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1 護衛

まだ完結ではありません。
少しずつ更新して章を増やして行く予定です。

挿絵も出来れば、追加して行きたいと思います…。




アースルーリンドの王子ソルジェニーは

国の古くからのしきたり、『光の王』の花嫁に選ばれた。

本来女性の役割なのに、この時女性の継承者が居なかった為に。

その特異な事例の為、身内を尽く早く亡くした幼い彼に

城の者達は腫れ物のように扱い、彼はいつも孤独だった。

そんな時、彼は護衛のファントレイユに出会ったのである…。

†∥:登場人物紹介:∥†

ファントレイユ…19歳。ブルー・グレーの瞳。グレーがかった淡い栗色の髪の、美貌の剣士。

王子の護衛をおおせつかる。近衛連隊、隊長。

ソルジェニー…アースルーリンドの王子。14歳。金髪、青い瞳。

少女のような容貌の美少年だが、身近な肉親を全て無くし孤独な日々を送っている。





1 護衛




 ソルジェニーは本当に、気落ちしていた。

古くからの契約、アースルーリンドの王子の軍事教練を受け持つ『風の民』との、その年の講習期間が終わってしまい、王子である彼は『風の民』の谷から城に戻されてしまったからだ…。

彼は、家族のように扱ってくれる『風の民』達と離れ、本来の居場所である城に戻る事がうんと寂しく、心細かった。

なぜなら彼の父であるアースルーリンドの王は、彼が産まれた年にとっくに亡くなり、彼の母親も直ぐに事故で他界。

その上父に代わって女王として君臨していた祖母ですらも、彼が五歳の時にこの世を去り、彼に愛情を注いでくれる肉親が身近に一人も、居なかったから。

皆、慇懃無礼に礼を取って王子である彼に頭を下げるけど、彼に親しく声をかける者どころか、微笑みかける者すら稀で城の中に彼の居場所は無いように感じられて、とても孤独だった。

…『風の民』の荒れた地の粗末な住まいと違い、ここには不自由なんて全く無かった。いつだって美味しい食事が用意され、布団はいつもふかふかだったし衣服は毎朝召使いが、整えてくれる。

にも関わらずソルジェニーは、親しみを感じない教育係と世話役に囲まれて毎日、息が詰まりそうだった。

 そんな時だった。ファントレイユに、出会ったのは。

もう14にもなったのだから、自由に城下を歩き回りたいと申し出たら、大臣達が護衛役を付けてくれた。

近衛連隊の騎士の中でも、彼なら、宮廷でも如才無く過ごせ、気の利いた男で腕も確かだと言われ、初めてファントレイユに会った。 





 その時ソルジェニーは戸口から、昼の陽光溢れる室内に彼が、金糸で飾られたクリームがかった衣服を纏って姿を現し、自分の方へとゆっくり歩み寄って来たのを、不思議な気持ちで見つめていた。

溢れる光の中の彼は、光の加減でグレーに見える、たっぷりとした艶やかな栗毛を首に巻き付けるように肩の上でほんの少し揺らし、その際立つ美貌の細面の上に、微笑を浮かべていた。

あんまりその立ち居振る舞いがすらりと美しく、仕草も所作もが優雅で気品溢れ、一瞬見惚れてしまったように、思う。

姿の綺麗なご婦人はこの宮廷で幾人にもお目にかかったが、これ程優雅で隙無く美しい男性は、初めだった。

ファントレイユには人を引きつける独特の雰囲気があって、その透けるように明るく輝くブルー・グレーの瞳のその美貌で微笑みかけられるとつい、彼に魅入られ、見惚れてしまい、それはうっとりとした気分にさせられる。

…宮廷作法の、教育係だと紹介されたりしていたらきっと、こんなに驚いたりはしなかったろう。けれど彼は近衛連隊に所属していて、護衛なのだった。

気づくと彼は、自分より背が低く少女と見まごう顔立ちの、薄い金の長い髪を背に流す、青い瞳をしたソルジェニーに少し屈んで伺うように見つめ、うっとりとする微笑を口元にたたえて告げた。

「近衛から派遣された貴方の護衛です。

ファントレイユと…そう呼んで頂ければ結構。それで…」

彼の声は、その容姿に似合わずびっくりする程通った声だった。

相手に自分の意思を、通すのに慣れた声色。

そう言えば『近衛連隊の隊長を務めている』と聞いていたのを、ソルジェニーは思い出した。

あんまり驚きを伴う表情で自分を凝視する王子の様子に彼は気づくと、とうとう苦笑してささやく。

「…期待外れでしたか?

もっと屈強な男をお望みのようだ」

そう告げる彼の声は羽毛のように柔らかく、その癖隙が、無かった。

間近で良く見ると、確かに鍛え上げられた武人のような、引き締まったしなやかな体付をしてる。

ソルジェニーは慌てて首を横に振るとつぶやいた。

「…貴方のように綺麗な男性は初めて見たので、驚いただけです」

だがファントレイユは朗らかに、笑った。

「…冗談でしょう?確か近衛一の使い手のギデオンは、貴方のいとこの筈だ。

貴方と親交も厚いと聞いています。

彼がどれ程近衛で目立つか、貴方はご存じ無い?

彼と比べて私の容姿なんてどれ程のものです?

彼を見慣れている貴方が私に、そんな事を言うなんて!」

言われて、彼はいとこのギデオンを思い浮かべる。

そう言えば彼も、近衛だった。

確かに同じ血を引くギデオンは、自分に良く似た雰囲気の顔立ちで、金髪に青緑の瞳の素晴らしく目立つ容貌の上、その顔立ちは女性のように綺麗だった。

ソルジェニーは慌てて付け足す。

「あの…つまり、身内以外で…という意味です」

ファントレイユはようやく、ああ。と、うっとりするような美貌の上に微笑みを浮かべ、頷く。

ソルジェニーはその微笑に見とれながらささやく。

「それに貴方はギデオンとは、全然雰囲気が違います」

ファントレイユは少しからかうように覗き込むと

「…そりゃあ彼は本当に、あの容姿に似合わず戦うのが大好きで、剣を放さない猛者ですからね」

「…貴方は違うんですか?」

ソルジェニーが尋ねると、ファントレイユはまた、うっとりするくらいの微笑をたたえ微笑んで、告げた。

「…戦う以外に楽しい事はいっぱいあるでしょう?多分そこが、ギデオンとは決定的に違うんでしょうね。

もっと腕の立ちそうな男をお望みなら、大臣にそうおっしゃって頂いて結構ですよ?」

「…でも貴方もとても、腕のいい方だとお伺いしています。

まさか剣の苦手なお方を大臣達も、私の護衛にしたりはしないんでしょう?」

ファントレイユは屈託無く笑った。

「…そりゃあ、近衛で隊長なんてしていたら部下の手前、剣が使えなきゃ話になりませんが」

「…それに貴方をお断りなんてしたら、貴方の立場上でも、それはお困りになるんでしょう?」

このソルジェニーの言葉に、ファントレイユは社交用の仮面を外し、優しげで気遣う表情を甲斐間見せた。

「…噂通りの、お優しい方だ。でも私の心配より貴方のお気に召す相手をお選びになる事です。

ご一緒に過ごす時間が、結構ありますからね」

ソルジェニーはこれを聞いて、心が震えた。

彼のその言葉が、自分の立場より本当にソルジェニーの気持ちを優先し気遣ってくれると、感じたからだった。

儀礼的に、もしくは責務上彼を気遣う者達は大勢いたけれど、心から気遣ってくれる相手が、今までこの城の中に居なかった事にソルジェニーはその時になって初めて、気づいた。

ああ…だから…。

唯一一番身近ないとこのギデオンと会った時、あれ程嬉しく、彼が去った後とても寂しく感じたのはそのせいだったのかも知れない。ギデオンは身内だから特別なのだと思ってた。

けれどそうじゃなくて彼を気遣ってくれる相手がこの城の中で、ギデオン唯一人だけだった…。今までは。

それでソルジェニーはそのまま自分の心を、彼に告げた。

「…私は貴方が護衛で、とても嬉しいです。

貴方もそう思って頂けると嬉しいんですけれど」

ファントレイユはとても優しげな表情で柔らかく微笑んで

「…そりゃあ…。

近衛と来たらそれは殺伐としていますから、宮中でこんなに優雅で楽しい職務を努められるのが、嬉しくない筈ありませんよ。

貴方のご性格は本当に、申し分無くお優しい方ですし」

そう誉められてソルジェニーは思わず、頬を染めて頷いた。

彼に気に入られた事がこんなに心が弾んで楽しい事だなんて思わなかったし、誰かに気に入られてこんなに嬉しい事は、今まで無かったからだった。


2 宮中


   ファントレイユと並んで外出すると、途端に人目が集まってくる。

やっぱり彼に見惚れるのは自分だけじゃないんだ。

と、ソルジェニーはそっと横を歩く彼を、見上げた。

たっぷりのグレーがかった栗毛が、肩の上で波打つように揺れる。

面長の、けれどもとても綺麗な形の頬と顎をしていて、鼻筋が通り、何より顔立ちが綺麗だと言う他に彼にはどこか輝きを集めたような雰囲気があって、どう考えても近衛よりこの宮中に居るのにふさわしい、文句無しの優雅な姿だった。

目前の豪華で壮麗な建物を抜け、広い中庭に出る辺りでご婦人の一団に出くわす。

色とりどりの衣装を着こなし、身分ある方ばかりでそれは華やかだったが、ファントレイユと並んで進むと彼女らの、呆けたように見惚れる視線が一斉に彼に、注がれた。

ソルジェニーはつい、彼女らの視線を追いかけて隣のファントレイユを見上げたが、彼は見つめられるのに慣れている様子で、7人程居る女性達の視線を一身に浴び、それは優雅に、にこやかに彼女達を見つめ返し、通り過ぎ様それはうっとりするような笑顔で微笑んだ。

彼女達の頬が染まりファントレイユのそのあまりの優雅な男らしい美貌に、通り過ぎたその後ろから一斉に感嘆のタメ息が、漏れる。

ソルジェニーは初めての事でつい、再びファントレイユの様子を伺ったが、彼にとっては日常で、何でもない事で、当然で当たり前で、どうって事無いようだった…。

 見つめ続けているとファントレイユの視線が前に、注がれる。

黒髪の、それは美しいご婦人が彼を、見つめていた。

隣に居るのは大臣の一人で、どうやらその黒髪のご婦人は彼の妻だと紹介された事を思い出す。

随分お若い奥方をお迎えになったと、確か侍従達がそう、噂していた記憶があった。

大臣はソルジェニーを見つけると、少し頭を軽く下げて礼を取り、その後その場を離れた。

…いつもの事だが彼らは大抵ソルジェニーに捕まったり、長く話したり、質問をされる事を怖がっているようで、用が無ければ直ぐにその場を、立ち去るのが習慣だった。

仲違いしている訳でも無い相手にそんな態度を取られる事に、ソルジェニーはそれは気落ちしたが、ファントレイユは大臣が場所を外した事は嬉しいようだった。

…ご婦人は夫に、ついて行かずその場に、残ったからだ。

彼女はファントレイユに微笑みかけ、当然とばかりにその手を差し出す。

途端ファントレイユはそれは優雅に微笑み返すと、その差し出された手をそっと取り、軽く膝を折ってその真っ白な手の甲に、軽く口づけた。

あんまり素晴らしい仕草で、ソルジェニーはご婦人にはこうやって礼を取るのか…。

と、まるでお手本を見るように、ファントレイユの流麗な動作に見とれた。

「…王子の、護衛のお方だと夫にお聞きしていますわ。

…近衛連隊にいらっしゃるとか…」

ファントレイユは神妙にそっと、俯く。

「…今日が初仕事ですが」

「…でも護衛をなさるならこれからも度々、お目にかかれますわね?」

ファントレイユが美貌のその面を上げて、婦人に微笑み返す。

「…王子が私を召して下されば。いつでも」

だが彼女の夫の大臣は、女性なら大抵色めき立つその色男と話している妻が気に入らないらしく、しきりに彼女に

『早くこちらに来い!』と、少し離れた場所から頭を振りまくり、合図を送ってた。

「…夫君がお呼びのようだ」

ファントレイユがチラリとそちらに視線を向けてつぶやくと

「…そのようね」

彼女は素っ気なく言い、直ぐソルジェニーに振り向くと途端、にっこりと微笑んだ。

「…また、お会い出来ると良いのですけれど」

そして、そっ、と視線をファントレイユに残しながらもその場を、立ち去った。

ファントレイユがその視線を受け止め、身分の高いご婦人に対しての礼を取り、優雅に頭を下げた。

二人の様子を見れば、世事に疎いソルジェニーですら、その言葉は勿論自分に向けられたのでは無いと、解った。

ファントレイユを護衛に連れた自分に、出会いたいのだとそう、彼女はソルジェニーに告げたのだ。

あんな美人で豊満な、それは綺麗な胸をした女性にあんなに好かれて、ファントレイユがさぞ、心を動かされたのでは無いかと様子を伺ったが、彼は全然そんな素振りを見せず、自分を見つめているソルジェニーに、先に進むよう視線を送って促した。

ソルジェニーはファントレイユの横に並んで歩を進めたが、その素晴らしい美貌の護衛はその後毎度、ご婦人に出会う度にこんな光景を、繰り返し続けた。

 城の中を歩いただけなのに、ソルジェニーは人の視線を浴び続け随分と、疲労を感じた。

今まで一度も、無かった事だ。

人々は大抵ソルジェニーを怖いもののように避け続け、出会うと殆どの者が礼を取る振りをして頭を下げ、王子に話しかけられまいと目線を下げたまま、逃げるようにその場を立ち去って行ったからだった。

王子の疲れた様子にファントレイユは気づくと

「そこのベンチに、掛けましょうか?」

と屈んで彼の耳元にささやいた。

ソルジェニーが頷く。

そしてベンチに掛けるとその側に、彼の視線を遮らないよう控え目に立つファントレイユを、見上げ不思議そうに尋ねる。

「…どうして貴方は、掛けないんです?」

空いている隣の空間を目で差すと、ファントレイユは真顔でささやく。

「…護衛は普通、ご一緒に掛けたりは致しません。

何かあった時に行動出来なければ、護衛の意味が無いでしょう?」

ソルジェニーはファントレイユがあんまり人々の注目を浴びるので、彼が護衛だと言う事をすっかり忘れている自分に気づいて、ああ。と頷いた。

「…でもここはまだ城の中ですから、出来れば隣に座って話し相手になって下さると、嬉しいんですが…」

ファントレイユは城の中だからこそ、職務を果たしている姿を人に見せたいようだったが、ソルジェニーの、とても話し相手の欲しい、物寂しそうな風情に目を止めてつぶやいた。

「ここからでもちゃんとお声は聞こえますし、話し相手は務められますよ?」

ソルジェニーが見上げるとその美貌の騎士は、それは優しげに微笑んでいて、ソルジェニーを有頂天にした。

「…あの…私は全然軍の仕組みが、解らないんですが、どうして貴方は宮仕えをなさらず近衛にいらっしゃるのです?」

聞かれてファントレイユは暫く黙った。

が、ゆっくり口を開くとつぶやく。

「…そうですね。宮仕えが出来る立場には居ましたが…」

そして、自分を伺うソルジェニーを見やると、微笑みを浮かべる。

「…そんなに不思議ですか?私が近衛に居る事が」

その素晴らしい美貌で見つめられ、ソルジェニーは躊躇ったがささやく。

「だって、ここの誰よりも優雅でいらっしゃるから…。

宮廷作法の教育係が、貴方と比べたりしたら不作法に見えてしまう程です」

ファントレイユは苦笑した。

「それは…。

作法の教育係に、恨まれそうですね」

「…ギデオンのように、戦うのが大好きだからですか?」

とてもそんな風には見えなかったが、取りあえずそう尋ねてみる。

「まさか…!

そんな風に、見えますか?

私は血を見るのも、殴り合いも大嫌いです」

やっぱり…。とソルジェニーは思った。

でもそれならますます、不思議だった。

「それでも、近衛が良かったのですか?」

ファントレイユは肩を、すくめる。

「…もし私が近衛で隊長をしていなかったら、多分もっとたくさんの男にやさ男となめられて、決闘を、ふっかけられていたでしょうしね」

ソルジェニーは彼にそれは不似合いな、“決闘"という言葉につい、驚いて訊ねた。

「…決闘を…なさるのですか?」

ファントレイユはいかにも、不本意のようにつぶやいた。

「勿論、好きでしている訳では、ありませんよ。

大抵の男達は自分の惚れたご婦人が、私の気を引こうと色目を使うのが気に入らず、好んで私に突っかかって来るんです」

ソルジェニーはこれまで城の中で彼に見惚れる女性の、その数の多さを考えてつぶやいた。

「…じゃあ、ひっきりなしに決闘していなくては成りませんか?」

「…近衛の隊長に、決闘を申し出る相手は限られます」

「…それで…あの…。

やっぱりお怪我を、なさったりしますか?」

ソルジェニーが、それは心配そうな表情を見せたので、出会って間もない幼い王子に心配された事が彼は、それは嬉しい様子で軽やかに微笑み、言葉を返す。

「近衛の隊長が色恋沙汰の決闘で怪我なんかしたら、首が飛びますよ!

…幸い私は、今だに隊長で、いられます」

ソルジェニーは、少し呆れた。

彼はそれは遠回しに

“自分は決闘で、怪我なんかする程剣の腕は劣っていない"

と、告げたのだ。

その言い回しもあんまり控えめで、ソルジェニーは彼がなぜ自分の護衛に選ばれたのか、理解出来たような気がした。

彼は確かに人目を…特にご婦人の…引きまくったが、ソルジェニーに対するその態度も言葉遣いも、とても控え目で気遣いに溢れていたし、これ程浮ついた視線を送られ続けても職務をきちんと理解して遂行している所も…申し分無かったからだった。


3 ギデオン





 数日彼を続けて召して城内を歩いたが、この素晴らしい美貌の護衛は行く先々で女性の熱烈な歓迎を受け続け、ソルジェニーはすっかりその様子に慣れた。




 ある時大公爵夫人が、滅多に顔を出さない城の大広間に、顔を出した。

その、煌びやかで豪華な衣装と、尊厳を示そうとする少しいかつい顔のご婦人はソルジェニーにとっても記憶のある姿だったが、以前会った時はそれは丁重に挨拶され、しかしソルジェニーが口を開こうとすると途端、きびすを返して彼の目前を、去った。




…しかし、ファントレイユと一緒だと、彼女の態度は違っていた。

ソルジェニーに、やはり丁重にご機嫌伺いの言葉を述べ、しかし視線は後ろに控えるファントレイユに、釘付けだったからだ。

「護衛の方も、大変な勤務ですわね。お相手が、王子ともなると。

…ところで護衛の仕事の、空き時間は何をしていらっしゃるの?」

ファントレイユはいかにも臣下と言う態度で、それは静かにソルジェニーの後ろで目を伏せていたが、婦人に話しかけられてその面を、上げた。

ソルジェニーもつい彼を見つめたが、彼が面を上げると聡明そうで隙の無い、文句のつけ所の無い美貌のそのブルー・グレーの瞳が一瞬煌めくような輝きを放って見え、あんまり綺麗でソルジェニーですら呆けた程だったが、ご婦人にとっては尚更だった。

大公爵夫人の、タメ息が漏れた。

が、ファントレイユは臆する事無く密やかだが力のある声でこう告げる。

「…これでも近衛で、 隊長を努めておりますので、お召しが無い場合は部下の世話や軍務が、ございます」

婦人の頬が彼に見つめられて染まる様子に、ついソルジェニーは目を、まん丸にした。

それ程年輩では無いにしろ充分熟年で、身分を武器のように纏った威厳の塊のようなご婦人のそんな様子は、初めて見たからだった。

彼女は少し、感動で震えるように掠れて狼狽えたような声音で、つぶやく。

「…まあ…。

そんな危険なお仕事で無ければならないの?ご身分は?」

この明け透けな言葉にしかし、ファントレイユは眉をしかめる様子も無く淡々と返した。

「…候爵でございます」

この時アースルーリンドの宮廷では、公爵以下の身分は皆下等で虫けらのように思われていたから、ファントレイユはこの大公爵夫人の同情を、いたく買った。

「…ああ、それで……。

危険なお仕事に、付かなければならなかったのね?

でもご努力が報いられて、王子の護衛に付かれた事、本当にようございましたわ。

そうね。お望みなら、もっと危険も少なくてそれは貴方にふさわしい役職を、私ならご紹介出来るのだけれど…」

そして途端に、ファントレイユに色目を送る。

ソルジェニーはそのご婦人の様子に目を、ぱちくりさせたがファントレイユは慣れているのか、丁重に頭を下げて返答をしようと、口を開いた。

「…こんな男だが、近衛では大変役に立つのでね。

出来れば職を、変わって欲しくないのだが…」

横から口を挟んだその声の主に、皆が振り返った。

勇敢で、さわやかな意思の強い声色は、ソルジェニーは聞き覚えがあった。

そこに居たのは、やはりギデオンだった。





見慣れた彼だったが、その登場は大公爵夫人を、たじろがせた。

ギデオンはいつも通り、それは人目を引く見事な波打つ金髪を背迄たらし、色白の小造りの小顔の上のその宝石のような青緑の瞳を煌めかせ、瞳の色と同じ青緑色のビロードに金の豪奢な刺繍の入った上着をその身に付け、美女のような女性的な顔立ちとは裏腹の、尊厳溢れる堂とした態度でそこに立っていた。

彼はソルジェニーのいとこで、彼の母親は以前、王位継承者だった。

それに彼の母親が継承権を放棄しなければ、ソルジェニーに代わって王子で次期国王たる地位の、それこそ大貴族ですらひれ伏すそれは身分の高い王族だ。

婦人は、『軍神』と呼ばれる代々右将軍を継いで来た家系の、その厳しい武人の前から慌てて罰が悪そうに色気を隠し、軽く礼を取ると用があるので…と、そそくさとその場を立ち去って行った。

ソルジェニーは暫く呆けたように、その劇の一部のような展開に言葉を無くしてギデオンを見つめた。

ギデオンは困惑した表情を浮かべてその、小さないとこをそっと見つめ、ファントレイユに告げる。

「…君といるとソルジェニーは、いつもこんな事に巻き込まれているのか?」

ギデオンが言うとファントレイユは素っ気なく言葉を返す。

「…巻き込んでは、いないつもりだが」

ギデオンはその大広間の周囲を見回し、女性達が、群れては遠巻きにファントレイユに注ぐ熱い視線を呆れるように見つめ、ため息をつかんばかりにファントレイユに向き直る。

「…君がここに顔を出すようになってから、随分浮ついたな」

ファントレイユはその美貌で、明るく微笑む。

「それは、光栄だ」

ギデオンの、眉が寄った。

「…誉めて、無い」

だがファントレイユは肩をすくめて言った。

「…それは、残念だ」

ギデオンに対して宮廷内では、大抵の者が大公爵夫人のような態度を取るのに、ファントレイユのその、全然彼に臆する様子の無い同等の口の利きように、ソルジェニーはなんだかとてもほっとした。

ギデオンは全然身分を気にしない男だったけど、周囲はそうでは無かった。

大抵、とても丁重に彼に相対していた。

ギデオンはそれに何も言わなかったけれど、もどかしく感じているのを、ソルジェニーは知っていた。

だから対等の口を聞くこの護衛には、ギデオンも軽口を叩くみたいだった。

「…何しろ、君を推薦したのは私だからな」

「…やっぱり?君のご指名だとは思ってはいたよ」

ファントレイユはそれは身分の高い大貴族にそう、告げた。

が、ギデオンは身分等相変わらず構う様子無くつぶやいた。

「…君は女性には、それは念入りに親切だが部下に対しても評判が良い…。

態度が柔らかく気が利くしで押したが、ここでは君の本領が、発揮され過ぎてソルジェニーに悪影響が無いか心配だ」

ファントレイユはその彼の様子に、つい本音を覗かせて尋ねた。

「…ほう。どんな?」

「…君を一人占めしていると、ご婦人に恨まれないか?」

ギデオンの、その本心から心配げな声音に、ファントレイユはついくすくす笑った。

 

「…冗談だろう?

この職務じゃなきゃ、私はここには顔は出せないと言えば皆、納得するさ」

ギデオンの、眉が途端にまた、寄った。

「…君はソルジェニーの後ろから巧妙にお気に入りのご婦人の気を引いて、それ以外のご婦人の興味が自分に向いて都合が悪くなった途端、職務だとか言ってソルジェニーの後ろに、隠れるつもりなんじゃあるまいか?」

ファントレイユはギデオンの疑問に、呆れながら言い返した。

「…それをするのは当たり前じゃないか。

気の無いご婦人の、相手をする義理なんて私には無いし、第一その気も無いのに気を持たせるのは相手に対して失礼だ」

ギデオンはファントレイユのこの隙の無い返答に、それは不満そうに腕を、組んだ。

だがファントレイユはふと思い返して、ギデオンに微笑みかけると口を開いた。

「…ああ。君に、礼がまだだったな。助かったよ。

…さすがの私も、彼女くらい大御所で身分の高い女性だと、あしらいかねる」

「…そうだろうな。どう見ても君のタイプなんかじゃ、ないし。

…だが軍に関して私の言った事は事実だ」

この言葉に、ファントレイユの瞳が急に輝いた。

「へえ…!

君にそんなに買われる程、私は軍に必要とされているとは思って無かった」

ソルジェニーが見つめていると、ギデオンは少し、声を落としてささやく。

「…現右将軍の、叔父達はそう思ってないだろうが私は身分等気にしないからな…。

腕が立ち、頭の回転の早いお前のような男は戦場で必要だ」

だがこれを聞いてファントレイユは慎重に、言葉を選んだ。

まるでギデオンの誉め言葉を鵜呑みにして、有頂天に、成る気なんて無いように。

「…そうだな。私の身分では、君の取り巻きはとうてい務まらない。

最前線で、いつ命を落としても構わない実戦型のようだ」

ソルジェニーは軍の中では身分の低い者達が、身分の高い者達に代わって、捨て駒のように使われて命を落としている話を聞いた事を、思い出した。

だがギデオンはそんな男なんかじゃない。

彼の知っているギデオンは断じて自分の盾に、身分の低い者達の命を使うような卑劣な男なんかじゃ無い筈だ。

ギデオンが途端侮辱されたように、鋭い声で怒鳴るように唸った。

「…皮肉なんかじゃ、ないぞ!」

その真剣な言いように、ファントレイユは神妙な真顔になると、常に身分の低い者達の代わりに危険な場所へと志願し続けるそれは身分の高いこの男に、心の中で謝罪した。

「…解った」

勿論、言葉にはしなかったものの、滅多に地顔を見せないファントレイユの、真剣な真顔にギデオンは納得したようだった。

彼に軽く、了承したと頷く。

ソルジェニーは途端、ほっとした。

軍の中ではギデオンは、自分の知らない男になってやしないかとそれは心配だったので。

だがギデオンはソルジェニーに振り返ると厳しい態度を一変させ、それは優しげな笑顔で、少し屈んでささやく。

「やあ…。

挨拶すら、まだだったね」

ソルジェニーの表情が、ギデオンの声で途端に輝く。

「…会えて、嬉しいよギデオン!」

「…相変わらずかい?みんな、君には素っ気ないようだな。

…ファントレイユはどうだ?見た所、君の世話より、女性の相手で、忙しいようだが」

「…凄く、刺激的で毎日が、楽しい!」

この彼の言葉に、ギデオンの目が丸くなり、ファントレイユは横を向いた。

ギデオンはチラリとその美貌の色男を盗み見て、つぶやいた。

「…それは…良かった。

じゃ、君は気に入ったんだな?」

「とても!…凄く!」

ギデオンの表情が、途端にほぐれる。

ファントレイユの視線が、今度はギデオンに吸い付いた。

その派手で素晴らしく綺麗な外観とは違い、ギデオンは軍では、剣の腕が立つだけで無くそれは勇猛な猛者だったし、気に入らない相手はすぐ殴る乱暴者だ。

…その上身分迄最高に高かったから、彼に逆らう相手は

『命知らず』

と、呼ばれる程だった。

…だが彼は不正は大嫌いで、身分の差別などしなかったから、身分が高いと言うだけで実力無く威張る貴族達をそれはとことんやり込めて、身分の低い者達にとって彼は、まるで英雄だった。

それに戦場で彼は誰よりもまっ先に敵陣に切り込み、その勇敢さで熱狂的な人気の持ち主でもあった。

…その彼が、王子相手だと見た事も無い程優しげな表情を作る。

ファントレイユは喰い入るようにその、珍しい物を見つめている自分に、ふと気付く。

「…君は、王子相手だと随分優しそうなんだな」

ギデオンは顔を上げると、それは意外そうにそうつぶやくファントレイユの、美貌の面を見つめた。

「…そうか?」

ファントレイユは途端苦笑した。

「自覚が、無いのか?」

ギデオンの、眉が寄った。

「…ソルジェニーを見ているというのに、どうやったら自分の表情が見える。

鏡を使ったって無理だぞ」

ファントレイユは、それもそうだな。と肩をすくめた。

ギデオンは王子に向き直ると、言った。

「…気に入ったんなら良かったが、彼で困った事があればいつでも言いにおいで」

ソルジェニーの、表情が途端、曇った。

 

ギデオンと良く似た面差しの、少女のように可憐な出で立ちで、薄い金の髪を肩に垂らし、それは綺麗な青い瞳をした王子はいつもどこか心細げで、そんな彼の悲しげな表情に、ギデオンの胸がそれは痛む様子がファントレイユの瞳に映った。

「…でもギデオンはいつも、忙しいでしょう?」

だがギデオンは、それは優しげに微笑むと告げた。

「君が来ればいつでも時間を、作るさ」

そして、思い直したように付け足した。

「まあ…そりゃ、十分な時間は取れないかも知れないが」

だが、ソルジェニーはそれは嬉しそうにギデオンに微笑みかけ、ギデオンは満足げにその顔を見守った。

だが彼はさて…!と腰を伸ばすと

「狸共と、ちょっとした会合があるんだ」

彼の言葉に、ソルジェニーの頭の中に疑問付が沸き上がったが、ファントレイユは頷くとつぶやいた。

「…大臣達か?それは大変だな」

「…奴ら、黒い腹を抱えて、本音を隠しやがるから話をするのに気骨が折れる」

「…君のように、人の顔の裏を読むのが不得意な人間には尚更だ。

…大臣相手じゃさすがの君でも、殴れないんだろう?」

ファントレイユが心から気遣う様子で尋ねるが、ギデオンは俯いてつぶやいた。

「…拳を震わせて威嚇する事はあるが…。

殴れないと、ストレスが溜まる…」

途端、ファントレイユが困惑したように告げる。

「…頼むから軍で、発散しないでくれ」

ギデオンは、タメ息混じりにつぶやいた。

「…極力、そうしているが…こう毎日が平和だとな」

ファントレイユはそっと尋ねた。

「戦が起こって欲しいとか、思ってないよな?」

「…それは勿論望んでいないが、私に突っかかってくる奴がまるで居ない」

ギデオンが、がっかりしたように俯くのでファントレイユは呆れて肩をすくめた。

「…そりゃ、あれだけ殴れば無理も無いだろう?」

ソルジェニーはその、とても綺麗な顔をしたギデオンの軍での有様に、思わず口をあんぐり開けた。

だがギデオンはいかにも不本意そうに腕組んで怒鳴った。

「…そんなに殴った記憶は無いぞ!」

ファントレイユが、タメ息混じりに言い諭した。

「…普通、数人腕自慢の男を殴り倒して顎の骨を折ったりしたら、たいして腕の無い男はみんな、君に対して用心するものだ」

ギデオンが心底意外そうな顔を、ファントレイユに向けた。

「…まさか君もそうなのか?」

ファントレイユは思い切り、肩をすくめた。

「好んで顎の骨を折られる、馬鹿に見えるか?」

ギデオンは首を横に、振った。そして、思い直したようにファントレイユの耳元に顔を寄せ、ささやく。

「…つまり私に突っかかる相手は、馬鹿なのか?」

ファントレイユは、今更何を言ってるんだ?という呆れ顔をした。

「みんなそう思ってるぞ?」

「…それで私の前だと、みんな大人しいんだな」

ギデオンの、その落胆仕切った様子にファントレイユが心から怯え、そっとつぶやいた。

「…つまらなそうだな」

「楽しい、訳が無い」

ソルジェニーが、二人の様子につい笑った。

「…二人共、とても仲が良いんだね?」

ギデオンが眉をしかめた。

「…そうか?」

ファントレイユが、肩をすくめつぶやいた。

「…そう見えるんなら、そうなんだろう?」

今度はギデオンが、肩をすくめる番だった。

が、ソルジェニーに笑顔を向けると、また今度。と手を振り上げ、その場を立ち去った。

「ギデオンは、貴方の事をとても気にかけている様子だ」

その後ろ姿を見送った後、ファントレイユが王子に屈んでそう優しく話かけると、ソルジェニーが微笑んだ。

「…いつも、とても気遣ってくれるから、お会い出来るのが楽しみなんです」

その笑顔がまるで五歳の子供のように邪気が無く、頼り無げで、ファントレイユはギデオンの気持ちが痛い程解って頷いた。

王子が、皆から避けられているのは訳があった。

アースルーリンドには『影の民』と呼ばれる人外の者達を封じている場所が多数あって、この封印が破られて彼らがこの地に這い出たりしたら、人間はたちまちその魔物に命を取られ、滅びてしまう。

封印をし、『影の民』を追い払う事の出来る者はやはり人外の、『光の国』の王だが、彼は王家の者と婚姻を条件に光臨を果たす。

が、今世では直系に女性が産まれず、王子がその相手に選ばれたりしたものだから、皆は彼をどう扱っていいか解らず、ひたすら避け続けていたのだった。

また、迂闊に彼に色々聞かれたりして万が一王子が、『光の王』の花嫁なんて嫌だ、と家出なんてされたりしたら、国が滅びるのである…。

故に皆、王子と口をきく事をそれは恐がり、心を注ぎ、迂闊に物事を教える輩はことごとく王子の側から離されたりしたから、彼がいつも孤独でいるのは、仕方無かったかもしれない。

だがまだ幼い王子の、身の置き場の無い、心細げな様子や不安そうな表情に、心ある者ならば気にかけない者はいない。

ファントレイユはギデオンの事を影でこっそり“猛獣”と、呼んでいた。

宮廷内では確かにそれは上品な大貴族に、見えるもののその中味は間違いなく野獣だったし、今や軍の中では彼の外観に騙される者は既に、皆無だった。

が、王子にみせる気遣いに、ファントレイユは大いにギデオンを、見直した。

「まだ、出向きたい場所はありますか?」

ファントレイユは、そっとささやくように王子の意思を、促した。

王子は少し嬉しそうに微笑んで、ファントレイユにこう告げた。

「南の庭園を歩きたいんです…。

あの、もし、貴方が良ければ」

臣下の自分にそれは気を使う王子を、ファントレイユは心から不憫に思った。

それに王子は、自分の言う一言で相手に嫌われないか、それは恐れていたので、ファントレイユは何を言っても嫌ったりはしないんだと、彼に教えようと心を砕いた。

そして出来るだけ優しく、彼がどれだけ我が儘を言っても何でも無いんだと、諭すようにささやいた。

「…勿論お望みの場所に、いつでもご一緒します」

王子がその美貌の騎士の心からの申し出に、満面の笑みで応えたのは、言う迄も無かった…。

 


4 城下の食事


4 城下の食事



 その日、ソルジェニーはずっとファントレイユを待ったが、彼はなかなか姿を現さなかった。

軍務で、出頭が遅くなるとは聞いていたが。

午後の日が暮れ始めても彼の姿が無く、ソルジェニーはぽつんと室内で、時間を持て余した。

 大抵午前中には、色々な行儀見習いだの歴史だのの講義は終わっていたし、昼食後は夕食まで、彼は放って置かれるのが常だった。

以前は一人が気にならなかったが、ファントレイユと出会って以来、あんまりたくさんの人との出会いで、一人で居る事がどれ程孤独な事か、彼は改めて思い知った。

 召使いが夕食の支度をしていき、彼はいつも一人で食べるその食卓に、着く気すら無く、ぽつんと椅子にかけたままぼんやり戸口を眺めては、それが開く様子の無いのに、落胆した。

だが、並べられた夕食が冷め切った頃、その戸口はいきなり開いた。

「…失礼。大変遅くなって…」

ファントレイユは息を切らし、自慢のたっぷりのグレーがかった栗毛を乱して、彼の前にその姿を突然、現した。

が、待ち侘びて顔を上げるソルジェニーのその顔と、食卓に並ぶ、手の付けられていない冷めた夕食を目にし、ファントレイユは一息整えて、いつもの軽やかで自信に満ちた声色で彼に、告げた。

「…お食事が、まだのようだ」

だがソルジェニーは静かに、俯いた。

「…食欲が、無くて」

ファントレイユは肩をすくめた。そしてつかつかと食卓の上の食事の、鳥肉を指で摘んで口に放り込むと、もぐもぐと口を動かして食べ、頷いてソルジェニーに微笑んだ。

「…とても、美味しいですよ?」

室内が一気に、明るくなるような彼の存在感に、あまりに寂しかったソルジェニーは涙が、零れそうだった。

ファントレイユにはその様子が、解ったようだったが彼は微笑みを崩さぬまま、もう一摘みして、口に放り込んだ。

「…お食べにならないんですか?」

「お腹がお空きなら、貴方が頂いて下さい」

ソルジェニーのか細い声にファントレイユは、チラと王子を見はしたが、さっさと椅子に掛けると、ナイフとフォークを使い始めた。

「では、遠慮無く頂きましょう。

…何せ昼食も頂けなくて、腹ぺこですから」

そして、もりもり食べる彼の様子に、ソルジェニーは目を丸くした。

「…あの…。

お食事もされずにここに、駆けつけて下さったんですか?」

ソルジェニーの、その気遣わしげな様子にファントレイユは肩をすくめて、何でも無いように微笑を浮かべ、つぶやいた。

「…まだ、いい方ですよ。

行軍になれば、ヘタをすれば夕食もお預けなんて、ザラですからね。

それにここに顔を出したお陰で、こんなに豪華な食事に、ありつけた。

…まさか私が腹ぺこだと知って、わざと残して置いて頂いたんじゃありませんよね?」

悪戯っぽくそう言って笑うファントレイユに、ソルジェニーの心はすっかりうきうきしてしまった。

「…違います」

微笑んでそう告げると、ファントレイユはやはりうっとりするような微笑を、その返事に返した。

が、フォークから肉を更に口に放り込むと、もぐもぐさせながら口を聞いた。

「…では…貴方はまだですか」

「…あんまり、食欲が無いので…」

ファントレイユはグラスから飲み物を取ると、そう言って俯く王子を見つめた。

「…それは…いけませんね。育ち盛りなのに。

お食事はお口に、合いませんか?」

言いながら、だが手は相変わらず、フォークで肉を押さえてナイフで切り分けている。そしてまた口に放り込む。

「…あの…。

こんな手の込んだ食事よりたまに、もっと…その…。

素朴な物を食べたくなるんです…」

ファントレイユは、頷いた。

「なる程。確かに豪華な食材を使った、私じゃ滅多に食べられないご馳走ですが、貴方にとっては何を食べたいとか、我が儘は言えないようですね…」

ソルジェニーは力無く、頷いた。

「…あの…。お仕事が大変でしたら、来られないと断って頂いても、構いません」

ソルジェニーがそう、落胆したようにつぶやくと、ファントレイユは一つ、タメ息を付いてフォークを、置いた。

「…今度からは遅くなる時は、使いを寄越すとしましょう…。

まさかずっと、待っていらした?」

ソルジェニーは、ファントレイユにとても優しげにそうささやかれて慌てて首を、横に振った。

「…そんな筈ありません。

これでも私だって、それなりに時間を過ごすやり方がありますから…」

だがそれを聞いたファントレイユは少し、怒ったように眉を寄せた。

「…王子。他人に気を使うのはもっと、大人に成ったら嫌でもしなけりゃなりません。

…少なくとも私に気遣いは無用です。

様子で、気づかない呆け者だと、私の事を思っていらっしゃる?」

気を使って怒られるなんて、ソルジェニーは想定外で、思わずびっくりして顔を上げて彼を、見た。

だがファントレイユは尚も、眉間を寄せたまま言った。

「…子供は大人に気なんか、使うものじゃありません」

その、むくれたような言い用に、ソルジェニーはつい吹き出した。

だがファントレイユは尚も言った。

「…ちゃんと自分の本心を、言えないようになってしまいますよ?

素直に自分の、気持ちを言えばいいんです」

ソルジェニーはその言葉に後押しされて、つぶやいた。

「…ずっと待っていて、とても寂しかった」

そう、口にした途端自分があんまり哀れで、ソルジェニーはつい目頭が熱く成った。

ファントレイユは真顔でその様子を見て、ようやくほっとしたように、口を開いた。

「これで私もちゃんと、謝罪が出来る。

…お待たせして、本当に申し訳ありませんでした。

次回からはちゃんと、貴方が待っていると覚えて置いて、気を配りますから」

ファントレイユが真っ直ぐ王子を見つめて静かにそう告げると、それが申し訳無いような表情をするソルジェニーの様子に目を止め、言葉を続けた。

「…それが大人の仕事です。子供は我が儘を言うのが仕事。

忘れないようになさい」

そう、諭すように告げられ、ソルジェニーは潤んだ瞳で、頷いた。

ファントレイユはナプキンで唇を拭うと、急いでつぶやく。

「…しかし育ち盛りの子供が夕食を抜くのは、頂けませんね。

城下の、私の知っている店がまだ、開いている。

あんまり上品な場所じゃ無いが、致し方無い。

食事は多分、貴方のお口に合う筈です。

女将さんがそれは、料理上手なので」

ソルジェニーの目が、まん丸に成った。

「…これから…お出かけして下さるんですか?!」

その様子が、あんまり嬉しそうだったのでファントレイユはつい、微笑んだ。

「お召し物を、もっと質素にして頂かないとね。

お城の中とは違いますから。

馬には、お乗りになれるんでしょう?」

「勿論です!」

ソルジェニーはそう叫ぶと飛び上がりそうな勢いで、椅子をがたがた言わせて、着替えの部屋へと駆け込んで行った。

ファントレイユはその様子につい、微笑ましくって笑みを、こぼした。




 ソルジェニーが、彼のそれは見事な、栗毛の馬に跨ってファントレイユの後を、付いて行く。

ファントレイユは目で王子の乗馬の様子を、気づかれない様にこっそり観察していたが、彼の乗馬の、それは自然で乗り慣れた様子に一つ、頷くと拍車を、掛けた。

ファントレイユの、その自分を置き去りにする早さに、ソルジェニーも思わず必死に彼の後を、追う。追いついて彼に並ぶと、ファントレイユはそれは優雅に馬を操りながらソルジェニーに振り向いて微笑みを送り、更に速度を、上げてみせる。

ソルジェニーが、それでも付いて来ると、誉めるように彼に微笑み返す。

ソルジェニーは彼の視線を受けると、途端に心が弾む自分に気づいた。

ファントレイユに見つめられると、自分は何だか特別な人間になったようで凄く、胸が熱くなった。



 間もなく、彼は並ぶ家々の軒先から粗末な門を見つけ、潜って中に馬を進め、居並ぶ馬の列に、自分の馬を、繋ぐ。

ソルジェニーが彼に習って馬を降りて繋ぐ様子を見て、ファントレイユは笑った。

「…そんなに自分で何でも出来るんなら、城の中はさぞかし、もどかしいでしょう?」

「…皆、私に何も、させてはくれません」

ファントレイユはそのソルジェニーのぼやきに、心からの笑顔を、見せた。

あんまりその笑顔が屈託無く明るくて、ソルジェニーもつられて笑顔になる。

ファントレイユの手が、彼の背に回され、押されて促される。

その手の温もりに、ソルジェニーはどきん…!と心が高鳴った。

そんな風に自分に触れてくれる相手が、城の中で誰も、居なかったからだったが、それを別にしてもファントレイユの、その柔らかい癖にどこか強引な態度は、男らしい美貌も伴って相手を、どぎまぎさせるんだと、ソルジェニーは思った。

彼の肩に自分の頭が触れる程で、振り返ったりすると彼の胸元が、それは近くって、彼にそんな風にエスコートされると何だかとてもどきどきしている自分に、ソルジェニーは戸惑った。

が、ファントレイユは何でも無い様に灯りの漏れた賑やかな戸口から中へと、彼を促す。



質素な、剥き出しの木が壁一面を覆い、カウンターも、幾つもあるテーブルや椅子も、全て木材なのが一目で解るその広い部屋は、酒の入った男達でそれは、賑わっていた。

ファントレイユが姿を現すと、奥のテーブルに掛けていた男が彼の姿を見つけて杯を上げ、合図を送る。

ファントレイユはその男に視線を送り、王子の肩を抱いて彼らのテーブルへと、酔っぱらい達を掻き分けて進んだ。

幾人の、カウンター前で立って飲んでいた男達が、ファントレイユの姿を見つけて声を掛ける。

「…隊長!どうしたんです?

王子の護衛以来こんな店とは、無縁でしょう?」

「…身分の高い美人ばかり相手にして、ここはお見限りかと思いましたよ!」

だが、連れているソルジェニーに目を止め、その隊員らしい酔っぱらい達は二人を取り囲んで、目を丸くした。

「…貴方にしては、随分………」

「…こんなに幼い少女が好みだったとは…。

…そりゃ、美少女だとは思いますがね。

護衛を始めて、趣味が変わったんですか?」

「……いつもは必ず、どこから見つけてくるのかと思うような、そりゃあ色気のある品良い美人を、とっ代えひっ替え連れ歩く癖に…!」

ファントレイユは五月蠅げに、その酔っぱらい達に眉を寄せると、ソルジェニーに手を伸ばそうとする男達を手で払い退けて言った。

「知り合いの親戚の子供だ!いいから、絡むんじゃない」

咄嗟に、ファントレイユの胸に抱き寄せられる格好になって、ソルジェニーの心臓が、跳ね上がる。

衣服をそれは、彼は優雅に付けていて解らなかったが、触れてみるとファントレイユは、それは引き締まった、しなやかで逞しい体付で、ソルジェニーは思わず心臓がどくん…!と鳴った。

『風の民』ではもっとたくさん、逞しい男達が居て、彼を抱き上げたり肩を抱いたりしたのに、こんなにどきどきした事何て、今迄一度も無かった。

ソルジェニーは成熟した大人の男性は、こんな風なのかと改めて思って、頬がつい、熱くなった。

ファントレイユは彼らから護るようにソルジェニーを胸に抱いたまま、ようやく、杯を上げた友の元へ王子を連れて行き、彼らの向かいに腰掛けさせて自分も隣に、座った。

杯を上げた男は明るい栗毛の癖っ毛を肩の上で揺らし、穏やかな茶の瞳の、いかにも平民のような田舎顔で、気さくで気のいい優しげな表情を、浮かべて笑った。

「…今夜は随分、若い連れだな」

ファントレイユは途端に、気を悪くした。

「ヤンフェス。…君迄そんな事を言うのか?」

だが男は気にした様子無くソルジェニーに微笑みかけると

「食事かい?ここのじゃがいもは、美味いぞ」

ソルジェニーは途端、彼の親しみ易い笑顔に釣られて笑った。

「それを食べてみたい」

ソルジェニーのその様子に、ファントレイユも思わず笑みを漏らし、注文伺いに来た男にそれを告げた。

彼の横には、金に近い真っ直ぐな栗毛を伸ばし、理知的な青い瞳で小顔の、少し青冷めた顔色をした、利発そうだが弱々しげな体格の小柄な男が、居た。

彼は理性的な言葉遣いで、ソルジェニーの考えを読んだように告げた。

「…ファントレイユは、特別だ。

彼に扱われる大抵の相手は、どきどきするらしい」

ファントレイユは気づいたように隣のソルジェニーを振り向くと、尋ねた。

「どきどき?」

ソルジェニーは途端、気恥ずかしそうにファントレイユから顔を背けて俯いた。

ファントレイユは言った男を見たが、彼はすまして杯を、口に運んだ。

ファントレイユの、眉が寄る。

が、ヤンフェスと呼ばれた気さくな男が、肩をすくめてみせた。

「…君くらい性的魅力に溢れた男は珍しいと、マントレンは言いたかったんだろう?

第一私が君と同じ事をしても彼女…それとも、彼か?」

ファントレイユに訊ねるが、彼は首を振っただけで、答えなかった。

途端、男は何かを察したように、頷くと続けた。

「…ともかく私が君と同じ扱いをしても、きっと相手はどきどきしたりは、しない」

ファントレイユが、どうかな、と首を傾ける。

マントレンが、畳みかけるように言う。

「…そりゃ、そうだろ?」

が、ファントレイユはソルジェニーに向き直ると、二人を紹介した。

「…こっちはヤンフェス。

近衛一の、弓の達人だ」

人の良さそうな男は、笑顔で頷いた。

「…そして君にロクでも無い注釈をしたのは、マントレン。

参謀としては誰もが兜を脱ぐ、頭脳派だ」

「…ロクでも無い注釈をした割にはご大層な紹介をしてくれて、感謝すべきか?

…それで…彼…だろう?

何て呼べばいいんだ?」

二人はどうやら、彼の連れが王子だと、気づいている様子だったがそれを口にする事は、無かった。

「…どう呼ばれたい?」

ファントレイユのその美貌は、その粗末な酒場の中では更に輝きを増し、浮き立つように見えて、ソルジェニーは途端にどぎまぎしたが、そっと告げた。

「じゃあ…ソランと…。

『風の民』には、そう呼ばれていたので…」

ファントレイユは頷いた。

が、二人は王子のはにかむ様子に目を丸くして、お互い顔を、見交わす。

「…何か凄く、免疫が無さそうだが、大丈夫かい?」

ヤンフェスが、心配げな表情でささやくように言うと、マントレンも、唸った。

「君を押したのは、ギデオンだろう?

そりゃ適材とは言え、君相手じゃソランは初過ぎる…」

ファントレイユの眉が、ますます寄った。

「…君達は何が言いたいんだ?」

ソルジェニーはそんな素の彼の様子が、すごく新鮮でつい、見入った。

ファントレイユは冷静な態度を崩さぬまま、彼らに言った。

「…別に見合いを、している訳じゃないし第一、マントレンが言ったように、“彼”だ」

二人は思い切り納得し兼ねたようだったが、友のその態度に同調するように、素知らぬ顔を作ると話題を切り替えた。

「…で、食事に来たのか?」

ヤンフェスの問いに、ファントレイユは優雅に笑う。

「遅くなったのでね」

ヤンフェスは頷くと、

「その、問題の主達は反省する気も無くここに顔を、出しているぞ」

マントレンも続ける。

「君に、厄介事を押しつけて、いい気なものだ」

ファントレイユは途端、思い出したように二人の友の顔をじっと、見つめ、そして言った。

「…押しつけたのは、君達もじゃないか…。

騒ぎを聞いてそっと逃げたろう?」

ヤンフェスとマントレンは途端に肩を、すくめ合った。

「色事は君の、専門分野だ」

ヤンフェスが素っ気なく言うと、マントレンもくぐもるように告げる。

「正直…決闘騒ぎは、私じゃ手に負えない」

ファントレイユは友達甲斐のない二人に、呆れた。

「…女性の問題で、決闘騒ぎが、あったんですか?」

ソルジェニーがそっとそう問うと、彼はその美貌の面を向けてささやく。

「…問題を起こしたのは、私じゃないがね…。

マントレンの隊の者で、女性を孕ませて捨てたとその女性の兄が、剣を抜いてまっ昼間、近衛の兵舎に怒鳴り込んで来たんだ」

ファントレイユはそのまま告げたがやっぱり、ソルジェニーは目を見開いて、ぱちくりさせた。

途端、ファントレイユが額に手を、当てた。

「…やっぱり、刺激が強いようだな…」

ファントレイユがそう、ぼそりとつぶやくので、ソルジェニーは慌てて訊ねた。

「…それで、どうやって収めたんです?」

「私が責任者だと名乗り出て…。

ご存じの通り、マントレンは逃げたのでね」

ファントレイユに流し目で睨まれて、マントレンは横を向いて、目を逸らした。

「…事情を聞くからと、ともかく剣を鞘に、納めさせた」

ヤンフェスが机の上で腕組んで、乗り出して聞く。

「…それから?」

ファントレイユは彼を見て、思い切り首を横に、振った。

「…それからが、長くってねぇ…。

剣を抜いて来るくらいだから、もっと直情的な男かと思ったら、愚痴り初めて…」

「だがどうせ君の事だ。さっさと話を、切り上げたんだろう?」

マントレンが、素早く口を挟むがファントレイユが、それは弱り切った表情を、見せた。

「…そうしようとすると、泣き出す」

それを聞いて、二人が途端に、下を向く。

マントレンが、タメ息混じりに言った。

「…それは…どうしようも無いな…」

ソルジェニーもそう思った。

ヤンフェスが、顔を上げると聞いた。

「…それで結局、どっちだったんだ?

スターグか?それとも、ラウリッツか?」

ファントレイユが、頷いて返す。

「…やっと特徴を聞き出してスターグだと解ったので…。

慌てて彼を捕まえて事情を問い正した。

ところがあいつは、自分がそんなヘマをする訳が無いと言い張る。

…ソラン。じゃがいもが、冷める」

ファントレイユに目線で促されて、テーブルに乗る、注文した品が届いたのに気づき、ソルジェニーはスプーンを取った。

「…ああ。そのベーコンもとうもろこしも、絶品だ」

マントレンに言われて、口に運ぶが、皆それは素材を活かした素朴な味で、ソルジェニーは一気に空腹を思い出した。

その食べっぷりに、二人は思わず目を、見合わせた。

ヤンフェスが、呆れたようにつぶやいた。

「…とてもお腹が、空いていたようだ…」

ファントレイユが、くすくす笑った。

「育ち盛りだものな」

「…それで?」

マントレンが言うので、ファントレイユは続けた。

「…ともかく、スターグと話していると、熱血の兄貴は待たせた部屋からまた、剣を抜いて喚きながら俳諧するし…スターグは、絶対女性が嘘を付いていると言い張るし…」



「…言い張るんじゃなく、嘘を付いてる。あっちが」

言葉を継いで、男がテーブルの横に、立つ。

確かに、見目の良く、肩幅もがっちりとした黒髪の伊達男だったけれど、尖ったナイフの様な印象の、少なくとも上級貴族なんかじゃなく、宮廷に縁無く品も無い、荒んだ感じのする若者に、見えた。

「…あんたに世話になって申し訳無いが、この後は俺が話を付ける」

ファントレイユが、そのブルー・グレーの瞳を真剣に輝かせてその彼を見据える。

「…両親を亡くして兄一人しか身内の居ない女性だぞ…。

兄貴を斬り殺して天蓋孤独に、する気じゃないだろうな…!」

ファントレイユに低い声でそう怒鳴られて、スターグの顔が、歪んだ。

「…ともかく、女と話させてくれ…!

それ切り、あんたに世話はかけない」

ファントレイユはその言葉に、唸るようにつぶやいた。

「…兄貴が監禁しているんだ…!

第一貴様を見た途端、あの瞬間沸騰の兄貴は斬りかかって来るぞ…!

どうせお前は、かわしたりせずにばっさり殺る気だろう?」

「…じゃあ君が、女性と話すしか、無いだろう?」

マントレンがその緊迫感を収めるような、理性的な声で口を挟むと、ヤンフェスも繋いだ。

「…君なら大抵の女性は、うっとり見とれて口を割る」

途端にファントレイユは、げんなりしてつぶやいた。

「…全然嬉しく無い評価だ」

「…そうだろうな。秘め事で無く、もめ事納めにその美貌を、使うとなれば」

ヤンフェスの、その素っ気ない言い様を、ファントレイユは軽く睨むが、それしか手が無いのか、次に大きなタメ息を、付いた。

そしてテーブルの横に立つスターグを見上げて言った。

「…本当に、覚えが無いんだな?」

ファントレイユがスターグに、聞くと彼は頷いた。

だがスターグは、美貌の色男に貸しを作るのは、凄く嫌なようだった。

彼の後ろから肩に腕を回して抱き、スターグの顔を覗き込む男が言った。

「スターグ…。俺が兄貴を抑えて置いてやるから、女と話を付けろ」

…もう一人の問題児、ラウリッツだ。

二人はファントレイユ達より幾らか年下で、近衛の中でも腕も立ち見目も良く、乱暴者でしかも遊び人で有名だった。

ラウリッツはやっぱり品の無い若者だったが、栗毛の巻き毛を長く伸ばし、はしばみ色の瞳をした、それはチャーミングな人好きのする美男だった。

だがこれにはマントレンが、猛烈に異を唱えた。

「…どう話を付ける!脅す気か?

もし彼女が嘘を付いているんだとしても、脅されて女性が本音を言うか?

…それでますます頑なになったら、お前は彼女に乱暴しないと、誓えるのか?!」

スターグがこれには、目を剥いて反論しようとした。

が、ヤンフェスがその前に、静かな声でつぶやいた。

「…勿論、穏やかに話せるんだろう?スターグ?」

途端、スターグは、自分の今の状態ではそれが、出来そうに無い事に思い当たって、うなだれる。

ヤンフェスはその様子に肩をすくめ、マントレンも、そら見ろ!と首を横に、振った。



ソルジェニーはまたまた、劇とかお話の一節のようなその場の展開に、スプーンを口に、運びながらもわくわくしていた。



ファントレイユは彼らのやり取りを見守っていたが、口を開く。

「…私に、借りを作るのは嫌らしいが、仕方無いな?」

ファントレイユに念を押されて、スターグはうなだれた。

ラウリッツは、隊長達年長者の無言の迫力に、やれやれと肩をすくめると、友の肩を、ぽん!と叩いた。

スターグは立ち去ろうとして振り向くと、ぶっきら棒にファントレイユに、告げた。

「ここの今夜の食事は、奢らせてくれ」

ファントレイユは彼の貸しを少しにしてやろうと、頷いた。

「…奢られてやる」

スターグは、頷いた。

背を向けてラウリッツと酔っぱらい達の間に、その姿を消す。

途端、ヤンフェスがソルジェニーに向き直った。

「…りんごのパイも、美味いぞ!」

マントレンも、畳みかける。

「チーズのケーキも、凄くいける」

そして二人は、ソルジェニーの返事を待たずに注文を取る為、揃ってウェイターを呼んだ。

ソルジェニーが、その二人に呆れてファントレイユの様子を伺うが、彼は事後処理を一気に任された事に、額に手を当てて俯き加減で首を横に振っていた。

が、店の者が注文を取りに来るとすかさず顔を上げる。

「…葡萄酒だ。この店で一番上等のを、くれ」

ソルジェニーはそれを聞いて、思わず自分の言葉を、飲み込む。

そして、俯きながらつぶやく。

「…生クリームたっぷりの、ケーキはありますか?」

ヤンフェスとマントレンはその言葉に思い切り頷くと、直ぐにそれを、注文した。



テーブルに運ばれた山盛りのデザートと高級酒を、全員がそれは満足そうに、心ゆくまで正味したのは言う迄も、無い事だった…。







5 ギデオンとの夕食


5 ギデオンとの夕食

 その翌々日の夕暮れ、護衛の職務に王子の部屋を訪れたファントレイユは、ソルジェニーの自室のソファに掛けるよう勧められ、腰を落ち着かせる間も無く王子の質問責めに合った。

王子は向かいに掛け、手ずからお茶を入れて差し出したものの、ファントレイユに向けて一気に口を開く。

だが矢継ぎ早に尋ねる、頬を紅潮させて興奮の面持ちで自分に返答を催促する王子を尻目に、ファントレイユはソファの向こうにしつらえた、またそっくり手の付けて居ない冷め切った夕食の、まるっと残った食卓にその視線を落として、ぼそりとつぶやいた。

「…王子。また食欲が、おありじゃないんですね…」

夜出かけた日の翌日、ファントレイユから軍務で護衛に付く事が出来ないとの連絡が入り、その翌日…つまり今日は、夕食時にしか来られないとソルジェニーの元に使いの者が、訪れた。

じらされ切った王子は、その後どうなったか、知りたくてたまらなかったのだ。

ファントレイユは彼に、手短に話した。

確かに、昨日来られなかったのは、かの女性の家を訪問し、今ではすっかり見慣れた、妹を溺愛する兄の取り次ぎで、問題の女性に会ったと。だが彼女はガンとして、スターグの子

供を身ごもっていると、引かなかった。

そしてどうしても、彼と会いたいと言い出し、ファントレイユは兄を説得し、自分が立ち会い、席を立たないからと約束して妹を、連れ出した。

彼女が、スターグに惚れ込んでいるのは明らかで、スターグの冷たい態度にそれは、打ちひしがれていたと。

だがファントレイユは彼女に、脈の無い男を追いかけるのはうんと馬鹿げているし、スターグはとうてい、夫にも父親にも向かず、彼が責任を取った所で決して幸せにはなれないと、言い続けた。

そんな風に、必死で説得する彼に、彼女は心惹かれたらしい。

ファントレイユの気が、自分にあると勘違いした彼女は、自宅へ送る途中とうとう、自分は身ごもってなんか居ないし、スターグの事は忘れるから、これからは自分の事だけ見て欲しいとファントレイユに告げて、彼をそれは、困らせたらしい。

「…それで、どうしたの?」

ソルジェニーが聞くと、ファントレイユは頭を、抱えた。

「どうもこうも、ありませんよ…。

身ごもって無いと、証明出来るのかと聞いたら、出来ると言い出し、彼女に、兄の前でそれを言ってくれるよう、説得したのは良いんですが…。その後がね…」

「……後が?」

「彼女の兄が、妹の狂言だと解って胸を撫で下ろした所で、その妹は、自分はあんな男は忘れて、私と付き合うと言い出すものだから…」

「…それでファントレイユは、彼女と付き合う事に、成ったの?」

ファントレイユは優雅な面持ちを少し青冷めさせてつぶやいた。

「冗談でしょう?

出来ない事を出来るだなんて、私は死んだって言いません。

勿論、きっぱりと言いましたよ。付き合えないと」

「………でもその場でそんな事を言ったりしたら、凄く大変な事に、なるんじゃない?」

「…覚悟は決めていましたからね。

ともかく、私には思う相手がとっくの昔に居るし、彼女以外は考えられないから、どうしても付き合う事は出来ないとそう言って、兄に、殴るなり蹴るなり、したいなら好きにしろと開き直ってやったんです」

「無事収まった?」

「私はどこか、痛めてますか?」

ファントレイユがようやく微笑むので、ソルジェニーも笑った。

「…ファントレイユの誠意が、お兄さんに通じたんだね?」

「泣き言に、付き合った甲斐が、あったというものです」

ファントレイユの、その珍しく疲れた様子に、ソルジェニーは心配げに、尋ねた。

「…大丈夫ですか…?」

ファントレイユはその王子の、伺うような様子に途端に笑うと、

「スターグに思い切り、あんな安酒場の夕食なんかじゃ全然、割に合わないと愚痴ってやりましたからね」

ソルジェニーも釣られて、笑った。でもふと、思い返してささやく。

「…ファントレイユは、彼女じゃなきゃダメな程の、想い人が、居るの?」

ファントレイユはその美貌で軽やかに微笑むと、告げる。

「…ああ、それは勿論、嘘です」

ソルジェニーは途端に目を、ぱちくりさせた。

その王子の様子を目にし、ファントレイユは少し気まずい笑みを浮かべてつぶやく。

「…それ位は言わないと、納得しないでしょう?だって」

「…だがそんな嘘はお前の評判を聞けば、すぐバレると、思うがな」

ふいに後ろからギデオンの声がして、二人して振り返った。

彼がそこに居るだけで、一気に場が華やぐ程の、鮮やかな波打つブロンド。

そして一瞬、見入ってしまう、綺麗な小顔。

だが堂とした態度は明らかに、武人のそれだった。

ソルジェニーは彼の登場に心が騒いだが、確かに、自分の護衛を務めている間、目立ちまくっているファントレイユを思い浮かべ、ギデオンの、言った通りかもしれないと、また心配げにファントレイユを覗き込んだ。

が、ファントレイユはギデオンのその姿に笑いかけた。

「…ご心配、ありがとう!

だが彼女は暫くして自分に言い寄る男が出てきたら、すぐに私の事なんか、忘れるさ!」

ギデオンは、だがじっとソファにかけてそう微笑みかけるファントレイユを見つめると、ぶっきら棒につぶやいた。

「…君くらいの美貌の男が、女性に簡単に、忘れ去られるとは到底、思えないが」

ファントレイユがその言葉に、あんまりまじまじとギデオンの顔を見つめるので、ギデオンは途端に、罰が悪そうな顔をして問い正した。

「…私はそんなに、間抜けた事を言っているのか?」

「いや…?君にそんな風に、思われてるなんて、知らなくて意外だった」

ファントレイユの返答に、ギデオンはほっとしたように肩を、すくめた。

「どうして私だと意外なんだ…!

第一これは、ヤンフェスやマントレンの意見だぞ?

私も彼らに、同感だと思っただけだ」

ヤンフェスとマントレンの名を聞いて途端、ファントレイユが気遣わしげにギデオンを、見つめ尋ねる。

「…彼らと、話したのか?」

ギデオンは二人の斜め横のソファに腰掛けながら、ファントレイユの、自分の顔色を伺う様子に気づいたが、とぼけた。

「随分な騒ぎだったからな…。

いくら近衛の兵舎だって、抜刀したまま昼日中俳諧する奴は、珍しい」

腰を降ろし様、手を胸の、前で組む。

「…そうか………それでその……」

ファントレイユはギデオンがどこに話を持っていくのか、見当がついてそっと彼を伺い見る。ギデオンは意地悪く笑うと

「…君の、お手柄だ。

さすがに日頃流血は嫌いだと言い張るだけあって、スターグの理不尽な斬り合いを押し止めた事は、誉めてやる」

ソルジェニーはギデオンの言葉を真に受けて、顔を輝かせてファントレイユを見たが、ファントレイユはギデオンの、滅多に口にしない

『誉めてやる』

という言葉に更に警戒を強め、彼が影で“猛獣”と呼ぶその男の言わんとする事柄の落ち着き先を、慎重に見守った。

ソルジェニーがファントレイユの身構えた様子につい、もう一度ギデオンの顔を、その理由を探るように振り返る。

ギデオンはファントレイユが、もう自分が何を言い出すのか察しがついていると踏んで、彼に向かって、笑った。

ソルジェニーが、見た事の無いギデオンの笑顔だったが、ファントレイユは良く、知っているようだった。

背筋が、凍り付くような笑顔だ。

「…つまり…二人はしゃべったんだな?酒場にその………」

ギデオンはファントレイユの言葉を、遮って言った。

「少女を伴って来たそうだな。

知り合いの、親戚だそうだが、その知り合いとは私の事だろう?」

ファントレイユは、彼らがギデオンの猛獣振りを熟知していて、裏切るとはどうしても思えなくて、もう一度聞き返した。

「…それも、マントレンとヤンフェスか?」

「いや?別口だ」

ファントレイユはやっぱり…とは思ったが、酒場で連れの少女を王子だと気づかない間抜けが、迂闊にギデオンの前で口を、滑らせたのだと解り、心の中で舌打った。

ソルジェニーも、彼を少女と間違えた、酔っぱらいの隊員を思い返していた。

そして安酒場に、よりによって厳重警護が必要な、それは国にとっての重要な身の上の王子を、お忍びで連れて行った事が彼にバレて罰の悪そうなファントレイユの、下を向いて眉を寄せる様子を目にし、ソルジェニーは慌てて彼を庇うように言った。

「ギデオン。私が頼んだ。ファントレイユに。

もっと、素朴な物が食べたいって」

そう、可愛いソルジェニーに必死に言われ、ギデオンはふ、と冷め切った夕食の乗ったテーブルに、視線を向ける。

途端、ギデオンの顔が心配げに曇る。

「…食べて、無いのか?」

王子を見つめ、密やかな声音でそう言い、ファントレイユに視線を移す。

ファントレイユは彼の気遣わしげな碧緑の瞳に、そっと肩を、すくめて見せた。

ギデオンは途端ファントレイユに、神妙な表情を見せて静かに侘びた。

「…すまない。君はソルジェニーに、気を使ったんだな?」

ファントレイユはその猛獣が、この小さないとこに弱い事を知ってはいたが、こうもあっさりと兜を脱ぐ様に、つい顔を、上げた。

その、彼の気遣いに素直に侘びる表情を向けた、身分の高い尊大な男のその愛情の深さを思んばかると、俯いてささやく。

「…いや…。

私も彼の約束に、うんと遅れたので、償いがしたかっただけだ」

ギデオンはファントレイユが、自分を非難する事無く彼自身の非を理由に上げて詫びを入れ、誇りを気遣う様子に少し、感謝するように頷くと、一つ、タメ息を付く。

「…それで今夜も、食欲が、無いのか?」

ソルジェニーは答えずに俯き、ファントレイユが代わりにつぶやいた。

「…その様だな………」

ギデオンはまた一つ、ため息を付くと

「だが、安酒場は頂けない。

もう少し上品な酔っぱらいの居る店を、知っている。

馬鹿高いが、田舎料理も置いてある筈だ。

護衛の他に、私も同席すれば、文句も出まい」

ソルジェニーはそれを聞いて一気にはしゃいで顔を輝かせると、出かける支度を、しに部屋を飛び出して行った。

ファントレイユが顔を上げ、ギデオンをまじまじと、見た。

「…君、本当に王子には、甘いんだな」

ギデオンはファントレイユに見つめられ、更にもう一つ、大きなため息を付いた。

「甘くも、なるさ………。

君も様子を見ていたら、解るだろう?」

ファントレイユも思わず、頷いた。

ギデオンは、そんなファントレイユの、少し青冷めてやつれた、珍しくしおらしい姿を目にし、椅子から身を乗り出し、彼を伺うように見つめて訊ねる。

「それで?今日も別件でゴタついて、君は疲れていると言うなら、私が引き受けるが」

が、ファントレイユは顔を上げて途端に明るく、笑った。

「…君の奢りで夕食にありつける、滅多に無い機会から私を、閉め出す気か?」

ギデオンがその笑顔に、釣られて笑った。 

 ギデオンはソルジェニーが一人で馬に乗る事を許さず、自分の馬の前に乗せてソルジェニーの後ろに跨った。

王子はそれは巧みに馬を操るのに…。

とファントレイユは馬上で手綱を取って二人の様子を眺め内心思ったが、王子はギデオンと同乗するのがそれは嬉しいようで、はしゃいだ様子で幾度もギデオンを振り返っては話かけ、ギデオンもそれは優しい表情を作り、彼の言葉にやっぱり、今まで一度だって聞いた事の無い、柔らかな声音で微笑みながら返答していた。

いとこ同志なだけあり面立ちの良く似た二人は、ギデオンの方が濃い黄金色の長い髪を肩に背に垂らし、ソルジェニーはそれよりは薄い金髪を背に流して、素直そうな青の瞳で、そのくっきりとした碧緑色のギデオンの瞳を、後ろに振り向いては見つめ返す。

…共に小顔で色白で、まるで少女のような王子と、近衛では半端無い睨みを効かすギデオンのそのとても優しげな表情に、普段からあまり男性に見えない美女顔も伴い際立って美しい、男装の姉妹のように目に、映る。

ファントレイユは何度も、自分の見ている光景が信じられなくて目を擦りたい衝動にかられたが、幾度目かでとうとう自分に言い聞かせた。

『そりゃあ、一度もお目にかかった事なんて無い猛獣のくつろいで愛情溢れる姿だが、いい加減見慣れろ!

それに彼があんな顔を見せるのは、王子に限定されているんだ。と、肝に命じて置くんだぞ…!』と…。 

 だんだん建物の少ない外れにやって来て、ファントレイユも確かにこの辺りに上流の連中の使う、馬鹿高い店があった記憶が戻って来た。

が、二股の道の、右にギデオンが馬の首を向け進むのを見、

『あれ?こちらだっけ…』とぼんやりと、考えていた。

だが案の定暫く進むと、人っ子一人通らない道の両端を木々が被う、暗く人気の無い道に出た。が、その少し先の左へ細い枝道の伸びた分かれ際の木の枝に、看板がぶら下がっているのが月明かりで解る。

「…どうやら、ここを入るらしいな…」

ギデオンは言って、馬をそちらに進めたが、ファントレイユは彼に問い正したかった。

本当に、こちらでいいのかを。

ひどい胸騒ぎがしたからだ。

確か……。自分の記憶が、確かなら………。

 だが暗い木立を抜けて少し広い場所に出ると、屋敷が現れる。

あまり立派で無い、どこか寂れた感じのする鉄飾りの門を潜るギデオンに声を掛けようとするが、彼はソルジェニーと楽しげに話し込み、門を目にしたかどうかも、疑わしい。

建物の前にある厩に、客達の何頭もの馬が繋がれ、ギデオンはさっさとそこに馬を付けて降り、両手を広げてソルジェニーを受け止める。

ファントレイユは横に馬を入れると、彼に振り向きもしないギデオンを、今度は捕まえようと、手早く馬を繋いで後を、追う。

先を歩くギデオンはやはり、ソルジェニーとの話に夢中で、数段ある階段に足を乗せようとしていた。

ファントレイユは、店の入り口を見る。

確かに店のようではある。が、とうてい上流と言うにはあまりにも質素で、素っ気無い店構えだった。

「…ギデオン、あの……・」

ファントレイユがとうとう声を掛けた時には、ギデオンはもう二、三段ある階段を上がりきり、王子の肩を抱いて店の戸を開け中へと、消えて行った。

ファントレイユが一つ吐息を吐き、仕方無しに後に続いて店の戸を開ける。

…彼の予感は的中した。

そこはどう見ても、悪党どもの巣窟のような柄の悪い酒場で、人相、目つきの悪い30人も居るかと思うごろつき共が、入ってきたいかにも品の良い三人を、一斉にじろりと見つめたからだった。

ファントレイユがギデオンの肩を掴んで店を出ようと言い出す前に、戸口の横に居た男がファントレイユの後ろでバタンと音を立てて扉を閉め、振り向く彼のやさ男ぶりに、にやにや笑って

『文句があるのか』と太い腕っぷしを、めくって見せた。

そしてソルジェニーの肩を抱くギデオンとファントレイユの間に、別の男が割って入ると、ファントレイユに向き直り、睨め付けて言った。

「…二人も別嬪(べっぴん)を連れてるなんて、さすがにお上品な色男は、違うな…!」

それを聞き、ファントレイユは心の中で

『この男は終わった』と、思ったがその通りだった。

「…誰が、別嬪だ……!」

ギデオンがいきなり振り返ると、男の返答を待たず瞬間殴り倒す。

がっ……!どたん…!

床に埃の浮く倒れっぷりを、酒場の男達が黙して見守る。

皆の目が一斉に、殺気でぎらついた。

ギデオンはそれに気づき、咄嗟にファントレイユに視線を投げ、ファントレイユはそれを受け取ると急いで、ソルジェニーの細い肩を、抱いて引き寄せる。

ソルジェニーは、ギデオンの時は全然何て事が無かったのに、いきなりファントレイユのその密やかで逞しい、引き締まった胸元に抱き寄せられた途端、こんな場合にも関わらずに心臓が高鳴り頬が熱くなって、戸惑った。

ファントレイユはそのまま王子の肩を抱いて店を出ようと急ぐが、戸口に居た男は二人を出すまいと、彼らと戸の間にそのでかい図体で立ち塞がる。

ソルジェニーはファントレイユの、血を見るのも殴り合いも大嫌いと言う言葉を思い出し、ファントレイユよりもうんと逞しい、筋肉で出来たようなごつい面構えのでかい男を見てぞっ、と体が震え、腕に抱かれたファントレイユの面を、そっ。と、見上げる。

ファントレイユは、いつもの軽やかさは微塵も無いきつい透けるブルー・グレーの瞳で、相手を睨め付けていた。

とん…。

とソルジェニーを軽く押して自分から離すと途端、飛んできた拳を軽やかにかわして男に、くるりと背を向けるなり、向かってくる男の脇腹に屈んで肘を真後ろに、思い切り突き入れた。

さっと身を翻し、腕を伸ばしてソルジェニーの肩を抱くなり、脇を押えて膝を折る大男の横を素早く通り過ぎ、扉を開け様駆け出す。

戸を蹴立て、階段を飛ぶように二人一緒に駆け下りるが後ろからは、ばたばたと後を追う男達の足音が聞こえ、ファントレイユはソルジェニーの肩を抱いたままゆっくり後ろに、振り向く。

追っ手は、三人居た。

三人共がどう見ても盗賊のように薄汚い身なりの、下品で卑しい顔をしていた。

一人の、腹のせり出した男が口に長い楊枝を銜えたまま唸った。

「…色男さんよ。その子を置いて行きな…!

そしたら、あんたは無事に、逃がしてやる…」

ソルジェニーはファントレイユを見たが、ファントレイユは聞く気が全然無いような、やはり真剣な表情で腰に帯刀した剣の柄に手を掛け、剣をすらりと抜き去った。

三人は彼の容貌と、自分達より華奢な体格ににやにや笑うと、無駄なあがきをするもんだと、同様に剣を、抜いて彼に見せた。

ファントレイユは腕に抱くソルジェニーをそっと、自分の背に回し入れながら、そっとささやいた。

「私の、背中から出ないようになさい。いいですね?」

ソルジェニーは頷いたが、ファントレイユの視線は直ぐに正面の三人の男に、注がれる。

男達はファントレイユが、かかってくるのを待っているようだったが、ファントレイユが動く気が無いのを知って、右の一人が先に彼に斬りかかった。

ソルジェニーはつい、目を固く閉じたが、ファントレイユの背中は動揺する気配が、無い。

ソルジェニーに左腕を回して後ろ抱きにし、彼事さっ、と飛んできた剣を首を傾けて避け様、体を屈めて空いた男の腹に、素早く剣を、突き入れた。

男があまりの早業に、痛みに呻いて体を折ると、ようやく残りの男達の、顔色が変わった。

「…野郎……!」

もう一人が斬りかかり、カン高い剣を交える音が、する。

ファントレイユがソルジェニーを後ろに抱いたまま、チラリと倒れた男がもう立ちあがる事の無いのを確認し、そしてもう一人、控えている男の様子を伺いながらも片手で相手の振ってくる剣を、少したどたどしく受け止める。

ソルジェニーは彼の背後からその様子を見守る。

が、ファントレイユは斬りかかる男の激しい勢いに圧され、防ぐのが精一杯。のようにぎこちなく、がつんがつん言わせる激しい剣をその、ごろつき共からしたら細く見える腕で必死の形相で防ぐ、ふりをしながら、ぎりぎりの所でしっかと受け止め、巧妙に相手の隙を伺っている様子が、解った。

右が、ガラ空きだ…!

ソルジェニーがそう思った瞬間、ファントレイユの剣が、右にさっと飛んだ。

「うがっ…!」

油断しきっていた男は咄嗟の剣の素早さに対応出来ずに斬り込まれた右胸を抑え、体を前に折って、崩れ落ちる。

最後の一人が

『こんな相手に何やってるんだ…!』

とぎり…!と歯噛みして、剣を振り上げ、間髪入れずに斬りかかって来る。

ファントレイユはだがその男が襲い来るととっくに気づいていたようで、さっとそちらに向き直るとさっきのたどたどしさを一気に取っ払い、目の醒めるような振りで降りかかる剣に自分の剣を交え、一瞬で相手の剣を絡めて、回し跳ね上げる。

男の剣が、ファントレイユの剣に弾かれて頭上高く、跳ね飛んだ。

月明かりに一瞬、飛んだ男の剣の刃が、キラリと銀に光る。

が、弾かれた剣が手から抜ける様に驚愕の表情を浮かべた男は次の瞬間、もう向かって来るファントレイユの剣に、胸を突かれうずくまった。

あんまり見事な奇襲でソルジェニーは見とれたが、ファントレイユは男が倒れるのも確認せず、ソルジェニーに振り向きその肩を抱き厩へと、駆け出す。

ソルジェニーは一瞬、そのたっぷりのグレーがかった栗毛を揺らし、月明かりに頬を青白く浮かび上がらせるファントレイユの美貌の横顔を見上げ、彼に併せて走る速度を上げた。

厩に駆け込むなり、ファントレイユは手綱が繋がれている横棒に駆け寄り、手早く綱を解く。

ファントレイユのその素早い様子に、ソルジェニーは慌てて繋いであった馬に乗り込む。

直ぐ後ろにファントレイユが飛び乗り様手綱を取って馬の首の向きを変え、ほぼ同時に拍車を入れて一気に、厩を飛び出した。

激しく駒音を蹴立て揺れる馬上で、ソルジェニーはチラリと後ろを振り返る。

ふわり…!と。

ファントレイユのグレーがかった栗毛が月明かりの中、艶を帯びて彼の肩の上で揺れ、ファントレイユがこんな時でもその優雅さが、決して失われないのを目にし、ソルジェニーは心から感嘆した。

その殴り倒した時から剣を交えている一連の動作中、彼はずっと流れるように優雅で俊敏だった。

…そしてようやく、ファントレイユは倒した男達がまだ向かって来るかどうかを、馬上でチラリと彼らが倒れている場所に視線を送って確かめ、その男達が今だ刺された場所を押さえてうずくまる事を確認すると、手綱を引いて馬の足を止め、速度を落として店の入り口に一瞥を、くれた。

…ギデオンは、まだ出て来ない。

が、店の入り口が騒がしくなり、ファントレイユは後を付けられてはと拍車を掛け、馬がいななき前足を跳ね上げ様その首を枝道の方に向けると、もう一度拍車を入れて一気に、そちらに走らせた。

 ギデオンの、筋肉ではあるが、どこか柔らかな感触とは違い、ファントレイユの胸は密やかで熱く、どこにも余分に贅肉がついて無い様子で、それは引き締まっていて逞しい感じがし、ソルジェニーは背にそれを感じると途端に、どぎまぎした。

彼の、胸も腕も、華やかな感じがするのにとても秘やかで独特の雰囲気があって、抱かれたりするとやんわりと彼に絡め取られたような気分になって、触れるその相手を、それは落ち着かなくさせる。

ソルジェニーは赤らむ顔を俯けて、彼に気づかれないように、した。

そして彼が説得したというスターグに惚れている女性が、こんな風に、彼に後ろから抱かれて馬上で連れだって乗っていたりしたら、つれないスターグなんかより彼の方に気が移っても、無理は無いんじゃないのかと、思った。

 枝道を出て、看板のあった本道迄出ると、ファントレイユはいななく馬を、静めながら向きを変え、道からやって来る、人影をじっと見守る。

ファントレイユがあんまり真剣に、その方角を見つめるので、ソルジェニーもギデオンがとても心配になって、そちらを一緒に見つめ、息を飲んで見守った。

幾度か馬が進もうと歩を踏むのを、手綱を引いて静めながら、ファントレイユが来た道を戻ろうかとじりじりしている様子が解って、ソルジェニーも、居ても立ってもいられなくなった。

いつも大抵は一緒に居るソルジェニーに、必ず余裕を見せて微笑みかける彼だったがその時は、その方角を見据えたまま、全く視線を、外さない。

それからもう、暫くだった。

ギデオンの豪奢な金髪が、馬の激しい駒音と共に月明かりの中、浮かび上がったのは。

二人は途端に安堵する。

ギデオンは突進する早さで駆けて来て、二人の姿を確認するなり叫んだ。

「…行くぞ!」

ファントレイユは馬に拍車を掛けると、疾風のように彼らの横を通り過ぎるギデオンの、後に続いた。

暫く、無言で併走したが、ごろつきが追いかけて来る様子が、無い。

ギデオンはファントレイユに目で合図し、ファントレイユはちらりと視線を向けてそれを受け止め、手綱を引き、速度を落とした。

そして、彼らに振り向くギデオンのそれは快活な、いかにもさっぱりしたと言う全開の笑顔を見て、ファントレイユは途端に不安げに、そっ、と訊ねる。

「……まさか、わざと間違えて、無いよな?

君の言った店はあの二股の、左側の道の先だろう…?」

その言葉に、ギデオンの眉が寄る。

「…知っていたんならその時なぜ、そう言わない?

わざわざ私がソルジェニーを危険な目に、合わせる訳無いだろう…?!」

ファントレイユは肩を、すくめた。

「君を、信用したんだ」

ギデオンはその言い用に、きっちりむくれた。

「…私が信頼を、裏切ったと?」

ソルジェニーは見ると、ファントレイユは素知らぬ様子で、取り澄ました顔をした。

ギデオンはその男の様子に、仕方なしに続けた。

「…つまり私に、謝罪しろと言いたいんだな?」

ファントレイユは彼に向くと、急いで言葉を返した。

「そうは言っていない!

…だが君は暫く殴る相手が居なくて、ストレスが溜まっていたようじゃないのか?」

ギデオンがの眉が更に、寄った。

「…ストレス発散で私があの店に、わざと足を向けたと、そう言いたいのか?」

ソルジェニーは思わず振り返り、ファントレイユの顔を、見上げた。

彼は心底心配げに、そっと訊ねた。

「……違うのか……?」

ギデオンは即答した。

「勿論、違うに決まってる!」

きっぱり言い切るギデオンだったが、余程楽しかったのか、直ぐに思い返してつぶやいた。

「…だが、いい場所を見つけたのは確かだ。

今度からストレスが溜まったら、あそこに行けばいいからな…!」

あれだけの数のごろつき相手にたった一人だったにも関わらず、掠り傷すら負っていないギデオンの、その晴れやかな笑顔に、ファントレイユは一つ大きなため息を付いて、心の底からあのごろつき達に同情してささやいた。

「…君の訪問の、何度目かで全員、夜逃げしてるさ…」

それは小声だったが、ギデオンは振り向いた。

「何か、言ったか?」

ファントレイユは慌てて笑顔を作ってギデオンに向けた。

「いや…!君の為にもあの店が、潰れないといいなと、言っただけだ」

ソルジェニーが見守るファントレイユは少し青冷めて俯き加減だったが、ギデオンはその言葉を真に受け、意気揚々と笑った。

金のさざ波のような美しい髪は月明かりの中青味を帯びて輝いていたし、小顔の色白な顔立ちはそのくっきりとした碧緑の瞳と、華奢に見える細く形の良い鼻筋と、少し下唇が肉厚な小さく見る唇がたった今の戦闘で赤く染まり、美女顔が更に際立ち素晴らしく美しく見えた。

「そう、思うか?せいぜい祈っててくれ…!」

その、心底楽しそうなギデオンの様子に、ファントレイユはその容姿との凄まじいギャップに顔を思い切り下げると、内心、やっぱりこいつは、猛獣だ。と心の中でつぶやいた。 







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