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生活と学び

 1999年7月25日(日)
「なんや、お前が自分から起きて来るなんて珍しいなぁ。何時もは起されへんとダメでオカンに叱られまくっとったのに。雪でも降るんとちゃうの?」
 風見鶏の館では姫の指針によって休日でも平日と同じ時間に起きて朝食を取る事になっているのだが、皆に遅れずに朝食の間へと現れた大河を見て夕鶴は思わず突っ込んだ。
 夕鶴は生徒会長に狙われる恐れがある為、昨日の夕方から風見鶏の館に匿われて寝泊まりしていた。
 この日は日曜日なので夕鶴も何時もの制服姿ではなく、身体にフィットした細身のTシャツにジーンズにサンダルと言う私服を着用している。
「うっさいわハゲっ!!」
「そう言えばここ最近だよな、ちゃんと起きるようになったのって。それまで聖蘭さんに起されるまで寝てたのに、一体全体どうしちゃったんだ?」
 竜斗は姫の助けもあり、すっかり元気を取り戻していた。
「別に今までは好きで起きれへんかったわけやない、寝ても寝ても疲れが取れへんかったから朝がキツかっただけや!!
 せやけど、最近はちゃんと疲れが取れるようになったんや!!」
「それは正しい睡眠を取れるようになったからですわ。
 始めは大変かもしれませんが、決まった時間に起きて適度に身体を動かす事で、眠りが深くなり一日のサイクルの中で気力・体力を充実させる事が出来るようになるんですの。
 また、休みの日でも目的意識を持つ事で起きやすくなりますわ」
「目的意識ってコイツにあるとは思えへんけどなぁ。なんて言ってもコイツの脳みそは野球の事にしか使えん専用設計やし!」
「専用設計脳みそって、響きが良いな…!」
 竜斗はプルプル震えて笑いを堪える。
「おれやってちゃんと他の事考えられるし、ちゃんとやる事あるんやでぇ!! ホンマのホンマのホンマやでっ!!」
「そうムキになるだけ子供っぽくてアホ丸出しやで! まぁ、今はまごうことなき子供なんやけどね!!」
「ちくしょーっ!!」
 大河は泣きながら震える。
 その時、聖蘭が朝の食事を運び終え、会釈して朝食の間を出て行った。
「ふふふ、仲がよろしいのも結構ですが、冷めないうちに朝ご飯を頂くとしましょう」
「ごちそさん!!」
「早っ!! 幾らなんでも早過ぎだろっ!! 姫の台詞から全く間隔空いて無かったぞ!!」
 せめて改行して行間を空けるか、食べる描写ぐらい挿めよなと思う竜斗であった。
「ほら、さっさと食って準備始めるで!!」
「解ったから、ちょっと待ってろって!!」
 そして、大河の後を追うように竜斗も朝食の間を出て行く。
「あらあら、お行儀が悪いですわね」
「まったくや、アイツらがうちより歳上なんて信じられへんなぁ…。それに準備ってなんの事やろ…?」
「それは食後のお楽しみですわ。わたくし達はゆっくり食事をしましょう」
「にしても、美味しいなぁ。バターロールにスクランブルエッグ、ウィンナーって朝の定番やのに全然他と違うよ。まるで、一流ホテルのモーニングみたいや!」
「ここの家の食べ物は聖蘭さんが用意しているのですが、卵は毎朝淡路島から取り寄せ、ウィンナーは神戸ポークを使った自家製、パンも自家製の焼きたてですわ。
 出来る限り新鮮な地元の食材を使っているって事もありますが、何より安心して楽しく頂けるように食べる人の顔を想像して作るのが料理の秘訣らしいですわよ」
「料理は愛情っていうもんなぁ…。でも、アイツが聖蘭さん凄いって言うのも、最近うちにも解って来たで…。ホント聖蘭さんは凄いんやなぁ…」
「我以外皆我師とは宮本武蔵の遺した言葉ですが、人はそれぞれ違う物をもって生きていて、それぞれに見習うべき所があるんだと思いますわ。
 …もちろん、他人から見れば自身の中にだって見習うべき所があるわけですし、謙虚になりすぎて己を過小評価するのは違いますが」
「ほんまかなぁ…? 竜斗センパイのヘタレなとこ、空のボケたとこ、奏真先輩の八方美人なとこは見習うべきと言えるかも知れへんけど、アイツの口先だけなとこだけは見習いたく無いわ…」
「ふふふっ、では食事も食べ終わったみたいですし、一階ホールまで彼らの様子を見に行くとしましょう」
「でも、うち一人で階段降りれへんし、身長の高い聖蘭さんか、竜斗センパイ呼んだ方が良いんやないの?」
「あら、彼らの手を煩わせる必要はありません事よ」
 そう言うと姫はいとも軽々椅子に腰掛けた夕鶴の身体を抱えてみせた。
「うわっ、うちって見かけによらず重いって言われるのに、姫ちゃんって見かけによらず力持ちなんやなぁ!!」
 夕鶴は大抵の事は自分一人で出来るように訓練をしているが、バリアフリーが整えられていない場所等ではどうしても介護の手を必要とする事があり、その時は父親や大河や奏真のような体格に優れた男性でも大変そうであった。
 それなのに姫はどっしりとした力強さで階段を下がって行く。
「あらあら、女性に対して重いなんて失礼な物言いですわね」
「まったくや!!」
「貴女は見た通り華奢で軽いですし、わたくしも見た目通り可憐で非力ですわよ。
 人の身体は重心が安定しない為に体重よりも重く感じてしまうのですが、コツを知っていると非力でもなんて事は無いんですの」
「そのコツってどんなもんや?」
「相手と自分の腰を密着させる事で、互いの重心を一つにするんですの。隙間があると重心が安定しないので、腰や筋肉に負担をかけてしまいますわ」
「勉強になるわぁ、姫ちゃんって色んな事知っているんやな」
「わたくしの知識・技術・思想の多くは日本古来から伝わる多岐に渡る古武術から抜粋して現代風に応用したものなんですの。
 それが、伝統から今を生きる術を学ぶ新武芸…、わたくしが彼らに教えているものですわ」
 姫に抱きかかえられて一階ホールの椅子に座った夕鶴が見たものは、竜斗と大河がゴム製の武器を使って模擬戦形式の修行を行っている所だった。
「休みの日の朝は自分達でメニューを考えて自主的に練習して頂くようにしてますの。
 例えば呼吸法や型のおさらいをしたり、得意なものを伸ばしたり、不得意なものを克服したり。
 当たり前な練習メニューかもしれませんが、誰かに言われるがまま動くのではなく、その時々で何が必要かを自分の頭で考える事が重要なんですわ」
 竜斗はゴム製の胡蝶刀を使って大河の死角に回り込む攻撃を、大河はゴム製のバットを使って竜斗の攻撃を受け流す防御を、それぞれ重点的に練習しているようだった。
「竜斗センパイは後手に回り過ぎてチャンスを逃したり、あのアホは先走り過ぎて相手にチャンスを与えたりしてたけど、自分らでそれ解ってたんやな…」
 夕鶴は俯いて苦笑しながら言う。
「なんやアイツら!? ガキっぽさは相変わらずやけど、うちが思っていたよりも全然大人やないか…!! がんばってるんやないか…!!
 それが解らへんって、うちのほうがよっぽどガキやないか…!! ああ、恥ずかしいわぁ、ホンマに…!!」
「ふふふっ、あなたは素晴らしい観察眼をお持ちですが、偏見を改める事が出来れば、もっとその才能は伸びますわよ」
「そやね、ありがとな姫ちゃん…!
 いや、お世話になったんはうちだけやない。
 きっと、甘ったれで嫉妬心の強いアイツが負けた後も腐らずにいられたんは、姫ちゃんが尻を叩いてくれたからや。
 一緒に歩いてくれる竜斗センパイと、甘やかしてくれる聖蘭さんが居てくれたからや。
 うち、みんなにお礼したいっ!!」

「な、なんだこれ…!?」
 竜斗がそう言うのも当たり前だった。
 朝の練習を終えて昼時に食卓についた竜斗達を待構えていたのは、今まで見た事が無いような珍妙な料理だった。
 大阪名物と言えばたこ焼き、明石名物と言えば卵焼き(通称明石焼き)が有名であるが、目の前に出されたそれはそのどちらとも違った。
 ソースと青のりがかけられた見紛いようが無いたこ焼きが、茶碗の中で出汁に浸けられているのだ。
「神戸たこ焼きや! たこ焼きを出汁の中で少しずつ崩して食べるんや。それで、最後にソースと混ざり合った出汁を飲むんよ!!
 うち、みんなの為の作ったんやで、美味しいから食べたってや!!」
「・・・う、うむ」
 折角、夕鶴作ってくれたのは嬉しいが、見た目のインパクトが抜群で中々口に運ぶ事が出来ない。
「な、南無三っ!!」
「ってか、何で飯物食うのに気合い入れとんやっ!!」
 と竜斗の隣に居る大河が突っ込んだ。
「う、うまいっ!! 明石焼よりも生地が厚手で出汁が染み込んでも食べ応えがあるし、濃厚なソースとあっさりとした出汁が混ざり込んで味に深みがあるっ!」
「そやろ、そやろ!!」
「…んで、こっちは!?」
 竜斗の視線の先には細かく刻んだ焼きそばと、ご飯が混ぜられたものであった。
「それも神戸名物でそばめしって言うんやで! 食べてや!!」
「これも美味いな!! 焼きそばの塩っぱさと油っぽさがご飯で中和されているし、甘辛い牛すじの煮込みがアクセントになってガンガン箸が進むよ!!」
「そばめしは好みに応じて野菜や魚介類とか色々入れるんやけど、今回うちが使った牛すじ肉とこんにゃくの醤油煮込みも、ぼっかけって言う神戸名物なんやで」
「文句無しに美味いんだけど、これって本当に神戸名物なの? 夕鶴が考えたんじゃなくて!?」
「いやん、竜斗センパイったらそんなに褒めんといて!! いくらうちでも、こんな美味しいもの考えられるほど天才やないで!!」
「いや、それ全然褒めてへんから!!」
 大河が夕鶴に突っ込んだ。
「ええ、夕鶴さんのお作りになった料理は正真正銘神戸の名物です。
 古くから港街として栄えて来た神戸の人は、様々なものを折衷する事で新しいものを作り出す文化を持っています」
 聖蘭が答えた。
 普段ならば使用人として徹底し、決して主達と食事を共にする事は無い聖蘭であったが、この時は皆にごちそうを振る舞いたいと言う夕鶴の意向に従っていた。
「さすが聖蘭さん、神戸人の特性を的確に捉えているで!!」
「ほんまやね!!」
 大河の何時もの聖蘭リスペクトに間の手を入れる夕鶴。
「…おふっ? 何か変やな」
「ふふふっ、更に言うとこれらの名物料理は元々下町である長田区の飲み屋さんや一般のお宅で食されていたものですが、最近になって神戸全域で知られるようになったんですわ。
 このまま行くと、10年後には日本全国でブームになったりするかも知れませんわよ」
「そりゃ、地元としてそうなって欲しいのは山々やけど、幾らなんでも言い過ぎやないか!?」
「あら、世の中はどうなるか解りませんわ、何だったら賭けをしてもよろしくてよ」
「幾らでもええで、負ける気せーへんから!!」
「だったら、1億3千万でどうですの?」
「宝くじかっ!! 幾らでも良いって言ったけど、幾らなんでも高過ぎるやろっ!!」
「あら、わたくしの仕事を手伝って頂ければすぐに返済できますわよ」
「どんな仕事やねん!!」
「ってか、姫って仕事してたんだ!?」
「当たり前ですわよ、働かざる者食うべからずですわ。
 なんだったら竜斗さんも、今までの寝食とわたくしの唇と心を奪った分を、働いて返して頂いてもよろしくてよ。
 ただ、一回仕事を手伝っただけで返せる金額じゃ御座いませんけど」
「どんだけだよっ!? ハメにも程があるよ!!」
「ふふふっ、妥当な金額ですわよ、何だったら具体的な内容をお教えしましょうか?」
「聴きたく無い、聴きたく無い、恐過ぎるっ…!」
 そして、楽しい昼食の時間はあっという間に過ぎて行った。

 竜斗と大河と夕鶴は食卓を囲いパンパンに張ったお腹を落ち着かせていた。
「楽しかったなぁ、こうしてみんなでご飯食べるのも良いもんやなぁ」
「そうだね、なかなかこういう機会って無いもんね」
「どうせやったら、空と奏真先輩と安室さんがいればもっと楽しかったんやけどなぁ…」
「奏真と安室は要らへんやろ!! あんなん、カッコいいだけで別に居ても面白くもなんともないわ!!」
「なんやとぉ!? お前二人に嫉妬してるんとちゃう!?
 少し見直したと思ったら、相変わらずケツの穴の小ちゃい男やなぁ!! そんなんだから、元の姿に戻れへんのやろ!!」
「うっさいわハゲっ!!」
 夕鶴の言葉が図星であると竜斗には痛い程解った。
 少し前まで竜斗も大河と同じように人と自分を比べて嫉妬ばかりしていたから。
「…そう言えば、なんで夕鶴って空や奏真先輩、それに執事の安室さんと前から知り合いなの? 空と奏真先輩とは学年も学区も違うわけだし」
 竜斗はあえて二人の話の間に入って割る事にした。
「…」
 夕鶴は押し黙ってしまった。
「…ごめん、聴いちゃいけない事だったのか」
「いや、竜斗センパイには何時か話さへんといかんと思っていた事や…。ちょっと、湿っぽい話になるんやけど聴いてくれへん?」
「もちろん…!」
「全ての始まりは小五の冬ん時やった。
 何時ものように朝寝てたら突然大きな揺れと共にタンスが襲いかかって来たんや。
 そう、阪神淡路大震災や。
 それで医者に運ばれて手術を受けたんやけど、脊髄が損傷しているから自分の足で歩く事はおろか、うんちやおしっこすら満足にする事も出来ないって言われた。
 そんな身体と一生付き合って行く事になるから、とにかく受け入れて慣れるしかないんやって」
「そうだったのか…」
 竜斗は以前、大河から夕鶴の症状について聴かされた事があったが、その時は怪我は完治しててるって言っていただけに、重い現実にショックを隠せなかった。
 まるで、ガンガン脳みそと胃が揺さぶられるようで気持ち悪かった。
 そして、大河は表情を変えずに黙って俯いている。
「それからはリハビリの日々や。
 動けない事による床ずれや、排泄障害による膀胱炎、腸内感染で入退院も繰り返しとったな。
 まわりに言われるまま、がんばれば、がんばるほど、もう二度と元のようには生きられないって現実が突き付けられるだけで辛いだけやった。
 うちの気も知らんで無責任に前向きな事を言う奴らが、腹立たしくて、腹立たしくて仕方なかった。
 何でそうまでして生きてなきゃアカンのやって、誰ふりかまわずあたり散らし、殺してくれって叫びまくってたよ」
 竜斗は唇を噛み締めても、溢れる涙を堪える事が出来なかった。
 夕鶴の気持ちを完全に理解する事は出来ないものの、辛い思い出から立ち直れていない気持ちが痛い程伝わって来たからだ。
「ごめんなぁ、この話をすれば純粋な竜斗センパイは傷つくって解ってたけど、どうしても聴いてもらいたかったんや…」
「僕の方こそ今まで夕鶴の気持ちに気付く事が出来なくてゴメンね。…でも、辛い事を思い出したく無いだろうに、それを僕に話してくれるのは凄く嬉しいよ」
「ありがとな、センパイ…!」
 夕鶴は鼻声で言うと瞳に浮かんだ涙をハンカチで拭う。
「それで、地震から丁度一年が経った小学校の終わり頃、入院していたうちの病室にオールバックでサングラスをかけたスーツ姿の長身の男が現れたんや。
 …そう、ブラフマンや。
 ブラフマンはある研究の過程で産み出された再生能力を試してみたいから、うちにその実験台にならないかって誘って来たんや。
 滅茶苦茶怪しいって思ったけど、もうどうにでもなれって状態やったから、ヤケクソで引き受ける事にしたんや」
「まさか、そこでブラフマンが出て来るとは…」
「これは、あとで知った事やけど、旭陽家は代々続く有数な資産家であり、国に資金提供してるから色んな所にパイプを持っているんやって。
 それで、病院や学校、公共施設を使った実験が出来るんやろうね。
 執事の安室さんが病室に沢山のカメラが設置して、大勢の学者が見守る中でうちはブラフマンに暗示を受けたんや。
 お経のように低く唸るような声やったけど、信じる事で特別な力を受け入れる事が出来るよって、みんな普段特別授業で聴いているのと同じような内容やったよ。
 それから、場所を手術室に移してうつ伏せになった上で、体中を固定されて滅菌布を被せられ、部分麻酔で背中を切り開かれて脊髄を露出させられたんや。
 その状態をうちはモニターで見させられて。
 能力ってのは催眠術の延長線上にあるらしいので、視覚で力の存在を確認しないと効果が出にくいんやって。
 そんで、とうとう能力を発揮するって言う人達が病室に入って来た。
 たいそうな手術着を着こんでいるものの、体型から中学生ぐらいのひょろっとした男の子と、チビっこい女の子やってすぐ解ったよ」
「その二人って、まさか…?」
「そう、中学生の頃の空と奏真先輩や。
 二人は当時から仲が良いのはすぐに解ったよ。
 なんせ、アジの開きにされたうちを見て小さく悲鳴をあげた空を、奏真先輩が諭すように優しく抱き締めていたんやから。
 身体動くんやったら、その場でぶっ飛ばしたいって思ったわ」
「ははは…、それは微妙に解る気がするよ」
 大河も俯いたまま、うんうんと頷く。
「んで、ブラフマンがこの子を救う為に頑張ってくれるか、みたいな事を言って二人は覚悟を決めたようや。
 そして、事もあろうか、うちの目の前でアイツらキスしやがったんや!
 もう、我慢ならん!! …そう思った時、奏真先輩の身体の周りに光を放つ空間が広がってタロットカードが出現し、それを掴み取ると円盤状の武器に変化した。
 実は超常現象なんてあり得へんと思ってただけに、度肝を抜かれて放心状態になってもうたよ」
「まさか、そんな前から奏真先輩がアルカナの力を使えたなんて…」
「後で聴く所によると、太陽の暗示を持つ奏真先輩は、愚者であるブラフマン、うちの知らない教皇と女教皇に続く史上四人目のアルカナなんやって。
 それで、意を決した奏真先輩はうちの背中に手をかざしたんや。
 その瞬間、うちは奏真先輩の作り出す世界観のようなものに囲まれて、怪我をした時に埋め込まれた背骨を固定するボルトが体外へと弾き飛ばされ、様子を見る為に切開された部分がみるみる塞がって行ったんや。
 周囲から歓声が上がった。
 うちも実験が成功したって思った。
 でも、それは大きな間違いやったんや。
 麻酔がかけられているのに、死んだ方がましだって言う程の痛みに襲われて、うちは全身を固定するバンドを引きちぎり、苦しみもだえる中で意識を失った。
 そして、次に目が覚めた時、うちは自分の足に感覚が戻っている事に気がついた。
 うんちもおしっこも自分の意思で出来るようになっとった。
 でも、自分の意思で足を動かそうとすると、気が狂いそうになる程の激痛が走るんで結局歩く事は出来ないままやった。
 ブラフマンの話やと不完全なアルカナの力では因果応報を覆す事は出来ず、それが痛みとして現れているんだろうって。
 そりゃそうや、一生もんの怪我が超能力で治るなんて、そんな都合の良すぎる話はあるわけ無いんやから。
 でも、怪我は完治しているので希望はあるだろうって、ブラフマンの診療所で経過を看て行く事になったんや。
 正直、希望も何もあらへんって思っとったけど、そこで奏真先輩と空に出会ってアイツらの事情と実験の目的を知らされて、辛いのはうちだけや無いって知って一緒に頑張って行こう思ったんや。
 アイツらとはそっからの付き合いやね」
「ひょっとして、今行われている特別授業の真の目的も同じ理由なのか…?」
「そうや…。でも、うちの口からはそれ以上は言えへん…」
「…」
 竜斗は以前にも同じような事を夕鶴から言われた事がある気がして、ひょっとしたら何か繋がりがあるんじゃないかと思った。
 それが何時何処で言った事か思い出す事は出来なかったが、代わりに思い出した事があった。
 それは太陽のように竜斗の心の中で光を放ち、胸を大きく高鳴らせる。
「そう言えば、前に奏真先輩の戦いを観戦している時に、夕鶴は能力を良く知っているって言ってたな…!」
「うん、うちは自分で能力を体感したって意味や」
「って事はあの戦いで全身を再生して、今も動きまくっている奏真先輩は、その痛みに絶えまなく耐え切っているって事か…?」
「あの痛みに耐えるって、はっきり言って人間業じゃないわ…」
 竜斗は夕鶴の体験談から奏真の抱える痛みを想像して戦慄する。
 一体、何がそこまで彼を支え、戦いへと駆り立てていると言うのだろうか、竜斗は想像しても解らなかった。
 ただ、そんな人間離れした相手と戦うだけの強い信念を自分が持ち合わせていない事だけは明らかだった。
 でも、問題はそんな事じゃない。
「奏真先輩が痛みを克服しているって事は、他の人だって可能性があり得るって事だよね!?」
「うちには無理やったけど、そう言う事になるんやろうね…」
「だったら、奏真先輩に頼んで、生徒会長にやられた宝塚さん達を治せないかな…!?」
「それは良い考えやと思うで!!
 怪我の程度と痛みは比例すると思うし、うちや奏真先輩ぐらいの怪我やったら痛みも酷いけど、骨折や筋の断絶ぐらいやったら耐えられん事も無いかも!!」
「…おれは反対やな」
 今まで黙って聴いていた大河は独り反対意見を述べた。
「えっ、何でだよ!?」
「確かに可能性はあると思うで。
 でも、お前は自分で宝塚達の為に何かしたいって決めたんやろ、それなのにアイツの力を借りるなんて悔しくあらへんのか?!
 自分が何も出来へんって、負けを認めたって事にならへんか!?」
「大河…」
 大河はきっと夕鶴の力になれない自分に悔しい思いをして来たんだろうと竜斗は思った。
 それで力になる事が出来る奏真に対して嫉妬して来たんだ。
「僕一人の力じゃ宝塚さん達の為にしてあげられる事はたかが知れている…。
 でも、自分の力が足りないって事を受け入れて、他の人の力を借りればもっと大きな力になる事も出来るかもしれない…!
 それが今の僕に出来る事だから、どんなに悔しくても突き進むだけだよ…!!」
「そうか、それがお前の答えなんか…。
 お前はどんなに強い奴にも絶対に負けず、何処までも自分の意思を貫いてくれるって思ってた…。
 そやのに、結局は奏真の奴に媚びへつらうしか無いなんて、おれと同じ負け犬やないかっ…!
 おまえに期待していたおれがアホやったで…!!」
「アホはお前やっ!!!」
 夕鶴は手にしたコーヒーカップをテーブルの反対側に座る大河に投げつけた。
「うち、お前の事見直していたんやでっ!!
 負けた事を乗り越えて精一杯頑張ってるって思ったんやけど、何も変わってへんやないかっ!!!」
 夕鶴は椅子から転がり落ちて泣き崩れた。
「夕鶴…!!」
 竜斗は夕鶴の肩を抱く。
「出て行けっ! 出て行ってくれっ!! もう二度とうちらの前に顔見せんなっ!!!」
「言われなくてもそうするで…! おれかて奏真の奴に群がるお前らを見てられへんからな…!!」
 大河は頭から血を流しつつ食堂から立ち去ろうとする。
「竜斗、どんな情けないお前でも良いから、夕鶴の事だけは絶対に守ってやってくれや…」
 そして、捨て台詞を吐いて姿を消した。
「自分勝手な事言うなよ、馬鹿野郎がっ!! 自分で守れよなっ!!!」
 竜斗は夕鶴を抱きつつ、床に拳を突き立てた。
「姫っ!! どうせ、そこに居るんだろっ!?」
「ええ、始めから隣で見てましたわ」
 竜斗のすぐ横に姫の姿が現れる。
 姫の姿を見た竜斗は何故かホッとした気分になる。
「大河を頼むよ…。僕は聖蘭さんに送って貰って奏真先輩の所に行って来るから…」
「…うちも連れてってや。少しでも気を晴らしたいんや」
「それは構いませんが途中で襲撃される可能性も高いと思いますわ。
 聖蘭さんはボディーガードとして優秀ですが、手段を選ばないアルカナの前では無力に等しいと言えます。十分気を付けて下さいな」

目を背けて

 聖蘭の運転する車に乗せられてやって来た先は、神戸市長田区だった。
 先ほど姫の話でも取り上げられていたが、神戸の下町と言われる情緒ある地域である。
 だが、竜斗達がやって来た新湊川の堤防沿のとある路地は、形容しがたい異様な雰囲気が漂っていた。
 まるで阪神淡路大震災から時が止まっているかのように、路地に沿って倒壊して荒れ果てた住居が何処までも連なっているのだ。
 火災で焼け崩れた住宅、壁が無くなり中身が見えている住宅、戦後を思わせるバラック住宅などから、風が吹く度にカラカラと言う音が聞こえて来る。
 ゴミと雑草に塗れた通りは廃墟としか言いようがない様を晒しているのに、すぐ近くには人の暮らす通りが存在するのがあまりにも異様であった。
 夕鶴は辛い記憶を思い起こされるのか身体を震わせていた。
「なんやここ…! こんな所があるなんてうち知らへんかったよ…!!」
「真相は確かではありませんが、元々は市有地に不法占拠によって家が建てられた地域であり、震災後に所有権の問題から再建される事なく住民が転居し、以来放置されていると言う説があります」
 夕鶴の車椅子を押す聖蘭が説明する。
 明らか様に廃墟となっている通りを抜けて、人々が生活する通りに出ても荒れ果てた廃屋は多く、震災後の復興が進まずにそのまま放置されているのが見て取れる。
「まるで、ゴーストタウンだな…」
「元々住んでいた若い世代の方々は他の地域へと転居し、残された高齢者は世間から忘れ去られて孤立し、そのまま孤独死を迎える事も多いと聴きます」
 竜斗達は神戸の知られざる姿を垣間見ながら歩みを進める。
「奏真さんの住居はここになっています」
 地下鉄が走る大通りを跨いだ向かい側は、新しく綺麗な市営団地が立ち並ぶ地域となっていた。
「見た目は新しいけど、空き室ばっかみたいや…」
 確かにこれほど良い陽気なのにベランダに洗濯物を干している箇所は少なく、人が生活している気配は感じられなかった。
「ええ、復興案として次々に新しい団地が建造されましたが、全くと言って良い程に入居が進んでいないようです」
「まさか、建物だけを作ってそれで復興したって言っているのか?」
「はい、この後は復興対策が打ち切られる方向となっていますし、今後は世間からも忘れ去られて支援金が送られる事も無いでしょう」
「あれから何年も経っているけど、今も夕鶴は歩く事が出来ていないし、宝塚さんや他のみんなだって心の傷を背負っている…。
 こうして、復興が進まずに忘れ去られている地域が存在する…。
 僕は神戸の華やかな所だけを見て、震災を乗り越えたと思っていた。
 だけど、それは都合の良い所だけを見て、都合の悪い所を見ないようにしていただけなのかも知れない。
 本当は今も震災は続いている、そして今後も続いて行く、それが神戸の現実なのか…」 
 エレベーターから降りると、解放廊下に何処までも同じような玄関が続いている。
「この部屋ですね」
 奏真が住んでいると言う部屋には表札も無ければ生活を感じさせる物も無く、磨りガラスになった窓も閉め切られている為に他の空き室と全く区別がつかなかった。
「本当にここなのかな?」
「間違い有りません」
「とりあえず、ピンポン押してみるか…、って鳴らないし」
 竜斗が扉を叩くが反応が無い。
「うち、夕鶴やけど、奏真先輩おらへんか?!」
 夕鶴が声を出すが返事が無い。
「居ないのかな…?」
 と竜斗が駄目で元々でドアノブを引っぱりながら回すと扉が開いてしまった。
「あら、開いちゃった…。どうする?」
「もちろん、お邪魔するに決まっているやろ! ほら、ぼーっとしとらんで、うちを背負わへんか!!」
「マジかよ…」
 竜斗は車椅子から夕鶴を引っぱり起こして背負ったが、竜斗の背中と夕鶴のお腹の間には隙間があり、歩こうとすると重みを感じてずり落ちて来る。
「ほら、しっかりくっ付いて重心を一つにしないと、身体が安定せーへんよ!」
「ちぇ、解ったよ…!」
 全く持って気が進まなかったが、仕方無く夕鶴のお尻を掴んで自分の背中に引き寄せる。
 すると今までの重さが嘘のように軽く感じた。
 しかし、夕鶴は胸もお尻もふくらみが殆ど無いマッチ棒のような体型なので、女の子を背負っていると言う感覚では無かったのは幸いであった。
「どや、うちと密着出来て嬉しいやろ?」
「な、なんだってぇ…?!」
「アホっ!! 台詞の使いどころ間違えているやろ!!」
 竜斗は夕鶴に後ろから頭を叩かれた。
「あだっ!! なんか最近、センパイ扱いされて無い気がするんだよなぁ…!!」
「自業自得や!!」
 そして、聖蘭を一人残して夕鶴を背負った竜斗は、玄関に靴を脱ぎ捨てて廊下へと上がる。
「うへっ、埃だらけだよ…!!」
 一切の物が置かれていない廊下は埃が堆積していて歩く度にベタくので、極力踏む面積を少なくしようと爪先で歩こうとするが、夕鶴を背負っている為にフラついてしまう。
「ほら、まっすぐ歩けや!!」
 廊下を抜けた所はリビングとなっていた。
 廊下にバス・トイレの扉が並んで、リビングとキッチンが一体となっているワンルームの間取だ。
 リビングはパイプベッドと、ベッドサイドテーブル、それから独身向けの小型冷蔵庫があるだけだった。
「部屋ってその人の世界観ってものが凄く出ると思うんだけど、奏真先輩のイメージと全然違う…」
「ほんまやね、何か無機質な感じや…」
「あれは…?」
 竜斗はベッドサイドテーブルの上を見る。
「空のリボンのようやね…」
「ただ、大分古いみたいだし、黒い染みが出来ている…。まさか、血じゃないよな…?」
 その時、廊下にある扉が開いて、全身から湯気を立ち上らせた古代ローマの彫像を思わせる男性の裸体が現れた。
「お、誰かと思ったら君達か」
 他でも無い奏真だった。
「きゃー!! なんやこのサービスシーンは!? 美味しい!! 美味し過ぎるでっ!!」
 竜斗の背中で奏真の裸体を見た夕鶴が手をバタバタと動かして、甲高い悲鳴をあげて狂喜乱舞する。
「五月蝿いから、耳元で叫ぶなよな!!」
「そんな事言うたって仕方ないやろっ!!」
「ふっ、華やかな客人が来てくれると男の一人暮らしも色付くものだな。しかし、今日は大河は一緒じゃないのかい?」
 奏真はジーパンを履きながら言う。
 その名を聴いた竜斗と夕鶴はズーンと沈んだ顔になる。
「うちらの前でその名を口にせんといてや…」
「…そんな事より、今日は奏真先輩にお願いがあって来たんだ!!」

 竜斗と夕鶴は奏真を連れて聖蘭の運転する車で海岸ビル内のブラフマンの診療所へとやって来た。
 診療所では主であるブラフマン、娘の空、執事の安室が迎え入れてくれた。
「良く来てくれた。準備は既に整っている」
「あ、ありがとうございます。随分と手際が良いんですね」
「そこに居る聖蘭君から予め連絡を受けていたと言う事もある。
 だが、奏真君の能力を使用して生徒達の治療をする事は、君の立案の前に計画していた事であったのだ。
 奏真君のアルカナは未だ完成されていない為に真の意味で病状を回復させられないが、それでも生徒達に可能性を啓示する事が出来る。
 また、被験した生徒達の中に痛みを乗り越え因果を完全に覆す事が出来る者が現れれば、臨床実験として意義のあるものとなり、今後多くの人を救う事にも繋がるからな。
 しかし、想定外の事態によって私の計画は頓挫する事となったのだ」
「どうしてですか…?」
「昨日の段階で多くの生徒の同意を得る事が出来なかったのだ。
 恐らく私の規格外である一部の戦闘の観戦を積み重ねる事により、生徒達の中に能力に対する恐怖や不信感が植え付けられた事が要因であると考えられる」
「そんな…」
 竜斗は自分以外の戦闘を幾つか観戦したが、他の観客は生徒達が能力を使って戦い合う、幻想的な光景に熱狂して現実感を失っていた印象であった。
 確かにあのような戦いを見続ければ、どのような事態になったとしても、能力に対して疑問を抱く事は無かっただろう。
 だが、そのブラフマンの計画を狂わせたのは、他ならぬ竜斗と姫の活躍だろう。
 姫の指導によって竜斗が能力を使わずに戦い抜く事で、ブラフマンの想定した以外の感想を生徒達に植え付けたに違い無い。
 水面下で続いていた姫とブラフマンの戦いが、今となって表面化しつつあるのだ。
 自らの努力が報わる事は嬉しくはあるが、その結果生徒達が治療を拒む原因に繋がったと言う事は心苦しくあった。
「だが、案ずる事は無い。
 先ほど君から同様の提案を受けた事を話した事で、ようやく生徒達の同意を得る事が出来たのだ。
 君には私の理解を超え、皆の心を惹き付ける力があるのだろう。
 君のおかげで皆を治療する事が出来ると言う事だけは確かだ、心から礼を言わせてもらおう」
「いや、僕はただ自分がそうしたいと思っただけですよ」
 竜斗はほっと胸をなで下ろす。
「ふっ、謙遜する必要は無い。君は君が思っている以上に素晴らしい少年だ。君を前にすると私も考えを改めざるを得ない事を実感させられるな」
 ブラフマンは近くにいる聖蘭に何やら目配らせしていた。
 そして、聖蘭は意を決したように深く頷く。
「だが、いまだ一組だけ同意を得る事が出来ていない二人の生徒がいるのだ。君も知っているだろう、工藤拓也君と木村静香君の二人だ」
「工藤と木村…?」
 竜斗は思い出そうとしたが、その名前に該当する人物を思い出す事が出来ない。
「君は誰だか解っていないようだが、顔を見れば思い出すと思う。
 彼らは私が何を言っても頑に話を聴こうとしないのだが、君の話ならば聴いてくれるかもしれないので、ここは一つ頼んでも良いだろうか?」
「…もちろん良いですよ! みんなの為に僕に出来る事だったら何でもしますから!!」

「あ? 何だテメェら!? 勝手に入って来るんじゃねぇよ!?」
「アタイラの前から消えなっ!!」
 竜斗と夕鶴が入室した病室にいたのは身体中を包帯やギブスでグルグル巻きにされた、リーゼント頭の男子生徒と、パーマ頭の女子生徒だった。
 かつて、竜斗と戦って破れたNo.15のアルカナであった生徒会書記と、そのパートナーである生徒会会計の二人だ。
「あれ、病室を間違ったかな? ゴメン、出て行くよ…」
 と竜斗は表に出て表札を確認すると、間違い無く工藤拓也と木村静香と書いてある。
「おかしいな、ここで間違い無いはずなんだけど…。まさか、あの人達がそうなんじゃないかな…?」
「まさか、それは無いやろ! だって、アイツら工藤拓也とか木村静香って顔やあらへんし!!」
「僕もそう思うんだよな、どう見ても名前と顔があってないし…。頼まれてしまった以上、ダメ元でもう一度確認してみるか…」
 ガラガラガラ。
「君たち工藤君って人と、木村さんって人知らないかい?」
「てめぇら、病室の前で好き勝手言いやがって!! そんなに俺達が工藤と木村じゃ悪いのかよっ!? あっ!?」
「アタイらを舐めんじゃないよっ!!」
「出来ればそうであって欲しくなかったのは事実だが…」
「そや!! お前らドブ朗、ブス子って改名した方がええで!! うち、改名手続き手伝ってやるで!!」
「ぷっ…、それ似合い過ぎだろ!!」
「ザケンじゃないよっ!!」
「ぶっ殺す!!」
「出来もしない事、言うもんやないで!!」
「…夕鶴、お前なかなか強気だなっ!」
「くっ、テメェら一体何の用だよ!? 用が無いなら早く消えろっ!!」
「帰りたいのは山々だけど、生憎ながら話があって来たんだ」
「あ!? あのスカした野郎の能力で怪我を治せって話はお呼びじゃねぇんだよ!!」
「なんで、そんなにも嫌がるんだよ?」
「決まってんだろ!? それが俺達のケジメだからだ!!
 この世は弱肉強食だ!! 弱い奴は生きている価値は無ねーんだよ!! 無様な負けを晒しても、のうのうと生き続けるなんて俺達のプライドが緩さねぇ!!
 だから、この粛清は当然の結果に決まってんだろ!!」
「ふっ…」
「あ!? 何笑ってやがんだよ!!」
「いや、君たちがあまりにも小さ過ぎると思って…」
「な、なんだと!?」
「だって、この学校って狭い世界でも僕より凄い人はいるし、もっと広い世界に出たらそれこそ凄い人だらけなんだよ。
 そう、この学校で起きる事が世界の全てじゃないんだ。
 何時か卒業して就職して、其々の道を歩み続ければ何時かは思い知らされるはずだよ、自分に感じている万能感なんか幻想に過ぎないって事をさ。
 君たちは自分自身が弱いって現実を受け入れたくないから、ただをこねてるだけにしか思えないよ」
「はっ!! それの何が悪いんだってんだ!! 負けた事が無いお前に俺らの何が解るんだよ!?」
「舐めた事ばっか言うとしばくよ、コラ!?」
「気持ちならば解るよ、僕は何時も負け続けているからさ…」
 竜斗は天井を仰ぎながら言う。
 竜斗のその言葉の重さに工藤と木村も押し黙ってしまう。
「僕はこの学校に来る前、本当の自分を持っていないような、空っぽな生き方をしていたんだ。
 そんな自分を変えたくてこの学校にやって来たけども、そこで待っていたのは僕なんかよりよっぽど凄いって見ただけでも解る人達だった。
 それでも、彼らに負けないぐらい本気で生きよう、そう思った矢先に待っていたのは絶対的な敗北だ。
 生徒会長は僕が本来の持ち主を倒して月のアルカナを奪い取ったと言ったが本当は違うんだ、僕は彼に完膚無きままに叩きのめされたんだ。
 彼を倒したのは香夜姫…そう、僕のパートナーさ。
 彼女は破壊的なアルカナの力を前にして何ら特殊な力を使わないで圧勝し、奪い取った月のアルカナを僕にくれたんだ」
「けっ、テメェは最低の卑怯者で負け犬だな!! テメェみたいな奴は許さねぇ、生きているが価値ねぇ!! 俺の身体が動くならブチ殺してやるっ!!!」
「そんときはアタイも協力するよっ!!」
「こりゃアカン!!」
 殺気立つ工藤と木村を前に夕鶴は狼狽する。
 だが、竜斗は涼しい顔だった。
「残念だけどそれは無理だと思うよ」
「生意気言うんじゃないよっ!!」
「何故ならば僕は今、パートナーである姫から戦う術を、生きる術を教わっているんだ。
 君たちに勝っただけではなく、次には宝塚さんに勝ち、今は生徒会長とも戦おうとしている。
 そして、トーナメントの決勝で奏真先輩を倒す事が目標なのさ。
 かつての僕からは信じられないぐらい強くなっているし、アルカナを失った君たちじゃ勝てないと思うよ」
「なんだとぉ!?」
「はんっ、アンタ、言うじゃないのさ!! ゾクゾクするねぇ!!」
 木村は何故か恍惚とした表情を浮かべた。
「でも、姫はそんな僕の遥か先の世界で生きている。
 僕が努力した何百倍もの時間を彼女は積み重ねている、僕が強くなればなる程彼女の強さが痛い程解るんだ。
 そう、僕は今も毎日負けて、悔しい思いをし続けているのさ。
 でも、それで良いんだ、悔しいのは自分が本気で生きている事の証だから。
 本気を出さなければ負けたとしても言い訳できるし、永遠に負けを感じる事は無いかもしれないけど、そんなのカッコ悪すぎるだろ。
 そして、何時かは姫と肩を並べて戦う事の出来る、彼女に見合う男になりたいと思っている…それが僕の夢なんだ…!」
「あ、結局テメェは何が言いたいんだよ!?」
「人間は負けを受け入れて、そこから先どうするかが大切ってことだよ。
 そこで、諦めてしまったら空っぽな人生を送るだけ…、それこそ君たちの言う通り死んだ方がましさ。
 君たちがそこまでの人間だって言うんだったら僕はそれで良いよ。
 だけど、僕は何時までも先に進み続けるつもりだよ、夢に向かって…!
 こんな所じゃ止まらないよ、行こう夕鶴…」
 竜斗は夕鶴の車椅子を押して病室を出ようとする。
「待て!! 待ちやがれ!! 治療を受けてやるっ!! そして、いつかテメェをぶっ飛ばしてやるっ!! もちろん、特殊能力無しのステゴロのタイマンでな!!」
 竜斗は工藤と木村に背を向けてニヤリと笑った。

 そして、いよいよ生徒会長の粛清を受けた生徒達の治療が、其々の収容された病室で開始されてる事となった。
 まずは宝塚からである。
「この鎖で宝塚さんを縛り付けるなんて…」
 準備を手伝う竜斗が躊躇うのは無理も無い。
 なにせ、精神病棟や刑務所で使用される拘束衣の上から、更に太い鎖で身体を縛り付けようとしているのだから。
「これは、一種の催眠によって人間に眠る未知の力を発揮させ、損傷した部位を再生させると言う行為だ。
 それに伴う激しい痛みによって理性を無くした場合、被験者が持てる限界を越えた力で暴走するケースが過去の検証で確認されている」
 ブラフマンの説明に竜斗は夕鶴から聴いた話を思いだす。
「いいのよ、これは私自身が望んだ事だから。
 どれだけ苦しんだとしても、またフェンシングが出来るようになるかも知れない…、少しでも可能性があったら私はそれに賭けたいんだ。
 その可能性を示してくれた竜斗くんには感謝しているの、だから、心を痛める必要は全く無いよ」
「宝塚さん…」
「でも、出来れば竜斗くんには治療中病室にいて欲しく無い…。私のみっとも無い姿…見られたくないから」
 そして、ブラフマンが宝塚の口に舌を噛む事を防ぐ為のマウスピースをはめ込む。
「がんばってね…!」
「うちも応援しとるで…!」
 それを横目で眺めつつ、竜斗は夕鶴の車椅子を押しながら病室を出る。
 そして、入れ替わりに奏真と空が入室して来た。
「ふたりとも、宝塚さんをよろしく頼むね…」
「うんっ、任せといて!!」
「ああ、俺の名に賭けて全力を尽くす!!」

 そして、竜斗と夕鶴の待つ待合室では、治療を受ける生徒達の耳をつんざくような苦悶の声が響いていた。
 夕鶴は脳裏に浮かぶ暗い過去を振り払うように頭を抱え込み、竜斗は両手を強く握りしめて目を瞑り全身を冷たい汗で濡らしていた。
 その様子を少し離れた所で聖蘭が見守っている。
 ただ待つ事しか出来ない地獄のような状況が延々と続き、やがてビルの壁の向こうで夏の太陽が沈みかけた頃、汗に塗れた奏真と彼を支える空が姿を現した。
 竜斗は能力を使うのにどれだけの気力を使うか解らないが、奏真は明るい表情の中に多少の疲れを感じさせた。
「無事、全員分の治療を終える事が出来たよ」
「ありがとう、お疲れ様…」
「どうしたの…? そんなに暗い顔しちゃって…」
 空が心配そうに竜斗の顔を覗き込む。
「僕がみんなに苦しみを与えてしまったんじゃないかって思ったんだ…。
 僕が夕鶴の話を聞いて都合の良い所だけを見て、みんなが苦しむかも知れないと言う事を考えなかったから…。
 そんなの偽善じゃないか…」
「竜斗の気持ち、解るよ…」
 竜斗の強く握られた拳を空が優しく包み込む。
「空は何時も思ってるの、誰かの為に生きられたら良いなって…。そうすれば自分の人生を意味のあるものに出来るんじゃないかって…。
 でもね、空が誰かの為を思う事で、その人を苦しめてるって感じる事があるの…」
 空がその言葉の裏に奏真を思っている事は竜斗にも解った。
 だが、二人が抱える何か大きなもの片鱗を感じる事が出来ても、それが何かまでは推し量る事は出来ないし、それを知ってしまう事に言い知れぬ恐怖を感じた。
「空…」
「でも、心が痛くても空は思う事を止めないよ。
 だって、立ち止まってても何も変わらないし、誰かの事を思い続けている限り空は自分でいられるんだから」
「そうやね、何が正しいなんて、誰にも解らへん。
 でも、少なくてもうちはあの時、奏真先輩と空に助けてもらって良かったと思ってるで。
 そりゃ、未だに歩く事が出来ないかも知れへんけど、今もこうして希望を持って生きる事が出来ているし、二人とも友達になる事が出来たんやから」
「ありがとう、夕鶴!!」
 夕鶴は空に抱きついた。
「こら、空…!! 暑苦しいやろ!!」
 と言いつつも夕鶴も嬉しそうであった。
「…きっと、大丈夫や! みんなうまく行く!! 今は迷う事もあるかもしれへんけど、何時か何もかも無駄やなかったって思える時が来ると思うよ…!!」
「ふっ、そうなれるように生きて行こうじゃないか」
 奏真が微笑しながら拳を強く握る。
「うん、そうだね…!」

感謝と謝罪

 ブラフマンの診療所を出る頃にはすっかり日が沈んでいた。
 聖蘭の運転するロールスロイス・シルバークラウド・ツーは阪神高速三号神戸線沿いに一般道を東に走ると、国道二号線を左折してを新神戸駅方面に北上していた。
 車に揺られる中、竜斗は何時もと違う空気に妙な胸騒ぎを覚えていた。
 何故だか空気がやけに冷たく静まり返り、車の行き交う音や虫の鳴き声等の喧噪が異様に響き渡る感じであった。
 まるで嵐の前の静けさと言うべきか。
 そんな竜斗の心配をよそに、夕鶴は竜斗の肩に首を預けすっかり夢の中だ。
 それも当然だろう、聖蘭の運転は何時も至極丁寧であり、まるで揺り籠のような乗り味に身を委ねてしまえば誰だって夢見心地だ。
 隣の人が眠ると、眠くなってしまうが世の常だ。
 竜斗も夕鶴に誘われるように軽い微睡みに落ちそうになるのだが、突然空気が張りつめるような何かを感じ瞬間的に目を覚ました。
「なんだ、この感覚は…?」
 戦いの経験が豊富な者ならば、その張りつめた感覚を殺気と呼ぶ事を竜斗は知らなかった。
「緊急回避します、お気をつけ下さい…」
 殺気を感じた聖蘭は瞬間的にバックミラーとサイドミラーで周囲を確認すると、大きくハンドルを右側に切って追い越し車線に車線変更した。
 夜の神戸の街にスキール音が鳴り響く。
 あまりに急激な横Gの発生に、後部座席の右側でうたた寝していた夕鶴の身体が転がり、左側に座っていた竜斗を押しつぶす。
「なんや、なんや…!?」
「ぐっ、重い…!! そんなの知らないよっ…!!」
 竜斗が左側の窓の外を見ると、そこにはローダウンされた黒塗りのセダンを駆る生徒会長の姿があり、狂気に歪んだ笑顔を浮かべて竜斗と夕鶴を舐めるように見ていた。
 その隣の助手席には副会長が座っているのが見える。
「うぎゃーーーっ!! 出たおったでぇーーーーーーっ!!!」
「やっぱり、来たか…!!」
「にしても、演出過剰やない…? 暗闇の中で突然あの不気味な顔が現れたら、下手すれば一生もののトラウマや!!」
 威圧感のあるエアロパーツに覆われた生徒会長の車は、加速してシルバークラウド・ツーの前に割り込み進路を塞ごうとする。
 テールランプが瞬間的に光を点す。
 だが、聖蘭は華麗なハンドルさばきで進路妨害を難なくかわすと、そのまま国道二号と並行するトンネルへと逃げ込む。
 新神戸トンネル有料道路と書かれた電光掲示板には閉鎖中と書かれていた。
 まさか閉鎖された道路に逃げ込むと思っていなかった生徒会長は、突然の動きについて来れず一瞬にして視界から消え去った。
「やった、いなくなったで!!」
 一方通行のトンネルは何所までも真っすぐ続いていて、シルバークラウド・ツー以外の車は一台も走っていなかった。
「姫様は本日の襲撃を予測しておられ、逃走ルートを確保する為に新神戸トンネル有料道路を閉鎖するように働きかけていました。
 このトンネルは六甲山の真下を通り抜け、北側を走る複数の道路へと繋がっている為、高確立で逃げ切る事が出来ます」
「さすが姫だな!!」
 竜斗達が安心したのもつかの間だった。
 前方からあちこちを破損させた生徒会長の車が現れた。
「しつこいな!!」
「閉鎖を突破し次のジャンクションで合流したようです」
「ご苦労さんやわ!!」
 そして、黒塗りのセダンはテールランプを赤く煌めかせると、道の中央で大きな車体を左に傾けながら急停車させた。
 道路の左右には一見して回避出来るスペースが無いように見える。
「あうっ、絶体絶命や!! これは停止するか、激突するか、その二択しか無いんやないか…?!」
「いえ、第三の選択肢を取らせて頂きます」
 そう静かに言い放つと聖蘭は車体をピッタリと右側に寄せる。
「大きく揺れますのでお気を付け下さい」
「えっ?」
 そして、聖蘭はハンドルを一回左に切ったかと思うと、そのまま大きく弧を描くかのように右旋回をし、更にシフトダウンしてアクセルを踏み込んで行く。
 あまりにも強烈な過重によって車内の重力が右前から左後ろへと移動し、またしても竜斗の身体は夕鶴の下敷きになってしまう。
「ぐえっ!!」
 だが、苦しいと思う所の話では無かった。
 常識と言う枠を遥かに超えたスピードで走るシルバークラウド・ツーの車窓からは、静止しているはずの物が凄まじい勢いで襲いかかって来るかのように見えた。
 迫り来るトンネルの左壁!!
 迫り来るセダンのボンネット!!
「ぶつかるっ!!」
「まんまんちゃんっ!!」
 竜斗と夕鶴が死を覚悟して抱き合った時だった。
 限界を越える遠心力を受けたシルバークラウド・ツーのボディは左側のタイヤを軸にして浮かび上がり、セダンの低いボンネットの上をすれすれで通り抜ける。
 そして、サスペンションを底付くまで二、三度リバウンドさせ、そのまま何事も無かったかのように姿勢を整えて走り続けた。
「なんや!? 何が起きたんや!?」
「重心の低い車で高過重をかければタイヤが滑り出し横滑りするのはご存知だと思いますが、重心の高い車でそれをすればボディが浮かび上がる…、ただそれだけの事です」
 それが如何に凄まじい技術であるかは言うまでも無いが、何より恐ろしいのは針の穴を通すような瞬間的な命のやり取りを、一切の表情を崩さず行ってしまう聖蘭の精神性である。
「人に出来ない事を平然とやってのけるっ!! そこに痺れるっ!! 憧れるっ!!」
 夕鶴が何処かの漫画に出て来たような台詞を口にする。
「更にナイキラス・オキサイド・システムを起動します」
「…なんだって?!」
 聖蘭がハンドル横に設置されたスナップスイッチを上に押し上げ、シフトダウンに伴ってアクセルを踏み込むと、フロントが大きくリフトしながら車体が急加速する。
 甲高い吸気音と共に竜斗と夕鶴の身体はシートへと叩き付けられ、目の前の視界が歪んで行くのを感じた。
「ぐはっ!!」
「なんや、身体が重いで!!」
「これは笑気ガスをピストンシリンダーに噴射する事で酸素分圧を2.5倍に高め、瞬間的に出力を向上させる俗称ナイトロと呼ばれるシステムです」
「まさか、ニトロ…!?」
「ナイキラス・オキサイドとニトログリセリンは同じ窒素化合物で呼称も似ている為に混同されやすいのですが、ナイトロは危険なニトロとは科学的特性の異なる安定した物質であり、エンジンのパワーアップに伴い冷却も兼ねる事が出来る効率の良いチューニングとして知られています」
 リアガラスに目をやると生徒会長の車はあっという間に小さくなって行く。
「やった!! 逃げ切れるぞっ!!」
「ただ、連続使用はする事が出来ない為、あくまで瞬間的な加速を補助するものでしかありません」
 聖蘭の言葉を裏付けるようにナイトロの効果が切れたシルバークラウド・ツーは徐々に減速して行った。
「…ああっ、減速してもうたっ!!」
 そして、それに相反するように後方から、もの凄いスピードで生徒会長の車が迫りつつあった。
「速いっ!!」
「彼の車はトヨタ・アリスト…、高速走行向けスポーツカーであるスープラと同様のエンジンを搭載した国内最速のセダンであり、耐久性に優れチューニングによって1000馬力を超えるパワーを発揮する事も可能です。
 本気を出されると追いつかれるのも時間の問題でしょう」
「そんなっ!!」
「ですが、それも姫様にとっては想定の範囲内、あくまで僅かなアドバンテージを得る事が出来れば良いのです」
「えっ?」
 その時だった。
 耳をつんざくようなエキゾーストノイズと共に、前方から凄まじい勢いで逆走する、低く這いつくばるような黒い機影が現れた。
 見間違いようが無いランボルギーニ・ディアブロである。
「姫っ!!!」
「姫ちゃんっ!!!」
 竜斗と夕鶴は歓喜の悲鳴にも似た声でその乗り手の名を叫んでいた。
 この絶対絶命のピンチであっても、姫ならばなんとかしてれると言う絶対的な信頼があった。
 姫の駆るディアブロはシルバークラウド・ツーとすれ違ってアリストとの間に入り込む。
 そして、助手席側のガルウィングを開け放ち、小さな身体を投げ出した大河が不釣り合いな程大きなロケットランチャーを担ぎ、その弾頭をアリストの眼前に打ち込んだ。
 それから先はまるで時が止まったかのように見えた。
 アリストの巨体はロケット弾の爆発によって宙を舞い、その下をディアブロの低い車体が通り抜けて行く。
 そして、地面に頭から叩き付けられてバウンドするアリストを横目に、スピンターンしたディアブロが駆け抜けて、あっと言う間にシルバークラウド・ツーの横に並ぶ。
 窓の向こう側に不敵な笑みを浮かべる姫と、引きつった笑みを浮かべた大河の顔が見えた。
 次の瞬間、アリストは大きな音を立てて爆発し、炎に包まれたその姿はリアガラスの向こう側に消えて行く。
 そして、トンネルの中は鎮火の為、水噴霧設備と呼ばれる特殊な消防設備が起動し、霧に包まれたかのようになった。
「きゃあっーーーーーーっ!!!! カッコ良いっ!! カッコ良過ぎるで姫ちゃんっ!!! うち惚れてしまいそうやっ!!!!」
「それには激しく同意なんだが、アイツら死んでないだろうな…」
 だが、それは要らぬ心配であったと言う事が直ぐに解る。
 まるで法螺貝のような音がトンネル内に鳴り響いた。
「これは何の冗談や!!」
 馬の駆け抜ける音が近づいて来る。
「まさかっ!! まさかっ!?」
 そして、立ち籠めた霧の中から騎馬形状となったパワードスーツに騎乗した生徒会長と副会長が現れた。
「やっぱり来たぁーーーーーっ!!」
「しかも、追い付いて来るやんかぁ!! もっとスピード出ぇへんの!?」
「既にアクセルは全開です」
「車より速いなんて非常識にも程があるっ!!」
「ああっ、もうトンネルの出口やっ!!」
「これ以上の逃走は不可能と判断し迎撃に切り替えます」
 二台の車はトンネルの出口付近で停車し、姫と大河、竜斗、聖蘭と彼女の押す椅子に乗った夕鶴の五人が霧に包まれたトンネル内に躍り出る。
 生徒会長は騎馬形状から変形したパワードスーツを全身に纏い、まるで巨大な戦国武将のような異様な風貌を晒し、彼ら五人に対峙するように立ち塞がっていた。
 その様子を少し離れた所で、無表情の裏側にドロドロとした感情を宿した副会長が眺めている。
 竜斗は無意識にパートナーである姫の元へと寄り添い、その白く小さな手を強く握っていた。
 そうする事で不安感が少し和らぐ気がした。
 そして、意を決したように言う。
「僕がやるしか無いのか…」
「いえ、トーナメントを戦っている最中であるわたくし達は戦う事が出来ませんわ。
 その瞬間に互いのアルカナが消滅して失格となり、ブラフマンによって新たな代表者が選出され何事も無くトーナメントが続行されますの。
 それはわたくし達の目的を思えば面白くありません事よ」
「じゃあどうすれば…!?」
「俺が行くで…!!」
 大河は相変わらずの幼女の身体に、生徒会長達と同じようなカーキ色の学ランを纏い、金属製のバットを手にしていた。
「大河っ!!」
「学生服は竜斗さんと同様の仕様で、バットはチタン製の中空構造で突端に鉛が内蔵されてますわ。攻撃力・防御力共にわたくしの折り紙付きですわ」
「いや、そう言う事やなく、なんでコイツなんや!!」
「この場で戦えるのはおれだけやけど、それだけや無いっ!!
 竜斗が教えてくれた特別な力なんて無くても頑張れば出来る言う事、今度はおれが証明したいんや…!!
 その為におれは力を付けたっ!!
 だから、おれは誰の力も借りず、自分一人の力で戦いたいんや!!」
「アホかお前、なんでそんなに意地はるんやっ!?」
「自分自身を取り戻す為っ!! そして、夕鶴っ!! お前の為やぁぁぁぁっ!!! 行くでぇっーーーーーーっ!!!」
「ふははははははっ!!! その気迫は良しっ!!!! そうで無ければ面白くないっ!!!! 行くぞっ!!!! 敗者には粛清をーーーーーーっ!!!!!!」
 二人は同時に突進し互いに第一撃を放ち合う。
 激しい火花を散らして生徒会長の鋼鉄の右拳と、大河のチタン製バットが激突し、双方共に弾き返される形になった。
 すかさず第二撃。
 大河は地面に確りと根を下ろした足を支点に、振り子のようにしてバットを生徒会長の左拳へと叩き上る。
 そして、激しい金属音と共に再び両者の攻撃は相殺される。
 一撃目、二撃目と同様の攻防は竜斗達の目の前で何度も繰り返される事となる。
 子供サイズの大河に対して、巨人のような生徒会長が競り勝つ姿が安易に想像出来ただけに、双方の力が拮抗する展開は意外であった。
「打撃の強さと言うものは如何に重量を相手へと伝えるかで決まりますわ。
 鉛入りのバットを遠心力を使って打撃力を増幅さているのはご覧の通りですが、それだけではあの対格差を埋める事は出来ません。
 相手の攻撃に勢いが乗る前にタイミングを合わせる事で相殺しているんですわ。
 攻撃こそが最大の防御…、それが大河さんの編み出した戦法のようですわね」
「あのアホ、やるやないかっ!!」
「ですが、大河さんは大切な事を忘れていますわ…」
「…」
 竜斗は姫の言いたい事が解っているだけに、悲痛な面持ちで唇を噛み締めて沈黙した。
 そして、その予感が的中し、戦いの均衡が崩れる時は突然やって来た。
 激しい打ち合いの中で生徒会長が突然バランスを崩して大きな隙を晒し、大河はチャンスとばかりに無防備になった胴体に向けて渾身の一撃を叩き込む。
 火花が散って金属同士が共鳴する派手な音が鳴り響く。
 だが、永遠とも思えるような一瞬の沈黙の中、兜の下で生徒会長が不敵に微笑んでいる様が容易に想像出来た。
「そう、大河さんが攻撃を最大の防御としているように、相手にとっては防御こそ最大の攻撃なんですの…」
「なんやて…!?」
 次の瞬間だった。
 生徒会長の鋼鉄の拳が大河の腹に叩き込まれ、その小さな身体は何処までも何処までも、地面にの上を転がるようにすっ飛んで行く。
「大河っ!!!」
 いくら衝撃吸収剤入りの制服と言っても生徒会長の痛恨の一撃を防ぎきれるものでは無く、大河は大量の血反吐を吐いて地面にひれ伏せた。
 生徒会長はカツカツと音を響かせながら大河の後を追って行く。
 竜斗達も思わず後を追う。
 仁王立ちする鎧姿の生徒会長を前に、大河はバットを杖代わりにして、全身血に塗れながら立ち上がる。
「まだやっ!! まだ終わらんよっ!!!」
「死体が蘇る事は我が輩が許さぬっ!!」
 繰り出される生徒会長の蹴りに対し、大河は自分から身体を投げ出す事で勢いを殺そうとするが、力尽きかけた小さな身体では何の意味も成さなかった。
 蹴り上げられた大河の小さな身体は空中で錐揉みし、音を立てて地面に叩き付けられた。
「この野郎ぉ!!」
 今まで溜め込んで来た怒りを爆発させた竜斗が、怒髪天を衝く勢いで生徒会長に殴り掛かろうとするのを姫が制止する。
「それはなりませんわ!!」
「何でだよっ、アイツは絶対に許せないんだ!!
 失格になろうとも僕自身がやられても構うものか、アイツが傷つけた人と同じ目に合わせてやるっ!!」
 パシっ!!
 姫は竜斗の頬を叩き、その身体を強く抱き締めた。
 戦場の中にあって一瞬時が止まったかのようだった。
「それが貴方の優しさ故の事だとしても、怒りに飲み込まれて自分自身を見失ってはいけません。
 暴力に対して暴力で訴えかける事は、誰よりも優しい貴方の戦い方ではありません。
 それでは暴力こそ正義だと信じるあの方と同じになってしまいます。
 決して、自らを闇に陥れたりしないで下さい。
 貴方には貴方にしか出来ない戦いをした…、今はその結果だけを信じれば良いのです。
 それは隣人を大切にしない者には決して手に入れる事が出来ない、本当の力なのですから!!」
「今こそ粛清を受けるが良いっ!!」
 そして、生徒会長は地に伏せた大河に歩み寄ると、その動かなくなった身体を踏みにじろうと鋼鉄の足を振り上げる。
「いややぁーーーーーーっ!!!」
 夕鶴の悲鳴がトンネル内に響き渡ったその時であった。
 その声を打ち消すように甲高いエンジン音が響きわたり、生徒会長は足を止めて音のする方を振り返る。
 その音の発生源は巨大なウィングを装着した真っ白いボディに同色のアルミホイールを履いた小型セダンであった。
「ホンダのインテグラ・タイプR、安室の愛車です」
 聖蘭が説明する。
 チャンピオンシップ・ホワイトのインテRは生徒会長の眼前でスキール音を立てながら停車した。
 そして、その四枚のドアが開け放たれ、オーナーである安室を始め、奏真と空が霧の立ち籠める戦場へと降り立つ。
「お嬢様、お呼び頂いたいた所、遅くなって申しわけございません」
 姫に向かって深々と頭を垂れる安室。
「いえ、ジャストタイミングですわ」
「ふっ、真打ち登場と言った所かな」
「大河は大丈夫!?」
 奏真は生徒会長を睨みつけ、空は怪我をした大河の身を案じた。
「笑止千万っ!! トーナメントを戦っている最中の貴様らが来ようとも、我が輩と戦う事等出来はせぬっ!! 事態は何も変わらないと言う事が解らぬかっ!!」
「ふっ、流石に思考停止野郎共の親方だな、戦うのが俺達だって誰も言ってないだろ?」
「何っ!?」
「君たちと戦うのは彼らさ!」
 後部座席から長いストレートの黒髪を持つ細身の男性と、同じような髪型の女性が降り立つ。
 双方共に地肌にサラシを巻いた上で白い特攻服を着用し、ブラフマンが治療の時に用意した鎖をアクセサリーのように身体に巻き付けていた。
 格好は痛いしいが美男・美女と呼んでも差し支えない容姿だ。
「誰や!? こんな時に新キャラなんて普通あり得へんで!!」
「あ!? 何言ってやがる!? 俺達を誰だと思ってやがるんだ、ゴラァ!?」
「ザケンじゃないよっ!!」
「そ、その声は工藤に木村…!?」
「ふっ、解らないのも無理は無いさ。
 俺の能力を受けてパーマや脱色で痛んでいた髪や、ボロボロになった歯や顔の骨格まで再生してしまったんだから。
 何を隠そう一番驚いたのは治療した俺自身さ」
 奏真は苦笑しながら言う。
「ま、マジかよっ!!」
「う、嘘やっ!! そんなわけあらへん!! あれ程の大怪我を負った身体を再生させて、何で動く事が出来るんやっ!?」
「あ!? そんなん知らねぇーよ!! 気合いだよ気合いっ!! 根性があればどうにでもなるんだよっ!!
 俺は借りは必ず返す主義なんだよっ!! 生徒会長に受けた粛清の借りを返すまで寝てられっかよ!!」
「ほうっ、貴様が我が輩の相手になると言うのかっ!!」
「副会長はアタイがやらして貰うよっ!!」
 そして、鎧武者化した生徒会長とメリケンサックを構えた工藤、マーシャルアーツの構えを見せる副会長と鎖を振り回す木村が対峙する。
 聖蘭に抱きかかえられた大河がその様子を見る。
「それだけじゃねぇんだよっ!! ついでにそこのカマ野郎にも借りを返さなきゃなんねぇからな!!」
「…なんの、ことや…!? おれが何時…、貸しを作ったって、言うんや…?」
 大河は息も絶え絶えの様子で聴く。
「あぁ!? 約束を忘れたとは言わせねぇぞ!! 一度しか言わねーから、ちゃんと聴きやがれっ!! 馬鹿にして悪かったな!! 馬鹿野郎がっ!!!」
「き、貴様!! 今何を言った!? まさか謝ったのでは無いだろうな!?
 自ら過ちを認めると言う事は、自ら負けを認めると言う卑下た行為であるっ!! 我が輩の一番嫌いな事であると知っての狼藉かっ!?」
「知らねぇんだよっ、ダボがぁ!!!」
「そんな奴は死ぬまで粛清してやるっ!!!」
 次の瞬間、戦いの膜が切って下ろされる。
 素手での副会長に対して、武器を使う木村の戦いは拮抗している。
 だが、工藤の攻撃は生徒会長には一切きかず、生徒会長の攻撃を一度でも食らったら負けが決定してしまう事は火を見るより明らかであり、工藤はひたすら近距離で生徒会長の周囲をグルグル回り牽制する事しか出来なかった。
「…な、なんでや!? アイツら、仲間やったんやろ…!? 生徒会長の実力、解ってるんやろ…!? なのに、なんであんな不利な戦いに挑むんや…!?
 なんで今ここでおれに謝るんや…!?」
「ふっ、解らないかい? 
 彼らは自分の敗北を受け入れる事で、大切な人の為に不器用でも一生懸命になる事が出来る君の強さに気付いたのさ。
 そして、君が困っているからこそ助けたいと思った、それは俺も同じさ!」
「な、なんやて…?」
「さぁ、彼らが時間を稼いでくれている内に俺の能力で再生するんだ!! 後遺症の残らない怪我の場合は後々の反動は無いはずだっ!!!」
「…すまへん」
 大河は奏真に対して頷くと、一筋の涙を零した。
「空、行くよっ!!」
「うんっ!!」
 奏真は空と口づけをかわすと出現したNo.19太陽のカードを掴み取り、二組のチャクラムへと変化させ大河へとかざした。
「ぐわーーーーっ!!」
 大河の身体はみるみる再生して行くが、傷口を抉られるような苦痛に叫び声をあげる。
「みんな頑張ってるんだ…! 僕達も自分に出来る事をしようっ!!」
「せやね!!」
 竜斗と夕鶴はそんな彼らの様子を見て、自分にも出来る事は無いかと思考を張り巡らせた。
「やっぱ、あの鎧をどうにかせんとアカンね…」
 相変わらず生徒会長相手に苦戦を強いられる工藤の様子を見ながら夕鶴が言う。
「鎧を脱がせる…、つまり、騎馬形態へと変形させられればな…」
「そう言えば、アイツ一度自分から変形した事あらへんかった?」
 竜斗は過去に生徒会長が自ら騎馬形態に変形した時の事を思い出す。
「ああ! 図書委員長が雲の蜘蛛の攻撃で生徒会長を束縛しようとした時だ!!
 多分、生徒会長の鎧は大河の鉛入りのバットと同じように、重量物を振り回して遠心力によって攻撃力を増幅させる仕組みだ。
 完全に縛り上げられちゃうと脱出するだけの力が発揮出来ないと思ったんだろうな」
「図書委員長もそれを読んでいたんやろうね。
 その後、騎馬形態に対して遠距離からの追撃を繰り返し、攻撃を見切って間合いを詰めて来た所で落馬させて、無防備になった所を仕留めようとしたまでは良かったんやけど…。
 きっと、生徒会長がサブミッションの使い手って言うんは誤算だったんやろうね、せめて、そこで更にもう一手あれば良いんやけどね」
 それを聴いた竜斗の中で何かが閃く。
「よしっ!! こうしようっ!!」
 竜斗は夕鶴に耳打ちする。
 夕鶴の顔がみるみると青ざめる。
「嘘っ、それをうちがやるん!?」
「それしか手段が無いから仕方無いよ。でも問題は道具をどうするかだよな…」
「ふふっ、話は聴かせて頂きましたわ、これを使って下さいな」
 小声で話したはずなのに姫は全てを察していて、ふわふわとしたスカートをたくし上げると黒光りする筒状の物を取り出した。
 しかも、その際にパイナップル状の物や、銀色に輝く抜き身の長物など、文字通りの危険物が見え隠れし、色んな意味で竜斗と夕鶴を驚愕させた。
「うぎゃっ!! 何でそんな所からそんな物が出て来るんやっ!? そのスカートは危険物の四次元ポケットか!?」
「なんか、色々と見てはいけないもが見えた気がする…」
「あらあら、今はそんな事気にしている暇はありません事よ!」
「くそぉ、映像が脳裏に焼き付いて離れないが、作戦実行だっ!!」
 竜斗は生徒会長に対して牽制する工藤に声をかける。
「よしっ、その鎖で生徒会長を巻き付けるんだ!! 生徒会長は動けなくなるのが恐いはずだ!!」
「む!?」
 その言葉に過剰反応する生徒会長。
「うっせぇ!! 俺の戦いに口出しすんな、ダボぉっ!!」
 そして、口答えしながらも工藤は手にした鎖を鞭のように使い、生徒会長の身体に巻き付けようとする。
 実際にはそんな攻撃効く訳は無い。
 だが、生徒会長は図星を突かれた事に焦りを感じ、瞬間的に騎馬形態へと変形して間合いを取ろうとする。
「今だっ!! 夕鶴っ!!!」
「もう、ヤケクソやっ!!」
 夕鶴は姫から渡された小型のマシンガンを生徒会長の足下に向けて連射し、渇いた音を立てながら地面に薬莢の山が作られて行く。
 聖蘭は車椅子を支えてその反動を上手く吸収していた。
 生徒会長は機動力を活かして、その攻撃を難なくかわし続ける。
「ふふふっ、お上手ですわ。なんでしたら、そのまま頭を撃抜いてしまっても構いませんわよ。わたくしの方で後片付けして差し上げますから」
「また、凄い事言っちゃった…!!」
「いややわーっ!! うちにこの手を汚させないでぇーっ!!」
「あぁ!? アイツら、生徒会長よりも恐ろしいじゃねぇかよ…!!」
 工藤はその様子を見て苦笑した。
 そんな彼に竜斗が密かに近寄り耳打ちをした。
 そして、夕鶴の快進撃の幕切れは呆気なく訪れる事となる。
 マシンガンの弾薬が尽き一瞬の沈黙の後、ニンマリとした笑みを浮かべた生徒会長が騎馬の踵を返した。
「今だっ!!」
「うおっーーーーーっ!! やってやんぜぇーーーーーっ!!!!」
「むっ!?」
 竜斗の合図に合わせ、工藤は騎乗している生身の生徒会長に向かってタックルをしかける。
 騎馬から転げ落ちる生徒会長と工藤。
「そんな事で我が輩を倒せると思っているのか!? 愚か者がぁーーーーーっ!!!」
 そして、案の定、生徒会長は工藤に対して寝技をしかけようとする。
「愚か者はテメェの方だぁ!!!」
「笑止っ!!」
 工藤は渾身の力で生徒会長を逆に押さえつけようとするが、サブミッションの基本が密着状態であると言う事を理解していない為、簡単に形成が逆転してしまう。
 そして、生徒会長に頸動脈を締め付けられ、工藤の意識が遠のいた時だった。
「やらせはせんでっ!!」
 派手な音とと共に鉛入りバットから繰り出される会心の一撃が、生徒会長の首元に叩きつけられた。
「ぐはーーーーーーーーっ!!」
 生徒会長は錐揉みしながらすっ飛ぶ。
「おせーんだよ、ダボっ…」
 そう言うと工藤は意識を失った。
「あんがとな、あとは俺に任せろや…!!」
 そして、傷を癒した大河と生徒会長が三度対峙する。
「いくでっ!! これが本当の最終決戦やっ!!!」
 大河は雄叫びをあげながらハンマーのように勢いをつけてバットを叩き付ける。
 何度も、何度も。
 連続で繰り出される怒濤の攻撃を鎧を失った生徒会長が防ぎ切れるはずもなく、その薄い自我領域を貫通したダメージが蓄積されていく。
 そして、生徒会長の自我領域は誰の目から見ても明らかと言う程、脆くなり今にも消え去りそうな状態になっていた。
「何故だぁ!? 何故この我が輩が落伍者等に追いつめられていると言うのだっ!?」
「敗北を拒絶して仲間を足蹴にするお前には解らへんやろな…!」
「戯れ言を言うなっ!!!」
 生徒会長の素手での攻撃は、バットで軽々と打ち返される。
「手がぁっ!! 手がぁっーーーーーっ!!!」
「敗北を乗り越えて解ったんや…!!
 何でも独りで背負い込もうとするんは夕鶴の為でも何でもない、自分の無力さを認めたくないエゴに過ぎんかったんやって事を!!
 おれにとって一番大切な事は夕鶴を守る事や!!
 独りでは無理でも仲間と力を合わせれば出来る事があるっ!!
 俺は独りや無いっ!! 力を貸してくれる仲間の為にも、夕鶴の為にも俺は負けへんっ!! 負けるわけにはいかんのやぁーーーーーーっ!!!!!」
 力強い一閃が無防備になった生徒会長の腹に叩き込まれる。
「我が輩は弱者の理論など認めぬっ!!  例えこの身が朽ち果てようとも、弱者に敗北するなど決して認めるものかぁーーーーーっ!!!!!」
 そして、自我領域を失い、大の字になって路面に倒れる生徒会長。
 大河は力尽きて片膝をつくと、そのままの態勢でバットを天高く掲げた。
「おれ達のっ、勝ちやぁーーーーーーーっ!!!!!」
「うおっーーーーーーーっ!!!」
 そのあまりにも劇的な勝利に、皆近くの者と抱き合って歓喜の声を上げた。
 それはその場に居る者、その場に居ない者、多くの者が力を合わせた故の結果であり、生徒会長が否定し続けたものの勝利であったからだ。
「あのアホっ…、ようやりよったで…!!」
 夕鶴はハンカチで涙を拭い取りながら猛スピードで車椅子を大河へと向かわせる。
 だが、何か嫌な予感がして振り向くと、皆が勝利に酔いしれて盲目になる中で木村を倒した副会長が、死角を縫うようにして大河へと駆けて行くのが目に入った。
 副会長の手には闇に煌めく刃が握られていた。
「アカンっ!!」
 夕鶴の悲鳴に似た声に事態を把握した姫であったが、距離の離れた彼女がどんなに急いだとしても間に合わないのは明白だった。
「わたくしとした事がっ!!」
「ダメだっ!! 誰か止めろっ!!! 命を失ってしまえば俺の能力でも再生する事は出来ないんだっ!!!」
 冷淡な聖蘭や安室、不敵な奏真ですら焦りの色を浮かべ、人類の限界を遥かに越えた走りを見せる。
「大河ぁっ!!」
 竜斗と空は顔を真っ青にさせて、足をもつれさせながらも駆け出す。
 だが、副会長を止められる者は誰も居なかった。
 力尽きた大河へとナイフが突きつけられ、誰もが凄惨な死を想像したその時だった。
 副会長は殴り飛ばされ、一撃で意識を失い生徒会長と並んで地に伏せた。
「はぁはぁはぁ…」
 荒い息づかいがトンネルの中で木霊していた。
 その光景に皆は目を疑った。
 大河を庇うように二本の足で立ち上がった夕鶴が、その細い腕から繰り出される会心の一撃を副会長に叩き込んでいたからだ。
「なんやお前…、自分の足で立ってるやないか…!!」
「ホンマやね…、必死やったから自分でも何が何だか、わからへん…。
 うちな、お前にどうしても言いたい事あったんや…。
 だから、良いカッコして、勝手に死なれたら困るんよ…、アホぉ…、ホンマにアホぉ…!!」
 夕鶴は大河に泣きすがりながら、嗚咽を堪え途切れ途切れに言葉を放つ。
「なんやねん、改まって言う事か…?」
「良いから黙って聴けや…!
 うちな、今まで何で自分だけが不幸なんやろってずっと思ってた…。
 そんで、うちの事大切にしてくれる人の優しい気持ちを踏みにじって、冷たく当たって傷つけてばっかやった…。
 うちが不幸になるだけやなく、うちがみんなを不幸にしてた…。
 ホンマごめんな…。
 んでもってありがとう…。
 何時も、何時も、うちの事気にかけてくれて、ホンマにありがとう…。
 素直になれへんかったけど、嬉しかったんやで…!!」
 そして、夕鶴は大河を抱き締めたまま唇を重ねた。
 その時だ、大河の身体が光に包まれ、みるみる大きくなり元の男子高校生の姿へと戻って行った。
「おおっ、大河の身体がっ!!」
「ふっ、呪いは乙女のキスで解ける…か」
「まるでおとぎ話みたいっ!! やったーーーーっ!! こんなに嬉しい事ないよっ!! 夕鶴が立ったぁーーーーっ!!! 大河が戻ったぁーーーーっ!!」
 空の悲鳴を皮切りに、滝のように涙を流して抱き合い、自分の事のように喜びあった。
 しかし、大河は苦悶の表情を浮かべていた。
「ぐはーっ!! チンがぁーーっ!! タマがぁーーーっ!!」
 身体は伸びても服はそうもいかない。
 大河の股間はピチピチになったズボンに締め付けられていた。
「そんな大げに痛がるんやないのっ!! 男やろっ!!!」
「いや、男だから痛いのだが…」
 と久々となったお決まりのやり取りの後、姫はスカートから抜き身の日本刀を取り出すと、その刀身を閃かせて大河の防刃ケプラー製の服を切り裂いた。
「また、つまらない物を切ってしまいましたわ」
 そして、大河は皆の前に全裸を晒す事となる。
「な、なんやとっ!!」
「きゃーーーーーーーーっ!! 大河のバカァーーーっ!!」
「変な物見せんといて!!!!」
 大河は夕鶴と空に同時にビンタされノックアウトしてしまった。
「なんでやねーんっ!!!!」
 そして、周囲が笑いに包まれる一方で、暗躍する者たちがあった。
 長身の安室が作り出す死角に隠れ、聖蘭は生徒会長の胸から出現した皇帝のカードを回収していた。
「姫様に竜斗様…。
 貴方がたは目覚ましい活躍をしておいでですが、それは我が真の主にとって都合の良い事では御座いません。
 いよいよ、戦いは佳境に入り、修正案が実行される事となります。
 訪れる試練に心して挑んで頂けるよう願っております」

友情と宿命

 1999年7月26日(月)
「ふっ、やっと一息って感じだな」
「もう、奏真お兄ちゃんったら、だらしないんだからっ!!」
 この日はNo.19太陽のアルカナとNo.11正義のアルカナの試合が行われる事になっていた…つまり、奏真と空の第二回戦である。
 その舞台となる場所は神戸のランドマークとして知られるポートタワーのあるメリケンパークであり、22時と言う比較的遅い時間に設定されていた。
 竜斗達は昼過ぎに集合して、メリケンパークの対岸にある複合商業施設、ハーバーランドの一角にある神戸モザイクで時を過ごした。
 神戸モザイクは西洋の港町を思わせる外観のショッピングモールで、如何にも神戸らしいモダンさから若者達を中心に人気で、夏休みと言う事もあり沢山の人で賑わっていた。
 彼らは一通り映画鑑賞やショッピングを楽しんだ後、神戸モザイクの隣にある煉瓦倉庫レストランで夕食を取る事にした。
 その名の通り海に面した古い煉瓦倉庫をレストランに改装したもので、彼らの入った店は情緒あるレトロな内装で、古い時代のアメリカを思わせるスパゲティが売りだった。
「にしたって、はしゃぎ過ぎやろ!!
 スターウォーズEP1の映画見て、喫茶店行ってケーキ食って、洋服見て、アイス食って、雑貨見て、そしてスパゲティ!! 食ってばっかやないかっ!!」
「はぁ? お前アホか!? 甘いもんは別腹に決まってるやろ!?」
「ねーっ!!」
 夕鶴の熱弁に空が掌を合わせて同意する。
「別腹って都合が良いシステムだよなぁ…、まぁ、あんだけ動けば腹減って当然だけど。
 夕鶴なんて松葉杖であちこち歩き回るんだもんな、転けるんじゃないかと見ててヒヤヒヤもんだったよ」
「仕方無いやろ! だって、自分の足で歩くのって久々やし楽しいんやもんっ!!」
「ふっ、歩けるようになって何よりだ」
 奏真は何よりも嬉しそうだった。
 ひょっとしたら、奏真は自分が夕鶴を苦しめていると、長い間気にして来たのかも知れないと竜斗は思った。
「でも、何で急に歩けるようになったんやろね。そりゃ、筋肉の衰えはあるんやけど、今までみたいな痛みは無いみたいやし」
「そーいや、工藤と木村も平気そうやったな。まぁ、アイツらに痛みを感じるだけの品性があるかどうか疑わしい所やけど」
「ひでぇな、お前…!」
 と言いつつも何となく納得してしまう竜斗であった。
「もしかすると、いんがおうほうが関係あるんじゃないかって、お父さんが言ってたよ。
 なんでも、人間の運命にはみんな理由があって、それを見つけて乗り越えると良いんじゃないかって。
 空には難しくてよく解んなかったけどね…」
 空の言うお父さんとは、旭陽昇…つまりブラフマンの事だ。
「因果応報か…、確かにいきなりそんな事言われても解らないね」
「ふっ、そう言う時は具体的に何かに例えると良いさ。
 例えばあの二人の場合、怪我を負った原因は生徒会長に組して、弱者を虐げるような態度を取り続けた事だろ?
 ところが竜斗の説得もあって、過去を反省し大河を守る為に生徒会長と戦おうとした。だから、因果応報を克服する事が出来たんじゃないかな」
「じゃ、うちの場合はどうやの? 怪我した原因なんて思いあたらへんで」
「夕鶴の場合は怪我をする事は避けられない試練で、そこから学ばないといけない事があったんじゃないかな…? 多分、それは自分で解っているはずさ」
「そやね…! でも、そうすると空の場合は何やろ…?」
「ん!?」
「それどう言う事や!?」
「な、なんでもあらへんよ!! それより、折角ハーバーランド来たんやし観覧車乗らへん…?! うち、一度乗ってみたかったんや…!!」
 竜斗と大河が聴くと夕鶴はあわてて誤摩化した。
「まぁ、良いけどさ…」
 何時か話してくれるんだろう、竜斗はそう思った。
 だが、それが彼らの運命を揺るがす事になるとは、この時の竜斗は知るよしも無かった。

 そして、食事を終えた竜斗達はモザイクガーデン内にある観覧車へとやって来た。
 一千万ドルの夜景と称される神戸の街を一望出来るのは当然ながら、六甲山の上から見た場合ライトアップされた観覧車が海に浮かんでいるように見え、神戸の象徴の一つとして市民・観光客問わず人気が高いスポットである。
 ゴンドラの乗員は四名である。
 必然的に奏真と空、大河と夕鶴がペアを作って並んでいた。
 その様子を竜斗は少し離れた所から見ていた。
「ちょっと待て…! 何か不公平さを感じやしないか…?」
 竜斗はその状況に疑問を呈した。
「ん、どう言う事や?」
「このままだと一人だけはぐれ者、もしくは邪魔者が発生する事にならないか…? 誰とは言わないけど、そんな事になったら泣いちゃう人がいるかも知れないぞ」
「ホントだ、これだと竜斗が独りになっちゃう!!」
 空が口を大きく開けて驚く。
「いや、だから誰とは言ってないけどね!!」
「うわっ、竜斗センパイごっつかわいそうやなー!!」
 夕鶴は同情するように竜斗の肩を叩く。
「いや、ここで同情されると、本当に泣きそうなんだけど…」
「こうなったら、お前の分まで存分に楽しんで来てやるで!! ほな、行こか!!」
「らじゃーっ!!」
 と大河のかけ声に夕鶴と空が乗っかる。
「ちくしょう!! もう泣いてやるからなっ!!」
「って、言う前から泣いてるやろっ!!」
「ふっ、じゃあ、公平にウラオモテで組み合わせを決めようじゃないか」
「うらおもて…?」
「もう、竜斗センパイったらそんな事も知らへんの? ウラオモテ言うたら、手の裏出した人と、手の表を出した人でグループ別けする方法に決まってるやないの! 一発で決まらへんかったら、テッテノテって言うんやで!!」
「ああ、グーパージャスみたいなものか」
「なんやそれ?」
「空、グーパージャス知ってるよ!」
「ああ、前に東京に行った時にやった事があったな。
 グーパージャスは関東の広い地域で使われているグループ別けさ。ちなみにウラオモテは神戸でしか使われていないらしい」
「ウラオモテって神戸ローカルやったのか、うち知らへんかった…」
「子供の遊びは地方によって呼び名やルールが違うのさ。郷に入れば郷に従えと言うし、ここではウラオモテで決めるとしよう。
 じゃあ、どんな組み合わせになっても恨みっこ無しだ!!
 いくぞっ!!」
「うらおもてっ!!」

「じゃ、女子同士仲良く行こか!!」
「うん、楽しんで来ようね!!」
 と先陣を切って空と夕鶴の女子二人のペアがゴンドラに乗り込んで行く。
 続いて竜斗、奏真、大河の男子三人のトリオだ。
「…なぁ、言ってええか?」
「言うなよ、言うだけ悲しくなるだけだぞ…!!」
「いいや、ここはあえて言わせてもらうでっ!! 何が悲しゅうて野郎三人で観覧車乗らなきゃアカンのやっ!!」
 と大河は拳を震わせて涙を零した。
「ああっ、言っちゃった!! 止めろよな、せっかく悲しさを忘れようとしてたのにっ!!」
「そりゃ、黙ってられへんでっ!! 今頃、向こうのゴンドラではキャッキャッ言いながら夜景を楽しんでるんやでっ!! 今からでも向こうのゴンドラに移りたいわっ!!」
 竜斗は大河がゴンドラの緊急避難口を開けて、鉄骨伝いに先を行くゴンドラに移動する姿を想像する。
「大分、アクロバットだな…!! よし、止めはしないっ!! むしろ応援するよっ!! ガンバレっ!!」
「応っ!! 行ってくるで!! お前の分まで楽しんでやるからな…ってちゃうやろ!! そこは止めてくれや!!」
「ふっ、俺は男同士でも全然構わないけどな。むしろ君達と一緒に乗れて嬉しい限りさ」
 竜斗と大河は後ずさる。
「出してくれぇ!! 俺をこっから出してくれぇ!! 俺には失いたく無いものがあるんやぁ!!」
「おや、何を誤解してるんだい? 美しい魂を持った者に男も女も無いだろ!?」
「いや、それ全然誤解や無いやろ!!」
 竜斗は大河と奏真がわだかまりなく接している事が何だか嬉しかった。
「まぁ、確かにたまには男同士ってのも悪く無いかもね…!」
「うわっ、お前まで何言うとるんやっ!! この中でマトモな男は俺だけかいっ!!」
「昨日まで女の子だった奴が何言ってるんだよ…!」
「それ言わんといてやっ!!」
 ゴンドラ内に笑い声が響いた。
「はははっ、竜斗こそ本当は空と一緒に乗りたかったんじゃないか?」
「…そりゃ、一緒に乗りたいとは思うけど、あくまで友達としてだよ!」
「嘘こけっ!! お前モロ空の事好きやったやろっ!!」
「うわっ!! お前ソレ言っちゃう!?」
「ふっ、知ってたさ。俺が君の空への気持ちに気がつかないわけ無いだろ?」
「さすが、奏真センパイ!! それに気付くとはやっぱり天才!?」
「いや、むしろ気がつかん方がアホやろ!!」
「その通りさ、竜斗は解りやすいからな」
「な、なんだって…!?」
「何ショック受けてるんや!! 自分で解るやろっ!! ちゅうか、お前まさか自分の事、謎めいた転校生キャラだと思ってへんやろな!?」
「そ、そんな事あるわけ無いじゃないか!!」
「図星かいっ!!」
「はははっ、その裏表の無い真っ直ぐな心は素晴らしいね。そんな君だからこそ、俺のライバルとして相応しいってものさ…!!」
「ら、ライバルって…!?」
 竜斗は明らかに顔色を変える。
「ふふっ、君は本当に解りやすいな…」
 奏真は何時になく深く嘲笑する。
「そう、俺が君の気持ちを知りながらも様子を見続けたのは、君と言う男の本質を確かめたかったからさ…!
 そして、勝手ながら君は俺のライバルとして認定させてもらったよ…!!
 だが、言っておくが俺は負けるつもりは微塵も無いさ…!!」
「ええっ!!」
「共に互いに惚れた女を賭けて戦おうじゃないか…!」
「ああ、なんだそう言う事か…!!」
 竜斗は思わず深く息をつく。
「おや、何か勘違いでもしたか?」
 奏真は一人で青ざめたり、ホッとしたりする竜斗の様子を見て笑っていた。
「残念ながら僕は奏真先輩のライバルとは成り得ないよ…!
 まぁ…、そりゃ空を女の子として好きだった事は確かだけどさ、今は本当に友達として好きなだけだからね…!!」
「おっと、そいつは残念だな」
「お前、奏真の手前遠慮してるんとちゃうの? それともアレか、イチャイチャ見せつけられて敵わない思ったんか?」
「違うってば! ただ、他に好きな人が出来ただけだよ!! いや、本当は始めから好きだったんだけど、最近になって自分の気持ちに気づいたって感じかな?」
「竜斗ってホンマに色恋事に鈍感やな!!」
「お前がそれを言うか!!」
「ふっ、俺も身に覚えがあるだけに耳が痛いな」
「意外やなぁ、それって空との事かいな?」
「ああ、それは今も続く空との恋の始まり。そしてもう一人…、俺の初恋の相手であり、初めての失恋の相手との思い出さ」
「誰やその相手は!? おれ達の知ってる奴か!?」
「うわっ、お前そこまで聴いちゃうのかよ!!」
「褒めんといて!!」
「だから、褒めてないからっ!!」
「ああ、その相手は間違い無く君たちが知っている人さ」
「へぇ、誰だろう!?」
「残念ながら彼女に断り無く名前を教える事は出来ないが、その一冬の物語を話すぐらいなら構わない。
 もっとも、その名を言った所で信じる事は出来ないだろうな、現在の彼女とは遥かに印象が違うから」
「勿体ぶらないでサッさと話せやっ!!」
「ふっ、それにはまず俺の事から話さなければならない。
 そう、全ての始まりは1995年の時だった。
 君たちも噂ぐらい聴いた事があるだろう、俺は阪神淡路島大震災で怪我をして、自分の名前以外の記憶を失ったんだ。
 …もっとも、青海奏真と言う名前すら本名かどうかは解らない、何故ならば該当する戸籍が存在しないのだから。
 身よりの無い俺は脳神経外科医である旭陽昇…そう、空のおじさんに拾われて治療を受け、そのまま家に住まわせて貰える事となった。
 幼かった空は傷ついて孤独な俺を心配し、甲斐甲斐しく看病し世話を焼いた。
 そのおかげか俺の怪我は全快し、中二の五月から学校に通う事になったんだ。
 だが、俺にとっては日常生活は退屈で下らないものだったよ。
 何をしていても現実感が無く、俺の住む本当の世界は他の場所にあると思っていた。
 そう、それは繰り返し見る断片化した夢の世界だ。
 その世界での俺は傍らに寄り添う少女と唇を重ねる事で異能力を発揮し、同じような能力を持つ者と果てなき戦いを繰り広げていた」
「それって、この特別授業と同じやないか…!」
「まさかそれが奏真先輩の過去の記憶だって言うの…!?」
「冷静に考えればそれは無いだろうな。
 記憶を失う前の幼い俺が戦いに興じていたとは考えられない。
 更に言うと時系列が世紀末であると思われるが、現在の状況ともかなり異なっているようだ。
 つまり全くの異世界、単なる夢さ。
 おじさん流に言うならば潜在意識の現れであり、アルカナとしての核と言った所だろう。
 だが、当時の俺はそれが真の世界だと信じて疑わず、現実世界での満たされない思いを埋めるように、気に食わない奴を探しては喧嘩を繰り返していた。
 それは正義など無いただの暴力だった。
 同じ学校の一学年下である空はそんな俺を心配していたが、俺は空を口五月蝿い妹のように思って邪険にしていたよ」
「空もアンタの事、ダメな兄貴のように思っていたんやろうな」
「ダメかどうかは解らないけど、先輩をお兄さんのように慕っていたのは確かだろうね」
「ふっ、本当の所はどうなんだろうな、正直女心は今でも解らないものさ。
 だが、確実に関係が変わったと言える時がやって来る。
 その年の冬休みの事だ、俺達はおじさんの仕事の関係で東京の別邸で過ごす事となったんだ。
 東京でもやる事と言ったら変わらない、空の目を盗んで夜の街に繰り出して喧嘩をするだけさ。
 そして、もっとも闇の深い時間、俺は新宿のビルの路地で夢に見る少女の影を見たんだ」
「その夢の少女ってどういう子なの…?」
「そや、それって結構重要やで!!」
「それが思い出せないのさ、夢を見ている間だけは覚えているが、目が覚めると霞のように記憶から消えてしまうんだ。
 その時も確かにその姿を見たはずだが、今となってはその姿を思い出す事が出来ない。
 まるで存在そのものが幻であるかのようだった」
「…」
「俺は少女の後ろ姿を必死で追いかけ、気がつくと都庁前の通りに出ていた。
 そして、俺は出会ってしまった。深夜の都庁前の通りで能力を使う男相手に戦う一人の女性に。
 身体にぴったりとフィットした破れたジーンズに、ライダースジャケットと言う趣きの長身の女性は、長いストレートの金髪や腰に下げたチェーンを振り乱し、能力者相手に一歩も引かない戦いを見せていた。
 だが、能力を持たない彼女がジリ貧になるのは目に見えていたので、俺は意を決して助けに入る事にした。
 しかし、彼女は不敵に微笑むと突然俺の唇を奪い、絶対的とも言えるような自我領域を展開させた。
 彼女はNo.2女教皇のアルカナを発動すると、1.5メートルはあろうかと言う斬馬刀を具現化させ、圧倒的な力で相手をねじ伏せたよ。」
「それって、確かブラフマンに続く二番目のアルカナで、トーナメントの準決勝で戦う相手じゃないか…!!」
「そう、彼女はブラフマンによる能力開発の真っ最中であった。
 それは小アルカナと呼ばれる者達との戦いだった。
 彼らは能力発動にパートナーを必要としない代わりに、能力の威力が大アルカナと比べて弱いんだ。
 彼女はパートナーと別れたばかりで、俺を強引に新たなパートナーと決めたようだった。
 俺は正直、心躍ったよ。
 夢に見た戦いの世界が目の前で繰り広げられようとしているのだから。
 そして、彼女は自分の愛車であるロータリー仕様のマツダ・ロードスターに俺を押し込むと、彼女の部屋に連れ込まれて身の回りの世話をさせられたよ。
 なんと言うか、彼女は自分の興味の無い事に対して全く無関心な人だった。
 昼間から酒を飲んでは眠り続けて布団から出ようとしない、自分の事も自分でやりたくない様子だった」
「とんでも無いねーちゃんやな…! なんか、親近感湧くで…!!」
「間違い無く大河系の人だな…」
「だが、夜が更けて戦いの時間になると一転するんだ。
 過激な言葉で相手を煽ってギリギリの危険な攻防を楽しみ、スリルに身を任せている間だけ生きている事を実感する。
 そして、暴力に対して圧倒的な暴力でねじ伏せる。
 彼女を言葉で現すとしたら、戦闘狂の快楽主義者さ。
 俺は彼女の存在そのものが探し求めていた真実の世界だと思い心惹かれて行った。
 そして、俺は彼女の誘う闇の世界に堕ちて行く」
「それはカッコいい人やな!! 俺も惚れてしまいそうやで!!」
「でも、空はどうしたの!? まさか放置したとか!?」
「そのまさかさ、俺は空の存在などすっかり忘れていたよ。
 だが、俺と空は思わぬ形で再開する事となる。
 No.2女教皇のアルカナの元パートナーであった男性が、No.5教皇のアルカナとして目覚め、空はそのパートナーとなり俺達の前に現れたんだ。
 教皇のアルカナは空の手の甲に口づけをすると、太刀と小太刀の二本の刀を具現化し女教皇のアルカナへと立ち向った」
「何が目的なんだろう…!?」
「それは俺達を止める為さ。
 空はずっと失踪した俺を探し続けていたらしい。
 そして、人の心を捨てつつある女教皇を止める為、パートナーを辞めてアルカナの力を手に入れた教皇と出会ったようだ。
 何処までも堕ちて行く俺の状態を知ると、何としてでも止めたいと思ったようだ。
 女教皇と教皇、二人の大アルカナによる戦いは熾烈を極めた。
 その戦いに魅入られた俺は空の言葉に耳を貸そうとはしなかったんだ。
 やがて、力の拮抗した二人の大アルカナが共に倒れそうになった時、小アルカナの中で最強クラスの一人であるクラブのキングが現れ、二人に止めを刺そうとしたんだ」
「卑怯者やな…!!」
「二人の大アルカナは一時休戦して、力を合わせてクラブのキングに挑んだ。
 それは女教皇にとって初めて意味のある戦いとなったんだ。
 戦いは彼女にとって捨て去る事の出来ない自分自身を構成する要素だが、誰かを守る為に戦うと言う目的を得て満たされたようだった。
 そして、守りたい相手であり、かつて愛し合っていた男と背中を合わせて戦う、それ以上に嬉しい事は無かったんだろう。
 彼女は良い笑顔で笑いながら戦っていたよ。
 だが、既に力尽きかけていた二人は、抱き合うような形で倒れてしまう」
「それが失恋の瞬間だったのか…」
「俺は失恋の痛みを誤摩化すように怒りに任せて、クラブのキングに向かって行ったんだ。
 それこそ、なんの力も持っていないのにな。
 結果は言うまでも無い。
 全身を細切れにされ瀕死の重傷を負った俺は止めを刺されそうになったが、それは自業自得だと思い自分の人生を諦めた。
 だが、空はそんな自暴自棄になった俺を庇って代わりに攻撃を受けたんだ。
 空は血に染まり倒れながらも俺の身を案じてくれていた。
 俺は空が側にいてくれる日常の大切さ、夢に逃げて見て見ぬふりをしてきた空への思いに気がついたんだ。
 失わないかけないと、そんな事を気づけない馬鹿野郎だったんだ。
 俺と空は死に瀕し、薄れ行く意識の中で唇を重ねた。
 その瞬間だ、俺の中でNo.19太陽のアルカナが目覚めたのは。
 再生能力によって空と自分自身を治療した俺は、何度も破壊と再生を繰り返しながらクラブのキングを倒したんだ。
 そして、俺は空と共にある日常を大切に守りながら生きる事を決め、今に至るってわけさ。
 それからはあの夢は一度も見る事は無くなったよ。」
「うわぁ、超壮大な物語だった!!」
「本が書けそうな次元やな!! 金に困ったらこれをネタに夕鶴に小説書かせる事にするわ!!」
「って、お前自分で書くんじゃないのかよ!!」
「舐めてもらっちゃ困るでっ!! 俺が小説なんて書けるわけないやろ!!」
「コイツ、やりやがるっ!!」
「ふっ、そろそろ地上のようだな」
「話が凄過ぎて夜景見るの忘れていたよ」
「ホンマやな」
「竜斗も内に秘めた思いがあるならば、それを行動に移すべきだ。
 何故ならば時は永遠に続くものではなく、終わりと言うものは唐突にやって来るものだから、その時に後悔しないように今を大切にするんだ。
 失ってからじゃ、何もかも遅過ぎるからな」
「そーいや、言い忘れてたんやけど、俺と夕鶴は今日で家に帰る事にしたで。戦いも一段落したし、元の身体にも戻れたしな。
 聖蘭さんも俺達を送った後、そのまま明日から休暇やって言っとったから、これはチャンスやで!! ガンバレや!!」
「…そうだね!!」
 竜斗は拳を強く握りしめた。

 午後10時。
 大勢の生徒達が取り囲む閉鎖されたメリメンパーク内で戦いが開始された。
 ライトアップされたポートタワーの下、No.19太陽のアルカナである奏真と空、No.11正義のアルカナである少年と少女の二組が対峙している。
 戦いは開始早々に膠着状態となって、互いにジリジリと間合いを保って牽制していた。
 正義のアルカナは右手に両刃の剣、左手に天秤が描かれた盾を具現化している。
 竜斗はトーナメントのBブロックでは奏真以外の試合以外を観戦した事が無かった為、正義のアルカナの戦いを見るのはこれが初めてであった。 
「あの正義のアルカナってどういう人なの…?」
「それがおれにも解らへんのや!!」
「うちも知らん生徒やね。なんて言うか他のアルカナと違って、強い個性が無いのが恐い気がするわ」
 そう、正義のアルカナである少年と、そのパートナーである少女を一言で現すならば平凡だ。
「貴方はボク達の事を覚えていないかも知れませんね、ですがボク達は貴方がしてくれた事は永遠に忘れませんよ。
 悪が支配するあの中学校においてあなたは唯一絶対的な正義を示し、悪に抗う力の無いボク達にとっては救世主であり憧れの存在でしたから」
「ふっ、この俺が救世主か…。まったく不本意な称号を付けられていたものだな。その気持ちだけは有り難く受け取らせて頂こう…!!」
 奏真は正義のアルカナの隙をついて、手にしたチャクラムで斬りかかる。
「きゃーーーっ、奏真センパイ!! 先に手ぇ出してしもうたらアカンよっ!!」
 観戦していた夕鶴が悲鳴に近い突っ込みを入れる。
「コレあれやろ!? 攻撃防がれた挙げ句に反撃されて、なんやとってなるパターンやろ!?」
「だからお前ら誰の味方だよ!?
 あの場面だったら反撃食らうのを覚悟して、相手の出方を伺うしかないんだし、少し奏真先輩信じて応援しようよ!!」
 正義のアルカナは左手に持った大きな盾で斬撃を防ぐと、右手に持った剣で接近した奏真に向けて斬りかかった。
 奏真はもう片方のチャクラムでそれを弾き返す。
 正義のアルカナの反撃が如何に鋭かろうとも、運動神経と洞察力に優れた奏真にとって避けられない攻撃ではなかった。
「ふっ、カウンターを狙っていたのは読んでいたさ」
「さすが奏真やなっ!!」
 大河が絶賛の声を上げ、奏真が不敵に唇を歪ませた瞬間、正義のアルカナも同時に笑みを浮かべていた。
「なっ!?」
 その場にいる全員が嫌な予感を感じた時には既に遅かった。
 奏真の身体は自我領域ごと切り裂かれ、真っ赤な血に染まっていた。
「ぐはっ、な、なんだと!?」
 奏真が受けたダメージは大きく、反自動的に再生しながらも片膝を付く。
「おにいちゃんっ!!」
 心配した空が駆け寄る。
 だが、そこに剣を突き立てた正義のアルカナが突進して来る。
「空、危ないから離れてろっ!!」
「うんっ…!!」
 奏真は剣撃をチャクラムで弾こうとするが、正義のアルカナは直前で剣を引き、彼の斬撃を盾で受け止めた。
 そして、またしても剣で斬りつけようとする。
「ああっ、また謎の反撃来るで!!」
「それは奏真先輩も解っているはずさ!!」
 奏真は先ほどの例もあるので、無闇にチャクラムで攻撃を弾いたりせず、防御態勢のままバックステップで間合いを空けた。
 だが、奏真の身体はまたしても、切り裂かれる事となる。
「ぐっ、そう言うことか…!! 盾で受けた攻撃をそのまま相手に返す能力と見たっ…!」
「しかも、避ける事は不可能です。攻撃力の高さが仇となりましたね」
「な、なんやと!?」
「そんなの最強やないのっ!!」
「…」
 大河と夕鶴が焦る中、竜斗は一人冷静な表情をしていた。
 正義の能力が決して最強とは思えず、奏真ならば当然として、自分でも勝つ事が出来ると思ったからだ。
「ボク達の信念は目には目を、暴力には暴力を、罪には罰を与える事、かつての貴方に教えられた絶対的正義です。
 ですが、今の貴方は人を傷つける罪人を止める事はあっても、決して罰を加えようとはしない。
 温いです、生温いんです。
 それでは、傷つけられた者達は納得しない。
 そして、人を傷つけようとする罪人が何時まで経っても消える事は無い。
 腑抜けとなった貴方に代わってボク達が唯一絶対の正義となります」
「ふっ、君は解ってないね…! この世で最も罪深き者…、それは正義の名に置いて暴力を正当化する者なのさ!!
 どのような理由があろうとも、決して暴力は許されるべきでは無いのだからっ!!」
 奏真はチャクラムを手を盾に向かって斬り掛かる。
「何度やろうとも同じ事っ!!」
 盾に向かって斬撃を繰り返す。
 斬る!!
 斬る!!
 斬るっ!!
「この盾が攻撃を受ける程、後で大きな攻撃を受ける事を解っていないのですか!? 死にますよっ!!」
「それはどうかなっ!!」
 斬撃は勢いを増し徐々に押されて行く正義のアルカナ。
「能力の発動条件はその剣を振りかざす事…、つまり反撃の余地を与えなければどうと言う事はないっ!!」
 正義のアルカナの盾が弾かれて無防備な身体が晒された瞬間だった。
「しまっ…!!」
 奏真のチャクラムが自我領域を切り裂き、正義のアルカナは地面に両膝をついた。
「貴方が正義で無いとしたら一体…!?」
「俺はたった一人の大切な存在を守る為ならば、如何なる罪だろうが背負い、如何なる罰をも受ける覚悟をしているだけだ。
 そう、例え友を殺す事になろうとも構わない。
 罪悪感や痛みに心と身体が引き裂かれようとも決して止まらない、それが俺の持つ唯一絶対の力だ」
「…貴方ならば彼らを倒す事が出来るかも知れません」
「彼ら…?」
「中学、高校と生徒会長を操り、影から暴力の支配する世界を楽しんで来た者達…、その代表です。
 彼らは絶対に勝ち上がって来るはずです。
 本当はボク達がこの手で倒したかった…。でも貴方に託します…」
 そう言うと正義のアルカナはパートナーの少女と共に倒れ、その身体を夜の闇へと霧散し、No.11のカードへと変わってしまった。
「き、消えた…!?」
 竜斗の声と同時に周囲のギャラリーから悲鳴が上がった。
「死んでもうたんか…?」
「うぁん、まんまんちゃーん!!」
「彼らは集合意識が産んだ思念体だ」
 試合を取り仕切っていたブラフマンの声は、ざわめきの中でも不思議と通るようだった。
「この世界には自我領域のように人々の思いが力を持ちやすい場所が存在する。
 例えば恐山、鎌倉、東京、高尾山、富士山、京都、出雲など…。そして、六甲山を有するこの神戸も含まれる。
 そのような場に置いて信仰や、妖怪伝承や都市伝説の噂を耳にする事も多いと思う。
 それは集団意識や強い思いが具現化し、感受性の強い者に働きかけ、影響を与えているからだ。
 私はそのように自然発生し力を持った事象を小アルカナと名付け、大きく分けて4つの種類、13つの段階に分類した。
 人間に制御可能な能力として発現した場合、クラブ。
 人間の精神に取り憑く形で発現した場合が、ハート。
 妖怪や幽霊等に具現化されて発現した場合、スペード。
 超常現象や事件として原因が不明の場合は、ダイヤ。
 便宜上56種類に分類したが、人が心を持った存在として生きている以上、永遠と発生し続けるものであるだろう。
 そして、このトーナメントには特に強い力によって大アルカナとして具現化した、思念体や人間が数名参加している。
 たった今、消滅した彼らは君達の集合意識が具現化した思念体であり、君達自身であった事を知っていて頂きたい。
 では、本日の勝者はNo.19太陽のアルカナとする」
 奏真は空を強く抱き締めながら、手に入れたNo.11のカードを天高く掲げた。
「具現化された思念体や人間…、そんな事があるんだろうか…?」
 竜斗は酷く不安になった。

悟に至る理

 1999年7月27日(火)
「あのさぁ、姫…」
「あらあら、改まってなんですの?」
 竜斗と姫は風見鶏の館の朝食の間で朝食を取り終わった所だった。
 大河と夕鶴は実家へと帰り、聖蘭は休暇を取っている為に広い屋敷に二人きりであった。
 朝食は予め聖蘭が用意していたパンとスープを姫が暖めたものである。
「今日は二人きりだしさ…、何と言うか…、したい事があるって言うか…」
 そう言う竜斗の顔に迷いの色が浮かんでいた。
「言いたい事があるならはっきり仰って下さいな」
「いや、そうなんだけどさ、何か色々と自信が持てないんだよね…」
「ふふふっ、意気地がありませんわね。では、こちらの方からお誘いさせて頂きますわ。今日は一日わたくしと付き合って下さいませんこと?」
「あ、うんっ、付き合うよっ!!」
「ふふふっ、では、早速行きましょうか」
 竜斗は姫の後に付いて行って地下の厨房で食器を洗った後、そのまま地下室の一角に連れて来られていた。
「いざ始めましょうか」
「ここって、前に使わせてもらった地下のコンピューター室じゃないか! まさかこんな所であんな事やそんな事を!? それも悪くないっ!! 悪く無いけどっ…!!」
「あらあら、鼻の下を伸ばして何を想像していらっしゃいますの? わたくはお仕事に必要だからここに来ただけですわよ」
「えっ、付き合うって、もしかして仕事を手伝えって事!?」
「ふふふっ、期待と違って残念でしたわね。その迸る若いパトスを仕事で発散させて下さいまし」
 姫は竜斗をからかうように微笑む。
「ううっ、色んな意味で悔しい…!!」
「やりたい事があるのならば、はっきり言えばよろしくてよ。それが対等な大人としての言葉であれば、わたくしは受け入れますわよ」
「まぁ、今はそれで良いさっ!! 姫にはお世話になっているし、ここいらで恩を返すのも悪く無いし!!」
「あらあら、何も泣く事はありませんわよ」
「べ、別に泣いてなんか無いんだからねっ!! 僕は目から汁が出やすい体質なだけさっ!!」
「ふふふっ、お鼻も出やすい体質なんですね」
 と姫は竜斗の顔をハンカチで拭う。
「ぼ、僕は男だしっ、そんな事されても全然嬉しくないんだからっ!!」
 と言いつつも本当は凄く嬉しい実に乙女っぽい竜斗であった。
「では、説明致しますけど宜しくて?」
「良いけど、何か嫌な予感がするんだよな」
「簡潔に言いますと、わたくしの仕事は幽霊や妖怪を退治したり、怪奇現象を解決する…祓魔師と呼ばれるものですわ。
 神戸は昔からその手の話が多い事で知られていますが、近年では震災の影響か人々の心の闇が肥大化し、加速度的に増加している傾向にありますわ。
 もう、従来の怪談や都市伝説に止まらず、UMAやUFOまで何でも御座れな状態になってますわ」
「うわっ、やっぱりホラー系だったよ!! やめてよね、目から汁が出ちゃうだろっ…!!」
「あらあら、そんなに怖がる事はありませんことよ。
 何せブラフマンはそれを小アルカナと呼称し、大アルカナと比べれば取るに足らない事象であると考えているぐらいですもの。
 わたくしや貴方のように気を学び、無能力者でありながら大アルカナを倒せるぐらいの力があればお茶の子さいさいですわよ」
「でもなぁ、大アルカナは強くても人間だから別に恐く無いけど、小アルカナは弱かったとしても人間じゃないのも居るしな」
「まったく、お馬鹿さんですわね」
 姫はクスクスと笑う。
「えっ、何で?」
「例えば肉体を持つ人間が貴方を殺そうと思ったら、刃物で心臓を刺せば良いだけの事ですが、肉体を持たぬ人外が貴方を殺そうとしたらどうですの?」
「えっと、呪い殺そうとする…?」
「そうですわね、せいぜい心や身体の弱みに付込んで来るか、回りくどい事をする程度しか出来ませんわ。
 そんなものは付け入る隙を見せなければ無害も同然ですの。
 万が一弱みを見せて憑かれる事があったとして、生命力に満ちた者は殺す事は出来ず、出て行くか成仏するしかありませんわ」
「なんか、小アルカナって風邪みたいだな」
「それは鋭いご意見ですわ。
 昔から弱り目に祟り目、病は気からと言いますが、わたくしは病気も憑依によって引き起こされると考えていますの。
 つまり、生命を操る力である気を学んだ者は、風邪程度に屈する事はありませんわ」
「そうか、だから姫はあんなに雨風を浴びても風邪惹かないのか…!」
「あら、貴方も同条件で風邪を惹いてませんですわよ」
「うわっ、そう言えばそうだ!! しかも、最近は疲れが続かないし怪我も早く治る!! 意外な所でも修行の成果が出始めているんだな!!」
「まぁ、お馬鹿は風邪惹かないって言いますしね」
「あ、それ言っちゃう…!?」
「ですが、全ての人間がわたくし達のように強く生きる事は出来ないんですの。
 誰だって心や身体が弱る事があれば負い目の一つや二つはありますし、抵抗する術を持たない人にとってそれが脅威である事に違いありませんわ。
 だから、わたくしのような仕事が必要になるんですの。
 誰にだって出来る事と出来ない事はありますし、出来ない人に代わって出来る人が動く…助け合って生きる事がお仕事と言うものですわ」
「僕にオバケ退治が出来るって自信は無いけどね」
「これから自信をつけて行けば良いだけですわ。
 では、パソコンを起動致しますわね。
 困ってらっしゃる方からお仕事の依頼を受ける事もあれば、わたくしから営業をかける事もありますわ。
 なにせ、超常現象が原因だと気がついてらっしゃらない方が多いものですから。
 その為にインターネットを使って小アルカナが関係する事件をピックアップする独自なアルゴリズムを開発したんですの」
「ここにあるコンピューターって趣味じゃなかったんだ」
「ふふふっ、半分趣味である事は否定出来ませんわね。
 それで、今現在ピックアップされているものや、依頼を受けた仕事の内容はパソコンの画面上に表示されるようになっていますわ、ご覧下さいな」
「えっと、今表示されているのは二件か…。
 一件目は六甲山でターボばぁちゃん退治の依頼。
 県道82号線で速い車やバイクを追いかけ、事故を多発させる老婆が出現している。
 若者達の間でターボばぁちゃんと呼ばれ恐れられ、全国的規模で噂が広がりつつある為、速やかな対策を願う。
 これはまさしくって感じだ…!
 依頼主は警察で…、うおっ、凄い金額だ!! こりゃ、本当に宝くじなんて目じゃ無いね…!!!」
「専門的な職業には専門的な道具が必要となりますが、絶対的な需要量が少なく量産出来ない物は高価になる為、当然の如く経費も高くなってしまいますわ」
「必要な道具って?」
「代表的なもので言いますと、銃で射出して使う弾丸型の結界ですわ。
 小アルカナのようなあやふやな存在を相手にするのには、特殊な力場を発生させて束縛しないと逃げられてしまいますもの。
 もっとも、ブラフマンの暗示を受けた者ならば自我領域を使って代用する事は可能でしょうが、超常的な能力を持たざるわたくし達は道具に頼らざるを得ませんわ」
「そういう物って何処で売ってるの?」
「あらあら、もうお忘れになられたんですの? 中華街の闇道具屋には連れて行って差し上げましたはずですわよ」
「ああ、あのお店か…!!」
「ふふふっ、お金次第で合法・非合法問わず何でも用意して頂けるお店ですから、入り用でしたら是非お尋ね下さいな」
「そんな物を必要とする場面は無いとは言い切れない自分が恐ろしい…!!」
「二件目は須磨ニュータウンで、引きこもり少年宅の周囲で動物の殺傷が多発しているって事件ですわ。これはコンピューターが自動的にピックアップしたものですわね」
「これは猟奇事件であって怪奇事件じゃないと思うんだよな」
「いえ、おそらく自己表現が下手で心に傷を負って部屋に引き蘢ってしまった少年が周囲な勝手な思い込みで非ぬ噂を立てられ、歪められた心が具現化して事件を起しているんでしょう。
 一種の生き霊…ポルターガイストのようなものですわ。
 近年になって神戸では子供による重大な犯罪が多発し、自分の子供を守る為に人の子供に疑いの目を向け、傷つけられた子供が犯罪を犯すと言う悪循環が出来ていますの。
 今は小さな事件かもしれませんが、その子の心が折れて生霊に憑依された時、大きな事件が起きる可能性がありますわ」
「そんな…!! どうにかしてあげられないかな…!?」
「現状では警察や自治体も重要視していませんですし、ご両親だって如何わしい除霊に大金を払う事は無いでしょうし、利益を上げる事は難しそうですわね。
 経費がかかる以上、赤字は頂けませんわよ」
「例えば闇道具屋さんにお願いして値下げしてもらって、全体的に利益を下げるとか出来ないかな?」
「このような専門職の場合、単価を下げても絶対的な需要量があるわけではありませんから、業界全体を守る為にも価格の水準を保つと言うのは暗黙の了解となってますわ。
 もし悪戯に価格を下げてしまえば、わたくし達のような現場の者だけではなく、裏方で屋台骨を支える方達の生計をも苦しめてしまう事にもなりますわ」
「でも、なんとか出来る事があるはずだ…!!」
「人の為に一生懸命になる事が出来るのは貴方の良い所ですが、貴方が出来る事には限りが有るって事を忘れてはなりませんわ」

「なんか、ゾクゾクするような違和感があるな」
「ええ、確実にいますわね」
 竜斗と姫はターボばぁちゃんが出現すると言われる六甲山の北側を通る県道82号線にやって来ていた。
 鬱蒼とした木々に囲まれた峠道で荒れた路面に沢山のタイヤ痕が刻まれ、夜な夜な走り屋達がドッグファイトを繰り広げている事が見て取れる。
「でも、姿が見えないな…。このまま出て来なければ良いんだけど…」
「こういうものには出現条件があるんですの。依頼内容を見る限り今回の場合はスピードの出ている車やバイクを追いかける為に出現するようですわね」
「でも、真夜中に変な儀式をするとかじゃなくて良かったよ」
「あら、中にはそう言うのもありますわよ」
「うわっ、やめてよね…!」
「ふふふっ、あえてそんな仕事を手伝って頂き、貴方の泣き顔と言うご馳走をたっぷり堪能するのも悪くありませんわね」
「意地悪だなぁ…」
「あら、それも一種の愛情表現ですわよ」
 そう言うと姫は突然スカートをたくし上げる。
「うわっ、何を突然っ…!?」
 数々の危険物が潜む文字通りのデンジャーゾーンが視界に飛び込んで来て、竜斗は慌て真っ赤になった顔を手で被う。
 そして、姫は白い太腿に括り付けてあった黒い筒状の物体を取り出した。
「またしても、見てはいけないものを見てしまった…」
「これはソードオフ・ショットガンですわ。
 通常のショットガンと違い銃身が短いので長距離射撃には向きませんが、発射直後に散弾が拡散する為に至近距離での有効性に優れているんですの。
 弾丸はもちろん先ほど説明した結界弾ですわ。
 これから、わたくしが車で走り抜けますので、貴方には出現した対象に結界弾を打ち込んで頂きたいんですの」
 そう言うと姫は竜斗にそれを渡す。
「こ、これは…!!」
「意外とズッシリしてますでしょ?」
「いや、ほんのり温かいんだっ…! しかも、良いにおいがっ…!!」
「まったく、お馬鹿さんですわね」
「これを越えるビッキクリドッキリメカはそうそう無いね!!」
「予備の結界弾を使用する事を考慮して経費を多めに計上していますが、一撃で決めるに越した事はありませんわよ。
 初めての仕事で思う事もあるでしょう。
 確かに貴方に出来る事は限られているかもそれませんが、だからこそ出来る事に集中すれば良いんですわ。
 今は目の前の仕事を成功させる事だけを考えて下さいな。
 竜斗さん…、わたくしは貴方を信じてますわよ」
「うん…!!」
 そして、作戦は実行される事となる。
 姫はディアブロに乗り込むとワインディングロードのコーナーの向こう側へと消え、暫く走り続けた後にタイヤが路面滑るスキール音が響く。
 おそらくスピーンターンをしたのだろう。
 そして、間髪入れずにアクセル全開の甲高いエクゾーストノイズが山中に響き渡った。
 その音を聴いた瞬間、張り詰められた空気が破裂するような感じがして、竜斗は背筋を凍らせた。
「始まった!?」
 間違いなく、その瞬間何かが起きたと言う確信がある。
 シフトアップ・シフトダウン、ブレーキを激しく繰り返し姫の車が近づいて来る音と共に、ただならない気配が近づいて来るのを感じる。
「なんか、自分自身が否定されて消えてしまいそうな感じだ…!!」
 全身を貫くような悪寒に竜斗は身を震わせる。
「今はまだ姿が見えないけど、間違い無く近づいて来ている…!! そろそろ射撃の準備をしないと…」
 竜斗は銃身を構えて視界の先に照準を合わせようとするが震えが止まらなかった。
「ダメだ、プレッシャーで震えが止まらない…!!
 こんな時、どうすれば良いんだろう…!? 自分に出来る事を考えろっ!! 考えるんだっ!!!」
 しかし、竜斗が自分自身を奮い立たせる間もなく、視線の先からディアブロの低いボディがコーナーを曲がって来るのが見えた。
 そして、その後ろからもの凄い形相をして迫り来る白装束の老婆が薄らと見える。
「うわっ、本当に出たっ…!! 
 でも、言っちゃ悪いけどかなり存在感が薄いぞ…! あれじゃトーナメント初戦の大河の能力以下じゃないか!!
 この威圧感だって大アルカナの能力攻撃の感覚に似ているけど、工藤や宝塚さんには遠く及ばないよ!!
 そうだ、こう言う時は深呼吸…、もとい臍下丹田式呼吸法だ!!」
 竜斗が腹式呼吸をすると手の震えはピタッと収まり、照準は迫り来る老婆に向けてピッタリと定まった。
 そして、大気を振るわせるように咆哮したディアブロが加速し、風を切り裂き黒い機体が眼前を駆け抜けて行った。
「今ですわ…!」
 その瞬間、姫の顔が制止して見え、声が聞こえたように思えた。
「解ってるさ…!!」
 ディアブロに対して大きな遅れをとった老婆が、竜斗の前を通り過ぎようとした時だった。
 パンと言う炸裂音と共に煌めく光のようなものが飛び散り、自我領域に近い空間が広がって老婆を被った。
 老婆はそれに構わずディアブロを追いかけようとするが、不可視の壁に打ち当たり高速で足を空回りさせていた。
「まるでゼンマイ仕掛けの玩具のようだ…。でも、捕まえたけど、コレどうすれば良いんだろう!?」
 その時、再びスキール音を響かせて姫の車がスピンターンして戻って来た。
「よくやりましたわね!」
 姫は車から降りて来るなり竜斗の手を強く握り、その唇に口づけをした。
「ひ、姫…!?」
「頑張った貴方へのご褒美ですわ。それともわたくしの口づけは嬉しくなくて?」
「いや、嬉しいんだけどさぁ…!!」
「なら、よろしくてよ。では、後片付けと参りましょうか」
「片付けるってまさか…!?」
「ふふふっ、それは決まってますでしょ…!」
 姫はスカートの中から刀を抜き出し結界の中に飛び込んだ。
 結界内に閉じ込められていた老婆は先ほどまで追い駆けていた車のドライバーを見つけると、怒りのあまり頭部を人間のそれから巨大な牝牛のものへと変化させ、猛牛のように地面を足で掻く。
「変身した!?」
「どうやら正体を現したようですわね」
「正体って…?」
「あの姿…、太平洋戦争時代の神戸で噂になった牛女ですわね。
 当時、牛を解体する屑場を営む裕福な家で娘が牛の頭を持って産まれたんですが、体裁を保つために牢獄に幽閉されて育てられ、神戸大空襲の際に六甲山に逃げ出したと言う怪談が流行したんですの。
 その後、六甲山にたむろす暴走族が牛女を祀る岩を蹴った事で、度々出現してはスピードを出す車やバイクを追い掛けるようになったと言う尾びれがついて、現在のような話に形を変えて行ったんでしょうね。
 いずれにしても武力行使あるのみですわ!!」
 そして、牛女は身の毛もよだつような雄叫びを上げ、小柄な少女に向かって猛突進した。
「危ないっ!! ぶつかるっ!!!」
「そんな攻撃、避けるまでもありませんわねっ!!」
 だが、姫は落ち着き払った様子で迫り来る牛女に向かって華奢な片腕を突き出した。
 姫のまとった陰陽の気と、牛女のまとった陰の気が激しくぶつかり合い、結界内に白と黒が入り交じった光が飛び交う。
 牛女はアスファルトを削りながら姫に対して突進し続けるが、姫の小さな身体は大地に根を下ろしたかのようにビクとも動かない。
 そればかりか、白魚のように白く愛らしい手は、巨大な牛の頭を握りつぶさんとする勢いで食い込んでいた。
 そう、姫は片手一本で敵の攻撃を押さえ込んでしまったのだ。
「御免遊ばせっ!!」
 そして、姫は全体重を乗せた回し蹴りを牛女へと繰り出す。
 その異形の姿が飛ぶっ!!
 牛女はまるでスーパーボールのように結界内をバウンドし地面に叩き付けられ、怒り狂って咆哮を上げた。
「あらあら、休んでいる暇はありません事よっ!!」
 だが、間髪入れず銀色の斬撃が閃く。
 斬る!!
 斬る!!
 斬る!!
 最早、相手の反撃を許さない圧倒的な滅多切りである。
「な、なんて、かっこ良いんだ…!!」
 竜斗はあまりに凛々しい姫の後ろ姿に見惚れてしまい身を振るわせる。
 例えるならば小さな巨人だ。
「初めて見た時と変わらない、あの時と同じ後ろ姿だ…! そう、僕はずっとこの後ろ姿に憧れて追い駆けて来たんだ…!!」
「何を惚けてらっしゃいますか?! 幾らわたくしでもこんな硬い相手を一人で倒すのは骨が折れますわ、助けて下さってもよろしくてよ…!」
「僕が助ける…!?」
「ええ、近年牛女が出没すると噂される寺で、若者が肝試しを行うのが流行していると言う話を聴く為、強い存在感を得ていると考えられますわ!!
 でも、わたくし達二人で力を合わせればどうと言う事ありませんわ!! 頼りにしてますわよっ!!」
「ああ、任せてくれっ!!」
 竜斗は腰に下げた二組の短刀を抜き取ると、喜々として結界内の戦場に躍り出た。
 そして、姫と二人で異形の姿を挟み込むように斬撃を繰り出す。
 右斬り!!
 左斬り!!
 右斬り!!
「まさか、僕が姫と肩を並べて戦える日が来るなんてねっ!!」
「あらあら、また泣いてらっしゃるの?」
「嬉し涙だよっ!!」
「うふふっ、あれだけ頑張って来たんですものね!!
 でも、努力の日々に終わりはありません事よ、貴方にはわたくしを越えて頂かなければ困るんですからっ!!」
「そのつもりさっ!!」
 竜斗は右蹴りを浴びせつつ、回転しながら右で流し斬り、そのまま身体を捻って左踵蹴りを叩き込み、右突き、左突きと連続して突きを繰り出す。
 咆哮を上げてますます存在が曖昧になって行く牛女。
 それは大アルカナの自我領域が消えて行く時の感覚に似ていた…、つまりダメージの限界が近いと言う事だ。
「最後は二人で決めますわよっ!!」
「了解っ!!」
 竜斗と姫は溜め込んだ気をそれぞれの武器に込め渾身の斬撃を放つ。
 姫の一文字斬り!
 竜斗の十文字斬り!
 牛頭の老婆の左右から放たれた閃きは、その異形の身体を細切れにして霧散させた。
「ふふふっ、わたくし達の共同作業にかかればこんなものですわね…!」
 
「どうしたんですの、そんなに浮かない顔をして?」
 携帯電話で道路閉鎖の解除や報告等の一通りの手続きを済ませた姫は竜斗の顔を覗き込んだ。
 劇的な勝利の後だと言うのに竜斗は、何か真剣な面持ちで考え事をしているようだった。
「いや、さっきの都市伝説が何処まで本当だか解らないけど、僕だったら静かに眠っていたいのに、心無い人達の悪戯で邪魔されたら嫌だなぁって…。
 それに夜な夜な肝試しなんかされたらお寺の人も迷惑だしね」
 竜斗はディアブロの扉を開け放ちサイドシルに手をかけて助手席に乗り込もうとする。
「そうですわね、わたくしも牛女さんの気持ちは痛い程解りますわ…。
 では、わたくしの方から住職さんにご連絡を入れ、牛女は引っ越しましたと書いた紙を貼って頂くようにご提案しますわ」
 姫は竜斗が席に座るのを確認すると華麗に運転席に滑り込む。
「って、そんなんで大丈夫なのかな!?」
「ふふふっ、人間心理なんてそんなものですわ、きっと牛女さんも安心して眠れる日々を取り戻せますわよ」
 そして、ディアブロのイグニッションキーを捻って、山中にエキゾーストノイズを高にかに響かせた。
「それでは、次の物件に移動するとしましょうか」
「えっ、次の物件って…?」
「あら、そんなの決まってますでしょ!」

「須磨ニュータウン…それは神戸の西側に位置する団地群ですわ。
 元々は神戸の海に浮かぶ人工島ポートアイランドを埋め立てに使う為の土砂の採掘場であり、山を切り崩した跡地にそのまま団地を建造したんですの。
 だから、街には至る所に大きな高低差があり、低い位置に作られた道路を跨ぐように歩道橋が掛けられ、歩行者が車道に出る事なく行き来出来るようになっているんですわ」
「よく考えられた街なんだね」
 竜斗達は車を駐車場に停めて、少年の生霊が出没すると言う場所へと向かっていた。
 夕方と言う事もあり遊歩道には部活を終えた学生や、遊び疲れた子供達、パートや買い物を終えた主婦達が行き交い、あちこちからまな板を叩く包丁の音や、夕飯の臭いが漂って来ていた。
 画一的な集合住宅が何処までも連なっているが、ニュータウンと言う言葉から連想される無個性で非人間的な印象は無く、人々の生活に根付いた親しみやすい雰囲気であった。
「なんか暖かい感じがするんだけど、本当にこんな所に生霊なんて出るのかな?」
「わたくしはいると思いますわ。
 どんなものにも光と闇が存在し、光が強くなればなる程に闇もまた濃さを増すと言うものですから。
 目に見えやすい表面的なものだけでは無く、目には見えにくい裏面も含めて総合的に判断する事は重要ですわよ」
 姫の言葉を証明するように、一歩山沿いに入ると時代から取り残された一戸建てが立ち並ぶ地区になり、そこに暮らす人々の抱える闇が深い事を肌で感じられた。
「急に雰囲気が重くなったな…」
「気を操る術を学ぶ事で、自分以外の気の流れも感じる事が出来るようになるんですの。この気を辿って行けば目標に辿り着く事が出来ると思いますわ」
 そして、集落の一角にある寂れた公園で虚ろに立ち尽くす小さな影が佇んでいた。
「やはり、いましたわね」
「でも、本当に良いの?」
 竜斗はその影を前にソードオフ・ショットガンに結界弾を装弾しながら聴く。
「ええ、前の仕事のついでに余った結界弾を使うだけですもの、余計な経費はかかっていませんから。
 本当に人から必要とされる仕事であるならば、単独で利益を出す事が出来なくても総合で損失を出さないように巧みに切り抜ける、それが真の仕事人と言うものですわ」
「姫って本当に正義の味方だったんだね!」
「あらあら、わたくしを一体何だと思ってらして?
 わたくしは始めから正義の味方のつもりでしたわよ、もっとも、今回は貴方が頑張って下さったから助かりましたけど。
 さぁ、貴方自身の手でこの素晴らしい初仕事の幕を締めて下さいな」
 姫は本当に嬉しそうな表情で竜斗の肩を叩いたニッコリと微笑んだ。
「うん…!」
 竜斗は小さな影に向かって結界弾を打ち込み、展開された特殊な力場の中にそれを閉じ込め、腰に下げた双刀を抜きつつ結界内に入る。
 だが、見えない周囲の目に怯えるように膝を抱えて震える影は、竜斗や姫と比べてもあまりに小さく、小さな子供と言っても過言では無いぐらいであった。
 竜斗は臨戦態勢をとったまま暫く考え込んでいたが、意を決したように手にした刀を捨て去る。
「いくら生霊とは言え傷ついた子供に手を掛ける事は僕には出来ない…」
「ではどうするんですの?」
「異物を排除する事以外にも解決方法はあるはず…! どんな方法だろうと僕は全力でぶつかるだけだよ…!!」
 影は歪に拗じ曲げられた生の感情や殺意の念を飛ばして来るが、竜斗は下腹に力を入れて自我を強く保ちながら歩み寄ると、微笑みかけながら手を差し伸べた。
「さぁ、立ち上がるんだ…!」
 竜斗は影の手を握り自分の足で立ち上がらせると、その不確かな身体を強く抱き締めた。
「今までみんなに誤解されて辛かったね…。
 誰だって好きで悪者になりたいわけじゃない、傷ついて追いつめられて仕方無かったんだよね…。
 君が困っていても誰もが見て見ぬふりをして、手を差し伸べてくれる人が居なかったんだよね…。
 僕と姫は君が本当は良い子だって知っているよ…。
 君の事を解ってあげられる…。
 一緒にいてあげるから今は泣いて良いよ…。
 めいいっぱい泣いて、泣き飽きたらもう一度がんばろうよ…」
 影は竜斗の胸の中で小さな身体を嗚咽するように小刻みに振るわせると、夕焼けの中に溶け込んで言った。
「行ってしまいましたわね」
「あの子、立ち直れると良いね…」
 竜斗は涙を拭きながら言う。
「生霊から解放されて大分負担が減るとは思いますが、あとは本人の頑張り次第ですわね。
 でも、きっと大丈夫ですわよ。
 貴方の優しい思いは確かに伝わっているはずですから」
「うん、そうだね…!」
 夕焼けの中で竜斗は姫の手を強く握りしめる。
 姫の温かい手から伝わって来る安堵感は竜斗の緊張を解き放ち、憧れの姫と肩を並べて仕事をやり遂げた誇らしさで胸が一杯になった。
 周囲に立ち籠めていた暗い雰囲気も、この気持ちの良い夕空のように浄化されて行くようだった。

「ねぇ、姫…」
「あらあら、改まってどうしたんですの?」
 風見鶏の館の食堂で二人きりの食事を済ませた後、竜斗は意を決して姫に話しかけた。
「僕、姫に伝えたい事があるんだ。でも、その前に一緒に踊ってくれないかな?」
 そう言う竜斗の顔は朝食後の時と打って変わって自信と確信に満ち満ちていた。
「ふふふっ、久々に良いですわね」
「僕がエスコートするよ」
「お願いしますわ」
 竜斗は姫の小さな手を取ってバルコニーへと導く。
 バルコニーの開け放たれた窓からは小望月の優しい明が差し込み、清らかな風が通り抜ける中で虫の鳴き声が響いていた。
「もちろん、曲は月下の夜想曲でね」
 ベランドの角に置かれた蓄音機がゴシックめいたパイプオルガンの音色を響かせる。
 イントロがの間互いに見つめ合う二人。
 ボーカルが流れ出すと互いの手を取り、互いの腰の後ろに手を回し、下半身と下半身を密着させて軽やかなステップを踏む。
 姫の身体はあまにりにもしなやかで柔らかく、両腕で全て包み込んでしまえるほど小さくて愛らしかった。
 竜斗の中に眠る男性的な本能が目覚め、密着した姫の下腹部へと熱いパトスを伝えながら、全く臆する事なく頼もしい力強さで動きをリードする。
 姫は女性的な本能でそれをしなやかに受け入れ、恍惚とした表情で竜斗の作り出す流れに乗って行く。
 時に互いの頬をすり寄せるかのように近づく。
 時に互いの身体を突き放すかのように遠ざける。
 時に大輪の華を咲かせるかのように、髪や衣服を大きく振り乱して回る。
 あまりにも激しく情熱的な輪舞に互いの胸は止めどなく高まり、心と身体が解け合い世界は二人だけのものとなって行く。
 曲の終わりと共に竜斗は姫の身体を引き寄せると強く抱き締め、ゆっくりと離れると膝を折って姫の手の甲に口付けた。
 その顔は最早少年とは言えない精悍さに満ちていた。
 姫は竜斗の手を取って立ち上がらせると、その顔を愛おしむように柔らかく撫でる。
「見違えるようにお上手になりましたわね」
「ああ、身体の使い方を覚えたと言う事もあるけど、次にどうすれば良いのかって、自然に解るようになったんだ」
「ふふふっ、それは貴方がわたくしと同じ、理の概念に目覚めつつあるからですわ」
「ことわりって?」
「簡単に言うとこの世の全てに意味があると考える思想ですわ。
 理は気の条理、気は理の運用と言いますが、森羅万象を構成する力である気を学ぶ事で、直感的に様々な事柄を関連付けて考え、物事の本質を感じ取れるようになりますの」
「そうか、あの宝塚さんとの戦いの前の作戦、あれがその練習を兼ねていたんだね」
「ええ、貴方は元々素晴らしい感性をお持ちでしたが、あの鍛錬を経る事でより高い次元へと歩み出しましたわ。
 その次の戦いでは大きな流れを引き込む選択肢を選び抜き、わたくしや他の方々の力をひとつに合せる大活躍を致しましたわね。
 そして、今ではわたくしの予想をも上回る答えを導き出せるようにもなりました。
 貴方ならばやがて悟りに至る事が出来るかも知れませんわね」
「悟りって仏教の?」
「そう、悟りとは仏陀ことゴーダマ・シッダルタの教えを元に作られた仏教の到達点であり、因果応報の原因を取り除く事で苦しみの輪廻から解脱する事ですわ。
 仏教はヒンドゥー教を元にして作られていますが、アートマン…ブラフマンと同一視される永遠不滅の魂を否定している事が違いとされています。
 つまり、ヒンドゥー教は死ぬ事により永遠に生まれ変わり続けられると考えていますが、仏教は死ななくても学ぶ事が出来れば幾らでも生まれ変われると考えていますの」
「そうだよな、人が死んだら生まれ変われるなんて保証は何処にも無いし、精一杯生きて行く中で何かを学び、自分自身を変えて行くべきだよな…!!」
「仏陀は人の身ではありますが、ヒンドゥー教の創造者ブラフマン、破壊者シヴァと並ぶ三神一体の保持者ヴィシュヌの分身であると言われていますの。
 旭陽昇がブラフマン、青海奏真がシヴァだとするならば、貴方は仏陀のように思えてなりませんわね」
「そんな、大げさな…」
「ふふふっ、わたくしはそれだけ貴方を信じていると言う事ですわ。
 人は運命を受け入れそれに準じる事で、大きな追い風を味方にする事が出来るんですの。
 それはこの世界を意のままに造り変えようとするブラフマンの到達点、No21世界に相対する事が出来る唯一にして絶対の力となります。
 ここまで頑張ってこれた貴方ならば、きっと最後までやり遂げられると思いますわ」
「でも、僕がここまでやってこれたのは、姫が支えてくれていたおかげだよ。
 心が折れそうになった時は励ましてくれた。
 間違った道を歩もうとしたら叱ってくれた。
 色々な事を教えてくれるけど、本当に大切な事は僕自身で気付けるように導いてくれた。
 僕の気持ちを大切にして、僕がやろうとしている事を影から手助けてくれた。
 嬉しくて、嬉しくて、ずっとお礼が言いたくてたまらなかったんだ。
 ありがとう、本当にありがとう、姫…」
「あたり前の事だと思っていたので、お礼を言われると恥ずかしいですわね…」
 姫は真っ赤になった自分の顔を見せないよう下に俯く。
「姫…、今こそ伝えたかった気持ちを言うよ…」
 竜斗は姫の両肩に手を乗せて向き合う。
「好きだよ、姫…」
 そして、竜斗は逞しくなった腕で姫の華奢な身体と小さな頭を抱き締め、白く形の良い耳に囁くように言う。
「小さな身体で信じられないぐらい強い姫…。
 厳しいんだけど優しい姫…。
 賢くて意地悪な姫…。
 スケベでエッチな姫…。
 そして、時々寂しそうな姫…。
 僕はそんな姫の全てが大好きでたまらない…。
 だから…、だから、僕の恋人になってほしいんだ…」
 二人を柔らかい風が包み込み込む。
 そして、姫は竜斗の身体を強く抱き締め返し、嗚咽を漏らしながら涙を零した。
「嬉しい、嬉しいですわ…」
 姫は声を掠れさせながら呟いた。
「わたくしはこの時をずっと待ってましたの…。
 ほんとうに、ずっと、ずっと、気の遠くなるほど、ずっと昔から…。
 長い旅の果てに貴方と出会う事が出来て、わたくしと肩を並べる事の出来る大人の男へと成長し、互いの心と身体を重ねられる時を迎えられる…!」
 姫は止めどなく涙を零しながら竜斗の唇を奪う。
 互いの舌を絡ませ、ふわふわとした髪の感触を楽しみながら頭を抱き、背中をなぞり尻の谷間まで愛撫する。
「喜んで貴方の恋人にさせて頂きますわ…!」
 そして、風見鶏の館の二人きりの夜は更けて行く。
 やがて日付が変わる頃、姫の寝室のベッドサイドテーブルに置かれた竜斗の携帯電話はiModeメールを着信して密かに光を放っていた。


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