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強さへの道

 1999年7月19日(月)
 夕暮れの風見鶏の館の一階リビング。
 武器の扱いと丹田式呼吸法…つまり気の運用を戦いに取り入れた練習を終えた竜斗と大河は、姫から打倒宝塚に向けて作戦の説明を受けていた。
「能力を持っていない竜斗さんが能力者を倒すには、絶対的に相手の自我領域を攻略する必要がありますわ。
 いくら特殊な能力を持っていると言っても所詮相手は人間ですわ。
 その実は幾つか攻略方法があるんですの。
 ひとつはダメージを与え続けるか、精神的に優位に断つ事で相手の心をへし折る事。
 そして、相手の支えとなっているパートナーを倒してしまう、もしくは信頼関係を破壊する事ですわ」
「なんか卑怯だな、それは」
「あら、甘いですわね。弱点とは狙うためにあるんですわよ。
 …とは言っても、あまりスマートなやり方とは言えませんので、最終手段と思った方が良いかもしれませんわね」
「とすると、必然的に精神的優位に立つってやり方になるんだよな…。正直、次の相手の宝塚舞にはそれも難しいと思うんだけど」
「ほんまやでぇ!
 フェンシグの選手として受賞歴を持ち、高い実力を持ちながらも日々の努力を怠らず、下の女子生徒に慕われる男装の麗人…。
 おまけに人を小さな女の子にしてまう恐怖の能力の持ち主や…!!
 ほんじゃそこらの奴じゃ、おれと同じように女の子にさてれおしまいや!!」
「まぁ、僕は暗示受けてないからその能力は多分効かないと思うけど…」
 と言いつつも、相手の能力が強力だった場合は、微妙に女の子化されてしまうかもしれないと、ドキドキする竜斗。
 部分的に女の子とかマジ困る。
「なぁ、今からブラフマンに暗示受けて、そんでもって宝塚の能力食らって、二人で女の子に生まれ変わって幸せに暮らせへん?」
「は!? なんでだよ!!」
「一人で女の子やってるの微妙に辛いんやで!! 道連れが…!! いや、仲間が欲しいんやー!!!」
「却下!!」
「お二人が女の子になって幸せに暮らすのは美味しそうな光景ですが、貴方には殿方のまま勝って頂かないと成りませんのよ」
「でも、どうやって…?」
「前にも言いましたが、この世に完璧な人間は存在しないんですの。何故ならば人間は誰しも心に弱さを抱えているからですわ」
「姫にだって弱さがあるのか…?」
「当たり前ですわよ。わたくしを一体何だと思ってるんですか?」
「うーん…。魔女とか妖怪かなぁ…?」
「当たらずとも遠からずって所ですが、一応人間ですわ」
「あ、完全には否定しないんだ」
 と竜斗は笑った。
「人間ですが生物としての理から外れてしまっているとでも言いましょうか」
「わかった! 幽霊か!!」
「こないに存在感溢れる幽霊があってたまるかいっ!! ってか幽霊だけは勘弁したってや!! チビってまう!!」
「お前、何度も何度も勘弁してくれよな!!」
「ふふふっ、もしかすると幽霊かもしれませんわね。
 まぁ、わたくしの正体についてはその時が来ればお伝えしますが、今は宝塚舞さんを攻略する方法ですわ。
 人間は時にその弱さを隠す為に嘘を付きますわ。
 例えばNo.15の悪魔のアルカナを持つ方を思い出して下さいまし。
 彼は弱者に対して威圧的な態度の人間でしたが、それは彼自身の気の弱さを覆い隠す為の嘘だと考えると解りやすいと思いますわ。
 また、彼は攻撃相手を毒に侵す事が出来ると言う能力があると仰ってましたが、それこそが彼の心の弱さの裏付けになるんですわ。
 なぜならば、ブラフマンの与える能力とは無意識を具現化したものですから。
 恐らく彼は自分自身が弱くても、他人がより弱くなれば自尊心を保てると無意識に思っていたと推測されますわ」
「…つまり、宝塚さんも弱さを隠す為に嘘をついていると、そう言いたいの…?」
「ええ、そうですわ」
「でも、どうすれば良いんだろう?」
「嘘に対抗するには正直である事ですわ。
 これからわたくしが指示する作戦行動の中で、貴方には自分自身の弱さを包み隠さずに動いて頂きますわ」
「それじゃ、弱いまま何も変わらないんじゃないの…? 僕は強くなりたいんだけど、奏真先輩みたいにさ…!」
「ふふふっ、それは無理ですわよ」
「おれも無理だと思うで…!! ってか、そんな事を思ってるなんて恥ずかしいやっちゃなぁ。鏡見て比べれば一目瞭然やで!!」
「そう、はっきり言うなよ! 自分でも解ってても微妙に傷つくんだぞ…!!」
「人はどんなに努力しても自分以外のものにはなれませんわ。
 それに、貴方はご自身の良さに気がついていないだけですわ。
 人は単純に比べられるものではありませんが、わたくしから見ればあの青海奏真に負けず劣らずの魅力を持っていると思いますわよ」
「そうかなぁ…。でも、その僕自身の良さってのが解らないんだよな」
「自分自身と言うものは客観的に見なければ解りにくいものですからね。
 長所・短所は同じカードの裏表であり、見方によって変わって来るような物ですわ。
 例えばわたくしの小柄な体格は格闘において弱点にもなり得ますが、その反面で相手の油断を誘ったりスピード面で有利だったりします。
 あなたの弱さも裏を返せば強さとなりますわ。
 まずは長所・短所を含め自身の全てを受けていれる事から始めましょう。
 ご自身に対して嘘をつかないと言うこの作戦は、その為の訓練も兼ねているんですわよ。
 ただし、この作戦は一見すると遠回りな事ばかりで、不安に思われる事もあるかも知れませんが、その一つ一つを積み重ねる事が重要なんですの。
 そう、本当の強さへの道に近道は無いんですわよ。
 覚悟はよろしいですか…?」
「ああ、やるよ…!! 自分で決めた事だからさ…!!」
「では、まずはこのホームページにアクセスしてみて下さいな。この屋敷の地下にコンピュータールームがあるので使ってよろしいですわよ」
「大河さんにはこちらを差し上げますわ」
 大河に英数字が羅列された紙を渡す。
「なんや、これ!?」
「IRCと言うチャットソフトでの夕鶴さんのニックネームですわ。コマンドを使って彼女をチャットルームに招待すれば会話が出来ますわよ。うまく行けば仲直りが出来るんじゃありませんこと?」
「おれパソコンなんて使えへんで!」
「使い方は聖蘭さんが手取り足取り教えてくれますわよ」
「ホンマかいな!! あんがと姫さん!!!」
 大河は短い手足で竜斗の背中を蹴っ飛ばし、部屋を出るように促す。
「ほな、早く行くでー!!」

 風見鶏の館には厨房や、聖蘭の使う使用人の間があるが、他にも幾つか部屋がありその中の一つがコンピュータールームになっていた。
 部屋の中には最新のiMacやVAIO等の個人向けのものから、シリコングラフィック等のワークステーションまで色々と揃っている。
「沢山あるんやなぁ…。これ、2000年問題で全部使えへんようになったらアホやで!!」
「大丈夫だろ…、多分」
「でも、どれ使ったら良いんやろな…? お、これ半透明でiMacに似てるけど何やろ…?」
「それはソーテックe-oneと言う一般向けには明日の7月20日からの販売となっている機種で、IntelのCeleron433Mhzを搭載しWindows98がインストールされています」
 と聖蘭が説明する。
「なんか知らへんけど、ウンドーズーが動くなんてiMacより凄そうやし見た目も豪華やから、これにする事にするわ!!」
「なんか、外れっぽい気がするんだよなぁ…。僕は無難にiMacにしとくよ」
 竜斗は半透明のUSBキーボードに付いた電源ボタンを押す。
「そういえば、まだ11時前みたいだけど、ネットして大丈夫なのかな?」
「どういう事や?」
「夜の11時から朝8時の電話代定額時間外にネットすると、馬鹿みたいに電話代が請求されるんだ」
「ネット恐いわー!!」
「それは大丈夫です。この屋敷は専用回線が引かれている為、時間を気にする事なく使用する事が出来ます」
 聖蘭が淡々と言うが、それが如何に凄い事か。
「さすが姫だな!」
「んで、どうすれば良いんやろ?」
「クライアントを起動してチャンネルにjoinし夕鶴さんをinviteします」
「…やってくれへん?」
 大河は聖蘭に甘えた声を出す。
「では、代わりに私が入力させて頂きます。
 夕鶴さんを招待する事に成功しましたが、『あんた誰や?』と仰られています。如何様に返しますか?」
「おれや、藩臣大河や」
 聖蘭は大河の言った言葉を瞬時に画面へと入力して行く。
 殆ど大河が喋るのと同時にキーボードを打つ為に、最先端の音声入力ソフトなど比じゃない程のリニア感である。
『なんで、お前がうちのIRCのニックネーム知ってるんや?』
「おれらが仲直り出来るように、姫さんがわざわざ調べてくれたんや」
『そら、難儀な事やね。でも、お前がパソコンなんてハイカラなもん使えるなんて、うち知らへんかったよ』
「聖蘭さんに教えてもらいながら、やっているんや」
『Mu…』
「聖蘭さん凄いんやで! 車の運転や家事だけやなくコンピーターまで達人なんや!! もう、尊敬してまうでホンマ!!
 …って聖蘭さんキーボード打つ手が止まっているようやけど、どないしたんや?」
「このまま入力してよろしいのですか? 私にも解るぐらいオチが見えているようですが…」
「オチって何や? 何も漫才しているワケやないし、そんなもん関係あらへんやろ?」
「…解りました」
 聖蘭は高速で大河の言葉をそのまま入力する。
『おまえ、こないな所までメイド、メイドってアホやろ!? ももいいわ、さいなら!! 冥土さんと仲良くしてやってや!!』
 夕鶴は捨て台詞を残すとチャットルームを退室した。
「な、なんでやねん…!」
 一方で竜斗は標準ブラウザであるネットスケープを立ち上げて「すみれの花咲く頃」と言うホームページを見ていた。
 Maineと言うハンドルネームの女子高生が作る宝塚歌劇団のファンサイトで、全体にすみれの花の壁紙やリンクバナーが使われた乙女チックな印象だった。
 宝塚は宝塚だけど、宝塚違いな気がしないでもない。
 無骨で真面目な宝塚舞と比べて、このMaineと言う少女はあまりにも夢見がちな気がする。
 今まで見て来た講演などが思春期の少女ならではの目線でまとめられているが、竜斗が気になったのが「男役10年」と言う宝塚の男役の魅力を書いたページであった。
『宝塚歌劇団には男役10年って有名な言葉があるの。それは男役を演じる方法は人から教わるものじゃなくて、それぞれが自分の頭で理想の男性像を考えて、そこに向かって10年近くも絶えまない努力を繰り返す事で初めて本当の男役になる事が出来るって意味なんだって。…私の10年前って言うと8歳で小学2年生だし、10年後って言うと28歳でもう三十路近い事になっちゃうし、もの凄く大変な話だよね。
 私は男の人って魅力的だと思っているの。でも、それは女の子として客観的に見ているからで、殆どの男性は自分の事を魅力的だなんて思っていないんじゃないかな。私もそうだけど主観的に自分の良さを理解出来る人ってそんなに多く無いと思う。…それはそうよね、自分が魅力的だと思ってたらナルシストだもんね。
 宝塚の男役の人達って女性だからこそ客観的に男性の魅力を理解する事が出来るし、絶対に辿り着く事が出来ない理想の男性像を目指して努力するからこそ、最高にかっこいい存在なんだと思う。
 宝塚歌劇団は女の子にも絶対おすすめだけど、男の人にも是非是非見て欲しいな。それで、男性としての魅力に目覚めて、努力してかっこいい人になって貰えれば嬉しいもの』
 竜斗はホームページの中にCGIを使ったチャットルームがある事を発見した。
 現在の参加者は管理人であるMaine一人なので参加して見る事にしたが、どうやら名前の入力が必要なようだった。
 こう言う所ではバンドルネームを使うべきなのだろうが、姫から正直でいろと言われていた事もあって、名前を偽るのに抵抗があったので、今回はSomaと言う名前でアクセスする事にした。
 すっかりと忘れ去られてしまった事だが、竜斗の名字は走馬であるのでギリギリ嘘はついていないはずだ。

Soma>こんばんわ、初めまして。ホームページ見させて頂きました。
Maine>はじめまして、Somaさん。どうでしたか?
Soma>男役の格好良さについて書かれている事に共感しました。僕もそんな生き様に憧れてしまいます。僕は神戸に住んでいるので是非見てみたいです。
Maine>Somaさんはひょっとして兵庫県立高校の生徒ですか?
Soma>はいそうです。どうして解ったのですか?
Maine>私も県立高校の生徒で、その名前を聴いた事があるからです。太陽のアルカナと呼ばれている方ですよね?
Soma>そうです…。と言いたい所ですが、残念ながらカッコいい方のSomaではなく、カッコ悪い方のSomaです。主に下の名前で呼ばれています。
Maine>月のアルカナの方ですね。カッコ悪くなんか無いです。私はあの特別授業は恐いので極力見たく無いんですけど、あなたともう一人の方のSomaさんの試合だけは見ました。
Soma>僕も特別授業が恐いです。同じように思っている人がいて嬉しいです。でも、何で僕とカッコ良い方のSomaの試合は見たんですか?
Maine>あなた達は他の生徒達とは違うと思ったからです。でも、やっぱり、戦いを見て後悔しました。
Soma>その気持ち凄く解ります。僕もカッコ良い方の戦いを見て後悔しました。あの戦いは恐いです。自信を無くしました。それとキスシーンが嫌です。
Maine>私も全く同じです。ひょっとして、Somaさんは彼のパートナーの女の子が好きなのですか?
Soma>叶わぬ恋でした。
Maine>私達似ていますね。私はずっと彼が好きだったので、キスシーンは見たくありませんでした。
Soma>僕のように恋人で無い人とパートナーを組んでいる人もいると思います。でも、彼らは違うと思いました。
Maine>それは私も解りました。解るからこそ、心が痛いんですよね。

 1999年7月20日(火)
「昨日はお楽しみでしたわね」
 聖蘭に起された竜斗は風見鶏の館の二階にある朝食の間に入るなり、既に着席していた姫に声をかけられた。
 大河はまだ起きて来ていないらしい。
「はぁ、なんで?」
「昨日は一晩中インターネットをしておられたのでしょ?
 若い殿方がインターネットでどのようなお遊びをするかは存じていますわよ。何度、その淫靡なお姿を覗きたいと言う衝動を抑えたか。いっその事、一緒にお遊びしたいとも思った所ですわ」
「いかがわしい言い方しないでよっ! 何も嫌らしい事はして無いって!! …まぁ、楽しかった事は事実だけどさ」
 そう、竜斗とMaineは意気投合して、ついつい周囲が明るくなるまでチャットをし続けてしまったのだ。
「で、首尾の方はどうでしたか?」
「姫から知らされたホームベージの管理人とメールアドレスを交換するほど仲良くなれたけど…」
「上等ですわね」
「でも、宝塚さんとは関係ないような気がするんだよなぁ…」
「あら、近道はありませんって言いましたわよね。今の貴方に出来る事はどんな事でも目の前にある事を精一杯やる事ですわ」
「…そうだね」
「では、今日は宝塚舞に対して直接アプローチをかけますわよ。この作戦は彼女の女らしい所を引き出し、貴方の男らしさで対抗するものですわ」
「でも、どうやって?」
「それは大河さんの協力無くしてはなし得ませんわよ」
「なんや、おれに出来る事やったら協力するで」
 ちょうどその時、聖蘭に付き添われたジャージ姿の大河が現れた。
 そして、大河が席に座るのを待って姫が作戦の詳細を告げる。
「まず、大抵の女性が怖がるような黒い虫を用意しますわ。高速でシャカシャカ動くその虫を仮にGと呼ぶ事にしましょう」
「Gってまんまやろっ!!」
「大河さんは授業中に隠し持ったGを宝塚さんの席に向かって投げ入れ、泣き叫ぶ彼女を前にして竜斗さまが颯爽と助けに入り、Gを退治すると言う算段…そう、名付けてオペレーションGですわ!!」
「どう考えても嫌な予感しかしないんやけど!!」
「僕も同感…」
「あら、これはご自身で選んだ道ですわよ!
 それとも、不良に扮した大河さんが宝塚さんに襲いかかり、それを竜斗さまが助けるって作戦でもよろしくてよ? 名付けてプロジェクトYですわ!!」
「ちょっとまてぇい!! おれがこの格好で不良って無理あるやろ!! 正体バレバレやし!! しかも、オチが見え切っているんやけど!! もう、出落ちは勘弁やで!!」
「あらあら、大河さんが宝塚さんにやられておしまいと言う事ですか?」
「解ってるやないかい!!」
「こうなったらヤケクソで、ゾンビになってみれば良いんじゃないかな?! 名付けてZフォース!!」
「あら、良いアイディアですわね!」
「変わってへん!! そればかりか悪化しとるやないかい!!  もう解ったで!! オペレーションGで行こうやないかっ!!」

 かくして、何時もの学校の何時もの教室。
 ブラフマンの特別授業が実施される中で、オペレーションGが開始される時が来た。
(女の子にされた恨み今こそ晴らしてやるでっ!! これでも食らいやっ!! おらおらおらっ!!!)
 大河は手の中でガサゴソと暴れるあまりに活きの良いGを、鍛え上げた見事なアンダースローで宝塚の席に向かって投げ入れる。
 だが、予想外の出来事が起きた。
 なんて、Gがその黒い羽を広げて飛んでしまったのだ。
「な、なんやとっ!!」
「きゃーっ!! 出たぁーーーーーっ!!!」
 教室を飛び交うGを最初に発見して悲鳴を上げたのは、すっかり元気になって登校して来ていた空であった。
 空はとなりに座っている奏真にしがみ付く。
「約束しただろ、俺は空を守るって…! 例えそれが黒い虫相手でも…!!」
 と空を抱きながらカッコつけて言いつつも、奏真は怖がる彼女を見て笑いを堪えきれない。
「やだぁーーーっ!! こっち来ないでよぉーーーーっ!!」
「こうなったら、アルカナの発動だっ!!」
 手を振り回してGを追い払う者、取り乱して能力を発動しようとする者等、教室は混沌とした空気に包まれる。
「ただの虫相手に臆するとは、貴様らはそれでも選ばれしアルカナの戦士かっ!! 痴れ者共よっ!! 黙らぬと粛清するぞっ!!」
 と生徒会長がバンと机を叩くが、誰も聴いていやしない。
 ブラフマンも生徒達の混乱する様子にあきれ顔だった。
「き、貴様らぁーーーっ!!」
「あらら、天下の生徒会長もあの虫には敵わへんのやなぁ…って、うちの所に来るんや無いでっ!!」
 夕鶴がGを払いのけると、それがポーンと飛び竜斗の鼻先へと着地する。
「うぎゃーーーーーっ!!! やだやだやだっ!!!! 誰かボスけてぇーーーーっ!!!!!」
 竜斗が女の子のように泣き叫びながら両手足をバタバタさせていると、ゆっくりと歩いて来た宝塚が丸めたノートで竜斗の鼻先を軽く払う。
 目の前をノートが通過して、竜斗は驚きおののき尻餅を着く。
 うまく叩き落とした為に竜斗には一切のダメージはなく、Gも潰れておらず床に転がってピクピクと気絶しているだけだった。
「虫と言えど無闇に命を奪いたくは無い」
 そう言うと宝塚は気絶したGをティッシュで掴む。
「二度と来るんじゃないぞ」
 そして、窓から校庭へと放り投げると、意識を取り戻したGは元気よく夏の空へと飛んで行った。
「漢やないかっ!! うち、惚れてしまいそうやっ!!」
 夕鶴の声を皮切りに生徒達は次々と宝塚を賞賛した。
 竜斗と大河はその様子を冷ややかに見ていた。
「始めからこうなる気がしてたんやけどなぁ…。きっとあの女に恐いものなんてあらへんよ…!」
「僕もそう思うんだけどなぁ…」

 戦いの練習をする為に竜斗と大河はトーナメントが終わると早々に帰宅し、首を長くして待構えていた姫に作戦の顛末を伝えた。
「作戦は成功したようですわね」
 姫はその内容を聴くなりニッコリと微笑む。
「なにそれ、皮肉…?」
 竜斗はムスッとする。
「違いますわよ、本当に順調に進んでいるんですわ。結果はともかく相手の心に種を撒いた事が重要なんですの。あとは今日あった事を貴方自信の言葉で嘘偽りなく、インターネットのお友達に伝えてみて下さいな」
「そんなんで大丈夫なのかなぁ…?」
「あら、あなたは精一杯やってますわ。でも、どんな事でも結果はすぐ現れるわけでは御座いませんわ。その時々で目の前の課題に対して全力で邁進し続け、一つ一つを積み重ねる事が大切なんですの」
「まるっきり実感ないけどなぁ…」
「焦っても良い事はありませんわよ。さて、今日も何時ものように修行しますわよ。それが今の貴方に出来る事ですわ」
 そして、夜になって修行が終わり、昼食後にその日の事をMaineにメールする竜斗。
 Maineは最近流行のポストペットを使っていると言っていたし、iMacにもインストールされているようなので竜斗も使ってみる事にした。

『特別教室に凄くカッコいい女の人が居るんだよ。
 特別授業の教室にゴキブリが現れて僕の鼻に止まったんだけど、僕の鼻を擦る事なくゴキブリだけを叩き落として、そのまま気絶したゴキブリを鷲掴みにすると校庭に逃がしてあげたんだ!!
 そして、決め台詞はもう二度と来るんじゃないぞ、だって! 超かっちょ良い!!
 その人は恐いものが無いのかな?
 僕は恐いものが沢山あるし、男らしく無いから凄く羨ましい!!』

『カッコいいって女の子にとって褒め言葉にならないよ。
 少なくても私は女の子らしくて可愛いって言われる方が良いなぁ。
 それに恐いものが無い人なんて絶対にいないよ。
 私は恐いものが沢山あるけど、他は隠す事が出来ても雷が恐いのだけは隠せないの。
 もう、小さな子みたいにキャーキャー言っちゃうの。
 変でしょ?
 その子もきっと恐いものがあるんだけど、隠しているだけよ。
 PS.可愛いって男の子にとって褒め言葉じゃないと思うけど、私は臆病な男の子って可愛いと思うし好きだよ♡』

『全然変じゃないよ!! 可愛いよ!!
 僕はヘタレだけどそんな女の子がいたら守ってあげたいって思うしね!!
 でも、僕も自分自身のヘタレな所を隠したいって気持ち、凄く解るよ…。
 僕は強くなる為には自分に嘘を付くなって言われているけど、なんだか素っ裸でいるようで無防備で恥ずかしいんだ。
 ただ、僕がヘタレだって事は全世界的に知れ渡っている事だし、今更隠すも何もあったもんじゃないけどね。
 PS.可愛いって言われても褒め言葉だと思えないけど嬉しいよ!!』

『可愛いって言ってくれてありがと♡
 でも、いくら恐がりでも自分を隠さないって強くてカッコいいと思うよ♡
 私は君が羨ましいなぁ。
 私は自分に嘘をついてばかりなの。
 人から見向きもされなくなるのが恐いんだ。
 いつか、君みたいな強い子になりたいよ。
 ねぇ、もし私が自分らしく生きられるようになったら、会ってくれて良いかな?』

『カッコいいって言われた方がやっばり嬉しいね!!
 女の子から僕の弱さが強さだって言われるのはこれで二度目なんだ!!
 なんだか、少し自信が持てる気がするよ。
 Maineちゃんが強くなれるように応援しているよ!!
 PS.僕は今すぐにでも会いたいけど』

『応援してくれてありがとう。
 でも、今直ぐには会えないよ。
 待たせちゃうと思うけど待っててね。PS.女の子と話している時に他の女の子の話をするのはマナー違反よ♡』

 1999年7月21日(水)
 決戦を明日に控えた朝を迎え、姫は珍しく朝食の時間にラジオで天気予報を聴いていた。
 それによると夕方から天気が大幅に崩れ高確立で雷雨となるとか。
 姫はニッコリしながらラジオのスイッチを切る。
「わたくしの読み通り絶好の流れとなって来ましたわね」
「…」
 竜斗は口を尖らせて俯いている。
「貴方がこの作戦に対して疑問に思うのは当然ですわよ。
 前に人の言葉を鵜呑みにするのでは無く、自分なりに噛み砕いて飲み込む事が大切だと言いましたが、考えているからこそ様々な事に対して疑問を抱くのです。
 大いに悩んで下さいまし。
 その迷いを乗り越えて、答えを見つけ出す事で少しずつ強くなって行く事が出来るのですわ。
 もし、あなたがもう止めたいと言うのならば、わたくしはそれでも構いませんわ。
 これは貴方の人生なんですもの、最終的な決定権は貴方にありますわ」
 と姫は優しく微笑みかけた。
「止めたい…とは口が裂けても言えないよ。
 選択肢は他にあったとしても、僕は楽な道を選べる程器用じゃないんだよな…。
 やるよ、先が見えなくても歩き続けないと答えなんか解りっこないしさ…」
「よろしいですわ。
 では、今日は宝塚舞さんの練習を始めから最後まで通して観察して頂きますわ。
 きっと、色々な事を思う事でしょうが、それも大切な修行の一つですわよ。
 けっして、辛くても目を背けてはいけませんわ。
 そして、最後に練習を終えた彼女の話を聴くと良いでしょう。
 今日の作戦を上手くこなせれば今まで撒いて来た種が芽吹き、本当の強さとは何かと言う答えにも辿り着く事が出来きますわ」

 案の定と言うべきか、宝塚は午前中の特別授業が終わった後、食事を取ると直ぐに武道館へと行きフェンシングの練習を開始した。
 そう、午後になって他の生徒達がトーナメント戦に熱中している間もだ。
 一心不乱に一つの事に打ち込んで行く。
 そして、一歩ずつ、一歩ずつ、確実に竜斗の遥か先へと向かっている。
 竜斗だって一生懸命練習しているつもりだし、戦いを勝ち抜くための作戦だって実行しているはずだが、一行に先に進めているって気がしない。
 竜斗はあまりにも凛々しい宝塚の姿を見ていると、自分がこの学校に来る前と何も変わらない、空っぽな人間なんだって事を痛感し悔しくてたまらない。
 何がそんなにも違うのか。
 生まれついての才能や、考え方など色々あると思う。
 だが、やっぱり一番違うのは、今まで努力に費やして来た時間だろう。
 つい最近、頑張り出した竜斗と比べ、彼女はきっと何年も練習を繰り返して来たに違いない。
 竜斗なんて、たかが数日の間で辛いと思う事が沢山あったというのに。
 もう、純粋に凄いとしか言いようが無い。
 竜斗は宝塚を尊敬するしか無かった。
 彼女のように強く生きられたらと思った。
 夕暮れになってようやく練習を切り上げた宝塚に竜斗はスポーツドリンクを差し出しながら話しかける。
「おつかれさま…!」
「…ああ、ありがとう。だが、君は少し慎んだ方が良いぞ」
「え、何を…?」
「君は誰振り構わず優しい声をかけているのではないか? 本人にそのつもりは無くても女好きの不貞の輩だと思われてしまうぞ」
「スケベなのは否定しようがないけど、なんでいきなりそんな事を…?」
「…ああ、すまんな。これは私事だ」
 顔を赤くして咳払いする宝塚。
「なんか、変だなぁ…」
 なんだかおかしくて、吹き出す竜斗。
「ところで君はこんな所で、こんな事をしていて良いのか? 明日はいよいよ私達の戦う日なんだぞ」
「僕もそう思うんだ…。
 でも、姫が今日は宝塚さんの練習を見ろって言うんだ。それも修行の一環なんだって…。
 あ、姫ってのは僕のパートナーで、戦いの師匠のような人ね。基本的に厳しいんだけど、時々優しいんだから参っちゃうよ」
「…まったく、君はまた他の女の話を」
 と宝塚はボソッと呟く。
「ん…?」
「…いや、何でも無い。
 確かに君の師匠の言う事は一理あると思う。
 スポーツの世界ではよりレベルの高い試合を見たり、ライバルの様子を知る事、有名選手の講演会や勉強会に参加かる事も立派な練習の一つだ。
 特に自分自身の壁に突き当たった時には、乗り越える良いチャンスだと言える。
 人と比較する事で自分自身の間違いに気付かされたり、自分自身の考えが正しいと再確認する事があるんだ。
 もっと言えば何処にだって自分にとってプラスになる材料は転がっているんだ。
 大切なの人生における全てを練習だと思って、吸収しようとする姿勢なのではないか」
「そうか、そう言う考え方が僕に足りなかったのかも…! 
 ありがとう!! 宝塚さんのおかげで前向きになる事が出来そうだよ!!」
「ふっ、君は本当に真っ直ぐで心が強いんだな。君のそういう姿勢は素晴らしいと思う」
 宝塚は照れを隠しながら笑う。
「宝塚さんこそ、何時もそう言う考え方をしているから強いんだね! ますます尊敬しちゃうよ!!」
「よしてくれ。私は不器用だから、そんな生き方しか出来ないだけさ」
 その特、大粒の雨が体育館の屋根を強く叩く。
「ん…、雨か?」
 その時、一瞬視界が真っ白になるかのような激しい光と共に、地面を揺さぶるような大音量が響き渡る。
 そして、竜斗は信じられない光景を目にする。
 なんと、宝塚が雷に負けないぐらいの悲鳴を上げ、頭を抱えて丸くなっていたのだ。
「か、雷だけは駄目なのだ…!! きゃっ…!!」
「雷が怖い…!?」
 …竜斗はつい最近、何処かでそんな女の子の話を聴いていた。
 そして、雷鳴と共に二つの線が一つに結びつく。
「まさか、宝塚さんがMaineちゃん…!?」
「きゃっ!!!」
 雷が鳴るたびに震えるその姿は、まるで小さな女の子のように弱々しく可愛らしかった。
 竜斗は意を決し宝塚の横に並んで、その震える細い肩を抱き締めた。
「な、何をっ…!?」
「言ったでしょ…。雷に震える女の子がいたら、守ってあげるって…!」
 あまりの緊張に声が途切れ途切れとなりながらも、竜斗は顔を真っ赤にして言う。
「きゃっ!! す、すまない…!!!」
 宝塚は竜斗の肩に寄りかかって、縮こまって震え続けた。
 彼女は背が高いのだが体格は竜斗よりも明らかに華奢で、両腕を広げれば包み込めそうな程に小さく感じた。
 竜斗は女性を守りたいと言う男としての本能を強く滾らせるのであった。
 そして、それがどれだけ続いたのだろうか、雷雲は通り過ぎ周囲は夕焼けに包まれていた。
 竜斗と宝塚は扉の所に二人で並んで、夕日にかかる虹を眺めていた。
「情けない所を見せてしまったな…。
 だが、これが本当の私…、見かけ倒しの臆病な人間なのさ…。
 自分でもこのままじゃいけないと思いつつも、どうしょうもないんだ…」
 そう言う宝塚の顔は辛そうで、今にも泣き出しそうであった。
「僕で良かったら話を聴かせてくれるかな…? 僕でも力になれる事があるかも知れないし…!」
 竜斗は小さい子供に言うように優しく微笑みかける。
「ありがとう…。君は本当に優しいな…」
 宝塚は涙を堪えるように目を瞑り上を向くとゆっくりと話し始める。
「意外に思うかも知れないが、私だって昔はこんな生き方をしていなかったんだよ…。
 昔の私はインターネットで見せているような、夢見がちだけど臆病で目立たない少女だったんだ…。
 そんな私が変わるきっかけとなったのは中学二年の時だった。
 当時、私の通っていた市立中学は、学生による学生の為の統治を掲げ、生徒会長となった一人の男によって支配を受けていたんだ」
「その男ってまさか…!?」
 何処かで聴いた事がある話に竜斗は嫌な予感がする。
「そう、この学校でも生徒会長をやっている小泉光一郎さ。
 彼は統治とは名ばかりの力による支配を行い、当時の私のように力の無い一般的な生徒は権利を取り上げられ、暴力のターゲットとされていたんだ」
「あいつ、そんな前からそんなことを…」
 竜斗は生徒会長の横暴な顔を思い出して、腸が煮えくり返る思いで拳を強く握る。
「当時は今よりずっと酷かったんだ…。
 私達が中学二年の頃はちょうど阪神大震災のあった年であり、心の傷と思春期が重なり極端な思想を持つ者が多かった。
 彼の考えに同調して暴力を振るう者も居れば、塞ぎ込み心を閉ざして不登校になる者、抜け殻のようになる者、そして自ら命を落とす者もいた。
 私自身もそのようになる寸前であったと思う…」
 そう言う宝塚の顔は悲壮であり、当時の彼女の気持ちを思うと竜斗は胸が苦しくなる。
 阪神大震災の後、神戸で凶悪な犯罪を犯したり、自殺をする同年代の子供達が増えたという事は、東京でも報道されていた。
「大変だったんだね…」
 今までテレビの中の話のように思っていた自分が恥ずかしくてたまらなかった。
「だが、一学期が始まりしばらく経った半端な時期に、ある男子生徒が転校して来てから事態は急変したんだ。
 彫刻のような美しい容姿、冷静かつ明晰な頭脳、野性的な運動神経…。
 全てを併せ持った神の子のような存在である彼が、何処から来たかは誰も知らなかった。
 阪神大震災の時に両親を亡くし記憶を失う程の怪我を負い、彼自身も自分が誰なのか解らないと言う出所の解らない噂だけが一人歩きをしていた。
 彼は生徒会長の集団的な暴力にたった一人で対抗して、他の生徒達の希望の対象となるまさに救世主とも呼べる存在となった」
 竜斗は自分自身が生徒会長直属の風紀委員に絡まれ、一人の男子生徒に助けてもらった事を思い出す。
 いや、忘れようと思っても忘れる事なんかできはしない。
「僕もその人に助けられた事があるよ…」
「当時の私はそんな彼に心惹かれ、ある日、自分の思いを告白したんだ。だが、女として見られないと冷たい言葉で突っぱねられてしまったよ。
 …今からすると信じられない事だろうが、当時の彼は粗暴で他人を寄せ付けない所があったんだ」
「まさか、彼にもそういう時があったなんて…」
 竜斗は完全な人間はいないと言う姫の言葉を思い出していた。
「思い返してみれば当時の彼は心に傷を負った中学二年生であり、空っぽな心を埋めるように力を振るっていただけなのかも知れないな。
 私もまた自分勝手な子供だったから、そんな彼の事情を察する事が出来ずに傷ついてしまった。
 そして、ある日、突然彼が変わったんだ。
 彼の傍らに年下の小柄な少女が常に付き添うになってから、今までの態度を改めるように人を受け入れるようになったんだ。
 彼の事を諦める事の出来ない私は、彼の隣に他の女性が居る事が苦しくてたまらなかった。
 彼女に成り代わりたいとさえ思ったが、明るく可愛い彼女と自分を比べては、自己嫌悪する事の連続だったよ」
「世の中は不公正だよね…。
 報われる恋もあれば、報われない恋もある…。
 みんながみんな主役でいられれば良いのに、脇役や悪役になってしまう人もいる…。
 別に好きでそうなっている訳じゃないのにね…」
「本当にそうだな…。
 それからは中学を卒業するまでは、生きているんだか死んでいるんだか解らない毎日だったよ。
 そんな自分が嫌でたまらなかったから、自分を変えて強くなろうと思ったんだ。
 彼のように強く気高くなる事が出来れば、女として見向きされ無くても、何時かは振り向いて貰えるのではと思ったんだ。
 そして、高校入学と共にフェンシング部に入部して、好きだった宝塚の男役のように振る舞い、強い自分を演じたんだ。
 その結果、今まで見向きもされない程地味だった私が、いつしか年下の女の子達からチヤホヤされるようになり、皆の期待に応えるように練習を続けて大会で優勝するまでに至った。
 そして、気がつくと私の事を否定していた生徒会長の一派にも一目置かれるようにまでなっていたよ」
「僕も弱い自分を変えたくて、この学校の特別授業に参加する事にしたんだ。
 それに、彼と出会って彼のように強くなりたいと思った。
 だから、宝塚さんの気持ちが凄く良くわかるし、僕のずっと先に行っている宝塚さんの事を尊敬できるよ!」
「だが、何処まで行っても彼に振り向いてもらえる事は無く後に残るのは虚しさだけだったよ。
 偽わりの自分を維持するのに疲れ果て、何度も本当の自分を曝け出したいと思ったよ。
 しかし、また弱い自分に戻って見向きもされず消えてしまうのが怖くて、次第に誰も自分の事を知らないネットの世界に依存するようになって行った。
 ますます本当の自分が解らなくなって行く一方で、もうどうすれば良いか解らないんだ…」
 宝塚はその顔を手で覆い小刻みに身体を振るわせる。
「宝塚さん…」
 竜斗は居ても立ってもいられず、その細い肩を抱いた。
「…君は本当に優しいな。
 君は自分自身の弱さを知っているから、人の気持ちを察して優しく有る事が出来る。
 そして、豊な感受性で思った事を隠す事が出来ない、真っ直ぐで純粋な心を持っている。
 だからこそ、私は君に話を聴いてもらいたいたかった。
 それは君の持つ素晴らしい力だと思うんだ。
 だから、君にはそのままでいて欲しい。
 人は弱さを捨て去ろうとして自分自身を偽り続ける限り、本当の意味で強くなる事が出来ない。
 決して私のように間違った強さを求めないで欲しいんだ」
 宝塚の言葉を聴いた竜斗の中で、全てのピースがひとつに組み上がって行くのを感じた。
「僕、解ったよ…! 本当の強さが何なのか…!!」
 そうか、姫は僕と宝塚さんを対比させる事で、客観的な視線から見た僕の良さと、本当の強さが何かを教えたかったのか…!!
 竜斗は姫の気持ちが嬉しくて仕方無かった。
 しかも、その為に姫は水面下で様々な下調べをし、一見すると解らないような誘導の積み重ねによって、その答えに自主的に辿り着けるように導いていたのだろう。
「…でもその答えは言わないでくれないか。それを聴いてしまったら、私は明日君と戦う事が出来なくなってしまう気がするんだ」
 そして、同時に宝塚の攻略法も解った。
 きっと、それは宝塚さんの今まで歩んで来た道を活かし、彼女を救う事にも繋がるんだ…!!
「だったら、僕は戦いを通じて本当の強さが何かを見せてあげるよ…!!」
 竜斗は立ち上がって夕日に向かって強く拳を握りしめた。

本当の強さ

 1999年7月22日(木)
「今日から夏休みに入ると共に、トーナメントの第二回戦が行われる事となる」
 特別授業の教室でブラフマンが発した夏休みと言う言葉を聴いた生徒達は一周ザワめきたった。
「よっしゃー、待ちに待った夏休みやっ!!」
「お前うっさいわ、アホっ!!」
 夕鶴は声を上げて喜ぶ大河を叩く。
「やったーっ!! 空、夏休みだーいすきっ!!!」
「こら、空もうっさいよ!! それに席立たんといて!! 子供かアンタら!!」
 と夕鶴はアホな生徒達を注意しまくる。
「夕鶴はオカンみたいだな。だが、実は夕鶴が一番五月蝿いなんて口が裂けても言えない…」
 と竜斗はボソッと言った。
「第一回戦は能力が安定して発動出来るようにイメージしやすい学校で行われていたが、第二回戦は学校を離れて外部の閉鎖された場所で戦って貰う。
 その為に二回戦まで勝ち残った生徒にはこれを渡しておこう」
 ブラフマンは二回戦まで勝ち残った生徒の名前を一人一人呼んで携帯電話を手渡した。
「ええなぁ、なんやそれ? おれにもくれへん?」
「DoCoMoのデジタル・ムーバP501iハイパーって書いてある…ってか、あげんぞ」
 嫌らしく覗きこむ大河に竜斗は答えた。
「ケチやなぁ…」
「それは最近発表されたi-Modeと言う携帯電話でのインターネットサービスに対応した機種で、夏休み期間中のトーナメントの時間と場所は、前日の夜11時に試合当事者の端末にメールで送信する。
 もし、指定した時間と場所に来る事が出来なければ失格となる。
 また、当事者以外の試合観戦を希望する場合は、前日の夜11時に更新されるインターネットのサイトで確認すると良い。
 ログインネームは氏名のローマ字、出席番号がパスワードとなる」
「ちょい待ち…! それやとインターネットが使えへん奴は確認出来へんし、ギャラリーが大幅に少なくなるんやないか?」
「お前、聴きにくい事をよく聴くな…」
 竜斗は小声で大河を賞賛した。
「共通認識を持つ観客をふるいに掛けるのもこの第二試合の目的なのだ。
 第一試合で人々を魅了する事に成功した者ならば、第二試合もインターネットで情報を得たり、友人から話を聴いてでも観客が見に来るだろう。
 つまり、より求心力がある…神に近い者が有利になると言う事だ。
 また、第二回戦以降は必然的に観客が減る事になるが、最終的に外的環境に影響させず安定して強力な能力を発動する事への練習となっている」
「…なるほどなぁ」
「今日行われるトーナメントに関しては、例外的に今この場で発表させて頂く。
 第二回戦第一試合…No.3女帝とNo.18月の試合は、本日14時ちょうど宝塚市にある宝塚大劇場で行うものとする」
 教室がザワめく。
「おいっ!! なんか、明らかに不公平な気がするでっ!!!」
「世の中に公平などと言うものは存在しない。私が求めている存在とは如何なる状況であろうとも、絶対に勝つ事が出来るような強さを持った者なのだ」
「良いんだ大河…、それで良い。それで良いんだ!! それでこそ戦いがいがあるってもんだよ!!!」
 竜斗は熱い視線を宝塚に送り拳を力強く握りしめる。
「竜斗、お前目ん玉燃やしちゃって何や!? いつの間に生徒会長みたいな戦闘狂になってもうたんや!!」
「面白いっ!! 面白いぞ走馬っ!!! それでこそ我が輩が見込んだ漢であるっ!!!」
「こら、アカン…。アホ二人が共鳴しとるよ…!」
 夕鶴はボソッと呟いた。
 竜斗に熱く見つめられた宝塚は、困惑しながら真っ赤になった顔を伏せる。
「おやおや、彼も大分女性の扱いに慣れて来たようだな。これは俺のライバルとなる日も近いかもな」
 それを見た奏真は面白そうに笑う。
「お兄ちゃんの馬鹿ぁ! 何のライバルよぉ!?」
 と空は奏真に突っ込んだ。
「ふっ、決まっているだろ?」

 そして、14時前。
 宝塚市栄町を流れる武庫川の畔に聳えるヨーロッパ風の堂々とした建築物が宝塚大劇場だ。
 内部は一階席、二階席合わせて2550人が収容出来る巨大なホールになっており、そのステージの上に本日の主役になる者達が向かい合っていた。
 No.3の女帝である宝塚舞とそのパートナー。
 No.18月である走馬竜斗とそのパートナーの香夜姫。
 そして、進行を務めるブラフマンの五人である。
「では、自我領域を展開してもらおう!」
 宝塚はファンの娘相手にいつも通りクールな表情のまま唇を交わす。
 そして、出現したNo.3のカードを掴み取ると、それをフェンシングのフレールへと変化される。
「では、これを忘れずに着て下さいな」
 姫がキスの前に竜斗に出した物は特注で作った前の学校のブレザー型防刃ジャケットであった。
「これは貴方が初めて勝ち取った個性の象徴であり、貴方の歩んで来た軌跡そのものですわ」
 そう、前の学校の制服は転校初日に風紀委員会、二日目に生徒会書記に絡まれる原因にもなった物で、生徒会書記を倒して学校に馴染んだ事で、いつの間にかに竜斗も他の生徒も誰も気にしなくなっていた。
「今まで積み重ねて来た結果は決して裏切らず、貴方を力強く守ってくれる事でしょう。それが貴方に足りなかった自信と言うものですわ。
 わたくしは貴方を信じています。だから、貴方もご自身を信じて下さいな」
 姫は竜斗にブレザーを着させながら言う。
「ありがとう、姫…」
 そして、竜斗はそんな姫に口づけした。
「行って来る…!!」
 それはまるで新婚夫婦の朝を思わせるような光景であった。
 竜斗は姫から二本の胡蝶刀を受け取ると、宝塚へと向かい合い不敵な笑みを浮かべた。
 宝塚は動揺を隠せない。
「では、開始しろっ!!」
 フェンシングの基本動作は、前進、後退、突き、前に飛ぶ、後ろに飛ぶ、剣を突き出して突進する。
 その6つであり全てはその組み合わせであると言う事は、今までの見学から察する事が出来た。
 それは能力で具現化した剣であっても同じであり、勝負を焦った宝塚は恐らく一番攻撃力のある手段で先制して来る事だろう。
 すなわち、剣を突き出しての突進だ。
「フレッシュ!!!」
 剣と一体となり矢のように加速する宝塚。
 竜斗は身体を僅かに横にずらし、胡蝶刀の護手で攻撃を受け流す。
「ボンナリエール!!」
 大きな隙を見せた宝塚は反撃を恐れて後ろに飛ぶが、竜斗は落ち着き払って構えているだけだった。
「…どうした? 反撃しないのならば、こちらから行くぞ!!」
 宝塚は前に飛んで一気に間合いを詰める。
「ボンナバン・ファンデヴっ!!!!」
 突く!!
 突く!!
 突く!!
 剣先をゆらゆらと揺らしながら、連続して鋭い突きを発する。
 まさに変幻自在の突きだった。
 そんな攻撃を戦いの経験が浅い竜斗が捌ききれるものではなく、何発も身体へと直撃を食らってしまう。
「ぐわっ!!!」
 だが、衝撃吸収材入りの防刃ジャケットによってかなりダメージが軽減され、宝塚の剣はかなり存在感が薄い事もあり、剣で刺されると言うより局地的な筋肉痛のような衝撃を感じる。
「完全なノーダメージでは無いと言うわけかっ…!!」
 一発、一発は致命傷で無くても、食らい続けるとまずい。
「だが、そんな時だからこそ臍下丹田式呼吸法だっ!!!」
 竜斗は攻撃を食らい続ける中、落ち着いて臍の下に力を入れる腹式呼吸をして気を取り込み、自分の中に気が巡って行く様子をイメージする。
 すると、まるで強力な自我領域が発生したかのように、宝塚の攻撃が弾かれて大きくバランスを崩す。
 しかし、竜斗はまたしても反撃に出る事はしない。
「ロンペ・ファンデヴ!!!」
 宝塚は後ろに下がり、力を溜ながら未だかつて無い程の高速の突きを放つ。
 その攻撃はまるで太いレーザーのように収束してもの凄い勢いで竜斗へと襲いかかる。
 だが、姫の長時間の運転によって超スピードの世界にならされた竜斗にとって、それを余裕を持って見て取る事が出来た。
「完全に避ける事が無理ならば、気を込めた剣で切裂いて見せるっ!!」
 竜斗の繰り出した十文字の斬撃によって、光の束は四散するが完全には防ぎ切る事は出来ず、かなりのダメージを受けてしまう。
「さすが、宝塚さん…!! 攻撃の重みが違うね…!!!」
 片膝をつく竜斗。
「マルシェ・ファンデヴ!!」
 つかさず宝塚は前進して鋭い突きを放つが、竜斗は身体への直撃を何とか剣で弾いて避ける。
 大技をかわされ続けて疲労が蓄積した宝塚と、大技をかわし続けて疲労が蓄積した竜斗の身体が重なり、抱き合うような形になる。
「何故だ…?! 何故、君は反撃するチャンスがあったはずなのに、それをしないんだ!?」
 まるでキスでもするかのような、抱き合いながら向き合う態勢で宝塚は竜斗に問いかける。
「それが、僕に出来るただひとつの事だから…!!」
「何っ!!」
 宝塚は離れ際に剣で薙ぐような攻撃を放つが、竜斗はその攻撃を両手の胡蝶刀で弾く。
「やっぱり、宝塚さんの攻撃は凄いよ…。きっと、防御も凄いんだろうね…。僕みたいなのが下手に攻撃に出たら、きっとカウンターで反撃されて木っ端微塵だよ…!!」
 至近距離での突きを竜斗は身体を捻ってかわす。
「…そんな事は無いだろ? 今まで戦って来た中で君はトップクラスの実力を持っていると感じた…!」
 再び二人の唇が接するのではないかと言うぐらい接近する。
「それは自分自身が弱いって事を受け入れて、自分に出来る事…つまり防御のみに集中しているからさ…!」
「な、なんだと…?」
 二人は剣を構えてぐるぐると周り合い、互いを牽制し続ける。
 それはまるで、ミュージカルでも見ているかのような光景であった。
「宝塚さんの築き上げて来た技と比べたら僕自身が築いて来たものは小さくて、心が萎縮して消えてしまいそうになるけど、そんな僕にも出来る事はあるんだ!! だから、僕は絶対に自分自身を見失わない!!」
 そして、つばぜり合いをしながら付かず離れずを繰り返す。
「それが君の答えだと言うのか!?」
「それを教えてくれたのは宝塚さんなんだ!!
 宝塚さんが一生懸命頑張って生きて来たからこそ、僕はその答えに辿り着く事が出来た!!
 だから、その思いを宝塚さんに返したい!!
 宝塚さんが心を痛めた事も!!
 宝塚さんが磨いて来たフェンシングの技も!!
 演じて来たって言う勇ましい所も!!
 ネットでの可愛らしいMaineちゃんも!!
 宝塚さんの歩んで来た全てが無駄じゃなかったって証明する為、僕はどんなに弱くても自分自身を貫くって決めたんだっ!!」
「何で…!? 何でそんなにも、私の事を気にかけるのっ!?」
「僕はそんな宝塚さんが好きだから…! だから、自信を持って欲しいんだ…!!
 宝塚さんの歩んで来た全ての道は自信となって、ありのままの自分を守ってくれるはずだからっ…!!」
「そんなことっ!!」
 宝塚は感情に流されるまま、接近した竜斗に向かって残った全ての力を光と化して解放する。
 その瞬間、激しい光の中で二人の顔と身体がシルエットとなって折り重なる。
 そして、二人の身体は弾き飛ばされた。
 予め宝塚の捨て身の攻撃を読んでいた竜斗は臍下丹田に気を集中して攻撃を中和しほぼ無傷であったのに対し、力を使い果たした宝塚は自我領域を失いかけながら膝をついて倒れた。
「最後にひとつだけ聴かせて欲しいの…」
 宝塚は最後の力を振り絞り、剣を突き立てながら竜斗に突進する。
「君は本当は誰が好きなのか…」
「何をっ…!?」
 竜斗はフラつく宝塚の攻撃を避けて、テコの原理を応用して投げる。
 姫との修行の中でシチュエーションを変えながら何度も型を繰り返していたので、動揺しながらも勝手に身体が動いていた。
 気がついたら竜斗の足下には涙を浮かべた宝塚が床に沈んでいた。
 その顔には既に雄々しい表情は無く、儚い夢を見る少女の表情そのままであった。
「私は…、私はSomaが好きよ…」
 宝塚は最後にそう呟くと自我領域を失った。
「僕は本当は…が好きなんだ…」
 そして、竜斗は宝塚の耳に呟き、出現したカードを取り上げてそれを胸に抱いた。

粛清と生熟

 1999年7月23日(金)
「ボソッ…」
「この作品はワンパターンだな…と、図書委員長は申しています」
「そのような世迷い事で我が輩を翻弄出来ると思ったか戯けが!!」
 図書委員長が具現化した開かれた本のページから、飛び出す絵本のように不潔な臭いを放つ巨人…トロールが立体化し、手にした棍棒を相対する生徒会長へと振りかざす。
 具現化した鎧によって全身を完全武装した生徒会長は、武装された文字通りの鉄拳を持ってトロールの一撃を相殺する。
 昨日から始まった第二回戦は学校外の場所で行われていて、今回の戦いは兵庫県朝来市にある竹田城跡を舞台としていた。
 竹田城は城下から見上げる高い山の上にあり、雲海の中に累々とした古城の石垣が浮かんで見える事から、天空の城…日本のマチピチュと称されている。
 神戸からかなり離れた山の中だと言うのに、沢山の生徒達がその戦いを観戦しに来ていた。
 それが、生徒会長…、もしかすると図書委員長の人気を象徴しているのかもしれない。
「ボソッ、ボソボソっ…」
「物語開始直後から憎まれ役は生徒会関係ばっかだし、しかもホモとかレズが連発して飽き飽きしてるんだよ…と、図書委員長は申しています」
 重量級の攻撃の打ち合いの最中に図書委員長が呟くと、それをすかさず傍らにより沿ったヒラ図書委員の男子が通訳する。
「つまり、この我が輩が男色家だと申すのか!?」
「ボソッ…」
「まぁ、この作品ではスタンダードな存在だがな…と、図書委員長は申しています」
「戯けがっ!! 我が輩は男色家では無いっ!!!
 男でも女でも強い力を持った真の漢と呼べる存在を分け隔てなく愛しているだけだっ!!!
 つまり、我が輩はお前も愛していると言う事だっ!!!」
「ボソボソボソボソっ…」
「出たよバイ宣言。気持ち悪いから止めてくれよな。
 お前のような奴がいるから作品が低迷するんだよ。今後の展開の為にもいい加減に退場してくれないかな…と、図書委員長は申しています」
「消えるのは貴様の方だっ!!」
「…ホンマ、あの女の言う事は何だかわからんけど恐ろしいで!!」
 高い位置にある石垣の上で戦いの様子を傍観していた大河は思わず呟いた。
 竜斗は大河、夕鶴、空、奏真と言う何時もの面々でトーナメントを観戦しに来ていた。
 竹田城趾のある山頂までは車で行く事が出来るので、自分で歩く事が出来ない夕鶴でもアクセスに不自由する事は無かったが、観戦に適した石垣の上までは体格に優れた奏真が背負って運んだ。
「ふっ、彼女はこの世界を誰かが作った物語であり、自分自身も含めて全ての人間はその登場人物に過ぎないと思っているのさ」
 奏真がもっともらしく説明すると、夕鶴は背負ってくれたお礼の意も含め、彼の考えを賞賛するように間の手を入れた。
「さすが、奏真先輩やね!! きっと、本の読み過ぎでおかしくなったんやなぁ!!」
「アニメの見過ぎのお前が何言ってるんや…」
 依然として大河と夕鶴の喧嘩状態は続いていて、顔を合わす度に互いに毒を吐きまくっていたが、それは不器用なコミュニケーションだと竜斗は思っていた。
 だが、大河の今の発言は特に刺がある気がした。
 ひょっとすると、大河は自分自身に不甲斐なさを感じ、奏真先輩に嫉妬しているのかも知れないな。
 本当ならば夕鶴を背負うのは大河の役目だけど、小さな女の子の姿じゃそれも出来ないし…。
 竜斗も自分自身に不甲斐なさを感じる事も、奏真に嫉妬する事も多かったので大河の気持ちが手に取るように解った。
 だが、人と比べてどんなに劣っていようとも、自分なりのやり方があると認識してからは自信を持てるようになった。
 大河も自信を取り戻して欲しい…竜斗はそう切実に思った。
「うちはアニメ好きやけど、ちゃんと夢と現実の区別は付いているでっ! 一緒にせんといてやっ!!」
「でも、空は図書委員長の言う事も解る気がするよ。だって、みんながみんな自分だけの物語を持ってて運命に操られているんだもん…」
 竜斗は空の顔を覗き見る。
 何時もの明るい笑顔とは違って、何処か影を感じさせる表情であった。
 空も何か運命に翻弄される事があるのだろうか…?
 考えてみれば竜斗は空の事を知っているようで何も知らない。
 こんなにも近くにいて親しみやすい人物のはずなのに、急に距離を感じて寂しさを感じてしまう。
「ううん、むしろ物語であって欲しいな。だって、物語だったら、どんな運命だって切り開く事が出来るヒーローが出て来て全てを解決してくれるんだから!」
 そう夢見がちに語る空は先ほどの表情から一転し、何時もの爛々とした表情に戻っていた。
 やっぱり、空は可愛いと竜斗は思った。
「ふっ、俺が空のヒーローになってやるさ!」
 と奏真は戯けて言うが、その目は何時になく真剣であった。
「でも、この世界が物語って…、そんな事があるんだろうか…?」
 竜斗が呟いたちょうどその時だった。
 互いに拮抗していた生徒会長と図書委員長の戦いの均衡が崩れる時がやって来る。
 図書委員長がすかさずページを捲るとトロールが消滅し、代わりにアラクネーと呼ばれる下半身が巨大な蜘蛛になっている女性型の怪物が出現し、尻より分泌された糸を生徒会長へと投げつける。
 …おそらく蜘蛛の糸に絡めて相手の動きを止める能力なのだろう。
 生徒会長は相性が悪いと直感し、瞬間的に鎧を騎馬状態に変形させると、全速力で間合いを取って攻撃を避ける。
 蜘蛛の糸を投げる!!
 投げる!!
 投げる!!
 だが、蜘蛛の糸は騎乗してキザギザと動き続ける生徒会長には当たらず、やがて射程距離から外れてしまう。
「貴様の攻撃は既に見切ったぞ!!」
 そして、生徒会長は騎馬の踵を返すと蜘蛛の糸をかわしながらもの凄い勢いで図書委員長へと迫り来る。
 だが、生徒会長が乗った騎馬の前足が図書委員長へと向けられた時だった。
 図書委員長の口元が不敵に歪む。
 手にした本のページが捲られて蜘蛛の怪物が消滅すると、角の生えた馬の姿をした怪物…ユニコーンが現れて、その鋭い角が騎乗した生徒会長の生身の身体を襲う。
「なん…だと!?」
 なんとか攻撃をかわした生徒会長は落馬して無防備な姿を晒してしまう。
 竜斗は鎧に被われていない状態の生徒会長の自我領域は、他の人と比べてかなり薄く広範囲に渡っている気がしてならなかった。
 今の状態であれ程の存在感を放つユニコーンの攻撃を受けたら勝負は決してしまうだろう。
「ぼそっ、ぼそぼそっ!!」
「その台詞を言った者は負ける…。それが物語のセオリーなんだよっ!!…と、図書委員長は申しています」
 生徒会長に向かってユニコーンの蹄が迫る。
 まるっきり先ほどと逆の展開に誰もが生徒会長の敗北を想像した。
 だが…!!
 生徒会長は瞬間的に身を捻ってかわすと、全体重を込めた猛烈なタックルを図書委員長へと浴びせる。
 そして、生徒会長は飛び跳ねると、倒れた図書委員長の鳩尾に向かって、片膝を突き立てながら落下する。
 通常だったらかなりのダメージがある所だろうが、自我領域に守られた図書委員長の身体は単純な打撃での攻撃を跳ね返す。
 しかし、そんな事は生徒会長も想定済みだった。
 そのまま倒れたままの図書委員長の首を、鍛え上げた丸太のような太腿で締め上げる。
 図書委員長は何とか逃れようと暴れるが、生徒会長の脚は隙間が無い程に強く食い込み、戦いの素人である竜斗から見ても完全に技が決まっているのが解った。
 そして、図書委員長は白目を剥きながらピクピク震えると失禁して意識を失う。
 その胸から出現したNo.9隠者のカードを取り上げると、生徒会長は勝利を宣言するかの如く高々と天に掲げた。
 そして、汚物に塗れて倒れた図書委員に対して侮蔑するような表情を浮かべると、追い打ちをかけるように足で踏みにじる。
 何度も…!!
 何度も…!!
「その汚い足を退けろっ!!」
 竜斗は生徒会長に向かって怒りの声をあげていた。
「敗者を足蹴にして何が悪いのだ…!?」
「彼女は彼女なりに一生懸命戦っていたんだ!! 何で頑張って生きている人に対してそんな酷い事が出来るんだよっ!!!」
 竜斗は生徒会長の前に躍り出て、図書委員長を庇うように立ち塞がる。
「笑止!! どれ程の努力を重ねようとも勝てなければ意味が無いのだっ!!
 無様な姿を晒しながら生きながらえるのは恥である!! 潔く死を選ぶのが武士の在り方と言うものだ!!」
「違うっ!! 人は自分の弱さを受け入れて精一杯生きる事で、強くある事が出来るんだっ!!」
 竜斗は常にコンプレックスを感じ萎縮して生きて来たが、姫や周りの人々に助けられて乗り越える事が出来た。
 だから自分自身の生き様を否定するような生徒会長の言動は逆鱗に触れるものだった。
「では、貴様の信じる強さと言うものを戦いで証明するが良い!!
 第二回戦を勝ち進んだ貴様と我が輩は、次の第三回戦で当たる事が決定しているのだからな!!
 その戦いを制した者こそ真の正義なのだ!!」
「…勝った方が正しいって、そんなの納得出来ないが、お前にだけは絶対に負けたく無いっ!!」
「敗者には粛清を…!! 我が輩の正義を貴様に思い知らせてやる!!」

 1999年7月24日(土)
「竜斗さまにお伝えしなければならない事があります」
 昼下がりの風見鶏の館、その一階ホールに畏まった聖蘭が現れた。
 その日は第三土曜日でトーナメントは休みであり、竜斗と大河の二人は朝から新武芸の修行をしていた。
「あらあら、今は修行の最中ですわよ。一体の御用ですの?」
 姫は竜斗と密着し乱取り稽古をしている最中であり、楽しみを邪魔されたとあって不機嫌な様子であった。
「宝塚舞さんを始めとしたトーナメントに敗退した元アルカナとパートナーが、次々と何者かに襲撃されて重傷を負ったとの情報が入りました」

「 お見舞いに来てくれて嬉しい… 。でも、君にだけは今の私の姿…、見られたく無かったな…」
「宝塚さん…」
 竜斗は急遽修行を切り上げて、聖蘭の運転する車に乗って海岸ビル内にあるブラフマンが経営する診療所に来ていた。
 空の実家でもあるその診療所の入院施設には現在、宝塚や怪我を負った他のアルカナやパートナーが収容されていた。
 個室のベッドの上。
 全身余す所なく血に塗れた包帯に巻かれ、両手両足をギブスで固められた宝塚の姿は痛々しく、竜斗は思わず目を逸らしたくなる程だった。
「いったいどうしたの…?」
「言いたく無いよ…。きっと、それを聴けば、竜斗君は傷ついて心を黒く染めてしまうから…。私は優しくて純粋な竜斗君が好きだから、そんな姿は見たく無いの…」
「僕は自分自身を見失ったりしないよ。現実を受け入れて自分に出来る事を貫く事で強くある事が出来る…。それを宝塚さんに教えてもらったから…!
 だから、僕を信じて話を聴かせて欲しいんだ…! 宝塚さんの為に僕が出来る事、僕にしか出来ない事があるかも知れない…!!」
「ありがとう…!!」
 宝塚は涙を堪えるように天井を仰ぐ。
「聴いてくれるかな…、私の話…」
「うん…」
「私ね、君に負けたことで、本当の自分に戻る事ができたんだ…。
 フェンシングの試合でも、特別授業でも、勝ち続ける事で私は強い自分を演じる事が出来ていたけど、その反面で本当の自分を見失って、苦しくて苦しくて仕方無かったの。
 でも、君は本当の強さで、私を偽りの自分から解放してくれたの…。
 本当に嬉しかったよ…。
 だから、私にとって竜斗君に負けた事は大切な思い出だよ」
「僕も宝塚さんと戦えた事は大切な思い出だよ…」
「だけど、本当の私の心は柔らかで傷つきやすく、努力が実らず負ける事の悔しさも込み上げて来て、君に負けた晩は子供に戻ったようにずっと泣き続けたの。
 泣きながらずっと考えていたんだ…、どうやったら自分を偽らない本当の強さを身につけられるんだろうって…。
 でもね、考えても考えても解らなかった。
 昨日の朝、気がついたら夏休みの誰も居ない学校の武道場で、独りフェンシングの練習に打ち込んでいた。
 ただ、ただ、夢中だったの。
 でも、夢中になって練習する事が楽しくて、楽しくて仕方無かった。
 今まで練習は辛さを我慢するものだと思っていたから、そんな気持ちは初めてだったの。
 それで思ったの…、自分自身を偽る為じゃなくて、自分自身であり続ける為にフェンシングを楽しんでみようって。
 そうすれば、君みたいな本当の強さを持った人間になれるって…」
「宝塚さん…」
「でもね、夕方…、練習を切り上げようとした時だった…。
 突然、生徒会長が現れたの…。
 彼は汚い言葉で私の大切な思い出を…、竜斗君が取り戻してくれた本当の私を否定した…。
 私は許せなかった…、許せなかったの…。
 だから、私は…、私は、彼を殺す気でフレールを突き立てた。
 でも、彼は能力を発動し私の攻撃を防ぐと…」
 彼女は身体を振るわせ、涙を零しながら絞り出すように言う。
「気がついたらもうここに運ばれていた…。わたし、もう、フェンシング出来ないんだって…!!」
 そして、病室に少女が慟哭する声が響いた。

 海岸ビルの診療所の待合室で医院長であるブラフマンと共に竜斗を待っていた大河と空は、廊下の向こう側から現れた小柄な姿を見て思わず身を振るわせた。
 何故ならば今まで無垢な少年だったとは思えない程の悲壮感と殺意を抱いていたからだ。
「やったのは生徒会長だった…」
 そんな竜斗の姿を見てブラフマンは独り不敵な笑みを浮かべた。
「既にアルカナの力を失った敗者を相手に能力を使ったとしても、トーナメントが失格になる事は無い…彼はそれを利用したんだろう」
「無防備な人に何でそんな事が出来るの…? そんなのって酷いよ…!」
 空の嗚咽まじりの声を聴いて、竜斗は歯を食いしばり強く拳を握りしめた。
「君が彼女達の為に君が出来る事は、彼を倒して無念を晴らす事だ。その為に力を欲するのならば私を頼るが良い」
「戦いに勝つ事が全てじゃないよ…。勝った方が正しいなんて生徒会長と何ら変わりがないじゃないか…。それじゃ、アイツの思想に負けたと同じだ…」
 竜斗は目を瞑って怒りを深く沈めると、ブラフマンの横を通り過ぎて大河と空の元に歩み寄る。
「夕鶴の所に行こう…。今現在、生徒会長にやられていないのは、大河とパートナーである夕鶴だけだ…。急いで匿えばまだ間に合うはずだ…」
「竜斗…」
 空は心配そうな顔を竜斗に向ける。
「大丈夫、絶対に大河と夕鶴は守ってみせるよ…。それが今の僕に出来る事だから…」
「アホっ!! 空が心配してるのはお前の方や!! お前がおれらの事を心配するように、おれらもお前の事を心配してるんやで!!」
「僕なら平気だよ。それより、早く行こう…。車で姫と聖蘭さんが待っているし…。
 空、宝塚さん達を頼んだよ…」
「うん、精一杯みんなを看病するよ…。竜斗も気を付けてね…」
 空は立ち去る竜斗の背中を何時までも見つめ続けた。

 聖蘭の運転する車に乗って、竜斗と姫と大河は夕鶴の家のある西宮市へと向かった。
 夕鶴の家は甲子園球場の周囲を取り囲む住宅街の中にあり、幼なじみである大河の家とも隣り合っていた。
 大河達が夕鶴を呼びに行っている間、竜斗は彼らの家の目の前にある神社の境内で独り空を仰いでいた。
 素盞嗚神社はその名の通りスサノオの尊を奉る神社なのだが、甲子園球場と隣接している為にタイガースの選手やファン、高校野球の必勝祈願をする者が多く、別名タイガース神社等と呼ばれている。
 ボール型やベース型のお守り、タイガース絵巻、野球塚と言うベース型の敷石が名物で普段は参拝客で賑わっているのだが、その時は竜斗以外の人影は無かった。
 夕時を迎えた夏の空はみるみる表情を変え、稲光を伴いながら大粒の雨が降りしきり、竜斗の頬を濡らしていた。
「たまには雨に濡れるのも良いものですわね。まるで、色々なものが洗い流されるような気がしますわ」
 竜斗は声を掛けられるまで、横に姫がいる事に気がつかなかった。
 姫は気配を断ち人の死角に入り込む事に長けているので、突然現れたとしても竜斗は驚かなくなっていた。
 姫はレースの付いた黒い傘を手にしているものの、両手を広げて全身で雨を浴びていた。
「傘…、ささないと風邪惹くよ」
「あらあら、わたくしを誰だと思っているんですの? 雨に濡れたぐらいで体調を崩すような軟弱な鍛え方はしてません事よ」
「そう言えば初めて会った時も、今日みたいな夕立ちの中だったね…。僕は寒かったけど、姫は全然平気そうにしていたもんな…。
 あれから大して経っていないはずなのに、随分と遠くに来てしまった気がするよ…」
 竜斗は目を瞑って雨が降りしきる空を仰いだ。
 姫は大人へと変わって行く少年の横顔を眺める。
「ねぇ、姫…。僕はあれから強くなる事が出来たんだろうか…」
「ええ、貴方は強くなりましたわよ。
 一日一日を、その一瞬一瞬を大切にして、その時々で自分自身が出来る事を考えながら精一杯生きる…。
 そんな、本当の力を手に入れつつありますわ」
「それなのに僕は宝塚さんに何もしてあげられなかった…。
 心が痛いんだ…。怒りで何もかも滅茶苦茶にしたくなる…。悲しみで胸が張り裂けそうになるんだ…」
「人は決して完全な存在では御座いませんから、例えどんなに努力しても出来る事には限りがありますし、例えどんなに苦しくても心を捨て去る事は出来ませんわ。
 貴方はそれを受け入れてなお、人の為に一生懸命になる事が出来るから、誰よりも傷ついてしまうんですの…」
 姫は竜斗を後ろからそっと抱き締めた。
 姫の身体は冷たい雨の中でも温かく、竜斗は優しさに包まれて行くような安堵感に抱かれた。
「でも、わたくしはそんな優しい貴方が大好きですわ…。だから、わたくしにも貴方の痛みを背負わせて下さいな…」
 姫の声はまるで泣いているかのように細く震えていた。
「そして、そう思っているのは、わたくしだけじゃ御座いませんわ。
 貴方には貴方を大切に思ってくれている人達がいるのですから、決して独りで全てを背負い込む必要はありませんことよ…。
 例え力が足りなかったとしたら、誰かと力を合わせれば良いんですの…。
 例え心が傷ついて折れそうなら、誰かと痛みを分合えば良いんですの…。
 それは人を大切にしない者には決して手に入れる事の出来ない掛け替えの無い宝物なのですから…」
「ありがとう、姫…」
 竜斗は自分の胸を抱き締める姫の手を握りしめ、子供のように声を出して泣いた。

生活と学び

 1999年7月25日(日)
「なんや、お前が自分から起きて来るなんて珍しいなぁ。何時もは起されへんとダメでオカンに叱られまくっとったのに。雪でも降るんとちゃうの?」
 風見鶏の館では姫の指針によって休日でも平日と同じ時間に起きて朝食を取る事になっているのだが、皆に遅れずに朝食の間へと現れた大河を見て夕鶴は思わず突っ込んだ。
 夕鶴は生徒会長に狙われる恐れがある為、昨日の夕方から風見鶏の館に匿われて寝泊まりしていた。
 この日は日曜日なので夕鶴も何時もの制服姿ではなく、身体にフィットした細身のTシャツにジーンズにサンダルと言う私服を着用している。
「うっさいわハゲっ!!」
「そう言えばここ最近だよな、ちゃんと起きるようになったのって。それまで聖蘭さんに起されるまで寝てたのに、一体全体どうしちゃったんだ?」
 竜斗は姫の助けもあり、すっかり元気を取り戻していた。
「別に今までは好きで起きれへんかったわけやない、寝ても寝ても疲れが取れへんかったから朝がキツかっただけや!!
 せやけど、最近はちゃんと疲れが取れるようになったんや!!」
「それは正しい睡眠を取れるようになったからですわ。
 始めは大変かもしれませんが、決まった時間に起きて適度に身体を動かす事で、眠りが深くなり一日のサイクルの中で気力・体力を充実させる事が出来るようになるんですの。
 また、休みの日でも目的意識を持つ事で起きやすくなりますわ」
「目的意識ってコイツにあるとは思えへんけどなぁ。なんて言ってもコイツの脳みそは野球の事にしか使えん専用設計やし!」
「専用設計脳みそって、響きが良いな…!」
 竜斗はプルプル震えて笑いを堪える。
「おれやってちゃんと他の事考えられるし、ちゃんとやる事あるんやでぇ!! ホンマのホンマのホンマやでっ!!」
「そうムキになるだけ子供っぽくてアホ丸出しやで! まぁ、今はまごうことなき子供なんやけどね!!」
「ちくしょーっ!!」
 大河は泣きながら震える。
 その時、聖蘭が朝の食事を運び終え、会釈して朝食の間を出て行った。
「ふふふ、仲がよろしいのも結構ですが、冷めないうちに朝ご飯を頂くとしましょう」
「ごちそさん!!」
「早っ!! 幾らなんでも早過ぎだろっ!! 姫の台詞から全く間隔空いて無かったぞ!!」
 せめて改行して行間を空けるか、食べる描写ぐらい挿めよなと思う竜斗であった。
「ほら、さっさと食って準備始めるで!!」
「解ったから、ちょっと待ってろって!!」
 そして、大河の後を追うように竜斗も朝食の間を出て行く。
「あらあら、お行儀が悪いですわね」
「まったくや、アイツらがうちより歳上なんて信じられへんなぁ…。それに準備ってなんの事やろ…?」
「それは食後のお楽しみですわ。わたくし達はゆっくり食事をしましょう」
「にしても、美味しいなぁ。バターロールにスクランブルエッグ、ウィンナーって朝の定番やのに全然他と違うよ。まるで、一流ホテルのモーニングみたいや!」
「ここの家の食べ物は聖蘭さんが用意しているのですが、卵は毎朝淡路島から取り寄せ、ウィンナーは神戸ポークを使った自家製、パンも自家製の焼きたてですわ。
 出来る限り新鮮な地元の食材を使っているって事もありますが、何より安心して楽しく頂けるように食べる人の顔を想像して作るのが料理の秘訣らしいですわよ」
「料理は愛情っていうもんなぁ…。でも、アイツが聖蘭さん凄いって言うのも、最近うちにも解って来たで…。ホント聖蘭さんは凄いんやなぁ…」
「我以外皆我師とは宮本武蔵の遺した言葉ですが、人はそれぞれ違う物をもって生きていて、それぞれに見習うべき所があるんだと思いますわ。
 …もちろん、他人から見れば自身の中にだって見習うべき所があるわけですし、謙虚になりすぎて己を過小評価するのは違いますが」
「ほんまかなぁ…? 竜斗センパイのヘタレなとこ、空のボケたとこ、奏真先輩の八方美人なとこは見習うべきと言えるかも知れへんけど、アイツの口先だけなとこだけは見習いたく無いわ…」
「ふふふっ、では食事も食べ終わったみたいですし、一階ホールまで彼らの様子を見に行くとしましょう」
「でも、うち一人で階段降りれへんし、身長の高い聖蘭さんか、竜斗センパイ呼んだ方が良いんやないの?」
「あら、彼らの手を煩わせる必要はありません事よ」
 そう言うと姫はいとも軽々椅子に腰掛けた夕鶴の身体を抱えてみせた。
「うわっ、うちって見かけによらず重いって言われるのに、姫ちゃんって見かけによらず力持ちなんやなぁ!!」
 夕鶴は大抵の事は自分一人で出来るように訓練をしているが、バリアフリーが整えられていない場所等ではどうしても介護の手を必要とする事があり、その時は父親や大河や奏真のような体格に優れた男性でも大変そうであった。
 それなのに姫はどっしりとした力強さで階段を下がって行く。
「あらあら、女性に対して重いなんて失礼な物言いですわね」
「まったくや!!」
「貴女は見た通り華奢で軽いですし、わたくしも見た目通り可憐で非力ですわよ。
 人の身体は重心が安定しない為に体重よりも重く感じてしまうのですが、コツを知っていると非力でもなんて事は無いんですの」
「そのコツってどんなもんや?」
「相手と自分の腰を密着させる事で、互いの重心を一つにするんですの。隙間があると重心が安定しないので、腰や筋肉に負担をかけてしまいますわ」
「勉強になるわぁ、姫ちゃんって色んな事知っているんやな」
「わたくしの知識・技術・思想の多くは日本古来から伝わる多岐に渡る古武術から抜粋して現代風に応用したものなんですの。
 それが、伝統から今を生きる術を学ぶ新武芸…、わたくしが彼らに教えているものですわ」
 姫に抱きかかえられて一階ホールの椅子に座った夕鶴が見たものは、竜斗と大河がゴム製の武器を使って模擬戦形式の修行を行っている所だった。
「休みの日の朝は自分達でメニューを考えて自主的に練習して頂くようにしてますの。
 例えば呼吸法や型のおさらいをしたり、得意なものを伸ばしたり、不得意なものを克服したり。
 当たり前な練習メニューかもしれませんが、誰かに言われるがまま動くのではなく、その時々で何が必要かを自分の頭で考える事が重要なんですわ」
 竜斗はゴム製の胡蝶刀を使って大河の死角に回り込む攻撃を、大河はゴム製のバットを使って竜斗の攻撃を受け流す防御を、それぞれ重点的に練習しているようだった。
「竜斗センパイは後手に回り過ぎてチャンスを逃したり、あのアホは先走り過ぎて相手にチャンスを与えたりしてたけど、自分らでそれ解ってたんやな…」
 夕鶴は俯いて苦笑しながら言う。
「なんやアイツら!? ガキっぽさは相変わらずやけど、うちが思っていたよりも全然大人やないか…!! がんばってるんやないか…!!
 それが解らへんって、うちのほうがよっぽどガキやないか…!! ああ、恥ずかしいわぁ、ホンマに…!!」
「ふふふっ、あなたは素晴らしい観察眼をお持ちですが、偏見を改める事が出来れば、もっとその才能は伸びますわよ」
「そやね、ありがとな姫ちゃん…!
 いや、お世話になったんはうちだけやない。
 きっと、甘ったれで嫉妬心の強いアイツが負けた後も腐らずにいられたんは、姫ちゃんが尻を叩いてくれたからや。
 一緒に歩いてくれる竜斗センパイと、甘やかしてくれる聖蘭さんが居てくれたからや。
 うち、みんなにお礼したいっ!!」

「な、なんだこれ…!?」
 竜斗がそう言うのも当たり前だった。
 朝の練習を終えて昼時に食卓についた竜斗達を待構えていたのは、今まで見た事が無いような珍妙な料理だった。
 大阪名物と言えばたこ焼き、明石名物と言えば卵焼き(通称明石焼き)が有名であるが、目の前に出されたそれはそのどちらとも違った。
 ソースと青のりがかけられた見紛いようが無いたこ焼きが、茶碗の中で出汁に浸けられているのだ。
「神戸たこ焼きや! たこ焼きを出汁の中で少しずつ崩して食べるんや。それで、最後にソースと混ざり合った出汁を飲むんよ!!
 うち、みんなの為の作ったんやで、美味しいから食べたってや!!」
「・・・う、うむ」
 折角、夕鶴作ってくれたのは嬉しいが、見た目のインパクトが抜群で中々口に運ぶ事が出来ない。
「な、南無三っ!!」
「ってか、何で飯物食うのに気合い入れとんやっ!!」
 と竜斗の隣に居る大河が突っ込んだ。
「う、うまいっ!! 明石焼よりも生地が厚手で出汁が染み込んでも食べ応えがあるし、濃厚なソースとあっさりとした出汁が混ざり込んで味に深みがあるっ!」
「そやろ、そやろ!!」
「…んで、こっちは!?」
 竜斗の視線の先には細かく刻んだ焼きそばと、ご飯が混ぜられたものであった。
「それも神戸名物でそばめしって言うんやで! 食べてや!!」
「これも美味いな!! 焼きそばの塩っぱさと油っぽさがご飯で中和されているし、甘辛い牛すじの煮込みがアクセントになってガンガン箸が進むよ!!」
「そばめしは好みに応じて野菜や魚介類とか色々入れるんやけど、今回うちが使った牛すじ肉とこんにゃくの醤油煮込みも、ぼっかけって言う神戸名物なんやで」
「文句無しに美味いんだけど、これって本当に神戸名物なの? 夕鶴が考えたんじゃなくて!?」
「いやん、竜斗センパイったらそんなに褒めんといて!! いくらうちでも、こんな美味しいもの考えられるほど天才やないで!!」
「いや、それ全然褒めてへんから!!」
 大河が夕鶴に突っ込んだ。
「ええ、夕鶴さんのお作りになった料理は正真正銘神戸の名物です。
 古くから港街として栄えて来た神戸の人は、様々なものを折衷する事で新しいものを作り出す文化を持っています」
 聖蘭が答えた。
 普段ならば使用人として徹底し、決して主達と食事を共にする事は無い聖蘭であったが、この時は皆にごちそうを振る舞いたいと言う夕鶴の意向に従っていた。
「さすが聖蘭さん、神戸人の特性を的確に捉えているで!!」
「ほんまやね!!」
 大河の何時もの聖蘭リスペクトに間の手を入れる夕鶴。
「…おふっ? 何か変やな」
「ふふふっ、更に言うとこれらの名物料理は元々下町である長田区の飲み屋さんや一般のお宅で食されていたものですが、最近になって神戸全域で知られるようになったんですわ。
 このまま行くと、10年後には日本全国でブームになったりするかも知れませんわよ」
「そりゃ、地元としてそうなって欲しいのは山々やけど、幾らなんでも言い過ぎやないか!?」
「あら、世の中はどうなるか解りませんわ、何だったら賭けをしてもよろしくてよ」
「幾らでもええで、負ける気せーへんから!!」
「だったら、1億3千万でどうですの?」
「宝くじかっ!! 幾らでも良いって言ったけど、幾らなんでも高過ぎるやろっ!!」
「あら、わたくしの仕事を手伝って頂ければすぐに返済できますわよ」
「どんな仕事やねん!!」
「ってか、姫って仕事してたんだ!?」
「当たり前ですわよ、働かざる者食うべからずですわ。
 なんだったら竜斗さんも、今までの寝食とわたくしの唇と心を奪った分を、働いて返して頂いてもよろしくてよ。
 ただ、一回仕事を手伝っただけで返せる金額じゃ御座いませんけど」
「どんだけだよっ!? ハメにも程があるよ!!」
「ふふふっ、妥当な金額ですわよ、何だったら具体的な内容をお教えしましょうか?」
「聴きたく無い、聴きたく無い、恐過ぎるっ…!」
 そして、楽しい昼食の時間はあっという間に過ぎて行った。

 竜斗と大河と夕鶴は食卓を囲いパンパンに張ったお腹を落ち着かせていた。
「楽しかったなぁ、こうしてみんなでご飯食べるのも良いもんやなぁ」
「そうだね、なかなかこういう機会って無いもんね」
「どうせやったら、空と奏真先輩と安室さんがいればもっと楽しかったんやけどなぁ…」
「奏真と安室は要らへんやろ!! あんなん、カッコいいだけで別に居ても面白くもなんともないわ!!」
「なんやとぉ!? お前二人に嫉妬してるんとちゃう!?
 少し見直したと思ったら、相変わらずケツの穴の小ちゃい男やなぁ!! そんなんだから、元の姿に戻れへんのやろ!!」
「うっさいわハゲっ!!」
 夕鶴の言葉が図星であると竜斗には痛い程解った。
 少し前まで竜斗も大河と同じように人と自分を比べて嫉妬ばかりしていたから。
「…そう言えば、なんで夕鶴って空や奏真先輩、それに執事の安室さんと前から知り合いなの? 空と奏真先輩とは学年も学区も違うわけだし」
 竜斗はあえて二人の話の間に入って割る事にした。
「…」
 夕鶴は押し黙ってしまった。
「…ごめん、聴いちゃいけない事だったのか」
「いや、竜斗センパイには何時か話さへんといかんと思っていた事や…。ちょっと、湿っぽい話になるんやけど聴いてくれへん?」
「もちろん…!」
「全ての始まりは小五の冬ん時やった。
 何時ものように朝寝てたら突然大きな揺れと共にタンスが襲いかかって来たんや。
 そう、阪神淡路大震災や。
 それで医者に運ばれて手術を受けたんやけど、脊髄が損傷しているから自分の足で歩く事はおろか、うんちやおしっこすら満足にする事も出来ないって言われた。
 そんな身体と一生付き合って行く事になるから、とにかく受け入れて慣れるしかないんやって」
「そうだったのか…」
 竜斗は以前、大河から夕鶴の症状について聴かされた事があったが、その時は怪我は完治しててるって言っていただけに、重い現実にショックを隠せなかった。
 まるで、ガンガン脳みそと胃が揺さぶられるようで気持ち悪かった。
 そして、大河は表情を変えずに黙って俯いている。
「それからはリハビリの日々や。
 動けない事による床ずれや、排泄障害による膀胱炎、腸内感染で入退院も繰り返しとったな。
 まわりに言われるまま、がんばれば、がんばるほど、もう二度と元のようには生きられないって現実が突き付けられるだけで辛いだけやった。
 うちの気も知らんで無責任に前向きな事を言う奴らが、腹立たしくて、腹立たしくて仕方なかった。
 何でそうまでして生きてなきゃアカンのやって、誰ふりかまわずあたり散らし、殺してくれって叫びまくってたよ」
 竜斗は唇を噛み締めても、溢れる涙を堪える事が出来なかった。
 夕鶴の気持ちを完全に理解する事は出来ないものの、辛い思い出から立ち直れていない気持ちが痛い程伝わって来たからだ。
「ごめんなぁ、この話をすれば純粋な竜斗センパイは傷つくって解ってたけど、どうしても聴いてもらいたかったんや…」
「僕の方こそ今まで夕鶴の気持ちに気付く事が出来なくてゴメンね。…でも、辛い事を思い出したく無いだろうに、それを僕に話してくれるのは凄く嬉しいよ」
「ありがとな、センパイ…!」
 夕鶴は鼻声で言うと瞳に浮かんだ涙をハンカチで拭う。
「それで、地震から丁度一年が経った小学校の終わり頃、入院していたうちの病室にオールバックでサングラスをかけたスーツ姿の長身の男が現れたんや。
 …そう、ブラフマンや。
 ブラフマンはある研究の過程で産み出された再生能力を試してみたいから、うちにその実験台にならないかって誘って来たんや。
 滅茶苦茶怪しいって思ったけど、もうどうにでもなれって状態やったから、ヤケクソで引き受ける事にしたんや」
「まさか、そこでブラフマンが出て来るとは…」
「これは、あとで知った事やけど、旭陽家は代々続く有数な資産家であり、国に資金提供してるから色んな所にパイプを持っているんやって。
 それで、病院や学校、公共施設を使った実験が出来るんやろうね。
 執事の安室さんが病室に沢山のカメラが設置して、大勢の学者が見守る中でうちはブラフマンに暗示を受けたんや。
 お経のように低く唸るような声やったけど、信じる事で特別な力を受け入れる事が出来るよって、みんな普段特別授業で聴いているのと同じような内容やったよ。
 それから、場所を手術室に移してうつ伏せになった上で、体中を固定されて滅菌布を被せられ、部分麻酔で背中を切り開かれて脊髄を露出させられたんや。
 その状態をうちはモニターで見させられて。
 能力ってのは催眠術の延長線上にあるらしいので、視覚で力の存在を確認しないと効果が出にくいんやって。
 そんで、とうとう能力を発揮するって言う人達が病室に入って来た。
 たいそうな手術着を着こんでいるものの、体型から中学生ぐらいのひょろっとした男の子と、チビっこい女の子やってすぐ解ったよ」
「その二人って、まさか…?」
「そう、中学生の頃の空と奏真先輩や。
 二人は当時から仲が良いのはすぐに解ったよ。
 なんせ、アジの開きにされたうちを見て小さく悲鳴をあげた空を、奏真先輩が諭すように優しく抱き締めていたんやから。
 身体動くんやったら、その場でぶっ飛ばしたいって思ったわ」
「ははは…、それは微妙に解る気がするよ」
 大河も俯いたまま、うんうんと頷く。
「んで、ブラフマンがこの子を救う為に頑張ってくれるか、みたいな事を言って二人は覚悟を決めたようや。
 そして、事もあろうか、うちの目の前でアイツらキスしやがったんや!
 もう、我慢ならん!! …そう思った時、奏真先輩の身体の周りに光を放つ空間が広がってタロットカードが出現し、それを掴み取ると円盤状の武器に変化した。
 実は超常現象なんてあり得へんと思ってただけに、度肝を抜かれて放心状態になってもうたよ」
「まさか、そんな前から奏真先輩がアルカナの力を使えたなんて…」
「後で聴く所によると、太陽の暗示を持つ奏真先輩は、愚者であるブラフマン、うちの知らない教皇と女教皇に続く史上四人目のアルカナなんやって。
 それで、意を決した奏真先輩はうちの背中に手をかざしたんや。
 その瞬間、うちは奏真先輩の作り出す世界観のようなものに囲まれて、怪我をした時に埋め込まれた背骨を固定するボルトが体外へと弾き飛ばされ、様子を見る為に切開された部分がみるみる塞がって行ったんや。
 周囲から歓声が上がった。
 うちも実験が成功したって思った。
 でも、それは大きな間違いやったんや。
 麻酔がかけられているのに、死んだ方がましだって言う程の痛みに襲われて、うちは全身を固定するバンドを引きちぎり、苦しみもだえる中で意識を失った。
 そして、次に目が覚めた時、うちは自分の足に感覚が戻っている事に気がついた。
 うんちもおしっこも自分の意思で出来るようになっとった。
 でも、自分の意思で足を動かそうとすると、気が狂いそうになる程の激痛が走るんで結局歩く事は出来ないままやった。
 ブラフマンの話やと不完全なアルカナの力では因果応報を覆す事は出来ず、それが痛みとして現れているんだろうって。
 そりゃそうや、一生もんの怪我が超能力で治るなんて、そんな都合の良すぎる話はあるわけ無いんやから。
 でも、怪我は完治しているので希望はあるだろうって、ブラフマンの診療所で経過を看て行く事になったんや。
 正直、希望も何もあらへんって思っとったけど、そこで奏真先輩と空に出会ってアイツらの事情と実験の目的を知らされて、辛いのはうちだけや無いって知って一緒に頑張って行こう思ったんや。
 アイツらとはそっからの付き合いやね」
「ひょっとして、今行われている特別授業の真の目的も同じ理由なのか…?」
「そうや…。でも、うちの口からはそれ以上は言えへん…」
「…」
 竜斗は以前にも同じような事を夕鶴から言われた事がある気がして、ひょっとしたら何か繋がりがあるんじゃないかと思った。
 それが何時何処で言った事か思い出す事は出来なかったが、代わりに思い出した事があった。
 それは太陽のように竜斗の心の中で光を放ち、胸を大きく高鳴らせる。
「そう言えば、前に奏真先輩の戦いを観戦している時に、夕鶴は能力を良く知っているって言ってたな…!」
「うん、うちは自分で能力を体感したって意味や」
「って事はあの戦いで全身を再生して、今も動きまくっている奏真先輩は、その痛みに絶えまなく耐え切っているって事か…?」
「あの痛みに耐えるって、はっきり言って人間業じゃないわ…」
 竜斗は夕鶴の体験談から奏真の抱える痛みを想像して戦慄する。
 一体、何がそこまで彼を支え、戦いへと駆り立てていると言うのだろうか、竜斗は想像しても解らなかった。
 ただ、そんな人間離れした相手と戦うだけの強い信念を自分が持ち合わせていない事だけは明らかだった。
 でも、問題はそんな事じゃない。
「奏真先輩が痛みを克服しているって事は、他の人だって可能性があり得るって事だよね!?」
「うちには無理やったけど、そう言う事になるんやろうね…」
「だったら、奏真先輩に頼んで、生徒会長にやられた宝塚さん達を治せないかな…!?」
「それは良い考えやと思うで!!
 怪我の程度と痛みは比例すると思うし、うちや奏真先輩ぐらいの怪我やったら痛みも酷いけど、骨折や筋の断絶ぐらいやったら耐えられん事も無いかも!!」
「…おれは反対やな」
 今まで黙って聴いていた大河は独り反対意見を述べた。
「えっ、何でだよ!?」
「確かに可能性はあると思うで。
 でも、お前は自分で宝塚達の為に何かしたいって決めたんやろ、それなのにアイツの力を借りるなんて悔しくあらへんのか?!
 自分が何も出来へんって、負けを認めたって事にならへんか!?」
「大河…」
 大河はきっと夕鶴の力になれない自分に悔しい思いをして来たんだろうと竜斗は思った。
 それで力になる事が出来る奏真に対して嫉妬して来たんだ。
「僕一人の力じゃ宝塚さん達の為にしてあげられる事はたかが知れている…。
 でも、自分の力が足りないって事を受け入れて、他の人の力を借りればもっと大きな力になる事も出来るかもしれない…!
 それが今の僕に出来る事だから、どんなに悔しくても突き進むだけだよ…!!」
「そうか、それがお前の答えなんか…。
 お前はどんなに強い奴にも絶対に負けず、何処までも自分の意思を貫いてくれるって思ってた…。
 そやのに、結局は奏真の奴に媚びへつらうしか無いなんて、おれと同じ負け犬やないかっ…!
 おまえに期待していたおれがアホやったで…!!」
「アホはお前やっ!!!」
 夕鶴は手にしたコーヒーカップをテーブルの反対側に座る大河に投げつけた。
「うち、お前の事見直していたんやでっ!!
 負けた事を乗り越えて精一杯頑張ってるって思ったんやけど、何も変わってへんやないかっ!!!」
 夕鶴は椅子から転がり落ちて泣き崩れた。
「夕鶴…!!」
 竜斗は夕鶴の肩を抱く。
「出て行けっ! 出て行ってくれっ!! もう二度とうちらの前に顔見せんなっ!!!」
「言われなくてもそうするで…! おれかて奏真の奴に群がるお前らを見てられへんからな…!!」
 大河は頭から血を流しつつ食堂から立ち去ろうとする。
「竜斗、どんな情けないお前でも良いから、夕鶴の事だけは絶対に守ってやってくれや…」
 そして、捨て台詞を吐いて姿を消した。
「自分勝手な事言うなよ、馬鹿野郎がっ!! 自分で守れよなっ!!!」
 竜斗は夕鶴を抱きつつ、床に拳を突き立てた。
「姫っ!! どうせ、そこに居るんだろっ!?」
「ええ、始めから隣で見てましたわ」
 竜斗のすぐ横に姫の姿が現れる。
 姫の姿を見た竜斗は何故かホッとした気分になる。
「大河を頼むよ…。僕は聖蘭さんに送って貰って奏真先輩の所に行って来るから…」
「…うちも連れてってや。少しでも気を晴らしたいんや」
「それは構いませんが途中で襲撃される可能性も高いと思いますわ。
 聖蘭さんはボディーガードとして優秀ですが、手段を選ばないアルカナの前では無力に等しいと言えます。十分気を付けて下さいな」

目を背けて

 聖蘭の運転する車に乗せられてやって来た先は、神戸市長田区だった。
 先ほど姫の話でも取り上げられていたが、神戸の下町と言われる情緒ある地域である。
 だが、竜斗達がやって来た新湊川の堤防沿のとある路地は、形容しがたい異様な雰囲気が漂っていた。
 まるで阪神淡路大震災から時が止まっているかのように、路地に沿って倒壊して荒れ果てた住居が何処までも連なっているのだ。
 火災で焼け崩れた住宅、壁が無くなり中身が見えている住宅、戦後を思わせるバラック住宅などから、風が吹く度にカラカラと言う音が聞こえて来る。
 ゴミと雑草に塗れた通りは廃墟としか言いようがない様を晒しているのに、すぐ近くには人の暮らす通りが存在するのがあまりにも異様であった。
 夕鶴は辛い記憶を思い起こされるのか身体を震わせていた。
「なんやここ…! こんな所があるなんてうち知らへんかったよ…!!」
「真相は確かではありませんが、元々は市有地に不法占拠によって家が建てられた地域であり、震災後に所有権の問題から再建される事なく住民が転居し、以来放置されていると言う説があります」
 夕鶴の車椅子を押す聖蘭が説明する。
 明らか様に廃墟となっている通りを抜けて、人々が生活する通りに出ても荒れ果てた廃屋は多く、震災後の復興が進まずにそのまま放置されているのが見て取れる。
「まるで、ゴーストタウンだな…」
「元々住んでいた若い世代の方々は他の地域へと転居し、残された高齢者は世間から忘れ去られて孤立し、そのまま孤独死を迎える事も多いと聴きます」
 竜斗達は神戸の知られざる姿を垣間見ながら歩みを進める。
「奏真さんの住居はここになっています」
 地下鉄が走る大通りを跨いだ向かい側は、新しく綺麗な市営団地が立ち並ぶ地域となっていた。
「見た目は新しいけど、空き室ばっかみたいや…」
 確かにこれほど良い陽気なのにベランダに洗濯物を干している箇所は少なく、人が生活している気配は感じられなかった。
「ええ、復興案として次々に新しい団地が建造されましたが、全くと言って良い程に入居が進んでいないようです」
「まさか、建物だけを作ってそれで復興したって言っているのか?」
「はい、この後は復興対策が打ち切られる方向となっていますし、今後は世間からも忘れ去られて支援金が送られる事も無いでしょう」
「あれから何年も経っているけど、今も夕鶴は歩く事が出来ていないし、宝塚さんや他のみんなだって心の傷を背負っている…。
 こうして、復興が進まずに忘れ去られている地域が存在する…。
 僕は神戸の華やかな所だけを見て、震災を乗り越えたと思っていた。
 だけど、それは都合の良い所だけを見て、都合の悪い所を見ないようにしていただけなのかも知れない。
 本当は今も震災は続いている、そして今後も続いて行く、それが神戸の現実なのか…」 
 エレベーターから降りると、解放廊下に何処までも同じような玄関が続いている。
「この部屋ですね」
 奏真が住んでいると言う部屋には表札も無ければ生活を感じさせる物も無く、磨りガラスになった窓も閉め切られている為に他の空き室と全く区別がつかなかった。
「本当にここなのかな?」
「間違い有りません」
「とりあえず、ピンポン押してみるか…、って鳴らないし」
 竜斗が扉を叩くが反応が無い。
「うち、夕鶴やけど、奏真先輩おらへんか?!」
 夕鶴が声を出すが返事が無い。
「居ないのかな…?」
 と竜斗が駄目で元々でドアノブを引っぱりながら回すと扉が開いてしまった。
「あら、開いちゃった…。どうする?」
「もちろん、お邪魔するに決まっているやろ! ほら、ぼーっとしとらんで、うちを背負わへんか!!」
「マジかよ…」
 竜斗は車椅子から夕鶴を引っぱり起こして背負ったが、竜斗の背中と夕鶴のお腹の間には隙間があり、歩こうとすると重みを感じてずり落ちて来る。
「ほら、しっかりくっ付いて重心を一つにしないと、身体が安定せーへんよ!」
「ちぇ、解ったよ…!」
 全く持って気が進まなかったが、仕方無く夕鶴のお尻を掴んで自分の背中に引き寄せる。
 すると今までの重さが嘘のように軽く感じた。
 しかし、夕鶴は胸もお尻もふくらみが殆ど無いマッチ棒のような体型なので、女の子を背負っていると言う感覚では無かったのは幸いであった。
「どや、うちと密着出来て嬉しいやろ?」
「な、なんだってぇ…?!」
「アホっ!! 台詞の使いどころ間違えているやろ!!」
 竜斗は夕鶴に後ろから頭を叩かれた。
「あだっ!! なんか最近、センパイ扱いされて無い気がするんだよなぁ…!!」
「自業自得や!!」
 そして、聖蘭を一人残して夕鶴を背負った竜斗は、玄関に靴を脱ぎ捨てて廊下へと上がる。
「うへっ、埃だらけだよ…!!」
 一切の物が置かれていない廊下は埃が堆積していて歩く度にベタくので、極力踏む面積を少なくしようと爪先で歩こうとするが、夕鶴を背負っている為にフラついてしまう。
「ほら、まっすぐ歩けや!!」
 廊下を抜けた所はリビングとなっていた。
 廊下にバス・トイレの扉が並んで、リビングとキッチンが一体となっているワンルームの間取だ。
 リビングはパイプベッドと、ベッドサイドテーブル、それから独身向けの小型冷蔵庫があるだけだった。
「部屋ってその人の世界観ってものが凄く出ると思うんだけど、奏真先輩のイメージと全然違う…」
「ほんまやね、何か無機質な感じや…」
「あれは…?」
 竜斗はベッドサイドテーブルの上を見る。
「空のリボンのようやね…」
「ただ、大分古いみたいだし、黒い染みが出来ている…。まさか、血じゃないよな…?」
 その時、廊下にある扉が開いて、全身から湯気を立ち上らせた古代ローマの彫像を思わせる男性の裸体が現れた。
「お、誰かと思ったら君達か」
 他でも無い奏真だった。
「きゃー!! なんやこのサービスシーンは!? 美味しい!! 美味し過ぎるでっ!!」
 竜斗の背中で奏真の裸体を見た夕鶴が手をバタバタと動かして、甲高い悲鳴をあげて狂喜乱舞する。
「五月蝿いから、耳元で叫ぶなよな!!」
「そんな事言うたって仕方ないやろっ!!」
「ふっ、華やかな客人が来てくれると男の一人暮らしも色付くものだな。しかし、今日は大河は一緒じゃないのかい?」
 奏真はジーパンを履きながら言う。
 その名を聴いた竜斗と夕鶴はズーンと沈んだ顔になる。
「うちらの前でその名を口にせんといてや…」
「…そんな事より、今日は奏真先輩にお願いがあって来たんだ!!」

 竜斗と夕鶴は奏真を連れて聖蘭の運転する車で海岸ビル内のブラフマンの診療所へとやって来た。
 診療所では主であるブラフマン、娘の空、執事の安室が迎え入れてくれた。
「良く来てくれた。準備は既に整っている」
「あ、ありがとうございます。随分と手際が良いんですね」
「そこに居る聖蘭君から予め連絡を受けていたと言う事もある。
 だが、奏真君の能力を使用して生徒達の治療をする事は、君の立案の前に計画していた事であったのだ。
 奏真君のアルカナは未だ完成されていない為に真の意味で病状を回復させられないが、それでも生徒達に可能性を啓示する事が出来る。
 また、被験した生徒達の中に痛みを乗り越え因果を完全に覆す事が出来る者が現れれば、臨床実験として意義のあるものとなり、今後多くの人を救う事にも繋がるからな。
 しかし、想定外の事態によって私の計画は頓挫する事となったのだ」
「どうしてですか…?」
「昨日の段階で多くの生徒の同意を得る事が出来なかったのだ。
 恐らく私の規格外である一部の戦闘の観戦を積み重ねる事により、生徒達の中に能力に対する恐怖や不信感が植え付けられた事が要因であると考えられる」
「そんな…」
 竜斗は自分以外の戦闘を幾つか観戦したが、他の観客は生徒達が能力を使って戦い合う、幻想的な光景に熱狂して現実感を失っていた印象であった。
 確かにあのような戦いを見続ければ、どのような事態になったとしても、能力に対して疑問を抱く事は無かっただろう。
 だが、そのブラフマンの計画を狂わせたのは、他ならぬ竜斗と姫の活躍だろう。
 姫の指導によって竜斗が能力を使わずに戦い抜く事で、ブラフマンの想定した以外の感想を生徒達に植え付けたに違い無い。
 水面下で続いていた姫とブラフマンの戦いが、今となって表面化しつつあるのだ。
 自らの努力が報わる事は嬉しくはあるが、その結果生徒達が治療を拒む原因に繋がったと言う事は心苦しくあった。
「だが、案ずる事は無い。
 先ほど君から同様の提案を受けた事を話した事で、ようやく生徒達の同意を得る事が出来たのだ。
 君には私の理解を超え、皆の心を惹き付ける力があるのだろう。
 君のおかげで皆を治療する事が出来ると言う事だけは確かだ、心から礼を言わせてもらおう」
「いや、僕はただ自分がそうしたいと思っただけですよ」
 竜斗はほっと胸をなで下ろす。
「ふっ、謙遜する必要は無い。君は君が思っている以上に素晴らしい少年だ。君を前にすると私も考えを改めざるを得ない事を実感させられるな」
 ブラフマンは近くにいる聖蘭に何やら目配らせしていた。
 そして、聖蘭は意を決したように深く頷く。
「だが、いまだ一組だけ同意を得る事が出来ていない二人の生徒がいるのだ。君も知っているだろう、工藤拓也君と木村静香君の二人だ」
「工藤と木村…?」
 竜斗は思い出そうとしたが、その名前に該当する人物を思い出す事が出来ない。
「君は誰だか解っていないようだが、顔を見れば思い出すと思う。
 彼らは私が何を言っても頑に話を聴こうとしないのだが、君の話ならば聴いてくれるかもしれないので、ここは一つ頼んでも良いだろうか?」
「…もちろん良いですよ! みんなの為に僕に出来る事だったら何でもしますから!!」

「あ? 何だテメェら!? 勝手に入って来るんじゃねぇよ!?」
「アタイラの前から消えなっ!!」
 竜斗と夕鶴が入室した病室にいたのは身体中を包帯やギブスでグルグル巻きにされた、リーゼント頭の男子生徒と、パーマ頭の女子生徒だった。
 かつて、竜斗と戦って破れたNo.15のアルカナであった生徒会書記と、そのパートナーである生徒会会計の二人だ。
「あれ、病室を間違ったかな? ゴメン、出て行くよ…」
 と竜斗は表に出て表札を確認すると、間違い無く工藤拓也と木村静香と書いてある。
「おかしいな、ここで間違い無いはずなんだけど…。まさか、あの人達がそうなんじゃないかな…?」
「まさか、それは無いやろ! だって、アイツら工藤拓也とか木村静香って顔やあらへんし!!」
「僕もそう思うんだよな、どう見ても名前と顔があってないし…。頼まれてしまった以上、ダメ元でもう一度確認してみるか…」
 ガラガラガラ。
「君たち工藤君って人と、木村さんって人知らないかい?」
「てめぇら、病室の前で好き勝手言いやがって!! そんなに俺達が工藤と木村じゃ悪いのかよっ!? あっ!?」
「アタイらを舐めんじゃないよっ!!」
「出来ればそうであって欲しくなかったのは事実だが…」
「そや!! お前らドブ朗、ブス子って改名した方がええで!! うち、改名手続き手伝ってやるで!!」
「ぷっ…、それ似合い過ぎだろ!!」
「ザケンじゃないよっ!!」
「ぶっ殺す!!」
「出来もしない事、言うもんやないで!!」
「…夕鶴、お前なかなか強気だなっ!」
「くっ、テメェら一体何の用だよ!? 用が無いなら早く消えろっ!!」
「帰りたいのは山々だけど、生憎ながら話があって来たんだ」
「あ!? あのスカした野郎の能力で怪我を治せって話はお呼びじゃねぇんだよ!!」
「なんで、そんなにも嫌がるんだよ?」
「決まってんだろ!? それが俺達のケジメだからだ!!
 この世は弱肉強食だ!! 弱い奴は生きている価値は無ねーんだよ!! 無様な負けを晒しても、のうのうと生き続けるなんて俺達のプライドが緩さねぇ!!
 だから、この粛清は当然の結果に決まってんだろ!!」
「ふっ…」
「あ!? 何笑ってやがんだよ!!」
「いや、君たちがあまりにも小さ過ぎると思って…」
「な、なんだと!?」
「だって、この学校って狭い世界でも僕より凄い人はいるし、もっと広い世界に出たらそれこそ凄い人だらけなんだよ。
 そう、この学校で起きる事が世界の全てじゃないんだ。
 何時か卒業して就職して、其々の道を歩み続ければ何時かは思い知らされるはずだよ、自分に感じている万能感なんか幻想に過ぎないって事をさ。
 君たちは自分自身が弱いって現実を受け入れたくないから、ただをこねてるだけにしか思えないよ」
「はっ!! それの何が悪いんだってんだ!! 負けた事が無いお前に俺らの何が解るんだよ!?」
「舐めた事ばっか言うとしばくよ、コラ!?」
「気持ちならば解るよ、僕は何時も負け続けているからさ…」
 竜斗は天井を仰ぎながら言う。
 竜斗のその言葉の重さに工藤と木村も押し黙ってしまう。
「僕はこの学校に来る前、本当の自分を持っていないような、空っぽな生き方をしていたんだ。
 そんな自分を変えたくてこの学校にやって来たけども、そこで待っていたのは僕なんかよりよっぽど凄いって見ただけでも解る人達だった。
 それでも、彼らに負けないぐらい本気で生きよう、そう思った矢先に待っていたのは絶対的な敗北だ。
 生徒会長は僕が本来の持ち主を倒して月のアルカナを奪い取ったと言ったが本当は違うんだ、僕は彼に完膚無きままに叩きのめされたんだ。
 彼を倒したのは香夜姫…そう、僕のパートナーさ。
 彼女は破壊的なアルカナの力を前にして何ら特殊な力を使わないで圧勝し、奪い取った月のアルカナを僕にくれたんだ」
「けっ、テメェは最低の卑怯者で負け犬だな!! テメェみたいな奴は許さねぇ、生きているが価値ねぇ!! 俺の身体が動くならブチ殺してやるっ!!!」
「そんときはアタイも協力するよっ!!」
「こりゃアカン!!」
 殺気立つ工藤と木村を前に夕鶴は狼狽する。
 だが、竜斗は涼しい顔だった。
「残念だけどそれは無理だと思うよ」
「生意気言うんじゃないよっ!!」
「何故ならば僕は今、パートナーである姫から戦う術を、生きる術を教わっているんだ。
 君たちに勝っただけではなく、次には宝塚さんに勝ち、今は生徒会長とも戦おうとしている。
 そして、トーナメントの決勝で奏真先輩を倒す事が目標なのさ。
 かつての僕からは信じられないぐらい強くなっているし、アルカナを失った君たちじゃ勝てないと思うよ」
「なんだとぉ!?」
「はんっ、アンタ、言うじゃないのさ!! ゾクゾクするねぇ!!」
 木村は何故か恍惚とした表情を浮かべた。
「でも、姫はそんな僕の遥か先の世界で生きている。
 僕が努力した何百倍もの時間を彼女は積み重ねている、僕が強くなればなる程彼女の強さが痛い程解るんだ。
 そう、僕は今も毎日負けて、悔しい思いをし続けているのさ。
 でも、それで良いんだ、悔しいのは自分が本気で生きている事の証だから。
 本気を出さなければ負けたとしても言い訳できるし、永遠に負けを感じる事は無いかもしれないけど、そんなのカッコ悪すぎるだろ。
 そして、何時かは姫と肩を並べて戦う事の出来る、彼女に見合う男になりたいと思っている…それが僕の夢なんだ…!」
「あ、結局テメェは何が言いたいんだよ!?」
「人間は負けを受け入れて、そこから先どうするかが大切ってことだよ。
 そこで、諦めてしまったら空っぽな人生を送るだけ…、それこそ君たちの言う通り死んだ方がましさ。
 君たちがそこまでの人間だって言うんだったら僕はそれで良いよ。
 だけど、僕は何時までも先に進み続けるつもりだよ、夢に向かって…!
 こんな所じゃ止まらないよ、行こう夕鶴…」
 竜斗は夕鶴の車椅子を押して病室を出ようとする。
「待て!! 待ちやがれ!! 治療を受けてやるっ!! そして、いつかテメェをぶっ飛ばしてやるっ!! もちろん、特殊能力無しのステゴロのタイマンでな!!」
 竜斗は工藤と木村に背を向けてニヤリと笑った。

 そして、いよいよ生徒会長の粛清を受けた生徒達の治療が、其々の収容された病室で開始されてる事となった。
 まずは宝塚からである。
「この鎖で宝塚さんを縛り付けるなんて…」
 準備を手伝う竜斗が躊躇うのは無理も無い。
 なにせ、精神病棟や刑務所で使用される拘束衣の上から、更に太い鎖で身体を縛り付けようとしているのだから。
「これは、一種の催眠によって人間に眠る未知の力を発揮させ、損傷した部位を再生させると言う行為だ。
 それに伴う激しい痛みによって理性を無くした場合、被験者が持てる限界を越えた力で暴走するケースが過去の検証で確認されている」
 ブラフマンの説明に竜斗は夕鶴から聴いた話を思いだす。
「いいのよ、これは私自身が望んだ事だから。
 どれだけ苦しんだとしても、またフェンシングが出来るようになるかも知れない…、少しでも可能性があったら私はそれに賭けたいんだ。
 その可能性を示してくれた竜斗くんには感謝しているの、だから、心を痛める必要は全く無いよ」
「宝塚さん…」
「でも、出来れば竜斗くんには治療中病室にいて欲しく無い…。私のみっとも無い姿…見られたくないから」
 そして、ブラフマンが宝塚の口に舌を噛む事を防ぐ為のマウスピースをはめ込む。
「がんばってね…!」
「うちも応援しとるで…!」
 それを横目で眺めつつ、竜斗は夕鶴の車椅子を押しながら病室を出る。
 そして、入れ替わりに奏真と空が入室して来た。
「ふたりとも、宝塚さんをよろしく頼むね…」
「うんっ、任せといて!!」
「ああ、俺の名に賭けて全力を尽くす!!」

 そして、竜斗と夕鶴の待つ待合室では、治療を受ける生徒達の耳をつんざくような苦悶の声が響いていた。
 夕鶴は脳裏に浮かぶ暗い過去を振り払うように頭を抱え込み、竜斗は両手を強く握りしめて目を瞑り全身を冷たい汗で濡らしていた。
 その様子を少し離れた所で聖蘭が見守っている。
 ただ待つ事しか出来ない地獄のような状況が延々と続き、やがてビルの壁の向こうで夏の太陽が沈みかけた頃、汗に塗れた奏真と彼を支える空が姿を現した。
 竜斗は能力を使うのにどれだけの気力を使うか解らないが、奏真は明るい表情の中に多少の疲れを感じさせた。
「無事、全員分の治療を終える事が出来たよ」
「ありがとう、お疲れ様…」
「どうしたの…? そんなに暗い顔しちゃって…」
 空が心配そうに竜斗の顔を覗き込む。
「僕がみんなに苦しみを与えてしまったんじゃないかって思ったんだ…。
 僕が夕鶴の話を聞いて都合の良い所だけを見て、みんなが苦しむかも知れないと言う事を考えなかったから…。
 そんなの偽善じゃないか…」
「竜斗の気持ち、解るよ…」
 竜斗の強く握られた拳を空が優しく包み込む。
「空は何時も思ってるの、誰かの為に生きられたら良いなって…。そうすれば自分の人生を意味のあるものに出来るんじゃないかって…。
 でもね、空が誰かの為を思う事で、その人を苦しめてるって感じる事があるの…」
 空がその言葉の裏に奏真を思っている事は竜斗にも解った。
 だが、二人が抱える何か大きなもの片鱗を感じる事が出来ても、それが何かまでは推し量る事は出来ないし、それを知ってしまう事に言い知れぬ恐怖を感じた。
「空…」
「でも、心が痛くても空は思う事を止めないよ。
 だって、立ち止まってても何も変わらないし、誰かの事を思い続けている限り空は自分でいられるんだから」
「そうやね、何が正しいなんて、誰にも解らへん。
 でも、少なくてもうちはあの時、奏真先輩と空に助けてもらって良かったと思ってるで。
 そりゃ、未だに歩く事が出来ないかも知れへんけど、今もこうして希望を持って生きる事が出来ているし、二人とも友達になる事が出来たんやから」
「ありがとう、夕鶴!!」
 夕鶴は空に抱きついた。
「こら、空…!! 暑苦しいやろ!!」
 と言いつつも夕鶴も嬉しそうであった。
「…きっと、大丈夫や! みんなうまく行く!! 今は迷う事もあるかもしれへんけど、何時か何もかも無駄やなかったって思える時が来ると思うよ…!!」
「ふっ、そうなれるように生きて行こうじゃないか」
 奏真が微笑しながら拳を強く握る。
「うん、そうだね…!」


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