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創作落語「散歩屋」

 世の中にはいろいろと変わった商売がございます。わたくしの商売、落語家なんてのも外国の方がご覧になれば随分と変わったものかもしれません。

色気も何も無い、気難しそうな顔をしたおじさんが、たった一人舞台にあがっている。それも横着して座布団のうえに座り込んで、ときどきお茶なんか啜ってる。そんなおっさんを見てお客は笑っているようだけど、一体どこが面白いんだろう。とまあそんな風に思うんじゃないでしょうかねぇ。

  これ外国の人がそう思うのはある程度仕方ないとして、近頃は日本人でも落語の面白さを理解できない人、えぇ言ってみれば落語音痴の人ですな、こういう手合いが増えておりまして、実に嘆かわしい限りでございます。

 それはともかく、落語家はもちろんのこと、何の商売でもプロとしてやって行くのはなかなかに難しいものでございまして、そう簡単なものではありません。ましてや今までに無い新しい商売となりますと成功するのは尚更難しいことでございます。

 

「ねえ、女将。弱っちゃったよ。相談に乗っておくれよ」

「おやまぁ日頃陽気な若旦那が今日はどうしたの、青菜に塩って顔しちゃってさ」

「実は親父にとうとう見放されてしまってね。家から追い出された上に、これからは自分で稼げって申し渡されちゃったんだ」

「あらまぁ、やっぱり」

「なんだい、やっぱりって。女将はこうなることを知っていたのかい」

「いえね、若旦那が仕事に身を入れずに好き放題をしていたから、いつかこんなことになるんじゃないかと心配していたのよ」

「好き勝手なことをしてきたのは認めるけどね、だからって家から追い出したあげく一銭の仕送りもしないというのは、酷すぎるよ。こんなこたぁ親が子供にすることじゃない!鬼のする仕打ちだよ、ウン」(息巻く)

「鬼の仕打ちですって?まったく親の心子知らずなんだから。(ため息をつく)確かに今度のことはお父様が心を鬼にして決断したに違いありませんよ。でもそれは若旦那のことを思えばこそなされたことじゃありませんか。そこんとこが分からないんだから若旦那にも困ったもんだわ。ところで住むところはあるの?」

「その先の横丁のしもたやに下宿してる。あんな小汚いとこなんか住みたかぁないけど親父が決めちまったもんだから。」

「まあそれじゃ、下宿はお父様が世話してくれたのね。どうせ家賃もお父様がお出しになるんでしょ」

「そりゃそうでしょ、私は2LDKぐらいの小洒落たマンションっていったんだけどね。そしたら『甘えるのもいい加減にしろ!』って怒鳴られた」

「まったくなんて人なの、そりゃお父様が怒鳴るのはもっともだわ。ところで私に相談て何かしら」

「あっそう!女将相談に乗ってくれるかい、うれしいね」

「当たり前じゃないの、うちの店はね、若旦那のお祖父さんの代からずっと贔屓にしてもらっているんですよ。昨日今日の付き合いじゃないんですから。それにねこれは内緒にしとくように言われてるんだけど、実は番頭さんにね、若旦那のこと頼まれているんですよ」

「へえ、あの堅物の番頭が私のことを、本当かい?」

(調子を変えしんみりと)「ねぇ若旦那、この世のなかで一番若旦那のことを心配しているのは誰だと思います?」

「...?」

「たしかに私は番頭さんから若旦那のことを頼まれましたよ。でもね、番頭さんにそう言わせた人がいるんじゃないですか?そこら辺のことよーく分かってね、真剣になって心入れ替えて下さいよ」

「私のことを一番心配してくれているのは、そりゃなんと言ってもおふくろだ。そうか、そうか、ありがたいじゃないか。番頭にね..(涙ぐむ)良く分かった。こんどの仕打ちを怨んだりもうしない。本気で働くことにするよ」

「あらまあ、よくぞ決心してくれました。ご両親が聞いたらさぞお喜びになるでしょうよ」

「私が働くのがそんなに喜ばしいのなら、今日すぐにでも仕事みつけようじゃないか。実は相談と言うのは仕事のことなんだけど、私に向く何かないかねぇ」

「そんなに急に言われても...、そうねえ若旦那食通だから料理人なんかどうです。」

「料理人と言うと板前かい..(少し考えてから)うんそりゃいいや『包丁一本晒しに巻いて~』いい、いい、いなせでいいやな。板前ってのは女の子にモテそうだし、それに決めた」

「ちょっと若旦那、浮かれていますけどね、板前の修業ってのは結構厳しいんですよ。掃除・走り使いから始まって、次に鍋釜などの洗いを経験してと言う風に修行を積んでやっと板前になれるんですよ」

「あっ、そう、じゃ、止め。私はね女将も知ってるだろうけど[根性][努力][修行][忍耐]とつくものはからっきしダメ。体質が受け付けないの知ってるでしょ」

「そう言われりゃそうだわね。となると、板前に限らず職人は全部駄目ね。職人は修行と忍耐がなければ勤まらないもの。かといって肉体労働もだめだわね、今の若旦那は『色男金と力は無かりけり』を地で行ってるからねぇ」

「女将!今私のこと色男って言ったよね。ほんとにそう思うんだったら役者になるってのはどう?」

「駄目よダメダメ!役者も[根性][努力][修行][忍耐]の世界なんだから。それより何か特技はないの?」

「特技ねぇ、うーん、小唄・新内・かっぽれは玄人はだしって褒められたりするけど」

「言っちゃ悪いけど若旦那のは文字どおりの旦那芸ってやつでね。商売になるほどのものじゃありませんよ。何か特別に抜きんでるようなものあるといいんだけどねぇ」

「そう言われてもなぁ...」(腕を組み思案する)

「若旦那は何事にも中途半端で、熱しやすくさめやすいって性格だから。いろんなこと齧ってはポイですからね」

「いまさらどうしようもないよ。それより女将、私の特技思い出したよ」

(疑わしげに)「ほんとですか?」

「そんな疑いのまなこで見ないでよ。私だって特技の一つぐらいあるんだから」

「なんです、それ?」

「散歩だよ」

「散歩?」

「そう、散歩。これ私の特技、ぶらぶらっと町んなか歩くの上手なんだ。表の商店ひやかして歩いてさ、裏道に入れば路地から路地の伝い歩き。秘密の抜け道だって知ってるよ。まぁ散歩に関しては好きこそものの上手なれってんで私の右に出る者はないだろうな。年季も入ってるし、散歩の仕事ないかなぁ」

「確かに若旦那は町のなかをよーく歩いていましたけどねぇ。でも散歩は商売にはならないと思うけど...」

「いやいやそんなことはないよ。散歩ってのは考えてみりゃこれでなかなか奥が深いんだ」(次第に興奮してきて、言葉に熱が入る)

「そうですか?たかが散歩でしよ。ただぶらぶら歩けばいいんじゃないですか」

「そう考えるのが、素人の浅はかさ。物事は一見簡単そうに見えるものが実は一番難しいものなんだよ。釣にしても『ヘラ鮒に始まり、ヘラ鮒に終わる』って言うだろ。一見やさしそうに見えるヘラ鮒釣が実は一番奥が深いんだ」

「そりゃまぁそうですけどね。で、散歩でどうやって商売するんです?」

「うんそれなんだけど、散歩屋ってのは今までになかった商売だから、すべて私が考えなくちゃいけないんだよ。うーん、営業品目としては[散歩指南]と[散歩同伴]の二つにしようと思うんだ」

「散歩指南と散歩同伴ですって?一体それは何をするの」

「散歩指南というのは散歩のことをいろいろと指導教授するんだよ。何たって散歩は奥が深いからね。まあ免許皆伝となるまでに10段階ぐらいの段位を作ってね、段位あがるたびに免状だすんだよ」

「ああそれ、お茶やお華と同じね」

「うんまあ私は散歩道の家元というとこかな、でね、散歩同伴なんだけど一人で散歩するのはつまらないという人が結構いると思うんだ。女将はどうだい、散歩は一人がいいかい、それとも誰かと一緒の方がいいかい?」

「散歩なら一人でもいいんじゃない」

「いやいや、そう簡単に断定しないでおくれよ。散歩の相手が男ぶりが良くて、話し上手で、金離れも良ければどうだい?」

「そんな相手なら二人がいいわねぇ」

「でしょう、そうこなくちゃ。散歩する相手はこの私ですよ。男ぶりが良くて、話し上手で、金離れがいい」

「ちょっとまってよ、男ぶりと話し上手はまぁいいとしても、今の若旦那は金離れがいいとは言えないんじゃないの?」

「なにをおっしゃる女将さん。金離れのいいのは私の生来の性格ですよ、今たまたまお金がないだけでね、この仕事で儲けたらまた金をどんどん使うから安心してよ」

「そこが安心できないとこなんですよ。金遣いの荒いのが若旦那の最大の欠点なんだから」

「わかったよ金離れはの看板はとりさげるよ。でも男ぶりが良くて話上手の看板さえありゃ散歩のお相手しますって商売は繁盛するに違い無いよ。」

「そうかねぇ、商売となるとそんなに甘くないと思うけど、よく考えた方がいいんじゃない」

「いや、もう決めた。私に出来る商売はこれっきゃないよ。散歩屋だよ、散歩屋。あーいろいろ準備しなきゃ、思いついたが吉日ってね、ぐずぐずしていられないよ。女将さん相談に乗ってくれてありがと、それじゃサイナラ」

 

  てんで若旦那は下宿先に帰ると早速散歩屋開業の準備にかかります。

まず取り掛かったのが下宿の玄関先に下げる看板。知り合いの大工から貰った板切れに散歩屋と大書したものを家主に頼み込んで軒下にかけさせて貰います。ビラも作らなくちゃということで手書きのビラを何十枚か作って町内に配って歩きます。さあそこまでやれば後はお客が来るのを待つだけと、待っているのですが誰一人やって来ません。

 

「おかしいなぁ、看板出したし、ビラもちゃんと配ったのになぁ。そろそろ客が来てもよさそうなものだけど。まぁしかしなにせ本邦初の商売だから、客の方だって戸惑っているかもしれないなぁ。散歩の指南を頼みたいと思っても、わざわざ私のところまで出向いてくることには、抵抗感があるんじゃないだろうか。いやきっとそうに違いないよ。よし!それじゃこっちから出向いて行ってやろう」

 

  若旦那にしては鋭い洞察力なんですが、読みが甘いのは相変わらずでございます。しかし[根性][努力][修行][忍耐] の大嫌いなあの若旦那が、御用聞きよろしく町内を回り出したのですから、これはたいしたものです。

 

「えー、散歩屋でこざい。散歩のご用はありませんか」

「なんだぁー、散歩屋だとぉ。この前ビラ置いていったのはお前か」

「ええ左様です」

「冗談だろ散歩屋ってのはえぇ。あのビラににゃ『よろず散歩のご用承ります。ひとつ、散歩指南、ふたつ散歩同伴』なんて書いてあったがなぁ」

「冗談じゃないんです。マジで散歩屋なんで」

「嘘つきやがれ!散歩屋なんて商売聞いたことも見たこともないぞ」

「ええこの私が始めてなんです。つまり散歩屋の元祖てえわけで」

「ふーん、散歩屋の元祖ねぇ。冗談じゃなくマジの散歩屋かい」

「ええそうなんです。ですからひとつどうです?散歩指南お安くしときますが」

「なんだと、やっぱり冗談じゃないか。散歩の指南なんぞに誰がゼニ払うかい。こちとら忙しいんだ、とっとと帰ってくれ。さっさと帰らねぇと水ぶっかけるぞ!」

 

「ひゃー驚いた。なんであんなに怒るんだろうね。冗談じゃないってのに分からないんだから、まったく冗談じゃないや」

 

  若旦那はぶつぶつ言いながらも気を取り直して次の家に向かいます。

 

「ええこんにちはー、散歩屋でござい。散歩のご用はありませんか」

「あら若旦那、噂には聞いてたけど本当に散歩屋始めたのね」

「あぁなんだ、ここ姐さんの家だったの」

「そうよ、昔この家の前まで送ってきてくれたことあるじゃない。憶えていないの?」

「そうか、思い出したよ。この家の前まで送ってきたら姐さんは『はいそれじゃここで、さよなら』って家ん中に入っちゃったんだ。私はね期待していたんだよ、あの時」

「あらそうだったの、悪かったわね。それじゃこうしょう、あの時のお詫びに散歩頼もうじゃないか」

「えっ、そりゃうれしいね。姐さんが始めてのお客ですよ、記念すべき第一号のお客様。それでは伺いますが散歩指南にしますか、それとも散歩同伴」

「散歩に連れていって欲しいんですよ」

「はいはい、お連れしますよどこにでも。粋な姐さんとなら道行きてぇ趣向で散歩するなんてのはどうです。チチトンチンチトトッテンシャンなんて具合にね」

「私じゃないんですよ、連れてって欲しいの」

「あそう、がっかりだね。けどまあいいやこの際贅沢は言ってられないもの。で、誰連れてくんです」

「権太」

「権太?男かい、どうも気色わるいなぁ。だけど商売だ、いいですよ引き受けます」

「権太~、こっちおいで、このおじさんが散歩連れてくってよー」

「ワンワンワンワン」

「な、な、なんだい犬じゃないか。それもでかい犬だね。ちょっと姐さん勘弁して下さいよ。私は小さい時犬に噛まれたことがあってね、犬は大嫌いなの。犬はダメ。犬以外ならなんでもいいけど、あぁこらぁ近寄るなって」

「あらそう犬だめなの、しょうがないわね。若旦那の為に何かしてあげたいんだけど、私はこれからお座敷にでなけりゃいけないし...そうだじゃ猫ならどう、ねっ、うちのタマを散歩に連れていってよ」

 

  このような次第で若旦那、猫を連れて散歩することになりました。

 

「あーあ、記念すべき第一号のお客様が猫とはねぇ。どうも情けない格好だね。猫に紐つけて歩くってのは様にならないよ。猫も迷惑そうな顔してるよ。おいタマそんなところで寝てないで歩いとくれよ」

 

  若旦那は猫をおだてたりすかしたりしながら、近くの公園までやってまいりました。すると向こうから若いお嬢さんが可愛らしい犬を連れてやってまいります。若い女性はどういうわけか歩くのがはやいですな。すぅーとすれ違う。若旦那はぐるっとこう振り返って見送ります。

 

「すごい美人だよ、この町にあんな美人が住んでいたとはね。なんとかならないかな、何かきっかけがあれば話し掛けてお近付きになれるんだがな。うん、そうだ」

 

  若旦那なにか閃いたようでございます。あくる日、またあの姐さんの家にやってまいりますと

 

「権太ちゃーん、いるかーい。おじさんが散歩連れてってやるよー」

「あら昨日は犬は駄目って言ったでしょ」

「ええ昨日まではそうだったんだけどね、私の犬嫌いは本日めでたく時効になりまして、もう大丈夫なの」

「ふーん、時効ねぇ。何か変だけどまぁいいか、権太このおじさんと散歩行っておいで」

「さぁさぁ権太こっちおいで、おじさんと公園に行こう」

 

  どうも下心みえみえの若旦那、犬の散歩にかこつけてあの美人のお嬢さんに取り入ろうと言う魂胆でこざいます。

 

「おい権太、よく聞けよ。公園で美人のお嬢さんに連れられた可愛い犬に多分会えるだろうが吠えたりするんじゃないぞ。会ったら仲良くしなくちゃいけないよ。おっとだからって妙な勘違いするなよ、まかり間違っても後ろからのしかかっていったりしちゃ駄目だぞ。あくまでも紳士的にな。そうすりゃ『あら大きなワンちゃんだこと、でもとてもおとなしいのね』とかなんとかお嬢さんがお声をかけてくれるだろうからね。後は私にまかせてと..オイ権太どこ行くんだい。アッコラッ!そっちじゃないよ、公園はこっちだよ」

 

  なんせ大きな犬でございますから色男の若旦那の手におえるものではありません。権太に引っ張られて、町のなかを右往左往しております。

 

「おーい、そこ行くのは若旦那じゃないか、犬なんか連れてどこ行こうてんだい?」

「ハァハァハァ、ど、ど、どこたって、そんなことは犬に聞いとくれよ」

 

  もうヘトヘトに疲れ果てております。それでも美人に会いたいという一念はすごいものでございまして、権太を連れてなんとか公園にたどり着きます。

 

「あー疲れた、死ぬかと思ったよ本当に。さぁ公園にやってきたぞ。あっ、いたいた、あそこにお嬢さんがいるぞ。あー!権太どうしたんだ。駈けちゃダメ、相手がびっくりするじゃないか、ダメだってばウワー!」

「ワンワン」

「キャンキャン」

「ワンワン」

「キャイン、キャイン」

 

  権太が追っかけまわすものですからお嬢様はびっくりするやら怒るやらで、公園から逃げ出しにかかります。

 

「あっ!あのー、どうもすいません。あのもしちょっと...」

 

  お嬢様とその飼い犬は後も見ずに足早に去ってしまいます。

 

「こら権太、お前が悪いのだぞ。本当に言うこと聞かないでこん畜生め!」

「ウーワン」

「な、なんだい。そんな眼でみるなよ、畜生だから畜生と言ったんじゃないか、ウーッて歯を剥くなってえの。すごい牙だね、あ~涎が出てるよ」

 

  若旦那、権太に睨まれてその後は口の中で、もごもごと愚痴っています。

 

「だから犬は嫌なんだよ、もう犬は金輪際連れて歩かない。猫もダメ。やっぱり相手は人間だよ。いくら商売だからって客は誰でもいいってわけじゃないよ。志を高く持たなきゃいけないよ、なんせ私は散歩道の家元なんだから」

 

  とまぁ、いたって勝手なもんでございます。しかし熱し易く冷め易い性質の若旦那としては珍しく、散歩屋にはまだ熱があるようでして翌日も御用聞きに廻ります。

 

「えー散歩屋でござい、散歩のご用はありませんか」

「おや、あんた散歩屋さん。へえ噂通りのお人だねぇ」

「なんです、噂というのは」

「なんだい知らないの?町中おまえさんの噂で持ち切りなんだから」

「へーそんなに..うれしいような恐ろしいような塩梅だな。ろくな噂じゃないだろうけど宣伝にはなっているみたいだし、まぁ良しとするか」

「そうそう何事も前向きに考えることはいいことよ。ところで私も散歩頼もうかしら」

「ありがとうございます。でも犬と猫は駄目ですよ。人間専門でやってゆくと決心したんですから」

「大丈夫よ人間だから。いや私じゃないのよ、うちのケン坊をね散歩に連れてって欲しいのよ」

「ケン坊というとひょっとして息子さんですか」

「そうよ、うちの亭主をケン坊なんて呼ぶわけ無いでしょ。ケン坊はね親の私が言うのもなんだけど、それはりこうな子でね。勉強が大好きで毎日本ばかり読んでいるのよ」

「へえ、私の子供の時分とは大違いだな。でもそりゃ大変結構なことじゃないですか」

「それがいいことばかりじゃないのよ。家で本ばかり読んでいるでしょ、身体に悪いわよ、それに外に出ないから友達もできないし」

「分かりました息子さんお預かりします。ええ散歩に連れて行きます、まかせて下さい」

 

  てんで若旦那はケン坊を連れて散歩に出かけることになりました。

 

「おいケン坊どこか行きたい所があればおじさん連れてってやるぜ。えっ、どこがいい?」

「図書館」

「駄目だよぅ、そこでまた本読もうてんだろ。図書館はいけないよ、他にないかい?」

「それじゃ本屋」

「本当に本の好きな子だねぇ。本屋へ行って立ち読みしようてんじゃないの、本屋も駄目だよ」

「それじゃ仕方ない、汁粉屋へ行こうよ」

「食い歩きじゃないんだからね、汁粉屋も駄目だよ。散歩てえのはね、ひたすら無心にただ歩くのが基本の基本、これ散歩の極意なりでね。もうケン坊には只で秘伝中の秘伝を教えちゃおう」

「そんなの教えてもらってもうれしかないよ、それより汁粉食べさせてよ。そうだその汁粉屋にはね評判の看板むす..エヘン..がいてね」

「えっ評判の看板娘だって?どんな評判なんだい」

「見栄えが良くて、今風にすっきりしていてね」

「うんうん、今風っていうのがいいなぁ」

「搗き立ての餅なんだって」

「うひゃー、もち肌ってやつだねたまらないねぇ」

「それによく寝かせるんだって」

「えっほんとかい?かなり好きものの娘のようだね。よし行こう行こうその汁粉屋へ」

「行ってもいいけど、店の中見るだけなんて嫌だよ」

「分かってるよ、野暮なことは言わないから。汁粉おじさんがごちそうしてやる」

 

  汁粉屋にやってまいりますと、先ず汁粉を注文いたします。やってきた汁粉をケン坊はおいしそうに食べています。若旦那はてぇと汁粉を食べるのをそっちのけにして店の中をキョロキョロ見回しています。

 

  声をひそめて「おいケン坊、どこにいるんだい。さっきから探しているのだけど若い娘なんていやしないよ。いるのは見栄えが悪くて、昔風のバァーさまばかりだよ」

「あぁ店先じゃないんだ。調理場の方にいるんだよ。あそこから覗けばいるから」

「あっそう、どれどれ.....あれ、いないよ男だけだな」

「おいケン坊、看板娘はどこにいるんだいこっち来て教えろよ」

「おじさんほら、あそこにいるのが、評判の看板息子」

「な、な、なに? 息子だって。そりゃ男じゃないか。話が違うよ、それにケン坊お前言っただろう、見栄えが良くて今風のすっきりしたスタイルだって」

「うん、この息子さんの作る汁粉は見栄えも良くて、味も甘すぎずすっきりしているってそりゃ大評判」

「もち肌はどうなんだい」

「中に搗き立ての餅が入っていてね、これが人気なんだよ」

「それじゃ寝かせ上手で床上手てのはなんだい」

「床上手なんて誰も言っちゃいないよ、いやだな。良く寝かせるって言うのはね、材料の小豆を水に浸けて一晩よく寝かせてから煮るってことだよ」

「ちくしょう、だましたな。本当に悪賢いガキだ。もう怒った、散歩はやめ。さぁもう帰るよ」

 

  ええ子供相手にどうもまったく困ったもんでございますな。若旦那はさすがにこの商売に嫌気がさしてきたようでございましたが町中の噂になっていることもあり、ここで止めれば男が廃るとなんとか気を取り直して、その翌日も町に出ます。

 

「昨日はえらい目に遇ったな、子供を相手にしたのがそもそもの間違いなんだよ。やっぱり大人を相手にしなけりゃいけないや。え~大人専用の散歩屋でこざいと、ねえこうでなくちゃいけないよ。え~散歩屋、大人専用の散歩屋~」

 

  と町中を流しておりますと2階から声がかかります。

 

「おい散歩屋!!」

「おや、はやくもお声がかかりましたよ、だけど念を押しとかないとね。え~こちら人間の大人専門の散歩屋ですよ~。犬猫子供は扱いかねますがよござんすか」

「随分と注文の多い奴だな、猫でも犬でも子供でもない、18歳になるわしの娘の散歩を頼もうというのだ、何か文句あるか」

「め、滅相もありません。十八歳の娘さんとなりゃこちらの注文通りでございまして、えぇそりゃ願ったりかなったりで」

「それなら早くそこの玄関から中に入れ。わしもすぐ降りるから」

「はいはい、それじゃどうもごめんなすって。(と大声で答えて後は独り言)商売やはり辛抱だね、苦しいことがあっても何とか耐えていりゃこんな良いこともあるんだから」

 

  ガラガラっと玄関の戸をあけて入りますとその家の主人も二階からトントントントンと階段を降りてまいります。

 

「さっきも申した通り、わしの娘を、ひとつ散歩に頼みたいのだが」

「ええ、ようございますよ。散歩に関することならなんでもやりますからどうぞご希望をおっしゃって下さい。」

「いやいや特に希望という程のものはない。娘の散歩の相手を努めてくれればそれでよい。」

「へえそうですか、でもそれだけじゃなにか張り合いがないなぁ。どうです恋人達の散歩術ってのは、お嬢さんも年頃だし恋愛には興味あると思うんですがねえ」

「シィー!」

「へっ?」

「(声を潜めて)恋人だの恋愛だのという言葉を使ってはいかん」

「(若旦那も声を潜めて)へぇそれは一体どういうわけで」

「ちょっとこっちへこい」

「(声を元に戻して)実はな、恥ずかしい話なんだがうちの娘は恋の病を患っておってな」

「恋煩いですか、そりゃまた古風なことで。でも分かりますよ、こうやってあなたの顔を見れば大方の所は察しがつきますよ」

「わしの顔?」

「お嬢さん可哀相に父親に似ちゃったんでしょ?そのいかつい大きな顔に似たんじゃ相手だってねぇ」

「おいおい何を言う、失敬な奴だな。いいかわしの娘はな、去年の着物美人コンテストで優勝したほどの美形だぞ」

「へぇこりゃ驚いた、お宅のお嬢さんがあのコンテストで優勝した娘さんでしたか。存じてますよ、なるほど大層な美人です。お父さんとは大違い」

「(苦い顔をして)それはともかくだ、そういうわけだから恋愛だの恋だのという言葉は禁句だ。それに娘は気鬱でふさぎ込んでいるから、なるべく明るい話をしながら散歩をしてもらいたい。」

「委細承知しました」

 

 かくして若旦那、お嬢さんの散歩のお相手を務めることになりました。

お嬢さんはどういうわけか、どうしても和服、それも振り袖姿で散歩したいと申します。

 

「お嬢さん、着物に草履じゃ歩き難くはありませんか、本当にそんな格好でいいんですか」

「ええいいんです、この格好じゃなきゃいけないんです」

「そうですか、まあお嬢さんの好きなようにして下さい。それじゃ参りましょうか」

 

 振り袖姿の大層な美人を伴っての散歩です。行き交う人が皆振りかえって見ております。

お嬢様の方も道行く人を目で追っておりましてどうやら誰か人を探している様子

 

「お嬢さん、先ほどから人をお探しのようですがなんでしたら私もお手伝いしましょうか」

「あら恥ずかしい」

 

 お嬢さんポッと顔を赤らめてうつむきます。

 

「そうら図星だ。ねっその探している人てのは言わなくても察しがつきますよ。野暮は言わない、私もね及ばずながら力貸しますよ」

 

 この若旦那の思いがけない申し出に、お嬢さん感ずる所があったのか、はたまたやるせない気持ちを誰でもいいから打ち明けたいと思っていたからか、とにかく思いの丈を洗いざらい若旦那に話します。その一部始終を要約いたしますとまるであの八百屋お七の物語にそっくりでございまして、去年この町内に火事があった日にたまたま行き合った若い男に一目ぼれしたという次第。その時お嬢さんが着ていたのが、今着ている振り袖なんだそうで、もし町中で行き交った時に相手がすぐに気が付いてくれるだろうとの女心でございます。

 

「ねえ散歩屋さん、これだけ歩いてもあの人に巡り会えないのはどうしてでしょう」

「お嬢さん、世の中は広くてね、そう簡単に尋ね人が見つかるわけじゃありませんよ」

「そりゃそうかもしれないけど、私達に縁があれば必ず巡り合えると思うのよ。それがまだこうして会えないところをみるとしょせんあの人とは縁がないのじゃないかと、あーあこんなことならいっそのこと..」

 

 ちょうど通りかかったのは橋の上でございまして、お嬢様さんは手すりから身を乗り出して川面を虚ろな眼で眺めております。

 

「お、お嬢さん、早やまっちゃいけませんよ、しっかりして下さい。変なことになっちまったら私は散歩屋やってられなくなりますからね」

 

 放心状態のお嬢さんを橋の上からあわてて移動させます。

 

「ええ、それにしても弱ったね。一見何でもないように見えたけどこりゃ相当重症の恋煩いだよ。第一振り袖着て散歩するってこと自体もう普通じゃないよ。美人だってんで安請け合いしたのがいけなかったな、早く連れて帰ろう、それがいいや」

「散歩屋さん、あそこに見えるのは火の見櫓ですね」

「(訝しげに)ええそうですが」

「ひとつお願いがあるんですけど、あの櫓に登って半鐘を叩いてくれませんか」

「一体なんでそんなことするんです?」

「半鐘がなれば大勢の人が集まってくるでしょ、そうすればその中にあの人がいるかもしれない」

「冗談じゃないよ、そんなことできません。半鐘は実際に火事が起こったとき以外に叩いてはいけないんですよ」

「そう、なら私が......」

 

 そう言うやいなやお嬢さんは裾を乱して走り出します。それが意外に早い。若旦那は一瞬あっけにとられていましたが必死に後を追いかけます。お嬢さんはと言えばまるでお七狂乱といった塩梅でそりゃもう大変なことになりまして、それでもやっとのことでお嬢さんを連れ戻して家に送り届けます。

 

「あーびっくりしたなぁ、恋は盲目というけど一途な恋というものは怖いものだな。いやどうも散々な目に会ってしまった」

 

 とぶつぶつひとり言を言いながら歩いておりますと

 

「おやまあ、若旦那。こんなとこで会うなんて偶然ね」

「あぁ女将、このあいだはどうも」

「なんだか元気ないわね、散歩屋商売は上手くいってないの?」

「うん、なかなか上手くいかなくてね」

「あらそうなの、お客がぼちぼち着きだしたと聞いたので陰ながら喜んでいたのだけど、すると何ですか、散歩屋商売は一歩進んで二歩後退ってとこですか?」

「いゃ~一歩でも進めれば良かったんだけどね、実の所は一歩で躓き二歩まで至らずってやつでね。散歩はやっぱりいけません」


この本の内容は以上です。


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