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始めの一歩

 竜斗を乗せたロールスロイス・シルバークラウドツーは、六甲ライナーと呼ばれるモノレールの下を走る橋を渡り、六甲アイランドへと向かっていた。
 六甲アイランド…それは神戸の海に浮かぶ人工の島。
 島の中心地には様々な企業や、住宅街、店舗、公共施設等があり、特にファッション関連の施設が多い。
 また、島の周囲には沢山の工場が建てられているが、人々の暮らす島の中央部分とは公園や遊歩道、緑地等で隔たれ、工場地帯からの排気ガスが都市部へ流れる事を防いでいる。
 まさに人々の生活がデザインされた最先端を行く都市である。
 車が停車した所はかつて六甲アイランドに存在したアミューズメントパークの跡地であった。
 世界最大最多のウォータースライダーが有名で人気を博していたが、かの大震災の際に壊滅的な被害を受けて復旧の目処が立たず、1999年の今となっても廃墟となったまま放置されている。
「降りて下さい」
 聖蘭は竜斗の乗った後部座席の扉を開け放つ。
 空を見上げるとポツリポツリと雨が竜斗の頬を打つ。
 あれだけ晴れて居た空はあっという間に暗雲に包まれ、時折光と共に低く唸るような音を轟かせていた。
「この先に主がお待ちです」
 聖蘭が施設を取り囲むフェンスを開け放つと、竜斗はその敷地内へと足を進めた。
 ガチャンと言う音に振り返ると、フェンスは閉め切られていた。
 そして、間もなくして車を発進させる音が聞こえる。
「一人で行けという事か…」
 敷地内はベニスの街を思わせる運河に囲まれ、幾つかのエリアに別れていた。
 瓦礫を避けながらひたすらまっすぐ進むと、南の果てに桟橋を模していたと思われる場所にたどり着いた。
 そこに三つの人影を発見する。
 竜斗は少し離れた所から三人を観察する。
 一人は竜斗と同じぐらいの背丈でゴスロリ衣装を着た少女だ。
 彼女に対峙するように、カーキ色の学生服を着た七三分けの男子生徒と、お下げ髪のメガネをかけた女子生徒が立っている。
 竜斗はその男子生徒と女子生徒の二人に見覚えがあった。
 今朝、竜斗に体罰を加えようとした風紀委員…通称粛清委員の二人だ。
「貴様巫山戯るな!!」
 遠巻きでも解る程の風紀委員長の怒号が響く。
 七三分けの男子生徒がゴスロリ少女の胸ぐらを掴むのが見える。
 どうやら、風紀委員の二人がゴスロリ少女に絡んでいるようだった。
 朝の自分自身の姿とゴスロリ少女の姿が重なり、竜斗の胸は早鐘を打つ。
 あの二人の事だ暴力的な手段に出るのが目に見えている。
 緊張で脚がガクガクと震え、滝のように汗が流れ喉が乾く。
 雨は音を立てて叩き付けるように強く降り出す。
 周囲が真っ白に反転するかのような稲光と共に、大地を揺るがすような轟音が響く。
 急激に冷える気温の中で、火照った竜斗の体からはゆらゆらと湯気が立ち上っていた。
「どうする…?」
 竜斗は額の汗を腕で拭いながら必死で頭を回転させる。
 電話番号を交換した大河に助けを呼ぶか?
 警察を呼ぶか?
 駄目だ、そんなの間に合うはずがない。
 副委員長が跪き、委員長に調教鞭を捧げる。
 ドクン…!!
 ドクン…!!
 自分の心臓の音がやけに五月蝿く感じ、全ての動きがスローモーションのように感じる。
 どうする…?
 どうする…?
 そう、この場であの子を助けられるのは僕しかいない。
 僕が助ける…?
 体格も精神力も劣っている、何一つ特別なものを持っていない僕が…?
 無理に決まっている…!
 一瞬意識が飛ぶかのような衝撃と共にウォータースライダーの残骸に落ちて弾ける雷光。 
 その時、竜斗の脳裏に長身の後ろ姿が浮かぶ。
 それは今朝、颯爽と現れて助けられた時から、焼き付いて離れない奏真の姿であった。
 そして、奏真が大河に言った言葉がリフレインされる。
「自分をそんな風に思っていたら、出来る事も出来なくなるよ。
 人は誰だって色んな可能性を持っているけど、それを実現出来ないのは自分を信じる事が出来ないからさ」
 そうだ、やる前から諦めていてどうするんだ…!!
 僕は自分自身を変えたくてここに来たんだろ…!!
 僕が彼女を助けなきゃ…!!
「やめろっ!!」
 竜斗は脳裏に焼き付いた奏真の後ろ姿と重ねるように踏み出し、ゴスロリ少女と風紀委員との間に躍り出た。
 僕は奏真先輩みたいになるんだ…!!
「お前は今朝の転校生…! この女の仲間と言うわけか…!?」
「その子に手を出すのならば、僕が相手だ…!!」
「今朝とは違い、今のお前からは強い意志を感じる…!
 良いだろうっ!
 お前の考えを…! お前の感性を…! お前の行動を…!!
 その拳に秘めて見せるが良い!!
 それが出来なければ我が規則に従い粛清を受けてもらうぞ!!」
 対峙する竜斗と風紀委員長。
 その体格差は明らかだ。
 手を拱いていたらやられるのみだ。
 こうなったら、先手必勝!!
 竜斗は拳を振りかざして風紀委員長へと殴りかかる。
 だが、その構えは誰の目から見てもへなちょこであり、風紀委員は難なく避けるとかわし様に鳩尾に蹴りを入れる。
「ぐえっ…!!」
 反吐を出しながら倒れ込む竜斗。
 痛みというより苦しくて目眩がする。
 このまま意識を失った方が楽なのではないかと思うぐらいだ。
 でも、自分が意識を失ったらあのゴスロリの子はどうなる…?
「まただ、まだ終わらないよ…!!」
 竜斗は鳩尾を抑え、目を白黒させながらも立ち上がる。
「実力差は明らかなはずだ…。何がお前をそこまで駆り立てる…?」
「…僕は強くありたいんだ!!」
「その気迫に免じて一撃で楽にしてやる…!!」
 風紀委員長は竜斗に向かって調教鞭を振りかざす。
 風紀副委員長の口元が歪み、狐メガネが雷光で光る。
 竜斗は目を瞑る。
 一瞬、真っ白になった視界が戻った時、風紀委員長の手にした調教鞭は竜斗に当たる手前で静止していた。
 プルプルと震える鞭の先。
「ぐはっ、う、腕がっ…!!!」
 メキメキメキと言う音と共に、ゴスロリ姿の少女が風紀委員長の腕を掴んでいた。
 その手は俄には信じられない程強くめり込んでいた。
 風紀委員長がその細い手を引き離そうと体を引くが、ゴスロリ姿の少女はピクリとも動かない。
「あなたは素晴らしい心をお持ちですわ」
 彼女はもがく風紀委員長を完全に無視して竜斗へと囁きかける。 
 竜斗はその少女の姿をマジマジと見つめた。
 左右の側頭部から垂らした二束の長い銀髪は雨水を吸い艶々と煌めいている。
 フリル付きの黒いドレスに包み込まれたその体は小さく、風が吹けば飛んでしまうまでは無いかと思うくらい華奢であった。
 竜斗と同じぐらいの背丈だが、随分と底の厚い靴を履いている為、実際の身長は空と同じぐらいだろう。
 空とゴスロリ少女。
 同じような体格の二人であるが、雰囲気が空とはまるっきり反対であった。
 空が燦々と輝く太陽だとするならば、眼前の少女は闇夜に静かに浮かぶ月。
 その白い顔はまるで人の魂を吸って動く生き人形を思わせる怪しい美しさがあった。
「あなたと出会える日をどれ程待ち遠しく思ったでしょうか…」
 彼女は竜斗に向かって優しく微笑むと、掴んだ風紀委員長の腕を放す。
 すると、風紀委員長は後ろに向かって大きくバランスを崩し勢い良く尻餅をつく。
「ぐわっ…!!」
 一体、その細い体からどれだけの力を出していたのだろうか…?
 そして、彼女は振り向き様に立ち惚ける竜斗の首に腕を回すとその唇を優しく重ねた。
「ごちそうさま…。その強き思い、このわたくしが確と頂きましたわ…!」
 冷たい雨の中でその柔らかい身体の感触と、ふわっとした唇の感触が余韻として何時までも残っていた。
 彼女は舌鼓を打つと竜斗に微笑みかけて背を向ける。
 その背中は力強く、まるで小さな巨人を思わせる逞しさを感じさせた。
「貴様っ…!! 最早、手加減はしないぞ…!!!」
 風紀委員長は調教鞭を雨の中に投げ捨てると、副委員長を抱き寄せその唇を重ねた。
 すると、風紀委員長の周囲に薄い膜のようなものが広がり、その身体を覆うように収縮して行く。
 そして、目の前に現れたNo.18と月のイラストが記されたカードを掴み取ると、それは半透明の鞭のようなものへと変化する。
 あまりの事に竜斗の思考は停止し、ただただ呆然と眺める事しか出来なかった。
「行くぞっ!!!」
 風紀委員長が鞭を縦に振りかざすと、その先端は何処までも伸びて行き、まるで衝撃波のように少女へと襲いかかる。
 悠長に腕を組んで構える少女。
「攻撃が当たる…!」
 そう思って竜斗が目を瞑った次の瞬間だった。
 少女の姿が消えていた。
「いや、違う!」
 衝撃波を寸手の所でかわすと、その格好からは想像も出来ないスピードで風紀委員長に詰め寄り、その懐に潜り込んでは腰を落とし、身体を捻り込んで彼の鳩尾に向けて崩拳を叩き込んでいたのだ。
 もの凄い勢いで真後ろにすっ飛ぶ風紀委員長。
 ゴスロリ姿がその身体を追いかけるように加速し、その鳩尾に拳の連打を浴びせる。
 殴る!!
 殴る!!
 殴る!!
 そして、とどめの顔面へのハイキック!!!
 風紀委員の身体は錐揉みしながら宙を舞っていた。
 だが、それ程の攻撃を食らいながらも、風紀委員長の身体には一切の傷が無く、何事も無かったかのように起き上がるのであった。
 どうやら、彼の身体を覆う膜のようなものが攻撃を中和しているようだったが、身体に受けたダメージとは裏腹に彼の心は大きく傷ついている事が表情からも伺えた。
「ぐおーーーーっ!!!!」
 理性を無くした風紀委員長は手にした鞭を一心不乱に振りまくる。
 それは無数の衝撃波となり、もはや避ける隙も無いほど縦横無尽に少女へと襲いかかる。
「今度こそ駄目か!?」
 竜斗がそう思った時だった。
 彼女はふわりと広がったスカートをたくし上げると、隠し持っていた日本刀を抜き出し、無数の衝撃波に向かって斬りつけるのであった。
 斬る…!!
 斬る…!!
 斬る…!!
 その鋭い斬撃は全ての衝撃波を切り裂いて霧散させていた。
「なん…だと?! 何故だ…!? 何故、能力を持たざる者に攻撃が掻き消されるのだ…!?」
「あらあら、そんな事も解らないんですの?
 見知らぬこの場に誘い出された未熟なあなたが、共通認識を持つ者の立ち会いも無く、自我領域を完全に確立させられる訳は御座いませんわ。
 つまり、始めからこうなる事は決まっていたとも言えますわね」
 少女が刀を横一文字に一閃すると、風紀委員長の身体を覆う膜が完全に消失して倒れ込む。
「畜生…!!」
 そして、彼が捨て台詞を吐くと、手にしていた半透明の鞭は再びカードへと戻って、濡れた地面の上で怪しく光り輝いていた。
「委員長…!!」
 お下げ髪の副委員長がメガネを憎悪で光らせながらゴスロリ少女へと突進するが、その影が交差する瞬間に手刀が副委員長の首に炸裂して崩れ去った。
「あなた達には最高のディナーを仕立てて頂きました事を感謝しますわ。
 そう、あなた達はわたくしの誘いに乗り、ピエロを演じて見事にあの方の心に火を灯した。
 そして、本当の戦いの開始を前に能力を使ってわたくしに破れ、みすみすその座を明け渡す事になるのですから。
 まさにご苦労様(お馬鹿さん)としか言いようがありませんわね」
 ゴスロリ姿の少女は倒れ込んだ風紀委員長からNo.18と記されたカードとバッチを奪い取ると、呆然と立ち尽くす竜斗に手渡した。
「これは一体、どういう事なんだ!?」
 疑問を口にする竜斗に少女が怪しく微笑みかける。
 雨が上がり真っ赤に染まる夕日が彼女の小さな身体をシルエットとして浮かび上がらせていた。
「そのカードはあなたが本当の強さを手に入れる為の旅の切符となりますわ、大切になさって下さいな。
 そうそう、紹介が遅れましたわね。
 わたくしは香夜姫。
 あなたを呼び出した自称親戚で、あなたの旅の共をさせて頂く者ですわ」
 自らを姫と名乗った少女は、真っ赤に染まった夕空の下、破損して歪なシルエットとなったウォータースライダーの頂を見つめる。
 そこにはスーツ姿の背の高い男が立っているようだった。
「これはわたくしの挑戦でもありますわ、よろしくて…?」
 男が静かにうなずいたようだった。
 次の瞬間、竜斗の手にしたNo.18…月のカードは彼の中に吸い込まれるように消えて行った。
 竜斗が先ほど男が立っていた位置を見ると既にその姿は無かった。

 竜斗は瓦礫だらけの道をひたらす姫の後を追いかけていた。
 見る見るうちに周囲は暗くなり、その肌寒さに竜斗は濡れた身体を振るわせていた。
「あいつら大丈夫かな…?」
 竜斗の言うあいつらと言うのは気絶したまま放置して来た風紀委員の二人だ。
「怪我は無い事ですから、そのうち目を覚ます事でしょう」
「…よく解らないんだけどあの二人を利用して、挙げ句の果てにぶっ飛ばしちゃったわけだろ? ちょっと、かわいそうじゃないかな?」
「あらあら、あなたは優しいのですわね。
 でも、ご心配無く。あの二人も目を覚ましたらわたくしに感謝しますわ、なんと言っても戦いと言う宿業から解放して差し上げたのですから」
「まるで自分が良い事をしたような言い方で吃驚だね」
 竜斗は苦笑する。
「わたくしは正義の味方ですから、当然ですわ」
「嘘くさいなー」
「あら、本当ですわよ」
「それにさっき、ウォータースライダーの上にいる男の人に話かけていただろ? すぐ消えちゃったけどさ、あの人は一体誰なんだ…?」
「全ては追々説明させて頂きますわ。それに無節操に淑女に質問するのは紳士としてあまりに無粋ですわよ」
 こんな凶暴な奴の何処がが淑女なんだ…?
 と竜斗は思ったが、自分の末路を思って口に出すのを止めた。
 そして、辿り着いた先は草がボーボーに伸び切った元駐車場だった。
 かつては沢山の車で埋まっていたであろう駐車場には、たった一台のみ車が停められていた。
 低くかまえるような角張った漆黒のボディ。
 姫はそのドアを夕空に向かって開け放ち、サイドシルに腕をかけてコックピットに滑り込むとキーを捻る。
 そして、唸るようなエキゾーストノイズが響き渡る。
 その鉄の塊はまるで生きているかのような存在感を放っていた。
 さながら悪魔の名を持つ暴れ牛…。
「すげぇ、かっちょいい車だ!!」
 竜斗は思わず感嘆の声を上げていた。
「そうでしょう? これがわたくしの自慢の愛車…ランボルギーニ・ディアブロですわ!!」
「さぁ、乗って下さいな」
 竜斗はわくわくしながら、助手席へと滑り込んだ。
「何処に行くの?」
「わたくしのお屋敷…、あなたの下宿先ですわ!」

 その日は新月に近く夜の闇がより深かった。
 だからこそ、余計に美しく見えるものがある。
 それは札幌、長崎と並んで日本三大夜景と称される神戸の夜景である。
 光り輝く神戸の街は吸い込まれるような闇の中で、散りばめられた宝石のような高貴さを感じさせた。
 市役所や大型の百貨店が並ぶ三宮駅から北に行った所に古い洋館が並ぶ一角がある。
 公園として整備された広場の中央。
 石垣が積まれた丘の上に風見鶏が特徴的な尖塔を擁する煉瓦造りの洋館が佇んでいた。
 周囲には緑が生茂りっている為、暑い夏の夜にも関わらず涼やかな空気に包まれ、まるで通常とは異なる時間軸に存在するかのように静かであった。
 屋敷を取り囲む木製フェンスの庭門には筆記体で「KAGUYA」と書かれていた。
 その一階にあるダイニングで長テーブルを挟んで竜斗と姫は会食していた。
 竜斗は姫の運転する車でここ風見鶏の館まで連れられ、雨に濡れた身体をシャワーで暖めた後、予め届けられていた私服に着替えていた。
 姫はあの時と同じゴスロリ衣装のように思えるが、もしかしたらデザインが同じなだけで違う服かもしれない。
 昔映画で見た未来のジャケットのように自動乾燥機能でも付いていると言っても、姫の場合不思議では無いと竜斗は思った。
 なんと言っても存在が謎過ぎる。
 なんだってアリなような気がしてならなかった。
 そして、ホテルのディナーのように前菜から始まり、スープ、魚介、肉類、デザートと順番通り料理が運ばれて来る。
 料理を運ぶのはメイド服姿の女性…聖蘭であった。
 彼女達の持つ時代錯誤な雰囲気と、屋敷の持つ異国情緒に溢れた雰囲気が合さり、まるでヴィクトリア朝の世界に迷い込んでしまったかのような気になる。
「どうです? わたくしのお屋敷は?」
「なんて言うか、姫のイメージにピッタリだ」
「あら、単純な想像で心外ですわね。あなたの想像で計りきれるほど、わたくしは単純では御座いませんことよ」
 と姫は静かに微笑むと立ち上がって、竜斗の手を取って食堂の外にあるベランダへと連れ出す。
 南側に設置されたベランダは食堂の半分ほどの広さで、かまぼこのような形の三つ並んだ窓から柔らかい光が入り込み幻想的な光景だった。
 高台にある為、窓の向こうには神戸の夜景が一望出来る。
 開け放たれた窓から心地よい風が入り込み、レースカーテンをゆらゆらと揺らしていた。
 姫はベランダの角に置かれた蓄音機で音楽をかける。
 パイプオルガンの音色が響きゴシックめいた雰囲気であったが、よくよく聴くとビジュアル系バンドマリスミゼルの月下の夜想曲だった。
「これ、マリスミゼルじゃないか…」
 と竜斗は思わず苦笑した。
 姫のようにゴシックロリータファッションの女の子達の間に人気を博している事で知られる。
「意外で御座いましょ?」
「イメージ通り過ぎて、ある意味で意外だよ」
 姫がそういう俗っぽいものとは無関係な本物のゴスロリだと思っていただけに意外だった。
 そもそも、本物のゴスロリとは何であるかは解らないものであるが。
「さて、食後のダンスと洒落込みましょう」
 と姫は竜斗の手を取る。
「うわっ、僕踊れないんだけど…!!」
「大丈夫、感性の赴くままリズムに身を委ねれば良いだけですから」
 姫は細身で小柄な体からは信じられないほどの力強さで竜斗をリードする。
 だが、竜斗は姫に対してツーテンポ遅れ、ガチガチとしたぎこちない動きになっていた。
「ぴったりと身体を密着させないと動きがブレますわよ。わたくしと一つになるつもりで腰と腰を重ねて下さいな」
「そんな事言ってもね…」
 竜斗は姫に自分の下腹部を押し付けるのが恥ずかしくて顔を赤くして腰を浮かす。
「あらあら、恥ずかしがる事はありませんわよ。すぐに慣れますから」
 そう言って姫は竜斗の腰を強く引き寄せ、柔らかい女性の下腹部が、男性の硬い下腹部に向かって押し付けられる。
「あっ…!」
 その瞬間、竜斗の血は沸騰して身体の力が抜け、曲に合わせて姫の作り出す流れに誘われて行く。
「ふふふっ、その調子ですわ!」
 軽やかなステップを践み。
 互いの体を引き寄せ。
 腰に手を回しながら駒のように回る。
 長い二束の銀髪や黒いドレスが弧を描き夜に咲く花のように広がる。
 密着した姫の細く柔らかい体は、やや冷たい体温とは裏腹に優しさに満ちている気がした。
 竜斗は本当に姫と一つとなって溶てしまうかのような気持ち良さを感じていた。
 そして、曲が終わると姫はピタッと静止して、ドレスの裾を持ち軽く会釈をする。
「ほら、どんな事でもやれば出来ますわよ。たった一度の人生ですもの、何事も楽しまないと損ですわよ」
「ああ、そうだね」
 竜斗は姫と言う少女に不思議な親しみを感じていた。
 見た所、竜斗と年齢は変わらないように思えるが、あの細くて小さな身体からは想像も出来ない脅威の身体能力を誇り、あんな凄い車に乗ってこんな屋敷に住んでいる。
 そういう表面的なものでは計り切れない謎の人物である事は違いないが、そんな事は関係無く全面的に信頼する事が出来るのだ。
「なんか、不思議だな…、姫と会うのはこれが初めてのはずなのに、全然初めてって感じがしないんだ…。
 なんか、始めからずっと一緒にいる自分自身の一部って言うのかな…? そんな気がしてならないんだ」
「ふふっ、あなたは素晴らしい感性をお持ちですわね。だからこそわたくしの思いを託すのに相応しいと言うものですわ」
「どう言う事…?」
「貴方にしか出来ない事をやって頂きたいのですの。
 そう、それは定められし運命を乗り越えて…、この世界を、このわたくしを呪縛から解き放つ事…」
 姫の表情は真剣であった。
「運命に選ばれし男…青海奏真を倒す事ですわ…!」

戦いの始り

 1999年7月13日(火)
 風見鶏の館のある北野町から県立高校に行く場合、南へと坂を下って三宮駅から阪急神戸線で二駅…王子公園駅で下車、また坂を北へと登って行く事となる。
 朝起きた瞬間から疲労感を覚えていた竜斗は、これから待ち受ける特別授業の前にして、通学路と言う試練を考えるだけで憂鬱だった。
 そもそも昨日は姫が用意してくれたベッドに横たわり、半分眠りについた状態で自問自答を繰り返すうちに、気がついたら朝になっていた。
 実際の所は泥のように寝ていたのだろうが、まるっきり寝ていたと言う実感が伴わない。
 昨日と今日の境界が曖昧だと、体の疲労が回復していたとしても、心の疲労が抜けない気がする。
 そんな事で本来なら自分の脚で通学路を行くべきなのだろうが、聖蘭の申し出を有り難く受け入れ学校まで車で送迎して貰う事にした。
 北野町から新神戸駅へと続く閑静な住宅街を濃淡のロールスロイスが優雅に流れて行く。
 それはシルバークラウド・ツーと言う車である。
 五角形のグリルの頂でスピリットオブエクスタシーと呼ばれる女性像が眩しく輝いている。
 普遍的な丸いヘッドライト。
 大きく盛り上がりリアに向かって流れるフェンダー。
 バンパーなどポイントを押さえたメッキパーツ。
 職人の手によってボディラインに沿って描かれたコーチライン。
 時代を超えた魅力を持つクラシカルな車であり、まるで旧家の貴族を思わせる上品さを感じる。
 その乗り心地はまさしく雲の上を行くがごとく、重力や時間を感じさせない心地よい世界感を持っていた。
 竜斗はソファーのような後部座席に深く腰掛けて心地よい疾走感に身を委ね、流れ行く景色を眺めながら昨日の夜の事を思い出していた。
 それは昨晩の夕食後、姫に唐突な要望を突きつけられた時の事であった。
 風見鶏の館のバルコニー。
 開け放たれた窓から差し込む柔らかい風と星明かりを受けて、レースカーテンがサラサラと煌めいている。
 鈴虫の鳴く声だけが響く静かに響く、幻想的な空間。
 その主が窓の冊子に背をもたれながらも、月夜を思わせる涼しげな瞳で小柄な少年を見つめていた。
「奏真先輩を倒すって、どういう事…?」
 姫は何かを思い出すような遠い目つきで語り出す。
「明日から人間の未知なる力を開発する特別授業と称された戦いが始まりますわ、それは自らをブラフマンと名乗る男によって立案された神をも恐れぬ実験ですの。
 タロットを神に至る為の教典に見立て、暗示により特別な力を与えた少年・少女達を戦わせ、互いの持つ運命の札…アルカナを奪い合わせ、その中で能力を開発して行く…。
 そして、最終的に全てのアルカナを手に入れた者がNo.21世界…つまりは神に至る事を証明すると言うものですのわ。
 あなたは既にその一端をご覧になられたはずですわよ」
「あのウェータースライダーの上にいた奴がブラフマンで、風紀委員長がその能力者か…」
 実際その目で見た事であはあるが、俄には信じられない事だった。
 風紀委員長が副委員長とキスを交わした事によって、半透明の鞭のようなものを具現化して衝撃波を発していた。
 まぁ、能力者でも無い姫の方が圧倒的に強かったわけだが。
「でも、ブラフってハッタリって意味だろ…? 自分をハッタリ男と呼ぶとは凄いとしか言いようがないね…!」
「ふふふっ、ブラフマンと言うのはヒンドゥー教の主神である破壊者シヴァ、保持者ヴィシュヌと並ぶ三神一体の一つで、全ての根源である創造者の名前ですのよ。
 人の身でありながら神を名乗るなんて、ハッタリ男とは言い得て妙ですわね」
「まぁ、確かにそれは言えるな…!
 それで、今は消えちゃったけど、僕が手に入れたカードが奪い合いの対象となるアルカナって奴なの…?」
「そう、本来ブラフマンのゲームにエントリーされていたのはあの少年だったのですが、本戦が開始される前にわたくしに呼び出されて彼はその座を奪い取られた。
 今はあなたがそのアルカナの持ち主で、彼の代わりに戦いに参加する事となりますわ。
 彼らがブラフマンに選ばれた能力者だとするならば、あなたはわたくしに選ばれた無能力者とでも言いましょうか」
「無能力者とは偉い言いようだね…、ってか本当の事だから何も言えないんだけどさ…。
 でも、何でわざわざそんなことをするの…?」
「それはブラフマンの計画を阻止する為ですわ。
 人間の未知なる能力能力を開発する特別授業…、人間が神に至る事を証明する為の実験…。
 ブラフマンがどんな御託を並べ、どんな余興を用意していたとしても、全ては青海奏真と言う男を神へと導く為に嘘で塗固めたシナリオに過ぎないのですわ」
「それの何処が悪いの…? 奏真先輩は非の打ち所が無い人だよ、彼が神になるんだったら世の中もっと良くなるんじゃないかな?」
「まったく、お馬鹿さんですわねぇ…」
 姫は苦笑する。
「この世にあなたが思っているような完全な人間はいませんですわ。
 何故ならば人間は心を捨て去る事は出来ませんから。
 どんな人間だって心があるからこそ、怒り、悲しみ、時に間違いを犯しますわ。
 そんな不完全な存在である人間が神になるなど痴がましいにも程がありますわね。
 人間は心を持った不完全な存在でありながら、力強く生きるからこそ美しく輝く事が出来るんですの。
 それが解らないお馬鹿さんだらけで困っちゃいますわね」
「それは何となく解る気がする…」
「そして、ブラフマンの思惑通り事が進めばこの世界は一度終わりを迎え、ある時点を境に個人のエゴを反映した造り変えられた世界が始まる事になりますわ」
「途方も無い話だね…」
 その言葉の重みに竜斗は夏の暑さからではない汗が吹き出るのを感じた。
「なんだって、ブラフマンって人はそんな馬鹿げた事をするの…?」
「…」
 姫は何かに思い耽るように目を瞑って沈黙する。
「愛と言うものは時に人を狂わせるものなのですわ…。何時か貴方にも解る時が来る事でしょう…」
 姫も何か悲しい思いをして来たのだろうか…?
 竜斗は姫の悲しい表情の裏側にあるものを想像して胸が痛くなる。
「そして、もし青海奏真を倒しその計画を阻止出来る者がいるとするならば、ブラフマンの暗示を受けず能力を持たざる唯一の参加者…、そうあなたを置いて他なりませんわ」
 青海奏真…。
 それは転校早々トラブルに巻き込まれていた所を助けてくれた上級生。
 容姿端麗、頭脳明晰、運動神経抜群、人格も優れた完璧な人物…そして、空の彼氏。
 その強烈な印象は脳裏に焼き付いて離れない。
 一方で自分と来たら、女の子と間違われるぐらい背が低くて貧弱で、オマケに馬鹿と来たものだ。
 正直、同じ男子高校生と思えないぐらいの差を感じざるを得ない。
 しかも、全く特殊能力を持っていないと言うのはハンディが大き過ぎる。
「僕にそれが出来ると思っているの…?」
「とても難しい事は確かですが、あなたが本当の強さを身につけられたらば、きっと成し遂げる事が出来ますわ」
「本当の強さか…」
「その道のりに近道はありません事よ。
 人は日々の積み重ねでしか物事を成し遂げる事が出来ませんわ。
 一日一日を、その一瞬一瞬を大切にして、その時々で自分自身が出来る事を考えながら精一杯生きる事。
 それが、いつかあなたにとって掛け替えの無い力になりますわ」

 竜斗を乗せたシルバークラウドツーは県立高校の校門の前へと到着する。
 通学時間と言う事もあり古城のような意匠の校舎の前に沢山の生徒で賑わっていた。
 運転席から降り立った聖蘭は周囲を取り囲む生徒達に一礼し、竜斗を乗せた後部座席のドアを開く。
 親に送って貰って通学する生徒も中にはいるのだろうが、メイドの運転でロールスロイスで正々堂々と送迎される生徒など他にいないだろう。
 その状況を一言で言うとさらし者だ。
 やっぱり、いくら疲れているとは言っても、自分の脚でくれば良かったかと思ったが後悔先立たずだ。
 生徒を山をかき分けて、車椅子を押したツンツン頭の男子生徒が現れる。
 そのツンツン頭は既に見知った顔である大河であり、彼の押す車椅子に乗っているのは見知らぬ女子生徒だ。
「誰かと思たらお前かいっ!! その綺麗なお方はどないしたんや!?」
「ああ、彼女は下宿先のメイドさんなんだ」
「桝田聖蘭と申します。以後、お見知りおきを…」
 と言うと聖蘭は大河と車椅子の少女に深々と頭を下げた。
「…では、私はお先に失礼させて頂きます」
「ああ、ありがとう」
 竜斗はが礼を言うと聖蘭はもう頭を下げ、シルバークラウドツーの運転席へと乗り込むと、Uターンして来た道を戻って行った。
「あないなメイドさんに送り迎えされるなんて羨ましいやっちゃなぁ…!!」
「お前こそ、その子はどうしたんだよ…? まさか、彼女…?」
 車椅子に座っているから身長は解らないが、やや体つきが細い気がする。
 パッツンと切り落とした前髪、サラサラのストレートヘアー、黒々とした瞳が特徴的で、日本人形を思わせる純和風少女と言った感じだ。
「誰が彼女や!! 単なる長馴染みの腐れ縁や!! こんな奴が彼女なんて、天地がひっくり返ってもあり得へんっ!!」
 大河は顔を歪めてオーバーリアクションで否定する。
 大きく開かれた鼻の穴がピクピクしている。
「その顔ムカツクわーっ!! こっちだってお前の彼女なんてマッピラゴメンや!!」
 彼女は車椅子に乗ったまま大河に向けて正拳突きを放つ。
 そこはちょうど大河の股間であり、大河は口から泡を吹いて地に降れ伏す。
「ぐはーっ! チンがぁーーっ!! タマがぁーーーっ!!!」
「そんな大げに痛がるんやないのっ!! 男やろっ!!!」
「いや、男だから痛いのだが…」
 竜斗は思わず縮み上がる。
「うち、こいつの幼なじみでイッコ下の堀江夕鶴言います。よろしゅうね! センパイ!!」
「僕は走馬竜斗! よろしく!!」
 竜斗は思った。
 夕鶴はその見た目に反してかなり恐ろしい。
 逆らうのは止めておこうと。
「使い物にならへんようになったらどうすんやっ!! どアホっ!!!」
 大河はピョンピョンしながら復活する。
「女なんやし、もっと淑やかに出来へんのか…!?
 そう、聖蘭さん見習ったら良いねん…! 彼女はええでぇ!!
 なんちゅうの、プロのメイドさんとして目立たない縁の下の存在に徹してる事で、逆にあの人の持つ美しさや力強さが際立ってる気がするんや!!
 時の権力者が侍女に手を出してみたいな話は幾らでもあるけど、その気持ち痛いほどわかるで!!
 反則やっ…!! メイドさんという存在が反則なんやっ…!!!
 そう、メイドさんっちゅう圧倒的な存在は神に近いと言っても過言ではないでっ…!!!」
「アホぉ…!!」
 プルブルと拳を振るわす大河の股間に向かって正拳突きを放つ夕鶴。
「あ・ぶ・ね・ぇ・!!!」
 だが、大河はその殺気を感じて間一髪の所で避けた。
「何すんねんドアホォ…!!」
「それはこっちの台詞や…!! ホンマ最低やなコイツ…!!! 
 そんなにメイドさんが良いならば、自分がオカマになってメイド服着れば良いんや!!」
「うっ…。想像してしまった…」
 竜斗は今世紀最悪の映像を想像して吐き気を催した。
 そんな彼らに二つの影が近寄りつつあった。
 大河がそれに気がついて竜斗に耳打ちする。
「やっかいな奴らが来よったでー」
 時代外れのリーゼント頭に丈の長い詰襟を着込んだ男子生徒。
 詰襟にはNo.15のバッジをつけている。
 ちりぢりとしたパーマ頭に丈の長いスカートを着込んだ女子生徒。
 男子生徒の腕章には生徒会書記、女子生徒の腕章には生徒会会計。
 大凡生徒会とは思えない品性の欠片も感じさせない男女二人組であった。
「自称生徒会四天王の登場やで…!! あいつら文武両道の生徒会長、副会長の名を盾にして暴力を振るう最低の連中やで…!!」
「うちも暴力は大嫌いや…!!」
「お前がそれを言うか…!?」
「でも、ホンマに最悪やね…!! なんやねん生徒会四天王って…!? お笑いにしてもセンス無さ過ぎよ…!! アホちゃう思うよ…!! うちが彼奴らのオカンやったら、間違い無く吉本で修行させるよ!!」
「偉い言われようだな…」
「それにしても、四天王がいきなりお出ましとは変へやな…。いつもは粛清委員ちゅう取り巻きがまず出て来るんやけど…」
 自称生徒会四天王の二人は竜斗達の前に来るとポケットに手を突っ込んで、顎を突き出して舐めるようにガンを飛ばす。
 何とも言い難い香水と、汚物を思わせる口臭が最悪だ。
「おい、何時も連れてるむさ苦しい取り巻きはどないしたんや…?」
「あ? 生徒会長様に粛清されたにきまってんだろ、ダボぉ!! 一度でも負けた奴らには俺らのチームには必要ねぇーんだよ!!」
 そう、それは昨日の事だ。
 朝一番で粛清委員会にからまれた竜斗を助けに入った奏真により、屈強な体格の男子生徒達が一網打尽にされた。
 そして、その夕方には彼らのリーダーである風紀委員長は、妙な能力を発揮させた挙げ句に姫によって叩きのめされたのは記憶に新しい。
「ってか、そんなん関係ねぇーだろ!? てめーだよ、てめーっ!! 何で車で登校してやがんだよ!! あ!?
 しかも、制服が違うじゃねーか!? あんまナメてんと、どうなるか解ってるよな!?」
 と生徒会書記は竜斗の襟首を掴み上げる。
 近づけば近づく程臭いがキツく、下手すると吐きそうな勢いだ。
「だから、知らないって…!! おえっ…!!」
 と顔をしかめて吐きそうになるのを我慢する竜斗。
 もし、吐いたら本当に大変な事になる。
「あ? 何嘔吐いてやがるんだ!? マジ、粛清してやんぞ、ゴラッ!!!」
「こら駄目や…!! ねぇ、大河…!! 竜斗センパイ助けへんと…!!!」
 夕鶴は大河のズボンの裾を掴む。
 大河はダラダラと冷や汗を垂らしながら、竜斗を助ける為に一生懸命考えている風だった。
「言わんでも解っとる!! ああ、どうすりゃいいんやろ…?!」
 そして、大河はあるものを発見する。
 それは大量の女子生徒を引き連れた髪の長い冬服を着た細身の男子生徒が、清ました顔で校門を潜っている姿だった…。
 襟首にはNo.3のバッジを着用している。
 いや、正確に言うと男子生徒ではない。
 男子生徒の格好をした三年の女子生徒でフェンシング部長である宝塚舞だった。
 芝居がかったその言動やルックスから、その手の世界に憧れる女子生徒達に大人気であった。
「おい、何で竜斗の校則違反が駄目で、あの宝塚舞の校則違反は良いんや!? 女が男の服着てハーレム作っとるなんて、どう考えてもおかしいやろ!!」
 勝った…!!
 大河は心の中でガッツポーズを繰り出した。
 暴力には正論!! これで間違い無いはずや…!!
「あ? それは強いからに良いに決まってんだろ…?!
 あいつはフェンシング部の部長で、大会でも優勝した事あるから、何やっても良いんだよ!!
 テメーらみたいに弱い奴は何やっても許されねーに決まってんだろ!!
 あんまフザケた事ばっか言ってると、テメーラもシバくぞコラ!!」
「そ、そんなの理不尽やっ!!」
「車椅子のお嬢ちゃんをシバくのはアタイに任せなっ!!
 動けない相手をいたぶるのはゾクゾクするしねぇ!!」
「うわっ、あんなブスにやられるなんて嫌やわ…!!」
「おいっ、止めろっ…!! 悪いのは僕だ…!! 大河達は関係ないだろ…!? だから、大河達に暴力を振るうのだけは止めてくれ…!!!」
「あ!? そんなの無理に決まってんだろ!? 弱い奴は無条件で粛清決定なんだよっぉ!!!」
 そう言うと生徒会書記はその拳を竜斗に振りかざした。
「粛清してやるっ!!」
「うぁーっ、まんまんちゃんっ…!!!」
 大河は目を瞑り関西訛りのお経を唱えて竜斗の無事を祈った。
「待て下郎共っ…!!」
 その時だった。
 まるで時代劇に出て来る将軍のように威厳溢れる声だった。
 その声の主はひと際背が高く、オールバックに縁なしメガネ、冬服の詰襟と言った風貌の威圧的な男子生徒だった。
 その襟にはNo.4のバッジが輝いている。
 そして、その傍らには男子用の冬服を着用し、長い髪を後ろに束ねた中性的な顔つきの生徒が付き添っている。
 オールバックの男子生徒は生徒会長、髪の長い生徒は副会長の腕章をそれぞれ着用している。
「開戦前に選ばれし者同士の私闘が禁じられている事を忘れたのか?! こぉの痴れ者がぁーーーーっ!!!」
 まるで夕立に伴う雷のような声が、晴れた夏の朝空へと響き渡る。
「ははっ…!!」
 生徒会書記と会計の二人は文字通り雷に打たれたかのように体を振るわせると、竜斗を手放してアスファルトに頭を擦り付けるように土下座する。
「でも、こいつはアルカナじゃありませんぜ…!! こんな貧弱な奴が選ばれるわきゃ無いし、第一バッジを持ってないじゃないっすか!?」
「目に見えるものばかりに捕われるから貴様は馬鹿なのだっ!!」
「ま、まさか、こいつがそうなんすかっ…!?」
「間違い無いだろう。貴殿の持っているNo.18のバッジを見せて頂こう…」
「ああ…」
 竜斗はポケットから昨日、姫が風紀委員長から奪い取ったNo.18と書かれたバッジを取り出した。
「やはり、貴殿であったかっ!! 面白いっ!! 面白いぞっ!!!! よもや無能力者でありながら我が配下を倒し、アルカナの座を奪い取る猛者はがいようとはっ…!!」
 生徒会長は扇子を仰ぎ豪快に高笑いする。
「おまっ、何やっとるんや!?」
 大河が竜斗に思わず突っ込みを入れた。
「いや、正確に言うと違うんだけどさ…」
「あ…!? てめぇの理由なんて知らねぇんだよ…!!!」
 如何にも臨戦態勢の生徒会書記は目に血管を浮かび上がらせては竜斗に詰め寄る。
 だが、そんな彼を嗜めるように生徒会長は静かに重く口を開く。
「もし、この者が戦場を生き伸びるだけの力を持つのならば、やがては戦場で相塗れる事となるだろう。
 その時、雌雄を決すれば良い。
 だが、それまでに負けてしまうような器であれば、その時、粛清を加えれば良いだけだ」
「でも、会長っ…!」
「見苦しいぞ貴様!! 強き者の道理が通り、弱き者は淘汰される…それがこの世の定めなのだ!! 己の言葉は戦いで示せ!! では、行くぞ皆の者ぉ!!」
 生徒会長は生徒会の面々を引き連れて校内へと消えて行った。
「てめぇ、覚えてろよっ!! いつか粛清してやるからなっ!!!」
 と生徒会書記は竜斗に捨て台詞を吐いて行くのであった。
「なんだか知らへんけど、助かったでー…」
「ホンマやね…」
「助かった…のかな?」
 竜斗にはこれが戦いの始まりのような気がしてならなかった。

特別な授業

 教室に入り授業の開始を告げるチャイムが鳴り響くと、教壇に立った担任に生徒一人一人の名前が呼ばれて個別に指示を受けていた。
 指示を受けた生徒から順番に荷物をまとめて教室から出て行く。
 教室は何時もと違う緊張感に満ちあふれていた。
「旭陽空…!」
 そして迎えた空の番。
「ひ、ひゃい…!! わたしでよろしいんでしょうか…?」
 椅子をひっくり返して勢い良く立ち上がり、右手をあげて返事する空の声は裏返っていた。
 小さい背丈の頂でピョコンと立ったトレードマークのリボンも心無しか硬く見えた。
「他に旭陽空がおるわけないやろっ…!! ほら、速く行かへんか…!!」
 竜斗の隣に座る大河は空のあまりにもおかしな様子に思わず突っ込まずには居られなかった。
 そして、左手と左足、右手と右足を同時に出しながら教壇へと向かう空。
 何となくロボット的なガチガチした動きだ。
 言い知れぬ緊張に満たされた教室にクスクスと言う笑いがわき起こる。
 竜斗は可愛らしい空の姿をじっくりと眺めてホッコリする。
 昨日の昼休みもそうだったけど、空は人の心を癒す天才かも知れない。
「いくらなんでも、緊張しすぎやないか…? 事前に特別授業での自分自身の役割を知らされとって、これは最終確認に過ぎへんのに…」
 大河は笑いながら言う。
「僕、知らされてないんだけど…」
 竜斗がボソっと返す。
「…大丈夫や! こういうのは緊張するだけ損ってもんやで!」
「藩臣大河…!」
「おっ、俺の番やな…! ほな、お先に行って来るで…!! あくまで正々堂々とやっ…!!」
 そう言って教壇へと向かう大河の顔は青ざめ、額には汗がぎっしり浮かび、やはり左手と左足、右手と右足が同時に出ていた。
「自分だって緊張してるんじゃないか…!」
 竜斗は思わず突っ込まずには居られなかった。
 そして、一人一人教室から生徒が減って行き、竜斗はその度に言い知れぬ不安を感じていた。
 まさか、自分だけ呼ばれないパターンじゃないの…?
 なんと言っても人為的に放り込まれた例外エラーと言っても過言ではない存在だ。
 やがて教室には竜斗一人だけが残され、その予感は的中する。
「先生…? 僕は…!?」
「…」
 何その沈黙は…!?
「走馬竜斗…。君はNo.18、月のアルカナとして特別教室に行ってもらう…。だが、こんな例外があるとは…」

 特別教室として指定された教室に向かうと、そこには既に他の生徒達が勢揃いしていた。
 青海奏真と旭陽空。
 藩臣大河と堀江夕鶴。
 生徒会長と副会長。
 生徒会書記と会計。
 宝塚舞とその追っかけ女子。
 他にも知らない顔が幾つもあるが、皆ただ者では無い雰囲気である。
 学年もクラスもバラバラな総勢30人、15組の生徒達。
 まさに蒼々たる顔ぶれであった。
 気後れしている竜斗に奏真が優しく声をかける。
「ふっ、君が最後の候補者みたいだね。こんな所で会うなんて、運命を感じざるを得ないな」
「…それ男の子に言う台詞じゃないよぉ」
 奏真の隣に座った空が思わず苦笑する。
「ふっ、運命的な出会いには男も女も関係ないものさ」
「もう、お兄ちゃんったら変態なんだからっ! 取り敢えず大河と夕鶴の隣があいているみたいだし座ったらどう…?」
「うん、あんがと…」
 竜斗がコソコソと空いている席に座ると、隣に座った大河が拳を突き出して来た。
 竜斗はそれに応えて拳を合わせる。
「よー、やっぱり一緒やったなぁ!!」
「これが例の特別授業で選ばれた人達か…?」
「そうみたいやな…!! 腹に一物抱えとるような奴らばっかや…!! もう、思わず武者震いするで…!!」
 そう言う大河の顔は青ざめて、体はガクガクブルブルと震えている。
「それ、ヘタレ震いやろ…!!」
 と大河の隣で車椅子に座った夕鶴が突っ込んだ。
「にしても、何かおかしくあらへんか…?」
 大河が竜斗の隣の席を見る。
 大河と夕鶴も含めて他の生徒達は二人一組で席に着いているが竜斗の隣の席だけは空いていた。
「二人一組でパートナー組むっちゅう事になっているんやけど…!!」
「あ、やっぱり…?」
 昨日の粛清委員長の戦いしかり、そんな気がしていた。
 竜斗は汗が吹き出る額をポリポリと掻いた。
「これ、体育の時に一人はみ出て先生とボールパスするって次元の虚しさじゃあらへんね…!!
 ごっつかわいそうやわ、竜斗センパイ…!! 誰かパートナー組んでくれる人おらへんの…?」
 あえて言うならば姫って所だが、少なく見積もっても学生とは思えないので、パートナーとなる事は出来ないだろう。
「まったく、泣けて来そうだよ…」
「って、もう泣いてるやろ…! 相変わらず心折れんの早いやっちゃなー!!」

 そして、竜斗達が待つ教室にスーツ姿でサングラスをかけた長身の男が現れた。
「私は精神学、脳神脳神経学者として、人間の能力を開発する研究機関に勤め、君たちの特別授業を取り仕切らせて頂く者…。
 そして、内に秘めた力を具現化する方法を確立した最初の能力者。
 ここではあえてNo.0 愚者のブラフマンと名乗らせて頂こう。
 短い間ではあるが、よろしくお願いする」
 間違い無い。
 昨日の夕方、レジャー施設廃墟のウォータースライダーの頂きにいた人物だ。
 竜斗はその男をマジマジと見た。
 長身でスタイルが良い為に若々しく見えるが、口元には年齢を感じさせるほうれい線が刻まれている。
 長い髪をオールバックにした額に一筋の傷がある以外、まるっきり普通の人と言った雰囲気であった。
 とても、おかしな計画を実行する狂気的な人物とは思えない。
 それどころか何処か哀愁のようなものが感じられ、他人とは思えないような親しみさえ覚えてしまった。
 気になったのは奏真とブラフマンの関係だ。
 奏真は自分自身が利用されている事を知っているのだろうか?
 竜斗はふと奏真とその隣に座った空の表情を盗み見たが、二人からは何も感じる事が出来ない。
 いや、初対面の人間を見る場合、皆なんらかの表情を浮かべるのが当たり前だ。
 逆に何も感じさせないと言う事は、関係性を持っているか、もしくは感情を押し殺しているかどちらかでは無いかと思った。
 考え過ぎなのかも知れないが。
「君達には繰り返し見る夢と言うものがあるはずだ。
 例えば私はある者と共に月夜の空の下、摩天楼を飛び交う夢を頻繁に見ていた。
 繰り返し見る夢…それは潜在意識の象徴である。
 私はそれに絶対的な意味合いを持たせる暗示を君達に、そして自分自身に施術した。
 その暗示こそがタロットカードの役柄であるアルカナだ」
 竜斗はブラフマンの言うある者という存在が気になった。
 きっと、彼にとって大切な人に違いない。
 それに夜の街を飛ぶ夢を見るなんて、夢見がちな高校生の竜斗からしてもロマンチストな人だと思えた。
「タロットカードは占いの道具として知られているが、そもそもは56枚の小アルカナと、22枚の大アルカナを使用した遊戯が起源であり、君たちも遊んだ事があるだろうトランプの一種だ。
 占いとは偶然性に必然的な意味を見い出す事で、複雑な要素が絡み合って形成される運命を読み解く行為であり、ある種のジンクスを統計学によって高度に発達させたものだと思って良い。
 タロットカードを使った占いもその一つではあるが、神秘的な役柄に絶対的な意味があると多くの人々から妄信されている。
 信じると言う行為は人間の未知なる力を引き出す引き金となり、ただの偶然でも意味があると信じ込む事で、実際に運命を呼び込んでしまう事がある。
 結果としてタロットカードの的中率は非常に高いものとなっている。
 つまり、アルカナとはそれ程強い力を持つ暗示なのだ」
 ブラフマンの話は意味が解らない所もあるが、説得力があり引き込まれるものを感じる。
 姫から彼の計画の事を事前に聴いていたと言う事もあるが、ひっとしたら彼の話そのものが虚実を織り交ぜ、自分の世界に生徒達を引き込む為の暗示なのでは無いかと思った。
「そして、私はアルカナの暗示が埋め込まれた潜在意識の象徴を、特定の条件下で具現化する方法を確立した。
 そう、私の場合はその条件が揃った時において、実際に街の空をビルからビルへと飛び移る事が出来るようになったのだ。
 だが、私の能力はそれ以上でもそれ以下でも無い。
 私は更なる能力を求め資質ある二人の男女に教皇と女教皇の暗示を与え、発案した能力開発プログラムを受けさせたが、究極と言える領域にまでたどり着く事は出来なかった」
 自分だったら空を飛べるだけで十分だと思うのだが、何故それ以上の物を求めているのか、考えても解らず竜斗は眉間に皺を寄せた。
「そして、この学校の生徒で資質を持った有志に協力して戴き、アルカナの暗示を持つ能力者を増やしたが、誰一人として究極の暗示を受け入れ、その能力を発動する者は存在しなかった。
 究極の暗示…それは最後のアルカナであるNo.21世界。
 究極の能力…それは世界そのものを夢見たままに書き換える能力に他ならない。
 No.21世界は完全な存在を示し、ヒンドゥー教のシヴァ神や聖書のアダムに関連づける学者もいるように、まさに神そのものである。
 諸説あるがタロットとはNo.0である愚者…つまり人間が、No.21である世界…完全な存在に至るまでの旅の経緯を表したものと言われる。
 宗教で言う所の人が神に至るまでの教典のようなものだ。
 No.21世界とは始めから存在するものではなく、アルカナを廻る旅の末に至るものだと仮説した私は、この実験を行う事にしたのだ。
 それは君たちアルカナの暗示を持つ者が能力開発と平行し、トーナメント形式で互いの持つカードを賭けて戦い、最後まで勝ち残り全てのカードを手に入れた者がNo.21世界に至る事を証明すると言うものだ。
 では、午後からの講義では能力の発動や戦いの内容について説明し、いよいよ最初の試合を開始する事とする。それまで各自休憩だ」
 
「岩盤浴とこの屋上の違いって何だろうな…?」
「ありがたみの違いちゃうの…? これが有料やったら、きっと岩盤浴やで…」
「人間って現金なもんだよなー」
 竜斗と大河は昼休みに聖蘭が持たせてくれた弁当を突ついた後、屋上のロンドン塔の下で寝転んでいた。
 相変わらず真夏の太陽に照らされた屋上の床は焼け付くように熱かった。
「ところで、あのブラフマンって人の話解ったか…?」
「なめてもらっちゃアカンな。俺は自分から進んで長い事実験を受けているやで、そんなの解るわけ無いやろ…!!」
「駄目じゃん…!!」
「そんなに褒めたって何も出やしないでー。いや、変な汁は出るかも知れへんけど…!」
「褒めてないから…!! そして、頼むから変な汁だけは出すなよ…!! いや、マジで…!!!」
「おっ…? この屋上岩盤浴も慣れたら気持ち良くなって来よったでー!! マジで変な汁が出そうやっ…!!!」
「おまえやめろよなー!!」
「あ、出たっ…!!」
「おい、勘弁してくれよ…!!!」
「お前なんやと思ったんや…? 出たのは汗に決まっているやろ…!?」
「…お前って想像を絶する最悪さ加減だな」
「だから、褒めんといて…! もっと変な汁が出るやろっ!!」
「だから、褒めてないから…! んで、話戻すけどさ、お前は何でこの戦いに勝ったらどうする? 自分から志願したんだろ?」
「そう言うお前はどうなんや?」
「僕は昨日言った通りだけどさ、変えたいって思ったとしても、具体的にどうありたいかって解んないんだよな…。だから、お前を参考にさせて貰おうかなぁって」
「良いけど、参考にならへんで。いや、参考にしてもらえると有り難いんやけどさ」
「ん?」
「俺が神になったら、この世界の悲しき呪いを解き放つ…!! そう、阪神タイガース優勝の優勝を願うんやぁー!!!!」
「マジで参考にならないな…!!
 ってか、この世界の悲しみって言うか、むしろタイガースファン限定の悲しみだろ…!! 全世界がタイガースファンだと思ったら大間違いだぞ…!!」
 むしろ、この僕は生粋の巨人ファン…。
 竜斗はそう打ちまけたいのを必死で堪えた。
 大阪では阪神を応援し巨人が敵だと学校で教わると言うが、東京ドームがある東京都文京区などの一部の学校では、東京に来ている阪神ファンは危険だから絶対に近寄るなと教えられる。
 そして、万が一関西に行く事があっても、野球の話だけはするなと釘を刺されていたのだ。
 嘘のような本当の話である。
「まぁ、待て…! 聴いて欲しいんや…!!」
「なんだよ改まって」
「俺と夕鶴は兵庫県の東、甲子園球場のある西宮市で産まれたんや」
「甲子園って大阪じゃなかったんだ…!? って言うかお前大阪人じゃなかったのか…!?」
「甲子園球場が大阪だとか、タイガースファンだから大阪人だとか、西宮に対する侮辱も良い所やで…!
 真のタイガースの聖地は西宮であり、最もタイガースを応援しているのも地元である西宮市民なんや…!!
 そんな所で産まれた俺も夕鶴も、物心ついた時には立派な阪神ファンとなっていたんや。
 そして、人生で最も感動したのは1985年…、そう幼稚園の時やった。
 タイガースの球団社長が飛行機事故で亡くなるっちゅう悲しい事件があり、選手全員が社長の霊前に優勝を誓ったんや。
 そして、迎えたリーグ優勝をかけたヤクルト戦。
 俺ん家に夕鶴の家族も集まってみんなで一緒にその試合を見てたんや…!!
 そこで見たものは何度もヤクルトを追い越し、追いつかれ、延長の末の引き分けの自力優勝…!!
 真弓、バース、掛布、岡田の第二次ダイナマイト打線ばっか目が行き勝ちやが、本当に勝敗を別けたは球団社長に報いようとする諦めないド根性やと思うんや…!!
 幼心に大切な事を教えられた俺と夕鶴は抱き合って喜んだよ、それはもうホンマに…」
「それは良い話だな。なんか僕までタイガースが好きになりそうだよ」
「そやろ、でも話はそれで終わりやないんや…。
 そう、その後のタイガースの低迷具合は知っての通り…!!
 何でタイガースが勝てなくなったか知っとるか…? それはカーネル・サンダースの呪いやねん!!」
「ちょっと、タイガースとカーネル・サンダースがどう関係あるんだよ…!?」
「それは1985年、リーグ優勝の時やった!! 興奮したファンがカーネル・サンダースの人形をランディ・バースに見立て、胴上げの末に道頓堀に放り投げたんや!!
 何故か沈んだカーネルおじさんはその後見つからず…。
 それ以来、タイガースは勝てなくなり、バースは息子の病気の治療を巡って球団と対立して解雇、責任を取った代表が自殺するなど、えらい騒ぎになったんや…!!
 ホンマ恐ろしいで、カーネル・サンダースの呪いは!!」
「マジかよっ!?」
「そう、呪いに対向出来るのは神の力を置いて他ならへん…!! 俺は神になってこの呪いを解き放ち、あの時の感動をもう一度味わいたいんや…!!」
「ある意味ですげぇな、お前の目標!! そんなんで良いのかよ…!?」
「自分にとって価値があれば何でも良いとちゃうの!? 例えばお前やったら、あの奏真を倒して空を自分の物とするとか?」
「お前、大声でなんて事言うんだよ…?」
 竜斗は周りを見渡し、ホッと胸をなで下ろす。
「でも、悪く無いな、それ…!」
 そして、ボソっと呟いた。

「君達の見る夢に絶対的な暗示を与えたとして、それを現実に具現化するには特殊な領域を作り出す必要がある。それは自我と呼べる物を外界に展開すると言い換えても良い」
 午後の授業が始まり、ブラフマンは再び教壇に立っていた。
「君達は自分の自我がどう言う風に形成されて行くか考えた事があるか?
 我思う、故に我有り…と言うのはデカルトの有名な言葉であるが、君達のように感受性の豊かな若者は様々な経験を通して様々なものを感じ取り、それを繰り返す事で自己を確立して行く。
 特に他人との接触は自分自身を考える強い要因である。
 多種多様で流動的に変化し続ける他人との関係性の中で、君達は自分自身の在り方を変化させて行く。
 時に自分自身を強く感じたり、時に消え失せそうな程に弱くなる事もあるだろう」
 ブラフマンの言っている事は自分にも通じると竜斗は思った。
 それは昨日の事だ。
 自分自身を見つける為にこの街に来たは良いのの、何か凄いものを持つ他人と自分を比較して、消え失せそうになってしまった。
 今は自分自身がどういうものなのか解っているわけでは無いが、自分自身に疑問を抱かない程度に安定している気がする。
 ひっとしたらそれは、自分自身で一歩踏み出す勇気を持てたからかも知れない。
「外界において消える事の無い絶対的な自我を持つ事で、自分自身を中心に精神領域は拡大され、その範囲で夢を現実とする事が出来る。
 だが、絶対的な自我を持つ事は、歳若く感受性が豊かな君達には難しい事だろう。
 だからこそ、君達には側で支える存在が必要なのである。
 そう、互いに認め合う事が出来るパートナーを持つ事で、人は強く在る事が出来るのだ。
 しかし、人と人の絆、人の心と言うものは目に見える物では無く、言葉で伝えきれる程単純な物でも無い。
 故に時に感情に身を任せ、パートナーとの肉体的接触によって心と身体を補完する事も必要だ」
「肉体的接触ってまさか…!?」
 ブラフマンの言葉を聴いて竜斗は顔を真っ赤にしながらボソっと呟いた。
「竜斗先輩ったらエッチやなぁ…。何想像してるんやか…。キスやでキス…」
 と、夕鶴も顔を真っ赤にしながら竜斗に突っ込む。
「ちゅうか、お前も想像してるんやないか…」
 と大河が夕鶴に静かな突っ込みを入れた。
「マジでキスかよっ…」
 それでも、高校二年生の男子生徒にとっては刺激的な話であった。
 そう言えば、昨日目撃した戦いでも風紀委員長と風紀副委員長がキスをしていた気がする。
 そして、自分自身も姫とキスをしてしまった…。
 あの場は極限状態だった故に考える余裕は無かったが、今となって思い出すと悶々としてしまう。
 柔らかいその感触は脳天がトロけてしまうようだった。
 しかし、あれは一体どう言う意味であったんだろうか…?
 恋愛感情故なのか…?
 姫は存在自体謎過ぎるのでその言動について深く考えるだけ無駄ではあるが、一度ある事は二度あるので次も期待せざるを得ない。
「古今東西、接吻とは婚姻の誓いや、親愛、敬愛、信頼の証として交わされて来た魔力のある行為だ。
 また、ヒンドゥー教においても神々は神妃との交わりにおいて力を得ると言われている。
 君達は自分にとっての神妃と言えるパートナーとの肉体的接触によって自我領域を展開し、その中で具現化させた夢の象徴やそれが持つ特殊な能力を使って競争相手と戦ってもらう事となる。
 能力者は周囲を覆う自我領域が物理的なダメージを緩和させるが、自我領域に攻撃をを受け続ければ精神が疲弊し最後には気を失う。
 つまり当面は精神の削り合いの戦いになるだろう」
 昨日の戦いにでも風紀委員長は姫の攻撃を中和しているようだったが、攻撃を受け続けて最後には気を失っていた。
 そして、姫は相手の攻撃も見事防いでいた。
 だが、あれは姫だから出来る事であり、何の能力も持たず自我領域を展開する事も出来ない自分では、一瞬にして殺されてしまうのでは無いかと思って竜斗は背筋を凍らせた。
「だが、君達の自我は完成されておらず、能力にもまだまだ伸びしろがある。
 最初は自我領域を展開し能力を具現化しやすいように君達の馴染みのある学校内で、能力に対して共通の認識を持つ大勢の生徒達が見守る中で戦うが、次第に難易度を上げ最終的に外的要因に依存しないで力を発揮出来るようになって頂く。
 そう、絶対的な自我を持つ存在へと自分を育てて行くのだ。
 では、君達にこれからの予定…トーナメント表を渡そう」
 ブラフマンは各列にプリントを配った。
「トーナメントは今日…7月13日火曜日から、日曜日と第三土曜日を除き、7月31日土曜日までの間に一日一試合ずつ行われる。
 7月30日金曜日だけは変則的ではあるが、それまで勝ち残った二組で協力して、君達の先輩とも言える教皇と女教皇の二人と、小アルカナと呼ばれる小規模な能力者達と戦って頂く。
 欄外に記されている死神と審判のアルカナは能力の暗示ではなく、その二つを合わせる事で輪廻転生を意味し、この世界を構築する要素そのものを現している。
 では、これから戦いを開始するが…、今日の試合はNo.3の女帝と、No.8の力のアルカナを持つ二組で戦ってもらう…その二組は名乗りを上げて欲しい」
「私がNo.3の女帝のアルカナである宝塚舞だ」
 髪が長く細身な女子でありながら男子生徒の冬服を着た宝塚が立ち上がる。
 パートナーであるファンの女子がキャーと黄色い悲鳴をあげる。
 だが、なかなかNo.8の力のアルカナを持つ生徒は立ち上がろうとしない。
 竜斗は思わず周りをキョロキョロと見渡したが、誰だか検討もつかない。
「力のアルカナを持つ者も立ち上がると良い」
「誰や!? No.8力のアルカナっちゅう奴は!!」
 竜斗は大河の襟首についたバッチを注視すると、そこにはローマ数字でNo.8と書かれていた。
「ひっとして、お前じゃないの…!?」
「な、なんやとぉ…!?」
 大河は慌てて立ち上がった。

 そこは体育館。
 大勢の生徒が囲む中で大河と夕鶴、宝塚とファンの子が対立している。
「では、互いに自我領域を展開するのだ」
 緊張と羞恥で顔を赤くしながら大河と夕鶴がぎこちないキスを交わす。
 あの二人はパートナーであり、幼なじみで進んだ関係には発展していない事が見て取れる。
 だが、互いに意識はしているのだろう。
 だからこそ、あの赤面だと思った。
 そう言う淡い関係って良いよなと、竜斗はたまらなく羨ましくなる。
 そして、昨日の風紀委員長の時と時と同じように、大河の持つ雰囲気が薄い膜のように広がり収束する。
 目の前にNo.8、力のアルカナのカードが出現する。
 女性がライオンの口を押さえているようなイラストだ。
 虎のイラストだったら完璧だったのだが、ライオンのイラストだと微妙に惜しい。
 そして、大河がそのカードをつかみ取ると、存在感が希薄なバットのようなものを具現化した。
 一方で宝塚がファンの子とキスをする。
 多分、今朝宝塚が引き連れていた他のファンの子達だろう、体育館に無数のキャーと言う悲鳴が上がった。
 いや、ファンじゃなくても女性同士ならではの綺麗で妖艶なシルエットは妙に興奮するものがある。
 ファンの子はもう死んでも良いと行った恍惚な表情を浮かべて居るものの、宝塚はサラッとした涼しい顔だ。
 ひょっとしたら、宝塚にとっては女の子同士のキスなんて日常茶飯事なのではないかと、よからぬ妄想を抱いて竜斗は悶々としてしまう。
 そして、No.3…、王座にどっしりと構えた女性の絵が書かれた女帝のカードが現れ、つかみ取るとフェンシングで使う細剣が現れた。
 大河の具現化したバットよりやや存在感があるが、それでもまだ全然薄いと言う感じだ。
 この存在感の強弱は能力の強弱に関係あるのだろうか?
 大河と宝塚の二人は向かい合っているが、フェンシング部で試合慣れして緊張をコントロールする術を持っている宝塚と違って、野球好きであっても野球部では無い大河は場慣れしていない為、緊張が顔に出ている。
「では、戦ってもらおう!」
 ブラフマンが腕を上げたのを皮切りに、大河がバットを振るう。
「先手必勝や!!」
 すると、バットから丸い物体が飛び出し宝塚へと迫る。
 だが、宝塚は大河の発した白球…いや薄球を真正面に捉え、手にした細い剣で突き刺してその存在を掻き消す。
 あくまでも涼しい顔だ。
「これでどうやーっ!!」
 大河は連続してバットを振りボールを打ち出し、それは変幻自在の無数の光の軌跡となって宝塚へと向かって行く。
 それは弧を描いて飛ぶレーザービームのような、現実にはあり得ない光景であった。
 能力と言うものがどういうものか解らない竜斗にとって、それは一大スペクタルのように思えた。
 そう思っていたのは竜斗だけでは無いようで、ギャラリーと化している他の生徒達も歓声を上げる。
 宝塚は面白い物でも見つけたように微笑み、身体を斜に構えて剣を携えた右手を突き出すと、その手首の返しで剣先をゆらゆらと揺らし、次から次へと光の軌跡を断って行く。
 剣は僅かに光を帯びていて、薄暗い体育館の中でゆらゆらと歪んだ残像を残す。
 そして、またしても歓声が上がる。
 二人の能力者の織りなす美しい光の軌跡を伴った素晴らしい攻防は見るものを魅了し、戦いの世界へと引き込んで行く。
 能力を身につけたからと言っても、それを使いこなし実際に戦うには身体の動きが必要だろうし、二人がどれ程真摯に取り込んで来たかが動きから伝わって来る気がして感動するが、他の生徒達が夢中になる様を見ると何か少し違う気もしてしまう竜斗であった。
 努力をして舞台に立っている人間に対して賞賛しているのではなく、舞台そのものに酔っているような、そんな雰囲気だからかも知れない。
 さながらブラフマンのプロデュースするビジネスショーであるかのようだと竜斗は思った。
「では、今度は私の番だ」
 宝塚が剣を突き出しながら突進する。
「まんまんちゃんっ!!」
 そのあまりに速いスピードに大河は追いつく事が出来ず、バットを闇雲に振り回すして宝塚を退けようとする。
「遅いっ!!」
 だが、彼女にはその軌跡が手に取るように読めるらしく、見事に攻撃をかわして隙を露にした大河へと剣を突き刺す。
 その剣撃は刹那に煌めく閃光のような鋭さだった。
 そして、そのまま連続して何度も何度も剣先を揺らしながら大河へと攻撃を加えて行く。
 その剣撃は大河の身体を覆う自我領域に阻まれて、肉体的なダメージを与える事は無いが、繰り返し攻撃を受け続ける大河の顔には疲労の色が浮かびつつあった。
 そして、何度目の攻撃を受けた時だろうか、大河の身に異変が起きた。
「な、なんやとっ!?」
 大河の身体が眩しい光に包まれ、その光が収縮した時には全く違うシルエットになっていた。
 そこには、不思議の国のアリスのような童話めいたドレスを着た小さな女の子が居た。
「ちんがぁー!! たまがぁー!!」
 その子はスカートをたくし上げカボチャパンツに覆われた自らの股間をまさぐると、可愛い声で関西のイントネーションが効いた聴き馴染みのあるフレーズを叫んだ。
 手にはバットを盛っているし、ふわふわのベリーショートヘアーは何処かツンツン頭の面影を残している。
 間違い無い大河だ。
「な、なんだってぇ!?」
 竜斗は思わず叫んでいた。
 周囲からキャーとか、かわいいとか黄色い声が上がっている。
「そう、私の剣撃に魅せられた者は、誰もが恋する少女になるのだ」
 と宝塚は不敵な笑みを浮かべる。
 いや、言葉のあやではなく、文字通り恋する少女にしてしまうとは恐れいった。
 大河は元の身体に戻れるのだろうか?
 いや、むしろ戻らなくても良いのだが、付き合い方が変わってしまいそうだ。
「私の能力は長くは続かないはずだが、もはや、状態異常を正常化できない程にダメージを蓄積させていると見た」
「ち、ちくしょう…」
 恋する少女状態となった大河は、フラフラとなった身体をバットで支えている状態だ。
「私には少女を甚振る趣味は無い…。大人しく投降したらどうだ…?」
 色んな意味で宝塚の能力は恐ろしいと竜斗は思った。
 制限時間があるとは言え、あの姿では今までと同じような運動能力を発揮出来るとも思えないし、やろうと思えば一方的に嬲る事も可能だろう。
「おれはまだ戦えるっ! ちんが無くても、たまが無くても、おれにはまだこのバットとボールがあるんやっ!!」
 そう言ってバットを振るってボールを打ち出す大河。
 慣れない幼女の身体で疲労が蓄積している為にふらつき、フォームは大幅に乱れているものの正確無比にボールは宝塚へと迫る。
 おそらく、狙った通りにボールを打ち出す事が出来ると言うのが大河の能力なのだろう。
「ならば加減はしないぞ!」
 宝塚はボールを剣で貫いて打ち消すと、大河に対して無数の突きを放つ。
 その衝撃は凄まじく小さくなった大河の身体はギャラリーの人山の中に向けて飛ばされて行った。
 自分に危害が加わると思っていなかったギャラリー達は悲鳴をあげる。
 やがて、その人だかりの中から、小さな影が這い出て来た。
 身体を被う自我領域はかなり薄く今にも消えそうであり、竜斗の目から見ても限界に近いのは確かであった。
「何故、そうまでして何故立ち上がるのだ?」
「おれは倒れるワケにはいかんのや…!
 誰だってやれば出来るって事を、何度でも立ち上がれるっちゅう事をしょうめいせにゃアカンのや…!!」
 大河は甲高い雄叫びを上げると、バットを無茶苦茶に振り回して突進した。
 無数の弾丸に覆われた大河は、一つの大きな弾丸のようになって宝塚へと向かって行く。
 防御と攻撃を同時にこなせる凄まじい技だ。
「私もその気迫に応えさせてもらうとしよう!」
 そこから先は圧巻であった。
 まるで瞬間移動するかのようなスピードで宝塚は大河に向かって突進し、光の球と化した大河に真っ向から剣を突き立てる。
 薄暗い体育館に激しい光が飛び散る。
 あまりに眩しい光に一瞬視界が真っ白になったが、目が見えるようになると、そこには互いに渾身の一撃を放ち合い背中を向き合わせるように交差した二人のシルエットが立っていた。
 重い沈黙が訪れる。
 ギャラリー達も固唾を飲んで成り行きを見守っていた。
 その沈黙を破ったのは宝塚であり、彼女は崩れるように片膝をつく。
 だが、宝塚の手には未だ具現化された剣が握られている。
 一方の大河は立ち尽くしたままだが、手にしたバットが粒子となってNo.8力のカードへと戻り、体育館の床へとひらひらと舞い落ちた。
 宝塚は立ち上がるとカードを拾い上げ、幼女となった大河の肩を優しく叩く。
「気を失っても倒れないとは…。まさに素晴らしい戦いであった」
「勝者はNo.3女帝とする」
 ブラフマンの言葉を皮切りに体育館中に歓声が響き渡った。

 それからどれだけの時間が経っただろうか。
 燦々と輝いていた太陽は傾き、夕焼けの中で人気の無くなった体育館のシルエットが浮かんでいた。
 少し涼しくなった空気に、ひぐらしの鳴く声が響いていた。
 体育館の小さな階段に小さな女の子が膝を抱えて俯いている。
 それは宝塚の能力を受けて「恋する少女」状態から未だ回復していない大河であった。
 そんな大河を見守る竜斗と夕鶴の二人。
 だが、痺れを切らした夕鶴が大河に声をかける。
「負けちゃったもんは仕方ないやないか…。何時までもいじけててもしょうがないし、そろそろ帰ろうよ」
「こんな姿で帰れるわけないやろ…」
「イジイジイジイジ…!! それでも男か? このヘタレ!!」
「もう男やないもん…」
「そんなヘタレだから、元の姿に戻れないんやないの!? そんなにタイガース優勝の夢を叶えられなかったんが悔しいんか!?」
「そんなんちゃう…! そんなんちゃうんや…!!」
 表を上げた大河の顔は涙と鼻水でベチャベチャに濡れていた。
「じゃあ何よ!? 言うてみぃ!?」
「言えへん…!! お前にだけは言えへん…!! こんな情けない姿さらしといて言えるわけないやろ…!!」
「なんやそれっ!!」
 夕鶴は大河の頬を叩いて車椅子の向きを変えた。
「もう、お前なんか知らへんっ!! うち、先帰らしてもらうで!!
 何時までも女の子の姿で泣いてれば良いんや!! そんでもって、そのままオカマとして大好きなメイド服でも着て生きれば良いんや!!」
 竜斗は膝を抱えて身体を振るわせ、嗚咽を堪える大河の隣に座った。
 そして、大河は深く息を吸い、呟くように沈黙を破る。
「おれな、あいつの為に戦おう思ってたんや」
 大河の言うあいつとは夕鶴の事だろう。
「あいつな、大地震の時に怪我してもうて、それ以来ずっと車椅子乗ってんねん…。怪我は治っているんやけど、心の問題で歩き出す事が出来へんやって…。
 おれな、もういっかいタイガースが優勝する所を見れれば、楽しかったあの頃や、あの時の感動を思い出して、あいつも歩き出す勇気を持てるって思ったんや…。
 それにおれが戦う姿を見せられれば、きっと誰だってがんばれば出来るって教えられると思ったんや…。
 それなのに…、それなのにおれは…!!」
 竜斗は胸が痛くなり、居ても立ってもいられずその小さな肩を抱いた。
 大河は今まで押し込めていた感情が吹き出し、竜斗の胸を借りて声を出して大声で泣き出した。
 その悲痛な叫びは竜斗の心に響き、溢れ出る涙を堪えるのに必死だった。
 それからどれだけ経っただろうか。
 落ち着きを取り戻した大河は竜斗と体育館の階段に並んで座っていた。
「ありがとう…。もう、大丈夫や…」
「そうか…」
 竜斗の声も少し霞んでいた。
「ひゃっはっはっ!! 最高の見せ物を見せてもらったぜ!!」
 卑下た笑い声が響く。
 No.15のバッヂを持つリーゼント頭の男子生徒…生徒会書記と、パーマ頭のスケバン…生徒会会計の二人組が竜斗達に近寄って来た。
「何か用?」
 竜斗は大河を庇うように二人の前に出る。
「あ? 俺がようがあるのはそこの負け犬だ!! ぼけぇ!!
 きゃんきゃん吠えて粋がった挙げ句に負けて無様な姿を晒し、おまけに女に振られて女子供みたいにギャーギャー泣きやがる!!
 あ? 今は女子供だったか!?」
「情けないったらありゃしないよ!」
 生徒会書記が間の手を入れる。
 侮辱された大河は顔を真っ赤にして俯く。
「俺はなぁ、力がねぇのにキャンキャン吠える負け犬が大っ嫌いなんだよっ!!! そんな奴は生きている価値はねぇ!! 俺が粛清してやるぅ!!!」
「ふざけるな…!!」
 竜斗は生徒会二人の暴言に強く呟くように言う。
「あ…!? なんか言ったかテメェ!?」
「ふざけるなと言っている!!」
 竜斗は自分より頭一つ大きい生徒会書記の胸ぐらを掴む。
「大河は情けなくなんか無いっ!! 大河は人の為に一生懸命生きる事が出来る凄い奴だ!! どんなに辛くても絶対に倒れない凄い奴だ!!
 全力を出して立派に戦い切った大河を馬鹿にする奴は僕が許せないっ!!!」
「あぁ!? テメェも粋がるのかよ!? テメェとは明日当たる事になっているが、良いんだぜぇ!! 今やってもよぉ!?」
「こっちも望む所だ…!!」
「お止めなさいな。双方共にブラフマンにアルカナを取り上げられますわよ」
 緊張した空気に凛とした涼しい声が響く。
 気がついた時には胸ぐらをつかみ合った二人の真横にゴスロリ姿の少女が立っていた。
「ひ、姫…!?」
「な…!? てめぇいつの間に現れやがった…!?」
「あら、始めから居ましてよ。あなた方がずっとわたくしを無視してただけじゃありませんこと?」
「あ?! そんな馬鹿なことがあるかっ!? テメェみたいなキテレツな女がいれば気付くに決まってるだろ!?」
「ならば、あなたの目は節穴と言う事ですわね」
「テメェ!!! フザケやがってぇ!!!! 何者なんだ!? あ!?」
「わたくしは香夜姫…。ここに居らせられるNo.18月のアルカナ…走馬竜斗様のパートナーですわ」
「姫と一緒ならば心強いよ!! でも、こいつは…、こいつだけは僕にやらせて欲しいんだ!!」
「ええ、勿論ですわ」
「フザケやがって!! テメェもこの女もまとめて粛清してやるっ!!!」
「やれるものならばやってみろ!! 僕はお前を倒して大河を馬鹿にした事を謝らしてやるっ!!!」
 竜斗は生徒会書記の胸ぐらを放して彼に背を向けた。
 生徒会書記もまた背を向ける。
「解っているかと思いますが、この先能力者を相手に戦い抜く事は容易ではありません事よ」
「ああ、だから姫には戦い方を教えて欲しいんだ」
「もちろんそのつもりですわよ。わたくしは貴方を本当の強さへと導く為に存在しているのですから。
 でも、わたくしの力だけでは足りません、貴方には他にも共に歩み、支え合える仲間が必要ですわ」
「ああ、解っている」
 竜斗は幼女と化した大河と向き合う。
「大河…、僕と一緒にやらないか?」
「えっ?」
 幼女と化した大河は竜斗を見上げる。
「僕と一緒に誰だって頑張れば出来るってことを夕鶴に見せつけてやるんだ!!」

理想と現実

 新月の夜。
 喧噪とした街の中心地から離れた丘の上にある北野の異人館は静寂に包まれ、りーんりーんと虫が鳴く声だけが響く。
 月明かりの射さない深い闇の中で、風見鶏の館の窓から優しい光が漏れていた。
 風見鶏の館の一階にあるダイニングでは、三人の小さな人物が長テーブルを囲って座っていた。
 一人は男性にしたら小柄で、少女のようにも見える竜斗。
 一人は竜斗より頭一つ小さく、少女に見えるが年齢不詳の姫。
 一人は姫よりも遥かに小さく、少女にされてしまった大河だ。
 共に少女っぽい外見だが実は違うと思われる、年齢と性別を超越した存在であり、見た目の華やかさとは裏腹にあまりに謎な集団であった。
 竜斗と姫はお婿に行けなくなった姿を親に晒したくないと言う大河を連れて風見鶏の館へと帰って来ていた。
 そして、聖蘭が夕食を準備している間に、今後の戦いについて話す事になっていた。
 配置は竜斗と大河が並んで座り、テーブルの反対側に姫が座っていると言った感じだ。
「結論から言うと貴方には現状レベルで能力者の攻撃は効きませんわ。何故かと言うとあなたはブラフマンの集団催眠を受けていませんから」
 姫は竜斗の顔を見つめながら言うと、続いて大河に視線を移す。
「おそらくブラフマンは特別授業と称し、能力の説明を繰り返しあなた達に聴かせていたはずですわ。
 話の中に虚実織り交ぜる事でそれが真実だと信じ込ませた上で、幾人かのサクラを含めた多くの生徒の前で実在する道具を使った練習から入り、徐々に難易度を上げた練習を行って成功体験を積ませたはずですわ。
 それらが全てブラフマンの仕組んだ集団催眠であり、あなた達は知らず知らずの内に彼の作り出す幻想の世界へと引きずり込まれたんですの」
「ちょっとまってくれや!!
 確かにそうやと思うけど、実際におれはこんな姿になっているやないか!! しかも、未だに元の姿に戻れてへんし、それをどう説明するんや!?」
 大河がすかさず姫の話にツッコミを入れたが、竜斗は全く持ってその通りだと思った。
 ブラフマンの言っている事も姫の言っている事も、何処までが本当で何処までが嘘だか判断する事は出来ないが、特殊な力によって大河の姿が変わってしまっているのは事実であった。
「そう、その催眠を繰り返す事で人間の領分を越えた能力が本当にあると思い込んでしまった結果、あなた達は実際にその力を発揮してしまっているのですわ。
 そして、能力に対しての願望が強いほど深く催眠を受けてしまう為、逆に相手の能力を強く受けてしまう結果に繋がるんですの。
 また、あなたが元に戻れない原因としては、相手の攻撃の持つ暗示があなたの持つ心の弱さと一致したからだと思いますわ。
 おそらくですけど、男性としての尊厳を傷つけられる出来事があったり、自分自身を男らしく無いと思ったんでなくて?」
 姫は妖艶な笑みを浮かべて大河を見つめる。
 竜斗は姫が大河の事情や心情を全て察した上で確信犯的に言っていると思った。
「うぐぅ…」
 流石の大河も寓の手も出ない。
 うぐぅの声は出ているが。
「残念だけど、どっちも図星だろ…?」
 竜斗は苦笑しながら言った。
「うっさいわ、アホ!!」
 その小さな手で竜斗に突っ込みを入れるが、少女の身体じゃ攻撃力ゼロだ。
「これは例え術者の方が能力を失ったとしても、継続的にあなたを苦しめる呪いのようなものですわ」
「な、なんやとぉ!?」
 姫はサラッと恐ろしい事を言い、大河に何時もの台詞を吐かせる。
「ただし、あなたが自分自身のコンプレックスを解消した時、その呪いは解けると思いますわよ。
 …まぁ、わたくしとしてはむさ苦しい男性の姿より、かわいらしいその姿の方が良いと思いますけど」
 姫は哀れな者を見るように大河を見回すとクスクスと笑う。
「僕も同感だ。一生そのまんまでいろよ」
 竜斗も吹き出しながら言った。
「冗談はよしてくれや!」
「いや、わりと本気なんだけどな」
「より悪いわ!」
 大河はまたしても小さな手で突っ込んだ。
 いや、だから攻撃力がゼロだって。
 ハリセンでも用意した方が良いんじゃないかと竜斗は思った。
「ところで、今日僕もその特別授業を受けたんだけど、集団催眠にかけられてないだろうか?」
 竜斗は気になっていた事を姫に聴いた。
「まぁ、大丈夫だと思いますわ。貴方は飲み込みが悪いお人ですから」
「な、なんだってぇ!?」
 竜斗もお決まりの台詞を口にしていた。
 今日一日で何度その言葉を言った事だろうか…?
 思い返して数えてみたら、まだ二回ぐらいだったので、それ程お決まりの台詞ってわけじゃないのかも知れない。
 数え損ないもあるかも知れないが、こまで厳密に思い出す必要性は全く無いので良いとしよう。
「ブラフマンも想定外のアホって事ちゃうの?」
 大河は仕返しとばかりに竜斗を笑う。
「五月蝿いな!! 本当の事言われると傷つくんだぞ!!」
「やっぱ、自覚してるやないか!!」
 大河は幼女の身体で素手で突っ込んでもインパクトが足りないと言う結論に至ったらしく、今度は履いていたスリッパで竜斗に突っ込んだ。
 なかなかやりやがる…!!
 竜斗は心の中で賞賛の声を送った。
「ふふふっ、決して馬鹿にしているんじゃありませんわよ。褒めてるんですわ」
 姫は二人のやり取りを見て笑いを堪えるように言った。
 そして、微笑みながら竜斗を見つめる。
「あなたは人の話の飲み込みが悪い事は確かですが、それは人の話を無条件に鵜呑みにせず、自分の頭で考え噛み砕いてから飲み込もうとするからですわ。
 催眠術と言うのは人の話を鵜呑みにし、思考する事を放棄した人がかかりやすいものですわ。
 おそらく、貴方はブラフマンの暗示を殆ど受けていないと思いますわ。
 その証拠に能力者達の作り出す能力に実体感を感じなかったり、熱狂する他の観客に対して一歩引いた立場に居たんじゃありませんこと?」
 竜斗は今日の戦いの事を思い返す。
 確かに能力者が具現化した道具が透けて見えていたり、ギャラリーに違和感を感じていたりした。
「ああ、僕もそれは不思議に感じていたんだ」
「ブラフマンは今後もあなた達に講義を通し催眠術をかけ続けるでしょうが、自分自身の頭で考え続ける事を止めなければ無駄に惑わされる事はありませんわ。
 そして、その催眠術の完成こそNo.21世界…個人の思惑を反映させた新世界の誕生に他なりません。
 そう、あなたが催眠術に対抗する事は彼の計画を阻止する事にも繋がるんですわ」
 ブラフマンの計画を阻止し、奏真が神として君臨する事を防ぐ。
 それこそが昨日知らされた姫の最終的な目的だ。
 だが、なんとなく大河にはそれを知られたく無いのだろうと竜斗は思った。
「それと、これは能力や催眠とは関係無い話ですが、ブラフマンの話の中にも生きる上で役に立つ事はあるはずですわ。
 一方的に他人を否定する事は、自分自身の人間性を否定する事と同じですわ。
 良いと思った所を取り入れる柔軟性を持つ事も必要ですわよ」
 竜斗はブラフマンの特別授業を思い出した。
 彼の言う自我の確立や夢を叶える方法論と言うのは、現実に応用出来るものだと感じた。
「ああ、僕もそう思ったんだけど、だからこそ彼の話は恐ろしいと思ったよ」
「それが解っているんだったら、大丈夫ですわ」
 と姫は微笑んだ。
「でも、このままブラフマンの催眠術が進み対戦相手の能力が強くなって行けば、催眠術に対しての耐性を持つ貴方と言えど、何時かは能力による暗示を防げなくなる時が来ます。
 その時の為に貴方には日々の生活の中で武術を学び、心と身体を鍛え気を操る術を習得して頂きますわ。
 鍛えた心と技と身体、それを更に気によって強化すれば、強力な能力者にも対抗できますわ」
「気って気功とかそういうの?」
 大河がこぉーっと、気を溜めるポージングをしながら姫に質問する。
「そうですわ。気と言うのは万物に存在する命の流れですが、自分自身に流れる気をコントロールする事で、心と身体に秘められた潜在能力を引き出す事が出来るんですわ」
「ちょいまち! それって一種の自己暗示なんとちゃうか? ブラフマンの暗示とどう違うんや?」
 姫がちょっと驚いたような表情を見せる。
 竜斗も大河にしたら中々良い質問だと思った。
「あらあら、中々鋭いですわね。確かに気は自分自身を操る力…自己暗示とも言えますわ。
 あえてブラフマンの暗示と気を比べるとするならば、ブラフマンの暗示は自然の摂理を歪め人間に与えられた領分を越える魔法であり、気の力は自然の摂理に則って自分自身の持つ本来の力を引き出す技術とでも言いましょうか。
 また、ブラフマンの暗示は才能ある選ばれた者のみが扱える物ですが、気と言うものは技術であり努力次第で誰にだって扱う事が出来ますわ」
「努力次第ってのが僕らしくて良いね!!」
 竜斗はその言葉に希望を感じた。
「わたくしもそう思いますわ。
 その時その時を自分自身の頭で考え続け、その場その場で出来る事をやり続け、その日その日で地に脚をつけた地道な努力を積み重ねる…。
 決して終わりが見える事が無い日々ですが、それが貴方を強くするでしょう。
 何度も言いますけど、近道はありません事よ?」
「ああ、望む所だ! 僕は強く生きるって決めたんだから!!」

 食後、姫による武術のレクチャーを終えた竜斗と大河は、風見鶏の館の二階にある朝食の間の丸テーブルに突っ伏していた。
 朝食の間と名付けられているが、実際の所は団らんの為の部屋として作られている。
 ちなみに二階には他にビリヤード台の置かれたホールと、寝室、客室、子供部屋、浴室がある。
 竜斗は寝室、大河は客室を自室としてあてがわれている。
 主人である姫は一番広い子供部屋を使用しているが、竜斗はまだ入った事は無いものの人形が沢山並べられていると言う事だ。
 聖蘭は地下にある使用人の部屋を使用しているとか。
「しかし、なんでおれまで武術修行されられなきゃアカンのや・・・?」
 大河が幼児の甲高い声で文句を口にした。
「文句言うなよ、僕なんてこうだぞ!!」 
 竜斗の指差す自分の顔面は傷だらけであった。
「うん、前より男前や!!」 
 大河は腕組みをして何度も頷く。
「男じゃない奴よかましだ!!」 
「うっさいわ、ボケっ!! にしても、なんで姫さんはあんなに強いんや…!! 反則やろ…!!」 
「さん付けかよっ!! まぁ、その気持ちは解らんでもないが…」 
 竜斗は自分が傷だらけとなる原因となった姫との武術の実演を思い出す。
 それは一階の居間でのことだ。
 一階の居間はダンスパーティを開けるようにとかなり広く作られているので武術の練習をするにもうってつけだった。
 一応、怪我をしないようにと聖蘭がマットを用意して敷いてくれていた。
「では、わたくしの教える武術がどういうものであるか身をもって体験して頂きたいと思いますわ。
 竜斗さん、わたくしに襲いかかって来て頂けませんこと?」
「いや、非常に嫌な予感しかしないだけど…」
「なんだったら、襲うついでにわたくしの胸でもなんでも触ってもよろしくてよ」
「喜んでヤラして頂こう…!!」
「単純なやっちゃなー」
 と大河が言うもののかなり羨ましそうだ。
「では、行くぞっ!!」
 竜斗は信じられない程の気迫を見せて姫に向かって突進する。
 姫は竜斗を向かい入れるように両腕を開いて待っている。
 まさに胸を触って下さいと言わんばかりの隙だらけの態勢である。
 だが、いざ竜斗の手が姫の胸に触れようとした時、彼女の姿が一瞬にして消え去った。
 そして、気がついた時には竜斗の身体は宙を舞い、顔面からマットへと落下していた。
「な、なんやとぉ!?」
 大河のおなじみの台詞が飛び出した。
「いててててっ…!!」
 顔面を打ちつけて文字通り出鼻を挫かれた竜斗を姫が楽々と担ぎ起こす。
 その小さな身体からは信じられない程の力強さであり、まるで地にしっかり根が張っているかのような感じがした。
「ふふふふっ。ご自身がどうなったかお解り?」
「いや、まるっきり解らなかった…。姫が消えて気がついたらこうなっていたとしか…」
「それは動きを先読みしようとする人間の特性を利用したからですわ。
 例えば先ほど貴方はわたくしに実演を持ちかけられた時に嫌な予感がするとおっしゃいましたが、それと同じように物の動作に関しても事前の動きから次の動きを予測する事を無意思に行ってしまうものなのです。
 ですが、わたくしはあえて隙を作って注目を胸に集めた上で、スカートで下半身の事前の動きを隠して貴方の死角へと回り込んだので、急に消えたように見えてしまったのですわ。
 そして、貴方が突進しようとする力をわたくし自身を支点にして方向をずらした事で、結果的に投げ飛ばされてしまったような形になったのです」
「つまり、フェイントとカウンターと言う事か?」
「そうですわ。例えわたくしのように可憐で非力な者でも、相手の虚を突き互いの重心をコントロールする体裁きを習得すれば、十二分に戦う事が出来るんですわ」
「それって、合気道とか柔術とちゃうんか?」
 大河がまたしても鋭い質問をする。
「あらあら、惜しいですわね。わたくしの使うのは新武芸ですわ」
「な、なんやとぉ?」
「お前、今日一日で何度その言葉を吐けば気が済むんだよ!」
 と竜斗は思わず突っ込んだ。
「日本における武術の原型は武士が戦う為に必要な技芸であり、武家階級においては剣術、馬術、長刀術、泳法術など十八種の武芸を修める事が求められたと言いますわ。
 後々に体系化されて古武術と総称されるようになりましたが、その中には現代武術の中で失われてしまった隠し武器、活法、薬方、はては呪術や、宗教に結びついた心法なども技術として取り入れられていたと言われます。
 わたくしが体系化された古武術から非力な者が戦う事を前提に要点を抜き出し、新たにまとめあげたものが新武芸ですわ。
 つまり、より実戦的な戦闘術と言えますわね」
「なるほどねー」
「まずは基本となる受け身、それから今わたくしが使った型の練習をしましょう」
 そして、それが一時間半続き今に至ると言うわけだ。
「結局今日習ったのはそれだけや…。強くなるには先が長いでホンマ…」 
「そうだなー…」
 しかも、明日は実戦を控えている。
 練習不足は否めないが闘志は十分だし、持てる全てをぶつけるしか無いと竜斗は覚悟を新たにするのであった。
「しかし、今日は沢山動いて汗かいたし、風呂入りたいんやけど…」
 と大河は珍しく小さな声で言う。 
「先、入れば?」
 竜斗はこのまま考え事をしたい所だったので、今は風呂に入りたい気分じゃなかった。
「一緒に入ってくれへん…?」
 大河が甘えたような声を出す。 
「は? 嫌だよ!! 勘弁してくれよ!!」
 竜斗は冷や汗ダラダラだ。 
「こないな身体になってもうたし、一人で入るの恐いんや!! 実は便所もまだ行ってへん!!」 
 大河の顔は悲痛だった。
 もしかしたら、トイレの方も限界だったのかもしれない。
「その気持ちは解るっ!! 非常に解るが自分でどうにかしろっ!!!」 
 と竜斗は言い切った。
「その話聴きましたわよ」 
 そこに姫が現れた。
「姫!?」 
「姫さんっ!?」 
 相変わらずの神出鬼没さに竜斗と大河は同時に声を出す。
 もしかすると、始めから居て気配を消していたのかも知れないが。
「わたくしが一緒に入りお世話すればよろしいんじゃなくて?
 女同士ですもの、互いに肌を見られても何ら問題ありませんわ。何だったら聖蘭さんに頼んでもよろしくてよ?」 
「そうだな…」
 竜斗は厄介事から解放された気がして、一瞬思考能力が麻痺していたが、実はそれがとんでもない事だと気づいた。
「って、問題あるよっ!!! それだけは絶対に駄目だ!!!! こいつは見た目は幼女でも中身は獣なんだ!!」
「おれ、いやわたし、心まで女の子になってもうたんや!! だから一緒に風呂入ってーな!!」 
 と、姫にすがりつく大河。
「アホぉ!! こうなったら、僕が世話してやるっ!! それで良いな!!!」 
 竜斗は大河の頭を拳骨で叩くと、腕を引っ張って風呂場に連れ出そうとするが、大河がそれに抵抗する。
「やっぱ嫌や!! お前に乙女の肌見られとうないしっ!!!」 
「顔赤らめるなっ!! だったら、始めから自分一人で入れよなっ!!」
 こうして、バタバタとした夜は過ぎて行った。

 1999年7月14日(水)
 この日も午前中のブラフマンの講義から始まり、午後から試合が開始されると言う流れであった。
 ブラフマンの講義は暗示の基礎となるタロットカード全体の成り立ちを詳細に説明するような流れであった。
 それぞれのアルカナについての説明は、引き続き後日に行うらしい。
 その講義は脱落した大河とそのパートナーである夕鶴も参加していたが、二人は一度も話す事がなく午前中を終えていた。
 席が隣同士と言うのがかえって心の距離を感じさせた。
 竜斗は元々の二人の仲の良さが印象的だっただけに胸が苦しくて仕方なかった。
 姫はと言うと例外的にこの学校の生徒では無いので、授業には参加せず午後の試合から合流する事となっていた。
 そして、昼下がりの体育館。
 前日と同じように大勢の生徒達によるギャラリーが竜斗と姫、生徒会の書記と書記を囲んでいる。
 試合開始を前にして期待と興奮に満ちたザワついた雰囲気になっていた。
 一人場違いな格好をした姫は嫌でも目立つわけだが、彼女を見て奏真が驚いたような表情を浮かべながら歩み寄って来た。
「やぁ、君は素晴らしく魅力的な人だね」
「お兄ちゃんの馬鹿っ!! 馬鹿馬鹿っ!! こんな所でナンパしないでよぉ!!」
 奏真が姫に握手を求めようとすると、観客をかき分けてやって来た空がそれを阻止した。
「おっと、レディを前に先に名乗らないのは失礼だったね。俺の名は青海奏真。そして、この子は俺のパートナーである旭陽空さ。よろしく」
「わたくしは香夜姫。竜斗さんのパートナーをさせて頂いていますわ」
 その時、姫と空二人の視線が合う。
 厚底のブーツを履いている為、姫の方が身長が高く見えるものの、実際には同じような体格であり、雰囲気がまるっきり正反対ではあるが何処か似ている。
 空の瞳から一粒の涙が溢れた。
「あれ…? どうしたんだろ!? あなたを見るのは初めてなのに、初めてって気がしないの…」
「俺も君の事を前から知っているような気がするんだ。良かったら君の事を教えてくれないか?」
「わたくしはこの世界を生きる貴方達にとって、草葉の影に揺れる亡霊のようなものですわ。例え見えたとしても必要以上に気にすれば心を病む事になりますわよ」
 なんか恐い言い回しだが、もの凄い説得力がある言葉であった。
「ふっ、面白い言葉だね。ますます気になる所だが、ここは大人しく引き下がった方が良いかもしれないな」
「じゃあ、お邪魔しちゃってゴメンね!! 応援しているから頑張ってね!!」
「健闘を祈るよ!」
「ああ、頑張るよ…!」
 奏真と空は連れ立ってギャラリーへと戻って行った。
 竜斗は姫と彼らの関係性が気になった。
 そして、体育館の真ん中二組に挟まれたスーツにサングラス姿の男…ブラフマンとの関係性も気になる。
 姫とは一体何者なんだろうか…?
 もし本当に亡霊だったとしても不思議では無いが、それでも構わないと言う気もする。
「では、自我領域を展開するのだ」
 ブラフマンが接吻タイムの開始を告げる。
 目の前にいる生徒会書記と会計が唇を交わす。
 うげっ…。
 竜斗は生徒会書記の汚物を思わせる口臭を思い出し吐き気を催した。
 会計は白い顔を紅潮させていた。
 よく、あんなのとキス出来るよな。
 世の中広過ぎる…あまりに広過ぎると竜斗は思った。
 そして、生徒会書記の身体を覆うようにおなじみの自我領域が広がり、その手にNo.15悪魔のカードが出現する。
 角と冠、背中にコウモリの羽をつけ、男の股間のふくらみと、女の乳房を持った訳の解らないものが描かれている。
 そして、それをつかみ取るとメリケンサックに変化した。
 全く捻りの無い武器であるが、痛そうな事に違いない。
「No.18月のペアも後に続け」
 そう言われてもね…。
 竜斗はまわりを見渡した。
 そこらかしこ人だらけ。
 宝塚に大河や夕鶴、奏真に空と知っている人達もちらほら居る。
 特に空は応援すると言った手前か、竜斗に熱い視線を送っていた。
 竜斗は生唾を飲む。
「あらあら、レディーを待たせるものじゃありませんことよ。通過儀式のようなものらしいので、このままじゃ何時まで経っても先に進みませんわよ」
「嫌だって!! 人前でキスなんて出来るかよっ!!」
 さらし者も良い所だ。
 竜斗の様子を見てクスクス笑う空。
「意気地無しですわね。自分から戦うと言ったのは何処の何方でしたか?」
「それとこれとは話が別だ!!」
 ごねる竜斗に会場大ブーイング。
「やるなら早くしろってんだよ!! でなければ帰れってんだ…!」
 生徒会書記に煽られてカチンと来る竜斗。
「くそっ! やってやる!! やってやるさ!!」
 竜斗が姫にキスをする。
 すると、自我領域が展開される事は無かったが、やたら存在感の薄い感じのNo.18のカードが出現した。
 それを掴んでももちろん武器に変化する事はない。
「ごちそうさまでしたわ」
 姫は顔を赤らめていた。
 姫は大胆なのか純情なのか良く解らない。
「では始め!!」
 ブラフマンの合図を皮切りに生徒会書記が拳を振り上げて突進して来る。
「死にさらせコラァ!!!」
 物語のセオリーで言うと先に手を出した方が負ける事になっているが、戦いはおろか喧嘩すらした事が無い竜斗にとってそんなセオリーは通用しない。
 相手の気迫に押されたのか、気がついた時には左頬を殴りつけられていた。
「…」
 なんと言うか、思っていた程痛く無かった。
 メリケンサックで殴りつけられたはずなのに、普通に殴られただけって感じだ。
 それに特殊な効果が竜斗の身を襲うわけでも無かった。
「てめぇ、何でメリケンサックで殴られて平気なんだ!? それ以上に何で毒を食らいやがらないんだ…!?」
 竜斗はこれが集団催眠を受けてない事による効果だと身をもって実感した。
 つまり、純粋な拳と拳の戦いと言う奴だ。
 それならば勝ち目はあると、竜斗は闘志を燃やして反撃に打って出る。
「教えてやる義理は無いっ!!」
 攻撃を繰り出して隙だらけになった生徒会書記の顎に、ここぞとばかりにアッパーカットを繰りす竜斗。
 顎を上にしながらすっ飛ぶ生徒会書記。
 かなりズッシリとした手応えがあった。
 今まで喧嘩など経験した事が無い竜斗であったが、その一撃は間違い無く決まったと言う実感があった。
「た、タッくん!!」
 生徒会会計が倒れた書記を助けに入ろうとするが、姫はそれを阻止しようと前に割って入る。
「この戦いはあの方が自ら選んだ道ですわ。邪魔をするなんて無粋な真似は許しませんことよ」
「テメェ!!」
 その鋭い眼光は生徒会家計の身体を硬直させ、彼女はびくとも動く事が出来なくなった。
「そう、このわたくしを含めて、誰にも邪魔なんか出来ないのです」
 そして、悲しさを堪えるような声で言った。
(頑張って下さい…。それがどんなに辛く厳しい道でも、それが貴方の選んだ道なのですから…)
 一方、竜斗にぶっ飛ばされた生徒会書記は何事も無かったかのように立ち上がって来た。
「な、なんだと!? 確かに手応えはあったはずだ!?」
 竜斗はダメージを受けた様子の無い生徒会書記に驚愕する。
「効くわけねぇだろ!? 自我領域があるのを忘れたか!?」
 思いっきり忘れていたが、竜斗には能力が通じなかったとしても、相手にはまだ自我領域と言うものがあった。
 だが、それでも活路を見いださない限り勝利はあり得ない。
「く、くそぉーーーーっ!!」
 竜斗は半分自暴自棄になって生徒会書記の頬に向かって殴り掛かる。
 まるでミットでも殴ったかのような気持ちの良い手応えだ。
 だが、生徒会書記は竜斗に左頬を殴られ首を右に大きく傾けたまま、陰険な目で竜斗を睨みつける。
「効かねぇって言ってんだよ!!」
 生徒会書記は街のチンピラが弱者をいたぶる時のように手をポケットに入れたまま蹴りを繰り出す。
 そのボンクラ然としたキックは竜斗の腹に食い込み、竜斗はそのまま反吐を吐いて膝をついた。
 戦いを初めとし身体や物を動かす事は全て物理であり、如何に効率良くエネルギーを伝えるかと言う事に帰結する。
 ポケットに手を入れたまま繰り出すボンクラキックは、体重を乗せる事が出来ない為に見た目に反して威力は無い。
 つまり、自分自身が強いと言うことをアピールするだけの虚勢であり、知識と経験を身につけた真の強者にとっては雑魚であると言いふらす愚か者に見える事だろう。
 だが、戦い慣れしていない竜斗にとっては、それでも脅威である事に違いが無かった。
「どうしたどうしたー!?」
 追い打ちをかけるように生徒会書記が竜斗を踏みつける。
 相変わらず手はポケットに突っ込んだままである。
 竜斗は自分自身を庇うように背中を丸めて動かなくなった。
「さっきまでの威勢はどうしたんだよー!?」
 竜斗はその痛みと恐怖に涙する事しか出来なかった。
(そう、現実とは残酷なものですわ。どんなに理想を高く掲げても、その実現には絶対的な力が必要なんですの)
 姫は生徒会会計を牽制しながらも、横目で竜斗の戦いを見守っていた。
「くそっ…!! くそぉ…!!!」
 竜斗が痛みに耐えながらも声を上げる。
(困難に直面した時、未知の力が目覚めるとか、何時も誰かが助けてくれるなんてご都合主義は通用しません)
 姫は竜斗の悲痛な叫びが聞こえる度に、自分がその痛みを代わってあげたいと思った。
 自分だったら一瞬にして相手の命を奪う事も可能だとさえも思った。
 脳内では相手を亡き者にするシミュレーションを何度も繰り返していた。
 だが、これは竜斗自身が決めた事であり、彼の気持ちを尊重してどんな状態になろうと水を注さないと決めていた。
 圧倒的な実力を持つ姫にとっては、ただ見守るしか無いと言う事は想像以上に心を痛める事であった。
 姫のその手は強く握られ、爪がめり込んだ掌にうっすらと血が滲んでいた。
「てめぇもアイツと同じだな!! 弱ぇクセにギャーギャー喚きやがるオカマ野郎と!! 弱い奴は生きてる価値は無ぇんだよ!!!!」
「だまれっ!!! だまれぇーーーーーっ!!!!!!」
 大河を侮辱されて闘志を取り戻した竜斗は、生徒会書記の脚を取ってすくい上げた。
 バランスを崩した生徒会書記は後頭部から派手に転倒する。
「僕はお前に勝って大河を馬鹿にした事を謝らしてやるって決めたんだ!! 誰だって頑張れば出来るって事を証明してやるって決めんだ!!!」
「てめぇ、やりやがったな!!」
 通常だったら気を失う所だろうが、自我領域に守られた生徒会書記は無傷だ。
 何事も無く起き上がった生徒会書記は、再び竜斗の左頬を殴り倒す。
 だが、ぶっ飛ばされそうななるのをグッと堪えて、竜斗は口から垂れる血を拭きながら生徒会書記を睨みつける。
「しつこいなテメェは!!」
「大河にっ…!! 謝れぇーーーーっ!!!!」
 竜斗の両の目が鋭く輝き咆哮する。
(自分自身の無力さを実感したとしても、何度傷ついたとしても、決して諦めずに何度でも立ち上がって下さいな。足りない所に気付けばそれだけ努力すれば良いだけですわ)
 もの凄い気迫で殴り掛かって来る竜斗に、今まで感じた事が無いような言い知れぬ恐怖を感じた生徒会書記は、彼の左目に向かって渾身のストレートを食らわす。
「く、来るなー!!」
 竜斗自身の突進する力も合さり、もの凄い衝撃であった。
 体育館の床ににひれ伏す竜斗を見て、流石にもう立ち上がって来ないだろうと一安心する生徒会書記。
 だが…!
 地面に手をつく。
 膝を立てる。
 背を起こす。
 ふらつきながら。
 血だらけになりながら。
 痣だらけになりながら。
 まるでゾンビのように這い上がる竜斗を見て生徒会書記の恐怖は絶頂に達した。
「謝るんだーーーーーっ!!!」
 その怒号は見ている者全員の心を揺さぶるような強さを秘めていた。
 竜斗の左目は腫れ上がって見えないが、残った右目で生徒会書記の目を捉えて離さない。
 生徒会書記はキョロキョロと目を泳がせる。
 どっと冷たい汗が吹き出る。
 その時、生徒会書記の身体を覆う自我領域や、具現化したメリケンサックが不安定になっていた事に本人は気付かなかった。
(人間は自分が出来る事以上の事は出来ません。だからこそ、その時々で自分に何が出来るかを考え、自分に出来る事を最大限にやり抜く…。
 大切な人の為ならばそれが出来る。貴方はそう言う強さを持っている…! わたくしは信じていますわ…!!)
「この野郎っ!!! 今度こそ死にやがれぇー!!!!!」
 生徒会書記がふらつきながら立っている竜斗に向かって拳を振り上げながら突進して来る。
 竜斗はその攻撃が顔面を狙っているものだと核心していた。
「虚を突き相手の力を利用する…」
 竜斗は脱力しているようにみせかけ無防備な顔面に生徒書記の意識をより集中させ、そのパンチが顔面に叩き込まれる寸前に相手の懐へと潜り込み、突き出された右手を掴むと自分自身を支点として投げ飛ばした。
「ぐはーーーーーーーっ!!!!」
 床を叩く大きな音と共に生徒会書記の断末魔の叫びが響いた。
「タッくんっ!!!」
 生徒会書記に駆け寄ろうとする会計を姫が怒りを込めた一撃で沈める。
 竜斗は生徒会書記の自我領域の消滅と共に現れたカードを回収し、高らかに天上に向けて掲げた。
「僕のっ…!!! 勝ちだぁーーーーーっ!!!!!」
 観客の歓声が上がる。
「竜斗ぉーーーーーっ!!! 」
 だが、駆け寄ろうとする大河を押しのけて、姫が竜斗に抱きついた。
「ふぎゃっ!!」
 コロコロと転がる大河。
「よく…、そんなにボロボロになるまで頑張ってくれましたわね…。信じていましたわ…」
 竜斗の肩を強く掴むその声は震えていて、まるで泣いているようだった。
「姫…心配かけちゃったな…」
 竜斗は姫の頭を抱き寄せるようにして優しく撫でる。
「戦っている時に姫の言葉が聞こえたんだ…。だから、最後まで諦めずに戦えた…。ありがとう信じてくれて…」


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