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第五章

いざ温泉へ

 1999年7月30日(金)
 この日は朝早くから気持ち良く晴れ渡り、元気よく蝉の鳴き声が響いていた。
 風見鶏の館の朝食の間では竜斗と姫が何時ものように二人きりで食卓を囲み穏やかな時を過ごしていた。
「しかし、聖蘭さんが休職してから、朝食はパンに前日のスープの作り置き、昼は外食、夕飯は出張のシェフさんに作ってもらってばっかでワンパターンだよな」
「ふふふっ、なんだったらわたくしが作ってもよろしくてよ。火を使ったり包丁を持つのは恐ろしいですが、味覚には自信がありのすので為せば成ると思いますわよ」
「ってか、日本刀を平気で振り回す奴が言う台詞じゃないよな…! しかも、味覚だけで料理が出来るとか素人丸出しな気がするぞ…!!」
「仕方ありませんわよ、わたくしは今まで厨房に入る事無く生きて来たんですから」
「姫って見かけ通りのお嬢様だよなぁ。まぁ、とは言っても僕も今まで料理なんてした事は無いから人の事言えないんだけどさ…」
「あらあら、お料理が出来なくてもお金があれば生きて行けますわよ。自分に出来ない事はお金で解決ですわ!」
「ふっ、それを言ったら元も子もないよな」
「ふふふっ、それがわたくしの生き様ですわ。貴方もわたくしを見習って貴族的な暮らしを目指して下さいな」
「金が無いのに姫を見習ったらダメ人間になっちゃうって!」
「そうならないように精一杯働いて下さいな。わたくしの仕事を引き継げば充分やっていけますわよ」
「充分過ぎるけどね…! さて、ごちそうさま!」
「ごちそうさまですわ」
 竜斗と姫は食事を終えて手を合わせた。
「でも、こうしていると明日には世界が終わりを迎えるとは思えないね」
「ええ、本当にそうですわね。
 世界が本当に終わってしまうかどうかは解りませんが、決着の時が近づいている事は確かですから、さながら嵐の前の静けさと言った所ですわね。
 ずっとこうして居たいのは山々ですけど、これからの事を考えないといけませんわよ」
「とは言っても実際には解らない事だらけなんだよな。
 ブラフマンの動機は空の病気を治す事だって解ったけど、わざわざ鍵を握る奏真先輩を追い込むような事をしたり行動に違和感があるし」
「そう言う時は解らない事を無理に考えるより、今解っている事を整理して掘り下げると良いと思いますわよ」
「じゃあ、そもそもの動機…空が病気になった自律神経って何なのかな?」
「自律神経と言うのは交感神経と、副交感神経の二つから成り立ち、呼吸や代謝、消化、循環、体温など無意識に生命活動の維持や調節をする機能ですわ」
「となると、あの症状も納得出来るよな…。原因は不明とは言っていたけど、どうにかならないものかな…?」
「自律神経の異常は遺伝的疾患や癌等によるホルモンバランスの乱れが原疾患である事がありますが、その殆どが不定愁訴…つまり症状があるのに原因が解らない疾患で薬物投与の効果も無いそうですわ」
「結局、解らないって事か…」
「ですが、どのような病気にも効く治療はありますわよ」
 姫はニコリと笑う。
「なんか、微妙に嫌な予感がするんだけど大丈夫だよね?」
「ふふふっ、もちろん医学的見解に則った治療法ですわよ。
 病は気からと言いますし、ここは一つ養生して英気を養うべき…、と言う事で今から奏真さんに空さん、大河さんと夕鶴さんもご一緒して温泉に行きますわよ!」
「やっぱり、ぶっ飛んでたよ!! こんな時なのに姫は相変わらずだよなぁ…!!」
「あらあら、こんな時だからこそ楽しみが必要なんですわ。皆さんも疲れも溜まっている事ですしね」
「まぁ、それはそうだけど、夜には試合がある事だし、中途半端な時間で温泉って入れるものなの?」
「目的地は電車で30分程で行けるぐらい近い所にありますわ。ただ、体調の優れない空さんや、足の悪い夕鶴さんも居る事ですから今回は車で行きましょう」
「でも、ロールスロイスは聖蘭さんが持って行っちゃたんだけど…」
「その辺は抜かりなく手配してますわ。
 時は悠久に続くように見えて有限であり、何時かは終わりが来てしまうものですわ。
 悔いのない人生を送る為には、考える時は考え、楽しむ時は楽しみ、自分の気持ちに従って、その時その時を精一杯噛みしめる事が大切ですわよ」
「うん、そうだね!」
「では、出発までの間、何時ものように朝練をしますわよ!!」

 朝練を済まし軽くシャワーを浴びた竜斗と姫が風見鶏の館を出ると、そこには北野異人館街の石畳の道に似つかわしく無いボロボロのホンダ・ステップワゴンが停まっていた。
「おはようございます!!」
 運転席から降りた私服姿の安室が出迎えた。
「お出迎えご苦労さまですわ」
「送ってくれるのって安室さんだったんだね!」
「ええそうですわ、既に他の皆さんも迎えに行ってますよ!」
「おはよう!」
「おはよさん!」
「おはー!」
 助手席には奏真、真ん中の席には夕鶴と空、大河が座っていて顔を出して挨拶を交わした。
 奏真は黒いタンクトップの上から白いワイシャツを羽織り、下は細身のジーンズをハイカットのコンバースオールスターにインし、何時ものネックレスとバックルを着用し、制服時とイメージが大きく変わらない。
 空は水色のギンガムチェックのワンピースの上に白いウィンドブレーカーを羽織り、足下はローカットのコンバース・オールスターと言った格好で、何時もより可愛らしさが増して見える。
 奏真と空はお揃いのカシオのBaby-Gをペアで着用している。
 夕鶴は長い髪を後ろで束ねてポニーテールにして帽子を被り、緑のチェック柄の長袖シャツにベージュのゆったりしたパンツ、GTホーキンスのブーツを履いた本格レジャースタイルだ。
 大河は背中に虎のイラストが描かれた黒いTシャツに、サスペンダーを緩めて腰履きをしたサイズが大きめの深緑のカーゴパンツ、足下にはナイキのエアジョーダンを履き、黒いリストバンドの上からカシオのG-SHOCK Extremeを巻いている。
「おはよう!」
「おはようですわ」
 奏真はかなり追いつめられているような真剣な面持ちだったが、空は病気であると言う事を感じさせない程に元気で、大河もすっかり元通りと言った感じだ。
「でも、あまりエレガントな車じゃ御座いませんわね」
「あ、迎えに来てもらっといて、それ言っちゃうの!?」
 しかし、姫がそう言うのも納得でステップワゴンはあちこち擦り傷、凹みだらけ、汚れ塗れになったいた。
「これはボクのオカンの車なんですよ! お嬢さまには解らないかもしれませんけど、庶民なんてこんなもんですよ!!」
「確かにオバさんは何故か平気で車をぶつけながら走るしね!」
「あら、傷を直すにはお金がかかるでしょうが、洗車ぐらいならばお金をかけなくても出来るんでなくて?」
 姫は鼻で笑うように言う。
「姫ってば、ちょっと厳し過ぎるんじゃないの?」
「でも、一人暮らしのオカンがこんな大きな車を洗うって酷ですよ!」
「たまに実家に帰った時に貴方が洗ってあげれば良いと思いますわよ。貴方に気遣いや心がけが足りませんわ」
「そやで!! それに何やその私服!? 低予算にしてもセンス無さ過ぎるで!! うち、幻滅したで!!」
 車の中から夕鶴の声が響く。
「ゆ、夕鶴、お前あんだけ安室さんの事カッコ良いって言ってたのに、掌の返しっぷりが半端ないな…!」
「うちが好きだったのは、執事の安室さんや! こんな、ヘボイな兄ちゃんじゃないで!!」
「ううっ…」
 目頭を抑えて涙する安室。
「しかも、すぐ泣くし、まるで誰かさんみたいなヘタレやん!」
「誰かさんって誰だよ?!」
「まぁまぁ、女なんてあんなもんやで!! これからは男同士仲良くやろうやないか!!!」
 三列目に竜斗と姫を乗せる為に、車を降りてシートを折り畳んだ大河が安室の肩を叩く。
「お、お前、顔が嬉しそうだな…!」
 竜斗は姫をエスコートし三列目シートに乗りながら言う。
「じゃあ、発進しますね!」
 全員が乗り終わった事を確認すると車を走らせた。
 石畳の道を車がガタガタ揺れながら動き、洋館の立ち並ぶ情緒ある町並みが流れて行く。
「でも、空は仕事じゃない時の安室さんの方が好きだよ! だって、空の家庭教師のアルバイトしてくれてた時はこんな感じだったし!」
「へぇ、安室さんって空の家庭教師だったんだ!」
「…と言っても大学三年の時の冬休みの間だけですけどね。
 ボクは故郷の神戸を離れて東京の大学に通ってたんですけど、当時付き合ってた子と一緒に冬休み期間中に旭陽教授の特別講習を受ける事になって、そのよしみで空ちゃんが東京に滞在する間の家庭教師のバイトを紹介してもらったんですよ」
「でも、空の家庭教師をする寸前でその女の子にフラれちゃったんだよ。休憩時間中に隠れて泣いてたの見ちゃったもんね!」
「それは言わんといて下さいよー!」
「やっぱ、ヘタレやね!」
「ですわね」
「もう、さっきから、お姉ちゃんと夕鶴は安室さんに厳し過ぎるよー!」
「そうだよ!」
「安室さんは一見人に気遣っているように見えますが、それは仕事中の紳士的な態度や格好によって作られた仮面と同じく表面的なものであり、その本質は極めて自分勝手で子供っぽいと思いますわ。
 情けは人の為にならずと言いますが、ここで甘やかしてしまっては本人の為になりませんのよ」
「そやそや!!」
「うううっ…」
 運転しながらも泣く安室。
「でも、俺は安室さんの気持ち痛いほど解るでー!!」
「うんうん、僕もいっつも泣いているし、他人事とは思えないよ!」
「そうだな」
 竜斗と奏真は安室を擁護するように力強く頷いた。
「おう? おれや竜斗はともかく、奏真も泣く事があるんか?」
「そんなことはしょっちゅうさ。男なんてみんなそんなものだろ」
「そう、殿方は幾つになっても純粋ですから、ついつい悪戯したくなってしまうんですの。殿方の狼狽する姿はあまりに可愛らしくて快感を覚えてしまいますわ。それは愛があるが故、ある種の愛情表現とも言えますわね」
「お、お姉ちゃん変態っぽいよぉー!」
「うん、解るっ!! 姫ちゃんの気持ち良く解るでっ!!」
「ふふふっ、わたくし達は同志ですわね」
 姫と夕鶴は座席の列を超えて硬く手を握り合った。
 その為に三列目で姫の隣に座る竜斗と、二列目で夕鶴と空に挟まれて座る大河が押し潰される形となった。
「せ、狭いっ!! この狭い車内で止めてくれよっ!!」
「ホンマやっ!!」
「いいじゃないか、俺と安室さんなんて男同士並んで座っているんだ。正直、大河の席が羨ましくてたまらないな」
「お兄ちゃんの馬鹿っ!! スケベっ!!」
「ふっ、俺も男だしスケベなのは仕方無いものさ…!」
 まるで今での過酷な戦いや、これから待ち受ける戦いが夢であるかのように車内は笑いに包まれた。
 そして、皆を乗せた車は以前生徒会長との戦いを繰り広げた新神戸トンネル有料道路を通って六甲山の北側に抜け有馬街道を東に走る。
 しばらく住宅街のような変哲も無い景色が続いたが、安室が提案した尻取りにブーブー言いつつも盛り上っていると、いつの間にかに深い緑に被われた山中を思わせる情景に変わっていた。
「もうすぐ着きますよ」
「なんか、それっぽくなってきたやん!!」
「うん、うきうきわくわくするね!!」
「風景が変わって空気が澄んで行く…、この高揚感はたまらないな。旅をしていると言う気分にさせられる…!」
「そやな!」
「でも、本当に近いよな! まだ30分ぐらいしか経っていないし!!」
「そう、街からのアクセスが良く人々に愛され続ける憩いの場…それが目的地である有馬温泉郷ですわ!」

「実はボクの知り合いも呼んでるんですよ。もうすぐ来るはずですし、待ってもらって良いですか?」
「あほぉ!! そー言う事は始めに言っておくもんやで!! どうせ言い出す度胸が無くてズルズルになったんちゃうん!?」
「な、なんでそれが解ったんですか!?」
「解るやろ!! じゃあ、ここに座って待とうか!!」
「あ、結局待つんだ!?」
「当たり前やろ!! うちをなんやと思ってんの?」
「夕鶴だしな」
「そやな、夕鶴やし」
「お前ら後で覚えとけやぁ…!!」
「ボクの為にわざわざありがとうございます!!」
「ふっ、気にする事はないさ」
「そうよ、安室さんの友達だったら、空たちの友達と同じだもん!」
「ふふっ、ご心配なさらなくても大丈夫ですわ。おそらく、ここに来るのは皆さんもご存知の方だと思いますから」
 その時、遠くからパァーン、パァーンと軽快なエキゾーストノイズが近づいて来るのが聞こえた。
「なんだ…? バイク程じゃないけど、普通の車より音が軽い…?」
「ロータリーエンジンの音ですわね。
 ロータリーはマツダのみが実用化に成功しているエンジンで、ピストンの上下運動を回転運動に変換し動力にする一般的なレシプロエンジンとは異なり、三角形のローターを回転させる為に慣性抵抗が少なく、動力に伝える過程の運動エネルギーの変換と言うプロセスが存在せず、エネルギー損失が少ないのが特徴ですの。
 その為、少ない排気量で大きなエネルギーを発生させられますし、シンプルな構造と相まって通常のレシプロエンジンと比べて遥かにコンパクトですので、ボディの重心に近い位置に搭載して旋回性能が飛躍的に高い車を作り上げる事が出来ますわ」
「や、やけに詳しいんだな、説明が近年稀に見ぬ程長かったよ…」
「ふふふっ、幾ら高級なマシンを操る事が出来る資金と技術があったとしても、知識が無ければ勝つ事が出来ないのが公道バトルの世界ですからね」
「公道バトルって何やっちゃってるの?!」
「ふふふっ、ちょっとしたお遊びですわ」
 そして、ロータリーサウンドの発生源は竜斗達のいる駐車場に入ると、派手なスキール音とタイヤの焼ける臭いと共にボディを横滑りさせて見事に白線内に駐車した。
「な、なんや!?」
 大河は驚きおののきアスファルトに尻餅をついた。
 それはハードトップとGTウィングを装着した青色のユーノスロードスターで、ドアを開け放つとロールゲージの張り巡らされた車内から女性の姿が現れた。
 夏だと言うのに革ジャンを着込み、細いボディラインにフィットしたダメージジーンズとハイカットの革ブーツを履きこなしている。
 肩まで伸ばした金色の髪と涼しげな眼差しはそこにいる誰もが見覚えがあった。
「せ、聖蘭さん!?」
「遅くなって申し訳ございません」
「いえ、わたくし達も今来た所ですわ」
「なんや、安室さんの呼んだ人って聖蘭さんやったんか!? にしてもカッコいい!! メイド服も最高やけど私服も最高やで!!」
「ふっ、聖蘭さんのその格好を見るのは久々だな…!」
「うん、中一の冬以来だよね!」
「なんや、あんたら、そんな昔から聖蘭さんの事知ってたん!?」
「うん、お父さんが東京の大学で講師やってた時の生徒さんだったの。安室さんとは何度も付き合ったり別れたりしてたんだよね!」
「空、そう言うプライベートな事は言っちゃ…! ゴメン、聖蘭さん!! 空は無邪気なだけで悪気は無いのさ…!!」
「過去の事ですので気にするまでもありません」
「じゃあ、今はどうなんや?」
「ゆ、夕鶴…、お前はまた凄い事を…。無邪気さの欠片も無く悪気が満ちあふれているとしか言いようが無いぞ…!」
「知人と言う程度です。それ以上でもそれ以下でもありません」
「そ、そんなぁ…!」
「まぁまぁ、男なんてみんな不器用なもんや! 温泉に入って嫌な事は全て忘れようで!!」
 ショックを隠せない安室の肩を叩く大河。
「だから、お前顔が嬉しそうだぞ…!」
「では、全員揃った所で行きますか。あのタクシーで旅館まで行きますわよ」
「うおっ、おもしろかっこいいタクシーだな!」
「また、懐かしいフレーズやね…!」
 丸目のヘッドライトの間に挟まれた四角く大きめなグリルが印象的なクラシカルなデザインのフロントセクションに、屋根が高く四角い箱形の座席が組み合わされている。
「倫敦タクシーと呼ばれるイギリスから輸入された車で、ミニバンの二列目が取り外され三列目に座るような感じの広々としたレイアウトが特徴ですのよ」
「でも、それやと全員乗れないんやない?」
「ええ、ですから空さんと夕鶴さんに乗って頂き、あとの人達は歩いて行きましょう。宿はここから近いですし」
「そやったら、うちらも一緒に行くで!」
「でも、良いのか空?」
 奏真は心配そうに空を見る。
「うん、みんなで一緒に行った方が楽しいもん!」
「ふふふっ、解りましたわ。みんな一緒に行きましょう」
「おーっ!」
 駐車場を出て有馬街道を東に向かい、駅前にある太閤橋交差点に出ると、南に向かって川に沿った坂道を上がって行く。
 川にかかった橋のすぐ近くにある噴水のある広場にはちょんまげ姿の銅像が鎮座していた。
「成金っぽいおっちゃん像やな」
 歩きながら夕鶴が言う。
「太閤秀吉像です。跡継ぎに恵まれない秀吉は子宝の湯で知られる有馬温泉の効能にあやかろうと、何度もこの地を訪れ様々な改修をしたと言われています。
 その為、この辺りには秀吉と縁があり太閤と名の付く地名が多くあるそうです」
「でも、結局効いて無いんやないの!?」
「この太閤秀吉像の視線の先…左側に見える赤い欄干の橋の所には、奥方のねね様の像があるんですよ。
 ねね様は梅干しが大嫌いだったから、食べてから温泉に入ると懐妊するって言うはらみの梅を口にしなかったって伝説が残されているんです」
 少しは良い所を見せたい安室が補足説明する。
「きっと、子宝の湯って効能にケチつけたく無いが故のこじつけやね!」
「それは言っちゃアカンやろ!!」
「ふふふっ、ご利益があるかどうかは皆さんが試してみては如何ですか?」
 姫は立派な壷を差し出し、蓋を開けてシワシワになった梅干しを見せる。
「いつの間に!?」
「美味そうやないの! うち、梅干し大好きやで!!」
「な、何の躊躇いもなく行くか…!?」
「やる事やらなきゃ妊娠しないし、やる事やってもやる事やってれば妊娠しないし、やる事やっても妊娠しない時はそん時はそん時やしね!」
「公衆の面前でまた凄い事を言い切った!!」
「お前なぁ、女としての恥じらいっちゅうもんが無いんか!?」
「苦渋を舐め続けたうちにそんなもんあるわけ無いやろ?!
 生きていれば飲むし食べるし、オシッコもすればウンチもするし、どんな事でも諦めたら終わりやけど、どんなに頑張っても出来ない事もあるし、欲望も我慢出来ない事もあるんや!!
 そう、生きるっちゅう事は綺麗事じゃないんやで!!」
「ふふふっ、夕鶴さんは良い母親になるかも知れませんわね。医療関係にも向いていると思いますわ」
「…なんだか僕もそう思う」
「ほら、空も美味しいから食べてや!」
 夕鶴が梅干しを掴んで空に差し出す。
「ふぇ…?」
「なんや、顔真っ赤やん!! 空でもそう言う事に興味あるんやね!! まぁ、思春期の女の子やったらあたり前やけど!!」
「そ、そんな事ないもんっ!!」
 空は夕鶴から梅干しを奪い取るように掴み、その小さな口に運ぶ。
「食べちゃったよぉ!! 赤ちゃん出来ちゃったらどうしよう!?」
 嬉しいんだか、恥ずかしいんだか解らない複雑な表情を浮かべる空。
「そ、空…!?」
 そんな空を見て顔を赤くする奏真。
「もし、そうなったら責任とらなあかんで…!」
 大河はニヤニヤとしながら奏真の耳元で呟いた。
「俺はそんな事はっ…!」
「ふふふっ、残念ですけどそれはお土産屋さんで買った紀州南高梅干しですわ。
 はらみの梅はこの近くの林渓寺と言う所にある、未開紅と呼ばれる樹齢二百年を超える紅梅の実で、そうそう食べられるものじゃありませんのよ」
「もぅ、お姉ちゃんの意地悪ぅ!!」
「あらあら、わたくしは一言もはらみ梅とは言ってませんことよ」
「さすが姫ちゃんやね、その意地の悪さはうちも見習いたいわー!」
「頼むから見習わんといてや!」
「さぁ、他の皆さんも食べて下さいな」
「うん、すっぱいけど美味しいや!」
「関西では梅干しって言ったら和歌山の紀州南高梅って言うぐらいスタンダードな物なんですよ」
「おれん家なんて冷蔵庫に完備されてるで!」
「はい、関西圏の土産物屋では高確立で扱っていますし、この有馬温泉郷でも南高梅を料理に取り入れている旅館が数々あるそうです」
 梅干しをじっと見つめ誰にも聞き取れない程の小声で呟く奏真。
「空も大人になろうとしているんだな…。いや、大人になろうとしないのは俺の方か…」
 そして、その実を頬張った。
 川から一本は離れた道に入ると両側には土産物屋が連なり、浴衣姿の老若男女が下駄を鳴らして歩いている姿が見られ、ますます気分は盛り上がる一方であった。
「まったく、温泉街と言うものは無性に胸が高鳴るものだな…」
「ボクも胸を高鳴らせる相手が欲しいもんですわ…」
 そして、道をまっすぐ行った所に目的の旅館はあった。
 木造三階の和風建築で三角形の屋根が特徴的であり、ロビー前の広場には緑色に生茂った桜の木が植えられていた。
「木造の和風ながらどこかモダンな感じだ!!」
「ここは西暦1191年に開業した老舗で芸術を愛する人々に好まれ度々作品の舞台になった有名な旅館ですわ。
 明治になって神戸港が開港された事をきっかけに、この周辺には外国人専用ホテルが立ち並んでいたらしいんですの。
 そう言った影響もあってか、昭和初期になってこの建物が新築された際には、フランスから取り寄せたステンドグラス等を使ってサロンを作ったりと、温故知新、和洋折衷な趣きとなったのかも知れませんわね」
「まさしく神戸らしい場所だね!」

裸の付合い

「ここにはエレベーターは無いんやけど、階段や廊下の途中に椅子やワインセラーが置いてあったり、うちみたいに足悪くてゆっくり歩いてても落ち着くわー」
「神戸には古い建物が多く今後のバリアフリー化は課題だと思いますが、例え設備改修をする事が出来なくても人を気遣う心を持つ事は大切だと思いますわ」
「そやね! うち、ここに座らせてもらうわ!」
 木の温もりに包まれた旅館の二階で夕鶴が廊下の椅子に座る。
「では、皆さんの使うお部屋ですが…、伝統的な雰囲気でこの宿を愛した文化人の作品の残る天楽が一室。ネオジャパネスクと呼ばれる和洋折衷な雰囲気の中庸を二室。レトロモダン…つまり温故知新な雰囲気の地久を一室借りていますわ。
 わたくしと竜斗さん、大河さんと夕鶴さん、奏真さんと空さん、安室さんと聖蘭さんで別れて使いましょう」
「ちょっと待ってくれや!? 普通部屋割言うたら男と女で別れるやろ! それが何や!? 間違いだらけの部屋選びか!? そんでもって四室も借りて贅沢か!?」
「あら、わたくしが払いますからお金の心配はしなくてよろしくてよ。
 それにお値段に差はありますが、どのお部屋も素晴らしくて何処を選んでも間違いなんてありませんわよ。
 あと、木造の旅館では静かにしないと迷惑ですわよ」
「そやな、おれが悪かった。木造旅館では静かにせんとアカンな」
「って言うか、問題が色々とすり替わっているんだけど」
「ふっ、俺は良い部屋割りだと思うが」
「お兄ちゃんの…エッチ…」
「そ、空…、なんかスイッチ入ってへん!?」
「私も構いません。安室とは何もありませんから」
「…ボクは、皆さんにお任せします」
「安室さんはやっぱヘタレやね!」
「僕は誰と一緒でも良いよ」
「誰とでもオッケーって、竜斗センパイは質悪いわぁ!!」
「まぁ、とにかく中庸の二部屋を男に女に分けて、温泉に入った後に他の部屋は自由に使うとしよや!」
「だから、なんで大河が仕切っとるん!?」
「さっきからお前うっさい! 姫さんが静かにしろって聴いてなかったんか!?」
「いや、お前ら二人共五月蝿いんだけど…!」
「ふふふっ、男同士、女同士と言うのも悪くありませんわね」
「姫はまたそうやっていかがわしい言い方をする…!」
「では、あとでだな…!」
「うん…!」

 脱衣所で服を脱ぎ金郷泉と呼ばれるメインの浴場に入ると、左手に浴槽、右手に洗い場があり、更に奥に通路があり露店風呂へと続いていているようだった。
「なぁ、竜斗…」
「言うだけ悲しくなるだけだぞ!」
「いや、ここはあえて言わせてくれや…!
 なんや、この不公平さは…!? おれらが一体ナニしたって言うんや…!! こいつらのぶら下がってるモン見ると文字通り自分がちっさく思えるわ…!!」
「ああ、言っちゃった…! しかも、泣いてるし…!!」
「顔も良く、スタイルも良くて、アレもデカイ…! おれらで勝てるものって言ったら性格の良さぐらいしかあらへん…!! そう、男の真の魅力は器のデカさや…!!」
「いや、大河には全て無いから…! 僕も人の事言えないけど…。もう、止めようよ…。マジで泣けて来る…」
「そやな…」
「竜斗と大河もそこで漫才してないで、さっさと身体を洗ったらどうだ?」
「そうですよ、熱いシャワーで身体流すと気持ち良いですよ」
「うん、そうだね…!」
「ああ、シンドイわぁ…。あのデカイもんが隣にあると思うとシンドイわぁ…」
「お前はまだ言うか…!」
「むむ? 奏真お前デコん所どうしたんや…?」
 大河がお湯を被って露になった奏真の額を覗き込むと、そこには今までに無い一筋の傷跡があった。
「それは昨日の怪我…? 能力で治ったんじゃなかったの…!?」
「ああ、これは自分への戒めにあえて残したのさ…」
「戒め…?」
「そう、もう竜斗も知っているかと思うが、俺は空の病気を治す為…、空が苦しまなくて良い世界を作るために戦っている。
 それなのに、空を守る事が出来ず傷つけてしまった自分が許せなかったんだ。
 だから、二度と空を悲しませる事が無いよう、昨日の事を永遠に忘れないようにしたいのさ」
「そうだったんだ…」
「奏真の気持ちは解る…、痛いほど解るから応援する…! せやけど、それで空が喜ぶとは限らへんと思うで…!」
「どういう事だ…?」
「男は不器用な餓鬼やから好きな女の為やと思うと、ついつい無理して大げさな事を考えがちやけど、それは女から見れば男のエゴに過ぎないんや。
 女の望んでるもんって思いを伝える言葉やったり、行動やったり、日常の中にあるほんの少しの特別やと思う。
 お前の男としての意思を貫くって事も大切やけど、空の女としての気持ちも組んでやった方が良いで」
「た、大河がまともな事を言っている…! お前頭大丈夫か…!?」
「なんでしたら、ボクが知り合いの脳神経外科医を紹介しますわ。ちょっとマッド・サイエンティストですけど腕は確かですよ!」
「大きなお世話や…! おれは自分が苦しい思いをしたから、友達に同じ苦しみを味わって欲しくないだけや…!!」
「だが、俺が空の為に戦い以外に出来る事など…」
「奏真…、お前ホントはまだ童貞やろ…?」
「な、何故それを…!?」
「お前、凄い事をストレートに聴くよな…!」
「そうですよ! 幾らなんでも恥ずかしすぎますよ!!」
「前に竜斗にアレコレアドバイスしとったけど、アレって本当は自分がやりたい事やったんやないの?」
「ああ、その通りだ…。だが、空の病気の事を考えると、とても手を出す事が出来ないのさ…」
「そりゃそうやな…」
「そこで、あっさり引き下がるか…!?」
「せやけど、奏真の気持ちもごもっともやし!」
「でも、空も奏真先輩と一つになりたいって思ってるのは間違い無いだろ!?
 過ぎて行く時を抱き締められる二人だけの思い出が欲しいんだよ!!
 ここでその思いに応えられなかったら、奏真先輩だけじゃなくて空にも後悔が残る…、そんなの本当に空を大切にしている事にならないよ!!
 僕はあの時、奏真先輩から励まされたからこそ男になれたんだ!! だから、その思いを返したいんだ!!」
「…ふっ、流石は俺のライバルだな。君は人から様々な事を吸収して、人を変えて行く事が出来る…そんな力を感じるよ。
 だが、残念ながら俺は空を守る為に戦う事を止めるつもりはないし、決して誰にも負けるつもりも無い…、それこそが俺の存在理由なんだ。
 しかし、恋愛でもライバルである君に負けるわけにはいかないしな…!」
 奏真は竜斗に向かって微笑みかけた。
「んで、結局どうすんねん!?」
「それは聴くだけ野暮ってもんですよ」
 ガラガラガラ。
 その時、壁の向こう側…女子浴場から音が聞こえた。
「はじめに身体を洗うのがマナーですわよ」
(おっ、噂をすれば何とやら、女どもが入って来たようやで…!)
(結構、音が響くし、ここは静かにしておいた方が良い気がする)
(そやな…)
「うわぁ、姫ちゃんってスレンダーで肌も真っ白だし、お人形さんみたいに綺麗やね!」
「わたくしでよろしければ、幾らでも見て頂いて結構ですわよ」
「お姉ちゃん!! 女の子がそんなとこ見せちゃダメだよ!!」
(そんな所って何処だよ!?)
「うわぁ! あないな所まで真っ白やん!! 下の毛も銀色って事はその髪も地毛なんやね!! ほんまに日本人、いや人間離れして綺麗やわ!!」
(だから、夕鶴…、お前は何を見ているんだ!?)
「元々は肌の色も髪の色も普通だったんですが、最近になって色が抜けて来たんですの。老化現象かもしれませんわね」
「老化現象って姫ちゃん何歳やの!?」
「肉体年齢は19歳ですが精神年齢は遥かに高いですわよ。数字にすると300歳を超えていますわね」
「なんや、結局は19歳やって事やん! 意外にも歳が近かったんやね!
 でも、姫ちゃんと空って同じような体型やけど結構違うんやなぁ!  空は寸胴でぷにっとしたフォルムで、胸なんて陥没しとるし、ここなんて一本筋やん!! 」
(ダメだ、これは突っ込めない…。突っ込んだら負けだ…!)
「もう、バカにしないでよねぇ!! 」
「でも、うちは可愛いらしくて好きやで!!  こうすると、どうなるんや?! 」
「くすぐったいよぉー!! 」
「いいやんか、減るもんやないし! お、陥没してた可愛いお豆さんがプクっとしてきたでぇ!! 」
(…)
「そんな事言わないでよぉ!! 」
「うぁあ! 聖蘭さん立派な身体やなぁ!! うち憧れてまうよぉ!!
 しかも、大人なのにツルツルやん!! こんなところまでちゃんと手入れしとるんやなぁ!! うち感動したで!! 美しくあるのって見えないところも努力が必要なんやな! 」
「恐れ入ります」
「ふふふっ、絶景ですわねぇ」
 かぽーん 。
(ダメだ、露天風呂に行こう…、これ以上は耐えられない…!)
(そやな…!)
 竜斗達は屋内浴場の奥にある通路を行く。
 通路には茶褐色の湯が張られていて、先に行く程水位が高くなって行く。
「しかし、夕鶴の奴…天才か?! 」
「悔しいが、いい仕事してるで!!
 って言うか、奏真と安室さんは頼むから隠してくれや!! 元々デカイのが益々デカくなってるのなんて見たくないで!!」
「ふっ、そいつは仕方無い」
「ええ、不可抗力ですわ」
 そこは大きな窓があって外が見える半露天風呂と言った感じだった。
 茶褐色の温泉は腰のあたりまであり、かなり色が濃いので下半身を見通す事は出来ない。
 右側に石積みの敷居があり、奥に行く程その境界が低くなっている造りだ。
 竜斗達は風呂の先端まで行って肩まで漬かった。
 温度変化により肌にピリピリとした刺激が走り、それから全身がとろけて行くような心地良い脱力を感じた。
「ふぅ…、良い湯だな」
「そうですなぁ…」
 そして、暫くそうやってまったりとした入浴を楽しんだ後、火照った身体を冷やそうと立ち上がって窓の外を眺めようとした時だった。
「おっ、奥が露天風呂になってるんやね!」
「あらあら、そんなに急ぐと危ないですわよ」
 敷居の反対側から夕鶴と姫の声が聞こえた。
「また、五月蝿いのが来たで…!」
「まぁ、正直お互い様だけどね…」
 と、彼らが振り返ったその時だった…。
 低くなった石積みの敷居の向こう側に夕鶴を始め、続々と現れた女性陣の全裸姿が見えてしまった。
「な、なんやとっ…?」
「きゃーーーーっ!! なんや、お前ら痴漢かっ!?」
 一瞬、思考停止状態になって固まってしまったが、夕鶴が悲鳴をあげた事で我に返って慌てて背を向けて肩まで温泉に漬かる
「ちゃうでっ!! 不可抗力や!!」
「そ、そうだよ!! それに一瞬だったから何も解らなかったよ!!」
 と言いつつも、先ほど夕鶴がわざわざ解説してくれた事が事実であると言う事だけは解った。
 特に白くて細い姫と、ふくよかな空の対比は印象的だった。
「うそや!? お前らうちのおっぱい見とったやろ!?」
「いや、おっぱいなんて無かったで!! 洗濯板しか無かったやないか!!」
「やっぱり、見たやん!! アホぉ!! 最低やお前ら!!」
「ふふふっ、言うのを忘れていましたが、この温泉は半混浴で男女が顔を見合わせて入浴する事が出来るのが特徴なんですのよ」
「そう言う事は早めに言ってくれや…!」
「むしろ、あえて言わなかっただろ…?」
「何の事ですかねぇ」
「お姉ちゃんの意地悪ぅ…」
 空は涙目で言う。
「あらあら、良いじゃありませんこと? 女性は見られる事で美しくなるものですわ。むしろ、殿方に見られると思うと興奮しますわね」
「ほんと、姫って自分の欲望に忠実だよな…!」
「そんなに褒めないで下さいな」
「だから、褒めてないから…!」
「済んでしまった事は仕方ありません。気にせず入浴を楽しみましょう」
 そう言うと聖蘭は何事も無かったかのように肩まで浸かる。
「聖蘭さんは対応が大人やね…!」
「ボクとしてはもうちょっと気にして欲しいですけど…」
「空は…、恥ずかしかったけど…」
「ふっ、だがそんな空も可愛かったよ…」
「お兄ちゃんの…馬鹿…」
「し、仕方無いから入ってやるわ…! 肩まで浸かれば見えへんみたいやし…。でも、変な事したら承知せーへんよ!!」
 そして、全員が温泉に入った。
「するわけ無いやろ! ジャリん子の頃、さんざん一緒に風呂入っても何も無かったやろ!!」
「そん時と今はちゃうやん!!」
「お前の洗濯板は今も昔も変わらへんやろ!?」
「そやね、お前のポークビッツも今も昔も変わらへんし!!」
「そやな、俺のポークビッツは今も昔も変わらへん…って違うやろ!! 何言わせとんねん!!」
「だから、お前ら五月蝿いって!!」
「でも、おれらのお陰で恥ずかしさはなくなったやろ!?」
「そや、うちらに感謝せーや!」
「お、お前ら…!!」
「でも、こうしてると小さい頃に月夜お姉ちゃんと一緒にお風呂に入った時の事を思い出しちゃうな」
「ああ、前に話してくれた生き別れたお姉さんの事か」
「うん、月夜お姉ちゃんは悪戯好きでね、一緒にお風呂入ってると手で水鉄砲作って、口とか鼻を狙って空が溺れたり泣いたりするの見て喜んでたんだよ!」
「うへっ、酷い姉ちゃんやなぁ、悪戯にも程があるで!」
「ふっ、良い子は真似しちゃいけないな」
「あら、弱点とは狙う為にあるんですから、少しでも隙を見せる方がいけないんですのよ」
「姫って本当に人の弱点が好物だよな」
「うちは姫ちゃんの言う通りやと思うよ! 今後はその考え参考にさせてもらうで!!」
「姫お嬢さまを参考にするまでもなく、夕鶴さんは人の弱みをガンガン狙ってるじゃないですか!?」
「ヘタレには厳しくがうちのモットーやし!」
「ええ、情けない男は叩くべきです」
「そ、そんなぁ…!」
「おまけに月夜お姉ちゃんはもの凄く嘘が得意だから、どんな悪戯をしてもうまく誤摩化して絶対に怒られないんだよ。そればっかりか、悪戯を空のせいにしちゃう事もあったし」
「うわぁ、それはうちでも真似出来ん領域やわ!」
「きっと、ブラフマンの才能を色濃く受け継いでしまったが為に、産まれ付き性格が拗じ曲がってるんやな!!」
「どんな才能を持って産まれたとしても、全ては使い方次第だと思いますわよ」
「姫はやけに月夜さんの肩を持つよな」
「あら、気のせいですわよ」
「私はどのような事でも人に出来ない事を平然とやってのけるとは素敵だと思います」
「ふっ、聖蘭さんらしいな」
「ええ、まったくですわ」
「せ、聖蘭さんも案外ぶっ飛んでるな…」
「でも、どんなに意地悪でも空は月夜お姉ちゃんの事が好きだったの。また、一緒にお風呂に入りたかったなぁ…」
「きっと、月夜お嬢様も空ちゃんと同じように思ってますよ! 案外、もう既に一緒に入ってたりするかも知れませんよ!!」
「…」
 聖蘭はジトっとした目で安室を睨みつけていた。
「!?」
 それに気付いてビクっとする安室。
「そうだよね! かくれんぼが得意だった月夜お姉ちゃんの事だから、何処かに隠れて一緒にお風呂に入ってたりしても不思議じゃないもんね!!」
「ふっ、そうだと良いな!」
「そやね!」
「そうやな!」
「そうだね!」
「そうですわね」
「やっぱり、みんなでお風呂に入ると楽しいねっ! こんなに長くお風呂に入ったのって久しぶりだし、何だかのぼせて来ちゃったみたい!」
「大丈夫か空…?」
「うん、全然平気、ポカポカして気持ち良いぐらい!!」
「じゃあ、俺達はそろそろ上がらせてもらうよ!」
「では、私も失礼させて頂きます。安室をお説教しなければならないので」
「え、ボク何か悪い事しましたっけ? と言う事でボクも出ますわ…」
「うちもフラフラやね!」
「なんやお前、この程度でフラフラか? おれは全然平気やで!!」
「アホぉ、あれだけ入ってフラフラならん方がおかしいやろ!?」
「ふふふっ、多少でも気を学んだ大河さんは、他の方より体温調整が優れているんですわ」
「何でもかんでも気で解決って、どこぞの漫画並みの御都合主義やね…!」
「それは言っちゃダメだろ!」
「しゃーない、俺も上がって街でアイスでも食おか、夕飯までは各自自由時間やしな!!」
「当然うちにも驕ってくれるんやろ!?」
「…」
「なんで、そこで黙るん!?」
「じゃ、お先に失礼するでっ…!」
 と足早に立ち去る大河。
「だから、無視せんといてや!」
 それを追掛けるように夕鶴も女子側の脱衣所へと向かって行く。
 そして、露天風呂には竜斗と姫が残された。
「ふぅ、やっと静かになったね…」
「そうですわね、せっかく二人きりになれたんですからゆっくりしましょうか?」
「うん、他の女の子がいる前じゃ出来なかったけど、やりたい事があったんだ…!」
「あらあら、エッチな事ですか?」
「違うって!!」
 竜斗は立ち上がって半露天風呂の先端まで行くと、窓先の岩に腰掛けて足だけを湯につけて山の緑を眺めた。
 露出した火照った肌を柔らかい風が優しく撫でつける。
「やっぱり窓から身を乗り出すと気持ち良いや!! なんか、こう言う自然の中で風呂に入って、全身に風を浴びるって最高だよね!」
「この露天風呂や旅館もそうですが、家や庭と言った狭い生活空間の中に広大な自然を表現する…、日本人の持つ和の感覚と言うものは本当に素晴らしいと思いますわ」
「うん、なんでこんな時にって思ったけど、温泉に来て本当に良かったって思うよ!
 それに、根本的な問題解決にはなっていないかも知れないけど、奏真先輩や空も元気を取り戻す事が出来たみたいだしね!」
「ふふふっ、わたくしは何時もの通り自分自身の欲望に従ったまでですわ!」
「ふっ、姫も今日は何時も以上に楽しんでたよね! でも、残念ながら一部で哀れな人もいたけど…」
「あらあら、それならば貴方は何時ものように、その人の為に行動すればよろしいんじゃありませんこと?」
「そうだね、それが僕に出来る事だしね!」
「ふふふっ、わたくしは誰かの為に一生懸命生きられる、そんな貴方が好きで好きでたまりませんわ!」
 やけに姫の声が近く感じた竜斗は横に振り返って驚愕する。
 低くなった岩の敷居の向こう側で姫は竜斗と並んで岩に座り込み、その小降りだが形の良い双丘が目の前で露になっていたからだ。
「うわっ!! 見えちゃってるよ!!」
「いいじゃありませんか、貴方の他に誰もいないんですから」
「そうかも知れないけど、目のやり場に困るんだよな…!!」
 顔を真っ赤にした竜斗は脈打つ部分を手で覆い隠し、岩に座ったまま姫に背中を向ける。
「では、こうすればよろしくてよ」
 姫は低い敷居越しに後ろから竜斗の首に抱きつく。
「ひ、姫…!?」
「しばらく、こうして居させて下さいな…」
 滑らかな肌や柔らかい二つの胸の感触が背中に伝わってくる。
 その小さな身体が愛おしくて愛おしくて仕方無く、竜斗は自分の首もとで交差された姫の白魚のような可憐な手に頬をすり寄せ、両の手で優しく握りしめた。
 竜斗の若い情熱は露になり天に向かって力強く聳り立っていた。
「大切な人と同じ時を過ごし、手を伸ばせば互いを感じ合う事が出来る…こんな幸せな事はありませんわ」
「僕も姫と居られて幸せだよ…!」
 竜斗は岩に座ったまま姫と向き合って、露になった白くて華奢な肩を掴む。
 アーモンド型の切れ長の美しい瞳や、お団子にしてアップにした銀色の髪が光を受けてキラキラと煌めく。
 その身体は以前にもまして人間離れした美しさが増している気がした。
「なんか、前よりも綺麗になったんじゃないか?」
「あら、目のやり場に困るんじゃなかったんですの?」
「本当は見たいに決まってるだろ? 姫の事が好きで好きでたまらないんだから!」
 そして、そのシルクのような肌を抱き締め、自分の唇を姫の唇に押し当てた。
「ふふふっ、貴方は燃え滾ると蠱惑的な程に大胆になりますわね。貴方に魅せられてわたくしも熱くなってしまいますわ。お部屋に帰ったら続きを楽しみましょ!」

因果を覆す

 部屋で二人きりの時間を楽しんだ後、竜斗と姫は浴衣に袖を通しながら話していた。
「さて、これから安室さんを探しに行こうと思うけど、他の皆は何処で何してるんだろうな?」
「大河さんと夕鶴さんは、聖蘭さんと一緒に街に繰り出しているようですわね」
「アイツらが聖蘭さんを慕っているのは解るけど、普通はデートに他の人を同行させないよなぁ…」
「聖蘭さんが姉で大河さんが弟、夕鶴さんが妹で、一般的な恋愛関係を超越し、ある種の家族関係を築き上げている感じですわね」
「なんか、滅茶苦茶羨ましい気がするよ!」
「ふふふっ、そうですわね!」
「一方で兄妹当然に育って来た空と奏真先輩は、部屋に戻って一線を超えちゃったんだろうな。ぶっちゃけ、旅館が古いって事もあって、声がだだ漏れ状態だし…」
「でも、あの空さんからあんな声が出るとは、想像すると無性に興奮してしまいますわね!」
「うわっ、ヨダレ垂れてるよっ!」
「あら、垂れているのはヨダレだけじゃありませんわよ!」
「相変わらずオープン・スケベだよなぁ…!」
「貴方だって興奮してるじゃありませんか、浴衣から可愛い物が飛び出してますわよ!」
「それは事実だけど、言われると恥ずかしいよ!」
「そう、人間は理性という仮面を被っていたとしても、誰もが野性的な一面を持っているものですから、スケベなのは仕方無いものなんですわ!」
「そうだけど、あまりスケベをオープンにし過ぎると世間体って言うのもあるしね!
 実際にはスケベでも表面的にはピュアでクリーンなイメージを保つのも必要だと思うんだ!!」
「ふふふっ、今更それを気にしても遅いですわよ、貴方がムッツリ・スケベもとい、隠れ熱血野郎だと言う事は既に周知されていますわ。
 それに、向こうの声があれだけ漏れていたと言う事は、こちらの声も相当漏れていたはずですわよ」
「…えっ? マジ!?」
「旅の恥はかき捨てと言いますが、もはや開き直るしかありませんわね」
「のおっーっ! 恥ずかしいっ!!」
「そして、肝心の安室さんの行き先ですが、皆目検討もつきませんわね。
 近頃の高校生と比べても自由に出来るお金は無さそうですし、そう遠くには行ってないと思いますわ、最悪は可能性の高い順番に総当たりですわね」
「姫って肝心な所で当たって砕けろ的な感じだよな」
「ふふふっ、その方がわたくし達らしいんじゃなくて?」
「まぁ、そうだね! んじゃ、まずはサロンから行ってみるか!」
 竜斗と姫は部屋を出てサロンに立ち寄った。
「うわぁ、ピアノも置いてあるし、二人かけのテーブルの配置や、壁一面の本棚が西洋風な感じでセンス高いね!」
「このサロンは昭和初期に応接室として使用されていたらしいですわ。フランスから輸入されたステンドグラスや、建築当時にしては珍しく洋材を使用した床や壁が特徴ですの」
「へぇ! しかも、流れている音楽が良いね! 旋律は優雅で奇麗だけど切なさに胸震えるような感じだ!」
「古いマッキントッシュと言うアンプを使い、タイノンと言うスピーカーで音楽を流すのがここの売りらしいですの。
 曲は1899年…ちょうど百年前にフランスの作曲家モーリスにより作られた作品で、逝ける王女のためのパヴァーヌ…ですわね。
 パヴァーヌと言うのは16世紀から17世紀にかけてヨーロッパの王宮で普及していた舞踏の事で、逝ける女王と言う曲名は特定の人物を示すものではなく、古い時代の風習や情緒に対してのノスタルジーを表しているらしいですわ。
 この曲は発表した当時、音楽関係者からはテンポが悪いと酷評され、作曲したモーリス本人も駄作だと言っていたのですが、晩年になって記憶障害を患った後には、誰が書いたか知らないがとても素晴らしい曲だと認めたらしいですわ」
「懐古主義って言うのかな…? 僕には振り返りたくなるような過去がまだ無いから解らないけど、自分への偏見を無くして始めて自己肯定を出来るようになったモーリスの生き様には共感出来るよ」
「ふふふっ、貴方はヘタレのモーリスのように歳を取って破滅的な経緯を経なくても、若くして少しの切っ掛けでご自身を認める事が出来たじゃありませんか」
「また、姫は過去の偉人に対してヘタレとか言っちゃって祟られても知らないぞ!」
「あらあら、祟りなど怖くはありません事よ。そんなもの気合いと根性でどうにかなりますもの」
「ふっ、本当にそれが出来ちゃうのが姫らしいよな。でも、そんな姫にサポートされているからこそ、僕は成長する事が出来るのさ。ありがとう姫…」
 姫と向き合って手を繋ぎ、その白い頬にキスをする竜斗。
「あら、そんなの貴方を愛する者として当たり前ですわよ。それより、先ほど世間体云々言ってたのに、人前でそんな事して良いんですの?」
「人前って…? 誰も居ないはずっ…」
「いいですなぁ、皆さんはイチャイチャする相手がいて…!! ボクなんて聖蘭に説教された上に独りですよ…!!」
「あ、安室さんこんな所に居たんだ…。あまりにも気配が無いから気づかなかったよ…。しかも、もしかして呑んでる!?」
「呑んでますとも!! これが呑まずにはいられますかっ…!!」
「ちょっと、運転するのにそれはまずいんじゃないの!?」
「ふふふっ、それは心配ないようですわよ、彼が飲んでいるのはファンタと言う炭酸飲料のようですし」
「ファンタって中学生か…!? しかも、それで酔っ払うものなの…!?」
「人間、何にでも酔う事が出来るんですの。もっとも、安室さんの場合はファンタに酔っていると言うより、自分自身に酔っていると言った方が正解かもしれませんけど」
「…また、随分とダイレクトな事言うよな」
「ううっ…」
「しかも、また泣いてるし! なんか、悩み事があるんだったら、僕達で良かったら話くけど。まぁ、大方聖蘭さんとの事だと思うけど…」
「凄い!! なんで解ったんですか!?」
「いや、解らない方が違う意味で凄いでしょ!」
「そうなんですよ!! 少し長い話になりますけど、本当の本当に良いんですか?!」
「勿論、僕達は始めからそのつもりで安室さんを探してたんだし!」
「うううっ、ありがとうございます…!」
「あらあら、泣いている時間がありましたら、早く話すべきじゃございませんの?」
「そうは言っても、人には人のペースってもんがあるし、あんまり急かせても可哀想だよ」
「竜斗くんは優しいですね! 竜斗くんだったら気兼ねなく全てを話せる気がしますよ!!」
「安室さん…」
「ボクの物語の始まりは東京の大学に通っていた時です。
 ボクが産まれ育ったのは神戸の北部…、神戸とは名ばかりの本当に何も無い田舎で、それまで遊びと言う遊びを経験した事が無かったですから、親元を離れて都会に出て良い気になって居たんでしょうね。
 親がボクの為を思って一生懸命働いて稼いだ仕送りを使って、未成年なのに仲間と酒を呑み、エッチなお店で一晩限りの欲望を満たしたり自由を満喫していました」
「若さ故の過ちもここまで来ると酷いですわね」
「でも、僕だって姫の所に下宿してお尻を叩かれなければ、同じようになっていたかも知れないよ」
「そして、東京で堕落した生活を送りながら、95年の1月17日…阪神淡路大震災の日を迎えます。
 その日も何時ものように前日の夜から遊び歩いて始発で帰って来て、夕方ぐらいに起きて何気なくテレビを付けて初めて故郷に起きている現実を知りました。
 ボクは慌てて親や友達に何度も電話しましたが一向に繋がらず、胃を鷲掴みされるような感じがして、天地が反転するような目眩の中で戻して倒れてしまいました。
 こう言うのを生きた心地がしないって言うんでしょうね。
 全く先の見えない不安に押し潰され頭が滅茶苦茶になってしまいそうでした」
「それは辛いよね…」
「竜斗さんったら、またお鼻が出てますわよ」
 と言って姫は竜斗の鼻水をハンカチで拭う。
「そして、それから何日か経ってオカンから電話がありました。
 オカンは何とか逃げ延びる事が出来たものの、オトンは火災による二次被害で亡くなり、被害にあった他の人達と一緒にプライベートも無ければ、トイレも無いような避難所で、寒さに震えながら暮らしていると聴きました。
 地元に帰って皆の助けに成りたいって言いましたが、オカンは大学を卒業して立派な大人になる事がオトンの望みやし、震災なんかに負けて戻って来るなんて許さんってドヤされました」
「きっと、安室さんを危険から遠ざけたいって言う親心だったんでしょうね。その気持ちは痛い程解りますわ」
「良いお母さんだね…」
「ええ、ホントにそうだと思います。
 ボクは親の金で遊び惚けていた事を反省し、みんなが大変な時に自分だけ楽をするわけにはいかないので、一心不乱に勉強に打ち込みました。
 でも、現実はそんなに甘いものではなく、全く身に成らないばかりか、心と身体が遠く離れて行くのを感じました。
 そんな時です、旭陽教授のゼミで聖蘭と出会ったのは。
 そして、彼女はボクに言いました。
 本当に辛い事があったなら強がるだけ無駄だと言う事を知れ。
 自分自身が傷付いている事を認めない限り、何時まで経っても空回りして先には進めない。大切な事はそこから何を学ぶかだと」
「聖蘭さんは安室さんが直接震災に遭わず、東京で暮らし続ける事に負い目を感じ、心の傷から目を逸らしているって事が解っていたのかもね!」
「もしくは何処かの誰かによる仕込みであったかも知れませんわね。ですが、その言葉はまぎれも無い聖蘭さんの生の感情だとわたくしは思いますわ」
「ええ、ボクもそう思います…。そして、ボクはそのまま聖蘭に旭陽教授の提案する実験に参加しないかと誘われました」
「それってまさか!?」
「そう、それは人工的に神を作り出す実験…、聖蘭はそのテストタイプとも呼べるNo.2女教皇の大アルカナであり、ボクはそのパートナーに選ばれたそうです。
 旭陽教授…ブラフマン曰く、この世の全ては因果と言う法則に縛られているらしいのですが、大アルカナとはその法則を破壊する力であり、世界を意のままに改変して人の死すらも無かった事に出来ると言われました」
「人の弱みに付込むなんて詐欺まがいも良い所ですわね」
「ええ、いくら憔悴していると言っても、ちゃんと分別はわきまえる事が出来たので、当然の如く断りました」
「そりゃそうだよね…!」
「でも、聖蘭は立ち去ろうとするボクの唇を突然奪い、自我領域を展開するとNo.2のカードを巨大な刀へと具現化させ炎を操って見せたんです。
 当然、ボクは驚きましたよ、そんな夢のような事があるなんて、直接目で見ても信じられませんでしたから。
 ブラフマンは言いました、この世界は何処かの誰かが見ている夢物語…、だから、不可能を可能にする事が出来ると」
「でも、大アルカナが自我領域の範囲内で夢を実現する能力だって聴いてけど、この世界そのものが夢なんて突拍子もないね」
「ボクも竜斗くんと同じように思いましたが、ブラフマンはボクの疑問に対して一つ一つ理論的な答えを教えてくれました。
 正確に言うと夢物語をブラフマンが現実世界を舞台にして再現する事で、この世の摂理を捩じ曲げているらしいです。
 だから、大アルカナの能力を発動するには、暗示を受け入れる核となる強い願望の他に、その夢物語において役柄を持つ必要があるそうです」
「なるほど、このトーナメントが夢物語の再現だとすると、ブラフマンによって暗示を受けた選手だけが大アルカナの能力を発動出来るって事にも納得出来るね。
 だから、トーナメントに敗れると大アルカナの力を失うってわけか」
「ブラフマンはその夢を見ている人こそ変革された世界を構成する要素であり、転生を司るNo.20審判の大アルカナだと言ってました。
 ヒンドゥー教ではこの世界は保持者ヴィシュヌの見ている夢であり、ヴィシュヌが瞬きする間に一つの世界が産まれて消えて行くって言う話がありますが、その化身とも呼べる存在なのかも知れませんね」
「No.20審判の大アルカナって、確かNo.13死神の大アルカナと一緒にトーナメント表の欄外に書かれていたのだよね」
「ええ、聖蘭のパートナーとして選ばれたボクに関係あるのは、そのもう一つの世界を構成する要素…、死と輪廻を司るNo.13死神の大アルカナの方らしいです。
 それは大アルカナと言う力を産み出し、世界が変革される原因になった存在。
 彼女は絶対的な因果である死と輪廻の象徴であり、ヒンドゥーの神々の力の根源である神妃の概念そのものと言えます」
「ある意味で諸悪の根源と呼べるような女ですわね」
「全ての大アルカナは彼女の為に作られたようなものですから、そのパートナーは彼女と同じ因子が求められるらしいんですよ。
 それは精神的や肉体的な脆さを持つ、つまり死を強く感じさせると言う事です。
 阪神淡路大震災で親や、知人、友人を亡くし、心神喪失状態になっていたボクは絶好のサンプルだったんでしょうね。
 確かに大アルカナが運命に抗う手段だと考えると、誰もが避ける事が出来ない運命を身近に感じてこそ力を発揮出来るのも納得出来ます」
「思い返してみれば空や夕鶴もその条件を満たしているし、僕が知らないだけで他の人達だって同じような問題を抱えているのかも…。
 あの地震の恐怖は忘れられない、いや忘れちゃいけないものだしね…」
「そして、一般人が知る良しも無いような専門的な物理、科学、心理学、医学、民族・宗教学に関する事まで様々な講義を受ける内に、ボクは何時しか疑うと言う事を忘れて行きました」
「それはブラフマンお得意の理詰めでの洗脳ですわね。常に的確な答えが与えられ続けると、大抵の人間は考える力を失ってしまいますから」
「ええ、ブラフマンと言う人は本当に恐ろしい技術を持っていると思いますよ…」
「ふふふっ、貴方は騙されちゃダメですわよ」
「僕は大丈夫だよ!」
「そして、全ての講義を終えて聖蘭の能力開発が行われる事となりました。
 能力を完成させるにはNo.13死神の大アルカナと、No.20審判の大アルカナの因子を取り込む必要があるんです」
「死神と審判の因子ってどう言う事…?」
「つまり、パートナーの力を借りず、舞台や役に縛られずに大アルカナとしての能力を発揮するって事ですわ」
「ああ、それは前にも聴いた事があるよ。確かハードルを上げながら練習をする事と、小アルカナを一定数倒す事で実現出来るって言ってたっけ。
 …でも、何でそこで小アルカナが出て来るかは聴いた事が無かったけど」
「ブラフマンが小アルカナと呼称する霊現象や霊能力、魔術、超能力等の現象は因果と言う枠に縛られた理力であり、それを上回る事で因果律を覆す大アルカナとしての能力が完成した事を暗示出来るらしいですよ」
「でも、小アルカナって自然発生するものでしょ? 何人用意したかは知らないけど、結構大変な気がするな…」
「そのような理力使いを育てるノウハウは遥か昔から確立されていて、世界中に育成期間のようなものがあるんですよ。
 そこから計画に必要な人員を派遣してもらっているのですが、ブラフマンは大アルカナと比べれば取るに足らない噛ませ犬としか思っていないようですよ」
「ふふふっ、そうやって見下していると、何時か痛い目を見る時が来ますわよ」
「それから、ボクらはブラフマンの指示を受け、東京の夜の街で何人もの小アルカナを倒しました。
 聖蘭と言うのは不思議な人で、普段はクールと言うか色んな事に無関心なんですが、一回スイッチが入る人が変わったみたいに熱くなるんですよ。
 理由もなく退屈な世界を破壊する事を楽しむ…、ある意味でもの凄く純粋な人なのかもしれのせんね」
「確かに聖蘭さんってクールだけど、たまにもの凄く過激な雰囲気を感じる事があるよ」
「人と言うのは誰もが色んなお顔を持ち、時と場合に応じてそれを使い分けているものですから、一面だけを見て単純に判断する事は出来ませんわ。
 彼女に過激な一面があるのは事実ですが、感情を抑えて優しいメイドとしての仕事に取り組む一面も、私生活でのだらしない一面も、わたくし達の知らない一面も、全て含めて聖蘭さんと言う人間なんだと思いますわよ」
「そして、ボクは自分に無いものを持つ聖蘭に心惹かれ、公私ともにパートナーと呼べる間柄になりました。
 でも、生きている事を楽しいと感じると同時に思うようになったんですよ…、過去の自分があるからこそ今の自分があるんだって。
 正直、阪神淡路大震災やボクの愚行は美化出来るものじゃありませんですし、今でも思い出すだけであの時と同じような吐き気に襲われます。
 でも、そう言う一つ一つの経緯があったからボクは聖蘭と出会う事が出来たし、そこから何かを学ぶ事が出来たんだと思えたんです」
「きっと、自分自身を受け入れる事が出来たんだね!」
「ふふふっ、正しい答えを導き出すには問題と言う現実を受け入れる必要がある…、それも世の理ですわね」
「ですが、このまま聖蘭と一緒に計画を実行すれば、ボクの全てが…、過去も現在も未来も…、ありとあらゆるものが無かった事にされてしまう…。
 何より聖蘭との絆を失ってしまう…、そう思うとたまらなく恐くなったんです」
「それは当然の事だと思うよ…」
「でも、聖蘭はそれを許さずボクをパートナーから外し、能力を使わなきゃ勝てるわけも無いのに、一人で戦いに挑んで行きました。
 ボクはどうしても聖蘭を助けたくて戦場に駆けつけましたが、そこで見たものは当時中学生だった奏真くんをパートナーにして、小アルカナを倒してしまう聖蘭の姿でした。
 浮気現場目撃って気分でしたよ…、なんせ能力発動ってキスじゃないですか…?」
「うん、それは辛いね、マジで…」
「ボクは自分の居場所を失って腑抜け状態になってしまいましたが、旭陽教授の奨めで空ちゃんの家庭教師のバイトをする事になりました。
 そんな中で空ちゃんに奏真くんが行方不明だって相談を受けて、ボクは戸惑いながらも自分が知っている事を話したんです。
 そして、空ちゃんの気持ちに押されたボクは、旭陽教授に頼んでNo.5の大アルカナとなり、一緒に聖蘭と奏真くんを止める為に戦う事にしました。
 その後の顛末は既に知っているかと思いますが、あの事件をきっかけに互いの意見が対立しながらも、互いの意見を認め合って再び付き合うようになりました」
「人は都合の良い一面だけを見て恋と言う幻想を抱きますが、現実として付き合うとなると都合の悪い面すらも容認し、その人の全てを好きになる必要があるんですわ」
「まるで恋愛博士だな、僕が初めての相手だった癖に…」
「ふふふっ、肉体的には19歳の乙女ですけど、自称精神年齢300歳は伊達じゃありませんことよ」
「そして、ボクと聖蘭は大学を卒業して共に旭陽家の従者として働く事になりました。
 とは言っても暫くはお給料を頂きながら訓練校で研修を受ける毎日で、関西なまりを矯正されたり、従者としての心得や家事等の仕事を教わりしました。
 教官が厳しくて本当に嫌って程泣きましたよ…、正直、学生時代より社会に出てからの方が勉強する事が多かったと思います」
「なんか、何処まで行っても勉強って感じだね…」
「もし、何も学ぶ事の無い日々を送っているのならば、それは無意味な人生を過ごしていると同じですわ。
 ですが、人は興味も無いような事に努力を費やせる程、都合良く出来ていませんの。
 だから、自分の好きになれる仕事を見つけたり、仕事の中に自分の好きになれる要素を探す事が大切なんだと思いますわよ。
 安室さんの場合ならば、例え下手くそでも車の運転だったり、自分本位であっても空さんのお世話をする事を楽しむ事だったと思いますわ」
「…いちいち刺があるけど納得したよ」
「研修を終えたボクらはそれぞれの場所で働く事になりました。
 ボクは旭陽家の執事として旦那様や空ちゃんのお世話をさせて頂きながら、ブラフマンの執行者として計画を実行する任を…。
 そして、聖蘭は危険分子である姫さまを監視する為に香夜家に出向し、メイドとして働きながらもブラフマンに情報を流す任を与えられました」
「そ、それってスパイじゃん!?」
「ふふふっ、聖蘭さんがスパイだと言う事は承知してましたけど、あの美貌と有能さの前では些細な問題だと思っていましたわ」
「いや、そこは問題にしようよ!」
「それに些か頼りなさはありますが、こちらもブラフマンの懐にスパイを潜り込ませていますしね」
「ほんと、頼りなくてすみません…。そう、ボクは基本的に計画の実行に反対ですから、旦那様の暗黙の了解の元で姫さまに情報を流して来ました」
「でも、それじゃ互いに出し抜く事なんて出来ないんじゃないの?」
「そうです、ブラフマンの狙いはそこなんですよ。膠着状態になればなし崩し的に力がある方が勝ちますからね」
「あら、最後に勝つのはわたくしですわ。何と言ってもわたくしには最愛の恋人にして、切り札となる竜斗さんが居ますからね!」
「そりゃ、責任重大だね…!」
「竜斗くんだけに負担をかけるつもりはありませんよ! ボク自身もトーナメントの優勝を目指して計画を止めるつもりですから!!」
「ふふふっ、互いに頑張るとしましょう!」
「うん、そうだね!」
「でも、ここ数日前の事ですが、聖蘭が当然に別れを切り出して来たんです…」
「やっぱり恋人同士で戦いたくないからとか?」
「いや、 聖蘭にとって戦いは存在理由そのもの…。
 だから、彼女はボクと対立している事を喜び、何時か全力を出して戦う事を約束して、何時か来るその時を楽しみにしていたはずなんですよ。
 そして、ボクもその戦いに勝つ事を目標に、ずっと自分自身を鍛え上げて来ました。
 でも、いざその時が迫りつつある中で、ボクとの約束を捨ててでも戦わないとならない相手…、本当に好きな人が出来たんだって言われました。
 だから、別れて欲しいって…」
「安室さん…」
「聖蘭は取り返しのつかない間違いを犯そうとしている大好きな人を止めて、その人の為に理想の世界を作り出したいって言ってました。
 なによりも、自分には無い強さを持つその人と純粋に戦い合う事が楽しみで仕方無いらしいです。
 そりゃ、誠意を見せて説明してくれたので聖蘭の気持ちは解りますよ…。
 でも、頭で理解したとしても人間の気持ちは簡単に割り切れはしないんです…。
 やり場を失った気持ちをどうしたら良いか解らず、切なくて、切なくて、もう死にそうなんですよぉ…!!」
「大人が子供に恋愛相談するとは本当に切ないね…」
「ええ、どうしょうも無いヘタレさ加減ですわね…」
「それは言わないで下さいよぉ!!」
「でも、安室さんの気持ちは凄く良く解るよ、好きになった人が自分を好きで居るとは限らないからね…。
 僕も恋人がいる人を好きになった事があるんだ…。
 恋敵と自分を比較して自己嫌悪に陥って、その人に成り代わりたいとさえ思ったよ。
 でも、ありのままの僕を好きで居てくれる人の気持ちに気がつき、何処まで行っても僕は僕にしかなれないって事を受け入れる事が出来たんだ。
 そんな今だからこそ、例え恋人同士になる事が出来ないとしても、好きになった人の幸せを最優先に考えるべきだって思えるようになったんだ。 
 自分を後回しに考えるのは、凄く悔しくて辛い事かもしれないけどね…!」
「やっぱり竜斗くんに相談して正解ですわ! ボク、聖蘭の幸せの為に何が出来るか考えてみますよ!!」
「僕なんかでも力になれて良かったよ!」
「それにお嬢様もありがとう御座います!! あえてキツい事を言う事で竜斗くんと一緒に飴と鞭を作り、ボクが話し易いようにしてくれたんですよね!」
「ふふふっ、本当に素でやっていただけですけど、褒められて悪い気はしませんわね」
「やっぱり、素だったんだ!」
「当たり前じゃありませんか、情けはヘタレの為に成らずがわたくしのモットーですから!」
(でも、聖蘭さんの好きな人か…。まさか、奏真先輩じゃないよな…)
 竜斗は心の中で呟いた。

陰と陽の気

 神戸研究学園都市。
 神戸市西区に存在する学校集中地区であり、住宅と産業の複合機能団地として計画された西神ニュータウンの一部である。
 地下鉄西神山手線の学園都市駅を中心に綺麗に区画された団地や一戸建て住宅が立ち並び、その周囲を囲うように私立、公立問わず、小学校から中学、高校、大学、自動車教習所まで様々な学校が設立されている。
 その一角、学園都市の北に位置する流通科大学のキャンパスを閉鎖し、トーナメントの準決勝戦が行われようとしていた。
 23時…まるで夢のような楽しい一日が終わろうとする時間であった。
 竜斗と姫、奏真と空、そして相対する安室と聖蘭は、一度帰宅して私服から何時もの制服や執事服、メイド服に着替えた後に再び集合した形となる。
 先ほどまでは和気あいあいとした雰囲気が嘘であるかのように、それぞれがピリピリとした緊張感を漂わせていた。
 流通科大学の石畳で舗装されたキャンパスの出入り口。
 コンクリートのゲートを幾重にも重ねたような近代的なデザインのレストラン棟の前。
 そこに再集合した彼ら六人の他には主催者であるブラフマンと、コート姿の見知らぬ二人の若い男女の姿があった。
 そして、他には誰も居ない。
 つまり、今まで戦いを観戦し続けた他の生徒達は居なかった。
「この世で最も希望的な事は何だろうか?
 私は究極の希望とは無知であると考える。
 君達はシュレディンガーの猫と言う物を知っているか?
 何時致死性のガスが噴き出すか解らない箱の中に猫を入れて、蓋を開けずにその中の猫が生きているか、死んでいるかを問うと言う物だ。
 答えは蓋を開けるまで解らない。
 つまり、解らないと言う事は、そこにありとあらゆる想像や可能性があると言う事だ。
 君達、神の候補として選ばれし者達が少年である事は、無知であるが所以に無限の可能性を秘めているからだ。
 そう、君達は特別なのだ。
 特異能力の有無に関わらず、少年は皆自分の事を特別だと何処かで思っている。
 それは広い世界を知らず、自分の小ささを知らず、人との距離を知らず、穢れを知らない存在だからだ。
 だから、異性と肉体的接触を果たしたぐらいで、互いの存在意義を認め合った気になり、世界が自分を中心に回っているかのような気になってしまう。
 そんな簡単に理解し合える程、人は単純なものでは無いし、そんなちっぽけな世界など大きな世界から見れば何ら影響力も無い。
 だが、真実を知らず閉鎖された箱の中においてそれは現実となるのだ。
 多くの者は真実を知り、自分自身が特別な存在では無い事を悟り力を失う。
 だが、真実を知ってもなお自分自身の特別性を失わず、絶大な力を持って大きな世界に影響力をもたらす者が居るとすれば、それは限りなく神に近い存在と言える。
 そして、今君達の前にいる二人の給仕は大人になってもその力を失わず、またパートナーに頼る事無く自分の存在意義を認識する事ができる。
 それは何故か…?
 木は土から養分を吸い取って生長する。
 土は水を吸い取る。
 水は火を消す。
 火は金属を溶かす。
 金属は木を切る。
 そのような自然の摂理とも呼べる理を操る者達との戦いを経て、因果律をも超越した絶対的な自我を身につけているからである。
 これから君達は二組で協力して小アルカナと呼ばれる理力使い二人と戦ってもらう。
 ただし、戦場となるこのキャンパスには今までのように共通認識を持つギャラリーは存在しない。
 つまり、強い自我を発揮しない限り勝つ事は出来ないだろう。
 もし、その戦いを勝ち抜き絶対的な自我を手にする事が出来たら、敷地の奥にあるグラウンドで待ち受ける二人の先人と戦うのだ。
 限りなく神に近い者同士の戦いを制し、完全なる大アルカナすら超えた力を手にした二組こそ、トーナメント決勝戦で神の座をかけて戦うに相応しい」
「グラウンドまでは校舎の渡り廊下を潜り、中庭を通り抜ける一本道ですので迷う事は無いかと思いますが、途中に池や植栽、芝生等が有り大変美しく整備されています。
 未知の能力者を相手にするのは大変かと思いますが、行き詰まった時はブラフマン教授のお話でも思い返しながら、風景を眺めて心を癒すのも良いかも知れませんね」
「安室さん…、こんな時に何を…?」
「安室…、貴方の行為は自己愛に過ぎないと言ったばかりですよ。全く反省の色が見られないようでしたら、もはや身体に言い聞かすしかありませんね…」
「!?」
「では、私は安室にお説教をしなければならないので、お先に失礼させて頂きます。互いに全力で戦い合える事を待ち望んでおります」
 そして、聖蘭は無言のプレッシャーを放ちつつ、ガクガク震える安室を引き連れて去って行った。
「言葉使いは丁寧だけど安室さんは安室さんだな…」
「ふっ、聖蘭さんも聖蘭さんさ。是非とも二人の元へと辿り着きたい所だな」
「ふふふっ、その為にもあの方達を片付けなければなりませんわね」
「そう簡単に我々を制する事が出来ると思っているとは心外だな」
「無惨な屍を晒すのはお前達の方と知りなさい」
 対面する二人組の男女は試合開始の合図を待たずクナイを乱れ投げする。
 竜斗はほぼ無意識のうちに女性からの攻撃を読み、胡蝶刀を抜き放ち連続してクナイを弾き落としていた。
 一方で男性からのクナイを浴びせかけられた奏真は能力の発動前で無防備な状態であったが、姫が驚異的な反射で両者の間に割って入り日本刀で迎撃する。
「はははっ、まさか不意打ちとは恐れ入ったね…!」
「我々に与えられた任務はお前達を始末する事だけだ。お前達が行っているゲームのルールに縛られるつもりもなければ、目的の為に手段を選ぶつもりも無い」
「ふふふっ、敵ながら良い心がけですわね。ここはわたくしが引き受けますから、奏真さんは早く能力を発動して下さいな」
「ああ、ありがとう!」
「頑張ってね、お姉ちゃん!!」
 そして、そのまま竜斗対女性、姫対男性と言う流れになる。
 女性は地面に投げつけた球体から発生した煙幕によって竜斗の視界を遮ると、忍刀を抜いて斬り掛かる。
 しかし、その軌道を読んでいた竜斗は胡蝶刀で相手の忍刀を弾き、無防備になった女性の腹に蹴りを繰り出す。
 だが、女性は全身の力を抜き後ろに飛ぶ事によって、竜斗の蹴りの威力を受け流す。
「かわいい顔して女に蹴りを入れるとはとんでもない坊やね」
「自分自身を貫く本当の強さには男も女も関係無いし、そんな強さを持った相手に手を抜くのは失礼だしね。
 それに自分に相手より優れている面があったとしても、相手にも自分より優れている面があるはずだから、互いに優れている部分を活かす事が卑怯だとは思えないよ」
「気に入ったわ、坊や…! その歪みない精神力に鋭い先読み…、どうやら強力な陽の気を持っているようね…!!
 あちらのやたら素早いお嬢ちゃんは陰の気の使い手かしら…?」
「あらあら、精神年齢300歳を越すわたくしを小娘扱いするとは心外ですわね」
「やぁ、待たせたね…!」
 自我領域を発動させて具現化させたチャクラムを手にした奏真が、姫と相対する男の間に躍り出る。
「気を付けてね…!!」
 その様子を離れた所から心配そうに見る空。
「その円月輪が世の理から外れた力の象徴と言う物か…。よろしい、我々も本気を出して忍術を以て向かい打たせてもらう!!」
「陰陽なんて年寄りの健康法みたいな初歩的な気じゃ、より高度な五行の気を扱う私達の足下にも及ばないって事を教えてあげるわっ!!」
 そして、二人組の男女はコートを脱ぎ捨てて、鎖帷子の上に黒装束を纏った姿になると両の手を組み合わせる。
「まさか、忍者だというのか!?」
「そう、私の名は甲賀の橘アヤメ…! 本物の忍術を伝承し続ける里の末裔よ…!!」
「近畿地方の山間部は作物が育ちにくい為、農業の傍らで傭兵業を生業にする忍者の隠れ里が多く存在していました。
 その多くは時代と共に失われて行きましたが、一部はその力を活かして各国要人の暗殺や護衛等を請け負う闇の仕事人となっているらしいですわ」
「そう言う事っ!! いくわよっ!! 金遁の術!!」
 竜斗と相対する橘アヤメは印を組み、地に手を翳すとそこから金属の槍のようなものを取り出し鋭い突きを放つ。
「な、何も無い所から槍が出て来た!?」
 竜斗は鋭い反射でなんとか避けるが、予想に無い出来事に冷や汗を流す。
「槍だけじゃないよっ!! 次は水遁よっ!!」
 橘アヤメが印を組むと槍の表面に結露のようなものが発生し、次第に槍は巨大な水の竜へと姿を変えて竜斗に向かって襲いかかる。
「こりゃ、ダメだ!! あんなものに襲われたら溺れ死んじゃう!!」
 竜斗はどう足掻いてもそれを避ける事が出来ない事を悟ると背を向けて走り出し、技の射程距離外へと逃れようとする。
「おそらく、相手の目に見えない所まで移動すればコントロール出来ないはずだ!!」
 道の両横には川のように水の流れる池と植木があり、更に校舎の空中回廊を潜った向こう側には、芝生に木製の椅子とテーブルが置かれた中庭が見える。
 竜斗はとっさに回廊の柱の影へと隠れると、案の定、水の竜は目標物を失い、迷った挙げ句に植木にぶつかり消滅する。
「やったか!?」
「甘いっ!! 木遁の術!!」
 だが、橘アヤメが間合いを詰め再び竜斗を視界に捉えると、先ほど水の竜が当たった植木がうねり、もの凄い勢いで触手のように竜斗へと枝を伸ばす。
「なんじゃこりゃ!? だが、これは刀で斬る事も出来そうだ!!」
 竜斗が迫り来る木の枝を右手の胡蝶刀で切り落とそうとした瞬間だった。
「火遁の術!!」
 チリチリと言う音と共に木の枝が炎上し、右手側の胡蝶刀がドロドロに溶け落ちる。
「なっ、武器が溶けた…!?」
 そして、次の瞬間、半径一メートルの範囲が一気に火に包まれた。
 だが、後から追い駆けて来た姫が竜斗の身体を抱え、共に池に飛び込む事でダメージを避ける事が出来た。
「油断大敵ですわよ!!」
「ありがとう姫!!」
 池から上がって橘アヤメの次の攻撃に身構える竜斗であったが、先ほどの木が炎上して石畳に積もった灰が粘土へと変化し、彼の足下を固めて自由を奪う。
「これが土遁の術よ!! どう、私の五遁の術のお味は!?」
「いや、流石だよ…! まさか、こんな漫画みたいな忍術が存在するなんて思ってもいなかった…!!」
「忍術と言うものは密教や陰陽術、修験道の行者が用いた呪術を戦闘用にアレンジしたものだと言われ、本物の忍者ならばその技法を現代に伝えていたとしても不思議ではありませんわね」
「あら、自称300歳のお嬢ちゃんは、大切な坊やがピンチだと言うのに随分と余裕じゃないの?」
「ふふふっ、竜斗さんは絶対に死にませんわ…」
(このわたくしの命に代えても絶対に守りますから)
「なっ!!!!!!!?」
「…何故ならば、彼は全ての理を悟り人々を解脱へと導く者ですから!」
「言うじゃないの…!」
「竜斗さん、追いつめられたらどうすれば良いのかは忘れていませんわね…?」
「臍下丹田式呼吸法か…!」
「ふふんっ、馬鹿の一つ覚えで陽の気で精神を強化しても意味が無いわよ。だからと言って陰の気で肉体を強化した所で、力技じゃ私の忍術は破れはしないけど…!」
「どんな物にだって弱点は存在する…、今から竜斗さんが貴女の五行の術を破ってそれを証明しますわ!! 笑ってられるのは今のうちですわよ!!」
「ああ、やってやるさっ!」
「これは何…、坊やの雰囲気が変わった…?
 陰の気を練って少し好戦的にはなっているけど、むしろ、陽の気と陰の気が混ざり合って神々しい感じがする…!!」
 竜斗は安室のアドバイス通り周囲を見渡し、ブラフマンの話を思い返す。
「木は土から養分を吸い取る…。姫っ、粘土に枝を刺してくれ!」
 姫は隠し持った木の枝を竜斗の足下の粘土へと差し込むと、それは力を失って普通の土になって崩れ去った。
「よしっ!!」
 竜斗はバックステップで間合いを空ける。
「例え抜け出す事が出来ても、また同じ事を繰り返すだけよ!」
 橘アヤメは印を組むと竜斗の足下に広がった砂の中から鎌を取り出す。
「そうはならないさっ! 焼夷弾!!」
「解ってますわ!」
 竜斗が言うのとほぼ同時に姫はソードオフショットガンに焼夷弾を詰めて空中でパスしていた。
「なっ!!」
「火は金を溶かす。忍者だって色々な武器を使い分けるわけだし、卑怯だとは言わせないよ」
 驚異的な反射神経を持った橘アヤメにとって、弾丸が炸裂する前に弾き落とす事は雑作も無い事であったが、手にした鎌は弾丸内部の化学物質によって瞬間的に火に包まれて溶け落ちる。
 しかも、火災は止まる事を知らず、どんどんと広がって行く。
「だからと言って、こんな所でこんな武器を使う奴があるかっ!!」
 橘アヤメは印を組んで池に手をかざすと水の虎を作り出し、炎を消火してから竜斗へとけしかける。
「土は水を吸う」
 竜斗が床面から土を掴んで水の虎に向かって投げると、力を失ってバシャっと言う音を立てて水たまりと化す。
「木遁っ!!」
 橘アヤメは植木に直接手にかざし枝を操るが、竜斗は池の中まで引き付け、片方だけとなった胡蝶刀で一閃する。
 切断された枝は音を立てて池の中に落ち、枯れ木となって浮かんでいた。
「金は木を斬る」
 すかさず植木の枝を折りクナイの要領で竜斗に投げつける橘アヤメ。
「火遁っ!!」
 だが、竜斗は印によって枝が発火するタイミングを見計い、池の水をふりかけて発火させる事無く胡蝶刀でたたき落とした。
「そして、水は火を消す…。解ったよ、五行の相殺方法は…!」
「本当にやるわね、坊や…! 感の冴えもさる事ながら、動きのキレもさっきまでとは段違いだったわ…!!」
「陽の中にも陰は存在するので、陽の気の持ち主は強靭な精神に肉体が守られる。
 陰の中にも陽は存在するので、陰の気の持ち主は強靭な肉体に精神が守られる。
 陰と陽は元々一つであるので、陰と陽の気を同時に練って混ぜ合わせる事で、人間の持つ潜在能力を満遍なく引き出し森羅万象の理へと至る。
 五行のように相反する要素によって相剋するのではなく、転化し何処までも力を増して行く…それが陰陽の真の力ですわ!」
「ふふっ、陰陽の理も捨てたもんじゃ無いわね…!
 確かに五行は木、火、土、金、水と循環して強い力を発揮する相生もあるけど、それを打ち消し合う相剋の関係も存在する…!!
 でも、幾ら五行の法則を理解したとしても、体術と合わせて複雑なパターンを駆使すれば何ら問題は無いと知りなさい…!!」
「でも、僕もただで殺されるつもりはないよ…!!」
 竜斗は臍下丹田式呼吸法で陰陽の混ざり合った気を高める。
「それは凄く楽しみね…!! 本気の殺意と言う物をっ…!?」
「…」
「!?」
「どうしたの!?」
「…教えて上げようと思ったけど、やっぱ止めとくわ!」
「ガクっ!」
「坊やを殺したら最も残酷な死をくれてやるって、そのお嬢ちゃんから殺気と呼ぶのも生易しい程の陰の気を感じるもの。
 あんな陰の気をピンポイントで浴びせられたら、私じゃなかったら精神崩壊する所だわ。
 そして、それを確実に実行出来るだけの力も持っている。
 お嬢ちゃんは戦いの中で坊やを見守りながらも、この私を相手にその気になったら何時でも殺せる間合いを取り続けた。
 ハッキリ言って暗殺者なんて比較にならないイカレ具合ね…、うん、私の負けよ!」
「姫ぇっ…!」
「あら、なんの事ですかね…」
「でも、勘違いしないでね! 私はお嬢ちゃんに負けたんじゃなくて、あなた達二人の絆に負けたんだから!!
 あなた達はさしずめ陰と陽…。強い絆で結ばれて互いに支え合い、一緒にいるだけで自然と気が高まる関係だから、戦闘開始直後から強い力を発揮出来たのね。
 そして、二人で気を掛け合わせて戦う事で、その力は何処までも転化して強くなって行く…、そんなのに勝てる奴なんて居ないわ。
 この私が認めてあげる、あなた達、本当に最高のパートナー同士ね!」
「何を当然の事を言っているんですの…!?」
「僕は凄く嬉しいよ…! ありがとう…!!」
「坊や、貴方は幸せ者よ…、こんなにも一途に思ってくれる子なんて、何度生まれ変わったとしても出会う事が出来ないわ。
 これは私からのお願いだけど、お嬢ちゃんを大切にしてあげてね。貴方を守る為だったらどんな事でもするって覚悟を感じたから…」
「それ以上はプライバシー侵害ですわよ…。もし、戦いの最中にわたくしの心の声が聞こえたとして、それを口外したらどうなるか解りますよね…?」
「解った、解った、言わないよ。まだ死にたく無いからね…。おっと、向こうも決着が付いたようね!」
「お姉ちゃん!! 竜斗!! 大丈夫!?」
「ふっ、どうやら、そっちも無事に戦いを終えたようだね!」
 竜斗と姫の元に奏真と空が寄って来る。
 奏真の服は切り裂かれ、焼け落ち、殆ど裸と言っても過言では無い状態だった。
「そう言う奏真先輩は無事みたいだけど酷い有様だね…。この場に夕鶴が居たら半狂乱間違い無しな格好だし」
「ふふふっ、確かに目の保養には良いですわね」
「お姉ちゃん、恥ずかしい事言わないでよぉ!」
「これかい? 相手の攻撃がかなり強くてね。しかも、竜斗と同じように大アルカナの力が効きにくいようでかなり苦戦したよ」
「それでどうやって勝ったの?」
「攻撃を食らい再生しながらも特攻し、相手が倒れるまでひたすら殴り続けただけさ!」
「そんな単純な…!」
「あら、先ほど竜斗さんがおっしゃった通り、相手より何か一つでも優れている所があれば、それを活かして戦うのが戦略の基本ですわよ」
「ふふっ、あなた達の強さは本物のようね。
 特に陰陽使いの坊やと自称300歳のお嬢ちゃんは気に入ったわ。良かったら名前を聴かせて貰えるかしら…?」
「僕は走馬竜斗!」
「自称、香夜姫ですわ」
「自称って何よ…? 非常識な子ね!!」
「あら、暗殺者の貴女に言われたくありません事よ」
「とにかく、竜斗に姫ね…、覚えたわ…!」
「言っときますけど、名前を呪術に使おうとしても無駄ですわよ。わたくし達にその手の攻撃は効きませんから」
「違うわよ…! もし何かあったら、この甲賀の橘アヤメを頼ってねって事! あなた達だったら特別料金で仕事してあげるからさ!!」
「まぁ、竜斗さんの将来を考えると、使える手ごまが多いに越した事はありませんわね」
「暗殺者の力を借りるって、僕の将来って一体…!? まぁ、どんな力と言えど使い方次第だと思うし、何かあったら有り難く頼らせてもらうよ…!!」
「ふふふっ、まぁそんな所で私は失礼させて貰うわ! これにてドロン!!」
 橘アヤメは印を組むと、懐に忍ばせた木の枝を地面に投げつけ、炎に包まれながら消えて行った。
「き、消えちゃったよぉ…!?」
「ふっ、こいつは驚いたね…!」
「これが本当の火遁の術ですわね。五遁の術は自然現象を目くらましにして身を隠すのが正しい使い方なんですのよ」
「そうだったのか…」
「さて、そろそろ行こうか、グラウンドで聖蘭さんと安室さんが待ちくたびれている事だろうしね…!」
 奏真と姫は何やらアイコンタクトを取る。
「ええ、わたくし達の戦いはこれからですわ…!」
 そして、竜斗と空を置いて人間離れした速度で駆け出した。
「ああ、ちょっと…!!」
「二人共待ってよぉー!! 空そんなに速く走れないよぉ!!」
「竜斗さんと空さんは後からゆっくり来て下さいな!」
「竜斗…! 空を守ってくれよ…!!」
「あーあ、もう見えなくなっちゃったよ…。一体全体何だって言うんだ…?」
 竜斗は空と一緒に視界の先へと消えて行った二人の姿を追い掛けるが、空は突然息を荒くして地面に膝をついて動かなくなってしまう。
 それに気付いた竜斗は慌てて引き返し、空の顔を心配そうに覗き込む。
「ゴメン…!! 空は病気で走れないんだけっけ…」
「こっちこそゴメンね…」
「気にしないで良いよ、二人の事は心配だけどゆっくり行こう…! 僕が手を引いてあげるから…!」
「うん、ありがと…!」
 竜斗は空と手を繋ぐ。
 その手の大きさは握り慣れた姫のものに近かった。
 ただ、姫の手は白雪のように冷たく儚げな印象なのに対し、空の手は病気にも関わらず脹よかで生命力に満ちた印象だった。
「きっと、こんな空は足手まといになるから、お兄ちゃんとお姉ちゃんは先に行っちゃったのかも…」
「足手まといになるのは空だけじゃないよ。
 姫は僕も危険から遠ざけたいって思ったんだろうね。
 彼女は殆どの相手を一人で倒せるぐらいの実力があるんだけど、何時も僕の為を思って戦いを任せてくれる。
 でも、誰よりも優しいから、僕が傷付くのを見て何時も隠れて泣いてる。
 いざとなったら相手を殺してでも、自分自身を犠牲にしてでも、僕を守りたいって思ってくれている。
 多分、今回はそんな事言ってられる相手じゃないんだろうね…」
「竜斗こそ自分を責めちゃダメよ…」
「いや、自分を責めてなんかいないよ…」
 そう、まるで小動物のような庇護欲を誘う空に父性本能を刺激され、情けない自分でも誇らしく思えるので、必要以上の劣等感に苛まれまれる事は無かった。
「僕の力が足りないのは事実だから仕方無いけど、そう言う事じゃないんだ…。
 姫が僕が傷付くのを見て心を痛めるように、僕だって姫が傷付くのを見れば心が痛いに決まっているよ…。
 だから、どんな時でも一緒に居て痛みを分かち合いたかった…」
「うん、そうだよね、分かち合うって大切だよね…。
 空ね…、お兄ちゃんとお父さんが空の為に傷付いて行くの見てられなかったから、何だか解らない計画なんて止めて欲しかった。
 それで空が死んじゃっても仕方無いって思ってた。
 でもね、みんなと楽しい時を過ごしたり、お兄ちゃんと思い出を作ったり、竜斗とお姉ちゃんを見たりして思ったの…、空も自分勝手なんだって…」
「空…」
「空が小学校六年生の頃…、お父さんが阪神淡路大震災の時に、大怪我をして記憶喪失になったお兄ちゃんを連れて来たって話は知っているよね…?
 あの頃のお兄ちゃんは何時も大切な人を失った夢に苦しめられ続け、悲しみを埋めるように人と自分を傷つけるような毎日を過ごしてたの。
 空もお母さんを亡くして、お姉ちゃんとも別れたきり…。
 お兄ちゃんの気持ちが痛い程解ったから、なんとしても助けてあげたいって思ってたんだ…。
 でも、中学一年の冬休みに東京に行った時だったんだけど、お兄ちゃんが夜中に一人で出て行っちゃった事があったの…」
「その話は聴いた事があるよ…」
「夜遊びは毎日の事だったけど、その日は何となく嫌な予感がしたから、新宿の街まで追い駆けて行ったけど見失っちゃったんだ…。
 そのままお母さんや月夜お姉ちゃんのように、二度と会えないかも知れないって思うと恐かったよ…」
「空も辛かったよね…」
「それで、色々な人に話を聴いて回ったけど、お兄ちゃんに殴られたって人達の怒りを買っちゃったんだ。
 路地に連れ込まれて十人ぐらいに囲まれてもうダメかもって思ったよ。
 でもね、その時白いフリフリの服を着た女の子が助けに入って、黒いツインテールを振り乱してあっという間に全員倒しちゃったの…!」
「…まるで何処ぞの誰かのツーピーカラーみたいだけど、マジでカッコいい…!!」
「ツーピーカラー…? 良く解らないけど本当にカッコ良かったよ…!
 暗がりで顔は見えなかったけど、空はその子が月夜お姉ちゃんだって思ったんだ…!
 だから、嬉しくて、嬉しくて、必死になって後を追い駆けたんだけど、行き着いた先で見たのは聖蘭さんが超能力者を倒し、お兄ちゃんを車で連れ去る所だったの。
 それと、安室さんの姿も見たんだけど、聖蘭さん達の様子を隠れて見てて、大人の癖に声を出して泣いてたんだよ…」
「マジでヘタレだな、安室さん…」
「うん、それからも安室さんのヘタレは止まる事を知らず、家庭教師として再登場した時も休憩時間に隠れて何度も泣いてたんだよ…」
「それは酷い…、本当に泣きたいのは空の方だったんだろうにね…」
「うん、遂に我慢出来なくなった空は、あの夜の事を安室さんに聴いたんだ。
 そしたら事情を教えてくれたの…、お兄ちゃんは聖蘭さんのパートナーになって、お父さんの実験に巻き込まれちゃったんだって。
 だから、お兄ちゃんを探して戦ってでも間違った事を止めさせる事にしたの。
 でもね、安室さんと聖蘭さんが戦って共倒れになった所で、超能力者の人に襲われてお兄ちゃんが殺されそうになっちゃったんだ…。
 空ね、お兄ちゃんを庇って代わりに攻撃を受けたの…。
 生きててもお兄ちゃんの居ない世界に耐えられないって思ったから…。
 一歩間違えたら二人とも死んじゃうほどの大怪我をしたんだけど、お兄ちゃんが能力を目覚めさせてなんとか助かったんだよ」
「安室さんと聖蘭さんも仲直り出来たみたいだし、奏真先輩も空と一緒にいる事が幸せだって気付けたみたいだし本当に良かったよね…!」
「でもね…、それからお兄ちゃんはもっと苦しむ事になったんだ…。
 空はあの事件の後…、自律神経って所がおかしくなる原因の解らない病気になっちゃったの…。
 本当の事は何一つ解らないんだけど、お父さんは死んじゃう程の怪我から無理矢理再生した後遺症かも知れないって言ってた。
 だから、お兄ちゃんは空の病気が自分のせいだって思っちゃったの…。
 それで、距離を置いて一人暮らしをするようになって、お父さんと一緒になって色んな人を実験台にして再生能力の研究をしたり、こんな変てこな計画を立ててみたりしてる…。
 お兄ちゃんは空に優しくしてくれるようになったけど、その優しさが何よりも痛いの…」
 空は立ち止まって深呼吸をしながら力強く拳を握りしめる。
「私も、お兄ちゃんも、お父さんも…、みんな、みんな同じ…。
 大切な人が自分の為に傷付くのが恐いの…、だから、大切な人の為に自分は傷付いちゃっても良いって思ってる。
 大切な人が居なくなっちゃう事が恐いの…、だから、大切な人の為に自分が消えてしまっても良いって思ってる。
 でも、それじゃ自分勝手な優しさを押し付けて大切な人を傷つけているだけよ。
 私はその連鎖を止めたいの。
 だから、私の事を思う人の気持ちを無視して、生きる事を諦めたく無い。
 何かを犠牲にする以外にも方法があるはずだから、お互いの気持ちや現実をちゃんと受け入れて、どう生きるかって一緒に考えて行きたいの。
 病気を治す事が出来ても出来なくても、何時かは絶対に終わりは来るものだから。
 大切な人と過ごす日常を大切にしながら、最後の瞬間まで一生懸命生き抜きたいのっ…!!」
 空はその大きな瞳に強い意志の光を輝かせる。
 今までの幼く気弱だった空が信じられない程に大人びて見えて、強い精神力に満ち溢れているのを感じた。
「なんか、急に大人になったね…、やっぱ、初体験済ませたのは大きいのかな…」
「竜斗のエッチ…!! こんな時に何言ってるの…!?」
「うわっ、ゴメン!! そう言うつもりじゃなかったんだって!!
 いや、よく考えるとそう言う事でもあるか…。
 姫は人と人って近いようで遠いものだから、解り合う為に互いの気持ちを考える必要があるって言うんだけど、その為には色々と経験しないと解らない事もあると思うんだ。
 空は色々な経験を通して人として成長したような気がするよ」
「やっぱり、お姉ちゃんは凄いよね…!
 今もそうだけど空達に色々なヒントを出して、自分達で答えに導いてくれているんじゃないかって思えるの…!」
「そう、姫はそう言う事を平気でやってのけるんだ…!」
「なんか、急に心配になって来ちゃったから急ごうよ!!」
 そう言って病気とは思えない勢いで走り出す空。
「ちょっと、病気は大丈夫なの…!?」
「うん、なんか急に元気になったみたいなの…!!」
「それは良かったね…!!」
 竜斗は臍下丹田式呼吸法を併用しながら走り出す。
 戦いの時など激しい運動を継続する時は、浅い呼吸で気を練り込む事で持久力を飛躍的に向上させる事が出来るからだ。
 もちろん、攻撃力や防御力、精神力等を集中して向上させたい時は、しっかりと深く気を練り込む必要があるが。
 そして、竜斗は空の背中を見つめながら考える。
(もしかして、因果応報を受け入れて、再生能力の反動を克服したのかな…?
 なんだか精神力も体力も充実していて、陰と陽が織り混ざった気を練り込んでいる状態に近い気がする。
 気は潜在能力を意図的に引き出し理に至るって技術だけど、強い気持ちを持って現実を受け入れる事で同じ効果が発揮されるのかも。
 そう考えると、初めての戦闘で根性だけで工藤を倒す事が出来たのも納得出来る。
 仮に空が能力の反動とは関係無い病気だったとして、気を練り込む事で症状を改善出来るって言う可能性は充分あるな。
 そう言えば今日温泉に入った時、気を学んだ僕と姫と大河は自律神経が強化されている為か、一向に上気せる事が無かったし…。
 にしても空の裸…、他の女の子達と見比べてもぷにぷにしてて健康的だったな…、とても死にかけている子の身体とは思えないぐらいに…。
 なんだろう…? 何かもの凄く引っかかるものを感じる…)

残酷な真実

「な、何これ…!?」
 そして、竜斗と空は次なる戦いの舞台であるグラウンドに辿り着く。
 そこで見たものはグラウンドいっぱいに聖蘭と安室の自我領域が広がり、その中を聖蘭の作り出す炎と、安室の作り出す氷が混ざり合って渦巻いている戦場だった。
「炎が凍り、氷が燃えて融合している…!? もはや、自然の理なんて完全無視だな…!!」
「どうしよう、近づけないよ…!?」
 空は竜斗の腕にすがりつく。
「ああ、無鉄砲にこの中に突っ込むのは危険な気がする…。空…、ちょっと離れててもらえるかな…?」
「うん…」
 竜斗はブレザーの内側に括り付けてあった手榴弾を取り出す。
「何でそんな所からそんな物が出て来るの…!? 竜斗って最近お姉ちゃんに似て来たよね…!!」
「僕もそう思うよっ…!」
 そして、ピンを抜いて炎と氷の渦巻く空間へと思いっきり手榴弾を投げ込む。
 だが、爆発するどころか空間に触れた瞬間に消滅してしまった。
「消えちゃった…!?」
「こいつはヘビーだぜ…!」
「そう、完成に至った大アルカナとは因果律を超越した存在である。故にその自我領域の中では自然の理ではあり得ない対極した属性の融合が果たされる」
「お父さん…!」
 竜斗と空の前にブラフマンが現れる。
「そして、光と闇、破壊と再生、炎と氷…、対極する大アルカナの融合は全てを超越する力の鍵となるのだよ」
「ダメだ、そんな中には幾らなんでも入って行けない…!」
「愛する者達が心配かも知れないが、今はここで彼らの戦いを見守るしかあるまい」
「みんな、無理しないでね…」
 竜斗と空は目を凝らして炎と氷が渦巻く自我領域の中を覗き込む。
 そこでは姫対聖蘭、奏真対安室と言う構図になっていた。
 空間中に炎を纏った大剣を出現させ縦横無尽に斬りつける聖蘭に対し、姫は法則性の欠片も無いような攻撃を全て読み切り、僅かな隙をついてはその強靭な自我領域に対して華麗なヒット&ウェイを魅せる。
 しかも、隠し持ったナイフを投げたり、小型拳銃、日本刀、気によって強化された格闘術を使い分け、間合いを完全にコントロールし隙を見せない。
 まさしく、姫こそ史上最強の名に相応しい。
「私はこの時を待っていたんだっ…!! 私の知り得ない最強の力を持つ貴女と全力で戦える…そんなに嬉しい事は無いっ…!!」
「あらあら、そんなに買い被られても困りますわよっ!!!」
 それを見ている竜斗が呟く。
「聖蘭さんが戦いたい程に好きな相手って姫だったのか…。図書委員長じゃないけど本当にワンパターンだな…」
「そう言う事言っちゃダメよ。人を好きになるのに理由なんて無いから、みんな自分自身の現実に苦しんでるんだと思うの…」
「うん、そうだね…」
 一方で安室は聖蘭と同様に氷に覆われた槍を出現させて愚直なまで捻りの無い攻撃を繰り出すが、そのスピードのキレは奏真の運動神経を遥かに上回っており、彼の身体を貫いて凍らせる。
「まったく、聖蘭さんは楽しそうだね…!! あんなに生き生きとした彼女を見たのは初めてさっ…!!」
「ええ…!! ボクは聖蘭が本当に望む人との戦いに集中出来るように、サポートしようと決めたんですよ…!! だから、悪いけど奏真くんにはボクの相手をして貰います…!!」
「ふっ、安室さんを相手にするには、俺も完成された大アルカナの力を使いこなすしか無いようだな…!!」
 奏真は安室の攻撃を受けて凍りついた部分を自分で切り落とし、絶えまなく再生しながら安室や聖蘭と同様に空中に具現化したチャクラムを出現させ攻撃を仕掛ける。
 しかも、ボロ布と化した服まで再生しているようだった。
「何も無い所にいきなり武器を具現化させたり、能力を発動したり、挙げ句の果てに服まで再生する…、完成された自我領域の中じゃ何でも有りだな…」
「竜斗…どうしたの…?」
 空が心配そうに竜斗の顔を覗き込む。
「いや、もし彼らと戦う事になったとして、あんな力にどう立ち向えば良いんだか解らないんだ…」
「大アルカナに対抗出来るのは大アルカナだけだ。
 君は既にトーナメントに参加し能力を発動する権利を得ているので、私の暗示を受けさえすれば誰にも負けない力を手にする事が出来るだろう」
「大アルカナか…」
 対聖蘭戦の為に反射神経を鍛えた安室は、奏真のチャクラムを瞬時に自らの槍により撃ち落とし続ける。
「そんな付け焼刃の攻撃なんてボクには通じませんよ…!!」
「ああ、大アルカナの真の力に目覚めたばかりの未熟な俺の技が、熟練した安室さんの技に敵うとは思ってないさ…!!」
 そして、奏真は空間攻撃を囮にする事で、一気に接近しての格闘戦に持ち込む。
「チャクラムは捨て駒って事ですか…!?」
「そう言う事だ…!」
 安室の槍は至近距離での間合いに弱く、安室と比べて優れた肉体を持つ奏真は徐々に押して行く。
「くっ、強い…!!」
「相手より優れたものが一つでもあるならば、それを活用するのは戦いの基本だろ…?」
「随分と合理的ですね…!!」
「合理的発想をしているのは安室さんも同じだろ…?
 この戦いの構図は一見して聖蘭さんの願望を叶えているように見える。
 だが、世界改変推進派と反推進派の二体二と言う対立は維持していて、安室さんが自分で手を下さなくても聖蘭さんを止められる可能性が高い組み合わせになっている。
 残念ながら安室さんは間違っていると言えるよ…!」
「くっ…、奏真くんまでヘタレだって言うんですか…!?」
「ふっ、そうじゃないさ…! この戦いは二対二ではなく、三対一だったって事さ…!!」
「な、なんですって…!?」
 奏真は安室の隙をついて振り返り、姫との戦いに夢中になっている聖蘭に向かって、手にしたチャクラムで斬りつける。
「ぐっ…!?」
 油断していた聖蘭は奏真のチャクラムと自らの自我領域の反発によりすっ飛ばされる。
「良い不意打ちですわね…!!」
「まだだ、まだ終わらないさっ…!!」
 奏真は大量のチャクラムを空中に作り出し、地面に膝をついた聖蘭に向かって一斉攻撃を仕掛ける。
 そして、最後に奏真は頭上に巨大な光の円盤を作り出してゆっくりとしたスピードで解き放つ。
「聖蘭ぁーーーーっ!!」
 だが、地に膝をついた聖蘭を庇って安室が躍り出る。
「ぐはぁーーーーっ!!」
 次から次へと連続されるチャクラムの攻撃に安室の自我領域は削られて行く。
「安室さん邪魔をしないでくれっ…!!」
「ボクはやっぱりヘタレなんですっ…!! 例え対立しててもボクは聖蘭が傷付く姿なんて見たく無いんですっ…!!」
 そして、最後に巨大なチャクラムがゆっくりと迫り来る。
「安室っ…!! そう言う事をするからお前にはお説教が必要だって解らないのかっ…!?」
「ヘタレでゴメン、アホでゴメンな…、聖蘭…」
「本当にお前は馬鹿だっ…!! 何時も尻拭いする私の身にもなってみろっ…!!」
 自我領域を失い倒れた安室を庇うように聖蘭が覆い被さり、次の瞬間二人は巨大チャクラムが作り出す爆発に巻き込まれる。
 そして、グラウンドを覆っていた炎と氷が融合した強力な結界は消失する。
 爆煙が収まるとそこには爆発によって生じた巨大な穴と、No.2女教皇のカードとNo.5教皇のカードが残されているだけで、聖蘭と安室の姿は何処にも無かった。
「まさか、二人とも木っ端微塵になった…!?」
 竜斗は姫の元に急いで駆け寄り、その小さな白雪のような手をギュッと握ると、地面に空いた大穴を見て脂汗を浮かべる。
「いえ、方法は解りませんが瞬間的に身を隠したようですわね。
 聖蘭さんの法則性の欠片も無い卓越した発想力と、完成された大アルカナの力があれば不可能はありませんわ。
 ただ、ルール上逃亡は敗北となってしまう為、カードだけが残されたのでしょう。
 正直、これ以上戦いが長引いて聖蘭さんに本気を出されていたら、わたくしの方が木っ端微塵になっていた所でしたから本当に助かりましたわ…」
「姫でも勝てないって言うのか…」
 そして、空を抱き寄せ不敵な笑みを浮かべた奏真と、サングラスの奥で感情を押し殺したブラフマンが対峙する。
「何故、聖蘭くんを攻撃するような事をした…? 君にとって彼女は同じものを志す同士のはずだ…」
「何よりも大切な事に気付いたからさ…!!」
 そう言うと奏真は自身のNo.19太陽のカードを始め、運命、恋人、塔、戦車、吊男、正義、星、教皇…、合計9枚のカードを投げ捨てる。
「俺はトーナメントを辞退するっ…!!」
「お兄ちゃん…!?」
 その様子に驚きを隠せない空。
「世界の変革無くして死に至る病に犯された空の命は救えないのだぞ…?」
 ブラフマンはサングラスを押さえながらカードを拾い上げる。
「そう、俺は空を失うのが恐い…、それこそ何も考えられなくなる程だ…。
 だが、誰かを…、自分自身さえも犠牲にして世界の再構築を目指すって事は、空の気持ちを無視した自分勝手な思いに過ぎないって仲間達に教えられたんだ…。
 俺はずっと孤独だった、空だけが全てだった。
 楽しそうに笑っている同年代の子供達は外の世界の存在でしか無かったんだ。
 でも、竜斗がみんなの事を思って行動し続け、作り上げられた仲間の輪にいつの間にかに俺も引き込まれた。
 産まれて初めて心を許せる友達ってものが出来て、そこら辺にいる普通の子供になる事が出来たんだ。
 そう、俺は戦う前から竜斗に負けていたんだよ」
 奏真は竜斗に不敵な笑みを向ける。
「奏真先輩…」
「今まで心配かけてゴメンな…、空。
 現実と向き合って何が出来るか考えてみたんだ。
 俺は医学の勉強をして他の方法で空を救えないか探してみるから、空も頑張って待ってて欲しいんだ。
 どれだけ時間が残されているか解らないけど、その時に良い人生だったって思えるように、毎日を大切にして二人で生きて行こう。
 もし、志半ばで残される事となってとしても、同じ悲しみを共有出来る友達がいるから、思い出を背負って生きて行く事が出来る…。
 だから…、だから、最後の時まで一緒にいよう…! 好きだよ、空…! 結婚しよう…!」
「奏真…、私、嬉しい…、嬉しいよぉ…!!」
 そして、奏真と空は互いの身体を強く抱き締め熱く唇を重ねた。
「良かった…、本当に良かったね、二人とも…」
 竜斗も自分の事のように喜び涙を流しながら姫の手をぎゅっと握る。
「奏真さんじゃありませんけど、それも全て貴方が頑張ったおかげですわよ…」
 姫の声も心無しか霞んでいるように思えた。
「ああ、本当にその通りだ。
 本来私のシナリオの外側であの娘と共に幸せで暮らすはずだった君が、ここまで私のシナリオを狂わせるとは思わなかった。
 こうなると、またシナリオの修正が必要なようだ」
 ブラフマンは黒光りするサングラスを竜斗に向ける。
「もし、空の病気が治る可能性があるって言ったら、これ以上計画は実行しなくて良いんじゃないですか…?」
 竜斗は身構えながらも、繋いだ姫の手から勇気を貰い、毅然とした表情で答える。
「それはどう言う事だ…?」
 奏真が驚きながら聴く。
「空の病気の原因は解らないけど、それが再生能力の反動だったとして、夕鶴達の例を見るように克服出来ないものじゃない。
 もし、重度の自律神経失調症だったとしても、僕らの使う陰陽の気を練る事で改善出来ると思うんだ。
 正しい生活習慣を身につける事も効果があるかも知れない。
 陰陽の気を練ったり、生活習慣を改善する方法は大河だって知っているよ」
 竜斗の言葉を聴いて空は思わず泣き崩れそうになる。
「私…、私…生きられるかも知れないのね…! 嬉しい、嬉しいよ…!!」
 そんな空を支えるように、奏真が強く抱き締める。
「良かったな、空…! ずっと、ずっと一緒にいよう…!」
 そして、涙に濡らした頬を寄せ合った。
「こんな嬉しそうな空と奏真くんを見るのは初めてだな…。
 もうこれ以上は二人を苦しめる事は出来ない…、そう、君の言う通り空は死に至る病では無いと認めよう…。
 だが、私は計画を止めない…、止める事が出来ないんだよ…」
 ブラフマンはサングラスを取って、その憂いを秘めた目を竜斗に向ける。
 その瞬間、竜斗の中で全てが繋がった。
「やっぱり、そうだったんですね…。
 貴方の行動には全て意味がある…、だからこそ、昨日の戦いにどう言う意味があるのか、ずっと考えていたんです。
 本来は夕鶴や生徒会長にやられた人達を実験台にして、再生能力では本当の意味で人を救えないと思わせ、奏真先輩に世界の再構築を実行させるつもりだった。
 でも、再生能力の反動を克服した人が現れたので、違う形で奏真先輩に死への恐怖を植え付ける必要があったんだと思うんです。
 つまり、貴方には空を助ける為ではなく、他に計画を実行しなければならない理由があった…。
 優しさと悲しみを秘めた貴方が、嘘をつき心を痛めてまで望む物が何なのか…、僕はそれが知りたいんです…!」
 そして、強く優しい意志を秘めた視線をブラフマンに送る。
「それは何故だ…?」
 ブラフマンはまっすぐ竜斗の事を見つめ、感情を深く沈めるように聴く。
「人の為に一生懸命になる事で僕は僕でいられるからです…!」
「ふっ、君は本当に優しいのだな…。
 だからこそ、ここまで辿り着く事が出来たのだろう…。
 だからこそ、君は真実を知れば誰よりも傷付く事になる…、君にその覚悟はあるのか…?」
 ブラフマンは本気で竜斗の事を心配しているようだった。
「本当の強さとは自分自身を貫き通す事…、だから、僕は現実から決して目を逸らしません…!」
 竜斗が決意に震え拳を握りしめる様子を見て、横にいる姫が満足そうに微笑む。
「閉ざされた時の中で二人で幸せに暮らしていれば良いものの、それを捨ててまで愛する少年に過酷な道を歩ませるとは、我が娘ながら残酷な事をするものだ…」
 そして、ブラフマンは呆れ返ったような表情を姫に向ける。
「やっぱり、姫は貴方の娘だったんですね…」
 空が姫を見て口を押さえる。
 姫は竜斗に寄り添いながら、空に妖艶な笑みを返した。
「そう、君の愛する少女の本当の名は旭陽月夜…、私の娘であり空の実の姉だよ。
 そして、私の望みとは愛する娘達の幸せさ。
 二人の娘には互いの生き方を尊重出来るような男性と、愛と優しさに包まれた人生を歩んで欲しかった。
 だが、運命は残酷であり不公平なもので、月夜にはその時間が残されていないんだ。
 そう、月夜は明日の日付変更と共に命を失ってしまう」
 憂いを秘めた静かな声色で言うブラフマン。
 その言葉は竜斗の心の奥底まで響き渡り、まるで波紋のように黒い物が広がって行く。
「そんなの嘘だっ…!!」
 それが嘘偽りの無い言葉であると言う事は竜斗も解っていた。
 真実だからこそ受け入れ難かったのだ。
「残念ながら本当の事ですわ…」
 静かに響く姫の声。
「なんで、そんな事が解るんだよ…!?」
 竜斗は涙を流しながら姫に向き変える。
「わたくしには幾度と無く破壊と再生を繰り返し続けた世界での全ての記憶があるんですの。そして、その中で嫌と言う程自分自身の最後を経験して来ましたから」
「そ、そんな…!!」
 竜斗はその言葉を聴いた瞬間、全身の力が抜け地に伏せた。
「月夜こそが世界の破壊と再生が繰り返される事となった原因…、No.13死神の大アルカナであり、その死は決して避ける事が出来ない運命なのだ。
 もし、その運命を回避する方法があるとすれば、因果律を覆す力である大アルカナの暗示を受け入れ、この呪われた世界を再構築するしかない。
 君にはそれが出来る才能が眠っている。
 何故ならば君はNo.20審判…、この世界を構成する無自覚の大アルカナだからだ。
 必要な試練を乗り越えた後である為、始めから完成された能力を扱う事も可能だろう。
 何よりも誰よりも優しく強い心を持った君ならば、誰も傷付く事の無い世界を創り出す事も夢ではなくなる。
 もし、絶対的な運命を変える事が出来なかったとしても、破壊と再生の僅かな時間だけでも月夜は生き続ける事は出来るだろう」
「僕が大アルカナ…!? 誰も傷付く事の無い優しい世界を…、姫と永遠に生き続けられる世界を創る…!?」
 地に伏せた竜斗にブラフマンが手を差し伸べようとする。
「やめてくないか…」
 奏真が竜斗とブラフマンの間に具現化したチャクラムを突きつける。
「大アルカナの力を完成させた俺はカードを失い、トーナメントを辞退しても能力が使えるんだ…。 
 もし、竜斗がこの世界を…、空や仲間達の生きる俺達の世界を壊すと言うならば、俺はこの力を君に向けざるを得ない…。
 今の俺の力ならば君を殺すぐらい容易い事だ…。
 だが、竜斗は俺を…、俺達を救ってくれた大切な友達だ…、殺したく無い…。
 だから、その手を引いてくれないか…?」
「止めてよっ!! 奏真だって竜斗と同じだったのに、そんなの酷いよっ…!!」
 だが、空は奏真の頬を滴り落ちる滝のような涙を見て息を飲む。
「でも、俺には誰かを犠牲にする事になっても、守らないといけないものがあるんだっ…!! 気持ちが解るから辛いんだっ…!!」
「奏真っ…!!」
 顔をくしゃくしゃにして、声を出して泣き出す空の頬をハンカチで拭う姫。
「ふふふっ、泣き虫は相変わらずですわね」
「せっかく会えたお姉ちゃんが死んじゃうなんて嫌よっ…! どうすれば良いのか解んないよっ…!!」
 空は姫を強く抱き締める。
「勝手に出て行って妹を悲しませ、今もこうして泣かしているなんて、わたくしは本当に悪い姉ですわね。
 でも、そんな極悪な姉の妹として産まれてしまったんですから諦めて下さいな」
「お姉ちゃんの意地悪ぅ…!!」
「ほら、もう貴女は大人の女性ですから何時までも泣いてちゃダメですわよ、そうでなければ大人になるのを手助けした甲斐がありませんもの」
「うん…」
「ふふふっ、良い子ですわ」
 姫は空の頭を撫でる。
「それに、誰よりも死と向き合い続けて、それを乗り越えられた貴女なら解りますわよね…、わたくしの気持ちが…」
 竜斗は直感する。
 姫は空や奏真を通して竜斗に死と向き合うと言う事を教えようとしていたのだと。
「まさか姫は…、姫は僕に死を受け入れろって言うの…!?」
「ええ、わたくしは充分過ぎる程生きましたわ。
 幾度と無く繰り返される破壊と再生の狭間で、幾度と無く貴方との出会いと別れを繰り返し、幾度と無く愛し合う事が出来て本当に幸せでした。
 ですが、どんな時にも何時かは終わりはやって来るものですわ。
 急激に魂の老化が進んでいるんですの。
 身体が痩せ細り、体温が低くなり、肌や髪から色が抜けるだけじゃありませんのよ。
 一人でいる時に感情が無くなった植物のような状態と、感情をむき出しにする野獣のような状態を繰り返し、思考や記憶も滅茶苦茶になってしまう事もあります。
 あの橘アヤメが陰陽の気を年寄りの健康法と言ってましたが、それもある意味正解で気を学ぼうと思ったのは自分自身の老化を止める為だったんですの。
 でも、どうやらそれも限界に近いようですわ。
 確実に自我を失ってわたくしが…、わたくしで居られなくなる時が近づいています。
 だから、その前にわたくしを解放して欲しいんです。
 竜斗さんならば運命を乗り越えて…、この世界を、このわたくしを呪縛から解き放って頂けると信じていますわ…」
 姫は竜斗に対して手を差し伸べようとする。
「お嬢様…、貴女は自分勝手です…」
 その時だった。
 グラウンドの地面が爆発したかと思うと、竜斗と姫の間に燃え盛る斬馬刀が突きつけられていた。
 それは全身泥まみれの姿となった聖蘭であった。
 その足下には精神力を使い果たした安室が片膝を付いて息を荒げていた。
 聖蘭のメイド服は激しい爆発を受けてところどころ破けていたが、露出した白い素肌に怪我をしている様子は無かった。
「その様子ですと爆発に爆発をぶつけてダメージを相殺し、炎で地を掘り進んで難を逃れていたようですわね」
「一時戦線を離脱する事となりましたが、安室を守る為にはやむを得ない選択でした…」
 そして、聖蘭は何時もの柔和な表情を浮かべ、慈愛に満ちた目を姫に向ける。
「聖蘭さん…、やはり、わたくしの我が侭を許してはくれませんのね…」
 そう言う姫の声は震えていた。
「お嬢様はスパイである私の事を調べ尽くしたはずですからご存知ですね。
 私は愛する弟を自殺で亡くしているのです。
 弟は困っている人を見捨てる事が出来ない優しい少年で、間違った事を何よりも嫌う真っ直ぐな心を持っていました。
 そして、虐められている友人を助ける為、たった一人で弱者が群がる世界に戦いを挑みました。
 ですが、弟は本当の強さを持つ事が出来なかったのです。
 だから、助けようとしていた友人に裏切られた事に傷付き、自分自身の首を絞める事になってしまったのです。
 ですから、私は本当の強さを手にして、この間違った世界を正したいと思いました。
 そして、心優しい人が虐げられる事の無い世界を、 愛すべき人々が生き続けられる世界を創りたかったのです」
 聖蘭の言葉は静かだが重く、心の柔らかい所を押し潰してしまうようだった。
「なんで…、なんでそんな大切な事を今まで言わなかったん…? もっと早く言ってくれれば…、力になれたかも知れないのにっ…!!」
 安室は限界に近い身体に鞭を入れ声を振り絞るように聖蘭に声をかける。
「安室…、貴方は親を亡くし闇雲に生きていた経験から何も学んではいません。本当の強さを持たざる者の利己的な優しさは、私の弟のような破滅を招くだけです」
 それは本気で安室の事を思っているからこその言葉であり、彼はそれが解っているからこそ辛かった。
「そんな事…、ボクは解らない…。人が苦しむ姿を見れば辛い…。人の為に心を鬼にする事は出来ない…。そんな救われない生き方は悲しいだけだ…」
 安室は彼女を哀れむように掠れた声を絞り、あまりの悲しさから崩れ落ちると地面を涙で濡らした。
「そして、私はお嬢様と出会い知りました。
 お嬢様は心の闇から産まれたモノと戦う事で弟のように破滅に向かう人々を救い、たった一人で繰り返される輪廻の中で戦い続け間違った世界を正そうとしていると。
 私には無い力と強さを持ち、私には出来ない事をなさる嬢様にお仕えする日々は、私に本当の強さを与えてくれました。
 そして、何時までも…。
 何処までも…。
 例え生まれ変わってもお嬢様を支え、人々を救い世界を変える手助けをする事が私の天命であると悟ったのです。
 ですが、お嬢様はその責任を…、自らの命を放棄しようとしています」
 竜斗は聖蘭から計り知れない異質な強さを感じ、燃え盛る剣を突き立てられているのにも関わらず背筋がゾッとするような悪寒を覚えた。
「お嬢様が亡くなる事で遺された人達がどれ程傷付くとお思いですか?
 痛みを知ればそれだけ人に優しく出来ると言われますが、それは現実を知らない者が掲げる理想論に過ぎません。
 心を蝕む死への恐怖は人から優しさを奪い、消えない悲しみは死への渇望へと繋がり、何時までも悲劇が繰り返されるのです。
 断ち切れない負の連鎖は、愛すべき人の人生を地獄へと変えてしまいます。
 だから、貴女は例え痴呆を抱え衰えようとも、世界の破壊と再生の狭間に生き続けるべきだと思います」
 冷淡ながら慈愛に満ちた聖蘭の言葉は竜斗の胸に突き刺さる。
 聖蘭は竜斗の辿るかも知れない道を行き、計り知れない程の悲しみを乗り越えて来たのだと思ったからだ。
 何よりも正しい…、正し過ぎて痛いのだ。
「聖蘭さん…、わたくしは貴女の気持ちを解った上で眠りにつかせて頂きますわ…。わたくしは既に死んでいるはずの人間ですから」
 決して視線を逸らさず涙を流す姫…。
「姫…!!」
 竜斗は初めて見る姫の弱々しい姿に居ても立っても居られずに、火傷を覚悟で素手で聖蘭の刀を撥ね除けて駆け寄ろうとする。
 だが、次の瞬間には灼熱の刃が竜斗の首筋に突きつけられ肌を焼いていた。
 鋭い切れ味と肉を焼く痛みは一歩でも動くと命が尽きる事を否が応でも理解させ、竜斗は微動だにしないで大量の汗を流す。
「竜斗様がこの間違った世界を正し、お嬢様が生きられる世界を…、誰もが傷付かなくても良い優しい世界を創ると言うのならば私は止めません…」
 一瞬で竜斗の命を奪える立場にありながら、聖母を思わせる慈愛に満ちた声で言う聖蘭。
「だが、もしお嬢様を見殺しにすると言うのなら…、この腐った世界を存続させると言うのなら…、貴方を殺してでも私が世界を創り変えてやるっ!!」
 そして、鬼神のように怒気をむき出しにして、聖蘭は刀を構え直して切っ先を竜斗に向ける。
「僕はただ姫を…、みんなを…、この世界を救いたいだけなのにっ!! 何でこんな事になるんだよっ!!!」
 奏真と聖蘭に武器を突きつけられ、竜斗は息を荒たげて夜空に向かって吠える。
「優しいが故に誰よりも過酷な選択を突きつけられ、それを貫く為の絶対的な強さが求められる。
 これが君の選んでしまった道の現実だ。
 月夜の命を犠牲にして世界を存続させる為に聖蘭くんと戦うか、月夜の思いを犠牲にして世界を再構築する為に奏真くんと戦うか。
 トーナメント決勝戦でどちらと戦うかは君自身で決めるが良い。
 残された時間を使って良く考えて欲しい。
 君であれば私のシナリオを超えた答えを導き出し、本当の意味で月夜を救ってくれると信じている」