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戦いの始り

 1999年7月13日(火)
 風見鶏の館のある北野町から県立高校に行く場合、南へと坂を下って三宮駅から阪急神戸線で二駅…王子公園駅で下車、また坂を北へと登って行く事となる。
 朝起きた瞬間から疲労感を覚えていた竜斗は、これから待ち受ける特別授業の前にして、通学路と言う試練を考えるだけで憂鬱だった。
 そもそも昨日は姫が用意してくれたベッドに横たわり、半分眠りについた状態で自問自答を繰り返すうちに、気がついたら朝になっていた。
 実際の所は泥のように寝ていたのだろうが、まるっきり寝ていたと言う実感が伴わない。
 昨日と今日の境界が曖昧だと、体の疲労が回復していたとしても、心の疲労が抜けない気がする。
 そんな事で本来なら自分の脚で通学路を行くべきなのだろうが、聖蘭の申し出を有り難く受け入れ学校まで車で送迎して貰う事にした。
 北野町から新神戸駅へと続く閑静な住宅街を濃淡のロールスロイスが優雅に流れて行く。
 それはシルバークラウド・ツーと言う車である。
 五角形のグリルの頂でスピリットオブエクスタシーと呼ばれる女性像が眩しく輝いている。
 普遍的な丸いヘッドライト。
 大きく盛り上がりリアに向かって流れるフェンダー。
 バンパーなどポイントを押さえたメッキパーツ。
 職人の手によってボディラインに沿って描かれたコーチライン。
 時代を超えた魅力を持つクラシカルな車であり、まるで旧家の貴族を思わせる上品さを感じる。
 その乗り心地はまさしく雲の上を行くがごとく、重力や時間を感じさせない心地よい世界感を持っていた。
 竜斗はソファーのような後部座席に深く腰掛けて心地よい疾走感に身を委ね、流れ行く景色を眺めながら昨日の夜の事を思い出していた。
 それは昨晩の夕食後、姫に唐突な要望を突きつけられた時の事であった。
 風見鶏の館のバルコニー。
 開け放たれた窓から差し込む柔らかい風と星明かりを受けて、レースカーテンがサラサラと煌めいている。
 鈴虫の鳴く声だけが響く静かに響く、幻想的な空間。
 その主が窓の冊子に背をもたれながらも、月夜を思わせる涼しげな瞳で小柄な少年を見つめていた。
「奏真先輩を倒すって、どういう事…?」
 姫は何かを思い出すような遠い目つきで語り出す。
「明日から人間の未知なる力を開発する特別授業と称された戦いが始まりますわ、それは自らをブラフマンと名乗る男によって立案された神をも恐れぬ実験ですの。
 タロットを神に至る為の教典に見立て、暗示により特別な力を与えた少年・少女達を戦わせ、互いの持つ運命の札…アルカナを奪い合わせ、その中で能力を開発して行く…。
 そして、最終的に全てのアルカナを手に入れた者がNo.21世界…つまりは神に至る事を証明すると言うものですのわ。
 あなたは既にその一端をご覧になられたはずですわよ」
「あのウェータースライダーの上にいた奴がブラフマンで、風紀委員長がその能力者か…」
 実際その目で見た事であはあるが、俄には信じられない事だった。
 風紀委員長が副委員長とキスを交わした事によって、半透明の鞭のようなものを具現化して衝撃波を発していた。
 まぁ、能力者でも無い姫の方が圧倒的に強かったわけだが。
「でも、ブラフってハッタリって意味だろ…? 自分をハッタリ男と呼ぶとは凄いとしか言いようがないね…!」
「ふふふっ、ブラフマンと言うのはヒンドゥー教の主神である破壊者シヴァ、保持者ヴィシュヌと並ぶ三神一体の一つで、全ての根源である創造者の名前ですのよ。
 人の身でありながら神を名乗るなんて、ハッタリ男とは言い得て妙ですわね」
「まぁ、確かにそれは言えるな…!
 それで、今は消えちゃったけど、僕が手に入れたカードが奪い合いの対象となるアルカナって奴なの…?」
「そう、本来ブラフマンのゲームにエントリーされていたのはあの少年だったのですが、本戦が開始される前にわたくしに呼び出されて彼はその座を奪い取られた。
 今はあなたがそのアルカナの持ち主で、彼の代わりに戦いに参加する事となりますわ。
 彼らがブラフマンに選ばれた能力者だとするならば、あなたはわたくしに選ばれた無能力者とでも言いましょうか」
「無能力者とは偉い言いようだね…、ってか本当の事だから何も言えないんだけどさ…。
 でも、何でわざわざそんなことをするの…?」
「それはブラフマンの計画を阻止する為ですわ。
 人間の未知なる能力能力を開発する特別授業…、人間が神に至る事を証明する為の実験…。
 ブラフマンがどんな御託を並べ、どんな余興を用意していたとしても、全ては青海奏真と言う男を神へと導く為に嘘で塗固めたシナリオに過ぎないのですわ」
「それの何処が悪いの…? 奏真先輩は非の打ち所が無い人だよ、彼が神になるんだったら世の中もっと良くなるんじゃないかな?」
「まったく、お馬鹿さんですわねぇ…」
 姫は苦笑する。
「この世にあなたが思っているような完全な人間はいませんですわ。
 何故ならば人間は心を捨て去る事は出来ませんから。
 どんな人間だって心があるからこそ、怒り、悲しみ、時に間違いを犯しますわ。
 そんな不完全な存在である人間が神になるなど痴がましいにも程がありますわね。
 人間は心を持った不完全な存在でありながら、力強く生きるからこそ美しく輝く事が出来るんですの。
 それが解らないお馬鹿さんだらけで困っちゃいますわね」
「それは何となく解る気がする…」
「そして、ブラフマンの思惑通り事が進めばこの世界は一度終わりを迎え、ある時点を境に個人のエゴを反映した造り変えられた世界が始まる事になりますわ」
「途方も無い話だね…」
 その言葉の重みに竜斗は夏の暑さからではない汗が吹き出るのを感じた。
「なんだって、ブラフマンって人はそんな馬鹿げた事をするの…?」
「…」
 姫は何かに思い耽るように目を瞑って沈黙する。
「愛と言うものは時に人を狂わせるものなのですわ…。何時か貴方にも解る時が来る事でしょう…」
 姫も何か悲しい思いをして来たのだろうか…?
 竜斗は姫の悲しい表情の裏側にあるものを想像して胸が痛くなる。
「そして、もし青海奏真を倒しその計画を阻止出来る者がいるとするならば、ブラフマンの暗示を受けず能力を持たざる唯一の参加者…、そうあなたを置いて他なりませんわ」
 青海奏真…。
 それは転校早々トラブルに巻き込まれていた所を助けてくれた上級生。
 容姿端麗、頭脳明晰、運動神経抜群、人格も優れた完璧な人物…そして、空の彼氏。
 その強烈な印象は脳裏に焼き付いて離れない。
 一方で自分と来たら、女の子と間違われるぐらい背が低くて貧弱で、オマケに馬鹿と来たものだ。
 正直、同じ男子高校生と思えないぐらいの差を感じざるを得ない。
 しかも、全く特殊能力を持っていないと言うのはハンディが大き過ぎる。
「僕にそれが出来ると思っているの…?」
「とても難しい事は確かですが、あなたが本当の強さを身につけられたらば、きっと成し遂げる事が出来ますわ」
「本当の強さか…」
「その道のりに近道はありません事よ。
 人は日々の積み重ねでしか物事を成し遂げる事が出来ませんわ。
 一日一日を、その一瞬一瞬を大切にして、その時々で自分自身が出来る事を考えながら精一杯生きる事。
 それが、いつかあなたにとって掛け替えの無い力になりますわ」

 竜斗を乗せたシルバークラウドツーは県立高校の校門の前へと到着する。
 通学時間と言う事もあり古城のような意匠の校舎の前に沢山の生徒で賑わっていた。
 運転席から降り立った聖蘭は周囲を取り囲む生徒達に一礼し、竜斗を乗せた後部座席のドアを開く。
 親に送って貰って通学する生徒も中にはいるのだろうが、メイドの運転でロールスロイスで正々堂々と送迎される生徒など他にいないだろう。
 その状況を一言で言うとさらし者だ。
 やっぱり、いくら疲れているとは言っても、自分の脚でくれば良かったかと思ったが後悔先立たずだ。
 生徒を山をかき分けて、車椅子を押したツンツン頭の男子生徒が現れる。
 そのツンツン頭は既に見知った顔である大河であり、彼の押す車椅子に乗っているのは見知らぬ女子生徒だ。
「誰かと思たらお前かいっ!! その綺麗なお方はどないしたんや!?」
「ああ、彼女は下宿先のメイドさんなんだ」
「桝田聖蘭と申します。以後、お見知りおきを…」
 と言うと聖蘭は大河と車椅子の少女に深々と頭を下げた。
「…では、私はお先に失礼させて頂きます」
「ああ、ありがとう」
 竜斗はが礼を言うと聖蘭はもう頭を下げ、シルバークラウドツーの運転席へと乗り込むと、Uターンして来た道を戻って行った。
「あないなメイドさんに送り迎えされるなんて羨ましいやっちゃなぁ…!!」
「お前こそ、その子はどうしたんだよ…? まさか、彼女…?」
 車椅子に座っているから身長は解らないが、やや体つきが細い気がする。
 パッツンと切り落とした前髪、サラサラのストレートヘアー、黒々とした瞳が特徴的で、日本人形を思わせる純和風少女と言った感じだ。
「誰が彼女や!! 単なる長馴染みの腐れ縁や!! こんな奴が彼女なんて、天地がひっくり返ってもあり得へんっ!!」
 大河は顔を歪めてオーバーリアクションで否定する。
 大きく開かれた鼻の穴がピクピクしている。
「その顔ムカツクわーっ!! こっちだってお前の彼女なんてマッピラゴメンや!!」
 彼女は車椅子に乗ったまま大河に向けて正拳突きを放つ。
 そこはちょうど大河の股間であり、大河は口から泡を吹いて地に降れ伏す。
「ぐはーっ! チンがぁーーっ!! タマがぁーーーっ!!!」
「そんな大げに痛がるんやないのっ!! 男やろっ!!!」
「いや、男だから痛いのだが…」
 竜斗は思わず縮み上がる。
「うち、こいつの幼なじみでイッコ下の堀江夕鶴言います。よろしゅうね! センパイ!!」
「僕は走馬竜斗! よろしく!!」
 竜斗は思った。
 夕鶴はその見た目に反してかなり恐ろしい。
 逆らうのは止めておこうと。
「使い物にならへんようになったらどうすんやっ!! どアホっ!!!」
 大河はピョンピョンしながら復活する。
「女なんやし、もっと淑やかに出来へんのか…!?
 そう、聖蘭さん見習ったら良いねん…! 彼女はええでぇ!!
 なんちゅうの、プロのメイドさんとして目立たない縁の下の存在に徹してる事で、逆にあの人の持つ美しさや力強さが際立ってる気がするんや!!
 時の権力者が侍女に手を出してみたいな話は幾らでもあるけど、その気持ち痛いほどわかるで!!
 反則やっ…!! メイドさんという存在が反則なんやっ…!!!
 そう、メイドさんっちゅう圧倒的な存在は神に近いと言っても過言ではないでっ…!!!」
「アホぉ…!!」
 プルブルと拳を振るわす大河の股間に向かって正拳突きを放つ夕鶴。
「あ・ぶ・ね・ぇ・!!!」
 だが、大河はその殺気を感じて間一髪の所で避けた。
「何すんねんドアホォ…!!」
「それはこっちの台詞や…!! ホンマ最低やなコイツ…!!! 
 そんなにメイドさんが良いならば、自分がオカマになってメイド服着れば良いんや!!」
「うっ…。想像してしまった…」
 竜斗は今世紀最悪の映像を想像して吐き気を催した。
 そんな彼らに二つの影が近寄りつつあった。
 大河がそれに気がついて竜斗に耳打ちする。
「やっかいな奴らが来よったでー」
 時代外れのリーゼント頭に丈の長い詰襟を着込んだ男子生徒。
 詰襟にはNo.15のバッジをつけている。
 ちりぢりとしたパーマ頭に丈の長いスカートを着込んだ女子生徒。
 男子生徒の腕章には生徒会書記、女子生徒の腕章には生徒会会計。
 大凡生徒会とは思えない品性の欠片も感じさせない男女二人組であった。
「自称生徒会四天王の登場やで…!! あいつら文武両道の生徒会長、副会長の名を盾にして暴力を振るう最低の連中やで…!!」
「うちも暴力は大嫌いや…!!」
「お前がそれを言うか…!?」
「でも、ホンマに最悪やね…!! なんやねん生徒会四天王って…!? お笑いにしてもセンス無さ過ぎよ…!! アホちゃう思うよ…!! うちが彼奴らのオカンやったら、間違い無く吉本で修行させるよ!!」
「偉い言われようだな…」
「それにしても、四天王がいきなりお出ましとは変へやな…。いつもは粛清委員ちゅう取り巻きがまず出て来るんやけど…」
 自称生徒会四天王の二人は竜斗達の前に来るとポケットに手を突っ込んで、顎を突き出して舐めるようにガンを飛ばす。
 何とも言い難い香水と、汚物を思わせる口臭が最悪だ。
「おい、何時も連れてるむさ苦しい取り巻きはどないしたんや…?」
「あ? 生徒会長様に粛清されたにきまってんだろ、ダボぉ!! 一度でも負けた奴らには俺らのチームには必要ねぇーんだよ!!」
 そう、それは昨日の事だ。
 朝一番で粛清委員会にからまれた竜斗を助けに入った奏真により、屈強な体格の男子生徒達が一網打尽にされた。
 そして、その夕方には彼らのリーダーである風紀委員長は、妙な能力を発揮させた挙げ句に姫によって叩きのめされたのは記憶に新しい。
「ってか、そんなん関係ねぇーだろ!? てめーだよ、てめーっ!! 何で車で登校してやがんだよ!! あ!?
 しかも、制服が違うじゃねーか!? あんまナメてんと、どうなるか解ってるよな!?」
 と生徒会書記は竜斗の襟首を掴み上げる。
 近づけば近づく程臭いがキツく、下手すると吐きそうな勢いだ。
「だから、知らないって…!! おえっ…!!」
 と顔をしかめて吐きそうになるのを我慢する竜斗。
 もし、吐いたら本当に大変な事になる。
「あ? 何嘔吐いてやがるんだ!? マジ、粛清してやんぞ、ゴラッ!!!」
「こら駄目や…!! ねぇ、大河…!! 竜斗センパイ助けへんと…!!!」
 夕鶴は大河のズボンの裾を掴む。
 大河はダラダラと冷や汗を垂らしながら、竜斗を助ける為に一生懸命考えている風だった。
「言わんでも解っとる!! ああ、どうすりゃいいんやろ…?!」
 そして、大河はあるものを発見する。
 それは大量の女子生徒を引き連れた髪の長い冬服を着た細身の男子生徒が、清ました顔で校門を潜っている姿だった…。
 襟首にはNo.3のバッジを着用している。
 いや、正確に言うと男子生徒ではない。
 男子生徒の格好をした三年の女子生徒でフェンシング部長である宝塚舞だった。
 芝居がかったその言動やルックスから、その手の世界に憧れる女子生徒達に大人気であった。
「おい、何で竜斗の校則違反が駄目で、あの宝塚舞の校則違反は良いんや!? 女が男の服着てハーレム作っとるなんて、どう考えてもおかしいやろ!!」
 勝った…!!
 大河は心の中でガッツポーズを繰り出した。
 暴力には正論!! これで間違い無いはずや…!!
「あ? それは強いからに良いに決まってんだろ…?!
 あいつはフェンシング部の部長で、大会でも優勝した事あるから、何やっても良いんだよ!!
 テメーらみたいに弱い奴は何やっても許されねーに決まってんだろ!!
 あんまフザケた事ばっか言ってると、テメーラもシバくぞコラ!!」
「そ、そんなの理不尽やっ!!」
「車椅子のお嬢ちゃんをシバくのはアタイに任せなっ!!
 動けない相手をいたぶるのはゾクゾクするしねぇ!!」
「うわっ、あんなブスにやられるなんて嫌やわ…!!」
「おいっ、止めろっ…!! 悪いのは僕だ…!! 大河達は関係ないだろ…!? だから、大河達に暴力を振るうのだけは止めてくれ…!!!」
「あ!? そんなの無理に決まってんだろ!? 弱い奴は無条件で粛清決定なんだよっぉ!!!」
 そう言うと生徒会書記はその拳を竜斗に振りかざした。
「粛清してやるっ!!」
「うぁーっ、まんまんちゃんっ…!!!」
 大河は目を瞑り関西訛りのお経を唱えて竜斗の無事を祈った。
「待て下郎共っ…!!」
 その時だった。
 まるで時代劇に出て来る将軍のように威厳溢れる声だった。
 その声の主はひと際背が高く、オールバックに縁なしメガネ、冬服の詰襟と言った風貌の威圧的な男子生徒だった。
 その襟にはNo.4のバッジが輝いている。
 そして、その傍らには男子用の冬服を着用し、長い髪を後ろに束ねた中性的な顔つきの生徒が付き添っている。
 オールバックの男子生徒は生徒会長、髪の長い生徒は副会長の腕章をそれぞれ着用している。
「開戦前に選ばれし者同士の私闘が禁じられている事を忘れたのか?! こぉの痴れ者がぁーーーーっ!!!」
 まるで夕立に伴う雷のような声が、晴れた夏の朝空へと響き渡る。
「ははっ…!!」
 生徒会書記と会計の二人は文字通り雷に打たれたかのように体を振るわせると、竜斗を手放してアスファルトに頭を擦り付けるように土下座する。
「でも、こいつはアルカナじゃありませんぜ…!! こんな貧弱な奴が選ばれるわきゃ無いし、第一バッジを持ってないじゃないっすか!?」
「目に見えるものばかりに捕われるから貴様は馬鹿なのだっ!!」
「ま、まさか、こいつがそうなんすかっ…!?」
「間違い無いだろう。貴殿の持っているNo.18のバッジを見せて頂こう…」
「ああ…」
 竜斗はポケットから昨日、姫が風紀委員長から奪い取ったNo.18と書かれたバッジを取り出した。
「やはり、貴殿であったかっ!! 面白いっ!! 面白いぞっ!!!! よもや無能力者でありながら我が配下を倒し、アルカナの座を奪い取る猛者はがいようとはっ…!!」
 生徒会長は扇子を仰ぎ豪快に高笑いする。
「おまっ、何やっとるんや!?」
 大河が竜斗に思わず突っ込みを入れた。
「いや、正確に言うと違うんだけどさ…」
「あ…!? てめぇの理由なんて知らねぇんだよ…!!!」
 如何にも臨戦態勢の生徒会書記は目に血管を浮かび上がらせては竜斗に詰め寄る。
 だが、そんな彼を嗜めるように生徒会長は静かに重く口を開く。
「もし、この者が戦場を生き伸びるだけの力を持つのならば、やがては戦場で相塗れる事となるだろう。
 その時、雌雄を決すれば良い。
 だが、それまでに負けてしまうような器であれば、その時、粛清を加えれば良いだけだ」
「でも、会長っ…!」
「見苦しいぞ貴様!! 強き者の道理が通り、弱き者は淘汰される…それがこの世の定めなのだ!! 己の言葉は戦いで示せ!! では、行くぞ皆の者ぉ!!」
 生徒会長は生徒会の面々を引き連れて校内へと消えて行った。
「てめぇ、覚えてろよっ!! いつか粛清してやるからなっ!!!」
 と生徒会書記は竜斗に捨て台詞を吐いて行くのであった。
「なんだか知らへんけど、助かったでー…」
「ホンマやね…」
「助かった…のかな?」
 竜斗にはこれが戦いの始まりのような気がしてならなかった。

特別な授業

 教室に入り授業の開始を告げるチャイムが鳴り響くと、教壇に立った担任に生徒一人一人の名前が呼ばれて個別に指示を受けていた。
 指示を受けた生徒から順番に荷物をまとめて教室から出て行く。
 教室は何時もと違う緊張感に満ちあふれていた。
「旭陽空…!」
 そして迎えた空の番。
「ひ、ひゃい…!! わたしでよろしいんでしょうか…?」
 椅子をひっくり返して勢い良く立ち上がり、右手をあげて返事する空の声は裏返っていた。
 小さい背丈の頂でピョコンと立ったトレードマークのリボンも心無しか硬く見えた。
「他に旭陽空がおるわけないやろっ…!! ほら、速く行かへんか…!!」
 竜斗の隣に座る大河は空のあまりにもおかしな様子に思わず突っ込まずには居られなかった。
 そして、左手と左足、右手と右足を同時に出しながら教壇へと向かう空。
 何となくロボット的なガチガチした動きだ。
 言い知れぬ緊張に満たされた教室にクスクスと言う笑いがわき起こる。
 竜斗は可愛らしい空の姿をじっくりと眺めてホッコリする。
 昨日の昼休みもそうだったけど、空は人の心を癒す天才かも知れない。
「いくらなんでも、緊張しすぎやないか…? 事前に特別授業での自分自身の役割を知らされとって、これは最終確認に過ぎへんのに…」
 大河は笑いながら言う。
「僕、知らされてないんだけど…」
 竜斗がボソっと返す。
「…大丈夫や! こういうのは緊張するだけ損ってもんやで!」
「藩臣大河…!」
「おっ、俺の番やな…! ほな、お先に行って来るで…!! あくまで正々堂々とやっ…!!」
 そう言って教壇へと向かう大河の顔は青ざめ、額には汗がぎっしり浮かび、やはり左手と左足、右手と右足が同時に出ていた。
「自分だって緊張してるんじゃないか…!」
 竜斗は思わず突っ込まずには居られなかった。
 そして、一人一人教室から生徒が減って行き、竜斗はその度に言い知れぬ不安を感じていた。
 まさか、自分だけ呼ばれないパターンじゃないの…?
 なんと言っても人為的に放り込まれた例外エラーと言っても過言ではない存在だ。
 やがて教室には竜斗一人だけが残され、その予感は的中する。
「先生…? 僕は…!?」
「…」
 何その沈黙は…!?
「走馬竜斗…。君はNo.18、月のアルカナとして特別教室に行ってもらう…。だが、こんな例外があるとは…」

 特別教室として指定された教室に向かうと、そこには既に他の生徒達が勢揃いしていた。
 青海奏真と旭陽空。
 藩臣大河と堀江夕鶴。
 生徒会長と副会長。
 生徒会書記と会計。
 宝塚舞とその追っかけ女子。
 他にも知らない顔が幾つもあるが、皆ただ者では無い雰囲気である。
 学年もクラスもバラバラな総勢30人、15組の生徒達。
 まさに蒼々たる顔ぶれであった。
 気後れしている竜斗に奏真が優しく声をかける。
「ふっ、君が最後の候補者みたいだね。こんな所で会うなんて、運命を感じざるを得ないな」
「…それ男の子に言う台詞じゃないよぉ」
 奏真の隣に座った空が思わず苦笑する。
「ふっ、運命的な出会いには男も女も関係ないものさ」
「もう、お兄ちゃんったら変態なんだからっ! 取り敢えず大河と夕鶴の隣があいているみたいだし座ったらどう…?」
「うん、あんがと…」
 竜斗がコソコソと空いている席に座ると、隣に座った大河が拳を突き出して来た。
 竜斗はそれに応えて拳を合わせる。
「よー、やっぱり一緒やったなぁ!!」
「これが例の特別授業で選ばれた人達か…?」
「そうみたいやな…!! 腹に一物抱えとるような奴らばっかや…!! もう、思わず武者震いするで…!!」
 そう言う大河の顔は青ざめて、体はガクガクブルブルと震えている。
「それ、ヘタレ震いやろ…!!」
 と大河の隣で車椅子に座った夕鶴が突っ込んだ。
「にしても、何かおかしくあらへんか…?」
 大河が竜斗の隣の席を見る。
 大河と夕鶴も含めて他の生徒達は二人一組で席に着いているが竜斗の隣の席だけは空いていた。
「二人一組でパートナー組むっちゅう事になっているんやけど…!!」
「あ、やっぱり…?」
 昨日の粛清委員長の戦いしかり、そんな気がしていた。
 竜斗は汗が吹き出る額をポリポリと掻いた。
「これ、体育の時に一人はみ出て先生とボールパスするって次元の虚しさじゃあらへんね…!!
 ごっつかわいそうやわ、竜斗センパイ…!! 誰かパートナー組んでくれる人おらへんの…?」
 あえて言うならば姫って所だが、少なく見積もっても学生とは思えないので、パートナーとなる事は出来ないだろう。
「まったく、泣けて来そうだよ…」
「って、もう泣いてるやろ…! 相変わらず心折れんの早いやっちゃなー!!」

 そして、竜斗達が待つ教室にスーツ姿でサングラスをかけた長身の男が現れた。
「私は精神学、脳神脳神経学者として、人間の能力を開発する研究機関に勤め、君たちの特別授業を取り仕切らせて頂く者…。
 そして、内に秘めた力を具現化する方法を確立した最初の能力者。
 ここではあえてNo.0 愚者のブラフマンと名乗らせて頂こう。
 短い間ではあるが、よろしくお願いする」
 間違い無い。
 昨日の夕方、レジャー施設廃墟のウォータースライダーの頂きにいた人物だ。
 竜斗はその男をマジマジと見た。
 長身でスタイルが良い為に若々しく見えるが、口元には年齢を感じさせるほうれい線が刻まれている。
 長い髪をオールバックにした額に一筋の傷がある以外、まるっきり普通の人と言った雰囲気であった。
 とても、おかしな計画を実行する狂気的な人物とは思えない。
 それどころか何処か哀愁のようなものが感じられ、他人とは思えないような親しみさえ覚えてしまった。
 気になったのは奏真とブラフマンの関係だ。
 奏真は自分自身が利用されている事を知っているのだろうか?
 竜斗はふと奏真とその隣に座った空の表情を盗み見たが、二人からは何も感じる事が出来ない。
 いや、初対面の人間を見る場合、皆なんらかの表情を浮かべるのが当たり前だ。
 逆に何も感じさせないと言う事は、関係性を持っているか、もしくは感情を押し殺しているかどちらかでは無いかと思った。
 考え過ぎなのかも知れないが。
「君達には繰り返し見る夢と言うものがあるはずだ。
 例えば私はある者と共に月夜の空の下、摩天楼を飛び交う夢を頻繁に見ていた。
 繰り返し見る夢…それは潜在意識の象徴である。
 私はそれに絶対的な意味合いを持たせる暗示を君達に、そして自分自身に施術した。
 その暗示こそがタロットカードの役柄であるアルカナだ」
 竜斗はブラフマンの言うある者という存在が気になった。
 きっと、彼にとって大切な人に違いない。
 それに夜の街を飛ぶ夢を見るなんて、夢見がちな高校生の竜斗からしてもロマンチストな人だと思えた。
「タロットカードは占いの道具として知られているが、そもそもは56枚の小アルカナと、22枚の大アルカナを使用した遊戯が起源であり、君たちも遊んだ事があるだろうトランプの一種だ。
 占いとは偶然性に必然的な意味を見い出す事で、複雑な要素が絡み合って形成される運命を読み解く行為であり、ある種のジンクスを統計学によって高度に発達させたものだと思って良い。
 タロットカードを使った占いもその一つではあるが、神秘的な役柄に絶対的な意味があると多くの人々から妄信されている。
 信じると言う行為は人間の未知なる力を引き出す引き金となり、ただの偶然でも意味があると信じ込む事で、実際に運命を呼び込んでしまう事がある。
 結果としてタロットカードの的中率は非常に高いものとなっている。
 つまり、アルカナとはそれ程強い力を持つ暗示なのだ」
 ブラフマンの話は意味が解らない所もあるが、説得力があり引き込まれるものを感じる。
 姫から彼の計画の事を事前に聴いていたと言う事もあるが、ひっとしたら彼の話そのものが虚実を織り交ぜ、自分の世界に生徒達を引き込む為の暗示なのでは無いかと思った。
「そして、私はアルカナの暗示が埋め込まれた潜在意識の象徴を、特定の条件下で具現化する方法を確立した。
 そう、私の場合はその条件が揃った時において、実際に街の空をビルからビルへと飛び移る事が出来るようになったのだ。
 だが、私の能力はそれ以上でもそれ以下でも無い。
 私は更なる能力を求め資質ある二人の男女に教皇と女教皇の暗示を与え、発案した能力開発プログラムを受けさせたが、究極と言える領域にまでたどり着く事は出来なかった」
 自分だったら空を飛べるだけで十分だと思うのだが、何故それ以上の物を求めているのか、考えても解らず竜斗は眉間に皺を寄せた。
「そして、この学校の生徒で資質を持った有志に協力して戴き、アルカナの暗示を持つ能力者を増やしたが、誰一人として究極の暗示を受け入れ、その能力を発動する者は存在しなかった。
 究極の暗示…それは最後のアルカナであるNo.21世界。
 究極の能力…それは世界そのものを夢見たままに書き換える能力に他ならない。
 No.21世界は完全な存在を示し、ヒンドゥー教のシヴァ神や聖書のアダムに関連づける学者もいるように、まさに神そのものである。
 諸説あるがタロットとはNo.0である愚者…つまり人間が、No.21である世界…完全な存在に至るまでの旅の経緯を表したものと言われる。
 宗教で言う所の人が神に至るまでの教典のようなものだ。
 No.21世界とは始めから存在するものではなく、アルカナを廻る旅の末に至るものだと仮説した私は、この実験を行う事にしたのだ。
 それは君たちアルカナの暗示を持つ者が能力開発と平行し、トーナメント形式で互いの持つカードを賭けて戦い、最後まで勝ち残り全てのカードを手に入れた者がNo.21世界に至る事を証明すると言うものだ。
 では、午後からの講義では能力の発動や戦いの内容について説明し、いよいよ最初の試合を開始する事とする。それまで各自休憩だ」
 
「岩盤浴とこの屋上の違いって何だろうな…?」
「ありがたみの違いちゃうの…? これが有料やったら、きっと岩盤浴やで…」
「人間って現金なもんだよなー」
 竜斗と大河は昼休みに聖蘭が持たせてくれた弁当を突ついた後、屋上のロンドン塔の下で寝転んでいた。
 相変わらず真夏の太陽に照らされた屋上の床は焼け付くように熱かった。
「ところで、あのブラフマンって人の話解ったか…?」
「なめてもらっちゃアカンな。俺は自分から進んで長い事実験を受けているやで、そんなの解るわけ無いやろ…!!」
「駄目じゃん…!!」
「そんなに褒めたって何も出やしないでー。いや、変な汁は出るかも知れへんけど…!」
「褒めてないから…!! そして、頼むから変な汁だけは出すなよ…!! いや、マジで…!!!」
「おっ…? この屋上岩盤浴も慣れたら気持ち良くなって来よったでー!! マジで変な汁が出そうやっ…!!!」
「おまえやめろよなー!!」
「あ、出たっ…!!」
「おい、勘弁してくれよ…!!!」
「お前なんやと思ったんや…? 出たのは汗に決まっているやろ…!?」
「…お前って想像を絶する最悪さ加減だな」
「だから、褒めんといて…! もっと変な汁が出るやろっ!!」
「だから、褒めてないから…! んで、話戻すけどさ、お前は何でこの戦いに勝ったらどうする? 自分から志願したんだろ?」
「そう言うお前はどうなんや?」
「僕は昨日言った通りだけどさ、変えたいって思ったとしても、具体的にどうありたいかって解んないんだよな…。だから、お前を参考にさせて貰おうかなぁって」
「良いけど、参考にならへんで。いや、参考にしてもらえると有り難いんやけどさ」
「ん?」
「俺が神になったら、この世界の悲しき呪いを解き放つ…!! そう、阪神タイガース優勝の優勝を願うんやぁー!!!!」
「マジで参考にならないな…!!
 ってか、この世界の悲しみって言うか、むしろタイガースファン限定の悲しみだろ…!! 全世界がタイガースファンだと思ったら大間違いだぞ…!!」
 むしろ、この僕は生粋の巨人ファン…。
 竜斗はそう打ちまけたいのを必死で堪えた。
 大阪では阪神を応援し巨人が敵だと学校で教わると言うが、東京ドームがある東京都文京区などの一部の学校では、東京に来ている阪神ファンは危険だから絶対に近寄るなと教えられる。
 そして、万が一関西に行く事があっても、野球の話だけはするなと釘を刺されていたのだ。
 嘘のような本当の話である。
「まぁ、待て…! 聴いて欲しいんや…!!」
「なんだよ改まって」
「俺と夕鶴は兵庫県の東、甲子園球場のある西宮市で産まれたんや」
「甲子園って大阪じゃなかったんだ…!? って言うかお前大阪人じゃなかったのか…!?」
「甲子園球場が大阪だとか、タイガースファンだから大阪人だとか、西宮に対する侮辱も良い所やで…!
 真のタイガースの聖地は西宮であり、最もタイガースを応援しているのも地元である西宮市民なんや…!!
 そんな所で産まれた俺も夕鶴も、物心ついた時には立派な阪神ファンとなっていたんや。
 そして、人生で最も感動したのは1985年…、そう幼稚園の時やった。
 タイガースの球団社長が飛行機事故で亡くなるっちゅう悲しい事件があり、選手全員が社長の霊前に優勝を誓ったんや。
 そして、迎えたリーグ優勝をかけたヤクルト戦。
 俺ん家に夕鶴の家族も集まってみんなで一緒にその試合を見てたんや…!!
 そこで見たものは何度もヤクルトを追い越し、追いつかれ、延長の末の引き分けの自力優勝…!!
 真弓、バース、掛布、岡田の第二次ダイナマイト打線ばっか目が行き勝ちやが、本当に勝敗を別けたは球団社長に報いようとする諦めないド根性やと思うんや…!!
 幼心に大切な事を教えられた俺と夕鶴は抱き合って喜んだよ、それはもうホンマに…」
「それは良い話だな。なんか僕までタイガースが好きになりそうだよ」
「そやろ、でも話はそれで終わりやないんや…。
 そう、その後のタイガースの低迷具合は知っての通り…!!
 何でタイガースが勝てなくなったか知っとるか…? それはカーネル・サンダースの呪いやねん!!」
「ちょっと、タイガースとカーネル・サンダースがどう関係あるんだよ…!?」
「それは1985年、リーグ優勝の時やった!! 興奮したファンがカーネル・サンダースの人形をランディ・バースに見立て、胴上げの末に道頓堀に放り投げたんや!!
 何故か沈んだカーネルおじさんはその後見つからず…。
 それ以来、タイガースは勝てなくなり、バースは息子の病気の治療を巡って球団と対立して解雇、責任を取った代表が自殺するなど、えらい騒ぎになったんや…!!
 ホンマ恐ろしいで、カーネル・サンダースの呪いは!!」
「マジかよっ!?」
「そう、呪いに対向出来るのは神の力を置いて他ならへん…!! 俺は神になってこの呪いを解き放ち、あの時の感動をもう一度味わいたいんや…!!」
「ある意味ですげぇな、お前の目標!! そんなんで良いのかよ…!?」
「自分にとって価値があれば何でも良いとちゃうの!? 例えばお前やったら、あの奏真を倒して空を自分の物とするとか?」
「お前、大声でなんて事言うんだよ…?」
 竜斗は周りを見渡し、ホッと胸をなで下ろす。
「でも、悪く無いな、それ…!」
 そして、ボソっと呟いた。

「君達の見る夢に絶対的な暗示を与えたとして、それを現実に具現化するには特殊な領域を作り出す必要がある。それは自我と呼べる物を外界に展開すると言い換えても良い」
 午後の授業が始まり、ブラフマンは再び教壇に立っていた。
「君達は自分の自我がどう言う風に形成されて行くか考えた事があるか?
 我思う、故に我有り…と言うのはデカルトの有名な言葉であるが、君達のように感受性の豊かな若者は様々な経験を通して様々なものを感じ取り、それを繰り返す事で自己を確立して行く。
 特に他人との接触は自分自身を考える強い要因である。
 多種多様で流動的に変化し続ける他人との関係性の中で、君達は自分自身の在り方を変化させて行く。
 時に自分自身を強く感じたり、時に消え失せそうな程に弱くなる事もあるだろう」
 ブラフマンの言っている事は自分にも通じると竜斗は思った。
 それは昨日の事だ。
 自分自身を見つける為にこの街に来たは良いのの、何か凄いものを持つ他人と自分を比較して、消え失せそうになってしまった。
 今は自分自身がどういうものなのか解っているわけでは無いが、自分自身に疑問を抱かない程度に安定している気がする。
 ひっとしたらそれは、自分自身で一歩踏み出す勇気を持てたからかも知れない。
「外界において消える事の無い絶対的な自我を持つ事で、自分自身を中心に精神領域は拡大され、その範囲で夢を現実とする事が出来る。
 だが、絶対的な自我を持つ事は、歳若く感受性が豊かな君達には難しい事だろう。
 だからこそ、君達には側で支える存在が必要なのである。
 そう、互いに認め合う事が出来るパートナーを持つ事で、人は強く在る事が出来るのだ。
 しかし、人と人の絆、人の心と言うものは目に見える物では無く、言葉で伝えきれる程単純な物でも無い。
 故に時に感情に身を任せ、パートナーとの肉体的接触によって心と身体を補完する事も必要だ」
「肉体的接触ってまさか…!?」
 ブラフマンの言葉を聴いて竜斗は顔を真っ赤にしながらボソっと呟いた。
「竜斗先輩ったらエッチやなぁ…。何想像してるんやか…。キスやでキス…」
 と、夕鶴も顔を真っ赤にしながら竜斗に突っ込む。
「ちゅうか、お前も想像してるんやないか…」
 と大河が夕鶴に静かな突っ込みを入れた。
「マジでキスかよっ…」
 それでも、高校二年生の男子生徒にとっては刺激的な話であった。
 そう言えば、昨日目撃した戦いでも風紀委員長と風紀副委員長がキスをしていた気がする。
 そして、自分自身も姫とキスをしてしまった…。
 あの場は極限状態だった故に考える余裕は無かったが、今となって思い出すと悶々としてしまう。
 柔らかいその感触は脳天がトロけてしまうようだった。
 しかし、あれは一体どう言う意味であったんだろうか…?
 恋愛感情故なのか…?
 姫は存在自体謎過ぎるのでその言動について深く考えるだけ無駄ではあるが、一度ある事は二度あるので次も期待せざるを得ない。
「古今東西、接吻とは婚姻の誓いや、親愛、敬愛、信頼の証として交わされて来た魔力のある行為だ。
 また、ヒンドゥー教においても神々は神妃との交わりにおいて力を得ると言われている。
 君達は自分にとっての神妃と言えるパートナーとの肉体的接触によって自我領域を展開し、その中で具現化させた夢の象徴やそれが持つ特殊な能力を使って競争相手と戦ってもらう事となる。
 能力者は周囲を覆う自我領域が物理的なダメージを緩和させるが、自我領域に攻撃をを受け続ければ精神が疲弊し最後には気を失う。
 つまり当面は精神の削り合いの戦いになるだろう」
 昨日の戦いにでも風紀委員長は姫の攻撃を中和しているようだったが、攻撃を受け続けて最後には気を失っていた。
 そして、姫は相手の攻撃も見事防いでいた。
 だが、あれは姫だから出来る事であり、何の能力も持たず自我領域を展開する事も出来ない自分では、一瞬にして殺されてしまうのでは無いかと思って竜斗は背筋を凍らせた。
「だが、君達の自我は完成されておらず、能力にもまだまだ伸びしろがある。
 最初は自我領域を展開し能力を具現化しやすいように君達の馴染みのある学校内で、能力に対して共通の認識を持つ大勢の生徒達が見守る中で戦うが、次第に難易度を上げ最終的に外的要因に依存しないで力を発揮出来るようになって頂く。
 そう、絶対的な自我を持つ存在へと自分を育てて行くのだ。
 では、君達にこれからの予定…トーナメント表を渡そう」
 ブラフマンは各列にプリントを配った。
「トーナメントは今日…7月13日火曜日から、日曜日と第三土曜日を除き、7月31日土曜日までの間に一日一試合ずつ行われる。
 7月30日金曜日だけは変則的ではあるが、それまで勝ち残った二組で協力して、君達の先輩とも言える教皇と女教皇の二人と、小アルカナと呼ばれる小規模な能力者達と戦って頂く。
 欄外に記されている死神と審判のアルカナは能力の暗示ではなく、その二つを合わせる事で輪廻転生を意味し、この世界を構築する要素そのものを現している。
 では、これから戦いを開始するが…、今日の試合はNo.3の女帝と、No.8の力のアルカナを持つ二組で戦ってもらう…その二組は名乗りを上げて欲しい」
「私がNo.3の女帝のアルカナである宝塚舞だ」
 髪が長く細身な女子でありながら男子生徒の冬服を着た宝塚が立ち上がる。
 パートナーであるファンの女子がキャーと黄色い悲鳴をあげる。
 だが、なかなかNo.8の力のアルカナを持つ生徒は立ち上がろうとしない。
 竜斗は思わず周りをキョロキョロと見渡したが、誰だか検討もつかない。
「力のアルカナを持つ者も立ち上がると良い」
「誰や!? No.8力のアルカナっちゅう奴は!!」
 竜斗は大河の襟首についたバッチを注視すると、そこにはローマ数字でNo.8と書かれていた。
「ひっとして、お前じゃないの…!?」
「な、なんやとぉ…!?」
 大河は慌てて立ち上がった。

 そこは体育館。
 大勢の生徒が囲む中で大河と夕鶴、宝塚とファンの子が対立している。
「では、互いに自我領域を展開するのだ」
 緊張と羞恥で顔を赤くしながら大河と夕鶴がぎこちないキスを交わす。
 あの二人はパートナーであり、幼なじみで進んだ関係には発展していない事が見て取れる。
 だが、互いに意識はしているのだろう。
 だからこそ、あの赤面だと思った。
 そう言う淡い関係って良いよなと、竜斗はたまらなく羨ましくなる。
 そして、昨日の風紀委員長の時と時と同じように、大河の持つ雰囲気が薄い膜のように広がり収束する。
 目の前にNo.8、力のアルカナのカードが出現する。
 女性がライオンの口を押さえているようなイラストだ。
 虎のイラストだったら完璧だったのだが、ライオンのイラストだと微妙に惜しい。
 そして、大河がそのカードをつかみ取ると、存在感が希薄なバットのようなものを具現化した。
 一方で宝塚がファンの子とキスをする。
 多分、今朝宝塚が引き連れていた他のファンの子達だろう、体育館に無数のキャーと言う悲鳴が上がった。
 いや、ファンじゃなくても女性同士ならではの綺麗で妖艶なシルエットは妙に興奮するものがある。
 ファンの子はもう死んでも良いと行った恍惚な表情を浮かべて居るものの、宝塚はサラッとした涼しい顔だ。
 ひょっとしたら、宝塚にとっては女の子同士のキスなんて日常茶飯事なのではないかと、よからぬ妄想を抱いて竜斗は悶々としてしまう。
 そして、No.3…、王座にどっしりと構えた女性の絵が書かれた女帝のカードが現れ、つかみ取るとフェンシングで使う細剣が現れた。
 大河の具現化したバットよりやや存在感があるが、それでもまだ全然薄いと言う感じだ。
 この存在感の強弱は能力の強弱に関係あるのだろうか?
 大河と宝塚の二人は向かい合っているが、フェンシング部で試合慣れして緊張をコントロールする術を持っている宝塚と違って、野球好きであっても野球部では無い大河は場慣れしていない為、緊張が顔に出ている。
「では、戦ってもらおう!」
 ブラフマンが腕を上げたのを皮切りに、大河がバットを振るう。
「先手必勝や!!」
 すると、バットから丸い物体が飛び出し宝塚へと迫る。
 だが、宝塚は大河の発した白球…いや薄球を真正面に捉え、手にした細い剣で突き刺してその存在を掻き消す。
 あくまでも涼しい顔だ。
「これでどうやーっ!!」
 大河は連続してバットを振りボールを打ち出し、それは変幻自在の無数の光の軌跡となって宝塚へと向かって行く。
 それは弧を描いて飛ぶレーザービームのような、現実にはあり得ない光景であった。
 能力と言うものがどういうものか解らない竜斗にとって、それは一大スペクタルのように思えた。
 そう思っていたのは竜斗だけでは無いようで、ギャラリーと化している他の生徒達も歓声を上げる。
 宝塚は面白い物でも見つけたように微笑み、身体を斜に構えて剣を携えた右手を突き出すと、その手首の返しで剣先をゆらゆらと揺らし、次から次へと光の軌跡を断って行く。
 剣は僅かに光を帯びていて、薄暗い体育館の中でゆらゆらと歪んだ残像を残す。
 そして、またしても歓声が上がる。
 二人の能力者の織りなす美しい光の軌跡を伴った素晴らしい攻防は見るものを魅了し、戦いの世界へと引き込んで行く。
 能力を身につけたからと言っても、それを使いこなし実際に戦うには身体の動きが必要だろうし、二人がどれ程真摯に取り込んで来たかが動きから伝わって来る気がして感動するが、他の生徒達が夢中になる様を見ると何か少し違う気もしてしまう竜斗であった。
 努力をして舞台に立っている人間に対して賞賛しているのではなく、舞台そのものに酔っているような、そんな雰囲気だからかも知れない。
 さながらブラフマンのプロデュースするビジネスショーであるかのようだと竜斗は思った。
「では、今度は私の番だ」
 宝塚が剣を突き出しながら突進する。
「まんまんちゃんっ!!」
 そのあまりに速いスピードに大河は追いつく事が出来ず、バットを闇雲に振り回すして宝塚を退けようとする。
「遅いっ!!」
 だが、彼女にはその軌跡が手に取るように読めるらしく、見事に攻撃をかわして隙を露にした大河へと剣を突き刺す。
 その剣撃は刹那に煌めく閃光のような鋭さだった。
 そして、そのまま連続して何度も何度も剣先を揺らしながら大河へと攻撃を加えて行く。
 その剣撃は大河の身体を覆う自我領域に阻まれて、肉体的なダメージを与える事は無いが、繰り返し攻撃を受け続ける大河の顔には疲労の色が浮かびつつあった。
 そして、何度目の攻撃を受けた時だろうか、大河の身に異変が起きた。
「な、なんやとっ!?」
 大河の身体が眩しい光に包まれ、その光が収縮した時には全く違うシルエットになっていた。
 そこには、不思議の国のアリスのような童話めいたドレスを着た小さな女の子が居た。
「ちんがぁー!! たまがぁー!!」
 その子はスカートをたくし上げカボチャパンツに覆われた自らの股間をまさぐると、可愛い声で関西のイントネーションが効いた聴き馴染みのあるフレーズを叫んだ。
 手にはバットを盛っているし、ふわふわのベリーショートヘアーは何処かツンツン頭の面影を残している。
 間違い無い大河だ。
「な、なんだってぇ!?」
 竜斗は思わず叫んでいた。
 周囲からキャーとか、かわいいとか黄色い声が上がっている。
「そう、私の剣撃に魅せられた者は、誰もが恋する少女になるのだ」
 と宝塚は不敵な笑みを浮かべる。
 いや、言葉のあやではなく、文字通り恋する少女にしてしまうとは恐れいった。
 大河は元の身体に戻れるのだろうか?
 いや、むしろ戻らなくても良いのだが、付き合い方が変わってしまいそうだ。
「私の能力は長くは続かないはずだが、もはや、状態異常を正常化できない程にダメージを蓄積させていると見た」
「ち、ちくしょう…」
 恋する少女状態となった大河は、フラフラとなった身体をバットで支えている状態だ。
「私には少女を甚振る趣味は無い…。大人しく投降したらどうだ…?」
 色んな意味で宝塚の能力は恐ろしいと竜斗は思った。
 制限時間があるとは言え、あの姿では今までと同じような運動能力を発揮出来るとも思えないし、やろうと思えば一方的に嬲る事も可能だろう。
「おれはまだ戦えるっ! ちんが無くても、たまが無くても、おれにはまだこのバットとボールがあるんやっ!!」
 そう言ってバットを振るってボールを打ち出す大河。
 慣れない幼女の身体で疲労が蓄積している為にふらつき、フォームは大幅に乱れているものの正確無比にボールは宝塚へと迫る。
 おそらく、狙った通りにボールを打ち出す事が出来ると言うのが大河の能力なのだろう。
「ならば加減はしないぞ!」
 宝塚はボールを剣で貫いて打ち消すと、大河に対して無数の突きを放つ。
 その衝撃は凄まじく小さくなった大河の身体はギャラリーの人山の中に向けて飛ばされて行った。
 自分に危害が加わると思っていなかったギャラリー達は悲鳴をあげる。
 やがて、その人だかりの中から、小さな影が這い出て来た。
 身体を被う自我領域はかなり薄く今にも消えそうであり、竜斗の目から見ても限界に近いのは確かであった。
「何故、そうまでして何故立ち上がるのだ?」
「おれは倒れるワケにはいかんのや…!
 誰だってやれば出来るって事を、何度でも立ち上がれるっちゅう事をしょうめいせにゃアカンのや…!!」
 大河は甲高い雄叫びを上げると、バットを無茶苦茶に振り回して突進した。
 無数の弾丸に覆われた大河は、一つの大きな弾丸のようになって宝塚へと向かって行く。
 防御と攻撃を同時にこなせる凄まじい技だ。
「私もその気迫に応えさせてもらうとしよう!」
 そこから先は圧巻であった。
 まるで瞬間移動するかのようなスピードで宝塚は大河に向かって突進し、光の球と化した大河に真っ向から剣を突き立てる。
 薄暗い体育館に激しい光が飛び散る。
 あまりに眩しい光に一瞬視界が真っ白になったが、目が見えるようになると、そこには互いに渾身の一撃を放ち合い背中を向き合わせるように交差した二人のシルエットが立っていた。
 重い沈黙が訪れる。
 ギャラリー達も固唾を飲んで成り行きを見守っていた。
 その沈黙を破ったのは宝塚であり、彼女は崩れるように片膝をつく。
 だが、宝塚の手には未だ具現化された剣が握られている。
 一方の大河は立ち尽くしたままだが、手にしたバットが粒子となってNo.8力のカードへと戻り、体育館の床へとひらひらと舞い落ちた。
 宝塚は立ち上がるとカードを拾い上げ、幼女となった大河の肩を優しく叩く。
「気を失っても倒れないとは…。まさに素晴らしい戦いであった」
「勝者はNo.3女帝とする」
 ブラフマンの言葉を皮切りに体育館中に歓声が響き渡った。

 それからどれだけの時間が経っただろうか。
 燦々と輝いていた太陽は傾き、夕焼けの中で人気の無くなった体育館のシルエットが浮かんでいた。
 少し涼しくなった空気に、ひぐらしの鳴く声が響いていた。
 体育館の小さな階段に小さな女の子が膝を抱えて俯いている。
 それは宝塚の能力を受けて「恋する少女」状態から未だ回復していない大河であった。
 そんな大河を見守る竜斗と夕鶴の二人。
 だが、痺れを切らした夕鶴が大河に声をかける。
「負けちゃったもんは仕方ないやないか…。何時までもいじけててもしょうがないし、そろそろ帰ろうよ」
「こんな姿で帰れるわけないやろ…」
「イジイジイジイジ…!! それでも男か? このヘタレ!!」
「もう男やないもん…」
「そんなヘタレだから、元の姿に戻れないんやないの!? そんなにタイガース優勝の夢を叶えられなかったんが悔しいんか!?」
「そんなんちゃう…! そんなんちゃうんや…!!」
 表を上げた大河の顔は涙と鼻水でベチャベチャに濡れていた。
「じゃあ何よ!? 言うてみぃ!?」
「言えへん…!! お前にだけは言えへん…!! こんな情けない姿さらしといて言えるわけないやろ…!!」
「なんやそれっ!!」
 夕鶴は大河の頬を叩いて車椅子の向きを変えた。
「もう、お前なんか知らへんっ!! うち、先帰らしてもらうで!!
 何時までも女の子の姿で泣いてれば良いんや!! そんでもって、そのままオカマとして大好きなメイド服でも着て生きれば良いんや!!」
 竜斗は膝を抱えて身体を振るわせ、嗚咽を堪える大河の隣に座った。
 そして、大河は深く息を吸い、呟くように沈黙を破る。
「おれな、あいつの為に戦おう思ってたんや」
 大河の言うあいつとは夕鶴の事だろう。
「あいつな、大地震の時に怪我してもうて、それ以来ずっと車椅子乗ってんねん…。怪我は治っているんやけど、心の問題で歩き出す事が出来へんやって…。
 おれな、もういっかいタイガースが優勝する所を見れれば、楽しかったあの頃や、あの時の感動を思い出して、あいつも歩き出す勇気を持てるって思ったんや…。
 それにおれが戦う姿を見せられれば、きっと誰だってがんばれば出来るって教えられると思ったんや…。
 それなのに…、それなのにおれは…!!」
 竜斗は胸が痛くなり、居ても立ってもいられずその小さな肩を抱いた。
 大河は今まで押し込めていた感情が吹き出し、竜斗の胸を借りて声を出して大声で泣き出した。
 その悲痛な叫びは竜斗の心に響き、溢れ出る涙を堪えるのに必死だった。
 それからどれだけ経っただろうか。
 落ち着きを取り戻した大河は竜斗と体育館の階段に並んで座っていた。
「ありがとう…。もう、大丈夫や…」
「そうか…」
 竜斗の声も少し霞んでいた。
「ひゃっはっはっ!! 最高の見せ物を見せてもらったぜ!!」
 卑下た笑い声が響く。
 No.15のバッヂを持つリーゼント頭の男子生徒…生徒会書記と、パーマ頭のスケバン…生徒会会計の二人組が竜斗達に近寄って来た。
「何か用?」
 竜斗は大河を庇うように二人の前に出る。
「あ? 俺がようがあるのはそこの負け犬だ!! ぼけぇ!!
 きゃんきゃん吠えて粋がった挙げ句に負けて無様な姿を晒し、おまけに女に振られて女子供みたいにギャーギャー泣きやがる!!
 あ? 今は女子供だったか!?」
「情けないったらありゃしないよ!」
 生徒会書記が間の手を入れる。
 侮辱された大河は顔を真っ赤にして俯く。
「俺はなぁ、力がねぇのにキャンキャン吠える負け犬が大っ嫌いなんだよっ!!! そんな奴は生きている価値はねぇ!! 俺が粛清してやるぅ!!!」
「ふざけるな…!!」
 竜斗は生徒会二人の暴言に強く呟くように言う。
「あ…!? なんか言ったかテメェ!?」
「ふざけるなと言っている!!」
 竜斗は自分より頭一つ大きい生徒会書記の胸ぐらを掴む。
「大河は情けなくなんか無いっ!! 大河は人の為に一生懸命生きる事が出来る凄い奴だ!! どんなに辛くても絶対に倒れない凄い奴だ!!
 全力を出して立派に戦い切った大河を馬鹿にする奴は僕が許せないっ!!!」
「あぁ!? テメェも粋がるのかよ!? テメェとは明日当たる事になっているが、良いんだぜぇ!! 今やってもよぉ!?」
「こっちも望む所だ…!!」
「お止めなさいな。双方共にブラフマンにアルカナを取り上げられますわよ」
 緊張した空気に凛とした涼しい声が響く。
 気がついた時には胸ぐらをつかみ合った二人の真横にゴスロリ姿の少女が立っていた。
「ひ、姫…!?」
「な…!? てめぇいつの間に現れやがった…!?」
「あら、始めから居ましてよ。あなた方がずっとわたくしを無視してただけじゃありませんこと?」
「あ?! そんな馬鹿なことがあるかっ!? テメェみたいなキテレツな女がいれば気付くに決まってるだろ!?」
「ならば、あなたの目は節穴と言う事ですわね」
「テメェ!!! フザケやがってぇ!!!! 何者なんだ!? あ!?」
「わたくしは香夜姫…。ここに居らせられるNo.18月のアルカナ…走馬竜斗様のパートナーですわ」
「姫と一緒ならば心強いよ!! でも、こいつは…、こいつだけは僕にやらせて欲しいんだ!!」
「ええ、勿論ですわ」
「フザケやがって!! テメェもこの女もまとめて粛清してやるっ!!!」
「やれるものならばやってみろ!! 僕はお前を倒して大河を馬鹿にした事を謝らしてやるっ!!!」
 竜斗は生徒会書記の胸ぐらを放して彼に背を向けた。
 生徒会書記もまた背を向ける。
「解っているかと思いますが、この先能力者を相手に戦い抜く事は容易ではありません事よ」
「ああ、だから姫には戦い方を教えて欲しいんだ」
「もちろんそのつもりですわよ。わたくしは貴方を本当の強さへと導く為に存在しているのですから。
 でも、わたくしの力だけでは足りません、貴方には他にも共に歩み、支え合える仲間が必要ですわ」
「ああ、解っている」
 竜斗は幼女と化した大河と向き合う。
「大河…、僕と一緒にやらないか?」
「えっ?」
 幼女と化した大河は竜斗を見上げる。
「僕と一緒に誰だって頑張れば出来るってことを夕鶴に見せつけてやるんだ!!」

理想と現実

 新月の夜。
 喧噪とした街の中心地から離れた丘の上にある北野の異人館は静寂に包まれ、りーんりーんと虫が鳴く声だけが響く。
 月明かりの射さない深い闇の中で、風見鶏の館の窓から優しい光が漏れていた。
 風見鶏の館の一階にあるダイニングでは、三人の小さな人物が長テーブルを囲って座っていた。
 一人は男性にしたら小柄で、少女のようにも見える竜斗。
 一人は竜斗より頭一つ小さく、少女に見えるが年齢不詳の姫。
 一人は姫よりも遥かに小さく、少女にされてしまった大河だ。
 共に少女っぽい外見だが実は違うと思われる、年齢と性別を超越した存在であり、見た目の華やかさとは裏腹にあまりに謎な集団であった。
 竜斗と姫はお婿に行けなくなった姿を親に晒したくないと言う大河を連れて風見鶏の館へと帰って来ていた。
 そして、聖蘭が夕食を準備している間に、今後の戦いについて話す事になっていた。
 配置は竜斗と大河が並んで座り、テーブルの反対側に姫が座っていると言った感じだ。
「結論から言うと貴方には現状レベルで能力者の攻撃は効きませんわ。何故かと言うとあなたはブラフマンの集団催眠を受けていませんから」
 姫は竜斗の顔を見つめながら言うと、続いて大河に視線を移す。
「おそらくブラフマンは特別授業と称し、能力の説明を繰り返しあなた達に聴かせていたはずですわ。
 話の中に虚実織り交ぜる事でそれが真実だと信じ込ませた上で、幾人かのサクラを含めた多くの生徒の前で実在する道具を使った練習から入り、徐々に難易度を上げた練習を行って成功体験を積ませたはずですわ。
 それらが全てブラフマンの仕組んだ集団催眠であり、あなた達は知らず知らずの内に彼の作り出す幻想の世界へと引きずり込まれたんですの」
「ちょっとまってくれや!!
 確かにそうやと思うけど、実際におれはこんな姿になっているやないか!! しかも、未だに元の姿に戻れてへんし、それをどう説明するんや!?」
 大河がすかさず姫の話にツッコミを入れたが、竜斗は全く持ってその通りだと思った。
 ブラフマンの言っている事も姫の言っている事も、何処までが本当で何処までが嘘だか判断する事は出来ないが、特殊な力によって大河の姿が変わってしまっているのは事実であった。
「そう、その催眠を繰り返す事で人間の領分を越えた能力が本当にあると思い込んでしまった結果、あなた達は実際にその力を発揮してしまっているのですわ。
 そして、能力に対しての願望が強いほど深く催眠を受けてしまう為、逆に相手の能力を強く受けてしまう結果に繋がるんですの。
 また、あなたが元に戻れない原因としては、相手の攻撃の持つ暗示があなたの持つ心の弱さと一致したからだと思いますわ。
 おそらくですけど、男性としての尊厳を傷つけられる出来事があったり、自分自身を男らしく無いと思ったんでなくて?」
 姫は妖艶な笑みを浮かべて大河を見つめる。
 竜斗は姫が大河の事情や心情を全て察した上で確信犯的に言っていると思った。
「うぐぅ…」
 流石の大河も寓の手も出ない。
 うぐぅの声は出ているが。
「残念だけど、どっちも図星だろ…?」
 竜斗は苦笑しながら言った。
「うっさいわ、アホ!!」
 その小さな手で竜斗に突っ込みを入れるが、少女の身体じゃ攻撃力ゼロだ。
「これは例え術者の方が能力を失ったとしても、継続的にあなたを苦しめる呪いのようなものですわ」
「な、なんやとぉ!?」
 姫はサラッと恐ろしい事を言い、大河に何時もの台詞を吐かせる。
「ただし、あなたが自分自身のコンプレックスを解消した時、その呪いは解けると思いますわよ。
 …まぁ、わたくしとしてはむさ苦しい男性の姿より、かわいらしいその姿の方が良いと思いますけど」
 姫は哀れな者を見るように大河を見回すとクスクスと笑う。
「僕も同感だ。一生そのまんまでいろよ」
 竜斗も吹き出しながら言った。
「冗談はよしてくれや!」
「いや、わりと本気なんだけどな」
「より悪いわ!」
 大河はまたしても小さな手で突っ込んだ。
 いや、だから攻撃力がゼロだって。
 ハリセンでも用意した方が良いんじゃないかと竜斗は思った。
「ところで、今日僕もその特別授業を受けたんだけど、集団催眠にかけられてないだろうか?」
 竜斗は気になっていた事を姫に聴いた。
「まぁ、大丈夫だと思いますわ。貴方は飲み込みが悪いお人ですから」
「な、なんだってぇ!?」
 竜斗もお決まりの台詞を口にしていた。
 今日一日で何度その言葉を言った事だろうか…?
 思い返して数えてみたら、まだ二回ぐらいだったので、それ程お決まりの台詞ってわけじゃないのかも知れない。
 数え損ないもあるかも知れないが、こまで厳密に思い出す必要性は全く無いので良いとしよう。
「ブラフマンも想定外のアホって事ちゃうの?」
 大河は仕返しとばかりに竜斗を笑う。
「五月蝿いな!! 本当の事言われると傷つくんだぞ!!」
「やっぱ、自覚してるやないか!!」
 大河は幼女の身体で素手で突っ込んでもインパクトが足りないと言う結論に至ったらしく、今度は履いていたスリッパで竜斗に突っ込んだ。
 なかなかやりやがる…!!
 竜斗は心の中で賞賛の声を送った。
「ふふふっ、決して馬鹿にしているんじゃありませんわよ。褒めてるんですわ」
 姫は二人のやり取りを見て笑いを堪えるように言った。
 そして、微笑みながら竜斗を見つめる。
「あなたは人の話の飲み込みが悪い事は確かですが、それは人の話を無条件に鵜呑みにせず、自分の頭で考え噛み砕いてから飲み込もうとするからですわ。
 催眠術と言うのは人の話を鵜呑みにし、思考する事を放棄した人がかかりやすいものですわ。
 おそらく、貴方はブラフマンの暗示を殆ど受けていないと思いますわ。
 その証拠に能力者達の作り出す能力に実体感を感じなかったり、熱狂する他の観客に対して一歩引いた立場に居たんじゃありませんこと?」
 竜斗は今日の戦いの事を思い返す。
 確かに能力者が具現化した道具が透けて見えていたり、ギャラリーに違和感を感じていたりした。
「ああ、僕もそれは不思議に感じていたんだ」
「ブラフマンは今後もあなた達に講義を通し催眠術をかけ続けるでしょうが、自分自身の頭で考え続ける事を止めなければ無駄に惑わされる事はありませんわ。
 そして、その催眠術の完成こそNo.21世界…個人の思惑を反映させた新世界の誕生に他なりません。
 そう、あなたが催眠術に対抗する事は彼の計画を阻止する事にも繋がるんですわ」
 ブラフマンの計画を阻止し、奏真が神として君臨する事を防ぐ。
 それこそが昨日知らされた姫の最終的な目的だ。
 だが、なんとなく大河にはそれを知られたく無いのだろうと竜斗は思った。
「それと、これは能力や催眠とは関係無い話ですが、ブラフマンの話の中にも生きる上で役に立つ事はあるはずですわ。
 一方的に他人を否定する事は、自分自身の人間性を否定する事と同じですわ。
 良いと思った所を取り入れる柔軟性を持つ事も必要ですわよ」
 竜斗はブラフマンの特別授業を思い出した。
 彼の言う自我の確立や夢を叶える方法論と言うのは、現実に応用出来るものだと感じた。
「ああ、僕もそう思ったんだけど、だからこそ彼の話は恐ろしいと思ったよ」
「それが解っているんだったら、大丈夫ですわ」
 と姫は微笑んだ。
「でも、このままブラフマンの催眠術が進み対戦相手の能力が強くなって行けば、催眠術に対しての耐性を持つ貴方と言えど、何時かは能力による暗示を防げなくなる時が来ます。
 その時の為に貴方には日々の生活の中で武術を学び、心と身体を鍛え気を操る術を習得して頂きますわ。
 鍛えた心と技と身体、それを更に気によって強化すれば、強力な能力者にも対抗できますわ」
「気って気功とかそういうの?」
 大河がこぉーっと、気を溜めるポージングをしながら姫に質問する。
「そうですわ。気と言うのは万物に存在する命の流れですが、自分自身に流れる気をコントロールする事で、心と身体に秘められた潜在能力を引き出す事が出来るんですわ」
「ちょいまち! それって一種の自己暗示なんとちゃうか? ブラフマンの暗示とどう違うんや?」
 姫がちょっと驚いたような表情を見せる。
 竜斗も大河にしたら中々良い質問だと思った。
「あらあら、中々鋭いですわね。確かに気は自分自身を操る力…自己暗示とも言えますわ。
 あえてブラフマンの暗示と気を比べるとするならば、ブラフマンの暗示は自然の摂理を歪め人間に与えられた領分を越える魔法であり、気の力は自然の摂理に則って自分自身の持つ本来の力を引き出す技術とでも言いましょうか。
 また、ブラフマンの暗示は才能ある選ばれた者のみが扱える物ですが、気と言うものは技術であり努力次第で誰にだって扱う事が出来ますわ」
「努力次第ってのが僕らしくて良いね!!」
 竜斗はその言葉に希望を感じた。
「わたくしもそう思いますわ。
 その時その時を自分自身の頭で考え続け、その場その場で出来る事をやり続け、その日その日で地に脚をつけた地道な努力を積み重ねる…。
 決して終わりが見える事が無い日々ですが、それが貴方を強くするでしょう。
 何度も言いますけど、近道はありません事よ?」
「ああ、望む所だ! 僕は強く生きるって決めたんだから!!」

 食後、姫による武術のレクチャーを終えた竜斗と大河は、風見鶏の館の二階にある朝食の間の丸テーブルに突っ伏していた。
 朝食の間と名付けられているが、実際の所は団らんの為の部屋として作られている。
 ちなみに二階には他にビリヤード台の置かれたホールと、寝室、客室、子供部屋、浴室がある。
 竜斗は寝室、大河は客室を自室としてあてがわれている。
 主人である姫は一番広い子供部屋を使用しているが、竜斗はまだ入った事は無いものの人形が沢山並べられていると言う事だ。
 聖蘭は地下にある使用人の部屋を使用しているとか。
「しかし、なんでおれまで武術修行されられなきゃアカンのや・・・?」
 大河が幼児の甲高い声で文句を口にした。
「文句言うなよ、僕なんてこうだぞ!!」 
 竜斗の指差す自分の顔面は傷だらけであった。
「うん、前より男前や!!」 
 大河は腕組みをして何度も頷く。
「男じゃない奴よかましだ!!」 
「うっさいわ、ボケっ!! にしても、なんで姫さんはあんなに強いんや…!! 反則やろ…!!」 
「さん付けかよっ!! まぁ、その気持ちは解らんでもないが…」 
 竜斗は自分が傷だらけとなる原因となった姫との武術の実演を思い出す。
 それは一階の居間でのことだ。
 一階の居間はダンスパーティを開けるようにとかなり広く作られているので武術の練習をするにもうってつけだった。
 一応、怪我をしないようにと聖蘭がマットを用意して敷いてくれていた。
「では、わたくしの教える武術がどういうものであるか身をもって体験して頂きたいと思いますわ。
 竜斗さん、わたくしに襲いかかって来て頂けませんこと?」
「いや、非常に嫌な予感しかしないだけど…」
「なんだったら、襲うついでにわたくしの胸でもなんでも触ってもよろしくてよ」
「喜んでヤラして頂こう…!!」
「単純なやっちゃなー」
 と大河が言うもののかなり羨ましそうだ。
「では、行くぞっ!!」
 竜斗は信じられない程の気迫を見せて姫に向かって突進する。
 姫は竜斗を向かい入れるように両腕を開いて待っている。
 まさに胸を触って下さいと言わんばかりの隙だらけの態勢である。
 だが、いざ竜斗の手が姫の胸に触れようとした時、彼女の姿が一瞬にして消え去った。
 そして、気がついた時には竜斗の身体は宙を舞い、顔面からマットへと落下していた。
「な、なんやとぉ!?」
 大河のおなじみの台詞が飛び出した。
「いててててっ…!!」
 顔面を打ちつけて文字通り出鼻を挫かれた竜斗を姫が楽々と担ぎ起こす。
 その小さな身体からは信じられない程の力強さであり、まるで地にしっかり根が張っているかのような感じがした。
「ふふふふっ。ご自身がどうなったかお解り?」
「いや、まるっきり解らなかった…。姫が消えて気がついたらこうなっていたとしか…」
「それは動きを先読みしようとする人間の特性を利用したからですわ。
 例えば先ほど貴方はわたくしに実演を持ちかけられた時に嫌な予感がするとおっしゃいましたが、それと同じように物の動作に関しても事前の動きから次の動きを予測する事を無意思に行ってしまうものなのです。
 ですが、わたくしはあえて隙を作って注目を胸に集めた上で、スカートで下半身の事前の動きを隠して貴方の死角へと回り込んだので、急に消えたように見えてしまったのですわ。
 そして、貴方が突進しようとする力をわたくし自身を支点にして方向をずらした事で、結果的に投げ飛ばされてしまったような形になったのです」
「つまり、フェイントとカウンターと言う事か?」
「そうですわ。例えわたくしのように可憐で非力な者でも、相手の虚を突き互いの重心をコントロールする体裁きを習得すれば、十二分に戦う事が出来るんですわ」
「それって、合気道とか柔術とちゃうんか?」
 大河がまたしても鋭い質問をする。
「あらあら、惜しいですわね。わたくしの使うのは新武芸ですわ」
「な、なんやとぉ?」
「お前、今日一日で何度その言葉を吐けば気が済むんだよ!」
 と竜斗は思わず突っ込んだ。
「日本における武術の原型は武士が戦う為に必要な技芸であり、武家階級においては剣術、馬術、長刀術、泳法術など十八種の武芸を修める事が求められたと言いますわ。
 後々に体系化されて古武術と総称されるようになりましたが、その中には現代武術の中で失われてしまった隠し武器、活法、薬方、はては呪術や、宗教に結びついた心法なども技術として取り入れられていたと言われます。
 わたくしが体系化された古武術から非力な者が戦う事を前提に要点を抜き出し、新たにまとめあげたものが新武芸ですわ。
 つまり、より実戦的な戦闘術と言えますわね」
「なるほどねー」
「まずは基本となる受け身、それから今わたくしが使った型の練習をしましょう」
 そして、それが一時間半続き今に至ると言うわけだ。
「結局今日習ったのはそれだけや…。強くなるには先が長いでホンマ…」 
「そうだなー…」
 しかも、明日は実戦を控えている。
 練習不足は否めないが闘志は十分だし、持てる全てをぶつけるしか無いと竜斗は覚悟を新たにするのであった。
「しかし、今日は沢山動いて汗かいたし、風呂入りたいんやけど…」
 と大河は珍しく小さな声で言う。 
「先、入れば?」
 竜斗はこのまま考え事をしたい所だったので、今は風呂に入りたい気分じゃなかった。
「一緒に入ってくれへん…?」
 大河が甘えたような声を出す。 
「は? 嫌だよ!! 勘弁してくれよ!!」
 竜斗は冷や汗ダラダラだ。 
「こないな身体になってもうたし、一人で入るの恐いんや!! 実は便所もまだ行ってへん!!」 
 大河の顔は悲痛だった。
 もしかしたら、トイレの方も限界だったのかもしれない。
「その気持ちは解るっ!! 非常に解るが自分でどうにかしろっ!!!」 
 と竜斗は言い切った。
「その話聴きましたわよ」 
 そこに姫が現れた。
「姫!?」 
「姫さんっ!?」 
 相変わらずの神出鬼没さに竜斗と大河は同時に声を出す。
 もしかすると、始めから居て気配を消していたのかも知れないが。
「わたくしが一緒に入りお世話すればよろしいんじゃなくて?
 女同士ですもの、互いに肌を見られても何ら問題ありませんわ。何だったら聖蘭さんに頼んでもよろしくてよ?」 
「そうだな…」
 竜斗は厄介事から解放された気がして、一瞬思考能力が麻痺していたが、実はそれがとんでもない事だと気づいた。
「って、問題あるよっ!!! それだけは絶対に駄目だ!!!! こいつは見た目は幼女でも中身は獣なんだ!!」
「おれ、いやわたし、心まで女の子になってもうたんや!! だから一緒に風呂入ってーな!!」 
 と、姫にすがりつく大河。
「アホぉ!! こうなったら、僕が世話してやるっ!! それで良いな!!!」 
 竜斗は大河の頭を拳骨で叩くと、腕を引っ張って風呂場に連れ出そうとするが、大河がそれに抵抗する。
「やっぱ嫌や!! お前に乙女の肌見られとうないしっ!!!」 
「顔赤らめるなっ!! だったら、始めから自分一人で入れよなっ!!」
 こうして、バタバタとした夜は過ぎて行った。

 1999年7月14日(水)
 この日も午前中のブラフマンの講義から始まり、午後から試合が開始されると言う流れであった。
 ブラフマンの講義は暗示の基礎となるタロットカード全体の成り立ちを詳細に説明するような流れであった。
 それぞれのアルカナについての説明は、引き続き後日に行うらしい。
 その講義は脱落した大河とそのパートナーである夕鶴も参加していたが、二人は一度も話す事がなく午前中を終えていた。
 席が隣同士と言うのがかえって心の距離を感じさせた。
 竜斗は元々の二人の仲の良さが印象的だっただけに胸が苦しくて仕方なかった。
 姫はと言うと例外的にこの学校の生徒では無いので、授業には参加せず午後の試合から合流する事となっていた。
 そして、昼下がりの体育館。
 前日と同じように大勢の生徒達によるギャラリーが竜斗と姫、生徒会の書記と書記を囲んでいる。
 試合開始を前にして期待と興奮に満ちたザワついた雰囲気になっていた。
 一人場違いな格好をした姫は嫌でも目立つわけだが、彼女を見て奏真が驚いたような表情を浮かべながら歩み寄って来た。
「やぁ、君は素晴らしく魅力的な人だね」
「お兄ちゃんの馬鹿っ!! 馬鹿馬鹿っ!! こんな所でナンパしないでよぉ!!」
 奏真が姫に握手を求めようとすると、観客をかき分けてやって来た空がそれを阻止した。
「おっと、レディを前に先に名乗らないのは失礼だったね。俺の名は青海奏真。そして、この子は俺のパートナーである旭陽空さ。よろしく」
「わたくしは香夜姫。竜斗さんのパートナーをさせて頂いていますわ」
 その時、姫と空二人の視線が合う。
 厚底のブーツを履いている為、姫の方が身長が高く見えるものの、実際には同じような体格であり、雰囲気がまるっきり正反対ではあるが何処か似ている。
 空の瞳から一粒の涙が溢れた。
「あれ…? どうしたんだろ!? あなたを見るのは初めてなのに、初めてって気がしないの…」
「俺も君の事を前から知っているような気がするんだ。良かったら君の事を教えてくれないか?」
「わたくしはこの世界を生きる貴方達にとって、草葉の影に揺れる亡霊のようなものですわ。例え見えたとしても必要以上に気にすれば心を病む事になりますわよ」
 なんか恐い言い回しだが、もの凄い説得力がある言葉であった。
「ふっ、面白い言葉だね。ますます気になる所だが、ここは大人しく引き下がった方が良いかもしれないな」
「じゃあ、お邪魔しちゃってゴメンね!! 応援しているから頑張ってね!!」
「健闘を祈るよ!」
「ああ、頑張るよ…!」
 奏真と空は連れ立ってギャラリーへと戻って行った。
 竜斗は姫と彼らの関係性が気になった。
 そして、体育館の真ん中二組に挟まれたスーツにサングラス姿の男…ブラフマンとの関係性も気になる。
 姫とは一体何者なんだろうか…?
 もし本当に亡霊だったとしても不思議では無いが、それでも構わないと言う気もする。
「では、自我領域を展開するのだ」
 ブラフマンが接吻タイムの開始を告げる。
 目の前にいる生徒会書記と会計が唇を交わす。
 うげっ…。
 竜斗は生徒会書記の汚物を思わせる口臭を思い出し吐き気を催した。
 会計は白い顔を紅潮させていた。
 よく、あんなのとキス出来るよな。
 世の中広過ぎる…あまりに広過ぎると竜斗は思った。
 そして、生徒会書記の身体を覆うようにおなじみの自我領域が広がり、その手にNo.15悪魔のカードが出現する。
 角と冠、背中にコウモリの羽をつけ、男の股間のふくらみと、女の乳房を持った訳の解らないものが描かれている。
 そして、それをつかみ取るとメリケンサックに変化した。
 全く捻りの無い武器であるが、痛そうな事に違いない。
「No.18月のペアも後に続け」
 そう言われてもね…。
 竜斗はまわりを見渡した。
 そこらかしこ人だらけ。
 宝塚に大河や夕鶴、奏真に空と知っている人達もちらほら居る。
 特に空は応援すると言った手前か、竜斗に熱い視線を送っていた。
 竜斗は生唾を飲む。
「あらあら、レディーを待たせるものじゃありませんことよ。通過儀式のようなものらしいので、このままじゃ何時まで経っても先に進みませんわよ」
「嫌だって!! 人前でキスなんて出来るかよっ!!」
 さらし者も良い所だ。
 竜斗の様子を見てクスクス笑う空。
「意気地無しですわね。自分から戦うと言ったのは何処の何方でしたか?」
「それとこれとは話が別だ!!」
 ごねる竜斗に会場大ブーイング。
「やるなら早くしろってんだよ!! でなければ帰れってんだ…!」
 生徒会書記に煽られてカチンと来る竜斗。
「くそっ! やってやる!! やってやるさ!!」
 竜斗が姫にキスをする。
 すると、自我領域が展開される事は無かったが、やたら存在感の薄い感じのNo.18のカードが出現した。
 それを掴んでももちろん武器に変化する事はない。
「ごちそうさまでしたわ」
 姫は顔を赤らめていた。
 姫は大胆なのか純情なのか良く解らない。
「では始め!!」
 ブラフマンの合図を皮切りに生徒会書記が拳を振り上げて突進して来る。
「死にさらせコラァ!!!」
 物語のセオリーで言うと先に手を出した方が負ける事になっているが、戦いはおろか喧嘩すらした事が無い竜斗にとってそんなセオリーは通用しない。
 相手の気迫に押されたのか、気がついた時には左頬を殴りつけられていた。
「…」
 なんと言うか、思っていた程痛く無かった。
 メリケンサックで殴りつけられたはずなのに、普通に殴られただけって感じだ。
 それに特殊な効果が竜斗の身を襲うわけでも無かった。
「てめぇ、何でメリケンサックで殴られて平気なんだ!? それ以上に何で毒を食らいやがらないんだ…!?」
 竜斗はこれが集団催眠を受けてない事による効果だと身をもって実感した。
 つまり、純粋な拳と拳の戦いと言う奴だ。
 それならば勝ち目はあると、竜斗は闘志を燃やして反撃に打って出る。
「教えてやる義理は無いっ!!」
 攻撃を繰り出して隙だらけになった生徒会書記の顎に、ここぞとばかりにアッパーカットを繰りす竜斗。
 顎を上にしながらすっ飛ぶ生徒会書記。
 かなりズッシリとした手応えがあった。
 今まで喧嘩など経験した事が無い竜斗であったが、その一撃は間違い無く決まったと言う実感があった。
「た、タッくん!!」
 生徒会会計が倒れた書記を助けに入ろうとするが、姫はそれを阻止しようと前に割って入る。
「この戦いはあの方が自ら選んだ道ですわ。邪魔をするなんて無粋な真似は許しませんことよ」
「テメェ!!」
 その鋭い眼光は生徒会家計の身体を硬直させ、彼女はびくとも動く事が出来なくなった。
「そう、このわたくしを含めて、誰にも邪魔なんか出来ないのです」
 そして、悲しさを堪えるような声で言った。
(頑張って下さい…。それがどんなに辛く厳しい道でも、それが貴方の選んだ道なのですから…)
 一方、竜斗にぶっ飛ばされた生徒会書記は何事も無かったかのように立ち上がって来た。
「な、なんだと!? 確かに手応えはあったはずだ!?」
 竜斗はダメージを受けた様子の無い生徒会書記に驚愕する。
「効くわけねぇだろ!? 自我領域があるのを忘れたか!?」
 思いっきり忘れていたが、竜斗には能力が通じなかったとしても、相手にはまだ自我領域と言うものがあった。
 だが、それでも活路を見いださない限り勝利はあり得ない。
「く、くそぉーーーーっ!!」
 竜斗は半分自暴自棄になって生徒会書記の頬に向かって殴り掛かる。
 まるでミットでも殴ったかのような気持ちの良い手応えだ。
 だが、生徒会書記は竜斗に左頬を殴られ首を右に大きく傾けたまま、陰険な目で竜斗を睨みつける。
「効かねぇって言ってんだよ!!」
 生徒会書記は街のチンピラが弱者をいたぶる時のように手をポケットに入れたまま蹴りを繰り出す。
 そのボンクラ然としたキックは竜斗の腹に食い込み、竜斗はそのまま反吐を吐いて膝をついた。
 戦いを初めとし身体や物を動かす事は全て物理であり、如何に効率良くエネルギーを伝えるかと言う事に帰結する。
 ポケットに手を入れたまま繰り出すボンクラキックは、体重を乗せる事が出来ない為に見た目に反して威力は無い。
 つまり、自分自身が強いと言うことをアピールするだけの虚勢であり、知識と経験を身につけた真の強者にとっては雑魚であると言いふらす愚か者に見える事だろう。
 だが、戦い慣れしていない竜斗にとっては、それでも脅威である事に違いが無かった。
「どうしたどうしたー!?」
 追い打ちをかけるように生徒会書記が竜斗を踏みつける。
 相変わらず手はポケットに突っ込んだままである。
 竜斗は自分自身を庇うように背中を丸めて動かなくなった。
「さっきまでの威勢はどうしたんだよー!?」
 竜斗はその痛みと恐怖に涙する事しか出来なかった。
(そう、現実とは残酷なものですわ。どんなに理想を高く掲げても、その実現には絶対的な力が必要なんですの)
 姫は生徒会会計を牽制しながらも、横目で竜斗の戦いを見守っていた。
「くそっ…!! くそぉ…!!!」
 竜斗が痛みに耐えながらも声を上げる。
(困難に直面した時、未知の力が目覚めるとか、何時も誰かが助けてくれるなんてご都合主義は通用しません)
 姫は竜斗の悲痛な叫びが聞こえる度に、自分がその痛みを代わってあげたいと思った。
 自分だったら一瞬にして相手の命を奪う事も可能だとさえも思った。
 脳内では相手を亡き者にするシミュレーションを何度も繰り返していた。
 だが、これは竜斗自身が決めた事であり、彼の気持ちを尊重してどんな状態になろうと水を注さないと決めていた。
 圧倒的な実力を持つ姫にとっては、ただ見守るしか無いと言う事は想像以上に心を痛める事であった。
 姫のその手は強く握られ、爪がめり込んだ掌にうっすらと血が滲んでいた。
「てめぇもアイツと同じだな!! 弱ぇクセにギャーギャー喚きやがるオカマ野郎と!! 弱い奴は生きてる価値は無ぇんだよ!!!!」
「だまれっ!!! だまれぇーーーーーっ!!!!!!」
 大河を侮辱されて闘志を取り戻した竜斗は、生徒会書記の脚を取ってすくい上げた。
 バランスを崩した生徒会書記は後頭部から派手に転倒する。
「僕はお前に勝って大河を馬鹿にした事を謝らしてやるって決めたんだ!! 誰だって頑張れば出来るって事を証明してやるって決めんだ!!!」
「てめぇ、やりやがったな!!」
 通常だったら気を失う所だろうが、自我領域に守られた生徒会書記は無傷だ。
 何事も無く起き上がった生徒会書記は、再び竜斗の左頬を殴り倒す。
 だが、ぶっ飛ばされそうななるのをグッと堪えて、竜斗は口から垂れる血を拭きながら生徒会書記を睨みつける。
「しつこいなテメェは!!」
「大河にっ…!! 謝れぇーーーーっ!!!!」
 竜斗の両の目が鋭く輝き咆哮する。
(自分自身の無力さを実感したとしても、何度傷ついたとしても、決して諦めずに何度でも立ち上がって下さいな。足りない所に気付けばそれだけ努力すれば良いだけですわ)
 もの凄い気迫で殴り掛かって来る竜斗に、今まで感じた事が無いような言い知れぬ恐怖を感じた生徒会書記は、彼の左目に向かって渾身のストレートを食らわす。
「く、来るなー!!」
 竜斗自身の突進する力も合さり、もの凄い衝撃であった。
 体育館の床ににひれ伏す竜斗を見て、流石にもう立ち上がって来ないだろうと一安心する生徒会書記。
 だが…!
 地面に手をつく。
 膝を立てる。
 背を起こす。
 ふらつきながら。
 血だらけになりながら。
 痣だらけになりながら。
 まるでゾンビのように這い上がる竜斗を見て生徒会書記の恐怖は絶頂に達した。
「謝るんだーーーーーっ!!!」
 その怒号は見ている者全員の心を揺さぶるような強さを秘めていた。
 竜斗の左目は腫れ上がって見えないが、残った右目で生徒会書記の目を捉えて離さない。
 生徒会書記はキョロキョロと目を泳がせる。
 どっと冷たい汗が吹き出る。
 その時、生徒会書記の身体を覆う自我領域や、具現化したメリケンサックが不安定になっていた事に本人は気付かなかった。
(人間は自分が出来る事以上の事は出来ません。だからこそ、その時々で自分に何が出来るかを考え、自分に出来る事を最大限にやり抜く…。
 大切な人の為ならばそれが出来る。貴方はそう言う強さを持っている…! わたくしは信じていますわ…!!)
「この野郎っ!!! 今度こそ死にやがれぇー!!!!!」
 生徒会書記がふらつきながら立っている竜斗に向かって拳を振り上げながら突進して来る。
 竜斗はその攻撃が顔面を狙っているものだと核心していた。
「虚を突き相手の力を利用する…」
 竜斗は脱力しているようにみせかけ無防備な顔面に生徒書記の意識をより集中させ、そのパンチが顔面に叩き込まれる寸前に相手の懐へと潜り込み、突き出された右手を掴むと自分自身を支点として投げ飛ばした。
「ぐはーーーーーーーっ!!!!」
 床を叩く大きな音と共に生徒会書記の断末魔の叫びが響いた。
「タッくんっ!!!」
 生徒会書記に駆け寄ろうとする会計を姫が怒りを込めた一撃で沈める。
 竜斗は生徒会書記の自我領域の消滅と共に現れたカードを回収し、高らかに天上に向けて掲げた。
「僕のっ…!!! 勝ちだぁーーーーーっ!!!!!」
 観客の歓声が上がる。
「竜斗ぉーーーーーっ!!! 」
 だが、駆け寄ろうとする大河を押しのけて、姫が竜斗に抱きついた。
「ふぎゃっ!!」
 コロコロと転がる大河。
「よく…、そんなにボロボロになるまで頑張ってくれましたわね…。信じていましたわ…」
 竜斗の肩を強く掴むその声は震えていて、まるで泣いているようだった。
「姫…心配かけちゃったな…」
 竜斗は姫の頭を抱き寄せるようにして優しく撫でる。
「戦っている時に姫の言葉が聞こえたんだ…。だから、最後まで諦めずに戦えた…。ありがとう信じてくれて…」

自己の主張

 1999年7月15日(木)
 一面の朝靄に包まれた神戸の街は、まるで雲海にビルが浮んでいるかのような幻想的な光景を作り出していた。
 そんな神戸の街の小高い丘の上。
 趣きある古い洋館の立ち並ぶ北野異人館の中でも、ひと際立派な風貌を持つ風見鶏の館は、公園のように整備された石垣の上で堂々と佇んでいた。
 その二階にある寝室。
 走馬竜斗は左眼を襲うズキズキとした痛みで目を覚ました。
 ふわふわとした髪は湿気を帯て額に張り付き、少女と見紛うばかりの中性的な顔の左目には湿布が貼られ、包帯が巻かれている。
 竜斗は天上を眺めながらその怪我を負った経緯を思い出す。
 ブラフマンが考案した特別授業と称した実験がいよいよ開始された。
 アルカナの暗示を受けた異能力を持った生徒同士をトーナメント形式で戦い合わせ、最後まで生き残った者が最強のアルカナNo.21世界…つまりは神に至ると言う事を証明するものだ。
 一昨日のトーナメント初日は大河と男装の麗人である宝塚の戦いであったが、大河は善戦したものの宝塚の能力によって小さな女の子の姿にされた挙げ句に負けてしまった。
 そして、試合後に何時までも塞ぎ込んでいた為、パートナーである夕鶴にもふられてしまった。
 そんな大河を生徒会書記は汚い言葉で罵り馬鹿にした。
 竜斗は大河が心の問題で歩けない夕鶴に勇気を与えようと頑張っていた事を知っていたので、そんな彼の思いを一方的に踏みにじる生徒会書記が許せなかった。
 その翌日行われるトーナメントでは竜斗と生徒会書記があたる事になっていた。
 怒りに燃える竜斗は何が何でも生徒会書記に勝って、大河に謝らせてやると心に誓い戦いへと望むのであった。
 だが、現実はそんなに甘いものではなかった。
 竜斗は姫によってブラフマンの計画を狂わせる為に送り込まれた無能力者。
 生徒会書記はブラフマンによって計画を実行する為に作り出された能力者。
 能力の有無の差は決して小さくは無かった。
 竜斗はブラフマンの集団催眠を受けていない為に、暗示によって具現化された道具や能力は効きづらいが、直接的なダメージは避ける事は出来ない。
 それだけでも不利であるのだが、能力者の持つ自我領域は尽く竜斗の攻撃を阻み続ける。
 その結果、竜斗は誰もが目を覆いたくなるような一方的な暴力を受け続けた。
 だが、僅かな時間で心を通わせる親友と呼べる存在となった大河の名誉の為…。
 竜斗を信じて厳しくも優しく指導してくれる姫の為…。
 倒れても、倒れても、決して諦めずに戦い続け続け、その気迫は生徒会書記をも圧倒し、最後には姫に教わった技が炸裂し辛くも勝利を掴んだのだ。
 何故、生徒会書記の自我領域を破る事が出来たのかは不明ではあるが、結果として勝てた事は確かだった。

 そして、戦いを終えた放課後。
 姫による応急処置を受けた竜斗は、校庭のど真ん中で生徒会の書記と会計を正座させ、大河に向き合わせていた。
 真っ赤な夕焼けがその場にいる四人の影をグランドに落とす。
「さて、約束通り大河に謝ってもらおうか…!」
「ふざけんじゃねぇ!! 俺は油断しただけだ!!! こんな弱い奴に負けるわけねぇだろダボォ!!!」
「貴様見苦しいぞっ!!!」
 そして、凛とした声を響かせながら、颯爽と生徒会長と副会長が現れた。
「敗してなお醜態を晒すと言うのならば、我が輩が粛清してやるっ!!」
 生徒会長は正座している書記の腕を掴む。
「や、やめてくれぇ!!!」
 そして、生徒会長は会計の腕を曲がってはいけない方向に折り曲げた。
「ぎゃーーーーーーっ!!」
 そして、涙を流し咆哮を上げる書記に馬乗りになり殴りつける。
 幾ら書記が泣き叫び暴れようとも、完全密着した上で膝で締め上げた生徒会長の身体は根を張ったかのように重くビクともしなかった。
 生徒会長は返り血を浴びながら、その顔を何度も、何度も殴りつけた。
 そう、動かなくなるまで。
 そのすぐ隣で副会長も書記に対して同様の粛清を会計に行い、グランドは二人の血で真っ赤に染まっていた。
 目の前に起きた事に戦慄を感じざるを得ない竜斗と大河。
「な、仲間になんちゅうことを…」
 大河は恐ろしい物を見た事で青ざめながらガクガクと震えていた。
「我が臣下が見苦しい様を見せてしまったようだな」
「あんな奴でも仲間だったはずだ!! それなのに何故!? 何故こんな酷い事をしたんだ!?」
「決まっているでは無いか? 敗者に価値など無いのだぞ。
 力のみが人の存在価値であり、力を証明出来なかった者は自己主張する事はおろか存在する事すら許されぬ。
 故に勝者にただ従うか、潔く死を選ぶ事が美学なのだ。
 此奴はそれが解らぬ下賎の者故、さぞかし貴殿の気分を害した事だろう」
「そ、そんな事って…」
「それに引き換え貴殿は能力を使えぬのに、素晴らしい精神力で戦いを勝ち抜いた。
 私は強者が好きだっ!!
 我が輩の理解を超越した異質な強さを持つ貴殿は、最早愛していると言っても過言ではないっ!!
 勝利を持ってその強さを示した貴殿を祝福しようっ!!」
 生徒会長は血塗られた手を竜斗に差し出すが、リュウトはその手を払いのける。
「僕は弱い存在だっ!!
 だけど、友達を馬鹿にされた事が許せなかったし、僕を信じて支えてくれる人がいたから勝てたんだ!!
 仲間をそんなふうに扱う奴は許せない!!」
「良いだろう!! 所詮、人は言葉では語り合えぬものなのだ!!
 勝てば官軍、負ければ賊軍!! この世は弱肉強食!!
 貴殿の正義、勝利を持って証明するが良い!!
 勝ち進めばいずれ我が輩と当たる事もあるだろう!!
 その時を楽しみにしているぞ!!!」

 その後、大河と共に風見鶏の館に帰宅したものの、夕食の時間になって痛みを伴って発熱し始めた。
 それも当然の事だろう。
 姫の調合した特製湿布を患部に貼り、漢方薬を飲んで活法…ツボへのマッサージを受けたり、氷嚢で冷やす等の応急処置を受けていたが、あれほどの怪我を負ってしまったのだ。
 おそらく、今まで痛みを感じなかったのは興奮で感覚が麻痺していたからであり、ほっと一息ついた途端に感覚が戻ったのだろう。
 一階にある広いダイニングのテーブルに突っ伏す竜斗に対し、桝田聖蘭が特製の薬膳粥を持って来た。
 相変わらずのバロック時代を思わせるメイド服で、温和な笑みを浮かべたクールな表情であったのをピンぼけした記憶の中でも覚えている。
 突然、発熱したのに手際よくお粥が出て来たのは、始めからこうなる事が解っていたのかも知れない。
 恐らくそれを予見していたのはこの屋敷の主人であり、竜斗を本当の強さを手に入れる為の戦いへと誘った謎の少女…香夜姫だろう。
 姫は自宅でも長い銀髪を二つの束にして垂らしした髪型で、黒いゴスロリファッションと言うお決まりの格好だった。
 そして、熱で意識朦朧とした竜斗を優しく抱きかかえ、木製のスプーンでお粥を食べさせた。
 思い返してみれば意識がしっかりしていない事が悔やまれる程の密着度合だったと思う。
 そんな竜斗の様子を幼女姿の藩臣大河が心配そうに見ていた。
 大河は元々はツンツン頭の男子高校生だったが、宝塚の能力攻撃を受けて以来、ベリーショートヘアーの小さな女の子となってしまった。
 この時は上下緑色のジャージと言った格好だった。
 その後、竜斗は姫と聖蘭に自室に担ぎ込まれベットへと寝かされたわけだが、姫から信じられない一言を聴いた事によって一瞬にして意識が戻って来た。
「さて、修行の時間ですわ」
 まさしく、青天の霹靂と言った感じだった。
「こないな時まで修行なんて、そんなアホな!!」
 竜斗は大河の意見に無言で頷いた。
「こんな時だからこそ、ですわ」
「な、なんやてぇ!?」
「今日は臍下丹田(せいかたんでん)式呼吸法と言う気功の訓練をしますわ。
 これは戦闘に置いて精神を集中させる事に有効であり、暗示による能力等の精神に起因する攻撃に対しての防御力を上げる事が出来ますわ。
 また、日常生活でも心身の状態を整え、抗体力を高める事にも使えるんですわよ」
「なんや、てっきり技の修行するかと思ったけど、心配して損したでぇ…」
 とほっと胸をなで下ろす大河。
「何も戦闘技術を覚えるだけが修行じゃありませんわよ。
 わたくしの教える新武芸は武士が学んだとされる古武術を基礎にしていますが、それは考え方や体調の管理までを含んだ生きる為の方法なんですわ。
 それに人間は状態に左右されてしまう生き物ですが、その状態の中で出来る事を考えて行動し続ける事が大切なんですわ。
 そして、それを積み重ねる事で状態に左右されずに生きる術を身につける事が出来るんですの。
 そう、これも強くある為の鍛錬の一つなんですわよ」
「…僕はやるよ。自分自身で決めた事だから、最後まで貫きたい…」
「もの凄い根性やぁっ…!」
 大河は涙腺を緩める。
「大河さんは床にあぐらをかいて、行ってみて下さいまし」
「こんなんで良いか?」
「本来ならば姿勢も重要な要素なのですが、今回は戦闘中も含めて何処でも使えるように、呼吸法に集中して練習しましょう」
「イエス・マムっ!」
「臍下丹田式呼吸法と言うのは読んで字の如く、おヘソの下にある下丹田と言う部分に気を集中させる呼吸法ですわ。
 起源はかのブッタが悟りに至る過程で作り出した修行法が元であると言われ、一概に臍下丹田呼吸法と言っても、その長い歴史の中でインドのヨーガから、中国の気功術や武術、日本の古武術等、様々な型式で応用されて来た為に、何が正しい方法とは言い切る事は出来ません。
 ですが、全ての方法に共通する事は、大きな世界…空や大地と一体となるようにイメージし、常に丹田に力を入れ続けるように集中する事、呼吸に合わせてお尻の穴を積極的に使用する事ですわ」
「ケツの穴を使いまくるって、とんでもない言葉の響きやなぁ…」
「あら、何を想像してらっしゃいますの?
 お尻の穴はあくまで排泄器官ですわよ。それなのに良からぬ想像を抱くようだから、元の姿に戻れないんじゃなくて?」
「いらん誤解を招く事言わんとってや!!」
 竜斗は意識朦朧とした身体で、身を構えるような動きをする。
「お前も本気にすな!!」
「では、実際にやって見るとしましょう。
 息を吐く時はお尻の穴を緩めて、丹田から空気を絞り出すように口から。
 息を吸う時はお尻の穴を閉めて、丹田へと空気を溜め込むように鼻から。
 一連の呼吸はゆっくりと確実に行い、一定のリズムを整えるようにしながら、三セットぐらいずつ繰り返します。
 その中でご自身の丹田から外界に向けて気を放出する、外界からご自身の丹田へと気を吸収すると言う気の流れをイメージし、大きな存在と一つになっていく感覚を持つと良いでしょう」
 暫しの沈黙…。
 静かな室内なこぉーっと言う息を吐く音だけが響く。
 だが、普段無意識に行っている呼吸を意識して行い、複数の要素を加わえようとするのは思いのほか難しく、どうしてもチグハグした感じになってしまう。
 特にリズムを整える事まで意識が回らないし、イメージをしている余裕が無い。
「どんな事でもそうですが、始めから全てを完璧にやろうとしては駄目ですわよ。
 まずは簡単に出来る事から繰り返し、確実に出来るようになってから、次の要素を加えてと徐々にステップアップして行くと良いですわ」
 竜斗はまずは肛門を閉める緩める、腹を膨らませる凹ませると言った事を繰り返し、確実に出来るようになってからそのリズムを整えて行く事にした。
 竜斗は寒気がしていた身体が次第に腹を中心に温かくなって行くのを感じ、何時しか心地よい虚脱感に包まれつつ深い眠りに落ちて行った。
 そして、気がついたら痛みによって目覚め、朝を迎えていたわけだ。
 やがて、意識がはっきりして来ると、額に置かれた氷嚢が適温に保たれている事に気がついた。
 誰かが夜通し看病し続けなければ適温は保てるわけが無い。
 一体誰が…?
 横を見るとそこには椅子に座ったままベッドに寄りかかるように眠りに付いたネグリジェ姿の姫がいた。
 いつもは長い髪を側頭部でふたつに分けているが、この時はキャップに包んでまとめあげていた。
 始め見る姫の姿に竜斗は愛おしさを感じてしまう。
 姫の隣にある車輪の付いた台車の上には、お湯の張られた洗面台とタオルが置かれていた。
 そう言えば沢山汗をかいたはずなのに、やけに身体がすっきりしている。
 おそらく、姫が身体を拭清してくれたのだろう。
 その場面を想像すると恥ずかしさの中に妙に興奮するものを感じる…ってか、結構元気な自分に苦笑する竜斗。
 当然完治には至って居ないし痛みはあるものの、腫れも引いて来ているし昨日よりも大分ましだ。
 これだったら、学校に行っても問題ない次元だろう。
「ありがとう姫…」
 竜斗は姫の頭をそっと撫でた。

 登校時間を迎える頃にはすっかりと日が上がり、朝だと言うのにも関わらず強い日差しがガンガンと照りつけるようになっていた。
 県立高校の生徒達は額に汗を浮かべ白いシャツを汗でべったりと貼り付かせながら、列を作って傾斜が急な通学路をせっとと登って行く。
 その坂の頂きにはロマネスク様式の城を模した校舎が聳えていた。
 竜斗達は聖蘭の運転する車で送迎してもらい、特別授業で選ばれた生徒達に充てがわれた教室へと入り込んだ。
 さすが特殊な能力を持つ生徒とそのパートナーだけあり、皆一様に強い個性を持った者たちばかりだ。
 だが、そのアクの強い生徒達が一斉に竜斗に視線を注いだ。
「なっ!?」
 竜斗は驚き慄く。
 やはり、薬草を染み込ませた湿布を包帯で巻いた、怪我人丸出しって姿が目立つのだろうか?
 そんな竜斗に空と夕鶴と談笑を楽しんでいた奏真が歩み寄って来る。
「やぁ、おはよう!!」
 青海奏真はとびきり爽やかな笑みを竜斗へと向ける。
 シャキーンと効果音が鳴り響くような白い歯が眩しい。
 相変わらず背が高く髪もサラサラで、カスタムした制服を見事に着こなすモデルのような男だ。
「ああ、おはよう…ってか、何でみんなして僕を見てるのよ!?」
「ふっ、君は自分の魅力に無頓着なんだね。…まぁ、それが君の素敵な所でもあるんだけど」
「へっ!?」
「お兄ちゃんったら、なんでそう変態な事ばっかり言うのよぉ!!」
 奏真の傍らに寄り添った空は彼を上目遣いで見ては顔を赤くする。
 奏真はそんな空の反応をじっくり楽しむように言う。
「男でも女でも素敵な人は褒めずにはいられない。それが、俺なりの挟持ってものさ」
「本気で意味が分からないんだけど…」
「能力を使わないのに生徒会書記を倒すなんて、誰もが無理だと思うような事をやってのけたんだぜ。そう、みんな君を尊敬しているのさ!」
「僕なんて全然大した事無いし、注目されても困るんだよなぁ。
 だって、奏真先輩みたいに強い人だったら、能力を使わないで相手を倒すぐらい、余裕でやってのけられるでしょう…」
 竜斗が思い出したのは転校初日に風紀委員の取り巻き達を一瞬にして倒した奏真と、能力者である風紀委員長をぶっ飛ばしてしまった姫の圧倒的戦闘能力だ。
 竜斗はと言うとしつこさで勝ったようなもんだし、彼らの強さには遠く及ばないのは明白だ。
「どんな能力者であろうとも人間である以上弱点はあるし、それをうまく突けば俺でも能力を使わないでも勝てるだろうね」
 自分の実力をさらりと肯定して、全然嫌みじゃない所が憎たらしい程カッコいい。
「だが、俺も完璧とは程遠い弱点を持った人間だから、大きなリスクを背負った戦い方は出来ないさ。
 だから、リスクを背負っても何かを貫き通す、君の精神力は素晴らしいと思うよ」
「僕はただ一生懸命やっただけさ。その結果、ミイラ男の仲間入りだけどね」
 と竜斗恥ずかしさを誤摩化すように戯けて言う。
「でも、痛そうやわぁ…」
 奏真の後を追うように車椅子を移動させて来た堀江夕鶴が、あんぐりと大きく開けた口を押さえる。
 日本人形を思わせる長い黒髪の美しい容姿だが、大河をも凌駕する的確な突っ込み具合で、男の急所ばかり狙う凶暴な一面を持つ。
 ひょっとすると誰よりも逆らうと恐ろしい人物かも知れない。
「痛そうやわぁ、じゃなくて実際痛いんやって…。見りゃ解るだろ、ドアホぉ…」
 竜斗の影に隠れた大河が文字通り夕鶴に陰口を叩く。
 大河は聖蘭特製の子供サイズの夏服を着ている。
 上は女子の制服を思わせるセーラー服で、カーキ色のズボンは半ズボンになっていたりと、ハイセンスに可愛らしくアレンジされている。
「はぁ、何か言うたかぁ? 言いたい事あれば表出てハッキリ言いや、男らしく無い! そんなんやから、まだ元の姿に戻れないんや!!
 それになんやその格好は? 幾らなんでも可愛過ぎやろ! タマだけで飽き足らず男としてのプライドも無くしたんか!」
「うっさいハゲ! 俺はともかく聖蘭さんの作った服を馬鹿にすんのは許せへんっ! 俺は聖蘭さんの作った服着れればそれで幸せなんやっ!!」
「また、お前はメイド、メイドとうっさいなぁ!! そんなメイドが良いなら冥土に行ってまえ!!」
 大河と夕鶴は幼なじみでトーナメントにもコンビを組んで参加していたのだが、第一回戦で敗退した際に仲違いをして以来険悪な雰囲気が続いている。
「あのさぁ、いい加減に喧嘩すんの止めたら!?」
 大河は夕鶴の為に戦っていたのだが、彼女に自分の気持ちを伝えていないので誤解されているのだ。
 竜斗はその事を知っているからこそ、二人のすれ違いが無益な事のように思えて仕方無かった。
「ふっ、喧嘩とは仲の良い夫婦のコミュニケーションのようなものなのさ」
 奏真は苦笑するように言う。
「誰が夫婦喧嘩やっ!!」
 と大河と夕鶴は声を合わせて奏真に突っ込む。
 そして、互いの顔を合わせて赤面する。
「なんだ、結局仲が良いじゃんか」
 竜斗がニカニカしながら二人を見渡すと、大河と夕鶴はますます小さくなる勢いだった。
 そんな竜斗の様子を見て旭陽空は満足そうに笑う。
「でも、ひっとしたら怪我が酷いんじゃなかって、ドキドキハラハラしてたけど、元気そうで良かったぁ!!」
 空が竜斗に向かって太陽のように眩しい笑顔光線を発射する。
 小さな顔に大きな瞳が爛々と輝き、ぽよっとした頬にはエクボが浮かび、ショートヘアーの頭にはリボンがちょこんと立っている。
 飼い主にかまってとせがむ小動物みたいであまりにも可愛い。
 こんなに愛くるしい人間が存在して良いのだろうか?
 竜斗の胸は大げさに高鳴り、一気に変な汗が吹き出す。
「まぁ、暫くは包帯姿だけどね」
 竜斗は気恥ずかしさを誤摩化すように頭をポリポリ掻く。
 声のトーンが反オクターブ上がっていたかもしれない。
「空は包帯姿も好き! だって、漫画のキャラクターみたいでカッコいいもんっ! 包帯で不思議な力を持った目が封印されてるんじゃないかって想像するとワクワクするし!!
 あ、包帯を外す時は『もう後戻りは出来ないぜ。巻き方を忘れてしまったからな』って言うのを忘れないでね!!」
「それ、夢見がちって言うか、もはや病的な発想やで!!」
 夕鶴がジト目で空を見る。
「…そうか、包帯姿はカッコいいのかっ! よし、このままずっと包帯姿で行こうぉ!!」
 竜斗は拳を振るわせながらブルプルする。
 空のアホな言動を見ていると心の底から元気が湧いて来るので不思議だ。
 きっと、何か特殊なフェロモンでも出ているのだろう。
「竜斗センパイも脳みそ湧いてんなぁ…。みんな、アホばっかや」
 夕鶴がそう言うとみんな笑い声を上げた。
 だが、長身のスーツ姿の男性が教室に入って来た事によって、朝の団欒とした教室の空気が静まり返る。
「さぁ、特別授業を始めるので席に着いてほしい」
 その声を聴く前にみんな一斉に自分の席へと戻って行った。
 オールバックにした額には一筋の傷が入り、常にサングラスを着用している。
 彼こそがブラフマンと呼ばれるこの特別授業の考案者だ。
「君達はこのトーナメントを通して自らの能力の開発して行き、神と呼べる存在…アルカナの到達点であるNo.21の世界を目指している最中だ。
 では、君達は自らの目標である神を信じているだろうか?
 この世界には無数の信仰があるが、その多くは自然現象や世界創造等の未知に対しての敬畏や、空想が起源であると言われる。
 それに政治に信仰心を利用した者、特殊な技術や思想を持った者、善悪を問わず偉業を成し遂げた者など、実在した人間の話に尾びれがついて、様々な土着の信仰に吸収合併されながら、現代に至る宗教が形作られて行った。
 つまり、伝承の真偽は別にして神と呼ばれていた者は実在し、現実世界に置いて絶対的な存在価値を持つ偶像となる事で人は信仰の対象になりうると言える」
 ブラフマンの話を聴いていると思わず納得してしまうような事も多く、彼の世界に引き込まれて行ってしまう事がある。
 姫曰く虚実を織り交ぜた高度な話術によって人間をコントロールするのが彼の常套手段らしいが、竜斗は繊細な感性を持ち憂いを秘めたブラフマンに対して妙な親しみを覚えていた。
「アルカナによって与えられる能力を開発する事もそれと同じだ。
 能力を発動し夢を具現化するには自我を強く認識する事が必要だが、客観的にその価値が認められる事により強さを増して行く。
 つまり、如何にして自分自身をプロデュースし、この世界に置いて絶対的な存在感を築いて行くかが重要なのだ。
 それは生きる上でも大切な要素なので、各々で考えてみると良いだろう」
 竜斗はこの教室にいる個性豊かな生徒達と比べてしまうと、埋没してしまうような非個性的な人間だと自分自身を認識しているので、立ち位置を考えるのは確かに重要だと痛感していた。
 …マジで包帯キャラを貫き通すのも悪く無いかなぁ、と思ってみたりした。

 そして、何時ものように午前中のブラフマンの講義が終了し、午後からトーナメントの試合が行われる運びとなった。
 戦いの舞台となる体育館の扉は全て解放されてはいるが、戦いの開始を前にして興奮する生徒達の熱気と夏の熱さで、館内はムンムンとした蒸気が漂っているかのようだった。
 しかし、今日は何時もと様子が違う。
「なんか、人少なくないか?」
 竜斗は周りを見渡しながら言った。
 何時もは二階のギャラリーまで観戦する生徒達で一杯のはずだが、この日は一階で全て収まり切っている上、その一階だって所々隙間が見られる。
「それも仕方無いで、ほら見てみぃや」
 観客達に囲まれるように、準備を整えた二組のペアが立っていた。
 一組はNo.9のバッヂと図書委員長の腕章を着用したボサボサの前髪で内気そうな少女に、図書委員の腕章を付けた聡明そうな少年の組み合わせ。
 一組はNo.14のバッヂをつけた継ぎはぎだらけの制服を着た坊主頭の少年に、かなり幼い感じで手作り感のあるスカートを履いたオカッパ頭の少女だ。
「図書委員長の方が隠者のアルカナや。
 見ての通り根暗女で声が小さ過ぎてまともに聞き取れへんけど、パートナーになっている新一年生の野郎の通訳を通して、夕鶴なんて目じゃない程の毒を吐くんやでっ!
 アレはもう突っ込みを越えた破壊行為やぁ!!」
 大河は涙を流しながらプルプルと拳を振るわせる。
「一体を言われたんだ…?」
「それだけは言えへんっ…!! 言えへんのやっ!!」
「だったら気になる事言うなよっ!! んで、もう一組のほうは?」
「貧乏っちゃまは節制のアルカナやね。
 新聞奨学金でこの学校通っている唯一の生徒で、パートナーである妹や幼い兄弟達を支える為、最終的に一流企業に入る事を目指しているんやって。
 ただ、金に執着するあまりトラブルも多いっちゅう噂や」
「人は見かけに寄らないんだな」
「まぁ、あくまで噂やけど、たった一つだけ確かな事があるでっ!」
「なんだよそれは?」
「二組とも地味で不人気って事やっ!!」
「可哀想だからそういう事言うなよっ!!」
 あの二人はまだ個性とそれに見合った能力を持っているので、これと言った特徴も無く能力も持っていない竜斗は彼ら以下である事は確かだ。
 だが、笑っていられないって事は解ってても、思わず吹き出してしまった。
「これは意外と重要な事やでぇ!
 能力の具現化っちゅうのは本人の自我の強さだけやなくて、ギャラリーからの支持率でも左右されるっちゅう話やし。
 今後の戦いを考えると初戦で固定ファンを獲得しときたい所やけど、対戦カードが地味過ぎて注目度が低いっちゅうのは致命的やなぁ…」
「しかし、注目度が低いって言ってもこの熱気だし、他のアルカナ達も一通りいるみたいだよな…」
「そりゃ、ギャラリーにとっちゃ娯楽みたいなもんやし、アルカナにとっても敵情視察は重要やしなぁ」
 人が少ない事もあり楽に周囲を見渡す事が出来た。
 空と夕鶴を連れ添った奏真はもちろん、センスを煽って偉そうに仁王立ちする生徒会長と副会長、他にも顔を知っているアルカナ達は一通りいる。
 だが、誰かが足りない気がした。
「あれ?」
 もう一度、周囲を見渡してもやはり姿が見られない。
「どないしたんや?」
「いや、宝塚さんがいないなーって思って」
 男装の麗人と言う目立つ姿の彼女を見過ごすわけは無いだろう。
「きっと、ウンコやろ?」
「そんな事あるわけ無いだろ!?」
「ふっ、女がウンコしないっちゅうのは男の抱く幻想やでっ! それをおれはこの身体になってそれを思い知ったんや!!」
「しょうもない事力説すんなよっ!!」
 しかし、宝塚は第一回戦で大河を破り、第二回戦で竜斗と当たる事が決定している。
 トーナメントで一番の雑魚である竜斗の試合も見に来るような真面目な彼女が居ないのは気になって仕方無かった。
 腕につけたGショックで時間を確認すると試合の開始まで五分程あった。
 竜斗は意を決したように頷く。
「よしっ!! ちょっと行って来るかっ!!」
「ってお前までウンコか? しゃーない、人間はウンコに勝てる生き物やないんや…」
 ウンウンと頷きながら何故か遠い目をする大河。
 竜斗の脳裏に女の子の姿にされた日の晩の事がフラッシュバックする。
 確かあの時はひたすら便意を我慢していたが…。
「まさか、お前っ…!? いや、今は何も言うまいっ…!! 時間も無い事だしササっと行って帰って来るよ!!」
「漏らさん内に早よ行って来るが良いでっ!」
「ああ、そうするよっ!!」
 竜斗は体育館を飛び出した。
 いちいち弁解をする時間は無かったが、本当に便意を催したわけではなく、姿の見えない宝塚を探す為だった。
 さて、宝塚は何処にいるのだろうか?
 教室、校庭、食堂、クラブハウス、屋上、それとも…?
 よく考えれば彼女は男装の麗人で女の子から人気があるとか、フェンシングの大会で優勝しているとか、騎士道精神溢れる性格だとか人となりを見聞きしているのにも関わらず、一度も話した事が無いと言う知っているようで知らない人物だ。
 正直、思い当たった選択肢の中には居るとは思えない。
 だったら、その選択肢に無い場所…つまり、自分が知らない場所にいる可能性が高いと思い、一度も行った事が無い場所を探してみる事にした。
 だが、その場所はすぐに見つかる事となる。
 剣道、柔道等が行われる武道館の一角で彼女はフェンシングの練習をしていた。
 全身を白いスーツに包み頭部にはのど元まで含んだ顔面の全てを守るヘルメットを被っている。
 板張りの床の上に敷かれた細長いマットを上で、前進、後退、突き、前に飛ぶ、後ろに飛ぶ、剣を突き出して突進すると言った動作を繰り返している。
 恐らくそれがフェンシングにおける基本的な動作なのだろう。
 下半身は激しく動いているのにも関わらず、上半身がピタッと停止しているかの如くブレが無い。
 それは人間の構造として相当な無理のある運動であるはずだが、彼女の行う一連の動作は一切の角が存在しないような滑らかさであった。
 実際の試合になればもっと激しく素早く動くのだろうが、だからこそ練習では基本中の基本を丁寧に煮詰めているのだと思った。
 スポーツの動きを映画のワンシーンの様だと在り来りな言葉で称される事があるが、彼女の動きはまるで雄大な水の流れを連想させる優雅さがあった。
 竜斗は彼女の作り出す美しい世界観へと引き込まれ、トーナメントや時間の事などすっかり忘れて魅入ってしまった。
 そして、そんな竜斗に見られているとは知らず、彼女は一心不乱となって練習を重ね続けたのだった。
 やがて、外から大きな歓声が上がったのを合図に、彼女はヘルメットを脱ぎ去り、汗に煌めく色素の薄い長い髪をかき分けた。
 その小さく細身な顔は精悍な表情を浮かべているものの、筋の通った鼻、小さく形の良い口、やや大きな瞳など、女性として完璧とも言える美を備えていた。
 竜斗は夢から覚めやらぬ表情で、そんな宝塚の横顔を眺めていた。
 そこでようやく竜斗の気配に気がついた宝塚が振り返り二人の目が合った。
 距離が離れているはずだが、竜斗の右目には宝塚の凛々しく美しい顔が、宝塚の両目には竜斗の包帯だらけの間抜け顔が写り込んでいた。
 その瞬間、二人の白い顔が真っ赤に染まった。
「…い、何時からそこに居たんだ?」
 宝塚の声は恥ずかしさに震えているようだった。
「…トーナメントの試合が始まる少し前ぐらいかなぁ」
 竜斗も恥ずかしさを誤摩化す為に頭をポリポリ掻きながら言う。
 またしても声が上擦っていたと思う。
「試合会場に居ないからどうしたのかなって、ちょっとだけ様子を見に来たんだけど、あまりにも宝塚さんの動きが綺麗なもんだから思わず見惚れちゃったんだよ!!
 あの丁寧で流れるような動きが特に凄い!!
 ずっと、練習し続けなきゃあの動きは出来ないだろうって思ったら感動しちゃったんだ!!
 今もみんなが戦いに熱中している間も練習し続けるなんてホントに凄いと思うよ!!!」
 竜斗は宝塚の練習風景を思い出し、両手をバタバタさせて興奮しながら言う。
 男でも女でも素敵な人は褒めずにはいられない…。
 まるで奏真のような物言いではあるが、本当に凄いものならば素直に賞賛の言葉が口に出るもんだなと竜斗は思った。
「そ、そんなこと…」
 竜斗のあまりのストレートな感受性をぶつけられ、ますます真っ赤になった顔を隠すように宝塚は背を向ける。
「私はただ不器用だから人より多く練習するしか無いだけだ。全然凄くなんか無いんだ…」
 まるで、男性と会話する事と不慣れな乙女のように、宝塚は小さく消えそうな声で応えた。
「そ、それより、君は昨日の怪我は大丈夫なのか? 大分酷くやられていたようだが…」
 宝塚は深呼吸して気持ちを落ち着かせると竜斗の方に振り向く。
 宝塚の顔はまだ大分真っ赤だったが、女性に対する経験値が少ない竜斗は、彼女の様子がおかしいと言う事に気付く余裕は無かった。
「大丈夫って訳じゃないけど、大分ましになって来たよ。それに自分で望んだ戦いで受けた傷だし仕方ないさ」
 竜斗が宝塚に優しく微笑みかけると、宝塚は顔を更に真っ赤にさせ、不器用に微笑み返した。
「そうか…、君は強いんだな。普通は能力を使えないのに、能力者に挑もうなどとは思わないはずだ。何が君をそこまで駆り立てたんだ…?」
 宝塚は何時もの精悍な表情を取り戻しながら言う。
「ああ、それね!」
 竜斗は思い出して笑う。
「君に女の子にされちゃった友達の大河が、生徒会書記に馬鹿にされたのが許せなかったから、絶対に謝らせてやるってムキになっていたんだよ。
 我ながら無茶したとは思っているけど、頑張ればどうなかなるもんだね!」
「戦いとは言え君の友達には悪い事をしてしまったな…。彼は落ち込んだり…、その…、私を恨んだりしていないか…?」
 宝塚は大河の事を本気で心配しているようだった。
 竜斗は彼女を凄く優しい人だと思い、その気持ちが嬉しくてたまらなかった。
「大丈夫、今日も五月蝿いほど元気だったよ!
 大河が元の姿に戻れないのは男として自身が無いせいだって言うし、むしろあいつ自身の責任だからさ、宝塚さんが心配する必要はまるっきり無いよ!!」
 竜斗は大げさに笑って言う。
「そうか…。自信、持てれば良いな…」
 宝塚自身に何か思い当たる節があるのか、何時になく切実な表情を浮かべる。
「ああ、そうだね…!」
「君とは次のトーナメントで当たる事になると思うが、改めて自己紹介をさせて頂こう。
 私はNo.3女帝のアルカナを持つ宝塚舞だ、よろしく頼む」
「僕は走馬竜斗…。一応はNo.18月のアルカナって事になっているのかな…?」
「そうか、君もソーマと言うのか…」
「ああ、紛らわしいから、みんな竜斗って下の名前の方で呼ぶけどね…」
 宝塚は一瞬考えるような様子を見せると手を差し出した。
「…では、互いに全力を出せるように頑張ろう!!」
「うん、こっちこそよろしく!!」


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