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舞緋蓮  太刀の壱

          

 

           序

 

 時に西暦一八六七年。

 後に幕末と呼ばれるその時代。

 正に徳川将軍家江戸幕府の終焉となる政変「大政奉還」

 二六〇余年続いた江戸幕府の歴史は、否。それだけではなく、源氏により体制の確立した

武家社会そのものの歴史は、最後の将軍となった徳川慶喜公の御決断により、幕を閉じるこ

ととなる。  

 これと共に、侍という身分、武士という存在までもが消滅する筈であった。  

 しかし、事は大政奉還の旨が勅許されることとなる朝議の折。  

 将軍慶喜公は、幕府の存続よりも重きをおいた選択をとる為に、帝に対し、政権の返上に

ともなう“条件”ともとれる望みを申し上げ奉った。  

 進言いわく――――。

「幕府による政の終わりに伴い「侍」という身分も、新しい時代には無くなる事となりまし

ょう。しかし、この日本(ひのもと)国(のくに)を、その歴史を拓き、築き、支えてきた武士。

ならびに彼等の魂とは、この日本の確かなる精神そのものでございます。そしてその魂は、

古来よりこの国の神器でもありますれば、その魂「刀」と、これを振るう者達を、この日本

の民の心に脈々と受け継ぎ、後の世に遺してゆくことを、何卒お赦し願いたい」

……と。  

 そこには幕府の抱える二万を超える臣下と、それに類する徳川の民を活かす為の策という

思惑もあったのは確かではあるが、慶喜公はこの願いと引き換えに将軍職を速やかに辞す所

存であり、これにより倒幕派勢力とのこれ以上の戦をせずに平和裏に政変を成し遂げられた

し、とも付け加えて申し上げた。  

 朝廷もその利点、体制転換後の戦を避けることと、幕臣たちの処遇に関しての妙案である

と肯き、この願いを聞き入れることとし、進言は叶えられることとなった。  

 かくして「大和の魂を体現する者達をこれからの世にも遺す」という斯様な大義の下、江戸

周辺の幕府直轄地、 「常州」 「総州」 「房州」 「相州」 そして「武州」の関東 一円

は、幕府という拠り所を失った幕閣諸氏、士階級の武士達、そして武を頼りに生きてい た

浪人や侠客などが集まり、自治区としてひとつの郷となった。

 こうしてここに、 「刀」に生きる者達の国土――――。

「刀郷」が発生した。

 

 

 

「―――――人は己の生きる道を自ら選んで然るべきだ。

その生も死も、自らの手によって拓き、獲得するべきだ。

生きるとは、その生業を決め、それを全うすることに他ならない。

たとえそれが、ときに己以外の者に災禍をはらませようとも」

 

 これは刀郷に在り、刀を振るうことに人生を絡め捕られた人々の生きた跡。  

 その史篇である。


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舞緋蓮  太刀の壱

          第一章

            1

 

 緋色。

 その刀は、おびただしい数の人間を斬ってきた業物であることをまざまざと顕わすかの様

な、血で染めたが如くの、赤よりもなお紅い、それよりもなお深い、緋色の刀身をしていた。

 鞘に納められていない抜き身のその刀を手にし、見つめる者があった。

 日が沈んだばかりの空。雨の降る庭園をのぞめる、邸宅と云って差し支えない規模の大き

さの平屋の日本家屋。その庭園から縁側を挟んだ座敷で、敷居に並ぶ形で襖縁にもたれか

かって座した―――着物の女性。

 年の頃、二十歳といったところ。よく手入れされた美しい黒髪は腰まであるほどに長く、裾

が畳に垂れていた。

 女性の名は、坂本雪絵。

 静かに刀を見つめる雪絵の姿は、その手にした刀もさることながら、その容姿においても際

立ったところが多い。

 髪の長さにあわせたかのように四肢もまた長く美しい流麗な線を描き、またそこから推し量

るに、今は座していて判りづらいが身の丈も長い。並の成人男性よりも高いだろう。

 しかしその体躯は身長と比例させると以外なほどに薄く細身。しかしそれでいて女性的な発

育は人並み以上のふくらみを誇っていることが、着物の上からでも見て取れた。

総じて女性的な魅力に満ちた肢体。

もっと言葉を尽くすならば、男性から見れば魅惑的な肉体であり、女性から見れば憧れを抱く

者がいても何ら疑問に思わないような、理想的ともいえるプロポーションであった。

 けれど、その見目麗しい女性である彼女は今、着物の裾がはだけるのも意に介さないように

右の片膝を立て、その膝に件の刀を握った右腕をもたれさせ、刀の斬先(きっさき)を左腰に収

めるようにかかげる姿勢で、その刀身に見入っていた。

 緋色の刃をもつ刀。

 もう少しその存在の在り様を語ると、それは打刀というよりも太刀に近い拵えであると言えた。

 いうなれば緋太刀。

 その緋太刀を見つめる彼女の顔もまた秀麗で美しい。が、雪絵のその顔で何より語るべきは

、鋭い眼光のつり目がちの双眸が、手にある刀と同じく緋色を灯しているという事だ。

  刃の帯びた色を眼球が反射しているという錯覚ではなく、雪絵の瞳は紛うかたなく緋の色を

たたえていた。


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舞緋蓮  太刀の壱

 雪絵はその瞳で己が掌の内にある同じ緋色の刀を静かに、ただ静かに見つめていた。  

 その様子はともすればこのまま夜通しこうしているのではと思えるほどであった。  

 先ほどからそのように、飽きることなくその行為を続ける彼女の心持ちを理解する努力をす

るならば、まるでそうする事が己の精神に安らぎを得るためであるかのようだと、いえよう。  

 それは彼女の目つきの鋭さを差し引くと見える、憂いを感じさせるような貌の奥に潜む感情

と、その眼差しが、己が刀に対し尊く、愛しいモノを見つめてさえいるような安らかなモノだと

感じ取ることが出来るからである。  

 実際、雪絵は今現在、およびその前後における自らが対応すべき問題に対して、気を紛らわ

せるかのように、刀を見つめることに気を持っていこうとしていたのだが、己が愛でるモノに心

通わせるという彼女の甘美なひと時も、自身に対してかけられた声によって払われた。

「姐さん、失礼します」  

 と、若い男が縁側の廊下にやって来て身をかがめ、片膝をついた。  

 歳は雪絵とそう変わらない風であるが、実年齢よりも幼くみられそうな顔立ち。  

 しかしその体躯は細身でありながら剛健さが感じられるといった鍛えられた肉体であること

が窺える。黒く短めの髪が左右非対称にカットされ特徴的となっているが、それよりもこの男、  

夏場の丈の短い洋服から露出した肌に数えきれないほどの刃物による傷痕がみえるのが印象

に強い。  

 男の名は織田左馬ノ介。  

 左馬ノ介は自分が声をかけても一瞥もしない雪絵に嘆息した。  

 それは自分を無視したことへの不快感からなどではなく、自らが「姐さん」と呼ぶ気心の知れ

た義姉弟の現在の心情を思いやっての憂慮からくるものだった。  

 しかし今自分たちが抱える問題に対し、雪絵の憂いばかりを優先してもいられないことは、お

互いに承知しているものとし、左馬ノ介は言葉を継ぐ。

「雪絵姐さん。総会、お疲れ様でした。とりあえずは血気に逸る若衆の頭は抑えられそうで、こ

ちらの被害に関してはあまり心配しなくてよさそうですね。まあそれはあちらさんが派手に動き

回る前に、先んじる手を打つことが前提ですがね」

「……そうね」  

 穏やかに語りかける左馬ノ介に対して、未だ刀から視線を逸らさずに、僅かに唇を開いただ

けで短く応える雪絵。自分に対し心を砕いてくれている近しい間柄の義弟の語りかけにも、

“こころ此処に在らず”といった様子である雪絵に、左馬ノ介は話の切り込み方を変えて語る

ことにした。

「しかしうちの一家の傘下にもまだ“メンツつぶされてタダでおけるか”とか“舐められて黙っ

ちゃいられん”とか何とか声を荒げる組頭もいるんですね。この郷はもう実質的にうちがまとめ、


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舞緋蓮  太刀の壱

統べる体制に移行しきろうという頃合いなのに。そう神経を尖らせることもないと思いませんか

ね。ねぇ、姐さん」

「古い世代はそんなもの。そういう人達もまた組には必要でしょう……」

「そうですね。けれど実際に今回の件で死んだのは、うちの“四聖”の一角ですが、一番面子

を潰された立場にあるのは、もともと西方との船頭であって、代々うちとの親交が深いことに

寄り掛かる形でこの一年、東側を安寧に治めることを任された仁美さんの組だというのに……。

それにあの組頭達の憤りが清家(さやか)の組に責を問うているようで、正直、仁美さんと親分

さんが気の毒でした」

「あのコには……、本当に世話をかけてばかりね……。情けない話だけれど申し訳ないわ」

 雪絵は左馬ノ介の振った話題に対し心が動かされたように、ようやっと手にした刀から視線

を逸らし、彼女の右横の畳に置かれていた書状に目をやった。

「詫状には、なんと」

「…定例句だけれどね。今回、西方からの忌器の侵入をゆるした責は、偏にその監視役たる

清家の組にある、と。かの仇敵亡き後の東側を治める元締めとして、不始末を拭う機会をあた

えてくれ、とも書かれていたわ」

 そこで雪絵は、少し困ったような複雑な表情をつくって続けた。

「あのコは砕けた性格だけれど、家の教えが厳格だったからね。侠客の家の者としての体裁

が、どうしてもお堅くなってしまうのも仕方のない処だけどね」

「同じく組を束ねる親愛の友でも、姐さんとは違いますよね。そういうところはもっとお互いに真

似てもいいと、俺は思いますねぇ」

 そう言って朗らかに笑う左馬ノ介につられて、雪絵も目元で微笑んだ。

 それを見て、雪絵の心持ちも若干はほぐれたと見取った左馬ノ介は、先程踏み込むことを保

留した話―――今現在、彼女達の属する組が直面している問題に対して設けられた、組頭、

幹部勢による総会の内容について、話題を戻した。

「その組頭を抑えるという点での姐さんの下知もお見事でしたよ。あれで総会に集った組頭

達も組同士の義を、助け合い護り合うという形で重んじることに同意して帰ってくれましたしね。

まぁ、そこは四聖の長たる白峰さんの貫録が表われたのもありますが」

「あの人も、本当は業腹でしょうけれど、自分の立場というか、存在の重みを優先した言動を

取ってくれて、有り難いものだわ。この組は―――私は、恵まれている……」

「ええ…。討たれた北の守護の四聖、黒原さんは白峰さんの愛弟子の一人でしたからね。お

辛い筈でしょうに」

 そこで左馬ノ介は雪絵をしっかりと見据えると、あらためて「姐さん」と切り出した。


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舞緋蓮  太刀の壱

「今回の件。組に出た損失以上に、お辛い姐さんの気持ちは察しますが、我が組の頭梁と

してのその身を重んじすぎないよう、弟として言わせて頂きます。事がことですが、お一人

で全て背負い込まないでくださいよ。

師匠から聞き知る限りの数ですが、俺が五つの頃からの仲なんです。俺のことは気兼ねな

く使ってくれればいいんですよ。俺は姐さんの力になりたくて義姉弟の盃を交わしたんです

から。

あの男(ひと)に関しては多くを聞き出すつもりはありませんが、あの娘に関して、姐さんが

心を痛めていることは丸判りですしね」

「それは困ったものね…」

「ええ。見透かすのは姐さんだけの専売特許じゃないんですよ」

 雪絵は確かに“あの娘”が引き起こした今回の騒動に関して、その因が己にあることを痛

感していた。

 それ故に実際に事が表面化したことで、側近にあたる四聖の一人を失い、傘下の組の者

達にもその禍が及んだとなれば、その心に辛苦もよぎろうというものだ。

 今やこの郷の歴々の組を束ねる一家の頭梁たる立場の者であるが、それが坂本雪絵と

いう女性のメンタリティだった。

左馬ノ介は、そんな放っておけば独り思い悩み、沈んでしまいがちな雪絵をよく知り、そん

な姉だからこそ、支え、力になりたいと思うからこそ、彼女の負担を和らげようと心を砕くこ

とを惜しまない。

 だがこの二人にとっては日常である、そういった遣り取りばかりに時を割いていられない

状況であることもまた然り。斬った張ったが生業ともいえる侠客が治めるこの郷においてさ

え、重大な部類の掟破りである今回の“忌器”を手にした西方の者の侵入と、それによる武

威行動。

 そう、いまや刀郷における総元締めとなった一家を率いる者として、躊躊(ちゅうちゅう)と

悩んでばかりもいられはしないのだ。

 雪絵は一旦その瞳に刀を映す。

 そして左馬ノ介に対する感謝の念を、いつもそうするように、胸の内で謝辞を述べるのに

とどめると、彼の言葉に肚が決まった、という面持で視線を合わせた。

「左馬ノ介。私の意思が総会で述べたままではないことは察しがついているとおりよ。“あの

コ”の始末は私の手でつける。ほかの組員達には関わって欲しくはない。

解るでしょう。今回の西方の介入は私が蒔いた種なのだから。それがあのコに対して私が果

たすべきことでもあるし、それ以前にこの郷を統べる者として払われねばならない火の粉。こ

れは私が先代である母さんから受け継いだ名と、この刀に懸けて為さねばならないことだわ」

「“下手人の目星はついているから、刀郷の両翼。うちと清家の東西大元締めで殺る”と告げ

て組頭達を黙らせておいて、その実は俺達で内々に片を付ける、ですか。まあ、問題はない



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