこのブラフマンを名乗る男…旭陽昇と対面する度に、彼が本気で子供達の将来の事を考えている先生と呼ぶに相応しい愛情の深さを感じ、とても思い通りに世界を確変する為に手段を選ばない人物だとは思えなかった。
「では本日戦う皇帝のアルカナと、月のアルカナは準備を開始してもらおう」
「皇帝のアルカナって生徒会長じゃないのか…?」
「ちゃうねん、今は俺や!」
 大河は特注のチタン製バットでコツコツ床面を叩きながら、首元に輝くNo.4のバッチを指差す。
「そ、それは…!?」
「一昨日お前と別れた後に聖蘭さんから計画の真の目的を聴かされ、皇帝のカードを譲り受けてお前達を倒してくれって頼まれたんや」
「うちは前から計画の事知っとったけど、まさか竜斗センパイと姫ちゃんが邪魔しようとしてたなんて思いもよらへんかったよ…」
「この計画だけは止めるわけにはいかんのやっ!! 悪いが勝たせてもらうで!!」
 大河と夕鶴が唇を重ねる。
 それは今までの思春期の少年と少女の関係ではなく、互いを完全に受け入れた男と女の関係を思わせる濃厚な交わりだった。
 大河の身体から未だかつて感じた事が無い程の強い存在感が溢れ、空中に出現したNo.4皇帝のカードを掴み取る。
 だが、それは何かの形に具現化する事はなく、広場全体に拡散して行く。
 そして、車椅子に座っていた元アルカナ達の身体が光に被われると、ガクガクと操り人形のように身体を揺らしながら立ち上がった。
 因果を克服して自由に歩き回る事が出来るようになった工藤も同様に光を纏い、彼を筆頭にして元大アルカナ達は円陣を組んで中央にいる戦いの主役達を取り囲んだ。
 しかも、それぞれ物理的な武器を手にしている。
 周囲の観衆がただ事ではない雰囲気を感じ取りざわめき出す。
「くっ、どういう事だよ…!?」
「こいつら全員おれのパートナーであり、おれの力や…!!」
「そんなんアリかよ…!?」
「普通の人間が何人居ようが、大アルカナの前では無力に等しい。
 故にパートナーの規定は能力を使わず、トーナメントにもエントリーされていない人間であり、必ずしも一人である必要は無い。
 既にトーナメントを敗退し能力を失っている者達は、彼のパートナーとなる資格を有している」
 ブラフマンは竜斗に対してルールを説明する。
「くっ…、それに能力も変わっているなんて…!!」
「アルカナの暗示と心境が変化した事で新たな能力に目覚めたようですわね。
 でも、例え誰を相手にしようとも、どんな能力であろうとも、わたくし達に出来る事は全力で迎え撃つだけですわ。
 大丈夫ですわよ、二人で力を合わせれば恐い物はありませんから」
「そうだな…!!」
 竜斗は姫と相思相愛の口づけを交わし、出現したNo.18月のカードを手に取る。
 そして、臍下丹田式呼吸法で心と身体の状態を整えると、腰に下げた鞘から二刀一組の胡蝶刀を抜き出した。
 姫もスカートをたくしあげ日本刀を抜き出し、二人で背を合わせて臨戦態勢を取る。
 凛とした表情で望む竜斗の心には微塵の迷いもなく、互いに支え合う事で得られる強い自信を全身に漲らせていた。
 二人の立ち姿はまるでつがいの美しい猛獣を思わせた。
「では始めろっ!!」
 ブラフマンの合図を皮切りに元アルカナ達が一斉に竜斗達へと襲いかかる。
「行くよ、姫…!!」
「ええっ、わたくし達の力をお見せしてさしあげましょうっ!!」
「あっ、そーれっ!!」
 姫に向かって奇術部が刃のついたトランプを投げつけるが、彼女は手にした刀でそれを次々と叩き落とす。
「一撃でも頂いたらおしまいですが、気の流れを読み、理の概念を身につけたわたくし達にそんな攻撃が効くと思いましてっ?」
 そして、姫は奇術部の横に回り込むと、その首筋に向かって強烈な峰打ちを繰り出す。
 奇術部の身体はメキメキと音を立てて地面にひれ伏した。
「どうやらパートナーに自分の絶対領域を纏わせ、その身体を保護し動きをサポートすると言う能力みたいですわね…!
 でも、おかげで余計な怪我を負わせる必要が無く全力を出せますわ…!!」
「そう言う事かっ…!!」
「Energico…!!(力強くの意味)」
 竜斗はビジュアル系のギタークラッシュを身体を右に捻ってかわしつつ、カウンターで顔面に刀を握った右の拳を思い切り叩き付ける。
 ガンと言う強い衝撃と共に反動でビジュアル系の身体がすっ飛ぶ。
「ボソッ、ボソボソッ…!!(お前みたいな平面野郎にメタファクターを破壊されてたまるかよっ!!)」
 その隙に左側から図書委員長が鉄塊入りの本を振りかざして来たが、予めその動きを読んでいた竜斗はそのまま右回転してかわす。
 そして、左手で図書委員長の頭に過重をかけると、重みに耐え切れなくなった彼女の身体は地にひれ伏した。
 姫は猛烈な飛び蹴りを繰り出し貧乏学生を倒し、そのまま図書委員長の背中を踏みつけるように着地する。
 その衝撃でまたしても勢い良く失禁する図書委員長。
 そこに残ったアルカナ達がまたしても一斉攻撃を仕掛ける。
「面倒ですわね、一気に片付けますわよっ!!」
「了解っ!!」
 姫はスカートの中からソードオフショットガンを取り出すと竜斗に渡し、自らはハンドマシンガンを構える。
 二人は武器を構えたまま背中を合わせ、敵を充分引き付けた所で一斉射出する。
 気絶した人間の山の中心に立つ竜斗と姫であったが、硝煙の向こう側から殺気を感じて揃って飛び退くと、そこにサーベルと鎖の二つの攻撃が放たれていた。
 風が吹いて硝煙が晴れると、そこにはサラサラヘアーでメリケンサックとチェーンを装備した工藤と、女子の制服姿でサーベルを構える宝塚の姿があった。
 共に竜斗と戦い大きく変わった人物であった。
 竜斗と姫は銃器を捨て、武器を刀へと持ち替えて身構える。
「まさか、再び竜斗君と戦う事になるなんて思いもしなかったわ…! でも、今度は負けない、恩人の恩に報いる為にも負けるわけには行かないの…!!」
「何の事だよっ!?」
 宝塚は竜斗に向かって鋭い突きを放つ。
 竜斗は気の流れを感じる事でなんとか避ける事が出来るが、相手は間合いの長い真剣のサーベルであり、間合いの短い胡蝶刀では近接して反撃に転する事が出来ない。
「誰かの為に戦うなんてガラじゃねぇが、ここで見捨てたら男が廃るんだよっ、ゴラァ!! だから、テメェらはここでぶっ潰す!!」
「ふふふっ、やれるものならやってみて下さいまし…!!」
「てめぇ、ぶっ飛ばしてやっ!!」
 因果を克服して全快した身体を強化された工藤は人間離れしたスピードを発揮し、小回りの効かない日本刀では姫の技量を持ってしてでも捉え切る事が出来なかった。
「このままじゃジリ貧になるっ!!」
「ここは、互いに相手を交換するとしませんことっ?」
 竜斗は宝塚の攻撃をかわしながら、姫は高速で走り回る工藤を牽制しながら、互いに言葉を交わす。
「いや、宝塚さんは僕にやらせて欲しいんだ…!! 今度は真っ正面から勝負したいんだ…!!」
「あらあら、まったくお馬鹿さんですわねっ!! でも、わたくしは貴方のそう言う所が好きですわっ!! では、武器を交換いたしましょ!!」
 竜斗と姫はすれ違い様、互いの武器を交換する。
「貴方には相手に応じて臨機応変に武器を使い分けられるように教えてありますわ!! 今までの努力をっ!! わたくしを信じて下さいなっ!!」
「ありがとう姫っ!!」
 竜斗は日本刀を構えて宝塚に、姫は胡蝶刀を構えて工藤と対峙する。
「君達の絆…見ていて痛い…。竜斗君の心の中に私の入り込む隙間はないのね…」
「ゴメン…」
「ううん、謝らなくて良いの…。今は互いの背負ったものの為、全力で戦いましょう…!!」
「うん…!!」
「いざ勝負っ!!」
「うぉーーーーっ!!」
「やってやんぜーーーーっ!!」
「決めますわっ!!」 
 四人が一斉に攻撃を繰り出す。
 宝塚の鋭い突きを竜斗の手にした日本刀が薙ぎ払い、サーベルの刀身をへし折るとそのまま彼女の身体を一閃する。
 工藤の繰り出したメリケンサックでのストレートを難なくかわした姫は、そのまま人間離れしたスピードで距離を保とうとする工藤に向かって、怒濤の如く素早い斬撃を繰り出す。
 次の瞬間、宝塚と工藤は地にひれ伏し、後には威風堂々と立つ竜斗と姫の姿が残っていた。
「いゃーーーーーーっ!! お願いだから避けてやぁーーーーーーーっ!!!」
「!?」
 だが、そんな二人に夕鶴が放ったロケットランチャーの弾丸が襲いかかる。
 竜斗と姫は瞬間的に武器を交換すると、猛スピードで飛来する鉄の塊に向かって、一文字斬りと十文字斬りを同時に放つ。
 鋭い斬撃によって細切れになった弾丸は小規模な爆発を起こし、周囲から悲鳴が上がったものの誰も怪我をする事は無かった。
 目覚ましい活躍を見せる竜斗と姫の二人に対し、何も知らない観客達からも賞賛の声が上がる。
「残るはお前だけだ…!!」
「そのようやな…!!」
 竜斗は胡蝶刀を大河はチタン製バットを構えて対峙する。
 姫は捨て去った銃器を回収すると夕鶴と並んで、その様子を少し離れた所から見守る。
「行くでっ!!」
「ああっ!!
 大河のバットは勢いを乗せる事で威力を増す事が出来るので、致命傷を負わない為には間合いを詰める必要がある。
 竜斗は至近距離で大河が振り回すバットを避けつつ、その懐に入って二刀一組の胡蝶刀で斬り付ける。
 胡蝶刀は大立ち回りをする相手との近接戦闘でかなり有効な武器であった。
 だが、竜斗の戦法を知り尽くした大河にとってそれは想定の範囲内であり、竜斗の身体を蹴り出したり、頭突きや肘打ちを繰り出す事で間合いを適正に保とうとする。
 至近距離であっても上から下に向かって体重を乗せた体術はかなりの威力を発揮した。
 武器に体術を併用する…、それは幼女の身体から元の身体に戻ったからこそ有効となる、初めて見せる攻撃パターンであった。
 今までにない攻撃に焦りを感じ間合いを大きく取った竜斗に対し、8の字を描くように小刻みにバットを振る隙の少ないモーションで突進する大河。
 その攻撃範囲は広く左右に避ける事は難しく、質量のあるバットを軽い胡蝶刀で捌き切れるとも思えない。
 だが、そんな絶対絶命の時だからこそ、竜斗は臍下丹田式呼吸法で心身の状態を整え、無数の戦略の中から一つの答えを導き出す。
 竜斗は大河に背中を向けて、姫達のいる場所に向かって走り出す。
「姫っ!!」
「了解しましたわ!!」
 姫は竜斗の意図を汲み取り、ソードオフショットガンに装弾して手渡す。
 そして、振り向き様に猛スピードで迫り来る大河に向かって発砲する。
 装弾して発砲する。
 装弾して発砲する。
 幾ら自我領域で守られていると言ってもその威力は絶大だった。
 大河の手にしていたバットはすっ飛ばされ、自我領域の存在感もかなり希薄となっていた。
 竜斗は武器を持ち替えると硝煙の中の大河に向かって怒濤の斬撃を繰り出す。
 だが、大河は竜斗の攻撃を食らいながらも臍下丹田式呼吸法をする事によって、失いかけた自我領域を一時的に回復させる。
 不意に攻撃を強く弾かれた竜斗は大きな隙を見せ、大河に小手を払われて二振りの胡蝶刀を落としてしまった。
「やるじゃないかっ…!」
「それはこっちの台詞やっ…!」
 竜斗と大河は武器を持たず、互いに拳を構えて対峙する。
「一体、聖蘭さんから何を聴いたって言うんだ?!」
「計画の必要性や…!!」
「世界を確変する事に理由なんかあるのかよっ…!?」
「大切なものを守る為にはこの計画は必要なんやっ…!!! お前は計画の表面的な部分しか見てないし何も解ってへんっ!! そんな奴に俺は絶対に負けへんっ!! 負けるわけにはいかんのやっ!!」
 大河は自我領域を失いかけながも、熱い闘志を滾らせ拳を強く握りしめる。
「くっ、僕もここで負けるわけには行かないんだっ…!!」
 竜斗は連戦で体力の限界に達しながらも、臍下丹田式呼吸法で冷静さを保とうとする。
「互いに限界のようやな…!! 次の一撃で勝負を決めようやないかっ…!!」
「望む所だっ…!! この拳で全てを決めるっ…!!」
 竜斗と大河は互いに拳を振り上げて突進する。
 このままクロスカウンターになれば自我領域を持ちリーチの長い大河の方が有利な事は明白だった。
 だが、竜斗は互いの拳が交差する寸前で大河の突き出された腕を掴み、そのまま一本背負いに持ち込む。
「ぐはっ!! 拳はフェイントやったって事か…!? 始めに習った基本を忘れとったで…!!」
 地面に叩き付けられて自我領域を失う大河。
「やっぱ、お前は凄い奴や…。毎日を大切にして一歩一歩確実に前に進んでいるのが解るで…。お前やったら世界の確変に頼らず、運命を変える事が出来るかも知れへん…。頼んだで…相棒…」
 竜斗は意識を失った大河の胸に出現したNo.4皇帝のカードを掴み取る。
「計画にどんな理由があるのかは解らない…。でも、そんなものに頼らなくても、どうにかなるって証明して見せるっ…!!」
 そして、天高くカードを掲げた。
 少年少女達が織り成す一大スペクトラルに周囲から大歓声が上がった。
 一躍してヒーローとなった竜斗の姿を空は切なげに、奏真は闘志を燃やしながら見つめていた。
 観衆から一歩離れた所で聖蘭は未だかつて見せた事の無いような不敵な笑みを浮かべながら興奮でゾクゾクと身体を振るわせ、その横顔を隣に立つ安室が悲痛な面持ちで盗み見ていた。

試練と課題

 1999年7月29日(木)
 風見鶏の館の朝食の間。
「今日は奏真先輩と塔のアルカナの第三試合…、須磨区の神戸総合運動公園で10時からか…」
 竜斗は姫と二人きりでテーブルを囲み、朝食を食べ終わると携帯電話に着信したメールを溜め息まじりで読み上げた。
「今日は貴方一人で現地に向かって頂く事になりますが心配はありませんわよ。
 わたくしの指定した時間に、決められたに電車の車両に乗れば、乗り換え無しで辿り着く事が出来ますから」
「いや、どうしても行かなきゃダメなのかなぁと思って…。
 一人で電車乗るってのもそうだし、他にも色々と心配毎があってさ…。
 ブラフマンの計画通りの試合展開になるのが目に見えているわけだし、その時間を使って修行した方が良い気がするんだ…」
「ふふふっ、お馬鹿さんですわね。
 貴方は今まで過ごして来た日々の中で、青海奏真を倒しブラフマンの計画を阻止出来るだけの力を積み重ねて来たはずですわよ。
 本当の力と言うのは日常の中で養われるものなんですの。
 今日も明日も明後日も、何時ものように決められた鍛錬を行い、何時ものように日常を送り、何時もの状態でいる事が必要ですわ。
 人に出来る事には限りがあり、それ以上の物を求めてしまえば心と身体を壊してしまいますわよ」
「でも、明後日にはもう世界の存亡をかけて戦わなければならない…そう思うと居ても立っても居られないんだ…」
「では、貴方は戦闘中に焦りを感じたらどうしますの?」
「えっ、臍下丹田式呼吸法で心と身体の状態を整える…かな?」
「そう、どんな時でも心を乱せば身体を萎縮させ、本来あるべき力を発揮させる事が出来なくなるのは同じですわ。
 それに溜め息が出ると言う事は気が重くなっている、つまり無理をしている証拠ですの。
 もし、なんらかの息を乱れを感じた時は、そのまま下腹に力を入れて臍下丹田式呼吸法に変えてみて下さいな。
 常々臍下丹田式呼吸法を行うように心がければお通じも良くなりますし、まさに一石二鳥ですわよ!」
「まぁ、うんこが出やすくなるのは余計だけどね…!!」
「あらあら、お通じを舐めてはいけません事よ。出すものをしっかり出せば、食欲が増して元気になりますわ…それは生物としての理ですわよ」
「お通じを舐めるって凄い言葉だな!」
「では、早速実践あるのみですわ」
 竜斗は臍下丹田式呼吸法を試す。
 臍の下に力を入れつつ、大きく腹を膨らませ肛門を締め上げながら息を吸い、腹を絞り上げ肛門を緩めながら息を吐く。
 自分が世界と一体となって、気が循環して行くイメージをする。
「うん、なんだか頭がすっきりした気がする!!」
「良く出来ましたわね。どんなに辛い時だったとしても、心が乱れたら臍下丹田式呼吸法を行う事を忘れないで下さいね、約束ですわよ」
「ありがとう、姫!」
「解ればよろしいですわよ!」
 姫はニッコリ笑って竜斗の頭を軽く撫でた。
「それに決戦を前に貴方には知るべき事があるはずですわよ。
 ご察しの通りこの試合はブラフマンの計画通りの展開になると思いますが、計画と言うものは意図した通りに物事を進めると言う事。
 つまり、戦いを考察する事でブラフマンの真意を読み取る事も可能かと思いますわよ」
「…大河が聖蘭さんから聴いたって言う計画の本当の理由ってやつか。
 確かに大河の言う通り僕は表面的な事しか知らない。
 ブラフマンが本当は何を考えているのかも、何故聖蘭さんが彼に加担するような事をしたのかも、何故空が彼らを裏切るような事をしたかも解らないんだよな」
「人と言うものは近くて遠いものですわ。
 解っているつもりでも解っていない事もあり、時にとんでもないすれ違いを生む事もありますの。
 だからこそ、人の気持ちを想像して解り合う事が大切なんですの」
「そうだね…!」
「まずは事情を知る観察力に優れた人物と接触する事ですわ。鍵を握るのが誰であるか貴方には既に解っているはずですわよ」
「…夕鶴か」
「そう、彼女から知っている事を聞き出した上で、観戦中に意見を伺って見て下さいな。
 以前の夕鶴さんは優れた観察眼を偏見によって曇らせる事もありましたが、数々の経験を経てその才能は開花しつつあります。
 うまく行けば限りなく真実に近づけると思いますの」
「でも、どうやって聞き出せば良いの?
 多分、夕鶴は自分からは絶対言わないと思うんだ…、大河や他の人達だって聖蘭さんに教えられなければ知る事は無かったんだろうし…。
 それに昨日、盛大に対立したばかりだから、何となく気まずいんだよなぁ…」
「ふふふっ、貴方はただ何時も通りでいれば良いだけですわ」
 姫は竜斗を抱き締める。
「今一度、貴方の本当の力を思い出し、引き出して見て下さいな。
 これから訪れる本当の試練はそれを守り抜く戦い…、わたくしは貴方がその力を失わず強く生きられるよう、離れていたとしても見守り続けますから」
 そして、二人は口づけを交わした。

 竜斗は風見鶏の館のある北野から新神戸駅まで歩き、姫に教えられたまま神戸市営地下鉄西神・山手線に乗った。
「いくら、電車で一本で行けるって言っても一人だと心細いよなぁ…。しかも、どの面下げて夕鶴と会えば良いんだか…。早速、溜め息が出そうだよ…。臍下丹田式呼吸法を心がけないとな…」
 竜斗が地下鉄に乗って代わり映えしない風景を眺めていると、新神戸の次の三宮駅のプラットフォームで見慣れた少女の姿を見つけた。
「このアホぉ!! うちを乗せる前に発車したら承知しないでぇ!!」
 松葉杖をついて電車に乗り遅れまいと、必死になっているのは間違い無く夕鶴である。
 しかし、焦るあまり足をもつれさせてしまった。
「アホはお前だよっ!! 無茶すんなって!!」
 竜斗は無意識に駆け寄ると、夕鶴が転ぶ寸前でその身体を支えた。
「誰かは知らへんけど、ありがとさん…って、竜斗センパイやないかっ!!」
 そして、竜斗はそのまま夕鶴を支えて車内に入り座席に座らせたが、かなり疲れているらしく息が上がっている様子だった。
「うちは甲子園駅から阪神電鉄本線でここまで来たんやけどメチャキツかったでぇ!!
 ただでさえ三宮駅はいろんな路線が入り組んで迷路状態やのに、阪神側のホームに至っては構造が古すぎてエレベーターが無くて、うちみたいに足悪い人には地獄やし!!
 神戸の街は古いものを大切にしながら、新しいものをどんどん取り込むのは良いんやけど、もっと使う人の事を考えて欲しいでぇ!!
 オマケに今日は特別運行で全体的に電車のダイヤがズレてるみたいで、下手すると遅刻するかも知れへん所やったからホンマに助かったわぁ!!
 まるで、狙ったかのようなナイスタイミングやったでぇ!! 竜斗センパイも少しは先輩っぽい時もあるんやねぇ!!」
「少しかよっ!!」
 竜斗は苦笑した。
 ちょっとしたトラブルのお陰で昨日の事など嘘のように、互いに何時も通りと言った感じである。
 それが偶然で無いとしたら、姫が裏に回って状況操作しているお陰かもしれない。
 真相はどうあれ竜斗は肩の荷が降りて、心も身体もすっかり楽になるのを感じた。
「そやで、竜斗センパイは、センパイであって先輩やないし、まだまだ精進しなきゃアカンよ!」
 しかし、姫は夕鶴が変わったって言うけど、毒舌なのは相変わらずと言った所だ。
「そーいや、大河はどうしたんだ?」
「あいつ、慣れない力を無理して使った反動で寝込んでるみたいやわぁ。安めば回復する思うし心配あらへんよ!!」
「まぁ、何時までも寝込んでいる所なんてアイツらしく無いしね!!」
「そやね! 元気だけが取り柄のアホなんやしね!!」

 そして、何時も通りの他愛も無い話を繰り広げる内に、目的地である総合運動公園駅に着いた。
 様々な学校施設が集合している学園都市駅と、須磨ニュータウンの最寄である名谷駅に挟まれた森の中にあり、夏休みと言う事もあって老若男女多くの人で賑わっていた。
 なにより特徴的なのは駅を降りて直ぐ右側に見える大きなスタジアムである。
「これはカッコいい球場だなぁ!」
「そやろ? これはグリーンスタジアム神戸言うて、オリックス・ブルーウェーブの本拠なんやで!!」
「ブルーウェーブってプロ野球のパ・リーグのチームだよね?」
「そや、1995年にはパ・リーグ優勝、翌年の1996年には日本シリーズにも優勝して、震災で傷ついた神戸の人達に勇気と希望を与えた神戸の象徴みたいなもんやでぇ!!
 所属するイチロー選手が被災者を招待するシートを自費で用意したって逸話も感動もんやわぁ!!
 球場の方も今年からボールパーク構想ってのを掲げて、本場メジャーリーグの球場を手本に改修する予定なんやって!!」
「詳しいんだね!」
「そりゃ、ファンやもん!!」
「って、夕鶴ってタイガースファンじゃ無かったのか…!?」
「甲子園球場の側に住んでるからってタイガースファンって決めつけへんで欲しいわぁ!! 確かにタイガースも好きやけど、ブルーウェーブの方が遥かに好きやでぇ!!
 まぁ、関西圏でその話すると下手すると村八分やから誰にも言ってへんけど…」
 竜斗の脳裏に第一回戦にして幼女にされて負けた挙げ句、夕鶴に愛想つかされてしまった後の大河の姿が蘇る。
 あの感動のシーンも今となってはシュールなギャグでしかない。
 本人が真剣なだけに余計に笑える。
「あ、アホだっ…!! アイツ本物のアホだっ!!!」
「どないしたん?」
「いや、夕鶴って大河が何の為にトーナメントに志願して、何の為にタイガースの優勝を願ったかって聴いた事ある?」
「そーいや、知らへんなぁ。私利私欲ちゃう?」
「やっぱりね…」
 大河が壮大に勘違いしていたとすると、あの時の夕鶴の様子や、その後のすれ違いも納得出来るものがある。
「アイツさ、夕鶴がタイガースが好きだって思い込んでて、タイガースが優勝したら楽しかった時の事を思い出して、もう一度歩き出せる勇気を持てるんじゃないかって考えていたんだ」
「あのアホぉ、そんな事考えとったんか…!」
「でも、僕はアイツの気持ちが良く解るよ…。
 男は単純だから複雑な女の子の気持ちなんて解らないんだけど、不器用なりにも大切な女の子を守りたくて仕方無かったんだよ」
「そやね、やり方ズレとってもアイツの気持ち嬉しい思うよ!」
 と言って夕鶴は気恥ずかしそうに笑った。
 夕鶴が毒舌なのはかわらないけど、偏見を捨てて素直に人を認める事が出来るように成長しているんだと竜斗は思った。
 それは大河が一生懸命頑張ったからであり、その様子を近くで見ていた竜斗は、自分の事のように嬉しくてたまらなかった。
「人ってどんなに近くに居て解り合っているつもりでも、ちゃんと伝えなければ解らない事ってあるのかも知れないね。
 だから、時にとんでもないすれ違いをしてしまう。
 特に男と女なんてそんなものだから、ちゃんと互いの気持ちを伝え合う事が必要なんだろうね」
「そやね、コミュニケーションが大切やって事は身にしみてるわぁ!! ボケボケの竜斗センパイでも、たまには心に響く事言うんやね!!」
「まぁ、だいたい姫の受け売りだけどね…」
「なんや、感動したうちの気持ち返して欲しいわぁ!!
 でも、しっかり姫ちゃんの言う事を聴いてあげてるんなんて見直したで!!
 女の子って無駄話が多いかも知れへんけど、自分では全部が大事な話やって思ってるから、男の子に話を覚えて貰えると嬉しいもんやし!!」
「彼氏が彼女の話をちゃんと聴いてなかった事が原因で喧嘩に発展するパターンは容易に想像出来るね。なんで、わたしの話をちゃんと聴いてないのーってさ。
 でも、姫にもそういう普通の女の子っぽい気持ちって有るのかな?」
「アホやなぁ、もちろん有るに決まってるやん! 人より繊細な心の持ち主やなかったら、あそこまで色んな事考えられへん思うよ!
 竜斗センパイもしっかりと姫ちゃんとコミュニケーションとって、ちゃんと気持ちを汲んであげへんとダメやでぇ!」
「ちぇっ、相変わらず上から目線だよなぁ…。でも、言っている事が的を射ているから助かるよ!!」
「そやで、うちの毒舌に感謝してや!」
「ふっ、ありがと! やっぱり、夕鶴は夕鶴らしく毒舌なのが一番だよな!!」
「それは竜斗センパイも同じやで!! 竜斗センパイは竜斗センパイらしくお人好しでアホ正直なのが良い所やわぁ!!」
 竜斗の脳裏に姫の言葉が蘇る。
(人は日々の積み重ねでしか物事を成し遂げる事が出来ませんわ。
 一日一日を、その一瞬一瞬を大切にして、その時々で自分自身が出来る事を考えながら精一杯生きる事。
 それが、いつかあなたにとって掛け替えの無い力になりますわ)
「そうだよな、誰だって自分らしくあるのが一番だよな…。
 力を引き出すって事は自分らしくあるって事、強く生きるってのは自分らしさを貫く事、それを忘れちゃダメだ…」
「なんや、薮から棒に!?」
「夕鶴にお願いがあるんだ…、僕に、僕たちに力を貸して欲しいんだ!!」
「おっと、計画を止める手伝いをしろって事やったらお断りやで…!」
「そう、僕たちはブラフマンの計画を止める為に戦って来た。
 だけど、大河や他の人達と戦って、彼らの事情も解らず一方的に力で否定するのは何の解決にもならないって思ったんだ。
 だから、僕は彼らの事を少しでも知りたい…! 解り合いたい…! 計画に頼らなくても良いように彼らの力になりたい…!!
 その為に、夕鶴が知っている事を教えて欲しいんだ…!!
 夕鶴が計画の本当の目的を誰にも言えないのには理由があるとは思う…、それでもお願いだよ…!!」
 竜斗は夕鶴に頭を下げた。
「なんで竜斗センパイはそんなにも一生懸命になってるんや…!?」
「僕に出来る事はどんな時でも誰かの為に真っ直ぐに生きる事だけだから…! そうする事で僕は僕でいられるからさ…!!」
 そして、顔を上げて力強くまっすぐに夕鶴を見つめた。
「そっか、竜斗センパイは何も解らへんのに、空に計画止めてくれって頼まれたんやね…!?」
「な、何でそれを…!?」
「バレバレやで! ホンマにお人好しでアホ正直やなぁ…!」
「またやられたか…」
「そやね…、空のヤツずっと辛かったんやろな…。
 アイツのオトンと奏真先輩は優しいからこそ全てを犠牲にして必死になっている…。
 うちはそれを知っているから応援して来たし、大河や他の奴らもそれを知って協力したけど、それは空の気持ちを無視して傷つける事やったんかも知れへんね…。
 うちには空の気持ちは良く解る…、だかこそ何が正しいのか良く解らへん…。
 でも、大河の言う通り竜斗センパイと姫ちゃんやったら、どうにか出来るかもしれへんね…、真っ直ぐで噓偽りの無い地に足を着けた力を持っているから…」
「夕鶴…」
「わかったわ…! うちが知っている事も、うちが思った事も全て話す…! その代わり空を、奏真先輩を助けてやってね…!!」
「ありがとう、夕鶴…!!」

「な、なんだと!?」
「いきなり、初めからその台詞は早過ぎねん!?」
 試合開始時間が迫り、舞台となる駅前広場には生徒だけではなく、一般人も含めた多くの人々が集まっていた。
 竜斗と夕鶴は並んで戦いの開始を見守っていたのだが、奏真と空に相対するように立つ対戦相手を見て驚愕した。
「いや、それも仕方無いだろ! だって、だってアイツは…!!」
 それは、中肉中背で七三分けの特徴の無い冬服の男子生徒だが、その瞳に生身の人間が持っているはずの光を感じる事は無い。
 その傍らにはお下げ髪で狐メガネの女子生徒が付き添っている。
 転校初日の竜斗に因縁を付けて来て、奏真と出会うきっかけになった相手。
 姫の圧倒的戦闘力を初めて目撃し、本当の強さへと一歩踏み出すきっかけとなった相手。
 忘れもしない。
「風紀委員…通称粛清委員の二人じゃないか!!
 粛清委員長は姫にぶちのめされた挙げ句、アルカナを強奪されて失格になったはずだよ!! そのアルカナは今は僕が持っているのに、何でアイツが!?」
「竜斗センパイはアホやなぁ…。
 何やかの原因でアルカナが失格になった場合、ブラフマンが代わりを選出するってルールになっとったはずやで。
 失格になるのはトーナメント以外でアルカナ同士が戦ったり、トーナメント以外で破れてアルカナを失った場合とかやな。
 竜斗センパイと大河が良い例やないの。
 ただし、単純にアルカナを倒してカードを奪えば良いってわけやなくて、ブラフマンの許可が無いとトーナメントには参加出来へんし、ブラフマンの暗示を受けへんと能力は使えへんから、結局はブラフマンの鶴の一声次第ってヤツやね」
 竜斗は姫が粛清委員長を倒した後、ウォータースライダーの上に立ったブラフマンに許可を得ていたのを思い出した。
「そうか、あの時ブラフマンが僕の参加を許可したのは、そのルールを使えば幾らでも計画を修正出来ると思っていたからなんだな。
 事実、僕を止める為に大河を充てがってみたりしたし。
 今回の粛清委員長の復活だって計画の修正…つまり、初めから奏真先輩と粛清委員長は何処かで戦うように仕組まれていたって事か?」
「それか、途中で失格になってもうた生徒会長の代わりかも知れへんよ!」
「なんで、そう思うの?」
「だって、勝つためならば手段を選ばず、力無いもん達を虐げて来た生徒会長を奏真先輩が倒して、世界を変革してみんなを救うって最高の展開やし!」
「なんか、図書委員長を思わせる漫画的理論だな!」
「あんなんと一緒にせんたってやっ! アホっ!! どアホぉ!!」
「悪い、悪い…! そうだよな、夕鶴の方が全然可愛いんだし、一緒にされたく無いよな!!」
「アホぉ!! そんな事言わへんといてっ!!」
 夕鶴は顔を真っ赤にさせると、背中を思いっきり叩いた。
「あだっ!! 何で叩くんだよ!?」
「自分で解ってない所が恐ろしいわぁ、ホンマ…!!
 でも、生徒会長と粛清委員長はAブロック、奏真先輩はBブロックで本来は決勝戦でしかあり得へん組み合わせやし、何れにせよ重要な意味がある戦いなのは確かやと思うよ!!」
「姫の予想した通りって事か…!!」
 そして、いよいよ試合開始の時を迎える。
「いよいよ、我々の恨みを晴らす時が来たようだな。貴様があの中学でした事は忘れていない…! 忘れていないぞっ…!!」
「俺は自分の犯した罪は決して忘れていない。未来永劫、輪廻の先まで罪を背負い続ける覚悟はしている。だが、お前の恨みを受ける所以は無いはずだ」
「貴様は何も解っていない!! 解っていないのだ!!
 強き意思を持たざる人々にとって最も恐ろしい毒は何であると思う!?
 それは自由であるっ!!
 何処までも続く荒廃した世界において、人々に無責任な自由を与える事は、死への不安を与える事と同意義であると知れっ!!
 当時、震災で傷ついた幼き中学生達は、支配により自らを導く救世主を求めていたのだっ!!
 我々は人々の求めるまま救世主を作り上げた!!
 それが生徒会長であるっ!!
 彼は意思の弱き者を粛清する事で、強き意志を持つ者を目覚めさせ、意思を持たざる人々に標を与えた!!
 そう、彼は人々に楽園をもたらしたのだ!!
 しかし、貴様は生徒会長に抵抗し弱き者達に味方したばかりか、生徒会長を叩き潰す力があるのにも関わらず、それをしようとはしなかった!!
 貴様のおかげで我々の楽園は失われる事となったのだ!! それは許される事で無いと知れっ!!」
「誰が生徒会長を操っていたなど興味が無い。
 だが、自分自身が罪を背負う覚悟を持たず、他人を盾にする事しか出来ない思考停止野郎は許さざる程に醜いものだな」
「そう、我々は強き意志を持たざる者であるっ!! だからこそ、絶対的な支配者を求めているのだっ!! 力を持ちながらもそれが解らぬ貴様は我々が粛清してやるっ!!」
「俺は誰を相手にしようとも決して負けはしないっ!! 例えどんな罪を背負う事になろうとも、守るべき者を守る為に戦い続けるだけだっ…!!!」
「お兄ちゃん…」
 空はとびきり切なそうな表情を浮かべた。
 そして、奏真は空と口づけを交わし、No.19太陽のカードを取り出し、それを掴み取って二組のチャクラムへと変化させた。
 一方で粛清委員の二人も同様にシルエットを重ねると、燃えた建築物から人物が落下している絵が描かれたNo.16塔のカードを取り出す。
 そして、それを掴み取ると以前と同じ調教鞭へと変化させた。
「では、初めっ!!」
 ブラフマンの合図を皮切りに、双方共に同時に全力で攻撃を放つ。
 振るっ!!
 振るっ!!
 振るっ!!
 斬るっ!!
 斬るっ!!
 斬るっ!!
 粛清委員長の鞭が作り出す衝撃波を、奏真のチャクラムの斬撃が掻き消し、一進一退の攻防を見せ周囲は大歓声を上げる。
「粛清委員長の能力は前に姫と戦った時から変わっていないみたいだな」
「大河みたいに精神的な変化が無ければ、アルカナが変わっても能力は変化せんのかも知れへんね。それよりも、粛清委員長の能力ってどんなんや?」
「えっ、鞭から衝撃波を出すだけじゃないの!?」
「アホぉっ!! それだけなはずないやん!? ああ言うシンプルな攻撃の場合はステータス異常が伴うはずやで!!」
「そっか、宝塚さんの女の子化もそうだったし、工藤だって毒攻撃だとか言ってたしね。
 でも、姫は一撃も食らう事なく圧勝しちゃったから、結局本当の能力は解らず終いだったんだよなぁ」
「それはさすが姫ちゃんとしか言いようが無い感じやね! おっ、動きがあったようやで!!」
 互いに全力の攻撃を繰り出し、一息ついて向かい合ったまま膠着状態になっていた。
「どうした、攻撃はそれだけか!? これ以上、お前と付き合っていても時間の無駄だ!! これで一気に決めさせてもらうっ!!!」
 奏真は間合いを詰めて一気に勝負を決めようとする。
「アカンっ!! これは反撃食らうパターンや!!」
「それは僕も思ったけど、なんか、さっきから奏真先輩らしくない気がするよ…!」
「きっと、焦っているんやろなぁ…」
「焦り…?」
 奏真が接近して右腕に持ったチャクラムで斬り掛かった所で、粛清委員長は至近距離で鞭を振るい、放たれた衝撃波によって奏真の右腕を切断する。
 派手に血が飛び散り、奏真の右腕がボトリと言う音を立てて地面に転がり落ちる。
 周囲からは悲鳴が上がるが、当の本人は涼しい顔で、そのまま攻撃を続ける。
「そんな攻撃が俺に効くと思っているのか…!」
 左の斬撃!
 右の膝蹴り!!
 しゃがみ蹴りの連続!!!
 そして、右腕を本来の場所に取り付け、再生しながら左右の斬撃の連続!!!!
 回転しながらのアッパー斬撃!!!!!
 そのコンボになす術も無く自我領域を削られて行く粛清委員長。
 そのあまりにも華麗な動きに周囲からも歓声が上がる。
「莫迦めっ!! 我々の狙いは貴様ではないわっ!!!」
「何!?」
 その時だった。
「きゃーーーーっ!!」
 奏真の背後で少女の声がした。
「空っ!!」
 奏真が慌てて振り返ると先ほど粛清委員長が放った衝撃波を全身に浴びて、空が倒れ伏せている所が見えた。
 奏真は目の前の粛清委員長を無視し、急いで空の元へと駆けつけた。
「大丈夫か、空っ!?」
 奏真が空を抱き起すと一切の怪我は無い様子であり、ほっと一息ついた時だった。
「ぐはーーーーーっ!!」
 空は手にした調教鞭で奏真の身体を切り裂き、その返り血を浴びていた。
「お、お兄ちゃん…!!」
 空は身体をガクガク揺らしながら、手にした鞭で連続して奏真に次々と攻撃を浴びせる。
「やめてっ!! 身体がっ!! 身体が勝手に動くのっ!!」
 茫然自失となった奏真は全身を隈無く切り裂かれ真っ赤に染まって行く。
「お兄ちゃん避けてっ!!」
 空の一声で我に返った奏真はバックステップで空との間合いを取るが、そこには粛清委員長が待構えていて、背中から渾身の一撃を食らってしまう。
「!!」
 声も無く地に伏せる奏真。
「やっぱし、嫌な予感が当たってもうたか…!」
「あ、相手のパートナーを操るなんて、何て卑怯な能力なんだ…!!」
 奏真は再生しながら立ち上がり同時に二人を相手にして応戦するが、空に攻撃をする事が出来ないので状況は著しく苦しかった。
「どうだ、愛するパートナーに成す術も無く切り裂かれる気分は!?
 かつての貴様は暴力的であり、第二の生徒会長に、第二の支配者になれる素質があった!!
 しかし、この小娘に出会ってからと言うもの貴様は温くなった!!
 生徒会長亡き今も、その力を持って人々を支配しようとはしないっ!! それは許されるべき事では無いのだっ!!
 諸悪の根源である小娘の手によって裁かれる、それが貴様への真の粛清なのだっ!!!」
「止めてっ!! もう止めてぇーーーっ!!!」
 空の鳴き声も虚しく、奏真への怒濤の攻撃は続く。
 下段!!
 中段!!
 上段!!
 そして、飛び退いて衝撃波での攻撃!!
 粛清委員長と空の動きは完全にリンクし、まるで踊るように鞭がうなり奏真に攻撃を浴びせかける。
 もはや、完全に自我領域が消えつつあった。
「これはアカン…!!」
「まさか、奏真先輩が…、負けると言うのか…!?」
「いや、それ以上に心配なのは空や…!! これ以上、激しい動きをさせたらアカンで…!! 解っているんやろ、奏真先輩…!!」
「えっ!?」
「これで止めだ!!」
 しかし、夕鶴の不安は的中し奏真へと止めを刺そうとした所で、空は突然嘔吐し全身から大量の汗を吹き出しながら、身体をフラフラさせて倒れてしまった。
 それと同時に奏真も完全に自我領域を失って倒れてしまう。
「ああっ、やっぱし発作が出たか!!」
「どう言う事なの!?」
「空は重い病気なんや…!!
 自立神経ちゅう所に原因不明の異常があるらしく、緊張や激しい運動、温度変化で発作が出て、発熱や嘔吐で脱水症状を引き起こしてしまうんや…!!
 素早く水分補給しないと命も危ないし、常にスポーツドリンクが欠かせないんよ…!!」
「そう言えば初めて出会った時、カラになったペットボトルに水を入れて渡されたよ…!! あれは発作の後だったのか…!!」
「中学の時に発症して以来、色んな治療を試して来たけどダメやった。奏真先輩の能力でも治す事が出来んかったんや…。
 最近では加速度的に症状が悪化して、長い間意識を失って自分で栄養や水分を補給する事も出来ん時もあるんよ…。
 ブラフマンの見立てだと、もうそう長く無いって事らしいんやって…」
「ま、まさか…、そんな…!!」
「もう、空を救う為には運命をっ、世界を変える事しか無いっ…!!
 だから、奏真先輩は戦ってるんやっ…!! 自分自身が傷ついても、誰を傷つける事になっても、痛みを堪え続けながらっ…!!」
「それが、奏真先輩…、そしてブラフマンの真の計画と言うのか…!?」
「ふはははははっ!! 貴様に止めを刺すのは後回しだっ!!! まずはパートナーを殺し、後悔の中で死なせてやるっ!!」
 粛清委員長は無表情な顔に不気味な笑みを浮かべると、ゆっくり空の方へと足を進める。
 しかし、奏真は血だらけで気を失った地に伏せてピクリともしない。
「立って!! 立つんや奏真先輩っ!! お願いだから立ってくれやぁ!!!!」
 一歩、また一歩、粛清委員長が空へと歩み寄る。
「奏真先輩の馬鹿野郎っ!! こんな時に寝てる場合じゃないだろっ!? こんな所で空を殺されて良いのかよっ!?
 僕が憧れ追いかけて来た男はそんな弱い奴じゃないはずだ!! 
 大切な人を守る為ならば自分がどんなに傷ついても絶対に負けない、そんな強さを持った男だからこそ僕のライバルとして相応しいんだ!!
 だから、起きろっ!! 起きろよっ!! 起きてアイツをぶっ飛ばしてくれっ!! その強さを見せてくれっ!!!」
 粛清委員長が空に向かって鞭を振り上げた所だった!!
「ぐはーーーーーーっ!!」
 粛清委員長の身体が錐揉みしながらすっ飛んでいた。
「な、何だと!?」
 自分自身に何が起こっているか確認する前に粛清委員長の身体は再びすっ飛ばされていた。
 何度目かの衝撃の後に粛清委員長が前を見ると、そこには意識を失っていたはずの奏真が血だらけで意識も絶え絶え、絶対領域も失ったまま殴り掛かっていた。
「貴様は!?」
 殴る!!
「何故、自我領域を失っても立っていられるのだ!?」
 殴る!!
「何故、それだけの傷を負っても生きていられるのだ!?」
 殴る!!
「何故、能力も使わず我が自我領域を犯す事が出来るのだ!?」
 殴る!!
「何故だ!?」
 殴る!!
「何故だ!? 何故だぁ!?」
 殴る!!
「それは貴様が空を傷つけたからだっ!!」
 殴る!!
「そ、そんな事でっ!!」
 粛清委員長は苦し紛れに鞭を振るい奏真の額を切り裂く。
 だが、奏真は止まらないっ!!
「俺にとっては空が全てだっ!! 空を守る為に戦うっ! その為だったら例え誰を相手にしようとも、どんなに心と身体を痛めようとも、俺は絶対に負けはしないっ!!」
 そして、奏真は粛清委員長を殴り飛ばし、その自我領域を完全に打ち砕いた。
「ちくしょーーーーーっ!!」
 粛清委員長は副委員長と共に倒れると、その身をNo.16塔のカードへと変化させ消えて行った。
「き、消えた!?」
「あの時と同じやっ!! まさか粛清委員長達もみんなの集合意識が具現化した思念体やったって言うんか!?」
「でも、粛清委員長の物言い、雰囲気…。あの時と似ていたかもしれない…」
「そやね…、うちらの思いが粛清委員を産み出し、さらには生徒会長と言う暴君を台頭させたって考えると複雑やけどね…」
 奏真は消えた粛清委員長の事など脇目も触れず空に駆け寄って抱き締めると、自分の口にスポーツドリンクを含ませると空に口移しにした。
 意識を戻した空と奏真は自我領域に包まれながら再生して行く。
「でも、この戦いが仕組まれているとしたら、どんな意味があったんだろう…。奏真先輩に空を失う事の恐怖を植え付けているとしか思えない…」
 竜斗は奏真の勝利を告げるブラフマンの顔を盗み見たが、その意思を読み取る事が出来なかった。
 運命の時まであと二日…、だが、真実はまだまだ遠い気がした。

いざ温泉へ

 1999年7月30日(金)
 この日は朝早くから気持ち良く晴れ渡り、元気よく蝉の鳴き声が響いていた。
 風見鶏の館の朝食の間では竜斗と姫が何時ものように二人きりで食卓を囲み穏やかな時を過ごしていた。
「しかし、聖蘭さんが休職してから、朝食はパンに前日のスープの作り置き、昼は外食、夕飯は出張のシェフさんに作ってもらってばっかでワンパターンだよな」
「ふふふっ、なんだったらわたくしが作ってもよろしくてよ。火を使ったり包丁を持つのは恐ろしいですが、味覚には自信がありのすので為せば成ると思いますわよ」
「ってか、日本刀を平気で振り回す奴が言う台詞じゃないよな…! しかも、味覚だけで料理が出来るとか素人丸出しな気がするぞ…!!」
「仕方ありませんわよ、わたくしは今まで厨房に入る事無く生きて来たんですから」
「姫って見かけ通りのお嬢様だよなぁ。まぁ、とは言っても僕も今まで料理なんてした事は無いから人の事言えないんだけどさ…」
「あらあら、お料理が出来なくてもお金があれば生きて行けますわよ。自分に出来ない事はお金で解決ですわ!」
「ふっ、それを言ったら元も子もないよな」
「ふふふっ、それがわたくしの生き様ですわ。貴方もわたくしを見習って貴族的な暮らしを目指して下さいな」
「金が無いのに姫を見習ったらダメ人間になっちゃうって!」
「そうならないように精一杯働いて下さいな。わたくしの仕事を引き継げば充分やっていけますわよ」
「充分過ぎるけどね…! さて、ごちそうさま!」
「ごちそうさまですわ」
 竜斗と姫は食事を終えて手を合わせた。
「でも、こうしていると明日には世界が終わりを迎えるとは思えないね」
「ええ、本当にそうですわね。
 世界が本当に終わってしまうかどうかは解りませんが、決着の時が近づいている事は確かですから、さながら嵐の前の静けさと言った所ですわね。
 ずっとこうして居たいのは山々ですけど、これからの事を考えないといけませんわよ」
「とは言っても実際には解らない事だらけなんだよな。
 ブラフマンの動機は空の病気を治す事だって解ったけど、わざわざ鍵を握る奏真先輩を追い込むような事をしたり行動に違和感があるし」
「そう言う時は解らない事を無理に考えるより、今解っている事を整理して掘り下げると良いと思いますわよ」
「じゃあ、そもそもの動機…空が病気になった自律神経って何なのかな?」
「自律神経と言うのは交感神経と、副交感神経の二つから成り立ち、呼吸や代謝、消化、循環、体温など無意識に生命活動の維持や調節をする機能ですわ」
「となると、あの症状も納得出来るよな…。原因は不明とは言っていたけど、どうにかならないものかな…?」
「自律神経の異常は遺伝的疾患や癌等によるホルモンバランスの乱れが原疾患である事がありますが、その殆どが不定愁訴…つまり症状があるのに原因が解らない疾患で薬物投与の効果も無いそうですわ」
「結局、解らないって事か…」
「ですが、どのような病気にも効く治療はありますわよ」
 姫はニコリと笑う。
「なんか、微妙に嫌な予感がするんだけど大丈夫だよね?」
「ふふふっ、もちろん医学的見解に則った治療法ですわよ。
 病は気からと言いますし、ここは一つ養生して英気を養うべき…、と言う事で今から奏真さんに空さん、大河さんと夕鶴さんもご一緒して温泉に行きますわよ!」
「やっぱり、ぶっ飛んでたよ!! こんな時なのに姫は相変わらずだよなぁ…!!」
「あらあら、こんな時だからこそ楽しみが必要なんですわ。皆さんも疲れも溜まっている事ですしね」
「まぁ、それはそうだけど、夜には試合がある事だし、中途半端な時間で温泉って入れるものなの?」
「目的地は電車で30分程で行けるぐらい近い所にありますわ。ただ、体調の優れない空さんや、足の悪い夕鶴さんも居る事ですから今回は車で行きましょう」
「でも、ロールスロイスは聖蘭さんが持って行っちゃたんだけど…」
「その辺は抜かりなく手配してますわ。
 時は悠久に続くように見えて有限であり、何時かは終わりが来てしまうものですわ。
 悔いのない人生を送る為には、考える時は考え、楽しむ時は楽しみ、自分の気持ちに従って、その時その時を精一杯噛みしめる事が大切ですわよ」
「うん、そうだね!」
「では、出発までの間、何時ものように朝練をしますわよ!!」

 朝練を済まし軽くシャワーを浴びた竜斗と姫が風見鶏の館を出ると、そこには北野異人館街の石畳の道に似つかわしく無いボロボロのホンダ・ステップワゴンが停まっていた。
「おはようございます!!」
 運転席から降りた私服姿の安室が出迎えた。
「お出迎えご苦労さまですわ」
「送ってくれるのって安室さんだったんだね!」
「ええそうですわ、既に他の皆さんも迎えに行ってますよ!」
「おはよう!」
「おはよさん!」
「おはー!」
 助手席には奏真、真ん中の席には夕鶴と空、大河が座っていて顔を出して挨拶を交わした。
 奏真は黒いタンクトップの上から白いワイシャツを羽織り、下は細身のジーンズをハイカットのコンバースオールスターにインし、何時ものネックレスとバックルを着用し、制服時とイメージが大きく変わらない。
 空は水色のギンガムチェックのワンピースの上に白いウィンドブレーカーを羽織り、足下はローカットのコンバース・オールスターと言った格好で、何時もより可愛らしさが増して見える。
 奏真と空はお揃いのカシオのBaby-Gをペアで着用している。
 夕鶴は長い髪を後ろで束ねてポニーテールにして帽子を被り、緑のチェック柄の長袖シャツにベージュのゆったりしたパンツ、GTホーキンスのブーツを履いた本格レジャースタイルだ。
 大河は背中に虎のイラストが描かれた黒いTシャツに、サスペンダーを緩めて腰履きをしたサイズが大きめの深緑のカーゴパンツ、足下にはナイキのエアジョーダンを履き、黒いリストバンドの上からカシオのG-SHOCK Extremeを巻いている。
「おはよう!」
「おはようですわ」
 奏真はかなり追いつめられているような真剣な面持ちだったが、空は病気であると言う事を感じさせない程に元気で、大河もすっかり元通りと言った感じだ。
「でも、あまりエレガントな車じゃ御座いませんわね」
「あ、迎えに来てもらっといて、それ言っちゃうの!?」
 しかし、姫がそう言うのも納得でステップワゴンはあちこち擦り傷、凹みだらけ、汚れ塗れになったいた。
「これはボクのオカンの車なんですよ! お嬢さまには解らないかもしれませんけど、庶民なんてこんなもんですよ!!」
「確かにオバさんは何故か平気で車をぶつけながら走るしね!」
「あら、傷を直すにはお金がかかるでしょうが、洗車ぐらいならばお金をかけなくても出来るんでなくて?」
 姫は鼻で笑うように言う。
「姫ってば、ちょっと厳し過ぎるんじゃないの?」
「でも、一人暮らしのオカンがこんな大きな車を洗うって酷ですよ!」
「たまに実家に帰った時に貴方が洗ってあげれば良いと思いますわよ。貴方に気遣いや心がけが足りませんわ」
「そやで!! それに何やその私服!? 低予算にしてもセンス無さ過ぎるで!! うち、幻滅したで!!」
 車の中から夕鶴の声が響く。
「ゆ、夕鶴、お前あんだけ安室さんの事カッコ良いって言ってたのに、掌の返しっぷりが半端ないな…!」
「うちが好きだったのは、執事の安室さんや! こんな、ヘボイな兄ちゃんじゃないで!!」
「ううっ…」
 目頭を抑えて涙する安室。
「しかも、すぐ泣くし、まるで誰かさんみたいなヘタレやん!」
「誰かさんって誰だよ?!」
「まぁまぁ、女なんてあんなもんやで!! これからは男同士仲良くやろうやないか!!!」
 三列目に竜斗と姫を乗せる為に、車を降りてシートを折り畳んだ大河が安室の肩を叩く。
「お、お前、顔が嬉しそうだな…!」
 竜斗は姫をエスコートし三列目シートに乗りながら言う。
「じゃあ、発進しますね!」
 全員が乗り終わった事を確認すると車を走らせた。
 石畳の道を車がガタガタ揺れながら動き、洋館の立ち並ぶ情緒ある町並みが流れて行く。
「でも、空は仕事じゃない時の安室さんの方が好きだよ! だって、空の家庭教師のアルバイトしてくれてた時はこんな感じだったし!」
「へぇ、安室さんって空の家庭教師だったんだ!」
「…と言っても大学三年の時の冬休みの間だけですけどね。
 ボクは故郷の神戸を離れて東京の大学に通ってたんですけど、当時付き合ってた子と一緒に冬休み期間中に旭陽教授の特別講習を受ける事になって、そのよしみで空ちゃんが東京に滞在する間の家庭教師のバイトを紹介してもらったんですよ」
「でも、空の家庭教師をする寸前でその女の子にフラれちゃったんだよ。休憩時間中に隠れて泣いてたの見ちゃったもんね!」
「それは言わんといて下さいよー!」
「やっぱ、ヘタレやね!」
「ですわね」
「もう、さっきから、お姉ちゃんと夕鶴は安室さんに厳し過ぎるよー!」
「そうだよ!」
「安室さんは一見人に気遣っているように見えますが、それは仕事中の紳士的な態度や格好によって作られた仮面と同じく表面的なものであり、その本質は極めて自分勝手で子供っぽいと思いますわ。
 情けは人の為にならずと言いますが、ここで甘やかしてしまっては本人の為になりませんのよ」
「そやそや!!」
「うううっ…」
 運転しながらも泣く安室。
「でも、俺は安室さんの気持ち痛いほど解るでー!!」
「うんうん、僕もいっつも泣いているし、他人事とは思えないよ!」
「そうだな」
 竜斗と奏真は安室を擁護するように力強く頷いた。
「おう? おれや竜斗はともかく、奏真も泣く事があるんか?」
「そんなことはしょっちゅうさ。男なんてみんなそんなものだろ」
「そう、殿方は幾つになっても純粋ですから、ついつい悪戯したくなってしまうんですの。殿方の狼狽する姿はあまりに可愛らしくて快感を覚えてしまいますわ。それは愛があるが故、ある種の愛情表現とも言えますわね」
「お、お姉ちゃん変態っぽいよぉー!」
「うん、解るっ!! 姫ちゃんの気持ち良く解るでっ!!」
「ふふふっ、わたくし達は同志ですわね」
 姫と夕鶴は座席の列を超えて硬く手を握り合った。
 その為に三列目で姫の隣に座る竜斗と、二列目で夕鶴と空に挟まれて座る大河が押し潰される形となった。
「せ、狭いっ!! この狭い車内で止めてくれよっ!!」
「ホンマやっ!!」
「いいじゃないか、俺と安室さんなんて男同士並んで座っているんだ。正直、大河の席が羨ましくてたまらないな」
「お兄ちゃんの馬鹿っ!! スケベっ!!」
「ふっ、俺も男だしスケベなのは仕方無いものさ…!」
 まるで今での過酷な戦いや、これから待ち受ける戦いが夢であるかのように車内は笑いに包まれた。
 そして、皆を乗せた車は以前生徒会長との戦いを繰り広げた新神戸トンネル有料道路を通って六甲山の北側に抜け有馬街道を東に走る。
 しばらく住宅街のような変哲も無い景色が続いたが、安室が提案した尻取りにブーブー言いつつも盛り上っていると、いつの間にかに深い緑に被われた山中を思わせる情景に変わっていた。
「もうすぐ着きますよ」
「なんか、それっぽくなってきたやん!!」
「うん、うきうきわくわくするね!!」
「風景が変わって空気が澄んで行く…、この高揚感はたまらないな。旅をしていると言う気分にさせられる…!」
「そやな!」
「でも、本当に近いよな! まだ30分ぐらいしか経っていないし!!」
「そう、街からのアクセスが良く人々に愛され続ける憩いの場…それが目的地である有馬温泉郷ですわ!」

「実はボクの知り合いも呼んでるんですよ。もうすぐ来るはずですし、待ってもらって良いですか?」
「あほぉ!! そー言う事は始めに言っておくもんやで!! どうせ言い出す度胸が無くてズルズルになったんちゃうん!?」
「な、なんでそれが解ったんですか!?」
「解るやろ!! じゃあ、ここに座って待とうか!!」
「あ、結局待つんだ!?」
「当たり前やろ!! うちをなんやと思ってんの?」
「夕鶴だしな」
「そやな、夕鶴やし」
「お前ら後で覚えとけやぁ…!!」
「ボクの為にわざわざありがとうございます!!」
「ふっ、気にする事はないさ」
「そうよ、安室さんの友達だったら、空たちの友達と同じだもん!」
「ふふっ、ご心配なさらなくても大丈夫ですわ。おそらく、ここに来るのは皆さんもご存知の方だと思いますから」
 その時、遠くからパァーン、パァーンと軽快なエキゾーストノイズが近づいて来るのが聞こえた。
「なんだ…? バイク程じゃないけど、普通の車より音が軽い…?」
「ロータリーエンジンの音ですわね。
 ロータリーはマツダのみが実用化に成功しているエンジンで、ピストンの上下運動を回転運動に変換し動力にする一般的なレシプロエンジンとは異なり、三角形のローターを回転させる為に慣性抵抗が少なく、動力に伝える過程の運動エネルギーの変換と言うプロセスが存在せず、エネルギー損失が少ないのが特徴ですの。
 その為、少ない排気量で大きなエネルギーを発生させられますし、シンプルな構造と相まって通常のレシプロエンジンと比べて遥かにコンパクトですので、ボディの重心に近い位置に搭載して旋回性能が飛躍的に高い車を作り上げる事が出来ますわ」
「や、やけに詳しいんだな、説明が近年稀に見ぬ程長かったよ…」
「ふふふっ、幾ら高級なマシンを操る事が出来る資金と技術があったとしても、知識が無ければ勝つ事が出来ないのが公道バトルの世界ですからね」
「公道バトルって何やっちゃってるの?!」
「ふふふっ、ちょっとしたお遊びですわ」
 そして、ロータリーサウンドの発生源は竜斗達のいる駐車場に入ると、派手なスキール音とタイヤの焼ける臭いと共にボディを横滑りさせて見事に白線内に駐車した。
「な、なんや!?」
 大河は驚きおののきアスファルトに尻餅をついた。
 それはハードトップとGTウィングを装着した青色のユーノスロードスターで、ドアを開け放つとロールゲージの張り巡らされた車内から女性の姿が現れた。
 夏だと言うのに革ジャンを着込み、細いボディラインにフィットしたダメージジーンズとハイカットの革ブーツを履きこなしている。
 肩まで伸ばした金色の髪と涼しげな眼差しはそこにいる誰もが見覚えがあった。
「せ、聖蘭さん!?」
「遅くなって申し訳ございません」
「いえ、わたくし達も今来た所ですわ」
「なんや、安室さんの呼んだ人って聖蘭さんやったんか!? にしてもカッコいい!! メイド服も最高やけど私服も最高やで!!」
「ふっ、聖蘭さんのその格好を見るのは久々だな…!」
「うん、中一の冬以来だよね!」
「なんや、あんたら、そんな昔から聖蘭さんの事知ってたん!?」
「うん、お父さんが東京の大学で講師やってた時の生徒さんだったの。安室さんとは何度も付き合ったり別れたりしてたんだよね!」
「空、そう言うプライベートな事は言っちゃ…! ゴメン、聖蘭さん!! 空は無邪気なだけで悪気は無いのさ…!!」
「過去の事ですので気にするまでもありません」
「じゃあ、今はどうなんや?」
「ゆ、夕鶴…、お前はまた凄い事を…。無邪気さの欠片も無く悪気が満ちあふれているとしか言いようが無いぞ…!」
「知人と言う程度です。それ以上でもそれ以下でもありません」
「そ、そんなぁ…!」
「まぁまぁ、男なんてみんな不器用なもんや! 温泉に入って嫌な事は全て忘れようで!!」
 ショックを隠せない安室の肩を叩く大河。
「だから、お前顔が嬉しそうだぞ…!」
「では、全員揃った所で行きますか。あのタクシーで旅館まで行きますわよ」
「うおっ、おもしろかっこいいタクシーだな!」
「また、懐かしいフレーズやね…!」
 丸目のヘッドライトの間に挟まれた四角く大きめなグリルが印象的なクラシカルなデザインのフロントセクションに、屋根が高く四角い箱形の座席が組み合わされている。
「倫敦タクシーと呼ばれるイギリスから輸入された車で、ミニバンの二列目が取り外され三列目に座るような感じの広々としたレイアウトが特徴ですのよ」
「でも、それやと全員乗れないんやない?」
「ええ、ですから空さんと夕鶴さんに乗って頂き、あとの人達は歩いて行きましょう。宿はここから近いですし」
「そやったら、うちらも一緒に行くで!」
「でも、良いのか空?」
 奏真は心配そうに空を見る。
「うん、みんなで一緒に行った方が楽しいもん!」
「ふふふっ、解りましたわ。みんな一緒に行きましょう」
「おーっ!」
 駐車場を出て有馬街道を東に向かい、駅前にある太閤橋交差点に出ると、南に向かって川に沿った坂道を上がって行く。
 川にかかった橋のすぐ近くにある噴水のある広場にはちょんまげ姿の銅像が鎮座していた。
「成金っぽいおっちゃん像やな」
 歩きながら夕鶴が言う。
「太閤秀吉像です。跡継ぎに恵まれない秀吉は子宝の湯で知られる有馬温泉の効能にあやかろうと、何度もこの地を訪れ様々な改修をしたと言われています。
 その為、この辺りには秀吉と縁があり太閤と名の付く地名が多くあるそうです」
「でも、結局効いて無いんやないの!?」
「この太閤秀吉像の視線の先…左側に見える赤い欄干の橋の所には、奥方のねね様の像があるんですよ。
 ねね様は梅干しが大嫌いだったから、食べてから温泉に入ると懐妊するって言うはらみの梅を口にしなかったって伝説が残されているんです」
 少しは良い所を見せたい安室が補足説明する。
「きっと、子宝の湯って効能にケチつけたく無いが故のこじつけやね!」
「それは言っちゃアカンやろ!!」
「ふふふっ、ご利益があるかどうかは皆さんが試してみては如何ですか?」
 姫は立派な壷を差し出し、蓋を開けてシワシワになった梅干しを見せる。
「いつの間に!?」
「美味そうやないの! うち、梅干し大好きやで!!」
「な、何の躊躇いもなく行くか…!?」
「やる事やらなきゃ妊娠しないし、やる事やってもやる事やってれば妊娠しないし、やる事やっても妊娠しない時はそん時はそん時やしね!」
「公衆の面前でまた凄い事を言い切った!!」
「お前なぁ、女としての恥じらいっちゅうもんが無いんか!?」
「苦渋を舐め続けたうちにそんなもんあるわけ無いやろ?!
 生きていれば飲むし食べるし、オシッコもすればウンチもするし、どんな事でも諦めたら終わりやけど、どんなに頑張っても出来ない事もあるし、欲望も我慢出来ない事もあるんや!!
 そう、生きるっちゅう事は綺麗事じゃないんやで!!」
「ふふふっ、夕鶴さんは良い母親になるかも知れませんわね。医療関係にも向いていると思いますわ」
「…なんだか僕もそう思う」
「ほら、空も美味しいから食べてや!」
 夕鶴が梅干しを掴んで空に差し出す。
「ふぇ…?」
「なんや、顔真っ赤やん!! 空でもそう言う事に興味あるんやね!! まぁ、思春期の女の子やったらあたり前やけど!!」
「そ、そんな事ないもんっ!!」
 空は夕鶴から梅干しを奪い取るように掴み、その小さな口に運ぶ。
「食べちゃったよぉ!! 赤ちゃん出来ちゃったらどうしよう!?」
 嬉しいんだか、恥ずかしいんだか解らない複雑な表情を浮かべる空。
「そ、空…!?」
 そんな空を見て顔を赤くする奏真。
「もし、そうなったら責任とらなあかんで…!」
 大河はニヤニヤとしながら奏真の耳元で呟いた。
「俺はそんな事はっ…!」
「ふふふっ、残念ですけどそれはお土産屋さんで買った紀州南高梅干しですわ。
 はらみの梅はこの近くの林渓寺と言う所にある、未開紅と呼ばれる樹齢二百年を超える紅梅の実で、そうそう食べられるものじゃありませんのよ」
「もぅ、お姉ちゃんの意地悪ぅ!!」
「あらあら、わたくしは一言もはらみ梅とは言ってませんことよ」
「さすが姫ちゃんやね、その意地の悪さはうちも見習いたいわー!」
「頼むから見習わんといてや!」
「さぁ、他の皆さんも食べて下さいな」
「うん、すっぱいけど美味しいや!」
「関西では梅干しって言ったら和歌山の紀州南高梅って言うぐらいスタンダードな物なんですよ」
「おれん家なんて冷蔵庫に完備されてるで!」
「はい、関西圏の土産物屋では高確立で扱っていますし、この有馬温泉郷でも南高梅を料理に取り入れている旅館が数々あるそうです」
 梅干しをじっと見つめ誰にも聞き取れない程の小声で呟く奏真。
「空も大人になろうとしているんだな…。いや、大人になろうとしないのは俺の方か…」
 そして、その実を頬張った。
 川から一本は離れた道に入ると両側には土産物屋が連なり、浴衣姿の老若男女が下駄を鳴らして歩いている姿が見られ、ますます気分は盛り上がる一方であった。
「まったく、温泉街と言うものは無性に胸が高鳴るものだな…」
「ボクも胸を高鳴らせる相手が欲しいもんですわ…」
 そして、道をまっすぐ行った所に目的の旅館はあった。
 木造三階の和風建築で三角形の屋根が特徴的であり、ロビー前の広場には緑色に生茂った桜の木が植えられていた。
「木造の和風ながらどこかモダンな感じだ!!」
「ここは西暦1191年に開業した老舗で芸術を愛する人々に好まれ度々作品の舞台になった有名な旅館ですわ。
 明治になって神戸港が開港された事をきっかけに、この周辺には外国人専用ホテルが立ち並んでいたらしいんですの。
 そう言った影響もあってか、昭和初期になってこの建物が新築された際には、フランスから取り寄せたステンドグラス等を使ってサロンを作ったりと、温故知新、和洋折衷な趣きとなったのかも知れませんわね」
「まさしく神戸らしい場所だね!」


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