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第六章

双間と創真

 1999年7月31日(土)
 眠れない夜を過ごした竜斗はMDウォークマンで音楽を聴きながら、風見鶏の館の二階ベランダから重い空気に包まれた神戸の街を眺めていた。
 普段ならば明るくなり始める時間だと言うのに、空を覆う分厚い雨雲のせいで真夜中よりも暗く、まるで竜斗の心を現しているかのように重い雰囲気であった。
 MDに録音されているのは現在放送中のアニメ、ターンエーガンダムのサントラだ。
 7月23日に発売されたばかりのサントラには放牧的で雄大な大地と、幻想的で儚い月を思わせる美しくノスタルジーに溢れた曲ばかり収録されている。
 中でも劇中で使用されていないBoys About16と言うイメージソングは、今の竜斗の気持ちを歌っているようで、とても切なく涙が溢れ出てしまうようだった。
 竜斗は手すりに身を預け、闇に向かって溜め息をつく。
 姫の気持ちを尊重すべきなのか、姫の命を尊重すべきなのか。
 竜斗自身どうしたいのか、どうすれば良いのか、一晩中考えても考えても答えは見つからなかった。
 ただ、姫を愛したいその為に、この全世界を捨てても良いと思った。
 奏真や聖蘭と戦い命を奪う事もやむを得ないと思った。
 彼らと同じ立場に立ち気持ちが痛いほど解ったが、だからこそ戦いは避けられないと言う事も痛いほど解ったのだ。
 だが、完成された大アルカナを相手にするには、今の竜斗の実力では遥かに役不足であり、間違い無く命を落とすのが目に見えている。
 つまり、彼らを相手にするには同じ大アルカナの力が必要になる。
 もしくは、リタイヤして第三者に運命を委ねるかだ。
 何れにせよ竜斗が今まで貫き通して来たものを失ってしまうのは確かであり、都合良く全てを解決出来るような答えなど存在しないと言う事だけは確かだった。
「まだ、起きるには早過ぎる時間ですわよ」
 ベランダの反対側の扉から現れたネグリジェ姿の姫が話しかける。
 竜斗の使っている寝室と姫の子供部屋はベランダで繋がっていて、互いに行き来出来るようになっている。
「ああ、眠れなくてね…。姫こそ随分遅くまで空と話していたみたいだね」
 竜斗はイヤホンを取りながら、姫に向かって微笑する。
 それは今までの無垢な少年では無く、憂いを秘めながらも精悍な青年の顔だった。
「ええ、随分と積もりに積もったものがあったんでしょうけど、今しがた泣き疲れて眠ってくれた所ですわ」
 昨日の戦いの後、突然空が姫の家に泊ると言い出したのだ。
 二人乗りのディアブロだけだと不便なので、安室が聖蘭からシルバークラウド・ツーを回収し、運転手兼世話係として共に泊る事となった。
「そうか…」
 竜斗は再び遠くを見る。
 厚い雲が一瞬途切れ、少し欠け始めた月が朧げに輝くのが見えた。
「竜斗さんはどんな音楽を聴いてたんですの?」
「アニメのサントラだけど胸を打つような綺麗な曲ばかりなんだ」
「一緒に聴きましょうか?」
 姫は静かに竜斗の左に並ぶ。
 そして、竜斗は右耳に姫は左耳にイヤホンを付け、少し聞こえ方の異なる同じ音楽を共有する。
 その時流れていたのはMoon(ガブリエラ・ロビン)と言う造語で作られた歌だった。
「永遠に満ち欠けする月に消え行く女性の面影を求める…、そんな情景が浮かんで来るような曲ですわね」
 そう言ってヘアーキャップから溢れた銀色の髪を風に靡かせる姫。
 竜斗は彼女の顔を盗み見る。
 長いまつげに覆われた切れ長の目は何処か遠くを見つめ、白い顔に浮かぶ表情はまるで人形のように美しく儚げであった。
 一体何を思っているのだろうか…?
 こんなにも近く…、手を伸ばせば触れられる距離に居ると言うのに、姫と言う存在が遠く感じた。
 そんな時、何時か姫が竜斗に言った言葉を思い出す。
(人と言うものは近くて遠いものですわ。
 解っているつもりでも解っていない事もあり、時にとんでもないすれ違いを生む事もありますの。
 だからこそ、人の気持ちを想像して解り合う事が大切なんですの)
 以前、姫からその言葉を聴いた後、すれ違いを繰り返していた大河と夕鶴を見て、特に男女の間は互いの気持ちを伝え合う事が大切だと知った。
 そして、夕鶴に言われた。
(竜斗センパイもしっかりと姫ちゃんとコミュニケーションとって、ちゃんと気持ちを汲んであげへんとダメやでぇ!)
 思えば竜斗は姫の事を何も知らない。
 短い時間とは言え共に暮らし、共に様々な試練を乗り越え、身体を重ねただけで全て解ったつもりになっていただけだ。
 無知で視野の狭い子供であった。
 いや、何時までも何も知らない子供で居たかったんだ。
「姫…、馬鹿でゴメンな…」
「ふふふっ、何を今更言ってるんですの?」
「僕は何時も支えてくれる最高のパートナーであり、最愛の恋人である姫の事を考えてあげられなかった。
 姫は僕がここに辿り着くのを、ずっと待っていたんだと思う。
 本当はその時になって現実を受け入れられるようにって、姫が色々な事を通してヒントを出してくれていた事に気付いていたんだ。
 でも、僕は見て見ぬ振りをしていた。
 何時までも一緒に居られるものだと思っていたかった、本当の事を知って大切な何かが壊れてしまうのが恐かったんだ。
 だから、姫が抱えている現実を突きつけられた時に、それが本当の事だって思いながらも、どうしても受け入れる事が出来なかった…。
 いや、今も受け入れ難い…。
 大切な人の死なんて簡単に受け入れられるものじゃ無い…。
 だけど、ちゃんと姫の気持ちを知った上で僕がすべき事を考えたい…」
(何かを犠牲にする以外にも方法があるはずだから、お互いの気持ちや現実をちゃんと受け入れて、どう生きるかって一緒に考えて行きたいの)
 それは空が言っていた言葉だ。
「だから、姫の事を僕に教えて欲しいんだ…!」
 竜斗は姫と向き合いその小さな手を握る。
「少し散歩しながら話しましょうか…。旭陽月夜として産まれ香夜姫として死んだ女と、双間創真と呼ばれた少年の物語を…」

 風見鶏の館の前にある北野町広場は朝霧に包まれ、外灯がぼんやりと幻想的な光を浮かべていた。
 広場は高台にあり晴れている日には神戸の街を一望する事が出来るが、この日はまるで雲海の中からビルが生えているように見えていた。
 そして、広場の横にある階段を下がり、シャッターの閉まった土産物屋が連なる坂道を下がって行く。
 そのまま旧パナマ領事館や、英国館、ラインの館、仏蘭西館、ベンの家などの古い洋館、お洒落な建物が立ち並ぶ北野通りを左に曲がり異人街を廻り歩いて行く。
 途中に日本の伝統的な神社や、現代的なマンション等もあり、古今東西入り交じった異世界となっていた。
 竜斗は戦闘用の学生服を、姫は何時ものゴスロリ服を着て手を繋ぎ、肌寒い空気の中で互いの身体を暖め合うように寄り添いながら語り合う。
「先ほど聴いたアルバムの中には竜斗さんを思わせる曲が収録されていましたね。
 ですが、もし貴方がその曲からインスピレーションを受けた誰かによって創造された人格であると言われたらどう思いますか?」
「ショックだし普通は受け入れられないと思う。
 だけど、この世界が誰かに創造されたものだとすると不思議じゃない。
 それこそ、最初の世界から生き続けている姫とブラフマン以外、誰かに創られた存在だって考える方が正解かも知れないな」
「ところが、あのアルバムにはわたくしを思わせる曲もありましたわね。
 もし、わたくしもその曲から影響を受けた誰かが、自分自身の思い出や願望を元にして創造していたとしたらどうでしょうか?」
「まさか、姫が産まれた世界すらも誰かの創造だったって言うの…?」
「本当の所はどうだか解りませんわ。
 ですが、旭陽家はその世界を創造した者の末裔だと言われ、代々世界を維持する神とも呼べる役目を背負って来たと言ってましたわ」
「ぶっとんでいるとは思ったけど、まさか神様の末裔とはヘビーだね」
「ふふっ、旭陽家も大量にいる自称神の末裔の一つに過ぎませんわ。
 ただし、世界と神の定義が少し変わってて、世界を誰かが創造した物語だと考えているようなんですの。
 もし、この世が物語だとして欠かせない存在は何だと思いますか?」
「物語の中心人物である主人公かな?」
「そう、物語は主人公がいるからこそ成立するのです。
 役割を持った子供に無意識に周囲の因果を操作する力を与え、世界を維持する神へと育て上げるノウハウと使命が旭陽家には伝えられていました。
 そして、わたくしが幼い頃…、始めに産まれた世界で神と呼ばれていたのは、わたくし達の母である旭陽神子だったんですの」
「ブラフマンじゃないんだ?」
「父である昇は旭陽家の婿養子なんですわ。
 お父様は少し特殊な力を持っていて、少年時代に旭陽家の研究施設に身売りされ、そこで研究員として働いていたお母様と出会ったんですの。
 その力は夢と現実の境界線を無くし潜在意識を解放する特殊な自己暗示によって、他人を拒絶する心が発現したもので、決してコントロールなど出来はしませんでした。
 でも、お父様がお母様に対して心を開いた事により、他人を拒絶する力は外側へと向かい、力をコントロール出来るようになったんですの。
 そう、それが今で言う自我領域です。
 更に旭陽家のノウハウと組み合わせる事で誕生したのが、意のままに因果を操作する大アルカナですわ。
 お父様とお母様はNo.0愚者の跳躍能力を使って、月夜に街の空を飛び交うデートを繰り返したみたいですわ」
「前にも思ったけどロマンチックな能力だよな」
「ええ、お父様はああ見えて純粋で夢見がちなんですの」
「空にもそう言う所があるし、やっぱり親子で似る所があるのかもしれないな」
「そして、お父様はのんびり屋で芯の強いお母様と結婚し、ずる賢く美しい姉の月夜と、お馬鹿で素直な妹の空、二人の娘に恵まれ幸せに暮らしました」
「ずる賢く美しいって、自分でそれを言う…!?」
「あら、本当の事だから仕方ありませんわよ」
 姫は含み笑いをする。
「でも、幸せは長く続きませんでしたわ。お母様は原因不明の病…、空さんの症状に近い病気を発症して、苦しみの中で命を落としてしまったんですの」
 口調を変えずに言う姫の言葉には妙な重みがあり、竜斗は思わず息を飲む。
「それって、遺伝的な疾患なの…?」
「いえ、あくまで原因は不明ですけど、わたくしは人工的に神へと育てあげられてしまった事と、大アルカナのパートナーになった事による影響だと思っていますわ」
「自然の摂理に逆らって運命を捩じ曲げようとする力には、それだけ強い反作用が伴うって事か…」
「お母様の場合も因果を受け入れたり、摂理の力である陰陽の気を練る事で克服する事は出来たと思いますの。
 今のわたくしだったらお母様を助ける事が出来たかも知れませんが、過ぎ去ってしまった事は変えようが無いですし後悔しても仕方無いですわね。
 大切なのは過去を受け入れた上で現在と未来を如何に変えて行くかですわ」
 そう言って姫は笑って見せた。
「姫…」
 竜斗はその微笑みに胸が痛くなる。
「そして、その世界に神の存在しない空白の期間が産まれてしまったんですの。
 だからと言ってすぐに世界の崩壊が始まるわけでも無く、そもそも本当に世界が崩壊するかも確かではありませんが、遠い親戚の年寄り達は焦って次の神候補を選別しました。
 その結果、選ばれたのがまだ幼かったわたくし…旭陽月夜でした」
「何で姫が…!?」
「神の血を受け継ぐ直系であると言う事もありますが、異能者であるお父様の血が交わった事で、従来の神を超えられる可能性があるらしいんですの。
 あと、霊力と呼ばれる魂が元々持っている力が強いとか。
 他にも常識から外れた異常な精神性も神の資質としては申し分無いとか、ちゃんちゃらおかしな事を言われましたわ」
「それは本当にちゃんちゃらおかしいね」
「そして、わたくしは神に成り上がる為の儀式に挑む事になりました。それは大きく別けて贄と祀りの二つで構成されていますの」
「贄と祀りか…、マジで儀式っぽい感じだな。まさか、またしても恐い系じゃないよね…?」
 竜斗は色々とおぞましい想像をして背筋を凍らせる。
「恐いと言ったら恐いし、恐く無いと言ったら恐く無いですわね。
 贄とは陰陽師や修験者、僧侶に巫女、風水師と言った理力使いや、闇より産まれた鬼退治…、今で言う所の小アルカナと戦って倒す事ですわ。
 その為に私は旭陽家に代々伝わる霊剣…天叢雲剣を与えられ、それと同時に旭陽家伝来の古武術による戦闘法も叩き込まれましたの」
「本当に大アルカナの育成方法と同じなんだな…。それにしても子供に武器を持たせて戦わせるなんて虐待も良い所だ…」
「ふふふっ、わたくしは身体を鍛えて戦う事が好きでしたので、贄の方は楽しくて仕方無い儀式でしたわ」
「さすが、子供の時から姫は姫だったんだな」
「三つ子の魂百までもって言いますしね。それより、苦痛だったのがもう一つの祀りの方の儀式ですの」
「大アルカナに近い事を考えると暗示とか…?」
「そう、実質的に暗示ですけど、大アルカナとは方向性が大きく違いましたわ。
 清められた神宮で神の子として祀られ、長期間に渡って俗世から隔離されて暮らし続けるんですの。
 儀式を繰り返す合間にハードな勉強や修行をこなし、わたくしを神と崇る神官と巫女によって日々の寝食や入浴・排泄に至るまで世話されましたわ。
 そうする事であっと言う間に毎日が過ぎて行きましたの。
 他者から神扱いされ思考する自由を奪う事で、神に相応しい無我の境地を作り出す事が目的だったんでしょうね」
「つまり、大アルカナは自我を強くする暗示だけど、旭陽家のやり方だと自我を捨てる暗示って事か…。それにしても、時間をかけて行うのは質が悪いな…!」
「正直言うと他人にチヤホヤされる暮らしは悪くはありませんでしたわ。
 でも、他人にアイツはああいう奴だって勝手に決め付けられ、自由を奪われて押し付けられるのだけは我慢できませんでしたの。
 わたくしはお母様の代わりなんかじゃない、神なんて言う存在意義不明の偶像なんかじゃない。
 わたくしが何者であるかは自分自身で選びたい。
 他の誰でも無い…、永久不滅にわたくしであり続けたいって思ったんですの。
 そして、意を決したわたくしは行動に移しました。
 そう、ありったけのお金と家宝の天叢雲剣を盗み出し、腹いせに神宮に火を付けて逃亡したんですの」
「意を決し過ぎでしょ!」
「どうせ、もともと超法規的な儀式でしたし、多少の犯罪行為はもみ消されてしまうんで、全然問題はありませんことよ」
「いや、そう言う問題じゃないから!」
「そして、わたくしは生まれ育った神戸に戻って風見鶏の館を買い上げ、名を香夜姫と改めて新しい人生を歩み始めました。
 鍛え上げた格闘術と天叢雲剣を使って妖怪退治をしたり、マフィアや警察からの依頼を受ける武闘派探偵業を営み、自由気ままに楽しく暮らして居てましたわ」
「もう、その頃は今とそんなに変わらなかったんだね」
「ここまでは何処の世界でも共通する基本的な設定なんですの。
 ですが、1995年1月17日を境に世界は変わって行く事になります…、そう阪神淡路大震災の日ですわ。
 始めの世界で大震災から暫く経った後に事は起きました。
 たった一人の少年が風見鶏の館に乗り込んで凄腕の黒服達を全て倒し、不敵な笑みを浮かべて軟派な言葉でわたくしを挑発して来たんですの。
 史上最強を自負するわたくしをか弱い少女扱いするなど、万死に値する行為だと思いましたから、死ぬより酷い目に合わせてやろうと鍛え上げた格闘術で迎撃しました」
「でも、その頃の姫って今よりも遥かに過激だよな」
「何せ300年近く前の事ですから、若気の至りと言うものですわ。
 わたくしは赤子の手を捻るように倒され、井の中の蛙であった事を嫌という程に知らしめられましたの。
 プライドをズタボロにされたわたくしは、相手をズタボロにしてやろうと逆上して、天叢雲剣で少年の身体を細切れにしました。
 ですが、少年を殺せたと思って安心したわたくしは隙を突かれ、一気に間合いを詰められてしまいました。
 例え両手が切断された状態であっても、歯で頸動脈を噛み切れば人間を殺す事は可能ですから死を覚悟しましたわ。
 なのに少年はわたくしを殺そうとはしませんでした。
 代わりに歯の浮くような言葉を吐きながら、わたくしの唇に口づけしたんですの。
 その瞬間、不可視の力がわたくしをも包み込むように広がり、少年の身体は何事も無かったかのように完全再生しました」
「大アルカナの力か…。奏真先輩に似ているようだけど、その少年は何者なんだ…!?」
「彼の名はソーマこと双間創真。
 No.18月の大アルカナであり、神になる男だと自称していました。
 そして、わたくしはソーマ様に研究施設へと連れられ、自らをブラフマンと名乗る首謀者と対面しました。
 そう、それは別れたままになっていたお父様でした。
 お父様はお母様や逃亡したわたくしに代わり、完成された大アルカナの力を代用して神の代理を務めていたようでした。
 ですが、お父様の力が及ばず世界の崩壊が始まってしまい、その次元の歪みによって生じたのが阪神淡路大震災だと言っていました」
「何処まで本当の事であるかは解らないけど、その時を起点にして世界が変革を繰り返すようになったのは確かだな…」
「そして、世界の崩壊を食い止めより良い未来を目指す為、大アルカナを使い次世代の神を育成する計画が始まったのです。
 そして、その鍵を握るのが双間創真と呼ばれる少年。
 破壊と再生、自我と無我、意識と無意識、夢と現実、相反する要素を一つの身体に秘めて神となるべき産まれた存在。
 旭陽昇と旭陽神子の遺伝子を掛け合わせて造られた人造人間でした」
「じ、人造人間っ…!? そんなものが存在するなんて…!!」
「倫理上の問題を気にしなければ、現代の遺伝子工学で十分可能な事ですわ。
 彼は神の器として人工的に優れた能力を与えられていましたが、反面で人造人間特有の数々の欠陥を潜在的に抱えていました。
 いえ、あえて遺伝子を致命的に破壊する事で複製を防ごうとしたんでしょうね。
 あの身体ではそう遠く無い未来、重い病気を発症する事が目に見えてましたが、壊れた部分を交換し続ければ良いと思っていたのかも知れませんわね」
「姫も大概だけどブラフマンはもっと酷い…。命を弄ぶ事を屁とも思っていない…!」
「人は環境次第で幾らでも堕ちて行けるものなんですの。貴方も同じ轍を踏む可能性があると言う事を認識して下さいな」
「…ああ」
 先ほど殺人を覚悟したばかりなので図星を突かれた気分だった。
 姫は竜斗の気持ちが解った上で戒めの為に、自分自身やブラフマンの過去の間違いを包み隠さず話しているんだと思った。
「そして、わたくしは世界崩壊を招いた責任を問われ、完全な自由を得る条件としてソーマ様のパートナーとして計画を手伝う事になったんですの。
 お父様の手で産み出された大アルカナや小アルカナを全て倒す為、夜の神戸の街を舞台に戦いに明け暮れる日々を過ごしました」
「それって、奏真先輩が見ていたって言う夢とそっくりだ…」
 それは忘れもしない奏真と観覧車に乗った時だ。
 彼は何処か違う世界で謎の少女と共に戦う夢を繰り返し見続けていたらしい。
 だが、聖蘭と出会った事件の後に、空の大切さに気付いた事でもう見なくなったと言っていた事を思い出した。
「それは彼の魂に刻まれた前世の記憶でしょうね。
 青海奏真が共に暮らす空さんを大切に思うように、ソーマ様も空さんと共に暮らしていて彼女の事を何よりも大切に思っていました。
 彼女が戦いに巻き込まれる事無く、何も知らずに幸せに暮す事を望んでいました。
 だから、ソーマ様は自らの人格を二つに別けて戦闘時の記憶を封じて日常生活を送っていたんですの。
 妹もまた父の暗示を受けて、全ての元凶である姉の記憶を消去されていました。
 わたくしは望んでも居ないのに現実を突きつけられ、自分自身の人生を奪われ続けていると言うのに、妹は皆に愛され現実を見る事なく幸せに暮らしている。
 そう思うと実の妹に対して強い憎しみと嫉妬心を覚えざるを得ませんでしたわ」
 淡々と語る姫の言葉は痛かった。
「ですが、その均衡が崩れる時がやって来ます。
 空さんと日常的な人格である創真さんが戦いに巻き込まれてしまったのです。
 創真さんは日常生活に馴染めず孤独を感じていましたので、突然訪れた非日常的な戦いを喜び、その象徴とも言えるわたくしに心惹かれていました。
 空さんは危険な戦いに身を投げ出そうとする創真さんを止めましたが、わたくしは彼を誘惑して連れ去り心と身体を奪いました。
 空さんが創真さんの事を愛している事を知ってましたから」
「見せしめの為に人を愛するのはあまりにも哀し過ぎるよ…」
「ですが、それは本当の愛へと変わって行く事となりました。
 わたくしは一宿一飯一女の恩を盾に創真さんに仕事を手伝わせる事にしたのですが、その中で自分と向き合って成長して行く彼に心惹かれてしまったんですの。
 きっと、わたくしが忘れてしまった何かを、彼が持っていたからなんでしょうね。
 ですが、彼が選んだのは空さんの方でした。
 彼は学校や家庭と言う閉鎖された環境から離れる事で、孤独の中で自分自身を支えてくれた人の大切さを身を持って実感したようです。
 そして、絆を取り戻した空さんと交わる事によって、創真さんの中に目覚めたものがNo.19太陽の大アルカナ…絶対破壊能力でした」
「まさか、一人の人間が二つの対極する能力を持つなんて…」
「最終戦を前にわたくしはお父様に真実を問いただして知る事となりました。
 新たな神を創り出す事はあくまで手段に過ぎない。
 双間創真が全ての大アルカナを倒した後、対極する能力を持つ二つの人格を統合する事で世界の破壊と再生を引き起す。
 そして、お母様が生きている世界を創り出す事こそ真の目的であると。
 それこそが双間創真の人格を二つに別けて、二人の娘をそれぞれのパートナーに付けた理由だったんですの。
 そうなれば双間創真のパートナーとしてわたくしは用済みであり、再構築された世界で好きなように生きろと言われました」
「姫は傷付いているって言うのに…、そんな言い方って無いよね…」
「わたくしは他の誰の代わりでは無く自分らしく生きたいと思っていたのに、何処まで行っても他の誰かの代わりでしか無かった。
 だからこそ、誰の代わりでも無く無条件で愛される空さんが許せませんでした。
 そして、強い憎しみを抱いたまま最終戦を迎え、わたくしは他に方法があったのに関わらず、激しい戦いの最中で創真さんを庇って自ら命を落としました。
 そうする事でわたくしを傷つけ続けたお父様と空さんに復讐し、創真さんの心を永遠にわたくしの物にしようと思ったんですの。
 それが全ての元凶であるNo.13死神の大アルカナが誕生した瞬間でした」
「世界を構成する因果…。死と輪廻の象徴であり、力の根源か…」
(ある意味で諸悪の根源と呼べるような女ですわね)
 竜斗は安室の話を聴いている最中に、姫がNo.13死神の大アルカナを卑下するような発言をしていた事を思い出す。
 姫は淡々と語っているものの、かなりの後悔を抱いているのだろう。
 だからこそ、姫にその話をさせるのは辛かったが、ここで逃げ出してはいけないと竜斗は心を強く保つ。

過去と現在

「自殺とも呼べる行為により完全に死んだはずのわたくしですが、時空を揺るがすかのような大地震によって目を覚ます事となりました。
 大きな揺れによって壊れてはいたものの、そこは慣れ親しんだ風見鶏の館であり、わたくしは何時もと変わらず自分の部屋で寝ていたのです。
 何が起きたか解らない状態のままベランダから眼下を見下ろすと、神戸の街の至る所から火の手が上がっていました。
 その惨状は忘れもしない1995年1月17日に見たものと寸分の違いもありませんでした。
 そう、お父様が次元の歪みと称したその日を境に、誰にも気づかれる事なく改変された世界が始まっていたんです」
「まさか本当に神を造り出し、世界を創り変えてしまうとは…。
 でも、姫を傷つけるような悲しい世界は創り変えられて当然だよ、あんな結末は絶対に認められないから…」
「ですが、それが本当の試練の始まりとなってしまったのです。
 わたくしは以前の世界での記憶を完全に引き継いでいましたから、世界がどう変わったのかを調べました。
 特に気になったのは双間創真と呼ばれていた少年の事でした。
 わたくしは彼の行方を探す為、お金にものを言わせて日本中の学生に対して適性試験を実施しました」
「適正試験ってひたすら単純な計算を繰り返したり、似たような文字を関連づけたりする奴だよな。確かに僕もやったけどあんなので何が解るの…?」
「本来は潜在能力を計る為のものですが、結果の善し悪しに関係無く傾向を統計する事で深層心理…、もっと言うと魂の類似性を調べる事が出来るんですの。
 双間創真はお父様とお母様の遺伝子から産まれ、わたくしと近い魂を持っていましたから、データを比較すればどうと言う事は無い作業でしたわ。
 その結果、三人の子供がピックアップされました。
 まず始めに実の妹である旭陽空。
 二人目は神戸でお父様の子飼となっている孤独な少年…青海奏真。
 そして、東京のごく普通の家庭で優しい心を育む少年…走馬竜斗ですわ。
 そう、かつての世界で二つの人格を持った双間創真と言う名の少年は、この新しい世界において別々の心と身体を持った二人の少年へと転生していたんですの」
「まさか、僕と奏真先輩が元々一人で、しかも姫や空の兄妹とも言えるような人造人間だったなんて…」
 竜斗は姫が遠い親戚のようなものだと名乗っていた事を思い出した。
「念のために貴方達二人の遺伝子を調べてみましたが、互いの間と旭陽家には血の繋がりは無く、双方共に人造人間特有の欠陥も全く有りませんでした。
 その上で青海奏真は人造人間特有の超人的な能力を全て受け継いでいましたわ。
 人間を超越する力を有しながらも欠陥が無いとは、まさに究極と呼ぶに相応しい存在ですわね」
「じゃあ、僕は…?」
「竜斗さんは遺伝的に見れば一切の優位性が無い凡人でしたわ」
「まぁ、そんなもんだよな…」
「ですが、わたくしはそんな貴方が大好きですわ。
 青海奏真が人を超越した素晴らしい能力を受け継いだように、竜斗さんは大切な人を思いやる素晴らしい心を受け継いでいるんですから。
 そして、貴方はその優しさで、わたくしに代わって世界を維持すると言う責任を背負って下さいました。
 わたくしは貴方のその気持ちが嬉しくてたまりませんわ。
 もっとも、お父様は貴方の素晴らしい心をNo.20審判の大アルカナと呼び、大アルカナを産み出す力として計画に利用しているのが悲しい事ですが…」
「でも、姫が苦しむ原因となったものを肩代わりする事が出来て本当に嬉しいよ。
 まぁ、無意識に世界を変える力があるとか、世界を維持する役目だとか、突然言われても何をして良いか解らないけどね…」
「誰だって生きているだけで世界を支え、多少なりとも変え続けて行くものですけど、貴方の場合は他の人より多少範囲が広く影響力が強いだけですわ。
 だから、貴方は何時も通り前向きな気持ちで、健やかに暮らしていれば良いと思いますわよ。
 そうすればみんながみんな笑顔になって、幸せの輪が広がって行きますから」
「…それはある意味責任重大だね」
 竜斗は場合によってはありとあらゆる物を捨てる覚悟をしているだけに、寝耳に水のように聞こえた。
「こうして世界は再構築されましたが、お父様の念願であったお母様の復活は成し遂げられなかったようです。
 そして、新たな実験が開始される事となりましたの。
 神の器が二人に別れてしまった為、対極する二つの大アルカナの力を融合させる手段としてトーナメント形式が採用されました。
 そして、空さんが大アルカナを巡る戦いに巻き込まれ、わたくしが日常を送ると言う立場が逆転した構図になっている事も違いでした」
「それで姫はその間どうしてたの?」
「心を痛めるような戦いには関わらないに越した事はありませんから、東京で仕事を営んでアルバイトとして雇った貴方と共に幸せな時を過ごしました」
「みんなが幸せになれればそれで良いと思う…。だけどそんな都合が良い事なんて無いから、今も同じ事を繰り返そうとしているんだろうね…」
「ええ、結論から言うとわたくしは、最初の世界で命を落とした1999年7月31日を超えて生き続けられる事はありませんでした。
 お父様はサングラスで涙を隠しながら、世界の破壊と再生を繰り返しました。
 わたくしが生きていられる世界を維持し続ける為に。
 わたくしが生き続けられる世界を何時か創出す為に。
 ですが、わたくしは事故や突然の病気、他にもありとあらゆる原因によって死に続けました。
 そして、空さんはわたくしの代わりに宿業を背負わせれ、永遠に心を痛め続けるような戦いを繰り返していました。
 お父様は中途半端にしか記憶を保持できませんので、反省を活かして世界を変える事も出来ませんですし、後悔だけが積もり続けて相当苦しんだ事でしょうね」
 姫は繋いだ竜斗の手を強く握りしめた。
「姫…」
 俯いた姫の表情は伺い知る事が出来なかった。
「わたくしは貴方と共に破壊と再生の狭間で幸せな時を送り、その間にお父様や空さんは永遠に苦しみ続ける。
 それがわたくしの望みが叶った世界だと本気で思っていました。
 ですが、永遠に同じ事ばかり繰り返される世界の中で、記憶を保持し続ける事は苦しみへと変わって行ったのです。
 人は先が解らないからこそ希望を持てるのです。
 どんな時にも終わりがあるからこそ、今を耐え抜いて生きられるのです。
 絶望を超える絶望の果て…、わたくしは考えつく限りの残酷な方法で自分自身を殺し続けました。
 しかし、次の瞬間には何事も無かったように新しい世界で生き返ってしまうのです。
 生きる希望も無く死ぬ事も出来ないわたくしは、ただ怠惰に時間を貪るだけの存在と化してしまいました」
 その言葉は特別重く姫の味わった絶望は計り知る事の出来ないものであった。
「なんで、誰にも助けを求めなかったの…? 何処の世界の僕でも事情を知れば絶対に姫の力になったと思うのにっ…!」
 竜斗は姫が苦しんでいる時に頼られる事が無く、平然と暮らしていたであろう前世の自分自身が不甲斐なく思えた。
「誰にも言えなかったんですの。
 前世の因果を知り永遠と転生を繰り返すわたくしは、現世を生きる人々の運命を捩じ曲げ、自然の摂理に反する亡霊のような存在だからです。
 心の弱い人間ではわたくしを記憶に止める事は出来ませんですし、無理に覚え続ければ精神が蝕まれる事となります。
 心が強い人間でもわたくしの話を聴き前世の因果を知る事となれば、反作用を受けて原因不明の病に倒れてしまいますからね」
 奏真は過去に前世との繋がりを感じさせる謎の少女…、おそらくは姫を東京で見かけた事があったが、その時の記憶が曖昧になっていると話していた。
 また、血を別けた姉妹なのにも関わらず、空は姫と再開した際に記憶を思い出す事が出来ず涙を流していた。
 そして、その段階で姫は自分自身の事を亡霊と称して接触する事を避けていた。
 なにより、姫は無節操に淑女に質問するのは紳士として無粋と言い、竜斗に教える情報を段階的にコントロールしていた。
 その話を聴いた瞬間、色々と納得する事が出来た。
「だから、僕が反作用を克服出来るだけの陰陽の気を身につけるまで、姫は自分の話をしなかったんだね…」
「もしくは空さんや夕鶴さんのように因果を受け入れるか、聖蘭さんや安室さんのように因果律を覆す能力を持っても同じですわ。
 でも、当時はそんな人は居ませんでしたからね。
 次第に食事をする気力すら無くし餓死するのを待つ事にしました。
 ですが、身体の何処かに生きようとする本能のようなものが残ってたんでしょうね。
 意識を失っている間に屋敷中の食べ物を漁り続け、気がつくと洗面所で固形石鹸を貪っている自分自身を鏡で見つめていました。
 そして、自分が醜く歪んだ何かへと変わり果てていた事を初めて知りました。
 長い髪の毛は無惨にも抜け落ち、顔はからからに乾涸びて皺だらけで、深く落ち窪んだ眼窩から飛び出した目は昏く、一切の生気を感じさせませんでした。
 一糸まとわぬ身体は一体何処に筋肉や内臓等の重要な器官があるのかと思うほど痩せ細り、ぶん殴れば軽々とすっ飛びバラバラに砕けてしまいそうでした。
 干し柿のような垂れた乳と、大きな骨盤、外性器の形状等から性別が女性である事は確かでしたが、まさかそれが自分とは思えませんでしたわ。
 以前倒した妖怪・餓鬼にそっくりで、その雌としか言いようがない姿でしたから」
 下ネタを織り交ぜつつ戯けて言うが、それがかなり辛い事であった事は確かだ。
「笑えないって…!」
 そう言い竜斗は苦笑する。
「わたくしは誰よりも美を愛していましたから、そんな姿になってしまった自分が許せず、歩く事すらままならない身体で屋敷中の鏡を割って回りました。
 そして、再び空腹で昏倒し意識と無意識の狭間で自己嫌悪を繰り返し、わたくしは気付く事となりました。
 あれ程、自分自身で有り続けたいと思ったのにも関わらず、何時の間にかに環境に負けて自分自身を失っていたと言う事に。
 そう、わたくしは幾ら戦闘能力の強さを身につけ驕り高ぶろうとも、本当の強さを身につけてはいない弱い人間だったんです。
 だったら単純な事ですわ。
 弱くて負けてしまっていたならば、強くなって勝てば良いだけですから。
 それからわたくしが本当の強さを身につけ、環境に打ち勝つ為の戦いが始まりました」
「結局、そこに来て実力行使か…!? でも、なんか凄く姫らしくて良いな…!!」
 竜斗はなんだかたまらなく嬉しくなって目に涙を滲ませた。
「死ぬ事が出来ないからこそ追いつめられてしまったのは事実です。
 でも、決して死ななかったからこそ、泥を啜ってでも生き続けようとする本能が目覚め、前向きな気持ちを取り戻す事が出来たんですわ。
 だから、わたくしは日々の生活を改めて、生きる事を大切にするようにしたんですの。
 目的意識をもって朝を起きる。
 しっかりと食事を取る。
 出すものを出す。
 やるべき事に一生懸命取り組む。
 疲れて壊れそうになったら休んで英気を養う。
 その繰り返しの中に楽しみを見いだし、苦しみの中には意味を見いだし、わたくしは長い時間を掛けて様々な事を学びながら本当の強さを養って行きました」
「美化する事も出来ない辛い思い出もあったと思うけど、そうやって姫が学んだ事を教えてくれたからこそ今の僕があるんだね…! なんだか凄く嬉しいよ…!」
「そう、貴方はどの世界でもわたくしの言葉を真剣に聞き、ただそれを鵜呑みにするだけではなく、しっかりと噛み締めて自分の力として活かしてくれました。
 その結果、始めは優しいだけで頼りなかった貴方も、次第に逞しく成長するようになって行ったんですの。
 わたくしは気付きました。
 自分自身の愚かさと言う因果を受け入れて学び、それを活かして貴方を本当の強さへと導き、今の世界を生きる人々を助ける事がわたくしの使命であると。
 そして、そうする事で世界の再構築などに頼る事なく、本当の意味で世界を良い方向に変えて行く事が出来ると」
 姫は竜斗に優しくも強い視線を送る。
「それは同時に僕の使命でもあるんだね…!」
 竜斗はそれに対して力強く返した。
 竜斗は正直自分がそんな大層な存在では無いと解っていた。
 でも、姫は竜斗が能力的には凡人である事を認めつつも、そんな表面的なものでは計れない何かを持ち、世界を救う存在であると本気で信じていた。
 それなのに無理に自分自身の価値観を押し付ける事なく、竜斗が自分自身の意思で成長するのを見守り続けた。
 だから、竜斗は彼女の気持ちを大切にしたかったのだ。
「そして、それは世界の輪廻と再生を望む創造神たるお父様と決別し、破壊神となるべく運命を背負わされた少年…青海奏真と対決する事を意味しました。
 大アルカナ、小アルカナ、古武術の知識を持つわたくしであれば、長い時間をかけて貴方を鍛え上げて青海奏真をも凌駕する戦闘力を持たせる事は十分に可能でしたわ。
 でも、それでは貴方らしさが失われてしまいますの。
 貴方の良い所は人の為に一生懸命になる事が出来る優しさですわ。
 だから、わたくしは貴方にしか出来ない戦い方をして欲しかったんですの。
 それは、わたくしと竜斗さんが平和な暮らしを営む事の犠牲となり、報われない戦いを繰り返す空さんと奏真さんを救う事。
 そして、わたくしを愛するが故に苦しみ続けるお父様を止め、彼らを宿業から解放する事が貴方にとって本当の勝利だと思ったんですの」
「そうだね、それが僕らしいよ…!」
 竜斗は自分の個性を尊重して良い所を伸ばしてくれる姫の気持ちが嬉しかった。
「わたくしはその時の為に下準備をする事にしました。
 それはお父様が青海奏真の能力を目覚めさせ、空さんに死の呪縛を植え付ける為のシナリオに介入し、彼らの絆を従来より一歩進んだ状態にする事ですわ。
 そうする事が何時か貴方が彼らを救う為の足がかりになると思ったんですの。
 何よりもわたくしは空さんへの嫉妬心や、あの人の力と孤独を引き継いだ青海奏真への未練を捨て、自分自身の罪と向き合いたかったのかも知れませんわね」
 どれだけ時間が経とうとも、どれだけ成長して大人になろうとも、人は簡単に過去を吹っ切れるもので無い。
 きっと、姫も葛藤を繰り返した末に勇気を振り絞った事であろう。
「頑張ったね…、姫」
 竜斗は姫の気持ちを想像し、その小さな手を優しく握る。
「でも、安室さんがわたくしの事情を聴いて協力者になってくれた事。
 そして、青海奏真すら超える力を持つ聖蘭さんが、わたくしを監視する立場となった事はまるっきり予想外でしたが。
 イレギュラー要素を警戒するお父様の修正案である事は確かなんですけど、何かそれ以外の意味もあるような気がするんですの」
「なんだろう…? なんか嫌な予感と、良い予感が入り交じったような…。ようするに良く解らない感じだ…」
 竜斗は気を学び理を読み取る力を身につけていたが、この件には複雑な因果がからんでいるらしく、混沌とした印象を受けるだけだった。
「そして、トーナメント前日になって貴方を呼び出しました。
 本当はもっと早く呼び出して入念に鍛え上げたかった所ですが、聖蘭さんに監視された状況下でそれをすれば、確実に対策されて打つ手が無くなる恐れがありましたから。
 貴方は素晴らしい心をお持ちでしたが、当然それだけで勝ち進められるほど現実は甘くはありませんでしたわ」
「宝塚さんに負けたんでしょ…?」
 あれは竜斗の実力を考えると初見では絶対に勝つ事が出来ない戦いであった。
 今になって思い返してみれば、記憶を引き継いだ姫が根回しして、外堀を埋め尽くしてくれたからこそ勝てたようなものだった。
「具体的に何が起きたかは想像におまかせしますわ。
 因果とは本来自分自身の力で学びながら向き合うものなんですの。
 幾ら貴方とは言え前世の因果を知り過ぎれば、大きく運命が狂い克服する事の出来ない反動を受ける事となりますから。
 ただ、最初に挑戦した際は見事に途中敗退して、世界が再構築されるのを防ぐ事は出来なかった事は事実ですわ。
 ですが、その時わたくしも予想だにしなかった事が起きました。
 世界の輪廻がトーナメント前日である1999年7月12日から、最終日である1999年7月31日までの間を繰り返すようになっていたんですの。
 完全に記憶を保持する事が出来ないお父様はその事に気付いていないようでした。
 おそらく世界が輪廻する事となった因果を少しずつ解決して行った事により、世界が呪縛から解き放たれようとしているのでしょうね」
「…」
 竜斗は何も言えなかった。
 それは同時にある事を意味していたからだ。
「そして、何度も失敗を繰り返しながら少しずつ歩み続け、あと一歩と言う所でわたくし達は失敗してしまいました。
 この輪廻する世界を構成する最大にして最後の因果に打ち勝つ事が出来なかったんですの」
「…」
 竜斗は押し黙る。
「そして、再びトーナメント前日に戻った世界に貴方は現れず、貴方が不在のトーナメントが何度も何度も繰り返される事となりました。
 きっと、わたくし達には時間が必要だったんでしょうね。
 貴方の魂が因果と向き合う覚悟を決める為の時間が、わたくしには貴方が因果に打ち勝つ方法を模索する時間が。
 ですが、貴方と会えない時間を過ごす中、わたくしの老化は一気に進んで行きました。
 空さんと奏真さんに対して罪滅ぼしをした後から身体の変化はあったのですが、とうとう精神にも限界が訪れてしまったみたいでしたの」
 竜斗は昨日姫が話していた事を思い出す。
 姫は竜斗の居ない場所で植物のような状態と、猛獣のような状態を繰り返すようになったと言っていた。
 それは人として当たり前の事であった。
 生きると言うことは良くも悪くも変わり続ける事であり、経験を重ねる事で人は成熟されて行くが、一方で新鮮な気持ちを失い老いへと近づいて行く。
 姫であってもそれは例外では無いだろう。
 むしろ、同じ時を繰り返し続ける世界に300年も閉じ込められ、今まで自分自身を保ち続けて来た事の方が驚愕であった。
「あと一歩と言う所まで来て貴方を残してボケるなんてマヌケにも程がありますが、だからと言って我が身の不憫さを嘆き、偶像に祈りを捧げても何の解決にもなりません。
 そんな時こそ実力行使ですわ。
 そう、自分自身の限界と戦えば良いんですの。
 わたくしは古今東西の健康法を研究して臍下丹田式呼吸法…、すなわち陰陽の気へと辿り着きました。
 それは天啓のようなものだったのかも知れませんわね。
 わたくしの中で陰陽の気と幼い頃に習った古武術、繰り返される世界の中で学んだ生活法や心の在り方、日本古来の伝統など様々な知識が一つに融合して行きました。
 そうやって産まれたものが貴方が本当の強さを貫き、この世界を良い方向へと変えて行く為の力…新武芸ですわ」
 姫は強かった。
 どんな時でも自分自身を貫いていた。
 しっかりと現実と見据えて前向きに立ち向かっていた。
 以前、姫は運命に殉じる人の背中を押す追い風の話をしていたが、姫こそまさにそれを体現しているかのようだった。
 竜斗自身その風に乗らなければならないと言う事は解ってはいたが、残酷な答えを出すのが辛くそれ以上考える事は出来なかった。
「そして、貴方が現れない世界が続くこと182回。
 最後にトーナメントに挑戦した時から約十年の歳月が流れ、奇しくも新武芸が完成すると同時に貴方は再びわたくしの前に現れ、素晴らしい心を見せて下さいました。
 正直見守る事しか出来ないのが辛い時もありましたが、貴方は自分自身の優しさを貫く為に数々の試練を乗り越えて行きました。
 そして、貴方はわたくしと対等な強さと力を持った大人の男へと成長し、互いの心と身体を重ねて思い出を作る事も出来ました。
 長い旅の果てに貴方と再び廻り会い、肩を並べて同じ時を過ごす事が出来た。
 こんなにも幸せで嬉しい事などありませんわ」
 異人街を巡る小さな旅路は回帰し、風見鶏の館前の北野町広場に戻って来ていた。
 空はますます暗く重くなり、今にも雨が降り出しそうな雰囲気だった。
「わたくしのお話はこれでおしまいになりますが、そこから何を学びどんな答えを出すかは貴方自身が決める事ですわ。
 貴方から考える権利を奪ってしまったら、貴方は自分自身を…、本当の強さを失ってしまいますから。
 例え貴方がこれから先にどんな道を選ぼうとも、わたくしは残された命の限り共に歩み続けますわ。
 わたくしは貴方と一緒に居られればそれだけで幸せですから」
 姫は竜斗の両手を握り向かい合う。
「…」
 竜斗が沈黙してからどれ程の時間が経った事だろうか。
 ポツリ、ポツリと大粒の雨が二人の肩を優しく叩くと、竜斗は魂に蓄積された積もりに積もった感情を吐き出す。
「僕は姫が好きだ、好きで好きでたまらない…。
 姫の気持ちを無視する事になっても…、他の誰かを犠牲にする事になっても…、ずっと一緒にいたい…。
 ずっと生きていて欲しい…、僕を一人にしないで欲しい…、僕の気持ちを無視しないで欲しい…。
 でも、結局、姫の気持ちは無視出来ないし、姫が悲しむから他の人だって犠牲にする事は出来ないんだ…。
 姫が本当に大好きだから…」
 竜斗は姫を抱きながらすすり泣く。
「よく…、辛い現実と立ち向う勇気を持って下さいましたね…」
 姫は震える竜斗を宥めるように、雨に濡れた少し伸びた髪を撫でる。
「死とは簡単には受け入れ難いものですわ…。
 ですが、それは決して避けられない誰もが通る道であり、人生とは死と向き合いながら歩き続けるものだと何時か知る事となりますわ…。
 そして、自身を取り巻く世界は止めどなく変わって行き、やがては取り残されてしまう時がやって来ます…。
 わたくしは愛する人に祝福されるような死を迎える事こそ、人生をまっとうする事だと思うんですの…。
 もし、自分から命を投げ出したり人を傷つけるような人生を送れば、生者の念や未練に縛られて決して魂が報われる事はありませんから…」
 姫の声は掠れていた。
「姫…」
「人は人生をまっとうする事で、魂を次の世代に引き継ぐ事が出来るんですの。
 本当の意味で自分自身を失ってしまったわたくしですが、貴方に祝福して頂ければ本当の意味で生まれ変わる事が出来ます」
 姫は自分自身の涙を拭うと、力強く竜斗を抱き締める。
「だから、決して哀しみや孤独に負けて、自分自身を失ってはなりませんわよ。
 貴方が本当の強さを貫きながら生きるならば、わたくしは貴方の中で力として活きる事が出来ますから。
 そんな本当の強さと力を持った貴方であれば、自分に出来る事をしっかりと考え、どんな困難だって乗り越えられますわ。
 例え失敗して傷付いたとしても、前に進む気持ちを失わないで、そこから何かを学びながら最後まで歩き続けて下さいな。
 そして、どんな形でも良いので貴方が生きた証をこの世に遺し、誰かに祝福されながら旅立つ事が出来れば、長い輪廻の旅の中で再び廻り会えるかも知れませんわ。
 もし、もう一度生まれ変われたなら全力で貴方を探しますから、これから先は泣かないで笑っていきましょう」
 そう言い、竜斗の涙を拭い微笑む姫。
「生まれ変われる保証なんて無いのに、本当にずるいよな姫って…」
 竜斗は自分の頬に触れる姫の手を撫でながら苦笑する。
 不思議と姫を憎む事は出来なかった。
「わたくしは貴方の気持ちを利用するずるい女だと自分でも思いますけど、それが貴方が好きになったわたくしなんですから許してやって下さいな」
 そして、竜斗は止めどなく涙を流しながらも笑う。
「ふふっ、空にも同じような事言って怒られてたよな…。でも、約束だよ…。僕は最後まで本当の強さを貫き通すから…。だから、絶対にまた会おうね…」
 竜斗は姫に向かって小指を突き出す。
「ええ、指切りげんまんですわ。出来なかったら鼻でパスタでも何でも食べて差し上げますから」
 二人は小指を重ねては指を切った。
 こうして、重く冷たい雨が降りしきる中で最後の朝を迎える。
 しかし、その雨は涙に濡れた頬を洗い流し、まるで竜斗の心を浄化しているかのようだった。

其々の成長

 ザーザーと屋根を打つ雨音が風見鶏の館に響く。
 何時もならば東向きの窓から射し込む温かい朝の光に包まれる朝食の間も、この日ばかりは薄暗い印象だった。
 食卓に座って食前のコーヒーを飲んでいるのは屋敷の主である香夜姫こと旭陽月夜、恋人である走馬竜斗、彼女の妹である旭陽空の三人だ。
 姫は黒いゴスロリ衣装、竜斗は以前の学校の学生服と言った普段通りの格好だが、空は珍しく白いゴスロリ衣装を着用していた。
 竜斗は空をまじまじと見つめながら言う。
「どうしたの、その格好?」
「えへっ、お姉ちゃんが昔着てた服を貸してもらったの! 可愛いでしょ!?」
 黒い衣装の姫と並んでいると、愛らしい人形の姉妹のようだった。
「ああ、まるで姫のツーピーカラーみたいで凄く似合っているよ。色違いの双子みたいにそっくりって事さ」
 竜斗は精悍な顔つきで微笑んだ。
 言っている事は相変わらずだが、今までの子供っぽさが信じられない程に逞しく凛々しい印象であった。
 空は竜斗の中に大人の異性を感じて顔を赤らめる。
「えへへっ、ありがとっ! なんか、竜斗って少し前は弟のように頼りない感じだったのに、急にお父さんみたいに頼もしい感じになったよね!!」
「ちぇっ、僕もお兄ちゃんって呼ばれたかったのに、それを通り越してお父さん扱いかよっ…! まぁ、空のお陰で少しは大人になる事が出来たのかも知れないね」
「ええっ、わたし竜斗を大人にするような事してないよぉ! まさかわたしが寝てる間にエッチな事してないよねっ!?」
「ち、違うって…! 空の言葉に助けられたってだけなのに、なんでそーなるのっ!?」
 竜斗は思わず吹き出す。
「だって、エッチすると成長するって言ったの竜斗だよ…!」
「確かに言った…! 言ったけどさ、何でもかんでもソッチ方面に考えるのはどうかと思うよ…!!」
「ふふふっ、可愛いお顔をして四六時中スケベな事ばかり考えているとは、流石は美しき野獣たるわたくしの妹ですわね」
「もう、お姉ちゃんまでそんな事言わないでよぉ!!」
 空は顔を真っ赤にしながら手をブンブン振り回す。
「ふふふっ、恋人がありながら他の男性に淫らな妄想をするとは、最早わたくしを凌駕するスケベと言っても過言では有りませんわよ」
「良かったな空、姫を超えられたってさ!」
「そ、そんなの嬉しく無いもんっ!!」
 そこにカートに朝食を入れた執事姿の安室が現れる。
「お待たせしました」
「ご苦労さまですわ。突然の事で有り合わせの食材も無いような状態で大変だったんじゃありませんこと…?」
「ええ、この屋敷に出入りしている業者さんに頼んで食材を配達してもらったんですよ。
 ただ、何時もの淡路島産の卵だけは手配する事が出来なかったので、仕方無く他のもので代用してますけど…」
 料理を配り終わると安室は会釈して下がる。
「あら、よくこの屋敷で使っている業者さんや食材の事を知ってましたわね。しかも、盛りつけの仕方や味付けも聖蘭さんと殆ど変わらないようですわ」
 姫はフォークとナイフを使い料理を口に運び舌鼓を打つ。
「うん、暫く聖蘭さんが居なかったから、この味は久々って感じだね!」
 竜斗もその味に感動する。
「でもこれって、何時も安室さんが私のお家で作ってくれるお料理と同じだよ!」
 空が興奮したように言う。
「それは同じで当然ですよ。
 ボクと聖蘭は使用人としての訓練を一緒に受けているので料理の基本を同じくするってのはあります。
 でも、それだけじゃなくて旦那様によって使用する業者さんや食材、レシピまで指定されているんですよ。
 きっと、旦那様はお料理の事を相当勉強なさっているんでしょうね」
「そっか…、離れてても一緒のご飯を食べてたんだね…! なんか、家族として繋がっていられた気がして嬉しい…!!」
「お父様ったら、 わたくしと同じで料理なんて全く出来なかったと言うのに…」
「二人のお父さんは言ってたよ、二人の娘が幸せに暮らして欲しかったって。
 きっと、全ての原因となった実験を開始したのも、姫を重荷から解放して幸せになって欲しかったからだと思うんだ。
 でも、不器用だからやる事なす事が悪い方向へ転がり、最後のチャンスで優しい言葉をかける事が出来ずに最悪な結末を迎えてしまった。
 その事を後悔しているからこそ、姫を戦いから遠ざけて守る為に聖蘭さんを送り込んで、彼女を通して家族の暖かみを伝えたかったんじゃないかな」
 竜斗は姫を優しく見つめながら言う。
「だったら、始めからそう言って下されば良いのに…。まったく、男性ってどなたもこなたもお馬鹿さんですわね…」
 姫は突然の事にどうして良いか解らず困惑している様子だった。
「なんか、男性を代表してすみませんって感じですっ…!」
 安室は意味も無く身を震わせて頭を下げた。
「お姉ちゃんだって本当は嬉しいんでしょ…!?」
「嬉しいに決まっているじゃありませんか…!」
 そう言う姫の瞳は涙で潤んでいた。
「そうだよね…!!」
 そんな姫に空が抱きつく。
「あらあら、お食事の時にはしたないですわよ…」
「だって、仕方ないもんっ…!」
「良かったね、二人とも…」
 そんな二人の様子を見て竜斗は涙を流した。
 しかし、そんな優しさに包まれた時の中で竜斗は突然胸が苦しく、背筋が凍るような何かを感じる。
「ふふふっ…、こんな最後になって家族の暖かみを取り戻せるなんて…、幸せ…、です…、わ…」
 次の瞬間、姫は空にもたれかかる。
「お姉ちゃん…!!」
 空はバランスを崩しそうになりながら姫の身体を受け止める。
「姫っ…!?」
 竜斗は慌てて駆け寄り、空を助けて姫の身体を支える。
「大丈夫ですか、お嬢様…!?」
「ええ…、寝不足で少し…、眠いだけです…、から…」
 そうは言っても姫の顔は何時にも増して真っ白で生気を感じさせなかった。
「安室さん…。悪いですけど…、寝室まで…、運んで下さいな…」
「はい、解りました…」
 安室は姫を抱え上げて彼女の部屋へと運ぶ。
 そして、姫をベッドに下ろして布団を掛けると、後から付いて来た竜斗と空が心配そうに彼女の顔を覗き込む。
「ごめんね…、わたしがお姉ちゃんの事考えないで、朝まで付き合わせちゃったから…」
「ふふふっ…、わたくしも久々に姉妹水入らずの時を過ごせて…、本当に楽しかったので…、気にしないで…、下さいな…。
 まぁ…、夜更かしは美容の大敵ですし…、老体にも響くので…、極力避けたい所…、ですけどね…」
 そう言って笑う姫。
「お姉ちゃんの馬鹿っ…」
 空は涙を流しながら微笑み返す。
「竜斗さんも少し寝るだけですから…、そんなに心配しなくても…、結構ですわよ…。決戦の時間までには絶対に…、起きますから…」
「そんな事を心配してるんじゃないんだけど…」
「それより…、わたくしが寝ているからと言って…、朝の練習をサボっちゃ駄目ですわ…よ…」
 竜斗はそれ以上何も言う事が出来なかった。
「安室さん、わたくしの代わりに…、竜斗さんの力になってあげて…、下さいな…。頼みますわよ…」
「はい、全力で勤めさせて頂きます…!」
 安室は感動して自分の拳を強く握りしめる。
「では…、おやすみ…、なさい…、です…わ」
 そう言うと姫は事切れるように意識を失い、穏やかな表情を浮かべながら眠りについた。
 大好きな人形達に囲まれながら、微動だにせずに眠る姫はまるで等身大人形のようで、竜斗達は言い知れぬ不安に駆られた。
 竜斗が姫の口元に耳を傾けると僅かに呼吸の音が聞こえて、ほっと胸を撫で下ろす。
「良かった…、生きてる…」
「竜斗の馬鹿…、そんなの当たり前だよぉ…」
 そう言う空も安堵の表情を浮かべていた。
 しかし、小柄な身体に不釣り合いなぐらい強靭な横隔膜を持つ姫からすると、信じられない程に呼吸が弱々しく感じた。
 竜斗はそっと彼女の手を握るが、殆ど体温を感じられず冷たかった。
「一体、どうしちゃったんだよ、姫…」
「解んない、でも気持ち良さそうな顔してるね…」
 空は微笑みながら姫の頬を撫でる。
「ひょっとしたら、旦那様の仰っていたお嬢様の運命に関係あるのかも知れませんね…。もっとも、それが本当の事なのか定かではありませんけど…」
「本当の事だって姫は言ってたよ…」
「うん…、わたしも聴いたよ…。 どんなに世界を改変したって運命は変える事は出来ないって…」
 空は竜斗と同じように、昨晩姫の話を聞いていたのだろう。
「僕は…、僕はこれ以上姫を苦しめたく無い…。
 だから、この計画を阻止して別れを受け入れようって覚悟したけど…、やっぱり胸が苦しいもんだね…。
 姫ともう泣かないって…、これからは笑って行こうって約束したのに…」
 そうは言ったものの竜斗は涙が零れるのを止める事が出来なかった。
「人生で避けて通れない事って沢山あると思うの…。
 例えば朝起きること、食べること、出すこと、夜寝ること、それから好きな人と一緒にいること、毎日当たり前のようにやっている事を自分から楽しむと幸せだよね…。
 それと同じように本当に辛い事こそ、前向きに向き合って楽しみを探すと良いと思うんだ」
「でも、大切な人の死だよ…、そんなに簡単には行かないよ…」
「どんな時にも終わりが来るのは仕方ないけど本当に辛い事だよね。
 だけど、その時に後悔しないように今を大切にしながらめいいっぱい生きて、やり切ったって自分の人生に満足しながら終われたら幸せだなぁって。
 お姉ちゃんの寝顔を見てると、そう言う人生を送って来れたんだって思ったの」
 空は竜斗に向き合ってニッコリ微笑む。
 その輝くような心の強さに竜斗は姫の面影を重ねる。
「空…」
「空ちゃん…」
 かつて、血を別けた姉妹のすれ違いは姫を死に追い込み、世界改変にまで至った因果の一つとなった。
 だが、改変された世界で空は姫の代わりになり、前向きに運命に向き合い続けたからこそ、誰よりも姉の事を理解する事が出来るようになったのかも知れない。
 そう思うと竜斗は感動を禁じ得なかった。
 安室は中学生の時から見守り続けた空が成長した事を喜び、目頭を抑えながら鼻水を啜る。
「だけど、まだお姉ちゃんに残された時間が終わったわけじゃないよね。
 長くは無いかも知れないけど、まだまだ残っている。
 だから、最後の最後までその幸せを守ってあげたいし、心残りが無いようにもっともっと幸せにしてあげたいって思うんだ。
 大切な人を楽しませて幸せにすれば、自分も楽しくて幸せになれるから。
 でも、最後の最後で本当にお姉ちゃんを幸せに出来るのは、お姉ちゃんが誰よりも大切に思っている竜斗だけだよ。
 だから、竜斗にはお姉ちゃんに残された時間を一緒に楽しんで欲しいの…! ううん、楽しんで行こうよ…!!」
 さっきは冗談で空のスケベが姫を超えたと言っていたが、本当に空は姫を超えた自分だけの強さを身につける事が出来たのかも知れない。
「ああ、そうだね…!」
 竜斗は涙を拭き取って目を輝かせながら拳を強く握る。
「でも、その前に聖蘭を倒して計画を止めるのを忘れないで下さいよ…!」
「もう、安室さんったら、心配なのは解るけど今言わなくても良いじゃない…!!」
 空は腰に手を当ててプンプンと怒る。
「それなんだけどさ、空のお父さんや聖蘭さんと掛け合って、戦いの時間を早めてもらえないかな…?」
「それぐらい出来ると思いますけど、どうしてです…?」
「姫はね…、何時も僕が戦いで傷つくのを見て本当に辛い思いをしていたんだ…。
 だから、姫が幸せな気分で寝ている間に戦いを片付けられたら良いなって…、そう思ったんだ…。
 それに、姫の力を借りずに聖蘭さんを倒して、これから先も僕が強く生きられるって事を証明すれば安心して旅立てるよね…」
 竜斗は姫の寝顔を見て優しく微笑みながら言う。
「竜斗…」
 空は昨日の戦いで竜斗を庇って聖蘭との一騎打ちに挑んだ姫の姿を思い出し、その大きな瞳を潤わせる。
「ですが、聖蘭はそう簡単に倒せる程甘い奴じゃありませんよ…。
 アイツは…、アイツは大切な人の為ならば心を捨て、自ら鬼になる事を厭わない本当に恐ろしい奴です…。
 ボクはアイツが本当に怖いし、本当に哀れで仕方ありません…」
 安室は昨日始めて知った聖蘭の本質を思い出し身震いする。
「それに竜斗一人で頑張っても、わたしみたいに失敗するだけだよ…」
「そう、僕一人の力じゃダメだから、みんなの力を借りたいんだ…! 僕を…、僕達を助けてくれないか…!?」
「うん、一緒にがんばろっ…!」
「ボクも全力で力になりますよ…!!」
「じゃ、安室さんには早速手伝ってもらう事にしよう…!」
 竜斗は姫を思わせるような邪悪な笑みを浮かべ、安室は嫌な予感がして背筋をゾクゾクと震わせた。

「竜斗くんの力はその程度ですかっ…!?」
「くっ…!!」
 安室は完成された大アルカナの力を発動し、空中に冷気を伴った槍を無数に出現させ竜斗へと襲いかかる。
 竜斗は陰陽の気を練り込んで精神力と身体能力を強化し、かすり傷を追いながらも間一髪かわし続ける。
「こんな本当の戦いみたいな特訓なんて危ないよぉ!!」
 竜斗は雨の降りしきる県立高校のグラウンドで、聖蘭と同等の力を持った安室を相手に実戦さながらの特訓を行っていた。
 わざわざ車で学校まで移動したのは、狭い風見鶏の館の室内では空中に武器を具現化する大アルカナの実力を十分に発揮出来ないからだ。
「何も対策しないで聖蘭さんに勝てるわけなんて無い…!! 例え無茶でも、ほんの少しっ…!! どんな事でも良いからヒントを掴みたいんだっ…!!」
「でもぉ…!!」
 しかし、傘をさし二人を見守る空が心配するのは無理は無い。
 安室の攻撃によって空爆後のように穴だらけになっており、夏だと言うのにグラウンドの水たまりは凍り付き、安室の周囲は雨が雪へと変わっていた。
 その異常な光景は完成された大アルカナの能力の強さを物語っていた。
 そんな攻撃を受けたら自我領域を持たざる竜斗なんて粉々になってしまうだろう。
「その通りっ…!! 能力は同等ですが聖蘭はボクに無い変幻自在な戦闘センスを持っていますっ…!!
 つまり、ボクに対抗出来ない限り絶対に勝ち目はありませんからっ…!!」
 再び無数の槍を出現させて竜斗に攻撃を仕掛ける安室。
 幾ら攻撃を読む事が出来ても避けるのが精一杯で、胡蝶刀が有効な間合いまで詰める事は出来なかった。
「くそっ…!! 間合いに関係無く空間から攻撃されると、手も足も出ないじゃないかっ…!!」
「竜斗っ…!! お姉ちゃんは聖蘭さんを相手にしてちゃんと戦っていたよっ…!! だから、竜斗にも出来るはずだよっ…!!」
 竜斗の脳裏に昨日の姫と聖蘭の戦いが蘇る。
 あの時、姫は無数の武器や格闘術を使い分け、聖蘭の様々な攻撃に対抗して間合いを完全にコントロールしていた。
「そうか、状況に応じて武器を使い分ければ良いんだ…!!」
 竜斗は姫によって武器の基本を徹底的に仕込まれているので、どんな武器を使ったとしても、ある程度使いこなす事が出来るようになっていた。
「確かに有効な手段だと思いますけど、戦闘中にそれを一人で出来るんですか…!?」
 喋りながらも安室は竜斗に対して攻撃を休めない。
「でも、今までは出来てたよ…!!」
「あれは竜斗くんと以心伝心の関係であり、様々な武器に精通して、それを常時装備しているお嬢様のサポートあってこその事です…! 考えが甘過ぎますよっ…!!」
「ぐっ…」
 竜斗は今まで無意識に姫の力を頼り、それを当たり前だと思っていた所があったと思い知らされる。
「安室さん、どうしちゃったの…!? さっきから竜斗に厳し過ぎるよぉ…!!」
「ボクは竜斗くんの力になるってお嬢様との約束を果たさないといけませんから、自分が嫌われたくないからって甘い事ばかり言ってられませんよっ…!!」
 安室は人を傷つける事で自分も傷つく事を恐れる臆病な青年であり、人の為に心を鬼にする事がどれだけ勇気のいる事であったか。
「安室さん、なんかカッコ良くなったね…!!」
「僕は姫に頼らないで生きて行かないといけないから、厳しくしてくれると嬉しいよっ…!!」
 しかし、こうしてても何時まで経っても進展せず、体力を削られ間違いなくいつかはやられてしまう。
「まぁ、ぶっちゃけ、少し腹立つけどね…!!」
「す、すみませんっ…!! って、何してるんですかぁっ!!!」
「見て解るでしょっ!! 特攻だよっ!!」
 竜斗は大ダメージ覚悟で無数の槍に向かって突進し、気を込めた十文字斬りで文字通り切り抜けようとする。
「きゃーーっ!! 竜斗が死んじゃうよぉ!!!」
 空の言う通り下手すると死ぬかも知れないが、それ以外に方法は無いと思えた。
 しかし、何故か恐怖を感じる事は無く、ただ出来ると言う根拠の無い自信に満ち満ちていた。
「行けるっ!!」
 十文字の気の光が炸裂する。
 竜斗の剣撃は安室の槍を弾く事に成功するが、接触した部分から鋭い痛みを伴う冷気が伝わって来て、みるみるその身体を凍らせて行く。
「ぐはーーーーーっ!!」
 竜斗の身体は一瞬にして氷の彫像となってしまった。
 その状態で氷が砕ければ、内部にいる竜斗の身体も粉々となってしまうだろう。
「あ、あかんですっ!!」
「きゃーーーーーっ、竜斗ーっ!!!」
 しかしっ!!
「うぉぉぉぉぉーーーーーーっ!!! 痛ってぇーーーーーーっ!!!!」
 そう言いながら竜斗は内部から氷を砕き、唖然とする安室に向かって突進する。
「な、なんで自我領域も使わずに攻撃を食らって生きているんですかっ…!?
 ボクの能力はありとあらゆる原子を瞬間的に絶対零度まで冷却し、全てのエネルギーを完全停止させる事が出来るんですっ…!!
 とてもじゃないけど、痛いで済まされる次元じゃないんですよっ…!!」
 しかし、肉体的なダメージはともかくとして、命そのものが削られているような感覚があった。
「ふっ、それが気の力って奴さっ…!!!」
 疲労感で顔を青くしながらも、安室の至近距離まで間合いを詰める。
「幾ら気の力とは言え普通はここまで攻撃を防ぎきれるわけじゃありませんよっ…!
 何れにせよ大分ダメージを受けているようですし、そう何度も使える戦法じゃ無い事だけは確かですねっ…!! 次は無いと思って下さいっ…!!」
「だったら、やられる前にやるだけさっ…!!」
 竜斗は安室に向かって渾身の力を込めた斬撃を放つ。 
 安室は槍と言う中距離向けの武器を使う為、至近距離では大きな隙を晒してしまう。
「くっ、防げないかっ…!!」
「ぐわぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
 これ以上無いって程の会心の一撃を食らった安室は断末魔の悲鳴を上げる。
「…」
「…」
「あれ…? 全然効いてないんですけど…!?」
 余りの竜斗の気迫に思わず敗北を覚悟した安室であったが、強力な自我領域に守られてほぼ無傷であった。
「これでも食らえっ!! えいっ!! やぁっ!! とぅっ!!」
 竜斗は安室に向かって気を込めて連続して切り掛かるが、一向にダメージを与えられる様子は無かった。
「やっぱり、完成された大アルカナの自我領域はそう簡単に攻略出来ないか…」
「そう言えばお姉ちゃんも何度も聖蘭さんに攻撃を当ててたけど、全然効いてない様子だったよね…」
 確かに昨日の姫はヒットアンドアウェイを繰り返していたものの、それ以上の進展は無かった。
「くそっ、姫でさえ出来なかった事をどうすれば良いってんだよ…!?」
「でも、それが出来たら、お嬢様を超えた事の証明になりますよっ!! だから、頑張って下さいよっ!!」
「そうだっ…!! 僕は諦めるわけには行かないんだっ…!! こうなればダメ元でガンガン攻撃してやるっ…!!」
「そうです、その意気ですよっ!!」
 その瞬間、竜斗の顔が不敵に歪む。
「だったら、これでも食らいやがれぇっ!!!」
 ガキィーーーーーン!!
 竜斗の膝蹴りが見事に安室の股間に命中した。
「…」
 逆行で沈黙した安室の顔は見えない。
 あまりの竜斗の蛮行に空は顔を真っ赤にして怒る。
「竜斗の馬鹿っ!! なんで男の子のそんな所を狙うのっ!?」
「甘いっ…!! 弱点とは狙うためにあるんだよっ…!!」
 そして、竜斗は勝ち誇ったように言う。
「もう、そんな所までお姉ちゃんを真似しなくて良いよぉ!!」
「ふふふふふっ、ははははははっ…!!」
 しかし、安室はあくまで涼しい顔をして高笑いする。
「そんなヤワな攻めじゃボクはビクともしませんよっ…!! 股間の自我領域は常に全開ですからっ…! さぁ、どんどん攻めて下さい…!!」
 そう言い股間を突き出す安室。
 かなりもっこりして卑猥な感じであった。
「安室さんも最低っ!!」
 と言いつつも顔を赤くして、突き出された大きな股間を見つめる空であった。
「そんなに大きいのが偉いかぁ!!」
 何だか無性に腹が立った竜斗は安室の股間をがっしり掴む。
「だから、効かないって言っているでしょう…!! ってアレっ…!? アレレっ…!!?」
 みるみる顔が青くなり、悶絶する安室。
「うぎゃーーーっ!! な、なんじゃこりゃーーーーーっ!?」
 そして、自我領域を消失させてのたうち回る安室。
「き、効いたっ!! 完成された大アルカナの弱点は股間を潰す事だったのかっ!! よし、これで聖蘭さんも攻略出来るぞっ!!」
 竜斗は自分の手をニギニギし、残った感触を思い返す。
「竜斗の馬鹿ぁ!! 聖蘭さんは女の子だよっ!!」
 そして、空に頭を叩かれる。
「そ、そうか…!! しかし、おっぱいとかを握ればあるいは…!!」
「もう、そんなのダメに決まっているでしょっ!!」
 空は腰に手を当ててプンプンと怒る。
「ちぇっ…」
「なに残念がってるのっ…!? もう、お姉ちゃんと関わるとみんなスケベになるから、やんなっちゃうよぉ…!!」
「一番スケベになった人が何言っているの…?」
 竜斗はジト目で空を見た。
「ぐうっ…、危うく潰される所でしたよ…」
 その時、安室が腰を叩きながら復活する。
「でも、何で握りつぶしが効いたんだろうな…?」
「そんなの解りませんよ…!! でも、聖蘭にはセクハラまがいの攻撃は止めて下さいね…!!」
「ちぇっ…」
「だから、残念がらないで下さいよぉ…!!」
 竜斗はタオルで顔を拭き、時計を見ながら言う。
「もう、こんな時間か…。結局決定的なヒントは掴めなかったけど、朝の練習はこれで引き上げだな…」
「うん、そうだね…」
「旦那様の言う通り、大アルカナに対抗出来るのは大アルカナだけって事なんでしょうかね…」
 やっぱり、暗示に頼るしか無いのかな…。
 竜斗は思わずため息をついた。
「安室さん…、少し早めに空のお父さんの所に行きたいから運転をお願いします…。それから空は風見鶏の館で姫の面倒を見てやってね…」
「竜斗…」
 空は心配そうに竜斗を見つめた。

走馬と奏真

 竜斗は安室の運転するシルバークラウド・ツーに乗り、一度風見鶏の館に帰って予備の戦闘用制服に着替えた。
 そして、眠ったままの姫を空を任せて、海岸通りにある海岸ビルへとやって来た。
 ひと際目立つ近代建築物と現代建築物の融合した異様な風貌のビルは、大粒の雨を振らす雨雲に向かって聳え立っていた。
 海岸ビルのエントランスには県立高校の生徒が警棒を持って整列し、これから始まる最終決戦の邪魔になる部外者の進入を拒んでいるかのようだった。
 凄まじい緊張感に竜斗は思わず息を飲む。
 そして、何時ものようにエレベーターで最上階にある旭陽家の自宅兼診療所に上がると、昇降機の扉が開いた瞬間にサングラスを着用したブラフマンが出迎えた。
「君が来るのを待っていたよ」
 彼の傍らには頭を垂れるメイド服姿の聖蘭が付き従っている。
 竜斗と安室は聖蘭から発せられる無言の圧力に気押されそうになるが、竜斗は負けじと強い視線を聖蘭に送る。
 その様子を見てブラフマンは不敵な笑みを浮かべる。
「どうやら、答えは決まったようだな」
「はい、二人きりで話がしたいのですが、よろしいでしょうか?」
 竜斗はブラフマンと向き合いながら言う。
「良いだろう、聖蘭くんと安室くんは外して貰えるかな」
 聖蘭と安室はブラフマンに深々と頭を下げる。
 安室は竜斗を心配そうに見つめて立ち去る事に戸惑いを感じるが、聖蘭の鋭い視線に促されるように仕方無く立ち去る。
「では、こちらに来てくれ」
 ブラフマンに案内されて竜斗が通された場所は、シックな内装が施された医院長室だった。
 ブラフマンは机の前に椅子を置くと竜斗に座るように促し、自分も机の反対側の正位置に座る。
 ブラフマンの背中にある窓からは殆ど日が射さず、暗い室内でサングラスを掛けている事もあり彼の表情を読み取る事は出来ない。
 言い知れぬ緊張から竜斗の鼓動は速くなり、手足がガタガタと震え、運動もしていないのに息が荒くなる。
 動揺を必死に隠そうと竜斗は拳を強く握るが、全身から滴り落ちる汗を隠す事は出来なかった。
 当然、竜斗が重大な局面を迎えて強いプレッシャーを感じている事はブラフマンも見て取れたが、あえて見て見ぬ振りをして話を進める。
「では、聴こう。君は誰と戦う事を決意をしたのだ…?」
「僕は世界の改変を止め、姫を運命から解放する為に聖蘭さんと戦います…!」
 竜斗は凛とした視線をブラフマンに向ける。
 聖蘭と戦う事には最早一切の迷いは無かった。
「そうか、それが君の答えか。
 私の計画を何処までも狂わせ多くの子供達を救い続けた君であれば、世界改変以上の素晴らしい未来に辿り着き、本当の意味で月夜を救う事が出来るかも知れないな。
 しかし、どんなに素晴らしい未来を夢見たとしても、それを勝ち取る為の力が無ければ意味が無いと言うものだ。
 君は聖蘭くんを倒せる力が無い事を自分で理解している。
 だからこそ、最終決戦を前に私との対談を望んだのでは無いかな…?」
「それは…」
 図星であった。
 だからこそ竜斗は言葉に詰まったのだ。
「全ての大アルカナの根源である君が私の暗示を受ければ、この世で最も強い力を持つ存在となるだろう。
 君は月夜を救う為に誰よりも強くならなければならない」
 ブラフマンは竜斗に手を差し出す。
「さぁ、私の手を取れ…!! そして、君は真の意味で人々を導く為の救世主となるのだ…!」
 竜斗の心臓は口から飛び出るのでは無いかと言う程に強く脈打ち、全身から滝のような汗が吹き出し、最早隠す事が出来ない程に手足の震えが大きくなっていた。
 呼吸は浅く切れ切れになり胸が苦しかった。
 姫を救う為に誰よりも強くなりたい…。
 だが、大アルカナに頼った強さが本当の強さなのか…?
 それは姫が与えてくれた本当の強さを裏切る事になるのでは無いのか…?
 解らない…。
 解らないよ、姫…。
 恐い…、助けてよ姫…。
 僕に答えを教えてよ…、姫…。
 竜斗の目から止めどなく涙から溢れ、視界が暗転したように何も考えられなくなり、闇の中に手を伸ばそうとした瞬間だった。
 心の奥底で強く輝くものが見える。
 それは今まで培って来た経験や思い出の走馬灯。
 忘れようも無い楽しい場面から、一刻も早く忘れたい辛い場面、はたまた竜斗自身が気にも止めず覚えていないような場面まで。
 時系列や法則性の欠片も無く様々な思い出が止めどなく流れて行く。
 そして、姫が言った言葉が思い返される。
「貴方は戦闘中に焦りを感じたらどうしますの?
 そう、どんな時でも心を乱せば身体を萎縮させ、本来あるべき力を発揮させる事が出来なくなるのは同じですわ。
 それに溜め息が出ると言う事は気が重くなっている、つまり無理をしている証拠ですの。
 もし、なんらかの息を乱れを感じた時は、そのまま下腹に力を入れて臍下丹田式呼吸法に変えてみて下さいな」
 そうだ…!! こんな時こそ臍下丹田式呼吸法だ…!!
 竜斗は暗転した視界の中で走馬灯を前にして下腹に力を込めながら呼吸をする。
 大地から天まで自分自身を貫いて繋がっている事をイメージする。
 肛門を緩めて腹をヘコませるように口から息を吐き出し澱んだ気を放出する。
 肛門を締め上げ腹を膨らませるように鼻から息を吸い込み周囲の気を取り込む。
 それを繰り返すうちに、無秩序に暴れるだけであった記憶の欠片達を自在に思い返す事が出来るようになった。
 竜斗は走馬灯に手を当てて自分自身に必要な答えを探そうとする。
 そして、竜斗にとっては前世と呼べる領域まで、何処までも何処までも遡って行く。

 1999年7月31日(土)
 それは心ざわめくような夜だった。
 早過ぎる秋の到来を感じさせるような冷たい空気が吹き抜け、高い空に浮かんだ雲を散り散りに流して行く。
 天上に輝く丸い月は流れる雲によって様々に姿を変え、まるで意思を持つかのような畏怖を放っている。
 そして、北にそびえる六甲山の頂きには黒い闇が広がり、時折稲光と共に腹の底に響くような低い音を放っていた。
 何時もは憎たらしいがばかりに五月蝿く鳴り響く夏の虫達も、これから起きようとしている何かを察してか息を潜め、周囲には沈黙が漂っていた。
 稲光で洋風の趣をした校舎がシルエットとなって闇夜に浮き彫りになる。
 それは六甲山の麓にある県立高校…。
 ロンドン塔と呼ばれる塔屋や、銃眼に見立てた装飾の施された歴史ある校舎が特徴である。
 再び爆音が響き渡ると校舎の屋上で対峙する四人の少年少女の姿のシルエットが浮かぶ。
 異なる制服を着た二人の少年…。
 短髪で中性的な小柄の少年…走馬竜斗と、額に傷を持つ長髪長身の少年…青海奏真は、互いに強い視線を交わしながら対峙している。
 それぞれの傍らには少女が付いている。
 竜斗の傍らにはフリル付きの黒いドレスに身を包んだツインテールの少女…香夜姫が。
 奏真の傍らにはショートヘアーのセーラー服を着た少女…旭陽空が寄り添っている。
 姫は月を仰ぎながら意味深な嘲笑を浮かべる一方、空は大きな瞳一杯に涙を蓄えて、竜斗と奏真を交互に見つめている。
「どうしても、戦わなきゃ駄目なの…?!」
 空が沈黙を破る。
「互いの大切な者を守る為、この戦いは避けては通れない…」
 奏真が言う。
「例え誰を相手にしようとも、負けるわけにはいかない…」
 奏真は空の手を強く握る。
 その手は冷たく生気を感じさせず、そのまま放せば消えてしまうように儚かった。
「お前を運命の呪縛から救う為に…!!」
 稲光の作り出すシルエットの中、奏真は空と唇を重ねる。
 すると、奏真の傷が闇夜の中で強い光を放ち、二人の持つ雰囲気のようなものが何処までも拡大して行く。
 強力な自我領域に覆われ、世界は少年と少女だけのものとなったのだ。
 そして、奏真の眼前にNo.19太陽と書かれたカードが出現し、回転させながらつかみ取ると、それがチャクラムへと変化し両手に持ち替える。
 一方、竜斗に対し姫は静かに呟く。
「運命を受け入れた者でなければ、未来を変える事が出来ない…。それでもあなたは運命に抗うと言うのですの?」
「僕には無理だ…。君の居ない世界になんか、耐えられないから…」
 竜斗は姫の唇に自分の唇を重ねる。
 すると、微弱な光と共に弱い自我領域が彼の身体を包み込み、空中に出現したNo.18月のカードをつかみ取る。
 そして、腰に下げた二つの鞘から胡蝶刀を両手で抜き放ち構える。
「だから、僕は戦う…!!」
 対峙する二人の少年。
「運命を破壊し世界を創り変える為の犠牲となれっ!!」
「今こそ僕はあんたをっ…!!」
 互いに武器を構えて駆け寄る二人の少年。
 稲光によって影を落とすロンドン塔の尖塔で、スーツにサングラス姿の男がその行末を傍観していた。
「ブラフマン…。この世の全てを知る者…。お父様…。
 真に罪深きは人々を運命の輪へと縛り付けるわたくし達で御座いましょう。
 この永劫に続く輪廻の旅こそわたくし達に架せられし罰に他なりませんわ。
 ですが、後悔はありません事よ。
 幾度と無い刹那の逢瀬を交わす事が出来るのですから。
 そして、旅の果てに本当の強さを手に入れたあの方が、わたくしを解放して頂けると信じてますから」
 そして、竜斗の胡蝶刀と奏真のチャクラムが激しくぶつかり合う。
 竜斗が片方の胡蝶刀で奏真の片側のチャクラムを薙ぎ払い、もう片方の胡蝶刀で無防備になった奏真の身体を狙おうとする。
 だが、奏真もそんな竜斗の攻撃は勿論読んでいて、残った片方のチャクラムで竜斗に斬り掛かる。
 しかし、竜斗は間髪入れず先ほどチャクラムを弾いた方の胡蝶刀で奏真の攻撃を防ぐ。
 そのまま息もつかせぬ激しい攻防が続くが、この流れでは体力や体格に劣る竜斗が不利になってしまうのが目に見えていた。
 竜斗は奏真の腹に渾身の蹴りを放ち、互いの自我領域が反発するのを利用して、間合いを取って態勢を整えようとする。
 だが、奏真はすかさずチャクラムを投げ竜斗に追撃をかける。
 竜斗は反復練習によって鍛えた反射神経によって、ほぼ無意識のうちにチャクラムを弾き落とすが、すぐにそれがフェイントであったと言う事に気付く。
 竜斗の眼前に空中から出現した無数のチャクラムが迫りつつあるのが見えた。
「しまっ…!!」
 竜斗はその攻撃を防ぐ事が出来ずに被弾すると、次から次へと追い打ちを掛けられ続ける。
「やったか…!?」
 そして、爆煙に包まれ竜斗の姿が見えなくなると、奏真は一瞬の隙を見せる。
 だが、竜斗は爆煙の中から奏真に向かって突進し、あまりにも激しい怒濤の剣撃を浴びせかける。
 突く…!!
 突く…!!
 突く…!!
 間合いを詰めながら連続される突きに、奏真は態勢を整える間が無かった。
「な、なんだと…!? 何故、自我領域も弱く、武器も具現化出来ず、能力も発動出来ない君が、俺の攻撃をそこまで防ぐ事が出来るんだ…!?」
 奏真は自我領域に攻撃を食らい続けながらも聴く。
「僕がトーナメントに参加したのは自分自身を見つける為だっ!!
 だけど、戦う為の力として姫から暗示を受けたけど、具現化する程の強い願望を持っていないから、未だに能力を発動する事は出来ていないっ!!
 でも、能力への願望が弱ければ攻撃力の弱さに反比例して、相手の能力攻撃に対する防御力が上がるんだっ!!」
 竜斗は喋りながらも手を休める事は無い。
「しかし、物理攻撃じゃ俺の完成された自我領域を貫く事は出来まいっ…!!」
 奏真は強力な自我領域を活かし、竜斗の攻撃をくらいながらも体当たりを仕掛ける。
「ぐはーーーーっ!!」
 体重の軽い竜斗はすっ飛ばされ、大きな隙を見せる事となる。
 奏真は一気に間合いを詰めて追撃するが、竜斗は体当たりされた時に武器を落としてしまった為にそれを防ぐ術は無かった。
「幾ら能力攻撃を弱体化出来たとしても、それにも限度ってものがあるはずだっ…!!」
 右縦斬り…!!
 左横斬り…!!
 右肘打ち、しゃがみ右蹴り、飛翔斬り…!!
 最後に衝撃波を伴う左右クロス斬り…!!
 竜斗は能力攻撃を弱体化出来る限界を超え、自我領域に大きなダメージを受けながらすっ飛ばされる。
「これでとどめだっ!!!」
 奏真は空中に無数のチャクラムを出現させると、巨大なひとつのチャクラムとして融合させ、竜斗に向かって解き放つ。
 もはや、能力を弱体化する事も出来ず、自我領域を失いかけた竜斗にそれを防ぐ術は無い。
「くそっ…、これまで…か…よ…」
 迫り来る巨大チャクラムに竜斗が死を覚悟した瞬間だった。
「ふふふっ、貴方は死にませんわよ…。わたくしが命に代えても守りますから…」
 倒れた竜斗の前に姫が躍り出て、身体を大の字にして彼を庇おうとする。
「止めろ姫っ…!! 止めるんだ…!!」
 竜斗に背を向けていた為に姫の表情は読み取れなかったが、優しく微笑んでいるような気がした。
 何もかも吹き飛ばすかのような激しい爆発が襲う。
 姫の愛らしい手足が引きちぎれ血が噴き出し、身体を包む洒落たゴスロリ衣装が一瞬にして炎に包まれ、露になった美しい白い肌が醜く焼けただれて行く。
 音も無くスローモーションのようになった世界で、姫がその身を散らして行くのを竜斗はただ見ている事しか出来なかった。
「姫ぇーーーーーーーーーっ!!」
 竜斗は残った力を振り絞り、黒いだるまのような姿となった姫を抱きかかえる。
 もはや愛らしく美しかった面影は何処にも無く、瞼を失った二つの大きな瞳だけが竜斗を見つめていた。
 竜斗は嗚咽を堪えながら、ただ滝のように涙を流し続けた。
「どんなに足掻いても…、わたくしが死ぬ運命は変える事は出来ません…。ですが、消えつつあるその命を…、貴方を守る事に使えてわたくしは幸せですわ…」
「馬鹿っ…、そんな事…、そんな事言うなよぉ…」
「貴方は…、わたくしが生きた証そのものですから…」
「嫌だっ…! 嫌だよっ…!! 姫と別れるなんてそんなの嫌だよっ…!!! 僕は姫の事が好きで…、好きで仕方無いんだからっ…!!」
「わたくしの事を本当に大切に思うならば、最後の我が侭を聴いて下さいな…。あの方を倒し…、わたくしを運命から解放して欲しいんですの…」
 そう言い、力尽きる姫。
 だが、まだ微かに息があった。
「姫…」
 竜斗は涙を流しならその焼け焦げた唇に口づけする。
 すると、奏真をも凌ぐ強力な自我領域が広がり、竜斗の周囲に無数の武器が浮かび上がる。
 それはバットや、メリケンサック、サーベル、ギター、本など今まで出会った大アルカナ達が具現化していた武器であった。
「僕は姫の気持ちに答える…。それが僕が見つけ出した願望だよ…。例えどんなに自分自身が苦しむ事になろうとも…!! 自分自身の心を捨てる事になろうともっ…!!」
 竜斗は優しく姫の身体を下ろす。
「だから、そこで見ていてくれっ…!!」
 そして、バットで無数のボールを打ち出し奏真の目をかく乱すると、サーベルを突き出しながら一気に間合いを詰める。
「どのように攻撃も当たらなければどうと言う事は無いっ…!!」
 奏真はチャクラムでサーベルを弾くが、竜斗は接近した所で毒を秘めたメリケンサックで殴りつける。
 竜斗は毒を食らいふらついた奏真に対しギタークラッシュを食らわせ、そのまま弦を絡めて電撃を発し動きを止める。
 奏真はすぐ自分自身の身体ごと弦を引き裂いて脱出しようとする。
 しかし、竜斗はその僅かな隙を狙って本からトロールと呼ばれる棍棒を持った巨人を召還し、奏真に対して強烈な一撃を食らわせようとする。
「やったか…!?」
 棍棒を床面に叩き付けたトロールの死角となって奏真の姿は見えなかった。
 だが、次の瞬間、トロールの背中を駆け上がった奏真が、上方から竜斗に向かって斬り掛かって来た。
「その程度でやられる俺では無いっ…!!」
「くっ…!!」
 竜斗は左手で自分を庇い攻撃を防ごうとするが、奏真の一撃は竜斗の自我領域を腕ごと切り裂いた。
 ボトリという重い音がして、竜斗の切断された左腕が地面に転がる。
「ぐわぁーーーーーーーっ!!!」
 肘から先を失い血しぶきを上げる左腕を押さえて竜斗はうずくまる。
「能力に対して強い願望を持ってしまったが故に、攻撃力に反比例して防御力が低くなったようだなっ…!!」
「姫が味わった痛みに比べれば、僕の痛みなんてっ…!!」
 竜斗は立ち上がり、メリケンサックで奏真の顔面を殴りつける。
 脳を揺さぶられながら毒による攻撃を受けた奏真は、尋常では無いダメージを受けて、ふらつきながら血反吐を吐く。
「お兄ちゃん…!!」
 空が悲鳴を上げる。
「それに、能力が強過ぎるが故に、相手の攻撃を強く受けてしまうのは僕だけじゃないだろっ…!?」
「だが、俺にはそれを補うだけの再生能力があるっ…!!」
「しかし、脳をすっ飛ばされて再生出来るはずはないっ…!! 今こそ決着を付けてやるっ…!!!」
「それはこっちの台詞だっ…!!」
 竜斗はありったけの武器を空中に出現させると奏真に向かって解き放つ。
 奏真も対抗するようにありったけのチャクラムを出現させて竜斗に向かって解き放つ。
 あまりに強力な二人の能力と能力はぶつかり合い、白と黒の渦巻きとなってこの世界を覆って行き、時空そのものが音を立てて大きく歪んで行く。
 そして、会場となった県立高校の屋上は激しい爆煙に包まれ、二人の少年は全身血まみれになって完全に意識を失っていた。
 姫は瞼を失った大きな瞳で、空が泣きながら二人の少年に駆け寄るのを見ていた。
 そして、命が消えつつある中でブラフマンの声を聴く。
「決勝戦の結果は引き分けのようだな。
 しかし、トーナメントを勝ち残った者同士が大アルカナの力をぶつけ合えば、対極する力が融合し世界の破壊と再生が引き起こされる。
 そう、誰が勝ったとしても私の計画は止める事は出来ず、月夜は永遠に繰り返される世界で生き続ける事となるのだ」
「見てて…、下さいな…、お父様…。だったら、大アルカナに頼る事無く…、勝てば…、良いだけです…、から…。実力行使…、それがわたくしの信条です…わ…よ…」
 姫がそう呟き命を失ったと同時に、世界は終わりを迎えた。

 我に返った竜斗は机の向こう側に座り、手を差し伸べるブラフマンをじっと見つめていた。
 そして、竜斗は不敵な笑みを浮かべながら頭を下げる。
「ありがとうございます…! でも僕には大アルカナの力は必要ありません…!!
 僕が暗示を受ければ確かに強い力を手に入れる事が出来ると思います。
 でも、強い能力を持ってしまえば、その分だけ相手の能力を強く食らい、それこそ相撃ちが関の山です。
 それに最終戦まで勝ち残った大アルカナの力がぶつかり合えば、勝敗に関わらず対極する力が融合されて、世界の破壊と再生を回避する事が出来なくなりますから」
 ブラフマンは差し出した手を引くと、サングラスを持ち上げる。
「まさか、その事に自力で気がつくとは、君は本当に恐ろしい少年だな…。
 しかし、現実問題として大アルカナの力を使わずして、どうやって聖蘭くんと戦うと言うのだ…?
 確かに大アルカナに願望を抱かなければ能力に対して抵抗出来る。
 特に全ての根元である君ならば、現実を受け入れた上で精神を強く持てば、能力を完全に無効化する事すら可能だろう。
 しかし、外的要因に依存しない完成された大アルカナの能力を、そう何度も無効化する事は出来まい」
 竜斗はブラフマンに笑みを向けつつ拳を強く握る。
「僕には姫が教えてくれた新武芸があります…!! それは僕が僕らしく生きる為に姫が作り出してくれた僕の宝物です…!! だから、僕は絶対に負けませんっ…!!」
 現実問題として竜斗が聖蘭に勝つのは困難だ。
 だが、前世の断片を見た事により、姫が長い時間をかけて新武芸を編み出した本当の理由を知る事が出来た。
 そう、全てはこの時の為だったのだ。
 竜斗は常に姫と一緒にいるような心強さを感じ、心の奥底から希望が湧き出て来るかのようだった。
「ふっ、君は心から月夜の事を信頼しているのだな…。
 君のような素晴らしい男に愛されるとは月夜も幸せ者だな…、本当に…、本当に君のような男が月夜のパートナーで良かったと思うよ…」
 ブラフマンはサングラスを外し、姫の親である旭陽昇として微笑んだ。
「お義父さん…」
「だが、君にそう呼ばれるのはまだ早いぞ。せめて、戦いに勝ってからにして欲しいものだ」
 そう笑う旭陽昇に竜斗は頭をポリポリと掻く。
「しかし、パートナーはどうするのだ? 試合開始時刻の正午までに一人もパートナーが居ない場合は失格となってしまうぞ」
「安室さんは…?」
「彼は対戦相手である聖蘭くんのパートナーなので兼任は不可能だ。
 トーナメントに参加して居ない人間で、能力を使わなければ誰であろうとも、何人だろうとも構わない。
 だが、並大抵の人間では厳重な警備を搔い潜って、正午までに試合会場であるこのビルには辿り着けまい」
「くっ…、今は11時半だから、あと30分しかない…」
 姫ならば時間内にここまで辿り着く事は可能だろうが、それこそ本末転倒だ。
 しかし、悩んでいたら時間が無くなってしまう。
 どうしたものかと竜斗が頭を抱えていると、部屋の外が騒がしくなっていた。
「あっ、竜斗くんと旦那様のお話を邪魔しちゃダメですって…! あふっ…!!」
「やぁ、お待たせ…!」
 そう言いがらドアを蹴り破って奏真が登場した。
「奏真先輩、一体どうしてここに…!?」
「ふっ、空から話を聴いて、君の力になる為に馳せ参じたのさ…!」
「ここにいる警備を全員ぶっとばして、正々堂々不法進入して来ましたよ…。ついでにボクもぶっ飛ばされましたけどね…」
 ぶっ飛ばされて真っ赤になった頬を押さながら安室が入室する。
「わるいわるい…! ちょうど竜斗のパートナーが居ないって話が聞こえて来て、居ても立っても居られなかったのさ…!」
 奏真は竜斗に微笑みかける。
「えっ…?」
「ふっ、俺を君のパートナーにして欲しいってことさ…!」
「な、なんだってぇ…!?」
 竜斗は驚きを隠せない。
「俺は既にトーナメントを辞退しているから資格はあるんだろ、おじさん…?」
「ああ、ただし能力を使った時点で竜斗くんは失格になる…。能力を使わないで戦えるほど聖蘭くんは甘くは無いぞ…?」
「ふっ、能力を使わないで聖蘭さんに挑むのは竜斗も同じだろ…? だったら宿命のライバルである俺も同条件で挑むのが当たり前さ…!!」
「本当に良いの…?」
「ああ、もちろんさ…!! 君は俺を…、俺達を救ってくれた恩人だから、その恩に報いたいんだ…!! それとも、俺がパートナーじゃ不満かい…!?」
「とんでもない、こちらからお願いしたい所だよ…!!」
「ふっ、俺達の力を聖蘭さんに見せつけてやろう…!! 一人の力じゃ無理でも二人の力を掛け合わせれば出来る事もあるはずだ…!!」
「ああ…!!」
 竜斗と奏真はガッチリと拳と拳を重ねた。