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特別な子供

 1999年7月12日(月)
 神戸の街は新しい朝を迎えようとしていた。
 街の北側に頂く六甲山の稜線をなぞるように光が溢れて行く。
 その麓の斜面には人々が眠りにつく住宅街。
 まだ薄暗く静まり返った空間に鳥のさえずる声が響く。
 斜面を下ると市街地が広がっている。
 生活感溢れる駅やデパート。
 西洋式近代建築物と現代的建築物が混在するオフィス街。
 東西南北を立派な門に囲まれた中華街。
 その全てが暁に染まって行く。
 そして、南には海上に面したエリアには湾岸地区がある。
 倉庫街のクレーン。
 ハーバーランドの観覧車。
 キャンドルのようなポートタワー。
 蒲鉾のようなオリエントホテル。
 埋め立て地へと続くポートピア大橋。
 天を突くような高層ビル。
 海上に特徴的なシルエットが浮かび上がって行く。
 日の光に全てが照らし出されると、まるで海に浮かぶ街のようだった。
 そして、日の出と共に人々は活動を再開し、街は何時もの喧噪に包まれる。
 人々は汗を浮かべながら坂を下り、街を東西に貫く高速道路や幹線道路は渋滞をはじめ、電車はひっきりなしに行き交う。
 その高校にも例に漏れず新しい一日がやって来ていた。
 阪急神戸線の王子公園駅から住宅街を抜け北へと続く坂道を、モダンな制服を着た学生達が列を作って登って行く。
 男子は普通のワイシャツにカーキ色のズボン。
 女子生徒は胸元を黒い紐で編み上げ、襟な白い二本のライン、袖口にタック、胸のポケットには国宝である八咫鏡をデザインした校章が入った特徴的なセーラー服を着用している。
 険しい事で知られるその通学路はさながら山のようで、学校に通う学生や地元民からは観音山と呼ばれていた。
 そして、坂を上り切ると中世ヨーロッパの古城を思わせる外観の校舎が姿を表す。
 特徴的なのはロンドン塔と呼ばれる塔屋で、朝の空に向かって誇らしげに伸びている。
 世界大戦時には陸軍の司令部として使用され、敗戦後には昭和天皇も宿泊したと言う歴史があり、阪神大震災をも耐え切った希少な価値のある建物である。
 その校舎の前で、真夏だと言うのに冬服であるカーキ色の詰襟を着込んだ、屈強な男子生徒達が円を成している。
 その熱気漂う輪の中心にいたのは、動揺の表情を浮かべた小柄な少年であった。
 髪は短くふわっとした猫毛で、成長し切っていない幼い顔つきは中性的な雰囲気だ。
 他の生徒達がカーキ色の学生服を着ているのに、その少年だけは特徴の無い黒い学生ズボンを履いて、そのベルトに乱れたワイシャツを無理矢理しまい込んでいる。
「他校の生徒が何用だ?」
 背丈は普通、七三分けにキッチリと塗り固められた髪型の男子生徒が、小柄な少年に対して詰め寄る。
 何の特徴も持たないような普通の容貌ではあるが、その瞳は光射さない深海を思わせるほど暗く、見つめられると寒気を感じるようだった。
 冬服の制服の襟にはローマ数字でNo.18と記されたバッヂ、腕には風紀委員長と言う腕章を巻いている。
 そして、その傍らにはお下げ髪で、狐を思わせる淵の切り立ったメガネをかけた女子生徒が付き添っている。
 セーラー服の腕章には風紀副委員長の六文字が記されている。
「…僕は今日からこの学校に転校する事になった」
 小柄な少年は言い知れぬ威圧感を感じながらも重たい口を開く。
「では、制服はどうしたのだ?」
「…急な転校だったんで用意出来なかったんだ」
「その程度の答えでは規則を破る理由にはならないな。
 君は何の為に規則があるか解るか?
 それは君達のような一般の生徒が平穏に暮らす為に存在する。
 自分から何も考えない、自分から何も感じない、自分から何も出来ない。
 そんな意思の弱い一者でも、強者の作り出す規則を守る事で、秩序の元で平和に暮らす事が出来るのだ。
 例外を許可したら規則を守って暮らしている他の一般生徒に示しがつかない。
 悪いがこの学校の秩序の為に粛清を受けてもらうぞ」
 お下げ髪の副委員長が跪き、風紀委員長に調教鞭を捧げる。
 その時、副委員長のメガネが残忍に輝くのを小柄な少年は見逃さなかった。
 そして、風紀委員長は小柄な少年に向けて調教鞭を振りかざす。
 だが、その時だった。
「規則の名において流されるまま暴力を振るう…。俺にとって君の方がよっぽどタチの悪い思考停止野郎に思えるな」
 凛と響く声。
 周囲の喧噪にも関わらず何処までも透き通るような不思議な声質だった。
 うめき声を上げながら次から次へと冬服の男子生徒達がなぎ倒されて行く。
 瞬く間に場を囲っていた冬服達は全員地に伏せ、そこに立つのは風紀委員長、副委員長、小柄な少年、そしてもう一人…。
 逆光の中に背が高く細身のシルエットが浮かんでいた。
「邪魔をするなっ!」
 風紀委員長は細身の男子生徒に対して勢い良く調教鞭を振りかざすが、彼はその軌道が止まって見えているかのような余裕さで、体を僅かに横に逸らして避ける。
 そして、そのまま風紀委員長の顔面に向けて拳を突きつける。
「チェックメイトだ」
 一瞬時が止まったかのような沈黙が訪れる。
「今日の所はこの者の強き意思に免じて引き下がるとするが、忘れない事だな。意思の弱い者は規則に従ってこそ平和に生きられるのだ。
 もし、規則を守れないのであれば、この者のように強い意思を示すか、粛清を受けるのみだ」
 そう言うと風紀委員長は仲間達を引き連れて校舎へと退散して行った。
 あまりの事に茫然自失となっていた小柄な少年は、自分を助けてくれた男子生徒をマジマジと見つめる。
 他の生徒と同じくカーキ色の学生ズボンを履いているのだが根本的な次元が違う。
 長く脚にフィットする細身の裁断で股上が浅く、細い胴に蓮華がデザインされたバックルのついたベルトが巻かれ、大きく開け放たれたワイシャツから露出した胸元には法螺貝のペンダントが光っている。
 そして、シャツの襟元にはローマ数字でNo.19と刻印されているバッチを着けている。
 猫化の動物を思わせるしなやかな筋肉を持ち、細身ながらも力強さを感じる。
 動く度にアロマハーブのような香りが漂って来た。
「お嬢さん、怪我は無いか?」
「助けてくれたのは有り難いけど、残念ながら僕は男だよ…!!」
「わるいわるい。君があまりにも可憐なので、そう呼びたくなってしまったのさ」
 彼は長く伸びた黒髪をかき分けて不敵に微笑んだ。
 侮辱のようにも取れる言葉だが、彼が言うと全く嫌みに感じなかった。
「君、転校生だろ…? 転校初日から災難だったね。
 彼らは生徒会長所属の風紀委員さ。武闘派の生徒会長を尊敬するあまり、その歪んだ思想を生徒に押し付けて取り締まる事から、影で粛清委員会なんて呼ばれているんだ。
 でも、決して悪気があるわけではなく、真面目さが行き過ぎているだけなのさ。
 だから、今回の事で学校を嫌いにならないで欲しいな。悪い事もあるかもしれないけど、それ以上に良い事も沢山あるんだから」
 彼の言葉は身をもって証明している事なので説得力があった。
「ありがとう」
 小柄な少年は不器用そうに笑った。
「ようこそ、我が県立高校へ…! 俺は青海奏真、この学校の三年生さ!!」
 差し出された手に気後れしながら、小柄な少年は手を差し出しその名を告げる。
「僕は、僕の名は…」

 Soma × Soma

「えー、本来であれば一学期が終わろうとする時期ではあるが、明日から始まる特別授業に参加する為に東京から転校生を迎える事となった」
 見知らぬ教室、見知らぬ顔に囲まれ、緊張を隠せない小柄な少年は、震える手を制しながら黒板に自分の名を書き記し挨拶をする。
「…僕は走馬竜斗と言います。えっと、東京の学校から来ました」
 竜斗は頭が真っ白な状態で、それ以上何も言う事が出来なかった。
「そんだけかい!!」
 窓際の一角を脚を投げ出して陣取っているツンツン頭の生徒がヤジを飛ばす。
 他の生徒同様、カーキ色のズボンにワイシャツと言う夏服姿だが、襟にはNo.8とローマ数字のバッチを着用している。
 竜斗は彼になんとなく自分と同じ空気…言葉にするならば若干残念な雰囲気を感じる。
「転校生来るっちゅうから、かわいい女の子期待してたのに、色々と期待外れな奴っちゃな!」
 悪かったな、男でしかもつまらん奴で。
 と心で呟きながらも、彼に親近感を覚え緊張を解きほぐすのであった。
「じゃあ、今日一日は皆と一緒に平常授業を受けなさい。席は藩臣の隣が空いているな…」
 先ほどのツンツン頭が、手招きして竜斗を呼ぶ。
「俺は藩臣大河や。よろしゅう」
 拳を突き出したので、竜斗も拳を重ねた。

 そして、授業が開始されたものの、それから先は地獄かと思う程時間が過ぎるのが遅く感じた。
 竜斗は一生懸命授業内容を頭に入れようとしているものの、今までの学校で受けている授業とは次元が根本的に異なり、全く理解出来ないばかりか苦痛でしかなかったからだ。
 正午になる頃には夏の熱さとも合さり、頭がオーバーヒートするんじゃないかと言うぐらい茹で上がっていた。
 授業の終了を告げる鐘が鳴り、昼休みの開始と共に竜斗は屋上に行き、ロンドン塔に寄りかかってぐったりとした。
 だが、いくら塔の影で日陰となっているとは言えこのカンカン照りの太陽だ。
 熱せられた床面は容赦なく竜斗の尻を焼いて行く。
 かと言って立ち上がる気力も無い。
「ああ、太陽が恨めしい…」
 思わずそう呟くしかなかった。
 そんな彼の頬に結露したペットボトルが突きつけられる。
 ひんやりしていて、気持ちよかった。
「お疲れさま」
 まるで鈴を鳴らしたかのように可愛らしい響き。
 顔を上げるとそこには青みがかったショートヘアーの少女が、制服のスカートを押さえて立っていた。
 少し危険なアングルだ。
 まるで子供のように小さな背丈だが、セーラー服に包まれたその肢体は緩やかな曲線を描き、子供でも大人でも無い思春期の少女特有の存在感を放っていた。
 やや丸みを帯びた顔に爛々と輝く大きな瞳と、頭の上でぴょこんと立った黄色のリボンが愛玩動物を思わせ、庇護欲をかき立てられる。
「旭陽空、空って言うの! よろしくね!!」
 まるで吸い込まれるような笑顔だった。
 喉が乾いていると言う事もあり、竜斗は軽い目眩を感じてしまう。
「ありがとっ!!」
 竜斗は差し出されたペットボルトを受け取ると、喉を鳴らしながら一気に食道へと流し込むが、妙な違和感を感じるのであった。
 具体的には味が無く、カルキ臭い。
「って、これ水道水じゃないか!」
「うん、君にと思って買ったは良いんだけど、気がついたら中身が水になっちゃったんだ。何があったんだろうね?」
 と両手を広げ大げさなポースを取る空。
 それがなんだかとっても可愛いらしい。
「ってか、君が飲んだんだろ!?」
 あきれながらも笑顔で返す竜斗。
「そうとも言うかも知れないけど、こう暑くちゃ仕方ないよね!」
 その屈託のないに竜斗は胸が高鳴った。
 ひょっとしたら、僕の緊張をほぐす為にわざわざ水道水を入れて来たりしたのかも知れないと、竜斗は思った。
 …考え過ぎかもしれないし、天然の成せる業かも知れないが、ありがたい事には違いない。
「でも、嬉しいよ…!!」
 それにもしかしなくても、間接キス…!?
 要らぬ妄想で顔を赤くする竜斗の隣に空はふんわりと腰をかけた。
 リンスの甘い匂いがふわふわと漂い鼻孔をくすぐる。
 太陽よりも熱い存在感を隣に感じる。
 どんどん竜斗の胸は高鳴り、息は切れ切れ、熱さからではない大量の汗が吹き出る。
 実際には一瞬の出来事なのだろうが、竜斗には一生に匹敵するほど長い時間に感じていた。
「おっ、こんな所におったんか!?」
 そんな凍り付いた時の中にいた竜斗を大河の声が通常時間軸へと引き戻す。
 正直助かったと竜斗は思った。
 あのまま凍り付いた時の中に居れば、どうかなってしまっていた可能性もあるし。
 大河は竜斗の隣にドッサリと腰を下ろす。
「あちっ! なんやこの熱さは! ケツ丸焼けやないか!! まったく太陽が恨めしいで!!」
 ただ、輝いているだけで恨みを買いまくるとは、まったく太陽は罪な奴だと竜斗は思った。
「どや、この学校の授業は? 殺人級とか思ってるんちゃう…?」
 それは改めて思う必要も無い程、思っている事だった。
 だが、自分の事で精一杯で周囲のことを気にする余裕の無かった竜斗は、ふと隣の席に座っていた大河の授業態度が気になった。
「お前はどうなのよ?」
「舐めてもらっちゃ困るで! 俺は去年からこの学校で授業うけているんや、当然解らないに決まっているやろ!!」
「それ、駄目過ぎだろ!!」
 竜斗は思わずペットボトルで大河の頭を叩いた。
 パコーンと屋上に快音が響く。
「だが、この一年間で解らない事を華麗にスルーするスキルを身につけたんや! 今じゃこの学校の授業なんて心地良い子守唄にしか聞こえへんで…!!」
「それは羨ましいね! 折角、そのスキルを伝授戴いきたいところだよ」
「やっぱし、そうかい。一目見た瞬間解ったで。こいつは同レベルの仲間やと!!」
「その言葉まんま返すよ!」
 二人の笑い声が入道雲が浮かぶ夏の空に響いた。
 竜斗は見知らぬこの地で、長い時を共に過ごした知己を得たようで、たまらなく嬉しかった。
「そういや、竜斗は何でこの学校に来る事になったんや…? 人の事言えへんけど俺らのレベルでどうこう出来る次元じゃあらへんで」
「それ、空も聴きたいな! だって、謎の転校生なんてカッコいいし、気になるもん!!」
 空はキラキラと輝く瞳を竜斗へと向けた。
 竜斗は全身の骨を抜かれたからのように脱力し惚けた。
 その顔が真っ赤となっていたのは言うまでも無い。
「…」
「おいっ、なんか喋れや!!」
 大河に突っ込まれて竜斗は我に返った。
 そして、大河は茹でタコとなった竜斗の顔を見て嫌らしくニヤリと笑う。
「さてはお前、空の事がっ・・・!!」
「ああああっ! 違うっ!! 違うってば!!!」
 畜生、気付かれた!!
 そりゃ、僕は解りやすいかも知れないが、絶対に言われてなるものかと、竜斗は大河の口を塞ぐ。
 出来ればこのまま息の根を止めたいぐらいであった。
「何が違うの? 空がどうしたの?」
 空は首を傾げて笑顔を浮かべる。
「わかった!! 言うからっ!! 何で僕が来たか言うから、その事は金輪際ネバーノーワードな!!」
 大河のその笑顔を例えるとするならば、不審者と言う言葉が最も相応しい。
「地獄の沙汰も金次第と言うし、飯くらい奢ってくれても良いんやでぇ!!」
「しかたない、マックセットで手を打とう…それ以上は出せん!!」
「よろしい、ビックマクドセットで決定や」
「くっ…!!」
 竜斗は期待に胸を膨らませた面々の顔を見渡し、目を瞑り真呼吸をすると重い口を開く。
「ふつう、人が何かをするには語るべき話とかあるだろ…。
 でも、僕にはそういう話は無い、そう、本当に何も無いんだ。
 何も話す事が無いぐらい自分が空っぽだったんだ。
 そりゃ、前の学校でも友達もいたし、楽しい事も沢山あったよ、でも一生懸命今を生きている他の友達と違って、僕には一生懸命になれる事も無くただ生きているだけ。
 勉強や家の手伝をしたり、友達と遊んだり、毎日やる事は一杯あったとしても丸っきり充実感が無くてさ、気がつくとあっという間に時が過ぎて行く。
 時間を作っても何もする事が見つからず結局は無駄に過ごすだけ、ひょっとしたらこのまま人生が終わってしまうんじゃないかって不安になったんだ。
 僕は自分らしく生きたい…、でも自分が何かが一番解らない。
 そう思っている時だったんだ。
 遠い親戚を名乗る人から連絡が入って、この学校で特別な授業を受けてみないかって誘われたんだ。
 そうすれば強くなれるって…」
「そうやったんか」
「でも、竜斗の気持ち凄く解るよ…。
 空の周りにも眩しいぐらいに一生懸命生きていてる人がいるの。
 空はその後を追い駆けているだけで精一杯だから、その人の為に何をして、何を残してあげられるのかって、いっつも考えさせられるんだ。
 まだ、その答えは見つからないんだけどね」
 空は強く握られた竜斗の右手を両手包み込むように覆う。
 その手は柔らかく、竜斗の血は沸騰するかのようだった。
「お互い答えが見つけられるように頑張ろうね」
 とびきりの優しい笑顔。
 互いに見つめ合う。
 竜斗は空しか見えなくなっていた。
 そう、その感情を例えるならば恋。
 空と出会えただけでこの学校に来てよかったと、竜斗は思うのであった。
「ああ、一緒に頑張ろう!!」
 と右手を包み込む空の掌の上にもう片方の手を置く。
 空と触れ合える事が嬉しくてたまらない。
 このまま時が止まれば良いと思った。
「あの、水を差すようで悪いんやけど…」
 だが、その時を大河がぶち壊した。
「なんだよ、邪魔すんなよ!!」
 大河は耳元で小さく呟く。
「こいつ、こう見えて彼氏おるんやで…!」
「えっ!!」
 竜斗は慌てて手を離す。
「どうしたの?」
 空は人差し指を立てて首を傾げる。
 まるでクエッションマークを浮かべているかのようだった。
「ほら、噂をすれば何とやらや」
 そこに現れたのは昼の太陽が作り出す細身で長身のシルエットだった。
 竜斗は彼を知っていた。
 そう、今朝竜斗を助けてくれた三年生で名前は…。
「あっ、奏真おにいちゃん!!」
 空が彼の名を呼んだ。
 登校そうそう颯爽と現れては竜斗を助けた青海奏真その人だった。
「探したよ、空…! おや、君達も一緒だったのか。転校早々友達が出来て何よりだね」
 あまりにも爽やかな笑みだった。
 そんな笑みを向けられたら、誰もが恋に落ちても可笑しくはないだろう。
「まっ、落ちこぼれ同士身を寄せ合って仲良くやらしてもらってるでぇ…!」
 だが、大河はその魅力にあえて逆らうようにジト目で奏真を見つめる。
「自分をそんな風に思っていたら、出来る事も出来なくなるよ。
 人は誰だって色んな可能性を持っているけど、それを実現出来ないのは自分を信じる事が出来ないからさ」
 本気で大河の事を思っているかのようだった。
 言葉から全くの嫌みを感じない。
「さて、行こうか…」
「うん、じゃまた教室でね!」
 と、二人は連れ立って屋上から姿を消した。
 彼らが消えるのを確認してから大河は口を開く。
「そう、空の彼氏はあいつや。この学校一の美男子で、頭脳明晰、運動神経抜群、しかも人格者で、喧嘩も強いと来たもんや。
 おまけに空に自分の事をお兄ちゃんと呼ばせてるなんて、羨ましいにも程があるで!!
 悔しいがケチの付けようが無い男や、残念やけど相手が悪過ぎるで。
 ま、奴の言葉じゃないけど、自分を信じて諦めなければ案外どうにかなるかも知れへんし、陰ながら応援してやるで」
 竜斗はまたも茫然自失としながら固まっていた。
「さようなら、高校二年生夏の恋…」
「諦めるの早っ!!」

 そして、放課後を告げる鐘が鳴り響くと、校内が一斉に若々しい喧噪に包まれた。
 授業が終わった教室の窓から覗く空は急激に暗くなりつつあり、夕立ちが降りそうな気配が気配があった。
「お前、今日はこれからどうするんや?」
 大河は荷物をまとめながら隣にいる竜斗にが声をかける。
「ああ、放課後、この学校に下宿先の人が迎えに来る事になっているんだ」
「…言っちゃアカンかも知れへんけど、その自称親戚って相当怪しいと思うで」
「ああ、解っている」
「なんやったら、俺も一緒に下宿先まで行ったろか?」
「それでも自分自身で決めた事だからさ」
「そか…。それやったら、俺のPHSの番号教えとくから、何かあったら連絡しや!! 何時でも何処でも駆けつけて助けたるで!!」
 大河は竜斗と互いにPHSの番号を交換した。
「…ありがと!!」
「じゃあ、俺は先に行くけど、気を付けるんやで!」
「ああ、また明日!」
 竜斗は大河が教室を出るのを見送った後、重い腰をあげて荷物をまとめる。
 そして、意気消沈と言った顔で廊下を歩きながらため息をついていた。
 息つく間も無く失恋した。
 それもあるかも知れないが、それ以上に他の生徒との差をまざまざと見せつけられ、自分が消え失せてしまいそうだったからだ。
 この学校の生徒は勉強が出来るとか表面的なものだけではなく、何か特殊なものを持っている。
 いや、普通の生徒もいるが、一部の生徒が際立って見えるのだ。
 自分自身を落ちこぼれと称するで大河であってもだ。
 特に奏真は格別であり、次元そのものが違う。
 空の事は好きだが、奏真の恋人ならば仕方ないとさえ思える。
 だが、自分自身を変えたいと思ってやって来たのに、仕方ないと諦めてしまえる事が何よりも情けなかった。
「…そう、自分で決めた事なのにな」
 無意識の内に歩き続けて、どうやって上履きを脱いで、どうやって外履きを履き、どうやって校門を出たか覚えていない。
 気がついたら校門の前に立っていて、校舎の目の前に停まった黒いクラシックカーと、その前で姿勢を正しているメイド服姿の若い女性を眺めていた。
「お待ちしていました竜斗さま」
 メイドと言っても創作の中に出て来る華やかな服装では無く、肌を覆い隠す黒いドレスに飾り気の無い白いエプロンを着用し、金色の前髪をアップにしてフリル付きの帽子で後ろ髪をまとめ、伝統を感じさせるスタイルである。
「私は桝田聖蘭、主の命によりあなたを迎えに来ました」
 彼女は柔和な笑みを浮かべると軽く会釈する。
「…ああ、よろしく」
「主から伝言を承っております。
『これが最後の確認ですわ。
 もし、あなたが本当の強さを手に入れたいのならばこの車に乗って下さいな。
 ただし、もう引き返す事は出来ませんですわよ。
 それでよろしいですの?』
 …との事です。如何致しますか?」
「…行くよ!!」
 そう、僕は自分自身を変えるって決めたんだ!!

始めの一歩

 竜斗を乗せたロールスロイス・シルバークラウドツーは、六甲ライナーと呼ばれるモノレールの下を走る橋を渡り、六甲アイランドへと向かっていた。
 六甲アイランド…それは神戸の海に浮かぶ人工の島。
 島の中心地には様々な企業や、住宅街、店舗、公共施設等があり、特にファッション関連の施設が多い。
 また、島の周囲には沢山の工場が建てられているが、人々の暮らす島の中央部分とは公園や遊歩道、緑地等で隔たれ、工場地帯からの排気ガスが都市部へ流れる事を防いでいる。
 まさに人々の生活がデザインされた最先端を行く都市である。
 車が停車した所はかつて六甲アイランドに存在したアミューズメントパークの跡地であった。
 世界最大最多のウォータースライダーが有名で人気を博していたが、かの大震災の際に壊滅的な被害を受けて復旧の目処が立たず、1999年の今となっても廃墟となったまま放置されている。
「降りて下さい」
 聖蘭は竜斗の乗った後部座席の扉を開け放つ。
 空を見上げるとポツリポツリと雨が竜斗の頬を打つ。
 あれだけ晴れて居た空はあっという間に暗雲に包まれ、時折光と共に低く唸るような音を轟かせていた。
「この先に主がお待ちです」
 聖蘭が施設を取り囲むフェンスを開け放つと、竜斗はその敷地内へと足を進めた。
 ガチャンと言う音に振り返ると、フェンスは閉め切られていた。
 そして、間もなくして車を発進させる音が聞こえる。
「一人で行けという事か…」
 敷地内はベニスの街を思わせる運河に囲まれ、幾つかのエリアに別れていた。
 瓦礫を避けながらひたすらまっすぐ進むと、南の果てに桟橋を模していたと思われる場所にたどり着いた。
 そこに三つの人影を発見する。
 竜斗は少し離れた所から三人を観察する。
 一人は竜斗と同じぐらいの背丈でゴスロリ衣装を着た少女だ。
 彼女に対峙するように、カーキ色の学生服を着た七三分けの男子生徒と、お下げ髪のメガネをかけた女子生徒が立っている。
 竜斗はその男子生徒と女子生徒の二人に見覚えがあった。
 今朝、竜斗に体罰を加えようとした風紀委員…通称粛清委員の二人だ。
「貴様巫山戯るな!!」
 遠巻きでも解る程の風紀委員長の怒号が響く。
 七三分けの男子生徒がゴスロリ少女の胸ぐらを掴むのが見える。
 どうやら、風紀委員の二人がゴスロリ少女に絡んでいるようだった。
 朝の自分自身の姿とゴスロリ少女の姿が重なり、竜斗の胸は早鐘を打つ。
 あの二人の事だ暴力的な手段に出るのが目に見えている。
 緊張で脚がガクガクと震え、滝のように汗が流れ喉が乾く。
 雨は音を立てて叩き付けるように強く降り出す。
 周囲が真っ白に反転するかのような稲光と共に、大地を揺るがすような轟音が響く。
 急激に冷える気温の中で、火照った竜斗の体からはゆらゆらと湯気が立ち上っていた。
「どうする…?」
 竜斗は額の汗を腕で拭いながら必死で頭を回転させる。
 電話番号を交換した大河に助けを呼ぶか?
 警察を呼ぶか?
 駄目だ、そんなの間に合うはずがない。
 副委員長が跪き、委員長に調教鞭を捧げる。
 ドクン…!!
 ドクン…!!
 自分の心臓の音がやけに五月蝿く感じ、全ての動きがスローモーションのように感じる。
 どうする…?
 どうする…?
 そう、この場であの子を助けられるのは僕しかいない。
 僕が助ける…?
 体格も精神力も劣っている、何一つ特別なものを持っていない僕が…?
 無理に決まっている…!
 一瞬意識が飛ぶかのような衝撃と共にウォータースライダーの残骸に落ちて弾ける雷光。 
 その時、竜斗の脳裏に長身の後ろ姿が浮かぶ。
 それは今朝、颯爽と現れて助けられた時から、焼き付いて離れない奏真の姿であった。
 そして、奏真が大河に言った言葉がリフレインされる。
「自分をそんな風に思っていたら、出来る事も出来なくなるよ。
 人は誰だって色んな可能性を持っているけど、それを実現出来ないのは自分を信じる事が出来ないからさ」
 そうだ、やる前から諦めていてどうするんだ…!!
 僕は自分自身を変えたくてここに来たんだろ…!!
 僕が彼女を助けなきゃ…!!
「やめろっ!!」
 竜斗は脳裏に焼き付いた奏真の後ろ姿と重ねるように踏み出し、ゴスロリ少女と風紀委員との間に躍り出た。
 僕は奏真先輩みたいになるんだ…!!
「お前は今朝の転校生…! この女の仲間と言うわけか…!?」
「その子に手を出すのならば、僕が相手だ…!!」
「今朝とは違い、今のお前からは強い意志を感じる…!
 良いだろうっ!
 お前の考えを…! お前の感性を…! お前の行動を…!!
 その拳に秘めて見せるが良い!!
 それが出来なければ我が規則に従い粛清を受けてもらうぞ!!」
 対峙する竜斗と風紀委員長。
 その体格差は明らかだ。
 手を拱いていたらやられるのみだ。
 こうなったら、先手必勝!!
 竜斗は拳を振りかざして風紀委員長へと殴りかかる。
 だが、その構えは誰の目から見てもへなちょこであり、風紀委員は難なく避けるとかわし様に鳩尾に蹴りを入れる。
「ぐえっ…!!」
 反吐を出しながら倒れ込む竜斗。
 痛みというより苦しくて目眩がする。
 このまま意識を失った方が楽なのではないかと思うぐらいだ。
 でも、自分が意識を失ったらあのゴスロリの子はどうなる…?
「まただ、まだ終わらないよ…!!」
 竜斗は鳩尾を抑え、目を白黒させながらも立ち上がる。
「実力差は明らかなはずだ…。何がお前をそこまで駆り立てる…?」
「…僕は強くありたいんだ!!」
「その気迫に免じて一撃で楽にしてやる…!!」
 風紀委員長は竜斗に向かって調教鞭を振りかざす。
 風紀副委員長の口元が歪み、狐メガネが雷光で光る。
 竜斗は目を瞑る。
 一瞬、真っ白になった視界が戻った時、風紀委員長の手にした調教鞭は竜斗に当たる手前で静止していた。
 プルプルと震える鞭の先。
「ぐはっ、う、腕がっ…!!!」
 メキメキメキと言う音と共に、ゴスロリ姿の少女が風紀委員長の腕を掴んでいた。
 その手は俄には信じられない程強くめり込んでいた。
 風紀委員長がその細い手を引き離そうと体を引くが、ゴスロリ姿の少女はピクリとも動かない。
「あなたは素晴らしい心をお持ちですわ」
 彼女はもがく風紀委員長を完全に無視して竜斗へと囁きかける。 
 竜斗はその少女の姿をマジマジと見つめた。
 左右の側頭部から垂らした二束の長い銀髪は雨水を吸い艶々と煌めいている。
 フリル付きの黒いドレスに包み込まれたその体は小さく、風が吹けば飛んでしまうまでは無いかと思うくらい華奢であった。
 竜斗と同じぐらいの背丈だが、随分と底の厚い靴を履いている為、実際の身長は空と同じぐらいだろう。
 空とゴスロリ少女。
 同じような体格の二人であるが、雰囲気が空とはまるっきり反対であった。
 空が燦々と輝く太陽だとするならば、眼前の少女は闇夜に静かに浮かぶ月。
 その白い顔はまるで人の魂を吸って動く生き人形を思わせる怪しい美しさがあった。
「あなたと出会える日をどれ程待ち遠しく思ったでしょうか…」
 彼女は竜斗に向かって優しく微笑むと、掴んだ風紀委員長の腕を放す。
 すると、風紀委員長は後ろに向かって大きくバランスを崩し勢い良く尻餅をつく。
「ぐわっ…!!」
 一体、その細い体からどれだけの力を出していたのだろうか…?
 そして、彼女は振り向き様に立ち惚ける竜斗の首に腕を回すとその唇を優しく重ねた。
「ごちそうさま…。その強き思い、このわたくしが確と頂きましたわ…!」
 冷たい雨の中でその柔らかい身体の感触と、ふわっとした唇の感触が余韻として何時までも残っていた。
 彼女は舌鼓を打つと竜斗に微笑みかけて背を向ける。
 その背中は力強く、まるで小さな巨人を思わせる逞しさを感じさせた。
「貴様っ…!! 最早、手加減はしないぞ…!!!」
 風紀委員長は調教鞭を雨の中に投げ捨てると、副委員長を抱き寄せその唇を重ねた。
 すると、風紀委員長の周囲に薄い膜のようなものが広がり、その身体を覆うように収縮して行く。
 そして、目の前に現れたNo.18と月のイラストが記されたカードを掴み取ると、それは半透明の鞭のようなものへと変化する。
 あまりの事に竜斗の思考は停止し、ただただ呆然と眺める事しか出来なかった。
「行くぞっ!!!」
 風紀委員長が鞭を縦に振りかざすと、その先端は何処までも伸びて行き、まるで衝撃波のように少女へと襲いかかる。
 悠長に腕を組んで構える少女。
「攻撃が当たる…!」
 そう思って竜斗が目を瞑った次の瞬間だった。
 少女の姿が消えていた。
「いや、違う!」
 衝撃波を寸手の所でかわすと、その格好からは想像も出来ないスピードで風紀委員長に詰め寄り、その懐に潜り込んでは腰を落とし、身体を捻り込んで彼の鳩尾に向けて崩拳を叩き込んでいたのだ。
 もの凄い勢いで真後ろにすっ飛ぶ風紀委員長。
 ゴスロリ姿がその身体を追いかけるように加速し、その鳩尾に拳の連打を浴びせる。
 殴る!!
 殴る!!
 殴る!!
 そして、とどめの顔面へのハイキック!!!
 風紀委員の身体は錐揉みしながら宙を舞っていた。
 だが、それ程の攻撃を食らいながらも、風紀委員長の身体には一切の傷が無く、何事も無かったかのように起き上がるのであった。
 どうやら、彼の身体を覆う膜のようなものが攻撃を中和しているようだったが、身体に受けたダメージとは裏腹に彼の心は大きく傷ついている事が表情からも伺えた。
「ぐおーーーーっ!!!!」
 理性を無くした風紀委員長は手にした鞭を一心不乱に振りまくる。
 それは無数の衝撃波となり、もはや避ける隙も無いほど縦横無尽に少女へと襲いかかる。
「今度こそ駄目か!?」
 竜斗がそう思った時だった。
 彼女はふわりと広がったスカートをたくし上げると、隠し持っていた日本刀を抜き出し、無数の衝撃波に向かって斬りつけるのであった。
 斬る…!!
 斬る…!!
 斬る…!!
 その鋭い斬撃は全ての衝撃波を切り裂いて霧散させていた。
「なん…だと?! 何故だ…!? 何故、能力を持たざる者に攻撃が掻き消されるのだ…!?」
「あらあら、そんな事も解らないんですの?
 見知らぬこの場に誘い出された未熟なあなたが、共通認識を持つ者の立ち会いも無く、自我領域を完全に確立させられる訳は御座いませんわ。
 つまり、始めからこうなる事は決まっていたとも言えますわね」
 少女が刀を横一文字に一閃すると、風紀委員長の身体を覆う膜が完全に消失して倒れ込む。
「畜生…!!」
 そして、彼が捨て台詞を吐くと、手にしていた半透明の鞭は再びカードへと戻って、濡れた地面の上で怪しく光り輝いていた。
「委員長…!!」
 お下げ髪の副委員長がメガネを憎悪で光らせながらゴスロリ少女へと突進するが、その影が交差する瞬間に手刀が副委員長の首に炸裂して崩れ去った。
「あなた達には最高のディナーを仕立てて頂きました事を感謝しますわ。
 そう、あなた達はわたくしの誘いに乗り、ピエロを演じて見事にあの方の心に火を灯した。
 そして、本当の戦いの開始を前に能力を使ってわたくしに破れ、みすみすその座を明け渡す事になるのですから。
 まさにご苦労様(お馬鹿さん)としか言いようがありませんわね」
 ゴスロリ姿の少女は倒れ込んだ風紀委員長からNo.18と記されたカードとバッチを奪い取ると、呆然と立ち尽くす竜斗に手渡した。
「これは一体、どういう事なんだ!?」
 疑問を口にする竜斗に少女が怪しく微笑みかける。
 雨が上がり真っ赤に染まる夕日が彼女の小さな身体をシルエットとして浮かび上がらせていた。
「そのカードはあなたが本当の強さを手に入れる為の旅の切符となりますわ、大切になさって下さいな。
 そうそう、紹介が遅れましたわね。
 わたくしは香夜姫。
 あなたを呼び出した自称親戚で、あなたの旅の共をさせて頂く者ですわ」
 自らを姫と名乗った少女は、真っ赤に染まった夕空の下、破損して歪なシルエットとなったウォータースライダーの頂を見つめる。
 そこにはスーツ姿の背の高い男が立っているようだった。
「これはわたくしの挑戦でもありますわ、よろしくて…?」
 男が静かにうなずいたようだった。
 次の瞬間、竜斗の手にしたNo.18…月のカードは彼の中に吸い込まれるように消えて行った。
 竜斗が先ほど男が立っていた位置を見ると既にその姿は無かった。

 竜斗は瓦礫だらけの道をひたらす姫の後を追いかけていた。
 見る見るうちに周囲は暗くなり、その肌寒さに竜斗は濡れた身体を振るわせていた。
「あいつら大丈夫かな…?」
 竜斗の言うあいつらと言うのは気絶したまま放置して来た風紀委員の二人だ。
「怪我は無い事ですから、そのうち目を覚ます事でしょう」
「…よく解らないんだけどあの二人を利用して、挙げ句の果てにぶっ飛ばしちゃったわけだろ? ちょっと、かわいそうじゃないかな?」
「あらあら、あなたは優しいのですわね。
 でも、ご心配無く。あの二人も目を覚ましたらわたくしに感謝しますわ、なんと言っても戦いと言う宿業から解放して差し上げたのですから」
「まるで自分が良い事をしたような言い方で吃驚だね」
 竜斗は苦笑する。
「わたくしは正義の味方ですから、当然ですわ」
「嘘くさいなー」
「あら、本当ですわよ」
「それにさっき、ウォータースライダーの上にいる男の人に話かけていただろ? すぐ消えちゃったけどさ、あの人は一体誰なんだ…?」
「全ては追々説明させて頂きますわ。それに無節操に淑女に質問するのは紳士としてあまりに無粋ですわよ」
 こんな凶暴な奴の何処がが淑女なんだ…?
 と竜斗は思ったが、自分の末路を思って口に出すのを止めた。
 そして、辿り着いた先は草がボーボーに伸び切った元駐車場だった。
 かつては沢山の車で埋まっていたであろう駐車場には、たった一台のみ車が停められていた。
 低くかまえるような角張った漆黒のボディ。
 姫はそのドアを夕空に向かって開け放ち、サイドシルに腕をかけてコックピットに滑り込むとキーを捻る。
 そして、唸るようなエキゾーストノイズが響き渡る。
 その鉄の塊はまるで生きているかのような存在感を放っていた。
 さながら悪魔の名を持つ暴れ牛…。
「すげぇ、かっちょいい車だ!!」
 竜斗は思わず感嘆の声を上げていた。
「そうでしょう? これがわたくしの自慢の愛車…ランボルギーニ・ディアブロですわ!!」
「さぁ、乗って下さいな」
 竜斗はわくわくしながら、助手席へと滑り込んだ。
「何処に行くの?」
「わたくしのお屋敷…、あなたの下宿先ですわ!」

 その日は新月に近く夜の闇がより深かった。
 だからこそ、余計に美しく見えるものがある。
 それは札幌、長崎と並んで日本三大夜景と称される神戸の夜景である。
 光り輝く神戸の街は吸い込まれるような闇の中で、散りばめられた宝石のような高貴さを感じさせた。
 市役所や大型の百貨店が並ぶ三宮駅から北に行った所に古い洋館が並ぶ一角がある。
 公園として整備された広場の中央。
 石垣が積まれた丘の上に風見鶏が特徴的な尖塔を擁する煉瓦造りの洋館が佇んでいた。
 周囲には緑が生茂りっている為、暑い夏の夜にも関わらず涼やかな空気に包まれ、まるで通常とは異なる時間軸に存在するかのように静かであった。
 屋敷を取り囲む木製フェンスの庭門には筆記体で「KAGUYA」と書かれていた。
 その一階にあるダイニングで長テーブルを挟んで竜斗と姫は会食していた。
 竜斗は姫の運転する車でここ風見鶏の館まで連れられ、雨に濡れた身体をシャワーで暖めた後、予め届けられていた私服に着替えていた。
 姫はあの時と同じゴスロリ衣装のように思えるが、もしかしたらデザインが同じなだけで違う服かもしれない。
 昔映画で見た未来のジャケットのように自動乾燥機能でも付いていると言っても、姫の場合不思議では無いと竜斗は思った。
 なんと言っても存在が謎過ぎる。
 なんだってアリなような気がしてならなかった。
 そして、ホテルのディナーのように前菜から始まり、スープ、魚介、肉類、デザートと順番通り料理が運ばれて来る。
 料理を運ぶのはメイド服姿の女性…聖蘭であった。
 彼女達の持つ時代錯誤な雰囲気と、屋敷の持つ異国情緒に溢れた雰囲気が合さり、まるでヴィクトリア朝の世界に迷い込んでしまったかのような気になる。
「どうです? わたくしのお屋敷は?」
「なんて言うか、姫のイメージにピッタリだ」
「あら、単純な想像で心外ですわね。あなたの想像で計りきれるほど、わたくしは単純では御座いませんことよ」
 と姫は静かに微笑むと立ち上がって、竜斗の手を取って食堂の外にあるベランダへと連れ出す。
 南側に設置されたベランダは食堂の半分ほどの広さで、かまぼこのような形の三つ並んだ窓から柔らかい光が入り込み幻想的な光景だった。
 高台にある為、窓の向こうには神戸の夜景が一望出来る。
 開け放たれた窓から心地よい風が入り込み、レースカーテンをゆらゆらと揺らしていた。
 姫はベランダの角に置かれた蓄音機で音楽をかける。
 パイプオルガンの音色が響きゴシックめいた雰囲気であったが、よくよく聴くとビジュアル系バンドマリスミゼルの月下の夜想曲だった。
「これ、マリスミゼルじゃないか…」
 と竜斗は思わず苦笑した。
 姫のようにゴシックロリータファッションの女の子達の間に人気を博している事で知られる。
「意外で御座いましょ?」
「イメージ通り過ぎて、ある意味で意外だよ」
 姫がそういう俗っぽいものとは無関係な本物のゴスロリだと思っていただけに意外だった。
 そもそも、本物のゴスロリとは何であるかは解らないものであるが。
「さて、食後のダンスと洒落込みましょう」
 と姫は竜斗の手を取る。
「うわっ、僕踊れないんだけど…!!」
「大丈夫、感性の赴くままリズムに身を委ねれば良いだけですから」
 姫は細身で小柄な体からは信じられないほどの力強さで竜斗をリードする。
 だが、竜斗は姫に対してツーテンポ遅れ、ガチガチとしたぎこちない動きになっていた。
「ぴったりと身体を密着させないと動きがブレますわよ。わたくしと一つになるつもりで腰と腰を重ねて下さいな」
「そんな事言ってもね…」
 竜斗は姫に自分の下腹部を押し付けるのが恥ずかしくて顔を赤くして腰を浮かす。
「あらあら、恥ずかしがる事はありませんわよ。すぐに慣れますから」
 そう言って姫は竜斗の腰を強く引き寄せ、柔らかい女性の下腹部が、男性の硬い下腹部に向かって押し付けられる。
「あっ…!」
 その瞬間、竜斗の血は沸騰して身体の力が抜け、曲に合わせて姫の作り出す流れに誘われて行く。
「ふふふっ、その調子ですわ!」
 軽やかなステップを践み。
 互いの体を引き寄せ。
 腰に手を回しながら駒のように回る。
 長い二束の銀髪や黒いドレスが弧を描き夜に咲く花のように広がる。
 密着した姫の細く柔らかい体は、やや冷たい体温とは裏腹に優しさに満ちている気がした。
 竜斗は本当に姫と一つとなって溶てしまうかのような気持ち良さを感じていた。
 そして、曲が終わると姫はピタッと静止して、ドレスの裾を持ち軽く会釈をする。
「ほら、どんな事でもやれば出来ますわよ。たった一度の人生ですもの、何事も楽しまないと損ですわよ」
「ああ、そうだね」
 竜斗は姫と言う少女に不思議な親しみを感じていた。
 見た所、竜斗と年齢は変わらないように思えるが、あの細くて小さな身体からは想像も出来ない脅威の身体能力を誇り、あんな凄い車に乗ってこんな屋敷に住んでいる。
 そういう表面的なものでは計り切れない謎の人物である事は違いないが、そんな事は関係無く全面的に信頼する事が出来るのだ。
「なんか、不思議だな…、姫と会うのはこれが初めてのはずなのに、全然初めてって感じがしないんだ…。
 なんか、始めからずっと一緒にいる自分自身の一部って言うのかな…? そんな気がしてならないんだ」
「ふふっ、あなたは素晴らしい感性をお持ちですわね。だからこそわたくしの思いを託すのに相応しいと言うものですわ」
「どう言う事…?」
「貴方にしか出来ない事をやって頂きたいのですの。
 そう、それは定められし運命を乗り越えて…、この世界を、このわたくしを呪縛から解き放つ事…」
 姫の表情は真剣であった。
「運命に選ばれし男…青海奏真を倒す事ですわ…!」

戦いの始り

 1999年7月13日(火)
 風見鶏の館のある北野町から県立高校に行く場合、南へと坂を下って三宮駅から阪急神戸線で二駅…王子公園駅で下車、また坂を北へと登って行く事となる。
 朝起きた瞬間から疲労感を覚えていた竜斗は、これから待ち受ける特別授業の前にして、通学路と言う試練を考えるだけで憂鬱だった。
 そもそも昨日は姫が用意してくれたベッドに横たわり、半分眠りについた状態で自問自答を繰り返すうちに、気がついたら朝になっていた。
 実際の所は泥のように寝ていたのだろうが、まるっきり寝ていたと言う実感が伴わない。
 昨日と今日の境界が曖昧だと、体の疲労が回復していたとしても、心の疲労が抜けない気がする。
 そんな事で本来なら自分の脚で通学路を行くべきなのだろうが、聖蘭の申し出を有り難く受け入れ学校まで車で送迎して貰う事にした。
 北野町から新神戸駅へと続く閑静な住宅街を濃淡のロールスロイスが優雅に流れて行く。
 それはシルバークラウド・ツーと言う車である。
 五角形のグリルの頂でスピリットオブエクスタシーと呼ばれる女性像が眩しく輝いている。
 普遍的な丸いヘッドライト。
 大きく盛り上がりリアに向かって流れるフェンダー。
 バンパーなどポイントを押さえたメッキパーツ。
 職人の手によってボディラインに沿って描かれたコーチライン。
 時代を超えた魅力を持つクラシカルな車であり、まるで旧家の貴族を思わせる上品さを感じる。
 その乗り心地はまさしく雲の上を行くがごとく、重力や時間を感じさせない心地よい世界感を持っていた。
 竜斗はソファーのような後部座席に深く腰掛けて心地よい疾走感に身を委ね、流れ行く景色を眺めながら昨日の夜の事を思い出していた。
 それは昨晩の夕食後、姫に唐突な要望を突きつけられた時の事であった。
 風見鶏の館のバルコニー。
 開け放たれた窓から差し込む柔らかい風と星明かりを受けて、レースカーテンがサラサラと煌めいている。
 鈴虫の鳴く声だけが響く静かに響く、幻想的な空間。
 その主が窓の冊子に背をもたれながらも、月夜を思わせる涼しげな瞳で小柄な少年を見つめていた。
「奏真先輩を倒すって、どういう事…?」
 姫は何かを思い出すような遠い目つきで語り出す。
「明日から人間の未知なる力を開発する特別授業と称された戦いが始まりますわ、それは自らをブラフマンと名乗る男によって立案された神をも恐れぬ実験ですの。
 タロットを神に至る為の教典に見立て、暗示により特別な力を与えた少年・少女達を戦わせ、互いの持つ運命の札…アルカナを奪い合わせ、その中で能力を開発して行く…。
 そして、最終的に全てのアルカナを手に入れた者がNo.21世界…つまりは神に至る事を証明すると言うものですのわ。
 あなたは既にその一端をご覧になられたはずですわよ」
「あのウェータースライダーの上にいた奴がブラフマンで、風紀委員長がその能力者か…」
 実際その目で見た事であはあるが、俄には信じられない事だった。
 風紀委員長が副委員長とキスを交わした事によって、半透明の鞭のようなものを具現化して衝撃波を発していた。
 まぁ、能力者でも無い姫の方が圧倒的に強かったわけだが。
「でも、ブラフってハッタリって意味だろ…? 自分をハッタリ男と呼ぶとは凄いとしか言いようがないね…!」
「ふふふっ、ブラフマンと言うのはヒンドゥー教の主神である破壊者シヴァ、保持者ヴィシュヌと並ぶ三神一体の一つで、全ての根源である創造者の名前ですのよ。
 人の身でありながら神を名乗るなんて、ハッタリ男とは言い得て妙ですわね」
「まぁ、確かにそれは言えるな…!
 それで、今は消えちゃったけど、僕が手に入れたカードが奪い合いの対象となるアルカナって奴なの…?」
「そう、本来ブラフマンのゲームにエントリーされていたのはあの少年だったのですが、本戦が開始される前にわたくしに呼び出されて彼はその座を奪い取られた。
 今はあなたがそのアルカナの持ち主で、彼の代わりに戦いに参加する事となりますわ。
 彼らがブラフマンに選ばれた能力者だとするならば、あなたはわたくしに選ばれた無能力者とでも言いましょうか」
「無能力者とは偉い言いようだね…、ってか本当の事だから何も言えないんだけどさ…。
 でも、何でわざわざそんなことをするの…?」
「それはブラフマンの計画を阻止する為ですわ。
 人間の未知なる能力能力を開発する特別授業…、人間が神に至る事を証明する為の実験…。
 ブラフマンがどんな御託を並べ、どんな余興を用意していたとしても、全ては青海奏真と言う男を神へと導く為に嘘で塗固めたシナリオに過ぎないのですわ」
「それの何処が悪いの…? 奏真先輩は非の打ち所が無い人だよ、彼が神になるんだったら世の中もっと良くなるんじゃないかな?」
「まったく、お馬鹿さんですわねぇ…」
 姫は苦笑する。
「この世にあなたが思っているような完全な人間はいませんですわ。
 何故ならば人間は心を捨て去る事は出来ませんから。
 どんな人間だって心があるからこそ、怒り、悲しみ、時に間違いを犯しますわ。
 そんな不完全な存在である人間が神になるなど痴がましいにも程がありますわね。
 人間は心を持った不完全な存在でありながら、力強く生きるからこそ美しく輝く事が出来るんですの。
 それが解らないお馬鹿さんだらけで困っちゃいますわね」
「それは何となく解る気がする…」
「そして、ブラフマンの思惑通り事が進めばこの世界は一度終わりを迎え、ある時点を境に個人のエゴを反映した造り変えられた世界が始まる事になりますわ」
「途方も無い話だね…」
 その言葉の重みに竜斗は夏の暑さからではない汗が吹き出るのを感じた。
「なんだって、ブラフマンって人はそんな馬鹿げた事をするの…?」
「…」
 姫は何かに思い耽るように目を瞑って沈黙する。
「愛と言うものは時に人を狂わせるものなのですわ…。何時か貴方にも解る時が来る事でしょう…」
 姫も何か悲しい思いをして来たのだろうか…?
 竜斗は姫の悲しい表情の裏側にあるものを想像して胸が痛くなる。
「そして、もし青海奏真を倒しその計画を阻止出来る者がいるとするならば、ブラフマンの暗示を受けず能力を持たざる唯一の参加者…、そうあなたを置いて他なりませんわ」
 青海奏真…。
 それは転校早々トラブルに巻き込まれていた所を助けてくれた上級生。
 容姿端麗、頭脳明晰、運動神経抜群、人格も優れた完璧な人物…そして、空の彼氏。
 その強烈な印象は脳裏に焼き付いて離れない。
 一方で自分と来たら、女の子と間違われるぐらい背が低くて貧弱で、オマケに馬鹿と来たものだ。
 正直、同じ男子高校生と思えないぐらいの差を感じざるを得ない。
 しかも、全く特殊能力を持っていないと言うのはハンディが大き過ぎる。
「僕にそれが出来ると思っているの…?」
「とても難しい事は確かですが、あなたが本当の強さを身につけられたらば、きっと成し遂げる事が出来ますわ」
「本当の強さか…」
「その道のりに近道はありません事よ。
 人は日々の積み重ねでしか物事を成し遂げる事が出来ませんわ。
 一日一日を、その一瞬一瞬を大切にして、その時々で自分自身が出来る事を考えながら精一杯生きる事。
 それが、いつかあなたにとって掛け替えの無い力になりますわ」

 竜斗を乗せたシルバークラウドツーは県立高校の校門の前へと到着する。
 通学時間と言う事もあり古城のような意匠の校舎の前に沢山の生徒で賑わっていた。
 運転席から降り立った聖蘭は周囲を取り囲む生徒達に一礼し、竜斗を乗せた後部座席のドアを開く。
 親に送って貰って通学する生徒も中にはいるのだろうが、メイドの運転でロールスロイスで正々堂々と送迎される生徒など他にいないだろう。
 その状況を一言で言うとさらし者だ。
 やっぱり、いくら疲れているとは言っても、自分の脚でくれば良かったかと思ったが後悔先立たずだ。
 生徒を山をかき分けて、車椅子を押したツンツン頭の男子生徒が現れる。
 そのツンツン頭は既に見知った顔である大河であり、彼の押す車椅子に乗っているのは見知らぬ女子生徒だ。
「誰かと思たらお前かいっ!! その綺麗なお方はどないしたんや!?」
「ああ、彼女は下宿先のメイドさんなんだ」
「桝田聖蘭と申します。以後、お見知りおきを…」
 と言うと聖蘭は大河と車椅子の少女に深々と頭を下げた。
「…では、私はお先に失礼させて頂きます」
「ああ、ありがとう」
 竜斗はが礼を言うと聖蘭はもう頭を下げ、シルバークラウドツーの運転席へと乗り込むと、Uターンして来た道を戻って行った。
「あないなメイドさんに送り迎えされるなんて羨ましいやっちゃなぁ…!!」
「お前こそ、その子はどうしたんだよ…? まさか、彼女…?」
 車椅子に座っているから身長は解らないが、やや体つきが細い気がする。
 パッツンと切り落とした前髪、サラサラのストレートヘアー、黒々とした瞳が特徴的で、日本人形を思わせる純和風少女と言った感じだ。
「誰が彼女や!! 単なる長馴染みの腐れ縁や!! こんな奴が彼女なんて、天地がひっくり返ってもあり得へんっ!!」
 大河は顔を歪めてオーバーリアクションで否定する。
 大きく開かれた鼻の穴がピクピクしている。
「その顔ムカツクわーっ!! こっちだってお前の彼女なんてマッピラゴメンや!!」
 彼女は車椅子に乗ったまま大河に向けて正拳突きを放つ。
 そこはちょうど大河の股間であり、大河は口から泡を吹いて地に降れ伏す。
「ぐはーっ! チンがぁーーっ!! タマがぁーーーっ!!!」
「そんな大げに痛がるんやないのっ!! 男やろっ!!!」
「いや、男だから痛いのだが…」
 竜斗は思わず縮み上がる。
「うち、こいつの幼なじみでイッコ下の堀江夕鶴言います。よろしゅうね! センパイ!!」
「僕は走馬竜斗! よろしく!!」
 竜斗は思った。
 夕鶴はその見た目に反してかなり恐ろしい。
 逆らうのは止めておこうと。
「使い物にならへんようになったらどうすんやっ!! どアホっ!!!」
 大河はピョンピョンしながら復活する。
「女なんやし、もっと淑やかに出来へんのか…!?
 そう、聖蘭さん見習ったら良いねん…! 彼女はええでぇ!!
 なんちゅうの、プロのメイドさんとして目立たない縁の下の存在に徹してる事で、逆にあの人の持つ美しさや力強さが際立ってる気がするんや!!
 時の権力者が侍女に手を出してみたいな話は幾らでもあるけど、その気持ち痛いほどわかるで!!
 反則やっ…!! メイドさんという存在が反則なんやっ…!!!
 そう、メイドさんっちゅう圧倒的な存在は神に近いと言っても過言ではないでっ…!!!」
「アホぉ…!!」
 プルブルと拳を振るわす大河の股間に向かって正拳突きを放つ夕鶴。
「あ・ぶ・ね・ぇ・!!!」
 だが、大河はその殺気を感じて間一髪の所で避けた。
「何すんねんドアホォ…!!」
「それはこっちの台詞や…!! ホンマ最低やなコイツ…!!! 
 そんなにメイドさんが良いならば、自分がオカマになってメイド服着れば良いんや!!」
「うっ…。想像してしまった…」
 竜斗は今世紀最悪の映像を想像して吐き気を催した。
 そんな彼らに二つの影が近寄りつつあった。
 大河がそれに気がついて竜斗に耳打ちする。
「やっかいな奴らが来よったでー」
 時代外れのリーゼント頭に丈の長い詰襟を着込んだ男子生徒。
 詰襟にはNo.15のバッジをつけている。
 ちりぢりとしたパーマ頭に丈の長いスカートを着込んだ女子生徒。
 男子生徒の腕章には生徒会書記、女子生徒の腕章には生徒会会計。
 大凡生徒会とは思えない品性の欠片も感じさせない男女二人組であった。
「自称生徒会四天王の登場やで…!! あいつら文武両道の生徒会長、副会長の名を盾にして暴力を振るう最低の連中やで…!!」
「うちも暴力は大嫌いや…!!」
「お前がそれを言うか…!?」
「でも、ホンマに最悪やね…!! なんやねん生徒会四天王って…!? お笑いにしてもセンス無さ過ぎよ…!! アホちゃう思うよ…!! うちが彼奴らのオカンやったら、間違い無く吉本で修行させるよ!!」
「偉い言われようだな…」
「それにしても、四天王がいきなりお出ましとは変へやな…。いつもは粛清委員ちゅう取り巻きがまず出て来るんやけど…」
 自称生徒会四天王の二人は竜斗達の前に来るとポケットに手を突っ込んで、顎を突き出して舐めるようにガンを飛ばす。
 何とも言い難い香水と、汚物を思わせる口臭が最悪だ。
「おい、何時も連れてるむさ苦しい取り巻きはどないしたんや…?」
「あ? 生徒会長様に粛清されたにきまってんだろ、ダボぉ!! 一度でも負けた奴らには俺らのチームには必要ねぇーんだよ!!」
 そう、それは昨日の事だ。
 朝一番で粛清委員会にからまれた竜斗を助けに入った奏真により、屈強な体格の男子生徒達が一網打尽にされた。
 そして、その夕方には彼らのリーダーである風紀委員長は、妙な能力を発揮させた挙げ句に姫によって叩きのめされたのは記憶に新しい。
「ってか、そんなん関係ねぇーだろ!? てめーだよ、てめーっ!! 何で車で登校してやがんだよ!! あ!?
 しかも、制服が違うじゃねーか!? あんまナメてんと、どうなるか解ってるよな!?」
 と生徒会書記は竜斗の襟首を掴み上げる。
 近づけば近づく程臭いがキツく、下手すると吐きそうな勢いだ。
「だから、知らないって…!! おえっ…!!」
 と顔をしかめて吐きそうになるのを我慢する竜斗。
 もし、吐いたら本当に大変な事になる。
「あ? 何嘔吐いてやがるんだ!? マジ、粛清してやんぞ、ゴラッ!!!」
「こら駄目や…!! ねぇ、大河…!! 竜斗センパイ助けへんと…!!!」
 夕鶴は大河のズボンの裾を掴む。
 大河はダラダラと冷や汗を垂らしながら、竜斗を助ける為に一生懸命考えている風だった。
「言わんでも解っとる!! ああ、どうすりゃいいんやろ…?!」
 そして、大河はあるものを発見する。
 それは大量の女子生徒を引き連れた髪の長い冬服を着た細身の男子生徒が、清ました顔で校門を潜っている姿だった…。
 襟首にはNo.3のバッジを着用している。
 いや、正確に言うと男子生徒ではない。
 男子生徒の格好をした三年の女子生徒でフェンシング部長である宝塚舞だった。
 芝居がかったその言動やルックスから、その手の世界に憧れる女子生徒達に大人気であった。
「おい、何で竜斗の校則違反が駄目で、あの宝塚舞の校則違反は良いんや!? 女が男の服着てハーレム作っとるなんて、どう考えてもおかしいやろ!!」
 勝った…!!
 大河は心の中でガッツポーズを繰り出した。
 暴力には正論!! これで間違い無いはずや…!!
「あ? それは強いからに良いに決まってんだろ…?!
 あいつはフェンシング部の部長で、大会でも優勝した事あるから、何やっても良いんだよ!!
 テメーらみたいに弱い奴は何やっても許されねーに決まってんだろ!!
 あんまフザケた事ばっか言ってると、テメーラもシバくぞコラ!!」
「そ、そんなの理不尽やっ!!」
「車椅子のお嬢ちゃんをシバくのはアタイに任せなっ!!
 動けない相手をいたぶるのはゾクゾクするしねぇ!!」
「うわっ、あんなブスにやられるなんて嫌やわ…!!」
「おいっ、止めろっ…!! 悪いのは僕だ…!! 大河達は関係ないだろ…!? だから、大河達に暴力を振るうのだけは止めてくれ…!!!」
「あ!? そんなの無理に決まってんだろ!? 弱い奴は無条件で粛清決定なんだよっぉ!!!」
 そう言うと生徒会書記はその拳を竜斗に振りかざした。
「粛清してやるっ!!」
「うぁーっ、まんまんちゃんっ…!!!」
 大河は目を瞑り関西訛りのお経を唱えて竜斗の無事を祈った。
「待て下郎共っ…!!」
 その時だった。
 まるで時代劇に出て来る将軍のように威厳溢れる声だった。
 その声の主はひと際背が高く、オールバックに縁なしメガネ、冬服の詰襟と言った風貌の威圧的な男子生徒だった。
 その襟にはNo.4のバッジが輝いている。
 そして、その傍らには男子用の冬服を着用し、長い髪を後ろに束ねた中性的な顔つきの生徒が付き添っている。
 オールバックの男子生徒は生徒会長、髪の長い生徒は副会長の腕章をそれぞれ着用している。
「開戦前に選ばれし者同士の私闘が禁じられている事を忘れたのか?! こぉの痴れ者がぁーーーーっ!!!」
 まるで夕立に伴う雷のような声が、晴れた夏の朝空へと響き渡る。
「ははっ…!!」
 生徒会書記と会計の二人は文字通り雷に打たれたかのように体を振るわせると、竜斗を手放してアスファルトに頭を擦り付けるように土下座する。
「でも、こいつはアルカナじゃありませんぜ…!! こんな貧弱な奴が選ばれるわきゃ無いし、第一バッジを持ってないじゃないっすか!?」
「目に見えるものばかりに捕われるから貴様は馬鹿なのだっ!!」
「ま、まさか、こいつがそうなんすかっ…!?」
「間違い無いだろう。貴殿の持っているNo.18のバッジを見せて頂こう…」
「ああ…」
 竜斗はポケットから昨日、姫が風紀委員長から奪い取ったNo.18と書かれたバッジを取り出した。
「やはり、貴殿であったかっ!! 面白いっ!! 面白いぞっ!!!! よもや無能力者でありながら我が配下を倒し、アルカナの座を奪い取る猛者はがいようとはっ…!!」
 生徒会長は扇子を仰ぎ豪快に高笑いする。
「おまっ、何やっとるんや!?」
 大河が竜斗に思わず突っ込みを入れた。
「いや、正確に言うと違うんだけどさ…」
「あ…!? てめぇの理由なんて知らねぇんだよ…!!!」
 如何にも臨戦態勢の生徒会書記は目に血管を浮かび上がらせては竜斗に詰め寄る。
 だが、そんな彼を嗜めるように生徒会長は静かに重く口を開く。
「もし、この者が戦場を生き伸びるだけの力を持つのならば、やがては戦場で相塗れる事となるだろう。
 その時、雌雄を決すれば良い。
 だが、それまでに負けてしまうような器であれば、その時、粛清を加えれば良いだけだ」
「でも、会長っ…!」
「見苦しいぞ貴様!! 強き者の道理が通り、弱き者は淘汰される…それがこの世の定めなのだ!! 己の言葉は戦いで示せ!! では、行くぞ皆の者ぉ!!」
 生徒会長は生徒会の面々を引き連れて校内へと消えて行った。
「てめぇ、覚えてろよっ!! いつか粛清してやるからなっ!!!」
 と生徒会書記は竜斗に捨て台詞を吐いて行くのであった。
「なんだか知らへんけど、助かったでー…」
「ホンマやね…」
「助かった…のかな?」
 竜斗にはこれが戦いの始まりのような気がしてならなかった。

特別な授業

 教室に入り授業の開始を告げるチャイムが鳴り響くと、教壇に立った担任に生徒一人一人の名前が呼ばれて個別に指示を受けていた。
 指示を受けた生徒から順番に荷物をまとめて教室から出て行く。
 教室は何時もと違う緊張感に満ちあふれていた。
「旭陽空…!」
 そして迎えた空の番。
「ひ、ひゃい…!! わたしでよろしいんでしょうか…?」
 椅子をひっくり返して勢い良く立ち上がり、右手をあげて返事する空の声は裏返っていた。
 小さい背丈の頂でピョコンと立ったトレードマークのリボンも心無しか硬く見えた。
「他に旭陽空がおるわけないやろっ…!! ほら、速く行かへんか…!!」
 竜斗の隣に座る大河は空のあまりにもおかしな様子に思わず突っ込まずには居られなかった。
 そして、左手と左足、右手と右足を同時に出しながら教壇へと向かう空。
 何となくロボット的なガチガチした動きだ。
 言い知れぬ緊張に満たされた教室にクスクスと言う笑いがわき起こる。
 竜斗は可愛らしい空の姿をじっくりと眺めてホッコリする。
 昨日の昼休みもそうだったけど、空は人の心を癒す天才かも知れない。
「いくらなんでも、緊張しすぎやないか…? 事前に特別授業での自分自身の役割を知らされとって、これは最終確認に過ぎへんのに…」
 大河は笑いながら言う。
「僕、知らされてないんだけど…」
 竜斗がボソっと返す。
「…大丈夫や! こういうのは緊張するだけ損ってもんやで!」
「藩臣大河…!」
「おっ、俺の番やな…! ほな、お先に行って来るで…!! あくまで正々堂々とやっ…!!」
 そう言って教壇へと向かう大河の顔は青ざめ、額には汗がぎっしり浮かび、やはり左手と左足、右手と右足が同時に出ていた。
「自分だって緊張してるんじゃないか…!」
 竜斗は思わず突っ込まずには居られなかった。
 そして、一人一人教室から生徒が減って行き、竜斗はその度に言い知れぬ不安を感じていた。
 まさか、自分だけ呼ばれないパターンじゃないの…?
 なんと言っても人為的に放り込まれた例外エラーと言っても過言ではない存在だ。
 やがて教室には竜斗一人だけが残され、その予感は的中する。
「先生…? 僕は…!?」
「…」
 何その沈黙は…!?
「走馬竜斗…。君はNo.18、月のアルカナとして特別教室に行ってもらう…。だが、こんな例外があるとは…」

 特別教室として指定された教室に向かうと、そこには既に他の生徒達が勢揃いしていた。
 青海奏真と旭陽空。
 藩臣大河と堀江夕鶴。
 生徒会長と副会長。
 生徒会書記と会計。
 宝塚舞とその追っかけ女子。
 他にも知らない顔が幾つもあるが、皆ただ者では無い雰囲気である。
 学年もクラスもバラバラな総勢30人、15組の生徒達。
 まさに蒼々たる顔ぶれであった。
 気後れしている竜斗に奏真が優しく声をかける。
「ふっ、君が最後の候補者みたいだね。こんな所で会うなんて、運命を感じざるを得ないな」
「…それ男の子に言う台詞じゃないよぉ」
 奏真の隣に座った空が思わず苦笑する。
「ふっ、運命的な出会いには男も女も関係ないものさ」
「もう、お兄ちゃんったら変態なんだからっ! 取り敢えず大河と夕鶴の隣があいているみたいだし座ったらどう…?」
「うん、あんがと…」
 竜斗がコソコソと空いている席に座ると、隣に座った大河が拳を突き出して来た。
 竜斗はそれに応えて拳を合わせる。
「よー、やっぱり一緒やったなぁ!!」
「これが例の特別授業で選ばれた人達か…?」
「そうみたいやな…!! 腹に一物抱えとるような奴らばっかや…!! もう、思わず武者震いするで…!!」
 そう言う大河の顔は青ざめて、体はガクガクブルブルと震えている。
「それ、ヘタレ震いやろ…!!」
 と大河の隣で車椅子に座った夕鶴が突っ込んだ。
「にしても、何かおかしくあらへんか…?」
 大河が竜斗の隣の席を見る。
 大河と夕鶴も含めて他の生徒達は二人一組で席に着いているが竜斗の隣の席だけは空いていた。
「二人一組でパートナー組むっちゅう事になっているんやけど…!!」
「あ、やっぱり…?」
 昨日の粛清委員長の戦いしかり、そんな気がしていた。
 竜斗は汗が吹き出る額をポリポリと掻いた。
「これ、体育の時に一人はみ出て先生とボールパスするって次元の虚しさじゃあらへんね…!!
 ごっつかわいそうやわ、竜斗センパイ…!! 誰かパートナー組んでくれる人おらへんの…?」
 あえて言うならば姫って所だが、少なく見積もっても学生とは思えないので、パートナーとなる事は出来ないだろう。
「まったく、泣けて来そうだよ…」
「って、もう泣いてるやろ…! 相変わらず心折れんの早いやっちゃなー!!」

 そして、竜斗達が待つ教室にスーツ姿でサングラスをかけた長身の男が現れた。
「私は精神学、脳神脳神経学者として、人間の能力を開発する研究機関に勤め、君たちの特別授業を取り仕切らせて頂く者…。
 そして、内に秘めた力を具現化する方法を確立した最初の能力者。
 ここではあえてNo.0 愚者のブラフマンと名乗らせて頂こう。
 短い間ではあるが、よろしくお願いする」
 間違い無い。
 昨日の夕方、レジャー施設廃墟のウォータースライダーの頂きにいた人物だ。
 竜斗はその男をマジマジと見た。
 長身でスタイルが良い為に若々しく見えるが、口元には年齢を感じさせるほうれい線が刻まれている。
 長い髪をオールバックにした額に一筋の傷がある以外、まるっきり普通の人と言った雰囲気であった。
 とても、おかしな計画を実行する狂気的な人物とは思えない。
 それどころか何処か哀愁のようなものが感じられ、他人とは思えないような親しみさえ覚えてしまった。
 気になったのは奏真とブラフマンの関係だ。
 奏真は自分自身が利用されている事を知っているのだろうか?
 竜斗はふと奏真とその隣に座った空の表情を盗み見たが、二人からは何も感じる事が出来ない。
 いや、初対面の人間を見る場合、皆なんらかの表情を浮かべるのが当たり前だ。
 逆に何も感じさせないと言う事は、関係性を持っているか、もしくは感情を押し殺しているかどちらかでは無いかと思った。
 考え過ぎなのかも知れないが。
「君達には繰り返し見る夢と言うものがあるはずだ。
 例えば私はある者と共に月夜の空の下、摩天楼を飛び交う夢を頻繁に見ていた。
 繰り返し見る夢…それは潜在意識の象徴である。
 私はそれに絶対的な意味合いを持たせる暗示を君達に、そして自分自身に施術した。
 その暗示こそがタロットカードの役柄であるアルカナだ」
 竜斗はブラフマンの言うある者という存在が気になった。
 きっと、彼にとって大切な人に違いない。
 それに夜の街を飛ぶ夢を見るなんて、夢見がちな高校生の竜斗からしてもロマンチストな人だと思えた。
「タロットカードは占いの道具として知られているが、そもそもは56枚の小アルカナと、22枚の大アルカナを使用した遊戯が起源であり、君たちも遊んだ事があるだろうトランプの一種だ。
 占いとは偶然性に必然的な意味を見い出す事で、複雑な要素が絡み合って形成される運命を読み解く行為であり、ある種のジンクスを統計学によって高度に発達させたものだと思って良い。
 タロットカードを使った占いもその一つではあるが、神秘的な役柄に絶対的な意味があると多くの人々から妄信されている。
 信じると言う行為は人間の未知なる力を引き出す引き金となり、ただの偶然でも意味があると信じ込む事で、実際に運命を呼び込んでしまう事がある。
 結果としてタロットカードの的中率は非常に高いものとなっている。
 つまり、アルカナとはそれ程強い力を持つ暗示なのだ」
 ブラフマンの話は意味が解らない所もあるが、説得力があり引き込まれるものを感じる。
 姫から彼の計画の事を事前に聴いていたと言う事もあるが、ひっとしたら彼の話そのものが虚実を織り交ぜ、自分の世界に生徒達を引き込む為の暗示なのでは無いかと思った。
「そして、私はアルカナの暗示が埋め込まれた潜在意識の象徴を、特定の条件下で具現化する方法を確立した。
 そう、私の場合はその条件が揃った時において、実際に街の空をビルからビルへと飛び移る事が出来るようになったのだ。
 だが、私の能力はそれ以上でもそれ以下でも無い。
 私は更なる能力を求め資質ある二人の男女に教皇と女教皇の暗示を与え、発案した能力開発プログラムを受けさせたが、究極と言える領域にまでたどり着く事は出来なかった」
 自分だったら空を飛べるだけで十分だと思うのだが、何故それ以上の物を求めているのか、考えても解らず竜斗は眉間に皺を寄せた。
「そして、この学校の生徒で資質を持った有志に協力して戴き、アルカナの暗示を持つ能力者を増やしたが、誰一人として究極の暗示を受け入れ、その能力を発動する者は存在しなかった。
 究極の暗示…それは最後のアルカナであるNo.21世界。
 究極の能力…それは世界そのものを夢見たままに書き換える能力に他ならない。
 No.21世界は完全な存在を示し、ヒンドゥー教のシヴァ神や聖書のアダムに関連づける学者もいるように、まさに神そのものである。
 諸説あるがタロットとはNo.0である愚者…つまり人間が、No.21である世界…完全な存在に至るまでの旅の経緯を表したものと言われる。
 宗教で言う所の人が神に至るまでの教典のようなものだ。
 No.21世界とは始めから存在するものではなく、アルカナを廻る旅の末に至るものだと仮説した私は、この実験を行う事にしたのだ。
 それは君たちアルカナの暗示を持つ者が能力開発と平行し、トーナメント形式で互いの持つカードを賭けて戦い、最後まで勝ち残り全てのカードを手に入れた者がNo.21世界に至る事を証明すると言うものだ。
 では、午後からの講義では能力の発動や戦いの内容について説明し、いよいよ最初の試合を開始する事とする。それまで各自休憩だ」
 
「岩盤浴とこの屋上の違いって何だろうな…?」
「ありがたみの違いちゃうの…? これが有料やったら、きっと岩盤浴やで…」
「人間って現金なもんだよなー」
 竜斗と大河は昼休みに聖蘭が持たせてくれた弁当を突ついた後、屋上のロンドン塔の下で寝転んでいた。
 相変わらず真夏の太陽に照らされた屋上の床は焼け付くように熱かった。
「ところで、あのブラフマンって人の話解ったか…?」
「なめてもらっちゃアカンな。俺は自分から進んで長い事実験を受けているやで、そんなの解るわけ無いやろ…!!」
「駄目じゃん…!!」
「そんなに褒めたって何も出やしないでー。いや、変な汁は出るかも知れへんけど…!」
「褒めてないから…!! そして、頼むから変な汁だけは出すなよ…!! いや、マジで…!!!」
「おっ…? この屋上岩盤浴も慣れたら気持ち良くなって来よったでー!! マジで変な汁が出そうやっ…!!!」
「おまえやめろよなー!!」
「あ、出たっ…!!」
「おい、勘弁してくれよ…!!!」
「お前なんやと思ったんや…? 出たのは汗に決まっているやろ…!?」
「…お前って想像を絶する最悪さ加減だな」
「だから、褒めんといて…! もっと変な汁が出るやろっ!!」
「だから、褒めてないから…! んで、話戻すけどさ、お前は何でこの戦いに勝ったらどうする? 自分から志願したんだろ?」
「そう言うお前はどうなんや?」
「僕は昨日言った通りだけどさ、変えたいって思ったとしても、具体的にどうありたいかって解んないんだよな…。だから、お前を参考にさせて貰おうかなぁって」
「良いけど、参考にならへんで。いや、参考にしてもらえると有り難いんやけどさ」
「ん?」
「俺が神になったら、この世界の悲しき呪いを解き放つ…!! そう、阪神タイガース優勝の優勝を願うんやぁー!!!!」
「マジで参考にならないな…!!
 ってか、この世界の悲しみって言うか、むしろタイガースファン限定の悲しみだろ…!! 全世界がタイガースファンだと思ったら大間違いだぞ…!!」
 むしろ、この僕は生粋の巨人ファン…。
 竜斗はそう打ちまけたいのを必死で堪えた。
 大阪では阪神を応援し巨人が敵だと学校で教わると言うが、東京ドームがある東京都文京区などの一部の学校では、東京に来ている阪神ファンは危険だから絶対に近寄るなと教えられる。
 そして、万が一関西に行く事があっても、野球の話だけはするなと釘を刺されていたのだ。
 嘘のような本当の話である。
「まぁ、待て…! 聴いて欲しいんや…!!」
「なんだよ改まって」
「俺と夕鶴は兵庫県の東、甲子園球場のある西宮市で産まれたんや」
「甲子園って大阪じゃなかったんだ…!? って言うかお前大阪人じゃなかったのか…!?」
「甲子園球場が大阪だとか、タイガースファンだから大阪人だとか、西宮に対する侮辱も良い所やで…!
 真のタイガースの聖地は西宮であり、最もタイガースを応援しているのも地元である西宮市民なんや…!!
 そんな所で産まれた俺も夕鶴も、物心ついた時には立派な阪神ファンとなっていたんや。
 そして、人生で最も感動したのは1985年…、そう幼稚園の時やった。
 タイガースの球団社長が飛行機事故で亡くなるっちゅう悲しい事件があり、選手全員が社長の霊前に優勝を誓ったんや。
 そして、迎えたリーグ優勝をかけたヤクルト戦。
 俺ん家に夕鶴の家族も集まってみんなで一緒にその試合を見てたんや…!!
 そこで見たものは何度もヤクルトを追い越し、追いつかれ、延長の末の引き分けの自力優勝…!!
 真弓、バース、掛布、岡田の第二次ダイナマイト打線ばっか目が行き勝ちやが、本当に勝敗を別けたは球団社長に報いようとする諦めないド根性やと思うんや…!!
 幼心に大切な事を教えられた俺と夕鶴は抱き合って喜んだよ、それはもうホンマに…」
「それは良い話だな。なんか僕までタイガースが好きになりそうだよ」
「そやろ、でも話はそれで終わりやないんや…。
 そう、その後のタイガースの低迷具合は知っての通り…!!
 何でタイガースが勝てなくなったか知っとるか…? それはカーネル・サンダースの呪いやねん!!」
「ちょっと、タイガースとカーネル・サンダースがどう関係あるんだよ…!?」
「それは1985年、リーグ優勝の時やった!! 興奮したファンがカーネル・サンダースの人形をランディ・バースに見立て、胴上げの末に道頓堀に放り投げたんや!!
 何故か沈んだカーネルおじさんはその後見つからず…。
 それ以来、タイガースは勝てなくなり、バースは息子の病気の治療を巡って球団と対立して解雇、責任を取った代表が自殺するなど、えらい騒ぎになったんや…!!
 ホンマ恐ろしいで、カーネル・サンダースの呪いは!!」
「マジかよっ!?」
「そう、呪いに対向出来るのは神の力を置いて他ならへん…!! 俺は神になってこの呪いを解き放ち、あの時の感動をもう一度味わいたいんや…!!」
「ある意味ですげぇな、お前の目標!! そんなんで良いのかよ…!?」
「自分にとって価値があれば何でも良いとちゃうの!? 例えばお前やったら、あの奏真を倒して空を自分の物とするとか?」
「お前、大声でなんて事言うんだよ…?」
 竜斗は周りを見渡し、ホッと胸をなで下ろす。
「でも、悪く無いな、それ…!」
 そして、ボソっと呟いた。

「君達の見る夢に絶対的な暗示を与えたとして、それを現実に具現化するには特殊な領域を作り出す必要がある。それは自我と呼べる物を外界に展開すると言い換えても良い」
 午後の授業が始まり、ブラフマンは再び教壇に立っていた。
「君達は自分の自我がどう言う風に形成されて行くか考えた事があるか?
 我思う、故に我有り…と言うのはデカルトの有名な言葉であるが、君達のように感受性の豊かな若者は様々な経験を通して様々なものを感じ取り、それを繰り返す事で自己を確立して行く。
 特に他人との接触は自分自身を考える強い要因である。
 多種多様で流動的に変化し続ける他人との関係性の中で、君達は自分自身の在り方を変化させて行く。
 時に自分自身を強く感じたり、時に消え失せそうな程に弱くなる事もあるだろう」
 ブラフマンの言っている事は自分にも通じると竜斗は思った。
 それは昨日の事だ。
 自分自身を見つける為にこの街に来たは良いのの、何か凄いものを持つ他人と自分を比較して、消え失せそうになってしまった。
 今は自分自身がどういうものなのか解っているわけでは無いが、自分自身に疑問を抱かない程度に安定している気がする。
 ひっとしたらそれは、自分自身で一歩踏み出す勇気を持てたからかも知れない。
「外界において消える事の無い絶対的な自我を持つ事で、自分自身を中心に精神領域は拡大され、その範囲で夢を現実とする事が出来る。
 だが、絶対的な自我を持つ事は、歳若く感受性が豊かな君達には難しい事だろう。
 だからこそ、君達には側で支える存在が必要なのである。
 そう、互いに認め合う事が出来るパートナーを持つ事で、人は強く在る事が出来るのだ。
 しかし、人と人の絆、人の心と言うものは目に見える物では無く、言葉で伝えきれる程単純な物でも無い。
 故に時に感情に身を任せ、パートナーとの肉体的接触によって心と身体を補完する事も必要だ」
「肉体的接触ってまさか…!?」
 ブラフマンの言葉を聴いて竜斗は顔を真っ赤にしながらボソっと呟いた。
「竜斗先輩ったらエッチやなぁ…。何想像してるんやか…。キスやでキス…」
 と、夕鶴も顔を真っ赤にしながら竜斗に突っ込む。
「ちゅうか、お前も想像してるんやないか…」
 と大河が夕鶴に静かな突っ込みを入れた。
「マジでキスかよっ…」
 それでも、高校二年生の男子生徒にとっては刺激的な話であった。
 そう言えば、昨日目撃した戦いでも風紀委員長と風紀副委員長がキスをしていた気がする。
 そして、自分自身も姫とキスをしてしまった…。
 あの場は極限状態だった故に考える余裕は無かったが、今となって思い出すと悶々としてしまう。
 柔らかいその感触は脳天がトロけてしまうようだった。
 しかし、あれは一体どう言う意味であったんだろうか…?
 恋愛感情故なのか…?
 姫は存在自体謎過ぎるのでその言動について深く考えるだけ無駄ではあるが、一度ある事は二度あるので次も期待せざるを得ない。
「古今東西、接吻とは婚姻の誓いや、親愛、敬愛、信頼の証として交わされて来た魔力のある行為だ。
 また、ヒンドゥー教においても神々は神妃との交わりにおいて力を得ると言われている。
 君達は自分にとっての神妃と言えるパートナーとの肉体的接触によって自我領域を展開し、その中で具現化させた夢の象徴やそれが持つ特殊な能力を使って競争相手と戦ってもらう事となる。
 能力者は周囲を覆う自我領域が物理的なダメージを緩和させるが、自我領域に攻撃をを受け続ければ精神が疲弊し最後には気を失う。
 つまり当面は精神の削り合いの戦いになるだろう」
 昨日の戦いにでも風紀委員長は姫の攻撃を中和しているようだったが、攻撃を受け続けて最後には気を失っていた。
 そして、姫は相手の攻撃も見事防いでいた。
 だが、あれは姫だから出来る事であり、何の能力も持たず自我領域を展開する事も出来ない自分では、一瞬にして殺されてしまうのでは無いかと思って竜斗は背筋を凍らせた。
「だが、君達の自我は完成されておらず、能力にもまだまだ伸びしろがある。
 最初は自我領域を展開し能力を具現化しやすいように君達の馴染みのある学校内で、能力に対して共通の認識を持つ大勢の生徒達が見守る中で戦うが、次第に難易度を上げ最終的に外的要因に依存しないで力を発揮出来るようになって頂く。
 そう、絶対的な自我を持つ存在へと自分を育てて行くのだ。
 では、君達にこれからの予定…トーナメント表を渡そう」
 ブラフマンは各列にプリントを配った。
「トーナメントは今日…7月13日火曜日から、日曜日と第三土曜日を除き、7月31日土曜日までの間に一日一試合ずつ行われる。
 7月30日金曜日だけは変則的ではあるが、それまで勝ち残った二組で協力して、君達の先輩とも言える教皇と女教皇の二人と、小アルカナと呼ばれる小規模な能力者達と戦って頂く。
 欄外に記されている死神と審判のアルカナは能力の暗示ではなく、その二つを合わせる事で輪廻転生を意味し、この世界を構築する要素そのものを現している。
 では、これから戦いを開始するが…、今日の試合はNo.3の女帝と、No.8の力のアルカナを持つ二組で戦ってもらう…その二組は名乗りを上げて欲しい」
「私がNo.3の女帝のアルカナである宝塚舞だ」
 髪が長く細身な女子でありながら男子生徒の冬服を着た宝塚が立ち上がる。
 パートナーであるファンの女子がキャーと黄色い悲鳴をあげる。
 だが、なかなかNo.8の力のアルカナを持つ生徒は立ち上がろうとしない。
 竜斗は思わず周りをキョロキョロと見渡したが、誰だか検討もつかない。
「力のアルカナを持つ者も立ち上がると良い」
「誰や!? No.8力のアルカナっちゅう奴は!!」
 竜斗は大河の襟首についたバッチを注視すると、そこにはローマ数字でNo.8と書かれていた。
「ひっとして、お前じゃないの…!?」
「な、なんやとぉ…!?」
 大河は慌てて立ち上がった。

 そこは体育館。
 大勢の生徒が囲む中で大河と夕鶴、宝塚とファンの子が対立している。
「では、互いに自我領域を展開するのだ」
 緊張と羞恥で顔を赤くしながら大河と夕鶴がぎこちないキスを交わす。
 あの二人はパートナーであり、幼なじみで進んだ関係には発展していない事が見て取れる。
 だが、互いに意識はしているのだろう。
 だからこそ、あの赤面だと思った。
 そう言う淡い関係って良いよなと、竜斗はたまらなく羨ましくなる。
 そして、昨日の風紀委員長の時と時と同じように、大河の持つ雰囲気が薄い膜のように広がり収束する。
 目の前にNo.8、力のアルカナのカードが出現する。
 女性がライオンの口を押さえているようなイラストだ。
 虎のイラストだったら完璧だったのだが、ライオンのイラストだと微妙に惜しい。
 そして、大河がそのカードをつかみ取ると、存在感が希薄なバットのようなものを具現化した。
 一方で宝塚がファンの子とキスをする。
 多分、今朝宝塚が引き連れていた他のファンの子達だろう、体育館に無数のキャーと言う悲鳴が上がった。
 いや、ファンじゃなくても女性同士ならではの綺麗で妖艶なシルエットは妙に興奮するものがある。
 ファンの子はもう死んでも良いと行った恍惚な表情を浮かべて居るものの、宝塚はサラッとした涼しい顔だ。
 ひょっとしたら、宝塚にとっては女の子同士のキスなんて日常茶飯事なのではないかと、よからぬ妄想を抱いて竜斗は悶々としてしまう。
 そして、No.3…、王座にどっしりと構えた女性の絵が書かれた女帝のカードが現れ、つかみ取るとフェンシングで使う細剣が現れた。
 大河の具現化したバットよりやや存在感があるが、それでもまだ全然薄いと言う感じだ。
 この存在感の強弱は能力の強弱に関係あるのだろうか?
 大河と宝塚の二人は向かい合っているが、フェンシング部で試合慣れして緊張をコントロールする術を持っている宝塚と違って、野球好きであっても野球部では無い大河は場慣れしていない為、緊張が顔に出ている。
「では、戦ってもらおう!」
 ブラフマンが腕を上げたのを皮切りに、大河がバットを振るう。
「先手必勝や!!」
 すると、バットから丸い物体が飛び出し宝塚へと迫る。
 だが、宝塚は大河の発した白球…いや薄球を真正面に捉え、手にした細い剣で突き刺してその存在を掻き消す。
 あくまでも涼しい顔だ。
「これでどうやーっ!!」
 大河は連続してバットを振りボールを打ち出し、それは変幻自在の無数の光の軌跡となって宝塚へと向かって行く。
 それは弧を描いて飛ぶレーザービームのような、現実にはあり得ない光景であった。
 能力と言うものがどういうものか解らない竜斗にとって、それは一大スペクタルのように思えた。
 そう思っていたのは竜斗だけでは無いようで、ギャラリーと化している他の生徒達も歓声を上げる。
 宝塚は面白い物でも見つけたように微笑み、身体を斜に構えて剣を携えた右手を突き出すと、その手首の返しで剣先をゆらゆらと揺らし、次から次へと光の軌跡を断って行く。
 剣は僅かに光を帯びていて、薄暗い体育館の中でゆらゆらと歪んだ残像を残す。
 そして、またしても歓声が上がる。
 二人の能力者の織りなす美しい光の軌跡を伴った素晴らしい攻防は見るものを魅了し、戦いの世界へと引き込んで行く。
 能力を身につけたからと言っても、それを使いこなし実際に戦うには身体の動きが必要だろうし、二人がどれ程真摯に取り込んで来たかが動きから伝わって来る気がして感動するが、他の生徒達が夢中になる様を見ると何か少し違う気もしてしまう竜斗であった。
 努力をして舞台に立っている人間に対して賞賛しているのではなく、舞台そのものに酔っているような、そんな雰囲気だからかも知れない。
 さながらブラフマンのプロデュースするビジネスショーであるかのようだと竜斗は思った。
「では、今度は私の番だ」
 宝塚が剣を突き出しながら突進する。
「まんまんちゃんっ!!」
 そのあまりに速いスピードに大河は追いつく事が出来ず、バットを闇雲に振り回すして宝塚を退けようとする。
「遅いっ!!」
 だが、彼女にはその軌跡が手に取るように読めるらしく、見事に攻撃をかわして隙を露にした大河へと剣を突き刺す。
 その剣撃は刹那に煌めく閃光のような鋭さだった。
 そして、そのまま連続して何度も何度も剣先を揺らしながら大河へと攻撃を加えて行く。
 その剣撃は大河の身体を覆う自我領域に阻まれて、肉体的なダメージを与える事は無いが、繰り返し攻撃を受け続ける大河の顔には疲労の色が浮かびつつあった。
 そして、何度目の攻撃を受けた時だろうか、大河の身に異変が起きた。
「な、なんやとっ!?」
 大河の身体が眩しい光に包まれ、その光が収縮した時には全く違うシルエットになっていた。
 そこには、不思議の国のアリスのような童話めいたドレスを着た小さな女の子が居た。
「ちんがぁー!! たまがぁー!!」
 その子はスカートをたくし上げカボチャパンツに覆われた自らの股間をまさぐると、可愛い声で関西のイントネーションが効いた聴き馴染みのあるフレーズを叫んだ。
 手にはバットを盛っているし、ふわふわのベリーショートヘアーは何処かツンツン頭の面影を残している。
 間違い無い大河だ。
「な、なんだってぇ!?」
 竜斗は思わず叫んでいた。
 周囲からキャーとか、かわいいとか黄色い声が上がっている。
「そう、私の剣撃に魅せられた者は、誰もが恋する少女になるのだ」
 と宝塚は不敵な笑みを浮かべる。
 いや、言葉のあやではなく、文字通り恋する少女にしてしまうとは恐れいった。
 大河は元の身体に戻れるのだろうか?
 いや、むしろ戻らなくても良いのだが、付き合い方が変わってしまいそうだ。
「私の能力は長くは続かないはずだが、もはや、状態異常を正常化できない程にダメージを蓄積させていると見た」
「ち、ちくしょう…」
 恋する少女状態となった大河は、フラフラとなった身体をバットで支えている状態だ。
「私には少女を甚振る趣味は無い…。大人しく投降したらどうだ…?」
 色んな意味で宝塚の能力は恐ろしいと竜斗は思った。
 制限時間があるとは言え、あの姿では今までと同じような運動能力を発揮出来るとも思えないし、やろうと思えば一方的に嬲る事も可能だろう。
「おれはまだ戦えるっ! ちんが無くても、たまが無くても、おれにはまだこのバットとボールがあるんやっ!!」
 そう言ってバットを振るってボールを打ち出す大河。
 慣れない幼女の身体で疲労が蓄積している為にふらつき、フォームは大幅に乱れているものの正確無比にボールは宝塚へと迫る。
 おそらく、狙った通りにボールを打ち出す事が出来ると言うのが大河の能力なのだろう。
「ならば加減はしないぞ!」
 宝塚はボールを剣で貫いて打ち消すと、大河に対して無数の突きを放つ。
 その衝撃は凄まじく小さくなった大河の身体はギャラリーの人山の中に向けて飛ばされて行った。
 自分に危害が加わると思っていなかったギャラリー達は悲鳴をあげる。
 やがて、その人だかりの中から、小さな影が這い出て来た。
 身体を被う自我領域はかなり薄く今にも消えそうであり、竜斗の目から見ても限界に近いのは確かであった。
「何故、そうまでして何故立ち上がるのだ?」
「おれは倒れるワケにはいかんのや…!
 誰だってやれば出来るって事を、何度でも立ち上がれるっちゅう事をしょうめいせにゃアカンのや…!!」
 大河は甲高い雄叫びを上げると、バットを無茶苦茶に振り回して突進した。
 無数の弾丸に覆われた大河は、一つの大きな弾丸のようになって宝塚へと向かって行く。
 防御と攻撃を同時にこなせる凄まじい技だ。
「私もその気迫に応えさせてもらうとしよう!」
 そこから先は圧巻であった。
 まるで瞬間移動するかのようなスピードで宝塚は大河に向かって突進し、光の球と化した大河に真っ向から剣を突き立てる。
 薄暗い体育館に激しい光が飛び散る。
 あまりに眩しい光に一瞬視界が真っ白になったが、目が見えるようになると、そこには互いに渾身の一撃を放ち合い背中を向き合わせるように交差した二人のシルエットが立っていた。
 重い沈黙が訪れる。
 ギャラリー達も固唾を飲んで成り行きを見守っていた。
 その沈黙を破ったのは宝塚であり、彼女は崩れるように片膝をつく。
 だが、宝塚の手には未だ具現化された剣が握られている。
 一方の大河は立ち尽くしたままだが、手にしたバットが粒子となってNo.8力のカードへと戻り、体育館の床へとひらひらと舞い落ちた。
 宝塚は立ち上がるとカードを拾い上げ、幼女となった大河の肩を優しく叩く。
「気を失っても倒れないとは…。まさに素晴らしい戦いであった」
「勝者はNo.3女帝とする」
 ブラフマンの言葉を皮切りに体育館中に歓声が響き渡った。

 それからどれだけの時間が経っただろうか。
 燦々と輝いていた太陽は傾き、夕焼けの中で人気の無くなった体育館のシルエットが浮かんでいた。
 少し涼しくなった空気に、ひぐらしの鳴く声が響いていた。
 体育館の小さな階段に小さな女の子が膝を抱えて俯いている。
 それは宝塚の能力を受けて「恋する少女」状態から未だ回復していない大河であった。
 そんな大河を見守る竜斗と夕鶴の二人。
 だが、痺れを切らした夕鶴が大河に声をかける。
「負けちゃったもんは仕方ないやないか…。何時までもいじけててもしょうがないし、そろそろ帰ろうよ」
「こんな姿で帰れるわけないやろ…」
「イジイジイジイジ…!! それでも男か? このヘタレ!!」
「もう男やないもん…」
「そんなヘタレだから、元の姿に戻れないんやないの!? そんなにタイガース優勝の夢を叶えられなかったんが悔しいんか!?」
「そんなんちゃう…! そんなんちゃうんや…!!」
 表を上げた大河の顔は涙と鼻水でベチャベチャに濡れていた。
「じゃあ何よ!? 言うてみぃ!?」
「言えへん…!! お前にだけは言えへん…!! こんな情けない姿さらしといて言えるわけないやろ…!!」
「なんやそれっ!!」
 夕鶴は大河の頬を叩いて車椅子の向きを変えた。
「もう、お前なんか知らへんっ!! うち、先帰らしてもらうで!!
 何時までも女の子の姿で泣いてれば良いんや!! そんでもって、そのままオカマとして大好きなメイド服でも着て生きれば良いんや!!」
 竜斗は膝を抱えて身体を振るわせ、嗚咽を堪える大河の隣に座った。
 そして、大河は深く息を吸い、呟くように沈黙を破る。
「おれな、あいつの為に戦おう思ってたんや」
 大河の言うあいつとは夕鶴の事だろう。
「あいつな、大地震の時に怪我してもうて、それ以来ずっと車椅子乗ってんねん…。怪我は治っているんやけど、心の問題で歩き出す事が出来へんやって…。
 おれな、もういっかいタイガースが優勝する所を見れれば、楽しかったあの頃や、あの時の感動を思い出して、あいつも歩き出す勇気を持てるって思ったんや…。
 それにおれが戦う姿を見せられれば、きっと誰だってがんばれば出来るって教えられると思ったんや…。
 それなのに…、それなのにおれは…!!」
 竜斗は胸が痛くなり、居ても立ってもいられずその小さな肩を抱いた。
 大河は今まで押し込めていた感情が吹き出し、竜斗の胸を借りて声を出して大声で泣き出した。
 その悲痛な叫びは竜斗の心に響き、溢れ出る涙を堪えるのに必死だった。
 それからどれだけ経っただろうか。
 落ち着きを取り戻した大河は竜斗と体育館の階段に並んで座っていた。
「ありがとう…。もう、大丈夫や…」
「そうか…」
 竜斗の声も少し霞んでいた。
「ひゃっはっはっ!! 最高の見せ物を見せてもらったぜ!!」
 卑下た笑い声が響く。
 No.15のバッヂを持つリーゼント頭の男子生徒…生徒会書記と、パーマ頭のスケバン…生徒会会計の二人組が竜斗達に近寄って来た。
「何か用?」
 竜斗は大河を庇うように二人の前に出る。
「あ? 俺がようがあるのはそこの負け犬だ!! ぼけぇ!!
 きゃんきゃん吠えて粋がった挙げ句に負けて無様な姿を晒し、おまけに女に振られて女子供みたいにギャーギャー泣きやがる!!
 あ? 今は女子供だったか!?」
「情けないったらありゃしないよ!」
 生徒会書記が間の手を入れる。
 侮辱された大河は顔を真っ赤にして俯く。
「俺はなぁ、力がねぇのにキャンキャン吠える負け犬が大っ嫌いなんだよっ!!! そんな奴は生きている価値はねぇ!! 俺が粛清してやるぅ!!!」
「ふざけるな…!!」
 竜斗は生徒会二人の暴言に強く呟くように言う。
「あ…!? なんか言ったかテメェ!?」
「ふざけるなと言っている!!」
 竜斗は自分より頭一つ大きい生徒会書記の胸ぐらを掴む。
「大河は情けなくなんか無いっ!! 大河は人の為に一生懸命生きる事が出来る凄い奴だ!! どんなに辛くても絶対に倒れない凄い奴だ!!
 全力を出して立派に戦い切った大河を馬鹿にする奴は僕が許せないっ!!!」
「あぁ!? テメェも粋がるのかよ!? テメェとは明日当たる事になっているが、良いんだぜぇ!! 今やってもよぉ!?」
「こっちも望む所だ…!!」
「お止めなさいな。双方共にブラフマンにアルカナを取り上げられますわよ」
 緊張した空気に凛とした涼しい声が響く。
 気がついた時には胸ぐらをつかみ合った二人の真横にゴスロリ姿の少女が立っていた。
「ひ、姫…!?」
「な…!? てめぇいつの間に現れやがった…!?」
「あら、始めから居ましてよ。あなた方がずっとわたくしを無視してただけじゃありませんこと?」
「あ?! そんな馬鹿なことがあるかっ!? テメェみたいなキテレツな女がいれば気付くに決まってるだろ!?」
「ならば、あなたの目は節穴と言う事ですわね」
「テメェ!!! フザケやがってぇ!!!! 何者なんだ!? あ!?」
「わたくしは香夜姫…。ここに居らせられるNo.18月のアルカナ…走馬竜斗様のパートナーですわ」
「姫と一緒ならば心強いよ!! でも、こいつは…、こいつだけは僕にやらせて欲しいんだ!!」
「ええ、勿論ですわ」
「フザケやがって!! テメェもこの女もまとめて粛清してやるっ!!!」
「やれるものならばやってみろ!! 僕はお前を倒して大河を馬鹿にした事を謝らしてやるっ!!!」
 竜斗は生徒会書記の胸ぐらを放して彼に背を向けた。
 生徒会書記もまた背を向ける。
「解っているかと思いますが、この先能力者を相手に戦い抜く事は容易ではありません事よ」
「ああ、だから姫には戦い方を教えて欲しいんだ」
「もちろんそのつもりですわよ。わたくしは貴方を本当の強さへと導く為に存在しているのですから。
 でも、わたくしの力だけでは足りません、貴方には他にも共に歩み、支え合える仲間が必要ですわ」
「ああ、解っている」
 竜斗は幼女と化した大河と向き合う。
「大河…、僕と一緒にやらないか?」
「えっ?」
 幼女と化した大河は竜斗を見上げる。
「僕と一緒に誰だって頑張れば出来るってことを夕鶴に見せつけてやるんだ!!」


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